
総合評価
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powered by ブクログ想いの強さは大切であるが自分の考えを周りの人に伝える力もリーダーとしては必要なことである。その点ではやはり足りなかったのではないか。
1投稿日: 2025.09.21
powered by ブクログ戊辰戦争は西軍が優勢のまま、ついに越後にも恭順か抗戦かという決断が迫られる。その中で武装中立という、あくまで長岡藩を独立させつつ西軍と東軍の橋渡し役を担うべく奔走する河井継之助は、やがて自らの運命を悟るようになる。 題名の「峠」とは、実際の戦場となった榎峠のことを指すとともに、幕末から維新へと向かう日本社会にとっての転換点でもあることを示している。とくに北越戦争および会津戦争は、必ずしも優勢ではなかった西軍がその後の維新へと向かうための重要な戦略的転換点であり、ここでの勝利が決定的だった。 継之助にとって不幸だったのは、西軍との交渉役が岩村精一郎だったことだろう。歴史にタラレバは禁物だが、もし戦略的思考を持つ黒田清隆や山県狂介が相手であれば、重武装の長岡藩と事を構えずに会津藩との交渉役に抜擢するといった判断もあり得ただろうし、もしかしたら戦後も生き残って維新政府で重要な役割を担ったかもしれない。 2027年の大河ドラマに小栗上野介忠順が決まったように、近年では賊軍とされてきた幕府方の英雄たちを見直す動きが広まってきている。河井継之助も長岡という地に譜代大名の家臣として生まれていなければ、もしかしたら維新志士として名を馳せていたかもしれない。そして困窮にまみれることとなった長岡では、小林虎三郎による米百俵の精神が説かれ、そこから家老の名家を受け継いだ山本五十六が出てくるといった形で、歴史は紡がれていく。
5投稿日: 2025.06.25
powered by ブクログ江戸を脱出してから北越戦争に投じて、激戦の中で被弾による戦傷死までを辿る。 継之助は誰よりも時代の流れを見通し、可能な限りの戦備も整えたが、歴史の皮肉はその継之助が幕藩時代の譜代大名家の士分に生まれたことだろう。全て見通しているものの、長岡藩執政という立場に全てを規定されてしまう。武装中立するという立場も元々無理筋ではあったが、裏で会津藩が自分側に引き入れようと策を練り(基本的に失敗続きの会津藩が自分と長岡藩が裏取引しているとの印象を官軍に抱かせる謀略だけは成功)、検察官的性格の官軍軍監岩村精一郎に塩対応をされ戦う決意を決めてしまう。 軍備もあって戦術眼もあったからこそ彼我に多くの戦死者を出す戦いとなるが、結局、戦略的には負けており、最後はそうなってしまった。藩の立場で美学を追求するとこういうことになってしまう。残るは大量の戦傷者、戦災、そして多くの住民の生命・財産の毀損である。この美学と損失の関係は後の日本軍にも通ずるところがある。 司馬遼太郎は後書きにて、侍とは何かということを考えたとあるが、陽明学に基づく美学は個人としては完結し美しいが、全体を考えて動かないといけないと思う。 非常に侍とは、美学とは、藩の枠とは、政治の役割とは、戦略眼とは、と様々考えさせられる良著だった。
0投稿日: 2025.05.24
powered by ブクログ継ノ助は新しい時代の視点と純粋な忠義心、そして実行力を兼ね備えていたという点で大半の薩長や公家、譜代の面々より遥かに優れた人物であったと思うものの、では何故彼の本懐が遂げられなかったのか。 あまりに周囲の人との違いが大きいため、結局のところ自分の主張が受け入れられることに慣れ過ぎていたおかげで、肝心の西軍との談判を強引に進めて破れ去ったのが大きな理由の一つだったのかな。 とは言うものの、大した人物がいたものだ。
0投稿日: 2025.05.16
powered by ブクログ幕末の時代。 誰もが、長いものに巻かれ、右往左往していた時代に、これだけの自己規律と信念を持ち、ブレずに生きた男がいた。 そのことが衝撃だったなぁ。 思想や自己規律、信念が、ここまで生き様を描くことができる。それが人間が、他の動物とは一線を画す生き物である、ことの証左だとも思う。 武士って、スゴイや。
3投稿日: 2025.04.20
powered by ブクログ河合継之助との長い旅が終わった。 長かったが、充実した旅であった。 継之助の真っ直ぐな生き方に感銘を受け、武士の矜恃を見せつけられた。 司馬遼太郎、流石である。
0投稿日: 2025.04.08
powered by ブクログ誰よりも早く洋式を取り入れた継之助。 一方、志や思考・思想は誰よりも武士だった継之助。特にこの下巻ではその色が濃くなる。 継之助は完璧主義でもなければ適当主義でもない人なのだろうと思う。あえていうなら最適主義といった人物。 複数の方が書いているが、幕末や明治維新の時代、学校の勉強ベースや歴史の書籍ベースだと、殆どといってよいほど、倒幕側の目線、あるいは幕府側の目線で書かれている。それがこの『峠』では長岡がとった『中立の立場』として描かれており、同じ時代でも全く違った世界を知ることが出来る。 峠の主人公である河合継之助、同じ時代を生きた坂本竜馬、うつけと言われた信長、皆若い頃は総じて周囲から『変わり者』と思われる人間だったと思う。つまり天才とはそういう者だ!
2投稿日: 2024.11.04
powered by ブクログ北越戦争、こんな歴史があったとは。 戊辰戦争、無血開城以降は函館までほぼ素通りしてたけど、こんな人が長岡にいたんですね。 結果的に批判されるのはやむなしとしても、その粋は美しいし、結果については運の巡り合わせにもよるのかなと思う。
1投稿日: 2024.11.04
powered by ブクログ不勉強にして知らなかった北越戦争が主題だったことや長岡藩の運命をようやく理解した。 人の器の大小、蔓延する事なかれ主義、抗うことのできない時代の流れ、それらに翻弄される個々の人生。今の社会にも通じるところが多々あり、考えさせられる。 タイトルの「峠」が秀逸。本書には随所に峠が出てくる。世の中心から遠く隔離する峠。交渉の山場としての峠。戦場としての峠。 途中でやめずに全て読了して良かった。
0投稿日: 2024.10.21
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
戊辰戦争といえば八重の桜や白虎隊で有名な会津藩がメジャーだったが、北越戦争が最も苛烈と言われていたのは恥ずかしながら知らなかった。 最後まで武士道を貫いたということなのだろうが、後半は古い考え方に固執してしまった感を得ない。一方、著者が書いている通り現代に生きる我々は当時の人物からすれば神のような視座で見ているので、このような指摘は適切ではないのは理解している。それにしても、このような人材が…というのは悔やまれてならない。 明治維新と言えば新政府側がヒューチャーされがちだが、別の側面からものを見る視点は歴史のみならず何事においても大切だと痛感
0投稿日: 2024.09.07
powered by ブクログ以前読んだ戊辰戦争関連の書籍で強烈なインパクトを残した、河井継之助を主人公に据えた名作 彼の壮大な夢、長岡藩の武装中立に向けて藩屋敷を売り払ったり、為替で儲けたり、ガトリング砲を買ったりとまさに破天荒な男 誰よりも封建体制の崩壊を分かっていながらも、長岡藩士として必死に生きた河井がカッコいい またその影で、作中には出てこないが民に恨まれていたのもまた事実 河井継之助について、もっともっと知りたくなりました 幸い夏に長岡に行く予定があるので記念館に行こうかな
1投稿日: 2024.05.21
powered by ブクログ『最後のサムライ』という映画の副題がしっくりくる良い作品。ただ、主人公に目を向けると、結局は領民の命より武士としての生き様を重視した人物だという印象。おそらく司馬さんのフォローだろうが、個人的には彼に長岡藩が小さ過ぎたとは思えない。
0投稿日: 2024.02.10
powered by ブクログ――考えてもみよ。 と、継之助はおもう。いまこの大変動期にあたり、人間なる者がことごとく薩長の勝利者におもねり、打算に走り、あらそって新時代の側につき、旧恩をわすれ、男子の道をわすれ、言うべきことを言わなかったならば、後世はどうなるのであろう。 2021/1/16読了 維新の敗者側の、しかも小藩の執政で戊辰戦争の局所戦に散った河井継之助だが、しかし司馬遼太郎という屈指の歴史小説家に見出されたお陰で、百数十年の後世の我々が、その名を記憶に留める事が出来るのである。
