
総合評価
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powered by ブクログ9/10 真実は文字の向こう側に存在する。 第一部は長尺であり様々な登場人物の相互関係が描かれ、クロニクル的で、極めて難解だが、止まらない。この部が悪霊の土台を作ると思うから、何があっても無視してはならない。中には無視をする人もいるらしいが、勿体無い。そしてニコライとピョートルが出てきた場面は、突如の登場で、ようやく来たか!と素直に思ってしまった。まるで霹靂を感じた。そこから、一気に面白くなる。革命が起こる前の、この不安定な空調がしみじみ、最初っから感じることができる。第二部はもうたまらなく面白い、難しいのは難しいが、ピョートルとニコライの隠された謎と不気味な空気がドストエフスキーでは感じられない数少ない空気だなと感じた。 江川卓 新潮文庫版の流れ方が完璧。ステパンとワルワーラの出会いからの遍歴から始まり、関係の終局で終わる。
1投稿日: 2025.09.11
powered by ブクログ複雑な人間関係が絡み合い、様々なストーリーが紡ぎ出される。「悪」とは何か、人間の「闇」とは何かを考えさせられる。
0投稿日: 2025.01.27
powered by ブクログ2024年12月14日、YouTubeでおすすめ動画に出てきた「読書好きにはたまらない雑学」という動画のコメント欄に、この本を最近?読んだという人かコメントしてた。
0投稿日: 2024.12.14
powered by ブクログこの作品の持つ魔術的な力は計り知れません。 あくが強い人物たちが一つの舞台でぶつかり合い、自らの存在を主張し合います。 まさに「悪霊」に憑りつかれたごとく、悪役たちは巧妙にそして残酷に社会を混乱に陥れていきます。その過程があまりにリアルで、読んでいてお腹の辺りがグラグラ煮え立ってくるような感情が私の中に生まれてくるほどでした。 やがてそれは生きるか死ぬかの究極の思想対決へと進んで行き、一体これからどうなるのか、彼らの心の中で何が起こっているのかと一時も目が離せぬ展開となっていきます。 これは恐るべき作品です
0投稿日: 2024.08.14
powered by ブクログ長らく積んでたもの。初っぱなから恐ろしい文字数におののく。ロシア文学ってそういえばこうだったなと。上巻はまだ序章かな。
0投稿日: 2023.02.15
powered by ブクログ「罪と罰」が面白かったので、そのまま本書を手に取った。会えば身内だろうと浮浪者だろうとお金無心されるってどういう状況T_T 価値観ががらりと変わる時代においてインテリたちが苦悶するのはなんか、ちょっと三島とか太宰とかと近いものも感じるなぁ。死の捉え方も興味深いとのがある。登場人物再整理しつつ…下巻に続く。
1投稿日: 2022.10.23
powered by ブクログ何とか読了。読み応えは抜群だが複雑。人物も多く、一人に対する名の呼び方も多いのでノートを用意した。ページごとに人物や関係の謎が解け、同時に謎が増える。思想・宗教が出てくるたびに四苦八苦。濃厚で胃もたれする料理みたい。一度、本を置くと再び開くまで時間がかかるが、読み出すと止まらない。すごい。むずい。すごい。なにこれ。
1投稿日: 2022.06.14
powered by ブクログ登場人物が誰も彼も、大げさで激昂しやすく、見栄っ張りなうえに気位ばかり高い。その割にやけに繊細だったり。生きるの大変そう。
2投稿日: 2022.06.05
powered by ブクログ文豪による大作。 一人称になっているが他作品と違って三人称になったりもする形式。 ワルワーラ夫人の庇護下にあるステパン氏が主役かと思えばそうでは無くステパン氏の教え子ニコライ・スタブローギンが主役。この男、美青年であり教養もあり腕っ節も強くいわゆるイケメンであるがドス黒い過去を持ち合わせており尚且つ登場時には無気力状態という正体不明なカリスマ性があります。今まで読んだドストエフスキー作品の中でかなり個性的なキャラだと思われる。
0投稿日: 2021.10.06
powered by ブクログドフトエスキーの話は展開が気になるものばかりだ。 侮辱を侮辱で返されず善で返されると人は良心の呵責に苛まれてしまうものなのか。ニコライは本当は良い心を持った人間だったんだろうなあ。
0投稿日: 2021.09.08
powered by ブクログ悪霊 (上巻) (和書)2009年09月13日 01:19 1971 新潮社 ドストエフスキー, 江川 卓 米川正夫翻訳「悪霊」は以前に読んだことがあるのですが、今回は江川卓翻訳で再読しています。 関係というものが関係妄想のように諸関係がその活動を開始し始めその呪力(ハウ)のようなものによる関係性がからみ複層的に争乱の予感を滾らせていきます。それがどうなっていくのかとても興味深く読んで行くことになると思います。 下巻も楽しみ。
0投稿日: 2020.09.25
powered by ブクログ上巻は謎が謎を呼ぶ一方で1章ごとに休憩入れながら。下巻の1/3読み進めたあたりからは展開がジェットコースター。いつもながらエピソード作りはめちゃ面白い。 けれど、やはりこの信用できる人間が誰もいないタイプの構造は苦手。人物が本音で話し出すまでが辛かった。 こんな小説が産みながら密告と粛正の国になっていくこの時代、やはり興味が尽きない。
