
総合評価
(6件)| 0 | ||
| 1 | ||
| 2 | ||
| 0 | ||
| 0 |
powered by ブクログ敗者が自ら出家することで赦される「敗者出家」。 日本では約350年もの間、死刑が廃止された。 本当は日本に「中世」など無い。 中央政府は地方にあまり干渉しなかった。 鎌倉幕府の力が朝廷を押さえつけるのは承久の乱から。 後白河を「大暗君」と評す。 (『平家物語』などの清盛像は)プロパガンダである。 晩年の後白河法皇は紛争を引き起こすことが仕事のよう。 『吾妻鏡』は北条氏の正統性を証明するための歴史書。 頼朝は武勇に優れていなかったが、貴種として特別な存在。 「形式こそが最も重要な実質」だと考える。 (『源氏物語』の冷泉帝も)「万世一系」は保たれている。 言葉の「切り取り」に騙されてはいけない。 「出家した皇族は天皇になれない」という掟(憲法習律)。 御成敗式目が優先される原則を泰時が確立(後法優先の原則)。 蒙古と戦うため、源氏の征夷大将軍を担ぐ形式が必要だった。 (文永の役で)負けたと思っていたら、相手はそれ以上に敗北感を抱いていた。 後醍醐天皇がシラを切り通して終わった(正中の変)。 (後醍醐は)後鳥羽上皇の百分の一の緻密さもない。 なぜ正成は勝てるはずがない戦に臨んだのか? 後醍醐天皇を「強烈な個性があり、天皇らしくない天皇」と評す。 建武という元号を「バカ元号」と断言。 「七生報国」を誓って自害した(楠木正成と正季)。 「朕が新儀は後世の先例たるべし」は「アホが引用する常套句」。 高師直の過激な放言は、逆説的に天皇の必要性を証明している。 (『太平記』は)歴代足利幕府権力者が自分に都合が良いように書き足している。 近代の「南朝正統史観」で魅力的な人物像が無視されてきた。 (義満の書状は)「これはもう国王とでも呼ぶしかない」レベル。 義満の政治姿勢:「相手が強いと思ったら戦わない、弱いと思ったら叩きのめす」。 リシュリューが成し遂げた絶対王政を百年早く実現したのが足利義教。 「万人恐怖」と嫌われ、「将軍如此犬死」と罵られた(義教)。 義教は殺された最後の一日で全てを台無しにした感がある。 「たかが田舎の小武士を倒すのに、いちいち朝敵認定しなければ勝てんのか?」。 「なぜ戦国乱世で日本は分裂しなかったのか」→「後花園天皇がいたから」。 応仁の乱は「キャラが濃すぎる人たちの争い」。 実力主義・下剋上の世だからこそ、権威が重要になった。 皇室の戦国時代とは、譲位ができなくなる時代。 (将軍追放は)「室町幕府十九回目の滅亡」。 朝廷の奥義は「待ち」。 戦後の歴史学は「斜め下に堕落」し、「足利幕府正統論」らしき論も見られる。
0投稿日: 2025.04.29
powered by ブクログ著者の感情が入っていて読みづらいところが多く、途中で読むのをやめた。 勉強不足で理解できない部分も多かった。
0投稿日: 2025.03.27
powered by ブクログ面白いと思うが、内容が難しく頭に入ってこない所も多かった。鎌倉から室町、戦国時代の初期あたりについて、皇室を主眼においた歴史解説がされる。教科書で習った内容と異なる事が多い。
0投稿日: 2025.03.24
powered by ブクログ憲政史家・倉山満による日本中世史。 鎌倉幕府・足利幕府についての考え方は独自性があり、わかりやすく勉強になった。
0投稿日: 2025.02.15
powered by ブクログp18 天皇の幼少期の代行者が摂政で、成人してからの補佐役が関白 p24 侍の語源は、傍らにいるといういみの、「さぶらう」です。 高級貴族のガードマンか用心棒のような存在 p52 朝廷には公領があり、貴族は荘園と呼ばれる私有地をもっているが、荘園公領に対抗する武士の土地をもているように朝廷と交渉し認めさせました。この土地のあり方が幕府の根幹です。 こういうことを考えたブレーンが大江広元だと吾妻鏡に特筆大書されています。 人類のどこにもない幕府を考えた大天才が大江広元で、それを実現した大政治家が源頼朝という評価でよいと思います p115 正統 しょうとう せいとう せいとうは正しいという意味 反対は異端、偽 しょうとうとは神武天皇以来の皇統を伝えている方々 しょうとうの反対は凡その承運 p123 右翼が街宣車に七生報国とかいている 正成の言葉でない ただしくは七生滅敵 七度生まれ変わっても逆賊を滅ぼしたい p129 関ケ原 日本史で3度の大激突 むかし青野ヶ原 大海人皇子 1338 青野ヶ原で土岐頼遠ら足利方を打ち破る 北畠顕家 徳川家康 p200 頭のいい人は頭の悪い人の気持ちがわからないことが多々あります p231 践祚(せんそ)とは天皇になること、即位とは天皇になったことを知らしめる儀式のこと p239 成功した誇大妄想を理想と呼び、失敗した理想は誇大妄想に過ぎない
0投稿日: 2024.11.26
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
今谷明先生に阿って義満皇位簒奪論が正しい説 これはなんだか違う気がする、倉山先生も言う が議論の余地なく違うで終了だと思う、固執さ れている部分が、法皇という尊号を天皇側から 提案したという点、日本唯一の皇室史学者とし ては「尊号」を軽々と与える朝廷な訳がない、 相国寺等に伝承・位牌がある以上は実態=簒奪 があったのだ、であるが、幕府のご機嫌取りと して朝廷最大のカードを泣く泣く切ったつもり カモ知れんし、死後だから、又は尊号を渡す天 皇から見て臣下だからと当時の朝廷が自分を許 すために自分に言い聞かせたかも知れんし
0投稿日: 2024.11.13
