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安楽死の医師~自ら「死」を選んだ患者と家族に起きたこと
安楽死の医師~自ら「死」を選んだ患者と家族に起きたこと
ジーン・マーモレオ、ジョハンナ・シュネラー、御立英史/大和書房
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総合評価

12件)
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    2025.10.28 ★3.3 カナダにおける安楽死(医療的介助死)の現状をカナダの医師が書いたドキュメンタリー。 医師自身が担当した医療的介助死の様々ケースが書かれており非常に読みやすかった。 また、医療介助死に望む医師や周りの人々のメンタルや法律的問題も書かれており現実問題として受け止められる。

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    投稿日: 2025.10.28
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    2025/09/25 カナダで医療介助死(MAid=メイド)を行う医師。救命が全てだと思っているだろう医師が死を望む人のため実行する、その葛藤はどれほどのものだろう。並大抵の精神力では保たない。スイスのディグニタスで幇助していたエリカ医師が長期間続けられたのは自身の後悔からだと読んだことがあるが、真面目に深く考える人こそ自分が壊れてしまうのだと感じた。ホームドクターが最期まで、という考え方は素晴らしいと思う。日本にもホームドクター制度が欲しい。

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    投稿日: 2025.10.04
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    『#安楽死の医師』 ほぼ日書評 Day919 大変に重いテーマだが、読む価値のある一冊。 カナダで "安楽死" を認める「死への医療的援助法(MAiD)」が成立したのは2016年。 著者は、医師として同法に基づいた "死の介助" を多くの人に提供して来ており、死を望んだ人たちに自らがどのように臨んで来たかを物語る。 当初のMAiDの要件は以下の4つ。 ・病気、疾患、または障害が申告で治療が見込めないこと ・能力が不可逆的に低下し続けていること ・耐え難いほどの身体的または心理的苦痛が継続しており、患者が許容できるいかなる方法によっても軽減でいないこと ・自然死が合理的に予見されること(RFND: reasonably foreseeable natural death) これに該当するのは、末期がんやかつてのAIDSのような「遠からぬ死の宣告」に等しいような病いが想像しやすいが、脳に損傷を受け自分の身の回りの世話も人とまともに意思疎通することもできない人、肺の疾患で酸素吸入を止めた途端に窒息死するしかない難病等、さまざまなケースがあり、本書でも著者自身が経験したさまざまな例が語られるが、いずれの場合も単に "安楽死" と呼ぶよりも、"尊厳死" と呼ぶのが相応しいように感ぜられた。 なお、このうち4番目のRFND条項については「合理的」「予見」の定義があいまいであり議論もあって2021年に外されることとなった。 また、2023年からは「事前要請(アドバンスリクエスト)」を合法化した。患者がMAiDの要件を満たしていない段階に提出することができ、その後意思決定能力を失い、同意表明ができなくなっても、当初の意思が尊重される仕組みだ。 一方で、容易に想像されるのが、MAiDを提供する医師にとってのリスク。多くの人の命を奪うことで、「心が壊れる」ことや「燃え尽きる」ことも懸念されるという。 オランダではホームドクターがそうした対応を行うため、キャリアを通じての平均対応数は5例ほど。ただ、広く薄くすることが必ずしもこのリスクを低減することならつながらないのは言うまでもない。 緩和ケアと介助死のいずれを選択するか。 耐え難い痛みを完全に(副作用等もなく)緩和できる治療法が開発されたら、介助死は不要になるのか。 余命3か月を宣告された人が、4か月命を長らえたことに希望を見出している例もある。 さらに、万が一にも、支援策を探すよりも死んでもらったほうが楽という理由でMAiDが選択されることがあったら…。 議論は尽きない。 が、MAiDが合法化される以前には、最近話題のフェンタニル(強力な麻薬)の致死量を違法入手することで自死を図ろうとする例もあり、また自死を思いとどまった例でも、「今より酷い状況になることが怖かっただけ」という声も多い。 こうした葛藤の中、著者はMAiDの意義を次のように締めくくる。 死の介助が受けられるという事実が、多くの人の孤独で、おぞましい最期を迎える恐怖を和らげ、死ねるという「保証」が生きる力を与えることになるのだ。 https://amzn.to/45IUb1S

