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powered by ブクログアリサもジェロームも信仰心のレベルが高すぎて、ついてはいけない話だったけど、不思議と読み進められて没頭できた。
0投稿日: 2025.11.09
powered by ブクログジッドは1947年78歳でノーベル文学賞を受賞したフランスの作家。同フランス人作家のカミュは1957年44歳で受賞している。因みにフランス人のノーベル文学賞受賞者は15人に上る。日本人は川端康成(1968年)と大江健三郎(1994年)の2名だけなのが悲しいかな、村上春樹はどうした...。 『狭き門』は、ネトフリの貴族の宴で有名なブリジャートン家風にはじまる。幼い二人の恋愛模様を描きつつ、少年から青年時代になると彼女はめんどくさい女に変貌する。彼を遠ざける理由がまた神がかっていてややこしい、最後には精神的におかしくなるのだが~ジットの自伝的小説というのだがら驚きだ。
0投稿日: 2025.10.25
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
これは爪痕が深く残る作品。 早く父を失ったジェロームは少年時代から夏を叔父のもとで過すが、そこで従姉のアリサを知り密かな愛を覚える。しかし、母親の不倫等の不幸な環境のために天上の愛を求めて生きるアリサは、ジェロームへの思慕を断ち切れず彼を愛しながらも、地上的な愛を拒み人知れず死んでゆく。遺された日記には、彼を思う気持ちと“狭き門”を通って神へ進む戦いとの苦悩が記されていた…。 ジェロームを拒み続けるアリサの頑なさが理解できず、終始苛立たされたものの、読者に刻まれた爪痕こそ、この作品の訴求力の証でしょうか。
1投稿日: 2025.10.12
powered by ブクログ中2夏休み宿題の図書推薦?で、今や某大学教授の同級生が、この本を紹介していた。私は…筒井康隆に嵌ってたから『七瀬ふたたび』か『乱調文学大辞典』か。いや思い出した、生島治郎『追いつめる』だ
1投稿日: 2025.05.16
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
すごく寂しく辛い愛と信仰の葛藤を描いた作品 ・いのちに至る門は狭く、その道は細く、これを見出す者少なし ・その門は、2人で並んで入るには狭すぎますの 寂しく辛い戦いの後に、彼女は狭き門に入れたのだろうか
1投稿日: 2025.03.19
powered by ブクログ●2024年12月5日、YouTubeで横山英俊さんとデヴィ夫人のコラボ動画「戦後の幼少期に一大決心!スカルノ元大統領との結婚生活の裏に秘められたバイブルの一節とは」のなかで、デヴィ夫人が子供時代に読んでた本として紹介されたうちの一冊。 https://youtu.be/cNsU4-PHicw?si=pWejWfK57oIlqFYr ●2025年7月15日、グラビティの読書の星で紹介してる男性がいた。 「東大出で、イケメンで、マルチリンガルで、変態的だけど愛妻家な澁澤龍彦さん。 「幸福になる必要は無いと、自分を説き伏せる事に成功したあの日から、幸福が僕の中に棲み始めた。」 マルキドサドの本3冊と、ジッドの本1冊買った。読書はいつまで経っても終わらない。」 → アンドレ・ジッドという人物をはじめて知った。とりあえず、ブクログで高評価の著書を3冊ほどチェックした。
1投稿日: 2024.12.08
powered by ブクログ結局のところ二人はお互いを愛していたのではなく、愛を成就すべく徳を積む行為(神へとお近づきになる道なのか?)に夢中になっていたのに過ぎないのかもしれない。 また、その過程で、ジェロームもアリサも本来の彼らを見ることなく、互いを神のように偶像崇拝してしまっていたとも思う。 恋やら愛はもっと世俗的で、シンプルなものなんじゃーん? サリンジャーのフラニーとゾーイーにあった、太っちょおばさまはキリストなんだよ、の方が自分にはしっくりくる。人間が神へと近づくのではなくて、すでに人間の中に神は宿っているって思いたい。
0投稿日: 2024.02.12
powered by ブクログアリサの破滅的な自己犠牲が純粋さによるものなのか、単なる固執なのか、いまいち私には理解に苦しむ。キリスト教の精神や福音書について、もっと知識があればまた違って読めるのかもしれない。
0投稿日: 2023.12.24
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
祖母の家にあったので読んでみました。 フランス文学だけあって難しかったですが アリサの 「死ぬってものはかえって近づけてくれるものだと思う。生きているうちに離れていたものを近づけてくれるもの」 その文章に惚れました。 この文章から彼女は心底ジェロームを愛してたのだなと感じました。 彼女は母親の不倫などで徳を積むことばかりを考え妹の幸せすら願った。けれど本心はジェロームへの恋のために徳を積もうとしてたかもしれない。 最後の日記には彼に当ててる文章が多く神ではなくジェロームを求めてることがわかり胸が痛くなりました。 彼女は狭き門ですら彼と行こうとも考えてもいました。 亡くなった彼女は離れていたものを近づけようとするものを彼に与えれたかもしれない。それはジェロームだけが知ることなのでしょう。
7投稿日: 2023.03.29
powered by ブクログ力を尽して狭き門より入れ――ルカ伝第13章24節 ジェロームは、従姉のアリサに愛を覚えます。 しかし天上の愛を求めて生きるアリサは、彼を愛しながらも、地上的な愛を拒み、二つの愛に苦しみます。 残された日記には、「狭き門」を通って進む苦悩が記されていました。 半自伝的小説。 巻末の、ジッドの生涯と作品も興味深いです。
0投稿日: 2022.10.24
powered by ブクログアリサの日記に辿り着くまでに相当な日数と労力を費やしてしまった…。 地上的な愛ではなく天上の愛を求め苦悩する姿。 そのような形容で語られれば理性的にはすんなり頭で理解はできる。 しかし簡単に手に入れてしまっては、手に入れてしまった後の辛さの方も想像してしまうアリサの『徳』と言うものも、人間としてどうしても譲れない想いを現しているのだと思う。 現にジットは個人思想を守りたい作家だったわけで、そういった意味では現代の作家に通ずる部分がある。
1投稿日: 2022.05.04
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昔に書かれた作品で、読みにくいかなと思っていたがそんなことはなかった。 それと、名著ということもあるのか、内容は共感できる文章が多かった。 書くと長くなるので全てを載せないが、特に共感できたのはこれだ。 「 おそらくそれは、その幸福がいかにも実際的なものであり、たやすく手にはいり、しかも《注文どおり》にできているために、それが魂をしめつけ、窒息させるように思われる」 自分自身、こんなことで喜んでいいのかと生きていて感じることがあり、アリサと同じく、最高の歓喜を求めていたのだ。それを見つけるのは、正に、"狭き門"だけど。 でも、そんなものばっかり求めていると、アリサ同様身近な幸せが見えなくなるのも事実だから、程々にするのがいいのかな。 本文に度々出てくる、聖書本文がいい味を出してると思う。
0投稿日: 2022.03.13
powered by ブクログ青春のすべてを、愛を、犠牲にしてまで仰ぐべき信仰がわたしには理解できないし、アリサの禁欲的すぎる短い生涯を切なく思う。これを純愛と呼ぶべきなのかもわからない。ただただ、切なさと悲哀が残るストーリー。 それでいてこんなにも惹きこまれるのは作者の筆圧のせいなのかな。 なんども読み返してなんども切なくなり得る作品。
0投稿日: 2021.10.29
powered by ブクログ狭き門より入れ 信仰と愛はよく似ているが、過ぎた信仰は破滅を導く。のかな。 信仰を理由に愛を拒むアリサの行為は、なんだか試し行為のような気がして。 本当のところでジェロームを信じることが怖かったのかななんて。それが幼年期の母親の不倫というトラウマティックエピソードに基づくものだとしても。 愛とは身近な人の中に神を見出すことであって、神に身近な人を通して愛を向けることではないと思うの私は。
1投稿日: 2021.01.24
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何度読み返しても理解できないアリサの異常な信仰心。でも理解できないのは私が無宗教だからかもしれない。地上の愛と天上の愛両立できないってなにごと。そもそも天上の愛とは地上で愛を知ることなのでは?私たちは地上の人間なんだから。なんて思ったりもした。 ということでこのアリサの行きすぎた信仰はジッドがプロテスタントを押し付けられて育ったことによる宗教への批判だと私は捉えました。 卒論にしてもいい作品ではあるけど愛とは?!って頭おかしくなりそうだからやめておく…笑
0投稿日: 2021.01.19
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
自己犠牲愛の物語。 救いはあるのか。。。 愛の成就を望むジェローム、手に入る愛を捨て、狭き門に入ろうとするアリサ。幸福を求めない。自己犠牲の美徳?にもひたらない。 現代の恋愛とは乖離してる。 でも時代背景とか、宗教とかを考えるに、そういう恋愛もまたありか??
