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powered by ブクログ『雁の寺』、『飢餓海峡』、『金閣炎上』などの社会の現実を重厚に描く小説でよく知られている著者は、数多くのエッセイも残していますが、それらのエッセイの中でもこの本は少し異質で、十二ヶ月の章立てで構成され、執筆時、軽井沢に居を構えていた著者の生活を描いたものです。雪に覆われる冬には秋に貯蔵した芋などの穀物、春になれば山菜・筍、夏には茄子・大根、年の瀬には栗・根菜など、手に入る食材と、自らの「料理の心」に従って作られた料理が、鮮やかに描き出されているのです。◆この本で特に学ぶべきは、作者が若き日に京都の禅寺で学んだ食材に対する慈しみの心です。食材に上下の差などないと考える、その根底にあるのが、禅の教えを元にした以下の考え方です。「どうして、一体粗末なものをいやがる法があるのか。粗末なものでもなまけることなく、上等になるように努力すればいいではないか。ゆめゆめ品物のよしわるしにとらわれて心をうごかしてはならぬ。物によって心をかえ、人によってことばを改めるのは、道心あるもののすることではない。」食についてのみならず、生きるということにも通じる考え方だと思います。◆著者のように好んで田舎に住み、手に入る食材を自らの信念に従って料理し、それを食すというのは誰にでもできる生き方ではありません。しかし、食材を慈しみ、別け隔てなく接する心は学ぶべきものだと思います。「生きる」ことの根底にある『食』について、またひいては「生きる」ことそのものについて、考える上で、一読に値する一冊です。〈T〉 紫雲国語塾通信〈紫のゆかり〉2012年6月号掲載
0投稿日: 2025.09.14
powered by ブクログこういう暮らしを良いなあと感じるけど、それは要は何を良いと思ってるのか ほんの数十年で気候も暮らしのあり方も変わった、数十年前もそれより前からずっと変わってきた、 あるタイミングの生活を、特段良いなあと感じるのは、懐かしさ以外に何か?とか思う 時代性がこの生活が素敵である本質ではないけど 芋、梅干し、大根、山椒
0投稿日: 2025.08.23
powered by ブクログ旬の食材を使って料理を作りたくなりました。 丁寧な暮らしってこういうことなんでしょうね。 我が家の家庭菜園のミニトマトや枝豆の収穫がより楽しみになりました。
1投稿日: 2025.06.22
powered by ブクログ東京の梟書茶房で選んだ本。 食材を大切に扱う、無駄にしない精神は本当に大切だと感じた。特に食材それぞれの特徴を活かした調理、或いはその食材そのものの野性味を味わっていきたい。 そう思っているところに、かち栗をスーパーで見かけて(40%オフ)即購入。 甘味は添加物で付け足されたものではなく、栗そのものの微妙な甘みがあった。正直、ものすごく好きという味な訳ではなかったけど、心做しかありがたさのようなものを特に感じた。(本の影響が強そうではあるが、、) 買った経緯とかち栗との出会い含め、とても良い本でした。
1投稿日: 2025.01.13
powered by ブクログ土の匂い、手触りが伝わってくるような文章。四季の食材を実体験を通してじっくりと描いてくれる。とにかく野菜が食べたくなる。
0投稿日: 2024.11.26
powered by ブクログ幼い頃に京都の禅寺で精進料理の作り方を教えられた著者の暮らしと料理のエッセイ。 貧乏寺だったと表現される少年時代はそこにある物で食事を作るしかなく、工夫を重ね作り上げた料理は文章からでも美味しさが伝わってきます。 今のように何でもかんでも手に入ることはもちろんなく、逆に今の時代の方が豊かではないと感じてしまうほど、ありきたりな世の中になってしまったかもなと考えさせられました。 追い詰められることもなく、責められることもなく、それではモチベーションや意欲は正直保ちにくく本人の意思に委ねられ過ぎている気がします。どの時代が良いとか関係なく今生きているので色々と頑張らなきゃと思いました。 作中に何度も出てくる『典座教訓』も今度購読してみます。
0投稿日: 2024.10.16
powered by ブクログ自然の恵みをいただいて、調理をして食べるということ。頭でわかっていても日々の忙しさに、調理することと食べることそのものが雑になりがちだけど、丁寧に向き合おうと思わせてくれる本。定期的に読みたい。
0投稿日: 2024.09.16
powered by ブクログ水上勉氏は、少年自宅に禅寺に預けられ、そこにて修行体験をする。16歳からは、京都の等持院にて老師の隠侍、すなわち食事、洗濯、掃除などをおこない、数々の教えと共に精進料理について学ぶ事となった。 スーパーやネット販売などなく、何もない台所から絞り出し、料理をするのが、精進料理。旬なもの、畑から出ていりものを食べるのであり、畑と相談して決める、つまり土を喰うのである。 土から出てきたものには、平等の価値があり、根っこでも、無駄にはしない。 何もないら台所から、客の心を忖度し、料理をすることは、修行であり、哲学でもあるのだ。 季節の精進料理が紹介されており、教え、教訓的なものもあり、読んでいて楽しい。
2投稿日: 2024.08.08
powered by ブクログ9歳から禅宗寺院の庫裡(くり)で暮らし、精進料理を覚えた村上勉さん。16歳から18歳までは、等持院で尾関本孝老師の隠侍(身の回りのお世話係)をこなしていた。老師の食事も作り、精進料理を学んだ。貧乏寺でなにもない台所から絞り出すのが精進で、それは土を喰らうものだと思ったのは、畑と相談しながら料理を作っていたからだそうだ。そんな村上さんが12ヶ月間、山荘の台所で土を喰らう生活をしたときのレシピとエッセイ。 土を喰らう生活という表現でもわかるように、畑から取ってきたり、掘り出したりしたものを、ただ焼いたりするだけの料理なのに、とてもおいしそうに思えた。取れ立てで、皮を薄く剥いて、素材の味を楽しむ料理は、今の時代ではとても貴重なもののように思えた。レンジで簡単にすぐできるもの、たくさんの調味料を使って作ったものを普段いただいているから、余計にそう思えたのかもしれない。この本は昭和53年に出版されたものだが、その当時でも、売られている野菜はもう本来の味ではなかったようだ。今も大根が辛かったりしたら、買ったのを失敗した気がしてしまう。本当の野菜の味を私は知らないんだなと思った。 この本を読むと、竹の子を掘ったり、きのこを採ったり、野菜を育てて食べることに憧れる。本当に生易しい生活ではなかったと思うけれど、自然の中で生活したことのない私は、そんなことを思った。生きるために何を食べるのかということについても考えさせられた。 ちなみに映画もとてもよかった。季節に合わせて撮られた映像や自然の音に、心が落ち着いた。
