
総合評価
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powered by ブクログ当方、哲学は初心者。この本は入門書として面白い。 特に西洋哲学の発展は真理を目指す階段で、東洋哲学は真理を悟った各派の開祖それぞれのピラミッド、との説明は秀逸。 東洋哲学って(西洋哲学とは違って)宗教の学問? この本で扱うのは、インド仏教、中国の諸子百家、日本の仏教。
0投稿日: 2025.11.10
powered by ブクログ西洋版は楽しんで読めたが、こちらは理解しづらい、まどろっこしい箇所が目について読み進められなくなってしまった。なぜだろうか。
0投稿日: 2025.10.25
powered by ブクログ前作、史上最強の哲学入門を読み、だいぶ時間を空けて、本書を読んだ。 読み物としては、東洋の哲人たちの方が面白かった。 東洋の哲学の真髄が分かったとは到底言えないのだが(その理由は本書を読んでもらえれば分かると思う。)、著者の言いたいことはある程度理解できたと思う。 とりあえず、南無阿弥陀仏を口癖にしてみようかな笑
0投稿日: 2025.09.07
powered by ブクログ東洋哲学の思想と歴史、西洋哲学との成り立ちの違いなどが、わかりやすく簡潔にまとめられていて、とても興味深く読むことができました。 これまで、禅や老荘思想に関する書籍を読んでも、把握しづらい部分があったのですが、本書によってほんの少し理解が深まったような気がします。 また、釈迦の思想がなぜ仏教になったのか、宗教という形を取らざるを得なかったのかという疑問も解消されました。さらに日本において、その教えが葬式仏教と揶揄されるほど落ちぶれてしまった経緯、反面、禅の思想がわが国で完成した顛末についても窺い知ることができました。 最も心惹かれたのは「十牛図」の中の第十図と、子貢のはねつるべの話でした。人は悟りを得た後も、なんら変わることなく生きていかなければならないというところに、腹落ちできるものがありました。 https://note.com/b_arlequin
0投稿日: 2025.08.25
powered by ブクログ西洋編と同じく何より最初に読むべき本。自己というものに関しては東洋哲学の方が圧倒的に明確に答えを出していると思う。無分別智(分節化は人間の恣意に過ぎない)、私は「に非ず、に非ず」としか言えない(認識対象として実在ではない…これは直接経験に基づき確信される存在ではない、という意味で、つまり理論的構成物だとはっきり言っていいと思うのだが)、などの有用性は論を俟たない。「無我」は実は方便である、というのも仏教理解に有用だがこれは別の本だったか?
0投稿日: 2025.08.12
powered by ブクログ非常に読みやすかった。読書筋力が低い私でもすらすらと読め、理解に困らない平易さとユーモラスを持った本で、著者の他の本も読みたくなった。 ただ東洋哲学自体は難解で本来はこうした入門書で理解することに頼るものではないというのも学んだ。それでも、自分は生きている苦しみをどうにかするため、思考し、理解しようとしてしまうだろうと思った。
0投稿日: 2025.07.27
powered by ブクログ東洋の哲学総ざらい! 日本は仏教が主流とはいいつつも、何もに知らなかったのでここまで東洋哲学と宗教が関係していると思っていなかった。 経験的体験を重視する仏教は非常に自分にマッチしているなと思った。 あとがきの完成された哲学ならば素晴らしい国になっているはずだから不完全なのだろうというのはとても印象的。西洋哲学も知りたくなった。
0投稿日: 2025.07.06
powered by ブクログ東洋哲学は、「学ぶこと」では決して理解に達することができない、と本書の冒頭にありましたが、全くその通りだと思いました。ここで、感想を書くこと自体が、理解していないことを証明する行為でありますが、書かせていただきます。東洋哲学の「私がない」という概念ですが、本書を読んで、ぼんやりと理解できた気がしています。もちろん、この感覚は「悟り」ではなく、あえて言うなら、「悟り」の入り口の門の前に立てた、とでもいえばいいでしょうか。この門の先に「悟り」があるかもしれないが、とても入れない、といった感覚です。もっとも、「門」とか「門の先」とかと表現していること自体が、「物がある」と認識しているわけで、この「物がある」という概念や思考に囚われている限り、「悟り」の境地には到達できないのだと思います。いつか「悟り」の境地にたどりつけたとして、そこはどんな景色で、どんな感覚なんだろうか…非常に興味深いです。
8投稿日: 2025.05.28
powered by ブクログ東洋哲学はピラミッド、西洋は階段 東洋は内側を、西洋は外側を考えた 私とは意識感情感覚現象があり、それを認識してる者 私=アートマン=認識できないもの= 私は○○ではないが真理、思い込みが不幸の元 因果関係も立場によって変わる 考えることも言葉の組み合わせである ⭐️仏教とは赤子に戻り、無分別智を取り戻す。 この世の不幸や幸福とはすべて執着である。 孔子、孟子の儒教、仁と礼、戦国時代の心意気 老子、道、無為自然、水のような柔らかさが強さ 禅
0投稿日: 2025.05.17
powered by ブクログ最初の、西洋哲学との違いがとても 分かりやすく特徴を捉えているように 感じた。 西洋哲学はあくまで論理的に追究する 学問的なアプローチ。 一方で東洋哲学は悟りの境地はあると しながらも、経験し体得を得て解釈を 行い昇華していく実践的なアプローチ。 日本人だから後者のアプローチを違和感 を覚える事なく読めるが、欧米人には どうなのだろうか? というのがとても気になりました。
0投稿日: 2025.05.06
powered by ブクログ西洋哲学は、常に反証が繰り返され進化していくもの。 東洋哲学は、祖となる経本へ様々な解釈を繰り返し進化を遂げていくもの。 その異なりを発見できただけでも儲けもん。
0投稿日: 2025.05.02
powered by ブクログおもしろいしわかりやすすぎる〜! 今まで仏教書を読みながら「でもこれってこうじゃない?」と頭の中で反論していたことに飲茶さんがビシビシ突っ込んで解説していってくれるから、読後のいやでもやっぱり…がない 読者がわかるまで例えを使って何度も根気強く教えてくれるイメージ 東洋哲学は経験がなきゃ理解したと言えないから、だからこそ新興宗教やカルト集団がたくさん誕生するのかなと思った 悟った、ってわかんないもんね。 たしかに法華経とかって釈迦の「たとえばさ…」みたいな話が多くて、読者側はこれがかえってはぐらかされたように感じていた でもそれは書かれてるように釈迦が悟りへ「辿り着くこと」だけを重要視していたから だからそれ以外の理論、弟子から投げかけられる「世界はどうなっているのか」の問には無記としていた 中国哲学について初めてこの本できちんと知ったけど、墨子、アツいね。中国の歴史や国の成り立ちから解説されているのがすごく勉強になる 自然に立ち向かって国を作っていった人たちが何度も王に反乱を起こすのは当然のことで、そりゃ何度も国名が変わるよね…と思わぬ所で世界史の理解を深められた タオはすべてのもと……という思想は単純明快で、なるほど仏教が浸透しなかったわけだ、と納得 なかなかの分厚さでどうしようかと思ってたけどするする読めた 読もうか迷ってるなら読むべき だって東洋哲学は体験を伴った理解でしか知ったと言えないからね
0投稿日: 2025.04.16
powered by ブクログ哲学者については、高校の倫理で習ったり、雑談や書籍等に出てくるものを断片的に寄せ集めたような知識しかなかったが、この本を読んで、あの有名な人はこういう人だったのか!あの有名な言葉はこういう意味だったのか!という驚きを得た。また、哲学者同士の関係や、考察の進められ方がよく分かった。 文体も砕けていて大変読みやすく、図書館で借りた本ではあったが、自分で買って家においておきたくなった。
0投稿日: 2025.03.26
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
『史上最強の哲学』の続編で東洋思想版。インド、中国、日本の思想について記述しています。総括すると、①東洋哲学は西洋哲学のようにロジックを積み重ねるのではなく、ある日突然真理に到達した師匠が登場する、➁その言説を弟子たちが色々と解釈して学問としてまとめて伝える、③それ故に多くの分派ができる、というのは面白い解釈と思いました。「悟った!」というアハ体験が重要で、知識ではなく「実践」、つまり「普段の生活態度」が重視されるというのも一理あると思いました。 前著に比べ、やや「くどい」点もありですが、東洋哲学の入口として学ぶには「史上最強」かと思います。(^^)
0投稿日: 2025.03.25
powered by ブクログ西洋哲学に続いて東洋哲学編を読む。 どちら入門ということで、読みやすくて面白い。 でも、難しい。難しいというか、つながりを憶えておけないという感じ?何度か再読しないとしっかり頭に入れるのは難しそう。 印象に残ったところは、東洋哲学は真理に到達したところからはじまるという点。言葉で理解しても体感しなければわからないということ。たとえば真理を赤という言葉に置き換えて考えると、赤という色がない世界で育った人が、いくら赤について知識を得ようとも、実際に外に出て赤という色を見なければ本当のところを理解できない。知識がない人や、自分は知らないとわかっている人は、外に出てみてみなよと言われれば素直にやってみようとする。でも、自分には知識があると思っている人は、それを受け入れようと思えない。真理とは何かはよくわからないけれど、生きていくうえでは、自分には知識があると思いあがらずに何事も経験していくことが大事なのかなぁと考えた。
0投稿日: 2025.03.08
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
かなり噛み砕いて説明されていてわかりやすく、基本的な内容を学びたい人におすすめ。 西洋哲学とセットで読んだ。
0投稿日: 2025.02.10
powered by ブクログおもしろかった! 前作のことを思い出しながら読みました。 イデア論とか例外があるからすべてに当てはまるわけではないけど東洋哲学がトップダウン型で西洋哲学がボトムアップ型っぽいな〜って思いました。 また忘れた頃に読み返したいです。 あとこの作者さんの他の本も読みたい。「読ませる力」が強すぎる。
1投稿日: 2025.01.24
powered by ブクログ東洋哲学と西洋哲学の違いや、東洋哲学の変遷がわかりやすく学べて有意義な本でした。 読み終わった今思うのは、これから先の未来に東洋哲学はどう残っていくのだろうかということ。日常生活において祖父母など身近な先祖を仏様として意識することはあっても、無とか悟りとか禅などの哲学に触れることはほぼない。また、世界中が繋がっているせいか西洋とか東洋などの地域性もない混ぜに均質化しているように思われ、インドや中国や日本などの哲人たちが繋いできた求道の存在感が薄らいでいる気がする。そんなことにさえ捉われないことが哲人たちのスタンスなのだろうけど、果たして現代って望ましい方向に向かっているのかな、というのが気になった。
0投稿日: 2025.01.23
powered by ブクログほんとに分かりやすい説明、全く無知の私でも理解できる内容になっていた 西洋哲学の方も読んでいて、中盤までは西洋哲学派だなと思っていたが、「悟り」を理解してからは逆転した 火事の話やピーナッツなど、とてもわかりやすい例だった 入門書として最高だと思う
0投稿日: 2025.01.18
powered by ブクログ龍樹の「空」の考え方が気に入った。 色即是空、空即是色、世の中は全て空である。 哲学の悟り開いた、ダルマ大使も「何もない」と言うてる。世の中は「何もない」ってことらしい。 また読み返したい。
0投稿日: 2025.01.04
powered by ブクログめちゃくちゃ面白い。 池上彰的な、淡々と分かりやすく解説するのが上手なだけの人かと思いながら読んだけど、後書きの意外な熱量に心射抜かれました。著者のファンです。 自分なりの中道を見出して生きたいと改めて感じました。
0投稿日: 2024.12.26
