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ほとんど記憶のない女
ほとんど記憶のない女
リディア・デイヴィス、岸本佐知子/白水社
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総合評価

28件)
4.0
7
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6
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    内容とは関係ないのだが、作者とポール・オースターとのご子息のダニエル・オースターに関するNYTの記事が悲しくて。本書を読みかけで記事を読んで、まだ本に戻ると、見る目が変わってしまう。

    0
    投稿日: 2024.05.05
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    このレビューはネタバレを含みます。

    物事を突き詰めて考える話が多かった。 言葉の意味について、感情について、ひとつひとつ解明していくような文章が多く、こういう視点で内側を見つめていくことで整理されていくのが興味深かった。 感情的ではなく淡々とつづられていて、その手触りはまるで実験のようでもあり独特な雰囲気を醸し出している。 表題作の「ほとんど記憶のない女」は共感する点が多い。そのほか「大学教師」「話の中心」「エレイン牧師の会報」などが好みだった。

    0
    投稿日: 2024.04.14
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    狐に摘まれたようなとはこの読後感にピッタリの感想だろう。物語があるわけではないが、作品ごとに読者である私が受け取り紡ぐ、あるいは想起される出来事が不思議と湧き起こる。ここまで読者に意図的に委ねられている小説は初めて出会ったと思う。 特に今の自分に印象深いのは、「肉と夫」の夫への諦観と突き放し、「私たちの優しさ」の夫の矮小さ、甲斐性なさ、「グレン・グルード」の妻の焦燥感、輝かしい過去への憧憬といったところかな。自分の心情や状況にリンクしてしまう。 読む年代や置かれている状況によって一番刺さる作品は違ってくるに違いない、それほどまでに懐の広い作品群になっている。たった数ページで人間、社会の本質をつくを一文に出会ったらかと思ったら、幻想のように脳裏を掠めていく。去年他の短編小説も白水Uブックスで刊行されているとな。手に取るしかないとな。

    7
    投稿日: 2024.02.13
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    図書館でたまたま手にとってたまたま岸本佐知子さんの翻訳で気になってとりとめなくサラッと読んで、すぐ読めてしまったからきっとおもしろかったはずなんだけど、どんな話たちがあったか全く覚えてなくて、 意図せずしてほとんど記憶のない女になってしまった。 確か、男の人をずっと後ろから街中着いていって観察する女の人の話があってシーフードレストランに行ったりして、ポール・オースターみたいだなとか思ったりしたような記憶ちょっとあるけど、 でもそれもあんまり定かじゃない。

    0
    投稿日: 2023.09.24
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    なんとかっこよく、へんてこで、小気味がよいのか。 世界の切り取り方、唐突な出だし、とてもいい。 一番好きなのは、フーコーとエンピツでした。

