
総合評価
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powered by ブクログ残酷な環境を少女の純粋で明るい語りで伝えられるので心をグサグサ刺される。 物語の終わはあまりすっきりしない。何故かというと、本当のラストはあとがきで伝えられる作者の早すぎる最期だから。 「地獄の裏に天国がある」 生まれる国が違うだけでここまで境遇の違いがあっていいのだろうか。 文字数も少なく読みやすいのに、読後に色々考えさせられる。この作品に出会えてよかった。
14投稿日: 2025.11.23
powered by ブクログふしぎな書物。まるでわたしが主人公になったみたい。 父さんと母さんと姉さんと、ほかの人たち。 ところどころ、絶叫したり、余白をもたせたり、繰り返したり。 少女の肉声が絶えず語りかけてくるようだった。
1投稿日: 2025.11.12
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
想像もできない生い立ちだった。生まれた国や家族が違ったらこんなに自分を探し続けることもなかったのかな。この本を書いて自ら命を断ったと知って、辛くなった。
1投稿日: 2025.11.02
powered by ブクログどれが実体験でどれが小説なのかは分からないけれど、小説であって欲しいところが全て実体験のような気がする。両親がルーマニアを出たことは良かったのかも知れない。ずっと不幸の霧の中を生き抜いていくわけだけど、一度も食べるものがないとか衣服靴がないなどの描写はない。とはいえ食料や衣服があれば幸せかといえば、おおむねそうではあるけれど絶対ではない。 ルーマニアからの避難民、サーカスで各国を転々とする毎日。これだけでも子供にとって安心出来る場所はない。その上に母親が死と隣り合わせの曲芸を毎日やっているとなると子供が不安定な精神状態になるのは当たり前。その様子はロリコンだけでなく全ての男達にとって好都合だったことだろう。 子供は欲しくないと書き続けられたページ。 後にも自身を処女だと断言しているが父親がスカートの中に手を入れる描写があまりにもリアル。(性犯罪者の反応というのはどれも似たり寄ったりですね。まるで苦労してようやく代償を得たような。喜びではなく当然、むしろ少し足りないとで言いたげなあの表情。) 息苦しい。逃げようとした先は更なる深み。男も女も誰も信用なんてできない。勿論両親も自分も。 あとがきによれば原作は文字が大きくなっているそう。(日本語版ではただの太文字) ページ数を考慮して太字で妥協したんだろうけど、そこは大文字で印刷しないと作者の叫び声が聞こえなくなってしまう。 決して小説の中の彼女が世界で一番不幸なわけではない。毎日の食事や水に欠く人達、幼くしてテロリストやカルトに誘拐された人達、事故病気、重い障害に苦しむ人達。彼女のおかゆをぬるま湯だ甘えだと言い切れる人達は世界に数億人はいるだろう。だが想像するだけで十分におそろしい。 一生涯のうちここは安全だこの時間は安心だと思えるものがないのだから。 私は日本以外の国に生まれたらおそらく早々に殺されてバラバラにされ臓器として世界に散っているだろう。人間の善意には天井があるけれど(しかも低い)底なしですよね。悪意は。人間の得意分野だから。 周りの男達は勿論実の母親でさえも、誰も私を愛していない。まさにタイトル通り。
15投稿日: 2025.10.25
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
何かよく分からない肉はだいたい鶏肉みたいな味がするらしい。 タイトル買い。 表現としてはおもしろいところはたくさんあったが、物語としておもしろいかどうかは分からない。ノットフォーミー。まあそうだろうなとは思ってたけど。 ピエロと曲芸師を両親に持つ、サーカスで育った子が主人公。ろくな教育も受けさせないくせに、娘を舞台で稼がそうとする母親、すごいなって思います。どんな職業だろうと、ある程度の教養はあってしかるべきだし、人材を育てようと思えば初期投資はどうあっても必要だよ。 どこか詩のようにも感じられる。短い文章で同じ言葉を繰り返すことも多い。本文中ゴシック体になっていた部分は、原文では大きな文字で書かれているそう。 ざくっと小一時間程度で読めました。 抜粋。 イエス・キリストも芸人だ。 その表現、大丈夫???
