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神の発明 カイエ・ソバージュ(4)
神の発明 カイエ・ソバージュ(4)
中沢新一/講談社
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総合評価

17件)
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    #講談社選書メチエ #中沢新一 #カイエソバージュ 神の発明 スピリットという概念を用いて、キリスト教の資本主義的性格と弊害について講義した本 スピリットの意味を「人間の心の中」と捉えた。当初のスピリットは「超越性」や思考外に導く能力を持っていたが、神(ゴッド)の出現により、スピリットが物質化し、現在は その能力を失っているとのこと 王と国家の発生により、高い対称性を保つスピリット世界が解体し、低い対称性の「神の世界」が出現し、多神教な宇宙が形成される、という流れ さらに、モーセ思想やトーラス型の宗教的思考(一神教の神(ゴッド)だけがみたすことができる)により、多神教が一神教に作り変えられたという論考 「人間の心が神を発明するのである」 「ことばの形成によって、私たちの心が作られた」 神(ゴッド)の二類形 *高神〜非対称、いと高きところ(天空)にいる神、純粋な光 *来訪神〜低次対称、海上冥界、物質性 スピリット世界がつぶれて低次対称性に姿を変え、脳の同じ場所に多神教の宇宙がつくられる 多神教宇宙 *非対称の高神、低次対称の来訪神が共存 *来訪神が、壊れた対称性を一部保存する存在 高神から唯一神へ *モーセ思想〜神ヤハウェを人間との絶対的な距離で隔絶された非対称性の神とし、多神教の信仰を禁止 *高神は人間との間に絶対的な距離を保ち、他の神々を拒絶する「唯一神」に変貌した *トーラス型の宗教的思考(一神教の神(ゴッド)だけがみたすことができる)によって、「メビウスの帯」のような心の働きを維持しようとしてきた心の機構全体が抑圧されたことによって、多神教は一神教に作り変えられた

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    投稿日: 2025.03.13
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    世界各地の土俗的習慣などから、所謂大麻などを利用してのトリップや瞑想などの行動から、人智を超えた次元を見るというか感じる事から、神というものが生み出されて行くという事でしょうか。 初めての分野なので理解が及ばない所もあるが、興味深い話でした。

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    投稿日: 2023.08.19
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    このレビューはネタバレを含みます。

    2003年 中沢新一 心貧しき非対称な現代。自由で豊かなスピリットの危機。 再生、出現させよう、未来のスピリット! NOTE記録 https://note.com/nabechoo/n/nee35c03535d1 『4巻目は、「超越性」の発生。「超越性」の直観は「スピリット」の活動として表現、「スピリット」は様々な名と形で、あらゆる人間の心に住みついてきた。この「スピリット」から、神の形象がかたちづくられていく。 人間の心が神を発明する。「スピリット」に備わった「徳」と「愛」と「超越性」で、唯一神をつくりだす。その結果、現代の「非対称性の思考」が人類の心に生まれる。現代の抱える最大の困難が、そこから発生している。 今の「スピリット」は弱ってる、消費し尽そうとしてる。現代は、人類の心にとってかつてないほどに貧しい時代。しかし、ずっと変わらぬ脳・心には潜在力がある。来るべき未来のスピリットを出現させる他に道はない』 (^_-)-☆ スピリット世界がつぶれて(対称性の自発的破れ)、多神教宇宙がつくられる。 この宇宙は三つの要素でできている。 高次対称性(スピリット)→ 非対称性(高神)+低次対称性(来訪神)+α(残余のスピリット) ・「高神」型 いと高き、天空。垂直軸。高所からの降下。観念の単純さ、表象性なし。純粋な光。「トーラス型」。グレートスピリット、虹の蛇。ウヨク・保守的傾向、父性。非対称性。→唯一神へ、絶対的に非対称な神が出現。世界の姿を変えてしまう力をもつにいたる、一種の革命。 ・「来訪神」型 海上他界、地下冥界。水平軸。遠方からの来訪。豊かな表象性。物質性。「メビウス縫合型」。普通のスピリットたちは来訪神と深いつながり。芸術家・サヨク・トリックスター。低次の対称性。救済者や革命家の原像。

