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この国の危機管理 失敗の本質 ドキュメンタリー・ケーススタディ
この国の危機管理 失敗の本質 ドキュメンタリー・ケーススタディ
柳田邦男/毎日新聞出版
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総合評価

7件)
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    一つの事故は現場の責任にあらず、その背景には社会的、構造的な原因があるとする。福島原発事故についても、原発安全神話に基づき、原発に津波が被り全電源喪失という事態を想定してこなかったという社会的構造的な要因があった。 分析モデルとして引用されていた以下の二つの視点は有用である。 ・事故要因のスライスチーズモデル ・mSHELモデル分析法

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    投稿日: 2025.09.20
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    危機管理とは何かを考え続けている。本書で著者が指摘している事は、一つ一つ胸に刺さる。ただ、どうしてこのような失敗を繰り返すのか?という疑問は、結局一つの解はなく、巨大システムの責任を負う者が過去の事例やリスクの大きさに対して謙虚に受け止めて対処する心構えを持ち、行動するか、にかかっている。肝に銘じる。 著者の作品は他も追いかけておきたい。 気になった箇所を書き留める: - では、線引きなどはしないで、発生確率が「極めてまれ」な事象であっても、すべて防災対策の対象に入れるべきなのかというと、そうではない。事業においてコストなどの現実的な制約は避けられない。問題は、発生確率の大小ではなく、その災害が起きた時の被害の規模なのだ。 <巨大システム時代におけるリスク認識は、たとえ発生頻度が小さくても、一度事故が発生すれば重大な被害が生じるおそれのあるものについては、万全の事故防止策を図るべきだ> この安全思想は、05年のJR福知山線脱線事故の原因に関する運輸安全委員会の事故調査報告書と、東日本大震災から半年後に中央防災会議の「東北地方太平洋沖地震を教訓とした地震・津波対策に関する専門調査会」(以下、地震・津波専門調査会と略す)がまとめた報告書に(それぞれの文言は少し違うが)明記された名言だ。 1. 制度や既往の取り組みを大きく変えることを嫌う。 2. 財政負担が増えることを安易に拒否の理由にする。 3. 人手を食う新しい仕事を引き受けたがらない。 4. 批判や反対論が湧き上がるのを、社会的混乱の増大ととらえ、そうした事態が生じるのを避けようとする。 5. とくに原発については、住民の不安を増大させるような新たな対応を嫌う。 6. 重要な国策として事業を推進する仕事となると、草花を踏みつぶしていくブルドーザーのように取り組む。 7. 費用対効果の評価、効率主義にこだわり、効果が格好よく見える仕事には、積極的にかかわったり支援したりする。逆に成果が見えにくい仕事には興味を示さない。 8. 「できない」「引き受けたくない」という案件については、滔々とと弁舌をふるう。 - その「人間の被害」の全容を明らかにする調査は、この国のこれからの課題とすべきだ。政府事故調の報告書が、「総括と提言」の章の最後に記している提言文を引用しておきたい。 <未曾有の原子力災害を経験した我が国としてなすべきことは、「人間の被害」の全容について、専門分野別の学術調査と膨大な数の関係者・被害者の証言記録の収集による総合的な調査を行ってこれらを記録にまとめ、被害者の救済・支援復興事業が十分かどうかを検証するとともに、原発事故がもたらす被害がいかに深く広いものであるか、その詳細な事実を未来への教訓として後世に伝えることであろう>

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    投稿日: 2025.06.19
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    日本人の「楽観視している者が勇ましく、それが正しい」というような、つまり短期的に物事を見る人が多いことを論理的にダメであると説明していると私は受け止めた。いろいろと事例は積みあがっているのに、勇ましい(短期的な)ことばかりに目が行っている日本はどうなるのだろうか?

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    投稿日: 2024.05.07
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    このレビューはネタバレを含みます。

    現在、柳田邦夫氏のような存在感のあるノンフィクションライターはいるだろうか。日本人特有の危機管理の甘さを痛感するばかりである。昨今のコロナ対応での脆弱ぶりにも目を覆うばかりである。ドイツでの対応ぶりの比較されていたが唖然としてしまう。本書最後にある日本政治に対する分析はうなずくばかりである。政治不信と言われてすでに何十年。この先の日本は大丈夫であろうか?

