
総合評価
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powered by ブクログ森達也の本は、自分の「立ち位置」や「考え方」を振り返るときの助けになる、と感じます。 森がオウム真理教の信者に取材したドキュメント「A」シリーズを手がけたことで、オウム真理教を擁護するのか、という批判を浴びた(あるいは今もなお浴びている)ことは事実ですし、当時の「オウム=悪/カルト/殺人集団=その存在を許すことができない」という世論に冷や水を浴びせる作品であったことから、作品だけでなく森自身が拒絶されることはある意味で想定できる展開だっただろうと思います。 本書でも根底にあるには、「地下鉄サリン事件を起こしたオウム真理教の信者は本当に残酷な悪人なのか」という問いや、他に世界各地で度々繰り返されてきた虐殺に関与した加害者は人間としての倫理観を持たない「私たちとは根本から異なる存在なのかどうか」という問いです。 とても想像できないような残酷な所業をしてきた加害者たちを、「自分たちとは全く別の、異常な存在」と割り切ってしまえば、私たちは安心することができます。ただ、これは単なる思考停止で、アイヒマン裁判やその他の心理実験でも明らかになっている通り、虐殺の加害者たちは決して「異常者」ではなく、私たちと変わらない「ふつうの」人間なのです。 では、なぜ「ふつうの」人間が多くの人を殺すことができたのか。そのメカニズムを考え、悩み、煩悶し続けることこそが、再び歴史上の惨禍を起こさないために必要な「歴史から学ぶ」ということなのではないかと思います。 世界各国の事例が紹介されていますが、国立資料館でホロコーストやクメールルージュのような加害の歴史を隠さずに展示公開している国と、「加害」の歴史を正視しようとしない日本のこれまでの姿を比べると、日本のあり様こそが異質であるように思います。 違和感を覚え、モヤモヤし続けることこそが大切なのだと改めて気づかされました。 (p.14 まえがき より) 何度でも書く。凶悪で残虐な人たちが善良な人たちを殺すのではない。普通の人が普通の人を殺すのだ。世界はそんな歴史に溢れている。……でも僕たちが暮らすこの国は、記憶する力が絶望的なほどに弱い。むしろ忌避している。殺す側は邪悪で冷酷。その思いが強いからこそ、過去に自分たちがアジアに対して加害した歴史を躍起になって否定しようとする。被害の側に過剰に感情移入するからこそ、加害の側をより強く叩こうとする。加害と被害は反転しながら連鎖することに実感を持たない。僕が面会と手紙のやり取りをつづけた六人のオウム信者はもういない。みな処刑された。人を殺したから殺される。なぜなら悪人だから。生きる価値がないから。それでよいのか。そんな社会で本当によいのか。だから終わらせてはいけない。忘れないために。善良な人が善良な人を殺す。その理由とメカニズムについて考えねばならない。忘れたらまた同じことをくりかえす。過去に起きた戦争や虐殺よりも恐ろしいことがひとつだけある。過去に起きた戦争や虐殺を忘却することだ。
1投稿日: 2025.11.06
powered by ブクログ本書を(ノンフィクション大賞にノミネートされているから間違いないんだろうなあ)という理由で手に取ったことを集団思考の兆候だと責められている気分になった。笑 そもそも新書には扇動する思惑が丸見えなものが多く、それを避けるためにノンフィクション大賞を頼ったというわけなので許してほしい。イデオロギーの対極にいてかつこんな面白い本を紹介してくれる全国の書店員さんに感謝。 冗長さを感じるのと、ネトウヨに対して敵意を剥き出しすぎなことに引いてしまったが、帰結については全くその通りだと思う。虐殺を無くすため知ることを怠ってはならないし、知識を広げていかねばならない。でも、分が悪そう。
1投稿日: 2024.09.09
