
総合評価
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powered by ブクログトルストイが言うところの"動物並みの状態からわずかにぬけだしているだけという無教育で粗野な人々"のうちの一人なので、正直読んでいて退屈だった。 自分にはこういう哲学的な話は合わないのかも。 好きに生きさせてくれ。
0投稿日: 2025.11.25
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
人間の生命について曖昧な定義を明確にしようという発想が新鮮でした。人間の生命とは理性的な意識を持って自分ではなく他人の幸福のために生きること、また他人を平等に愛することであり、これにより生命は時間や空間とは離れ、死にすら臆すことがなくなる、というのが筆者の考えかと思います。 筆者はこの精神を持つことで、死の恐怖すら超越できたのか…晩年の筆者の心情が純粋に気になりました。
0投稿日: 2025.10.01
powered by ブクログ死に対する捉え方が印象的だった。これを執筆した時トルストイが死を覚悟していたからなのだろう。大抵ウンウンと同意しながら読めると思う。こんなに共感できると思っておらず、自分自身の感性に対しても新たな発見であった。
0投稿日: 2025.09.19
powered by ブクログ生命には、根本的な矛盾がある。それは、個人の幸福を追求していけば、奪い合いの世界になり、争いが起き勝った者と負けた者との世界となる。個人の追求は、全体の幸福を作らない。これを解決するためには、個人が自己中心的な欲求を解消することをやめ(自己中心的な、選り好みした愛、自分が良ければいいという考え)他人への献身こそが、人間の心の志向であるということに気づかなければならない。人間の精神の根底にある真の心の志向は、万人が共通して持っているものである。万人が共通して持っている心の志向とは、他人を喜ばせること、他人を幸せにすることが自分の心を充足させることにつながるという精神である。
0投稿日: 2025.05.21
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モヤモヤをうまく言語化して説明してくれた。 正直なんの解決にもならないし、幸福のために宗教や愛があるんだって言われても、僕には合わないって思った。 でも、生命、幸福、死、死後とかについての他人の本気の意見を聞くことは今までの人生であまりなかったからとてもいい本だった
0投稿日: 2024.11.05
powered by ブクログ保育園時代、人がいずれ死ぬことがわかってから「どーせ死ぬのになんでみんな一生懸命生きてるの?自分も生きていかないとなの?」とたまに思うようになり、それを考えた日は一日中両親や先生がロボットに見えてました。 大人になるにつれトルストイの言う矛盾に当たり、ずっと悩み続け大学で哲学の授業をいくつかとってみたりしましたが、答えは出せず。 と思ったらこの本でまず初めに自分のこの感覚についてこてんぱんにやられました笑 まだここに書かれている全てを肯定する気にはなれませんが、納得せざるを得ないことや完全に同意できる部分が多々あり、影響を受けたのでこれからもあーだこーだ考えながら生きていきます。 ちなみに普段は1〜2日に1冊読みますが、この薄い本に1週間かかりました。私の小さな脳みそで完全に理解しようとするならあと2回は読まないとです。
0投稿日: 2024.09.14
powered by ブクログ大人ならこういのもちゃんと読んどかなきゃなと思い、チャレンジしましたが、やはり撃沈しました。しかし、思ったよりそこまで難解ではなかったです。
6投稿日: 2023.06.15
powered by ブクログ非常に難解な文章だった。人生論とあるが、幸福論としたほうが相応しいような気がする。 人間は動物的自我によって自分個人の為の生き方に疾走ろうとし、それこそが幸福であり生活の凡てだと思い込む。しかし、あらゆる人間が自分個人の為に生きると考えると、その為には他人を排除しようとする者が出てくる。とすると、自分個人の幸福とは容易に手に入るものではない。ましてや病気、衰え、死などが刻々と近づいているわけである。それを避けることはできないし、そうなると自分個人の幸福はまやかしのようなものであることに気づき、人生の矛盾にぶち当たる。 したがってほんとうの幸福の為には自らの動物的自我を理性的意識に従わせる必要がある。そこから発生するのが愛である。愛とは自分個人の幸福よりも他者への善、自己犠牲を伴う行為である。真の愛の為には死をも恐れなくなるのだ。 拙い要約としてはこういう内容であった。おしまい。
1投稿日: 2023.04.26
powered by ブクログトルストイだもの、覚悟はしてたが、予想以上に難解だった。解説にあるとおり、表題は『人生論』より、『生命について』の方が相応しい。一文一文、噛みしめるように読み進め、なんとか最後まで読了。 「人間の生命は幸福への志向である。人間の志向するものは与えられている。死となりえない生命と、悪となりえない幸福がそれである。(p247)」 結びのフレーズは、読了した者だけが味わえる高揚感がある。
0投稿日: 2023.04.08
powered by ブクログ自分の理性 「理性は人を幸福に導く」自分を信じて、理性が意識するがまま生きることによって幸福を得ることができる。過去信仰がその理性を左右したが判断するのはあくまで自分自身であると。現代、「理性」とは道理によって物事を判断する心の働き、とある。人は様々なヒト・コト・モノによって心が動かされるが、より多くのヒト・コト・モノに遭遇できることはトルストイの生きた時代とは違い幸運だと思う。よって判断できる材料をできる限り集め、自分に快適、且つ心地よい道が許され、自信を持って前に進むべきなのだ。
3投稿日: 2022.07.11
powered by ブクログ何のために生きるのでしょうか? それは幸せになることです。 どうすれば幸せになるのでしょうか? 感情に流されないことです。 どうすれば感情に流されないのでしょうか。 理性を保つことです。 どうすれば理性を保てるのでしょうか。 愛を感じることです。 どうすれば愛を感じられるでしょうか? 多くの人に愛を与えることです。 どうすれば愛を与えられるでしょうか? 自分を犠牲にするのを怖れないことです。
0投稿日: 2022.02.12
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
【感想】 人間が生きる意味はまさに、他者に尽くすことであるという一言に尽きる。 理屈では分かるものの、これが中々難しい。生命の法則が相互奉仕にあることも理解できる。だが、現実世界を生きるには絶えず闘争に打ち勝たねばならないという意識もある。ゲーム理論的には、お互いに協力し合うことが両者にとって最善なのだろうが、出し抜いた側はより一層恩恵を受けられる(欲を充足できる)。ここに、一人一人の人間が陥りがちな個人の幸福を願う動物的個我の問題点が発露する。 頭でまずは理性を自覚する、生命の至上命題を理解することが、社会が幸せになるための大きな一歩なのであろう。その方策として考えられるSDGsや社会起業家の出現等に鑑みれば、理性に従属する動物的個我の発現は今後大いに期待できるのではないだろうか。 【メモ】 何物も個人の幸福を追求するならば、それは死への絶え間ない接近にすぎない。故に真の意味での幸福はありえない(その場合、死によって全てが無に期すためである)。 この個人の幸福を追求する動物的個我を理性へと従属させること(生命活動そのものである愛の認知※愛とは特定の人に向けられるものではなく、自己の動物的個我よりも他の存在を好ましく思う感情)で①幸福を実現することができると同時に、②死の恐怖を克服する(死が存在しなくなる)ことにつながる。 ①生命の法則は闘争ではなく、存在同士の相互奉仕。 ②動物的個我による生存を重視する人は、生命とは身体と結び付いていると考えるため、身体の消失は生命の死であると感ずる。しかし、人の自我や世界との関係性は肉体の消失によって発生するものではないため、理性における生命に死は存在しない。(例:亡くなった方々の思い出や記憶が連綿と現在に引き継がれていること、生前よりも一層影響力をもつこと等)