3投稿日: 2020.10.04
powered by ブクログ凄まじきアリサの生き様。恋の誘惑を断ち切り、と言って犠牲的献身を好んだわけでもない。ジェロームも煮えきらない。複雑な心情を最後まで共感することができなかった。2020.5.8
0投稿日: 2020.05.08
powered by ブクログ読みはじめたばかり。ジッドの他の作品の書籍が見つけられずにこれを読んでいる。 味わって読みたい、早く読み終わってしまいたくない本というものがあるけど、これもその1つ。 ジッドはサガンから知った。 ある人が、この狭き門は若きウェルテルの悩みのような若い人の興味を引くというようなことを書いていて、確かにそうなのかもしれないと思う。しかし、ところどころというより根底に流れる人への寛容さというようなものや、徳とでも言うものが、人生をある程度経験した今だから感じられると思う。
0投稿日: 2019.10.22
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
“狹き門より入れ、滅にいたる門は大きく、その路は廣く、之より入る者おほし。” せっかく相思相愛なのにアリサは神に近づきたいためにジェロームと結婚することを拒み、死んでしまう。 地上での幸福を放棄するって… 神に近づけるならば、ジェロームをその場所へ連れて行けるなら…みたいな考えになるようだ。 ついてけない。 でも、永久に地上で結ばれずにいた方が余計に恋い焦がれそう。 この2人が結婚して果たして死ぬまで変わらず愛せたかはわからないし。 結ばれなかったからこそ、ジェロームは忘れられずに当時の気持ちを持ち続けているわけだし。 その永久の束縛は、アリサの望んでたこととはまた違うと思う。 はっきり言って罪だなぁ。
0投稿日: 2018.01.11
powered by ブクログ「狭き門より入れ、滅びにいたる門は大きく、その路は広く、之より入る者おほし。生命にいたる門は狭く、その路は細く、之を見出すものすくなし。」(マタイ伝 7:13~14) 有名な聖句なのでご存知の方も多かろう。『狭き門』はこの聖句に由来する。一昔前は青年子女の必読書だった。特に多くの子女の紅涙をしぼった名作である。 今ではその19世紀的なふるい恋愛形態からほとんど見向きもされない。だが我々シニア層より上の層からは圧倒的な賞賛と支持とを得て非常によく読まれた。かく言うわたしも「一冊の本」としてこれを深く心に刻んでいる。 主人公で語り手のジェロームの回想としてノルマンディー地方の美しい風景とともに2歳年上の従姉アリサとの純愛とその宗教との板ばさみの苦悩が美しくも陶酔的に描かれている。 小説前半で女主人公のアリサの母親の不義出奔の数日後の朝、小さなチャペルでのヴォーティエ牧師の説教としてこの聖句は登場する。 ある夜、この不幸の為、悲嘆に打ち震えるいじらしい魂とか弱い肉体に遭遇したジェロームは、わが全生涯の目的はこの少女をあらゆる恐怖、不幸、悪から守ってやる事のほかにないという決意に至る。ここは全篇のうちでも最も感動的な箇所の一つである。 そして彼は説教につれ心の緊張が極点に達し、着飾り笑いさざめく人々とは歩をともにすまい、敢えて骨を折り、苦行し、悲しみを乗り越えて「狭き門」を通り抜けようと決意する。 しかもこの門はアリサの部屋の戸口になっているのだ。 この様に「狭き門」とはこの場合、愛のため自己に課する試練・努力を意味する。 これ以上に純粋で美しい小説をわたしは知らない。
0投稿日: 2017.08.21
powered by ブクログ中学生の時に読んで以来の再読。私の恋愛観を決定づけた本。母親のことや前半の妹のエピソードなど家庭環境のことは全く覚えてなかった。延々恋愛と宗教とジェロームを理想化して悩む話だと思ってた。背景がなければそういう考えには至らないわけで、中学生の時の読書力の弱さだったのか。加えて宗教面の理解はできてなかったと思う。それでもこのアリサのジェロームを思うが故に追求しようとする純粋な愛の形ー狭き門をくぐることーが私に与えている影響は未だに大きいと思う。それが故に恋愛に失敗してきてもいるけど。
1投稿日: 2017.02.02
powered by ブクログ先日取り上げた遠藤周作氏の『作家の日記』の中で、クリスト教文学としてのジッドについても言及がありましたので、『狭き門』を開いてみます。 手つ取り早く、カヴァー裏の紹介文を引用すると― 早く父を失ったジェロームは少年時代から夏を叔父のもとで過すが、そこで従姉のアリサを知り秘かな愛を覚える。しかし、母親の不倫等の不幸な環境のために天上の愛を求めて生きるアリサは、ジェロームへの思慕を断ち切れず彼を愛しながらも、地上的な愛を拒み人知れず死んでゆく。残された日記には、彼を思う気持ちと“狭き門”を通って神へ進む戦いとの苦悩が記されていた......。 まあ、愉快な話ではございません。血沸き肉躍るストオリイでもありません。実質無宗教が多い日本人にとつては、理解しにくい内容でもあります。アリサつてさあ、何だか面倒くさい女だよね、なんて言はれさうです。 魂の救済や心の安寧を宗教に求めるならば、衣食足りて礼節を知る世界には宗教は不必要な気もします。せつかく広い門があるなら、そちらを通れば良い。態々狭い門をくぐる必要はありますまい。しかしアリサは、ストイックにも楽な道を歩まなかつたのでした。ジェロームへの書簡や日記を読むと、自己犠牲に陶酔してゐたとも受け取れます。若き日の遠藤周作氏は、「宗教的心理の躓き」と表現しました。 相思相愛の関係なのに、周囲も祝福するのに、戦争や病気などで引き裂かれるやうな運命でもないのに、成就しない二人の愛。ジェロームはかはいさうだし、通俗的には妹のジュリエットが掴んだ小市民的な幸せを応援したくなります。 しかし本書のアリサの告白は、比類ないほどの美しさを見せます。本書の白眉であります。純粋すぎて、穢れたわたくしには結構眩しい。目が眩んでゐる間にアリサは向かふ側へ行つてしまひました。 生意気を言はせていただくと、翻訳がちよつと......仏語解釈の講義ならいいでせうが、文藝作品の翻訳としては、用語の選択とか、紋切り型の訳語とかが気になつてしまひました。新訳が欲しいな、と思つてゐたら、既に「光文社新訳古典文庫」の一冊として出てゐました(訳・中条省平/中条志穂)。 此方の方が良かつたかな? http://genjigawa.blog.fc2.com/blog-entry-668.html
0投稿日: 2016.10.28
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
アリサの美しさ、挙動、そのすべてが繊細なガラス細工のように描かれている。本当に、主に導かれるかのように、天上に召されてしまった。幸福に手を伸ばすこともできたろうに、そうしなかったアリサ。ジェロームを思うと、ジュリエットを思うと、まぁなんとも言えない複雑な思いになるのだけれど、きっとアリサは母の不義を自らの原罪のように感じてしまったのではあるまいか。私はキリスト教徒ではないのではっきりとしたことはわからないがやはりりっぱだったと思わずにはいられない。そして今まで興味を持てなかったヨーロッパ庭園の美しさの片鱗を垣間見ることができた。華やかな表面だけを見ていたが、そこには華やかさと喜びとともに、やっぱり深い思想や悲しみも埋まっていたのだ。
0投稿日: 2016.06.24
powered by ブクログ「これ神は我らの為に勝りたるものを備へ給ひし故に、彼らも我らと偕ならざれば、全うせらるる事なきなり。」 (ヘブル書11:40) この聖句は、比類ない「青春の書」、ジッドの『狭き門』において、アリサが従弟ジェロームに残して去った、最後の言葉である。この書を読まれた読者諸氏は多かろうが、ここでの恋愛経過は19世紀的どころか、現実に存在し得ない類のものである。悲劇的な結末を迎えるが、これは実に読者を陶酔させ、恍惚境へと誘い入れる。 女主人公アリサがここでは聖女のごとく、あまりにも美しく描かれている。この小説の主人公であり物語の語り手でもあるジェロームはかれらの愛を、そこを通って成就する苦難の「狭き門」と定め、アリサと結婚するためにと、自分を試練にかけ、自分を彼女にふさわしい「徳」の高い人物となる様にピューリタン的な努力を始める。がしかしそのことがかえって彼女を天上の神の世界へと向かわせる苦悩の要因になっていることに彼は気づかない。その結果、ジェロームが結婚の話を持ち出すたびに彼女はそれを打ち消し、彼女の内心の彼への強い愛にもかかわらず、ジェロームを否みつつ自らは不毛の死をとげる。 ここで見逃してはならないひとつの事件がある。実はアリサは、彼女の妹ジュリエットとジェロームとの会話を聞くとはなしに聞いてしまい、ジュリエットがひそかにジェロームを愛していることに気づく。それ以後、アリサは身をひいて自分の愛を妹に譲ろうとする。この自己犠牲的な愛もこの小説に異様な悲劇的雰囲気を醸している。 わたしがこの小説を読んだのは19歳の感受性の強い思春期であった。それがためこの書のあまりの美しさに我を忘れ感動の渦へと巻き込まれた。というのも当時のわたしの恋愛観がまだ未熟で、この恋愛悲劇を肯定的に受け止めてしまったからである。それはともかく、この小説がわたしの精神形成に与えた影響は計り知れないものがある。 ところで、この聖句であるが、アリサ自身、「はっきりその意味がわからない」と述べている様に、なぜここにこの聖句が引用されたかは作者ジッド以外、謎である。ジッドはここ以外にも、ところどころ新約聖書からの引用があるが、その解釈が自由すぎるという批判もある。ともあれ、アリサはジェロームとの最後の逢瀬で、ジェロームを突き放し、はらはらと涙を流し、「勝りたるもの」を繰り返しながら、闇夜に姿を消してゆく。 尋常ならざるストーリーだが風紀紊乱が叫ばれて久しい現代社会への強固な反定立として読みつがれるべき名作ではなかろうか。
0投稿日: 2016.04.27
powered by ブクログ初読のジッドの本。 物語は、「狭き門」を単身くぐり抜けようともがく女性の苦悶が描かれていて、読んで、息苦しい印象を持った。 女性がこういう悲運に陥るというのは、めずらしいように思われた。また、物語を通して作者の影がうっすらとも見えないところに、その技術の高さがうかがわれた。 全体の雰囲気が薄暗く、話が淡々と進むので、万人にはおすすめ出来ない作品でしょうが、読まずに済ますにはもったいないくらいの痛切なメッセージが、この中に込められているかと思います。ノーベル文学賞を受けた作家の作品なので、読んでおいて損はないでしょう。 ぜひご一読を!
