
総合評価
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powered by ブクログ鶴太郎さんの生き方を垣間見た一冊 人生を愉しんでいくこと、大切なことはワクワクすることをやっていくこと。心躍らないことからは距離を取ることも大事。
6投稿日: 2023.08.15
powered by ブクログ「片岡鶴太郎展覧、いのちの讃歌」を鑑賞後、グッズコーナーで購入。 自分の心の中に「私の魂は何をすれば歓喜するか」を問いかけてシードの存在に気づくこと。そしてやりたい事のシードを見つけたら、毎日コツコツと水やりをしていくこと。するとやがて芽吹き、魂の歓喜がもたらされるようになる。
0投稿日: 2022.05.01
powered by ブクログ50代から本気で遊べば人生は愉しくなる (SB新書) 私は1954年生まれの62歳ですが、毎朝、起きるのが楽しみでしょうがありません。やりたいことがあって、毎日時間が足りないと思うくらいです その時どきの境遇に安住することなく、新しいことにチャレンジしてきた結果、62歳になる今も「毎朝、起きるのが楽しみだ」と断言できる人生を歩むことができているのです。 新しいことにチャレンジすることはエネルギーが要りますし、ときには悩んだり苦しんだりすることもあります。でも、その先には大いなる”ギフト(贈り物)IIが待っています。その贈り物とはII魂の歓喜II です。誰もが心の中に、自分の魂を歓喜させるII シード(種)II を育んでいます。ただその存在に気づいていないだけ、あるいは気づこうとしていないだけです ちょっとしたきっかけではじめたことが、人生最大の楽しみになります。「本気で遊べば人生は愉しくなる」 そのために、まずはものまねをしてみてはいかがでしょうか? あくまでも自分の心が歓喜することは何かを問いながら、楽しく、自由に、心からやりたいと思うことをやる人生を歩んでいます。 私自身の肝、最終的に何を求めているかというと、ずばり”魂の歓喜II です。こういうと、何やら大げさに聞こえるかもしれませんが、とても単純なこと。自分が喜ぶかどうか、楽しいかどうかです。 自分の心の中にある芥子粒のようなシードの存在は、心を澄ませておかないとなかなか気づくことができません。 理性や意識とはまったく別のところで根源的に燃え上がってくるシードの存在ほど、大事なものはないと私は思っています。 その贈り物とは人との出会いだったり、心から満足できるものを創造できたりと、さまざまな形をしています。 私はそんな贈り物をもらえたときに、宇宙のような神様のような得体の知れない存在に祝福されているように感じるのです。 私は1日1食の食生活を送っており、その1食が朝食なのです。朝食はとてつもなく量が多いので2時間くらいかけてゆっくりと食べます。 翌日も画が描けるというときは、「また明日描けるんだ!」と思って、朝起きるのが楽しみで仕方ありません。早く寝て、早く描こうと思いながら眠りにつくのです。 とにかく1日24時間がものすごい速さで過ぎます。もうあっという間です。そして、私の魂がその一瞬一瞬を喜んでいることが感じられるのです。 ョーガの8部門(アシクーンガ・ヨーガ)ですが、ステップというよりは部門(分野)という方が正しいです。 禁戒は、暴力や嘘をつくなど反社会的行為を律する実践(社会行動) 勧戒は、浄化、知足など毎日行うべき自己精進のための実践(自己実践) 坐法は、長時間の瞑想のための正しい姿勢を取るために行う肉体を柔軟にする実践(肉体の強さと柔軟性) 呼吸法は、心を静める瞑想のために深く静かな呼吸を維持できるように養う呼吸法の実践(肉体の活力) 制感法は、外界から心の内面に意識を向ける実践(五感制御) 集中法は、心の内面に意識を保ち続ける実践(精神統一) 瞑想法は、心のもっとも静かな真我へと意識を至らしめるための精神的実践 (潜在意識) 三昧は、心の動きが最小限の状態である真我(本当の自己)の状態(瞑想で心の源に達した状態) 食事にも変化がありました。食べなくても飲まなくても、それが体にいいかどうかが感覚的に分かるようになったのです。 日常生活での瞬時の選択が、ものすごくクリアにできるようになりました 私は「こうあるべき」と枠にはめて、決めつけた食事をするつもりはありません。言うなれば、体が歓喜する食事は何かを追い求めているといった感じです。 自分の肉体を使って人体実験している感覚とも言えます。 いいと思ったら続けるし、そうでなければ他の方法を試す。 画を描くことができない日は、料理を作ることで気分がスッキリします。 朝起きると、鉛を飲み込んだように心が重たい日が続きました。 鏡を見ると、そこには目を背けたくなるような生気のない自分の顔があります。そんな自分の顔にまったく責任が持てません。 知識や理性ではなく、根源的な直感です。そうやって好きなものを集めていくと、自分というものの中身が投影されるような気がしてくるのです。 