1投稿日: 2022.01.09
powered by ブクログこれまでずっと新しい定義に出会うたびに納得した風にして、でもどこか矛盾を感じていた疑問に対する答えを見つけられた一冊。これまで読んできた本の中で最も有益で有効で善良な一冊だと感じた。 生命とは何か、なぜ生きるのは苦しいのか、幸福とはないかというあまりに捉え難い抽象的だけど当事者であり過ぎるあらゆる生への答えを、どこまでもロジカルに教えてくれた。
3投稿日: 2021.06.04
powered by ブクログ他のために自身を捧げることで生命は永遠となる、ととりあえず理解。 後半少しだれたけど、動物的自我と理性の対比は勢いがあってよかった。
0投稿日: 2021.04.01
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本書は小説ではなく生命に関する論文であるが、トルストイを文豪たらしめているその表現力は存分に満喫することができる。多彩な比喩を用いたその表現は、人生、苦しみ、死といったものと対峙した人間の心情を鮮明に描き出し、トルストイの思想を説得力を持って表現する。これらの比喩の多さ、斬新さ、的確さはそれだけでも本書の醍醐味の一つと言える。以下に一場面を引用する。 「真の生命の発現とは、動物的な個我が人間をおのれの幸福の方に引き寄せ、一方、理性的な意識は個人的な幸福の不可能さを示して、何か別の幸福を指示するということにある。人ははるか遠くに示されるこの幸福に目をこらし、見きわめることができぬため、最初はその幸福を信用せず、個人的な幸福の方に引き返そうとする。しかし、ひどく漠然と幸福を指示している理性的な意識が、あまりにも疑う余地のなり確信に充ちた様子で個人的な幸福の不可能さを示すために、人はまた個人的な幸福をあきらめて、指示されるその新しい幸福にふたたび目をこらす。理性的な幸福は見当たらないが、個人的な幸福がこれほどはっきり粉砕されてしまった以上、個人的な生存をつづけてゆくことは不可能であり、その人間の内部には動物的なものと理性的な意識との新しい関係が確立されはじめる。その人間は真の人間的な生命に向って誕生しはじめるのである。」(本書p.71より) 身に覚えのある人は少なくないだろう。今まで幸福の要素であると信じて疑わなかった、成功体験や賞賛、肉体的・精神的快楽といったものが突然、無意味で空虚な幻想のように感じられ、それらをいくらかき集めても幸福には到達できないのではないかという疑念が自然に沸き上がってくるのを感じる。より高尚な人生の意義のようなものを求めてみるも、なにもそんなものは見当がつかず、一方でホルモンの分泌によって与えられている幸福感のみは、たしかに自分が感じている実在するものであるような気がすることから、その幸福感の追求こそが人生の意義であると納得しようと試みる。しかし、一度空虚に見えてしまった今まで幸福と思われていたものに対して、意味を再付与することは到底できず、困り果てる。これこそが、トルストイの表現するところの「真の生命の誕生」の体験に他ならない。 しかし、現代を生きる多くの人にとっては、こんなことをいつまでも考えていても始まらないし、今日も明日もやるべきことがたくさんあるのだから、こんなことは見て見ぬ振りをして現在よりマシと思われる未来の実現のために無心に行動するというのが妥当な選択であろう。もしくは、「理性的な意識によって生み出されるやりきれない内的矛盾」から逃れるため、「人生のこうしたがんじがらめの状態をひと思いに断ち切って、自殺」するという選択をとる人も少なくない。だがトルストイは、ここからさらに論を進める。肉体的・精神的快楽を求める存在としての動物的個我と理性的な意識を明確に分離した上で、理性的な意識にこそ人間の本質たる生命の存在を認め、この「理性的な意識を満足させうるような幸福だけが真実」であり、「個我の幸福の達成だけに向けられる人間の活動は、人間の生命の全面的否定に他ならない」と述べる。さらに、その理性的な意識を満足させる幸福とはなにか、そして、幸福と対極に感じられる苦しみや死とはなにか、三次元空間の比喩、円錐体の比喩、案山子の比喩などの斬新な表現を用いて論を展開する。 以前よりトルストイの作品に興味があったが、個人的にどうしても小説全般が苦手という事情があり、本書を手に取った。本書も魅力溢れる作品であったが、小説に苦手意識のない人にはぜひ「戦争と平和」などの小説作品をおすすめする。 ----------------------------- 以下に、本書の内容についての反駁、および異なる解釈を述べる。 まず、肉体の死後も生命が存在し続けることの論証についてである。筆者は、キリストが死後も多くの人の精神に作用し続けていることを論拠に、生命が永遠に存在し続けることを述べている。つまり、現存する者への精神的作用に生命の存在を見いだしている。この生命の理解を採用すると、キリストのみならずアッラーやゼウス、さらには小説やアニメなどのフィクションの登場人物すらも人々の精神に作用していることを否定できない。しかし、これらのフィクションの存在に人間の生命を認めるのは無理があるように感じられる。 そこで、二つの新しい解釈を提案する。一つ目は、生命の働きとして本書では世界との関係の構築こそ本質としているが、ここに前提として手段たる動物的個我の支配の条件を付け加えることが必要であると考える。これにより、フィクションの登場人物と実在する人物との間に差異が生まれ、実在するもののみを生命と認識できる。しかし一方で、これでは本書の根幹とも言える生命の不死を証明できなくなる。なぜなら、肉体を失った時点で動物的個我の支配が不可能となり、フィクションの存在との差異が消失するためである。ここで、二つ目の解釈を提案する。本書の中でトルストイは頻繁に、理性的な意識は空間的時間的な束縛を受けない、それらの束縛を受けるのは動物的個我のみである、と述べている。それにも関わらず、生命が死を経験しないことを述べるために、肉体の死後の生命の存在を認識しようと試みている。ここに、矛盾が生じている。すなわち、そもそも時間的束縛を受けない理性的な意識の不死を述べるためには、肉体の死後の時間的存続を述べる必要はないはずであり、逆に、生命が肉体の死後も時間的に存続し続けていると認識可能であることは、理性的な意識の時間的束縛と同義である。つまり、次のように説明出来る。人間の生命たる理性的な意識は、その働きとして動物的個我の支配を前提とするため、肉体の死後は存在し得ないが、理性的な意識は動物的個我と異なり時間的空間的束縛を受けない故、肉体の死と同時に生命の死を経験することはないと言える。こちらの解釈の方が合理性と妥当性に優れるように感じられるが、どうであろうか。