0投稿日: 2016.04.01
powered by ブクログ好きな音楽家の方が、素晴らしい、なるべく若いうちに読むべきと仰るので、読みました。辛い、愛なればこそ、青春の小説です。生きている間に、真の幸せは確かに得られないかもしれない。生きるためには、自分の幸せはこれ、と決めることです。キリスト教の染み付いた感覚があればもっと別の感動があったかも。思春期に読まなくて私は良かった。 -- しばらく前から、少し体ぐあいが悪いのです。でも、たいしたことはありません。少しあなたをお待ちしすぎたという、ただそれだけ。 -- ところがだめなのです。主よ、あなたが示したもうその路は狭いのですー二人ならんでは通れないほど狭いのです。
0投稿日: 2016.03.30
powered by ブクログ“力を尽くして狭き門より入れ” 愛とは何か、を深く考察させられた作品でした。 ただ、肉体は決して交わらないが、互いを常に思い合うプラトニックな愛で、狭き門へと入ることを試みたアリサとジェロームは一体真実の愛、そして幸福を手に入れられたのでしょうか。 実際に読んで考えてみて、答えは否だと思います。 一方、好きではない人と結婚致しましたが、子を作り、実世界を真剣に生きているアリサの妹ジュリエットは非常に魅力的で幸福に暮らしています。 この作品の主題に対極的に書かれていると考える、D・H・ローレンスのチャタレイ夫人の恋人では、むしろ肉体的な愛を称揚されておりますが、それは事実、生物として生きている人間には必要不可欠な愛の形であると考えるのです。
0投稿日: 2015.09.08
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
フランスのノーベル文学賞受賞者アンドレ・ジッドによる小説である。 題名の「狭き門」は、新約聖書のマタイ福音書第7章第13節にあらわれる、 狭き門より入れ、滅にいたる門は大きく、その路は廣く、之より入る者おほし。 というイエス・キリストの言葉に由来する。すなわち困難であっても多数派に迎合せず、救いにいたる生き方の喩えである。 物語の語り手であり主人公でもあるジェロームは、2歳年上の従姉であるアリサに恋心を抱く。アリサもまたジェロームを愛しているが、周囲の人々も両者が結ばれることに好意的であるにもかかわらず、結婚をためらう。神の国に憧れを持つ彼女は、最終的に地上での幸福を放棄し、ジェロームとの結婚をあきらめ、ついには命を落とす。 この作品において、アリサの自己犠牲の精神は美しく描かれている。しかしジッドはこの作品を通して、アリサのような自己犠牲に対する批判を行った。
1投稿日: 2015.05.11
powered by ブクログ神への愛と人への愛、果たして人は二つの愛を持って天国の狭き門をくぐることはできるのか? 敬虔過ぎる二つの信仰心が織りなす恋の物語、ガラスのような繊細さが素敵です。 キリスト教信仰は馴染みの薄い文化でしたが、大人の入り口で戸惑う女の子の生真面目な純潔と恋への憧れに置き換えて読んでましたvv
0投稿日: 2015.02.26
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
純粋な少年と破滅欲求のある少女の恋愛小説 という印象の作品です。 幸福になることを病的なまでに恐れている少女が魅力的でした。 著者ジッドの自伝的作品でもあるとのことです。
0投稿日: 2015.02.15
powered by ブクログ愛し合う男女の哀しい物語。アリサは手を伸ばせば掴める幸福を天上の愛の為に退けようと苦悩する。その姿に幸福とは何かについて考えざるを得ない。また、それは愛するジェロームへ完全な歓喜を伝えるためでもあったのだろう。切なくも美しい結末であると感じた。
0投稿日: 2015.02.12
powered by ブクログ私の事を分かって、ていうか言わなくても分かってほしいの、っていう女と、言わなくちゃ分からんよ、てか言っても分からんわー、という男の、ありがちと言えばありがちな話なんだけども。宗教というか、神様とか出てくると、突然崇高な感じになってしまう訳で。でも男の方は今も昔も大して変わらんわー、と思う訳で。
0投稿日: 2015.02.09
powered by ブクログ2015.1.21 崇高な宗教観から理解を超える箇所が何度もあったが、尊い愛の話。アリサの日記を読みつつ、互いの互いを思う気持ちとそのすれ違いに涙しそうになった。愛とは何か、幸福とは何か、現代のしかも日本に生きる特定の宗教を持たない僕が読んでも考えさせられた。
0投稿日: 2015.01.21
powered by ブクログジッドの生育歴や人柄とよく重ねられて作品が語られるが、ちっともそんなものとは関係なく、彼一人が考え、向き合ったものが言葉として語りだされている。 作品の発表にとても年月を要するのも十分納得できる。真実を書くということは、生半可な覚悟ではできない。言葉では真理を捉えきることができないから。 これほど、キリストの言葉をその教義を超えてそのまま受け取れているひとのように感じる。彼は決してキリストの教えを捨てていない。真理は捨てることなどできない。 愛とは、すべての人を自分と同じように愛せなければ、それはほんとうの愛ではない。相手を堕落させるものなら、それは愛ではない。そこへの門は誰に対しても開かれているが、全てのひとが入れるわけではない。まさしく狭き門。 アリサは善く生きるために、大切な人を徳へと導くために、自ら行動で示し、そして役目を終えて消えていった。彼女がそう決めて、つらくとも実践に移したその時から、彼女の愛はすでにそこに実現している。魂は彼の心の中で生き続けている。善き精神に導けるのは、ひとへに善き精神の働きの他の何ものでもない。 一時の肉体の愛に溺れてしまえば楽になれる。それでも最後までほんとうの愛の追求し続けた力強さを、彼女に与えたジッドの、深い愛とやさしさを感じる。
0投稿日: 2014.08.01
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
【前編2 堕落論】 ノーベル賞作家、フランスのアンドレ・ジッドの代表作。タイトルの『狭き門』とは、福音書に記されているイエスの言葉、「狭き門より入れ。滅びに至る大きくその道は広く、これより入る者多し」(マタイ7:13)から取ったもの。とは言ってもジッドは言わずと知れたアンチキリスト。この本もしかり、というわけです。 原理講義の資料としては堕落論に分類しましたが、そんな単純でいいのかよくわかりません。信仰により滅んでいくヒロインの真実を描いたものであるので、信仰の反人間性をえぐり出す作品です。単純に「罪」に属した話として分類するのは安直だと思いますが、カテゴリー的に分けづらいので一応堕落論としておきます。 いつの時代の話か忘れてしまいましたが、そう昔の設定ではなかったと思います。フランスの片田舎に相思相愛の男女がいました。主人公はそのうちの男性です。愛する女性は結婚を意識するような仲でありましたが、敬虔なクリスチャンでした。あるときにこの女性が悩みに陥ります。心ではイエス様に献身を誓いたい思いがありながらも、体は愛する男性との交わりを求めてしまう。とは言っても現代小説のようにドロドロではないですよ。もっとプラトニックです。キリスト教においては姦淫は原則的には罪ですから、できるならば結婚せずに修道者になることが神の願うところなんです。ヒロインはその狭間で揺れているわけです。その葛藤があまりにも大きくなってしまい、主人公とも会えなくなってしまう。手紙でやり取りする中に、ヒロインの苦しみが綴られます。そして食も断ち、祈りに生活を費やすのですが、結局答えがでないまま、体は衰弱し、男性に愛を打ち明けながら死んでしまうのです。 信仰とはなんであるか。地上での男としての、女としての喜びとはなんであるのか。そのジレンマを直撃するような作品です。我々は家庭に天国があるという教えですから、外的な意味では素通りしてしまいそうな内容ですが、もっと厳密に自分の心を見つめていくと、同じようなことが個人として心の刺になっていることを感じます。パウロをはじめとする、歴史上の修道士は皆、この心身の一体に生涯挑み戦っていきました。神学生としては無視できないですよ、このへんは。 <堕落論にまつわる小説> トルストイ 『クロイツェル・ソナタ』 モーリヤック 『テレーズ・デスケルゥ』 ゲーテ 『若きウェルテルの悩み』 夏目漱石 『こころ』 ジッド 『狭き門』
0投稿日: 2013.12.21
powered by ブクログジッドが1909年に発表した作品。本書の題名"狭き門"は、新約聖書のマタイ福音書第7章第13節"狭き門より入れ、滅にいたる門は大きく~"というキリストの言葉に由来してます。キリスト教の背景がないので、完全には読み解けない部分がありますが、ジェロームとアリサの純粋な愛情を感じることは出来ます。それぞれの心情が手紙や日記などを引用する形で綴られ、無駄な描写が少ないと感じました。必要以上に相手のことを考えてしまい、どうにもならなくなった2人に救いの道はなかったのかな。本来、そのための信仰だと思わなくもない。
