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桜島・日の果て 著者:梅崎春生 発行:1951年5月31日 改版:2008年8月1日 新潮文庫 *1951年5月、新潮社より『桜島』の書名で文庫オリジナル作品集として刊行され、その後『桜島・日の果て』と改題 初出: 桜島 季刊誌『素直』1946年9月創刊号 日の果て 『思索』1947年9月秋季号 崖 『近代文学』1947年2・3月合併号 蜆 『文学会議』1947年12月号 黄色い日々『新潮』1949年5月号 (2025.11.15読了) 遠藤周作のエッセイにぜひ読むべしと紹介されていた作家。遠藤は「第三の新人」と呼ばれたが、その兄貴分のような作家であると述べている。「桜島」「幻化」などの良い作品を書き、「蜆」という短編は絶品だとしている。その3編が含まれた本2冊を借りてまず1冊、読んでみた。 遠藤周作は1923年生まれ、梅崎春生は1915年生まれ。前者は芥川賞、後者は直木賞の受賞作家。この作家は、今回、初めて読むが、桜島はじめ読んでいる途中で遠藤周作の作品かと勘違いしてしまうほどだった。純文学と大衆文学って、どう違うの?とも思う。巻末の解説によると、梅崎の初期作品は梶井基次郎による影響が大きいと中野好夫が言っているらしいが。 東大生時代から書いていたらしいが、本格的に書いたのは、海軍から復員してからで、桜島がその最初の作品。最初の3編中2編は、著者と同様、海軍に召集された男が主人公。日の果ては陸軍。蜆と黄色い日々は、戦後間もないころの混乱期が舞台である。 海軍・陸軍が舞台の3編は、終戦まであと1年を切るような時期で、兵士達は誰しも敗戦を感じているものの、それを公式には口にせず、逆を言う。本音と建前。誰しもが分かる建前を建前で返していく状況。一方で、行動に出るエゴイズム。21世紀に入って四半世紀経過する現代にも通ずるものが、多く感じられる。 なるほど、「蜆」は面白い。「桜島」も面白い。短編だが、もの言いがストレートで分かりやすい。難解な村上春樹の短編とは違う。「日の果て」もなかなかいい。もう一冊、長編に近い中編小説の「幻化」も借りている。読むのが楽しみ。 *********** <桜島> 沖縄戦が占領され、本土決戦を覚悟。どこに上陸してくるのか。有力視されていた鹿児島が舞台。坊津から桜島への配置換えを命じられた通信兵の下士官(兵曹)、村上が主人公。死の覚悟をしているつもりの村上の、そこでの上官は兵曹長(准士官)の吉良。桜島は特攻隊が飛び立つ地でもある。 任地へ行く途中、旅館で谷という仕官(中尉)に出会う。谷中尉は言う、「美しく死にたい、は感傷にすぎない」。 一泊して遊ぶことに。谷中尉の提案で、籤引きで遊ぶ方を決める。村上は遠慮したかったが、籤に当たった。相手の妓は片方の耳たぶがなかった。激しい感傷がよぎった。 桜島での暗号室での職務が始まった。上官の吉良は、なにかと軍刀を振り回す。酔っ払って踊りをするときも・・・志願兵でやっと准士官にたどり着いた人間。 丘の上で双眼鏡を手に見張りをする兵士を見かけ、話をする。年齢は40歳前後。いろいろと苦労があって、見張りの講習を受け、こうしているという。一日中、グラマンが飛来しないか見張っている。村上が、年齢も年齢だし、嫌なこともあったんだろうなあというと、それだけじゃない、といって、志願兵に嫌な思いをさせられたことを語り始めた。 「志願兵。志願兵上りの下士官や兵曹長。こいつらがてんで同情がないから」 「私は海軍に入って初めて、情緒というものを持たない人間を見つけて、ほんとに驚きましたよ。情緒、というものを持たない。彼等は、自分では人間だと思っている。人間ではないですね。人間が内部に持っていなくてはならないもの、それが海軍生活をしているうち、すっかり退化してしまって、蟻かなにか、そんな意志もない情緒もない動物みたいになっているのですよ」 「志願兵でやって来る。