
総合評価
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powered by ブクログ高校生のとき挫折したけど、何回も読み返したい本になった。 ドストエフスキーのような思想が積み込まれた本だけど、彼と違うのは、この本の通奏低音がカオスではなく、教養小説的な自己刷新であること。一つの大きな出来事がきっかけになるのではない。サナトリウムという非生活の中での、現実的な生活を通して、人との関わりを学んでいく。そうした、ナイーブな存在から大人になる過程を描いている。
6投稿日: 2025.10.17
powered by ブクログ(上下巻読み終えてからUPしています) おおおーーーたまたま見かけて読み始めてしまったーーー 学生の頃読んでいた作家たちが好きだったこと(北杜夫とか)、そして「本が好きなら読まなければだよね」と手を出したものの、無理やり読んだ上巻だけでギブアップしました。だって言葉による民族や国柄、社会的地位の違いなんて全く理解できないし、当時の欧州の政治や社会背景もわからないし、なんといっても上巻の最後の数ページの、ドイツ人とロシア人がフランス語を話す場面がカタカナ表記なんですよ!「ボクハフランス語デ話シテミタイ」「アラトテモドイツ的ネ」って感じ。 よみづらいーーーーー! ということで、再読した今回も、すみませんがここはほぼ飛ばし読み(-_-;) === ハンスブルグで生まれ育ったハンス・カストルプ青年は、従兄のヨーアヒム・ツィームセンを訪ねてアルプス高地ダヴァス・プラッツの国際サナトリウム「ベルクホーフ」にやってきた。 ハンス・カストルプ自身も喘息の気があることから、造船所で働き始めるまでの三週間の休暇をここで過ごすことにしたのだ。 両親を亡くしたハンス・カストルプは祖父に引き取られた。実家は旧家の名家だが財産はあまりない。祖父は時代遅れだが保守派としての発言権はあった。ハンス・カストルプが一人前になればきっと祖父のような保守的な政治的発言をする立場を期待されている。 祖父の死後、財産は叔父さんにより着実に管理されている。 ハンス・カストルプは(「その言い方をしたくないのだが」という注意書き付きで)酷く平凡な男だと作者は書いている。 ハンス・カストルプは、はじめは「死」が普通のベルクホーフに戸惑う。ハンス・カストルプの部屋だって前々日に患者が死んだから空いたのだ。 日にちが経つとここの生活が当然となり、平地での暮らしを思うと違和感さえ覚える。 そして療養患者たちから色々な人間の姿を見る。 軍人として昇格しつつあったのに、酷い結核に陥った従兄ヨーアヒム 朝からいちゃつき合ってるロシア人夫婦 二人の息子が重病となり、英語は「二人とも」しか話せないメキシコ人夫人 胸に入れたガスで音を出すヘルミーネ・クレーフェルト 出入りのたびにドアをバタンバタンと音をさせるクラウディア・ショーシャ(ショーシャ夫人) 無教養で言い間違いをするシュテーム夫人 豊かな胸を持つ娘さんマルシャ 母が乗り越えた病気を受け継いでしまったライラ・ゲルングロース 目まぐるしく喋り続けるイタリア人文主義者セテムブリーニ 院長で地獄の裁き手「ラダマントュス」と仇名されるドクトル・ベーレンス顧問官 ハンス・カストルプは喘息気味ってだけだったはずなのに、エルクホーフに来てから不調が現れる。 ベルクホーフのこの当時の病気療養も読み取れます。 空気が良く寒いテラスで寝る安静療法 タンパク質を捕る 食事は一日五回(朝二回) 肺炎治療に、片方の肺を休ませるためにガスを入れて働かないようにする。彼らは「片肺倶楽部」と自称する(失敗例も…(-_-;) 手術であばら骨を減らす 国際サナトリウムであっても、食事の席は階級により席が分けられる。 ここにいると生死の概念も、時間の観念も曖昧になる。滞在者は、同じ病人として共同意識を持ちながら、他の人は自分より早く死にそうな相手は見くびっている。自ら命を経つことを宣言する若者もいる。 