
総合評価
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powered by ブクログ私のカラダは私のものだ、当たり前のようでその実感は薄い。他人の評価や社会に合わせて自分をすり減らしているからではないか。著者の経験も踏まえながら、女のカラダにかけられた呪いを解いていく。パンチ力強めな王谷さんのワードで自己肯定感爆上がり!
7投稿日: 2025.11.09
powered by ブクログ女性のカラダを持つ者として、共感できるところとできないところがあった。 それでも、著者のカラダや世の中に対する思いに触れ、私も今後セクハラやパワハラに遭った際には、断固として怒りと拒否の感情をしっかりと表明しようと心に誓った。 それが次の世代の子たちの生きやすさに繋がると信じて。 (まあもちろん、そんな目に遭わないのが一番ですが…。)
0投稿日: 2025.10.28
powered by ブクログ『御神籤ブック』3冊目。 自己肯定感爆上がり。 めちゃくちゃ爽快、面白い。 女性のカラダについてのエッセイだけど、男性にも是非手に取ってもらいたい。 なんなら思春期頃の全ての若者にお勧めしたい。学級図書とかに置いもらいたいレベル。笑 ティーンの頃にこの本に出会ってたら、もしかしたら、もうちょっと悩まずに大人になれたかも。 いや、悩みもがきながら大人になったのも、今となってはいい思い出なのだけれど。 "自分"が揺らいだとき、こんなんじゃダメだと責めたくなったとき、他人の心ない言葉に傷ついたとき、どうにもこうにも外の景色が真っ暗になってしまったとき、とかに、何度でも読みたい。 ありがとうございました。 2019年に刊行された単行本『どうせカラダが目当てでしよ』を、改題・加筆の上、文庫化したもの。
8投稿日: 2025.10.19
powered by ブクログNOを言い続けるのにも、理不尽と腐った固定観念に怒り続けるのにも体力と気力が必要。 火炎瓶を投げ続けてくれてありがとう、でもそんな重い瓶を投げ続けたら疲れるし手も痛くなるでしょう。 火炎瓶が対象に届かずに、自分の足元に落ちて危なくなることもあるだろう。 私はどんどん元気をなくしていって、理不尽さに声を上げ続けている人を見ても、疲れ果ててしまわないかと心配になってしまう。 元気を出さなければ。 可能な限り健やかに生きたい。著者にも、健やかに生きていてほしい。
1投稿日: 2025.10.09
powered by ブクログ『ババヤガの夜』の王谷晶さんのエッセイ! おもしろすぎて1時間もしないで読み切ってしまった。内容が「そうだそうだー!」とか「もっと言ったれー!」というような内容で、本当に自分も含め世の女性はなんちゅー無理難題を強いられているんだとうんざりもした うんざりした瞬間に王谷さんのエッジの効いたパワーワードがそれを蹴っ飛ばしてくれる 病院の待合室で読んだのだが、笑いをこらえるのに必死でわざと咳払いをしたり、頬の内側を噛んだりした 人間の、とりわけ女性の身体の持ち主はもちろんその女性自身なわけでどうであろうが他者や社会にジャッジされる必要はないわけであって、すごくパワーをもらえるエッセイだった 文章がおもしろすぎる⋯
2投稿日: 2025.09.22
powered by ブクログババヤガの夜であまりにも圧倒されたので、エッセイも読んでみようかと手に取ったらこちらもおったまげた。こんなに怒ってるのにこんなに笑えるエッセイあっていいんですか?それでいて考える部分も多く、ストレートな物言いにジンと来て時々泣きそうになってしまう。ネイルアートに文句を言う人に対して「100均の除光液でも飲んでなさい」という返答は大爆笑してしまった。本当に最高でした!