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    投稿日: 2025.08.09
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    カナダで安楽死を提供する医師が、自身が担当した患者さんのこと、安楽死が承認されている国で起こる問題などについて記述された書籍。スイスに渡り安楽死を遂げた日本人のドキュメンタリーや、ALS女性に対する嘱託殺人などの報道を見る限り、日本においても切実に望んでいる人がいることは間違いがないと思う。この問題をもっと議論し深めていく必要があると感じた。安楽死を提供される患者はそれが決まった時にようやく解放される、と安堵する。その安らぎを与えるのも医療だと思う。『安楽死は命を終わらせるためのものではなく、その人の命を褒め称えるためのもの』と記されている。安楽死が合法化された国で、実際の死亡数に対する安楽死の割合は2-4%程度のようだ。決して多くはない患者数であるが、その望みは極めて切実で、その声に耳を傾け、最期までの大事な時間を国内で穏やかに過ごせるような医療を提供することは大事だと思う。

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    投稿日: 2025.06.11
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    こんな制度が日本にも欲しい。ボケが避けられないとしたら、そうなる前に医療としての死を与えられる制度が必要だ。人としての尊厳ある死が迎えられることが絶対的に必要だ。

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    投稿日: 2025.06.06
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    「安楽死」とは、<助かる見込みのない病人を、本人の希望に従って、苦痛の少ない方法で人為的に死なせること[広辞苑 第七版]>を指す。 消極的に、治療を行わず、死に至らしめることもあるが、積極的に、医師の介入により致死薬を投与することもある。医療者が患者の死を介助する制度は、本書の訳者あとがきによれば、現在、世界12ヶ国以上に存在するという。 本書の著者はカナダの医師。カナダでは2016年に医療介助死(MAiD:Medical Assistance in Dying)が合法化された。著者はこの制度の初期から、精力的に医療介助死に携わってきた。 本書では、著者が介助した安楽死患者のそれぞれの事例に合わせて、著者がどのようにMAiD担当医となったかの経緯も記し、<よりよい死>についても考察する。 著者は元々、ホームドクターであり、「ゆりかごから墓場まで」の総合医療を目指していた。ところが、現代の細分化された医療では、病状が深刻になると患者は手を離れ、大病院やホスピスなどに収容されてしまう。患者を最期まで看取ることを理想の医療とする著者は、合法化されたMAiDに携わることにする。 死を望む患者たちの状況はさまざまである。あるものは筋萎縮性側索硬化症(ALS)を患い、あるものは認知症になって正常な判断ができなくなることを恐れ、あるものは若いながらも難病に長年苦しんでおり、あるものは高齢の末期癌患者である。 このまま苦しんでただ死を待つよりも、安楽死を望んでいる。 もちろん、安楽死が合法的であるとはいえ、そこには要件がある。「カナダの公的医療サービスを受ける資格がある」「18歳以上で意思能力がある」「治療の難しい重篤な病気を患い、自然死が合理的に予見できる」「医師の説明があり、患者が自発的に安楽死を希望している」といったものだが、往々にして問題となるのが、「自然死が合理的に予見できる(a person’s natural death is reasonably foreseeable)」:RFND要件と呼ばれるものである。自然死が合理的に予見といっても、それは1ヶ月後? 1年後? 特に高齢の患者ならば、死は遅からず訪れるだろうが、どこまでを「合理的に予見できる」とするのだろうか。このあたりは現在も制度の検討が続いているようである。 安楽死は期日のわかった死である。理想的には、患者と親しい人々が別れの言葉を交わし、そうした人々が見守る中で穏やかに死を迎える形になる。けれど、理想的な安楽死ばかりではない。 家族が安楽死に反対している場合もあるし、親しい人が存在しない場合もある。 がらんとした殺風景な病室で介助医療者と患者だけということもある。 医療介助死は、介助する医療者側への負担も大きい。著者は元々、かかりつけ医が自分の患者を看取る形を理想としていることもあり、多くの仲間を得たいと考えているが、長年活動してきて、MAiD担当医となった知人は数人程度という。 あまりにもMAiDの適用範囲を広げてしまうと、積極的に患者を死に至らしめすぎてしまう危険もある。例えば、精神疾患や認知症のように、本人の意思を確認しにくいような場合は慎重を期す必要があるだろう。 翻って、日本にこうした制度が定着するかどうかはなかなか難しい問題で、導入されるとしても多くの議論が必要になるだろう。 どういった論点があるのか、どのように社会全体の合意を図るのか、さまざまな視点を与えてくれる1冊。