0投稿日: 2020.06.02
powered by ブクログこれまでに何冊か読んだドストエフスキーの小説の中で、最も難解な作品。 主人公はステパン・トロフィーモヴィチではなく、ニコライ・スタブローギンだとわかるまでに時間がかかった。 上巻のクライマックスは、ニコライとガガーノフの決闘であろうか。
0投稿日: 2020.05.28
powered by ブクログドストエフスキーの5大長編(『罪と罰』『白痴』『悪霊』『未成年』『カラマーゾフの兄弟』)を上梓順に読破するというドストエフスキー・チャレンジを実施中の僕ですが『罪と罰』『白痴』の2冊を読了し、3作目の本作『悪霊 上』に取りかかりました。 この『悪霊』も文庫本としては、岩波文庫(米川正夫訳)、新潮文庫(江川卓訳)、光文社古典新訳文庫(亀山郁夫訳)の3出版社から出版されていますが、前回新潮文庫版(木村浩訳)の『白痴』を読んだので今回も2004年に改版されて文字の大きくなった新潮文庫版の『悪霊』を手に取りました。 読み始めた『悪霊』、いや、これは正直言って最初はきついですね。 まず最初の200ページくらいは何の話をしているのか全くわからない。 ストーリーの意味が解らないのですよ。多分、これから活躍していく主人公的な人々の人物紹介なのだろうけど・・・。 とりあえず主人公が誰だか分からないんですよね・・・。 ただ、これはドストエフスキーが悪いのでも、訳者江川卓氏が悪いのでもなく、僕の知識のなさが原因です。 まず、この『悪霊』という小説は、実際の事件をモデルに描かれた小説なのです。その実際の事件の背景を知らなければ、この『悪霊』は理解できないのです。 そのモデルとなった事件というは、1869年に起きた『ネチャーエフ事件』です。 この『ネチャーエフ事件』というのは、ロシアでの革命を目指し、秘密結社を作ったセルゲイ・ネチャーエフが、組織の仲間であった学生イワン・イワノフが組織を脱退するに際し、官憲に密告する恐れがあるということで、学生イワノフを殺害したという事件です。 ネチャーエフはイワノフを殺害した後、スイスに逃亡したのですが、1872年に逮捕され、投獄され、その後、獄死しています。 ドストエフスキーはこの『ネチャーエフ事件』をモデルにしてこの『悪霊』を1871年から1872年にかけて雑誌に連載し、1873年に単行本として出版しました。 つまり、ネチャーエフがスイスに逃亡している間に、ドストエフスキーはこのネチャーエフをモデルにして小説を書き始めたということなのです。 この『悪霊』のなかではネチャーエフに該当する人物は、ピョートル(ピョートル・ステパノヴィチ・ヴェルホーヴェンスキー)で、彼に大きな影響を与えるのが本書の主人公・スタヴローギン(ニコライ・フセヴォロドヴィチ・スタヴローギン)なのです。 ピョートルはスタヴローギンを秘密結社の中心に祭り上げようと画策するのです。殺害されるイワノフに当たる人物は、本作ではシャートフ(イワン・パーヴロヴィチ・シャートフ)で彼はスタヴローギン家の農奴の息子であるという設定です。 この上巻は、後半になってやっと盛り上がってきますが、上巻ではこの事件の核心部分にはあまり突入しません。 後半がどう盛り上がってくるのか、期待大ですね。
20投稿日: 2020.01.11
powered by ブクログ今年読んだ中でいちばんでかい読み物かも。なんとなく挑戦してみたけど読んでよかったな! 第一にドストエフスキーはとても面白い。とくにこれはめちゃくちゃおもしろい。登場人物が多いのにその全てが必然性をもってそこに存在しているし、魅力的。また中盤でそれらのキャラクターが一堂に会するシーンがあり胸が高まった!事実をすこしずつ小出しにしてパズルのピースをすこしずつはめていく感じがたまらない、推理小説でもないのになにかしらサスペンス的な読ませる語り方をしている。ほとんどの人が死んだり破滅したりしているのに滑稽に描いているのに暗かったりじめじめしていない。あくまで人を描くのがうますぎる。キリーロフがいいですね
0投稿日: 2019.09.27
powered by ブクログ村上春樹「騎士団長殺し」にドストエフスキーの悪霊の〇〇のような、との比喩があった。単身住まいで手元に本がないが、スタヴローギンのような、という文だったんだろう。 兎も角、そんな切っ掛けで悪霊を読んでみる気になった。 悪霊がどんな小説であるかは裏表紙にある。無神論革命思想に憑かれ破滅した青年たちを実在の事件を元に描いたと。冒頭には、プーシキンの悪霊に憑かれた姿を描く詩とルカの福音に描かれる悪霊に憑りつかれて湖に飛び込んでいく豚達の文が引用されている。 最初の登場人物はステバン氏。歴史学者で活動家と紹介されるが、卑小な存在だったとあけすけなく綴られる。そして、彼のパトロン、ワルワーラ夫人。登場人物は多数あるが、第1部は殆どこの二人の物語。ドストエフスキーの悪い癖で意味なく唯々、長い。物語が何処に向かうのかまったく見当つかない。 ワルワーラ夫人の子、ニコライ・スタヴローギンとステバン氏の子、ピョートル・ヴェルホーヴェンスキーの登場でやっと物語が前に進む。