    0
    投稿日: 2023.05.21
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    長編の「話の終わり」(https://booklog.jp/users/junsuido/archives/1/4861823056)がなんとも不思議な感触だったので、短編集も読んでみた。短いものは数行しかないし、全体的にストーリー性は薄く、観念的寓話的で、ほぼすべての短編の主体者が何者かをはっきりさせていないというような、なんとも不可思議な短編集でして。 表題作の『ほとんど記憶のない女』は、「仕事はできるが、どうやったか覚えておらず、昔読んだ本にメモをするがそのメモを読み返すと不思議な感覚に陥り、もう一度本を読むと違った感触でメモを残す女」の事が書かれる。私としては自分自身も「ほとんど記憶のない女」と同じだよなあ(仕事ができるということではなくて、忘れて同じ行動をするということがことが)と考えてしまうわけで。 「女」であるという心を表そうとしているのかという短編は他にもある。  孤独でもそこに在り続けるような『十三番目の女』。  なんだか自虐的な『おかしな行動』。  何も起きていなくても毎朝恐怖に怯える女と、自分も本当はそうだからと彼女を抱きとめる人々『恐怖』。  死んだ伯母の恋人だったノックリー氏が気になり追いかけ追いかける女性の『ノックリー氏』。  自分の悪い感情を抑えられずに周りに与える悪影響を憂う『エレイン牧師の会報』。ここで書かれている<たとえ意思があってもそれを行えないのなら、はたして意思を持つことに意味はあるのだろうか。P128><いったいどれだけの怒りを私達は上の子の中に備えてしまっただろう。どれだけの冷酷さをかつて冷酷さのかけらもなかった下の子の心にこれから植え付けていくのだろう。P132>は、私には色々と辛い((+_+)) そんな女性たちには夫や恋人もあるのだが、二人の感性がいつまでも平行線のままという『地方に住む妻1』『肉と夫』『認める』『認めない』など。認めるか認めないかどっちだ!笑  『認める』は、先に女が出ていったのか、男が出ていったのか。いやそうかもしれないけどそもそも原因は女だよね。そうじゃなくてその問題はそれより前に始まっていたんだよね、だからあの日のことは自分のせいだと言うなら、その前のことは自分のせいだと認めなければいけない。でも認めない、今のところは。ということをつらつらと書き連ねられている。  『認めない』のほうは、男は女が自分の意見を聞かないんだと言うし、女はそうじゃなくて男が自分の意見を聞かないと言うし、ってお話。  …結局誰も認めてないじゃん。 これらは人間のわかりあえなさを抽象的に書いたのだと思うが、作者リディア・デイヴィスがポール・オースターの元妻だと知って、「オースターと話が通じなかったのか?!」などと考えてしまった 笑  長編小説『話の終わり』でも恋人や夫婦で共に文筆業をしているが、どうやって書くか、何を書くか、一日にどのくらい書けるかで、女性語り手とその恋人や夫とは違うということが触れられていたので余計にオースターがちらついてしまって。 人間の業を寓話で表現している話もある。  「欠点の多い自分たちには、欠点の多い人間のほうが親しみやすくて安心できる」という『俳優』。  意味のない仕事(生きることの象徴?)を「いつか辞めるけど今じゃない」と繰り返す『服屋街にて』。  人間の軽薄さが垣間見えるような『刑務所のレクリエーション・ホールの猫』。  見られている者は、見られていると分かっていない関係『水槽』。  気分で犬を殴りつけたり撫でたりする『町の男』。  危険が迫っても、現実が厳しくてもただそこにいるだけしかできない話としては『ヒマラヤ杉』『天災』などがある。  『天災』は、「海に面した家は水かさをます水に飲み込まれながら暮らしている。作物が凍ったり道が絶たれたりしながら、でもそこの住む人達はただ死を待つばかりなのだ。」というだけの、生きることへの象徴なのかもしれないが、なんというか身も蓋もない。 実験的な書き方の短編も多い。(全部の短編が実験的とも言えるが)  人々の行動に順番を振ってある『家族』。  物を羅列しまくって読者が「何の話だっけ(ーー?)」となる『この状態』。  楽しい題名のはずなのに、冷たい言葉ばかりが羅列されている『ピクニック』。  自分の行動を並べるんだが多分心の中は題名のとおりなのだろう『混乱の実例』。 寓話のような短編が多いのだが、そのテーマを語るのに、とにかく言葉を繰り返す表現も多い。  『繰り返す』は「旅することは書くことで翻訳することで読むことになる。それなら読むことは読むことであり、読む時は読むだけでなく旅もしていて、旅している時は読んでいるのだから、読むことはよんでよむことである、そして読んでいる時は書いてもいるし翻訳もしているので読むのだ。」と延々と述べて読者を(@@???)にさせる。  『ある友人』『他一名』などもそんな感じ。  『陵辱されたタヌークの女たち』は、そんな繰り返し繰り返しが非常に不毛だがただたただ続ける人たちの寓話。  『下の階から』は、「自分が自分を冷静に聞いたら、自分がその人(自分)じゃなくて良かったって思うだろうけれど、自分は自分なんだから自分のことを聞けないことを悲しんでもいない」のだそうだ。 この短編集で目線の主の名前がはっきりしている唯一の小説は、旅行記のような『ロイストン卿の旅』。だが本文ではできる限り主語は削除しているので、ロイストン卿の経験なのに、ロイストン卿の存在が感じられない。かといって読者がロイストン卿の代わりに旅行に出ている感覚でもないし…。 『サン・マルタン』は、別荘の雇われ管理人として住んだ”私たち”の日々を書いた一応小説風ではある。しかし別荘には二人いるはずなのに”私”と”もう一人”として記載するなど、もう一人の存在をわざとぼやかせているためなんとも不安定な印象に。 小説を書くということを書いている短編もある。  『話の中心』は、作家が話の中心を書こうとしたら書きたいことと違っていて、それとも話の中心ってものがないのだろうかと考えたりする。小説家ではなくても「中心がなくて空っぽなのではないか」という感覚はあるのかもしれない。  『面白いこと』は、作家が自分の小説を書きながら「愛とはややこしいから面白い」と考えそんな話を書きたいんだよなと思っている。しかしこの小説で面白いところはあまりうまく書けていないし、他のところはあまり面白くないし。<でも彼への怒りはたしかに彼女にとっては面白いことだった、なぜなら今となっては、彼への愛があんなに長く続いたことより、怒りがあんなに長く続いたことのほうが、はるかに説明しにくいことだったから。P82>という終わり方は、人間の心理の面白さでもある。 その他の小説のメモ。  語り手の連ねる取り留めのない空想に、現実との境が曖昧になる『大学教授』。  一人の人間にあるたくさんの面を理解しようと努力するんだけど、やっぱり自分も相手たくさんの面を一つの人だと思うことは難しい『理解の努力』。  言葉とはそのままの意味とは限らず、だが相手がその言葉を自分に向けたということに傷ついているという『出ていけ』。  自分の気分なんて世界の中心じゃないんだから振り回されないようになりたい『自分の気分』。

