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光のうつしえ 廣島 ヒロシマ 広島
光のうつしえ 廣島 ヒロシマ 広島
朽木祥/講談社
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総合評価

19件)
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    このレビューはネタバレを含みます。

    児童書に分類されるのかな。 戦争をくぐり抜けてきた人々、その一人一人にそれぞれのつらさ、悲しみ、忘れられない思いがあることを、戦後に生まれた子どもを通じて表現した、とても大事なことを伝える本。 ただ、児童向けに書かれた本だと思われるので、どうしても心情描写が一歩踏み込んでいないというか・・感じ方の問題ではあると思いますが、同じ内容を大人向けに書かれた本があれば読んでみたいという感想です。

    0
    投稿日: 2024.07.09
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    たまたま図書館で手に取った本ですが、出会えて良かったです。 物語の舞台は終戦より四半世紀経った広島。子どもたちは戦争を経験してはいないけれど、親の世代はみんなそれぞれに大切な人を失い、自身も被曝者として原爆病の恐怖と戦う世代です。 私自身、小学生の頃『おじいちゃんおばあちゃんに戦争の頃よ話を聞いてみよう』という課題学習がありました。当時疎開していた祖母が、夜、遠くの町の空が空襲で赤く燃えていた。と語ってくれたことだけを、ぼんやりと覚えています。母方の曽祖父は戦争で若くして帰らぬ人になったそうで、仏間には坊主頭のハンサムな若者の遺影が飾られていました。 当時の様子を直接語れる人はどんどん少なくなってしまいます。でも今までの先人が大切に残してくれた記録に触れることはできますから、遠い昔の歴史だと割り切らずに、度々立ち返って考える時間を持ちたいと思います。 作中、吉岡先生の手紙に非常に胸うたれ、何度も読み返して何個もフレーズを書き留めました。 戦争がもたらした不幸は広島に限った話ではなく、日本中、世界中に及びます。二度と繰り返さないために、と口で言うことは簡単ですが、被害者の怒りや悲しみは計り知れません。怒りが復讐を誘発し、更に次の怒りを産む負のループ……『それぞのささやかな日常が、小さいと思える生活が、世界を形作っているーー小さな物語を丁寧に描いていくことこそが、大きな事件を描き出す最も確かな道のりなのだと思いませんか』怒りを枯らさないことが弔いではなく、失った小さな幸せたちを大切に慈しむことこそが、平和な時代を続けるために必要なのではないかなと思いました。 ウクライナの戦争や、ガザの紛争、世界で起きている無辜の人々を巻き込む痛ましい戦いが一日もはやく終結することを願って。

    0
    投稿日: 2024.02.28
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    『加害者になるな、犠牲者になるな、そしてなにより傍観者になるな。』 とても難しい言葉だ。みんな何かに当てはまるんじゃないか。そう、大多数が傍観者に…。そして無辜の民は戦争に巻き込まれていく。ヒロシマだけじゃない、世界のあちこちで。やはり歴史を知ることは大切だなあと強く感じた。

    1
    投稿日: 2022.12.03
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    自分が被爆何世なのかは分からない。 それほど時間が経ってしまっているということがわかる。 そのような現代において、【被爆二世】の話を読むことは、意味のあることのように感じた。 【被爆】と【被曝】 【被爆二世】と【被曝者】 文化祭というきっかけから、子供達が自分なりにまとめていこうとする姿は、心に響くものがある。 作者もまた、被爆二世。 そこが、またリアリティをかもしだしている。

    1
    投稿日: 2022.08.07
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    ヒロシマ、その後の物語。かの地に住む人たちの思い、感覚、垣間見られて良かった。中学生たちの素直な気づきと優しさにほっとする。

    1
    投稿日: 2021.04.29
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    5年教科書掲載本 恥ずかしながら、「被爆」と「被曝」の違いを知りませんでした。 ヒロシマ、そして原爆のことだけでなく、戦争そのものについても書かれていたので、一人でも多くの人に読んでほしい本。 息子を特攻で失くした母親から、息子が好きだった女性の娘さんへの手紙ー 「どうか、あなたたちの世代が生きる世界が平和でありますように。自由な心を縛る愚かな思想が、二度と再びこの世界に紛れこみませんように。健やかに成長され、生を全うされますように。」 そして、ホロコーストの研究者たちが訴え続けているという言葉ー 「加害者になるな。犠牲者になるな。そしてなによりも傍観者になるな」 自分にも周りにも言い続けたい。

    1
    投稿日: 2020.12.28
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    図書室に新しく買い入れた一冊だったので、試し読みのつもりでページをめくったのに、途中で本を置けなくなり、最後まで読んでしまった。 同じように原爆をテーマにした『八月の光』も読んだが、こちらもとても感動した。 文章表現が豊かで、情景が本当に美しく思い描かれることのできる、稀有な作家さんだと思う。

    1
    投稿日: 2019.09.13
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    このレビューはネタバレを含みます。