もし、 画や書を少しでもやってみたいという人に、 私ができるアドバイスはたったひとつです。ただ、やってみるしかない。上手く描く必要はありません。好きなものを自由に描いて、失敗しても投げない、人の言うことなんかにめげない。その画や書は、あなたにしか描けない尊いもの。そして、描き続ける以外に近道はないのです。 好きなものがあるというのは、本当に強い。そして、何かを会得するためには反復練習するしかない。このときの経験は今でも私の人生の核になっています 芸人の道に入るということは、売れなきゃ1銭も稼げないということだ。もしこの天丼をうまいと思ったら、次は売れてから自分の金で食べるようにしなさい」 「何かどちそうになるときは、メニューの最初に書いてあるものを頼みなさい。 喫茶店ではコーヒーか紅茶、蕎麦屋ではもりそばかかけそば、一番安いものをいただきなさい。メニューの真ん中以降に書いてあるものは決して頼んじゃいけないよ」 毎週のように新しいネタを作るというのは、正直、苦しい作業です。でも、その半面、楽しい作業でもあります 本来であれば年齢を重ねるごとに何かが蓄積されて、キャリア的にもメンタル的にも豊かになっていくはずなのに、いつまでも同じ場所にいてただ消耗していくような感覚。自分が、ひたすら回し車の中で走るハッカネズミのように思えてきたのです 仕事もお金もあって仲間もいるけれど、自分の魂は全然歓喜していない。だからこんなにも空虚で不安な気持ちに毎日苛まれているのだ、と。 そしてこう思ったのです。「どんなに小さな河でもいい、たとえ獣道でもいい。自分の道を探そう 食事の内容も、ガラリと変えました。 それまでは食べたいときに食べたいものを好きなだけ食べていました。1日5食も6 食も食べていたのですが、それを1日2 食に切り変えたのです。 朝はごはんと味噌汁と野菜をたっぷり、昼はそばかうどん、そして夕食はカット。ビールと油ものは一切やめて、大好きなとんかつも唐揚げも封印しました。 すると、半年後には体重が8kg減少。65kgから57kgまで落ちたのです。 私に画を描かせてくれた赤い椿の花は、私が気づくずっと前からそこに咲いて いました。 普段は気づかなかったその存在に気づくことができたのは、心が自分の内に入っていたからだと思います。 調子がよくてイケイケのときほど、そういうものに目がいかないものです。 そう考えると、これから定年を迎える時期が来て、鬱々としているときこそチャンスではないでしょうか。 それはある意味、神様からのプレゼントだと思うのです。 「ボクシングの次は画なんかやって、今度は芸術家気取りかよ」 と口さがないことを言われたこともあります。でも、何を言われても構いはしません。私の魂の根源的な欲求なのですから、どうしようもないのです。 そして今の私には、まったく不安はありません。 さまざまな人との出会いやたくさんの贈り物によって、魂の歓喜を感じることができているからです。 楽しくて嬉しくて充実できている限り、そこに不安はひとつもありません。 自分の魂が歓喜するIIシード(種) II は、自分の中に必ずあって、自分にしか気づくことはできません。もしも小さなシードの存在に気づいたら、水をやり、声をかけ、慈しんで育ててください。 失敗してもめげず、周りの人が何と言おうと振り回されずに。
0投稿日: 2022.03.01
powered by ブクログタイトルと中身は食い違っていて、書いてあるのは、作者の近況(現在62歳)と15歳から40歳くらいまでの半生記。 簡単にまとめると、心がわくわくすることをして生きよう、ということ。
0投稿日: 2019.05.21
powered by ブクログ芸人、俳優、画家など、いくつもの顔を持つ片岡鶴太郎さんが自身の半生を振り返りながら、人生を謳歌する秘訣を語った本。 本書は50歳以上のミドルをターゲットとしていますが、やりたいことが見つからないという若い世代の方にもオススメできる本です。
0投稿日: 2019.05.14
powered by ブクログ現在、私は1日をこんなふうに過ごしています。 はじまりは毎朝のヨーガ呼吸法とヨーガのポーズ、瞑想を一通りやるには3時間近くかかるので、 朝の3時、遅くとも4時には起床しています。 ヨーガをやって、水のシャワーを浴びると、次は朝食です。 私は1日1食の食生活を送っており、その1食が朝食なのです。 朝食は量が多いので2時間くらいかけてゆっくりと食べます。 後でお話しますが、私は画家として日々画を描いています。 また役者としてテレビドラマに出演させていただいてもいます。 つまり、仕事に出かけたり画を描きはじめたりする6時間くらい前には起きているわけです。 6時間といえば起きている時間の3分の1くらい。 この時間が、もう忙しくて仕方がありません。 3時に起きて朝9時に画を描きはじめたとします。 