
総合評価
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powered by ブクログ私はこの手の不愉快さは好みではないが,「父」が崩れ去る過程は家父長制に興味のある人なら見る価値はあるか。
1投稿日: 2025.03.16
powered by ブクログ代表作ではあるけれど、ブラックな滑稽さを含んだ奇妙な空間や関係を描き出す初期と、類をみない破茶滅茶で自由な文体で文学史に残る後期の仕事に比べると、過渡期的な中途半端さがあって、他の筆者の作品ほど面白くは感じなかった。 家庭内の不和が延々と続く様を描いているけれども、その内容は他の有体の私小説とは全く異質で、人間対人間の間で常に起きているコミュニケーションの不通が一切の物語的な装飾がなく描写されていて、一読しただけでは何について話しているのか、それが会話になっているのかさえ分からなくなるような感覚を覚える。そもそも、主人公の感情の種類や動き方が全く不明だ(おそらく筆者もよくわかっていないというか噛み砕いて安易な解釈やカテゴリに入れないまま物事を書いているんだと思う)。吉本隆明か誰かが、小島信夫という人間は実生活では人が嫌な気分になるようなこと、普通だったら言わないまま心に秘めておくことをあけすけに本人の前で言い出すような社会不適合な人間だと評していたけれど、それがそのまま執筆の時の態度にも向かっているような感じがする。
1投稿日: 2024.09.17
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
重層的な作品。 ジョージ=アメリカ・占領軍・GHQであったり、妻の時子=戦前の天皇制・伝統であったりなど、あきらかに戦後の日本の体制を描いていると見える。 死んだ時子のいた日本間(アメリカ式の家の一区画である!)に友人の木崎とともに寝に行く息子の良一も示唆的だ。 「家」にめちゃくちゃ執着する。最初の家を、妻=戦前の日本がジョージに寝取られたのちに仮の住処を一度挟んでからアメリカ式の家に住む。ただそのまま乳がんが見つかって時子はどんどん容態が悪くなってやがて死ぬ。妻=天皇がいれば雨漏りもしなかっただろうにと嘆く場面もある。 「家」が文化とか、そういう文化的な伝統みたいなものの暗喩として働いている。その中でうごめくさまざまな登場人物たち。 妻が死んでからは、新たな妻・主婦を探そうとみんなが躍起になる。神としては死んだ天王に代わる倫理的支柱を求める。「魚の眼」に思えるような女性を新たに妻にしようとする。人間化した天皇の個人としての性格は無視して、ただ象徴としての、機関としての主婦を求めていく。 家にいると自由がないと困ったり、やっぱり家にいる方が自由だと感じたり、「家」をめぐって自由に関する意識もねじれている。核家族という新たな形式にも未だ慣れることはない。 しかもこの小説、そういうメタファーを一切とっぱららったとしても面白い。服屋の店員が妻の病名を聞かなかったり、娘の泣くのをちょっとだけ見下したような目線で見たり、そういう人間の美しくない機微を逃すことなく捉えている。大谷さんが玄関で転ぶのを俊介が目に入れてしまうこともそう。 ジェンダー的な読み方もできそう。
0投稿日: 2024.01.06
powered by ブクログものすごく奇妙な文体。妻の不貞がきっかけで…というプロットは濱口竜介っぽくもある。易しい言葉遣いでするする読めるのに意味がわからない。登場人物の思考回路はまったく予想がつかずあれよあれよと別人のように豹変していく。いきなり時間軸が飛んだりするので余計に厄介。
0投稿日: 2023.05.29
powered by ブクログ『アメリカンスクール』の煮詰まった文体から力が抜け、以降小島信夫の作品を彩るのはのらりくらりと抽象的でどこか滑稽な語り口。 転換点とも言える本作の、シリアスな内容なのに笑えてしまうギャップが最高に面白い。
1投稿日: 2022.09.08