powered by ブクログ西洋編に続き、本当に素晴らしい本であった。 孔子や老子にはじまり、釈迦、そして日本の仏教における念仏、禅など「小さい頃から知ってはいるけど結局これってなんなの?」な東洋神秘(?)を非常にわかりやすく噛み砕いて教えてくれる。また東洋哲学における"自己の極め方"→すなわち"無我"の境地についても、『体験をもって理解せずして、分かった(悟った)ことにはならんよ』の考えを大切にしつつも、現代的感覚をもって解釈してくれているのでよく理解できる。 すげえな、東洋哲学!!!!!ほんと、なんというか、最高じゃねえか!!!!!!!もちろん「理解した」なんて戯言は吐かないけど、けどもだ、この本に出会えたことを感謝せずにはいられない。それくらい大きな影響力を持った本。飲茶大先生、ありがとう。
0投稿日: 2024.12.04
powered by ブクログシリーズ第二作目。 東洋哲学は予備知識なしだったので、全ての内容が新鮮で新しい発見が多かった。 体系的に理論立てて学び進めるものではなく、他人とは共有できない体験としての「悟り」。西洋哲学でいうソシュールのシニフィアン/シニフィエの構造による世界の捉え方を乗り越えて、ブラフマンとアートマンが混然一体となる「梵我一如」へと通ずる道程。そんな関連性を見て取れた気がする。 第一作目と比べ、個人的には著者の熱量が上がっていると感じた。バキの世界観に寄せることを放棄してまでも、著者の東洋哲学に対するリスペクトを十全に表現されている。(いや、思想が東へ移動して日本に到達する流れは、『バキ』の最凶囚人たちの動きと類似するか・・) 難解でいまいちピンとこない教えを、卑近な例で易しく解説してくれる力量は前作同様折り紙付き。それでいてすべての思想に横断する核心部分を抽出して提示してくらる。私のような初学者にも飽きさせず、決して少なくない文章量を読み切らさせる手腕は、あっぱれでございます。
4投稿日: 2024.11.22
powered by ブクログ哲学が好きなのですがあまり小難しく書かれても理解できない…と思っていた時、何だか漫画みたいな表紙のこちらの本に出会い惹かれて、思わずジャケ買いしました。 文章は砕けた感じではありますが、色んな東洋の哲学者達の主義主張をわかりやすく書かれていて、とても読みやすかった!こちらの本のおかげで、哲学が身近で親しみやすく感じました。あと仏教が日本に入ってきて、それが根付き、宗派が複数に分かれることになった経緯が、とても納得…!でした。 完全理解は出来てないので、あと何度か読み直ししたいなと思います。読み直しが楽しみに感じる本です。
6投稿日: 2024.11.04
powered by ブクログ911 427P ★4.6・・・1580 Amazonで評価高い本買うのやってるんだけど、この2冊面白すぎた。こんな面白く哲学について書いてる人居たんだね。すごいよ。あまり理解してなかった部分の穴が埋まったような感覚になった。哲学って学問の基礎的なものだから哲学で得た理解を色んな学問に応用出来るのが面白い。例えば、西洋哲学と東洋哲学を理解したら西洋医学と東洋医学の違いが漠然と分かったりするみたいな。 中国って革命に次ぐ革命で血で血を洗う大戦争の歴史だからこそ、論語みたいな日本人にとったらあえて言わなくてもいいような当たり前の道徳書みたいなのが出来たんだと思う。中国は敢えてそういうことを口酸っぱく耳にタコができるぐらい意識しないといけない荒廃した国なんだと思う。 日本人は無宗教ですって言う人が多いけど国単位で見たらかなり宗教的な国だと思う。インドから仏教がわたってきた時に中国を経由したけど、現世利益的な価値観を持つ中国人には仏教的なものはなじまないで定着しなかったらしい。 荘子は老子の後継者 西洋諸国に侵略されないために日本は仏教を国教にしたらしい。 飲茶 東北大学大学院修了。会社経営者。哲学や科学などハードルの高いジャンルの知識を、楽しくわかりやすく解説したブログを立ち上げ人気となる。著書に『史上最強の哲学入門』『14歳からの哲学入門』などがある。 01 ヤージュニャヴァルキヤ・・・インド哲学におけるウパニシャッド最大の哲人、「聖仙」とも称される古代インドの哲人。 およそ紀元前750~前700年の人物。 生没年不詳。 ウッダーラカ・アールニの弟子と伝えられ、梵我一如の哲理の先覚者として著名である。 02 釈迦・・・6年間の修行を経て35歳の時に長年の疑問を解き、“悟りを開き”「仏陀」となられました。 その後、お釈迦様は自らの教えを持って旅に出てそれを広めました。 これが仏教の始まりです。 以後、80歳でお亡くなりになるまでの45年間に人々に教えを説き続けました。 03 龍樹りゅうじゅ・・・サンスクリットのナーガールジュナの漢訳名で、日本では漢訳名を用いることが多い。 中観派の祖であり、蓮如以後の浄土真宗では八宗の祖師と称される。 龍猛(りゅうみょう)とも呼ばれる。 真言宗では、龍猛が「付法の八祖」の第三祖とされた。 04 孔子・・・古代中国に生まれた思想家・哲学者です。 人を愛することを基本とする「仁(じん)」と、外見的な秩序を意味する「礼(れい)」を重視した教えを説き、後に「儒学(じゅがく)」「儒教」の始祖と呼ばれました。 彼の名言をまとめた「論語」は、中国だけではなく、日本や韓国にも大きな影響を与えています。 05 墨子ぼくし・・・紀元前5世紀の思想家です。 長く続いた戦乱の時代にあって、侵略戦争を非難する「非攻」の思想、他者を手段として利用して自己利益を図ろうとする精神と行為が争乱の因だと喝破した「兼愛」の思想を主張しました。 墨子は、中国でも長らく忘れられた存在でした。 06 孟子もうし・・・中国戦国時代の儒家。魯(山東省)の鄒(すう)の人。名は軻(か)。前四世紀後半に活躍した。性善説に立ち、人は修養によって仁義礼智の四徳を成就する可能性をもつことを主張。また、富国強兵を覇道としてしりぞけ、仁政徳治による王道政治を提唱。後世、孔子と並んで孔孟と称され、亜聖の名がある。孟母三遷、孟母断機の物語は後世の伝説。生没年未詳。 07 荀子じゅんし・・・斉に仕え,のち楚(そ)の春申君(しゅんしんくん)に仕えた。 その学は孔子を標準とし,「中庸」の説により,性悪説を主張し,礼法によって道徳を維持し混乱の社会再建を説き,『荀子』(現行本32編)をつくった。 晩年は楚の蘭陵(らんりょう)に居住。 法家の韓非(かんぴ),李斯(りし)らはその門人。 08 韓非子かんぴし・・・儒家の徳治主義を排するが荀子流〈礼〉の実在を法権の超越的実在に入れ替え,〈法・勢・術〉3者を総合して権勢を君主に集中独裁させ,官僚を爪牙に駆民統治をめざす法治思想を集大成した。 09 老子ろうし・・・紀元前6世紀頃の中国春秋時代の思想家です。 道家思想の創始者で、『老子』(道徳経)の著者と伝えられています。 「道(タオ)」「無為自然」「柔よく剛を制す」などの考えを説き、東洋思想に大きな影響を与えました。 10 荘子そうし・・・中国戦国時代の思想家で、『荘子』(そうじ)の著者とされ、また道教の始祖の一人とされる人物である。 11 親鸞・・・仏教で最大の宗派となった浄土真宗を開いたことで知られています。 真宗各派では3月下旬から、50年ごとに誕生と立教開宗を祝う「慶讃(きょうさん)法要」を始めます。 12 栄西えいさい・・・鎌倉時代の禅僧。 臨済宗の開祖「ようさい」とも読む。 備中(岡山県)の人。 初め比叡山で天台宗を修め,1168年・'87年の2度の入宋により臨済禅を学び,'91年帰国後,博多に聖福寺を開いた。 13 道元・・・鎌倉時代の禅僧で、曹洞宗の開祖です。 只管打坐や身心脱落などの思想を説き、『正法眼蔵』を著しました。
0投稿日: 2024.09.24
powered by ブクログ前作の西洋哲学トーナメントに引き続き、本作では東洋哲学によるバトルが展開される。 西洋哲学が「ゴール(真理)を目指す」ものであるのに対し、東洋哲学は「ゴールした」ところからスタートする。 東洋哲学者は、西洋のようにそれまで築かれてきた哲学を批判したり打ち砕くことに躍起になったりはしない。 後世の人間たちは、先人の東洋哲学に対して「自分たちの解釈の仕方が間違っているんだ」と考え、「新しい解釈の仕方」を作り出し、その解釈の体系を発展させていく。 ーーーーーーー一以下、抜書きーーーーーーー . 西洋の場合は、最初の哲学として「世界の根源とは何か」「絶対的に正しいことは何か」といったことを考えた。すなわち、西洋は「人間の外側」にある「何か」について考えたのだと言える。しかし、東洋の場合は、それとはまったく異なり、哲学者たちはみな、「自己」という「人間の内側」にある「何か」について考えた。そう、東洋と西洋は「関心のベクトル(方向性)」がちょうど逆だったのである。 . 『存在と無』は、二〇世紀最大の知的巨人であるサルトルによって書かれた「私」に関する西洋最新最強の哲学書であるが、実のところ、そのいくつかの洞察は、紀元前六〇〇年頃の東洋哲学者がすでに通り過ぎた場所なのである . だから、何も釈迦が突然そういう「境地」を新しく発明したわけではない。また、後に彼は、菩提樹の下で悟り、その境地に到達するわけであるが、それだって別に彼が人類史上初というわけではないのである。したがって、その意味では、釈迦は決してオリジナルな存在ではないし、突如インドに舞い降りてすべてを生み出した神のような存在でもない。釈迦は、ウパニシャッド哲学という脈々と受け継がれてきた古代インドの伝統を踏まえた上で存在しているひとりの人間であった、ということは覚えておいてほしい。 . 釈迦が偉大だったのは、古代インドの伝統として根付いていた当時最強のウパニシャッド哲学にたったひとりで立ち向かい、その誤解を正してインド哲学の潮流を正道に戻し、そのうえで「アートマン」という概念を否定した次の時代を担う新しい東洋哲学を生み出したところにあるのである。 . 仏教とは、釈迦の哲学を知識として伝えるための教団なのではない。仏教とは、釈迦、そして、古代インドの哲人たちが到達した「あの境地」をみんなにも体験させようと、その方法を何千年も研鑽し続けた学徒の集団なのである。それゆえ、仏教のお経には、知識や教訓や生きるヒントが書かれているのではない。お経とは、読むことで釈迦や古代インドの哲人たちと同じ悟りの体験が引き起こされるよう、周到に緻密に計算された実践の書なのであり、そのためにこそお経は後世に伝えられ、そのためにこそお経は繰り返し読まれ続けるのである。 . 『論語』を読み、孔子の道徳的言説を学ぶことも大切ではあるが、僕たちが孔子からホントウに学ぶべきことは、「戦国時代、たった一介の学士にすぎなかった男が、歴史を正道に戻そうと、国家権力にも神秘的権威にも屈せずに立ち向かった」というその心意気、ハートの方にこそあるのである。 . 墨子は自らの思想を「兼く愛する」というところから兼愛と名づけた。この兼愛の名のもとに、墨子は「家族も隣人も他国の人もみな平等に、自分自身を愛するかのように愛しなさい、そうすれば戦争なんて起きないよ」と情熱的に説いたのである。 . つまり、ある人は作物を植えることに専念し、ある人は家を建てることに専念し、互いにその仕事を分けあった方が効率的で、全体としても利益が大きくなるということだ。すなわち、荀子はまだ経済学すらない紀元前の昔に、分業のメリットをすでにうたっていたわけであるが、だからこそ万人が平等で同じであってはいけないのである。 . だからこそ、老子は言うのだ。学を捨て、分別を捨てなさい、と。そうして、ついには「私がいる、私がやっている、私が見ている、私が触れている」と言った思い込み(分別)を打ち破り、行動や思考が自然にわき出るままに任せるという境地に到達しなさい、と。このとき、『私』は何も為さないただの観客となり、人生は映画のようにひとりで為されていく。この境地を老子は「無為自然」と呼んだのである。 . 日本において東洋哲学はいつはじまったのか? その答えは、仏像や経典が日本に伝来したときでもなければ、蘇我氏が物部氏を滅ぼしたときでもない。聖徳太子という日本を代表する稀有な智者が仏教の真髄を理解した、まさにその「瞬間」から日本の東洋哲学の歴史がはじまったのである。
0投稿日: 2024.08.07
powered by ブクログ読み応え抜群。 入門書というだけあって、わかりやすかった。 ただ、「説明して」と言われても上手く説明できる自信はない。 なので、是非読んでみてください。
0投稿日: 2024.06.09
