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言葉が足りないとサルになる――現代ニッポンと言語力
言葉が足りないとサルになる――現代ニッポンと言語力
岡田憲治/亜紀書房
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総合評価

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    ひとつの事実に対して人それぞれの真実が宿る。マスメディアによって踊らされる情報は受け手側の真実へと洗脳する。それほどメディアの力は強く、私たちが峻別するリテラシーの熟練度は学校教育にまで遡る。"真実はいつもひとつ" と豪語するコナン少年はホラ吹きの第一人者であり、初めの関門としてここから現実を見定める鍛練を必要とする。テストに出る言葉だけを鵜呑みにするのではなく、言葉を出来うる限り漫遊することが大切であり、見誤っても良いから発声すると知らなかった世界を体感できる。自らの言葉を己の耳で聞くとわかる瞬間に出会う。そこで知ることがその人の真実なのだ。あらかじめ梱包された真実(もどき)はすぐに飽きる。それが消費社会の真実に気付く。世界はそんな小さな範疇ではないし、言葉は複雑に絡み合っている。"ウケる" "ヤバい" で終えると世界も終わる。

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    投稿日: 2022.05.15
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    10年も前の本なのか。最近の本かと思った。自分自身の言葉が足らないことを見つめ直したい。もっと豊穣な言葉で子供に語りかけないと、と反省。

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    投稿日: 2022.01.24
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    3章の「言葉が感情を形成している」とい文章には非常に強い印象を受けました。感情が先で、その中で言葉を選ぶものだと思っていました。

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    投稿日: 2020.09.08
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    サッカー選手のパフォーマンスと言葉の関係を結びつけて論じたあたり、わかりやすくて面白かったな。なるほど、と思う。言葉にするって、実生活をふりかえってもたいへんなことで、ナチュラルなままでそんなに豊富な言葉がでるわけじゃないんだよね。訓練とか知識が必要、というかね。それをただ単にインテリの繰り言とするのではなく、言葉があってこその現実生活、スポーツのパフォーマンス、芸術の達成なのだ、というつながりが、トントントン、と入ってきて面白かった。  全体的にやや冗長、というか著者の人がノリノリで書いたんだろうなぁというあたりもみられたけど、それはご愛敬だろうね。もっと読まれていい本だと思うけど、そのあたりの削り方かなぁ、なんて、偉そうだね。 いろいろ参考になった。また読み返したいね。

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    投稿日: 2020.05.31
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    なるほどと思った文章 「寂しいときは「寂しい」という言葉を使わないで歌を創る、シナリオを書く、そして小説を産み出すというのが人前で何かを見せる者たちの最低限のお約束だった」 その例として「東京だったョおっ母さん」で説明している。歌詞の中では一言も書いていないが「戦死した兄に逢いに母と二人で靖国神社に来た」ということを、「優しかった兄さん」と「九段」の「桜の下」で逢えるとい表現で示している。「ここが浅草よ。お祭りみたいに賑やかね」という部分は、田舎でひたすら重労働するだけの年老いた母にとって、賑やかな出来事とはお祭りだけであるという、母さんの切なくも慎ましい人生の様相を醸し出している。と言うのだ。 知らなかった、この歌がここまで豊かな表現で切ない気持ちを表していたとは!

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    投稿日: 2019.05.22
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    「言葉が足りないとサルになる」かどうかは分からないが、言葉を話そうして使わないと使えなくなってしまう。 普段からの言葉の使い方しかり、話し方聞き方などを改めるべきかと考えさせる本。 ゆず(歌手)を好きな人は読まないほうがいいです。笑

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    投稿日: 2019.05.19
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    題が辛辣 ワタシはサルか?! 今からよむー 「気持ちにぴったりの言葉を探して体裁を 整える」というやり方を変えて 「とにかくたくさん言葉を使ってみると 不思議とできないと思い込んでいたことが できていることに気がつく」 ふむ。