2投稿日: 2020.09.17
powered by ブクログ「“生きてる”と“生きる”はちゃう」 せやな、“本当に”とか“マジで”とか“ちゃんと”とかを頭につけると生存と生命が全然違く感じる。 わかりやすいぞと思ってページをめくれた。 初めは“私”って何?的な実存主義を題材にしてるんかなとおもたら学者全般に否定的になって、キリストとか仏陀とかツァラストラとか褒め出すからそう来るか!とおもた。 進めるとよりキリストっぽくなって・・・ 「愛しなさい、神と隣人を」 個人の幸福はやがて不幸を招くからみんなで幸せになろうや。だから隣人を愛することはわかった。なんで神を愛さなあかんの?神は隣人の1人じゃないの? これ以上は怒られそうやからやめときます。 他にもいろいろ勉強になる良書です。
0投稿日: 2020.07.08
powered by ブクログ『人生論』トルストイ メモ ◯内容整理 ・「動物的個我」と「理性の法則」という考え方。動物的個我は、生命とは誕生から死までの期間である、その限られた生命の中で幸福は人生を達成しなければならない、みたいな考え方。目に見える(偽りの)生命。人間は目に見える人生こそが自分の人生という確信に陥ってしまった。 →人間の幸福は、理性的意識の覚醒=動物的個我の幸福の否定によってはじまる。 ・動物的個我における時間的、空間的条件は、真の生命に影響を与えない。(限られた人生の中でどう生きるか、みたいなことは、真の幸福には影響しない。真の幸福ではない) →理性への従属を通じて幸福を志向する力は、向上させる力であって、時間的・空間的制約を持たぬ生命の力そのもの。(時間と空間がx,y軸なら、理性的意識はz軸のイメージ?) ・真の生命は時間と空間にかかわらない。 ・人間の幸福は、動物的個我を理性の法則に対して従属させること。 →動物的生存を生命とみなすのをやめたとき、はじめて真の生命が始まる。 p95「生命を維持する食物を作るためにある鍬を使い惜しむ人間は、使い惜しみすぎて、食物や生命まで失う」 ◯理性的意識とは ・動物的個我としての自分自身(この人生で何を達成すべきだろうか...みたいな)よりも、他の存在を愛するような状態を目指す。 ・これによって、それまで個我の幸福に向けられていた活動全てを、全世界の幸福の達成に向けた活動に変えられる。 ・真の愛は、動物的個我の幸福を否定する際にのみ可能。 ・愛とは、自分、すなわち自己の動物的個我よりも他の存在を好ましく思う感情。 ・他人に対しては悪意を抱くときに「わたしはどうでもいい、わたしは何もいらない」と言い、ほんのいっときにせよ、何一つ自分のために望まぬようにさせてみるとよい。 →そうすれば、それまで閉ざされていたすべての人に対する好意が心の奥から奔流となってほとばしりでるのを認識するだろう。 ・ここで言う他人は、家族や友人のような選ばれた人への愛(動物的個我の一時的な幸福を増大させる対象)のみならず、自分以外の全てに対する愛。 ・生命とは世界に対する関係であり、生命の運動とはより高度な新しい関係の確立であるから、死とは新しい関係に入ることである。 →(解釈)人との関係の中に自分の生命は存在し、新しい人や世界との出会いの中で新しい関係を築いていく、ということが生命の仕事。人(世界)との関係の中で、愛を増大させていく。 ・人は死んでも、大切な人の心の中に思い出として生き続ける。世界とその人との関係は、死後も強く残された人々の中に作用し続ける。 →自己の動物的個我を理性のうちに従属させ、愛の力を発揮した人は誰でも、自己の肉体的生存の消失後も他の人々の中に生きつづけ、現に生きている。 ・関係を確立することが、生命の仕事。 ◯感想 自分に引き寄せると、動物的に、エゴイスティックに自分の幸せだけを考えるのではなく、「わたしはどうでもいい、わたしは何もいらない」と唱えて、理性的に生きてみよう、と考えた。 また、新しい人々と出会って、関係を築いていくという点は、ストンと腹に落ちた。自分自身、人は接する人との関係の中で磨かれていく(作りかえられていく)ものだと思っているので、どんどん新しい出会いに向かって踏み出していく人生にしたいと思った。 椎名林檎&トータス松本『目抜き通り』の歌詞の、「あの世でもらう批評が本当なのさ」というフレーズを思い出した。自分が死んだときに、自分との思い出が生き続ける人をどれだけたくさん作っていけるか(たくさんの関係を確立していけるか) 「関係」という言葉は自分の人生にとってとても重要な考え方だと思う。どういう人と生きて、どういう関係を築いていくか。そこに人生の本質があると思う。そんなことを考えさせられた。
2投稿日: 2020.05.06
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
本書のタイトルは「人生論」であるが、内容は「生命」についてのトルストイの考えがまとめられた論文である。いきなり本文から読み始めるより、巻末にある翻訳者・原卓也氏の「解説」を先に読むほうが、予備知識が得られるので、少しは理解しやすくなると思う。 自分の場合は、最初から読み始めて、ぼやーっとした理解のまま読み進み、最後の「解説」を読んで、ある程度頭の整理ができたように思う。もちろん、消化不良もたくさんある。 まず、「解説」を読んで、ロシア語と日本語の違いが、本書のタイトルに影響していることがわかる。日本語でいう「生命」「生活」「人生」「一生」というような言葉は、ロシア語ではすべて「ジーズニ」という一語で表現されるらしい。であるので、トルストイは「生命」について論じたのであるが、最初の訳でその「ジーズニ」という単語は、「人生」と翻訳され、それで本書は「人生論」となったようである。 翻訳者の「解説」に、本書のエッセンスに関する記述があったので、そのまま引用する。 ”トルストイはこの論文の中で、人間の生き方を「生存」と「生命」とに区別して考えている。「生存」とは、人間の一生を誕生から死までの時間的、空間的な存在として捉え、その期間における個我の動物的幸福の達成を一生の目的と考える生き方をいう。これに対して「生命」とは、人間の一生を誕生と死という二つの点で区切られることのない、永遠につづくものとして捉え、その間、自己の動物的個我を理性的意識に従属させて生きることをさす。” 単純化していうと、生まれてから死ぬまでただ「生存」しているような生き方と、自分の命を永遠と捉え(=生命)、理性的に生きる生き方とがあり、後者の生き方こそが真の幸福をつかめる生き方であると結論づけている。 これを仮に「生存の生き方」と「生命での生き方」とすると、たいていは「生存の生き方」に終始しているとトルストイはいう。その生き方の人は、生まれてから死ぬまでの間に、なるべく快楽を感じられるよう、また苦しみから少しでも逃れられるよう頑張って生きる。 しかし、世の中の誰もがそれを互いに求めており、競い合っているという。快楽の獲得競争であり、苦悩の押し付けあいの中で生きている。いわば利己的な生き方であり、せいぜい人と比べて、ある一部だけは自分が勝っていることに満足を感じ、そうでないときに不満を感じ苦悩を感じる。どちらかというと、欲求が満たされず、苦しみから逃れらないことが多く、苦悩と煩悶の連続と感じるのが、この生き方の人生である。 しかも最後には、すべてが無に帰する「死」があり、それが訪れる恐怖と隣り合わせで生きる人生では、真の幸福は絶対に得られないという。 では、トルストイがいう、真の幸福を獲得できる生き方とはどのような生き方なのか。 