しかし、40年前の高校生の時分だったら「スイスでの他人の不始末」なんて持って回った云い方はピンと来なかったかも知れない。 一旦、決着着いたと思った話が、次のシーンでどんでん返し。あれ、ミステリーだった?ネタバレに注意しよう。 無政府主義の青年たちの心情の吐露が神についての問答となるのが日本人の自分には判りづらい。カソリックについての批判には納得するが、ロシア正教について無知だし、難しいなあと首を捻るばかり。 最初、伝聞として語られていたニコライが小説の中で動き出すと、どう説明して良いか判らない。婚約や決闘。彼はまともに行動しているつもりなんだろうけれど、正直、理解しがたい人物として存在が重くなってくる。 やっとの思いで、上巻を読み終えた。暫くしたら、ステバン氏のエピソードは何も頭に残っていないだろう。何のための長編だったかと云えば、疑問だらけ。ストリーテラーとしてドストエフスキーには根本的な問題があると思う。
0投稿日: 2017.09.12
powered by ブクログ『白痴』が俗世に現れた天使が主人公ならこれは俗世に現れた悪魔が主人公なんだけど、その対極を本心から心理描写できるのが凄い著者だなぁと思う。神あるいはそれに近い、人間よりも偉大な概念が無くなった時代には善も悪の概念もない、そうだろうなぁと漠然と思った。
0投稿日: 2017.02.17
powered by ブクログ相変わらずのドフトエスキー調。ロシア節。ニコライが魅力なのに出てくるのが遅すぎやしないか?前半の長々とした退屈な場面であやうく本を置きそうになってしまった。
0投稿日: 2016.02.13
powered by ブクログ再読である。まるで初めて読むように味わうことができた。日本の近現代文学にも影響を与え続ける名作をたっぷりと味わえ、普段の読書より濃密な時間を過ごすことができた。スタヴローギンがやはり気になる。彼の最後が暗示する「未来」とは予想してみたくなる。ステパンもカルマジーノフも滑稽でもあるが、生きることに真摯で好感持つことができた。「スタヴローギンの告白」にもある通り、作者のこの作品にかける情熱は熱く沸き立っている。
0投稿日: 2015.08.14
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
この作品の中で語られる思想的な側面についての批評は、多くの方々の先行するそれをご覧ください。他のレビュアーの方々の批評はもちろん、これに関する論文等、読み込めば読み込む程の面白さがあると思います。 私はむしろ、ドストエフスキーという名前、作品の分量、そして「思想的な」難解さという、この作品についてまわるイメージ・評価が先行しているようにな印象を受けます。 本作の思想的な対立軸や、対決の内容自体を追いかけて読むことも面白いと思います。しかしそもそも、それ以前に、この作品は物語として、読者をこれでもか、これでもかと引き込んでくれる面白さ、楽しい(というとやや語弊があるか?)仕掛けに満ちています。 次の展開がついつい気になってしまうワクワク感、クスクスと笑いが漏れてしまう強烈な皮肉、ゾクゾクと背筋を凍らせる背徳、思わずうめきを漏らしたくなる鈍痛のような衝撃、等々・・・ 思想的・哲学的な側面に深く踏み込まなくても、純粋に物語として楽しめます。そして、そのような読み方は決して間違っていないと思いますし、むしろ間違っていると斥けてはならないと思います。物語として楽しめた時点で、十分に小説の楽しみを享受できているといえるのではないしょうか。 登場人物別に言えば、まずステパン氏が面白い。この作品の笑い担当といってもよいかもしれません。彼は生活力のない、浮世離れした感のある、貴族をパトロンに持つ学者先生です(『学者先生(爆)』としたいところです)。やや社会不適合なタチの、今風に言えば「自宅警備員」風の人物です(中年のいい年なんですが)。そんな彼に向けられる、語り手の少し遠回しで辛辣な物言いは、上巻冒頭部から冴えわたっています。学者先生を向こうに回して、鋭いジャブを繰り出します。パトロンのワルワーラ婦人の彼に対する理不尽なまでの罵詈雑言とともに、彼の登場する場面は笑い通しになること請け合いです。 次に、ピョートル。彼はステパンの息子で、混乱・騒擾を引き起こしてロシア社会を転覆させてしまおうという陰謀を抱いて、小説の舞台である街にやってくるのです。今風に言えば「中二病」をこじらせている点では、あの親にしてこの子と言った感があります。しかし、彼はとにかくよくしゃべる。16ビートのドラムス、速弾きのギターの様な、究極のマシンガントーク。彼の言葉の身も蓋もないあけすけな内容、異常な熱のこもったアブナイ独演会。これが夜な夜な、「同志」達の秘密の集会等の場の、ろうそくが照らす薄暗がりの中で展開されます。時に笑いあり、時に迫力あり、醜悪なのについつい聴き入ってしまう―一級のペテン師の弁舌に身を委ねる、危険な愉悦があります。彼のハイテンション・ハイテンポな語り(というか騙り)が読者の脳内で再生されたとき、その強烈な魅力に引きずり込まれることでしょう。 最後にスタヴローギン。下巻の「スタヴローギンの告白」に全てが詰め込まれています。人を誘惑し、陥れ、破滅させてしまう彼の悪魔的所行-身の毛もよだつ、同時になぜかその背徳に強く胸を打たれてしまう、高鳴る鼓動を禁じ得ない感覚。これは他のどんな物語でも、そうそうは得られません。これこそがこの作品の真骨頂でしょう。 長々と恥かしげもなく述べ立ててしまいました。私の低劣な作文力では、もはや(当然のことながら)この作品の魅力を語り伝えることは出来ません。とにかく、だまされたと思って読んでみて下さい。難しく考えずに、書かれたことを享受してみてはいかがでしょうか。心を根底から揺さぶる仕掛けが満載です。この巨大な熱量を持った物語を満喫してください。こんなに強烈な、こんなに迫力のある物語、そう簡単には出会えないのですから。