powered by ブクログ歴史を直視し、考え続けなければならない。なぜなら私も同じ人間だから。今まさに起きていることを見つめるための本だ。
0投稿日: 2024.08.01
powered by ブクログ人を殺すのは善でも悪でもなく、条件が揃った環境がそうさせる。では善と悪とは一体、何のために存在するのか。
1投稿日: 2024.06.10
powered by ブクログ個々では善良な人々が集団化するとなぜ虐殺者になれるのか・・ 危機にさらされた人々の間で過剰な忖度が働くとシステムの暴走が始まる。 難しい問題ですね。民主主義が機能するためには参加者がそれぞれ良質な共同体に支えられていることが重要ですが、それが虐殺に至る集団に変化するとすれば何を頼ればいいのでしょう。考えさせられるテーマです。
1投稿日: 2024.02.26
powered by ブクログ超おもしろい本わず。 本屋で目に入り、クメールルージュについて読みたくて買ったんだけどパレスチナ問題の大まかな概要を初めて知れた。名前は聞くけど分かってないことばかりだ。 「私たちはもっともっと考えて、もだえ苦しんだ方がいい。」 共感できるしスッと読めるけど一読して理解しきれるものではないなぁ。難しい。読んで良かった。読みたい本と映画が増えた。
1投稿日: 2024.02.06
powered by ブクログロングラン上映中の映画『福田村事件』の森達也監督。私が彼の名前を知ったのは20年以上前のこと、映画監督としてではなく、『放送禁止歌』の著者としてでした。小学校時代は何も知らずに過ごしていましたが、中学校に入って初めて同和地区の存在を知り、驚いたものです。そして大人になって『放送禁止歌』を読み、また衝撃を受けました。本作もその衝撃再び。 映画『シティ・オブ・ゴッド』のことも思い出す。平然と殺戮を繰り返す少年たちには、自分が生きるためなら良い悪いもない。誰かの指示がなくても虐殺は起きる。ひとりひとりは優しいはずなのに。 映画『福田村事件』の感想はこちら→https://blog.goo.ne.jp/minoes3128/e/3187d9b6728d739fe4c1b7d72d7071c4 映画『シティ・オブ・ゴッド』の感想はこちら→https://blog.goo.ne.jp/minoes3128/e/eafdc78c8511a29e28d267849c87793d
1投稿日: 2023.12.26
powered by ブクログ決して森の独創というわけではない 多くの知識人が考えてきたことを紹介し日本にわかりやすく当てはめてくれている本という気がする グレゴリースタントンの良識ある人々が虐殺に手を染めるまでの過程を書いた8項目 我々と彼らを分け、彼らを人間ではない存在に位置づけ、交わりを断ち、「攻撃に備え」、絶滅させる 中枢が空虚であるほど群れの暴走は激しくなる 現代は人類史上、最も暴力が少ない時代だとするスティーブン・ピンカーの『暴力の人類史』も読んでみたい ときどき再読し、日々のニュースを振り返ってみたい一冊
0投稿日: 2023.12.22
powered by ブクログ違うだろう。「一人すら殺せない人」は集団になることによって「多くの人を殺せる」主体へと変貌する。少なくともぼくはこの本をそのように読む……とはいえ、凡庸な「集団ヒステリーの恐怖を語った本」と早合点せずにぜひこの本に誘われてほしいとも思う。森の作品(『A』くらいしか観たことないのだけれど)ににじみ出るユーモアと真面目さはこの本でも臭みを感じさせずきわめて上品に(とはいえ、どこか野暮ったさをも醸し出しつつ)漂う。そこから倫理・哲学的な問いや歴史を学ぶ作法、あるいは自力で考え抜く知恵や作法を体得することができる
0投稿日: 2023.12.13