0投稿日: 2023.10.01
powered by ブクログこの時代に米の差益を発見し、儲けたお金で軍備を整ええた天才。先見の眼やがありながら、境遇に恵まれず北越戦争で亡くなってしまった。 この時に亡くならず、日本のために活躍してくれていたなら…。と思わずにいられない。
0投稿日: 2023.09.20
powered by ブクログ下巻は戦争を避けるべく動いてきたが、小千谷談判が決裂、北越戦争へといった流れ。会津の立場もあるとは言え、小千谷談判を崩すために長岡藩と一緒に暴れたように見せたという件が印象に残った。談判が成功していても継之助の思うように展開したかは別であるが。いずれにしても時代や立場が違えば活躍したかもしれない人物だけに勿体無く思えた。
0投稿日: 2023.08.24
powered by ブクログ精神的な美しさを体現した幕末の武士、河井継之助は公益のためにのみ自信を操り正義を貫く。新政府側と佐幕派が和解に漕ぎ着けていたら、歴史は少し変わったのかもしれない。
0投稿日: 2023.02.20
powered by ブクログ河井継之助、やはりおさえておかねばならないよね。 このひとに対する評価は分かれるのだろうけど、嫌いじゃないですよ。
0投稿日: 2023.02.12
powered by ブクログ河井継之助は評価が難しい人物であると思う。 彼の政治のスタンスとしては、本書の中で官軍にも東軍にも味方しないという風に書かれていた。 それが結果的に初動の遅れとなり長岡藩の敗因に繋がったことは否めない。 しかし河井はあくまで戦争はしないに越したことはないという理想を強く保持したこと、幕府や武士が今後は衰退する世の中で(外国との貿易を含めて)長岡を単独で活発化させることを望んでいたこと、などを構想していた。そのプロセスを上巻から読んで頭に入っていると河井のクライマックスが多少理解できるだろう。 せめて戊辰戦争が彼が生きているうちに起こらなければ全然別の展開になっただろう。確実に長岡の未来を変えていたと思う。彼は、長岡に収まる器ではなかったのだと思う。 あと些細は点では、長岡で官軍との戦争中に奥羽から軍が全く来なかったのが不思議に思った。奥羽越列藩同盟を結ぶ関係である割には軽薄ではないか。会津藩はどこよりも働き者だとも思う。
0投稿日: 2023.02.10
powered by ブクログ【2022年の読書振り返り】 自分の愉しみとして10作選びます。 ■実書籍■誰がために鐘は鳴る(ヘミングウェイ) ■実書籍■ドクトル・ジバゴ(パステルナーク) この2作が頭一つ抜けて圧巻でした。パチパチ。 ■実書籍■ロバート・キャパ写真集 正直、「誰がために鐘は鳴る」「ちょっとピンぼけ ローバト・キャパ自伝」との3点セットの味わいなんですが、やっぱりこの人の写真は魅力が尽きないなと思いました。 これは岩波文庫が素敵な仕事をしていくれていると思いました。 ■実書籍■マノン・レスコー(プレヴォ) ■実書籍■郵便配達は二度ベルを鳴らす(ケイン) 今年は海外古典がマイブームだった気がします。光文社古典新訳文庫、素晴らしいですね。 ●電子書籍●街道をゆく・オホーツク街道(司馬遼太郎) 今更な司馬遼太郎さんなんですが…。面白いものは面白い。 数十年ぶり再読の「峠」、「播磨灘物語」、それから「人間の集団について」「街道をゆく・陸奥のみち」も併せて、脱帽ものでした。 ■実書籍■すみだ川(永井荷風) やはり数十年ぶりの再読なんですが、今回は復刻シリーズで旧かなを堪能。 打ち震えるくらいの快楽でした。旧かなマニアなので…。 ■実書籍■「細雪」とその時代(小林信彦) 小林信彦さんの新作を愉しむというのが歳月を考えると感無量。 そして「細雪ファン」としてはこれまた鳥肌モノ。 関西が懐かしくなりました。 ●電子書籍●人生が変わる55のジャズ名盤入門(鈴木良雄) 失礼ながら大きな期待なく読んだんですが、鮮烈に愉しみました。 数年ぶりに「猛烈にジャズが聴きたいっ!」と思わせてくれました。 現役のジャズ巨匠、それも日本人の、という視点がこれほど興味深いとは。 名盤入門なんですけど、鈴木良雄さんの半自伝という楽しみですね。 ●電子書籍●ジャック・リーチャー・シリーズ(リー・チャイルド) 村上春樹さんが「このシリーズは好き」と言っていただけで読んでみたんですが、 いろいろ突っ込みどころも満載だけどとにかく楽しめてしまいました。 「奪還」「パーソナル」「宿敵」「ミッドナイトライン」「葬られた勲章」の5作。 敢えてひとつなら「パーソナル」がラストまで楽しめて印象的。 # 以上で10作になります。 上記で言及していない、次点みたいな心残りを挙げると ・新宿鮫Ⅻ 黒石(大沢在昌) なんだかんだ、また全作再読してまった挙句の新作は痺れました。 ・世界の歴史23・ロシアの革命(上山春平) このシリーズは好きなんですが、特にこれは夢中になって読みました。 かなりエンタメでのめりこめました。 ・ヨギ・ガンジーの妖術(泡坂妻夫) とぼけた味わいとひねった仕掛け。脱力感溢れるキャラクター世界が秀逸。 あたりでしょうか。「失敗の本質」もこれまで何度も読み切れなかった(読み始めるタイミングが無かった)んですが、面白かったですね。 来年も、愉しみです。
3投稿日: 2023.01.01
powered by ブクログ幕末の戊辰戦争で活躍した河合継之助を描いた歴史小説の最終章。いよいよ官軍に攻め込まれて、長岡藩でそれに立ち向かう。ギリギリまで長岡藩の中立を保つべく奔走をするが、どうしてそれがうまくいかず、勝てることはないだろうを分かっていながら大義のために降伏することはせずに北越戦争に突入してゆく。 かっこいい生き様を貫いているようにも見えるが、どうしてもなかなかその立場を十分に理解することが難しいし、郷土では悪者として認識されることも多いというのもわかる気がする。でも魅力的な人物を描いたこの小説は面白かった。
0投稿日: 2022.10.07
powered by ブクログ下巻、ついに官軍との北越戦争が始まる。あくまでギリギリまで戦争を回避しようとする河井継之助ではあるが、時代の流れが、それを許さず、結果として熾烈な戦となってしまう。 士農工商や幕府が瓦解することを見通し、長岡藩も無論なくなることが分かっていた河井継之助だけに、滅びの美しさや悲哀さが特に下巻には立ち込めており、所々描写される戦争に巻き込まれる一般人に対しては、何処かに矛盾した心情が隠しきれない。それはこの本を読む多くの人が思うことであろう。「早く降伏をすれば良かったのではないか?」と。 しかしその考えはあくまで現代的なものであり、降伏した者が、次の戦争の先兵として使われるだけでなく、河井継之助は長岡藩の武士であり、全巻を通して描かれるのは立場を通した身の処し方、それは河井継之助にとって、単なる藩の武士から、武士という希少な生き物として昇華され、時代の流れに上手く乗れない、理解できない(河井自身は理解を十二分にしていたのだが)人たちの代表としても存在することとなった。 それ故にもし官軍側に生まれていたなら、どういう活躍をしていたのかが惜しまれる人物ではある。
0投稿日: 2022.10.02
powered by ブクログ映画公開までに読み終えたかったのですが、公開2週間たってやっと読み終えました。 地元の話なので、地理的なことがよく分かるし、幕末に活躍した全国の偉人の動きもつながって、10代の時に読んどくべきだったなぁと思いました。 司馬遼太郎作品はあんまり読んだことがないので分からないのですが(『梟の城』くらい)、時折作者の解説文みたいのが入るのが理解を深めて面白かったです。 ただ、地元では長岡を焼け野原にしたヤバい奴っていう評価を、子供の頃に自分のジジババ世代に聞いたのですが、そういう表現は本文には出て来なかったです。 その辺も含めて調べてみたいので、改めて河井継之助記念館に行って調べてみようかと思います。 北越戊辰戦争がどうして起こったのか。 この小説を読むと、地元の郷土学習で分からなかった部分が補完されるようで、フィクションの部分もあるでしょうが、幕末という特殊な時代背景と長岡の置かれた立ち位置、何より河井継之助の武士としてという考え方が複数重なった上に、情報伝達がうまく行かない時代背景や相手側の心情などまでが悪い方に進んでいく様子がよく分かります。 戦争をギリギリまで避ける方法(やり方はどうあれ)を探る事は、後の同じ長岡の偉人、山本五十六にも通じていて、郷土史をもう一度学び直そうかなと思い始めています。 幕末の混乱期は、色んな視点の本があると思いますが、官軍側、幕府側を行ったり来たりして読むとより理解が深まるのかなと思いました。