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
仏教の始まりから、各国でのメジャー哲人たちの現れによる変化や手法を順序だって解説してくれてわかりやすかった。 著者のグラップラー刃牙へのリスペクトによるものか、最強の哲人/先人たちが思想を作り上げてきた様の描きかたもエンタメ性があり楽しく読めた。 でも結局は、悟りを求めていたら悟れないし、悟っても毎日はそんな変わらないんだよ(著者が言いたいことを私がちゃんと理解できていない可能性たかい、、)という点が考え深かった
0投稿日: 2024.04.13
powered by ブクログ私には西洋の哲学より、こちらの東洋の哲学の方が難しかった。理解しようとしているからかもしれない。ただ両方知れたことで、私の中の世界の和が広くなった気がした。
0投稿日: 2024.03.14
powered by ブクログものすごくおもしろかったです。読んでよかった。 以前西洋編も読んだのですが、東洋編の方が段違いになじみやすく、スッと入ってくる感じがしました。 自分も東洋の文化の中で生きる者なのだなあと実感。 西洋の方は哲学と宗教が相容れないような関係値であったと記憶しているのですが、東洋では仏教というものが宗教であり東洋哲学そのものでもあるというのもおもしろかったです。 いろいろと感じたことがたくさんありましたが、それを言葉にしようとするのは無意味ですね。 なんにせよ、とてもおもしろいのでおすすめの一冊です。
0投稿日: 2024.03.10
powered by ブクログ西洋哲学編は、ほんとに「階段状」というように、最初から最後に向かって理解の階段を登っていくような読書だった。 つまり、普通の読書だった。 対してこの東洋編。やっぱり、冒頭で著者が述べてることが全てで「ピラミッド型」であり本質的に「わからないもの」。 その触れ込み通り、内容はずっと一貫していて、通奏低音は変わらない。そして思想の内容よりは「わからない」ことをどう越えようとしたか、その挑戦方法を知ることに意義を感じた。 これを読んだあとで「わかった」「わからなかった」「わかりやすかった」「わかりづらかった」と言うのは少し無粋かもしれないなと思ったので、面白かった、にとどめておこうと思います。
1投稿日: 2024.03.09
powered by ブクログ表紙のせいで読まず嫌いをしていたが、もっと早く読めばよかった…と思うくらいいい本だった。 まずはこれを読んでからもっと本格的な本を読むのが良いですね。
0投稿日: 2024.03.03
powered by ブクログ哲学と宗教の境目が最早分からなくってしまったが、東洋哲学の大きな枠組みが理解出来た。 ここからそれぞれについての沼に嵌りこんでいくかは分からないが。
0投稿日: 2024.02.26
powered by ブクログめちゃくちゃ面白くて一気に読んでしまった。1冊目の西洋哲学の方を読んでから読み始めたら、その始まりやアプローチのされ方がまるで真逆で面白かった。悟りとは何かをインド哲学でしっかり説明されたうえで、言葉では伝えられない「体験による理解」がいかに伝承されてきたかを、中国哲学、日本哲学という流れを通して理解できるようになっていた。それぞれの哲学がいかに必然的にそうなったかを歴史的な流れと分かり易い例えを多用しながら説明していて、物語に入り込みながら読み込むことができた。 仏教でいう悟りの正体を知識として掴むことができた。不幸とは自分自身の思考が作り出しているものにすぎないので、無分別智の境地(悟り)を目指そう。すると自分というものはなくなり無為自然に至れる。自然と事を為せるようになる。
0投稿日: 2024.02.17
powered by ブクログ東洋哲学の本はは初めて読んだ。 難しいかなって思ったけど、読み進めていくと面白い!やはり寺や仏など身近なものだからなのかもしれない。 東洋哲学は全て体験、経験、自分が初めて悟りをして完成する。 言葉では言い表せない。 西洋哲学とは真逆だが、似たような内容を説いている部分もある。 西洋哲学と東洋哲学、どちらも歴史に残す立派な学問。 私も考えることをやめない人間でありたい。
20投稿日: 2024.01.15
powered by ブクログ史上最強の哲学入門(西洋哲学)から続けての読了。飲茶氏のフランクな言い回しと共に楽しく読ませていただきました。歴史の順を追って活躍した哲学者を知る事ができ、歴史の振り返りとしても非常に有用でした。 内容としては理解が難しいところもあるのですが、飲茶氏による例え話によって理解が進み助かりました。「耳」の例え話を使った真理の解説、「ガンダム」の例え話を使った只管打座の解説は面白かったです。
0投稿日: 2024.01.06
powered by ブクログ東洋哲学はピラミッド構造。 思考も身体の反応の1つであり我ではない。 同化しないこと。 --- 日本仏教を学ぶ。 諸子百家では老荘思想、孔子、孟子、韓非子あたり。
0投稿日: 2023.12.31
powered by ブクログ去年の今頃、第一弾とも言える西洋の哲学者31名を一堂に紹介した「史上最強の哲学入門」を読んで、それからずっと読みたい本リストに入れていた東洋の哲人たち編。 ようやく読了。 …とは言え、読み始めたら面白くて一気読みだった。 何が面白いって、まず入口が面白い。 西洋哲学との差を端的に語るんだが、 めっちゃわかりやすいし、腑に落ちもし、また興味がよりそそられたりもする。 思考をとめず、理性を働かせてロジカルに真理を追求する西洋哲学に対して、東洋哲学はまず言葉にできない。体験がすべて。言葉で分類すればするほど悟りから遠ざかる。 そんな、文章にするにはめちゃくちゃ難解な学問が、それが誕生した歴史的背景も交えながら、わかりやすくエモーショナルな文章で解きほぐされていく。 般若心経ってそういう意味だったのか! 春秋戦国時代の前ってこんな感じで、そんな紆余曲折を経て秦の時代に法家が台頭してきたのか! 臨済宗と曹洞宗の起源ってそういうとこからなんだ! みたいな雑学的要素もたくさんありつつ、気がつけば、 思考を外から眺めるとは? 無限連鎖ってのはこないだの脳科学の話にもあったやつだ! 言葉にするとは分けること… 分けて理解することとありのままを思考せずに分類せずに受け止めるということ 無為自然か。 などなど、断片的にいろんなモヤモヤが浮かんでは消える哲学の沼に嵌ってしまいそうになる。 こういうの、 嫌いじゃないわー笑 全然体験できそうな気配もないけど、 いつか「それ」が知れたらいいなぁと思った。 とりあえず時間ができたら西洋哲学編からもう一回読み返そう。
0投稿日: 2023.11.13
powered by ブクログ釈迦、ブッタにはじまる東洋哲学の考え方を著者オリジナルのわかりやすい表現で書いている指南書。前半の悟りや空(くう)の概念は非常にわかりやすかった。後半は仏教の変遷について。
0投稿日: 2023.10.11
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
■西洋哲学と東洋哲学の違い ・西洋哲学は「階段」 より優れた論、究極の真理を求めて、先人の論を乗り越えて高みへ高みへと一歩ずつ登っていくイメージ。人間の外側にある何かを考え、世界を把握し制御するための知識や技術の体系が発達 ・東洋哲学は「ピラミッド」 ある日突然、「真理に到達した」と言い放つ不遜な人間が現れ、その人の言葉や考え方を後世の人たちが学問としてまとめ上げたもの。人間の内側にある何かを考え、自己(私)の探究に全振りし、体験による理解を重視 ~先住民を武力で制圧したアーリア人(インド人の祖先)は、人間を「祭司、王族、庶民、奴隷」の階級にわける身分制度を作り出し、自分たちが最高位の祭司(バラモン)の階級であると宣言し、たいして働かなくても裕福な生活ができ家でゴロゴロできるようになった。西洋同様、そうしてできた暇人は生活に関係ない小難しいことを考えだし、これがインド哲学、東洋哲学の始まりとなる~ ■ヤージュニャヴァルキヤ 「梵我一如」 ・アートマン(我、自己、私)の正体がブラフマン(梵、世界の根本原理)と同一であることを知った人間は、すべての苦悩から解放され「究極の真理」に到達する 「無限遡行」 ・アートマンについては「に非ず、に非ず」としか言えない(認識するものは認識できない) ・自己(アートマン)とは、鑑賞者(観客)であって、決して鑑賞物(踊り子、映画)と同一のものではない。そして、どんな鑑賞物が現れようが、鑑賞者を汚すことも破壊することもできない ~私(アートマン)に生まれながらの階級などないため、ヤージュニャヴァルキヤの哲学はバラモンたちの特権を揺るがすものとなり、また同時に、身分制度に抑圧されていたバラモン以外の人々を勇気付ける革命的なものであった。その結果、多くの人々が最強の境地を会得しようと出家し釈迦もこのブームに乗っかったが、「体験」による理解をするものは少なく、誤った理解が大衆に広まっていた~ ■釈迦 「四諦八正道」 ・人生は苦しみだらけだけど、その苦しみには執着という原因があって、それを無くせば苦しみを消すことができる。そして、その境地にいたるための八つの方法がある(正しい生き方をする) 「無我」 ・アートマン(私)は存在しない(「私は○○という概念である」と、何かの概念との同化の否定) ~釈迦の死後、弟子たちは集まって互いの記憶を持ち寄り、釈迦が生前に言っていたことを経典としてまとめようとしたが、釈迦はひとりひとりに合うように様々なやり方で教えを説いていたため、弟子たちの間で解釈の違いが起こり、大乗仏教(柔軟)と上座部仏教(厳格)に分裂してしまう。そして大衆用に緩やかなものに作り替えた大乗仏教は、釈迦の哲学を正しく理解した龍樹により、発展していく~ ■龍樹(ナーガールジュナ) 「色即是空、空即是色」 ・物質(色)には実体がなく(空)、実体がないということが物質である(色=空) 「縁起」⇒「空」 ・どのような物事や現象であろうと、それは単独で存在できるものではなく、たくさんの「縁(間接的要因)」の絡み合いによって起こり、浮かんでは消えていく、実体のないものである ・我々が見たり触ったりして「確実にある」と思い込んでいる色(物質)とは、実は「関係性の海」の中から分別によって「そういうふうに切り取った」から「そういうふうにあるように見える」だけのものにすぎない。だから、そこに「そういう実体」があるわけではない 「無分別智」 ・いっさいの言葉は、「世界にあるモノ(実体)」を指し示しているのではなく、ホントウは何らかの価値基準に従って世界に引いた、区別のための境界線を指し示している→区別(差異)の体系によって物事(世界)を把握する(分別智) ・無分別智(般若)の境地にいたるには、「自我(私)の崩壊」「自己の死」という恐ろしい体験を乗り越えなくてはならず、勇気を振り絞るため最後の背中を押してくれるのは意味なんかない呪文を唱えること 「般若心経」仏教の真髄を表した最強の経典 ・物事が「空(関係性の中で成り立っているだけの実体のないもの)」であることを踏まえつつ、無分別(智慧)の行を実践して真言を唱えながら、えいやと悟りの境地にいたりましょう ~精妙な仏教の哲学は大衆からすれば非常に理解しがたいものであったため、神秘的な儀式や魅力的なキャラクター性を持つ神様(仏様)をたくさん創作してその像を拝んだり、と大衆的なものを取り込んでいく必要があった。しかしすでにインドではヒンドゥー教が大衆受けしていたため、仏教は存在意義を見失い終焉してしまった~
0投稿日: 2023.09.04
powered by ブクログ西洋の方も面白かったが、東洋も面白かった。 西洋哲学の関心が比較的外向きで、東洋哲学の関心は内向きという括り方は分かりやすく、なるほどと思った。本書では言及無いが、医療の対症療法と根本治療的スタンスの違いも似ているのだろうか。古代インドでは釈迦をはじめ、しんどい自慢大会が繰り広げられていた。中道で無敵の境地、憧れる。 韓非子の形名参同。 禅の話で、「片手で拍手するとどんな音がする?」を極限まで思考した後、「思考」は自分自身でなくただの道具・物理現象であることに気づき絶対的な静寂に包まれる…のくだりも面白く印象的だった。
0投稿日: 2023.06.23