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    投稿日: 2025.05.19
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    カナダで2015年の最高裁判決により2016年から合法化された「医療介助死(MAiD)」。MAiDを行ってきた80代の女性医師が書いたMAiDの進展と患者の物語。著者はMAiD合法化のニュースを聞いて(自分には知識・経験もなく、まだ研修プログラムも存在しないため)自ら自習計画を立て、自ら連絡して研修に赴き、医療介助死協会設立にも関わってきている。まず70代にしてその前向きな意欲に頭が下がる。 患者の物語を読むと医療介助死の重要さが身に染みて感じられる。必ずしも医療介助死を選ばなくとも医療介助死できるということが人生の最後を豊かにできる。また、それとともに医療介助死に携わる医師を始めとする関係者の悩み、ストレスも大変なものだと理解できる。医療介助死が定着している国でも死のなかで4~5%とのことで、きちんとチェックが働く制度が構築できれば濫用されるものではないとも思える。 当初のMAiDの要件は以下の4つ。 ・病気、疾患、または障害が申告で治癒が見込めないこと ・能力が不可逆的に低下し続けていること ・耐え難いほどの身体的または心理的苦痛が継続しており、患者が許容できるいかなる方法によっても軽減でいないこと ・自然死が合理的に予見されること(reasonably foreseeable natural death) このうち4番目のRFND条項については「合理的」「予見」の定義があいまいであり議論もあって2021年に外されることとなった。 The Last Doctor Lessons in Living from the Front Lines of Medical Assistance in Dying 【目次】 プロローグ ヨランダが逝く朝 第1章 「死に方」を自分で選ぶ時代 第2章 ジョー 第3章 アイリーン 第4章 アシュリー 第5章 緩和ケアと医療介助死 第6章 シーラ 第7章 ソー 第8章 トム 第9章 ヨランダ_死ぬ決意 第10章 死を介助する医師の苦悩 第11章 ヨランダ_彼女が望んだ死 第12章 死の介助から学んだこと 第13章 「良い死」を求めて エピローグ これからの医療介助死

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    投稿日: 2025.05.02
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    安楽死にカナダで最前線に立って関わる医師の記録。 すごく考えさせられた。 日本での安楽死の導入には大変なことがたくさんあると思うけれど、自分は安楽死が認められる世の中になってほしいし、自分も人に頼らざるを得なくなった時に、選択肢としてあるといいなと思ってしまった。 医療の発達により、生きること、死ぬことも自然に任せられなくなっている世の中で、自分で決めることが尊重される方法ではないかと思った 突然ではなく、決められた日に周囲に感謝を述べて、見守られて、人生を終えられることはある意味幸せの一つなのではないか。

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    投稿日: 2025.04.14
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    【目次】 プロローグ:ヨランダが逝く朝  第1章 「死に方」を自分で選ぶ時代 「死の介助」が合法になった日 死を願う患者の声 病院で緩和ケアを学ぶ 在宅と施設で緩和ケアを学ぶ 訪問看護師と家族による介護 はじめての「医療介助死」に立ち会う  第2章 ジョー ルー・ゲーリッグ病、またの名をALS 「悲しむんじゃなくて手を貸してくれ」 手探りの準備 明るい部屋での別れ ヒポクラテスの誓い  第3章 アイリーン 患者が死の介助を求める理由 家族に愛を注いだアーティスト 死の決意と逡巡 最後の水彩画 消えない不安  第4章 アシュリー 28歳の決断 難病と性自認に苦しむ 本当の自分の姿で 患者の希望に寄り添うための努力 死にゆく人に寄せる家族の思い 人生を取り戻す医療介助死  第5章 緩和ケアと医療介助死 独学プログラムの無念の延長 理想的なホスピス わたしが看護師から医師に転身した理由 孤独な寝たきり状態を避けたい 本当に選択肢はないのか  第6章 シーラ 言葉を失いかけていた女性 忍び寄る認知能力の衰え 認知能力の低下と医療介助死 自分が自分でなくなったら たとえ時間を戻せても  第7章 ソー 屈強な男の決断 自死と医療介助死 却下するしかなかった申請 医師たちのサポートグループ 「予見できる自然死」と「耐えられない苦痛」 思いがけない展開  第8章 トム 病気とは別の苦痛 手術に次ぐ手術 車椅子の恋 「もちろん生きていたいさ」 責任の範囲を超える提案 失敗に次ぐ失敗 訪問ヘルパーが唱えた異議 死因はわたしたち全員にある  第9章 ヨランダ――死ぬ決意 100万人に1人の病 自分が何者であるかは自分が決める 病気というフルタイムの仕事 さよならを言う時が来た  第10章 死を介助する医師の苦悩 仲間たちが集まる場所へ 理想と現実のギャップ ハイリスク医療 壊れかけている自分に気づく よみがえった三つの記憶 「バックパッキングの女王」 わたしを支えてくれるもの  第11章 ヨランダ――彼女が望んだ死 「残された時間は、生きるためだけに使いたい」 「死ぬときぐらいゆっくりさせて」 死にゆく人がまわりの人に望むこと 死後の世界 「その旅に出よう」 命を褒め称える医療介助死  第12章 死の介助から学んだこと 人びとは医療介助死を望んでいる 「老い」は医療介助死の理由になるか 高齢者を「死を待つ人」にしてはならない 患者は本当に死を望んでいるのか 死ぬ日を決めることで絆が強まる 緩和ケアと医療介助死は同じ方向を見ている 方法を学ぶだけではできない仕事  第13章 「良い死」を求めて 最善の時を選ぶ 家族や友人とともに過ごす どこまでを医師の仕事とするか 死を願う人が急増する社会 最後の最善の判断 患者の声に耳を澄ます  エピローグ:これからの医療介助死 変わることと変わらないこと 「最終同意の免除」と「事前要請」 認知障害がある患者の場合 精神疾患がある患者の場合 希望が持てる変化 これからの医師に望むこと