13投稿日: 2024.06.25
powered by ブクログ水上氏が軽井沢の自宅で自ら作る料理について月ごとのエッセイで綴る。昭和の作品だが色褪せた感じはしない。むしろ、ホッとする感じだった。
2投稿日: 2024.06.03
powered by ブクログ日経の春秋で「五十三年も生きていた梅干し」の話が引用されて興味を惹かれて購入。なるほど少年時代に京都の禅寺で奉公した経験を元に軽井沢で隠遁生活?をしている食と料理を中心とした月ごとのエッセイ。 『めしを喰い、その菜のものを調理するということは、自分のなりわい、つまり「道」をふかめるためだということがわかってくる。一日一日の食事を、注意をぬいて、おろそかにしていれば、それだけその日の「道」に懈怠が生じるだろう。』 これが全てかな。食材への感謝。そもそもの食材やそれを育てた土や風土の声を聞くこと。手間を惜しまず工夫を重ねる。それこそ『精進』料理であると。何かとコスパ・タイパが重視されがちな今だからこそ改めて噛み締めたい言葉も多い。
0投稿日: 2024.05.24
powered by ブクログ以前はお寺の小僧やっていて今は軽井沢に住む著者が、昔教わった精進料理をベースに身近で取れる野菜果物、四季の食を書く。 私も春はふきや蕗の薹を楽しみにしており、より自然に近い暮らしをしている筆者を羨ましくも思う。また、野生の食材を美味しくいただく為の手間も結構なものなのだと。この手間を楽しめるようになると良いのだが。 父に送りたい一冊と思った。
0投稿日: 2024.05.10
powered by ブクログメモ→ https://x.com/nobushiromasaki/status/1753587605177004130?s=46&t=z75bb9jRqQkzTbvnO6hSdw
0投稿日: 2024.02.03
powered by ブクログ昔住んでいた付近のお話が沢山出てきて懐かしい気持ちになった。 お料理もこんな風に毎日用意出来たらなと思う。 そして自分が料理するときに、食材をどれだけ無駄にしているんだろうと振り返るきっかけになった。 あまりお寺の事には興味がないので、そういう人には馴染みのない言葉が結構出てくるので大変かもしれない。
0投稿日: 2024.01.23
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
水上勉さんは少年の頃、京都の禅寺で精進料理を教えられたそうです。精進とは「さらによくしろ」。その体験を元に、一年にわたって様々な料理を紹介されています。「土を喰う(くらう)日々」、わが精進十二ヵ月、昭和57年8月発行。高野豆腐と大根の一夜漬けが無性に食べたくなりましたw。人間は口に入れる食べ物の味覚の他に、暦の引き出しがあって、その思い出を同時に噛みしめる。はい、そんな時が間々あります!
1投稿日: 2023.12.08
powered by ブクログ『一茎草(いちきょうそう)を拈じ(ねんじ)て宝王刹(ほうおうせつ)を建て、(中略)縦ひ(たとひ)莆菜羮(ふさいこう)を作るの時も、嫌厭軽忽(けんえんきょうこつ)の心を生ずべからず」といったのは、道元の「典座教訓(てんぞきょうくん)」だが、この書のユニークなところは、たかが台所仕事というふうに料理を見ず、いかに食事を作り、いかに心をつかうか、工夫するか、の行為は、人間のもっとも尊い仕事だと強調するところにある。』 (本文より) 最後の章での表記だが これがこの本全ての根底にある と言えよう たかが食事 されど食事… 「人間のもっとも尊い仕事」に食事の用意が挙げられている 道元の「典座教訓」とはいかなる書なのかと興味深い 我が家の台所事情は 頑張って工夫したり 挑戦したりという日もあれば 適当で済ます日もあり お惣菜や 外食で 調理しない日もある 大部分は成り行きクッキングで 時々めっちゃ頑張る という割合 この本を読むと とにかく出てくる食べ物が全部美味しそうで仕方ない 梅干しも筍も栗も…生唾が湧いてくるようだった 心を寄せて調理するのは楽しいし 素敵だなと改めて思った 私も また野草クッキングをしてみよう 子どもが小さい頃は 春によもぎを摘んでよもぎ団子を作った つくしを取ったら 袴を外して炊き込みご飯を作った 食の思い出は 子どもたちも覚えていてくれてるだろうか… 『何もない台所から絞り出すことが精進だといったが、これは、つまり、いまのように、店頭へゆけば、何もかもが揃う時代と違って、畑と相談してから決められるものだった。僕が、精進料理とは、土を喰うものだと思ったのは、そのせいである。』 (本文より) そうそう タイトルの「喰う」は「くらう」と読むらしい 「くう」と「くらう」ではずいぶん印象が違う 「くらう」の方がなんか やっちゃるぞーというようなインパクトがあって好きだ この本の内容にも合っている 「土を喰らう」ことこそ 最高の贅沢ではないだろうか 飽食の時代に生きる今だからこそ 精進料理に舌鼓を打つ醍醐味に触れたい気持ちが溢れて仕方ない 『禅宗の僧たちはうまいことをいう。一所不在だと。真の高僧はどこにいても極楽を見出す。酷寒の山にくらしても、文明の都会にくらしても、どこだって己れが住む場所だ。随所作主。どこでも主人になれるというのである。』 (本文より) 著者の食べ物に対する愛が溢れる表現が素晴らしいものがあり 以下に引用する ◯『〜串を通してみて、ゆでかげんを見るころに、ぷーんと鼻にせまるあの匂いは何ともいえない。土の中でうずくまっていた五月の竹の生気がゆで汁の中で煮えあふれ、土の産む生きものの精が泡立ってくる感じだ。』 ◯『〜筍がまるで、地球のふき出ものみたいにむらがり出るのを眺めるしかなかったのである。』 ◯『豆めしの美味なことは当然であって、それに若筍汁でもあれば、五月はもう、自分の口に入ったことになる。』 ◯『ほかに茄子、青紫蘇、さつまいも、れんこん、なんでも、ぶちこんで、からりと揚げて出すのだ。新鮮な土にいたころの風味が、衣に封じこめられて、舌にのって、それぞれ材料が、胃へ向かう途中で、唄をうたいだす。精進揚げとはつまり、衣を着せて一様にみせかけてはいるが、じつは野菜どもの交響曲(シンフォニー)ではないか。』 