powered by ブクログ時子が浮気をし、病気でいなくなって初めて彼女が妻の存在を持っていたことに気づき、自分は家庭の中の夫、父になろうとして「なろう」としている時点で本物ではなく妻からも子供からも空回りして、でも自分の家族は紛れもなくここにしかないという喜劇。(後書きにも喜劇という文字があったけど、読んでて疎外感とかもがく悲しさしか感じなかったけど、思い返してみるとそれは喜劇と呼ぶしかない) 私小説なのかしら。 時子の乳癌が、大丈夫、病室の◯◯に比べればまだ大したことないと思ってる間にあっという間に容体が悪くなって衰えて死んでしまうのが怖かったな。
0投稿日: 2022.05.02
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
たしかに家族の話なんだけど、切り取るところがすごい独特な気がする。自分の家に変な人がたくさんいる。(変人がいるという意味ではない)〈家族としてあるべき姿〉という概念がずっと物語の中に漂っていて、まあ言い換えればそれだけが浮かび上がっているというべきか。 主人公と妻の話だと思って読むから、妻が亡くなってもこの話が平然とつづいていくのがやっぱ変。でもだからこそ、〈家族としてあるべき姿〉が浮かび上がっている気がする。でも登場人物、とくに主人公の気持ちを追うのがむずかしい。 一読したうえでは、おもしろい!とは自信を持って言える確固たる感触は持てていないのだけど、これを読んだ人と語りたい感じはある。
0投稿日: 2021.05.24
powered by ブクログ面白いことは間違いないのだが、その面白さが一体どこからくるものなのか、今ひとつ上手く言葉にできない類の小説だった。 ただ一つ言えるのは、主人公である三輪俊介の内省がめちゃくちゃリアルに感じたいうこと。 そのリアルさというのは、だれもが思っていても敢えて言葉にしないような、でも意識するかしないかのギリギリのところで確実に思っていて、それが明文化されたときに、思っていたことに初めて気がついたように感じるような、そんなリアルさである。
0投稿日: 2019.12.22
powered by ブクログ何だか何がしたいのかよく分からんおっさんは、ある意味シンパシーを感じないこともない。突然怒ってみたり、と思ったらいじけてみたり、妻とも文句を言ったり言われたり、本当に、実にどうでも良いことばかりで、これが2000年後に未来人が戦後の日本人のおっさんがどんな暮らしをしてたかを調べる際には、映画や小説や、はては素人の日記なんかに比べてもリアリティがあるかもしれんけど、言うても面白いかっって言ったらつまらんにょ。
0投稿日: 2019.06.26
powered by ブクログフェミニズムやジェンダーに興味があった頃に、なにかの本で紹介されていて購入した本。 H31.4.30再読。 平成最後に読み終えた本となった。 もう、早く読み終わりたくて仕方がなかった。 文章自体は読み易いので、すぐ読了できたけれども、読んでいて始終苦痛だった。 奇妙で不愉快。 当時まだ主流であった(今だってまだまだ拭い去れない)「家父長制」の崩落が描かれているように感じた。 崩れゆく「家族の形」とか「絆」のハリボテを躍起になって支えている或る家族、という印象。 各々役割を演じながら、そんな自分や家族を相対的に観察して、修正を施そうとしてもどうにも上手くいかない。 綻びは広がり続け、ついには決壊してしまう。 家は欠陥だらけ、妻の病気は進行して死に至り、狂っていく主人公、出て行く息子、噛み合わない歯車があったことで全てが狂ったのか、あるいは全ての歯車がそもそも微妙にズレていたのか。 「主婦」という部品を求めて早急に再婚相手を探す俊介や子供達が恐ろしかった。 いちいち煽るようなみちよも怖い。 こんな複雑な感情を喚び起こす、奇妙な読書体験を提供してくれる本はそうない。
1投稿日: 2019.04.30
powered by ブクログ戦後の空気が色濃い日本のある家族。 アメリカ人と関係を持ちながらも悪びれることもなく、ただただ唯我独尊であり続ける妻。 なんやかや葛藤しながらも、それを受容し続ける夫。 勝手気ままに振る舞う息子と娘。 そして、クセの強い家政婦。 脆いような、実は意外にタフなような家族の関係。 これも一つの家族の形か。
1投稿日: 2019.01.28
