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廃線寸前! 銚子電鉄
廃線寸前! 銚子電鉄
寺井広樹/交通新聞社
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総合評価

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    経営が大ピンチになり真剣に経営改革やってるのに、なりふりかまわず何でもやってしまうのには クスッと笑えちゃいます。ネーミングの付け方は ホントにおもろいです

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    投稿日: 2025.10.29
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    本書に触発されて、気ままに書かせていただきますので、どうかご寛恕願います。 私が銚子に関心を持つ理由は、私の叔父が、銚子電鉄のこと、母校の市立銚子高校(「お山」と呼んでいた)のことなど、銚子について話してくれたからである。叔父の話の記憶や彼が書き残したものを基にして、この文章を書いている。 叔父は東京で生まれた。幼少の頃に銚子の子どもがいない親類の養子になり、お山を卒業するまで銚子で過した。生誕地の東京に複雑な感情を抱き続け、よく夢の中で自分が帰る場所がわからなくなったという。叔父は、養家の近くを走る銚子電鉄の電車の音を聞きながら育った。グォーンという鈍いモーター音。ガタンガタンというレールの継ぎ目の音。電車のトロリー・ポールの先端が発する青白い閃光。仲ノ町変電所の「黒い回転機器」(交流を直流に変換する機器?)の回転音。スピードを上げるとウサギが飛び跳ねるように揺れながら走る旧型電車(デキ3形電気機関車?)。夏の朝、霧が出ると犬吠の霧笛が遠く鳴り響き、昼はきれいな青空が広がった。銚子の夏は「空、太陽、そして海」。電車賃がないときは海鹿島や外川の海水浴場まで歩き、途中の畑でトマトを失敬した。いたずらっ子が線路に石や五寸クギを置くことがあった。線路に子どもがいると、電車はいつもと違う警笛を鳴らした。ある日、近所の〇〇ちゃんがゆっくり走る電車にはねられて騒ぎになったが、軽く頭をぶつけた程度の軽傷で済んだ。外川駅前にお山の憧れの同級生(プール付きの海の家「ハワイ屋」の娘さん)の実家があった。走行中に暇になった車掌さんが新聞(運公表かもしれない)を読んでいたほど長閑だった。しかし、猫が轢かれて体が真っ二つになった光景はトラウマになったそうだ。 Franck Pourcel - Le Ciel, Le Soleil Et La Mer(空、太陽、そして海) https://www.youtube.com/watch?v=tpkjnicb7WI 先に述べたように、叔父には、お山に憧れの同級生がいた。幾人かの男子生徒たちが彼女に憬れていたが、幸運なことに、叔父が最右翼であった。しかしピントが外れていた叔父は、大学時代、「偶像」の周りグルグル回って悶々と妄想の日々を送っていたが、やがて断念して現実に戻り、半導体エンジニアとして就職した。職場で、ある「薩摩おごじょ」と出遭って結婚した。二人の子どもを授かった。叔父が「コケコッコさん」と呼んで頼りにした叔母は、優しく情が深く芯が強い人で、私によくお小遣いをくれた。 叔父はエンジニアから管理職になって適当に働いたが、根が変人だから、50歳の頃に子どもたちが自立すると、さっさと会社を辞めてビル設備管理者に変貌し、東京のK電鉄会社本社ビルで気楽そうに余生を送った。K電鉄会社では、時折り銚子電鉄の「ぬれせんべい」が大量に入荷した。おそらく、お山OBの総務部長の計らいで「ぬれせんべい」を定期購入していたようである。また、銚子商業高校OBの社員が、よく同僚たちをマイクロバスに乗せて銚子まで繰り出して「〇〇いけす」で宴会を開いたそうだ。若い秘書さんたちの信頼も厚かった、と自惚れていた叔父であったが、昨年、75歳で”語るは涙聞くは笑い”の気ままな人生の幕を閉じた。 叔父の養父母が1990年頃に九十九里海岸の町へ引っ越したので、もう銚子の養家はない。叔父は、時々、ストリートビュー(Google マップ)で養家の跡や銚子の街を眺め、かつては賑わっていた銚子銀座がシャッター街になり果てたので落胆した。かつて関りがあった店舗を見ると、お山を卒業した春に憧れの同級生と初めて落ち合った書店の「田中屋」は、駐車場になっている。パイプをくわえたオシャレなオジさんのオモチャの「ながしま」も見当たらない。