どの表現も 土から採れた食材への愛情をひしひしと感じる こんなに愛されて調理されたものが美味しくないはずがない 著者の水上さんが作った精進料理を食べてみたいと思えてならなかった また 著者が食事の楽しみについて語る場面も心地よく共感できる ◯『〜人間は、不思議な動物で、口に入れる筍の味覚のほかに、とんでもない暦のひき出しがあいて、その思い出を同時に噛みしめる。土にうまれたものを喰うことの楽しみといってしまえばそのとおりだろうが、口に入れるものが土から出た以上、心ふかく、暦をくって、地の 絆が味覚にまぶれつくのである。これも醍醐味のひとつか。』 ◯『中村幸平氏の『日本料理の奥義』という本をみていると、料理には六味の味があってこそ完全な味だと説いてある。ふつうわれわれは、甘、鹹(かん)、酸、苦、渋の五味を分析して考えているが、もう一つその「後味」をつけ足して六味とするのが中村氏の説で、後味とは「食べたあとまたたべたくなるあと味」と説明されている』 先日テレビで五味に加えて六味が言われ出したがそれは何かというクイズがあった ここぞとばかり ああ本で読んだばかり!「後味だー」 と満面の笑みで答えたが 回答は「脂肪味」 脂肪を味わう味覚である 何とも… これが主流で加われば 中村氏の言う「後味」は七味として加わることになるかな… また たべたくなるあと味って すごくいいと思うんだよね! 著者が初めて知ったと言う松茸の件も興味深い 『ところで、このあいだ、タクシーでラジオをきいていたら、アナウンサーが、高い松茸の話にふれながら、松茸の栄養価値について話をすすめ、ある大学教授に伺いをたてたところ、まったく栄養価はなくて、水を呑むようなものか、それとも水を呑むよりも落ちるぐらいのものだ、としゃべっているのにはあきれた。松の露がもとのカビみたいなものだから、そういわれれば納得もゆくのだが、栄養価は少しもないと知らされたのははじめてだった。』 (本文より) これって…ほんとなのかな… そもそも松茸なんてもう何年も口に入ったことがないけど スーパーで何千円もする松茸に 栄養価ゼロで水より落ちるぐらいだともなれば 松茸の立場はどうなるのだろう そもそも香り高いけど うまいとか 栄養があるとは聞かなかったから現行維持の風格は保てるのかな… あと 気になった表記で またたびの焼酎づけの場面で 『またたびは、猫の好物だから、何杯も呑むと猫になるのではないかというのだが、さて虎になった人はいるが猫になった女性はまだ見ない。』 (本文より) とある その 『虎になった人』って誰? 「ちびくろサンボ」という絵本があったが あれは虎がグルグル回ってバターになった気がする 「山月記」という本では主人公は最後に虎になる道を選んだようだった気がするが その物語のことなのか それともノンフィクションで 虎になった人間がいたのだろうか… 気になる 本の本当に最後あたりで「五観の偈(げ)」というのが出てくる 『一つには功の多少を計り彼の来処を量る 二つには己が徳行の全欠を忖って供に応ず 三つには心を防ぎ、過を離るる事は貪等を宗とす 四つには正に良薬を事とするは形枯を療ぜんがためなり 五つには成道のための故に今この食を受く』 (本文より) というものだ 実は先日 福山の「禅と庭のミュージアム」なるところを訪れた際 そこで修行僧も食べるといううどんをいただくにあたり この五つの文言を読んでから食するようにとお話しを受けたため 唱えてからいただいたのだ 貪り食うなということだが お腹がぺこぺこで そうもいかないよね…と笑いながら唱えたのを思い出す この本は四季を追いながら 土に根付く食材に感謝し 愛を持っていただく著者の様が手に取るように伝わり 大変興味深く読めた ひらがな表記が多く 読みやすいのも良い 食を見直すきっかけにもなるようなこの本だが 実は映画にもなっており ぜひ見てみたいと思う ちょうど近くの図書館にDVDが入ったようなので 予約をかけた 映像も楽しみに待ちながら 読後の心地よい余韻と 台所に立つ時のちょっとした高揚感と 食材に溢れる自然を見つめるほどの視野と この本の読者として 食に対する広がりを見せながら 日々の食事をおいしく丁寧にいただいて生きていきたい
8投稿日: 2023.11.05
powered by ブクログ映画『土を喰らう十二ヵ月』のDVDを観て(映画の料理監修が、土井善晴先生なので、ちょっと気になっていたのだ)気に入り、原作を読みたいと思った。 元の本はけっこう昔に出版されていたらしいけれど、映画の情報が出た頃に再版されたのだと思う。 令和3年12月10日 32刷の本。 長く読まれているのだなと思う。 文章のテンポがまさに映画での沢田研二さんの語り口で、いい気持ちで読み進める。 映像も目に浮かび、またDVDを見たくなる。 原作はエッセイなので、女性編集者との関係などのストーリーは無い。 けれど、映画での物語は原作の雰囲気を壊していないし、おばあさんと山椒の佃煮のエピソードなどは人物の続柄を少し変えてうまく取り入れている。 映像も、原作も良い。 一月の食料は、雪の中から掘り出したり、貯蔵庫から乾物を取り出して料理したり、旬を喰う日の楽しみはまだ。 春の芽吹きから、夏の収穫、秋の山のめぐみを経て、十二月、寂しい冬となり土も眠る。 一周して戻った。人の一生のようである。 土の恵みを採り、料理をするという作業の間、作者の脳裏にはいつも、子供の頃に寺で修行していた頃の和尚さんの言葉や思い出が浮かんでいる。 禅寺での料理作り。それは精進の日々である。 その時期ある物で作る、または「何もない台所から絞り出す」 そして、精進の極意は季節を喰うところにある。 何度も読み返したい1冊がまた増えた。
4投稿日: 2023.11.04
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
若狭で生まれ禅寺に入り9歳から精進料理を作り始めた著者。軽井沢に居を構え、季節の恵みを工夫を凝らして料理し命をつなぐ。一つ一つの料理にまつわる記憶。移ろいゆく四季の幸、土の香りの溢れた料理の記録。
0投稿日: 2023.10.28
powered by ブクログ料理ってその人のテクニックとかを現すものだと思ってたけどそうではないのだね。 食材を大切に思う心とか、その土地に感謝する心とかが最も大切で、人間はそれをいただいているだけでしかない。 精進料理の捉え方が変わった。 定期的に読み直したい本。
0投稿日: 2023.09.30
