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狂人日記
狂人日記
色川武大/講談社
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総合評価

51件)
4.2
22
14
8
3
0
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    精神病院の描写がつまらなさう  いはゆる北杜夫やトーマス・マンにつらなる精神病院もので、しかし面白いとは思へないのはひたすら単調なことと、やりつくされた題材だからといふ気がしないでもなかった。

    0
    投稿日: 2025.10.22
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    疲れ果てると人格が変わる。お酒のせいで普段と様子が異なるという事は誰もが経験するのかも知れない。また、誰もいない部屋、揺れる洗濯物に何物かを感じたり、幻覚とは言えないような幻覚を感じた事もある。私にとって幻覚とは、心霊現象に近い体験かも知れない。それを自らの精神の疾病と結びつけて考えてみた事はなかった。 幼少期、葬式の度に高熱を出し、別室で寝かされてはうなされた。優しかった故人が悪霊のように怖がらせることなどないはずだが、そう思っても一人の時間は長かった。高熱の状態で寝ると、気分の悪さも相まって必ずといっていい程、リアルな悪夢を見た。故人が私の上に乗っかっていた事もある。 「狂う」というのは、そうした肉体的、精神的な疲弊、あるいは物理的な脳の損傷と関わっており、誰しもに起こり得ることだと思う。日常と紙一重。急激なストレス。文学の世界では、戦時中に我が子を亡くし狂う母の描写を思い出す。 著者自身の体験でもあるのだという。描かれたのは50代の男だが、著者が発症したのはそれより若い頃。自らの未来を占うように書いたのだろうか。そんな状態でよく書けたなという気持ちと、そう思えば文学は幻覚みたいなもので、小説家はその世界と常に隣り合わせなのでは、と。これは、貴重な文学であった。

    87
    投稿日: 2025.10.06
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    HSPを自称している人々に、読んで欲しい、これこそ他人に迷惑をかけてしまうことを恐れ、視覚、聴覚が繊細すぎるがゆえの幻、が、ある主人公なのだ。HSPを自称するということは、繊細を売りに出している、商売にしている時点でそれは繊細でもなんでもない、HSPという薄汚い膜をはることで孤独ではないことに安堵する健常者であろう、 って色川さんに現代を描写されているみたいで、

    2
    投稿日: 2025.06.21
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    ものすごい迫力で 幻視、幻覚、幻聴の世界が繰り返される 自分の見ているものが 他の人にも見えているものなのか わからずに混乱 わかっているのにつらい あまりにも細かい描写で 作者の体験談かと思った しかし あとがきで友のことが書かれていた が、こんなにもその世界を語れるのは すごすぎる あるいは 誰もが少なからず経験しているのかもしれない そう思わせる

    34
    投稿日: 2025.01.30
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    タイトルがタイトルなだけに狂ったような想像をしてたけど、主人公はこの世の全ての人間と紙一重な場所にいて誰よりも他人を求めて繋がることを最後まで諦めなかった、幻覚か現実か自分なりに探りながら読み進めていくのが面白くてでも気持ちは浮かばなくて、終盤にかけてどんどん辛く思いながらも健常者のふりをして生きる事がどういう事なのか人間の在り方を考えさせられたり本当の優しさや敏感で鈍感で矛盾しているのが人間だと思ったり、大切な人に読んでほしい純文学の宝だと思います

    1
    投稿日: 2024.06.26
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    現実と狂気の世界とが混在し、どんな状況にあるのか混乱する。こんな世界を生きているのは辛すぎる。そんな世界を、書き記すことが凄い。

    1
    投稿日: 2023.11.25
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    タイトルが『狂人日記』ですが、「狂人」という言葉と裏腹に、精神病院に入院している主人公の語り口はいたって冷静です。現実と虚構を繰り返す中、自己の状況を細やかに分析して内省しています。ただ、その冷静に語る心の内が、ところどころ読み手の胸を刺す言葉がいくつもあり、どんどん話しに引き込まれました。 主人公は幻覚や幻聴はあれど、病気で働くことが叶わず、一緒に暮らしている女に対して申し訳なく思っているところは、まったく健常者と同様です。それだけに、余計に気に病んでいます。逆に、当人が病気であることに甘えて、周りの人たちに依存できれば、少しは気分も楽にもなるのにと、気の毒なところも感じました(それができないから苦しいのですが)。 そんな主人公は、この先どうなってしまうのだろうと読み進めていくと、予想もつかない衝撃的なラストで驚きました。素直に周りに依存出来なかった主人公が、生きるために最後に吐露した言葉が、正にタイトルを表しているようで、とても印象的でした。