powered by ブクログ子供の頃から法事などで何気なく聞いてたお経。 全く意味や起源など気にしたこともなかったけど、こんなルーツがあったのか!と、大変勉強になった。 孔子とか孟子も名前と名言ぐらいは聞いたことあるなあ、ぐらいの感じだったが、時系列や関係性などスッキリまとめて頂いてて大変分かりやすかった。 先に西洋哲学の方も読んでたので対比して考えると面白いですね。 一読しただけでは人に説明できるほど頭には入らんかったですが、残しておきたい1冊です。
1投稿日: 2023.06.07
powered by ブクログ西洋哲学の入門書「史上最強の哲学入門」の続編。今度は東洋哲学の入門書となっている。相変わらず語り口はポップだが、インドから中国、日本へと思想の伝搬と変遷を追うような芯の通った説明になっていて、理解しやすかった。特に、十牛図にインド哲学と中国哲学の融合を見る、という視点は新鮮だった。 他の飲茶氏の著作と同様、若い哲学入門者におすすめの1冊である。 本書のインド哲学の章に般若心経の解説があるのだが、ちょうど並行して、アルボムッレ・スマナサーラ著「般若心経は間違い? 」を読んでいたので、両書の説明の違いが面白かった。「間違い? 」の方は、初期仏教の思想を学ぶという点ではより詳しく、正しいのだろうが、あくまでも仏教(釈迦)の枠を出ない。本書の方が扱う対象が広い分、内容は荒削りだが視点は高く、客観的に説明しているように思えた。
1投稿日: 2023.05.14
powered by ブクログ西洋哲学は階段で東洋哲学はピラミッドという著者ならではの言い切りが素晴らしくわかりやすい。 それぞれの哲人の項目を読んでも理解できると思うが、順序通りに読むと東洋哲学の流れが理解できる。
0投稿日: 2023.05.02
powered by ブクログ同著者の西洋哲学の方と同様にこちらの東洋哲学について述べた本もとても面白い。西洋哲学は段階的に「真理」を追究してきたのに対して、東洋哲学は「悟り」に達する方法を模索してきた。両者とも、人間はお互いが相手を思いやるべきだと述べた人が現代まで語り継がれてきた点が興味深いと感じる。 今まで、「悟り」という言葉の意味をあまり理解していなかったが、それは自己は世界と一体であり、そこに区別がないことを体感することだそうだ。そこに達するには、無分別智が必要となるが、頭ではなんとなく理解しても体現することは難しいと思った。なお、龍樹の”空の哲学”は、より詳細に言語化されていて、ここで一気に理解が進んだ感じがした。 孔子は、「仁と礼」を重んじることが人々が平和に生きる方法だと考え、誰にも納得されずとも、生涯それを貫き通したというエピソードは非常に胸が熱くなる。 老子の唱えた無為自然も「悟り」を表す重要な表現である。起こることは起こると至極当たり前のことを言っているのだが、「悟り」に達する前にも後にも役立つ言葉だと思う。 禅は、インド仏教と中国哲学のブレンド品に日本独自の表現を施したものだと考える。その特徴は、念仏や座禅などユニークな方法が多く、禅の布教や悟りに達する方法を模索した結果であることが窺える。 日常生活で、役に立つということは少ないかもしれないが、「悟り」の仕方にも様々なアプローチがあって、強烈な物事にも動じないヒントが隠されているのかなと思う。
1投稿日: 2023.04.25
powered by ブクログ表紙やタイトルが稚拙に見えて敬遠していたが、読みやすく、分かりやすかった。内容自体は諸子百家や仏教僧の思想の一部を一面的に見たものでしかないのだろうが、それよりもどういう背景からそういった思想が生まれ、その思想同士にどういうつながりがあるのか、という概観を把握できたのがよかった。
0投稿日: 2023.04.02
powered by ブクログ【読もうと思ったキッカケ】 元々哲学に興味はあったが、何から手を出せばよいか、かなり迷っていた。よく行く本屋さんで本書が何度も目に入って記憶しており、WEBで検索した際、哲学入門書として良書と多数のレビューがあったので、西洋編(タイトルには西洋編とは記載なし)・東洋編を2冊同時購入。 【読後の感想】 入門書としては、かなり良書だと思う。なぜなら、インド哲学としての釈迦や龍樹(ナーガールジュナ)、中国哲学として老子・荘子、日本の哲学≒仏教としての親鸞(唯円)の『歎異抄』など、読みたくなった本が本書をキッカケにかなり増殖したからだ。 最近まで仏教というものを、宗教としてしか認識していなかったが、仏教はキリスト教やイスラム教とは違い、そもそも神というものが存在しない。なので仏教は純粋に哲学的な割合がかなり高いと学んだ。 【特に腑に落ちた箇所】 1.「知識と知っているだけの人」と「体験的に本当に分かった人(悟った人)」は、本質的にはまったく違うにもかかわらず、言葉の上ではまったく同じことを話す。(P.87) そう、まさに実生活でもよく感じることで、本から得た知識を誰かに伝えようとしても、なかなかスラスラと相手に伝えられることは稀だ。いわゆる、分かったつもりになっただけの事だと後から結構落ち込むことなど日常茶飯事である。 これとある種同じで、いかに理論として「悟り」を理解しても、悟れることは絶対にない。本気で悟る為には、体感するしかないという箇所は非常に納得感が高く、腑に落ちた。 2.「無分別智」とは、その名のとおり、分別する(世界から何かを切り分ける=言語化する)ことをしないで、物事を直感的に理解することであるが、実は、釈迦が悟った「真理」とはこの「無分別智(智慧)」でしか理解することができないものであった。ゆえに、仏教徒たちは「無分別智」の境地に到達することを目的とし、仏教はそこへ到達する方法論(修行法)を提示するのである。(P.159) なるほどなぁ、「悟り」を言語化することが絶対にできないことだからこそ、修行僧の方が「悟る」為に、生涯を捧げるんだと理解できた。 また20年ほど前に読んだ京極夏彦氏の「鉄鼠の檻」も、確か悟りをテーマに書いていた本だったので、20年ぶりに読むとまた違った「気づき」があるだろうと思い、また近々読んでみようと思う。
26投稿日: 2023.02.07
powered by ブクログ1 どんな本? 古代インドから始まる東洋の哲学を時系列順に初 学者でも分かりやすくしかも面白く教えてくれる貴 重な本。著者は悟りの境地に達しているのでは無い だろうか? 2 なんで読んだの? (1) 飲茶さんの本だから。 (2) 哲学の基礎を学びたいから。 (3) 自己の内的成長に繋げた状態になりたい。 3 構 成 3部構成415頁。あとがきまで面白い。 まえがきで東洋の哲学は東に東に向かって〜から始 まり、あとがきで本書を手にしてくれた方が史上最 強の哲学を求める戦いに入門してくれるよね?と終 わる。時系列順の構成になっていてとてもわかりや すい。 4 著者の問題提起 東洋の哲学は真理に達したところからスタートす る。真理には体験を伴った理解(悟り)がないとスタ ートしないらしい。じゃあ釈迦の様に到達しよう。 ところで到達したらどうなんの? 5 命題にいたった理由 板垣恵介に次無いの?と求められて本書を刊行す ることになったから。 6 著者の解 人間は真理(悟り)に達しても何も変わらない。 7 重要な語句・文 (1) 悟り (2) 無分別地 (3) 梵我一如 (4) ヤージュニャヴァルキヤ、釈迦、龍樹 (5) 孔子、墨子、孟子、荀子、韓非子、老子、荘子 (6) 仁と礼、道(タオ) (7) 孟母三遷 (8) 親鸞、栄西、道元 (9) 只管打座、公安、十牛図 (10) 阿弥陀の本願 (11) 禅 8 感 想 悟りに対する神秘的で不可解な印象が消えた。 刺さったのは無分別地。悟りのゴールを初めて具 体的に知った。 深く知りたい事は禅。めっちゃやって見たいと感 じた。 人に勧めるなら悟りの定義。体験を伴った理解。 図やチャートでより一層分かり易い表現でした。 史上最強の名に恥じない入門書であり、今年最初 の一冊に最高の本でした。 9 TODO (1) 次の飲茶さんの本の購読 (2) 禅の体験入門 10 問 い 悟りとは? 11 答 え 達しなくて良いもの
0投稿日: 2023.01.05
powered by ブクログ読み終わった後に、「感想を書く」という行為がこの本(東洋哲学)の理解から遠のく気がする。そう思える本でした。
2投稿日: 2022.08.22
powered by ブクログこれは面白い、哲学というテーマを誰にでもわかるように時に真面目に、時に面白おかしく表現してくれています。インドから始まる東洋哲学の歴史的流れや背景が良くわかりました、東へ東へ。 知識を持っていることと本当の意味で知っているは違う。自ら体験し、実践していくことで自分のものにしていくことが大事なんだなと。 世の中は言葉や解釈で形を作っているに過ぎない。あると思っているものも人が意味をつけているに過ぎない。 外的なものは外のものと割り切り、起きていることに身を任せ、日々を自分のものにし、人生を真っ直ぐに生きていくこと。
4投稿日: 2022.07.31
powered by ブクログ西洋哲学の方がわかりやすかった(当たり前) 東洋哲学という言葉で説明するのが不可能なものをよくここまでわかりやすく解説できるなんて。。素晴らしいの一言。
0投稿日: 2022.06.21
powered by ブクログ東洋哲学の発展をまとめた本。 東洋哲学はインド哲学の発生から、中国の老荘思想との融合、そして日本に渡って禅哲学の完成という変遷を辿ってきた。この流れがコンパクトに、かつユニークな文体ゆえに非常にわかりやすく書かれている。 特筆すべきは東洋哲学と西洋哲学との違いだろう。、西洋哲学は論理や知識に価値があるとして、これを組み上げることで「真理」に辿り着こうとする。これが西洋哲学者にとってのゴールである。 一方、東洋哲学はいきなり、このゴールから始まる。あるとき「真理」に辿り着いた人が突然現れて、これは釈迦だったり老子だったりするが、その方法を広めていくのが東洋哲学の目的である。東洋哲学者は知識や理論にそこまで重きをおかず、「わかった」という体験を重んじる。 この違いが中々わかりずらく、東洋哲学が誤解されやすい所以かと思う。特に、西洋的な知識や理論を教え込むことに特化した教育を行なっている、日本をはじめとした殆どの先進国では東洋哲学がいまいち活用されない。 自分もこれまで西洋哲学ばかりを勉強していたため、この違いがとっつきにくかった。 しかしその哲学から学ぶことは大いにある。東洋哲学は人類の叡智の片輪であることは間違いない。 またプロセスはまったく違えど、西洋哲学と似た結論に落ち着く部分もあり、このシンクロニシティも興味深いところだろう。 東洋哲学をここまでシンプルにまとめた本はなかなかなく、最適な入門書だと思う。
5投稿日: 2022.06.16
powered by ブクログ東洋哲学についての理解そのものもそうだが、どういう流れの中での(例えば)般若心経ができてきて、従ってその本質はこう、ということが丁寧に、簡潔に説明されている為、わかりやすくて役に立つ知識として得られた感覚がある。(これまた例えば、)耳に興奮する族の譬え話もすごくわかりやすい。しかも、どういうわけか読みやすくてサクサク読み進められる。
2投稿日: 2022.05.22
powered by ブクログ哲学入門書に足りないのは刃牙(バキ)要素だ!で有名な(?)飲茶氏がおくる史上最強の哲学入門の東洋編がこちら。もちろん、日本も含まれているので馴染みやすいという人もいるかもしれない。 読み終えた結論からいうと、超オススメ。東洋哲学といわれてもピンと来ない人がほとんどだと思うが、哲学から宗教になった流れなどがわかりやすく書かれていて「なるほど!!そうだったのか!」と声を上げずにいられない。最後まで読めばきっと仏教に対する捉え方も変わる。 分厚い本で尻込みするかもしれないが、一ヶ月かけてでも読む価値はある。言葉では伝えられない。これが東洋哲学の特徴であるがゆえに、読んでもホントウの理解は得られないが、なぜそうなのか?がたとえ知識としてだけでも得られるのは貴重かも。
0投稿日: 2022.05.11
powered by ブクログ素晴らしかった。とにかく体験しないと理解できないのだろう。(理解できるか否かは別として)。寝る前にちびちび読み進んでいて、最後の方は声に出して感心していた。西洋思想も全く分からないけれど、東洋思想の違った難解さをここまで噛み砕いてくれてありがたい。
2投稿日: 2022.05.07