油粕をしめ上げるようにしぼり上げられて、大事なものをなくしてしまう。下士官になる。その傾向に、ますます磨きをかける。そして善行章を三本も四本もつけて、やっと兵曹長です。やっとこれで生活が出来る。女房を貰う。あとは特務少尉、中尉、と、役が上って行くのを楽しみに、恩給を計算したり、退役後は佐世保の山の手に小さな家を建てて暮そうなどと発想してみたり。一番大切なものを失うことによって、そんな生活を確保するわけですね」(29-30P) 日本は負けると分かっていながら、みんな聞かれれば勝つと思うと建前でいう。死にに行く特攻兵士を見送るだけで、なにもしない、なにも口に出さない自分。自責の念にかられる。 本音を出した見張りの男も、やがてグラマンに撃たれて死んでしまった。彼からは、名前も境遇も生国も、何も聞かなかったことに気づく。死体を地面に寝かせた。兵曹長から無線電話が入り、グラマンか?なんで早く言わないと言った。早くいうもなにも、見張りは撃たれて死んでいるのに。村上は通りがかっただけ。 やがて、敗戦の知らせが入る。 村上:兵曹=下士官、坊津基地隊→谷山本部、博多出身→桜島 田上:兵長(交替要員) 谷:旅館で会った中尉、山上の挺身監視隊長 吉良:兵曹長(桜島)=准士官、志願兵、痛めつけられてきたが忍従せず復讐心を育てたタイプ、 山下:一等水兵、禁じられた梨を食べた、 <日の果て> フィリピンが舞台。主人公の宇治中尉が属する旅団は、ルソン北端のアパリ地区にいたが、幾重もの防御をしたにも関わらず、米軍はアパリ上陸ではなく、突如としてリンガエンに上陸してマニラに迫った。このままではアパリが孤立して食糧不足となるため、5月末にアパリを放棄してカガヤン渓谷を南下、苦難の行軍を続けていた。北の入口からサンホセ盆地に入ろうとした時、リンガエン上陸の米軍1支隊が疾風の早さでカガヤン渓谷を北上し、旅団の最後尾に猛烈な砲撃を加えてきた。 宇治の属する大体は先達ですでに盆地入りしていたが、最後尾は大混乱。その中に、花田軍医中尉がいた。花田も足に怪我をし、逃げ延びたが、隊には戻らず、地元住民の女を含めて3人でどこかのニッパ小屋に留まっていた。使いの者が行って確認した。もう一人は同盟の記者だった。 食糧事情が悪くなってきた。隊長の命により、花田の下にいた衛生兵の高城伍長が花田のところへ行き、隊に復帰して傷病兵を治療するように行ったが、拒否された。自分のような怪我をした高級軍医が最も危険な北口地区に出そうなどとは何ごとか。南口にいる見習い軍医か衛生下士官を派遣すべきだと主張した。記者はすでにどこかへ出発し、女と2人だった。 冷徹な隊長は、宇治中尉に命じて花田を射殺させることにした。射撃の上手い下士官を連れて行けと言って。宇治は即座に高城衛生伍長を指名し、出発した。射撃の腕前は知らなかった。選んだ理由は、高城はきっと花田を憎んでいるだろうとの思いがあったからだった。 花田のところまで行く途中、あるニッパ小屋で暮らす日本人に出会った。軍人ではなかったが、マニラから逃げて来たという。女もいたが、その男が言うには狂女だとのこと。意味不明の言葉を発している。 食糧が悪い。このままだと餓死をする。だからみんな東海岸へと行く。民間人も軍人も。あんたは行かないのか?と。 花田のところを目指す途中、宇治は隊には戻らないことを決意した。自分も離れよう、もちろん捕まれば殺されるが、逃げよう、と。それを高城に言う。そして、お前も逃げたければ一緒に来い、あるいは隊に戻って俺の逃亡を報告してもいい、自分で決めろ、と。以後、後ろから高城が狙ってこないかと兢兢としながら移動。先に行かせようとするが、高城は行かない。さっきの男を殺してこいと命じた。行って戻ってきた。聞けば、殺したのは女の方だったと。 花田のところについた。話をしているうち、花田は銃を抜いて宇治を殺そうとした。しかし、拳銃は不発だった。宇治は花田を撃ち殺した。