    19
    投稿日: 2023.01.26
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    書くことの複雑さと、生きることにつきまとう奇怪さや困難が結びついた作品が多かったような気がする。その意味で、不条理を体現しているとも思った。 最初の「十三人めの女」に掴まれたし、「サン・マルタン」の袋小路な感じが印象的だった。

    1
    投稿日: 2023.01.12
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    暫く前から、マグリットの≪マック・セネットの想い出に≫が表紙になっているこの本が気になっていた。 51篇の短編が詰め込まれているこの本の最初の物語の冒頭はこうだ。 ---十二人の女が住む街に、十三人目の女がいた。---『十三人めの女』より この不可思議な矛盾はルネ・マグリットが何枚も描いた≪光の帝国≫にみられる 昼間の晴天の真下の夜と似ている。 51篇の作品の中には、30ページ近くの長いものからたったニ行のものもある。 寓話的なものやマグリットのような一見自然にみえるがよく読むと矛盾を孕んでいるというような文章や順番をふられたもの同じ名詞や動詞を多用するもの さまざまなパターンの散文が散りばめられている。 作者のリディア・デイヴィスは1947年生まれのアメリカ人。 大学卒業後はアイルランドやフランスで暮らし、現在はニューヨークで教鞭をとっている。 プルーストの『失われた時を求めて』の第一巻の『スワン家の方へ』の英訳は高い評価を受けたらしい。 本国では彼女の本は5冊出版されているが、日本でははじめての刊行となる。

    2
    投稿日: 2021.12.01
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    Someone recommended this book, but I'm not sure why.

    0
    投稿日: 2021.09.30
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    超面白い! フランス文学の感覚だろうと思う 短編集で、好みは分かれるかと? 歳を重ねるごとに、心に留まるストーリーが変わるような そんな面白さ

    1
    投稿日: 2019.10.29
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    途中断念しました。レビューなどで絶賛されていたので手に取ったのですが、わたしの考える「おもしろさ」とはまた違ったおもしろさだったのだろうと思います。短編集なのですが、編というよりは片。日常のシーンを切り取ったようなシーン(お話ではなくシーン)の集まりですね。文章ではなく、映像で見たらきっと反芻して味わえたのかもしれません。内容はほぼ覚えていません。ほとんど記憶のない女とはわたしのことだったのでしょうかね?

    0
    投稿日: 2019.09.27
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    「読み終わった」には語弊があります。 パラっと何作か読んで、飽きた。評価しません。 最近めっちゃ忙しく、それでも、心の癒しにインスタントな感じで読める名著を探していたら、某所でとっても面白そうなレビューを見つけたので、しめしめと思ったんだけど でも、これ、この本が悪いというより、私が本に求める期待値が高すぎるせいだな。 求めるのはせめて一回衝撃を受けたい。感動でも意外性でも、クオリティの高さでも着想でもなんでもいいから。 これでこれは無理だった。味もそっけもない突飛さは標準レベルの海外文学に散見するレベルのもの、投げっぱなしの不条理感も同左。着想…表題作「ほとんど記憶のない女」の発想って結構平凡じゃないかな。ラテンアメリカ文学くらいぶっ飛んでほしい。記憶がなくて知性のある女の散文じゃつまらない。そこから、記憶のないことは、継時処理的な知性が積み重ならないことであって、同時処理的な知性だけの彼女が、どういった認知特性を持ってくるのか…的なSFまで突っ走ったらすごい好みだったけど、ただ詩的で散文的な雑感で終了…しかもその詩的さも全然抜きんでてない。 悪口ばっかり書いているようで申し訳ありません。悪くないです。よくないだけ。