0投稿日: 2022.07.19
powered by ブクログとうとう官軍との戦いに巻き込まれていく。本来は戦いたくなかっただろうに、ボタンのかけ違いから戦わざるを得なくなってしまう。 この小説を読むまでは、幕軍の方が戦力あるのに何故官軍が圧倒したのか理解出来ていなかったが、時代の変革の流れには逆らえないものだと理解出来た。 河井継之助が、もし違う藩に生まれていたらとか、明治維新を生き延びていたらとか考えると、惜しい人を無くしたものだと残念に思う。
1投稿日: 2022.06.04
powered by ブクログ幕末から明治初期の混乱期、貨幣経済の発達につれて、武士の世が終わり、商人の世になることにいち早く気づきながら、自分は譜代大名家臣として、藩を守り、官軍への服従を拒否した。彼にそうさせたのは、武士としての美学か。 薩長と佐幕派の視点で論じられる時代を、鳥羽伏見の戦い、大政奉還後の混沌とした動きの中で生き残ろうとする各藩の姿も、とても興味深く読めた。
1投稿日: 2022.05.25
powered by ブクログ上中下まとめての感想と評価。 幕末の長岡藩、河井継之助のお話。 司馬遼太郎さんの小説は恥ずかしながらあまり読んでこなかったが、歴史的な事実と人物像を形作る空想の世界のバランスが絶妙。流石は司馬さん。 個人的にはこの歳(おじさん)になってからよんだからこそ感じられた面白さもあるかなと思う。 自分の経験、知識に基づいて考えた結果の士農工商がなくなる未来の形と、小藩の武士という自分自身の境遇に板挟みされながらも必死に足掻いて生き抜く様がかっこいい。
1投稿日: 2022.05.08
powered by ブクログ読み進めるにつれて凄みのある人物であることがわかる本 常に先のこと・最悪の事態を見据え、その上で人としてあるべき姿を貫く姿に強く感動した。
1投稿日: 2022.05.08
powered by ブクログ下巻一気読み。 戦国時代モノや、幕末あたりの読み物好きだなーー。 最初に買ってもらった本が織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の伝記だからかなー?? 河井継之助、惚れるなぁー。 映画の公開が楽しみです。
3投稿日: 2022.03.22
powered by ブクログ面白い。上巻、中巻で丁寧に描写されていた河井継之助の終わりが怒涛で描かれている。また読み返してみたいと思える一冊でした。
1投稿日: 2022.02.08
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
p.444 そして作者は、河合が死後にまで自藩の者にうらまれた話ははぶいてしまっている。 どんな恨まれることをしたのかを楽しみにしていたので、ちょっと残念でした。
1投稿日: 2022.01.07
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
この下巻は、読んでいてとても辛かったです。 継之助は、あくまでも中立を目指して動いていたけれど、世の中の戦いの渦が強く大きく渦巻いて、結局戦わざるを得なくなってしまい、本意ではない思いが伝わってくるようでした。 本当に中立が出来ると思っていたのか、ちょっと疑問が残りました。 先を見る目があり、侍の世は無くなるとも思っていたけれど、侍として戦う道へ行くしかない。 長岡藩という中での自分であり、武士だったのかなと思いました。
1投稿日: 2021.12.25
powered by ブクログ死に向かうのは辛いし、最後残された人々のことも気になる。3巻あっという間で、流石司馬さんと思った。とても面白かった
1投稿日: 2021.07.14
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
『功名が辻』を読んでから、どうも司馬遼太郎の作品にノレなくなってしまったのかもしれない。 主人公の時代を俯瞰する目の確かさに、確か過ぎる目に、ちょっと食傷気味というか…。 河井継之助は、幕府の構造や武士という存在は過去の遺物となるであろうことを見越し、経済で長岡藩を存在させようとした。 先祖伝来の財物を金に換え、大砲や最新式の銃を買った。 武装中立国であるスイスを見習ったのである。 だけど、広大な平野に広がる長岡では、山の中に位置するスイスと同じようにはできない。 それは素人の私にもすぐにわかったこと。 古来、戦は地勢を考慮して行われたものだけど、北越戦争すら最終的には地の利を考えて攻め、守ったのに、なぜ長岡の地理的特質を考えることなくスイスに倣ったのかがわからない。 その一方で、藩主には義に殉じる人であってほしいと願う。 最後まで佐幕の他藩と手を繋ごうとはしなかったが、薩長に与することだけは頑として拒否した。 この矛盾。 藩の有能な若手に「牧野家とその藩が、継之助一個の思想的美意識で滅ぼされてはかなわない」と言われ、論理的に反論することはできなかった。 「おまえにはわからん」と黙らせようとした継之助は、「気概だけでも(謙信を)見習え」と言った継之助は、「空想です」と切り返される。 まったく、この若い侍・安田正秀の言うとおりだ。 結局継之助は安田正秀を就寝蟄居に処する。言論封鎖だ。 どこに敵のスパイがいるかわからない状況で、誰が寝返るかわからない状況で、継之助のビジョンをどこまで明らかにしていいのかは確かに難しい。 しかし、あまりにも一人の頭に納め過ぎた。 風雲急を告げる時代ではあったけれど、だからこそもっと人を育てなければならなかったのではないか。 若かった頃に他人を見下して、自分が認めた人としか付き合おうとしなかったつけが、最後の最後にきいてきたということか。 北越戦争での河井継之助の戦いぶりを見る限り、彼は卓越した戦術家ではあったと思う。 しかし薩長の戦略に負けたのだ。 長岡藩を残したい、薩長には与したくないと思うのなら、奥羽列藩と組むべきだったのだ。 蓄えた金を奥羽列藩に貸し与え、薩長とイギリスの関係を面白く思っていない商人を紹介して最新式の武器を準備するように提言するべきだったのだ。 最後に藩主を落ち延びさせるとき、「会津に頼め。会津がダメなときは米澤に行くな。庄内に行け」と言ったと作中にあるが、これがもし本当なら、継之助の目の確かさに驚かされる。 そしてなおさら、会津と庄内と仙台とだけでも事前に手を組んでおけば、幕府が倒されたとしても、薩長のやりたい放題は防げたのではないかと思う。 河井継之助はその独断のせいか、当時も今でも地元にアンチが多い。 それはなぜか…ということをこの作品には書かれていない。 そういうところがフェアじゃないというか、史実を知らない人が読めば、時代に恵まれなかった完全なヒーローに読めてしまう。 10さんの地元が舞台なので、北越戦争の火蓋が切られてから知ってる地名がたくさん出てきて、位置関係が分かるので、結果を知っているのに手に汗握ってしまった。 だって、最後の20ページくらいまでは、互角以上に戦っていたんだよ。 ひとりだけが抜きんでていても、それで国造りは出来ないなあと『銀河英雄伝説』を思い出しながら本を閉じた。
2投稿日: 2021.07.11
powered by ブクログやっと完結って云うのが正直な気持ち。特にこの巻は北越戦争で長岡藩が滅ぶ前段階から継之助の最後までなので、読んでて楽しくないな。最後の小地谷での交渉のタイミングで思ったようにいかず、悲劇となったように描かれているが、それがなくとも結果は同じだったような気はする。時代や人を結局は読み切れなかったんだよなあ。とても優秀な人と思えるのにとても残念ではある。それはともかく、映画では役所さんが完璧に演じてくれるような気はする
1投稿日: 2021.06.03
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
陽明学の人。 結局、ぐちゃぐちゃにしてしまった。 スイスのような独立独歩を目指したのだろうが 結果的に、いい迷惑。 上中と辛抱の読書。 なんで、こんなに長く書いたのだろう?