すると、最後は一緒にいた地元の女が宇治を撃ち殺した。 宇治:中尉、兵器係、今年33歳 花田:軍医、中尉 隊長: 佐伯:隊長の当番兵、 高城:衛生兵、伍長 見習軍医: 松尾:軍曹、宇治の不在時に代役 花田と逃げた住民の女 マニラから逃げて来た在留邦人 日本人〝狂女〟 <崖> 村上:私、海軍航空隊(初めての航空部隊)、一等水兵、29-30歳(加納の次に老兵)、暗号室、大卒 加納:一等水兵、分隊唯一の老兵、38-39歳、暗号室 弓削:兵長 暗号員として、初めて航空隊に配属された村上は、分隊で2番目に年嵩である。一番上は加納で、同じ一等水兵。村上が配属した初日から、加納は帰隊する門限を破り、兵長から制裁を受ける。以後も、なにかにつけてのんびりと行動し、いつもバッタ(制裁)を受ける。彼のせいで他の者もとばっちりを食うこともある。 温泉町の船上勤務で、上陸は週に1度、加納はまちに下宿があるが、帰隊時間に遅れて上陸禁止を食らっている。 下士官や兵長は、イジメで殴ることもしばしば。吊床の上げ下ろし訓練などはとくにそうで、遅い人間から3人は制裁を食らう。なぜ、殴られるのが分かっているのに、頑張って素早い行動をしないのか?それは、志願して入った15歳やそこらの少年とまともにやりやって、40歳近い自分が負けるのが恥ずかしいから。その屈辱感に競べれば、殴られるのはまだまし。だから、最初から勝負を捨ててゆっくりやる。それにしても上官達は身勝手で陰湿である。特に弓削兵長はひどく、加納はとうとう「憎い」ともらした。 ある日、大切な暗号本が行方不明になった。一大事だった。上官が責任をとらなければいけない。しかし、若手は大丈夫で、今回は兵長が制裁を受けることになった。あの弓削もやられることに。その様子を見て、加納はかすかに笑った。 ある時、山芋を取りに行こうと誘われ、崖の上まで加納と言った。2人は、敵の日本語による通信を聞いて、実は日本は戦況不利だと知っていた。1945年の年が明けて2月だった。しかし、それを聞くのは厳禁だった。そんな話をして、立ち上がろうとした時、村上はなぜか背中に圧を感じ、バランスを崩して崖から落ちそうになる。助けてくれる加納。死ぬかと思ったが、何とか助かった。でも、背中の圧はなんだったのか? 転勤命令が出て、そこを出て別の通信隊にいた村上は、もといたところが攻撃されたことを聞いた。みんな防空壕に逃げたが、加納だけ逃げなかったという。怪我をして治療を受けていたが、どうやら死んだと言う。なぜ、逃げなかったのだろう。 <蜆> 僕(主人公)とあの男の2人の話。 僕が、ある夜、粕取り焼酎を飲んで寒さに耐えながら目をつむって震えつつ電車に乗っていると、隣の男が来ている外套が時々触れる。どうして震えているのか?寒いからだ。外套は?売って酒にかえた。代用焼酎ではなく、清酒を飲むべき・・・というようなやりとりがあり、この外套が欲しいならやる、とその男は言う。僕は疑いつつも着てみる。本当にやるということに。気が変わったら省線電車を降りるまでに言え、返すから、というも、いらんという。今日は働いてきた会社の解散式だった、そこで酒を飲んだ、とその男。 それからどのようになったかは覚えていないが、翌朝起きると外套はちゃんと枕元にあった。その日から着て外出。2,3日後にその男に出会った。同じバスに乗る。外套について説明を始める。特徴的な釦は、その男の祖父が猟で仕留めた鹿の骨で作ってあるとのこと。人が着ている外套の解説をする不思議な光景。欲しければ返すぞというようなニュアンスを示すと、おれは他人の慈善は受けんと意地をはる。ただし、欲しくなればお前から貰うのは嫌だから、力尽くで奪い取るという。 ある夜、粕取を飲み過ぎてどこかで寝込んでいると、外套を脱がそうとするやつがいる。あの男だった。明日、船橋に行くので外套が必要だと外套を脱がそうとしている。じゃあ、追い剥ぎだな、というと、追い剥ぎで結構だ、といって持っていった。 2,3日後の夕方に駅前広場でまた出くわした。