powered by ブクログタイトルからSF作家伊藤計劃の「虐殺器官」を連想し、手に取ってみた。作者は映画監督・作家の森達也。関東大震災直後に朝鮮人と間違えられた行商人らの虐殺事件を描いた「福田村事件」が、今年公開されている。 善良な人々が善良な人々を殺す。虐殺を司る器官 (強いて言えば脳)が人間に備わっているわけではないだろう。何故、どうやってそうなってしまうのか。我々は考え続けなければならない。 大量虐殺の防止を目的とするNPOの創設者が、良識ある人々が虐殺に手を染めるまでを8段階の過程で示してる。 1. 人々を「我々」と「彼ら」に二分する 2. 「我々」と「彼ら」に「こちら側」と「あちら側」に相当する名前を付与する。 3. 「彼ら」を人間ではない存在(例えば動物や害虫、病気など)に位置付ける。 4. 自分たちを組織化する。 5. 「我々」と「彼ら」のあいだの交わりを断つ。 6. 攻撃に備える。 7. 「彼ら」を絶滅させる。 8. 証拠を隠蔽して事実を否定する。 この中で1と2は普通にある。さらに3~5は、ネット社会ではムーブメントを起しやすい。それ以降はもう「ヤバい」状況である。 虐殺のカギは「権威」からの指示と集団からの「同調圧力」だという。そして、虐殺のスイッチは、人が「個」を失くした時には、たやすく"ON"になってしまう。暴走が始まる。本当に恐ろしいことである。
39投稿日: 2023.11.11
powered by ブクログ人の気持ち。仕事で、部下は上司を忖度し、具体な言葉がなくとも「こう思っている」とある種勝手に想像し実行。上司は、部下がそう思ってるので「その通りにしたらいい」と背中を押され満足感にひたる。このサイクル。人はあらぬ方向にいってしまう。
3投稿日: 2023.10.07
powered by ブクログなぜ人が人を殺せるのか。 死刑の問題、戦争の問題。虐殺はなぜ起き続けるのか。 ここのところずっと考え続いている問題に丁度マッチしていたので購入した。 答えは簡単には見つからない。 即効性のある処方箋もたぶん無い。 それでも個人個人が考え続ければきっと変わる。 完全な悪も完全な善も存在しない。 その通りだと思う。 自分もそうだ。 他人も多分同じだと信じている。 休日1日で読んでしまったが、また読んでみたい本として心に残った一冊でした。
3投稿日: 2023.09.25
powered by ブクログ福田村事件きっかけで読んだ。人はそれぞれが優しくて善良でも集団になると残酷になるというのは日常でも実感できるところ。働いていると他人に対してもそう思うし、自分もそうなってるなと思う。ホロコーストを決定した会議にヒトラーは出席しておらず、戦艦大和の特攻も昭和天皇の言葉を読み取った部下が実行したもので、いずれも明確な指示の記録はないらしい。これも会社では誰がやりたいのかよくわからないけどなんだか進んでいるという事態に合うことがあるし。自分は人一倍流されやすい自覚があるので胸が痛かった。
3投稿日: 2023.09.16
powered by ブクログ読むべき本。 読んでよかった本。 まもなく森達也の映画「福田村事件」が公開される。福田村だけでなく、他の土地でも同様の事件が起こったことが最近の新聞記事に掲載されていた。 関東大震災で6000人の朝鮮人がら虐殺されたことはよく知られている。その時、訛りのある地方出身者が同様に虐殺された。その一つが「福田村事件」だ。 普段は善良な隣人がなぜ大量殺人の歯車になるのか。 その謎を解こうとする本だ。 先日「キエフ裁判」という映画を見た。ウクライナのバビ・ヤールでのユダヤ人とウクライナ人の大量虐殺を指導したドイツ兵の裁判記録だ。ドイツ兵士たちは(アイヒマンがそうだったように)一様に、命令に従っただけで、自分には逆らう権限は無かったと証言する。彼らは粛々と裁判を受け、皆礼儀正しい。 映画の後半は、一般市民の証言だ。生々しい耳を覆うばかりの虐殺の目撃談。何千人もの人間を、抵抗しない子どもも女も次々と踏みつけ銃殺し掘った穴に生き埋めにし、手榴弾を放り込む。 