もともとハンス・カストルプは平凡であり「何もしないことが一番好き」という性質だ。しかしここに来てからは熱は上がるし、独自の時間の観念を持ったり、本人は客のつもりでも最初からあれよりも馴染んでいるようだ。 心配したイタリア人セテムブリーニ氏は「今夜すぐにここから帰りなさい。帰れなくなりますよ」と忠告する。 帰る予定の日が近づいたハンス・カストルプだが、発熱により「いつ帰るかわからない滞在」となる。 まあ読んでいても「必然」ですよね。ハンス・カストルプは最初からここの療養所に合っていたんだし。 ハンス・カストルプは「人生の厄介息子」として患者たちと過ごしながら、批評精神を育み、生命について、人体について、社会についての思考を深めてゆく。他の滞在者(主にセテムブリーニ氏)と批評や議論をして考えを深めようとする。 時間とは。生命とは。暦(太陽の動き)のこと。 滞在が長引くと、瀕死の病人を力づけるために見舞いに行くこともした。 …んですが、現代社会の庶民としては「お金があるからなんとなく滞在してるだけじゃないか!この金持め!!」とも言いたくなります(^_^;) 要するに「人生の厄介息子」って生産的活動を全くせずにこの世に世話になってる人ってことでしょ。 そんななかでもハンス・カストルプがレントゲンで自分の骨や内蔵を見たときの描写が印象的でした。 神が作った身体というものを目にしてしまった。生命の深淵をみた気がする、それと同時にただの人体でもある…というこの世の真理に触れたような感触。 そしてハンス・カストルプはロシア夫人のショーシャ夫人に「ぞっこんまいってしまった」。 上品ではなく、引き立つほどの美人でもなく、動きもがさつで一流ロシア人席に座るご夫人。 そんなショーシャ夫人は、ハンス・カストルプが学生時代にちょっと意識したヒッペという同級生をなんとなく思い出させるのだ。 ハンス・カストルプがショーシャ夫人とすれ違うために努力したり、見かけた時のことをあれこれ考えたりするところが思春期だw そして、私が以前この『魔の山』を最後まで読めなかった要因である上巻の終盤にきた。 ハンス・カストルプとショーシャ夫人が初めてちゃんと言葉を交わします。しかも夫人は明日出発するという最後のタイミング。 ハンス・カストルプは、自分にとっても、ショーシャ夫人にとっても外国語であるフランス語で会話をする。憧れの女性との会話は、現実の言葉ではない外国語のほうが雰囲気に合うのだ。 しかし、ここのカタカナ表記、読みづらい!!。(><)。 今回もさら〜っと読み流しました…。しかしかなりエロチックなこともお話していました(^_^;) ヨーロッパ文芸作品って、色々な国の人たちが集まるので色々な言語で語られるんですよね。そのため小説の地の文でも「この言葉をこのような語尾の伸ばし方で発音した」というような描写が多くなる。日本人としてはこのあたりの微妙なニュアンスが伝わってこないんだよなあ。 上巻は、「この金持たちめ!」という気がしたり、哲学的文章が難しいのはあるのですが、ハンス・カストルプの青二才っぷり、そんな素直な新人ハンス・カストルプを巡ってベテランたちが取り合いしている様子はちょっと面白かったです。 下巻へ https://booklog.jp/users/junsuido/archives/1/4102022031
39投稿日: 2025.07.02
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
ドイツ教養小説の雄。学生時代からいつかは読みたいと思って40年以上(笑)。岩波か新潮かは、実際に数ページ読み比べて、継続性から迷わずに新潮の決定。フランス語での会話でのカタカナ表記などやや違和感もあるが(岩波はどうだったか?)、基本読みやすい文章で、少しずつ読み進めて、長年の積読だった大きな山を登り終えた。(下巻へ)
3投稿日: 2025.05.13
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
