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アンゲラ・メルケル演説選集 私の国とはつまり何なのか
アンゲラ・メルケル演説選集 私の国とはつまり何なのか
藤田香織、木戸衛一/創元社
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総合評価

8件)
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    メルケル氏の首相時代の演説が3つ載っている。 2021年10月3日、首相最後のドイツ統一記念日の演説では、何かにつけ、旧東ドイツ出身、と言われ、それはマイナスの要素として言われる。今だ一員として認められない旧東ドイツの人、という意識が西ドイツ側にある。では、私の国とはつまり何なのか? それは 「皆が常に新たに学びあう国」 「ともに未来を形作る国」  再統一の経験によって、特別な形で自分たちの責任を自覚した。・・共属意識から、変化を受け入れる姿勢と連帯感が育った、と述べる。 自伝の下を読みながら一緒に読む。解説の木戸衛一氏のメルケル氏の略歴がとても分かりやすい。自伝で読み流したところも確認できた。訳者の藤田香織氏のあとがきも演説内容の説明があり、また藤田氏が30年近くドイツ在住ということで肌で感じたドイツでのメルケル氏の文も興味深い。 〇「私の国とはつまり何なのか」 ドイツ統一記念日における演説 2021.10.3 ハレ/ザーレにて (ハレ市:旧東ドイツ)  あと2か月で首相をやめようとする時期、最後のドイツ統一記念日での演説。ドイツ統一は、旧東ドイツ国民の自由への渇望があったからだ、と始まる。それは自分たちの権利、自由、これまでとは異なる社会のためにすべてを賭した旧東ドイツの人々がいたから。また東ドイツのデモ行進はもちろん、中東欧諸国の運動も忘れてはならないと続く。そして米仏英の支援、最後に西ドイツ政府への言葉へと続く。・・統一はなにより東ドイツからの自由への渇望からだったということか。しかし、統一ドイツでは異なる人生を歩んでいた東西の、多様性と相違こそが生きた自由の形の現れなのだ、と述べる。 しかし、自身と同世代の旧東ドイツ出身者は、この再統一したドイツの一員なのだと今でも本当に何度も何度も示さなければならない状態にある。まるでそれまでの歴史、つまり東ドイツでの人生がある種、無理難題の過酷なだけのものであったように。 自身の所属するCDUキリスト教民主同盟の機関誌で紹介されたメルケル氏の来歴に「旧東ドイツで育ったという背景をバラストとして背負い、ドイツ統一の時期にCDUに入党した35歳のメルケルは、当然ながら、最初から旧西ドイツのCDUという土壌で育ってきたような党員にはなりえなかった」とあった、と憤慨する。旧東ドイツでの人生はただのバラスト(船のバランスをとるための重し)だったのか! 演説のなかに今だ心底にある東西の溝をみる。実際旧東ドイツの人の中には新体制になじめず、袋小路に入った人もいた。 また2015の難民受け入れで、それを(間違っていたと)謝罪しなければならないとしたら、『それは私の国ではない』と言ったが、この言葉こそが、メルケルが生まれながらの連邦共和国人、ヨーロッパ人ではなく、見習い中の連邦共和国人、ヨーロッパ人であることが垣間見えた瞬間であった、と言われた。 それをうけ、では一体、私の国とはつまり何なのでしょうか。 皆が常に新たに学びあう国 今年のドイツ統一記念日のモットーにあるように、私たちが「ともに未来を形作る」国、と述べる。 〇「私たちはできる!」 夏季記者会見における冒頭演説からの抜粋 2015.8.31 ベルリンにて  「Wir schaffen das! 」 シリア等からの難民を受け入れることにしたことについて、「私たちはこれまで多くのことを成し遂げてきた。だから私たちはできる」ということでなければなりません。   難民受け入れは、私たちの憲法に基づくもの。 第一に、政治的に迫害された人々には庇護を受ける基本権が適用される。 第二に、それぞれの人間としての尊厳。 〇「私の国の国是」 イスラエル国会(クネセト)における演説 2008.3.18 エルサレムにて  ナチスのユダヤ人迫害は、ドイツ史における道徳的大惨事、と表現し、それに対する永続的な責任を認めることによってしか、これからの未来を人間的に形作ることはできない。人間性は過去に対する責任からはぐくまれる。  イスラエルのユダヤ人のために、そしてパレスチナのパレスチナ人のために、ドイツはこの二つの国が安全な国境を保ち、平和に生活できるというビジョンを断固として擁護します。・・私以前のどの連邦政府、どの連邦首相もイスラエルの安全への特別な歴史的責任を負ってきました。このドイツの歴史的責任は私の国の国是です。 2022.8.30第1版第1刷 図書館 読売新聞オンライン 2022.10.28 https://www.yomiuri.co.jp/culture/book/review/20221025-OYT8T50020/