叔父が腕時計の分解掃除を頼んだら壊れて戻されたという時計屋の「こおしょう」、英語が上手な綺麗な娘さんがいた万年筆屋の「大平萬年堂」、いつも小首を傾げた親切なオジさんの「宝文堂書店」は、みなシャッターが下りている。銀座から少し離れた所にあったプラモデルの「みやいく」は、ベーカリーの「サントノーレ」に変っている。 まるで銚子はベルギー象徴派クノップフの絵「見捨てられた町」のようだ。Al Stewartの曲「The Dark and the Rolling Sea」は、歌詞は銚子と無関係だが、寂れた銚子が奏でる悲しいサウンドのように聞こえる、と叔父は語った。耳を澄ますと、遠く銚子の潮騒が聞えてくるようだ。 Al Stewart - The Dark and the Rolling Sea https://www.youtube.com/watch?v=n6mwCR_Q9fU https://www.youtube.com/watch?v=KuXtNOw5C3c さて、昨今、どこの地方の町でも「まちづくり」(より正確には「まちの復興」であろう)が課題になっている。「まちづくり」に似た言葉に「まちおこし」があるが、少し意味が異なる。 ・谷口庄一氏の説明:「まちづくり」は「そこの土地に住む方々がその土地の歴史や風土を踏まえながら、どういった“まち”を目指すのかを考えながら行うもの」。「まちおこし」は「どちらかと言えば、起爆剤というか、活性化のきっかけをつくるもの」。「まちづくり」も「まちおこし」も、行政が行っても、市民が行っても、企業が行っても構わない。大切なのはバランスよくさまざまなセクターの提案が行える環境が整っていこと。 一見市民が行っているようだか、元をたどれば行政が行っているのをよく見かけるが、これは普通に行われている「行政の施策」と言う。 ・Copilot(MicrosoftのAI)の説明:「まちおこし」と「まちづくり」は、地域の活性化を目指すことでは共通であるが、アプローチに違いがある。 「まちおこし」は、経済的な活性化、地域内のお金の循環が元気になることを目指す。一方、「まちづくり」は、非金銭的な豊かさを内包している点で、「まちおこし」の上位概念とされる。「まちおこし」と「まちづくり」の違いは、「必然性」にある。その必然性は、その地域の「危機感」であり、それが地域で共有化できているかどうかが重要。「まちづくり」や「まちおこし」を考えるときに最も重要なことは、地域の危機感を客観的に分析し、その危機感が地域で合意できていること。 どちらの説明も参考になる。要するに「まちづくり」は上位概念としての戦略であり、「まちおこし」はその戦略に則った戦術(作戦)である。その伝で行くと、銚子電鉄の「ぬれせんべい」は、銚子電鉄の経営再建(銚子電鉄づくり)の戦略に則った戦術の一つと考えられる。 では、銚子電鉄の経営再建の戦略とは、どのようなものか?その戦略は、銚子市の「まちづくり(まちの復興)」の戦略と連動していることが望ましい。もちろん、経営再建は自助努力が基本であり、銚子市財政の「お荷物」にならないことは、関係者の皆さんがよく承知しておられる。 そう言えば、安倍元首相のお友だちの大学が銚子市財政の「お荷物」になっていたが、最近、それが「沖縄の法人」に事業譲渡されたことは朗報である。ただ大学オーナーが変っただけの話で、銚子市の財政負担が無くなったわけではないかも知れない。いずれにしろ、安倍元首相のお友だちの大学から押し付けられた公立大学への移行の要望を、銚子市が回避できたことは幸いである。 「銚子電鉄の経営再建」(銚子電鉄づくり) の調子がよくなるためには、銚子市の「まちづくり(まちの復興)」の調子がよくなったほうが都合がよい。銚子市の調子がよくなれば、必ず銚子電鉄の調子も良くなるわけではないが、銚子電鉄の経営再建のよい追い風になるだろう。調子のよい銚子市になるまでは、「自虐戦術」でも、「ぬれせんべい」でも、「鯖威張るカレー」でも、市民ボランティアでも、何でもいいから駆使して、銚子電鉄が「鯖威張る(サバイバル)」してほしい。 上記のAIの説明によると、「まちづくり(まちの復興)」のために、「地域の危機感を客観的に分析し、その危機感を地域で合意(共有)できている」ことを指摘しているから、改めて市民ボランティアの重要性が浮かび上がってくる。時間と体力が許せば、私もボランティアとして銚子電鉄の保線作業を手伝いたい。それと共に、銚子市の財政再建を重要課題として、関係者の皆さんが日々鋭意努力されておられる。日本の人口減少が止まらない状況において、重要なことは「人口の多寡」ではなく、多くの人たちの頭を絞った「アイディア」である、とエラそうなことを書いてしまった。