powered by ブクログ家に出入りする米軍士官への嫉妬から 家族は仲良くあらねばならないという理想を引っ張り出して 妻を拘束しようとする夫の話 しかし所詮それはプライドを守ろうとする行為でしかなかった ゆえに道化にはなりきれず、お大臣の夢を語るでもなく なにより敗戦国の美徳観念が抑制をかけるのか 何をやってもかっこつけに見えて 妻のみならず、みんなに馬鹿にされてしまう ところがその妻も 米軍士官の誘惑を受けた負い目があるのか あるいは貞節を傷つけられた恥の意識に苛まれてか どうもヒステリーで支離滅裂になっており そのことが小説を悪文に見せてわかりにくくすらしているのだった それでも家長の威厳を保つため、主人公は 家をポストモダンに新築するが まもなく癌で妻が死に 新しい結婚相手を探すうち 要するにわれわれは自由主義と封建主義のダブスタで生きてるのだ 進歩的とはそういうことだ そうわかってきて、生前の妻の偉大さが身にしみると 家政婦の誘惑も目に入らないのだった
1投稿日: 2018.05.05
powered by ブクログ興味を持つきっかけは、福田の採点本。その後もあちこちで賞賛のコメントを見かけ、これは是非読んどかないと、ってことで。『仮往生~』のことがあったから、読むまではちょっと不安だったけど、こちらは良かったです。家父長たる威厳を示したいけど、だんだんそういう風潮でもなくなってきている父親の葛藤とか、一歩下がって支えたい願望もありながら、米人の乱入とか自身の闘病とかでそれどころじゃなくなった母親とか。あくまで会話分を中心に、そこから色んな情景が浮かび上がってきて、読み心地も良好。なかなかに素敵な読書体験でした。
0投稿日: 2017.12.11
powered by ブクログタイトルとはほど遠い、じわじわと家庭が崩壊していく様子を描いたもの。ちょっとしたアクシデント、病気、思い違い、仕事、店員など、なんでもない小さなことが家庭に入り込んで少しずつ歯車が合わなくなっていく。「問題」を無くしていくと最後に残るのは自分だけという不幸。
0投稿日: 2017.09.20
powered by ブクログ主人公がほとんどわけのわからぬ周囲の言説に振り回され、さらに自身の言動に対してすら実感が薄くなる、この愉快な狂気が実に優れている。
0投稿日: 2017.05.23
powered by ブクログ何もかもが噛み合わない。さっぱりした文体と舌足らずで宙に浮いた語りで居心地が悪い。男のエゴ。家の閉鎖性。女性の謎。 勝手な男と、それに対して焦点を結ばない犯行を続ける妻に、昭和の家族の典型的な暗さを読み取ってしまった。
0投稿日: 2015.10.31
powered by ブクログアメリカかどっかで刊行されている世界文学全集的なものには、小島信夫のアメリカンスクールが常連らしい。ということで、代表作を読んでみたが、合う合わないでいったら合わない小説だった。 気持ち悪い読みにくさがあるのは、それぞれの登場人物にまったく共感できないからなんだろう。妻が死ぬ当たりまでは、何か分かる感じがしたんだが、それ以降がよくわからん。というか、この息子と娘がまったく理解できない。娘にいたっては、読み飛ばしたかもしれんが、だいたいの年齢すら不明。なんとも不思議で気持ち悪い小説だった。
0投稿日: 2015.07.22
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
[ 内容 ] 妻の情事をきっかけに、家庭の崩壊は始まった。 たて直しを計る健気な夫は、なす術もなく悲喜劇を繰り返し次第に自己を喪失する。 無気味に音もなく解けて行く家庭の絆。 現実に潜む危うさの暗示。 時代を超え現代に迫る問題作、「抱擁家族」とは何か。 第1回谷崎賞受賞。 [ 目次 ] [ 問題提起 ] [ 結論 ] [ コメント ] [ 読了した日 ]
0投稿日: 2014.11.01
powered by ブクログ保坂和志さんの本が好きだという話をしていたら、小島信夫さんの本を薦められたので、読んでみた。私が保坂和志さんの小説に持っている関心と、小島信夫さんのこの小説では、あまり接点がないように感じたのだけど、小説として楽しんで読んだ。読み進めてわかったのだけど、この小説は保坂和志さんの『書きあぐねている人のための小説入門』に引用があった。 私はあまりこの小説に関心が惹かれなかったので、ありきたりな感想しか持てなかった。一つ思ったのは、この小説の台詞が、時代の差もあるのだろうと思うのだけど、あまり口語で使わない言い回しや語尾だったので気になったのと、誰が喋っているのかわかりにくく感じる箇所が多かった。摩擦の多い人間関係だなと思った。