外套の釦は一つが取れてなく、取れかけて糸が伸びているのも一つあった。喫茶店に入って話をすることになった。船橋まで仕事を探しに人を訪ねたが、ダメだったという。そして、その男はこんな話を始めた。 2人が電車で出会って外套を渡した日、会社は解散して晩に解散会があった。男はそれまで真面目に働いてきたのに、いきなり解散で、僅かな金だけもらって失業。解散会では、いろいろ誤魔化してきたことの曝露のしあいになった。だが、男は後ろ指指されるようなことはなにもしていないので、誰もなにもいわない。あちこちで殴り合いに。会系係の老人も、いろいろやってきて殴られていた。老人を駅まで連れていってやった。男はなぜか亢奮を覚えた。 船橋からの帰り、仕事もみつからず、闇屋でもやるか、と思わず口から出た。帰りの列車は満員。反対側に押し込まれると、反対側には扉がなかった。女が乗っていて押されて落ちそうになっている。一人の男がそれをカバーすべく一番外側に立ち、片手で手摺りをつかみ、もう片手で足許に置いたリュックサックを掴んでいる。その内側に男は立っていた。出発した。さらに混み合い、男は落ちないように必死で捕まっている。とうとう堪えられなくなって、その男は件の男の外套を掴んで堪えようとした。件の男は肩で払いのけた。釦がちぎれ、男は社外に落ちた。誰か落ちたぞ、と騒ぎに。しかし、そんなの明日の新聞を見ればいい、と別の誰か。場所をかわってもらった女が笑う、キイキイと大声で。みんなも笑う、件の男も笑みを浮かべる。自分が肩で払いのけたのに。 足許に残った重たいリュックは何処かで捨てようと思い、取り敢えず持ち出したが、その機会もなく家まで持って帰ってしまった。見ると蜆だった。蜆が鳴いていた。気が滅入るような陰気な鳴き音だった。 翌日、その蜆を闇市で売ったら、思う以上のお金になった。だから、また船橋まで行って蜆を買い、今日も闇市で裁いてきた。釦を握った死体、蜆の鳴き音、舌足らずの妻(しじみをひじみ、しおひがりをひおしがり、としか言えない妻)、この俺・・・醜悪な構図だ、と思った。しかし、自分にも生活がある、とも考えた。 僕は、とりあえず珈琲で乾杯だと言った。すると男は、外套を売ってお金にし、それで一緒に飲もうと誘った。乾杯をした。 せいきん‐は 【星菫派】 星や菫すみれなどに託して恋愛を歌う浪漫詩人の一派。明治後期、雑誌「明星」に拠った与謝野寛・晶子夫妻一派の称。転じて、優美で可憐な詩風の抒情詩人を指していう。 <黄色い日々> 彼:主人公、借家の家主は白木、隣人は発田(話したことがない) 発田:隣家(1年前から)、朝鮮時代は視学、今は露店の玩具売り、 三元:旧友、何故か強盗をした、精神鑑定受ける 中山:旧友、2つ年上、酒好き、雑誌社で編集、三元は共通の友人 白木:隣家、住まいの家主、発田宅の家主でもある、手癖が悪いと噂される小娘がいる、軍鶏を育てている、借家を売って資金を作りたがっている 婆や:「彼」が飯炊きに雇っている 主人公の男は、借家の一人住まいで、家主の白木からは立ち退きをやんわりと言われている。家主は家を売りたいが、借家人がいると売りにくいため。軍鶏を育てていて、それにお金がかかるので家を売らざるをえない状況。隣家には1年前から発田という男とその妻が住み、家の造りはまったく同じ。こちらは家賃を滞納しているようで、払ってくれるようにあんたからも言ってくれないかと、家主の白木から頼まれるが・・・口も聞いたことがない相手にそんなこと。 隣家との間に生垣があるが、穴が開いていて隣家の飼い犬がよく入ってきて、こちらの物を持って行ったりする。靴も持って行かれた。干していた財布も、持って行かれた。中身の濡れたお札も干していたが、それは恐らく家主の娘が持っていったのだろうと想像。手癖が悪い小娘だという噂がある。 ある日、旧友の三元が強盗をしたという。共通の友人である中山(二つ年上)と会って飲むことに。