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「あの戦争」は何だったのか
「あの戦争」は何だったのか
辻田真佐憲/講談社
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総合評価

61件)
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    なぜ戦争が避けられなかったのか 軍部、政府の思惑や動きに加え、民衆や天皇の動きも考察 権力者がいなかったからこその混乱 各国の戦争に起因する日本への価値観など あの戦争を語る際に、あの戦争だけに焦点をあてるのではなく、それに至るまでの歴史や構造も見つめる

    2
    投稿日: 2025.12.15
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    歴史そのものは過去の出来事同士を繋ぎ合わせたものでしかない。どの出来事同士をどう繋げるかが歴史観なのだと感じさせられたし、それが国によって異なるというのが興味深い点だった。 一方であの戦争はどうやってもきっと回避できなかったというところに絶望も覚えた。

    0
    投稿日: 2025.12.14
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     今年は戦後80年ということもあって、戦争に関する本や映画などで、戦争について知ろうとして来た。今年の集大成のような気持ちで本書を手に取ったのだが、画期的でとても読み易く、読んで良かったと思った。  これまでになかった視点で「あの戦争」を捉え直していて、己の史観(それはそれは拙いものだが)を改めるきっかけになった。  本書の唱える「小さな否定と大きな肯定」と云う視点は、まさに金言であり、歴史について考える上で大切なものだと感じた。  これを機に、戦争についてさらに学びたくなったし、このようなことがあったということを「忘れない」でいたいなと思う。

    25
    投稿日: 2025.12.14
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    話題書ということで手に取る。 「あの戦争」について、多角的に振り返っていく内容。 出来る限り神の視点で断罪するのではなく、客観的に振り返って評価していこうという著者の誠実さが終始感じられる。 当時の軍部が暴走し、愚かな戦争に突き進んだとどうしても考えがちになってしまうが、 果たして避ける道はあったのか?一石を投じてくれる内容だった。 素晴らしい内容だった。

    7
    投稿日: 2025.12.14
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    著者が東南アジア各地を回られて、歴史博物館において、大東亜戦争がどのように表現されているのか、これは新しい視点だった。

    0
    投稿日: 2025.12.07
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    “あの戦争を語る際に、あの戦争”だけ”に焦点を当てるべきではないということだ。真珠湾攻撃や特攻隊といった個々の現象について理解を深めることも重要だが、なにより大切なのは、それらにいたるまでの歴史の過程や構造を見つめることだろう。あの戦争は、日本の近代史、あるいは近現代史という長い時間の流れのなかに位置づけて、はじめてその全体像が立ち上がってくる。そうした視点に立つことで、ようやくあの戦争は、過剰な肯定にも否定にもならず、落ち着くべきところに落ち着くのではないか”

    4
    投稿日: 2025.12.02
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    太平洋戦争(戦争の名称をどう呼ぶかの議論は本書の冒頭に十分行われている。私観では太平洋戦争が長年使われていて中立的な気がしている)についての最近のベストセラー。近年の太平洋戦争の書きぶりがどんな感じか知りたかったので読んでみた。 この中でも実証的な書き方が主流となっていることが述べられていたが、この本も中立的で実証的な書き方である。 当時の日本の状況や考えを辿りつつ、諸外国の立場も踏まえようとしている。 歴史が現在の思考を反映していることも留意している書きぶりは慎重で非を指摘しにくい。 うまくまとまっていて、現時点では太平洋戦争の振り返りとして上出来だと思った。 ただし、すでに太平洋戦争について色々な本を読んできた人間としては、綺麗にまとまりすぎて、掴みどころが少なく、印象に薄いようにも思われた。 しかし、東条首相の各国への外遊は初めて知ったことであり、勉強となったところは多い。 また、この本の最後に書かれていた、日本としてのあの戦争の位置づけをどうするかについて、本書に書かれていたわが国の立場の延長線上にあるのではないか。 この本の視点を更に深化させることにより、あの戦争について国民全体の合意ができる可能性を感じた。

    1
    投稿日: 2025.11.27
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    論理的文章で「あの戦争」について考察した新書です。 話題の本であり、「あの戦争」について多くの知識を持たないため、この本を読んでみたくなりました。 私が受けた高校の歴史教育では明治維新以降の歴史は飛ばされ、全く学ぶ機会が有りませんでした。  この本を読み、歴史の見方が多様であることを知り、奥が深いことも分かりました。 なぜ「あの戦争」が始まったのか、事実を踏まえ、学んでみたいと思いました。

    1
    投稿日: 2025.11.17
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    難しい題材についてバランスの取れた記述でコンパクトにまとめた良書。 「あの戦争」は名称すら大東亜戦争、太平洋戦争、十五年戦争、アジア・太平洋戦争、第二次世界大戦と様々な呼び方があり、使う名称によって見方が変わってしまう。 第一章では「いつ始まったのか」という問いから始まる。 一般的には1941年12月8日の真珠湾攻撃を起点とする見方が広く受け入れられているが、実態を捉えるには日中戦争との連続性を見る必要がある。1941年12月12日に政府が この戦争の名称を「大東亜戦争」と発表した際には支那事変(1937年7月7日盧溝橋事件)も含めていた。さらに満州事変(1931年9月18日)を起点とする「十五年戦争」史観、植民地主義に対する日本の反撃戦争と捉え、幕末を起点とする「東亜百年戦争」論と様々な見解がある。 著者は「総力戦」の時代を切り開いた第一次世界大戦が日本に与えた衝撃や民族自決の潮流の高まり、満州の権益確保、植民地となっていた東南アジアの資源への注目などを概観し、①日本を加害者として見る左派的な十五年戦争史観②日本を被害者として見る右派的な東亜百年戦争史観③実証主義(歴史観なき歴史観)と敢えて簡単に整理したうえで、歴史は科学ではなく、事実への意味付けは解釈によって変わるとして、最後に著者の考えを述べている。 著者は、「あの戦争」の実質的な始まりは日本が大陸で長期的な戦争状態に突入した1937年7月7日であり、この戦争は支那事変ではなく「日中戦争」であり、対米英開戦後は日中戦争を含めて「大東亜戦争」と呼称するという見方を採っている。 「大東亜戦争」の名称自体に右派的イメージがあるため使いにくい面がある点は著者も触れている。 第二章では「どこで間違ったのか」つまり開戦は回避できなかったのか、という問いである。 日本の指導層は長期戦になれば勝ち目がないことは十分認識していたにもかかわらず、関係各所の同意を取り付けて消極的な選択を行うことは不可能に近かったことなど、歴史的な選択肢から論じ、さらにその背後にある大日本国憲法の構造的欠陥について触れている。「そのような選択肢を、だれがどのようにして実行するのか」という「司令塔の不在」である。国務各大臣を個別に天皇を輔弼、陸海軍は天皇に直属、軍内部も軍政と軍令の二重構造があった。東条英機、石原莞爾、永野修身、米内光政などを論じ、最後に昭和天皇が取り得た選択肢の狭さに触れ、「護憲」が国を滅ぼしたとも言えると述べている。 第三章では、「あの戦争」において日本が掲げた理想を「プロパガンダにすぎない」と一括りに否定する見方と過剰に称賛する動きに対し、単純に割り切る見方ではなく、その中間に答えを見出そうとしている。脱亜入欧とアジア主義の相克、「人種差別撤廃」提案、「大東亜会議」などを論じ、自らが掲げた理想と、その裏にあった現実とを直視する必要があるとしている。 第四章では、視点を「大東亜」地域に向け、そこでどう受け止められているかを、各地域を実際に訪れの歴史博物館や記念碑の説明などを通じてどのように「あの戦争」を捉えているのかを読み解いている。 第五章では、「あの戦争」がいつ「終わった」と言えるのか=歴史上の数ある出来事のひとつとして扱えるようになるのか、を探っている。そして、「あの戦争」が特別な地位を占めていることは、国立近現代史博物館が存在しないという形で象徴的に表れていると指摘している。多くの国では、そこにそれぞれの国の「国民の物語」が明確に提示されている。あまりに不十分な国立歴史民俗博物館、「戦争が天災のような」昭和館、「受け身史観」の遊就館、それに対し、展示に工夫がみられる東京大空襲・戦災資料センター、負の歴史も明記するアメリカの国立アメリカ歴史博物館を紹介し、あるべき姿を探っている。 最後に、本書の結論として、あの戦争を語る際に、あの戦争「だけ」に焦点を当てるべきではなく、日本の近現代史という長い時間の流れの中に位置づけて初めて全体像が立ち上がってくる。そうした視点に立つことで、過剰な肯定にも否定にもならず、落ち着くべきところに落ち着くとしている。 【目次】 はじめに 第一章 あの戦争はいつはじまったのか――幕末までさかのぼるべき? 第二章 日本はどこで間違ったのか――原因は「米英」か「護憲」か 第三章 日本に正義はなかったのか――八紘一宇を読み替える 第四章 現在の「大東亜」は日本をどう見るのか――忘れられた「東条外交」をたどる 第五章 あの戦争はいつ「終わる」のか――小さく否定し大きく肯定する おわりに