1投稿日: 2025.07.23
powered by ブクログサーカス団に入って移動している移民家族。その娘のどこか危うい成長。ゆるやかに、あるいは突然に崩れる文体が彼女の精神状態のようで目が離せなせずひりひりする。
0投稿日: 2025.07.19
powered by ブクログもっと小説ではなく散文詩として捉えて、そういう製本をするべきだったのでは?ソローキンじゃないんだから。 内容自体は評価できる。太字はチープだ。 最後を描きたかったんだな。良い本は光り輝く(本当に目が潰れるくらいの光が)瞬間が一つある。もっと薄い本になれば、その時また読み返したい。
0投稿日: 2025.07.19
powered by ブクログルーマニアで迫害されている家族の娘の視点で描かれていてとても痛々しく読み進めるのがしんどかった。 こんな歴史があるのかと学びになる。
0投稿日: 2025.06.17
powered by ブクログ39歳で非業の死を遂げた作家の自伝的小説。 ルーマニアのサーカス一家に生まれた彼女が、子どもの視点から「母さん」「父さん」「姉さん」「おばさん」について語る。 短文なので感情がそのままに伝わってくる。 怖さや驚きや悲しみや表せない感情をこれでもか、と浴びせてくる。 常に危険を感じて生きているようで苦しさばかりを感じてしまう。 悲しいと、年をとる。 これは辛いな… そして、子どもはほしくない。の言葉が延々と3ページに渡り続く。 タイトルにも何かを感じてほしいと投げかけているようで…何を思っても正解などないような気がした。
55投稿日: 2025.06.13
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
その子どもははぜ、おかゆのなかで煮えているのか 著者:アグラヤ・ヴェテラニー 訳者:松永美穂 発行:2024年9月30日 河出書房新社 (2025.4.11読了) 悲しく、辛い、じんとくる傑作小説だった。 著者は、1962年、ルーマニア首都ブカレストでサーカス家庭に生まれる。67年に亡命し、77年にスイスのチューリヒに定住するまで、サーカス興行のために各地をめぐる生活を送る。定住後にドイツ語を学び、俳優として活躍するほか、実験的文学グループ「Die Wortpumpe」を共同で設立し、新聞や雑誌に多数の記事を寄稿。1999年に初小説『その子どもはなぜ、おかゆのなかで煮えているのか』を出版し、ジャミッソー賞奨励賞、ベルリン芸術賞奨励賞を受賞。2002年2月早朝に自死。 プロフィール欄にはそのようなことが書かれている。訳者の松永氏がこの著者を知ったのは、ハン・ガン作品でお馴染みの韓国文学翻訳者・斎藤真理子氏が訳したペ・スアという作家が、かなりの数のドイツ語文学を韓国語に訳していて、そこに当作品も含まれていて、ペ・スアのある作品のあとがきで紹介されていたからだという。もちろん、僕もこの著者は知らなかったが、読んでみると、少しハン・ガンを彷彿とするような作品だった。長編小説ではあるが、全編にわたり、短い詩のような文で綴られている。その流れは素朴で美しい。 自伝的小説だと、あとがきには書かれている。13歳の少女の視点で描かれている小説。チャウシェスク独裁政権下で国立サーカスにいた両親は有名人だったが、家族(父、母、著者、姉、おばさん)で西側に亡命した。父がサーカスの金庫からお金を盗んで飛行機に乗った。〝おばさん〟は、夫をルーマニアに残したままだった。〝姉〟は著者本人と血のつながりはなく、父親の元妻の義娘が生んだ子だと書いている。元妻の連れ子の娘(孫)だと想像できるが、元妻はその義姉とともに精神を病んで入院中だとする。 著者はルーマニア時代の記憶があまりないようであるが、母親の腹の中で8ヶ月間、母親とともに綱渡りをした。母親はアクロバット芸人で、今は長い自らの髪により何かからつり下がって曲芸をする毎日。髪が抜けたり外れたりすれば、死も覚悟しなければいけない。一方、父親は道化師で、酒を飲み、人を殴る。母親も殴られる。