
総合評価
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powered by ブクログ紫式部と藤原道長の関係について、信頼できる史料を基に論じている。源氏物語執筆の背景にいた道長の存在が興味深い。
0投稿日: 2025.02.27
powered by ブクログ小右記ってすごいな!道長周辺以外のこともそんなに細やかに記録を!とびっくりしてしまった。ロバート秋山が名演技だったと聞くのでいつか見てみたいな。しかし歴史考証担当でもある方が藤原道長と紫式部の恋愛をきっぱり否定してたりするのはやっぱりちょっと面白い。制作中色々あったのかしら。紫式部の生没年の話と、紫式部がいなければ道長の栄達もなかったよ、のあたりはなんだか納得いくようないかないようなという感じ。
0投稿日: 2025.02.04
powered by ブクログ2024年は大河ドラマ「光る君へ」にどハマりした1年だった。歴史の方も知っておきたく、大河の時代考証をしている倉本先生の本としてこちらを読んでみた。 ドラマのスピードと同じペースで読んだので結局1年かかってしまった。このタイプの本を読むのはおもしろいけどけっこう疲れる。 とはいえ、おもしろかったなー。実資様の小右記の偉大さよ。平安貴族みんな、公にする前提の日記を書いていて、そして実資が緻密に記録していたからこそ千年前の暮らしや人間の姿、性格までもわかる。すごいな。 他にも平安貴族のことがもっとわかる本を読みたい! ゆっくりと読み進めたいと思いました
0投稿日: 2025.01.01
powered by ブクログ大河ドラマの時代考証された著者、内容はもちろん巻末の内裏図、ドラマ観る前に読んでおけばきっと更に深く楽しめた。
0投稿日: 2024.12.26
powered by ブクログ2024年の大河ドラマ「光る君へ」を見ていた関係でドラマの時代考証担当である著者の本が気になり手に取ってみた。倉本氏の本はこれで2冊目になる。藤原道長があれほどまでに権勢を伸ばした背景に一条天皇と中宮彰子の結びつきがあるのだが、ドラマでは最初一条帝は定子にばかり熱を上げ、定子が死んだ後もその面影をひきずり、彰子の方に興味を持つことはなかった。しかし彰子の女房である紫式部が『源氏物語』を書くことによって、物語の続きが気になりだんだんと彰子の元に通うようになる、という描かれ方をしていたように思う。この本でもそこは大体似たような描かれ方をしている。しかしドラマであるような道長と紫式部の関係は多分なかっただろう、と思われる。絶対にないとは言えない。が、むしろ紫式部は取次役の女房として実資と顔を合わせる回数の方が多いとも書かれていた。ドラマはドラマとして楽しむ分にはいいが、やはりフィクション。そして実際の歴史も調べてみると意外な事実が見つかり、また違った面白さがあるなと思った。詳細→ https://takeshi3017.chu.jp/file10/naiyou33802.html
0投稿日: 2024.12.15
powered by ブクログ著者の倉本氏のXをチェックしているのだが、最近この「紫式部と藤原道長」を読み終わった、という読者を多数倉本氏がリツイートしていて、しばらく積読しておいたのを読み始めた。同じ倉本氏の「藤原道長の日常生活」は途中で挫折してしまったのだが、これは一気に読み通すことができた。 何故って、いやもう「光る君へ」のおさらいだったのだ。ドラマを見ていたので、場面を思いだしながら読んだので読み終えられたのだと思う。そう、「光る君へ」はポイントは史実を押さえていた。道長部分、紫式部部分、天皇部分が交互に史料によって記述され、それはまさにドラマも同じ展開。 最初の弁から、紫式部と藤原道長のリアルな生涯を、確実な史料のみによって時系列的に復元してみたい、とある。また二人の接点と交流についても、当時の政治情勢や後宮情勢とからめながら、できる限り可能性を探ってゆく、としている。史料によれば、ドラマのような二人の「愛」は存在しないが、そこがドラマのおもしろさなのだと思う。 基本は「小右記」「権記」「御堂関白記」だがその他もろもろの歴史資料も参照しつつ、記述は倉本氏の文と、史料からの参照文で構成し、参照文のあとには必ず出典をカッコで記す。でもこれがうるさくなく、かえってああ、これに記されているのか、と納得する。また『「源氏物語」と道長』として1章さき、物語の記述と現実の宮廷模様との交差を考察している。