powered by ブクログ水上勉が、若き日の修行僧時代に学んだ精進料理を元に、日々の食事をととのえる様をつづった異色の食エッセーである。「土を喰う」のタイトルのとおり、季節季節に土の畑で採れるものから献立を決め調理する。そこにあるのは、すべてを無駄にせずおいしくいただくという禅の教えに通じる考えである。それにしても、この本をもとに映画を作ったそうだが、どんな映画になったのだろう。不思議だ。
0投稿日: 2023.07.19
powered by ブクログ著者、水上勉さん、どのような方かというと、ウィキペディアには、次のように書かれています。 ---引用開始 水上 勉(みずかみ つとむ、1919年3月8日 - 2004年9月8日)は、日本の小説家、日本芸術院会員、文化功労者。福井県生まれ。社会派推理小説『飢餓海峡』、少年時代の禅寺での修行体験を元にした『雁の寺』、伝記小説『一休』などで知られる。禅寺を出奔して様々な職業を経ながら宇野浩二に師事、社会派推理小説で好評を博して、次第に純文学的色彩を深め、自伝的小説や女性の宿命的な悲しさを描いた作品で多くの読者を獲得。その後は歴史小説や劇作にも取り組む一方、伝記物に秀作を残した。作品の映像化も多い。 ---引用終了 で、本作の内容は、次のとおり。 ---引用開始 著者は少年の頃、京都の禅寺で精進料理のつくり方を教えられた。畑で育てた季節の野菜を材料にして心のこもった惣菜をつくる――本書は、そうした昔の体験をもとに、著者自らが包丁を持ち、一年にわたって様様な料理を工夫してみせた、貴重なクッキング・ブックである。と同時に、香ばしい土の匂いを忘れてしまった日本人の食生活の荒廃を悲しむ、異色の味覚エッセーでもある――。 ---引用終了
12投稿日: 2023.03.23
powered by ブクログ映画版の方の「土を喰う十二ヵ月」を読んだ。 松たか子の存在がうるさく、この静謐な作品に女臭さが果たして必要か?と疑問だったが、こちらを読んでやっと腑に落ちた。 あちらはやはり、商業用にエンタメ化されていた。 真摯に食(自然そのもの)と向き合い、自分と、食べてくれる人を思う。 それがただ淡々と語られている。 読みたかったのはこれだ。
2投稿日: 2023.03.20
powered by ブクログ婦人雑誌「ミセス」の連載とのこと。語りかける調子で書かれており、軽井沢の野山や空気を想像しながら読んだ。 子供の頃に禅寺で暮らし、そこで教わったり自然と身についた料理や、素材の扱い方がずっと後まで著者の台所仕事の根幹にあるらしい。毎月のように、季節の実りを手にしてはそれにまつわる禅寺での思い出を書いている。筍、梅、豆腐、きのこ、栗・・・その時期に目の前にあらわれるものを、よくみて、どう食べるか。ただそのことだけを思って料理を繰り返す日々。シンプルだけど、奥深い。 「口に入れる筍の味覚のほかに、とんでもない暦のひき出しがあいて、その思い出を同時に噛みしめる。――口に入れるものが土から出た以上、心ふかく、暦をくって、地の絆が、味覚にまぶれつくのである。」 タイトルに気持ちが引っぱられているのかもしれないが、全体的に湿った大地のような印象があるエッセイ。
2投稿日: 2023.01.29
powered by ブクログ新潮文庫 水上勉 土を喰う日々 著者自ら 畑に行って 食材を探し、皮も根も草も捨てることなく調理し、喰う ことにより、精進料理とは何かを問うた本 「精進料理とは、土を喰うもの」という言葉で始まり「調理とは 自分のなりわい〜道をふかめること〜おろそかにしていれば〜道に懈怠が生じる」という言葉で終わる 季節に応じた 異なる食材を 調理するのは 和食ならでは。五月の筍、六月の梅干し、九月の松茸としめじは、仏教的制約のある 精進料理にあっても 食欲をそそられる。しかし、辛い大根や渋い栗が 美味しく感じるというのは 理解しがたい
0投稿日: 2023.01.10
powered by ブクログ映画を観て原作を読みたくなり購入。 旬を食す=土を喰らう。 旬なものを、旬な時期に食べるのが、一番美味しいと言われる所以がよくわかった気がした。 料理をする静かな時間が想像でき、自分の気持ちまでゆとりが派生した気がする。
1投稿日: 2022.12.27
powered by ブクログ月毎に違う食材が書かれているので、どの月から読んでも楽しめる。 食を通した人との交流が丹念に紹介されているのが良い。個人的には、六月の章の梅干しの話がジンときた。
1投稿日: 2022.12.11
powered by ブクログ映画の「土を喰らう十二ヶ月」を観てたいへん面白かった。面白かったが、まさかあんな美人の編集者(松たか子)と懇ろの仲になっていたとまでは流石に思わなかったが、妻方の親戚(尾美としのり)が、自分の母親の葬式の一切までもツトム(沢田研二)に任せ、あろうことか骨壷まで置いていったのをみて、そんなことをありあるのかとビックリして本書を紐解いたのである。 予想通り、そんなことは一切書いてなかった。どころか、未だ著作当時水上勉の奥様は健在だったし、どうも義理の母親の葬式エピソードは、祖母の一人暮らしエピソードを改変したようだった。中江裕司監督は、真冬の信州の自然に、沖縄の死生観と自然観を注ぎ込んだのだ。 映画にも出てきたが、道元の著書(『天座教訓』)引用が至る所に出てくる。10代のお寺修行は、老境の著者に、53年浸かった梅のように滋味深いあじを与えたのか。思うに、その自然観と死生観は、500年を経て尚且つ生命力を持つものだろう。 どうせしないだろうけど、やってみたい料理がたくさんあった。 ・ほうれん草の「根」の赤いところはしっかり洗ってお浸しにまぶす。 ・蕗のとうの網焼き ・山の焚火に濡れた紙にタラの芽を入れて焼く。 ・渋柿の灰焼き ・無名汁 我が家には、捨てるにすれられなくて置いている30年以上は浸かっている梅干がある。勇気を出して食べてみようかという気にもなった。
91投稿日: 2022.12.06
powered by ブクログ質素ですが、自然と共存する食の世界。読み進めるほどに、その面白さ喜びが伝わる文章。なんとなく真似て作れるものも中にはあるが、ほとんどは再現出来ない。本当の贅沢ってこういうものかなとも思うし、多くを求めないことが美徳的にも思える本ですが、本当は欲望の追求なんかもな、とも思える名著。
3投稿日: 2022.12.02