    9
    投稿日: 2023.11.08
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    思い浮かべるのは島尾敏雄の『死の棘』、武田泰淳の『富士』。 一人の人間が作品に執着出来る範囲を遥かに超えており、純粋に屈服させられてしまう。 とりわけこの作者のひたむきと言える作品へのエネルギーと凄みの加え方は読後も後年印象に残る。 読書体力は要すが名作。

    7
    投稿日: 2023.09.29
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    もう読みたくない!ってくらい落ち込む。それくらいリアリティがあった。「自分も将来こうなっちゃうのかなあ…」って気分にさせられました。

    0
    投稿日: 2023.01.15
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    幻覚と現実が区別なく淡々と記される。それでも根底にあるのは誰しもがかかえる孤絶で、主人公のあこがれる健常者という在り方自体がなによりもの幻想なのだと思える。その幻想を支えるのが病だ。「いつか病気が治ったとき、空には何もないだろう」という一文が胸を打つ。

    0
    投稿日: 2022.09.11
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    正気を失うという言葉を体感できる 主人公の脳内と現実が混じり合い、精神が崩壊していく様子の表現が素晴らしい。 所々生々しいのも良い。 1回読むだけで十分。

    0
    投稿日: 2022.03.16
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    このレビューはネタバレを含みます。

    読んでたときは、主人公の男が感じる幻覚や幻聴、悪夢をどう捉えていいのか探しつづけながら一ページ、また一ページとすすめていった。ここ、いいなととりわけ思った場面はなかった。 でも桂子と対話する最後の場面がおそろしく気持ちを攫っていった。この小説の大半の部分を仕方なく読んでいたような気もするのだけど、仕方なく読みつづけてよかったなとおもう。話に出てくる人たちのことをどうやらちゃんと見ていたみたい。 解説が佐伯一麦でおおお!となった。佐伯一麦が『渡良瀬』のときに読んだ思い出の小説だとおもうととても感慨深い。好き。

    1
    投稿日: 2021.09.18
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    狂人とはどこからなのか。自分は健常者なのか。境目のあやふやなところを綱渡りのようにぐらぐらしながら歩いている主人公の定まらなさがどうにも切ない。痛い、苦しい、おかしい、怖い、それでも共感してしまう。なんのために生きているのか、生かされているのか考えなければいけない小説。

    1
    投稿日: 2021.09.08
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    こういう、ああでもないこうでもないとぐずぐず言う人は嫌いだ。繊細なのかどうなのか知らないが些細なことで傷つきやすい。なのに人を傷つけることには敏感ではない。どうしろというのかと言いたくなる。私自身の鏡だと言えないことはない。しかし少なくとも私は諦めている。

    0
    投稿日: 2020.10.09
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    浅田作品はいくつか読んだが、色川名義の小説は初。少し前の読売新聞に関連記事があり、読んでみた。 読み始めは幻想や夢の話が多く、途中で投げ出そうかと思ったが、次第に引き込まれてしまった。 殆どの場合、狂人も常人も見ただけでは分からない。自分に見えているものと他人が見ているものが同じとは限らないし、自分が狂人でないという確証も持てなくなってくる。 (110)