史料の引用部分はすべて現代語訳で引用されていたのでわかりやすかった。 巻末には現在の地図に当時の平安京の区割り地図があり、道長や紫式部、内裏、実資の家などが記されているのでこれも助かった。 倉本氏の過去の著書 「紫式部と平安の都」吉川弘文館2014、「摂関政治と王朝貴族」吉川弘文館2000,「一条天皇」吉川弘文館〈人物叢書〉2003、「平安貴族の夢分析」吉川弘文館2008,「三条天皇」ミネルヴァ書房〈日本評伝選〉2010、「藤原道長の日常生活」講談社現代新書2013、「藤原道長の権力と欲望」文春新書2013、「藤原道長 御堂関白記 を読む」』講談社選書メチエ2013,などを下敷きとしている、とある。 2023.9.20第1刷 2023.11.21第3刷 購入
12投稿日: 2024.11.10
powered by ブクログ大河ドラマで描かれる出来事を文字で確認できてわかりやすい。 50日のお祝いの宴での、紫式部と道長の詩とか。 耳で聞くより内容が入る。 このふたりの関係、ビジネスパートナーみたいな、とても良い。 大河ドラマでもそうだけど、この本をよんで、道長の捉え方がちょっと変わった。 政のためなら、権力のためなら、何でもする。 そんなイメージでしか無くて苦手だったけど、“情実による我意を張るような”帝の下だったから、作り上げられてしまった道長なのかなと。 今は大好きだよ、道長。
0投稿日: 2024.11.07
powered by ブクログ「光る君へ」のキャストを思い描きながら読んだら、非常に楽しめた。 道長あってこその藤式部、藤式部あってこその道長。 平安時代への興味が高まり、解像度が上がった一冊。
0投稿日: 2024.10.26
powered by ブクログ紫式部と藤原道長 著:倉本 一宏 紙版 講談社現代新書2721 おもしろかった 紫式部は、藤原為時の女(娘)として、確かに存在したそれは、藤原実資が書いた、小右記という資料に、そのように書かれているからであるしかも、彼女は、後世の人から紫式部と呼ばれることになるとは、死ぬまでしらなかったとある本名は不明、彼女の正式な呼称は藤原為時の女であるからだ そういった意味からは、枕草子を書いた清少納言がほんとうにいたかは定かではないそれは、同時代の文献に記載がないからである 源氏物語や、紫式部日記が成立したことも、藤原道長がいなければ成り立たなかったと本書は語る ただ、彼女の詠んだ歌が、いたることにあり、教養の高い女性であったことをうかがわせる 気になったのは、以下です ■生い立ち 父は、学者であり、歌人でもあった母は早くになくなった父は後妻を娶ったが、紫式部は同居しなかったそれは、通い婚であったからだ生年もわかっていないわかっているのは、為時二女であり、貧乏学者の娘ということだ摂関家の子息であった道長とは幼少期にであった可能性はほぼゼロをいっている 紫式部が作った歌の分析があり、そこには恋の影はないが、他人を思いやる彼女の優しさはある 一方道長は、目立った消費はなかったようである ■父為時の出世 花山天皇が即位すると、六位蔵人として、宮中に召され殿上人の一人となるこのとき、後に夫となる、藤原宣孝も同じく六位蔵人に補されている このころ、弟が漢籍を習うにあたって、紫式部の理解が早く、彼女が男だったと、父が言っていたことが、紫式部日記に残っている希代の天才少女であったことを自ら語っているのであるこのことは、源氏物語で引用している文献が、広範な史書漢籍に及ぶことと一致している ■一条天皇の即位 花山天皇が退位し、一条天皇の時代になると、為時は、一気に不遇となる一方で、道長は昇進を始める 21歳にして、父の全盛期を迎えることができ、末子であることが有利にはたらいた そして、道長は、宇多天皇の三世孫にあたる倫子と結婚しているこのことが、道長をさらに出世と、宇多源氏の血と、後見を得ることができた この時期、妻問い婚などで、複数の妻をもっているように伝わっているが、実際は、妻とは同居であり、一人であった人がほとんどである道長には2人の妻がいたが、いずれも同格に扱っている男子が生まれれば、一族の拡大につながり、女子であれば天皇家とめあわせてその勢力を拡大していった 為時は、越前守に任ずるという措置がとられた 為時一家が下向するとき、宮中では刃傷沙汰があった このことで、道長は、運よく政敵を退けることができた 越前からは1年でもどることになるが、今、紫式部公園が、越前市につくられている ■紫式部の結婚と夫の死 越前からもどって、紫式部は宣孝から求婚あったのだろう、26前後と考えられるが、46の宣孝を結婚する 夫婦喧嘩を含めて、二人は、歌のやりとりをしている 紫式部の才女たるゆえんである二人の間には、賢子が生まれ、後に、関白家に嫁ぎ、大弐の三位とよばれる女性である その後、父為時は帰国するも、夫宣孝ははやり病で死去、その後数年は無為にすごしていたようである ■源氏物語 紫式部は、浄土信仰への傾倒、そして、絶望的な男性観の到達について、源氏物語末尾を評してこう語っている では、いったい、いつから源氏物語を書き始めたのであろうかここでは、夫の死後で、出仕以前ではないかといっている当時紫式部は29歳(推定) 源氏物語について中世以降の写本しか存在せず、増補や改作を除いた、紫式部が執筆した原文わからないという根本的な問題がある加えて、源氏物語を記した紙について、2355枚という膨大なものになると予想している 当時紙は非常に高価であろう後年紫式部日記には、道長から、紙、筆、墨、硯の提供があったとの記載がある道長が各所へ紙を差し入れていることは、他にも記載があるこうしたことから、実は源氏物語とは、道長の依頼で紫式部が起筆したものであるという可能性も捨てきれない また、源氏物語とは、恋愛小説でもあるとともに、宮廷を描いていることにも注目される宮廷を描き得るためには、自邸にもどった寡婦の察知できるものではなく、現実の宮廷社会の姿の反映ではないかとも思われるのである ■紫式部の出仕 中宮彰子の下にいつ出仕したかは、記録にはない 1008年12月29日には、出仕の記録があるので、それ以前である 紫式部が出仕したのは、一条院内裏である夫が亡くなってから5年半あまりのことである その採用にあたっては、彼女の文才であったようである 道長のねらいとは、彰子を通じて、物語好きな一条天皇を彰子のもとに頻繁に通わせ、皇子懐妊の機会をうかがったのではないだろうか しかし、紫式部にとっては、宮中はどうも居心地がわるかったようで、なげくような歌が残っている また、彼女には、清少納言がライバル視してあった 定子サロン+清少納言+枕草子であるが、彰子に出仕していたころは、既に定子はなくなっており、清少納言とは顔を合わせることはなかった 彰子は、懐妊し、その様子を、紫式部日記に記載がある宮内庁の写本がのこっているが、誤字誤脱が著しく原日記としての信用性も低いし、彼女に手ではないかもしれないただ道長としては、彰子の懐妊の儀式について詳細な記録を残したかったようで、その結果である 結果、彰子は国母となる彰子は、後一条、後朱雀二人の天皇の母となったのである 彰子は、源氏物語の書写を用意、一条天皇へのお土産にする当時すでに、源氏物語には、草稿本、中書本、清書本という3つの親本が存在していた 三条天皇の代にかわり、彰子は皇太后となり、紫式部は彰子との取次役となる紫式部はその任を十分に果たしたようである しばらくは、宮廷に紫式部(女房)の名はみえる以後は、その任を離れたとおもわれる没年は、諸説あるが、 1014年説等々があるが、さだかではない 最後に、本書は、道長なくして紫式部なし、紫式部なくして道長なし といって、千年の後に伝わる源氏物語という名作の存在を歴史上の奇蹟と称している 目次 はじめに 第1章 紫式部と道長の生い立ち 第2章 紫式部と道長の少女・少年時代 第3章 花山天皇の時代 第4章 一条天皇の即位 第5章 それぞれの転機 第6章 紫式部の結婚・出産と夫との死別 第7章 『源氏物語』と道長 第8章 紫式部と宮中 第9章 御産記『紫式部日記』 第10章 三条天皇の時代へ 第11章 道長の世 第12章 浄土への道 おわりに 関係地図(平安京北半・北辺) 関係地図(平安京外) 平安京内裏図 一条院内裏図 土御門第図 略年表 参考文献 ISBN:9784065332542 出版社:講談社 判型:新書 ページ数:336ページ 定価:1200円(本体) 2023年09月21日
19投稿日: 2024.10.19
powered by ブクログ小学生の頃、平安時代にどハマりした自分にタイムスリップして、この本をあげたいぐらい自分が知りたかったことが全部載ってる本です(インターネットもない時代に田舎に住んでいたので、全てを妄想で補完していました)
1投稿日: 2024.09.02