0投稿日: 2013.12.19
powered by ブクログ《それなのに今、あなたなしに見ているわたしは、何から何まであなたから盗んで見てでもいるかのよう。》 愛ゆえに完璧であることをのぞみ、 愛ゆえにそれを達し得ないとは。 神への道はそれほどまでに狭いのか。 アリサもジェロームも狂うほどに繊細で、厳格だった。 アリサとジェロームの宗教観のズレが招いた悲劇かな。 簡単に手に入ってしまう幸福や成長の無い安定した生活に対する嫌悪感 はとても理解できるし、ジェロームが神に近づくことがジェロームにとっての徳行であり、それこそがアリサの幸福である、という考え方はとても美しいと思うけれど、、、 やっぱりアリサの宗教観は不幸だと思う。
1投稿日: 2013.12.13
powered by ブクログつらい、つらい、つらい。 どうしても異なる宗教への理解が不足しているので、アリサがなぜそのような行動をとるのか、本質では理解が出来ない。 もちろんそれを間違っていると非難することはないのだけれど、なんの飾り気もない感想としては、いやだ!というしかない。愛する人には、隣にいてほしいじゃないか。隣で微笑んでくれるだけでも幸せになるじゃないか。 愚直なまでにひとりの男を愛し抜いた、これもひとつの愛のかたちなんよねぇ。
0投稿日: 2013.11.13
powered by ブクログ私は無宗教なのでヒロインのアリサの気持ちは理解できないのだけれど、宗教の違いだけで片付けられるような単純な物語(作者の意に倣い物語とする)ではなかった。想いあってるのに結ばれない。今の時代じゃ有り得ない手紙でのやり取りに胸が痛かった。タイトルの意味がわかると凄くハッとした。一度ではこの物語の深さを理解できないと思うので数年後にもう一度読みたい。次はアリサがジッドの妻の投影であることを踏まえて。2011/594
0投稿日: 2013.10.31
powered by ブクログ現代にあてはめるならば、遠距離恋愛ってことでいいのかな…?手紙で語り合ってるときの方が互いに対する愛情が高まったり、実際に会うとちょっとぎこちなくなったり。 ただ、アリサに感情移入はできなかったなあ。好きならば好きな人と結ばれるべきだ、と思ってしまったり…。アリサがなぜそこまで自分の幸せを追い求められないのかな、と思ってしまった。 ジッドが思うキリスト教の精神とはそういう物だったのかな、それとも、自らが愛した従姉妹がそのように見えたのかな?
0投稿日: 2013.09.25
powered by ブクログ信仰と愛と三角関係、ということで 連想した本は、 福永武彦「草の花」(というか全般)と グレアム・グリーン「情事の終り」 というかテーマが似た上の作品を先に読んでしまっていたせいで(情事〜についてはうろ覚えですが)今回は印象がうすかったような。 (あと文通していたら突然死んじゃうあたりで武者小路実篤「愛と死」も思い出しました。これは関係ない。) アリサの「存在」…とか…については考える余裕がなかったので、次よむときにはもうちょっと広く考えていけたらまた違うかな。
0投稿日: 2013.07.21
powered by ブクログ10代の頃なら、もっと感銘を受けていたと思うけど、同時に読んでなくって良かった。恋人へ偶像崇拝と天上へ愛に葛藤する話。
0投稿日: 2013.05.25
powered by ブクログ純愛とはその言葉に反して決して純粋なものではない。それは純粋さという虎の威を借りたエゴイズムの裏返しであり、道徳心の裏でほくそ笑む権威への服従だ。だからこそ純愛は人間らしいのであって、それは決して否定できるものではない。ジェロームからのひたむきな求愛を受けるアリサはそれを決して承諾せず、自己犠牲的な姿勢を変えようとしない。その理由を母親の不倫やキリスト教的価値観に求めるのは簡単だが、幸福に対する恐怖心、それこそが本当にアリサを縛り付けていたものなのだろう。そしてその恐怖心には、とても共感できてしまうのだ。
0投稿日: 2013.03.31
powered by ブクログ再読。本の中に自分の好きなくだりがあり、それを恋人に知らせたいと思ったとき、そこに恋人の頭文字を書いて渡すというエピソードは10代の私によく響いたのを記憶している。福永武彦は『愛の試み』のなかでアリサについて「エゴの虚栄心を文学的に表現したものであり、それは文学的であるために美的な印象を与えるが、現実に於ては決して愛のもっとも美しい一面と言うことは出来ない」と言っている。アリサの死は「神への愛」に仮託した単なるエゴだったのかもしれない。「神への愛」が別のものに置き換えられるのだとしたら、アリサは私だ。 因みに、シェイクスピアの『十二夜』からの引用があるが、オーシーノとヴァイオラは最後に結ばれていたのがこの主人公たちとは対比的でアイロニックである。
0投稿日: 2012.12.13
powered by ブクログ「力を尽くして狭き門より入れ。滅びに至る門は大きく、...」聖書の言葉らしい。 「主よ、ジェロームと私と二人で、互いに助け合いながら、二人ともあなた様の方へ近づいて行くことができますように。... ところがだめなのです。あなたが示したもうその道は、二人並んでは通れないほど狭いのです」 宗教って、たぶん苦しくって苦しくってしょうがない現世を、せめて幸福な死後の世界を夢見ることでやり過ごすために人間の頭が作り出したもの。 「狭き門より」を真に受けたアリサは、ジェロームが(狭き門を)通れるよう愛する彼を泣く泣く遠ざける。 でも最後、これで良かったのかしら??神様、私の信仰が揺らぐ前にお召しになってください、ともう十分揺らいでる。 余談。遠距離恋愛の失敗話としては面白かった 笑
0投稿日: 2012.12.09
powered by ブクログラストが何とも言えないモヤっとした感じで終わるのは、さすがにフランスの作家という感じ。読んでいて、舞台も登場人物もプロットも全く違うのに、何故かヘルマン・ヘッセの『車輪の下』と似たような空気を感じたんですが、あとがきで『狭き門』が著者の半自伝的な作品となっている、という解説を読んで納得。『車輪の下』もヘッセの自伝みたいなものなので、作品の底に流れる「妙なリアル感」が共通しているんだと思います。 以下、ちょこっとネタバレ。 とか言いつつ、実はこの文庫の裏表紙に作品の肝とも言えるネタがバラされてるので、ここで自分がどんな書評を書いたところで、これ以上のネタバレはないんですが。 相手からの愛情を勝ち取り、結婚するという幸福を求めるために一途に想いを抱き、その愛を伝え続ける主人公のジェローム。序盤に書かれているとおり、彼は幸福を得ることそのもの以上に、幸福に到達するための不断の努力が必要と考え、ヒロインであるアリサに振り向いてもらうための努力を続けます。 一方のアリサは、後半で明かされる通り、自分が幸福になることよりも、清らかさを保ち続けて神の前に跪き、その懐に抱かれることを最上の喜びだと考えるようになっていきます。 そうした、「幸福とは何か」という問いかけに対する根本的な考え方の違い、信仰の違いから、恐らく同程度に敬虔なクリスチャン同士でありながら、ジェロームとアリサはすれ違っていきます。 それでも、読了してみて思ったのは、「これが最良の幕だったのではないか」ということ。お互いが思う幸福を追い続けた上での結末ならば、一つの物語としては「綺麗な」終わりかたなのではないか、と思います。 でも、自分が同じ立場で、伸ばした手が届かないままになってしまうなら、きっと耐えられないなー。そこは、この作品が書かれた頃のフランスに流れていた思想や信仰があったからこそ、耐えられるものだったのかもしれません。
0投稿日: 2012.11.05
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
2012年10月28日のレビュー ここに書くべきではないかもしれないけど、 (オカルティックな)共時性という観点からすると、意識を「愛するジェロームに」ではなく至高なる「神に」繋げることが正しいと思ったアリサは正しい。 しかし神に繋げることが正しいと確信しつつ、それでもなおジェロームから心を離せないアリサは正しくない。 正しくないから死に、 さらにまたアリサとしての人生をやり直さなくてはならなかった。 と、考えると、 『本当は怖い、アンドレ・ジッドの狭き門』というTV特番が組めそう(^_^); 2012年10月15日のレビュー 「これこそが愛だ。」と、思った。 読書感想文を書いて表彰された。 愛、というもののバイブルだと思った。 結婚し、でも愛に迷い、再読して著者の略歴も読んでみて、「なぜ中高生時代に自分がこの本を耽溺したのか」の理由がよくわかった。 美しすぎる嘘、いや…美や理想を追求しつくすと嘘にしかならないという、現実。 アンドレ・ジッドの呪縛から逃れて私はいま幸せだ。
