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文明が衰亡するとき(新潮選書)
文明が衰亡するとき(新潮選書)
高坂正堯/新潮社
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総合評価

14件)
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    ローマ、ベネツィア、アメリカ(と最後にオランダを少々)について、その興亡を検証する一冊。 正直に言うと、少し期待外れ。 それぞれの文明について検証はされているが、共通点や相違点の対比、日本との対比は不十分。 作者としては、「この書物は、言ってみれば歴史散歩である。文明の衰亡について、一般法則を探し求め、それを現代にあてはめようなどと、私は考えていない。……感覚的な批評を許していただくことにしよう」という意図らしい。この一節が出てくるのは漸く269頁になってからなのだが。 また、寄り道というか、微に入りすぎている部分が多いと感じる。アメリカの都市構造の推移は蛇足じゃなかろうか。 その他、1981年著ということもあってか、独特の用語法も気になる。 そういった部分をカットして新書サイズにすれば、もっと評価されたかもしれない。 原著は40年以上前の作品なので、現代ではより良い類書がありそう。

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    投稿日: 2025.06.05
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    ◯ 運命は変わり易く、また無情である。しかし、だからこそ人間は、いついかなる場合にも最善のことをすべきであるという態度がそこにうかがわれるからである。(91p) ◯ 冒険を避け、過去の蓄積によって生活を享受しようという消極的な生活態度は、ヴェネツィア人の貴族の男子で結婚しない人が増えたことに現れていると言えるであろう。(172p) ◯ アメリカでおこっている大衆民主主義化=福祉国家化という現象は、政治権力を持つものを制限するというよりは、疲れさせるもののように思われる。(244p) ◯ アメリカにしかないアメリカのよさとは、「他国のように"国家"ではない。"国土"でもない。そうではなくて、アメリカは、"信条"なのだという信念」に基づくものであり、それは孤立の上にのみ可能なものだからである。(272p) ★ローマ、ヴェネツィア、アメリカの衰亡について考察している。それぞれが大変面白い歴史読み物になっている。ただしそこに共通する法則を見出して教訓にするとか、そういった目的は感じられない。だいたい、ローマやヴェネツィアの長い歴史の総括と、現在進行形のアメリカの話を同列には語れないだろう。 ★とはいえ、アメリカの章もとても面白い。都市の変遷の話、正しさを信じベトナム戦争に向かい自信を失う話、文化と技術を惜しみなく世界に広め、国際政治に関わっていったが故に優越性を失う話、福祉国家化が政府を疲れさせ国民の不満も解消しないという話、それぞれが面白いが1冊の本に詰め込みすぎの印象だ。この本は論文として読むのではなく、エッセイとして読むのが楽しい。

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    投稿日: 2024.03.15
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     本書は1981年に書かれた本だが、2023年の今読んでも真新しさを感じる。正に古典。  大きな版図を誇ったローマ文明、日本に似た海洋通商国家ヴェネツィア、現在文化を代表するアメリカを題材に文明が隆盛する事情、衰亡に至る過程と要因を丁寧に、粘り強く書かれている。  特にヴェネツィアは日本に環境が似た資源がない貿易立国であることから、その盛衰の過程は興味深く感じた。  印象残った点は、資源や人口などの確固たる基盤がない国が隆盛するのは、その時々の環境に適応したときであること、しかし環境は必ず変化すること。  ヴェネツィアの場合は、東方諸国の加工品を西洋諸国に転売(反対に西洋からは原料を仕入れて転売)する図式が崩れたとき(東方からはオスマンの版図拡大への武力対抗を迫られ、西方では希望峰ルートの開拓のため独占的な貿易ルートが崩された)であった。ヴェネツィアも希望峰ルートでの貿易へ参画できれば以後の繁栄も続いた可能性があるが、それまでに確立した国の運営体制を続けたため、海上貿易の競争力を維持できなかった。即ち、長期的展望が見通せない場合は、目先の苦労や落ち込みがあっても、変化が必要であるということ。

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    投稿日: 2023.06.13
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    ローマ、ヴェネツィア、1960-70年代のアメリカという時代・地理ともに異なる文明を「衰頽」というテーマで貫いた著作。 著者の感覚的で断定的な記述が少なくない。それらがしっかりと腹落ちするかは読者の見識に依るところが大きいように思う。 よく見ると論拠が書かれていることもあるが、そうでない場合には著者の思想や感性を掴む必要がある。 特にアメリカの部分はついていけなかった印象が強い。 一方で、ヴェネツィア衰頽の原因に関する洞察は興味深かった。終章にかけての、通商国家の根本的な脆弱性を一般化した説明は非常に含蓄があったように思う。 そして本書の最たる美点は、歴史研究への向き合い方を示したことである。 歴史的な法則を追究する目的意識が強すぎると事実を見誤りかねない。しかし、歴史は「運命への感覚」を与えてくれる。そこに歴史研究に現代的関心を持ち込む意義がある。 好きな著作ではなかったかもしれないが、学びの多い良書だった。