時間/生と死について見え隠れしながら、上巻は後半に行くにつれ加速するような感覚。 【時間】 (洗礼盤を見せてもらって)すると少年は、それまでにも経験したことのあるひとつの感情に襲われるのであった。それは進んでいると同時に止っているような、変転しながら停止していて、目まいを起すようで単調な繰返しをしているような、半分夢のようで、そのくせひとを不安にさせる一種異様な感情だった。(第二章/p.53) …この時間体験というものはわれわれの生活感情そのものときわめて密接な関係にあり、一方が弱くなると、それに伴って他方もみじめに萎縮する。…大きな時間量、とほうもなく大きな時間量が問題になる場合には、空虚や単調はかえって時間を短縮させ、無に等しいもののように消失させてしまう(第四章/p.221) 待つ身は長いというが、しかしまた、待つ身は、あるいは待つ身こそは、短いと言ってもよかろう。つまり長い時間を長い時間としてすごさないで、それを利用せずに、鵜呑みにしてしまうからである。ただ待つだけの人は、消化器官が、食物を栄養価に変えることができないで、大量に素通りさせてしまう暴食家のようなものだ(第5章/p.497) 【生と死】 …つまり死というものには、敬虔で、瞑想的で、悲痛な美しさに輝く、いわゆる宗教的な面があると同時に、これとは全然違った正反対の、きわめて肉体的で物質的な面、美しくもなければ、瞑想的でも敬虔でもない、本当は悲しいともいえないような面があるということである。(第二章/p.60) …病気や死なんてものは、本当は厳粛なことじゃなくて、むしろぶらぶら歩きで暇つぶしをするなんてことと同じものなんじゃないだろうか(第三章/p.109) …どうか、お願いですから、病気によって生じる人間の『精神化』などということは口になさらないように。冗談じゃありませんよ。肉体なき魂は、魂なき肉体と同様に非人間的かつおそるべきものです。しかし前者がきわめて例外的なものであるのに対して、後者は当たり前のことです。…病人として生きている人間なんていうものは、もうまったく単なる肉体にすぎないのであって、これこそまさに反人間的な、屈辱的な現象なのです(第四章/p.212) 生命とは何であったか。誰にもそれはわからなかった。明らかに生命は、それが生命になった瞬間から自己を意識してはいるのだが、しかし自分が何であるかを知らないのである。…だから意識なるものは、結局のところ、生命を構成している物質の一機能なのであって、この一機能としての意識は、それが増大するにつれて、自分をささえている生命に立ち向い、自分を生みだしたこの生命なるものの現象を解明し説明しようとする。これは生命が自分を認識しようとして試みる努力、自然の自己発掘であって、希望に満ちた、しかし同時に絶望的な努力、結局は虚しい努力なのである。自然は認識しつくされることはないし、生命というものは、結局のところ、知りつくすことのできないものなのである。(p.570)… それでは、生命とはいったい何であったか。それは熱だった。形態を維持しながらたえずその形態を変える不安定なものが作り出す熱、きわめて複雑にしてしかも精巧な構成を有する蛋白分子が、同一の状態を保持できないほど不断に分解し更新する過程に伴う物質熱である。生命とは、本来存在し得ないものの存在、すなわち、崩壊と新生が工作する熱過程の中にあってのみ、しかも甘美に痛ましく、辛うじて存在の点上に均衡を保っている存在である。生命は物質でも精神でもない。物質と精神の中間にあって、瀑布にかかる虹のような、また、炎のような物質から生まれた一現象である。生命は物質ではないが、しかし快感や嫌悪を感じさせるほど官能的なもので、だから、自分自身を感じうるほどにまで敏感になった物質の淫蕩な姿、存在の淫らな形式である(p.572-3) それは(生命は)形を得て高貴な形象となり、美にもなるが、それでいてつねに官能と欲望とのかたまりである。