    0
    投稿日: 2019.02.10
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    内容紹介「とても鋭い知性の持ち主だが、ほとんど記憶のない女がいた」わずか数行の超短篇から私小説・旅行記まで、「アメリカ小説界の静かな巨人」による知的で奇妙な51の傑作短篇集。出版社からのコメント「とても鋭い知性の持ち主だが、ほとんど記憶のない女がいた」わずか数行の箴言・禅問答のような超短編から、寓話的なもの、詩やエッセイに近いもの、日記風の断章、さらに私小説、旅行記にいたるまで、多彩で驚きに満ちた〈異形の物語〉を収めた傑作短編集。カウボーイとの結婚を夢みている自分を妄想する「大学教師」、自分の料理を気に入らない夫の好みを記憶を辿りながら細かく分析していく「肉と夫」、思考する〈私〉の意識とメモをとる〈私〉の行為を、まったく主語のない無機質な文体で描く「フーコーとエンピツ」他、全51編を収録。「アメリカ小説界の静かな巨人」デイヴィスの、目眩を引き起こすような思考の迷路や言葉のリズム、また独特のひねくれたユーモアは、一度知ったらクセになる。

    1
    投稿日: 2018.11.20
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    短編小説集。短編どころか、ひどく短い掌編というか、一、二行で終わるものもあり、小説の多様性を感じさせる。作者が通常の物語を提示することを目的としておらず、その物語が生まれる過程、人間がどのように考え、何を意識して動いていくかを重視するという姿勢だけあって、起承転結がなく、宙ぶらりんのまま終わるような話が多い。禅問答のような話も多い。だが、その筆致は訳者あとがきにも書かれてはいるが、冷たくはなく、客観的に書かれてはいるが、コミカルであり、読むものを引き込むものがある。ポール・オースターと似ているなと思ったら、もともとポールオースターの妻だったようだ。 ___________ 帯に書かれていたように、いつもの日常風景が違って見えてくるような気がする。「体験したあとに、世界が違って見える」というのは、文学作品だけに関わらず、良い文化的作品の基準といってもいいのかもしれない。それにしてもそれはいったいなぜなのだろうか。作品には、世界の一側面を切り取って集中させる機能があり、それによって、人は当然のものとして捉えていたことを新たに新鮮な目でとらえなおす。枠組みを提供し、その中である秩序に基づいた世界(それは秩序を持たない世界という秩序も含む)を示し、作品を見る者、聴く者、(ひょっとすると、食べる者や飲む者、嗅ぐ者という場合もありえる)に何かを気付かせるからではないだろうか。