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    投稿日: 2018.07.22
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    確かに最近、言葉が粗末にされているように感じる。 それには学校教育のまずさも原因のようである。 そして、著者も言う通り、最近の日本語の歌の歌詞の酷さ。 それは私も以前から思っていたことである。 最近の歌の「そのまま」を歌った情緒ゼロの歌詞の多いこと。 薄っぺらくて仕方がない。 それが分かる人には、言葉の重要性が分かるのだろうけれど、あのような歌詞で育った若者達は、なかなかそれには気付かないだろう。 やはり小さいころから豊かな言葉に囲まれた環境が大切なのだと思う。 言葉が気持ちを作り、 バカなしゃべりを続けるとバカになる ということを肝に銘じて、言葉と向き合っていきたいと思う。 あまり集中して読めなかったので、本書は再読したいと思う。

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    投稿日: 2017.01.07
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    言葉で丁寧に伝えることを放棄し出すと、途端に人間関係は薄っぺらいものになっていくと日々感じる。 でも、言葉を紡ぐ訓練って大人になってからなかなか身に着くもんじゃないよな〜とも思う。一生懸命こちらが言葉を紡ごうと努力した時に、それにに対して反応が薄くて言葉が返ってこないとがっかりすることも多いけど、信念を持って、言葉と、言葉が導いてくれる思考に向き合っていきたいと思った。

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    投稿日: 2016.05.18
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    ヤベェ!マジ、チョーヤバくね?などという言葉でしか世界を語らなければ、直ぐに馬鹿になる。言葉で様々な想いや状況を言葉で伝える練習をしなくては。

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    投稿日: 2015.09.01
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    自分がどんなに言葉が足りないか…と思った。若者を笑えない。 声帯を震わせることも大事らしい。もうちょっと意識してみようと思った

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    投稿日: 2015.02.06
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    現代ニッポンと言語力 ― http://www.akishobo.com/book/detail.html?id=464&kw=%E8%A8%80%E8%91%89%E3%81%8C%E8%B6%B3%E3%82%8A%E3%81%AA%E3%81%84%E3%81%A8%E3%82%B5%E3%83%AB%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%82%8B

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    投稿日: 2014.03.22
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    若者同士の会話で登場する「マジで」「ヤバイ」「っていうか」から、インタビューの際によく耳にする「いかがでしたか?」「どんな気持ちですか?」「一言お願いします」といったような画一的な言い回しや言葉のパターン化。こうした現代社会の言語状況に警鐘を鳴らした現代言語論。 中身の無いなぁなぁな意見でその場を片づけてしまったり、お決まりのフレーズで質問をしお決まりの回答を得て仕事をした気になったり・・・大学生、OL、政治家などたくさんの具体的な例が挙がっているため読めば読むほど耳が痛くなります。そして自分の言葉足らずを思い切り自覚した後は、言葉を幅広く活用することのメリットが綴られています。 ”現代言語論”と紹介しつつも、本文は終始口語的に書かれているため堅苦しさはなく、まるで岡田氏のぼやきを聞いているかのようにスルスルと内容が頭に入っていきました。 言わなければ伝わらない。具体的な質問は有益な回答を生む。 読んだ後は、誰かととことん会話をしたくなります。

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    投稿日: 2013.11.22
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    著者は50代の法学部教授。言葉の専門家ではないけれど、近ごろ、なんだか日本語がおかしいと感じている。おかしいというより、若者ばかりか、大人も言葉を使えないことに対して、憤りさえ感じている様子。 刺激的なタイトルも気になりますが、まずは読んでみてください。読者の年齢によっても違いはあるかと思いますが、うなずく部分がきっとありますよ。