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    投稿日: 2025.09.05
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    「自由」読了後、スピンオフの一冊。 推敲を重ねた演説だから当然ではあるけれど、一つひとつの言葉が重く感じられる。 もっとも、イスラエルの安全はドイツの国是、という言葉は、もちろんナチの歴史的責任を負う国の発言としては理解できるが、今この時点で考えると、政治の言葉というのはやはり時を経て変わっていかざるを得ないのではないかと思う箇所だった。物理学者として原発の有用性を主張していた彼女が、東日本大震災の後の福島を見て、明確にその主張を撤回し考えを変えたように、時と場合によって、その理由を明確にできるなら発言を撤回したり、変更したりすることも政治家の「勇気」なのだと。

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    投稿日: 2025.06.20
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    ドイツ人でもないのに、ちょっと感動した。日本の政治家でここまでしっかりした言葉を持つ人がどれほどいるだろうか。 「私たちが民主主義を必要としているのと同じく、民主主義も私たちを必要としているのです。」

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    投稿日: 2025.06.02
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    何気なく図書館で借りた本だったけど、読んだらめちゃくちゃ感動してすぐに購入した。 ドイツ初の女性首相、かつ初の東ドイツ出身者として16年間政権を維持したアンゲラ・メルケル氏のスピーチ3本をまとめた本。 メルケル氏のイメージは「国内で反発の声が増えてきた中でも多くの難民受け入れを行い、その必要性を説いた、スキーが好きなおばちゃん」くらいだったけど、解説や役者あとがきでその来歴や政治的な実態が分かりやすく説明されていて、ますます興味が湧いてきた。 ひとつめの「わたしの国とはつまり何なのか」は2021年にハレで行われたドイツ統一記念日(31周年)の講演のもので、ドイツ再統一までの人々の努力を讃え、フェイクニュースなどで怒りや憎しみが煽られていることへの危機感を訴え、また、個人としては東ドイツ出身者として受けた偏見などにも触れて、スピーチ全編に引き込まれた。 ふたつめの「私たちはできる!」は難民受け入れについて、最後の「私の国の国是」は2008年の“イスラエル建国60年“式典に呼ばれたドイツ首相としてのもの。 とくに「私の国の国是」については、現在のイスラエルによるガザでのジェノサイドを思うともやもやが募るけど、「ショアーの記憶」を十字架として背負うドイツの現在のジレンマの理解の一助となった。 これらの講演の内容や、メルケル氏の政治的実績などを未来である現在から振り返ってみれば、決して良いことばかりではなかったけれど、私は彼女が好きになってしまったかもしれない。

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    投稿日: 2024.07.07
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    私たち両国の関係は本当に特別な類なき関係です。過去に対する永続的な責任、共通の価値観、相互の信頼、相互の強い連帯感、そして未来への確信を同じくする関係です。とイスラエルにて語っていた。

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    投稿日: 2022.12.03
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    "ドイツがドイツ史における道徳的大惨事に対する永続的な責任を認めること によってしか、これからの未来を人間的に形作ることはできません。言い換えるならば、 人間性は過去に対する責任からはぐくまれていくのです。" (2018.3.18 Die Staatsräson meines Landes) "出逢いに臆病にならず、お互いに興味を持ち、自分のことについて語り合い、 違いを認めてください。 これが31 年間にわたるドイツ統一からの教えです。" (2021.10.3 Was also ist mein Land?)

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    投稿日: 2022.11.11
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    私の国とはつまり何なのか?「私の仕事とは?」とか「私自身とは?」というように切り口を換えて、折に触れ自分のなかに問いをたてて考えていこうと思いました

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    投稿日: 2022.10.28
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    表紙の顔がいい。 この瞳が見つめているものが何となくわかったような気がした。ドイツ統一を経験し、その意味と変わったものと変わらなかったもの、そしてEUとしてヨーロッパ統一の先に見つめるもの、難民受け入れの理由。 グローバルという概念は、土着島国日本人には、腹の底からの理解は難しいのかもしれない。教育を国ごとにやっている間は、人類に戦争はなくならないと誰かが言っていたけれど、一足飛びにそこまでは行けるわけもなく、でも希望は捨てない。 ・民主主義とはそこにただ存在しているのではなく、私たちは日々繰り返し、ともに民主主義のために努力しなければならない。 ・言葉の攻撃というものはあっという間に物理的な暴力へと行きついてしまう。 ・多様性と相違こそが生きた自由の形の現れ ・思いは言葉に、言葉は行動に移さねばならない。 それでも、自分の属する共同体のことだけを考えるリーダーが跋扈する時代、本当に戦争を起こすリーダーまで出現する時代、人間に未来はあるのだろうか。

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    投稿日: 2022.10.23