1投稿日: 2021.04.18
powered by ブクログ越後長岡藩一藩士の新国家構想の夢にかけた生き様、やはり高すぎる理想に感じてしまう。 映画上映の前にもう一度読みます。
1投稿日: 2020.11.20
powered by ブクログまずは長い。 3巻もいるか?いや、いらない。 最初は「主人公は変わっている、個性的だ」 という話ばかり。 その風変わりな行動も、最初は痛快だが、 すぐに満腹・不愉快・うんざりになってくる。 最後の見せ場もわかりづらい。 結局、河合の信念って何だったのだろう?
0投稿日: 2020.11.04
powered by ブクログ下巻は、京都での大政奉還で、担ぐべき神輿(将軍慶喜)が急きょ消えた後、長岡藩でくしくもファブルブランドの母国スイスに似せた武装中立を貫こうとするも、藩内の誰にも薩長筆頭の皇軍にも奥羽越藩同盟にも理解してもらえず、結果として小地谷談判で決裂し、旧幕側に立つ存在として一瞬だけ局地勝利をえるもわずか数日で山県有朋ひきいる皇軍に長岡で民衆を巻き込む火の海の惨劇をまねき自身は銃創で戦時中に死ぬという結果に至る。司馬遼太郎は開明主義ながら薩長と同じ方向に向かなかったのは不思議だが、それが武家の美なのだろうと河合継之助を描いたそうだが、現代人の私にはなかなか理解しにくかった。
1投稿日: 2020.09.13
powered by ブクログ戊辰戦争の中でも北越戦争ってのはほとんど知識もなく、凄惨な戦いであったこたがよくよく理解できた。これが侍の美意識かと…
1投稿日: 2020.09.01
powered by ブクログ幕末の越後長岡藩の運命を背負った河井継之助の物語。若い頃に江戸に出て、その後諸国を歩き、三十前後まで書生として生きた。しかし、非門閥系にも関わらず継之助は将来長岡藩の藩政を担うのは自分しかいないと信じていた。諸国を巡った目的は長岡藩を時代に合わせてどうやって改革していくかを探ることにあったという。 幕末、最も激しい戦いであった北越戦争を長岡藩執政として指揮し、壮絶な最後を迎える。西軍(官軍)に最後まで靡かなかった姿勢は新撰組を彷彿とさせるが、新撰組が旧態依然とした武士を目指したのに対し、継之助は新しい武士というか武家社会の崩壊を予想して行動した。政治にも戦にも長けた稀有な才能を持った継之助が小藩である長岡藩に生まれたことは運命であった。それでも幕末という混乱した時代に藩を飛び出して活路を見つけることはできたであろう。身分制度の崩壊を予見していた継之助だったが、最後まで長岡藩士として生きた継之助は最後の武士だったのだろうか。
1投稿日: 2020.05.19
powered by ブクログ司馬遼太郎の作品の中でも、雰囲気がおもたーい作品。明治新政府側でないため、時代の流れとしては滅びる側にいるから。それだけではなく、主人公の継之助という、命がけで自他共に完全を求める侍の凄味が、そうさせている気もする。人として、どう生きるのか。継之助と司馬遼太郎に、問いを突きつけられているように感じる。 戦時下、稀代の戦略家であり、ほとんどの策は当たっているが、裏をかかれることも。戦略はいつでも当たるわけではない。なぜなら、未知なる相手がいるがゆえに、狙いが外れることがあるから。どんな戦略も、できることは当てる可能性を上げることだけ。ひるがえって、戦いは相手がいない場所を探して行うに限る。
1投稿日: 2020.05.16
powered by ブクログ外様の薩長両藩が朝廷を担ぎ上げ「官軍」と称し、徳川忠臣とみた越後長岡藩に恭順を迫る。家老・河井継之助は、「局外中立」を唱える一方で、牧野家の血統を絶やさぬために藩主父子のフランス亡命を画策する。〝武士は主君のために存在している〟とする徳川封建制を支えた基礎倫理観が、継之助の武士道精神として昇華し、壮烈な北越戦争で散っていく。長岡藩の悲運を招いた河井継之助の行動は、藩民から厳しく咎められる向きもあるが、【司馬遼太郎】の描く人物像は、最後の武士として勇々しく語りあげられている。
1投稿日: 2020.04.01
powered by ブクログ先の先の先を見越していながらも時代という大波、そして自分の依って立つ藩という枠組みの中でもがき続けた生涯。この作品のおかげで、河井継之助近辺の人物達のことをもっと知りたくなりました。
1投稿日: 2020.02.17
powered by ブクログ激動の時代を生き抜いた継之助 彼の生き様・考え方は 今日を生きる私たちにこそ役に立つ部分も多いのではないか
1投稿日: 2019.11.28
powered by ブクログ武士の精神と開明への思いが交錯する継之助。偉いといえば偉いが、個人的には評価が低い。 どうしても、奥さんが可哀想としか思えない。
1投稿日: 2019.08.22
powered by ブクログ下巻にきて、これまで上巻、中巻で圧縮されてきた河井継之助のパワーが一気に爆発した感じだ。これまでの上巻・中巻がどちらかと言えば「静」の感覚だが、下巻にきて一気に「動」へ転じる。小説としても、最後の最後でドカンとクライマックスを迎える感じだ。 河井継之助という名前は、世にあまり知られていない。歴史の教科書には出てこなかったからだろうか?少なくとも自分には記憶がなかった。 また、大河ドラマに取り上げられたこともなく、「なぜ取り上げられないのか?」との疑問の声も多い。 圧縮されたパワーが爆発したとはいえ、この爆発の形は、河井自身が考えていた理想とは全く異なる形での爆発だった。強い意思を貫いてきた彼だが、最後は時代の流れに飲み込まれ、彼にとっては魔の力とも感じたであろう意思に反する力に引きずり込まれての、やむにやまれぬ戦いに巻き込まれてしまった。 小説の紹介文には、「西郷・大久保や勝海舟らのような大衆の英雄の陰にあって、一般にはあまり知られていない幕末の英傑、維新史上最も壮烈な北越戦争に散った最後の武士の生涯をを描く力作長編」とある。 中巻で、福澤諭吉との対話シーンがあるが、当時の時代の大きな流れに逆らうかのような印象を受けた。時代に流されず自身の信念の姿は人としての強さを感じる一方、この巨大な流れに耐えらるのかとの不安を常に感じながら読み進めた。 大政奉還後も、薩長を中心とした官軍と、旧幕府軍との戦いは続き、これを「戊辰戦争」と一言で表現されることが多い。官軍と旧幕府軍との闘いは、鳥羽・伏見の戦いや、上野戦争、函館戦争がクローズアップされることが多いが、もう一つの大きなキーとなる東北戦争に、とりわけ局地戦であった北越戦争に焦点を当てられたのが、この「峠」の下巻だ。 ここまで壮絶な戦いであったというのは、この「峠」を読んで初めて知った。河井はこのときは、藩士、家老というよりも、一人の軍総司令官であった。 河井は幕府系の長岡藩に生まれ、忠誠の心を貫くということと、倒幕・維新という時代の流れとの狭間で、それらを両立させるためには、長岡藩を中立的な存在としてそれに耐えうる力を持たねばならないと考えたのかもしれない。 しかしながら、彼の中立国の理想は、最終的に魔の働きによって捻じ曲げられ、結果として官軍と壮絶な戦いをせざるを得ない宿命の中に投げ込まれた。長岡藩の民衆を守りたいという理想とは全く真逆の結果、民衆をことごとく戦いに巻き込んでしまうという結果を導いてしまった。 彼があるいは、長岡の出身でなく、薩長に生まれていたとしたら、西郷、大久保や勝海舟らと歴史に名前を並べていたかもしれない。 同じ幕末を読むにしても、違う角度から読んでみると、なんとなく時代が立体的に見えてくるように感じるものだな・・・という感想だ。
4投稿日: 2018.07.15
powered by ブクログ「長岡に死ににきたぞ」 悲壮感漂う長岡奪還戦をクライマックスに、負ける結末を知りながら、死に花を咲かせる継之助と長岡武士たち。 悲しい中にも爽やかをもって、長かった話は終わった。 現在、長岡に行くとシャッターを閉めた店が多く、寂しい限りだが、今度訪れる時は、昌福寺に行ってみようと思う。
4投稿日: 2018.04.28