0投稿日: 2014.12.30
powered by ブクログ司馬遼太郎が、ある講演で、日本の小説は前置きが短いが、海外の小説は本題までがやたら長く苦痛なのがあると言ってたが、この小説はその最たるものかもしれない。14.3.3
0投稿日: 2014.03.03
powered by ブクログ「地下室の手記」→「罪と罰」→【悪霊】→「カラマーゾフ」の順で読んでいくと、長さ的にもムリなく、ドストエフスキーの根暗な魅力にハマれると思います(^ω^)
0投稿日: 2014.02.24
powered by ブクログ※このレビューでは上巻のみならず下巻もまとめて扱っています。 【内容】 変革期のロシア。 社会の土台である制度が転換する際、人々の心の安定は失われる。 とある地方の街に、センチメンタルでなよなよした思考の、中年の学者がいた。彼は、富裕な地主である未亡人によって家庭教師として雇われていた。彼の息子と彼女の息子はただならぬ才覚を持っていたが、その用いられ方が問題を起こす。 この4人を軸として大勢を巻き込み進む物語は、悪霊に憑かれた豚の群れのように。 【類別】 小説。群像劇。 革命思想を題材としているので、人によっては受け付けないものかもしれません。 いわゆる"純文学"的な特徴はありません。 【書き表し方】 文体や言い回しの古さはありますが、問題になるほどではないと感じます。 一点、注意されるべきは、原文の会話文中でフランス語だったものが全てカタカナ表記されていることです。翻訳で意図的に行われたものであり、ニュアンスを効果的に示す表現だとは思いますが、同時に、非常に読みづらいものです。箇所が大量にあるわけではないので、全体における妨げとしては微小なものです。 冗長さはあります。 【備考】 このレビューは以下の版の鑑賞に基づくものです。 ・上巻…48刷(39刷改版) ・下巻…42刷(35刷改版) 私感として、銃による自殺を行おうとしている者と対峙している場面に最も鮮烈な印象を受けました。狂気。
0投稿日: 2013.10.22
powered by ブクログ帝政ロシア末期、地下組織が脱退者を殺害したという「ネチャーエフ事件」をモチーフに書かれた。革命勢力を揶揄しているとして、ソ連時代は弾圧された問題の小説。子離れしない親を持つ各々の息子スタヴローギンとピョートル。二組の親子を中心とした人間関係を成す多彩な登場人物たち。やはりキリーロフが好きである。語り手の一人称は誰だろう?と思っていたら、いつのまにか「G」という名前で呼ばれる人物として物語の中に入り込んでくる。個人的には「スタヴローギンの告白」はあまり好きでない。10年位前に改版されて文字が大きくなった。
0投稿日: 2013.10.15
powered by ブクログこの世で起こりうる全ての犯罪という犯罪を試み、その犯罪の外見よりずっと深く卑劣を極めているニコライ・スタヴローギン。 多くの読者は、この信仰を無くし放蕩を尽くした最低野郎の最低っぷりに怒りを感じながらも同情を禁じえない。 彼は自分のした悪行の中でも最も醜悪な事件を文章にし、ビラとして刷ったものを牧師のもとへ持って行く。 その内容は卑劣極まるもので、小説の中心的な役割を果たす箇所でありながら出版元が掲載に許可を出さず、ドストエフスキーの存命中には復活が叶わなかった程。 スタヴローギンはこの「告白」を牧師にすることによって、最後の懺悔を試みたのかもしれない。しかし、それも失敗に終わる。 彼と世界のあいだには深淵が口を開けており、それを埋めることはできないのである。 スタヴローギンには愛がない。哀れみを抱くべき相手に嫌悪を向けてしまう。徹底的に冷静で無関心。 『罪と罰』で老婆を殺したラスコーリニコフにドストエフスキーは最終的に救いを差し出している(ように思える)が、このヒーローには絶望による自殺を運命づけている。 なぜドストエフスキーはこのような人物を描く必要があったのかを考えてしまう。革命の動乱が産んだニヒリズムへの警鐘か。 普通に生きていけば、人は常識的な善悪の基準や、それが依拠するとのことの感情を失うことはないと思うが、現代のスタヴローギンが出現しないような社会であって欲しい。
0投稿日: 2013.01.24
powered by ブクログドストエフスキーの長編小説の中でも最も難解といわれるこの『悪霊』だけどその分より深淵に踏み込んだ、どうにも救われない個人の内面というテーマの描かれ方は随一。見栄や思想、強欲、宗教、そして時代…誰もが目に見えない「何か」に心を奪われ、病人の様に生きている。キリスト教には病人の代わりに悪霊を引き受けてくれる豚たちがいる。だけど僕らには、そんな病を引き受ける豚はいない。目に見えない何かに取り憑かれたまま溺れていく人は今も沢山いるわけで、そんな人達になんとか呼吸の仕方を伝えようとするような、例えるならそんな小説。