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    投稿日: 2023.02.08
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    Amazonで評価が高かったので、読んでみた。 自分の歴史の知識が浅いため、難しく感じる部分が多かった。 また、同じようなことを何回も回りくどく言っているように感じた。 ただ、著者の知識や分析は非常に幅広く、頭が良いのだなぁと思った。 また、日頃の仕事ではストレスを感じるが、文明や歴史に触れると、自分の悩みがいかに小さいかを感じて、心が軽くなって、救われる。

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    投稿日: 2023.02.06
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    ローマ帝国、ヴェネツィア共和国、戦後アメリカの3つの文明の盛衰を眺め、最後に海洋通商国家日本の衰亡について考える。 変化に適応することに疲れ、進取の気風が失われたときに、日本文明も本当の終りを迎えるのだろう。

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    投稿日: 2020.09.20
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    高坂正堯 「 文明が衰亡するとき 」 ローマ、ヴェネツィア、アメリカの衰亡論。歴史の捉え方、成功者の保守性、衰亡の不可避性、衰亡する文明国家の生き方 などを論述。 良書 ローマ帝国=巨大帝国、美徳、大衆、増税 *モンテスキュー 共和制→専制政治=ローマ衰亡の始まり *専制政治=皇帝の専制と民衆の愚民化 セネカ 「生きることは戦うことである」 権力と富を享受しうるようになったローマで、敢えて そこから逃避せず、その奴隷にならないように 誘惑と戦う 「税は 一定以上になると、その使われる目的が 良いものであろうと〜反抗を招き、税をのがれるため工夫を生み出そうとする」 ギボンの歴史観=文明は衰亡を避けられない 平和は富を生む→富は驕りを生む→驕りは怒りを生み、戦争を生む→戦争は貧困を生む→貧困は謙虚を生み、謙虚さが平和を生む 衰亡が避けられない文明の生き方 「だからと言って 投げやりにならず、その都度 目の前の問題に立ち向かうこと」 ヴェネツィア=最小面積、最少人口の最強通商国家 *複式簿記=人の行動を協同化する知恵 *安全保障費と社会保障費の増大→経済活力が減退 *合理主義→教条主義へ アメリカ *大衆民衆主義=福祉国家→モノ取り主義→高い税金と政府規制 *銀行のように行動する会社=投資の利潤(回収) →客観的な分析→現場の経験から得られる洞察力を無視 「アメリカは 国家でなく、国土でもなく、信条である」 「文明の便宜を享受しながら、それを非難する偽善者が現れる傾向は 文明の衰退の始まりを示すひとつ」

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    投稿日: 2018.09.19
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    ローマ帝国の衰亡論としては、蛮族の侵入、人間の変化(ギリシアやオリエントの奴隷が解放されたことによるローマ市民の構成の変化)、気候の変動、政治的要因があげられてきたが、20世紀は経済的要因に求めるものが支配的。対外的膨張が終わった五賢帝の時代には、軍事的勝利によって得た富や奴隷が入ってくることがなくなった一方で、恵まれない人々が社会的不安を招かないように、穀物、豚肉、ぶどう酒、現金が供給され、娯楽や軍隊の維持にも出費が必要だった。収入の減少と支出の増大に対処するために、貨幣の改悪を行った結果、インフレーションが進行した。

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    投稿日: 2017.04.04
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    文明が衰亡する原因は何か。 ローマ帝国の場合は、①蛮族の侵入、②ローマを発展させたエリートの減少と奴隷解放による活力と進取の気象の欠如、先見と常識の不足、道徳的・政治的活力の弱体化、③雨に恵まれたよい気候が悪化し乾燥することによる農業の弱体化やマラリアの蔓延、④繁栄をもたらした福祉国家が、逆に税を重くし、社会の担税能力を超える福祉国家化、である。 ヴェネチアの場合は、①新航路の開拓の失敗、②新進気鋭で商業的であった文化の衰退から乱伐からくる木材の不足、である。 現代のアメリカに目を転じると、①都市計画の失敗、②拡大路線に対する諦め、③政府の拡大からくる政府の疲弊など、衰亡の兆候が表れ始めている。 通商国家は、異質の文明と広汎な交際を持ち、さまざまな行動原則を巧みに使い分け、調和させて生きている。しかし逆に自信やアイデンティティを弱め、道徳的混乱が起きる。通商国家は、成功に酔い、うぬぼれると同時に、狡猾さに自己嫌悪を感じる。その結果、社会は分裂し、より平穏な生き方への傾向を求め、ネットワークの瓦解と変化への対応弱める。通商国家である日本がこれらの文明と同じ轍を踏まないようにするには、変化に対する対応する姿勢を持つ必要がある。