「父さんはアメリカの大統領と同じぐらい有名だ。ピエロで、曲芸師で、悪党なのだ」と表現される人間。〝姉〟は著者の1,2歳上で、くる病とシラミだらけの娘だった。(著者の)父親にはトラクターで脚を轢かれた。男が出来ないように。〝姉〟は、どんな子供とでも殴り合う。 ルーマニアでは、残っている親戚が貧しい生活を送る。パン屋で行列をつくる。自分たちが買うパンのためではなく、朝早くから並んでその順番を売って僅かな金を稼いでいるのである。外国で稼ぐ著者一家に送金を期待する手紙を寄越し続けている。実際、送金している。 〝姉〟も父親も、サーカス中に落下をしたことがある。〝姉〟は父親の額の上でバランスを取っていた棒から落ちた。父親は空中の綱から落ちた。母親は、最後、髪の毛でクレーンからぶら下がり、船の上に着地する直前にクレーンの故障により大きな事故に巻き込まれる。それ以前にも、何度か怪我をしている。 人格破綻の連鎖とでもいうべきものだろうか。チャウセスクという独裁者を頂点に、いや、その上のソ連が頂点かもしれないが、順々に破綻の連鎖が及び、父親も母親も、子を多少はかばいながらも最終的なひずみをそこへぶつける。子は、おかゆのなかで煮えてしまうしかないのである。 *** わたしは姉さんに、神さまはどうして、子どもがおかゆのなかで煮えてしまうようなことをお許しになるのか、訊いてみた。 姉さんは肩をすくめた。 でもくりかえし訊いているうちにやさしくなって、「いつかそのわけを話してあげるよ」と言った。 姉さんが話してくれなくても、わたしはその子どもがなぜおかゆのなかで煮えてしまったか、知っている。 その子は何か怖いことがあって。トウモロコシの袋のなかに隠れていた。そして、そのまま眠り込んでしまった。おばあさんが来て、子どものためにおかゆを作ろうと、トウモロコシの粉をお湯のなかに入れた。子どもが目を覚ましたのは、自分が煮えているときだった。 もしくは おばあさんは料理をしていて、子どもに「おかゆに気をつけて、このスプーンでかき回しておくれ。わたしは薪をとってくるから」と言った。 おばあさんが外に行ってしまうと、おかゆが子どもに話しかけた。「一人ぼっちで寂しいよ。一緒に遊ばない?」 そこで、子どもは鍋のなかに入った。 もしくは 子どもが死んだとき、おかゆを煮ていたのは神さまだった。神さまは料理人で、地上で暮らし、死人を食べていた。大きな歯で、どんな棺でも噛み砕けるのだった。 *** ある日、両親が離婚する。 主人公と姉が施設の寮に入れられている間に。そして、父親は〝姉〟だけに戻って欲しいと希望し、一緒にフランスへ。父親は黒人の女とベッドにいた。それで離婚となったのだった。 著者は母親が迎えにくると言っていたが、なかなかこなかった。 〝姉〟は母親に言った(叫んだ)。あんたの夫と寝たわよ! やっと母親と住めるようになった著者だが、母親にも男ができた。彼と母親は「デュオ・マジコ」と名乗って芸をする。やがて、著者が加わって芸をする。ナイトクラブで。少しセクシーに。ヌードは許さないが・・・ 母:サーカスの綱渡り芸人、アクロバット芸人 父:ピエロ 姉:父の元妻の義理の娘の娘、1、2歳年上、くる病とシラミだらけだった、父親にトラクターで脚を轢かれた(男ができないように)、ロマ族、どんな子供とでも殴り合う、 元妻と義理の娘(姉の母親)は精神を病んで入院中 祖父:サーカス小屋を持っていた、商人、船長、村を離れず アニカ:いとこ、故郷にて一晩中パン屋で並ぶ ネアグおじさん:お金をもらって並ぶ ペトルおじさん:アーティスト、画家?、ゲイ、刑務所、母の兄 ニクおじさん:殴り殺された パウエル:伯父、 ヨゼフィーネ:従姉妹 シュナイダー:書類を用意する人、難民援助の手続きをしてくれる ヒッツ:先生、寮長? ネーゲリ先生:担任 ペピータ:寄席のオーナー、女 ヴァルガス:振付師 ドンナ・エルヴィーラ:ペンション・マドリッド経営 ドニー・ガンダー:ダンサー、ペンション・マドリッド滞在者 マリー・ミストラル:寄席の大スター アルマンド:テニスコートで初性体験