なぜならその形や美は、文学や音楽の作品のように精神によって産まれるのではなく、また造形美術品の形や美のように、精神を無我夢中にする中立的な物質、精神を純潔なやり方で官能化する物質から生みだされたのではないからである。その形や美は、何らかの事情で肉欲に眼ざめた物質、死にながら生きている有機物質、匂いを放つ肉によって生み出され、作り出されたものなのである。…(p.573) 【ハンス・カストルプ/鏡としての時代の人間】 …ハンス・カストルプは天才ではなかったが、愚物でもなかった。…人間というものは、個々の存在として個人的生活を送っていくのみならず、意識的あるは無意識的に、自分の生きている時代の生活や自分の同時代人の生活をも生活していくものである。(第二章/p.70) (ヒッペの思い出を回想しながら)名付けるということは批評とまではいかなくても、少なくとも限定すること、未知なものを既知の慣れたものの中へ組み入れることを意味するのであるが、ハンス・カストルプは、こういう心の財宝とでもいうべきものは、決して限定されたり、組み入れられたりすることのないように保護しなければならないと、無意識裡に固く信じこんでいたのである。(第四章/p.255) …人生につきものの残酷さ(社会的ステータス等々)…を弁護する気はありません。それは兎に角として、そういう残酷さを非難するのは、かなりセンチメンタルなことだと申上げなければなりますまい。(第四章/p.415) 【セテムブリーニ氏の主張】 美しい言葉からこそ美しい行為が生まれるからである。…美しく書くとは、美しく考えるということとほとんど同じことであって、美しい考えという段階から美しい行為という段階までは、あと本の一歩である。(第五章/p.332) 死に対して健康で高尚で、そのうえーこれはとくに申添えたいことですがー宗教的でもある唯一の見方とは、死を生の一部分、その付属物、その神聖な条件と考えたり感じたりすることなのです。ー逆に、死を精神的に何らかの形で生から切り離したり、生に対立させ、忌まわしくも死と生を対立させると言うようなことがあってはならないのです。(第五章/p.419) セテムブリーニ結構好きだったけど、当時のザ・西洋の考えは少し息苦しくなるところもあったな笑。名付けて征服して…。 100 分 de 名著も見ながら…! #1 ・1913年に執筆開始、14年WWI勃発、15年第四章で執筆断念、19年再開、24年刊行 ・34号室、7年もかかるまい! ・サナトリウム=デカダンスの空間 ・ハンス・カストルプという名前についてハンス=太郎、童話の中によく出てくる名前。個人としてどういうふうに生きればいいのか、何になりたいのかわからない、時代の閉塞感を表す登場人物。 #2 ・ヒッペ=明確な恋のお相手と先生言った!マンもバイセクシャル(ヴェニスに死すも考えれば、ではあるが笑) ・ショーシャ夫人は胸を病んで子供が産めないかもしれない=国に役立たない
1投稿日: 2025.03.09
powered by ブクログ北杜夫が好きで、北杜夫が松本高校時代に望月市恵先生に薫陶を受け、トーマスマンにのめり込んだ話を何かで読み、遂に読んでみた。難しいぞ 100分で名著のテキストも買ったので、照らし合わせながら読んでみる。
1投稿日: 2024.10.13
powered by ブクログ何か特別なことが起こる(上巻の最後ではちょっとしたことがあったが)わけでもないのに、知らぬ間に療養所の毎日に引き込まれてしまう。 この小説は「教養小説」と呼称するのだそうだが、確かに医学などのかなり専門的な記述などもあって、それらが主人公の成長を促しているものの一部になっているということなのか。 下巻で展開がどうなって終末に向かうのか見届けたい。
2投稿日: 2024.04.18
powered by ブクログ前々から気になってた作品。今年読んだ本で引用されたり考察されたりが続いたのでこれは読むタイミングだなと。主人公ハンスの人間的の成長や変化が、爽快でサクサク面白いというのとは全く逆の濃厚さというか重厚長大さというかで描かれていく。どうしたらこんなのが書けるのか。