powered by ブクログ想像通りとも言うべきか、大河ドラマ「光る君へ」を熱心に見ている自分にとっての必読書だった。初学者向けで比較的読みやすかった。道長の栄華と紫式部の功績について、一次史料から読み解くことができるとは大変興味深いことだと思った。
0投稿日: 2024.08.31
powered by ブクログ大河ドラマ「光る君へ」の解説本として、ドラマの進行と並行して読み進めている。ゆえにまだ読了前(途中まで)だが、1点先に記しておきたい。 本書、第7章「『源氏物語』と道長」が非常に興味深い。とくに第2節後半で展開される現実の宮廷政治史との対比がとても面白かった。こういう視点を噛み締めながら、源氏物語を楽しみたいと思った。 【追記】ドラマ最終回の日に偶然、移動中の車内で読了。 道長については古い本はよく読んでいたが、上記も含め最近の見解がわかり非常に勉強になった。
0投稿日: 2024.08.25
powered by ブクログ学者さんが書かれている著書だけあって、しっかり1次資料からわかることのみを述べています。 先生も、平安時代の大河は難しいと考えていらっしゃったんですね! 今の大河をどうご覧になっているか聞きたいです。 おそらく、予想の斜め上?の大河かと思いますが、私は好きです。 あと、大河になると研究が活性化されるのがいいですね。
0投稿日: 2024.08.05
powered by ブクログ面白かった けど、理論的で正確であろうとする(そうではないものを腐す)割にそう見えない箇所が多くてどう受け取ればいいのかよくわからなかった
0投稿日: 2024.07.15
powered by ブクログ栄華を極めたような彰子の人生も一個人としては寂しいものだった。夫の一条帝が愛したのは定子であり続けたし、彰子との子は愛情の結果というよりも道長からの圧力だろうし。彰子のサロンも必ずしも栄えていたわけじゃなさそう。枕草子をちゃんと読みたくなった。
0投稿日: 2024.05.26
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
今年の大河ドラマ『光る君へ』のおかげで紫式部と藤原道長、平安文学や平安時代に注目が集まっていて、今、書店では関連書籍が沢山平積みされています。 源氏物語や平安時代が大好きなのでこのチャンスを逃す手はない!と書店巡りが特に楽しい今日この頃です。 さて、本書はそんなドラマの時代考証を担当されている方が書かれた研究本です。 いろいろ勉強になって、フセンを貼った箇所が多すぎてこちらには書ききれないほどですが、特に印象に残ったところだけでも書いときます。。 式部の父である為時の話。 10年ぶりに官位を得、淡路守に任命されるも、それを嘆いた為時の詩を読んだ一条天皇が涙を流し、その姿を見た道長が最上国の越前守に変更したという有名な説話に対しての解説が面白かったです。 変更があったのは事実だけど、実際には、前年から宋の国の人が交易を求めていて、漢詩文に堪能な為時を折衝に当たらせるために淡路守から越前守に変更されたものだそう。 こちらは、一条天皇が詩文を好んだこと、文人を出世させるという聖代感から後世に作られた説話だということです。 「この世をば我が世とぞ思う望月の欠けたる事も無しと思へば」 この有名な望月の和歌は、一般的には驕り高ぶった道長の心情をあらわしていると言われているがそうではなく、たんなる座興の歌であって、深い意味はなかったんじゃないかって。 道長みずから栄華の陰り(十六夜の月夜だったから)を予測したという説も却下されていました。 座興の歌だったのに、私でも暗記してるくらい有名になってしまって、そのせいで後世に生きる私たちは、道長をイヤな奴扱いをしてしまって申し訳ない気持ちに(笑) なんて思ったりもしたけれど、 道長は、相手の意向が自分の意に沿わない場合に、自分の主催する行事を後からダブルブッキングさせ、それぞれの出席者を確認するという政治手法を何度も使っていたそうで、やっぱりイヤな奴でした。 他人を追い落としたり圧力をかけたりしながら最高権力を手に入れたけど、お陰でほとんどの人に不信感を持ち、常に怨霊におびえてる彼は、現代の私の感覚からすると全然楽しそうじゃなさそうでした。 怨霊って結局は後ろめたさに呪われていたってことでしょう。 そんな道長ですが、彼がずっと信用して好きだったのは身内の他は意外にも実資でした(笑)。 小右記(実資の日記)には陰口もあるけど、御堂関白記(道長の日記)には実資への信頼感で溢れていた。。とても意外でした。 あとは、倫子は90歳まで生きたというのにも驚きました! そして最後に。。 (引退した)無位無官の臣下が退位後も政治に関与しつづけるなんて今まではありえなかったのに、道長‐頼道、道長-彰子、道長-後一条の関係を通じて、それが無理なく世の中に浸透し、この前例がのちの院政につながったというのは、なんだかとても複雑な気持ちになると同時に得心しました。いやー面白かった! あ。倉本先生、本書では道長と紫式部の恋愛関係は否定していたのに、大河ではそれ前提ですからね。。複雑な心境をお察しします。