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    投稿日: 2025.06.06
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    この著者のパワーが凄いと感じた。 馬鹿馬鹿しいような書き方をされているが、実はとてつもなく大変なことをされているのではないかと思える。

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    投稿日: 2025.02.11
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    すごいなぁ! とにかく廃線だけは避けようとした結果 物販のほうが鉄道業より売り上げ良いんだ〜。 でも、それで地域の足が守れるなら。 第三者が取材したルポじゃなく どっぷり当事者の書いたノンフィクションだから 熱い想いが乗っかってますね。 テツ本だけど、ビジネス書でもあるかな。 絶対「そのまま」は真似できないと思いますが(笑)

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    投稿日: 2021.10.17
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    ふるさと銚子を走る赤字ローカル鉄道・銚子電鉄。著者と銚電のつながりは、2016年に「全米感涙協会」が外川駅=ありがとう駅というネーミングライツの駅を認定したことに始まった。U工務店の経営者が銚電の経営をガタガタにしてしまい、存続の危機が常態化してしまった。そんな鉄道会社を熱意とユーモアで必死に支えている竹本社長と銚電社員の皆さん。まずい棒や映画「電車を止めるな!」の、知っているようで知らなかった裏話を知ることができた。2023年銚子電鉄100周年を笑顔で迎えたいな。

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    投稿日: 2021.06.29
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    銚子電鉄を応援したく、この本を買って読んでみた。地元の活力の一端をになうため、様々なアイデアを実行に移していることがよく分かる。ちょうど、NHKで朝ドラ「澪つくし」を再放送していたので、銚子電鉄をますます応援したくなった。

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    投稿日: 2021.06.10
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     銚子電鉄は、路線延長6.4kmで乗車時間19分のローカル鉄道。経営が非常に苦しくて、いつ経営破綻してもおかしくない会社というイメージがある。鉄道会社なのに自転車操業と揶揄されたりもする。帝国データバンクには「米菓製造」で登録されているという。ようは「せんべい屋」だ。ぬれ煎餅やまずい棒は食べたことはないが、名前くらいは知っている。会社と商品名の知名度は、おそらく全国区だろう。  本書はなかなか大胆な題名だが、悲壮感といったものは無い。サブタイトルにある「底力」について書いてあるのだ。著者の寺井広樹氏は、まずい棒の発案者であり、銚子電鉄のいろいろな企画をプロデュースしてきた人物。まじかで銚子電鉄を見てきており、バカバカしいと思える企画をいかに実現させたか、数々の自虐ネタや暴露話も含めて紹介している。巻末には、社長と市長の対談があったりして面白い。  新型コロナウイルスの流行の影響もあり、銚子電鉄の経営は大変苦しいようだが、「底力」を発揮して廃線だけは免れてほしい。

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    投稿日: 2021.05.21