0投稿日: 2014.05.18
powered by ブクログ私にとって不思議と言うか絶えず落ち着かない異和感を与える小説空間でした。 壊れてしまった家族なのではないのかと読み進むうちに想いました。このようなへんてこな会話って日常生活に起こるのだろうかと想いました。読んでいて楽しい作品では決してありません。なにかしっくり来ないまま作品は終わってしまいました。とにかく今まで味わったことのない作品です。いや、待てよ。似たような作品に出逢ったような気がします。そう、島尾敏夫著『死の棘』での作者とミホ夫妻の会話の雰囲気が朧げに浮かんできました。私の勘違いでしょうか。
0投稿日: 2013.10.11
powered by ブクログ読みにくい。非常にリーダブルな文章なのにも関わらず、読みにくい。粗筋だけ見ると、なんだかその辺のドラマによくありそうな俗っぽいリアリズムなんですけど、誇張された喜劇性と全編を貫く狂気のおかげでなんとも奇妙な小説。わたしは小島信夫の「アメリカン・スクール」を読んだとき、戦後日本におけるアメリカ、その価値混乱のはなしだとおもったのですが、そういうステレオタイプな時代性を読み取る解釈は「抱擁家族」だとさらにしやすい。しやすい、のだけど、なんていうか、それだけではない。家とか、アメリカとか、戦後とか、女性とか、なんかいろんな記号はあるんだけど、そういう記号的読解から零れ落ちていくものがなければ優れた小説にはならない。わたしはもともと悲劇と喜劇が表裏一体になったような物語が大好物なんですが、この小説はその一体性がものすごくおそろしい狂気を招いていて、気持ちが悪いし、こわい。でも敗戦からもこの小説が書かれた1965年からも遠く離れた時代に生きるわたしに、この小説が最も訴えかけるものはそれ。
0投稿日: 2013.07.05
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
へんなひとだー、と思う。書き方がかなり独特。解説に「喜劇性」とあったけど、たしかに。はぐらかすような、ぬめるような、微妙なとちり方したり。うまいことはまってくる時は気分よく読めるのだけれど、ちょっと一読じゃむずかしいかな。だいいち、結婚生活のことはよくわからんし。でもやっぱり妙に気になるところはある。 奥さんが亡くなって、第三部の最後のあたりのセリフなんかちょっと泣けそうだったよ。
0投稿日: 2013.06.30
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
小島信夫『アメリカン・スクール』(新潮文庫)に収録されている短編『馬』が非常に面白かったため、『馬』を長編小説に発展させた『抱擁家族』(講談社文芸文庫)を読んだ。何かを象徴しているのだろうと思わせる箇所はいくつかあるのだが、それが何を象徴しているのか複雑でひどく難解であった。登場人物も狂っている。だが、その狂いの中には、人間の本質的な事柄が描かれているように感じた。何度も読み返したい本だ。今回は第1回としてサラッと振りかってみる。 家族の関係性を主題とした小説である。講演、翻訳で生計を立てる主人公の三輪俊介とその妻の時子、息子の良一、娘のノリ子、家政婦のみちよ、三輪家を出入りしているアメリカ兵ジョージが主な登場人物だ。俊介がアメリカに出張している期間、トキコは家でジョージと情事をしでかす。そのことを知った俊介は、陰部に傷みを感じるようになり、事あるごとに「痛い、痛い」と連呼する。そして、ジョージを家から追い出す。ジョージが去った後、時子はセントラルヒーティングつきの家を建てることを提案する。実際に家が建てられ三輪一家が転居するころ、時子は胸に腫瘍ができ病院で摘出するも、転移していることが発覚する。ホルモン注射を打つも病状は悪化し続け入院する。程なくして時子は病院のベッドで亡くなる。妻、時子をなくした俊介は再婚を試みるも、事あるごとに時子のことを思い出し、再婚することができない。