    1
    投稿日: 2025.11.14
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    政治的になることを恐れて、歴史を忘れ去るのではいけない。批判されても65点の歴史を目指すという姿勢には共感した。 最後の第四、五章が博物館における歴史の取扱い方の話なのも面白い。アジアでは大東亜共栄圏も東條英機も扱いがないか、小さい。国家の歴史にとって必要がないからである。対して、日本の博物館は、自国の歴史を取扱うのに慎重になりすぎて、ほぼ近現代の戦争について展示していないという(靖国神社の就遊館ですら愛国的というよりは受動的と指摘されている。)。 各章、左右、実証主義を踏まえつつ、簡潔に自分の立場を説明している点もよいと思った。ほぼ同世代の著者だが、これくらいの距離感でもっと歴史を知りたくなる。

    1
    投稿日: 2025.11.13
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    「歴史とは現代からの解釈であり、そこには解釈者の意や価値観が加わるため、歴史は表情が変わる。」ことを前提にしている。 戦争の始まり(太平洋戦争、日中戦争、満州事変、、、、遡るとペリー黒船まで?)を、偉人たちの解釈をふまえて、多様な角度で示されている(もちろんご自身の解釈も)。 主に太平洋戦争に突入するまでの日本の状況(憲法や組織の脆弱性など)を多くのポイントをまとめられている。 →どことなく現代の強くなれない企業と似た点があるように思え、当時の組織体をもうすこし深く学びたいと好奇心が湧いた。 後半には、当時の日本の政治・軍事活動(大東亜新秩序、八紘一宇、人種差別撤廃)や、それらを他国からどのように解釈されていたか。未来にどうつなげていくのかと結ばれている。 →自国も他国も時代や状況など、その時、遡った時、すべては解釈で正しい解がないが、考え続けることが大事なのかな。

    0
    投稿日: 2025.11.07
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    ずーっと気になっていた本。 よーやく読むことができました。 改めて、歴史は点ではない。その当時の世界情勢、日本の立場、様々な因果関係が交錯して積み重ねの結果である事を気づかせてくれた内容だった。 その始まりは黒船来航、日本の近代化からはじまっている述べられている。 他の国々が当時の日本をどうみるか、ではシンガポールなどが厳しい目で見ているのは新たな発見だった。個人的には中国、韓国は厳し目に見ているが東南アジアは比較的、良好なのかと勝手に奢った考えを持っていた。 日本は加害者か被害者かは100点か0点ではなく65点くらいというのは共感できる。 当時の日本が行なった事で全てが悪い事をした訳ではないがそれを正当化して開き直る事もないとも考える。いかにこの歴史を未来に活かすかが大事だと考えさせられる一冊だった。

    53
    投稿日: 2025.11.05
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    所謂「太平洋戦争」(米国側の呼称らしい)に関して、なるべく客観的にという趣旨で解説した本。 視点が右か左かはさておき、冷静に書かれているのでわかりやすい内容だと思う。

    13
    投稿日: 2025.10.30
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    「あの戦争」という代名詞を使った言葉でわざとぼかし、あえて「太平洋戦争」「大東亜戦争」「十五年戦争」などと言わずに、「あの戦争」がいつ始まったのか、なぜ始まったのか、読者に考えてみろと迫ってくるような本。 今を生きる僕は、「あの戦争」のことを正確に知らないと思う。なぜならば、この本を読んで知ったことも数多くあり、当時の人々がその時、どう考えたのか想像する。 当時の世の中の雰囲気は、今では体感できない。今の感覚で当時を振り返っても正確に体現することもできない。「このまま座して死を待つより、死中に活を求めよう」という選択をなぜしたのか。 列強がこぞって地球上の資源を力によって確保していた時代。陣取り合戦が終了したとき、必然として発生する列強の武力衝突。今もその構図は変わらない。だからこそ「あの戦争」を学ぶ必要がある。

    5
    投稿日: 2025.10.29
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    昨今の政治状況。 世界で続く戦争状況下で 平和を願う思い。 そのために今こそ 「あの戦争」について 改めて知るべきだ。 トランプ大統領2.0のありよう。 高市総理の誕生。 ウクライナ、パレスチナなど 世界各地で続く戦争。 そうした状況下で 切に平和を願い、 日本のこれからを 考えようとすると、 どうしても「あの戦争」に 立ち返らざるを得なくなる。 なぜなら、 反戦を訴えるなら、 その反証として あの戦争への反省なり、 各自の思いが問われることになる。 なぜなら、 日本の現在のありようは、 短期的な視点で言えば、 あの戦後から始まったからだ。 もっと長期的視点に立てば、 明治維新から考える 必要があるのかもしれないが。 現代から過去へと 歴史を遡行し、 日本のありようを見つめ、 平和を、これからを、 自分の視点で 考えるためには、 やはり、あの戦争について 自分なりの考え方の確立を 今こそする必要がある。 そこで、改めて どう知るかと思ったときに 出合ったのが、この本だ。 本書は 左派、右派の方からは 異論があるかもしれないが、 割合とフラットだ。 この異論が出そうな状況こそが、 日本という国で 今現在、あの戦争への 国民的、統一的な 認識ができていない 証左であると思うのだが。 本書は、あの戦争について さまざまな論や考え方を挙げながら、 事実関係を積み上げて記していて、 考える足場としては 好適だと思う。 本書は以下の構成だ。 はじめに 本書の立ち位置が述べられる。 「あの戦争」は何だったのか。 あの戦争はなぜ起きたのか。 といった問いに答えるために 本書は書き始められた。 「端的にいえば、 『日本が米国から石油を止められて、 追いつめられたから』」と著者は語る。 しかし、石油が禁輸された原因は? それは南部仏印(フランス領インドシナ)に 進駐したから。 ではなぜそこに進駐したのか? と問いが続くと書いている。 さらにあの戦争についての 呼称問題も戦争の捉え方に関わる。 大東亜戦争、 太平洋戦争、 十五年戦争、 アジア・太平洋戦争、 第二次世界大戦、 そのそれぞれに込められた 思いを知ることが必要だ。 そして、あの戦争は 回避可能だったのか? という切実な問いが 投げかけられる。 こうしたいくつかの問いに答えるべく、 一冊の教養書にまとめてみよう。 と、著者は本書の成り立ちを述べている。 第一章 あの戦争はいつ始まったのか 「十五年戦争史観」や「東亜百年戦争」など 戦争論をいくつも取り上げながら、 あの戦争の始まりを考えることで、戦争を見ていく。 各論が寄って立つところを考えることで、 あの戦争の細部に分け入っていく。 第二章 日本はどこで間違ったのか 過去のわれわれとして、 日本は戦争を避けられなかったのか について問うていく。 第三章 日本に正義はなかったのか 脱亜入欧とアジア主義、 人種差別問題、 八絋一宇、 大東亜秩序から大東亜共栄圏へ などの往時の課題やスローガンを分析しながら、 日本はどこを目指したのか、 目指さなかったのかを考える。 第四章 現在の「大東亜」は日本をどう見るのか アジアを実際に訪問し、 日本が関わった各国において、 あの戦争がどう語られているのかを つぶさに調べている。 第五章 あの戦争はいつ「終わる」のか 日本国内の あの戦争に関する 展示館を訪問しながら、 改めて日本における あの戦争の位置付けと これからを考える。 こうして あの戦争の詳細を知っていったとき、 改めて、自らのうちに あの戦争を考える契機が生まれている。 さらに言うならば。 「あの戦争」を考えることの次に、 「あの戦後」は何だったのか、 が問われなければならないと感じた。 日本があの戦争から 大きく変わったのは事実だが、 現在の日本人の国民性や 日本人が一般的に抱く思い、思想、 さらに立ち位置は、 戦後の数年で決定づけられたと思う。 そのターニングポイントは GHQによる占領下における 統治政策にあった。 そういった意味では、 日本はまだ戦後なのかもしれない。