powered by ブクログ映画『土を喰らう十二ヵ月』に感動したので、原作の料理エッセイも読んでみた。しかし物語部分はほぼ映画のオリジナル。このようなエッセイを土台にして、よくあのような物語を作り上げたものだと感心する。 しかしそこに流れる仏教的なテーマは、確かにこの原作から受け継いだものだ。水上勉は少年時代に禅寺へ修行に出されていた。このエッセイは、その頃に覚えた精進料理を、還俗した今、どのような形で食卓に取り入れているかを語ったものだ。精進料理と、その底流にある思想を語ることは、禅の教えを語ることに通じる。その極めて本質的な部分をすくい上げることで、あの映画が出来たことを思うと、あらためて感動してしまう。 ただし都会人の悲しさよ。読んでも分からない部分が多すぎる。豆腐や梅干しは分かるが、地梨子とか水芹とか言われても、どんな植物かよく分からない。たらの芽とかクワイとか、名前は知っていても味が分からない。松茸は、高すぎて食べられない。ましてや竹による筍の味の違いなど分かろうはずもない。そもそも普段「筍」として食べているのは何の竹なんだという具合。そんなわけで、さすがに距離を感じてしまう部分が多かったのが残念。
3投稿日: 2022.11.30
powered by ブクログ言葉遣いが独特で、すっと筋の通ったエッセイ。 田舎暮らしへの憧れが募る。 映画の内容とはまったく違うけれど、 エッセンスはこの本からしっかりとられている。
1投稿日: 2022.11.20
powered by ブクログ土を喰う日々。タイトル通りのエッセイで、精進料理を作り方を教わった水上さんが、かつての師匠たちの言葉を思い出しながらこさえる料理だったり、自らの経験を積み重ねて工夫した一品だったり。肩肘はらずに、季節の野菜や山菜や果実でこしらえる料理の数々に、ああ料理というのはただ腹を満たせばよいのではないんだ。と、当たり前なことを思う。
2投稿日: 2022.11.15
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
京都の禅寺の庫裡で暮らし、精進料理を学んだ少年時代。水上勉がその時に学んだ、自分の血肉となった料理を1年かけて紹介していくエッセイ。 普段忙しさや面倒臭さにかまけて抜きまくっている手をじっとみる。 丁寧に料理をすること、きちんと食べること。手を抜くことで得られるものと、丁寧に暮らすことで得られるもの。そのバランスを取りながら生きていくことの大切さ。 しかし、どの料理もすばらしくおいしそうでたまらぬ。 山で採れるもの、畑になるもの、そこに時間と手をかけて訪れた人に饗する。 相手を見て献立を考える。よきかな。
2投稿日: 2022.11.10
powered by ブクログ渋皮が少し残った栗、人より長生きする梅干し、山でどんどん採れていた松茸、軽井沢の畑で育った細くて辛い大根。 作者が小さな頃に禅寺で身に付けた精進料理は、文字にしても、どこか土の香りが口の中に広がる。 少し気難しいおじいちゃんに、昔話をしてもらいながら、ご飯を食べているかのよう。
8投稿日: 2022.08.06
powered by ブクログ福井で生まれ京都の禅寺で育った水上と、東京で一生を過ごし若い頃は株の仲買人をしていた同世代の池波正太郎(1923年生まれ)の食エッセイを比較してしまう。 片や精進料理について書き(肉魚も食べただろうが、経歴的にそういった需要が高かったのであろう)、片や各地の豪勢な料理や今で言うB級グルメについて書く。 今はまだ池波のエッセイの料理に引かれるが、いつか逆転する時が来るだろうか。 檀流クッキングは読んだ事がないが、檀一雄と読み比べてみるとどうなるのだろう。 写真が多いが水上が写っているカットが多い。「ミセス」誌を読むミセスを意識した美男、だからか。映画化で水上に擬せられる主人公をジュリーが演じるのも納得。 パルネット ベルマージュ堺店にて購入。
4投稿日: 2022.03.19
powered by ブクログ著者が少年時代、京都の禅寺に預けられ、そこで典座をしていたことで精進料理の元が身についた。それを基に執筆当時生活をしていた軽井沢で野菜を育て、精進料理を作る。季節にできる野菜を使う料理を、幼い頃の寺での生活を交え、描いている。 その手順やレシピは素材をいかし、これぞ男の料理という趣も感じさせる。単なるレシピ本ではなく、文学の要素を感じさせるのはさすがである。 最近はこのような野菜メインの献立も違和感なく、ヘルシーな料理として受け入れられている。今でも十分通用する料理であり、日本の食の原点ともいえるものだろう。
4投稿日: 2021.11.21
powered by ブクログ映画化にともなって 刷りの新しいのが本屋さんに並んでたので 図書館で古いやつを借りてみました。 で、なんか手元に置いておきたくなったから 今度買おうと思います。 著者が少年時代にお寺で修行していたことを この本で初めて知りました。 料理を作りながら語る当時の思い出話や 住んでいる軽井沢のこと 説法についての話、典座について…。 ゆったりと滋味になりそう。
7投稿日: 2021.11.14
powered by ブクログこの本を知ったのはずいぶん以前『美味しんぼ』を読んでのことだったと思う。たぶんそれから20年くらいたってようやく読んでみた。作家・水上勉の軽井沢暮らしのなかでの自給自足・自炊の日々が綴られる。 山野のものを上手に使い、腕も立つ人が作る素朴な料理の数々は魅力的。ところどころはさまれる写真がカラーだったらいいのにと思う。でも、著者の筆致が何だか自慢げ自信ありげで、精進とは逆のギラギラっとした雰囲気をそこはかとなく感じながら読んだ。
6投稿日: 2021.06.05
powered by ブクログ子供時代に禅寺で修行していた著者が、その教えを活かし、毎月様々な料理を作る本。 「美味しんぼ」で知った人も多いと思います(自分もその一人)。 この本には高級料理なんて一品も出てきません。 粗末なお惣菜ばかりです。 けれど、どれもこれも最高に美味しそうです。 畑で取れた旬の野菜を、手間ひまかけて丁寧に料理する。 それがどんなに贅沢で、どんなにありがたいことか。 作中では、以下のように書かれています。 『出来のわるい大根を、わらう資格はぼくらにはない。 尊重して生かせば、食膳の隅で、ぴかりと光る役割がある。 それを引き出すのが料理というものか。』 食材に貴賎なしということですね。 本当の意味での「ご馳走」とは、まさにこういう事なんだと教えてくれます。 じんと来る表現もたくさんあり、心を豊かにしてくれる一冊でした。 ちなみに、自分が一番心惹かれたのは、次の一文です。 『めし時になると、父は近くの山へ入り込んで、三十分くらいすると何やかや、木の葉や、キノコやをとってきてオキ火を片よせて、そこで焼いて喰った。 弁当箱には、味噌と塩とめしが入っているだけだった。 山へゆけば、惣菜になるものが収穫できるから、何もいらなかったのである。』 ああ……なんて羨ましい!!