そうこうするうちに息子の良一は家に居づらくなり家出する。 馬とジョージ 短編『馬』においては、主人公に欠けている男性的なものを馬が代替する。一方、『抱擁家族』においては俊介に欠けている男性的なものをジョージが代替する。215項、以下の妻の台詞は、「私はあなたに欠けている男性的なものをジョージで補っていた。本来それはあなたが持っていてしかるべきものだが、持っていないためジョージで代替したのだ」という意図を読み取れる。 「あの男は、ジョージは、あんただったのよ。あんたがジョージだったのよ。私はそういうことは、あんたにいえなかったのよ。あんたなら、そういうふうにいうけどもね」 ジョージはアメリカ人、それもアメリカ兵である。小島信夫にとって、アメリカとは圧倒的な精神的抑圧者であった。それは『アメリカン・スクール』等の初期短編にあらわれている。『馬』という短編が『抱擁家族』という長編に化けたのは、「男性的なもの」と「抑圧者たるアメリカ」が結合したからではないだろうか。 家 時子とジョージの情事を知った俊介は怒りジョージを追い出す。その結果、三輪家には男性的なものがなくなってしまう。そこで、時子はセントラルヒーティングつきの家を建て転居することを提案する。ここで時子は、セントラルヒーティングに男性的なものを付託したであろうことが読み取れる。(暖房と表記せず、カタカナでセントラルヒーティングと表記するあたり、アメリカという要素も付託されたであろう。) 10年前に海水浴に行った後も時子は突然「家」を建てると言い出す。それに対して俊介は以下のようなことを考えている。 いったい、あの海から帰ったあとで時子が急に家を建てたいといいだして、自分に金を都合させて、半年の間に実現させたのは、どういうつながりがあるのだろうか。「家庭の幸福」を求めていたのだろうか。自分の力を見せつけるためにああしたのだろうか。36項 彼女は家庭の幸福を求めて家を建てたのだろうか。短編『馬』においても妻、トキコは家に執着する。あたかも家を建てることによって、建て続けることによって家族は維持されるとでも言わんかのようである。講談社学芸文庫『抱擁家族』の背表紙には「妻の情事をきっかけに、家庭の崩壊は始まった。たて直しを計る健気な夫は、・・・」とあるが、私は『馬』と『抱擁家族』ともに崩壊しつつあるのではなく、時子は、家を建てるという行為を継続することによって、俊介は妻の言いなりになり、建設費用を稼ぐことによって、その都度、「私たちは家庭をやりくりしているのだ」ということを確認して合っているように読めた。逆に言えば、家を立て続けるという行為なくしては家として在りて在ることはできなかったのだろう。彼女は家庭の幸福を求めて家を建てたとも言えるし、読者には不気味に感じさせるほどの強迫観念に囚われ家を建てたともとれる。時子の死後、三輪家に出入りするようになった清水は俊介にこの家を売るようにすすめる。それに対して、俊介は泣くような顔になり売ることを断固拒否する。時子と俊介で築き上げた家が俊介にとっては、2人の絆そのものであったのだろう。 家を壊す部外者 『抱擁家族』は以下の強烈な出だしで始まる。 三輪俊介はいつものように思った。家政婦のみちよが来るようになってからこの家は汚れはじめた、と。そして最近とくに汚れている、と。7項 そして最後は以下のように終わる。(良一が家出をした後) 「こんどはノリ子が・・・・・・」 ノリ子が出て行くことはあるまいが、その代り・・・・・・。俊介は外へ出ると、坂を走っておりた。彼の家の犬が吠えだした。山岸を追い出すのだ。いや、その前にみちよを・・・・・・ 時子はそうでもないが、俊介は時子と子ども(良一、ノリ子)以外の全ての人間が三輪家を崩壊させる醜悪な者であるかのように捉えている。そういった例は挙げ出せばきりがない。時系列的には、「家政婦みちよの出入り→ジョージと時子の情事の発覚」であるがゆえに、俊介は時子の浮気が原因で外部の人間を家庭を壊すファクターと捉え始めたわけではない。俊介は外部を排除することによって内部の凝集力を高めようとしたのであろうか。この論点に関しては特に、納得のできる推論に達することができなかった。次読むときはこの点を注意して読みたい。
0投稿日: 2012.09.14