1投稿日: 2025.04.14
powered by ブクログ人生のうねりに翻弄された少女の叫び・咽び。 著者アグラヤ・ヴェテラニーの自伝的小説。 チャウシェスク政権下のルーマニアでサーカス一家に生まれた〈わたし〉は幼少時より国外を転々とし、真っ当な教育を受ける機会がないまま成長。そこそこの年齢になっても字が読めず、ほかの子どもたちと自分を比べて「できることなら、外の人たちと同じでいたい。 外ではみんな字が読めて、いろんなことを知っている。その人たちは白い小麦粉でできた魂を持っている。 できることなら、わたしは死んでいたい。そうすればみんなはわたしのお葬式で泣いて、自分を責めるだろう。」(p34)と、達観というか虚無というか、ひどく疲れ切ったことをこぼしている。 ここでいう「白い小麦粉」というのは上等な白パンを食べられる階級にある子どもを指していて、転じて、しっかりした教育を受けた上流の階級の子どものことを暗喩しているのだろうか。 父親は映画撮影に熱を上げるあまりに奇行に走り、浮気の果てに〈わたし〉の姉とも関係を持ち(ここはちょっとよくわからない。「ええ、あんたの夫とも寝たわよ!と姉さんは叫んだそうだ。」(p132)という部分での姉とやり取りをしている相手は母だと思われるため)、母親と離婚。 「わたしの家族は外国で、ガラスのように粉々になった。」(p143) 母は母でサーカス中に事故を起こし引退。今度は〈わたし〉を映画スターにする事に情熱を傾け、わたしとナイトクラブで働きはじめる。わたしはまだ十二、三という年齢だがいわゆるストリッパーの一歩手前のようなことをしてステージに立ち、「大人気」(p189)を博すが心身に不調を来してナイトクラブをクビになる。「わたしはもう眠りたくない。 ただ急ぎたい。 いつもただ急いでいたい。 母さんはわたしにとてもやさしい。 わたしはそれが気に入らない。まるで、絶えずごめんなさいを言わなくちゃいけないような気分だ。」(p190)という部分は明らかに心を擦り減らしているように見受ける。 そう、『その子どもはなぜ、おかゆのなかで煮えているのか』。なぜ煮られなければならなかったのか。なぜ。無力な子どもは抵抗する事も出来ず、親の指示や政治・社会の不安やら貧困などに巻き込まれ見えざる鍋に放り込まれて、トウモロコシやらバターやらと一緒くたに煮込まれて「ポレンタ」(p11)=「おかゆ」、すなわち芯も意思も何もかもドロドロに溶け崩れるまで放置されて、いつの間にか「神さまとおばあさんと守護天使が一緒に食卓について、お別れのおかゆを食べている。」(p207) 若くして自死を遂げてしまったアグラヤの最期を鑑みるに、何とも込み上がってくるものがあるラストの謐けさ。 この作品は亡くなる3年前に上梓され、数々の賞を得るものの彼女は自ら世を去った。 この作品で何を遺そうとしたのか、何を伝えようとしたか。 もしも、自分の目が届くところに、煮える鍋の中で孤独に耐えている子どもがいるならば、迷わず手を差し伸べられるひとでありたい。 私はそのように本作を受け止めました。 1刷 2025.4.1
11投稿日: 2025.04.01
powered by ブクログギョッとするタイトルですが、主人公の女の子の語り口で軽快に描かれているのと、独特の間があるのでとても読みやすかったです。が、内容は簡単では無かったです。 女の子がサーカス一家の中で生きる過程で、心の中に残っている家族やまわりの大人の映像を、まるでグリム童話のようにまとめて一冊の本にした、そんなお話だったように感じます。 翻訳して一冊の本にまとめるのに、ビジュアル面でもとても気を配ったであろうことと思います。 美しい本でした
0投稿日: 2025.02.14
powered by ブクログ“悲しいと、年をとる。 わたしは外国の子どもたちより年上だ。 ルーマニアでは、子どもたちは生まれたときから年をとっていた。母さんのお腹にいるときから貧乏で、両親の心配ごとを聞かされていたから。 ここの生活は天国みたい。でも、だからといってわたしが若くなるわけではない。”(p.35)