5投稿日: 2021.01.26
powered by ブクログスーパーで食材を揃えるのではなく、自然からもらったものをひと工夫して食しているエッセイ。梅干し一つにしてもバラエティ豊かな調理法があるのだなぁと新たな発見。 丁寧に調理する事で、素材本来を引き出す食べ方をできるようになりたいと感じる。
3投稿日: 2019.04.29
powered by ブクログ水上勉が幼少の頃の寺暮らしを回顧しつつ、軽井沢の仕事場で一年、ぬく飯と家の畑で取れる季節の野菜、山菜、木の実などを様々に調理して味わうエッセイ。精進料理ということで、肉、魚の類はまったく登場しないにもかかわらず、その読むだに滋味豊かな食事は、四季をそれぞれに楽しみ、美味しさに溢れている。この歳になると、本当の豊かさとは、ぬく飯と四季折々の素朴な汁菜のことだと気がつくものだ。随所に引かれる『典座教訓』も滋味深い。
3投稿日: 2019.04.02
powered by ブクログ少年時代を京都の禅寺で過ごした著者が、軽井沢の地で畑で育てた野菜を食べる日々を綴る。禅寺では食事自体が大きな意味を持ち、食べることだけでなく調理すること材料を調達すること全てが修行となる。そのため食材を大事に扱うことや味付けに至るまで現在の著者の食に対する考えの根源となっています。しかしそのことが窮屈な感じがせず、それどころかのびのびと食べること調理することを楽しんでいるように思えるのです。 畑で採れたものを食べるということは土を食べるのと同様のことであるということ。最近では「旨味=甘味」という公式がはびこっており、美味であることを表わす表現が全て「甘い」となっていることが気になります。しかしここで語られる土からの食物は甘味だけでない様々な味が渾然となり、そこを楽しむ妙味が描かれます。何より著者が食を楽しんでいる様子が素敵です。
4投稿日: 2016.10.11
powered by ブクログ美味しいお料理を丁寧に作るシーンが印象的な本を紹介して!とお願いして、オススメいただいた本。 口の中にじゅわっと味がする感じ。 旅行中に読んで、早く帰ってゴハン作りたくなった(*´∀`)
3投稿日: 2016.01.02
powered by ブクログ軽井沢の自宅の畑で採れた野菜や近隣の山菜果実を精進料理にして食す1年間の記録であるこの本を、ファミレスとかチェーン定食屋で食事しながら読むという、あまり著者に喜ばれないであろう、というか怒られそうな読み方で読みました。 ごめんなさい だけど、質素ながらも丁寧に素材を調理して食す著者の姿を読むことで、自分自身のいつもの食事、例えばチェーン店の天丼を食べている時も(てんやです。)、米のひと粒ひと粒や、付け合せの大根のお漬物に至るまで、それが土から生まれ様々な過程を通して今自分が食すことが出来るのだということに深く感謝することが出来、本当にいつもより美味しく感じることが出来ました。 全く不摂生な都市生活者の自分でさえ、土を食す感覚を得られる素晴らしい本です。 筍や梅干し、堪らないです。 涎が出ます。涙が出ます。
2投稿日: 2015.11.02
powered by ブクログこんなすごい本に出会えて幸せだと思う。 食することの深み、重みを十分に感じた。 自給自足を目指す私。 何回も再読することになると思う。
3投稿日: 2014.12.05
powered by ブクログ著書名と著者名をみて、「水上勉が料理の本を書いている」と驚き、読んでみた。 読み始めてすぐに、何かが違う、と感じた。 子どものころ、京都のお寺に何年間か住み込み修行をしたことが書いてあるけれど、そんなの聞いたことがない。 南紀の、地縁血縁関係のなんだかどろどろしたところで生活してきたのでは? ぼくは水上勉と中上健二を間違えていた。 けれど、内容はそこそこ面白かった。 月ごとに、畑で採れる野菜を中心にした精進料理を作り方や思い出とともに紹介していく。
2投稿日: 2014.11.15
powered by ブクログ体に良くても、おいしくない料理が沢山紹介されてるかと思いきや…体に良くないかもしれない、でも凄くおいしそうだ! http://www.ne.jp/asahi/behere/now/newpage204.htm
3投稿日: 2014.09.16
powered by ブクログ20140608読了 禅宗寺院の庫裡で育った著者による精進料理12か月。素材をシンプルに味わう幸せを知っているっていうのは、飽食の時代において実はけっこう贅沢で難しいことなんじゃないかと思う。精進料理、もう少し深めて知りたいなぁと思った。いずれ蔵書にしたい本。 20161115購入
2投稿日: 2014.06.14
powered by ブクログはじめて 水上勉の本を読んだ。 食に対する ポリシーと言うか 信念が実に明確に打ち出されていた。 旬が 美味しいのである。 旬という言葉がある 日本の文化が 素晴らしいのだ。 それに対する 生でない 保存する という文化が 対置されている。 水上勉の生い立ちというか素性が 明らかにされて 大工である父親の 自然な食に対する 気持ち。 そして,9歳にして 寺に出され 精進料理につきあうことで 料理に対する 気構えが 実にしっかりしている。 食べようとするものに、無駄なものは 何もないのである。 ホウレンソウを 丸ごと食べるには それなりの処しかたがあるのだ。 根っこの持つ意味は 食べなきゃわからない。 いいねぇ。 大根にしても,ジャガイモにしても、皮とは剥くためにあるのだろうか。 栗の渋皮にしても。 クワイの皮さえも,剥くことで 美味しいと言えるのだろうか。 捨てることは,何かを捨てていないのだろうか。 水上勉の料理のすごさは 自分が楽しんでいることだ。 そして,自分の味への郷愁があることだ。 タケノコに対する想いが 何ともせつない。 目先のものを食べることで 精一杯だった 自分を振り返ってみた。 食べるのは 生きている限り 続けるものだとしたら 来年食べるものを 今作ってもいいだろう。 そう思える なにかが そこにはあった。 自分が生まれたときに つけられた 梅干しを 60歳の時になって 食べることができたとしたら なんてすごいことなんだろう。 そこには、不変がある。熟成と豊饒がある。 おばあちゃんの作ってくれた料理が未だに 思い出にあるのはなぜだろうか。 こんにゃくのトンガラシ煮。フナのミソ煮。 不思議な味わい。美味しいとはいえなかったが、印象に残った。 でも、卵焼きやカレーやトンカツがおいしかった。 母親が来た時に フキの料理が思い出された。 なんでフキなんだろう。くすんで黒くて、見た目にぱっとしない。 それが,なぜ母親と結びついたのだろうか。 そして、突然 チーズの味となる。 オヤジは チキンラーメンから始まり,寿がきのラーメンに発展するのも よくわからない。そして,突然に ヒレ肉トンカツに 変わるのだ。 味が 飛躍し 料理が飛躍する。 そして,豚足とホルモン焼きに たどり着き 土手鍋になる。 味は ますます濃厚になっていくのだ。 今やろうとしていたことが,クロスする。 豆腐が 面白そうだ。 ジーマミ豆腐を作ってみたくなった。 ゴマの皮をむく。 『すり鉢へ 適量のゴマを入れ、それに水をわずかにいれて、手で混ぜ,鉢の目にこすりつける。 そして、水を加えると 皮は水面にぷかぷか浮いてくる。それを静かに捨ててしまえばいい。』 ケチ という意味が 本当に 美味しいと理解してくれる ヒトが いるかどうかなんですね。