powered by ブクログ登場人物を突き放したような文体、台詞が多い割に淡々と進んでいくストーリー、感情移入しにくい登場人物、噛み合ない関係性。 薄気味悪さのある歪な小説だと思う。
0投稿日: 2012.08.08
powered by ブクログ「キャラ(=類型)」がない小説、つまり徹底的に「他者」しかいない小説。この小説での「他者」とは、言葉が通じない、何をやっても通じ合えない、付き合ってると「あんなことが起こったり、こんなことが起こったりするう!」めんどくさい人のことであり、そいつとの間では予定調和な会話やセックスなどない、例えば、妻であり、子供であり、アメリカ人であり、時には自分自身でもある人のことである。キャラ萌えする小説なんか糞喰らえ、こういう小説がもっと読みたい、そう思わせる傑作。
0投稿日: 2012.05.25
powered by ブクログ妻の浮気から少しずつ家庭が崩壊していく、不気味な小説。はじめは妻のわがままさが目につくが、徐々に、夫の俊介が狂っていることに気付く。何を考えているのか分からず、行動が読めない。
1投稿日: 2011.10.30
powered by ブクログ読んでいてこんなに不愉快になる本はないかもしれない。感情と行動がちぐはぐで、それは周りとのコミュニケーションも同様、噛み合わない。 人生なんてこんなものかも。他人からみたら滑稽なのだ。 この不愉快さはリアルだ。
1投稿日: 2011.07.13
powered by ブクログジョージとの情事……。・・・・・・スマン・・・読んでいて感じるのはちぐはぐとした感じ、でしょうか。作中で、俊介は果たして、「コミュニケーション」というものが一度でも成功したのだろうか?妻とも、息子とも、再婚相手候補の女性たちともろくに意志の疎通ができていないように映る。それにしても良一の「はやく主婦をつれてこいよ」という台詞にはショックでしたね・・・。彼は最後、家を出て行きますが、彼がまともな「家庭」を築けるとはとても思えない。
0投稿日: 2010.10.16
powered by ブクログ妻の情事に端を発し壊れていく家庭を、喜劇的に描く悲劇。 読んでいて不愉快になる。 情事の相手に、いやに勝気で頑迷な妻に、差し出がましい家政婦に、口だけで役に立たない息子に、いやに母親に似てくる娘に・・・・そして、その間で読者と同じく不愉快になりながらも、何とか修復を図り、しかも結局家庭の崩壊を止める事の出来ない、主人公俊介に。 でも面白い。 この本は悲劇だが、登場人物は喜劇的。どこか、ロシア文学っぽい雰囲気を感じさせる(解説もゴーゴリにふれていた。)。 結局この本が面白いのは、そして読者をここまでリアリティある不愉快な気持ちにさせるのは、それだけの普遍性を持っているからなのだと思う。 続編といわれる『うるわしき日々』も読みたくなった。
0投稿日: 2010.06.14
powered by ブクログ▼この本が980円っていう人生はすばらしいね! ▼うちは両親が不仲なのだけど、身につまされた。確かにこんな感じ。仲たがいなんだけど、若干おかしみがあるところがよく書けていると思う。寝取られた妻が病気で亡くなる話なんだけど、しょっぱいのに暗すぎない。子どもが出て行く悲劇的なのに、三流ドラマみたいになってない。そして、リアリティがある。▼家族というあやふやなものを、何か物に託したいっていう主人公の気持ちが、わかるだけに哀しかった。「塀を作りたい」とか、私だってもし夫なら言うかもしれない。 ▼あと、作家案内と解説がかっちりしているのにも好感が持てたりして。(10/3/4 読了)
0投稿日: 2010.03.04
powered by ブクログなんじゃこりゃあ! ドロドロどろどろの修羅場満載。 ジョージ登場から、この家族は一気に崩れおちていってる。 不倫したと思ったら、死ぬって!妻!いきなりすぎだよ! そして新しい妻を探すのも早すぎだろ!夫! 子どもたちはグレる。 結局崩壊ーどーん。
0投稿日: 2009.10.13
powered by ブクログ3度目か4度目の再読、は再読とは言わないか。 何度読んでも少しも減らない、この凄さと面白さはなんだ。 読んでいる時間は自分の時間なのに、 その流れも変えてしまうような不思議な時間感覚が生まれる。 小島信夫は天才なの?