0投稿日: 2012.10.15
powered by ブクログ別に珍しくはないが、翻訳の言葉にいちいち引っかかって読みづらいことこの上ない。 自分の日本語が狂っているのかと疑ってしまうくらいのおかしな表現満載。 面白いことは面白いからフランス語勉強する決意ができた。
0投稿日: 2012.09.24
powered by ブクログ自分が読んだのはどこの出版か忘れてしまったので申し訳ない。 私が読んだのは宗教色神様云々というよりも、アリサが愛を崇高なものとしているように取れた。北斗の拳のトキともまた違った愛し方だが、ジェロームも真剣なのに報われなさすぎて胸がいたい。愛の純度が高すぎて、触れる、汚すことができない。アリサはダイアモンドのようだ あと、(私が読んだ奴は)巻末の解説がなきゃちょっと分かりにくいかもしれない。 しかし共感できる所があるので☆4。
1投稿日: 2012.09.09
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
力を尽くして狭き門より入れ。 私が将来に求めるものは、幸福というよりもむしろ幸福に達するための無限の努力であった。 と主人公は語っている。幸福と徳は同一なものかどうか。これが本書の最大のテーマであろう。 愛に良いも悪いもない。愛は愛であり、許されぬ愛なんてものは相対的な評価に過ぎないし、そもそも誰かを愛するという行為は絶対的なものなのだろう。 死は近づけることだと思うの。 とアリサは語る。地上の愛より天上の愛。 「誓いを立てるなんて、僕には愛に対する冒涜のように思われる。」 孤独なときこそ、課せられる辛い試練に朗らかな気持ちで取り組める。自らに対する試練として真摯に受け入れるきもち。 「ほんとの信仰ってものは、あんなに涙を流したり、声を震わせたりするものではありませんわ。」 「その震え、その涙こそ、彼の声を美しくしているものではないか。」 ここではアリサの信仰に対する考え方、極めて厳格な基準が垣間見えると同時に、ジェロームの文学的な側面がうかがえる。 不幸は過去の幸福の喪失である。幸福であり続けるためには幸福を手にしないことなのか。 「恋だって同じよ。みんな過ぎ去って行くものよ。」 「僕の恋は僕のある限り続くんだ。」 悲しみとは込み入ったものである。かつて私は幸福を分析しようとしたことがない。 首輪のついた犬がいる。飼い主と同じ方向にあるくぶんには問題ない。しかしことなる道を反発して選ぶとき、人は初めて苦痛を感じる。
0投稿日: 2012.07.08
powered by ブクログキリスト教色が強すぎて、読みにくい。またよりリベラルになった現代においては時代錯誤も感じた。 どうしてもキリスト教というのは神を至上最高で唯一のものにする印象が強く、窮屈さを否めない。 狂信めいてさえ思える。
0投稿日: 2012.07.01
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
新境地でした。周りに祝福されてて両思いなのに結ばれない恋愛小説があるなんて・・・。 アリサの日記を読んでるあたりで泣いてしまいました。 ジッドは宗教的犠牲を否定したらしいですが、私にとっては宗教心の美しさを教えてくれた大切な作品です。
2投稿日: 2012.06.13
powered by ブクログ自分にはクリティカルな内容だった。アリサやジュリエットの気持ちがジェロームにとって常に裏手裏手に回り続けるのが何とも言えない。しかし、「私はわかっていなかった」というようなトーンで書かれる裏の本当の気持ちとやらが果たして的を射たものかも分からない。 その点に関して、ともかく洞察と想像を刺激する作品。僕自身の十字架を踏まえて、読み返していくべき作品なのだろうなと思う。 恋愛というものがいかに(ジェロームにおいて)エゴにそれていくか、いや果たしてそれをエゴと名指すのは正しいのか。果たしてキリスト教、神への信仰へ逃れたと考えていいのか。キリスト教という要素は必然ではなく、もっと普遍化可能であろう。この作品におけるキリスト教を他の要素に置換できるというだけのことではなく、この作品においてもキリスト教が本筋でないのではないかという疑問提起。ようわからぬ。
1投稿日: 2012.06.04
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
わけわかんないよ、アリサ、、、 ジェロームはどうすればよかったのさ!? 世俗に染まってしまったおいらには理解不能 おいらのイメージするフランス的なものど真ん中 文学少女シリーズより
0投稿日: 2012.05.29
powered by ブクログフランスのノーベル文学賞受賞者であるジッドが手がけた名著。 ジェロームとアリサの交わることない純粋な想いが描かれている。 純粋すぎて読んでて毒のような気もした(笑) 正直どう感想を述べていいのかよくわからない作品。
0投稿日: 2012.03.19
powered by ブクログ高校時代に初めて読んで以来、何度か読んでいます。自分という存在を受け入れる方法に悩んでいた十代の頃が、いちばんアリサに共感できました。愛とは、自分や他人の弱さを受け入れることから始まるのだということを考えさせられた一冊です。
0投稿日: 2011.12.26
powered by ブクログキリスト教文学の最高傑作 と同時に史上最強の恋愛小説でもある。なんせ神と人とを天秤にかけているのだから。 理想を突き詰めると現実は破綻する。「勝りたるもの」はもはや意義を失う。 現世で幸福を求めずに果たして来世で幸せになれるだろうか? 力を尽くして狭き門より入れ 滅びに至る門は広く大きいが狭き門の先が必ずしも幸福であるとは限らない
0投稿日: 2011.12.11
powered by ブクログ神の救いか地上の幸福か。人はなぜ天上を信じ、天使を信仰するのか。祈りは虚無に捧げられても、それでも、それでも、愛を、捨てない人間は、論理的で倫理的か。体を捨ててしまえば魂でつながることができると、花魁たちは入水する・・・日本でも同様な心持ちだったのかもしれない。永遠なれ心中。
0投稿日: 2011.10.30
powered by ブクログ宗教って大切だけど、その教義に縛られすぎるのも考えものだよね!という話(大ざっぱ)。恋人同士の微笑ましい雰囲気が、叙々に重苦しくなっていく。ラストはどうしてそうなった。 【志學館大学】ニックネーム:ねこ
0投稿日: 2011.10.19
powered by ブクログ◆10代の内に「出会って」ほしい作品◆ 中学生の時はジェロームに同情しアリサを恨んだのに、高校生になるとジェロームが許せなくなっていた。 それが22で再びこの本を開いた時から私はジュリエットのことばかり想うようになった。そして40代…。 内容はテーマと一致しないが、10代の内に「出会って」ほしい作品のひとつとして紹介してみた。再会の度に自分が変わっていることを知った私には大切な本である。新生活がスタートするからといってすべて新しいものを選ぶ必要はない。昔の本を読み返すことは面白い実験かもしれない。 この紹介はそんな気持ちもこめている
0投稿日: 2011.10.07
powered by ブクログ何が幸福の条件を壊すのかで独自の視点を示します。男女の純愛物語、と言いたいところですが、ヒロインの「正しさ」に対する過剰なプラトニズムが現実の人間同士の愛の否認にまで至るというプラトニズム批判の傑作です。
1投稿日: 2011.09.30
powered by ブクログ青山繁晴氏が大切にしている本のひとつということを知り、今更の年齢で読んでみる。ジェロームでもアリサでもないもう1人の主人公に心を寄せると味わいを増す。
2投稿日: 2011.09.08
powered by ブクログ高校時代、授業がつまらない時に夢中で読んでいた記憶がある。 ジェローム、アリサ、ジュリエット。この三人は天上と地上の愛の狭間で体を引き千切られてゆく。 ジッドはアリサの”狭き門を通るような”自己犠牲の精神を美しく描いているけど、彼はそれを批判しているとか。 個人的には物語の構成が優れている点を強調したい。 あと、ネットで調べると『狭き門』と『源氏物語』の類似点が紹介されていました。面白い指摘でした。
0投稿日: 2011.08.29
powered by ブクログとある事情により、読みました。 思ったよりも、読みやすい本でした。 アリサの生き方は幸福であると感じる人もいれば、不幸であると感じる人もいるのでしょう。 でも、基本的にひとりよがりなんだと思う。
0投稿日: 2011.08.25
powered by ブクログ宗教的な「理想」に生きることのなんと過酷なことか。純粋で生真面目なアリサとジェロームの悲恋は落涙必至。感動そのままに著者紹介のページをめくると、ジッドの変態地味た経歴が記されていて...。しかし、感動はプライスレス!!