0投稿日: 2013.01.22
powered by ブクログこんな場面転換、ありなのか・・・ ストーリーといい、登場人物の多さといい、ドストエフスキーの作品はまだまだ私と馴染みが良くないようです。 下巻へ行くには、いったん、休まねば…
0投稿日: 2012.11.19
powered by ブクログ政治思想、あるいは思想。そういう領域ですか? 各時代にはその時代ごとの、地域ごとの思潮・風潮がある。(きっとこの今、現代にも) それを描き出し書き留めておくのが彼や彼らなのだろうなと。こういうことを誰かがやらないとダメなんだろうなと。 歴史は事実(史実)の連なりだから正確ゆえに無味無臭。 そうではなくて、物語の形態に再構築することで、激しく匂い立ち、それでいて、腑に落ちる。そういうことね、と五感でもって、体感的な理解に至る。 いや、しかしムズいので、再読が必要かも・・ とりあえず下巻へ。
0投稿日: 2012.11.07
powered by ブクログ「ニコライ・スタヴローギンは事実、部屋の中にはいっていた。彼はごく静かに部屋にはいってくると、一瞬戸口で立ちどまり、もの静かな眼差しで一座をみわたした。」 やっと出てきたか、と言いたいけど、スタヴローギンの登場で物語は動き出す。 ヒントは二つある。 (ヒントその1) ミハイル・バフチンはドストエフスキー小説の特徴を、 「自らの意思と声を持つ、自立的な存在としての登場人物を設定し、 相違なる思想同士の、事件に満ちたポリフォニー(多声楽)のような対話が実現している。 そのジャンルは民衆的な笑いの文芸、カーニバルにたどりつく。」と述べている。 (ヒントその2) ドストエフスキーは世界中文学中もっとも偉大な小説としてセルヴァンテスの「ドン・キホーテ」を挙げ、理想としている。 実際の事件をヒントに空想のつばさを広げる、まさに近松の浄瑠璃なのだ。おおいに笑えばいい、泣けばいい。
2投稿日: 2012.10.22
powered by ブクログ一番難解といえば難解。スタヴローギンとは結局何者か。キリーロフがいい。お茶が好きで、生きているのが好きなんだけど死のうとしている。その思想がスタヴローギンの所産とされているのが解せない。スタヴローギンの他人をそそのかすという資質がとても良い。ピョートルステパノヴィチの実務的な才能とは違い、そのカリスマ性を描写されている。主人公がいるタイプの作品。結構好きだよ。
0投稿日: 2012.09.24
powered by ブクログ驚くべきつまらなさ。スタヴローギンがどんな『悪』なのかが気になって、我慢して上巻を読み終え、今、下巻の3分の1まできているけれど、上巻の退屈さはもう悲劇的。下巻を読み終えたら最後にどんな感想を述べられるかと淡い期待はありますが、ここまでのところは腹が立つほど面白くありません。でも、まあ時代も社会も違うしそういうものかも知れないと思いつつ、『罪と罰』や『カラマーゾフの兄弟』はもっとスリリングだった実感はある。テレビで亀山郁夫氏が『悪霊』について語っているのを観て、またそれについての対談本も読みたいし、1年くらい前には上巻の半分で挫折した経験があるから今度は最後まで味わいたいと思います。
0投稿日: 2012.05.08
powered by ブクログドストエフスキーの思索的文学的探求の頂点に位置する大作。性格分析や言動解明を受け付けない、規格外のスケールで描写される個性的な登場人物たち。時代を反映した混沌の様相を呈する彼らの思想や言動は一見常軌を逸しているようだが、その実人間の本質を鋭く抉り出しているように思える。特にスタヴローギンの告白の章など。狂気に満ちたこの作品の背後には、作者が帯びるある種の霊感、あるいは悪霊が透けて見えるようだ。
0投稿日: 2012.01.15
powered by ブクログ2011.10.18 上巻 開始 2011.11.17 同 読了 2011.11.18 下巻 開始 2011.12.11 同 読了
1投稿日: 2011.10.19
powered by ブクログ結構難しい。いや、かなり。 カラマーゾフの兄弟と並ぶドストエフスキーの思想書と書かれてるけど、こっちの方がより観念的というか。最初のほうとか、ステパン氏の説明にどれだけ割くんだという感じ。 それでもさすがなのは、読ませられる。各キャラクターが非常に際立ちます。ピョートルはいけすかないし、悪魔超人スタヴローギンは、全く嫌いになれないし、それらを取り巻く社交界のこの毒な面面や、シャートフの悲惨さ。ドラマドラマで、楽しい。 1か月かかりました。持ち運びが大変。
0投稿日: 2011.08.22
powered by ブクログ上下巻合わせて1300ページくらいある中で、最後の300ページくらいは目を離せない展開なのですが、それまでの前置きとでもいえる部分には読むのに忍耐が必要でした。が、面白いことは面白いのです。
0投稿日: 2011.07.19
powered by ブクログ冒頭から300ページ程ずっと退屈だった。読むというより文字を眺めてる感じ。ツルゲーネフをモデルにした人物が出てきてもタイクツナノデス…。第2部に入りスタヴローギンの視点に変わり読めるようになる。さて、上巻600ページ超あったが物語は何か始まったかな?まだ序章?何の話?最終的にはどこに向かうのやら。