0投稿日: 2024.01.19
powered by ブクログ魔の山の「魔」は魔法の魔。私は悪魔の魔だと勘違いしていたが、英語ではmagicと訳されているらしい。
1投稿日: 2023.09.28
powered by ブクログドロップアウト。 意外と読みやすく、ウイットに富んだ表現などもあったが、面白くないものは面白くない。 名作だから読むべきなのではなく、楽しい時間を過ごせる本を選ぶべきなのを再度実感。
0投稿日: 2021.06.27
powered by ブクログ舞台は第一次世界対戦前、スイスの山奥にあるサナトリウム。ヨーロッパ中から結核患者が集まって療養している。 マンは講演で「私は一生を通じて一つの物語を語りつづけてきた市民的作家であって、市民性から脱却する過程を語りつづけてきた。」と言っており(河出書房版解説)、 主人公「ハンス カストルプ君」は、「ドイツ君」だと考えれば、読みやすく分かりやすい。 キャラクターの濃いのがたくさん出てきて個人的にはめちゃくちゃ面白かった。 中でもゼテムブリーニとナフタの、ハンスカストルプを賭けての思想合戦が面白い。が、難しく理解したとは言えないので、知識を付けて、10年後ぐらいに再読したい。
2投稿日: 2021.03.18
powered by ブクログ自分が大学時代に読んだ本の中で一番尊いものです。何度も受けた(単位が取れなかったので)独文の授業もこのためにあったのだと思う。これはノルウェイの森の下敷きになっている
0投稿日: 2019.02.02
powered by ブクログハンス・カストルプは、ダボスのサナトリウムで療養中のいとこを訪ねたが、滞在中に病に罹り、そこでの長期療養を余儀なくされる。療養生活の中でショーシャというロシア婦人に思いを寄せるようになり、謝肉祭の夜に告白する。しかし、それは彼女が翌日サナトリウムを発つという日であった。
0投稿日: 2018.11.04
powered by ブクログドイツの偉大な教養文学というだけあって教養になる物事が山程詰め込まれた本。人間を科学的な面での身体から、精神やら思想やら芸術について突き詰めてあってとても面白い…そして難しい。「文学とは常に“苦悩”について描かれている」という言葉が腑に落ちたし好き
0投稿日: 2017.02.17
powered by ブクログ本当は岩波文庫で読もうと思っていたんですが、新潮文庫に日和ってしまいました。 それでも、読むのは大変でした。 なにせ長い! 読む前は、なぜいとこが療養しているサナトリウムに3週間も見舞いとして滞在するのか、そこが疑問でした。 だって、結核って伝染病でしょ? なんで見舞いに3週間? 見舞いと言えば見舞いなんですけれど、ハンス自身も体調があまりよくないというので、転地療養をするように医者に言われて、いとこのいるサナトリウムに来た、と、そういうことでした。 それにしても体が弱っている時に、結核患者のたくさんいる所へ来るという時点で彼の運命は決まってしまったと言えましょう。 3週間後、彼は見舞客から患者になってしまうわけです。 しかし、初対面の時から何度も折に触れセテムブリーニは「山を降りるように」と彼に言い続けていたのです。 なぜ彼は降りなかったのか? 彼は常に周りを見下しているのです。 下層階級である。知性がない。見目麗しくない。 つまり、自分とは別であると。 しかし、ハンスは自分を客観的に見ることはできていない。 世間を知らないし、自分を知らない。事実ではなく、自分の脳内で思い描いたことを見ているだけだから。 そんなハンスにセテムブリーニはいろいろなことを語ります。 文学、政治、歴史、生物、天文、宗教、恋愛。 それに対してハンスは反発を覚えながらも、耳を傾け、いろんなことを学んでいくわけですが、やはり山を降りようとはしない。 恋に落ちてしまったんですね。 それもかなり一方的な、妄想まみれの、独りよがりの。 どこまでも独善的な男です。 そして、山の生活。 