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    投稿日: 2022.05.24
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    カイエ・ソバージュも後半戦である。定常社会(中沢氏の言葉では対称性社会)、国家の誕生、資本主義の誕生と進んできた話は、一神教の誕生となる。 中沢氏の専門の宗教の話で、講義はいきなり宗教儀式でのトリップの話から始まる。そこから、現世人類の脳の話に展開しつつ、宗教論へ。 さまざまなスピリットから、一段高いところにあるスピリットがでてきて、それが神に移行していく。その過程で、対称性の破れが生じて、トポロジカルな転換が生じ、メビウス縫合型とトーラス型の神が出現する。そうだ。 とまあ、物理学とか、トポロジーの喩えを使った説明が分かりやすいかどうかは別として、その主張は、なるほど感は高い。というか、わりと、まっとうな話だと感じた。 で、いよいよ高いところにいる神とその他大勢の神からなる多神教から、一神教がなぜ生じるか、という肝心のところとなると、その説明には、拍子抜けしてしまう。 つまり、トポロジカルな転換が生じるのでなく、多神教的なものを抑圧することによって、一神教が生じるとのこと。 なーんだ。と思う訳であるが、「人間は完全には一神教にはなりえない。なぜなら脳がそういうふうにはできてないから。(また、完全に無宗教にもなれない。脳がそうできてないから。)キリスト教も三位一体の考え方を入れて、多神教性を取り入れる事によって、発展した。そして、資本主義も三位一体とパラレルな構造である」という主張には、一定の納得感があった。 カイエ・ソバージュもあと、1冊。これまでの議論を踏まえて、どういう展開になるのか。楽しみである。

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    投稿日: 2017.05.02
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    「客観的な現実などというものはなく、お互いの会話を通じて共通の認識をつくることができる」という趣旨のことが書いてあり、まったくその通りだと思いました。

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    投稿日: 2016.05.08
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    Mon, 15 Sep 2008 神といっても唯一神に焦点があたる. スピリットとしての多神はどこの文化においても古来から見受けられる. これに対して,ユダヤが生み出した唯一神はどのような相転移を元に生まれたのか?というところに焦点があたる. 中沢氏は読んでいると,純粋にレヴィ・ストロースの構造主義人類学の影響をうけていて,そこに深遠さ, かっこよさがあるんだけど,その後の現代思想的な議論の飛躍を内包している. 本書の議論の中にで「トポロジー」「対称性の破れ」などという,数学的・ 物理学的言語を使って多神教から一神教への流れを切っていくのだが,比喩以上のものがあるのかどうかは非常に怪しいように感じた. 純粋数学とフィールドの現象をマッチングさせるのは構造主義の特徴なので,よいのだが, ブルバギとの交流で四元数を近親相姦禁止のルールの考察というフィールドに持ち込んだレヴィ・ストロースに比べると, フィールドの現象と,上記数学的言語との間の対応が比喩の域を出ていない気がした. ともあれ,一神教が科学的思考,そして現在の非共生型社会の根本に据えられていそうという考えは多くの人が了解するところ. 多神教と一神教の相容れぬ相の違い.この差異を考えることは非常に重要だ. おもしろかった考察は,自然の中にスピリットが潜むという多神教から一神教へ移ったフェーズにおいて,神の位置が街・ 村落の外部にある<自然>から都市の中心に位置する国王の上へと移り<自然>が対象化されたという考え方だ. これは至極なっとくした. まあ,一神教の信者の方には,国王・司教と神様の関係については御異論あるかと思いますが,その辺りは本書にて・・・・. 神様は森の中におらず,国王の上にいるんだから,森の動物や木々,氾濫する川の水は最早,神様の意思ではなく, 統御すべき<対象>にすぎない.その過程で自然に対する畏敬の念は消えたのかもしれない.

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    投稿日: 2014.12.31
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    ようこそ!「精神考古学」の世界へ!!この講義に必要なのは、古代から変わらぬ、あなたの脳と心。 さぁ、ここにあるのはスピリット、あると信じてもらわねば話は始まりませんよ!! スピリットを材料に、いかにして神が生まれたか、精神考古学で解き明かしていきましょう!!という内容です。 文章は講義の内容なので読みやすいです!! ラスト、現代の宗教は無宗教の皮を被った経済主義。知識が権力となり、情報が、物質が最大に価値を持つようになっている、というところに大興奮。