    0
    投稿日: 2025.10.26
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    「あの戦争」について、その「呼称」や「始まり」について「一定の方向性」を示唆してくれます。ただし決して「結論」は出さない。というより、出せないのでしょう。「曖昧さ」がこの国の特徴なのかもしれません。様々な解釈を可とする、それは何も「あの戦争」に限ったことではありません。白黒ではなく灰を良しとする、「ハッキリ」ではなく「ボヤっと」したものの中にさえ「美」を見つける文化・思想がこの国を支えているのかもしれません。だから、「善悪」という考え方だけでは「あの戦争」は結論付けられないのだと思います。 よって、「あの戦争」は終わらない。

    0
    投稿日: 2025.10.25
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     自分の歴史・戦争に関する認識が、いかに曖昧かを痛感しました。戦争関連本への堅苦しいイメージもありましたが、読んでよかったと思えました。とても読みやすく、幅広い観点から論じられていて勉強になりました。  そもそもの「あの戦争」とは何を指すのか、その起点の多様な解釈、呼称の背景、因果の過程で防げたのでは?というタラレバは、今だから言えるのですね。歴史の事実を詳細に辿り直すことで、見えてくる実情がありました。  一部分を切り取って、善・悪や加害・被害の二項立ての議論は不毛ですね。人の歴史観・価値観で受け止めが大分違います。著者が直接アジア諸国を訪ね、あの戦争の捉え方がまちまちである説明は、とても説得力がありました。  歴史の事実は変えようがありません。反省しても過去は変わりません。けれども、私たち次第で未来は変えられるのですね。  少なくとも、偏った思考での断定的な主張は避けるべきですね。戦争の本質が余りにも深いので…。自分事として想像し見つめ直す、それが今や未来に生きていくのだと思えました。  なんか難しそう…という心配を、エイヤッ!と一歩踏み出し読み始めてみると、きっと新発見があるでしょう。

    90
    投稿日: 2025.10.25
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    「あの戦争」はなぜ起き、なぜ止められなかったのか――。本書はその問いを、歴史の「解説」ではなく「思考のプロセス」として読者に追体験させてくれる一冊だった。 章ごとに、歴史の“別の可能性”(タラレバ)、イデオロギー、現地の声、そして終戦へという角度から多層的に戦争を捉え直していく構成が非常に読みやすい。特に印象に残ったのは、日本にはヒトラーやムッソリーニのように“物語の主語”となる指導者像が不在だったという指摘だ。誰が司令塔だったのか曖昧なまま突き進み、止められるはずの段階で止められなかった――その構造は、現代にも通じる話だと感じた。

    4
    投稿日: 2025.10.23
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    あの戦争から80年経過して、なお、あの戦争の意味は揺蕩っていることを知り、驚いた。今の我々が遡ってやり直しても、当時の世界情勢の中では同じ様になってしまうかもしれないことのシュミレーションがとても興味深いものだった。歴史は大団円で閉じることはなく、いまも状況は継続中だからこそ、あの戦争を考え続けることが重要だと強く思う。

    1
    投稿日: 2025.10.20
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    微妙な仕上がりだと思った。 歴史とは現在の視点から解釈するものにならざるを得ず、価値観の介入は否めない。 先の大戦についても、被害者視点でなく、加害者視点でなく、0−100ではなく65点くらいでいいんじゃないか。 どっちから見て? 前半の軽い史実の確認は良かったのだけど、大東亜共栄圏、東条元首相が巡った国々の「国の物語」を辿るあたりからなんかわからなくなった。 長いねん、その部分。 で、じゃあ日本がその物語を持つ必要があるのか。 その辺がようわからん。どう考えてるのか。 考え方の提案ではあるが、考えの提案ではないのか。 なんとはなしにええように誤魔化された感じで、結局何を読んだのかあんま残ってない。

    0
    投稿日: 2025.10.14
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    YouTubeで豊島晋作氏との対談を観たので。戦後80年を迎え、また次の戦前が近付く足音を感じる昨今だが、「あの戦争」の総括なくしては、憲法改正含めて次の時代に繋げる本質的な議論は進まないように感じた。奇しくも先日の石破首相の談話でもふれられたように、歴史を直視する勇気とそこから学ぶ姿勢が必要なのだと思う

    9
    投稿日: 2025.10.13
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    石破首相が戦後80年談話を発表し、改めて「あの戦争」を振り返る。日本人にとって、終戦は1945年8月で明確であるが、戦争がいつ始まったのかについては解釈が別れる。明確な宣戦布告については1941年の対アメリカ太平洋戦争のみであるが、それ以前に日中戦争が実質的に始まっており、さらに1931年満州事変にまで遡って15年戦争と呼ぶ人もいる。 そして戦争責任への反省謝罪一辺倒だった戦後談話についても変化がみられる。とくに中国に対しては、好戦的だったのはむしろ蒋介石側だったという見解が近年明らかになってきており、また日本内部でも陸軍や海軍、軍政や軍令など複雑に入り混じった軍部が一枚岩になっていたわけではなく、その意思も責任の所在も曖昧なまま採れる選択肢が限られていって戦争に突入していったというのが本当のところだろう。 翻って現代の我々がこの歴史の教訓から学ぶことは何か。決して軍部の暴走による狂気の時代だったと、自分たちとは別のものとして概観するのではなく、むしろポピュリズムやナショナリズム、あるいは格差やPTSDなど現代において明確化された価値観に基づいてあの時代を再定義し、再現可能性のある暴走を止めるシステムを幾重にも張り巡らすリアリズムなのではないだろうか。

    12
    投稿日: 2025.10.13
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    歴史とは現在からの解釈である 人が正しい道を進んでいるのであれば、過去の人類よりも現在の人類の方が正しい選択をしているはずだと思う。ロシアとウクライナは戦争をするし、中国の台湾侵攻もきな臭い。人を傷つけるという行為は、人の正当な行為なのかとも勘繰ってしまう。 戦時中の東條英機の外遊も知ることができたことは劣勢の日本という印象があったので意外な感じがしました。また彼への印象がヒトラーと比べると独裁者の主体性とは違和感があると感じましたが、それが日本では、主体が存在しないという言葉で納得できる部分もありました。 世界各国の歴史問題への認識の違い、とりわけ中国の歴史を展示する資料館なとが過度に反日ではないというのも、国民の視線がそれだけ肥えてきたということか。 日本の歴史資料館が民間主導なものが多いという点も初めて知る事実。 視点が変われば解釈も変わってくる。反省はする。それでも戦争がなくならないのは人類が成熟していないからなのか。人は忘れる生き物だからなのかは、永遠の課題な気がします。