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    投稿日: 2024.04.20
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    過去記事の寄せ集めながら、柳田氏の本質を突き核心に迫る書きっぷりは変わることなく切れ味抜群。その中でも2・3章が白眉。凶弾に倒れた安倍元首相の早逝は悼むが、1・5章を読んで、それでも国葬を執り行う蛮行に政治家の浅薄さが浮き彫りになる。

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    投稿日: 2022.07.23
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    柳田邦男はノンフィクション作家。「この国の危機管理 失敗の本質」という表題から分かる通り、危機的状況に陥った際の、日本の国としての対応の失敗の状況を描写し、その原因を探ったドキュメンタリーが本書だ。 多くの事例が取り上げられている、ミッドウェイ海戦、水俣病、福知山線脱線事故、鬼怒川堤防決壊、熊本地震等。しかし、本書で中心的に取り上げられているのは、コロナ禍と東日本大震災に伴う東京電力福島原子力発電所事故、特に後者の原発事故問題である。それを、「誰がこんな失敗をした」というような個人的な問題に帰すことなく、システムの問題として捉え分析を行い、本書で語っている。 原発事故で言えば、下記のような分析を行っている。 ①巨大津波の予測の無視と津波被害の減災対策の貧弱さ 岩手県から福島県、茨城県沖で大きな地震が起こり、今回のような津波が起こる可能性があることは、一部の学者等から実際に地震が起こる随分以前から指摘されていたが、それが前回起こったのが1000年以上前であり、古文書記録等もないことから「信頼性が低い、確率が低い」として退けられた。従って、福島・茨城では実際に起こったような津波は発生しないという前提での防災対策がとられたのだ。 ②原発の津波対策の無策と全電源喪失防止策の欠落 「福島原発には津波は来ない」ということは、福島原発の設計の前提となっていた。そのために、4機ある原発炉のいずれかで電源が喪失した場合には、隣の号機から電源をもらえば良い、という設計になっていたし、配電盤に浸水対策はなされていなかった。すなわち、実際に起きたような、4機の電源が同時にすべて喪失することは、設計の前提に全く入っていなかった。 ③放射性物質漏出防止策の欠如 福島に津波は来ることはないので、原発に津波による事故が起こることはない、原発は常に安全であるという前提であったがために、実際に原発から放射性物質が漏出され、付近の住民が避難することは、ほとんど想定されていなかった。従って、避難のマニュアル等がない、地震で道路が通行できないことが想定されていない、重病者の救助が想定されていない、等の問題が次々と発生してしまった。 こういった国家レベルでの危機管理の失敗、戦略・戦術のお粗末さは、太平洋戦争に遡ることができ、そこから何も変わっていないことを指摘している。 筆者は、福島原発事故の事故調査委員会に委員として参加している。筆者はその際に、政府による原発事故被害の全容調査を提言したが、現在でも無視されたままになっている。驚くべきことであるが、福島原発の被害の全容として国レベルでオフィシャルにまとめられた記録は存在しないのだ。そこから、筆者は下記のように述べている。 【引用】 こうした政府の事故や災害による被害の全容調査に対する不熱心さは、なぜこの国の危機管理対策がお粗末かという問題に直結する。戦争で言うなら、一つの作戦に失敗した時、戦略・戦術のどこに失敗の要因があったのか、なぜ重大な損害が生じたのかについて、冷徹に調査・分析をしないまま次の作戦に臨めば、再び惨憺たる目にあうのは必然だ。 【引用】 わが国の危機管理のやり方は非常にお粗末なままである。お粗末であるのは色々と理由があるだろうが、お粗末であったことの理由の分析と対策検討を行わないので、いつまでもお粗末なままである、というのが筆者の主張である。 柳田邦男の本を読むのは久しぶりであるが、非常に読み応えのあるものだった。