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    投稿日: 2014.11.10
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    「神の発明」という題名に惹かれて読みだした 人間を人間たらしめた創造力がもたらす 姿を持つ肉体と相対する見えない意識の世界を切り口に 歴史を紐解いていく内容も面白いけれど 即興に近い講義のノートを 本にしたという語り口調も軽くて読みやすい 資本主義や経済とスピリットや神が関わる道筋など 楽しい発想がイッパイだけれど 無限と有限の織り成すパラドックス観のところで 相対性時空間に関する思いがずれてか しっくりこないものとでくわす 最初のタグは「純粋贈与の本質がはっきりと見えてくる」 二度目は「心の内部と外部の世界をつなぐドリームタイム」 3番目は「グレートスピリットの形態学」 4は「シュミット学説再考」の後半 5は「カーテンの向こう側へ」の後半 6は「南島へ」・・・ 第六章のトーラス型になって膝を乗り出すも 少しずつ違和感も感じだす 言葉の行き違いだけのようにも思うし・・ 何度か読み返す必要を感じる 最後に描かれている「未来のスピリット」で 私自身が馴染めない手塚治虫のアトムが出てきてしまう どうやらこの世の要はスピリットなのかもしれない

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    投稿日: 2013.10.15
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    カイエソバージュの4冊目。一神教の、それも原理主義が大統領選挙を動かす国で「多神教っていいな」と思いはじめて久しい。アイヌにもグレートスピリットに当たるものがあるのだろうか?中国の宗教って何なのか、などと思いながら読みました。

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    投稿日: 2011.12.28
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    神がどのように存在しているのかが、分かりやすいことばで書かれている本。シリーズ物だが、この一冊だけでも問題なく読める。

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    投稿日: 2011.10.20
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    神を発明した、というタイトルがすばらしい。 人間の能力を超えた出来事やものを体験した場合、それは神様なのだと人間は感じるため、本当の無神論者にはなかなかなれないとのこと。たしかに。 あの世とこの世、一神教と多神教の対比が面白い。人間を知るには宗教なのだなと感じさせられた。

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    投稿日: 2011.04.06
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    本書は、文化人類学や宗教学をはじめとして様々な分野・領域の成果を利用しながら、「神」という存在が人類の心のなかにどのようにして成立したのかを論じる。 「神(God)」とは、本書ではキリスト教など唯一神を奉ずる宗教における神を指す。しかし原初的なアミニズムやグレート・スピリットなど、また多神教における神的存在やスピリット(精霊)といった存在をどう考えればよいか。人類が当初思い描いた数多くのスピリット集団を説明し、そのなかからグレート・スピリットといわれる特に重要な精霊が分化・発生し「来訪神」と呼ばれる存在になる段階を説く。そして、そこから人類の思考がさらに変化して「高神」と呼ばれる、いわゆる唯一神が発生する。このように本書では、精神考古学的な検討で人類の宗教的思考を原初から辿り、最終的には唯一神的神観念が成立する人類の心の様相の変化を、順序立てて論じる。 日本におけるカミ観念も交えながら、横断的に「超越」の思考を語る本書は、大学での講義録を元にしており、難解な説明に陥りやすい本書内容を理解しやすくしている。

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    投稿日: 2011.01.11
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    カイエ・ソバージュ第四弾。 「神の発明」では今までに比べてスピリチュアルな話が多かった。 以下気になったところをつらつらと。 第一章より ・「ヤヘ集会」という一般の人に開かれた集会ではシャーマンが調合して液体ジュースを飲んで、幻覚体験を行って、宇宙の力と生命の源泉である「銀河」へ出かける体験をしていた。 ・幼い子供が立派な抽象画家であるのは「内部閃光」に基づいているため。昔の土器などの模様も内部視覚によるもの。つまり芸術は外の世界を見て書き始めたのではなく、自分の内側を見て書かれたのではないか。 第三章より ・アボリジニの間で知られている虹の蛇。これは創造を司るスピリット。それは雨期に雨を降らせ、大地を潤わせ、繁殖を促すため。一方虹の蛇は偉大な律法者でもあった。 第四章より ・現実とドリームタイムが同じ空間で生起しているのはメビウスの帯で表わせる。 ・蛙は死の領域に近いところに生息している両義的な水中動物だとされている。月の表面にくっつき「月の隈」となっているのも蛙だといわれているし、水を吐いて大切な火を消すのも蛙。 ・二つのゴッドは高神型と来訪神型にわけられる。 第五章より ・「訪れ神」は面をつけたり奇怪ないでたちで音楽性まで豊か。奄美の島の「ポシェ」という仮面の神はマラ棒という棒で女性たちを追い掛け回す。 ・高神のイメージは無象性。来訪神は対極のイメージ。 ・来訪神に与えられた特質のすべてが死と生命をひとつに繋ぎ、身体の内部と外部をひとつに繋ごうとする。たとえば母乳、涙、血、精液、唾液、排泄物など。人と外の境界に生えているのは植物だからそれを身にまとうことで中間的対象の性質をおびる。またグロテスクの美に近親性をもつ。 第六章より ・人間は自分の直感がとらえている世界の全体性を表現しようとして次々言葉を繰り出すが、常に自分の語りたいことを語り損ねる宿命を持っている。必ず空虚な中心が出現する。しゃべっていることはすべて比喩にすぎなく、言葉とモノを一致させることはできない。人間は真ん中に空虚な穴が開いたトーラスである。 第八章より ・空虚な穴を満たすことが出来るのは一神教の神だけである。神の知性だけが完全。私たちの非知をも包み込んでいる。 終章より ・一神教の想像力のもとでは(聖書のゴーレムや錬金術師によるホムンクルス創造は神の行為の真似のため)ロボットも人造人間も生命と非生命の対立をかかえたことで苦しみ続ける。 まとめとなる第五巻への序章である気がする。 その想像と幻想的な話の誕生の由縁の話のために別世界に迷い込みながら案内人で話を聴いている気分。 神”の”発明というタイトルも的を得ている。 神が私たちを創り、私たちが神を創ったのだ。