powered by ブクログ哲学と言うと主に西洋の哲学者を意味することが多かったが、実は日常生活になじみが深い東洋の哲学者に注目し解説した本。仏教や儒教の背景にある考え方がどのように西洋哲学と違うのかと言う観点について気づかされる良い本であった。
0投稿日: 2021.12.26
powered by ブクログ史上最強の哲学入門 東洋編 飲茶 2021年12月22日読了。 西洋の哲学は階段型。 ソクラテスは「我々は無知である」という所からこの世の真理を追求しようとした。 西洋の哲学は先人達の哲学を足踏みにさらなる真理追求を模索する階段型であった。 東洋の哲学はピラミッド型。 東洋の哲学はいきなり「我、真理を知り得たり」みたいないきなり究極の答えに到達したと言う。 つまり、西洋はゴールを目指すのに、東洋哲学はいきなり「ゴールした」所からスタートする。 しかも、後世の人間達は先人の東洋哲学を間違っているとはせず、「自分達の解釈の仕方が間違っているんだ」と考え、「新しい解釈の仕方」を作り出し、その解釈の体系を発展させていく。 すると、様々な解釈から宗派が生まれる事になり哲学から宗教へと発展するのである。 この辺り非常に例えが分かりやすい。 そして東洋哲学に関する入門書等は結局のところ、「釈迦や老師のタオなどその境地に達し体得して初めて分かるものだから、言葉だけ学んでもホントウの所は分かりませんよー。」みたいな事が多いとズバッと書いてあったりもして忖度なくて面白い。 それでも東洋哲学(インド哲学、中国哲学、日本哲学)を網羅的に、主要な哲人を分かりやすく説明しているので読み物として秀逸だと思います。
0投稿日: 2021.12.22
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
天上天下唯我独尊。私が最強であることを私だけが知っていればよい。これが悟りの境地というべきか。まだまだモヤモヤするが、知識の点がうっすらとした線で繋がってきた。
0投稿日: 2021.11.24
powered by ブクログ同著者の史上最強の哲学入門を先に読み、本書を読んだ。西洋哲学とは確かに方向性が全く異なる哲学であった。西洋哲学は説明可能な論理的、科学的な面があったが、東洋哲学は自己の中のみにある体験そのものであるため、説明不可能性を持っているのだと思った。東洋哲学は環境に関係なく、悟りで自己認識的に無敵になれるので、確かに最強だなと思った。自己の認識さえも客観視してしまえば、全ては映画の中の出来事にしかすぎなくなる。仏教の苦行や念仏が方法でしかなく、あらゆる仏教の真髄が一つの哲学にあるというのは驚きだった。本書では理解不可能な東洋哲学を実に分かりやすく、読み終えた時東洋哲学を理解できたのではないかという錯覚に陥ってしまうほどよくできた著書だと思う。
0投稿日: 2021.10.06
powered by ブクログ【星:5.0】 東洋哲学がこんなに面白いものだとは知らなかった・・・。私の知の扉をまた1枚開いてもらったような感じである。 本書も含めて、著者以上に分かりやすく、かつ面白く哲学についてかける人は今後も多分出てこないだろう。 読み応えも十分な素晴らしい1冊だった。
2投稿日: 2021.10.05
powered by ブクログシンプルにお笑い的に面白い。 ガンダムのくだりは吹き出してしまった。 東洋哲学の歴史、思想観が非常にスッキリする。 東洋哲学は生活の中でも馴染み深いものなので、普段ぼんやり疑問に思っていたことがどんどん解決され、腑に落ちる。 仏教は神を持たないのになぜ仏像などを奉るんだろう?といった疑問が解消される
0投稿日: 2021.10.02
powered by ブクログ面白く読ませていただきました。東洋哲学と西洋哲学の違い、仏教の宗派の違いがよく理解できました。東洋人だけど、教育は西洋的。自分の中の東洋と西洋がせめぎ合うのが分かりました。
2投稿日: 2021.09.21
powered by ブクログ近代教育を受けてきた私にとって東洋思想はなかなか理解し難いものが多かった。 言語化して、解像度を高くすることこそ大事なことだと思っていたけれど、東洋哲学は言葉でわかったなんてありえない。言葉にできない体験でこそ初めてわかったという考えであることと理解した。 ただ、この理解したも結局言葉の上でしか理解できていないので、東洋思想でいう「悟り」には程遠く、おそらく私がわかったといっても、悟りにたどり着いた人からしたら全然わかっていない分類に入れられてしまうのかもしれない。 と考える思考自体が西洋思想っぽく、なかなか無為自然という自分も他者も含め境界の全くない無為自然には程遠い思考なんだろうなぁと感じた。
0投稿日: 2021.09.06
powered by ブクログ屁理屈の大集成の西洋哲学と決して理解することも伝えることも出来ない体感の東洋哲学。もしかしたらいつか自分は、それは死というものではなく、遍在となりうるのではないかと勝手に思ったり。19歳の頃、阪急電車から見えた夕陽を浴びた瞬間、時空を超えた気がしたあの感覚を今も思い出す。関係ないかどうか知らんけど。
0投稿日: 2021.08.26
powered by ブクログ哲学は難しい。難しいことをこんなにも分かりやすく説明できるのは、単にこの人の理解がめちゃくちゃ深いのと、この人が相当頭がいいからだと思う。想像力が豊かだから、相手の分からないことを前提としてそれを埋めるために相手の言葉を使いながら説明できる。憧れる。こうやって相手の興味を刺激しながら自分の世界観を押し付けられる絶対的なエゴは強い。西洋の哲学バージョンも読みたい。
0投稿日: 2021.08.22
powered by ブクログ「史上最強の哲学入門」に続き大変面白く読めた。 西洋哲学は階段、東洋哲学はピラミッド。 と大枠で違いを分かった上で、釈迦や孔子などの思想に触れることが出来た。 もっと哲学を知りたいと思えました。
0投稿日: 2021.08.08
powered by ブクログコロナ禍に自分と向き合う時間が増えたためか、飲茶氏の『史上最強の哲学入門』をきっかけに哲学にハマり、2020~2021年の間に入門書をいろいろと読み漁った。 ただそれらの書籍は主に西洋哲学のものが中心だったため、対照的な東洋哲学のことも知りたいと思い、やはり飲茶氏が著した本から入りたいと考えて購入。 東洋思想など、高校時代に漢文で少し触れた程度でほとんど頭に残っていなかったので、文庫サイズとはいえ400ページ以上もある本書を読み切れるかと一抹の不安はあったが、さすがは飲茶氏というべきか、どの著作にも共通する軽快な語り口調の文体と分かりやすい例示のおかげでストレスなく一気に読了できた。 本書は、大きくインド哲学、中国哲学、日本哲学の3章で構成されており、章の終わりに「東洋哲学とは何か?」という"飲茶節"満載のコラムが挿入されていることで読者の理解を助けている。 恥ずかしながら、インドで興った古代インド哲学が時を経て東へと移り行き、中国の春秋戦国時代に生まれた諸子百家の思想を経て、最終的には海を渡って「禅」という形となって日本に定着したという流れを、本書を読むことで改めて理解した。 従来の理論や学説を批判しながら論理を積み上げていく西洋哲学の考え方に浸りきっている現代人にとって、東洋哲学は哲学ではなく、単なる思想や説法程度にしか捉えていないのは自分だけではないであろう。 しかしながら本書により、東洋哲学に対する自身の理解の乏しさを思い知り、かつそれが持つ深遠さを垣間見ることができるのだ。 「悟り」とは何か? 「道(タオ)」とは何か? 「禅」とは何か? 「坐禅」とは何か? 普段何気なく口にしているこれらの言葉の定義よりも、それらが持つ意味を考えされられるのが本書の価値であろう。 西洋哲学の入門書は数多存在するが、東洋哲学をここまで分かりやすく解説した作品はこれまで存在しなかったのではあるまいか。 個人的には、インド哲学の章で解説されている般若心経の解説が、これまで読んだどの解説よりも簡潔かつ最も腹落ちした。 本書は西洋哲学編ほど"グラップラー刃牙色"は濃くないが、今後の人生において行き詰まった時や、論理に縛られて柔軟な発想や考え方ができなくなってしまった際などに読み返してみようと思いたくなる一冊であった。
0投稿日: 2021.07.16
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
西洋に比べ体験が目的とされている分難しかったですが、噛み砕いた説明がされていて読みやすかったです。 「生まれた時から目が見えない人に空の青さを伝える時なんて言えばいいんだ?」 という文を読みまさにそれまでに本書で綴られていた東洋哲学は体験への手引きだということが腑に落ちました。 知識として青を説明することはできてもそれは体験では無いしほんとうの青は伝えられない。 その体験をする為に多くの人が時間を費やし人生をかけて挑んだことすごいことだと思いました。 「無」や「空」を知識として知った今 全て「無」だと「空」だと思い悟ることができたならどれだけ生きやすいだろう… だけど何も感じなくなったら何の為に生きるんだろう… 知識を得たからこそ楽しかったことも苦しかったこともそう思えたその瞬間も感情も自分が体験してきたこと全て大切にしたいと気づき思いました。
0投稿日: 2021.06.05
powered by ブクログ西洋編に続き、東洋編も面白い。 こちらは31人もの登場人物があった西洋編とは違い、人物は少なく、西洋との違いや東洋の特徴などに詳しい説明がされていて、改めてなるほどと思わされることが多かった。
0投稿日: 2021.03.14
powered by ブクログ西洋と違って東洋哲学は抽象的で難しい 理解を深めるために何度でも読みたい 難しいけどやっぱり面白かった
0投稿日: 2021.03.13
powered by ブクログ前作に続き本作の「東洋の哲人たち」もめちゃくちゃハマりました!! 難しい哲学を、こんなに分かりやすく、面白く書ける飲茶さんはスゴイです。 ぜひぜひ読んでみてください
10投稿日: 2021.03.11
powered by ブクログ前作も読みましたが、東洋哲学は難解でした。 面白みをもって最後まで読めたのはこの本のおかげだと思います。
1投稿日: 2021.03.07
powered by ブクログ東洋哲学は、本来伝えられないものを伝えようとしているという前提を知ることができた。いろんなことに転用できそうな概念。
1投稿日: 2021.03.05
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
言葉とは連続する世界を人間が区別するために作ったものであり、事象の差異により物事を区別し、世界を理解するための道具である。つまり道具である言葉と世界の実相に差があるのは当然である(龍樹) これを分別智という。では、他の智はあるのか。赤子が言語を習得する過程の智恵を紹介している。 しかし、文化人類学の研究結果で手話のない民族の聾者でも世界を認識できる点から【分別智】以外の思考、智恵はあり得るし研究もできる。 知識の根本とは物、私に対する他者を分別することから開始。そして他者も細かく分別していく。ではその分別する意思をもった存在は「自分」なのかと問いかけると、どうやらそうではない。であれば、その擬似的に自分と感じている「意識」「自我」ではない存在として「自分」があるんだろう。 と、言う考えは、脳科学における最先端の理論「受動意識仮説」に凄く近い。だから前野教授は仏教関連の本を出しているのかと勝手に納得してしまった。
1投稿日: 2021.02.05
powered by ブクログこれまで、老荘思想・孔子がつながっていなかったし、原始仏教と日本の仏教もつながっていなかった。 それをつなげる本。 ああ、日本の仏教は、悟りを得るための方便であったのか。 結局人は、心の平和がほしいのだ。 心の平和を得るためには、心のありようを知り、鍛錬していくことが必要なのだな。 そう、愛するあの人が振り向いてくれなくても、目障りなあの人が私をキレさせても、私自身は傷つかない。やりすごす。。。というのが正解。 だけどさ。 やっぱり心についての知識(理論)は必要で。経済的に自立していくために勉強も必要で。いま、私が世界をなんとか理解しているとしていたら、それは、西洋哲学をベースにした、科学の発展(体系的な理論化)おかげだろう。 いま、理論・科学と、心の平安、その両方を手にしたら、そのとき私は自分史上最強となる。 もちろん、そこをめざす!