0投稿日: 2025.09.21
powered by ブクログ「余談だが私は女と寝る女、つまりレズビアンなので、自分以外の乳とも幾度か対峙してきた。基本的に大きな機能は変わらない肉体同士なので、当然相手も乳の肉と腹の肉の感覚に大差はないことを知っているが、それでも「揉んでもよし」と言われると興奮と共に揉んでしまうのは、私の脳内にもまだ剝がしきれないおっぱいレッテルがあるのだなと忸怩たる気分になる。毎回。無為を極めるのも難しい。ちなみに相手もだいたい「人のはやっぱり揉んでしまう」と言う。「肉を揉まれたところでなあ……」と思っている同士が揉みあっているわけで、この行動はあまりにややこしいので「人の業」というフレーズで片付けておきたい。」 —『カラダは私の何なんだ? (河出文庫)』王谷晶著 「最近も、坊主の似合うとってもお洒落な友人が髪型と己のジェンダー観やセクシュアリティを他人に一方的に紐付けられて立腹していた。短い髪は女性性の放棄と勝手に受け取られてしまうことがある。逆に長い髪は「女」の記号によく使われる。宣言してもいないことを、髪の長短で判断され言ったことにされてしまう不気味さ。ちょっと古い小説や映画なんか見ると、長髪にしてるだけで男も「あいつは女みてえだ」とか言われたりしている。そんな、髪の長い短いでジェンダーを振り分けるのはあまりにも雑じゃないか。北欧あたりのいかついメタルバンドのおっちゃんたちは「女子」なのか。戦国大名もみんな髪長いで。坊主ヌードで物議を醸した井上晴美はどうなる(古いねどうも)。一部の他人(しかも女限定)の髪に対する過剰な妄執や陰謀説なみの勘ぐりは見ているとたまに怖くなる。髪で他人の内面をはかるな。ちゃんとコミュニケーションをとってくれ、言葉で。もしくはほっとけ。髪だけに。」 —『カラダは私の何なんだ? (河出文庫)』王谷晶著 「 私のために髪を伸ばせと言うのは、俺のために指を詰めろと言っているのと本質的にあんまし変わらない。大げさに聞こえるかもしれないが、大げさに言うとそういうことなのだ。そんなこと言うのもやだし、言われる立場になっても、なんかやだ。別に髪を伸ばしたり切ったりするのなんてわけもないことだけど、それでも自分の身体の一部だ。誰かのために変えるのは、つらい。相手が恋人でなく校則や社内規定でも同じ(もっとやだよね)。そういう意味で、髪に命は宿ってると言えるかもしれない。」 —『カラダは私の何なんだ? (河出文庫)』王谷晶著 「余談だが足にアレなコンプレックスがある。何がアレかというと、おっきいんです、あたし……。女性ものの靴を売ってる店に行くと分かるが、一番目に入りやすい、手に取りやすい棚に並んでいるのは 23 ㎝~ 24 ㎝の靴。マイサイズ、 25・ 5 ㎝。たいしたことないじゃんと思うでしょうが、問題はタテではなくヨコ、足の幅と甲の高さなのだ。知っ得豆知識:足の親指と小指のラインにメジャーを巻き付けてぐるっと測ったサイズを「ワイズ」といい、小さい順から ABCDE、 E E、 EEE…で表記される。で、一般的な日本人女性のワイズは「 E」らしいのだが、私はこれが「 EEEEE」、 5 Eあるんですね。 5。クインテットですよ。当然普通の店では足が入る商品がなかなか見つからず、長年通販でバクチのように靴を買っている。三回に一回は坊主を引く。いつか巨万の富をゲットしてクリスチャンルブタンとかジミーチュウとかで 5 Eの人を殺せそうなピンヒールをオーダーメイドするのが目下の夢である。もちろん、それを履いた日は一日十五分以上歩いたり立ったりしないで優雅に過ごす。おそらく家から歩いて二分のホルモン焼き屋などに行って終わると思う。」 —『カラダは私の何なんだ? (河出文庫)』王谷晶著 「実家で暮らすアラウンド古希の母が最近着物にハマっている。と言っても私の千倍くらいアグレッシブでアナーキーな人なので「凜としたニッポンの淑女」的風情は一切なく、ブーツやらベレー帽やらハデなアクセサリーなんかをコーディネートし相当フリーダムに遊んでいる。