「生存」の生き方が、自身のための幸福追求であり、自己愛のみの動物的な生き方であるのに対し、そこに理性を取り込み、自己愛のみから脱却し、他者の幸福を志向する生き方が重要であるという。 愛の大きさを分数式に例えるユニークな発想が示されていた。分子は他者に対する好意や共感、分母は自分自身に対する愛とする。分子の大きさで愛の大きさを測るのが一般的な考えだが、むしろ分母の大小を考えることが、「生存の生き方」で終わるのか、そうでないのかに関係すると。 もう一つは、生命の永遠性をトルストイは訴えている。肉体は滅びても、生命は始めもなければ終わりもなく永遠に存在し続けるものと捉える。これは仏教的な発想に近い。 肉体が滅びたら終わりと考えるのが「生存の生き方」だが、「生命での生き方」はそうではなく、ある意味「死」の恐怖は伴わない。 このような表現があった。 「動物的個我は、自己の幸福の目的を達成するのに用いる手段である。人間にとって動物的個我とは、働くのに用いる道具である。」 動物的個我とは、生まれてから死ぬまでの「生存の生き方」の意味だが、これはこの一生の肉体は、永遠の生命により幸福の目的を達成するための手段であり、道具であるとトルストイは言っているのだと自分は理解した。 そう考えると、他の人から小さな快楽を奪い合ったり、苦しみを押し付けあったりする生き方にのみ固執するのは、単なる道具に固執しているだけであって、全く真の幸福追求に無関係の生き方のように思えてくる。 そういう小我を捨てて、永遠の生命を感じながら他者への愛に全力を尽くす生き方が最も幸福な生き方であるとトルストイは述べているのだと理解した。 この論文をトルストイが書くきっかけとなったのは、自身が大病を患い、死をも直感したことだったという。随所に聖書の引用はあるが、この考えは宗教の範疇を越えていたようだ。「正教の教義に対する不信を植えつけ、祖国愛を否定している」という理由で、当時発禁処分となっており、後年に世に出たものである。 トルストイ自身も「人は常にあらゆることを、信仰を通してではなく、理性を通じて認識する。前には理性を通じてではなく、信仰を通じて認識すると説いて欺くことが可能だった。」と述べているように、本書の考えも自身の理性から紡ぎ出されたものであろう。 自分は、仏教の思想に多くの共通点を感じたが、トルストイが仏教の影響を受けて述べたものではなく、偶然そのような結論となったという点にも非常に興味深く感じている。 理解不十分の点も多いが、とりあえず一回目読了時のメモとして記しておきたい。
13投稿日: 2020.02.29
powered by ブクログ訳者あとがきを読めば、「日本語では生命、生活、人生、一生と言葉がいくつもあるが、ロシア語ではこれらすべての意味がジーズ二という一語に含まれる。」と書いてある。そのジーズニを、本書では日本語としてどうしてもおかしい場合を除いてすべて「生命」と訳したとさらにあとがきに述べてあった。 言い回しがなんか哲学っぽい、というだけで哲学でもなんでもないし、難解に見えて、特に生命に関しては同じことをひたすら何回も述べているだけだ。他者の説得に必要ないろんな定義をすっ飛ばして、とにかくお前ら分かってないだろ!ってずっと怒ってる。もう分かったから!と言いたくなる。どれだけ怒りが腹の底に溜まっていたらこんなに同じこと何回も言えるんだろう。 ただ、そういう印象になるのは「生命」という単語があまりに何度も出てくるからでもあるなぁと思う。脳内で単語を人生や生活に勝手に置き換えて読むとスッキリする部分も多かった。 23章くらいから始まる愛について彼が訴えたかった内容は分かりやすかったし(多分この話以降が彼の訴えの核心で、生命論云々の部分はただ言いたかっただけにも見える)真実な愛、それによってのみなされる幸福というテーマはアンナカレーニナにも通ずる。死が出てくれば、自ずと前半の生命論も彩りが増す。 星はふたつ。これ読むよりアンナカレーニナ読もう。
1投稿日: 2019.04.26
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
人生論というよりも、トルストイ個人の視点から「生命」というものを分析した論文のような文章です。 生命を構成する分子、更にもっと細かい物質まで科学によって研究を重ねていけば生命を理解できるというのは誤った視点であるという問題提起から始まります。 そもそもその分子レベルでの研究を重ねっていく目的自体はなんなのか?今、我々にある苦悩や幸福は本当にその科学的な分析で明らかになるものなのか?今自分にある「生命」とは本当にそんなものによるものなのか? という問いかけが常になされます。 そこから人間の中に存在する「動物的個我」と、「理性」についての説明や対比を述べ、いち個体の幸福の追求、つまり「動物的個我」の幸福の追求は不幸の拡大にしかならず、生命、つまり「理性」としての幸福の追求こそが人間の生命であるという結論に至ります。 これはキリスト教でいう愛であり、他の宗教でも言葉を変えて語られていることでもあります。 かなり難しい文章であり、読むのに苦労しましたがもし今後自分が苦しむような事があればこのトルストイ君の言葉を思い出せると思います。 読むのに本当に体力が要りました。
0投稿日: 2019.02.03
powered by ブクログ生命に係る哲学的テーマと難解な言い回しが多用されているものの、動物的幸福の達成を目標とする「生存」と動物的個我を理性的意識に従属させ永遠の「生命」を明確に区別し語る。「人の為に生きる」「歴史に名を残す」、人間のほか生物と一線を画す部分、連綿と続く人類の歴史の本質を捉えた視点といえよう。 ちなみに何気に初トルストイ。
0投稿日: 2018.09.16
powered by ブクログ私は新しい戒めをあなた方に与える。互いに愛し合いなさい。「ヨハネによる福音書」 生命とは死に抵抗する様々な機能の結合。生命とは限られた時間内に有機体の内部であいついで起こる様々な現象の結合 生命とは世界に対する新しい関係であり、生命の運動とはより高度な新しい関係の確立であるから死とは新しい関係に入ることである。
0投稿日: 2017.01.15
powered by ブクログ大変ディープな内容を扱ってはいるが、よく読むと納得できる部分が多く、さらに同じ内容を折に触れて反復している。深い作品だけにしっかりメモをとりながら読めば良かったと、読み終わってからしばらく経つ今になって後悔。 人間の生命は幸福への志向である。しかし、人間は理性という天性の特質ゆえに、動物的個我の追求によっては真の幸福を達成できない。なぜなら、不可避な死を認識してしまう以上、生きている間のいかなる個人の快楽も結局は無に帰す虚しいものであるという事実から逃れることができないからだ。根源的には満たされえない個人の快楽を追求する人々は、不可避な死から必死に目を背け、それに常に怯えながら生きていくしかない。 この個我としての人生に対する絶望から立ち上がり、真に幸せに生きるために必要なものこそが、全人類に対する愛である。自己ではなく他者の幸せを追求することに人生の意義を見出すならば、自分の死は全く恐れるべきものではなくなる。自分の死は、他の全人類の終焉を意味するものではないし。むしろ然るべき時に自分が死ぬことは人類全体の繁栄にとって必要不可欠なものであるのだ。 人生における、個人に起因しない理不尽な苦しみすらも、自らの生命を人類全体という視点から捉え、全人類との因果の鎖の中で見れば、自分の味わう苦しみは全人類が負っている罪(原罪?)に起因するものである。自分はそれを味わっているに過ぎないし、自分が味わうことによって他社の苦しみは軽減される。すなわち、理不尽な苦しみの耐えがたさも、人類への愛に追って軽減される。むしろ、これらの苦しみの、個人に限定された因果関係からは説明しがたい理不尽さは、生命を一個我として捉えるべきではないということを示している。 以上、本作品の要旨を私なりに整理した。しばしば論理が明確に示されないまま自明であるかのように断定に至る部分も少なからずあり、完璧に理解しきるには難しい、だが、偉大な思想家トルストイの人生についてのスタンスを学べたことに意義はあると思う。個我の快楽を否定し全人類への愛によって生きるという人生はいくら理性的ではあるとはいえ実際なかなか実行できないものではあると思うが。 自分のために内容を整理した感が強いのでとても長くなってしまってごめんなさい。