    3
    投稿日: 2025.10.13
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    戦後80年、今こそ問い直す「私たちにとっての戦争」とは。 「日本の過ちばかりを糾弾することでも、日本の過去を無条件に称賛することでもない。過ちを素直に認めながら、そこに潜んでいた“正しさの可能性”を掘り起こす、言い換えれば「小さく否定し、大きく肯定する」語りを試みることである。それこそが、われわれの未来につながる歴史叙述ではないだろうか。 本書は、そのようにしてあの戦争を現在につながる大きな流れへと接続し、「われわれ」の物語を創出するための試みである。」  ――「はじめに」より まさに、読みたいと思ったきっかけは、この帯に集約されている。 戦後80年の節目の年に、多くのYouTube番組に出て語られる内容に膝を打ち考え方が私の求めていたものかもと思い、書店へGO。 極端な←や→でない65点の歴史観がしっくりくる。 それにしても、思想が絡むこともあるからか学校教育では薄くしか触れない近現代史について「あの戦争」を中心に学べたのは良い読書体験となった。 アジア主義の台頭と八紘一宇 近衞文麿戦時に八紘一宇の精神に基づき大東亜の新秩序の建設を国是とした。 「八紘一宇」そもそも日本書紀に記された神武天皇のことばに由来する。 大東亜共栄圏は後付けだった この3章は全体的に日本の過ちを示され、心苦しさを覚えたが、章のまとめで日本だからこそ世界をリードできる解を提案してくれる。 一 まず近代日本がとった誤った行動をきちんと否定しながらも、日本の理念が内包していた「より大きな可能性」を肯定する姿勢が必要だ。そうすることで、はじめて八紘一宇は普遍的な用語として再構築され、「大東亜共同宣言」も部分的に普遍性を含んだテキストとして読み直されうるだろう。 前のめりではなく、かと言って自虐史観でもない、前向きな歴史物語に賛同する。 著者がYouTubeで話していた左派系書籍から次の戦争を考える本を早速手元においた。今年中に読みたい。 加藤陽子著  『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』 80年の節目の令和7年11月に「国やすらかなれ」の願いがこめられている靖國神社を参拝。 国家存亡の危急に際して、愛する祖国や故郷、家族のために尊い命を捧げられたのが靖國神社に鎮まる英霊。 行きは鳥居を前に右にならえで一礼していたが、帰り道での一礼は平和に対する感謝の意が自然とわいてきた。

    27
    投稿日: 2025.10.12
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    中盤は中国・アジアの戦争博物館・近現代博物館を探訪記なのだが、これはその国々の捉え方を知ることができることを気付かされということが紹介されていてよい。 第五章の、あの戦争はいつ「終わる」のか、に著者の思いが業種されていて、じっくり読みたい章である。 歴史記憶の「風化」と「上書き」は、時代が変われば起きるのであろうが、その前に、いまもってしっかりと研究されていない、日本のアジア・太平洋戦争の捉え方についてさらに明らかにしていってほしい。そして、われわれ一般人にも「あの戦争」は何だったのか、を考えるきっかけを提供してほしいと、切に思いました。この本はそれを自分自身が考えていく材料となりました。

    2
    投稿日: 2025.10.12
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    メモ→ https://x.com/nobushiromasaki/status/1976875112164135292?s=46&t=z75bb9jRqQkzTbvnO6hSdw

    0
    投稿日: 2025.10.11
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    戦後80年ということもあって総括としての話題性は今なお健在のアジア・太平洋戦争に関して、いくらか焦点が絞られていた筆者のこれまでの著作と比べても概観的に論を繋いでいる。 日本が突入した戦争の時期的な定義とそれに絡まるイデオロギー。歴史というifの存在しない事象へのそれでもという反実仮想。戦時下に直接・間接的に交わった国々における感覚と、そもそも現代日本において確立されずじまいの総合的な評価。一連の流れを追うと、今なおこの込み入った歴史哲学的な問題の解消は残された国家の課題であると見えてくる。

    3
    投稿日: 2025.10.11
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    どのような経緯で戦争が始まったのか、戦中にどのようなことがあって、戦後各国でどのように捉えられているか、流れを辿っていけるため、「あの戦争」について理解が深まった。かなり分かりやすく、そして意見の偏りなく説明されている印象だが、前知識が乏しく、消化不良感は否めない。 これをきっかけに、戦争に関する博物館、記念碑や、書籍に触れ、自分なりの捉え方ができるようになりたい。

    4
    投稿日: 2025.10.08
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    歴史に疎い自身にとっては難解で長く感じた。もう一度読めば理解が深まるかもしれない。 ただ、それだけあの戦争は複雑な事象だったと言えるということだろう。最後の結びは良かった。

    2
    投稿日: 2025.10.06
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    近代史・戦争に対する考え方の初歩としてとても参考になったし、歴史に興味が持てた良い内容だった。 著者が中立的な立場を貫いていたこと、各国の価値観を現地の情報を加えて語ってくれたことでより興味を持てた。

    2
    投稿日: 2025.10.01
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    いわゆる「太平洋戦争」とか「大東亜戦争」などと呼ばれている「あの戦争」について、右でも左でもない中道の立場から語っている(語ろうとしている)1冊。 興味深い内容だったが、特に印象的だったのは以下の3点。 東條英機はよくヒトラー、ムッソリーニと並列に語られるため独裁者に近いイメージが強いが、実際にはいくつもの組織の調整に奔走する必要があり、独断専行ではほとんど何も決められなかったこと。 アメリカの国立の戦争博物館は、アメリカの正しさだけでなく過ちについても展示をしていること。 あとがきの内容になるが、エンタメ的な歴史観を完全に否定するのは誤りであること。 毎年8月には読み直したくなる1冊かも。

    2
    投稿日: 2025.09.30
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    辻田真佐憲「「あの戦争」は何だったのか(講談社現代新書) 「あの戦争」とはむろん太平洋戦争、日本にとっての第二次世界大戦のこと。日中戦争(日華事変)と直結しているのはもちろんだが、日独伊三国同盟、満州事変、張作霖爆殺、ワシントン体制、第一次世界大戦と因果の連鎖はどこまででもさかのぼれる。じゃあどこでなら止められたのか。後知恵で言うのは簡単だが、当時の政治・軍事指導者の視点に立ち戻って考えると実は簡単じゃない。当時の指導者の思考を追体験して歴史を考えるのは興味深い。 本書の後半では、著者がアジアに残ろ日本の戦跡を訪問し、現地でどう記憶されているかを聞き取る。前半と後半を同じ著書に収める必要があったのか、少し疑問も残る。

    2
    投稿日: 2025.09.30
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    どうしても現在の価値観というフィルターがかかるので、過去を評価することは難しい。そもそも、評価それ自体がおこがましいことのようにも思うが、当時は仕方がなかったとしてもそれを今に生かしていくため、歴史を学ぶ必要があると思った。 また、日本の近代化の出発点をペリーの黒船来航に求め、国際社会における帝国主義的な生存競争を日本が欧米列強から学ばざるを得なかった、というのは私にとって新しい視点だった。それでも侵略されたアジア諸国にはそれぞれにとっての歴史・物語であり、それに思いをいたしつつ、日本は日本としての歴史・物語があるべきという筆者の思いに非常に共感した。

    3
    投稿日: 2025.09.28
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    このレビューはネタバレを含みます。