    0
    投稿日: 2019.12.13
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     小説を読んでいて「これ、俺のことじゃないか?」と思えることってあると思う。  ちょっとおかしな人だったら「断りもなく俺のことを書きやがって」と著者にクレームを入れる、なんてこともあるだろう(実際にあった訳だし)。  僕はそこまで頭がおかしく……って書くとまずければ……純情無垢じゃないから、そんなことはしないけれど、読んでいる間「これ、この狂人、俺にそっくりだよな」とずっと思っていた。  生き方が似ている、というか、他人への接し方、外の世界への接し方、社会との折り合いのつけ方、要するに己自身への接し方、それらがまるで自分を客観的に見ているように描かれている。  そりゃそうだよ、こんな生き方してたら精神が疲れちゃうよ。  実際、僕自身が今、職を探してあえいでいるのは、数年前に精神を壊して、仕事が続けられなくなったから。  この本の主人公みたいに幻影を見ることはなかったけど、幻聴はあった。  入院するまで重くはなかったけど、そこで人生、かなり狂わされた。  そんなこんなの自分の影が本の主人公に重なりあって、読んでいる間、ずっとずっと得体の知れないプレッシャーがのしかかっていたように思う。  そして、とてつもなく「生々しい」。  圭子さんだって、これじゃ浮かばれないだろう。  ずっとずっと彼を助けられなかった、彼を裏切った、そういった自責の念に苛まれながら生き続けなきゃいけないんだから。  彼女の心中を察すると、そりゃ切ないし悲しいし、何とも言えない。  彼女だって精神が異常なんだから……。  つらいよね……つらい。  それでも圭子さんは許されたんだから、母親よりも良かったのかも知れない。  そういえば、同じく色川武大の「怪しい来客簿」に書かれていた印象的なフレーズを思い出した。 『私たちはお互いに、助け合うことはできない。許しあうことができるだけだ。そこで生きている以上、お互いにどれほど寛大になってもなりすぎることはないのである』  まさにそれを地でいったのが主人公なのだろう。  最後の最後に主人公が発する言葉。 「俺もつれてってくれ。おとなしくしてるから」  これこそが、この主人公が、心の底から素直に発することが出来た、生まれて初めての、そして最後の言葉だったのではないだろうか。  最後の最後に、やっと自分に正直に発することが出来たのではないだろうか。  そう考えると、余計にむなしい。  本当に本当に、つらい……つらい……たまらなく、つらい。  この本に巡り合ったことに感謝している。  ただし、後悔することになる可能性も含まれているだろうな、とあくまでも自分自身を客観的に顧みて、嘘偽りなくそう感じている。

    3
    投稿日: 2018.01.06
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    支離滅裂な譫妄は狂人が常人を装って叙述しているようでそのしっかりした文章は彼が常人であることをはっきり意識させる。退院まではそう思っていた。しかし『狂人日記』の真価は圭子と同棲を始めた以降から発揮される。自身の狂気が自分の意識外で起こる恐怖と、親密なる者を喪失もしくは緊密に成れぬ恐怖が巧みに描写されている。時々真理めいたことを独白しながら、常人が欠陥者であることを体感せぬまま実感させられる件は哀しみと孤独を伴い読んでいてなかなかきつい。 本作品は心疾抱えた者が書いた自伝や私小説かと思っていたが、解説で色川氏は『麻雀放浪記』の作者だと知る。「狂人」を推察しながら本書を仕上げるは作者の力量に恐れ入る。

    0
    投稿日: 2017.12.31
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    読み終わるのが惜しいのに、あっという間に読み終えてしまいました。 精神科にかかったことのある私には共感するところも多く、すっぽりと作品に浸かってしまいました。 私はいま色川武大さんにハマっています。すごく読みやすくて、ずんずんと読めてしまいます。面白いのかというと、よく分かりません。作家本人の非凡な人生と神経病による幻視幻覚がベースになっているので類を見ない作品なことは確かですが、果たしてそれが面白いと呼んで良いものか。 『明日泣く』『百』『狂人日記』と読んで、今の時点で感じたことは、色川武大さんは現代の作家さんだなぁということ。昭和四年生まれだから戦争を経験しているにも関わらず、そこはするっと後ろへ流して、でも旧い匂いは残っていて、その匙加減が私は好きです。 そして小説を書くのが本当に巧いと思います。作家の個性を主張しない文章の巧さがあります。言葉がキザじゃないのです。小賢しくないというか、まっすぐな文章というか、正直な文章というか、そういう感じがします。そんなところは大好きな北村太郎さんに通ずるところがあります。 それから、言葉が生きているとでも言うのでしょうか、ほぼ心象描写だけなのにそこに景色が見え、生々しい現実世界が広がります。 主人公が語っていくという形はどことなく太宰治っぽい感じがあります。

    0
    投稿日: 2016.12.07
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    確かに狂人の日記。読んでると段々しんどくなる。誰しも程度の度合いとは思うものの、やはり、ここまで違うと本人も回りも大変だ。この手の話は基本誰も救われないので、あまり好みではないかな。