1投稿日: 2009.01.30
powered by ブクログはじめのあたりは外国人とねんごろになった妻に右往左往する夫の姿に焦点が絞られていて、奔放な女に対する嫌悪感や情けない男への苛立ちを感じつつ読み進める。このあたりは『痴人の愛』なんかと似た感触かもしれない。その後夫婦の問題は一旦回復、「夫婦がプールで泳いでたわむれている。それから芝生の上で抱擁しながら倒れる。しばらく横になっている。彼女の贅肉の一つ一つにじかに感じているのだが、空想の中では、俊介も妻も贅肉をおとしてずっと若々しい。…それから寝室、自分は彼女を子供のように抱いていたい。…何か睦言をしよう。騒々しいのはごめんだ。静かなおしゃべりなら大歓迎だ。将来の話は淋しすぎるし、ずっと二人が知り合う前の過去の話か、よその家が上手くいっていないことについての噂話。しかし、それでも楽しいではないか」という限りなく理想的夫婦像、ハッピーな中年の生活が描かれる。その直後、乳がんの発見、入院、死という目まぐるしく展開する過程の中で問題は家族全体にシフトしていき、江藤淳が「「父」の喪失」と表現した作品全体の空気がクリアになっていく。 江藤の言う家父長制度に支えられた戦後日本の核家族像の崩壊というこの本のとりあえずのところの主旨は、建築的話題としても面白く、ネタとして「使えそう」な箇所を引用しておく。 *(妻を亡くした後、俊介の思考) 誰か他人がいなければ、他人がいなければ、… *(母を亡くした後、一人で寝ることできずに俊介と同室で寝ていた娘=ノリ子の科白) 「お父さん、私はお父さんから離れて、自分ひとり生きることを考えないといけないと思うわよ。自分で自分が分からなくなるんだ。お父さんの言いそうなことを言ってるんだ」 「お前が鍵をかけたのは、そのためなの」 「そう、このごろ不安なのは、そのことなの。お母さんがいないこともあるけど、大分忘れたんだ。今はお父さんがのぞきに来られると、つらいんだ。お父さんだって、早く独立しなさい、と言ったでしょ。確かにそうよ」 俊介は愕然とした。 *(妻=母の時子の死後) 良一(息子)と木崎(息子の友達)は昼間、リビングルームの椅子の上にひっくり返っている。この二人は日本間からここへ出てくるのである。良一が寝ていると、俊介はかっとなる。木崎が寝ていると、ノリ子はこの部屋に来ることが出来なくなる。 …リビング・ルームに集まるように出来ている家だからだ。
0投稿日: 2009.01.11
powered by ブクログ執筆された1965年周辺において、エポックメイキングになった作品。 大沢真幸氏の本に紹介されていたので読んでみました。 戦後、日本人家庭にやってきたアメリカ人と一夜をともにしてしまう妻。そこから、家族の崩壊が徐々に進んで行き、結局は全てが崩壊の道筋を辿ってしまっていっているような印象でした。 様々な媒体で採り上げられている本書なので、当然ながら「戦後日本とアメリカ」という視点からの通読でした。 非常に解釈が難しい内容だとは思うのですが、日本人としてのアイデンティティの危機、そしてアメリカという存在の大きさ・強さ。作中において、登場する日本人の誰よりも、アメリカ人ジョージが最も「優位」になっているように感じてしまうのは、僕だけではないと思います。 著者があとがきでも書いているように、書かれた当時と今では、当然解釈も違うし、今読めば今に生きる意味がある。 この本は、当時の「日本」と「アメリカ」の関係を、そのまま恐ろしいまでに擬人化したものなのではないでしょうか。この作品を通して、当時の日本とアメリカの関係が、とても明解に見えてくるような気がします。 日本人としてのアイデンティティを考える上では、欠かせない一冊になるのではないでしょうか。 「“あいつ”は日本人の身体を軽蔑したのではないか。情のうすい時子の身体に失望し、馬鹿を見たと思ったのではないか」(p137)
0投稿日: 2008.09.02
powered by ブクログ家族に異文化が介入し 妻が病気になり崩壊していく家族の姿。日本とアメリカというものの比較を取り入れながら、酷なお話のようでいて、その会話術のすごさはもう、すごいすごい、と。夫婦の会話のやり取りがちぐはぐで 小笑いの連続。そして感動も。
0投稿日: 2007.12.06
powered by ブクログこの文体を使ってできることの最高のものではないような。適度な距離感なのか、微妙なのか。時子視点の排除を徹底したほうが面白い?2007.1.2
0投稿日: 2007.01.05
powered by ブクログ最近亡くなりました、小島信夫です。じりじりと迫ってくる力強さが大好きです。家を通して、日本の家族が変わっていく様が面白い。
0投稿日: 2006.11.29
powered by ブクログすごい小説でした。。。小島信夫はすごい。。。なんとなく、途中から何かが破綻している(精神か、あるいはストーリー自体か)ような感じがするのだけど、小説自体は破綻のその先を行っている。こんな小説、これまで読んだことない。。。(06/6/15)
0投稿日: 2006.11.03
powered by ブクログせっかく建てた自宅のつくりを他人にアレコレといちゃもんつけられる気持ちは想像しただけでブルーでアングリーだった。すごい作品だと思うし、『小説』という形で一歩降りてきてくれた作者に感謝!!!
0投稿日: 2006.08.31