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    投稿日: 2022.07.09
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    防災対策とは、人々の命や財産、地域を守る対策のことだ。議論の余地もないくらい自明のことだが、国や自治体の防災対策の実態を見ると、この自明のことがなされているとはとても言えない。 (引用)この国の危機管理 失敗の本質 ドキュメンタリー・ケーススタディ、著者:柳田邦男、発行2022年3月、毎日新聞出版、309-310 不安定な国際情勢、新型コロナウイルスによる感染拡大、多発する自然災害・・・。我が国を取り巻く環境は、常に「危機」に晒されている。この危機に対して、私たちは、日頃から備えをすることができるのだろうか。その答えは、かつての寺田寅彦氏が指摘したとおり、私たちの祖先が経験してきた「過去の危機」から学ぶことができているかである。では、敗戦や東日本大震災における福島の原発事故など、我が国の危機管理は、過去の経験からどの程度、活かされてきたのだろうか。 このようなことを思っていたとき、私は一冊の本に出会った。災害や事故、戦争や生死、言葉と心の危機などの問題について積極的に発言している作家、柳田邦男氏による「この国の危機管理 失敗の本質 ドキュメンタリー・ケーススタディ(毎日新聞出版)」である。手にとって見ると400ページを超える厚さの本であるが、一読の価値がありそうなので、拝読させていただくことにした。 本書は、序章から惹き込まれていく。そのタイトルは「欠陥遺伝子の源流-ミッドウェー海戦、虚構の戦略」である。私の尊敬する野中郁次郎氏らによる「失敗の本質 日本軍の組織論的研究(ダイヤモンド社、1984年)」なども紹介されているが、日米戦史研究をビジネスに活用していくことは、とても興味深い。序章では、ミッドウェー海戦における5つのシーンから、山本司令官を始めとした日本軍の”失敗の本質”に迫る。柳田氏によれば、ミッドウェー海戦における日本側の作戦失敗の要因として、情報戦の問題と慢心の問題を掲げる。特に、山本長官が自分たちの都合の良い想定をし、内なる慢心に勝てなかったところは興味深かった。大にして、危機管理の備えをするとき、私たちは、「自分たちは助かる」といった勝手な思いから、中途半端なものになっていないだろうか。このミッドウェー海戦の事例からも、危機管理の要諦をしっかりと学ぶことができる。 本書にて、柳田氏は、5つの危機管理の原理を掲げている。第一の原理は、「平常時において最悪の事態をリアルな形で想定し、その事態を乗りきる具体的な対策に全力をあげて取り組む」ことだ。この5つの原理は、危機管理をしていく上で、とても参考になる。第一の原理の中で、私は、この「最悪の事態」という表現を用いていることに着目した。先程のミッドウェー海戦における楽観論では、どうしても自分の都合の良いように解釈をしてしまう。東日本大震災では、「想定外」という言葉が使われた。しかし、東日本大震災は、本当に「想定外」であり、あの惨烈な福島の原発事故は避けられなかったのだろうか。 このことについて柳田氏は、様々な公的な議事録などから検証を試みている。そして、財政的理由や、(被害を矮小化して)国民を安心させることなどが優先され、東京電力福島第一原発に対して、日頃から万全な対策を講じてこなかったことが浮き彫りになる。つまり、科学者や学識有識者らが予見した甚大なる東日本大震災の被害想定が見事に消され、ご都合主義の防災対策になってしまったといっても過言ではなかろう。その結果、東日本大震災と東京電力福島第一原発事故に伴う福島県外への避難者数は、2012年年5月時点で、16万4865人にまで上り詰め、多くの福島県民の方々が長期間、故郷を離れざるを得なくなった。 一方、本書では、様々な過去の危機事例とともに、m-SHEL(エム シエル)モデルなどの危機管理分析手法も紹介している。私も初めてm-SHELモデルを知ったのだが、このモデル分析方法では、わかりやすく、使いやすく、事故の構造的な問題点を浮かび上がらせるのに有効であると感じた。具体的に、本書では福島第一原発の発電所対策本部である吉田所長の判断と行動などについて、m-SHELモデルを用いて分析を試みている。そこから浮かび上がることは、福島原発事故が「組織事故」であるということだ。詳細は本書に譲るが、分析結果から、個人のヒューマンエラーというだけでは片付けられない事案であるということが理解できた。 冒頭、本書で印象に残った言葉を記した。この言葉は、今もなお、過去の災害からの反省が活かされていないことを意味する。そして、本書では、災害直後の危機管理のみならず、「災害関連死」についても多くのページを割いている。ややもすれば、災害関連死対策は、各自治体において希薄になっているのではないだろか。それは、各自治体の防災担当者は、震災発災時の対策に忙殺され、震災後の心のケア対策まで至らないことが考えられる。しかし、柳田氏が指摘するとおり、せっかく震災で助かった命が、その後のケアの悪さで亡くなっていく。私は、あまり防災対策として着目されにくい災害関連死対策について、これからの自治体の防災対策として、力を入れていくべきテーマであると感じた。 最後に、本書では、安倍元首相や菅前首相のなど、リーダーの言葉について触れている。私は、柳田氏が提唱した危機管理の5つの原理に加え、リーダーの“コトバ“を第6の原理としても良いのではと感じた。 それは、まさに今、世界に目を向けると、自国の民を救おうと、必死に声を上げ、国民を勇気づける若きリーダーが奮闘している。そして、そのリーダーは、自身の危険を顧みず、諸外国に向け、自国の現状を切実に訴えかけている。今もなお、終息の見えない危機に立ち向かい、ある時は防弾チョッキを着用しながら惨状と化した現場に出向き、またある時は世界に向けSNSで発信し続けるリーダーの姿に、国民は励まされ、世界中の多くの人たちが感銘を受けていることだろう。危機が発生した際、リーダーがどのように立ち振る舞い、周囲の人達と難局を乗り越えていくことができるのか。本書に書かれている、危機に立ち向かう真の政治家、真のリーダーのあるべき姿は、まさにこの若きリーダーのことを言うのだと思うに至った。勇敢に「危機」に立ち向かっていくために、本書では、危機管理の原理、そしてリーダーとしてのあるべき姿を学ぶことができた。

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    投稿日: 2022.04.09