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食魔 谷崎潤一郎(新潮新書)
食魔 谷崎潤一郎(新潮新書)
坂本葵/新潮社
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総合評価

7件)
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    ☆3.5 食への執着  著者の坂本葵さんは、小谷野さんの奥さんなので私にはなじみ深いが、今回のこの新書をよんで、小谷野の谷崎伝を思ひ浮かべ、執筆の経緯をおぼろげながら想像した。  食のとりことなった谷崎を、その執着から書いた好著で食とエロスが結びついてゐることがよくわかる。  フロイド分析を持ち出すところは余計だが、後半の食魔の生涯は谷崎の人間性(おもに食へのこだはり)が明白で、おもしろかった。食ひ意地が汚くて、松子いはく、乱杭歯で肉を切り裂くやうな壮烈な食べ方ださうだから驚きである。  なんでも谷崎がはじめて西洋のチーズを知ったのが、一高時代の先生に教へてもらったジェローム・K・ジェロームの『ボートの三人男』からといふ蘊蓄も意外である。

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    投稿日: 2025.11.07
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    谷崎潤一郎も味の素党の人だったのですね! 食欲と性欲が裏表のように絡み合う谷崎作品、作品への反映っぷりも面白いですが、谷崎本人の戦争中だろうと体を壊そうと、ひたすら食べる事に執着した生き様が凄いです。

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    投稿日: 2017.09.29
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    落語が業の肯定なら、文学は倒錯の肯定。このことを執拗に教えてくれたのは谷崎潤一郎。この文豪の描く妖しくも奥深い文学に描かれる食の描写は、小洒落たグルメなんていう生易しいものではなく、まぎれもなく「倒錯した悪食」そのものである。 本書は「痴人の愛」のナオミが日にビフテキ3皿を平気で平らげるように、食欲旺盛な妖艶な悪女たちの食いっぶりから、谷崎自身の「三日に一遍は美食をしないと、とても仕事が手につかない」と語るほど食に取り憑かれ、和洋中の美味珍味を追い求めていく自堕落な美食家の横顔も遺漏なくすくい上げる。 谷崎は美食をこう定義する。 「美食の味は、色気やお洒落をそっちのけにして、牛飲馬食するところにあるのだ」。 多くの女性と情交を結んだ谷崎は食の世界においても、まごうことなき変態であった。尽きることのない食い意地。そこにはグルマンや食通といった気取った姿はなく、まさに全身全霊で貪り食うといった凄まじさ。この食い意地こそが、生涯を文学に駆り立てた原動力であり、料理を通して母の想い出に浸ることのできる記憶装置ようなものでもあった。 多淫と多食。色と食。舌と口を縦横に駆使し貪り食った谷崎潤一郎。千ベロは中島らもの造語だけど、谷崎先生には「全ベロ文豪」という称号を捧げたい。

    2
    投稿日: 2017.09.15
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    2015年は谷崎潤一郎没後50年にあたり,いろいろな企画があった.この本は2016年出版.谷崎の小説,生活から,その食魔ぶりを紹介したもの.かなりいろいろ文献を読み込んでいるが,まあ新発見はない.著者は東大卒.小説も書いているらしいが,知性が邪魔していて娯楽に徹しきれていないところが残念.

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    投稿日: 2017.05.14
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    このレビューはネタバレを含みます。

    910タ フード理論てそれなりに昔からあるあれなんだ…俗信の一つかと…。p31に「ゴロツキはいつも食卓を襲う」(福田里香)の紹介があってそこに出てるらしい。 谷崎さんが蛎殻町の商家生まれて、10代のころに没落して貧乏書生やってたのがのちの健啖家化の下地にたっているとのこと。 p151に一文だけ唐突に説教くさくてびっくりした。あとで引用。 「ああ、読んでいるだけで胸がムカムカする。けれども、産地偽装や廃棄食賓の再利用などが次々と明るみに出て問題視されている今、私たちが普段口にしている食べ物は、本当に「インチキ料理」でもなければ「まがひ物」でもないと言い切れるだろうか。 とのこと。 p64 田に先の猫好きは有名である。「週刊朝日」のインタビュー記事「ねこ」(昭和4)では、ネコの愛らしい魅力について語りながら、唐突に「豹が飼いたい」と言いだす。 「飼ふなら豹ですよ。美してしなやかで、お上品で、宮廷楽師のやうに気取り屋で、さうかと思うと悪魔のように残忍である。好色で美食家で、飼へばきっと面白いにちがいありません」 184 「日常生活のなかで、私と同君との正反対な点は食べ物に関する趣味である。私はかなりの大食家であり美食家であるが、同君は食物に対して趣味はおろかほとんど欲望というものがない。だからあんなにやせてコチコチしているのかも知れない」 『佐藤春夫君と私と』(大正8) p81 ところで「日本の伝統」という言葉を使うと、それがあたかも千円、二千年の長気に渡って変わりなく継承されてきた存在のようにpもえてしまうけれども、その「伝統」はいつ作られたmので、どのような変遷を遂げ、言説かされてきたものなのだろうか 。 「創られた伝統」という概念が提唱されたのは、歴史学者エリック・ホブスボウムの編纂した同名の論文集(1983)によってである。スコットランドといえば誰もがイメージする「タータンチェック」は18世紀にイングランドの産業家がデザインしたものであるなど、我々が伝統と信じているものは実は往々にして近代の産物であることを本書は示した。この概念はおよそ世界中のあらゆる文化に当てはめることが可の宇だろう。日本料理もしかりである。

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    投稿日: 2017.03.02
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    文豪、谷崎潤一郎が、実は自ら”食魔”と名乗っていた、その辺のあれやこれやを1冊の書籍化したもの。 御免なさい、純文学は苦手で殆ど読んでません。 ”細雪”くらいしか知りませんでした。 幼少の頃からの食体験・周辺環境の大きな変動から、”グルメ”ではなく、純粋に”食べる”ことに偏執した谷崎に関して、様々な視点から、氏の作品の部分的な引用を多用しつつ説明されている。 この本の作家自身、純文学の人なんでしょうね(済みません、詳しくは知りませんし関心も余り...)。 文体や表現が文学的で、解釈も多分に純文学的なところがあり、面白い本だとは思うのですがちょっと疲れました。 谷崎作品の大ファンの方、自身が”食魔”じゃないか?とお悩みの方には是非にとお勧めします。

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    投稿日: 2016.09.16
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    谷崎の著書を読んでいると元気がでてくる。食欲、性欲、いろんな欲が刺激され、何かやりたくなってくる。そんな谷崎自身が比類なき快楽主義者だったからこそ、数々の著作物がなまなましく、生き生きとしている。全集が欲しくなった。

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    投稿日: 2016.07.28