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
もし長岡藩が無能で意気地なしの家老しかもたなかったならば、この敗北もありえなかった。なぜならば敗北する前に降伏し、官軍のしっぽについて会津攻撃にむかい、大勢とともに可もなく不可もなく進んでいたであろう。 が、長岡藩家老は、不幸にも河合継之助なのである。師の山田方谷にさえ「あの男には長岡藩は小さすぎる」と評された男であり、大藩の家老か、いっそ日本国の宰相にでもなってようやく柄が適うかといわれた男であった。 長岡という小藩にうまれたことは継之助にとって不幸であったが、長岡という小藩にとっても継之助を生んだことは不幸であった。継之助は、長岡藩という藩に対し、分不相応の芝居をさせようとした。(p.347下)
1投稿日: 2018.02.26
powered by ブクログ今のところ、司馬遼太郎作品の中で一番好き。 河合継之助の、不器用だけど信念と覚悟を持った武士としての生きかたに共感。 司馬さんの本はちょっとお説教じみた教科書のような印象があり、以前は敬遠してたけど、そもそも歴史小説はノンフィクションではなく、著者の解釈による物語、と思い始めてから、自身の思い入れに溢れている司馬さんの作品が好きになりつつあります。
1投稿日: 2018.01.08
powered by ブクログこんなに明快に人生を送れる事が、凄い。そこまで信念を貫く事が、凡人の私には、無理である。時代に恵まれた所もあるだろうが、同じ時代で輝く事が、出来たのは、努力の人だからでもあろう。
1投稿日: 2018.01.01
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
立見鑑三郎のことばは、一語々々燃えている。どうあっても官軍と砲火を交えたいという必死の形相なのである。 (むりもない) 継之助はおもった。立見はフランス式の軍隊を学び、現に旧幕府歩兵の士官であり、その配下に多くの歩兵とおびただしい武器弾薬をにぎっている。しかも立見は軍隊指揮にかけてはあふれるような自信をもっていながらその能力を一度も実地に使ったことがない。鳥羽伏見のときも、不幸にも江戸にいたのである。 「立見君、あたなの一生のために言うのだが、人というものはね」 と、継之助は言いかけて、あとはしばらくだまった。 ――その長ずるところのものによって身を過つものだ。 と言おうとしたが、言葉が立見にむごすぎるとおもったものである。この立見鑑三郎というのは、この時代が生んだもっともすぐれた軍人であるであろう。その長ずるところが使えないために心が鬱屈し、使おうとして時勢観察までが自分に都合よく枉(ま)げ、都合のわるい材料には目をつぶり、ひたすらにそれを使おうとしている。 継之助は、それをものやわらかな表現になおした。 「人は、その長ずるところをもってすべての物事を解釈しきってしまってはいけない。かならず事を誤る」 「私のいうことがまちがいだとおっしゃるのですか」 「間違いだとはいわないが、見通しが気楽すぎると申しますのさ」 そう継之助がいうと、立見は言葉に怒気をふくんでさらにいった。勝つ、という。なぜならば官軍に抗戦し、しばしば敗退させ、時間をかせぎにかせげば官軍と新政府の対外信用がなくなり、横浜に公館をもつ諸外国の公使たちも旧政府のほうをむしろ信用するようになる。そういう夷人どもをうまくあやつってゆけば前途はあかるい、と立見はいうのである。 継之助は、笑ってしまった。 「それほどの人物がいるか」 というのである。よほどの大政治家でないかぎり、すべての反薩長勢力を統一することもできず、指導することもできず、まして横浜をおさえてゆくこともできない。いないのは政治家である。ばらばらにやって勝てるはずがあるか。まして薩長は時勢を背負ってやってくるのだ、と継之助はいった。 「人間の偉さってものはね、良運さん、わかったよ」 と、すわるなり、いきなり言った。 「なんだ、だしぬけに」 「病翁のことだ、あいつのことだ」 小林虎三郎のことだ、火事に焼け出されたあの男のことだ、と継之助はいきさつをいって、さらに感に堪えぬように頭を振った。 要するに、小林は無一物になってあれほど難渋している。そこへ継之助が見舞の品々をもって見舞に行った。それによって泣いて感謝してくれた。これで継之助に対する悪口雑言をやめるかとおもえば、「自分はこのように無一物で、なにも返礼できない。せめておみしゃんに対する苦言だけでも」といって、聞いているこっちの頭が破れそうになるほどの痛烈な批判をした。 その批判たるや、かならずしも継之助にとって的を射たものばかりでなく、学者らしい迂遠なところも多い。しかし多少得るところもあり、継之助は大いに物を考えるうえで刺戟をうけた。 それはいい。そういうことよりも小林虎三郎のそういう態度である。仇敵の仲といってもいい継之助から窮迫中に物を恵まれてもいささかの卑しさもみせず、「これはお礼である」といって赤心を面にあらわしつつ鋭く継之助の欠陥をついてきた。 「どうだ、この卑しさのなさは」 継之助の感動はそこであるらしい。人間がえらい、というのはこういうことだ、と継之助は目がさめたように思い、茫然とするほどに感動してしまったらしい。
1投稿日: 2017.12.17
powered by ブクログ2017.11.25読了 「人間の芸術品とまで言えるように思える」サムライの典型を河井継之助の武士道倫理に見出し描いていった模様。激動の時代をリズミカルに丁寧に描写していて引き込まれていく。
1投稿日: 2017.11.25
powered by ブクログ内戦でこのような惜しい人物をたくさん無くした上での明治政府なんだなあ。河井継之助のことは何にも知らなかったが、ザ ラストサムライという感じはする。 本の中身とは関係ないが、内戦を経験した人は外国人を殺すのに抵抗なくなるだろうな、と思った。 亀井俊介さんの解説がなかなかよいです。
2投稿日: 2017.09.29
powered by ブクログ継之助、賛否両論あるだろうが、私は好きな人物である。逝去の日は、8/16で今日は8/15だ。少し驚きがあり、何か深い興味をもつ。 もっと、うまいやり方があったのではないかと思うが、携帯電話やインターネットがない時代。簡単には相手と連絡が取ることができない。継之助の思想と官軍のタイミング残念としか言いようがない。もし、負傷せずに生きてくれていたら、日本の動きも変えれたかもしれないその様に思うことが出来る人物だった。何度も読み返して、この人の思想を読み解き、自分自身を成長させる一助にしたい。
1投稿日: 2017.08.15
powered by ブクログ武士のイメージそのまま、しかしその思想はその域を超え、長岡という旗本ながらも8万石の藩の老中として藩政改革を断行し、幕末の嵐の中で、薩長にも旧幕府にも付かず、長岡をスイスのような独立国として生かす道を模索する。 ただ浅い知識を身につけるのではなく、常に「本質」を探し続ける姿勢。その思考に裏付けされた藩政改革と戦の采配。 長岡藩が生き続けていれば。そんなタラレバを考えずにはいられない、熱く冷淡で一本の軸が通った男、河合継之助。上中下巻を一気読みしまうほど、のめり込んでしまった。
0投稿日: 2017.08.08
powered by ブクログ江戸の長岡藩邸を引き払い、スネルの船で自藩に戻るところから始まり、河合継之助が八十里越えを越えた後没するまで。士農工商の封建制度が崩れるという先見の明がありながら、自藩を西軍との戦に突入させる。 河合の智略に秀でた所、リーダーシップ、徳川や藩主牧野に対する忠義に侍を感じ、この人物について、また北越戦争について知る事ができたことはとても大きな財産になった。 あとがきを読み気づかされたことは、町民からはなぜ戦をしたのかと恨まれている面もあるということ。寝返った新発田藩を恨みながら読んだが、立場により歴史の見方は変わる。 司馬遼太郎はこの著書で、武士道について書きたかったとの事だ。
0投稿日: 2016.10.19