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    投稿日: 2016.07.28
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    パートナーシップ、有限会社はそのひとつ(欧州文明の特徴的様相)である。家族のようあ血縁共同体でもなく村のような地域共同体でもなく、ある目的のために何人かの人が集まって団体を作るという制度は、近代社会の発展を可能ならしめた重要なものだが、それはヴェネチアで始まった。

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    投稿日: 2015.10.12
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    オフィス樋口Booksの記事と重複しています。記事のアドレスは次の通りです。 http://books-officehiguchi.com/archives/4063690.html ローマ帝国、通商国家ヴェネツィア、現代の超大国アメリカの衰亡の歴史について述べられている。これらの国の歴史から現代の日本を読み解いている。 この本は1981年に出版されているが、現代の日本にも通じる部分があると感じた。今後、歴史・国際政治の専門的な知識の勉強に加え、阪神・淡路大震災、オウム真理教による地下鉄サリン事件、同時多発テロ、被害市日本大震災につながる部分があるかどうか確かめながら読み進めたい。

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    投稿日: 2015.04.27
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    ■文明衰退 A.昔から今まで人々は、種々の角度から、文明の衰亡を論じて来た。中でも、ローマ帝国の衰亡については、多種多様の説がある。例えば ―― ・蛮族(ゲルマン民族)の侵入によって亡ぼされた。 ・ローマを発展させたエリートたちの家系が絶滅し、それに代わって秀れた新エリートが出現しなかった。 ・気候の変化により、農業が衰頽した。 ・強さの源泉である共和政が崩れ、専制政治が出現した。 ・経済の中核である奴隷制大農場の存続が難しくなった。 B.経済的な要因に、ローマの衰亡の原因を求める説は多く、それは今日における支配的な説と言える。

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    投稿日: 2014.04.05
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    イギリスには恒常的な同盟国はない。恒常的なイギリスの国益があるのみである イギリスでは官僚出身の政治家はまずいない 通称国家は常に新しい変化に対応する姿勢をもつ

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    投稿日: 2012.09.14
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     新潮社が復刊して、おもわずなつかしくて、職場の本屋で購入。  役所に入った30年くらい前にとってもはやって、自分も本だなに昔あった記憶がある。今読み直しても、新鮮。(ただ、記憶力が悪いだけか?)  高坂さんは海洋国家のなんとかという本もだしているが、やはりヴェネチアの衰亡の話がおもしろいし、日本に参考になる。  ヴェネチアの衰亡の原因のいくつか。 (1)ギルドが存在していて、イギリスなどが新しい品質の毛織物を輸出しだしたのに、既得権に固執して新しい技術を導入しなかった。(p161)  通商国家だから、どんどん海外に競争相手がでてくる。それに勝つためにはイノベーションが必要。それを阻むもの。日本だと業界団体とかなんとか協同組合のたぐいか。 (2)木材が不足して、ヴェネチアの造船業が割高になった。その一方で、保護主義的な措置をとって安いイギリスやオランダの船を購入するのを抑制した。(p157)  時代に遅れた自国の産業を保護するつもりが、自国の文明自体を衰亡させてしまう。 (3)パドゥウ大学の自由な雰囲気(同じテーマで同時に競争講義をするなど)が失われ、カトリックの不寛容な精神が押し寄せてきたこと。(p167)  ガリレオが地動説を唱えたとき、パドゥウ大学にいたが、次第に居づらくなって1610年の当大学を去ったらしい。  自由闊達な議論や異論を許容する雰囲気は今の日本社会やいろいろな組織にはあるだろうか。幸いにも、国の役所にはまだその雰囲気があるように思うが、それが続くように願いたいし、自分も努力したい。  もう古典になっているこの本を読むと、しかし、日本は岐路に立っているな、こころしないといけないと思う。

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    投稿日: 2012.06.13