0投稿日: 2011.06.25
powered by ブクログドストエフスキー作品はいつもそうだが、読み始めてから、勢いがつくまでに、物凄く時間がかかった。 ちょうどニコライが主になってきたあたりからエンジンがかかって、あとは一気に読めた。 ロシアの背景をもっと知っていれば、理解力もアップするだろうと思う。自分の知識のなさに、悔しい思いをしながら、なんとか上巻読了。 具体的感想は、おそらく下巻まで読んでからでしょう。
0投稿日: 2011.05.23
powered by ブクログ農奴解放令によっていっさいの旧価値が崩壊し、 動揺と混乱を深める過渡期ロシア。 悪霊に憑かれた豚の群れが、 湖に飛び込んで溺死するという聖書の記述から 無神論的革命思想を悪霊と見立て、 それに憑かれた人々とその破滅を描く。 そんな裏表紙の触れ込みのドストエフスキーの大作、悪霊。 罪と罰で遅かれ、初めてドストエフスキーに触れ感銘を受け、 そして次に選んだのがこの悪霊。 罪と罰で慣れたのか、今回は読みやすく感じる。 やはり人間の心理描写を描くのにすごく長けているというか、 時代性というものを感じずに読み進めることができる。 とても100年以上前の作品とは思えない、ある意味新しさがある。 重苦しい裏表紙の触れ込みからは想像することもできない、 前半のステパン先生の情けなさにどこか安心感すら覚える。 物語はニコライやステパン先生の息子ピョートルの帰還によって 途端に加速感を増し、重みと緊張感を持たせる。 賽は投げられたり。彼らの運命は確かに破滅へと回り始めていた。
0投稿日: 2011.05.16
powered by ブクログ読み終わった後は、不満たらたらでした。はっきりしない部分が多く、スタブローギンはただただ嫌な奴だし、変なインテリなやつばかりだし、すごい疲弊しきってしまいました。僕の想像力が足りなかったかな、うまく登場人物たちがイメージできず、共感もできず、散々でした。 でも読んでからしばらくたってからわかるものってあるんですよね。そういうのが名作であると僕は思うんですけど。そりゃ悪霊は、あまりおもしくなかったです。でも、悪霊のストーリや登場人物はいつまでも僕の頭のなかでぐるぐると周り続けるんです。話が長かっただけに印象に残ってしまうんでしょうけど、悪霊の話はいろいろな小説や漫画の原型になっていると思うんです。読んで良かった、やっぱドストはすげえやと思ってしまうんですよね~
0投稿日: 2011.05.08
powered by ブクログ「無神論を悪霊に見立て、それにとりつかれた人々の破滅を描く―」 裏表紙の文です。 シャートフやニコライ、またそれに迫るピョートルなど、確かに破滅の足音が聞こえてくる感があります。 しかし正直「白痴」同様読みにくさを感じました…。 ステパン氏とは何の描写なのでしょうか? アンチ無神論者であるが滑稽に描かれている彼の様は何の意味を持っているのでしょう。 風車に向かうドン・キホーテのような無謀な挑戦をする存在としてでしょうか?つまり新時代の自由思想に無謀にも向かっていく、哀れな過去の遺物という役割を背負わされているのか。 悪霊という題は何を意味しているのか? ただ単に著者の嫌悪感を表しているのか? それともいつかは駆逐されるものとして、逆にキリストの福音を強調するものなのか? また無神論に対する教会という存在がシニカルに描かれているのも気になります。 …正直理解は難しいと思いますが、それでも読んでいきたいです。
0投稿日: 2010.10.21
powered by ブクログこの作品は一度では理解できないのではないか。スタヴローギンについては再読で考えたい。ステパン氏が当時の知識階級の投影であろう。非合法組織の内ゲバ、密告は運命だ。最後は宗教的慈愛に取り込まれるように描かれているが、これは検閲へのオブラートであろう。作者のシンパシーは穏健改革・無血革命にある。
0投稿日: 2010.08.03
powered by ブクログロシア旅行の前に読みました。 罪の意識がなく、平気で人を殺しては精神障害者の振りをして無罪となり、 女性と関係をもっては公然と彼女を侮辱し、親友の妻を孕ませ、 好き勝手やっていた男性に悪霊が取り憑いて、彼は自殺に追いやられた。 福音書の中にイエズスが人々から悪霊を取ってやると、 悪霊は豚の中に入り、豚が集団自殺する話があり、それにかけてるらしい。 ドストエフスキーは、人を自殺に追い込む悪霊は「良心の呵責」だという。 イエズスは「あなたの罪は許された」と大勢に告げた。 良心の呵責や罪の意識が悪霊で、それがない状態がいいのだろうか。 ユダが自殺したのも良心の呵責による。 良心の呵責こそが悪霊の正体? 自分で自分を処刑するのだろうか。 悪霊が良心の呵責で、良心の声が聞こえないでなんでもありの状態が 人間社会でうまく生きられる人だなんて、なんという目の付け所なんだろう。 ユダの自殺が悪霊によるものなんて、この本によって初めて考えた。 ドストエフスキーは天才だ。
0投稿日: 2010.05.23