善後策を練るつもりだったが、どうして三元はあんなことをしたんだという話が堂々巡りするばかりであった。中山は言う、君が、こんな時代だから強盗ぐらい構わないみたいなことを三元に言ったんだろう、と。僕が言うわけない、と反論。 酔っ払って、2人でふらふら歩いていると、中山の体があたってどぶに落ちた。ずぶ濡れだった。あくる日、目が覚めるとどぶの臭い。財布が濡れていたので、中身のお札とともに干しておく。後日、お札はとられてしまう。 酒を飲んだのは神田マーケット。その裏の泥水溜りに落ちた。三元と中山は、気持ちの上ではほぼ同じコースを生きてきたと想像できる。強盗を唆したのは君だろう・・・中山がどぶに突き落とした? 体調が悪い。 三元が精神鑑定を受けることに。中山と一緒に鑑定をする医師に会いにいく。中山は雑誌に書くための取材だとのこと。医師によると、頭蓋に穴を開けて調べるのだという。 そのM病院で背の高い奇妙な男とすれ違う。ブツブツと何かを言っている。ドイツ語ではないか?麻痺性痴呆と診断されたA級戦犯で、病気のために法廷から除外された人物だった。 中山からは、顔色が黄色い、黄疸だ、蜆を食べろと言われた。家主に頼んで蜆をもらう。 ある日、偶然にも隣人である発田の仕事を知る。露店があり、そのなかに2軒、玩具を売る店が並んでいたが、その内の一軒の店番をしていた。そのトイメンの店に入り、甘酒を注文。発田は彼とは目を合わそうとしなかった。見ていると、発田が金属を組み合わせて作ったシロホンを叩き出した。きんきんとした金属音で叩いているのは、草津節だった。隣の店の若き主が、犬の玩具を両手で立てて、それに合わせて踊らせている。なにを言っているのかはわからないが、どうやら二人はもめているようだった。発田が犬を踊らせているのが気に食わないようだった。 家主が軍鶏を売ったという。対決させて負けて目を潰された、もう使えないので処分したという。僅かな金が出来た、と。 三元が移された小菅に行き、会おうと出かけた。差し入れに卵を10個買った。すると、その店に目の潰れたニワトリがいた。事情を聞いて分かった。これはきっと家主が売った軍鶏だろう。 途中で中山が書いた雑誌を見つけた、ぱらぱらめくると、病院の写真。そこに写っているのは彼だった。病院に行ったとき、お前の写真も一枚撮ってやろうといって撮影したものだった。雑誌を戻した。電車の中でこんなものを読むより、外の景色でも眺めていたほうがいい。
0投稿日: 2025.11.16
powered by ブクログ一気に読み終わり! 帯につられて買ったのはいつだったか…。3年前か。 ずっと読まずにおいておいて、ふと読みたくなり、一気に読了。 戦争を題材にしながら、それに対する変な涙はどこにもなく、人間の心情を書いている……と私は思った。 こういう小説好き。
0投稿日: 2012.01.29
powered by ブクログゼミの顧問の先生の好きな作家だったので、前々から読んでみたいと思っていた作家の本。 僕はもともと戦争を扱った小説が好きなので、楽しんで読むことができた。しかし戦争とは関係のない「蜆」や「黄色い日日」といった作品も予想以上に面白く、同作家の他の作品も読みたくなった。
0投稿日: 2012.01.07
powered by ブクログ作者の梅崎春生は、1944年に海軍へ招集されて暗号特技兵というものを務めたそうだ。その時の体験を踏まえて描かれたのが、表題作の『桜島』である。戦争末期、米軍の上陸に備える桜島へ転勤になった暗号兵・村上。「死について考えることが、生への執着を逆にあおっていたに違いなかった」という。 この作品を読んでいて、戦後まもなく書かれたような気がしないと感じていた。作品では「戦地」という死が目前に迫った場所ではあるが、なんとなく、現代でもいつでも死はそこにあるものだと考えれば、深く共感したり、考えさせられたりする。 この作家がいたことを知らずにいたことがもったいない。
0投稿日: 2009.01.20