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    投稿日: 2025.04.04
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    安楽死を医師の視点から書いた著。 オランダ、スイス、カナダと安楽死と一口に言っても考え方、制度は違うようである。 ただ、医師の心労は変わらない。ホームドクターに看取られたいとう患者の気持ちもわかるし、看取らなければいけない医師の負担も大きい。 患者視点で書くのはしんどいのは難しいのはわかるがそういった本も読んでみたい。

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    投稿日: 2025.03.07
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    1. 意思決定の必要性 - 患者からの「死なせてほしい」というリクエストに対する正しい理解が求められる。 - 医師は患者と死について話すための新しい方法を学ぶ必要がある。 - 確かな情報を持って議論に参加することが重要である。 2. 緩和ケアの重要性 - 緩和ケアは、不治の病を抱える患者に対する専門的医療である。 - 医師は患者の生活の質(QOL)と症状の管理に注力し、苦痛のない状態での生活をサポートする。 - 緩和ケアはホスピスケアに組み込まれることが多く、治癒よりも平穏な死を目指す。 3. MAiDの導入背景 - MAiDは患者の最後の選択肢であり、実際にそれを求める人は少数である。 - MAiDが合法化されたことにより、希望する患者にサービスを提供する必要がある。 4. 医療専門家の分業化 - 専門医療の細分化が進み、医師の関心が患者ではなく症状に向かう傾向がある。 - ホームドクターは、患者の状況を把握しているが、終末期には治療を提供できなくなることがある。 5. 医療システムの課題 - 患者が救急外来や入院を繰り返す中で、ホームドクターから長期療養施設に引き渡される問題。 - 医師は終末期ケア全体を学び、MAiDを提供する準備をしなければならない。 6. MAiDの実施に向けたステップ - 医師はMAiDに必要な薬剤についての知識を持つべきである。 - 患者の同意能力を確認し、必要に応じて二人目の評価を行うことが求められる。 7. 患者との対話 - 患者とその家族とのオープンなコミュニケーションが重要である。 - 患者の痛みや苦しみを理解し、適切なサポートを提供することが求められる。 8. 倫理的な問題 - 医師には、患者を死なせることに対する倫理的な葛藤がある。 - MAiDを選ぶ患者にとって、その選択がどのように受け入れられるかは重要な問題である。 9. 患者の権利と選択 - 患者は自らの死に対する選択肢を持つ権利がある。 - MAiDが提供されることで、患者は孤独な死を避けることができるという安心感が得られる。 10. 医療者の役割 - 医療者は患者の苦痛を軽減するために積極的に関与するべきである。 - 医療者は患者の選択を尊重し、サポートする責任がある。

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    投稿日: 2025.02.20
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    体験談。 簡単な話ではないこと、常にしっかり考え、話し合っていく必要がある話題。 日本も認められる時が来るのか分かりませんが…

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    投稿日: 2025.01.26