    うーん、結局何が言いたかったのか、が良く伝わらないと感じた。 確かに、「本書の結論は、太平洋戦争(本書中では「あの戦争」)を語る際に、あの戦争だけに焦点を当てるべきではないということ」と書いてあるのだが、歴史の事実を語る上で前後関係を考慮した上で考察するのは当然と思える。その上で、戦時の日本史をどう評価すれば「小さな否定と大きな肯定」とやらに持っていけるのか、がいまいち見えてこない。 例えば、戦後日本がしばらくの間、世界史において(概ね良き意味で)主要プレイヤーであった事は事実かも知れないが、それとセットにして大きな昭和史として語るとしても「小さな否定」とはなるまい。 第4章で、日本植民地であった各土地で侵攻と植民地化がどの様に語られているか、をまとめていて読みごたえがあるが、とてもこれを見て日本が良きことをなした、と受け取る事はできまい。以外に小さく扱われているとか、ヨーロッパの植民地化の方が大きく扱われているとかは正当化の理屈にはならないわけで。著者としては、良いことも悪いことも、あるがままに理解してほしいと言う意図なのかも知れないが、それならわざわざ、タイやインドネシアのところで国内の政治情勢を持ち出してまで日本の扱いが小さい理由を説明する必要は無いと感じる。 個々の事実を細かく取り上げて、良いことも悪いこともあった、と言う見方をする事自体は良い事とは思うのだが、どうも書きぶりからは、日本はやむを得ずに戦争に突入したのだ、と言うニュアンスが感じ取れる。それだけ、今の国内の近代史認識が偏っていて、それをニュートラルに戻したい、と言う事かも知れないが。 例えば、日本は資源難を解決するために東南アジアへ進出しなければならないという脅迫観念を持っていた、とか、すでに開戦前に韓国/中国に進出して地歩を「犠牲を払って」固めたからこれを捨てられない、と書いておきながら、米英との連携は言うほど簡単ではなかった、とか、米英と連携していれば惨禍が避けられたと思うのは結果論、と書くのは矛盾と映る。 著者が「歴史とは現在からの解釈である」と言うのならば、人権こそが人類の追求すべきものとされている現在から当時の日本を解釈すべきであり、それならば、当時の日本の行いは他国の自決権の否定と言う悪行以外の何物でもないだろう。ましてや、トランプ登場以降に世界の秩序が揺らいでおり、これからどうなるかわからないからと言って、米英に組みしておけばよかったとは限らない、などと言い出したら、それこそ人類の歴史が終わるまで、歴史の評価など不可能になってしまう。 また、開戦に至った経緯として、当時の日本の司令塔不在を挙げているが、だから戦争に突入するのは不可避だったのだ、と言う論調は、正直なところ理解しがたい。これなら、戦争責任など存在しない事になってしまう。また、確かに植民地にかけては欧米が先行しており、その過酷さも悪辣の一言だが、それでも日本が同じ事を(その後の二枚舌まで一緒に)やって良い事にはならないはず。 日本が持たざる国であり、近衛文麿が欧米の人権ダブルスタンダードを批判したのは事実であり正しいと思うが、これについてお前だって論法を当てはめるのは間違っていることぐらいは分かるだろう。 むしろ、当時の日本の全社会的な思考停止と責任の放棄、いつか欧米を上回るときまで雌伏して外交に務めると言う発想が無かった視野の狭さと国内の不安定さ、を浮き彫りにしているだけではないか。もちろん、当時の世界にそんな外交視点が乏しかった事は事実だが、歴史が現在からの解釈なら、そう評価するしかあるまい。 色々とあるが、総じて、当時の歴史をニュートラルに見よう、と言う目的を掲げつつも、そんなに日本は悪く無かったよね、という事実を頑張って探している(かつ余りうまくいってない)ようにしか見えなかった。

    8
    投稿日: 2025.09.28
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    戦争の始まりを第一次大戦に置くと言う説があるとは知らなかった。確かに総力戦のリアリティーがわかったのは、第一次大戦だなと思う。 第二章の「もしも」の話が、とても面白かった。当時の日本では、戦争が悪いことではなかったと言う時代、背景においては、民主主義でも戦争を止めることができなかったと言うのはもっともだと思う。 ただ、第3章の大東亜主義については、さすがに理想としても、あまりにも現実と乖離していたため、評価しようがないかなと言う気がした。 遊就館はもう一度見てみたいと思った。中国の歴史博物館も行ってみたい。

    5
    投稿日: 2025.09.27
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    面白かった。初め大東亜戦争と呼称しているところにやや抵抗感があったが、内容は非常に中立的であると感じた。

    1
    投稿日: 2025.09.23
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    これはなかなかの良書でしたよ! まず筆者の辻田真佐憲さんの歴史観というか「歴史」との向き合い方に非常に好感が持てました 客観的な「歴史」などないというのにまず納得 必ず「今」に影響されてしまうよねというのもひとつ それから、当時の東條英機首相の外交ルートを実際に辿って、現地での「あの戦争」の評価を検証しているところも良かったです 現地に行ってみないと分からないことって絶対あるよね 肌感覚でそこを理解しようとする姿勢もてとも好感が持てました ただの学者先生じゃないぞって そして「あの戦争」を「われわれ」の物語とするために、解釈、失敗、理想、相対化、再構築を試みています また最後に辻田真佐憲さんの主観による「答え」をきちんと示しているのもよい あとがきに於いては「歴史」を感じる中でエンタメの重要性にも触れていて、本好きにも刺さる 他のも読んでみたくなってしまったな〜

    66
    投稿日: 2025.09.20
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    辻田さん初読み。とても読みやすく端的にまとめられていた。なぜ当時の日本がそのような選択をしたのか深く理解できたし選択した意味も分かった。また、東条英機が外交で行ったルートをたどって各地に行き、あの戦争が他の国ではどう表現されているかは博物館などで実際に見に行くなど戦争をたどって書かれているのも参考になった。

    8
    投稿日: 2025.09.19
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    「あの戦争」を中立・俯瞰した立場で理解するのに、最適な本です。 筆者の結論としては、右か左に偏るのではなく、どちらもの立場を理解して歴史を理解せよ、だと理解した。 個人的に響いたのは、 ①「あの戦争」は避けられなかった ②日本における黄金期は「昭和」だった という2点。 ①について、あの時代の欧米とは、日本は必ずどこかで激突していたであろう、といった視点。 桂・ハリマン協定や日英同盟が継続できていれば、、と言っても、当時の世界情勢や日本の民意を考えるとおそらく不可能。 また、もし第二次世界大戦で日本が英米と協力して、戦勝国になっていたとしても、植民地問題に苦しんでいた。ナショナリズムの勃興で中国や朝鮮の反乱により、いずれ植民地を失う。そして、その責任を長らく問われる羽目になっていただろうと。 ②について、アメリカの支援は多岐にわたる。経済支援や技術移転もあった。たとえ日本が戦勝国になっていたとしても、植民地経営で疲弊していた可能性は高い。維持コストがかかりすぎて、イギリスのように没落した可能性がある。早期に植民地を手放していれば別かもしれないが。 「あの戦争」は何だったのか。 私個人の見解は、「避けられない戦争」だった。 アメリカ、イギリスの帝国主義の波からは逃れられず、どこかで必ず日本は衝突していた。そうすると、米英が戦争の根本要因のように思える。しかし、戦争は人間のサガだと思う。 日本にも、容姿や生まれで差別することもあり、人間とはその程度の生き物である。極端に言えば、日本人が白人ならば、黄色人種や黒人を下に見ていただろうと思う。そして、金のために戦争をしかける可能性も十分にある。 いずれにせよ、これまでの日本では自虐史観が蔓延る。それはGHQによる軍国主義の封じ込め(修身、国史、地理の廃止など)によるものだ。そして、日本は被害者ではなく、「加害者」としての物語が作られた。しかし、これは大いに偏りがあるものであり、歴史を正しく認識する必要がある。 元々私自身が右寄りで、「あの戦争」を欧米列強の帝国主義の「被害者」としての日本が、仕方なく戦争を始めた思想だったが、これもまた偏りであることを気づかせてくれる一冊であった。