1投稿日: 2014.03.27
powered by ブクログこれも長いあいだ積読でした。ようやくこれを読んで沁みる境地に自分がなってきたのかなあと。自分の今年のテーマのひとつが料理ということもあり、今読むべき本だったのだと思います。くわいや山芋の焼いたの、味噌、豆腐、梅干し、筍、木の実にきのこ。どれもおいしそうでたまりません。素材の味を楽しむにはやはり旬に食べるのが一番。スーパーマーケットの野菜は味気ないものなあ。
1投稿日: 2014.03.16
powered by ブクログときをためる暮らしにでてきて、気になって借りてみた本。買ってもいいかも。昭和57年て四半世紀以上前に書かれたなんてと思うほど新鮮でありつつ変わらない何かが記されている。
0投稿日: 2014.02.21
powered by ブクログ9歳の時に京都のお寺へ出された著者が、 時にその時分を思い出しながら、 ただひたすら12ヶ月分の“食(精進料理)”について書いた本。 端々から食に対する想い、 そこに関わる様々な事象が見え隠れする。 確か、かの海原雄山先生が、 「現代で唯一読むに値する食の本」 的な発言をしていたはず。 さすがです。 裏書には「クッキング・ブック」と書いてあって、 確かに『食べてみたい!!』と思える料理は多いですし、 真似する価値もあるんでしょうが、 それよりも思想本的な意味合いが強いでしょうか。 精進料理なー。 個人的に気に入ったフレーズは、 「この世に山野が生むもので同一のあるいは普遍の食べ物はありはしない」P211 です。
0投稿日: 2014.01.19
powered by ブクログ20140111 何年か経つとまた読みたくなる本がある。この本もその一つ。作者が書いた年齢に近づくほど感じるところも変わってくる。料理というよりはどう生きるかを教えてくれる本だと思う。
0投稿日: 2014.01.11
powered by ブクログ作家水上勉が一年間の旬の食材、季節の料理について、自身の経験や思い出とともに綴ったエッセイ。 自ら台所に立ち、自宅の庭や畑で採れた野菜などで料理をする。その様子も写真を交えて紹介しています。 少年期に禅宗寺院で身につけた精進料理が料理の、そして生き方の基本的なベースになっていることが伝わってくる。 裏表紙の紹介文には「日本人の食生活の荒廃を悲しむ、異色の味覚エッセー」なんて書いてあるけど、別にそういう感じはしなかった。 比較的淡々と、時に食材に対する愛をにじませつつ、自然体で書かれた文章はリラックスして楽しめるものになっています。 それにしても、季節のものを使って飾り気なく料理ができる男性っていうのかなりの高得点、なのであります。
0投稿日: 2013.11.23
powered by ブクログ軽井沢に住む著者が一年を通じて季節毎の精進料理を如何に作り食すか、禅寺での小僧時代に体得したもの教えられたものを絡めながら、描かれた料理エッセイ。たらの芽などの野菜の天ぷらで一杯のみたくなります。金沢の仙人庵に行きたい‥
0投稿日: 2013.10.18
powered by ブクログ食物を余すとこなく食べる ほうれん草の根の部分 料理を楽しむ姿勢が印象的であり、果実酒には挑戦してみたい
0投稿日: 2013.03.16
powered by ブクログ精進料理とは日々精進して作る料理。言葉の意味も考えず、お寺のお料理ととらえていたのが恥ずかしい。 一生懸命育ってきた土からいただく生命を慈しみ、ありがたくいただく。食事のときにいただきますという言葉の意味もあらためて意識するようになります。 写真もあるので、普段スーパーで買い物するときにも水上さんの姿が思い出され、かごへのいれ方も心なしか優しくなります。 表紙の絵もこの方が書かれてて、とても繊細で暖かい気持ちになりました。
2投稿日: 2012.08.31
powered by ブクログ京都で小僧として精進料理を学んだことをいかしながら 軽井沢で暮らした著者の12ヶ月。 畑と相談しながら丁寧に食事をしつらえる姿に親しみを感じます。 仏教の教えも引きながら、 食事を作ることの大切さを教えてくれる本です。
1投稿日: 2012.05.16
powered by ブクログ【日本縦断参考本】 著者が京都の禅寺で少年時代に教えられた精進料理の体験を元にして、軽井沢の仕事場で畑をつくり 目の前であるもので料理する様子を 一月ごとに記したエッセイ。 読み終えるのが 惜しいほど 面白い本でした。 筍だけで あれだけのページを割いて書く著者も著者だけど もっと読みたくなる私も私・・(笑) 精進料理の「典座教訓」を読み解いてくれているのも 面白く 読んでいくうちに お腹がすいてきて お料理を作りたくなり、畑を耕してみたくなりました。
1投稿日: 2012.04.14
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
幼少時代禅寺で過ごした筆者が、その際の経験を生かし、精進した料理を作るエピソードを月ごとに紹介。 タケノコやタラの芽、ゼンマイ、クワイやクリ、梅干し…。エピソードが記憶にしっかり残るのは、やはり水上勉氏の軽妙な筆致によるものか。 また、ところどころに挟まる筆者の調理人としての姿がダンディ。これだけの旬の食材を食べられるかと云えば難しい。でもまた読みなおそう、と思えるだけの本である。
1投稿日: 2012.02.11
powered by ブクログ食べてみたいものばかり出てきてお腹が空いた。 お惣菜、ファーストフードなどがはこびる今の世の中に生きる自分としては、自然の食材を使った料理に憧れる。
0投稿日: 2011.09.30