0投稿日: 2011.07.18
powered by ブクログ分からない。キリスト教思想が理解できないから分からないのか。クリスチャンなら、アリサの思考は分かるのか。本当に分からない。なぜアリサは狭き門を選ぶのか。分からないのは、私の人生経験の不足が原因なのか…… 分からないのはともあれ、最後のアリサの手紙は結構こみ上げるものがあります。時々理解できませんが。でも本当に愛することってなんだろう、とか深く深く考えてみたくはなります。愛って、そんなに簡単に至高に達していいのかな、なんてね。 ちなみに、受け売りですが、作者のジッドやその奥さんとの関係(White weddingね)とか、ジッドの他の交友関係、それに自身が同性愛者であったことなんかも含めて自伝的文章のように考察すると、また変わった(深い?)解釈が得られるそうですよ。
0投稿日: 2011.07.16
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
いままでほとんど海外の文学作品は読んだことがなかったのですが、 某ライトノベルでこの作品を下敷きに書かれている話があったので読んでみました。 やっぱり訳文は読みにくいですね。 あとたまに人物関係がわかんなくなってしまい、読むのにかなりの時間がかかりました。 (ま、それでもエミールに比べれば全然マシですが…) 題名の「狭き門」は、新約聖書のマタイ福音書第7章第13節にあらわれる、 「狭き門より入れ、滅にいたる門は大きく、その路は廣く、之より入る者おほし。」 というイエス・キリストの言葉に由来するそうです。 門は狭いので一人しか通れないからジェローム一人を通させようとする自己犠牲… なんか日本人は結構好きそうな気がします。 ところで、サン・テグジュペリは 「愛するということは、お互いに顔を見あうことではなくて、いっしょに同じ方向を見ることだ」 と述べていますが、アリサの愛では同じ方向も見ることができなかったんですね。 それにしても終盤のアリサの日記は凄まじかったです。 てか、死ぬときにこれ残すなよ。 これ残したらジェロームは永遠にアリサから離れられるわけないやん。 ま、それがジッドの皮肉なんでしょう。 でも、読んでよかったと思います。
0投稿日: 2011.07.10
powered by ブクログジッドは『田園交響曲』以来だったけど、あの牧師に対するのと同じ種類の苛立ちを、アリサに覚える。 自分が良かれと思っていることで、却って相手を傷つけているという。 それを悲劇ととれるかどうかで好き嫌いがわかれると思う。 私には、現実に生きて、かなわぬ恋にも前をむいて決別し、地に足をつけたジュリエットの生きかたのほうがずっと好ましい。 ただ、ジェロームが最後にジュリエットに語ったアリサへの愛は、確かに美しくて、切なかった。
2投稿日: 2011.06.30
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
『かえって,あなたがそばに来てくださるやいなや,たちまち感じられる胸騒ぎや気づまりなどから,どれほどあなたを深く愛しているかを,今度ほどはっきり感じさせられたことはありませんでした。でも,それは同時に,絶望的な気持ちで,というのは,ほんとうを言えば,遠くからあなたをお思いしていたときのほうが,もっともっと好きになれたのですもの。』 アリサの手紙の一節から彼女がジュロームを愛しており,愛するという行為に喜びを感じているのはわかるが,それだけなのである。 愛しているからそばにいられるように結婚をするのではなく,むしろアリサは結婚をすることで愛情が冷めることを恐れているようにみえる。つまり彼女にとって信仰心とはあと付けに過ぎないのではないだろうか。 本心は,ジュロームがアリサを完璧な女性だと思いこみ,アリサはそうあろうと努力することで成り立ってきた愛が,互いが接近することでその真実が露呈するのを恐れたために,神への信仰を理由にしてのがれたのではないか。アリサの目的はそもそも天上の愛ではなかった,というふうに解釈した。(おそらくかなりひねくれた解釈をしているだろうという自覚はある・・・) しかし,信仰心が全くないといっていい私のような人間にとっては,宗教にかかわる恋愛観を理解するのはあまりにも難しい。 ぜひプロテスタントについて勉強してからもう一度読み直したい。
0投稿日: 2011.05.15
powered by ブクログ人はなぜ、生き方を考えてしまうのか。 自然に生きていくというのはどういうことなのか。 そんなに考えなくても良いのかもしれない。 妥協を許さず追求した方が良いのかもしれない。 孤独は人を強くし、不幸にする。 苦しくても、悲しくても、己の信念のために狭き門をくぐる意味はどこにあるのでしょうか。 わからない。 でもわかりたい。
0投稿日: 2011.05.11
powered by ブクログ物語の語り手であり主人公でもあるジェロームは、2歳年上の従姉であるアリサに恋心を抱く。アリサもまたジェロームを愛しているが、周囲の人々も両者が結ばれることに好意的であるにもかかわらず、結婚をためらう。神の国に憧れを持つ彼女は、最終的に地上での幸福を放棄し、ジェロームとの結婚をあきらめ、ついには命を落とす。 この作品において、アリサの自己犠牲の精神は美しく描かれている。しかしジッドはこの作品を通して、アリサのような自己犠牲に対する批判を行った。
0投稿日: 2011.05.10
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
幼きころから惹かれあうジェロームとアリサ。 しかしアリサは妹がジェロームに思いを寄せていることに気づき婚約の申し出を断る。妹はそんな二人を思い、別の縁談を早々と実らせてしまう。 しかしそのことを割り切れないアリサ。 またジェロームを通してしか世界を見ていないことと、人として高みを目指すべきという信仰から二人で歩むことが互いの妨げになると危惧する。 すれ違いだした思いが結局ずれたまま悲劇を迎えていく。 アリサのためだけに高みを目指したジェロームのやりきれなさや、愛しながらも相手を思うがゆえのアリサの懊悩、ずれた歯車が二度とかみ合わないもどかしさ。 傑作でした。
0投稿日: 2011.02.05
powered by ブクログ「《力を尽して狭き門より入れ。滅びにいたる門は大きく、その路は広く、之より入る者おおし。生命にいたる門は狭く、その路は細く、之を見いだすものすくなし》」 先生オススメ、恋愛小説と言えば、この1冊、、だそう。 むむむ、、高尚かと思いきや、なんだか笑ってしまうぐらい陳腐なやりとりも合ったりして、不思議だ。 でもこういうの、嫌いじゃない。 恋ってなんなのかなぁ、などと思うアラサー女子なのでありました。 ちょっとこれは、また時を置いて読み返さねばならないなぁ。。。 【8/17読了・初読・個人蔵書】
1投稿日: 2010.10.10
powered by ブクログ相手を愛するがあまり、聖人のように思えて、また、自分も聖人であろうともがき苦しむ2人の話です。 とにかく、とにかく、切なくて、最後は苦しいほどです。 気持ちは分からなくはないけれど、傍から見ていると、もどかしい。 でも、その切なさがとても好きです。 著者のジッド自身が、妻との間に同じような関係があったことを思うと、それもまた興味深いと思って読んでいます。
0投稿日: 2010.08.24
