
総合評価
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powered by ブクログ漱石について論じた文章が興味深い。 彼が創作の中で何を考えながら、どこを目指していたのかを理解する一助になった。 異国の地で日本文学に思いを馳せ、行く末を案じたという点で、著者は夏目漱石と自分を重ねていたのかもしれない。 「Ⅲアレゴリーとしての文学」は聞き慣れない単語が多く、専門外の論文を読まされているようで私には苦痛だった。 (あとがきによれば、実際著者がイェール大学院時代に書いた論文らしい。門外漢の私が理解できなくて当然だと思った)
8投稿日: 2024.12.28
powered by ブクログ読んでいて成る程と思ったのは、漱石論の二編。 一つは、「見合いか恋愛か-夏目漱石『行人』論」。もう一つは、「「男と男」と「男と女」ー藤尾の死」。 『行人』において、一郎は悩む。「自然が醸した恋愛」と「狭い社会の作った窮屈な道徳」、つまり「自然」と「社会」、〈自然〉=〈ピュシス〉と〈法〉=〈ノモス〉の対立。一郎の狂気とは二項対立のないところに二項対立を見いだそうとするところにある、と著者は言う。何となれば、恋愛が〈自然〉と〈法〉の対立する世界観を前提とするのに対し、一郎とお直がそうであったように、見合いはそうした対立関係にはないから。 お直が答えようもない不可能な問いを一郎が問うことーこの夫婦間のアポリアは、そのまま『行人』というテキストを構成するアポリアである(130頁)。 ウーン、『行人』を読んだのはだいぶ前だが、何だか一郎の心理が分かりにくいのと思ったのは、お直に求めることの、そもそもに無理があったからなのだろうか。 『虞美人草』。後の漱石の作品と異なり、美文調が読みづらいくらいの印象しか持っていなかった。 『文学論』に表れている、漢文学への親しみに対し、英文学への嫌悪。『虞美人草』、特に藤尾に対する扱いに表れているのも、そうした漱石の好悪の感情だと、著者は言う(171頁)。 恋愛を文学的主題とする西洋文学を、漱石がどのように受け止め、作品化していったのか、『明暗』にまで繋がる問題であり、著者が『続明暗』を書くに至ったのも、分かるような気がする。 本書にはまた、「現代思想」に寄稿された、著者の文章で初めて出版されたというポール・ド・マンに関する論説が収録されている。80年代に書かれた思想系の文章と同じく難解なことに加え、ド・マンの仕事自体良く知らないので、正直、興味を持てなかった。
4投稿日: 2022.04.24