大体、1日に1作を仕上げるのが習慣なので、そこから8~9時間はノンストップで描き続けます。 ときどき白さ湯ゆ を飲みながら、作品に向かい続けていると、 あっという間に時間が経ちます。 描き終わって最後に作品に落らっ款かん(署名・押印)押したら、 すぐにシャワーを浴びて夜7時か8時には寝てしまいます。 翌日も画が描けるというときは「また明日描けるんだ! 」と思い、朝起きるのが楽しみで早く寝て早く描こうと思いながら眠りに〜 ◎ほんの少しの習慣で「定年後」を謳歌する ☆「定年後」も毎日ワクワクする すべてはモノマネから始めよう 私は1954年生まれの62歳ですが、毎朝、起きるのが楽しみで やりたいことがあって、毎日時間が足りないくらいです。 ちょっとしたきっかけではじめたことが、人生最大の楽しみになり得ます。 「本気で遊べば人生は愉しくなる」 そのために、まずはモノマネで上達してみてはいかがでしょうか? ◎モノマネ芸人、ボクサー、役者、画家、書家、ヨガ…… 幾つもの顔を持つ逸楽の達人に学べ⁉️
0投稿日: 2019.02.03
powered by ブクログ片岡鶴太郎の自伝。 傍から見れば順風満帆に見える人生も、実際にはそれなりに山あり谷ありで、彼の不断の意思と集中力が今の地位を築いたのだと知ることができた。
0投稿日: 2018.05.24
powered by ブクログ自分を樹ののようにたとえていることが面白かった。自分のなかに「種」をみつけて、毎日「こつこつと水をあげる」こと。自分自身とじっくりと対話をすることで「種」は見つかること。わからないときはわかるところまで戻ること(片岡さんは中学校3年生の夏休み、まったく勉強ができなかったので、中3、中2、中1の内容まで戻ってもわからず小学校6年生の内容でやっとなんとなくわかると思ってやり直したら、夏休み明けには最難関校を受験できるほどに成績があがっていたとこと)。人生の生き方として参考になる本。
0投稿日: 2018.03.18
powered by ブクログいかに魂の声に正直になれるか、心から求めているものに気づけるかどうか。幸福とは人それぞれで、比較するものではない。種が芽をふくまで時間はかかるが、願望を育んでいくことが大切なんだと思わせてくれる一冊。誠実に、愚直に。必読です。
2投稿日: 2018.02.12
powered by ブクログ「毎朝、起きるのが楽しみだ」と断言できる人生を歩む。 「自分の魂は何をすれば歓喜するのか」と問いかけて、シードの存在に気づく。シードを見つけたら、毎日コツコツと水やりをしていく。 「人生を愉快にするものは、モノマネから」 守破離→「真似る」ということは「学ぶ」ということ→モノマネ芸人、プロボクサー、俳優、画家、書家、ヨーガ ◎画家→先人たちの画集を片っ端から見ることにした ◎書家→自分の好きな書を見ることを繰り返した ◎何事も上達には反復、反復、反復
0投稿日: 2017.10.29
powered by ブクログ20170604 多才な片岡鶴太郎さんの半生。 面白くて一気読み。 魂が歓喜することに出会ったらトコトン突き詰める鶴太郎さんはすごい。 最後の一言が腑に落ちた。 汝の立つところ深く掘れ、そこに必ず泉あり。 深い。
0投稿日: 2017.06.04
powered by ブクログ「50代から本気で遊べ」というのは単に鶴太郎さんからのメッセージで、ご本人は10代の時から真剣に「自分が何で喜ぶ」のかを考え続けた方なんだな、と思いました。 自分が高校生の頃にテレビでよく見た芸人・役者としての鶴太郎さんのイメージが良い意味で裏切られました。 自分の好きなことをやる、トンがった生き様がかっこいいです。 「異人たちの夏」を観たくなりました。というか見る(笑)
0投稿日: 2017.05.27
powered by ブクログタイトルが50代からとあり、まさしく働き盛りの年代向きに書かれているのかと思いきや、著者の自伝的な部分に振られている印象。少年時代から現在までの、氏の趣味と充実した日々が綴られていますが、やはりそれは人それぞれである訳で、真似るとか言う話でも無し。少しタイトルと乖離している所が残念。
0投稿日: 2017.05.16
powered by ブクログ鶴太郎さんは若い時と今のイメージが全然違いますが、この本を読むと生き方の姿勢は昔から変わらないんですね。 モノマネ芸人からボクサー、画家など多くの顔をもつ鶴太郎さんですがその全ての原動力となっているのが「魂の歓喜」 色々と見習って学ぶところが多く勉強になりました。
0投稿日: 2017.05.07
powered by ブクログ書店で手に取って、なんとなくピンと来たので読んでみました。タイトルはともかく、内容は鶴太郎さんの半生の振り返りと、画に出会ってからのエピソードが紹介されています。 自分の内面に向き合い、本当にやりたいと思ったことに挑戦し続けてきた彼の生き方に共感を覚えました。なかなかの1冊。
0投稿日: 2017.05.06