0投稿日: 2025.01.25
powered by ブクログどこまでが自伝で、どこまで妄想なのか創作なのか、よくわからない不思議な世界に連れ込まれる。 元靴職人と揶揄されるチャウシェスク政権下のルーマニアでの悲惨な生活は繰り返し語られ、豊かな生活を求めて西側に脱出しても旅回りサーカスの一員であるロマでは難民の暮らししかできない。 にもかかわらずルーマニアに残った親戚縁者からは西側で富裕な生活をしていると信じ込まれて繰り返し支援を求められる。 父母は離婚し、映画スターになる夢も実現しない。 という陰々滅々な世界が延々と続いて、後半では少々うんざりする。 この本の訳者あとがきで驚いたのは、韓国文学の紹介で八面六臂の活躍をされている斉藤真理子さんが翻訳されたペ・スア「遠きにありて、ウルは遅れるだろう」のあとがきで、ペ・スアがこの本の著者ヴェテラニーに触れていたことが、今回翻訳される契機になったということ。 この本の不思議な世界と「遠きにありて、ウルは遅れるだろう」を読んで感じた世界との共通する何かを、ここでやっと気づいた。 しかし、韓国文学がこの本を見つけ出し、早々と韓国語で翻訳出版している目配りに感心するし、底力の強さに驚かされる。 なお原題「Warum das Kind in der Polenta kocht」のPolenta というのは、とうもろこしの粉で作る粗末な粥のことらしい。
1投稿日: 2025.01.09
powered by ブクログ独裁者によって生活ができなくなった主人公の家族が、国外へ脱出しサーカスの団員として生活をする半生を書いたもの。 社会的な弾圧と家族の中での個々との共存、サーカスという世界、信仰によって造らせた精神がとても危ういと感じる。 子どもという狭い世界での知識による外と内との折り合いの付け方がアンバランスすぎて、環境のせいではあるものの崩れることをこんなにも予感させることはない。 家族をものとして扱う父親や、恐怖で支配し自分で作った世界に押し込める母親、対になる姉、存在することで自分の価値だと思い込むペット、今でいう毒親に育てられ大きく育った主人公の、願いなどなくやっぱりねとなる終わりに向けて読むことを止められない。
1投稿日: 2025.01.06
powered by ブクログひと目見ていま読むべき作品だと手に取って読んだものの、衝撃すぎてなかなか感想がまとまらなかった。 抽象画を言葉にしたらこうなるのではないかという、散文詩のような形式でつづられていくのは、時代と、場所と、家族に翻弄された一人の少女の内側からの視点。 読んでいる方が、おかゆの中で煮られているような感覚を覚えていく。 どこからどこまでが作者の投影なのかはわからないものの、まだ若くして亡くなられたということにどこか納得してしまった。 キャンバスに叩きつけるような言葉を吐き出す感性の持ち主が、このような世界で生きていかざるをえなかった人生の激しさを思わずにいられなかった。
1投稿日: 2024.11.03
powered by ブクログ社会主義国ルーマニアから亡命してきた一家。 ロクデナシでピエロの父。曲芸師の母。父に溺愛され、その関係は家族を超えている姉。そして踊り子の私の一家が、放浪生活をしながらサーカスで何とかお金を稼いでいく。 作者のアグラヤ・ヴァテラニーは39歳で亡くなっており、本作は37歳のときに出版された作品。 作者自身がルーマニア生まれで5歳のときに亡命して、77年にスイスのチューリッヒに定住するまでサーカスの興行をしながら生活していたらしい。 余白が多く、作品自体とても短い。だが、読むのは結構苦しかった。 タイトルからすでに何だこれ、となるのだが常に不穏な気配がずっと張りついている作品で、ときには禍々しささえ感じるほど。 どこまでが実体験で、どこまでが創作かわからないが、暗黒寓話のようにも見えた。 この作品も含めて、作者がその一点に向かって収束していくような暗さを感じてしまった。
2投稿日: 2024.10.25