1投稿日: 2016.10.31
powered by ブクログ【愛こそ人間のすべて】 「人間が生きる目的はなんなのか?」「生物が生きる目的はなんなのか?」そんな答えを見つけたくてたどり着いた一冊。 人間、生物、無生物に分類するあたりや、人間は「自分の幸せのために生きている」という点は同意する一方で、「愛」によって「死」はなくなる、という点などは納得できない。 訳者が記述しているが、どうもトルストイ自身が60歳になり、自分の死に向き合うにあたって、自己の精神の安定を求めて書いたように見える。 自分の幸せではなくて、相手の幸せを願うことこそ、「愛」であり、それをすることで死が怖くなくなる。自分というものを破棄し、人間というコミュニティ/カテゴリに収まることで、自分の死は人間という単位では死ではなくなるために、恐怖から解放される。 意識は寝るときも、死ぬときも無いわけで一緒なのだから、怖くないでしょ?っていう独自の論理は、なかなか面白い。 が、そんなこと気にせず、つまるところ大事なのは「自分の幸せ」なのであると私は思う。
0投稿日: 2016.09.27
powered by ブクログ手にとって裏表紙見て読むのやめそうなタイトル&作者ですが、友達に薦められ読んで、自分の考えていたもやもやした捕らえどころのない雲みたいな事柄が文章になっているのをみて感動しました。10年以上前に読んだのでもう一度読む必要あり。
0投稿日: 2016.05.31
powered by ブクログレビュー漏れ。これも読んだのはだいぶ前。 当時ブックノートに書いた一節を引用 「トルストイいわく、人間の生命とは幸福の志向にあるという。そしてそれは理性が動物的個我を支配することによってのみ可能であり、それが出来なければ、人間は「生存している」だけに過ぎないと。人間の生命とは一体何か。幸福とは一体何か。幸福を志向するということは、いかにして生きることなのか。人生について考えさせられる、ディープな内容になってます。」
0投稿日: 2015.11.26
powered by ブクログ余命いくばくもない人の読むものに非ず。議論をする時間を数多持つ人の時間を浪費するにはうってつけの書物なり。 「目に見える生命は、生命の無限の運動の一部分である」 生と死を持ち込むのはいけません。人は一度きりの死を経験するのみ。
0投稿日: 2015.11.05
powered by ブクログなんだろう、真面目というにはことばが足りない。このジッドに似たこの信仰心。光さすような力強くておもわず目がくらんでしまうような。 別に父なる神という大いなる存在の前にひれ伏して身を委ねているというわけでもない。彼のことばこそが光となって動いているのだ。名前が悪いかもしれないが、トルストイ教、そんな感じ。 タイトルは人生論となっているが、人生の「生」どう生きるかではなくて、「生きる」とは何か。ひたむきな考察である。彼は決して論じているのではなく、「考えて」いる。「生命考」といった方が正確かもしれない。 生命とは遍く幸福を求める存在である。幸福とは動物的な自分の快楽ではなく、理性が求める他人の幸福だ。これこそ、愛の力である。ひとがひとであるのは、この動物的なもの、すなわち肉体に加え、理性的なもの、精神が備わっているからである。理性は必ずすべてのひとに備わっているが、その発芽・自立は決して自分ではわからない。理性は空間や時間とは関係なく存在するからだ。ゆえに、理性は生まれることもなければ、死ぬこともない。それならば、理性的存在であるはずの人間の魂が消滅するということはありえない。人間よ、死におびえることなく、理性に従い、愛に生きなさい。 というのが、彼の教えのようだ。理性に対する考察、生きる愛の力、これほどまでに力強く述べるものは宗教以外に知らない。 だが、おそらく、ニーチェはふん、と鼻で笑ってそっぽを向くだろう。カミュなら一通り話を聞いた後で黙って背を向けてトルストイの前から去るだろう。 自分の幸福ではなく、他人の幸福を。理性の求める幸福は自分と他人の間に違いはない。では自分の幸福や他人の幸福から幸福をひいたら何が残るか。自分と他人である。彼にはこの考察が決定的にかけている。どんなにあがいても、自分ではない他人の幸福というのは、自分という存在の前提なしにはありえない。他人がいないといっているのではない、他人を知るのはひとえにこの「自分」の存在がまずなければありえない。他人の身体をつねっても、決して自分が痛いということはない。痛いというものは知っているけれど、それは他人の痛みではありえない。ひとの痛みを知ることはできても、それを代わることはできない。これを彼はどう考えるのか。 後半になって、個我と理性という区別を彼はしている。個我は動物的なもの、理性とはそうではない精神的なものだという。個我を理性に従わせること、これが人間には必要だ。では、なぜ個我は理性に従えるのだろうか。動物や植物に理性はないと彼は断言する。けれど、そうであるなら、なぜ植物は春に花を咲かせることができるのか。なぜ、動物は食物を求めようとするのか。動物にだって理性は在る。物質的な因果と彼は切り捨てるが、物質的な因果がなぜ起こるのか、これを理性と呼ばずに何と呼ぶのか。はじめから、彼の言う動物的なものと理性的なものは同じものであるはずだ。彼はそれを切り離してしまった。だが、切り離せば切り離すほど、逃れることはできない。ちょうど、表だけが存在しないのと同じように。彼が理性を声高に述べれば述べるほど、もう一方の動物的な部分がどんどん力を増す。個我も理性も同じ「わたし」でなければなんだというのか。 そういう点でやっぱり宗教は詐欺なのだ。彼もまた、愛という名で、この両方を併せ持つ人間という存在を覆い隠したのだ。巧みに「自分」というものの考察を避けているのだ。 おそらく、彼にとって、自分や他人という存在は疑うことのない、確かな存在だったのだと思う。ゆえに彼は他人の幸福というときに、なぜ自分が他人ではなくこちら側なのか、という端的な事実に驚かないのだ。他人の幸福を求めるというのは、他人が幸福だと自分に思われるもの、そういう在り方なしには求めることはできない。 キリストが、自分の父や母・きょうだいを愛するのではなく、神の子キリストを愛せ、というのは決して自己犠牲に努めろというのではなく、キリスト自身が自分も他人も含む全き存在であるから、自分という存在が他人という存在に裏打ちされた存在であるから愛せ、と言っているのだ。ひとに宿るこの精神を目覚めさせるのには、自分の立ち上がった精神を示さなければならない。キリストにはそれを負う覚悟がある。だからこそ、すべてのひとの罪も憎しみも、愛も引き受けようと言えるのだ。 そう考えると、トルストイの言う死というものはないのだから恐れるなというのはどうも難しい注文だと感じる。生命は滅びないのではなく、自分が存在しない、というこのことをひとは考えることができないのだ。考えることができないということと、存在しないということは別の話だ。宗教のずるいところは、その存在しないということは考えられないということを逆手にとって教義に組み込んでいるところだ。 愛というものは、他人のために善いことをなすことはもちろんだが、すでに今ここに、「わたし」ということが存在してしまっている、これこそが神の愛であり、許されている事実なのだ。生れてしまったからには幸福を求めなさいというのはわかる。理性が時間や空間に独立しているのも確かにわかる。だが、その理性がどうしてこの肉体に宿ってしまったのか。どうして幸福を求めるのはこの自分なのか、ここに対する彼の驚きがどうしても感じられない。