    5
    投稿日: 2025.09.15
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    「あの戦争」とは満州事変や日中戦争から大東亜戦争(太平洋戦争)までを全体的に据える概念。 この間の日本の行為を否定的に捉える解釈と肯定的に捉える解釈で互いの陣営が激しく対立して国民の共通認識ができてないのが日本の現状。 私自身いわゆる自虐史観に与するものではないが、かといって日本の行為を礼賛することもできない。 歴史には客観的事実などなく、必ず解釈があり、歴史をみるときには現在の環境や価値観から逃れることはできないと筆者の主張に賛同する。 歴史とは国家を束ねるツールであるとの立場に立つとき、国ごとにそれぞれ歴史解釈が伴うのは当然で、日本でもあの戦争の物語が必要。

    1
    投稿日: 2025.09.14
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    本書で言う「あの戦争」とは「大東亜戦争」のこと。対米戦についても書かれているが、主には日本が侵攻した東南アジアについて語られる。 日中戦争からアメリカとの開戦の経緯を追っていくと、そこには意思決定に一貫性がなく、「司令塔の不在」が浮かび上がる。 では東南アジアの国々からの視点はどうか。著者は現地を訪ね、「あの戦争」がどのように解釈され、受け止められているのかを探っていく。 日本にとって、それぞれの国にとって「あの戦争」は何だったのか? 読み応えのある一冊です。

    1
    投稿日: 2025.09.13
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    歴史は解釈である、との事。 単なる事実のみならず、歴史への向き合い方を改めて教えてくれた名著だった。 この時期に毎年読み返したいね。

    2
    投稿日: 2025.09.12
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    学校で学ぶ戦争はどうしても日本の被害者部分に目を向けがちで加害者部分を忘れがちだ。ただの1側面だけではなく一連の流れとして日本が経緯でにアジア諸国を支配していったのかが書いてあって、わかりやすかった。 憎しみは引き継がないが、忘れない。という言葉が印象的であった。また、歴史はあくまで現在からの視点が変わればいつでも捉え方が変わるというところが歴史の危うさと面白さを感じた。

    1
    投稿日: 2025.09.07
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    無知すぎるので感想は控えますが、読みやすく、手にとって良かったと思える本でした。まだまだ勉強していきたい。

    16
    投稿日: 2025.09.06
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    歴史は科学ではなく、現在そして未来に繋げるための解釈である。 このことを常に念頭に置き、「適切」な物語を模索し続けることが重要である。 この「適切」というのがめちゃくちゃ難しいからこそ、右翼と左翼、あるいは中国や韓国と日本の歴史観の対立につながっているのだろう。 個人の尊厳や平和、国家の共存といった理念が相対的に揺らぐのを抑えつつ、愛国心や祖先への敬意といった人間的な感情とのバランスを取るためには、100点の歴史なんてないのだということを前提に、表現の自由の下であらゆる批判をぶつけ、歴史を解釈し続ける他ないのだろう。 日本に近現代史の国立博物館がないという問題提起はかなり重大だ。 個人的には、日本はアジアの平和センターのような立ち位置になってほしいと思っている。そのためにも、日本が戦争に至った背景を構造的に解説し、アジア各国や英米の視点も入れたうえで、将来の平和につなげていくような展示を是非作ってほしいと思う。

    3
    投稿日: 2025.09.03
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    何故日本は明らかに勝てるはずのない戦争に挑んだのかはおぼろげにはわかってきた。二度と同じ失敗を繰り返すことはないのか、日本社会を強くすることはできたのか、残念ながら自信はない。

    1
    投稿日: 2025.09.02
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    文芸評論家の三宅香帆さんが押していたことがきっかけで読んでみた。 「あの戦争」についての定義は、日本人には確かに難しいことが分かった。 確かに自分も今までは単純に「中国(国民党)との争いから始まって、、」と理解していたが、「なぜそこに至ったのか?」を考えると、第一次世界大戦での棚ボタに近い勝利、日露戦争、日清戦争で、列強に背中を押され「その気になって、自惚れが芽生えた」ことがきっかけだろうと分析される視点が合点がついた。 当時は「戦争が日常化」してしまい、また遠い異国での領土争いなので、内地では感覚が麻痺してしまっていたように感じる。 「お国のために(戦地へ)参ります」について異議を唱えることが出来ない空気感である。 「どうせ勝つのだから」の慢心である。 ただ、本書で記述が足りないと感じたのは「日韓併合」は何故行われたのか? それ(日韓併合)によって何が生じたのか? 台湾進出に関する記述なども同様である。 できれば、、であったが著者が東條首相の外交に関する軌跡をたどる内容を短縮化して上記の内容に触れて欲しかったと感じる。 全ての戦士に対して敬意を持って心から合掌である。

    26
    投稿日: 2025.08.29
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    YouTubeで著者を知り、興味を持った。非常に分かりやすい議論をされる方で、語る内容にも説得力があったので機会を見つけて著作にも手を出してみたいと思っていた。 本書の内容についてはYouTubeなどで発言させている内容とほぼ同じではあるが、両方合わせて読み聞きすることで著者の考え方がよりよく理解できると思う。

    1
    投稿日: 2025.08.24
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    「あの戦争」の起きた理由をよく知りたいと思っても、色んな立場や思想の人たちがいることを考えると何から学ぶべきか分からずにいたが、本書はその点ではとても信用できる内容だった。そして、歴史は、色んな立場からの物語として、恐れずたくさん知っていくべきだとも思った。

    8
    投稿日: 2025.08.23
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    p.80 日本は当時極めて不都合な統治システムのもとにあった。その確信を一言で表せば司令塔の不在である。 p.102 誰もが憲法の枠内で行動していたが、故に、戦争への道を回避できなかった。言い換えれば、貢献が国を滅ぼしたとも言えるのである。 P 150我々が今選ぶべきなのは、まさにこのような新たな国民の物語なのではないだろうか。 p.233 世界の多くの国々では、首都や大都市の中心部に大規模な国立の歴史博物館が設けられている。特にその近現代史や軍事史の展示では、対外戦争や独立戦争など国家の形成に関わる重要な出来事が中心に据えられ、それぞれの国の国民の物語が明確に提示されている。

    0
    投稿日: 2025.08.21
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    「大東亜戦争」を面で理解する上でのいい土台になったな感があった。 ここで書かれてる内容を踏まえて映画「東京裁判」を観てみると、あーそういうことだったのか、って思うことも多かったし、 多分それぞれの出来事や人物にディープダイブする時にも役立つような、一本の軸になれそうな内容だなーって。 あの戦争に興味はあって、どういうことだったのか知りたい。でも全体像がうまく掴めなくてモヤる…っていう状態から何となく脱せた感覚。 これまで得てきてた知識が繋がってったり、腹落ちする感覚もあって、興味深い〜って思ってる間に読めちゃったな。

    1
    投稿日: 2025.08.18
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    戦後80年に刊行された本書は、先の大戦の細々とした経緯や事実関係を追うものではなく、「大東亜戦争(この用語をあえて使う意味についても論考がある)をどのような枠組みで捉えればよいのか」、「歴史とはどう紡がれ受け止められていくものなのか」という方向に関心が向けられる。 戦後、左派により「15年戦争」という枠組が提示され、またそれに対する反発から自虐史観批判が展開されたが、それら左右の歴史観を克服するとされる実証主義もまた「イデオロギーを否定するというイデオロギー」だとの指摘は興味深い。歴史学が様々な新事実を掘り起こしても、それを大きな歴史の流れ=物語として共有するには様々なハードルがある。 本書の後半では戦争の影響が及んだアジアの国々の博物館や史跡等を訪れ、そこでどのような物語が語られているかを辿る。その語り口は当然一様ではないし、その国ごとの事情や背景がまとわりつくのだが、およそ国家として語る歴史とはそのような程々の客観性を備えた「65点」程度のものでしかありえないのではないかというのが著者の立場であろう。 揚げ足を取り合い収束がつかない「歴史論争」から少し離れて、俯瞰的に現代における戦争史のあり方を考える一冊。