powered by ブクログ上司に借りた本。 季節を食べる、土を喰う、今では忘れ去られていること。 実家でおばあちゃんが作ってくれたご飯や、家の前の大きな畑を思い出した。 季節に関係なくスーパーに並んでいる食材、今ではほとんどの人が見向きもしない食材、そういうものがたくさんあるんだと実感。 それでも旬のものは安かったり、他の季節に食べるよりおいしかったり、日々なんとなくは感じている。 でも、もっともっと季節を大事にして、日本の四季を楽しみたいなぁと思った。
2投稿日: 2011.07.29
powered by ブクログ「芋の皮一ときれだって無駄にすることは、仏弟子として落第なのだ。」(p.15,ll.10-11) 軽井沢の山荘に暮らす作者が、小僧時代の典座の経験から身に付いた料理法を、十二か月にわたって道元禅師の言葉を引用しながら紹介していく。まさに「土を喰う」生活。 今私が暮らすロシアも、人々はダーチャ(菜園付き別荘)を持ち、野菜を育てて暮らしている。それもまさに「土を喰う」生活だろう。 根なし草の自分には到底かなわない生活。ゆえに、この本は自分にとってバイブル的一冊なのである。 これを友人に勧めたら、「おまえは土でも食っとけ。」とあっさり一蹴されたけども。
1投稿日: 2011.02.04
powered by ブクログ食材に良し悪しなんてない。 私も早速自分の畑を、と言うわけにはいかないけれど、スーパーの野菜であっても大事に味わって食べようと心から思った。 この本から学んだことは一生忘れずにおきたい。 そして不覚にも著者に萌え。写真が渋くてかっこいい。
0投稿日: 2010.10.06
powered by ブクログ軽井沢山中の庵に暮らし、そこの自然で採れる食材で自給自足の生活をおくる著者の、食にまつわるエッセイ。 1月から12月までの12章に分かれていて、それぞれの時期の旬の野菜や草木の話題を中心にして、調理の仕方と心構えが書かれている。 普通のレシピ本のような内容とはまったく違い、芋の皮をいかに惜しんで薄くむくべきかや、育たない冬を耐えて芽吹きの春を迎えた時の喜びなど、自然との接し方について語られている部分が多い。 ここで説明されている料理は、どれも質素で簡単なものばかりだけれども、小説家なだけあって、その描写がものすごく上手く、読んでいると、くわいをただ焼いただけのようなものでさえ、とても滋味にあふれて美味しそうな感じが伝わってくる。 9歳の頃から禅寺で修行をした著者は、16歳から寺の典座(食事)をまかされ、精進料理を作る日々をおくった。著者の、料理中の写真が時々挿まれているのだけれど、これが渋くて、やたらとカッコいい。 初版は昭和53年だから、現代のようなスローライフブームのはるか前から、ごく当たり前な姿で実践していたことになる。 2004年に病没するまでの間、ずっと同じような生活を続けていたのかと思いきや、その後インターネットが登場してからパソコンに興味を持って「電脳小学校」というものまで作ろうとした時期があったらしく、それは結構意外なことだった。 道元さんという方はユニークな人だと思う。「典座教訓」は、このように身につまされて読まれるのだが、ここで一日に三回あるいは二回はどうしても喰わねばならぬ厄介なぼくらのこの行事、つまり喰うことについての調理の時間は、じつはその人の全生活がかかっている一大事だといわれている気がするのである。 大げさな禅師よ、という人がいるかもしれない。たしかに、ぼくもそのように思わぬこともないのだが、しかし、その思う時は、食事というものを、人にあずけた時に発していないか。つまり、人につくってもらい、人にさしだしてもらう食事になれてきたために、心をつくしてつくる時間に、内面におきる大事の思想について無縁となった気配が濃いのである。 滑稽なことながら、ぼくらは、故郷の過疎地に老父母を置いて、都会の巷で、「おふくろの味」なる料理を買って生きるのである。学生街食堂に櫛比する、「おふくろの店」は、そういう大事をわすれた子らが喰える、皮肉な喰いものといえる。道元禅師のいう大事は、己れがつくる時だけに生じるもので、そこのところが、ぼくの心をいま打つのである。(p.76) ぼくが毎年、軽井沢で漬ける梅干が、ぼく流のありふれた漬け方にしろ、いまは四つ五つの瓶にたまって、これを眺めていても嬉しいのは、客をよろこばせることもあるけれど、これらのぼくの作品がぼくの死後も生きて、誰かの口に入ることを想像するからである。ろくな小説も書かないで、世をたぶらかして死ぬだろう自分の、これからの短い生のことを考えると、せめて梅干ぐらいのこしておいたっていいではないか。(p.110) この世に山野が生むもので同一のあるいは普遍の食べものはありはしない。よくみれば、その土地土地の顔と味をして、食膳に出てくる。京にうまれて「京菜」、野沢にうまれて「野沢菜」、軽井沢では、その野沢菜そっくりのものさえうめないではないか。不思議なことだと思う。(p.192)
0投稿日: 2010.07.16
powered by ブクログ朝日新聞8/16 素材を慈しむ、無駄にしない いろいろ作って試してみる 氏が、実際に小坊主さんとして お寺でしごかれた経験をベースに シンプルなレシピが描かれている。
0投稿日: 2009.08.27
powered by ブクログ「金閣炎上」「ブンナよ、木からおりてこい」の著者。9つから禅寺で暮らし、覚えた精進料理の数々。勉強になります。
2投稿日: 2007.11.22
powered by ブクログ水上勉さんのような生き方をしたいと思える本です。スローフード、スローライフという言葉が流行る前から実践されていた水上勉さんの最高傑作だと思います。
1投稿日: 2005.03.02
powered by ブクログ作家の水上勉が少年期に、京都の禅寺で過ごし、 精進料理で修行を積んだ体験をもとに、 四季(月ごと)の畑の素材に工夫を加えて料理する。 それを綴った究極の料理本とも言える書です。 その日の客へのもてなしは、「畑と相談して」考え、料理する…。 デパ地下やスーパー、コンビニに行けば何でも手が入るし、 飲食店は似非グルメ指向に走り、 「創作料理」なる何の創造性もない料理が出される。 こんな時代に、本当のご馳走とは何か、惣菜とは何か、 と考えさせられるエッセイです。 荒廃した日本の食文化に警鐘を鳴らす1冊。
1投稿日: 2004.10.24
powered by ブクログこちらも禅寺で(嫌々)育った作者の、体験を踏まえた料理が載ってる本。手描きの題字も暖かくて良いし、作ってみたくなるメニュー揃い。
0投稿日: 2004.10.07