0投稿日: 2015.09.14
powered by ブクログ論文のようなものを和訳してる故に非常に難解な内容。読むのが大変。 生きるということは他者に尽くしてこそ、という心情がうかがえる部分あり。 自分一身の繁栄だけを願うのはもはや生命ではなく、その思想が他者のものを奪う戦争に繋がるのだという達観。
0投稿日: 2015.02.16
powered by ブクログ題名は「人生論」となっているが、翻訳者の注釈にもあるように、本来「生命学」と言った題名が適切だと思う。英語でLifeが[生活]や[人生]といった意味の他に[生命]となるように著者の意図としては[生命]が本来の意味だろうし、そういった内容になっている。 とはいっても、生命学について批判しているだけの内容で、当時の社会的背景もあるだろうが、現代社会において全然意味のない内容だった。最初の章を読んで見切りを付けた。
0投稿日: 2015.01.21
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
いやー、難しかった。久々に文庫サイズの本を読了するのに一週間かけました。トルストイの考える人生の意味、生き方が述べられてますが、とにかく理解には時間がかかります。 愛は自己犠牲である時にのみ愛として存在しうる、真の愛は生命そのものである、というポイントはすんなり入ってきました。が、その前後に至る論の展開は、しっかりじっくり読まないとなかなか入ってこない。文章が波打っているというか、わかりやすいなーと思っていた途端に突き放されて難しい世界に突入してしまったと感じることも多々あり、読み込むには体力が求められます。 あともう一つ、後半になって出てくる「人間の自我の特殊かつ基本的なものとして、あるものに対する好き嫌いの程度の差、がある。その差があることで、個々人の一連の意識が成立する」というところはしっくり納得できました。
0投稿日: 2014.07.06
powered by ブクログ生命や愛、死についてのトルストイの考察。 人生において、動物的個我に執着するのではなく、それを理性的意識に従属させることで、生命や死の本来の姿が見えてくる、というのが、一番の主張でしょう。 生命は苦しみの連続であるが、苦しみこそが快楽を引き起こし、生命をさえ動かす、という考え方に非常に魅力を感じました。死についての考察にはいささか違和感がありますが。
1投稿日: 2014.05.24
powered by ブクログ水車と川の例 : 目的のない研究は意味がない。幸福を追求する意味での生命の研究が、次第に目的を忘れ、目的から序列的に遠い対象を研究していることが多い。 →序列・優先順位は考えれば分かるものなのか?何が優先で何が後か、正しく分かるものなのか? 全ての科学は生命の研究の一側面でしかないのに、あたかも生命全体を扱っているという誤認をしている。 →そもそも生命のために科学の発展があるのだろうか?何か人間中心的な思想をトルストイは抱いていることが窺えるが。。 生命の矛盾 : 幸福を追求しているのに、不可避的な死に向かっている、従ってその生命自身に幸福を見出すことは出来ないという矛盾を生命は内包している。 →ようわからん! 宗教は、前世の罪を後世で償うために、現世を生きる指針・規範。現世において幸福を追求するための指針ではない。 →死後という誰にも分からない世界を持ち出すことで宗教は人々に盲目的な畏怖をもたらし、現世での生活を規定する精神的束縛?ちなみに宗教シェア?はキリスト教、イスラム教、無宗教の順。
0投稿日: 2013.04.22
powered by ブクログトルストイは僕にとっては師匠だし、心の友だから言っていることは慎重に聞いてやりたいんだけど、この本、タイトルはシンプルなのに難しかった・・・。 でも序盤での、考えの順番の話と28章ぐらいからの意識の話はちょっと良さそうな雰囲気。
0投稿日: 2013.04.10
powered by ブクログ熟考の足りない理性やカトリック的な考えが結論へのプロセスで前提となっている。この点が残念であり、何か得たいならカントやニーチェを読んだほうが良いと思った。 しかし問題提起、彼の悩みは深く、参考になる。
0投稿日: 2013.01.12
powered by ブクログトルストイが小さな怪我から重い病気になり死を意識する。なぜ何ために死はあるの理性と感情が保てない、という見舞いの手紙に返事したのが元となりトルストイ思想を知る本にもなる。というものの中盤は難解至極で凹む。人は真の理性をもてば死は怖くない、誕生から死しても未来へ永遠に続くものそれはあなたの愛で、自分の幸せ願望は他人も同じ、戦争なぞ無い未来が来る。だけども、苦や痛みは人生に当然あるもの、その中に幸せがあると理解せよ。顕微鏡で覗いても宇宙へ行っても見つからない。つまり、快楽のみにボ〜っと生きるなということかな。
0投稿日: 2013.01.04
powered by ブクログトルストイの手記から表れてくる人間観、じっくり咀嚼しないと分からない記述も多いので時間をかけてじっくり、草食動物が牧草を食むように咀嚼すると味が分かる気がする一冊。
0投稿日: 2012.12.22
powered by ブクログ読む前から期待していました。トルストイ好きですし。 「得られるものが盛りだくさんで、読むのがもったいないのでは」と。 結論。普通でした。 一文が長くて、考えながら読むので、頭にもブツ切れで入ってきて、 リズムに乗って読めなかった。 単に訳のせい? 角川文庫版も読んでみますか。。。。
0投稿日: 2012.11.05
powered by ブクログ宗教的な事柄を哲学的、文学的に表現している気がした。 確信を持って語られる言葉は、人を迷いから救う。
0投稿日: 2012.02.03
powered by ブクログ自分の価値観とは合わないと感じたけど、大物作家がどう考えていたかがうかがい知れて読み物としては面白い。
0投稿日: 2011.12.25
powered by ブクログトルストイの人生哲学が明快に述べられていた。 そのおおもとの考えは私の価値観とは合わないと感じたが、自分の考え方を理解してもらうために多々用いるたとえ話は面白かった。
0投稿日: 2011.10.19
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
トルストイがパスカル、カント、キリストなどたくさんの 先人の教えを受けて究極の博愛を示す。 正直、今、自分のものとして、実行することはできない。 ただ、その理想への道筋を追うことで、得るものは多いと思う。 まとめると『人類が 理性と愛で 幸を生み』といったところでしょうか?