powered by ブクログ1861年の農奴解放令によって一切の旧価値が崩壊し、動揺と混乱を深める過渡期ロシア。青年たちは、無政府主義や無神論に走り、秘密結社を組織してロシア社会の転覆を企てる。本書は、無神論的革命思想を悪霊に見立て、それに憑かれた人々とその破滅を、実在の事件をもとに描いたものである。 登場人物が多いのと、一人の登場人物に対して呼び名がいくつもあることが災いして、誰が誰なのかよくわからなかった。 物語自体も内容が込み入っていて、一度読んだだけでは理解できない部分が多く、非常に難しいと感じた。
0投稿日: 2010.05.15
powered by ブクログ(2004.08.23読了)(1997.09.19購入) 高校生の頃、米川正夫訳で、「罪と罰」を読みました。何がなにやらよくわかりませんでした。2000年に、工藤精一郎訳で「罪と罰」を読み直しました。今度は面白くてどんどん読めました。訳者との相性で、読みやすさが違うのではないかと思います。 今度の、「悪霊」は江川卓訳です。残念ながら読みにくかった。訳に関係なしに翻訳物のわかりにくさの原因の一つは、苗字、名前がなじみがなくさらに愛称が使われると、慣れるまで誰のことかがわからないというのもあります。 物語に主に出てくる人物は、ステパン・トロフィーモヴィチ・ヴェルホーヴェンスキー氏とワルワーラ・ペトローヴナ・スタブローギナという陸軍中将夫人。 ステパン氏は、外国帰りの大学講師。詩人、学者、市民活動家。ワルワーラ夫人は資産家。 二人の交流は、22年続いている。夫人は、乳母のようにステパン氏の世話をやいてきた。その代償として、時には奴隷的服従を彼に要求した。 新しい時代の動きを感じ取ったワルワーラ夫人は、時代がどう動こうとしているのかを知るために、新聞雑誌、国外で出される禁制出版物や、檄文にいたるまで、全部自分で読んでみようとした。だがわけがわからないので、ステパン氏に説明を求めたが、彼の説明は夫人を少しも満足させなかった。 そこで夫人は、ペテルブルクに出て、万事実地に確かめ、直接に当たってみた上で、もしできるなら、新しい活動にすべてを賭けてみようといい、自分の手で新しい雑誌を創刊して、それに余生のすべてを捧げるとまで言い出した。 夫人は、新思想に身を投じるために、自宅で夜の集まりを催し始め、文学者仲間に声をかけると、大勢押しかけてくるようになった。批評家、小説家、劇作家、諷刺作家、暴露記者と揃っていた。ステパン氏は、新思想の指導者たちに渡りをつけて、ワルワーラ夫人のサロンに招待したりした。サロンでの話題は、検閲や硬音符の廃止、ロシア文字のローマ字化、追放事件、勧工場のスキャンダル、自由な連邦的結合のもとでのロシアの民族別分立策の利点、陸海軍の廃止、ドニエプル沿岸のポーランドの失地回復、農民改革や檄文の流布、相続、家族制度、親子関係、聖職者の廃絶、婦権問題、等等であった。 ロシア帝政末期の貴族社会の様子が描かれているのだろう。ロシアの歴史を勉強してみるか。 著者 ドストエフスキー 1821年10月30日 モスクワ生まれ、次男 1837年2月 母(マリヤ・フョードロヴナ)死去 1839年6月 父(ミハイル・アンドレーヴィチ)農奴に惨殺される 1843年8月 工兵士官学校卒業 1846年1月 「貧しき人びと」発表 1849年4月23日 逮捕、11月死刑判決(ペトラシェフスキー会) 1865年 「地下室の手記」発表 1866年 「賭博者」「罪と罰」発表 1868年 「白痴」発表 1871年 「悪霊」発表 1881年1月28日 死去、59歳
0投稿日: 2009.11.20
powered by ブクログ友人の影響で、ちょっとドストエフスキーを読んでみたくなり、図書館で借りてきて読んでみたのですが・・・・。 うーむ、なんか辛い。 気になっていた文体的にも読みにくい訳ではないのに、何故か全然ストーリーが頭の中に入ってこない!全然読み進められない!!! 2週間の貸出期間の半分過ぎても上巻の2/3しか読めないため、とりあえず今回の読破は断念しました・・・。 ドストエフスキーは難しいです・・・・
0投稿日: 2009.10.26
powered by ブクログ2009 9/22 第一編を読み終えた。第一編の範囲での感想を書いてみよう。 長編小説と言うと、面白くなるのが遅いと言う印象がある(現在の小説は別だが)。この小説もその例に漏れず、第一編ではストーリーに直接関係ないステパン氏やワルワーラ夫人の逸話が多く語られるため、この上巻を評価する際、面白さを考慮に入れると、星五つを献上するのが難しい。しかし、あくまでまだ面白い部分に差し掛かっていないと言うだけのことであり、第一編だけでも例えばキリーロフの人生論など、深い部分は沢山ある。そういう部分を味わいつつ読んでいけば、十分楽しめる内容と言えそうだ。 しかしながら、スタヴローギンが現れるととたんに面白くなる。まだ第一編の範囲では、彼の『悪魔的超人』と呼ばれる所以の魅力は現れていないようなので、第二編、第三編への期待はいやがおうにも高まってくる。この先彼がどのような言動と思想を披露してくれるのか楽しみだ。 よく『悪霊』は面白くて深い本だ、と言われる。調べてみると分かるが、前半は僕が感じたとおり、面白さで言うとやや劣るが、後半に入ってストーリーが怒涛の流れを見せ始めると、恐ろしいくらいに面白くなるらしい。