
総合評価
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powered by ブクログ鳥を中心にした小動物に対する百閒先生の、愛情にあふれる…、というか、熱が入りすぎたかと思えば、急に醒めたり、と、まあ、何と言うか…。不思議な随筆集である。 愛でる気持ちと、その真逆の気持ちが表れる、人間の矛盾性。 「魚の死ぬのを上がると云い、小鳥の死ぬのを落ちると云い」。 鶏の鳴き声がうるさい。二階の書斎にいて我慢していてもあまりに騒がしいので、癪に障り、わざわざ庭に出て棒で追い出す始末。余計に鳴き声が激しくなるwそして余計に頭にくるwww このエピソードは、百閒先生の姿が思い浮かぶ。
1投稿日: 2019.09.13立ち読みできました
MacでSafariで読もうとしたら非対応ブラウザのようでした。 IEとかは読めますよ
0投稿日: 2017.12.19
powered by ブクログおや、百閒先生のアンソロだと手に取って買って帰ったら家にもう一冊あった…。そうか、後で読もうと買ってあったのか… それにしても百閒先生は精神年齢が幼い気がする。物凄い素直で嘘のない人だけれども物事に対する接し方というか生き物に対する接し方があまりにも幼い。欲しいと思うとどうしようもなくなってしまう衝動のようなものを大人になっても抱えている人ってのは大変だろうなぁ。だからこそ彼の文章は今も読まれているのかもしれないけれども。 私はノラやを読む前に他の随筆を読んでいたので元々は猫キライの小鳥飼いな先生の方が印象に残っていたのでそうか、百閒先生というと猫好きってイメージを持っている人も居るのかぁなんて後書きを読んで思いました。それにしても作中、ネコ二匹失っただけで辛くてやりきれないのに何頭も飼っている人が信じられない、みたいなことを先生が書いてらしたけどご自分は小鳥を30も40も飼っている割に変なことを言うお方だな、と思いました。まあ昔の旦那さんなんてご自分で生きものの世話をなさるなんて言ってもするのはせいぜいエサやりぐらいだろうし後の事は家の者にやらせているんだろうなぁ…なんて事が透けて見えるからちょっと冷ややかな目で見てしまうってのもあるのかもしれないけど。
0投稿日: 2016.10.25これは新仮名遣いのリライト版。
「書籍説明」のとこに書いておいてもらいたい。立ち読みできないんだから。
0投稿日: 2016.07.29
powered by ブクログ鳥に関するエッセイ集。 内田百閒の随筆といえば、飼い猫のことを書いた『ノラや』が圧倒的に有名だが、本書に猫は基本的に登場しない。飼っていた鳥、そして小動物のことが主になっている。 随筆とも小説ともつかないものが幾つか混じっているが、その、現実と幻想の境界が曖昧なところが内田百閒らしいなぁと思う。 角田光代の解説も良かった。
0投稿日: 2016.05.19