0投稿日: 2020.12.30
powered by ブクログ一作目の西洋哲学編が面白かったため、こちらも購入。東洋は、哲学者の数も知名度も西洋に劣っているイメージがあり、本作には内容も面白さもあまり期待していなかったが、まさか前作を上回るとは… 【第一章 インド哲学 悟りの真理】 ・ヤージュニャヴァルキヤ…梵我一如 ・釈迦…無我(私は存在しない) ・龍樹…すべては空(実体がない)である *般若心経の日本語訳 *東洋哲学とはただの耳である 【第二章 中国哲学 道(タオ)の真理】 *堯・舜・禹の物語 ・孔子…『仁』と『礼』に込めた熱い思い ・墨子…自身を愛するように他人を愛しなさい ・孟子…性善説(『仁』の継承者) ・荀子…性悪説(『礼』の継承者) ・韓非子…形名参同(成果主義) ・老子…道(タオ)、無為自然 ・荘子…言葉によって境界が生まれる *東洋哲学とはウソ(方便)である 【第三章 日本哲学 禅の真理】 *聖徳太子…世間虚仮、唯仏是真 ・親鸞…念仏による「他力」の境地へ *達磨…釈迦哲学を伝えに来たインド人(禅の開祖) *慧可…達磨の弟子、禅の継承者(二代目) *慧能…元々五代目の雑用係、禅の継承者(六代目) ・栄西…公案(ナゾナゾ)により悟りへ導く ・道元…只管打坐(ひたすら座禅)により悟りへ導く *十牛図…廓庵による九と十の追加について 偉人たちの胸が熱くなるエピソードや、現代人向けのユニークな例え話など、かなり完成度の高い作品に仕上がっていると思う。般若心経の日本語訳、耳に興奮する人の話、全てをガンダムで例える人の話はかなり印象に残った。 全ては『無』だとか、物事は思い込みだとか言われても、実際に楽しい時のあの感情は、思い込みだとしても良いものだと思うし、悟りに目覚めて傍観者の様に生きていくよりは、馬鹿になって一喜一憂しながら生きていく方が幸せなのでは?と思った。 考え出すとキリがないが、またこの世の真理について考えたり無我になったりしてみたいと思う。
5投稿日: 2020.12.03
powered by ブクログ西洋哲学版がとても面白かったのでこちらも。世界史をくわしーく当時の人々の思想を絡めて説明してくれている。前作と表紙は似ているが、内容は思ったより違う。前作を通して読んで思ったのが80歳まで生きた釈迦の境地にキリストは30歳前後で辿り着いていると思うと、キリストがどんな育ち方をしたのかとても気になる。
0投稿日: 2020.11.24
powered by ブクログ東洋の歴史上の人物の考え方について、詳しく書いてあった。分かりやすかった。が、東洋は考え方を理解したと感じていても、本当に理解出来たのかは怪しいなと思った。実際に問題を解いたり、説明したりするのは難しかった。
0投稿日: 2020.10.08
powered by ブクログ<感想> 西洋哲学と同様、個別の哲学の話は難解に感じていたが、歴史の文脈で説明されることで理解が進んだ。 ▼自分の理解 「特定共同体のコードから抜け出すことで世界の相対化が起きる。苦悩は思い込み」 「意識は言葉。現実を意識に翻訳しようとするから現実から遠ざかる。モノをそれ自体として認識し、言葉にしないことが重要」 通訳者は頭の中で「apple」を「林檎」に変換しない。 <アンダーライン> ・耳で例える(仏陀) ・言葉で分別するな(老荘思想) ・心があるならここに出してみろ(達磨) ・悩みだと思っているのは「ただのそういう感覚」(達磨) ・これはただの豆だ ・鳥と壺 ・ガンダムで例える ・汝、それなり ・ツボの中のガチョウ ・ガチョウは外に出ている!
0投稿日: 2020.09.18
powered by ブクログ笑いながら読める哲学の入門書。実際、声に出して笑っていたので、娘から気味悪がられました。 まず、西洋哲学が真理を目指していく学問であるのに対して、東洋哲学は「我は真理を知りえたり」という不遜極まりない学問であることに吹いた。 知らなかったが、古代インド史上最強の哲人ヤージュニャヴァルキャ(とても覚えられそうにない名前だが…)に始まって、釈迦の「無我」も、老子の「道」も、念仏や座禅も、要するにこの人の「悟り」を一般人にも体得できるようにしてきたのが東洋哲学の歴史なのだと思う。 散々歴史を振り返ったオチとして、悟っても「何も変わらない」『十牛図』の考え方が妙に刺さった。
0投稿日: 2020.09.08
powered by ブクログ難しい東洋哲学の悟りやその他の考え方ががわかりやすく説明してありました。 説明は、ガンダムや耳という、一見ふざけたような例えになっていましたが、それが分かりやすく、本質を突いた説明になっていたと思います。 このあと哲学をもっと勉強していこうという気持ちにさせてくれました。
0投稿日: 2020.07.25
powered by ブクログめちゃ面白くて超わかりやすい。 仏教ってなんとなくキリスト教とかとは違う感じしてたけど、もともとは哲学だったんだね。何も知りませんでした。 東洋哲学がどうやって現在の仏教のような形になったのかその歴史が知れたのも面白かったし、西洋哲学との根本的な違いなどもわかり、かなり知識が深まった。 しかし、知識が増えても東洋哲学においては意味がないこともわかった笑。 突然、江頭2:50が登場したときは笑いました。
0投稿日: 2020.06.21
powered by ブクログ哲学について勉強したく初めに読んだ本。東洋哲学的な考え方が幅広く理解でき、次に哲学を学ぶための指針になった。悟るとは何か、仏教の目指すところとは何かわかりやすく理解出来、哲学と宗教への興味が増した。
0投稿日: 2020.03.19
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
古代インドの哲学者ヤージュニャヴァルキヤは、私というものは認識する者(主体)であり、認識の対象物となることがない。なぜなら、認識するものを認識する、ことはできないからだ。(無限遡行してしまうから)というのが、哲学の根本であるとした。 釈迦の教えが大乗仏教と上座部仏教にわかれた根本分裂後、大乗仏教に龍樹という天才が現れた。龍樹は、縁起という考えに基づき、あらゆる物事、現象は相互の関係性いわゆる縁起によって成り立っており、確固たる実態としてそこに存在しているわけではない。という空の哲学を作り出した。A君が学校に行く、といっても、学校に行く道を作った人がいなければならなかったし、そもそも学校という制度を発明しなければならなかった。また、そこで会う人も、生まれてこなければ会えなかったし、その生まれた人も、親が出会わなければ生まれなかった。そういう幾つもの縁起(間接的原因)の絡み合いによって、浮かんでは消えていく実体のないものであるという。 自分とは、今の身体ではなく、見たり感じたりする認識作用、意識のことでもなく、部分の集積、要素の集積が自分であるという。同様に、我々が普段確固たるものとして存在していると思っている物体・物質でさえ、何かの集積であり、実体が無いものだというのだ。自転車はハンドルやサドル、タイヤの集合体だし、ハンドルも鉄の集合体だし、鉄は鉄原子の集合体だし、といったこと。つまり、我々は、ある要素の集まりからある部分だけを切り出して名前をつけているだけであって、その名前にあたるものが、独立した確固たる永遠普遍の何かとしてそこに存在しているわけではない。我々が存在していると認識しているものはすべて我々自身がそういう風に存在するように区別しているからこそ存在しているのであり、決してそういうもの(実体)があるから存在しているのではない。逆に言い換えれば、そういう実体のないもの(区別のための境界線を引いたことで現れただけのもの)こそが我々にとって存在するものなのだ。存在に実体はなく、その実体がないものこそが存在の正体なのである。 我々の生きている世界は、認識する自分(アートマン)と認識されるもの(ブラフマン)しかない。そして、いろいろな事象は自分とそれ以外を区別(分別)することではじまる。だから、物事はみな空であり、実体のないものであると。 孔子は、仁と礼を重んじた。その中でも、単に礼儀正しいとかいったものではなく、仁と言う思いやりについて、礼という行動をもって示しなさいといった。孔子は礼の大家ではあったが、礼を行うにも、その思いやりの心がない儀式的な礼は意味がないといった。 墨子は最初は孔子の儒学を学んでいたが、次第に孔子の仁というのは差別愛ではないかと疑問に思うようになる。孔子の仁は、親子や師弟といった目下を思いやる気持ちを大切にしなさいというものだった。身内だけを大事にするのか、ととったのである。これは、結局のところ、戦争に発展するものになると感じた。このため、特定の他者を差別して愛さないことこそが、戦争を含めあらゆる社会的混乱の原因であるといった。社会の混乱は互いに愛し合わないからだと。ここから、墨子は、他国の人も含めた他者を愛すること、広く(兼く)愛すること、兼愛、を自らの思想とした。だが、いくら墨子が戦いをやめよ、他者を愛せといっても侵略戦争は終わらない。このため、墨子の考えに同調した集団、墨家は、侵略されている弱小国があればそこへ行って傭兵となって戦った。このため、弱者を守る戦略、籠城戦、防御戦のスペシャリストになったのだ。 そして孟子である。孟子は孔子の没後100年後に活躍した孔子の後継者の中でも最も偉大とされた儒学者であり、孟子は性善説を主張した。性善説とは、人は生まれながら善(仁)の心を持っているという考えだ。ではなぜ戦乱が収まらないのか、それは、人を使う側の問題だ、支配する側が仁の政治を行わないからだと。 荀子。性悪説だが、荀子は、孔子のもうひとつの教え、礼を完成させた人物である。荀子は、孟子の理想主義を批判し、もっと現実的に考えた。人の本性は悪だから、奪い合ったり喧嘩がおこる。だから、教育によって礼節を教えれば、他人に譲るようになり、世の中がおさまるのである。ただ、礼と言っても、礼儀だけのことではない。むしろ、荀子は、礼とは身分や社会的な役割に相応な振る舞いを意図して言っていたようだ。その職能に専念した方が良いということだ。それとともに、性悪説や礼とは、法律が必要であるということにつながり、法治国家に進んでいくのである。 そして、韓非子に続く。韓非子は荀子の弟子だ。韓非子は、仁という希望的な理想論で国家を運営するのは現実的ではない、そんなあやふやなものには頼らず、法という確固たるものを国家の基盤に据えることを主張した。そして、韓非子は法とは、刑罰で脅していうことをきかせるためのものだとほんしつをはっきりといった。古代の聖王である、堯舜は人格者で国家運営がうまくいったというが、それは、原始的な小さな国家だったからだ。今や社会情勢は複雑であるのだから、聖王のやり方が今も通じるとは限らないと。そして、国家を強くするためには形名参同が重要だといった。形名参同とは、家臣が実際にやったことと、やりますと明言したことが同じであったかどうかをちゃんと比較して評価しなさいということだ。言動一致だ。 老子。老子の哲学を知るには、まず、道、という用語を正しく知る必要がある。天地よりも先に存在した混沌としたものが道(タオ)である。万物はそのタオから生まれた。ということだ。万物が存在するのは、人間が名前をつけたからだ。そういうふうに、分別して名前をつけたからこそ、そういうふうに私たちにとって存在するのだと。そして、柔らかいものが強いと主張する。人が生きているときは柔らかで弱々しいが、死んだときは堅くてこわばっている。草や木など一切のものは、生きているときは柔らかで柔らかで脆いが、死んだときは枯れて堅くなる。だから、堅強は死の仲間であり、柔弱は生の仲間である。そういうわけで、軍隊が強大さを誇っていれば相手に勝てず、木は堅ければ折れる。強くて大きいものは下位にあり、柔らかくてしなやかなものは上位にあると。 そして、老子の後継者、荘子だ。老子は難解な著書しか残さなかったが、荘子は老子以上に老子の哲学を分かりやすく書いた。嘘も方便とか、色々な比喩を用いながら、分かりやすく伝えたのだ 最終章は日本の仏教だ。なんだか、宗教の話ばかりになっているような気がするが、まあ、哲学と宗教は切っても切れないものだから仕方がないか。 親鸞は有名な他力本願を説いたが、それは、人任せということではない。往々にして善人は正しいことをしている、物事は自分で起こしていると思い勝ちだが、物事は起こすものではなく、起こるものだということだ。ナンデモジブンデできるということはなく、自分ではどうしようもないのが世の中であり、自分の思い通りになると思うのは大間違いで、思い上がりというものだ。