    9
    投稿日: 2025.08.15
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    アジア・太平洋戦争(大東亜戦争)を巡る解釈の多様性とその独特な位置づけは、日本の歴史観を複雑にしている。 満州事変を起点とする15年戦争としての側面、 日中戦争を起点とした視点、 欧米列強の植民地支配に対する反撃戦争という大東亜百年戦争論、 そして真珠湾攻撃を出発点とする一般的な見解。 どれもが独自の物語を紡いでいる。 「あの」戦争の代名詞が即座に何を示すのかが分かる背景には、この戦争が日本にとって象徴的な意味を持つからだ。 それは日本の「黄金期」昭和の絶頂における象徴であり、特異性の源泉でもある。 こうした解釈の難解さがゆえに、他国では当たり前に存在する公的な機関での展示が日本にはほとんど存在しない。(現在それに代わる存在であるのが、民間の歴史博物館である靖国神社に併設される遊就館である) しかし自国の歴史を見つめる際、日本はその歩みを「小さく否定しつつも、大きく肯定する」という柔軟さを持ち続けることが重要だろう。 自身の歴史を「因果の鎖」と「愛惜の念」を持って学び続ける姿勢、それが未来に向けた日本の道を切り開く鍵となるに違いない。

    1
    投稿日: 2025.08.14
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    RehacQで中庸を目指しているというお話があった通り、偏りなく色んな解釈を残しながら記載されているのが印象的であった。 10年前くらいに歴史書を読むと、どこか過激な歴史観を持っていたが、中庸というかバランスある感覚を持つ大事さを教えていただいたと思う。 歴史にIFはないが、今だからこそ出来る解釈とこれからにつながる解釈をし続けていくことが大事だと思った。

    16
    投稿日: 2025.08.11
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    歴史は「事実の歴史」に基づき「価値の歴史」を紡ぐものだとして、自虐史観でもない皇国史観でもない65%の歴史観を育むべきだという近代史における戦争解釈の著作。

    3
    投稿日: 2025.08.09
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    このレビューはネタバレを含みます。

    日本はいつになったら先の大戦について正しい論点で話ができるようになり、正面と向かい合って真剣に話ができるのだろうか? 未だにタブー視される事柄も多いし、誤った視点のとらえ方も多いと感じる。日本よって植民地化されていた国々の国際情勢、政治感覚についても書かれています。あれから80年。日本の本質は本当に変わったのだろうか? 原爆資料館や、東京大空襲など戦災に関するものだけでなく、歴史の中の通過点として戦争を直視した博物館はできないものであろうか? この本を読んで様々ことを考えさせられまました。

    1
    投稿日: 2025.08.02
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    歴史は客観的なものではなく、世界情勢や価値観の変化によって流動する、現在からの解釈によって、物語られるもの。 現在進行形で、再解釈を繰り返し、自分たちの物語を更新し、将来の設計に活かすべき。 というのが、本書のおおまかな主張。 ⚫︎明治以降、日本は「脱亜入欧」と「アジア主義」という、相反する価値観のあいだで揺れ動いていた。 それが、対米英戦を開始した途端に「アジア主義」に舵を切ることになる。 「アジアの解放」のための「聖戦」を戦うという美名のもと、強力な動機づけができてしまった。 ⚫︎p.237 われわれのなかには、「中国など他国の歴史博物館はイデオロギー的に偏向していて信用できないが、日本のものは中立的で信頼できる」という思い込みがあるのではないだろうか。 ⚫︎p.269 日本の黄金時代は昭和といってまちがいない。政治的にも経済的にも軍事的にも、あれほど日本が世界に影響を与えた時代はなかったし、今後も望みにくい。 ⚫︎p.247 遊就館を貫く基本的な歴史観は、むしろ"受け身史観"とでも呼ぶべきものだ。 ⚫︎「戦争では失敗したが、昭和史全体ではそこそこの結果を出した」といった歴史の肯定もあるのではないか。東南アジアとの関係改善などを例にとることで。 ⚫︎p.64 ハル・ノートを突きつけられて、対米開戦を避ける選択肢は不可能に近かった…という文脈で、「日本がこれまで多くの犠牲を払って積み重ねてきた対外政策を全面的に放棄せよというに等しい内容だった。」 ↑ 「これは、人間として受け入れられない」という感覚に齟齬を感じる。 もはや、本書の本筋とは関係なく、完全に話が逸れたことを考える。 つまり、個別の人間観・人生観の問題だが…「積み重ねてきたもの、なんて失ってもいいじゃないか」と思うのだ。 なぜ、他者から奪い取るほどに、人間は多くを求めてしまうのか? 所詮は、死んだら終わり、諸行無常だろ?って思う。 (特に、仏教国でもある日本の人々なら共感しやすいことなはず) 自分がプーチンなら、政治なんてとっとと引退して、隠し資産で愛人をたくさん囲って、ロシアの芸術とか美女とかに溺れて、気楽に楽しく暮らす。 なんで、わざわざ他国の子供たちの上に爆弾を落とす動機が生まれるのか、さっぱりわからない。 自分は、片足をニヒリズムに、片足をめんどくさい虚妄の現実社会に置いているのだろうと思う。 そして、その自分のスタンスを、自分は好きだし、まっとうな世界認識だと思っている。