    0
    投稿日: 2018.08.19
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    図書館で借りて読んだ。 おもしろかった。自分の気持ちにピタリと一致した。 Internet Archiveで原書を借りて、そちらも読んだ。 英語力まるでないんだけど、とても短い小説なので最後まで読んだ。 オレが借りた原書はamazonに載ってるのとは違ってて、緑色の表紙にボンヤリした人の顔が映ってた。 the ecco press社の本だと、白水社のものとは、作品の順番が違ってる。 Meat,my husband「肉と夫」が最初に来てる。 白水社版だと最初に来るthe thirteenth woman「13人めの女」は14ページに来てる。 「13人めの女」は原文で読むと詩みたいなカンジで、言葉の使い方がおもしろい。 Jack in the country「田舎のジャック」も、短いのに、展開がとてもおもしろい。 ひとつひとつの言葉が可愛らしいモノみたいに思えてくる。 Wife one in country p.32 も、すげー笑えた。 アメリカのステップファミリーというか、離婚や再婚を繰り返していくことで家族構成がどんどん変わっていく現実を表しているよね。 future wife threeが出てくるとこで笑った。 Wife one calls to speak to son. Wife two answers with impatience, gives phone to son of wife one. Son has heard impatience in voice of wife two and tells mother he thought caller was father's sister: raging aunt, constant caller, troublesome woman. Wife one wonders: is she herself perhaps another raging woman, constant caller? No, raging woman but not constant caller. Though, for wife two, also troublesome woman. After speaking to son, much disturbance in wife one. Wife one misses son, thinks how some years ago she, too, answered phone and talked to husband's raging sister, constant caller, protecting husband from troublesome woman. Now wife two protects husband from troublesome sister, constant caller, and also from wife one, raging woman. Wife one sees this and imagines future wife three protecting husband not only from raging wife one but also from troublesome wife two, as well as constantly calling sister. After speaking to son, wife one, often raging though now quiet woman, eats dinner alone though in company of large television. Wife one swallows food, swallows pain, swallows food again. Watches intently ad about easy-to-clean stove: mother who is not real mother flips fried egg onto hot burner, then fries second egg and gives cheerful young son who is not real son loving kiss as spaniel who is not real family dog steals second fried egg off plate of son who is not real son. Pain increases in wife one, wife one swallows food, swallows pain, swallows food again, swallows pain again, swallows food again. p.133 Fearには、泣いた。 とても短くて優しい小説。 昨日の夜、これと同じような体験をしたから。8.7.2017. Nearly every morning, a certain woman in our community comes running out of her house with her face white and her overcoat flapping wildly. She cries out, "Emergency, emergency," and one of us runs to her and holds her until her fears are calmed. We know she is making it up; nothing has really happened to her. But we understand, because there is hardly one of us who has not been moved at some time to do just what she has done, and every time, it has taken all our strength, and even the strength of our friends and families, too, to quiet us. p.83 To reiterate reiterateとは「~を何度も繰り返す」という他動詞 Michel Butor says that to travel is to write, because to travel is to read. This can be developed further. To write is to travel, to write is to read, to read is to write, and to read is to travel. But George Steiner says that to translate is also to read, and to translate is to write, as to write is to translate and to read is to translate. So that we may say: To translate is to travel and to travel is to translate. To translate a travel writing, for example, is to read a travel writing, to write a travel writing, to read a writing, to write a writing, and to travel. But if because you are translating you read, and because writing translate, because traveling write, because traveling read, and because translating travel; that is, if to read is to translate, and to translate is to write, to write to travel, to read to travel, to write to read, to read to write, and to travel to translate; then to write is also to write, and to read is also to read, and even more, because when you read you read, but also travel, and because traveling read, therefore read and read; and when reading also write, therefore read; and reading also translate, therefore read; therefore read, read, read, and read. The same argument may be made for translating, traveling, and writing. これって、小説というより、詩みたいだし、言葉遊びみたいなかんじ。 他の作品は、長い小説の一部分を切り取ってきた言葉みたいにも思えるし、クールな感覚で、カッコ良い小説だ。 すっごく好きになった。

    1
    投稿日: 2017.07.06
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     数行のお話から数十ページのお話まであり、内容も寓話あり紀行文あり何でもありの、とても幅広い一冊。主観的な描写があまりないうえに世界観も抽象的で、どう感想を言えばいいのか分からないほどの掴み所のなさだけど、それだけに引き込まれた。

    1
    投稿日: 2015.11.29
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    こんな人がいたらこわい… でも、いそうだし、私にもその片鱗があるかも… するすると情景の浮かぶ、読んでいてたっぷりその世界にいける本。

    0
    投稿日: 2014.08.21
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    普段、心の奥底に潜んでいる悲しい事忘れてしまったはずの傷ついた出来事いつもはりついているような不安。大人になったら自信を持って生きていけると思ったのに、何処かに子供の頃と変わらない臆病な柔らかい部分をひらりと描いてくれた。その高い知性と明晰な言葉でひらりとすくいあげてくれた。大切な作家、大切な一冊になりました。

    2
    投稿日: 2013.12.14
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    このレビューはネタバレを含みます。

    ち、ちょっと手に余るって言うか…手に負えません。 リディア・デイヴィスの頭の中を覗き見ようと、気合いを入れようと、逆に流して読んでみようと、やっぱり理解できないんだから。いや、理解しようなんて考えるほうが間違いだったのかも!センス・オブ・ワンダーの範疇なのかも、ちょっと分からない。でも、分かりづらい世界があるのも、楽しいことなのかも?って思える不思議な短編集でした。

