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考えるという感覚/思考の意味
考えるという感覚/思考の意味
マルクス・ガブリエル、姫田多佳子、飯泉佑介/講談社
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総合評価

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    気鋭の哲学者であるマルクス・ガブリエル氏の三部作最終章。三部作のなかでは(文章が平易であるという点において)最も分かり易いものの、相変わらず内容はさっぱり理解できず。ただ、知的刺激は大いに受けた。 前々作は「世界」、前作は「私」、本作は「考える」がテーマ。唯物論的神経中心主義を論駁した前作に対し、思想ならびにその表象化モデルである思考とはそもそも何かを再定義していく。著者は「考える」ことを「考覚」と言い、生物として元来備わっているものではなく、人間が生み出した「(人工知能ならぬ)人工知性」という捉え方がユニーク。 著者が語る「考える」ということが持つダブルミーニングつまり感覚器官と表象手段は、「テセウスの船」が示すような「思想」というものの物理との分離性と一体不可分性を感じる。 「哲学のロックスター」とも称される著者だが、三部作を通じて最も伝わることはTV番組に対する深い造詣と愛情であろう!

    5
    投稿日: 2025.07.11
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    このレビューはネタバレを含みます。

    『考えるという感覚』の主張は大きく分けて四つ。 1.「考える」ということは五感のような”感覚”である。 2.「新しい実在論」の提唱 3.構築主義を根幹とするトランスヒューマニズム、機能主義、神経中心主義、自然主義、ポストトゥルースを痛烈に批判 4.「新しい実在論」で啓蒙的ヒューマニズムを援護し、人類が直面している危機に立ち向かおう  一番興味をもったのは、「AIは”考える”ことはできない」という主張だった(1と3の混合)。以下にその道筋を自分なりにまとめたものを示す。  著者は、AIには何かを理解することができず、「考える」という感覚を持たないと主張する。それはなぜか。結論から書くと次のように言える。  生物ではないただの計算機では、意識が介在されることなく情報処理が進行し、その情報を理解しないまま統語論的に処理する為である。  では、それは何故か。AI(人工知能)とHI(人間知性)の関係が、思考モデルと思考の関係に対応する為だ。つまり、AIは人間の思考のコピーではなく、あくまで思考のモデルとして機能する。その思考モデルとは論理(学)である。論理学は「(思考の本質が考えを把握することにある限りにおいて)思考の諸法則を研究する」ものであり、まさしく人間が思考のモデルとして作り出したものなのだ。AIが知的に、つまり意味を理解しているように見えるのも、(人間の)論理をインストールしているからにすぎない。  まず、人間が或る文や考えを理解するのは、それらに人間の志向性(現実のものに意識を向けること)を貸し与えているからである(志向性貸与テーゼ)。つまり、私たちが現実に意味を付与しているのであり(投影テーゼ)、裏を返せば意味は思考する主体(人間)の外部にある現実との関係性によって与えられる(意味論的外在主義)。  そして人間は、「貸与された志向性というニッチ(適所) を作り出すことで、自分たちの生にかかる環境の圧力を減らして」いる(「存在の意味論化)。つまり「人間の文化的活動の本質は、私たちが自分たちにはまったく制御できないさまざまな要因の手中にある、という印象を減らすこと」と言えるらしい。  何故そんなことになっているのか。それを著者は次のように説明する。「私たちは思考する生き物として、自分自身に対して一つの態度をとっている、ということです。考えるという活動とその内容(つまり思想) を、私たちは常にある一定の仕方で経験しています。したがって、感情によって染められてもいます」  こうしたその時々の心的状態である現象的意識は、志向的意識と相互作用があり、そのために思想に「色合いと陰影」(感情)を与える。つまり、「真理は私たちの思考プロセスを説明する唯一の要因ではありえ」ず、「人間としての生の形式と個人の人生が、意識的経験という背景のもと、私たちの頭に浮かんでくる思想を選び出す」。 このプロセスを「感情的知性」と呼ぶ。そして、真なる思想も偽なる思想も無限に存在し、従って現実の殆どが無限に複雑である為、こうした感情的知性なしでは、無限の対象から何かを選び出すことは不可能とすら言えるのだ。つまり、感情的知性のおかげで、私たちはこの接触をある特定のあり方で体験し、そうすることで、私たちは選び出した現実のものの一部を志向的に、つまり論理的にフォーマットし、さらに処理を進めることができるのだ。  ということはつまり、AIも、感情的条件から解放されて複雑な現実を把握することは難しく、故に、人間の質的な経験を、(人間の思考のモデルという完璧ではない形で、)模造するしかないのだ。これはAIというシステムは、「システムの創造主たる人間の価値体系を暗黙裡に推奨している」ことを意味し、それにも拘らず、それを推奨していることを明らかにしないあり方に、著者は警鐘を鳴らしている。  さて、ここまでが本書の主張のまとめだ(ホントはまだ続くけど)。  うーん、結局、「AIが意味を理解しえないのは思考する主体を持たない為」とするのは循環論法になってしまうように思えるし、つまるところ「生物学的にあまりに複雑な人間の思考を完璧に再現することはできないから、人間の不完全なモデルでしかないAIは永遠に意味を理解しえない」ということだろうか。そうなってくると、哲学的にあり得ないというより、技術的にあり得ないというような、機能主義的なイメージに戻ってきてしまう気がする。