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    投稿日: 2010.09.16
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    「国家」「神orグレートスピリット」など、超越性をもったものがいかにして生まれたのか? 野生の覚書(カイエ・ソバージュ)は4冊目にして雲を突き抜けはじめる!

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    投稿日: 2010.09.08
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    [ 内容 ] 内部視覚、瞑想、夢の時間…。 「宗教的思考」の根源はどこにあるのか?精霊が超越を生む。 高神から唯一神へ。 “精神の考古学” が、神々の基本構造をあざやかに解き明かす。 [ 目次 ] スピリットが明かす神の秘密 脳の森の朝 はじめての「超越」 神にならなかったグレートスピリット 自然史としての神の出現 神々の基本構造(メビウス縫合型;トーラス型) 高神から唯一神へ 心の巨大爬虫類 未来のスピリット [ POP ] [ おすすめ度 ] ☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度 ☆☆☆☆☆☆☆ 文章 ☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー ☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性 ☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性 ☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度 共感度(空振り三振・一部・参った!) 読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ) [ 関連図書 ] [ 参考となる書評 ]

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    投稿日: 2010.07.14
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    一神教の世界は真ん中の空いた浮き輪のようなもの(トーラス)をびっしりと「ことば」が覆いつくしているイメージで描かれている。「この世」の現実はことばの象徴秩序によってつくられているという考え方だ。しかし、真ん中にぽっかり空いた穴は埋めることはできない。それを満たすことができるのが唯一、神(ゴッド)であると考えられている。 かくして知性偏重、「知」と「権力」が一体であるような文明が生まれた。 しかし、当然のことながら、知性のみで全てのものごとを掌握することは難しい。例えば「生命」だって、形質についての情報を伝えるゲノムのみでは、生命体が「生きる」ことはできない。それが動き出すような着火剤の働きをする「生命力」のような存在が必要である。 キリスト教はそこで上手に「三位一体」のシステムの中に「スピリット」という項目を組み込んで、うまく「生命の原理」を取り入れることに成功した。そして「神は死んだ」とまで言われる時代になってもそのスピリットの持つ増殖・均質・多様といった性質は、貨幣や商品、コンピュータに受け継がれている。しかしそのスピリットは半ば亡霊と化している。あらゆる宗教のあとに出現するもの〜Religion After Religion〜が期待されている。それを生み出すのは原初から変わらない脳であり心でしかない、と筆者は強く訴える。 2006.08.15-31.

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    投稿日: 2006.09.07
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    またしてもなんとな〜く、ウスラボンヤリ思っていたことを理路整然と整理してもらって、スッキリ!!!しました。 もともとヒトとは、”超越したもの”の存在を自然と感じている生き物であって、それがアニミズム信仰になったり、発展して宗教になったり、しているらしい。 だいたいどの地域にも、高神と来訪神、という2つの相対するカミがいて、高神は太陽や山のように、常にそこにあって日々の生活を守ってくれるカミ、対して来訪神はいつもは不在なんだが決まった日にやってきて、この世と異界(死者の世界とか)をつなげたり、するというカミ。この2つが揃っているとバランスが良いようで。本州にはわかりやすい来訪神はいらっしゃらないようですが、沖縄のニライカナイ信仰とか、まさにこれ。目からウロコがぼろぼろ。 まったく違う世界観に基づいているように感じられる唯一神の宗教も、おおもとのカタチは、同じなんだそうです(唯一神しか居ない西洋世界にも、妖精やトロールというものが残っているのはその証拠。日本の妖怪も広い意味ではおんなじもの)。

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    投稿日: 2006.05.13