3投稿日: 2020.03.03
powered by ブクログ前編を読み終わってその場でポチった。 東洋哲学は西洋哲学とは違い、 理論理屈ではなく実感体験なので、 なかなか言語化しにくいのだろう。 そういうところは例え話を出して説明。 それもあってか前編程のテンポの良さは感じられない。 前編が激流とするなら今回は大河。 ゆっくりと方角を確かめながら悠然と行く。 少し河岸に止まってのんびりと深慮する。 前編と合わせて読めば世の中にある薄っぺらい 誘いや説得を鼻で笑ってやることが出来るだろう。 たまに気分転換する為に読みたくなるだろう。 心の本棚に、如何か。
0投稿日: 2020.02.16
powered by ブクログ史上最強の哲学入門を読了後、こちらの本も読ませていただきました。前作が西洋哲学だったのに対し、今作は東洋哲学を取り扱っています。 前作同様哲学という曖昧なものを面白く、かつ簡潔に説明できている本だと思います。 2冊とも読めばある程度哲学について理解することができるのではないでしょうか。
1投稿日: 2019.12.16
powered by ブクログ西洋哲学が難解であっても、論理で説明できるのに対し、インド哲学、仏教や老荘思想などの東洋哲学は、論理で説明することはできない。 だから、そもそも、東洋哲学を言葉で説明するのは無理に等しく、多くの入門書は処世術に役立つというような適当な説明でお茶を濁している。 しかし、作者はユーモアも交えながら、東洋哲学が本当はどういうものかを熱く語り、必死で伝えようとしてくれている。こんなに親切な入門書はない。 お陰で少しは東洋哲学が理解できたような気がする。
0投稿日: 2019.12.14
powered by ブクログまさに史上最強。 前作もよかったですが、東洋哲学編こそ最強。 インド哲学や仏教をこんなに分かりやすく説明できるものなのかと感動した。
0投稿日: 2019.11.21
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
東洋哲学は「ゴール(真理)を目指す」のではなく、「ゴールした(真理に到達した)」ところからスタートする。よって、東洋哲学者の哲学を引き継いだ後世の人間たちは、西洋のように、その哲学を批判したり打ち砕くことに躍起になったりはしない。 認識するものを認識することはできない。 あらゆる不幸は勘違い。 私(アートマン)については「に非ず、に非ず」としか言えない。 それは捉えることが出来ない。なぜなら捉えようがないからである。 それは破壊することが出来ない。なぜなら破壊しようがないからである。 それは執着することが出来ない。なぜなら執着しようがないからである。 それは束縛されることもなく、動揺することもなく、害されることもない。 どんな雑念が浮かぼうと、それらはただの「認識の対象物」にすぎない。どんな認識の対象物が現れようと、純粋な観察者である自己には何の関わりもない。 私(アートマン)は概念ではない。認識の対象物とすらなりえない。私(アートマン)は存在しない。 「歩く」という現象1つとっても、とてつもなく大量で複雑な縁(間接的原因)の絡みによって成り立っており、単独で引き起こすことは決して出来ない。それと同様に、どのような物事や現象であろうとそれは単独で存在出来るものではなく、沢山の縁(間接的原因)の絡み合いによって起こり、浮かんでは消えていく実体のないものである。 物理法則は人間が経験的習慣から勝手に思い込んで信仰化しただけのものであり、本当にそのような法則があるかどうかなどわかったものではない(デイビット・ヒューム)。 我々が「存在している」と認識しているものはすべて、我々自身がそういうふうに存在するように区別しているからこそそのように存在しているのであり、決して「そのような実体が存在している」というわけではない。 人間がなんらかの価値基準(人それぞれの勝手な区切り方)に照らし合わせない限り、この世界に「長いもの」「短いもの」といったものが存在しえないのと同様、「汚いもの」「綺麗なもの」といったものも存在しえない。さらには、「自転車」も「鉄原子」も「銀河系」も同様に存在しえない。なぜなら、それらもなんらかの価値基準によって切り出されたものであり、「長いもの」「短いもの」といったものと同レベルの存在と言えるからである。 眼も、耳も、鼻も、舌も、身体も、意識も無い。それらが感知する色も、音も、匂いも、味も、感触も、意識の対象も無い。眼で見た世界から、意識で思われた世界まで、その全てが無い。 明確に切り分けられる「物事の境界」など世界のどこにもない。だが人間はその切り分けられないはずの世界を強引にサクッ、サクッ、と切り刻み、世界を「これ」と「これ以外」に分けてしまう。そして「これ」に「A」という名前をつけて「Aがある」などと語り始めるわけだが、当然その「A」という言葉が指し示す「これ」に実体があるわけではない。なぜなら、「これ」なるものは何もないところに無理やり境界線を引いて「これ」と「これ以外」に分けることによって生じたものにすぎないからである。 つまるところ、いっさいの言葉は「世界にあるモノ(実体)」を指し示しているのではなく、何らかの価値基準に従って世界に引いた境界線を指し示しているのである。よって、言葉とは「区別(境界線)そのもの」だと言ってよい。これを分別智という。人間のあらゆる知的活動は分別智である。 人間には分別智以外にも無分別智という理解の仕方がある。無分別智とは物事を直感で理解することである。釈迦が悟った「真理」とはこの「無分別智(智慧)」でしか理解することが出来ないものである。 仏教とは釈迦の哲学を知識として伝えるための教団ではない。仏教とは釈迦、そして古代インドの哲人たちが到達した「あの境地」を人々に体験させようとその方法を何千年も研鑽し続けた学徒の集団である。 もし釈迦が到達した「真理」を知りたければ、釈迦と同じ「ああ、そういうことか!」という強烈な体験、悟りの体験をすることが前提となる。東洋ではリアルな体験としての「理解」を味わって初めて「知った」と言えるのである。 ある特定の物質なり概念自体に固有の価値があるのではなく、個人個人の「思い込み」によって「そのような価値」が作り出されているに過ぎない。 釈迦はあらゆる先入観をなくし、自分の欲望に善悪の評価をすることを止め、浮かび上がる思考をただ「無い、無い」と否定し、自分の中で起きていることをしっかりと見続けた。そしてついに思考が途切れ、分別が消え去ったその瞬間に「智慧」が現れた。 人間が勝手に分別して名前をつけない限り、この世界は「すべてが混じりあった混沌としたドロドロの海」としてあり、その意味において「万物」は存在していない。「万物(リンゴや机、ハンマーなど私達が普段存在していると言っているモノ)」が存在するのは人間が「名前をつけた」からであり、そのように分別して名付けたからこそそのような形で「(私達にとって)存在する」のである。 何の価値観も持たずに無欲になれば万物が存在する前の混沌とした世界を見ることが出来る。何らかの価値観を持ち込んで有欲になり分別を始めれば、万物の境界線がはっきりとした世界を見ることが出来る。だが、その世界は両方とも同じ世界である。 私達の身体的な動作をよくよく観察してみれば、「細かいことは何も決めていないにも関わらず、いつの間にか筋肉が勝手に収縮して指が動いており、私自身はその一連の行動にまったく関わっていない」ということに気づくはずである。これはすなわち日常的に「私が自分でやっている」と思い込んでいる行為でも、実は身体が自動的に勝手にやっているのであって「私」はそれをただ「見ているだけ」に過ぎないということである。 身体を動かしたり思考したりするのはそれぞれの専門家(身体や脳)に任せた方が断然うまくいく。仮にうまくいかないにしても、少なくとも本来持っている能力を最大限に発揮した行いが出来るはずである。「私」は行動や思考の複雑なカラクリを理解していない素人であるのだから、事は専門家に任せ邪魔にならないよう静かに見守っているのが吉である。 東洋は論理や知識というものをそれほど有効だとは信じていない。なぜなら、東洋にとって「真理」とは「ああ、そうかわかったぞ!」という体験として得られるものであり、体験とは言葉では表せられないものであるからだ。そのため「思考を磨き続ければいつか真理に到達出来る。言語の構造物で真理を表現出来る」といった幻想を東洋哲学は最初から持っていないのである。 東洋哲学は「とにかく釈迦と同じ体験をすること」を目的とし、「その体験が起こせるなら理屈や根拠なんかどうだっていい!ウソだろうと何だろうと使ってやる!」という気概でやってきた。なぜなら彼らは「不可能を可能にする(伝達できないものを伝達する)」という絶望的な戦いに挑んでいるからだ。そういう「気概」でもなければ、とてもじゃないがやってられない。 突然宇宙から巨大な隕石が落ちてくることがわかった。それは地球よりも大きく、あまりに巨大で人類の叡智を持ってしても避けようもないことが明らかとなった。その隕石は地球に近づくにつれ気温を上昇させ、すでに地上は灼熱地獄と化している。そんな苦痛の中では、ニーチェもカントも全て吹き飛ぶ。どれほど学問を積み重ね、深淵な哲学を脳内に蓄えていようとその生き地獄の瞬間においては何の役にも立たない。そのような瞬間でも、「今起きていること」を受け入れ、その瞬間瞬間を「真っ直ぐに生き抜いていく」にはどうすればよいか。きっとその時には「念仏」−暴れる思考を静め、他力に委ねて今を生きる親鸞の哲学−しかないのではないか。 慧可は達磨に対して自らの覚悟と決意を言葉ではない方法(自らの腕を切り落とし、達磨に向かって投げつける)で示してみせた。それによって、達磨への弟子入りを果たすのである。 不安とは脳が出しているただの信号、物理的な作用によって排出された化学物質の刺激情報に過ぎない。 そもそも思考とは肉体が持っている機能の1つに過ぎない。だが、たいてい私たちはその機能をとても重要視し、それどころかそれこそが「私」なのだと「同化」してしまうのである。 私たちはどうしても思考(言葉、論理、理屈)でどんな物事でも表現可能であり、理解可能であると思い込んでしまう。「分別を停止して無分別智の境地に達した状態が『仏』なのですね」「思考ではなく体験することでしか『悟り』には到達できないのですね」と言葉で表現して思考の一部とし、一度も体験したことのない「それ」を「わかったつもり」になるというあり得ない愚を犯してしまうのである。 禅は「問題」に対して論理的な思索をもって関わらない。禅は「問題」を破壊し、革命し、飛び越える。禅とは「問題を分析し解き明かす」のではなく、「問題から飛躍し『答え』を直接体験する」ことを目指して洗練されてきた哲学体系なのである。