1投稿日: 2011.07.18
powered by ブクログ生命とはなんだと思いますか? そんな漠然と生命とはなんだと言っても、答える事は困難ですよね。 人それぞれ考え方が違うので、正しい答えをだすことは不可能に近いでしょう。 トルストイによる「人生論」 生命論とも言える書籍を紹介し、皆さんのなかにある生命とは何なのか?の一つの考え方として、捉えてみてはいかがだろうか。 本書は全部で35章の構成になっていて、全部を紹介すると何ページにもなってしまうので、重要な箇所と何がこの本の言いたいことなのか、を引用しつつも私の解説と共に紹介していく形で始めたいと思う。 では始めよう。 まずこの文を引用する。 「水車が唯一の生活手段であるような人間を想像してみよう」 なんのことかさっぱりだと思いますが、本書の頭の文です。 この後に、 ある人間(以後男と称する) は粉を上手にひくには水車をどう扱えばよいかを、知っており生活を立てられるほど扱いには慣れていた。 ある日男が水車の構造について考えたり、水車がどうして回るのかを観察するようになった。 そして、川の観察を進めるていくうちに、男の水車はすっかり調子が狂ってしまった。 しかし男はなおも川についての考察を続けた結果、川がすなわち水車そのものであると確信にいたった。 この男の考察は誤りであり、粉をひくには、どうやって水を引くかを知らなければならないし、水流の力などをしらなければならないと。 つまり水車を知るには川を知らなければならないと。 この男は川が水車だという結論に至ったのだが本筋は違うのであり、川をしることは重要だが、それは考察の一部であると。水車と川は同類ではないと。 ここでトルストイはこんなことを言っています。 「考察そのものよりもむしろ、その考察の占める地位であること、つまり、何を先に考え、何をあとで考えるべきかをわきまえなくてはならないと」 「また、どの考察が1番目、二番目、三番目はどれであるべきかといった具合に、重要さの順に応じて、考察を配置しなくてはならないと」 という考えの基に本書は出発しており、生命も水車と同じことが言えると語っている。 この後章ごとに生命のことについて考察が進められていく流れになっている。 最後にこんなことを言っている。 「人間の生命は幸福への志向であり、その志向するものは人間にあたえられているのである」 トルストイは生命を生と死で分けて考えていない。すべては生命だと、しかしいろんな論者達の議論により生と死を分裂して考察してきたことに疑問を感じていたのである。 私達はつねに生と死を分けて考えていた。極端に思われるトルストイの考えは、参考までに留めておいたほうが良いだろう。という私の結論だろう。 なんか宗教じみていると感じた方もいるのではないだろうか? 本書は生命について書かれているが、 見方を変え、どの様に考察していけばよいのかという考察の手順書としても活用の余地は十分にあることをわすれないでほしい。
0投稿日: 2011.06.10
powered by ブクログ生命とは、人間が自己のうちに感ずる幸福への志向、他人の幸福のために生きる、何故死は怖いのか、聖書、個我、幸福とは、自分には早かった、難解
0投稿日: 2011.06.07
powered by ブクログ翻訳の題名は『生命論』のほうがよい。『人生論』とかいうと、それだけで「説教くさい本」という先入観を読者に植えつけてしまう。 トルストイがやろうとしているのは、近代的な合理主義と個人主義の限界を明らかにすることだ。私たちは、いのちあるものはそれぞれ一個の個体として生まれて死ぬのであって、その生まれて死ぬまでのあいだが、一個の「生命」のすべてだと考える。そういうふうに考えると、自分の一生を通して「愉快なこと」と「苦しいこと」の採算がどう見ても取れないように感じてしまうし、生きているあいだにできるだけ得をしてやれという発想になるし、自己の「死」がおそろしくもなる。 こういう考え方が、近代人に特有だとはトルストイは言ってないけど、近代に入ってそういう考え方が強化されてきたのは事実だと思う。 しかし、実は「生命」とはそういうものではなくって、いま生きているものも、すでに死んだものも、これから生まれるものも、ぜんぶつながっているのだと。それらをつなげているのが「理性」なのだと。 この「理性」を説明するのに、キリスト教的な「愛」の思想がもちこまれるので、キリスト教アレルギーの日本人には説教くさく感じられてしまうのだろうけど、要するにこれは「梵我一如」ということを言っているんじゃないか。
0投稿日: 2011.06.01
powered by ブクログトルストイが晩年に残した本。現代科学が定義する「生命」に関して、痛烈な批判を展開しながら、人間が手に入れ得る新の生命、本当の幸福について議論して行く。 トルストイはまず、「個人の幸福の最大化が生命の目的である」であると現代科学によって信じられている事関して、幾ら自らの幸福を最大限にしようと行動した所で、いずれはその幸福感が個人から消え去り、その時に常に辛苦をなめねばならず、幸福を追求する存在として根本的な矛盾を抱え込んでいると指摘する。 その指摘を踏まえ、「個人の幸福」ではなく、心からの「他者の幸福を願う」その指向性こそがあるべき幸福の姿であり、ある人間が「他者の幸福」を求めて存在する様になる時、現代の一般多数が持つ間違った生命の観念から離れ、その人間の新しい生命が生まれる時だと説く。 また、そのような目覚めた人間は新たに生まれるだけでなく、この世にとどまらない永遠の生命をも手に入れると続ける。死とは単純に肉体的な消滅にすぎず、自らとこの世界の関係を絶ちきる訳ではなく、その自らがもたらしたこの世との関係は残り続けるので(e.g.他者の心の中)、真の生命に目覚めた者は死を畏怖すべき事象とは捉えない。 むしろ、一般的に、死というものが断続する事なく続く自我の「線」を断ち切る出来事だと認識されている事のほうが間違いであり、人間は時間の経過とともに常に同じ存在であり続ける訳はないので(昨日の自分と今日の自分の間では明らかに「眠り」という自我を断絶させる事象が起きている)、死をもって自我の消滅に狼狽するのは滑稽で仕方ない、との事らしい。 ・・・。内容はかなり深遠であり、是非とももう一度読みたいと思わせるないようではあったが自分の中でのこの本の中身に対する拒絶反応は否めない。
2投稿日: 2011.05.16
powered by ブクログやや難解で、同じことを何度も繰り返している感が強く、じれったい。 以下、内容について。 ・トルストイの絶対的な純潔思想を知れる。 ・寺山修司の「カソリックの集大成的な意味でトルストイはあった」という指摘を思い出す ・現代は「理性」が過大評価されている感があるが、トルストイはその極みの人。当然、共感できない。それはわたしが弱く、悪い存在であるから。わたしは弱く、悪い存在であることにある程度甘んじているが、トルストイは耐えられなかったらしい。「長い間、理性で悪いことをしてきた」というヒッピーの言葉を思い出す
0投稿日: 2011.01.03