    0
    投稿日: 2016.04.19
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    どこか人間的な回路の一部が壊れていたり、制御出来ないと言う事を知っていて、「自分は普通じゃない」と自覚もある。 それは一時的なものであったり、あるキッカケで発露するものであったりする。常に壊れた状態である訳ではない。仕事もしていた。人とも触れ合っていた。 ただ働いて食って寝る…そう言った普通の生活を続けていくことが出来なくなったり、出来なくしてしまうそんな自分が好きになれなかったり排他的になってしまったり… 普通に生きようと変わる努力を続ける二人のやり取りを見ていて、普通とは一体なんなのであろうかと考えさせられてしまいました。 普通じゃない。 マトモじゃない。 気が狂ってる。 普通に見えてもみんな何処か狂っていたり普通じゃなかったりする筈… 要するにどんな風に出てしまうかが問題何だろうな。 人の脳裏を駆け巡る思考。それを活字で読んでいるからか本書に異常な印象はあまり受けませんでした。どっちかと言うと遣る瀬無さや諦観を感じた。 頭に中がどうであれ、生きるとは苦しむと言うことか…

    0
    投稿日: 2015.02.14
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    小川洋子さんのラジオで紹介されていたので知った。 狂人の感じた気持ちや情景がえがかれていたが本にして読むと狂人は自分のような気がしてくる。 人はみななにかしらくるってる。常人のふりをしてしか社会ではいきてはいきにくいのだろ。 ま、幻はみることはできぬが。

    0
    投稿日: 2014.09.28
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    とても優しい小説だと思った。自分への優しさ、他人へのやさしさ。というより優しくありたいという気持ち。決して甘やかすのではない。この主人公は自分を甘やかそうと思っていないし、甘やかされて喜ぶタイプでもない。ただ現実があって自分がいるだけだが、それを真剣に見つめるということはすなわち対象へのこの上ない配慮であり、つまり優しさなのではないだろうか。 なによりも文章が優しい。主人公や主人公を取り巻く世界を見つめる作者の目が優しく、そして悲しい。ゴーゴリや魯迅の「狂人日記」との違いはこの点だろう。彼らは狂気をアイロニックに扱っているところがあるが、色川の作品にはひとりの男の必死な人生があるだけである。 悪夢というほかない幻覚に絶えず苦しめられながら、主人公はいったいなにを保とうとしていたのか。

    0
    投稿日: 2014.06.10
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    これは面白かった。私小説と思いきや、そうではないとこも良い。 経験に基づくものはあったよう。 幻聴・幻影のくだりなど、ちょっとゾクゾク…。

    0
    投稿日: 2014.01.05
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    マイノリティとしての自覚と煩悶。稚気を伴って飄々と描かれている分、かえってジメジメしていてタチが悪い(褒め言葉)。解説が嫌い。

    0
    投稿日: 2013.09.02
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    今までの人生の中で恐らく一番精神的に病んで辛かった時期に読み、自分の将来をこの小説の中に見たような気がして読みながらボロボロ泣いた。今読んだら、何を感じるのか凄く気になるけれど、怖くて再読できず。いつか読み返したい。

    0
    投稿日: 2013.08.10
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    主人公と同棲相手の関係を、自分と今の交際相手に重ねてしまい、とても気が滅入った。自尊心がぶっ壊れているので、負い目を感じつつも人に依存し、そこをちょっとでも突っ込まれるとひどく傷つく。それが苦しいから孤立しようとするくせに、人の温もりを渇望してやまない。何故こんな面倒くさい人間を好いてくれるのかと疑心暗鬼になり、関係もギクシャク。 「身につまされる」というより、半分うなされながら何とか読み終えた。

    0
    投稿日: 2013.03.17
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    幻聴、幻覚をはじめとする精神状態の描写が逸脱、というか経験してないと絶対に書けんと思う。カードゲームを作成することに取り憑かれるとかその辺りにリアリティがとても感じられた気がする。

    0
    投稿日: 2012.12.17
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    「時代を切り取る」というのはこういうことなのか、と今まで知らなかった感覚を知る。(私は感覚が弱いので、こういう風に分からせてもらえないと分からない)情景や、男女の結びつきよう、人付き合いのあり方など全てが古く、色あせてよめるのに気持ちの部分だけが普遍的にリアル。読んでいる中でのこの実感が何よりすごい。