3投稿日: 2024.05.14
powered by ブクログ著者は、10年程前に「藤原道長の権力と欲望」という本を著しているが、2024年の大河ドラマ「光る君へ」の放映を機に、上記の本の増補版を作るのと同時に、新たに紫式部と藤原道長を絡めて書き下ろしたのが本書である。 全体の流れは、タイトルの通り、歴史的な流れに沿って書かれているので、ここでは省略し、歴史的事実という定義について、面白かったので、以下に書いてゆきます。 平安時代の藤原道長の時代でいえば、「紫式部」「泉式部」と称される女性は、確実に存在したが、「清少納言」は100%存在したとは言えないと・・・ 何故かというと、歴史学者は、歴史的な一次資料しか信用していないということなので、そういう結論になるそうです。 この時代の一次資料というのは、藤原道長が書いた「御堂関白記」、藤原実資の「小右記」、藤原行成の「権紀」を指します。 紫式部は、実資の「小右記」に「藤原為時の女(むすめ)」と、記載されているので問題なし。和泉式部は、道長の「御堂関白記」に「紅(こう)式部」として登場している。 清少納言については、交流があったとされる行成の「権紀」にはまったく記載がなく、他の一次資料にも名前が全くないので、100%確実とは言えないという。 本人が書いたと称する「枕草子」に登場するから、実在したなどというのは、歴史学では通用しないそうだ。 但し、確実に実在した紫式部が書いた「紫式部日記」に“散々悪口を”書かれているから、恐らく実在したであろうという程度のものだそうだ。 歴史学というのも因果な仕事のように思えます。
0投稿日: 2024.05.09
powered by ブクログ前に読んだ「千年の読書」にもあった「史料が千年後まで大量に残っているこの国に生まれた幸せ」の一文が320ページにあって 「こういうことか〜」と納得できました。御堂関白記や紫式部日記を 読んでみたくなりました(もちろん現代語訳で…笑)忘れちゃいけない 小右記も。平安時代の皆さん、結構 クセが強く嫌いじゃない!
10投稿日: 2024.05.08
powered by ブクログ著者は「光る君へ」の時代考証を担当されている方。ドラマを意識して、紫式部と道長の人生を並行して記述しているが、あくまで一次資料を基にした史実の記述だけあって、「前半生で2人が交流していた可能性は低い」とつれない。一方で、源氏物語の著作活動は初期から道長の庇護によるものという説を唱えられていて、そのあたりがドラマのベースとなっているんだろうね。 あくまで史実ベースであるが、道長はもちろん紫式部の人間臭さも垣間見れてなかなか面白い。 それにもまして、超有能で代々の支配者に重宝されつつも、やたらと愚痴をこぼす藤原実資がキャラ立ちしている。読んでいると、ロバート秋山の顔が浮かんできて、どうしてもニヤニヤしてしまう。
0投稿日: 2024.05.04
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
倉本一宏先生は言う「紫式部なくして藤原道長なし」 「藤原道長なくして紫式部なし」定子LOVEの一条天皇 が彰子の処へ足を運ぶためには源氏物語の愛読者故と 言えるのであるし、紫式部に依頼、ふんだんに原稿料 (料紙という現物給付)を与えるスポンサー藤原道長 あっての執筆活動と言えるからである
0投稿日: 2024.05.04
powered by ブクログ道長の権力への道程と、紫式部の年譜および源氏物語の見立てを並置しながら、摂関政治と、天皇、関係殿上人の関係を説明。豊富な内容。
10投稿日: 2024.05.02
powered by ブクログ著者は大河ドラマの時代考証を担当しているが、脚本に対して、いったいどんな気持ちでみているのだろう。 それにしても、中学校の国語の授業で清少納言を、「清」少納言と発音した私のことを教師は嘲笑したが、大河ドラマでは名付けの由来などに言及していて、少しばかり溜飲が下がった思いである。 本書では道長への権力の遷移と、紫式部のサロンでの立ち位置など伺えて興味深かった。