powered by ブクログ……私はアンドレ・ジードで覚えてたんですけど最近読み方変わったんでしょうか? 恋愛モノで宗教色濃いとくれば、私は全く興味なし!とか思ってたんですけど……なんか、意外におもしろかったんですよ…ほんとはもっと若ーいときに読んで純愛っぷりに感動すべきなんだろうけどなあ(笑)。 とにかく文章が美しいのです。 アリサにもジェロームにも全く共感を覚えませんけども(歳のせいかも)(でも昔読んでてもイライラしたかも・笑)、こんなキレイな文章読めたんならもういいや~とか思いました。 精神のあり方なんかはつい考えさせられました。 求道的って言うのかな。アリサは環境のせいとはいえちょっと極端すぎるんですけど、そこまで追い求めるものっていうのがない私はやっぱり浅はかな人間なんだろうなとも思います。 でもやっぱり宗教は分からん。 私の母はややクリスチャン気味なのですが、それで小さいときは日曜学校とかも行ったりしたこともあるんで、私も宗教の中ではキリスト教(プロテスタント)が一番身近ではあるのです。 とはいえ「主」と言われてもピンとこないですし…結局宗教ていうのがよく分からないんですよね。 で、さっきも言いましたがうちの母は似非クリスチャン(…)です。似非ではありますが、私よりは遙かに宗教に対して親しみがあるのでたまに色々議論するのですが、何度話してもやっぱりサッパリ分からん。 私にとっては宗教は「一定数の人間が共有する道徳心」ぐらいにしか思えないんですよね。 宗教が生きる指針だって言うならそれは道徳心やろう、と言うんですが、母に言わせると違うらしいのです。 その辺がよく分からん。 まあ、道徳に人生も魂も捧げようという人はいないけど宗教にそうしようとする人がたくさんいるっていうのを考えると違うかな、とは私も思うのですが、その違いは「神」の有無って言う気もするし…
0投稿日: 2010.04.25
powered by ブクログ作品に対する率直な感想として、この物語が雲間から無数に射しこむ光線の様な美文で瑞々しく描かれており、互いに惹かれ合っていながらも実らぬ愛を悲壮美として読み易いものとしている様に思う。それぞれの人物の境遇からくる心理描写も緻密で二人のやり取りも納得して読める。 互いの相手への愛が二人を神に近づけはした、しかしアリサもジェロームも神よりも互いを愛し、互いの為に徳を積もうとしている。そんな二人の信仰に疑問を感じたとき、アリサの中で愛と徳の関係に不調和が生まれ葛藤する。そこが狭き門がより狭くなり二人並んではもう通れないと思うに至ったポイントとなる。 アリサは自分の心を殺しジェロームを至上の想いで狭き門へ向かわせる、彼女の純粋な姿は信仰を前面にだしながらも自己犠牲精神にありがちな悦に浸った気配はなく、アリサは読み手の中で“聖らか”に人生を終える。 作者の腹案にはあるかどうか定かではないが、畢竟神なるものは何も救えないと認識する。
0投稿日: 2010.03.20
powered by ブクログ地上的な愛を拒み天上の愛を求めて生きるアリサと彼女を激しく恋い慕うジェローム。お互いがお互いのこと好きなんだけど、彼女を何の気なしに好きなジェロームと<徳>を求めて清く生きることを第一とするアリサは、何かが食い違ったまま、結局アリサの死によって永遠に別れることになります。 この本から得た教訓は「現実を愛する」ということでした。 ジェロームはアリサを理想化しすぎだし(アリサが直接そのようなことを言及したときすらも、理想化しすぎている事実を認めながらなお悪いとも思わず幻想にすがりつく様子には恐ろしさすら覚える)、 アリサはジェロームが自分を偶像化してるのに気づいてあえて離れようとしてるけど、結局はジェロームを愛したいというよりは「清さ」に執着してるだけじゃないかと思ったりして どっちもどっちだな、って感じです。 クリスチャンの恋愛観として「神の前において聖い」ということはあるかもしれないけど、 これは「きよさ」を履き違えた失敗例だなぁと思いました。 なんていうか、神の前において正しい男女関係ってきっと本当はもっと幸せなものでしょ?とか思ったりして。 でも、大いに陥りやすい失敗だろうなーとも思う。 相手の現実を、神様との関係において、愛せるようになりたいものだなーと思いました。
1投稿日: 2010.03.14
powered by ブクログ「狭き門」というのは、「困難で、しかし正しい道」というような意味なのだろう。余程の意思の力がなければ、自然と易きに流れていくことになり、狭い門をくぐるようなことは無いわけだから、これは、随分と険しく過酷な道だ。 それにしても、アリサの思考はあまりにも禁欲的すぎて、「何もそこまで思い詰めて考えなくても・・」と思ってしまう。しかも、自分一人が信仰に殉じるのであればまだしも、それと道づれにするようにして、もう一人の男の人生までもめちゃくちゃに振り回しているような印象だった。 アリサの考え方にも、結局それに自分を合わせていってしまうジェロームの考え方にも、ほとんど共感が出来ないというのは、宗教的なバックグラウンドの違いによる部分が大きいような気がする。その意味では、自分自身の信仰の種類と深さを測る、踏み絵のような役目を持った小説なのかもしれない。 「ぼくがこれからどんなものになろうとしても、それはみんなアリサのためなんだ」 「だってジェローム、わたしだってあなたから離れるかもしれないじゃないの」 わたしの言葉には、わたしの心そのものが込められていた。 「ぼくは、ぼくはどうしたって離れない」 彼女は、軽く肩をすくめてみせた。 「あなたはひとり歩きできるほど強くはないの?神さまを得ようと思ったら、誰でもひとりでなくてはいけないのよ」 「だって、ぼくにみちを教えてくれるのは君なんだ」 「なぜあなたはイエスさまのほかに案内者が必要なの?・・わたしたちがおたがいにいちばん近くにいるときは、それはおたがいがすっかり自分自身を忘れてしまって、ただ神さまにお祈りをしているときだけだとは思わない?」(p.33) そうだ、彼女の言ったことは正しかった!自分はもう<影>だけしか愛していなかったのだ。わたしのかつて愛していたアリサ、そしてなお愛しつづけていたアリサは、もういなくなってしまったのだ。そうだ、二人はすっかり年をとってしまったのだ。(p.167) もうその時はすぎてしまいましたの。恋をすることによって、二人が恋そのものよりもっとすぐれたものをながめることができるようになった日から、そうした<時>はわたしたちから離れていってしまいましたの。あなたのおかげでわたしの夢は高められ、人の世の満足などは、むしろそれをそこねかねないもののように思われだしてきましたの。(p.176) 主よ、ジェロームとわたくしと二人で、たがいに助けあいながら、二人ともあなたさまのほうへ近づいていくことができますように。人生の路にそって、ちょうど二人の巡礼のように、一人はおりおり他の一人に向かって、<くたびれたら、わたしにおもたれになってね>と言えば、他の一人は<君がそばにいるという実感があれば、それでぼくには十分なのだ>と答えながら。ところがだめなのです。主よ、あなたが示したもうその路は狭いのです−−二人ならんでは通れないほど狭いのです。(p.197)
0投稿日: 2009.12.03
powered by ブクログあまりに話が進まないので、ムクムクと苛立ちが芽生えつつある。 「フランス文学ならなんでも面白いだろう」という当初の勘に裏切られた。
0投稿日: 2009.09.26
powered by ブクログ1909年の小説。思い出すと胸がつまります。終わりもすごく美しくて、箱庭のような小説。キリスト教信仰がものすごく重要な要素なので宗教に関する知識や理解がないと厳しいかもしれませんが、これはとても素晴らしい作品だと思います。綺麗な夢を見せてもらいました。訳も読みやすくて良かったです。
0投稿日: 2009.09.18
powered by ブクログ思春期に読んだらトラウマものですね! かくいうニコも高校生ですけど、恋愛観が高尚過ぎててただただ圧巻するしかない。 アリサの自己犠牲(実際はそうとも言い難い)的な神経とそれを崇拝するジェロームの関係はもはや絵空事だなあ。
0投稿日: 2009.01.30
powered by ブクログ世間には色々な人がいて、そこには色々な愛の形があるということは、わかるのだけれど。 相手を想い、悩み、それを相手にちょこちょこと見せて、彼女の気持ちがとても不安定な感じがして読んでいてあまり気持ちがよいものではなかった。 狭き門を通らず、広き門を開けて生きていけばよかったのに。
0投稿日: 2008.09.03