自由といえば自由。不自由といえば不自由なその生活とは、1日5回の食事(第一朝食、第二朝食、昼食、ティータイム、晩餐)、そのあいだ間に挟まる散歩と安静(昼寝)の時間。 夜、読書灯の下で本を読み、疲れたら窓の外を眺めるとそこには満天の星。 そりゃあ、山から降りませんよ。私でも。 まさに取り込まれています。魔の山に。 セテムブリーニの語る言葉が、とにかくわくわくするほど読み応え満点。 クロコフスキーの精神分析部分が意外にあっさり終わってしまったけれど、下巻で再び取り上げられるのでしょうか。 難しいけど、面白い。 下巻も楽しみ。
1投稿日: 2014.10.16
powered by ブクログ上巻だけで700ページ。なかなか読み応えある。 小説の形をしていながら、思想を語る哲学書。 死が日常にあるサナトリウムで、生と死と恋愛と嫉妬の感情が描かれる。はしゃいだり、調子に乗ったりするシーンは若い恋を思い出させられてなんとも恥ずかしい。 学校のようでもあり、ムーミン谷のようでもある。 われわれ人文主義者は、みな誰も教育者的素質を持っているのです。 しかし人生が美しいのは、女が魅惑的な装いをするという当然のことによってなのだ。 そうですね、生とは死ですよ。 もしこういう言葉が許されるものなら、あなたは人生の厄介息子だーあなたは眼が離せない。
0投稿日: 2014.04.17
powered by ブクログ古典は難しい。というのはその時代背景が分かっていないとキャラクターの性格や行動に共感しにくいことがあるからだ。主人公のハンス・カストルプはハンブルグ出身の無垢で「単純な」青年であり、その性向は当時の比較的裕福な階層の若者としては平凡なものなのだろう。物語は彼が「魔の山」と呼ばれるスイス高原ダヴォスのサナトリウムで療養中のいとこを尋ねると頃から始まる。そこで出会う患者たちとの関係を深めていくうちに、彼も(おそらく肺病に)罹患し、生活を共にすることになる。理性と道徳という視点から人間のあるべき姿を説くセテムプリーニとの対話ややせ細ったロシア人のショーシャ婦人への仄かな思いなどが延々と語られるのだが、やはり素直に共感は生まれなかった。下巻ではどのような展開になるのだろう。
0投稿日: 2013.11.14
powered by ブクログ時々思想部分が難しく読みづらいところもありますが、それでも不思議と話に吸い込まれて夢中になって読めました。 下巻も楽しみ。
0投稿日: 2013.11.13
powered by ブクログ全2巻。ドイツ文学・教養小説の傑作。主人公のハンス・カストルプは、いとこを見舞う目的で訪れた結核療養施設で三週間の滞在を予定していたがいつの間にかそこが彼の安住の地となる。下の世界とは隔絶された施設での平穏な、しかし生と死が絡み合った濃密な生活の中で彼は時宜を得た教育者によって哲学的な思索を深化させ、自己形成を図る。そして物語のどんでん返しはまさしく晴天の霹靂のごとく訪れた。この小説の世界にはドイツ的気質が横溢しているように思われる。一言でいえば堅苦しく、展開される思想は難解で読みすすめにくい。だがある場面においては、特に数少ないショーシャ夫人と主人公との間に交わされる会話の場面ではあたかも眼前に無限の時間が流れているかのように没頭してしまう。ラスト数ページで展開されるどんでん返しの場面においても然りである。傍観し続けた主人公の人生は悠久の歴史の中に収められるようでもありまた一瞬の刹那の出来事のようにも錯覚される重厚感にあふれる小説である。
0投稿日: 2013.02.24
powered by ブクログ時間とは何であるか? 生命とは?有機体とは? 人類、人種とは?病、死とは? 愛とは??? 人文の総体みたいな本だな。面白い。そして長大!下巻が待ってる… シリアスがコメディで、コメディがシリアスっていうね、表裏一体。悲劇も遠くから見ると喜劇ってやつですか。 話の舞台が舞台なだけに、ブラックユーモアもちらほら。痛快ですらある。
0投稿日: 2012.11.26