    0
    投稿日: 2025.07.29
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    80年前に日本の敗戦という形で終わった太平洋戦争。近年は、アジアの広範に渡り日本が侵略した過去を反省し、「アジア・太平洋戦争」と「アジア(・)」を付けて呼ぶ事が一般的になりつつある。日本は当時誰と戦っていたかと言えば、多くの人は超大国アメリカを直ぐに想像するであろう。アメリカは日本が統治していたサイパンやグアムに侵攻し、それらの地で多くの日本人兵士だけでなく民間人もが壮絶な最後を遂げているし、その勢いは更に増して沖縄をも陥落させた。アメリカが飛ばした空の要塞であるB29は日本の主要な都市部を片っ端から空爆し、東京大空襲では10万人以上の市民がいのちを落としている。そして広島・長崎への原子爆弾の投下。地球上で初めて、そして今に至るまで唯一、核兵器が人間に対して使用されるなど、日本が降伏に至るまでの多くの出来事はアメリカが主語となって実行されている。こうした出来事を辿っていくと、誰もが日本対アメリカという構図をイメージするだろう。 この対アメリカという太平洋を中心とした戦争と見た場合は、日本にとってあの戦争は太平洋戦争と呼ぶ事が相応しく感じるかもしれない。そしてその始まりと言えば、1941年12月8日に日本はアメリカの真珠湾を奇襲した事に始まるのも事実だ。だが同日、真珠湾攻撃よりも早くに南方の戦線ではイギリスを相手にした日本の侵攻作戦が開始されているし、更に言うなら、それよりもずっと以前から日本は中国との戦いを始め、1941年の時点でも続けてきている。 戦争の原因を調べる際、それに至る経緯を時系列的に並べて、一つ一つの事実がどこを起点に何を要因として引き起こされたかを調べていく事になる。すると、太平洋戦争ないしはアジア・太平洋戦争に続く歴史の流れは複雑かつ混沌としている事に気づくであろう。決して教科書が短い文面で教える様な概略的な捉え方では説明しきれるものでは無い。そしてその歴史の糸を紐解いていく時、真の歴史の奥深さや、まるで大河の源泉を見つけるかの如く発見という喜びに辿り着けるのである。そして、そこではっきり認識するのは、それらは多くの人間と、太平洋よりも遥かに広大な地球規模の国々の思惑と、度重なる偶然などが折り重なる様にして表れた結果だという事である。最早歴史を学ぶ人間が一人、挑んで解明するレベルでは無いし、過ぎ去った時間である以上、これが絶対正確・真実という事はあり得ない。これまで記載された書籍が様々な文献をソースとして、あらゆる立場をとり、(太平洋戦争の)原因に迫りながらも、そのいずれが正しいという解答を出す事は出来ない。誰もが自分なりの解釈と答えを導き出せる、これこそが歴史の面白さであろう。 本書はかつての戦争を「あの戦争」と呼びながら、日本が戦争に突き進んだ原因を探り、いつどこを起点とするべきか、更にはその呼称を何とするのが良いか、読者に考察を促す様な内容に仕上がっている。勿論筆者の考え方や捉え方があり、所々に筆者の意見が出てくるが、決して押し付けではなく、あくまで考えるのは読者自身であるということを一貫して記載している。読み手は自身の持つ考え方や、客観的なモノの見方をフル動員して考える必要がある。そしてその材料は広範囲にわたり、かつ決して浅過ぎる訳でもなく、(新書という限られたページ数であるものの)程よい深掘りもなされている。勿論個々の事実に於ける研究者レベルから見れば足りないのは当然かもしれないが、戦争を知らない戦後世代や現在の若者達が考えるきっかけとしては充分だと感じる。当時の日本という国家が持つ政治機構、制度、軍部、資源や工業力などの国力、そして国民性。様々な観点を並べて想像力を最大限に活用しなければ、自分の考えが出来上がらないし、単なる物知りレベルで終わってしまうかもしれない。だがそれでも良いのでは無いかとも感じさせる。80年という長い年月が経過して、「風化」という危機に直面する今の日本人にとって、先ずは興味を持ち触れる事が大切なのではないだろうか。 本書では再三、歴史の各場面に於ける主語が誰であるか考察する。そしてその主体が見えづらい点も同時に教えてくれる。だからこそ、右寄り左寄り様々な主義主張、考察がなされてきた事も否定しない。そしてそれらに対して全て一定程度の受け入れの姿勢をとりながら、筆者自身の考えを表明する事も忘れない。きっと多くの読者も、本書を読み終わった後、頭を熱くした分だけの自分の考え方を持つ事ができるだろう。誰が主語であるか、いつから始まったのか、そして「あの戦争」を貴方なら何と呼ぶか。そうした問いの連続に、本書の狙いや目的があるのだろうと感じる。久々に頭が疲れたが、読む価値は十分にある一冊だ。

    1
    投稿日: 2025.07.27
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    戦後80年の今年、「太平洋戦争」、「アジア・太平洋戦争」、「大東亜戦争」等と様々に呼称される「あの戦争」について、改めて考え直す機会を与えてくれる一冊。東條英機が首相在任中に東南アジア諸国を積極的に外遊した事績になぞらえて現地取材を敢行し、各国の国立戦争博物館等における「あの戦争」の捉え方の違いに迫った第四章は読み応えがあった。特に、フィリピンにおける日本の戦争加害に対する「許そう、だが忘れない」という立場は、戦争責任に言及しつつも未来を見据えた言葉として、我々も共に共有すべき「物語」なのだろうと感じた。

    1
    投稿日: 2025.07.24
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    このレビューはネタバレを含みます。

    p48 孫子の兵法 勝兵は先ず勝ちてしかる後に戦い、敗兵は先ず戦いてしかる後に勝ちを求む  勝利する軍隊は、かならず勝てることがわかったうえで戦いを開始する。敗北する軍隊は、どうなるかわからないのに戦端を開き、なんとか勝とうとする p49 司令塔不在という問題 p57 実質的な始まりは1937/7/7 支那事変 p59 当時の日本が抱えていた内在的論理を理解することに意味がある p65 その結果として選ばれたのが、もうひとつの積極的な選択肢、このまま座して死を待つより、死中の栗をひろう p69 桂・ハリマン協定 いかに日米関係が重要だといっても、日本人が多くの犠牲を払って獲得した満州の権益を、なぜ他国と共有しなければならないのかという国内世論の反発が強かったことは想像にかたくない。それでも日米の協力に意味があるという主張は、その後の歴史の帰結をしっているから成り立つものだろう p72 1919 日本はパリ講和会議において、国際連盟の規約に人種差別撤廃の文言を盛り込むように提案したが、否決された p79 ようするに、歴史とはつねに現代からの解釈であり、現代の価値観が揺らげば、その評価も変わりうるということである p118 日本書紀の神武天皇のことば 上は天神の国をお授けくださった御徳に答え、下は皇孫の正義を育てられた心を弘めよう。その後国中を一つにして都を開き、天の下をおおいて一つの家にすることはまたよいことではないか 田中智学が大正時代に八紘一宇ということばを造語 p125 大東亜会議 p173 日本軍 パレンバン占領後、日本から派遣された石油技術者の手によってスンガイゲロン製油所も復旧。1943年度には、ボルネオなどの南方の産油地を含め5000万バレル弱もの原油が生産。 もっとも急速な戦局の悪化により、日本は制海権を失い、せっかくの石油も日本に輸送できなくなった p202 タイ 宣戦布告は3人の摂政全員の同意を得ていなかった 1945/8/16 宣戦布告を無効を宣言 タイは敗戦国ではないという物語 p221 南京大虐殺記念館 生存者の李秀英 歴史をしっかりと銘記しなければならないが、恨みは記憶すべきではない p223 フィリピン 許そう、だが忘れないがあの戦争の記憶と継承を考えるうえで重要なキーワードとなる p233 国立近現代史博物館の不在 p244 遊就館 荀子 故に君子は居るに必ず郷を択び、遊ぶに必ず士に就く p257 江東区 東京大空襲戦災資料センター p261 日本と統治構造における司令塔の不在は、米国の博物館をも混乱させている p2678 記憶の風化によって、あの戦争が事実上終わるというのが、もっとも現実的なかたちかもしれない p268 ここで重要なのは、存在(である)と当為(あるべきである)を区別することであろう p274 超空気支配社会、戦前の正体 p275 あの戦争はなんだったのか それは、日本という国が近代の激流のなかで何を選び、何を失い、何を残したのかを象徴的に映し出す、特別な鏡である。そこには、われわれが歴史を通じて見つめるべき現在もまた映り込んでいる。だからこそ、われわれはこれからも、現在とのつながりを意識しつつ、より妥当な落とし所を模索しながら、その意味や位置づけを解釈しつづけなければならない p277 小林にとって、歴史とはたんなる因果の鎖ではなく、愛惜の念によってはじめて意味をもつものだった

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    投稿日: 2025.07.23
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    「あの戦争」はなぜ起きたのか、左右の歴史観も載せながら、本書では第一次世界大戦で戦争が総力戦となり指導層がこのままでは国力・資源を持たない日本は太刀打ちできなくなってしまうと強迫観念を抱えた結果、資源を求めて満州・中国・東南アジアを支配下に置くこと進めたという見方を示すとともに、当時の憲法下では政府・陸軍・海軍に統一的な指揮系統が不在で分権的であり、指導層も一枚岩ではなかったし、当時の指導者のうちの誰かが戦争を回避しようとしていたとしても恐らく困難であったであろうと述べている。再び同じように戦争の悲劇を繰り返さないためにはどうしたらいいかを考えたときに、一人の独裁者が戦争を率いたという話なら独裁者を生み出さないことを考えればいいが、そうではなく分権的な体制の中で戦争に突き進んでしまったと言われると、それを防ぐにはどうしたらいいかは極めて難しい問題だと思わされる。

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    投稿日: 2025.07.19