    0
    投稿日: 2012.09.12
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    狂人日記、と言えば、魯迅だよね?と思いながら、読み始めたが、非常に断章的でややまとまりにかける魯迅のそれと比べて、色川の狂人日記には一つの筋が通っているという時点で、こちらの狂人日記の方がより迫ってくるものを感じた。主人公の飾り職人であった男にはハードボイルドな気質があるように思う。景子が惹かれたのもそういったあたりなのだろう、あるいは、亡き妻の園子が惹かれたのも同じであろうか。彼は彼なりに一生懸命に考えている。考えつくしている。しかし、考えている時点でうまくはいかない。それには同じ思いがある。信じきれないから裏切られるのか、あるいは、裏切られるから信じきれないのか、これは、鶏と卵みたいなもので、人に本質的に巣食っているものなのかもしれない。自分自身も、「決して他人を信じれなさそう」だとか、「自分しか見ていない」だとか、「他人を困らせたいだけ」とか、「自律できていない」だとか、「独善的だ」とか、いろいろ言われている身なので、身につまされる気持ちがある。あれこれ考える、だが、考えている時点で信用できていない。常にどこか冷静になってしまっている、あるいは、そこから目を背けようとのめりこむふりをする。 男性は二人の女しか知らない。二人の女とどこまでしたのかは多少ぼかされているが、園子とは行為に及び、景子とはキスより先へは進んでいないのかもしれない。ともかく、彼はあまり女を知らない。そのことに劣等感を感じる気持ちと、いや、自分のような人間を彼女たちは愛そうとしてくれたのだという気持ちと、あれやこれやが複雑に絡まる。序盤はずっと自らの感傷の支えてであったろう園子は次第に景子にとってかわられる。どこかで、「誰かが死んだ気がする、と思ったら、それは園子だったのだ」という独白のようなものが入るが、そのあたりからなのだろう。しかし、彼はその景子に見捨てられ、死を選ぶ。断食によってである。最後に戻ってきた景子は、「彼と一緒に暮らしたいけれど、あなたを見捨てられないから近くに来てください、世話はしますので」とあまりにもひどい言葉を吐きつける。ただ、どちらにせよ、彼はもう死ぬ寸前だろうから、景子は彼の世話はしなくてもよいだろう。彼は結局のところ孤独で死ぬ。ただ、例外として、弟だけか、彼には弟がいた、それが彼にとっての救いとも言えるのだろうか。果たして誰かを愛せるのか、それが、愛しているつもりだっただけだと思い知らされることがわかっていても愛せるのか、しかし、愛したくても自分の中の何かが邪魔をする、そういう気持ちが切実に伝わってくる。 「救いはあるのでしょうか?」さて、神がいるとすれば、なんと、答えるのだろうか?

    0
    投稿日: 2012.07.16
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    魯迅作の同名の短編があるが、このような直截的なタイトルを掲げる作品は今後出版されないのだろうか。そんな過剰な言葉狩りの心配はさておき、精神を病んだ主人公の一人称で日々の生活を綴った本書では、彼の独白が非常に現実的な響きを持って読み手に訴えかけてくる。物語は病院内で幻影や幻聴に悩まされる様子を記した前半から、そこで知り合った女性との同居生活を描いた後半へと展開し、救い難い陰鬱な主題でありながらドライで魅力的な余韻を残す。巻末の著者の年譜と著書目録も嬉しい。

    0
    投稿日: 2012.05.19
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    福武書店のハードカバーのほうも登録してあるけど最近再読したくてこちらを買って再読した。 いくつも泣きそうになる箇所があるんだけど、圭子の「生活って最高のことをすることよ」っていうせりふがぐっとくる。 あとは主人公の控えめだけど気風がいいやさしさというか。 きっとこれからも何回も読むんだろうな。

    2
    投稿日: 2012.05.14
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    淡々とではあるが、 しとしとと足音をたてて忍び寄ってくる漠然とした不安。 自分が歪んでいくのを自覚しながらも、 それを戻せることも無く、 隣にいてくれる人をただ傷つけ、傷ついていく。 恐ろしい程に徹底した描写である。

    0
    投稿日: 2012.01.13
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    伊集院静 氏の「いねむり先生」を読んで、この本を知った。 淡々と書かれた文章が印象的だった。 『無』の中に、日々の出来事だけが彩られて書かれてある様に感じた。その他の事は病気の事も幻覚も全て『無』の中で起きている様に感じられ、読んでいて著者と同じかどうかは分からないが『孤独感』を感じた。 いねむり先生の中で、先生に発作が起きた時「今度は自分が先生を救う番だ」という事で確か先生を抱きしめるかなにかする場面があったと思うが、そして最後に同じ患者で結婚した圭子も別れると言いながらも面倒は見ると言っている。 孤独感の恐怖...弟の幼い時の事ばかりが目に浮かぶ事...等々 赤裸々な告白.... 音の無いシーーーーーーンとした世界を淡々と読み進んだ と言う印象 哀しいとかそう言う事ではなくて....なんと言うか そう言う事を知ったと言うか.... 読んで良かったそして他の著書も読んでみたい。