powered by ブクログこの本は生命について書かれている。 幸福とは動物的個我を超え理性に従うことで達成される。 また、彼は愛を語り死をこの本の中で説いた。 「人」として生まれたこと、 そして理性を持っていること。 これがとても大切なことなのかもしれない。 本書にはたくさんラインマーカーで線引きをし、 ドッグイヤーで気になるところを目立たせました。 結果読み終わったころには思い出深い一冊になりました。 ところどころキリスト教徒の教えなどもでてきますが、 とても納得させられる作品です。 死については腑に落ちないところがあったので 何度も読み返してみたいと思います。
2投稿日: 2010.10.30
powered by ブクログ一切の自己愛を捨て、理性的意識に生きることによってのみ、人間は真の幸福を獲得することができる──人間いかに生きるべきか?現世において人間を導く真理とは何か?永年にわたる苦悩と煩悶の末、トルストイ自身のこの永遠の問いは、その鋭い観察力による人生についての内面的、哲学的な考察として本書に結実する。 原書であっても難解であろうと思われるこうした哲学書は、翻訳されたものを読んでもやはり理解するまで時間がかかることが多い。 わかりやすく、そして原書から逸れずに読者に内容をを伝えるということが翻訳者にとっていかに大変かということを、個人的には感じた。
0投稿日: 2010.07.13
powered by ブクログ要約する力は私にないが、トルストイの生き生きとした思想に心が揺さぶられた。 これは文学ではない、哲学だ。 トルストイは警告する、科学のもたらしうる厭世思想に身を委ねるな、動物的個我へ引き戻されるな、と。 これは愛だ。 そして、この愛は世俗的な愛ではなく、過去・現在・未来の人類一般に対する愛だ。 ただ、最後の三章あたりはキリスト教色がとても強く、罪の概念がほとんど語られていないので、内容がよく掴めなかった。 しかし、宗教に入っていようといまいと、「人生」について考えたい人には、この本を読む価値は七の七十倍はある。
0投稿日: 2010.06.27
powered by ブクログ言いたいことは知っているけど解らない。そんな感じで読み進めていって。解るような気がしました。だけどそれを実行することもまた困難なのだな、と。
0投稿日: 2010.03.20
powered by ブクログ正直トルストイがあんまり好きじゃない。 嫌いな人のありがたいお話を読んだところで、身につくわけがない。 と、言いつつ読んでしまった。 ボクとこの作者はそんな微妙な距離を保っています。
0投稿日: 2010.03.02
powered by ブクログ深い気もするし、意味不明な気もするし・・・。わかったようでわからないので、こんなレビューしかかけませんw
0投稿日: 2010.01.09
powered by ブクログ読むのに約一ヶ月半掛かった。 序盤の生命・個我の幸福の矛盾を突き、みな幸福になる世界実現の方法を説いているが、それは理想の桃源郷であり、何やトルストイ!!!と思っていたが、その考えは甘かった。 中盤以降の人生についての考察は共感出来る部分が多々あり、理解し易い。 苦しみがあるからこそ快楽を感じることが出来る。 こんな感覚の作家は稀じゃないかな?
0投稿日: 2009.12.05
powered by ブクログ彼の奥さんは、いわゆるイタい奥さんで、嫉妬に狂って彼のことを超束縛しまくってた。 彼は死ぬ間際、家出をする。そして11日目くらいにホームで死んでしまう。 遺書にはこう書かれてたそうだ。 「妻を近づけないでくれ。」 そんな残念な彼が、出来もしなかったことを出来てたかのように語る人生論。 「個我の幸せなんかよりも隣人みんなの幸せを望むべきである。」 言ってることはおうさすがキリスト教ー的な感じだけど、 彼が言うからこそ重みが無い。 単純な主張をこねくり回して言う割りに、冗談が挟まれていないので読んでてつまらないし、読む価値は無い。
0投稿日: 2009.10.25
powered by ブクログ書名から想像していた内容とは結構違っていた。解説にも書いてあるように『生命について』の方がより的確なタイトルだと思う。薄い本だけど哲学的な内容なので、じっくり時間をかけて理解する必要があり非常に読みごたえがある。
0投稿日: 2009.10.13
powered by ブクログむずかしい!!!ので、なかなか進まない。 人間の幸福について語っているのだが、確かにそうだ!とうなずける文言がいたる所で出てきます。
1投稿日: 2009.10.10
powered by ブクログ「人間は、何のために生きなければいけないのか?」 おそらく今、哲学と呼ばれる学問が生まれてから、いや人が言語を使うようになってからずっと考え続けられていたであろう、命題に対して、トルストイが答える。 「自らに対する愛を捨てよ。そして本能が望むものではなく理性的な意識をもって、他の存在をいつくしみ、それらの幸福を追求せよ」 自己満足で終わっている、自分の利益を考えて、活動している以上、幸福は得られない。 苦しい人生を送る事になるのかもしれない。裕福には過ごせないかもしれない。でも、真に幸福であるとは何なのか?人から存在を認めてもらうことではないのか。たとえどんな事があろうと、人に信頼されること。それだけでも十分生きる意義ではないか?そしてそれに応える意味でも、ノーブレス・オブリージュ、すなわちその信頼に応える価値を提供すれば良いのではないか。。ちょっと考えがまとまらない。。
1投稿日: 2009.08.17
powered by ブクログ何度も戻りながら、線を引きならがら、読み終わるのに1ヶ月ほどかかった。 断定的で、排他的な表現は読者を限定してしまうかも知れないが、 内容はとても深淵で、宗教的、しかし普遍な人生の一面を正確に描写していると感じた。 『人間の生命は幸福への志向である。人間の志向するものは与えられている。 死となりえない生命と、悪となりえない幸福がそれである。』 動物的個我を理性に従属させることが、幸福への第一歩。 理性を本心と理解しながら読んでいくと、もう少し読みやすいかも。 トルストイの人生が現れている一冊。 当時ロシア本国では、正教の教えに反すると出版を差し押さえられたエピソードつき。 今読んでも人生に対して多くの示唆を与えてくれる一冊です。 ぜひ一度は読んでみてください。 08/6/17
0投稿日: 2008.06.17
powered by ブクログ感銘を受けた。 聞くと、父は高校生の時にハマったそう。 私が高校生のころは太宰治にハマっていて、トルストイは読まなかった。 父が高校生でこの思想にハマってたんだと思うと感慨深い。
1投稿日: 2008.06.06
powered by ブクログとりあえず最初から読まないことをお勧めする。思考がこんがらがるからである。この本は作者がじっくりねっとりと試行錯誤を繰り返して書かれたもののようだから1回こっきりで理解できるものではない。ましてや哲学的な要素がそりゃもうふんだんにあるものだから余計に難しい。そして論評なんておこがましいのでやらない。
0投稿日: 2007.10.14