powered by ブクログ大学に入ったばかりの自分の写し絵を見ているようでしんどい、とだけ。 知性に囚われて肥大化した自己? 他者の不在? みたいに読んでしまう。
0投稿日: 2012.10.05
powered by ブクログ内容はとても面白い。ただ一度読破しただけでは少し理解に欠けるかもしれない。 言い回しにセンスがあるなぁ とか思いながら読破。純文学好きなら一度は読んでおいても損のない本。
0投稿日: 2012.05.26
powered by ブクログ第一次世界大戦が勃発する数年前、スイスのダボスという町のサナトリウムにいとこを見舞うために訪れた青年、ハンス・カストルプ。ところが彼も肺を病んでいることがわかり、いとこといっしょにこのアルプス山中の療養所「ベルク・ホーフ」で過ごすこととなります。第一次世界大戦が始まるまでの7年の間、療養所で出会うさまざまな人間、事件、思想に影響を受けながら、ハンスは自己を形成していきます。哲学的でありながらユーモアもある、教養小説の傑作です。
0投稿日: 2011.09.09
powered by ブクログずっと前に購入しながら、数回はチャレンジしましたが途中で挫折しっぱなしでツンドク状態でした。それがふと急に今度こそ読破しようという気になり、ブクログ登録第一号となりました。未だスタートしたばかりです。応援してください。
0投稿日: 2011.09.03
powered by ブクログ10年以上前に読んだのですが、難しいことはわからなくても雰囲気が大好きで、何度も読み返した記憶があります。おそらく私にとって読みやすい文体だったのと、当時自分が療養生活を経験していたので共感する部分も多く、退屈しないで読めたのだと思います。サナトリウムでの療養生活の細かな描写や、そこに集う人々の人物描写が面白いと同時に興味深かったです。今読み返すと全く違った感想を持つかもしれません。ちょっと気力が持たなそうですが…
0投稿日: 2009.04.05
powered by ブクログ思ってたよりガチガチの内容じゃなかったです。上巻は気軽に読めます。でも下巻はちょっとハードだったかな。脳みそが沸騰して何度か挫折しそうになりましたが、不思議と時々読み返したくなります(初めて読んだのは高校生の時。そして一度処分して、やっぱり読みたくなって買い直した)。スケールの大きい討論が繰り返されているのと、「死」が色濃く出ているので、小さなことで悩んでいる時に読むと効きます。でも、あのラストには納得がいかない…。あまりにもあっけなくて…いや、でも、あっけないから「こそ」ってことなのかな。
0投稿日: 2008.04.18
powered by ブクログドイツ文学の三大名作の一つ。他の二つ、『ファウスト』、『ツァラトストラ』はもう読んでいたので、最後の砦です。文庫本でもかなりの重さですww
0投稿日: 2007.12.09
powered by ブクログ上下巻。 ハンス・カストルプとは、真夏のマンションの屋上で邂逅した。うだる熱気に晒されながら魔の山を彷徨したものだった。
0投稿日: 2007.11.07
powered by ブクログ中学の時、友人から誕生日プレゼントに頂きました。一言で語りつくすことが出来ません…。マンの作品は人物表現も秀逸だが、『ベニスに死す』にしろ情景描写とそこへの投影が素晴らしい。セテムブリーニやらに流されつつ一読しましたが、一冊の本として大きな模様が完成されていて一つ一つの文がこれほどまで完璧に精微に編込まれている作品はこれ以上には存在しないと思います。ただ読んでいると少し息が詰まります。マンなどのドイツ文学を読んでいるとフランス文学のエロティックな抜け落ち感が恋しくなりますよね…。
0投稿日: 2006.06.10
powered by ブクログ形容に形容を重ねる描写はヨーロッパ的。論理的過ぎる描写には情緒に欠けるという批評もあるが、このガチャガチャ感に独特の情緒を感じる。
0投稿日: 2006.04.20