「この歳になるとあらゆる掟破りが許される」と古希パワーをフルバーストさせ今日も自撮りに勤しんでいるが、確かに、私も十代の頃よりはアラフォーの今のほうが着ている服もファッションに対する考え方も自由になった。いやあ大人って楽しいなあと己のモヒカン頭の伸びかけ部分をしょりしょり撫でつつしみじみしていたら、 Twitterで何かが赤々と燃えているのが目に入った。」 —『カラダは私の何なんだ? (河出文庫)』王谷晶著 「基本的に、趣味でも服でも自分の好きなように好きなことをしていると、それが好きな人が自然に集まってきて結果ハッピーになるが、誰かや何かに合わせようと頑張ると、頑張っただけ他人を自分の意のままに操りたい願望を持つヤバい奴に目をつけられやすくなる。つまり「清楚、まじめ、普通」に見えるコンサバ趣味は決して無難なのではなく、そのガワに引き寄せられて近付いてくるヤバい奴とも渡り合える肝の据わったモンスターハンターこそが着こなせるファッションとも言える。」 —『カラダは私の何なんだ? (河出文庫)』王谷晶著
2投稿日: 2025.08.25
powered by ブクログあとがきに書いてあったけれど、このエッセイは担当編集者さんが「王谷さん、一緒に社会に火炎瓶投げましょう」と言ってスタートしたらしく、もうこの言葉どおり最高でした。 読み物としての面白さは勿論なんですが、最初から最後まで筆者の地に足のついた誠実さがブレることなく底流にあって、その倫理感や価値観を信頼して読めました。 理不尽にとやかく言われたとき、少なくとも「私がいいと思っているんだからいいんだよ!」と心のうちで押し返す勇気になる一冊だなと思いました。
2投稿日: 2025.07.05
powered by ブクログ気づかなくてもいいことに気づかされる本とでもいいましょうか。 世間様はそこまで悪意ばかりでもないような。 いちいち怒っていたのでは身が持ちません。 いいやん、それくらい〜と思ったらダメなのでしょうか。 ツイッターという顔の見えない世界にいると、卑屈になりがちで言葉もすごく乱れるのかなと、ごめんなさい。あまり好きな世界ではありません。
0投稿日: 2024.07.12
powered by ブクログ2019年に発売された『どうせカラダが目当てでしょ』を改題・加筆した文庫版です。 あとがきで著者が、「どうっすか、世界。ちょっとはマシになってますか」と問いかける部分がありますが、回答としては「いや、この本全然まだまだ賞味期限ありそうです」といったところでしょうか。 女性の肉体をパーツごとに(声、顔、目、足、爪など)論じたエッセイを集めたものですが、主軸となっているのは社会から押しつけられる「女性」についてです。 足に履くストッキング、ネイルアートに向けられる歪な視線、髪型に投影される恋愛模様、「女性はいい香り」の勝手なイメージなどなど、本を持ったまま頷きすぎて首が痛いくらいの話が大盛りになっています。 (ちなみに私は、スーパーマーケットですれ違った見知らぬ爺さんから、「女はクサイなぁ!」と大声で言われた経験があります……凄いびっくりした) 裏を返せば、男性も「甘い物を食べない」とされた時代があって(今や古い話ですが…)、「男らしさ」「女らしさ」を定義することって、いったい誰が得をするためのものだったんだろう? とさえ思わせられます。 服装から始まり、趣味、食べ物、性格、声、果ては匂いまで、「男はこう」「女はこう」という紋切り型に当てはめ、そこからはみ出したものを叩くという構図は、現代から思えば本当に滑稽(だし誰も得をしないもの)でしかありませんが、残念なのは今現在もひっそりと、そういった価値観が生き延びていて、ふとした瞬間に顔をだすところ。 よくよく考えてみれば、確かに現代は2019年当時と比べればジェンダーレスに寛容な世界にはなりましたが、未だに男女がコーヒーとカフェラテを頼めば女性側にカフェラテが置かれる、みたいな現象も良く聞きますし、香水だって男性用と女性用がありますよね。 その垣根は低くすることはできても、完全になくなることはないのかもしれません。 男女ともに、一度は読んでゲラゲラ笑い、その後じっくりと考えていただきたい一冊です。
6投稿日: 2024.06.10
