
総合評価
(4件)| 0 | ||
| 1 | ||
| 1 | ||
| 0 | ||
| 0 |
powered by ブクログ夭折の作家・山川方夫のエッセイ集。タイトル「目的をもたない意志」は映画批評を集めた第三章の章題でもある。ミケランジェロ・アントニオーニ「情事」、アラン・レネ「ヒロシマ・モン・アムール」、増村保造「妻は告白する」といった、1960年前後の作品を奔放に論じている。自分は映画評論家ではないのだからと、難解な文章ではあるが気兼ねなく書いているのが心地よい。 芸術映画論だけでなく、怪獣映画好きであるが故の「キングコング対ゴジラ」批判も興味深い。
0投稿日: 2025.10.01
powered by ブクログ山川方夫のエッセイ集。ここには30代で没した作家の永遠の若さが封じ込められていると言ってよい。しかし、その「若さ」は「未熟さ」とは異なる。『三田文学』の編集長を務め、江藤淳や曽野綾子などの才能を世に送り出した山川は、すでに20代のころから文学のその先を見通すことのできる、新鋭でありながら老練な作家でありプロデューサーであった。 山川は高名な日本画家の息子として、裕福な家庭に育った。「神話」というエッセイで、戦前に鎌倉へ「36年型ビュイック」で叔父の家族と一緒にドライブに行き、8ミリでホームビデオを撮った時のエピソードが語られている。山川は、「その日、叔父の8ミリの目が私を狙い続けたことへの恐怖に近い嫌悪は、いまもはっきりと記憶している」。ところが、実際に当時のフィルムを見ると、小学校三年生くらいの自分は「いきいきと明るく動きまわっている」のだ。 「では、間違っているのは私の記憶なのだろうか。/すっかり自信を喪失して、私は、幼年時代というやつは、一つの記憶というより、一つの神話なのだという気がした。おそらく、それは事実とは何の関係ももたない。ひとが過去と呼ぶもの、たいていの場合、それは自分勝手な現在の投影なのにすぎない。」(p.95) おそらくどんな人も、自分の幼年時代のそうした「神話」を持っていて、それを懐かしんだり、嫌悪したりして、生きている。そうした「神話」に取りすがって、あるいは呪われながら、生きている。 ここでの「映像」と「記憶」との乖離は、本書第3章「目的を持たない意志――映画をめぐる断章」にまとめられたエッセイのテーマともなっている。 「情況の変革は気休めにすぎない。人間には出口はない。生きている人間には、絶対にこの世の中からの解放や脱出はありえず、他人との完璧な「愛」の関係も、現実にはすべて虚妄にすぎない。生きることは、しかし、つねにみずからの不在、その「完璧な瞬間」にいる自分だけを見つめながら、生きていることの恐怖に、ただじっと耐えていること以外にはない。それ以外に、人間の勇気はない。……」(p.202) 本書には付録として、『山川方夫全集』月報に寄せられた、夫人の山川みどりさんのエッセイも収録されている。一年に満たない結婚生活は、山川の交通事故死という突然の幕切れを迎えた。その短い期間の、山川夫人としての思い出が語られていて大変に興味深い。
0投稿日: 2025.06.28
powered by ブクログ死生観と観念性の探求 山川方夫のエッセイは、冒頭の衝撃的な自殺願望の告白から始まり、死への憧憬と同時に、自身の世代が軍国主義教育の影響下で育まれた観念的な傾向を分析します。見たことのない敵への憎悪や曖昧な言葉への信仰といった観念性を指摘しつつ、「一人きりの自分」という概念の虚構性を痛感し、他者との関係性の中にしか自己は存在しえないという認識を示します。抒情と現実の間を往還することで、生きている自己を証明しようとする内省が描かれています。 東京と地方の対比と自己の所在 東京での自身の在り方に懐疑的になった語り手は、地方の素朴な人間関係に惹かれる一方で、東京の個人主義や合理主義に違和感を覚えます。広島で触れた石原慎太郎や大江健三郎の作品に「浮いた」印象を抱き、自身の経験とのずれを感じます。東京に戻ってからもその感覚は拭えませんが、島での経験が勝り、ニヒリズムを経ざるを得ない自己の存在を確認します。巨大な「悪夢」のような東京への複雑な感情も吐露され、自身の生活感覚や価値基準が変化していることを自覚します。 同世代作家への辛辣な批評 石原慎太郎のデビューからの変化のなさを指摘し、その作品を「皮相で歯切れのいい」才能によるものと評しながらも、深みや社会への洞察の欠如を批判します。大江健三郎の作品には「浮いた」印象を持ちつつも、現代の否定性を徹底的に構築する姿勢を評価します。両氏の作品に対する「浮いている」という感覚は、著者自身の現実との乖離感を表しているとも解釈できます。 文学と思考の深化:サルトル、グリーン、増村保造 サルトルの実存主義的な思想、特に「嘔吐」を通して感じた粘液的な実存の感触に魅了されたと語ります。グレアム・・グリーンについては、多くの作品に信頼しがたい後味を感じつつも、長編「内なる私」に動かしがたいものを感じ取ります。増村保造の映画作品に繰り返し言及し、彼の描く女性像「彩子」を通して人間の内面の虚無や孤独を分析し、愛についての特異な観念を読み解きます。 映画と人間:デュラス、アントニオーニ、そして映画の核心 マルグリット・デュラスとアラン・レネの合作映画「二十四時間の情事」を高く評価しつつも、主人公のナルシシズムに共感できないと述べます。アントニオーニの作品群については、「情事」以降の作品に「到達」を認められず、自己を閉ざす人物像を批判的に捉えますが、「さすらい」は例外的に評価します。映画の本質は「エロもグロも、実は人間の体臭でしかないこと」であり、人間そのものへの深い関心こそが重要だと主張します。 個人的な経験と回想の断片 山川みどり氏の回顧録から、著者との出会い、結婚生活、そして突然の死までが語られます。二宮での海辺の生活や、著者の朗らかな人柄、病への不安などが描かれています。友人である小林信彦との文学談義のエピソードや、北海道で昭和新山を見た経験、二宮での海との対立など、個人的な記憶や感情が織り込まれています。 編集者の視点と文学的遺産 「三田文学」の編集者としての経験を振り返り、読者の欲求と自身の欲求を一致させることの重要性を語ります。付録の情報から、著者の短編が海外の著名な作家と比較されるようになっていることや、彼の作品にインスパイアされた映画が存在することが示唆され、その文学的な遺産の可能性が語られています。
0投稿日: 2025.05.16
powered by ブクログ夫人の回想が良い 山川方夫を知らずでしたが雰囲気のようなものは伝わってくる 映画に関するエッセイに関してはその他評論家たちに対する話は分かるが、映画自体に言及する内容はビミョーでは、、 より正確な自分、より自己の充実に対して貪欲な、その努力の中にただ安定をかんじる性質の女。タフで、生活技術にも秀で、コンベンショナルなものなど平気で無視してケロリとしている種類の女。(180) ↑ここまで正確に表現できるんだとびっくりした
0投稿日: 2025.04.29