    0
    投稿日: 2011.10.14
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    このレビューはネタバレを含みます。

    ふわふわと夢の中を歩いているような感覚。 脱力感と、不安とを抱えながら、 夢か現実かわからなくなる霧の中を 分け入って、物語をたどっていく。 そして、たどりついた失望と絶望。 どうしようもなくつらい世界なのだけれど、 これを描ききった作者は、この病気で 亡くなった人のことを想い、書いたのだと あとがきで知り、底知れぬやさしさを感じた。 やさしい、やさしい、繊細な人だったのだろうな。

    0
    投稿日: 2011.09.28
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    壊れていく人の頭の中にいるような気持ちになった。読んでいる最中は、真っ白な世界にたった一人いるような心細さを味わった。読後の異常な虚無感はこの本以外に味わえないだろう。つらくて悲しくて泣いた。いつまでも忘れられない一冊。

    0
    投稿日: 2011.07.21
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    通勤で読むと気が滅入る。現実と幻覚が交差してどっちがどっちだか分からない。ふと思うと、現実も幻覚も自分が生み出しているのだから全て真実か、それとも現実も幻覚も全てユメのようなものか。どんなに理解しようとしても他人の境涯は決して理解することもできないし、言葉でも説明できない。しばらく寝かせてからいつかまた読んでみる。

    0
    投稿日: 2011.07.06
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    病棟生活を綴った色川武大の最後の小説。読売文学賞受賞作。最初は、何だか話が単調で、読む気があまりなかったが、後半からクライマックスにかけて恐ろしいほどの感覚に襲われて、実に素晴らしい作品であった。

    0
    投稿日: 2011.06.09
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    「俺はこんなに弱い!」 「俺はこんなに辛いんだ!」ということが書かれている。 「ああ、辛かったでしょうね」と思える記述が続く。 でも他人はどうすることもできないよ。 こんな人を、誰が助けられるのだろう? 理由も告げずに去った圭子に期待を残しながら、彼は生きられるだけ生きる。

    0
    投稿日: 2010.07.21
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    俺も誰かの役に立ちたかったな。せっかく生まれてきたんだから この言葉に一番共感した。 孤独とか許す許さないとか愛とか様々なものが混じりまって複雑で私には理解しきれていない。ただただ最後は寂しい…。

    0
    投稿日: 2010.01.15
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    人とは違うものを見てしまうがゆえに孤独から逃れられない男の葛藤を描いた作品。 孤独と闘う様子は決して他人事ではないので、共感しつつも 鬼気迫るリアルな幻覚の描写に圧倒された。 退屈な恋愛物のあとに読んだのでなおさら面白いと感じた。

    0
    投稿日: 2009.10.11
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    正気と狂気の狭間を揺れ動く、狂人エッセイという感じかな 精神病院で知り合った患者同士(男女)が一緒に暮らすようになるという。 わりと退屈だった。

    0
    投稿日: 2009.09.19
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    飛行機の中でよんだ。片道12時間以上。精神病棟の閉塞感と、機上の鬱々とした不安感があいまって、さくさくとよめた。 自分の知らない世界をのぞき見るというのは、どきどきしてそしてこわい。

    0
    投稿日: 2009.04.28
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    友人に薦められて。 読むと欝になるが何故か萌えた。 「狂った人の日常萌え」ってやつでしょうか。

    0
    投稿日: 2009.02.10
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    だめだわからんわからんわからん いやわかるっちゃわかるんだけど 絶対的にわからない壁がある 境界線の上に立って ずっとあちら側を見ながら手を振ったり、手をつないだりはしているけれど 私はあちら側に体毎ダイブする覚悟はなくて 正直憧れるし正直理解できないし、という相反するものを背負って ずっと境界線上にいるわけですが あちらの人間は、あちらこそこちらと思っているわけで 私が理解していると思い込んでいるものは、その人からは理解できない所業なのかもしれません ね