powered by ブクログ最後のシーンに心をすべて持って行かれる感動を味わった。 信仰とは無縁に生きる私にとって、アリサの追求しようとした愛とは一体何であったのかわからない。 でも、決して彼女のすべては信仰によるものでなかったはずだ。 それは、わかる。 彼女が足踏みしたのは愛ではなく恋のはずだ。宗教における愛はアガペーであり、慈悲である。 では、恋とは一体何なのであろうか。 愛と恋を一括される事ほどもどかしいことはない。一括してしまうから迷うし、苦しむ。 恋とは欲望だ。宗教は愛は許しても欲望としての恋を許してくれないことがよくよくある。信仰とは行き違うのが恋。そして障害があると燃え上ってしまうのも恋。 2人の若々しいそれを美しく儚いと思ってしまうのは性なのだろう。 いつの時代も初恋というのは忘れられないものか。 少なくともどこかにそっと置いていかなければならない気がするんだよ、ジェローム。
0投稿日: 2008.08.01
powered by ブクログともすれば清純なキリスト教的風土を謳歌した作品としてのみ読み取られるかたむきがある。だが、これこそは、ジッド自身の、その生成発展の一時期における極めて痛烈な内心検討の実権の記録であり、代々プロテスタントの家に生まれたジッドが、キリスト教的先入感による《自己犠牲による徳の追求》をその極限の場合において考え、これに対して鋭い批判を試みたものであることを忘れてはならない。 ―あとがきより 信仰をするものならば誰でもぶつかる壁を命題に、それをよりドラマティックに書き上げている。構成、文章力は素晴らしい。ただこの『物語』のネックになっているアリサの信仰の姿勢に疑問を感じる。自分の人間性の失陥のやり場を神に向けている、自分の性格的矛盾の埋め合わせを『神』に押し付けている不自然さを感じる。そして神と自分の関係を、実感の世界から遠く離れたバーチャルの世界に追いやっている。生活の中での行動の伴わない信仰であればアリサのようにならざるを得ない。キリストの表した愛はそう言うものではないのではないか、と感じてしまう。 徳と愛とが溶け合っているような魂があったとしたら、それはどんなに幸福なことだろう!折々わたしには、愛するということ、できるかぎり愛し、ますます愛するということのほかにして、はたして徳というものがありうるだろうか疑わしくなってくる・・・・・・わたしにはときどき、悲しいかな、徳とはただ愛に対する抵抗だというようにさえ思われてくる!あろうことか!あるがままの心の傾きを、あえて《徳》とよぼうというのだろうか!ああ、心をさそう詭弁よ!見た目のいい誘惑よ!幸福の陰険なまぼろしよ! ―本分より ここで言う《徳》は偶像以外の何ものでもない。アリサの素直な気持ちが《徳》だ!と言うのはかなり近いと思う。 08/6/24
0投稿日: 2008.06.24
powered by ブクログ「力を尽して狭き門より入れ。滅びにいたる門は大きく、その路は広く、之より入る者多し。いのちにいたる門は狭く、その路は細く、之を見いだすものすくなし。」 これはただの恋愛小説じゃないよ。 「アリサといえば、福音書が教えてくれた高価な真珠のようなものだった。わたしはそれを獲んがために、自分の持つあらゆるものを売り払う男だった。」
0投稿日: 2008.01.30
powered by ブクログ共感は出来なかった。 キリスト教についてある程度の理解がある人でないと この本の内容を理解するのは難しいのかもしれないと思った。
0投稿日: 2008.01.03
powered by ブクログ二人の「狭き門」が根本的に違ったことから起きた悲恋の物語。 宗教感情が薄い日本人には理解を超えている。
0投稿日: 2007.11.21
powered by ブクログプラトニックでストイック。 純愛さは伝わったが、宗教とか信仰などは自分の文化に無いので、共感できない。 力を尽くして狭き門より入れなかった。
0投稿日: 2007.11.19
powered by ブクログ力を尽くして狭き門より入れ。 滅びにいたる門は大きく、その路は広く、之より入る者おおし。 生命にいたる門は狭く、その路は細く、之を見いだす者少なし。
0投稿日: 2007.07.01
powered by ブクログ初めて読んだ中学生の時、これが恋愛なのかとおののき、感動したなあ。 再読したら自分の穢れを確認。でも本はいいのよ。
0投稿日: 2007.06.27
powered by ブクログ地上の恋を捨て天上の愛に生きるアリサ。死後、残された日記には、従弟ジェロームへの想いと神の道への苦悩が記されていた……。
0投稿日: 2007.05.24
powered by ブクログアリサとジェロームの純粋すぎる、純粋でなければ起こり得なっかたであろう恋物語にページを繰らずにはいられません。読後、自分の心はどうあるべきか、どう生きるべきか、何を見つめるか…僕はキリスト教徒ではないですが、考えさせる本です。 「力を尽くして狭き門より入れ。滅びにいたる門は大きく、その路は広く、之より入る者おおし。生命にいたる門は狭く、その路は細く、之を見いだす者すくなし」 全力で滅びにいたる門に向かって、突っ走っている自分には耳の痛い言葉です。アリサよりジュリエットのほうがタイプだなとか思っている時点で滅びの門行きです。多分、僕はアリサとジェロームから軽蔑されるタイプです。
0投稿日: 2007.01.17
powered by ブクログ二人の男女を中心に書かれた、恋愛のお話。 と、同時に宗教に対する信仰心への批判的な考えや表現も見受けられる。 現代に生きる私にとっては、彼らの思いは頭で理解することしかできない。 私見ではあるが、この物語におけるヒロインの女性は愛する男性へ向けて極限的な自己犠牲を持って幸せを与えようとしている(男性が神に愛され神の元へゆく)ように見えるが それは結果として男性を苦しめる結果に陥ってしまうことになる。 最終的に苦しみを味わい続けた女性は死ぬその刹那、男性が自らの犠牲により「幸せ」になれると思って幸福の内に死ぬが 男性は一人残され成就し切れなかった愛を抱えたまま、悲しみを背負って生きる いわば「不幸」ともいえる状態になってしまった。 と私はこの作品をよんで感じた。
0投稿日: 2006.12.05
powered by ブクログキリスト教信者の感覚というか、神を信じる人間の感覚が分からないので、ただただ重苦しかった。“あまりにも狭い門なので、二人で通ることすらできない”という表現の仕方が胸を打った。 この本を書き上げるとき、著者ジッドももがき苦しんでいたのではなかろうか?そう思わせるようなお話でした。
0投稿日: 2006.11.26
powered by ブクログ小学生の最期に出会ったアンドレジッドの本。アリサという女性の悩み。二人では一緒に通れぬ狭き道。、狭き門から入れと、なんだか懐かしい本
0投稿日: 2006.06.12
powered by ブクログジッドの『レシ』の中でも最高傑作だと思います。レシは基本的に清潔な本だと思うのですが、とりわけ清潔で神への信仰がこれでもかというぐらい禁欲的に描かれています。あまりに抑制されてて、お腹痛くなる人もでるくらい。
0投稿日: 2006.06.10
powered by ブクログ深く愛しているのに自分自身がその愛を嫌悪してしまう。理想を追って生きていくことの難しさを感じさせてくれる本です。深く考えたい人におすすめ。
0投稿日: 2006.06.05
powered by ブクログ学生時代当時、思春期のまっただ中に出会った本。アリサという女性を追い求め、今も彷徨っているのかもしれません。私の唯一の愛読書でもある。
0投稿日: 2006.06.04
powered by ブクログ2003?/フランス文学専攻の友人は「美しい」と言う。考えてみれば余裕のない時期に読んだので、そのうち読み返そうかと思う。
0投稿日: 2006.02.05
powered by ブクログ文通だとか純愛だとか、なんかじれったい感じは結構好き。 途中から、「もう大人なんだからいいだろ、もう!」とか思ってしまったのですが(笑)。 信仰に縛られすぎる(酔いすぎる?)のも、あんまりよくないんですかね。美しくも残酷な話でした。
0投稿日: 2006.01.01