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    投稿日: 2013.10.02
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    「ウザい」「びみょー」などの説明不十分な"幼児語"を捨てて、自分の意見を"たくさんの言葉を用いて"説明するべきだ、と著者は説く。 第一章では、今日の大学生、大人がいかに言葉を操れていないかを指摘する。この時点の話はレベルが低すぎて笑ってしまった。これほんまかい、と。 しかし第二章では、思っていても自分の意見を言えないOLの話が出てくる。「あれ、これ僕のことかも…」と不安になり、 第三章では「僕も変わらないと!言葉を他者に届けないと、自分のことはわかってもらえない。たくさん言葉をしゃべろう。」と決意をさせてくれる。

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    投稿日: 2013.04.10
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    ビジネスでも政治でもスポーツでも大事なのが言語技術だ。これを遅そかにすると何をするにも基礎的なことができないから能力が伸びない。言語技術がないといいか悪いか、プラスかマイナスかといった短絡的な思考しか出来ない。

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    投稿日: 2013.01.27
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    体験から得られる感覚の素晴らしさに興奮し没頭していた幼少期。小中学生の頃は、特別イベントがない限り地元で日々を過ごし、友達と話すにも多くの前提環境を共有して少しの言葉で話した。感覚を言葉にして共有する必要性も薄く、言葉より感覚だ!と極論に達していた日々。ごめんなさい、言葉さん...私が間違っていました。 「言葉が足りないと、サルになる」 本能がこの本を引き寄せてくれた気すらします。 導入の学生の話、他人事で笑いながら読んでいました。そして、OLにサッカーに政治。・・・まさに自分事じゃないのか??笑えなくなりました。OLの話もサッカーの話(水泳とかバスケとかグライダーとかだけど)も政治の話も、全部体験してるじゃないか。 この本を電車内で読んでいたら、広告が主張してきてびっくり。 「世界は言葉でできている」 そう、世界は言葉でできている。 そして、「たくさんの言葉が世界を変える」のですね。岡田さん。 言葉は人類に与えられた特権。 言葉を使う素晴らしさをもっともっと堪能したいとおもいます。

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    投稿日: 2012.10.28
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    この本素晴らしい。言葉が足りない事はなんと危険で世の中を緊縮させているという事に気付かされる。ブログやツィッターでなんと語彙の足りない文章を垂れ流している事が多い現代ニッポンの愚か者よ、この本を読んで態度を改めよう。

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    投稿日: 2012.10.20
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    日本人にしかできない〜 からのリファレンス。 話が長くてウゼェと思われたり、周りを巻き込めなくてダサいと思われるの、嫌だから黙って過ごして疲れますよね。でも、抑えるのに疲れるのではなく、正反対に「何でそう思うか」お互い徹底的に知ろうとして疲れようという一冊。多分、上期トップ。 色んな例が取り上げられますが、一番端的だったのは以下のオシム監督インタビューで、サッカーしてるんだからサッカーの話をしようというもの。 「今日の試合の感想をお願いします」という、典型的な日本の記者の質問に対して、「なにをお願いするのですか。ここは教会ではないので何かをお願いするのはやめてほしい。私が何かいうのを待つのではなく、まずは記者の皆さんが考えて欲しい。私が逆に聞きたいぐらいだ。私は何が起こったか全部知っている」と答えました。

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    投稿日: 2012.08.27
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    自分自身も含めて、最近、みんな語彙や言葉数が足りない。 足りないというか、物事や気持ちを、微細に伝える必要を感じなくなっているのかもしれないと思こともある。 私自身も、説明したとこでどーってことないから、まあ、だいたいの言葉で濁しとけってことが多々あったりして、反省。 でもさ、仕事のこととか、親に細かく話したところで、なんの役にも立たないし、むしろ嫌なこと思い出して腹立つし。(これがダメか?) 非常に共感したのは、スポーツ選手に対する質問のレベルの低さ。 そして、優秀な選手たちの言葉での表現の豊かさ。 そういえは、撫子ジャパンの澤選手が、なにかのインタビューで、 「私たちは、サッカーについて話したいのに、聞かれるのは女の子としての質問ばかり(で、うんざり)」と言っていた。 もちろん、世界レベルの選手達の、いち女性としての側面も知りたいとは思うが、試合終了直後に投げかけるような質問ではない。 要は、レポーター達が、まともな質問を出来るほどにはサッカーについて知らないと言うことだ。 また、言葉や表現の種類を多く知ることにより、感情が豊かになるとも書かれている。これには私も全く同感で、だから、子どもの頃から、良質な表現をたくさん使った絵本や図書に触れることが大切だと信じている。 大人になった今も、おお!と思うような表現に出会うと嬉しくなってしまう。 その他、いろいろな角度から、言葉をたくさん使って説明することの効用を述べてくれている。 なにも、難しい言葉で小難しく話すことを進めているのではない。著者は、昔ながらの商店街の八百屋のおばちゃんの伝える力を絶賛している。 興味深い一冊に出会えて嬉しい。 興味のある方は、ぜひ読んでください。