    0
    投稿日: 2008.11.08
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    妄想の闇に取り込まれる訳でもなく、おびえる訳でもなく、其処にある何かにゆっくりと浸食されていく とても不幸せ。決まりきった不幸せ。結局のところはどう転んでも、生きて死んだだけ。

    0
    投稿日: 2007.11.21
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    もの凄い描写とディテールが、うねっている。 そして朽ちてゆく自分の未来を垣間見たような、鈍い恐怖を思わざるを得ない。 別の或る書籍で「中島らも」と「伊集院静」の アル中VSギャンブラー対談を読んだ。 そのなかでこの小説について 「色川さん、つらかったろうに…」と、 死をも恐れぬらも氏(昨年死んだが)が述べていて、 そんな共感の仕方も印象的だった。 これは色川武大(阿佐田哲也)氏、最期の小説。 参った。

    0
    投稿日: 2007.09.08
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    主人公は精神病院に入院中の男性である。子供の頃父親の破産により一家離散し、さまざまな職業を転々とする。知り合った女性との婚約に大きな喜びを感じるも、彼女は死んでしまう。主人公は確固たる居場所をなかなか手に入れられない。多くの現実を消化しきれないまま、正気と狂気の間を行き交う日々を過ごすなかで、同じ病人の圭子と出会い、圭子の退院と共に彼女の同居人となる。そうしてようやく安息を得られるかと思うのだが…。 やはりここに描かれる幻覚があまりに変化に富んでいるのには衝撃を受けた。どう逃げ回っても追ってくる機関車、壁にへばりついた字が天井に来た母艦に吸われていく幻覚、体に吸い付く蟹の大群等、私の乏しい想像力をはるかに越える物ばかりで、これほど凄いものかと驚かされる。 しかしそれだけに終わらない。主人公の、折り合いのつかないままわだかまっている種々の物事、それが孤独の渦を巻いている。ずるずると終わりのない苦しさはこちらの心の奥までひたひたと迫ってきた。淡々と綴られ、やたら感情的になるわけでもない。それがかえってこちらにまっすぐ訴えかけてくる。 「限りなくひとりの世界に安住しようとする性情と、人並みに近親や相棒を必要とするところと、自分は欲をはってどちらも捨てきれない」「自分は、両親も、弟妹も(中略)誰をも、本当に知らずに、また彼らにも知らせず、ぽつんと生きてきた。それが、憎い」…きりなく引用できるほど、主人公の思いが切実に渦巻いている。 他人を信じきれないと言いつつ完全に背を向けているのではない。妙に厭世的を気取るのでもなく、「死ぬまで個々のケースを歩いていくだけだ」と言う反面「誰かとつながりたい」と切に願う。その二つの間で板ばさみになりながらも生きなければならない。そこに「弧絶」の苦しさをひしひしと感じる。「人間の感情などというもの、つまるところは単純、素朴なもので、弧絶、それだけだ」この一文には、とても殺伐とした寂しさ、埋めがたい空白が目の前に突然広げられたようで、ぐっと胸につまるものを覚えた。 「完全な狂人となって、正気を失ったまま日が送れたらどんなに楽だろう」という言葉の凄みに強く揺さぶられたのは、それが一時的な慰みではなく、生死を賭けたような切実さから発せられるものだからだろうと思う。 おかしいのは自分だけなのか。他の人もこんな事を感じているのか。主人公は何度も問いかける。それは外へというより、自分の奥底の、どうにも始末のつかない心の核心部分への問いかけのように感じられた。

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    投稿日: 2006.02.09
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    高校の授業をさぼって、喫茶店で一日中たむろしていたとき、たまたま手に取った本がこれでした。衝撃でした。三回は読んでいます。

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    投稿日: 2006.01.16
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    深い…深すぎる。 これを読むと、人に優しくなろうと思える。だけど実際はできない。★が4つなのはあたしがまだ勉強不足だから。

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    投稿日: 2005.08.25
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    数ある狂人モノの中でも、お気に入りです。物語に現実味があり、読みやすいと同時に、身近に起こりうる恐ろしさがあります。病を持って生き続ける悲劇。

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    投稿日: 2005.06.02
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    色川武大名義唯一の長編にして遺作。「我が身より劣等なものに優しくなるのは、優しさと呼べるのかどうか。」

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    投稿日: 2004.10.02