0投稿日: 2024.04.29
powered by ブクログ大河ドラマはフィクションなので、真実が知りたくて読みました。官職はさっぱりでしたが、道長のことと、当時の紫式部のことが知れて良かったです。
0投稿日: 2024.03.30
powered by ブクログ紫式部と藤原氏の関係を知りたくて読みました 非常にわかりやすく 紫式部がどういう立ち位置だったのか 藤原氏はなぜ紫式部を必要としていたのか 謎が解けてスッキリしました
0投稿日: 2024.03.25
powered by ブクログ紫式部と藤原道長がこんなにも互いの力を必要とする関係にあったというのは、初めて知った。他の方の感想を読むと、「だいたい知っていることが多い」と書かれているので、この時代にくわしい方にはほぼ常識なんだろう。自分はなんも知らないのねとあらためて思った(^_^;) 大弐三位が紫式部の娘だということも知らなかったし。 こまかいことは読むそばから忘れていってしまったけど、三男の道長が思いがけず藤原家の筆頭になる過程や、そのあともろもろの駆け引きでのぼりつめていく過程など、淡々と描かれているにもかかわらず生々しかった。 あ、あと、病気をするたびに「調伏」して、だれかの怨霊が出たことになっていて、そういう時代ってけっこうしんどいなとなった。……もっとも、現代でもそういう文化の中で生きている人たちもいるみたいだから、人間はあまり進歩してないのかも。
0投稿日: 2024.02.05
powered by ブクログ紫式部と道長の生涯が確実な一次資料のみによって書かれている。著者の別の本で既に読んでいた内容も含まれるが、二人に絞っているので分かりやすい。 ところどころ、これまでの国文学の世界での学説を「どうしたらこのような発想になるのかまったく理解できない」などと否定しているのも新鮮。
0投稿日: 2024.02.04
powered by ブクログ本書は同著者の『増補版 藤原道長の権力と欲望 「御堂関白記」を読む』(文春新書、2023)と内容もかぶっている部分が多いのだが、より紫式部と道長の関係性に焦点を当てたものである。 帯の惹句には『源氏物語』なくして道長の栄華もなかったとあるが、逆もまた然りであり、道長のサポートがなけらば『源氏物語』もなかった。 たとえば本書で述べられているように『源氏物語』に必要と思われる紙の量を確保できたのは最高権力者であった道長あってこそのことであった。こうした著者の歴史実証主義にこだわったアプローチは実に面白い。逆にところどころで国文学系の先生たちの説を「理解しがたい」と退けているが、この新書でも歌の解釈などはそうした国文学系の研究を参考にもしているのだろうから、あまり敵に回さない方が良いんじゃないかな〜といらぬ心配をしてしまった。歌の解釈を通じて紫式部と夫の宣孝とのやり取りを分析してもいるのだし。 個人的には貴族間での権力闘争に対しても紫式部が天性の感性+後宮での経験から鋭く理解をしていたとの話が興味深かった。『源氏物語』もそうした観点から読むことができたら一層楽しいだろうと思う。著者は漫画(ただし良質のもの)でも良いから『源氏物語』は読んで欲しいと述べられている。
0投稿日: 2024.02.01
powered by ブクログ先日読んだ同著者の『増補版 藤原道長の権力と欲望 紫式部の時代』に続き、今年の大河ドラマの「副読本」として読んだ。『御堂関白記』『小右記』などの古記録や『紫式部日記』をもとに、事実関係を年代順に解説している。不明な点の多い紫式部の生涯や『源氏物語』の成立についても、説得力のある主張を展開している。 余談だが、著者の独特な言い回し(〜であるが。)を見るにつけ、クスッと笑ってしまう。
2投稿日: 2024.01.19
powered by ブクログ平安時代初心者の方向けかな、という感じ。 平安時代モノが好きで、色々読まれてる方には知ってる情報ばかりかもしれないが、倉本先生の一次資料で確認できる事柄のみ!というプライドが感じられる。
1投稿日: 2023.12.25
powered by ブクログ”藤原道長の権力と欲望「御堂関白記」を読む”以来 倉本先生のファンなので。 「光る君へ」怖い物見たさでw見るつもりです♪
0投稿日: 2023.10.29