powered by ブクログ河井継之助。悲しいなあ。悲劇しか待っていないと分かっていて読み進める。戊辰戦争、北越戦争。武士はもう、俺が死ねば最後よ。
0投稿日: 2016.09.11
powered by ブクログ2回目か3回目の読了。 物語前半は痛快だが、最期は哀しい。 陽明学徒として行動規範は動くこと。江戸時代最期の武士として、美しいほど自分を律する姿勢は真似したい。 ただ、その美しさを貫いた(過ぎた?)ために長岡藩の民が犠牲になったともいえる。
0投稿日: 2016.06.16
powered by ブクログ読み終わってしまった。小千谷談判前後の盛り上がりがすごく面白くて、ぞくぞくしてしまった。峠、上中下通して思ったことは、「適材適所」ということ。リーダー、マネージャー、パフォーマー・・・それぞれ役割があって向き不向きがある。自分の器もあれば、自分が所属する組織の器もある。よい指南書となった。
0投稿日: 2016.05.09
powered by ブクログ余談が多く、歴史的知識を散りばめた点は読み物として多少間延びしてしまうが、史実に沿った内容であることを読む者に印象づける事では必要なのであろう。その史実を書くためにどれだけの調査が必要であったろう。とにかく濃密である。 この小説で幕末の情勢の一端を理解することができる。また、数多くの有名人物が登場して幕末の歴史に大変興味が湧きます。 主人公の河合継之助は、作者によって多少美化されているとはいえ、筋の通った美しい生き方を示してくれている。自分の生命を一個の道具とし、世の中ためにどう行動するべきか、という思考はなかなか真似のできるものではないが、判断に迷った時の指針としていきたい。
0投稿日: 2016.04.05
powered by ブクログ長かったー。 やっと次の本が読める。 己に忠実に生きようとしたが 時代の趨勢に最後は抗えなかった 悔しさが残る。 侍らしく生きるという事は 侍として死ぬことなのだろう。
0投稿日: 2015.09.14
powered by ブクログ最後は急展開で転落していく様がなかなかグッと来た 最後は手下に自分の死体を焼かすという徹底ぶりが陽明学と武士とはを見た感じがした 解説で短編「英雄児」では死後も河井継之助に恨みを持っている人が多いという史実が書かれているらしい 確かに小説としてはいらない部分かも 竜馬がゆくと坂の上の雲の間の作品というのがなかなか興味深かった 本当に立場で人生は決定してしまうのだと実感
0投稿日: 2015.04.22
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
正義に生きた、カッコいいオッサンの物語。こんな器の大きいオッサンに俺もなりたいわ。長岡に行きたい。新潟を知りたい。 こんなニッチなおっさんをよくまぁこれだけ熱く語れたなと、司馬遼太郎先生には感動させられます。こんな物語を読まされたら、世の中のリーマンに甘んじているおっさん達は血が騒いでしょうがなかったでしょうに。 「覚悟」 これがキーワードになっている。このキーワードが物語の熱の原点である。 ______ p43 新潟の藩 新発田の溝口家十万石、村上の内藤家五万石、村松の堀家三万石、与板の井伊家二万石、椎谷の堀家、黒川の柳沢家、三日市の柳沢家、峰山の牧野分家、清崎の松平家、これらが一万石。 うちの祖父母の家は今の胎内市なんだけど、黒川藩かな?? p57 カネなし 薩長土新政府のネックは金欠なところだった。軍隊の洋式化など金をかけすぎて草鞋すら買えないというほどだった。 その結果、東進の際に沿道の諸藩に対して「軍勢を出せぃ。あと、金も出せぃ。」と勅命を利用して恐喝して歩いていたのである。 p71 武士の世の変化 鎌倉から続く武士の精神は、何があっても主君の命は守り抜く、たとえ敗軍の将になろうとも主君かその子息は生き延びさせてその血をつなぐ。これが正義であった。しかし、幕末にはそうとは考えない者が存在し始めたのである。徳川政権が潰れても日本という国家が外国に食い物にされないように…とか、上様を殺して別の血縁者を立ててでも御家を…とか、価値観が変わっていることに継之助は驚いている。「時代は変わったんだなぁ…」良いオッサン具合。 p80 玄人の国、日本 日本は玄人になろうとする。武士道も、ただの道具である刀の使い方を究め、それが精神論にまで突き詰める。しかし、西洋は違う。技術は「全ての素人がすぐ使えるようにする」という汎用性が追及される。 この差が進歩の差になった。その気は、いまもある。 p91 孟子曰く 「いかに威武ある存在から脅されても心を屈せず、いかに貧乏しても志を変えたりせぬ男を得たい男というのだ。」孟子もそういってる。継之助もそれを実践してる。 p98 余念を持つな 継之助が妻:おすがに月代を剃る時のコツとして教えたこと。「目と心を一つにしてスーッと剃れば誰にでも剃れる。」余念を持てばどんな器用者でも仕損じる。余念を持つな。 p120 陽明学派 陽明学派の考えは、その事を起こす時、それが成功するかしないかは第一義ではない。結果がどうであるかは気にしない。 陽明学においてもっとも優先すべきはその行為が美しいかどうかである。 だから、長岡藩は官軍と徳川家で美学に準じる方につくというのが継之助の考えである。 p131 怒ってはいけない 議論は怒った方が負け、というよりは怒ることはそれによって自分の敗勢を立て直そうとする行為であり、自ら負けを認めることを告白するようなことである。 怒ったら、負け! p145 ふりあげた斧 徳川慶喜が絶対恭順をもって薩長の企画した革命に肩透かしを食らわせたので、官軍はふりあげた斧を振り下ろす先を求めた。それが会津藩であった。 会津藩は京都に対してひたすら恭順を求めたが、決して受け入れられなかった。江戸時代の終焉に殉死せよと、生贄にされたのである。忘れてはいけない。 p161 今井信郎 土州の坂本竜馬を殺したのは俺だ。と維新後に供述したので有名な男。 p167 金が要る 長岡藩が旧幕軍の協力を断った後、それらは与板藩に移り、恐喝によって七千両を奪っていった。その際、今井信郎は自分の部下を強盗として処罰して、5人の首を刎ねてその地を去っていった。 自分で盗んで、それを裁いて正義を全うするとか、気違いの沙汰である。そんな世も末だったのである。 p188 中立は不可能、どうするか!? 長岡藩は永世中立を決め込もうと考えていたが、官軍はそれを一切認めず、話し合いも認めず、戦いと流血のみで解決を図ろうとした。早くも継之助の構想は崩れたのである。 p196 小田原評定 秀吉の小田原攻めに遭い、降伏するかしないかで喧々諤々いつまでも終わらない評定を小田原城内で続けていたという。それが小田原評定。それと同じことが当時の長岡藩でも起きていた。 「ギリギリの段階で救いなどない。一つの道を信じぬくしかほかない。たとえその道が地獄に通ずる道だとしても、君臣とともに地獄に墜ちるなら構わないという不退転の覚悟だけが、唯一の救いの道となろう。」的なことを継之助はいった。かっこいい。 p205 パン 長岡藩の糧食として食パンを携帯させた。パンを主食として製造した日本初はきっとこの長岡藩。 p233 軍事と政事 軍事は政事の要素も含む。継之助は「勝てぬが負けぬ」を目指した。官軍の攻勢に耐え抜き、時間を稼ぐことによって新政府の国際信用を失墜させることで和睦に持ち込む算段であった。 p252 峠 河井継之助の構想を峠で例えれば、官軍との談判、これが峠の頂上になる。この峠を乗り越えた先に長岡藩の未来が見える。しかし、官軍はこの談判に聞く耳を持たなかった…。 p284 官軍の失敗だった 後年、新政府内部で一致した反省として「河井を去らせた」ことが官軍の北越戦争での大損害を期した大失敗だったと言われている。 河井継之助が談判した官軍の相手は土佐の若き志士:岩村高俊だったが、理屈好きな気の利かないこの男は河井の意見を受け入れなかった。この男、河井継之助の情報をあまり仕入れておらず、長岡藩と対立することになったらどうなるかを予想できていなかった。さらに、継之助の嘆願書を上層部に届けてほしいとの願いも拒否し、頭でっかちが完全に悪い方に転じた。 