    0
    投稿日: 2013.09.25
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    そっけなかったり、非常に客観的なのだけれど、静かに揺さぶってくる感じ。1ページだけの非常に短いエッセイも多いのだけれど、わたしはそれが特に好きです。

    0
    投稿日: 2013.06.16
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    リズム、ユーモア、奇妙な感触、イタチゴッコの様な可笑しな文章…。 ほぉと唸ってクスッと笑って、時折フワリと感覚に訴えかけてくる、 そんな著書にすっかりヤラレてしまいました。 『私が興味をもつのは、つねに出来事よりも、 その裏で人間が何を考え、どう意識が動くか、そのプロセスなのです。 出来事は、それを見せるための方便でしかない』 こうキッパリと言い切る著者の他作品に興味津々。 今後、未訳作品の翻訳予定もありとの事なので、今からワクワクムズムズとしています。

    2
    投稿日: 2013.03.07
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    岸本佐知子翻訳ということで手を出してみました。 数行から十数ページの、さまざまな長さ、テーマの文章がまとめられています。 琴線に触れる、ようなものもあったものの、全体としてなかなか私の脳みそが追いついてくれませんでした。 ある意味、もっとも理解するのが難しい種類の難解さでできた一冊。

    0
    投稿日: 2013.02.26
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    仏英翻訳家として有名なLydia Davisの短編集。51からなるこの本は著者にとって3冊目の短編集だが、邦訳されたのはこれが初めて。51の短編はすべて長さも一ページに満たないものから、10ページほどのものまで様々で、後半は著者曰くストーリー性のないものであるが、どれも読む者をはっとさせ、疑問を持たせる様な不思議な内容である。Davisの作品は男女の関係を取り扱った物が多いが、一人称で書かれているものですら、どこか第三者的目線で描かれたような冷静さと、距離感がある。その関係について深くは語られないが、その不思議な関係に潜む空間に引き込まれてしまう。

    0
    投稿日: 2012.02.09
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    昔読んだ本で、話の中身は忘れてしまったのだけど、特定のシーンだけが心に残っていることありますよね。この本はそんな断片がたくさん詰まった感じ。

    0
    投稿日: 2011.11.10
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    いろいろな感情や状況や設定を煮詰めて書いている作品。 とても短い話(三行のものもある)ばかりだけれど、おもしろい。短い言葉だけれど、的確に伝えてきてくる。

    0
    投稿日: 2011.09.17
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    ほんの数行、数ページの短編や旅行記のようなものが51編詰まった本。 リズムがすごく心地よい。アフォリズムも好み。 小説は、伝わるならばなるべく短いほうが良いと思っているので、すごく気持ちよく読めた。 ポールオースターと過ごした日々についての短編も入ってます。 ポールオースターも同じエピソードを作品として残しているらしい。

    0
    投稿日: 2011.06.21
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    確かに禅問答のような、詩のような。不思議な感覚になる。 今のところ中でも、「大学教師」という話は意外に!うなずけた。 女がカウボーイと結婚したいと思い込む。ほぼ話はカウボーイと結婚したらという妄想で続く。カウボーイと結婚して暮らしたらきっと馬具に油を塗ったり、素朴な料理を作るのだろう・・・・と。でも女は思う。もしカウボーイと結婚することになったら夫も連れて行こうと。 たぶんこれが夫婦なんだと思う。お互いが一部になって自分でもあり伴侶でもあり一対にいつしかなっているんだと思う。 村上春樹的にいえば「100%の女の子に出会う」というのに近いのではないかと強く思った話。

    1
    投稿日: 2011.06.11
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    数行で終わる作品もあれば、「ロイストン卿の旅」のように30ページの長い作品もある。30ページで長いと思うくらいだから、ほとんどの作品が数ページで終わるもの。 何かうまいオチとかそういうものを求める人には向いていない。訳わからんなあと思って読んでいると時折、ハっとさせられる一文が出てきたり、でもそういうものを求めるのも違うような気がする。いやとにかくこの人は相当変わっているひとだな。 長いものも読んでみたい。

    0
    投稿日: 2011.04.10