    1
    投稿日: 2025.06.28
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    このレビューはネタバレを含みます。

    哲学書としては異例のわかりやすさである。ただ、多くの映画を引用していたが、日本でそれほど人気を博した映画だけではないように思われる。AIについて言及しているので、AIには教育ができないということを説明している、ということを示す場所を探したが、それはなかった。

    0
    投稿日: 2025.04.26
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    コンピュータは思考するか? 人間の脳と何が違うのか。 人間はどう感覚し、どう思考しているのか? 実に興味深い。 文章も平易、というか、ピンとくる、というかわかりやすい、というか、 頭に入ってくる。 自分は脳の働きに興味があるんだなあ、と思う。 しかし、、 情報量が豊富すぎて、結論、というか、著者が何を言おうとしているのかが、 本全体としては入ってこなかった。 これは斜め読みの欠点と、結局は私の理解不足。 ただ思うのは、 コンピュータが思考のまねごとをする、というのであれば、 人間も同じ部分があるような気がする。 ただ人間は生き物だから、理屈にない感覚、肌感覚、肉体的感覚で、 衝動的に思いもよらぬことを考えたり行動したりする、ということではないか。 コンピュータにはそれはないはず。あったとしたらそれは暴走か。 基本は人間もコンピュータ同様、学習して少しずつ思考のレベルを上げる。 赤ちゃんのそれと、63歳の自分の思考は明らかに違う。 この積み重ねはコンピュータにも可能な気はする。 ただ、それ以外の部分を人間は持っている、ということではなかろうか、 ガブリエルの言ってることと違うかもしれないけど。 なぜ世界は存在しないのか、「私」は脳ではない に続く三部作の完結作。 二つ、読んでたかどうか、、 まえがき 序 論 第1章 考えるということの真実 無限の複雑性/考える? それはいったい何だ/考えることができるのは人間だけではない/宇宙の範囲/アリストテレスの感覚〔Sinn〕/コモンセンスは時に感覚的/「感覚〔Sinn〕」の意味〔Sinn〕、あるいは思い違いの仕方あれこれ/宇宙に亡命し、そこから眺めているのは誰だ/すべての対象が物なのではない/赤い蓋は(現実に)存在するか/思考は神経の興奮ではない/真理以外の何ものでもない/世界はお望みのままに/フレーゲの「思想〔Gedanke〕」/意味と情報、そしてフェイクニュースのナンセンス/私たちの第六感 第2章 考えるという技術 地図と領土/コンピューターは中国語ができるか/写真はクレタ島を覚えていない/一匹のアリが砂の上を這いまわることは、なぜウィンストン・チャーチルと無関係なのか/インターネットという神/文化の中の居心地悪さ/感情的知性と、記号のデジタルジャングルに隠された価値/「機能主義」という名の宗教/思考はタバコの自動販売機ではなく……/……心はビール缶の山ではない/ステップ・バイ・ステップで脳をぺースメーカーに?/技術という理念、あるいは、どうやって家を建てるか/総動員/社会はビデオゲームではない/機能主義のアキレス腱 第3章 社会のデジタル化 論理的でしょ?/集合とのピンポンゲーム/いずれすべてがクラッシュする/そもそもコンピューターにできることはあるのか/ハイデガーのつぶやき/奇跡も多すぎると不安になる/「完全なる用立て可能性」の時代に/『サークル』に捕まった?/ヴィンデンへの寄り道/意識一つ、テイクアウトね/ここでは誰が問題を抱えているのか 第4章 なぜ生き物だけが考えるのか ヌースコープ/魂とカードボックス/「さあ、来い、古箒!」/照らし出された脳/意識ファースト/内、外、それとも、どこでもないところ?/湿っぽくて絡み合った一個の現実 第5章 現実とシミュレーション 空想はスマホと出会う/避けられない「マトリックス」/追 悼/ホラーとハンガー(ゲーム)/美しき、新しき世界/あなたは目覚めているのか、それとも、夢と独り言の中に囚われているのか/あなたはオランダを知っていますか/物質と無知/現実とは何か/どっちつかずの現実/魚、魚、魚/つかみどころのない現実の変動幅/カエサルの髪とインドのマンホールの蓋とドイツ/フレーゲのエレガントな事実理論/私たちの知の限界を超えて/思考の現実は頭蓋基底のレッスンではない/マッシュルームとシャンパンと思考‐思考との違い/人間は人工知性だ/人間の終焉 本書のおわりに 謝 辞 原注 文献一覧 語彙集 人名・作品名索引

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    投稿日: 2025.04.01
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    考えることの重大性を様々な角度から検討している。前2作とも関連するが必須ではない。 問題意識の一つに人工知能の万能性への懐疑がある。人間性、生きることを取り戻す試みだ。思考とチューリングマシン(あたかも思考しているように思える)は位相が違う。 また、より大きな文脈としては、社会構築主義と科学至上主義への反駁がある。わかりやすく言うと、この世は有意味であると言う主張だ。 プラトン、アリストテレス、カント、ウィトゲンシュタイン、フーコー、ボードリヤール、サール、ブランダム、クワインなどが縦横に引用される。本書で最も重要なのはフッサールだろう。また、SF的な映画、小説の引用も豊富だ。 リルケの詩の紹介は中でも最も印象的な部分だった。また、ゲーテのファウスト博士の嘆きを理解できたのも大きかった。p340

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    投稿日: 2024.12.30