しかし、どのように面白くなるのかについてはネタバレになるせいか殆ど書かれていない。なので、後半でいかにして面白くなるかが楽しみだ。その面白さの鍵は第一編で殆ど出てこなかったスタヴローギンが握っていることはまず確実だろう。 2009/10/2 追記 多くの人が理解するように、著名な古典長編小説は面白くなるのが遅い。上巻を読んで、それはこの小説にも当てはまると確信した。 もちろん、深さや広さと言った要素は初めからあるのだろう。箴言のような言葉はのっけからそこらじゅうに漂っている。そもそも古典小説に面白さを求めることが間違っているのかもしれない。しかし僕はそうやって、これまで数多くの古典長編小説を面白く読んだ。 この小説は、上巻に関して言えば、ドストエフスキーを読んだ事がないという人には薦められない。内容が難解と言うより、単純な面白さと言う面で、初心者の人には厳しいところが大きいと思うからだ。挫折してしまっては勿体無い。そんなわけで僕はドストエフスキー入門には素直に『罪と罰』を薦める。 こう書くと面白くない小説と取られるかもしれないが、それも間違っている。ステパン氏の滑稽な言動など、笑いポイントは随所に用意されているし(ただしこれはある程度ドストエフスキーに慣れている人にしか理解が難しいと思われる)、上巻終盤のセミョーン聖者の逸話は、思わずぷっと噴出してしまうようなドストエフスキー一流の楽しさがあった。これがあるからドストエフスキーを読むのをやめられない、と言うところだ。 また、これは蛇足かもしれないが、ドストエフスキーは病んだ人間の描写が上手い。そう言うと、「いや、彼の小説はみなどこか病んでるよ」と言う意見が帰ってくるかもしれないし、それには賛成なのであるが、僕が言うのは狭義のいわゆる『統合失調症等精神疾患に罹患している』人の描写も不気味なくらい上手いということだ。上巻ではその病んだ女性マリヤが4ページほど延々と、前後のつながりが断絶されている意味不明の話をするシーンがあるのだが、その意味不明具合までがまさに『病んだ人』そのものだった。 下巻には怒涛の展開が用意されており、読んだ人の総評から『恐ろしく面白い』とでも表現できそうな面白さがあると言うことなので、これからの展開が非常に楽しみである。
0投稿日: 2009.09.22
powered by ブクログ農奴解放令によってこれまでの価値観が崩れ、混乱を深める過渡期のロシア。改革という名のもとただ破壊に走る若者達の破滅的な行動を、作者は「悪霊につかれた者たち」として表現しました。それは人間誰もが潜在的に持っている「悪」の表出にすぎないのかもしれません。数あるドストエフスキーの作品中でも「救い」の見られない、残酷で悲しい作品です。
0投稿日: 2009.06.30
powered by ブクログ無神論的革命思想を携えて集まった秘密組織の人たちが上流階級の秩序を破壊する様を、悪霊のらんちき騒ぎに見立てて描いた小説。【参考】人物相関図を印刷して持ち歩かないと確実に登場人物がこんがらがるので次を参照。→http://f.hatena.ne.jp/ariyoshi/20080208201513 。2008.8.1-4.
0投稿日: 2008.08.07
powered by ブクログなんかすごいということがわかる。 カラアニもだけど、、、文章の密度というか、おいしさというかコクというのか。 ドストエフスキーが特別なのか、それともこういう雰囲気の小説はほかにもあるのだろうか?
0投稿日: 2008.05.29
powered by ブクログ今読んでる。 ドストエフスキーの良き個性、特徴であって悪い所でもあるんだけど、同じ所を何回も読み返さないと何を言ってんだか分からない(笑) なんか思想家(?)としてのドストエフスキー全開な本だと思う。
0投稿日: 2008.01.17
powered by ブクログ漫画の「モンスター」もモチーフにしたんじゃないかと思う。背後で静かに笑う、冷徹な悪の存在がリアル。ただ、結局歪んだ思想の悪は勝手に破滅するとういう結末で、もっと盛り上がって終わってほしかった。
0投稿日: 2007.12.13
powered by ブクログ「あなたが無神論者なのは、あなたが坊ちゃんだからです、最低の坊ちゃんだからです。というのは、ぼく自身、坊ちゃんだからです。いいですか、労働によって神を手に入れるのです。本質のすべてはここにあります、さもないとあなたは、醜い黴のように消えてしまいますよ。労働で手に入れるのです。」 「神を労働で?どんな労働でです?」 「百姓の労働です。さあ、行って、あなたの富を捨てていらっしゃい…ああ!あなたは笑っていますね、それがただの手品になるのがこわいんですね?」 しかしスタヴローギンは笑っていなかった。 「きみは、神を労働によって、それも百姓の労働によって手に入れられると考えているんですか?」 まるで熟考の必要のある何か新しい重大なことをほんとうに見いだしでもしたように、ちょっと考えてから、彼は聞き返した。
0投稿日: 2007.07.28
powered by ブクログ不安と恐怖の渦巻く時代、スマートで教養がありながらも絶対悪として描かれた青年を中心に、さまざまな思いを抱えながら破滅へと進む人々が描かれる。
0投稿日: 2004.11.02