0投稿日: 2019.08.07
powered by ブクログ悟りの境地とは何か?という、捉え処のないテーマを、何となく分かった風に仕立ててくれている本でした。 なんだか言葉を尽くしても始まらないので、とりあえず座ります。
1投稿日: 2018.10.29
powered by ブクログあらゆる東洋哲学は、東へ東へと伝わり、この日本にたどり着いた。修行という実践に専心していくと、やがてその根底にある思想への関心が強くなっていく。本書は東洋哲学全般への入門として奨められる。
0投稿日: 2018.08.19
powered by ブクログ「哲学には最後、バキが足りない」という斬新なコンセプトで書かれていた前作は 哲学をお手軽に知る上では良書だったが、今回は東洋哲学の真髄+バキ分という内容。 思想は世の中のあるべき姿を語り、哲学は世界の真理に迫る。 西洋哲学は理論で真理に迫るため、万人に「なるほどね」と言われることを目標としている。 が、古代インドに端を発し、老荘、そして日本の禅で完成する(と作者は論じている) 東洋哲学は、体験で真理に到達する為、悟っていない他者に対しては結局は 「うーん、あれだよ、あれ、あの感覚」 としか言いようがないらしい。。(「汝、それなり」←インド古代哲学の真髄らしい) 悟りとは、この世で起こるすべての相関関係を分別なく捉え、理解し、映画と鑑賞している人との関係のように日々に起こることを見て平静でいられる境地のことを言うらしい。 確かに前に一度だけ座禅を組んだときに感じたのは、「1秒も無心でいられない自分を笑う」という二元的な感覚があったような気がしたので、まあ、そういうことを修行する為に仏教のいろんな流派はあるんだなーと言うのはよく理解できた。 相変わらず文章が平易でドラマチックなので、哲学に興味ある方は、ぜひ。
0投稿日: 2018.04.05
powered by ブクログ西洋の方も読み終わっていたが、こちらも大変読みやすい。時代の流れを追っているので、思想のベースを理解した上で次々読み進めることが出来、これまで苦手だった東洋哲学への興味が増した。 哲学入門としては、(西洋の哲学入門も含めて)大変な名著だと思う。哲学をもう一度学び直したい方、興味はあるけどなかなか手が出なかった方の1冊目として、大変オススメです。
0投稿日: 2018.04.02
powered by ブクログすごく面白い本でした。いきなりこちらからでなく、先に(実際の出版順に)「西洋哲学」から読むと、両者のアプローチの違いがよく分かる…いや、分かった気になる。そして、「禅」の思想が、どういった思想の系譜の先に位置するものなのかもよく分かる…いや、分かった感じがする。 ややこしい。「東洋哲学」が分かった気がした時点で何も分かっていないということも分かってしまう…(苦笑 …ということで、自分は実は分かっていないということも分かってしまう…が、そんなことを言う時点で東洋哲学のアプローチからしたら自分は全く分かっていないということも分かって…いや、ややこしい。
0投稿日: 2018.03.18
powered by ブクログ哲学入門シリーズの2冊目。今回は東洋に絞った内容。前作(西洋編)の序盤はものすごく盛り上がったけど、今作は淡々と記述してある印象。ただ、わかりにくい東洋の哲学をものすごくわかりやすく紐解いており、何度も何度も例示を使用することで東洋哲学の本質に迫っていく手腕は本当に圧巻。哲学の入門書としては非常に良い内容だと思う。哲学に興味がある人は、前著と併せて読んでみると「なるほど哲学というのはこういう学問なのか」が分かって面白いと思う。
0投稿日: 2017.09.01
powered by ブクログ「史上最強の哲学 入門東洋の哲人たち」飲茶 あらゆる先入観を排除し、疑って疑って疑いつくして、厳密に確実に正しいと言えることを限界ギリギリまで追究するのが哲学。 「私」とは「赤や痛みなどを見たり感じたりする意識現象があること」である。 認識するものは認識できない。無限遡行 「私」とは「認識するものである」という定義を受け入れるならば、同時に「私は私自身を認識対象にできない」という論理的帰結も受け入れなくてはならない。 「私」とは「○○ではない」という否定的な言葉でしか記述できない特殊な存在である。 「私(アートマン)」については「に非らず、に非らず」としか言えない。それは捉えることができない。なぜなら捉えようがないから。それは破壊することができない。なぜなら破壊しようがないから。それは執着することができない。なぜなら執着しようがないから。それは束縛されることもなく、動揺することもなく、害されることもない。どうやって認識するものを認識するできるであろうか。不死とはこういうことである。この事実に気づいた瞬間、この世のあらゆる不幸は消え去り、自己は無敵の存在となる。 本当に知ったと言えるのは、本当がどうかを試した時。 知識として知っているだけの人と体験的に本当にわかった人は、言葉の上では全く同じことを話すが、本質的には全く違う。 古代インドで苦行が重視された理由は、苦しみに耐える事が、映画(鑑賞物)と観客(鑑賞者=私)は別物だという真理を悟り、無敵の境地に到達した事の客観的証明になると考えられていたから。 人生は苦しみだらけだが、その苦しみは執着という原因があり、それを無くせば苦しみを消す事ができる。 物理法則なんて人間が経験的慣習から「そういう絶対の法則性がある」と勝手に思い込んで信仰化しただけであり自明などではない。-ヒューム 言葉とは、なんらかの価値基準に従って世界に引いた、区別のための境界線。つまり言葉は区別そのもの。 無分別智とは、分別しないで物事を直感的に理解する事。真理とは無分別智でしか理解する事ができない。仏教はそこへ到達する方法論を提示する。 般若心経とは、物事が空(関係性の中で成り立っているだけの実体のないもの)であることを踏まえつつ、無分別智(智慧)の行を実践して真言を唱えながら、えいやと智の境地にいたりましょうというもの。 孔子から学ぶべきことは、戦国時代にたった一介の学士にすぎなかった男が、歴史を正気に戻そうと国家権力にも神秘的権威にも屈せずに立ち向かったという心意気にある。 「物はない」とするのが最高の境地であり、その次が「物はあるがそこには境界を設けない」という境地。その次は「物と物の境界があるが善悪などの価値判断による是非がない」という境地。価値判断による是非を行うことが道(タオ)が失われる原因。 論理を基盤とする西洋哲学は言語による伝達可能を前提とした体系。東洋哲学は論理ではなく体験によるものであり、伝達不可能。 言葉や論理でしか理解できない、それが「知る」為の唯一の方法なのだと思い込むと永遠に理解できない。外に出ること。 東洋哲学は、悟りの体験を引き起こす方法論の体系として発展していった。 戒律は欲望を止める為にあるのではなく、欲望を自覚させ、苦しめる為に存在する。 本当の問題は戒律の対象に特別な価値を見出していた自分自身の心の動き(分別)にある。 価値を作り出したのも自分、価値によって苦しんでいたのも自分。これがあらゆる不幸の正体。 戒律とはこのバカバカしさを体験させる為の一つの方便。 知識や説明を与えることが良い結果を生むわけではないので、東洋哲学の師匠は何も説明しない。 方便自体は重要ではなく、方便を通して得られる体験が重要。 東洋哲学の様々な方便は、体験的理解を引き起こす為、2500年かけて洗練され続けた人類の偉大な哲学体系。 悟りとは、分別で作られた虚像の世界から目を覚まして無分別の智慧を取り戻し、無我の真理を体験すること。 ウパニシャッド哲学を背景として始まったインド仏教が中国に伝播し、老荘思想と融合して成立したものが禅。 禅の語源は、サンスクリット語の「ディヤーナ」であり、これが中国で「禅那」に音写され、最後に省略された「禅」になった。ディヤーナとは瞑想の事。 世界では中国語の「チャン」ではなく「ZEN」として知られている、日本が誇るべき文化の一つ。 「不安」は脳が物理的な作用によって排出された化学物質の刺激情報にすぎない。その感覚に「不安」という名前(分別)を与え、それに「悪いもの」という価値を付与し、さらにはそれを「私自身(心)」だとして同化している。だが、そもそも心など存在しないのだからその心が不安になることもない。 どんなものでも問題にしてしまう「問題視」という日常的な癖を減らすこと。 思考で表現できないものを思考で表現してわかった気になる。 禅は問題を破壊し、革命し、飛び越える。問題を分析して解き明かすのではなく、問題から飛躍し、「答え」を直接体験する。 十牛図の10番目は、彼は市場へと出かける。仏教で禁止されている酒を飲み、魚を食べ、普通に楽しく暮らしていく。ときには昔の自分と同じように牛を探している別の牧童と会うこともあるだろう。しかし、だからと言って、悟りすました態度で教え導くのではなく、ただその出会いを楽しむ。彼はそういう境地を生きる。 起こるに任せる、身体が動くに任せる、脳が考えるに任せる。たとえどんな映画が上映されようと、それが観客を傷つけるものではないことをもう知っているから。 「それ」を知った人は、何が起ころうと起きたままに起きたものを感じ、「それ」を味わい尽くす。
1投稿日: 2017.09.01
powered by ブクログわかりやすい、ここから哲学名著を読もうかと思ったが、やはり内容が難解らしい(ので挑戦しない)。概要と自分の哲学があればいいので。 「私(アートマン)については「に非ず、に非ず」としか言えない。それはとらえることができない。なぜなら捉えようががないからである。どうやっても認識するものを認識できるのであろうか。妻よ、不死というのは、こういうことなのである」 ・釈迦:アートマン(私)は存在しない」という主張が無我。 ・般若心経:物語が「空(関係性の中で成り立っているだけの実体のないもの)」であることを踏まえつつ、無分別(智慧)の行を実践して真言を唱えながら、えいやと悟りの境地に至りましょう」これが般若心経の内容。 ・道(タオ)とは、要するに梵我一如(万物と私がひとつ)の境地である ・あるがままに物を見ている。「あれ」「これ」といった相対するものを超えることが「道(タオ)の要
0投稿日: 2017.07.01
powered by ブクログ文句なしの五つ星。読んでいて著者の頭の良さが伝わる。東洋の哲学者をここまで一つのストーリーのように綺麗に説明する人は他にいないだろう。たとえもわかりやすく、言葉も少し荒いのがとても良かった。
1投稿日: 2017.03.22