    これは映画にしてほしいなぁ。ヒロシマの高校生が身近にいる大人の痛みにふれて成長していく物語。大人たちも高校生の表現に癒されて、新しい歩みを進めて行く様子が清々しい。読みながら、いろいろな情景が描けて、私の大切な一冊になりました。

    1
    投稿日: 2019.08.28
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    このレビューはネタバレを含みます。

    亡くなった方を「悼む」とはその人のことをいつまでも忘れずに、ずっと心に想い、伝えていくということ。 この本は、中学生の主人公の希未(のぞみ)とともに、あの日ヒロシマで無残に命を奪われた無辜の民(天災を受けた罪のない人々)に想いを馳せる物語です。 美術部員として、あの日の記憶を作品に込め語り継いでいこうとする希未は、あまりの悲惨さに口をつぐみ、心を閉ざした周囲の被爆者の声にふれることになります。 献辞文の「世界中の小山ひとみさん」とは、ある日突然、大切な我が子を失くしてしまった世界中のお母さん達のこと。そのやり場のない悲しみと一生癒されることのない悲しみを想うと涙が止まらなくなります。

    1
    投稿日: 2019.07.16
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    小説のような、ノンフィクションのような。 あの日から25年目の広島のどこかで、本当にこのお話のようなことがあったのかもしれない…… この地に移り住み、気づけばけっこうな時間が流れていました。希未たちの方言も注釈なしでも理解できるほどに。 毎年、8:15には黙祷を捧げていますが、こういった書籍には、これまでなかなか手をつけることができませんでした。 明後日は73回目の8月6日がやってきます。 そんな今日、何となく図書館で出会ったこの物語には、なにかわたしなりの必然があったのかもしれません。 あの日に何が起きたのか知ること、そして忘れないこと。わたしにできることを少しずつしていけるといいな。

    2
    投稿日: 2018.08.04
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    主人公の学校で原爆について発表することになった。担任の先生が長い間いなくなった。原爆の病気になったんじゃないかと思った。原爆はいけないと思った。

    1
    投稿日: 2016.11.23
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    戦後25年経った広島の話。 「もはや戦後ではない」時期ではあっても、人々の心には深い傷跡が残っている。 第二世代が生まれ育つ中、戦争を体験した人々の記憶を、どう受け継いでゆくのか。 身近な人の、知らなかった悲しみや後悔。 戦争を繰り返してはいけない。

    1
    投稿日: 2016.07.13
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    戦争や原爆の様々な側面をうまく取り上げながら読みやすい話に仕上げている。子どもにもよく伝わると思う。

    1
    投稿日: 2014.09.16
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    朽木祥の作品は、原爆を描くものと、そうでないものにわかれるが、そうでない方ができが良いように感じる。 被爆二世として原爆のことを若い人に知ってほしいという気持ちは通じるし、その姿勢も立派だと思う。 でも、実際に被爆した原民喜や峠三吉ほどの胸を貫くような痛み、苦しみ、悲しみは感じない。 やはり「二世」だから、伝聞という感じ。主人公が原爆の犠牲になる『彼岸花はきつねのかんざし』ですら、どこかよそよそしい感じがした。 『八月の光』もこれも、読むに値する作品だとは思うけれど、これを読んだだけで、反戦の意思を強く持たせるほどのものでもないように思う。 反戦より、毎日を後悔しないように生きよう、というメッセージの方が伝わる。それはそれで悪くないが。 日本人も加害者だったことを考えれば、手放しで「無辜の民」と言えるのだろうか。 朽木さんには直接原爆を書かずに、読み手が心の底から反戦・反核を決意するような作品を書いてほしい。

    1
    投稿日: 2014.09.15
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    このレビューはネタバレを含みます。

    美術部に入っている希未は、お墓参りの帰りに、顧問の吉田先生の姿を見かけます。学校で見る先生とは違った後ろ姿だったのが気になりました。後日、先生の婚約者がピカに合い、遺骨は見つからず、櫛だけが残った話を聞きます。 そして自分の周りには、知らない話がまだあることに気づきます。 美術部で一緒の俊と、文化祭で「あのころの廣島とヒロシマ ~聞いてみよう、あなたの身近な人のあの日のことを~」のテーマで作品を作ることにします。 希未は、吉岡先生の婚約者聡子の物語やお母さんの昔好きだった人との思い出。俊は原爆ドームをモチーフにした絵と、子どもが被爆して帰って来なかった須藤さんの物語の彫塑に。友人の耕造は、先生をしていた澄子とその生徒6人の物語を。 文化祭当日、美術部以外にも公募した作品が並びました。希未たちは、原爆を受けた人たちに色々な物語があることを改めて知ります。真に悼むこと「大切な人の死を受け入れて見送ること、心に刻むこと」を続けていこうと思うのです。 文中に出てくる短歌は、愛する人を失った気待ちに沿うものて、同じ想いを抱いている人が他にもたくさんいたことを、知らせます。 吉岡先生が言うように、私たちは子どもたちに、この事実をきちんと伝えなくてはいけません。この本のように、当時のことを静かに、でも決して繰り返してはいけないという強い想いを伝えてくれる人は、周りからどんどんいなくなっています。私自身、祖父母や両親から聞いた話をきちんと伝えられるかは、わかりません。 だからこそ、こういった本を読んで欲しいと思うのです。