p301 美 ついに官軍との開戦待ったなしになった長岡藩。その戦に意義はあるのか。やりようはもっとあったのに、もっと早く会津に加担して官軍に大打撃を与えてるとか、官軍に加担して新政府での地位を狙うとか、河井のこだわりのせいで首が回らなくなったのである。 しあkし、それでも継之助はこの戦には意義があると見た。 「美」 にはなる。 だからよし。陽明学の考え方である。 p326 敵は味方に似る 長岡城奪還後、官軍の山県狂介と河井継之助は同じような考えをしていた。敵の虚をつけないものか。 どちらも氾濫する信濃川を超えて、奇襲を仕掛けたかった。結果、官軍が一日早く決行して勝利した。 戦場において、拮抗した敵も味方も状況は似る。状況を打破するための作戦も似る。だから経験のある武将が重要なのである。 p347 不幸にも河井継之助 歴史にifはないというが… もし長岡藩に河井継之助が居なければ、長岡藩は敗北をすることはなかったであろう。敗北する前に官軍に恭順して会津攻めの急先鋒をなんとなく務めていただろう。 しかし、河井継之助という巨大な政治家がいたから、分不相応な大立ち回りをさせられることになり、官軍に敗れたのである。とはいえ、継之助にとっても生まれたのが長岡藩という小さな藩だったというのが不幸である。 不幸にも河井継之助だったのである。 p377 アメリカは遅れをとっていた アメリカはペリーによって開国をさせたが、その後南北戦争が始まったせいで日本の外交に乗り遅れた。 結果、英仏が幅を利かせるようになった日本で、アメリカは博打にかけて旧幕側を支援しようとした。 p392 口語にした人 「公文書に口語を用いたほうが良い。」と言ったのは前島密だった。しかし受け入れられなかった。 その後、口語文を使おう運動は明治19年になってから文学界から起った。山田美妙が口語で小説を書き始め、二葉亭四迷がほぼ今日に近い文章で以て『浮雲』を発表した。 p434 侍という美のために書いた 司馬先生はあとがきで「わたしはこの「峠」において、侍とは何かということを考えてみたかった。」と言った。 カッコいい日本人、美学を持った日本人、それを学ぶならこの本を読めって感じにまとまっていました。 p439 『峠』という道しるべ 河井継之助の「峠」は、玄人の英雄を扱うようになった契機。 p443 河井の墓は 司馬先生は峠を書く前に『英雄児』という短編で河井継之助を扱っている。そこでは、頭脳はあったが、無用な戦に藩のすべてを巻き込んだ人物として描いている。それゆえ、「墓碑ができたとき、墓石に鞭を加える者が絶えなかった」「墓碑はその後、何者かの手で打ち砕かれた」と語った。そしてこの作品の結びでは「英雄というのは時と置き所を天が誤ると、天災のような害をすることがあるらしい」と述べている。 そういう河井の一面を語っているが、峠とはえらい違いに驚く。 司馬先生は本当に人物を魅力的に描く力がすごい! ______ 解説にいい文言があった。司馬遼太郎が歴史の王道から、ニッチな偉人を描き始めるようになったのは、竜馬の次のこの河井継之助が始発点らしい。 それほど司馬先生を熱くさせた男だったんだろうな。 自分は司馬先生が描く大河も好きだが、その支流を溯る物語が大好きである。大村益次郎とかすごい好き。 司馬先生の人間離れした資料蒐集能力があったからこそ発掘されたこれらの偉人の物語。本当、奇跡の抽出物だと思う。ありがたくいただきました。
1投稿日: 2015.03.14
powered by ブクログ先日の陳舜臣作品再読からのインスピレーションで実に久々、司馬遼太郎作品。一平二太郎のなかではなぜか司馬作品を読んでないことに気づく。というわけで何年ぶりに手に取ったのは、司馬作品では人気上位だけど未読だった、長岡藩出世家老・河井継之助を一躍有名にしたこの作品。 司馬作品は日本男子の教養として読め、何てことを言う人もいるけど、そう上段に構える必要は無い。新聞に連載していた歴史小説だし、いろんな意味で「捨てる脚色」はされている。それでも、エンターテイメント性と史実をギリギリまで近づけた司馬作品はやっぱり面白い。他の未読作品も読んでみる。それにしても河井継之助という人物は、時代の先が読めすぎたにもかかわらず、捨てられぬものを捨てられぬ矛盾を内包した人だったんだろうなあと。
0投稿日: 2015.03.10
powered by ブクログ昭和50年5月発行本は上、下巻の2冊であり、平成発行本の前2冊を読んでいたわたしとしては多少とまどった。216ページまでの3章は既に読んでいる箇所であった。なんと、迂闊に50ページ付近まで読み進めて気づくという情けない展開であったのだが、小説は面白くて文句はない。司馬遼太郎、長編作品一押しは『峠』で決まりである。
0投稿日: 2015.02.28
powered by ブクログやはり司馬さんの幕末モノ(特に長編)は良いですね。 先見の明を持ちながら、長岡藩士という立場に拘り続けた継之助。 「長岡藩のため」という彼の思想が、結果的に藩を滅ぼすことになる悲劇・・・。 特に、西軍(官軍)との交渉が不備に終わり、継之助が官軍本営から去っていく場面からの展開は、胸を締め付けられるような気持ちで読みました。 河井継之助という人は、著者の司馬さんも仰っているように「多少奇形であるにしても、人間の芸術作品」といえるように思います。
1投稿日: 2015.02.15
powered by ブクログ面白かった。様々な人物が登場するので、物語に入り込むまでは大変だけれど、入ってからは早い。 自分の「立場」の中で生きることを重視した継之助が、明治維新の真っただ中でどう生きることを選択するのか。 読み応えのある一冊。
0投稿日: 2015.01.31
powered by ブクログ司馬遼太郎で読んだかなでも最高傑作。自己規律、武士道倫理、立場絶対論、自分の原理を磨く、などなど、自分の生きる上でのテーマ探究に力を与えてくれた作品。
0投稿日: 2014.10.24
powered by ブクログ一年かかって全巻読みました。初めて司馬遼太郎さんの作品をフルで読了。 この主人公、自分はお恥ずかしながらほとんど知らなかったのですが凄まじい。 ただ信念がずば抜けています。 やはりどんな理由があっても血で血を争う闘いはいいことではありません。 しかし、動乱の時代に闘いに闘いを越えたなにかを賭けた人達がいたのもまた事実。 今がこれらの積み重ねということも色んな時代の話を見て学ばねば感じました。
0投稿日: 2014.03.26
powered by ブクログ薩長と相対する勢力にこのような人がいたのかと思うと胸が熱くなった。どちらかと言うと薩長土側からの幕末物が多かったので、この峠は新鮮な視点で読めたので、とても面白かった。
0投稿日: 2014.03.26
powered by ブクログ最後のほうに大村益次郎、松本良順が出てき、幕末のオールスターの様相。 侍の美意識がテーマであろう。 思えばこれで司馬遼太郎の幕末もの完読だと思うと感慨深いものがある。 長編はあと本当に数作のみ。 5年ぐらいはかかったか。
0投稿日: 2014.03.23
powered by ブクログ司馬作品の中でも好きな作品。自由に生きるのもいいけれど、与えられた立場を全うする、というのもかっこいいと思う。
0投稿日: 2013.12.21
powered by ブクログ峠(下) 司馬遼太郎(著) 河井継之助の 爛漫さ がなんともいえないほど ステキだ。 乱世の中で オトコはどう生きるのか。 平時と戦時は違うと言われるが 社会的な制度が 転換していく時に、何を基準にして行きていくのか。 福沢諭吉にであう 河井継之助。 福沢の 自由と権利 という概念をベースにして生きようとする。 その 概念で 生きようとする 福沢を 異質な人間と見る。 河井継之助は 武士であること自体が なくなることを予感する。 ある意味では 日本がアメリカとの戦争に勝つと思っていて それが,負けると言われることが いやなように。 河井継之助のいうことは 『めだかのねごと』だというのがいい。 空想すること。イメージすること。 長岡藩を 独立させ スイスのような国にしたいと考える。 それが,先進的で おもしろい。 天皇は 天照大神の末裔であり 家康は 将軍となり 東照大権現となる。 家康が アンシャンレジームをつくった。 薩摩と長州がてをくむことで 日本に政治革命を導きだした。 河井継之助 全体として 一直線という感じであるが 伏線が ドラマ仕立てになっていないような気もするが 河井継之助 話をするとおもしろそうな人である。