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    投稿日: 2012.01.08
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    その分野で言葉が増えると活性化する。 サッカーが強くなった理由が選手の言葉の量によると言う面白い説。

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    投稿日: 2011.08.23
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    自覚のあるタイトルだったので借りて読んでみた。 話さないと何も言わなくてもわかる間柄にはなれない。 話してもわかりあえないことが多いのに、話さないと 永遠にわかりあえないし、理解するきっかけもできない。 一生しゃべらないでサルのようにオナニーをするだけなら 迷惑がかからない範囲でなら許されよう。 私もこの歳になるまで大きな勘違いをしてきた。 言葉は大切だと思いながら、言葉を使うことを怠けてきた。 勝手に考えて察することが大事で、説明することはそれが できないことの言い訳だと思ってきた。 また、自分のことを察してもらえないことは相手の怠慢であり、 自分のことを説明することはとても面倒ことだと感じてきた。 伝えることは難しい。 でも言葉にして伝えないといつまでたっても伝わらない。 それを怠るとサルになる。 サルをたとえにして、サルには悪いと思う。 著者が言葉にすることの効果を、日本のサッカー、政治、 流行歌に照らし合わせて説明している最後の部分がダレたが、 全体的に心当たりが多い分、興味深く読めた。 「声帯が震えると世界が浮上するよ。言葉の虚しさの話はそのあとで いいんだよ」 言っちゃっていいですか? と前置きして、身もふたもないことを言う人が増えなければ 良いと願うが、何も言わないで「そんなもんでしょ」、「当然」と知った かぶり、察知しているフリをするよりはマシか。

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    投稿日: 2011.07.18
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    極端に語彙が少ない、または極端に言葉数を惜しんで使う若者の例を引かれると気色が悪いけれど、そんな話し方をする人が実在するなら事例としては仕方がないですね。 大学では言葉を覚えてなんぼ、それも社会で使える言葉をだ、という著者の主張はよくわかります。何も「前向きに検討します」式の大人語をおぼえろというわけじゃない。大卒者は自分の考えていることをことを『適宜』『人に伝わるように』言葉化できるようになれというのです。 そんなことは大学出なくたってできるだろうという人には、確か大多数の大学は必要です。でもそれを教えてくれる大学を必要とする若者が、この国にはたくさんいます。そして、大学が確かにその仕事をできるなら、日本も悪いことにはなるまいと思いました。

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    投稿日: 2011.02.16
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    すべてを「ウザい」の一言で済ませてしまう大学生。「いまのお気持ちは?」以外に聞くことができないマスメディア。会議の席で言いたいことはあるのに発言できないOL。問題が勃発するたびに口を閉ざす政治家…。日増しに感じる日本社会の停滞は、言葉が圧倒的に足りないことが原因なのでは?こうした閉塞感を打開するべく、「豊かな言葉とたくさんのおしゃべりこそが、これからの日本を救う」と岡田センセイは立ち上がった。教育現場、会社、メディア、国会など、さまざまな例をあげながら、日本の現状と未来について語り尽くす。言葉の問題をとおして考えた“現代日本論”。

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    投稿日: 2010.11.23