    2
    投稿日: 2014.09.08
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    鎮魂の書であり、戦争を知らない世代にも平和への思いを強くさせてくれる本。これは読み継がれなければいけない。

    2
    投稿日: 2014.01.24
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    朽木さん、またヒロシマの本を書かれたのだな、と思い手にとる。 前読んだのはその当日のおはなしだったが、 今回はあれから25年。 被爆2世の時代のはなし。 希未は毎年の行事である灯篭流しの夜、1人の老婦人に声をかけられる。 あの日、多くの人が、一瞬で消えた。 誰かを探している人が広島にはたくさんいるから、という言葉。 お墓参りでみかけた美術の先生。 いつものように起きて、ご飯を食べて、学校に行って、家族のいる家に帰る。そんなあたりまえの日常が、ある日突然途切れてしまった人たちが 自分のすぐそばにいるのだと、気がついた希未たち。 平和学習として、知識として知るんじゃなくて、実感としてあの出来事を 受け止めていく中学生たちが、どうか忘れないように、という祈りとともに描かれている気がする。 日本人は哀しみを1人で抱え込んでしまいがちなんではないかと思う。 自分がどう思うかと、人に伝えるのが下手、というか。自分の感情を 表に現すのは恥ずかしい、というような。 それに、あまりに恐ろしすぎて伝えていいのか分からない、というのもあるのかも。 そうして忘れて、水に流してしまえばなにもなかったようになる。 それは、いい面もあれば悪い面もあって、戦争に関してはきっと悪い面が でてるんじゃないかと思う。 忘れてしまえば、なかったことになってしまえば、もう一度、同じことが起きるかもしれない。 そうならないために、忘れるな、忘れるな、と、誰かが言い続けなければならないんだろう。 美術や音楽は役に立たないから、先に死ね、と言われるような、 国のために、大切な人を守るために、という、綺麗な言葉にくるまれて、 若い命が犠牲になるような、そんな時代がもう一度やってこないように。 作中の短歌は、実際にあの当時詠まれたものみたいだ。 巻末に、作者もしくはご家族の方に連絡を頂きたいという一言が添えてあって。ああ、本当に、そんな気持ちで戦後を生きた たくさんの、吉岡先生や須藤さんや堀田さんがいらしたのだろうなあ、と。 加害者にも被害者にも、そして傍観者にもなるな、か。 はあ、そうだ。傍観者もだめなんだよ。 でもなあ、実際、なにをどうすればいいのか。 秘密保護法なるものもあっという間に国会をとおってしまうし。 通る前はぎゃーぎゃーいってたマスコミも通ってしまえば、その後の 報道は殆どないし。まあ、あの自民圧勝の時に、こうなることは 分かっていたと思うのだが。なぜああもみんな雰囲気に流されるのか。 美しい国、とか政治家が口にするとなーんか胡散臭いんだよなあ。 とりあえず選挙には欠かさず行ってるんだが、 いまだかつてあの流れに打ち勝てたことがないような気がする・・・・。 当たり前の日常が当たり前に続いていく。 そんな未来があればいいのだが。 いや、願うだけでは、だめなのか。 とりあえず、この本は読むべし。

    1
    投稿日: 2013.12.19
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    広島の中学に通う美術部の生徒たちが、文化祭に出展する作品にまつわる物語。 生徒たちは、戦争、原子爆弾を経験した身近な人々に刻まれた物語を知ることになる。今日、その人と別れるときに「今日も明日も元気で帰ってくると信じとるけえ、きついこともいえる訳じゃ」 そして、そのまま別れてしまったひとたちは、「今でも待ってとる、いうことじゃ」 原爆のみ反対という物語では無い、戦争反対と声高に言う物語でもない。そういうことは、人々に永く続く悲しみを残すだけと静かに語りかけられているような気がする。中学生の頃、同じ目線のころ本書を読んだら、あの頃どう思っただろうかな?と思った。 「今日も明日も元気で帰ってくると...」戦争でなくても、それが儚いものだとわかっているなら、ただ生きるな 善く生きよ。

    1
    投稿日: 2013.11.20
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    心にしみわたるような物語だった。この物語は「事実」から織られた物語で、悲しみや痛みは隠れていてなかなか見ることや知ることはできないけれど、「戦争」という行為は戦い自体が終わる事はあっても、そこから生まれてしまったもの(悲しみや痛みや憎しみ)はどれほど長い年月がたっても癒えるものではないのだ、ということでしょうか。けれども、それは人の思いによって救われることもある、という部分に、暗闇の中に浮かぶ燈籠の光を感じました。戦争はいけません、絶対に。

    2
    投稿日: 2013.11.02