先ほどの礼儀正しい人たちがなぜこんなことをできるたのか? ハンナ・アーレントはこれを「凡庸な悪」と呼んだ。 アイヒマンは「私の罪は従順だったことだ」と言った。 グレゴリー・スタントンの 「良識ある人々が虐殺に手を染めるまでの過程」にはこうある。 ①人々を「我々」と「彼ら」に二分する。 ②「我々」と「彼ら」に「こちら側」「あちら側」に相当する名前を付与する。 ③「彼ら」を人間ではない存在(例えば動物や害虫、病気など)に位置付ける。 ④自分たちを組織化する。 ⑤「我々」と「彼ら」の間の関わりを断つ。 ⑥攻撃に備える。 ⑦彼らを絶滅させる。 ⑧証拠を隠蔽して事実を否定する。 これはどこででも起こりうることだし、現に起こったこと、そして今まさに起こっていることだ。 人間は個である限り、他者の痛みを想像できる。 しかし、「不安や恐怖を刺激された時、一人でいることが怖くなり、集団の一部となろうとする。」 現代ではSNSという仮想空間が集団の擬似的意思となって人間を個から集団の一部にする。集団の相は、「ちょっとした刺激で突沸や接触凍結」を起こし一瞬にして変化するという。 「集団」と「刺激」これがキーワード。 この二つが合わさったとき、「虐殺のスイッチ」が入る。 森達也は言う。都合の悪い歴史から目を逸らす限り、 「断言する。ならば僕たちは、同じことを繰り返す。」
26投稿日: 2023.08.20
powered by ブクログなぜ人類の歴史に虐殺が存在するのか。森さんのライフワーク的テーマを、“虐殺”という切り口から語っている。人はもっと優しい。それを森さんが言い続けなければいけないほどに世の中は変わらない、悪化しているのだろう。優しいからこそ、なにかのスイッチで虐殺に加担する、そのメカニズムに警戒しなくてはならない。
3投稿日: 2023.08.15
powered by ブクログ安心したいとか、満たされたいとか、個よりも集団というのは分からないでもないけど、すごく柔らかく分かりやすく書こうとしているのに、作者が自画自賛するたびに少し気持ちがひいていく。
2投稿日: 2023.08.03
powered by ブクログ森達也『虐殺のスイッチ』ちくま文庫。 様々な国や時代で起きる虐殺。 虐殺が起きるメカニズムを解き明かすノンフィクションかと思ったら、森達也がこれまでに手掛けた『A』シリーズを事あるごとに引合いに出す自己満足的なエッセイのような作品だった。 最近は日本国内でも、毎日のように殺人事件のニュースを耳にする。殺人だけでなく、我が子を虐待する親や同級生を過激な虐めで死に追いやる学校生徒。まるで人間の持つ良心という抑止の箍が外れたかのようだ。大昔、『ススムちゃん大ショック』という永井豪の漫画があったが、まさにそんな状況だ。 世界に目を向けても、ロシアによるウクライナ侵攻、北朝鮮のミサイル発射実験、中国によるアジア諸国の領海侵犯と、直ぐにでも虐殺に発展するような危機が渦巻いている。 思えば、今の時代、世界の警察を自認するアメリカの自作自演とも言われる同時多発テロとその後のイラク戦争から虐殺という悲劇への緊張が高まったようにも思う。結局のところ、アメリカのイラク侵攻、ロシアのウクライナ侵攻は人間の権力志向の最たる結果だ。 森達也は、集団化と同調圧力が虐殺に向う2つの鍵だと言うが、これに人間の権力志向を加えるべきではないか。 カンボジアのクメール・ルージュの大量虐殺、オウム真理教による地下鉄サリン事件を中心にした虐殺、関東大震災の朝鮮人虐殺、ナチスのホロコースト、ベトナム戦争、インドネシア政権による虐殺、ルワンダのフツ族によるツチ族の虐殺。歴史に見る数多くの虐殺事件のスイッチは様々だが、集団化と同調圧力の2つが鍵を握る。 そもそも戦争と犯罪、紛争とを全く区別せずに虐殺で括って論じているところが気に食わない。 本体価格780円 ★★★
58投稿日: 2023.07.20