0投稿日: 2013.12.18
powered by ブクログ長岡藩を守るという一点のために、黙して語らず動かずの前半 ちょっと狂った歯車が戦争の引き金をひいた。 いろいろと矛盾した人柄だったが、芯を通してやり抜いた姿勢に感動
0投稿日: 2013.09.21
powered by ブクログ西郷・大久保や勝海舟らのような大衆の英雄の蔭にあって、一般にはあまり知られていない幕末の英傑河井継乃助。 維新史上最も壮烈な北越戦争に散った最後の武士の生涯を描く長編小説。
0投稿日: 2013.08.26
powered by ブクログ久しぶりの故郷の風景にこれまでになく饒舌につぶやく継之助。 血気盛んな若手から突き上げられたときに茶を濁すしかなかった継之助。 官軍への直談判が叶わずうらめしくその場に立ち尽くす継之助。 上巻中巻にはなかった継之助の表情は、滅びへの伏線であると同時に、人物描写がより立体的になってさらに読者を物語へ引き込む。 あまりにも才覚あり過ぎる人物がたった一人いたがゆえに藩が滅びることになってしまったという皮肉な運命。 歴史の影を鮮やかに浮かび上がらせる司馬遼太郎の手腕、さすが屈指の名作。 そんな河井継之助の実物がどんな感じなのかWikipediaで見たところ、鈴木宗男に似ているという衝撃の事実。
0投稿日: 2013.08.03
powered by ブクログ内容紹介 維新史上もっとも壮烈な北越戦争に散った最後の武士! 開明論者であり、封建制度の崩壊を見通しながら、継之助が長岡藩をひきいて官軍と戦ったという矛盾した行動は、長岡藩士として生きなければならないという強烈な自己規律によって武士道に生きたからであった。西郷・大久保や勝海舟らのような大衆の英雄の蔭にあって、一般にはあまり知られていない幕末の英傑、維新史上最も壮烈な北越戦争に散った最後の武士の生涯を描く力作長編。
0投稿日: 2013.07.30
powered by ブクログ自分の最期を目前に, はっきりとそれを自覚しながらも目を逸らすことなく淡々と受け入れる様を見て, 自分もそのような死の迎え方がしたいと心から思った. しかし, そういう死に様で死ねるのは, 死が目前にない時に如何に烈しく生きてきたかによるのではないか. 生き様が死に様を決める. どう死にたいかの前に, どうありたいか, あるいはどう生きたいかにおいて, 一切譲るところのない烈しさがあるのか. それが問われている.
0投稿日: 2013.07.23
powered by ブクログ継之介ほど熱く死ねる人はいるのか。幕末の隠れた志士であり、長岡という小藩に生まれたがゆえに不運。 人生における教えをもらったような気がする作品である。
0投稿日: 2013.07.23
powered by ブクログ当時の学問の中で「陽明学」から思想を創り上げ、その理論を長岡藩の政治に持って行った男?。当時も、現在も信じられない。 封建制度がこれからの世では成り立たないことを解りながらも、徳川(とくせん)譜代の藩を護ることを選択せざるを得ない・・・。 こんな男の人生。 彼は戦国時代に生まれていれば、もっと自由に生きられたでしょう。 そして最期に自分の棺を作らせ、自らの生と死を客観的に片づけられた男は幕末にもいないでしょう。 司馬遼太郎さんが「峠」で描いてくれて良かった。
0投稿日: 2013.05.28
powered by ブクログ今は、長岡市摂田屋町に住んでいます。 小千谷の慈眼寺は、大雪で近付けなかったが 確認しました。 河井継之助記念館にも戊辰戦争長岡藩本陣の光福寺にも 行けて満足満足!
0投稿日: 2013.05.19
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
幕末の長岡藩(現在の新潟県長岡市)に生まれ、後に藩の家老となる河井継之助の一生を描く歴史小説。 河井継之助の生き方を通して、人生哲学を読んだという印象。 フィクションではあるが、若い頃から自分の力量を見極め、人の上に立つべく自分の思想を創り上げる過程が興味深い。 早くから先見性を持ち、理想の国を作り上げるべく奔走する河井であるが、理想と現実の間でぎりぎりの駆け引きを行い、最終的には近代化とは相反する武士としての立場で、藩を巻き込んで死んでゆく一見矛盾に満ちた生き方が、魅力的かつ人間的であると思う。 長岡市には記念館があります。
0投稿日: 2013.03.10
powered by ブクログ矛盾の中に理想を求める。理解してもらうには難しい。理解できないのかもしれない。維新とは、何であったのか。
0投稿日: 2013.03.09
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
封建制度の崩壊を早い段階で予見しながらも、幕府側に立ち、官軍と戦ったという河井の矛盾。それは、江戸300年の教養時代を経て、下克上といった類の私利私欲を完全に捨て去った、武士道の完成形であった。 『幕末期に完成した武士という人間像は、日本人がうみだした、多少奇形であるにしてもその結晶のみごとさにおいて人間の芸術品とまでいえるように思える』
0投稿日: 2013.03.02
powered by ブクログ小説や時勢の影響で大した人物でもないのに大物と思われてしまう人物が、まま存在する。西郷の使い走りだった坂本竜馬や、吉田茂の取り巻きだった白州次郎とかがその代表格だが、河井継之助もそのようだ。戊辰戦争の滅びの美学と言えば土方歳三ぐらいだったのを北越戦争の河井継之助を発掘して小説にしたのはさすが司馬さんだが、さすがに著者も迷いがあったのか所々に批判的な言葉があるのは本音なんだろう。自分の思想に酔って、現実の渦中で空想的な発想しかできず無益な戦闘をした愚者としてこの人物を評価しながら小説としては封建制の崩壊に殉じた最後の侍として描き、悲劇の英雄に仕立て上げた司馬さんの小説家としての技量はたいしたものだ。
0投稿日: 2013.02.26
powered by ブクログうーん。レビューの高さに比例した期待値が高すぎたのでしょうか。惰性で何とか読み終えた感じです。話の濃さで言えば「竜馬がゆく」「坂の上の雲」に到底及ばない気がします。あくまで個人的主観ですが…
0投稿日: 2013.01.19
powered by ブクログ幕末の越後長岡藩の河井継之助の話。百石取りの家柄の武士ながら幕末の時勢のため、執政家老に抜擢され越後長岡藩のために奔走するが、結果的には官軍(薩長)に滅ぼされてしまう。藩に召し抱えられるまでは江戸留学や諸国を放浪したり、横浜でスイス人商人や国籍不明の商人と懇意になり開明論的な理想を持つようになる。この遊学期間中に自分の思想に磨きをかけ、執政家老となったときには官軍を大いに苦しめたが、結果的には滅ぼされる。藩を巻き込んだとんでもない人生を送った。 余談であるが、この当時からスイスは山に閉ざされた地理的な不利を、材料も完成品も小さくて済む時計を産業と輸出の主力とするという戦略で克服しているらしい。スイスのような単純明解(実行は困難だろうが)な戦略を幕末も今も日本は持てないだろうな。
0投稿日: 2013.01.04
powered by ブクログ凄まじい人生。磨き上げられた哲学。はずかしながら、今回この本で初めて継之助を知りました。何と大きな人間なんだろうと。。読後感の良い素晴らしい小説でした。
0投稿日: 2013.01.04
powered by ブクログ北越戦争に散った長岡藩河井継之助の物語。官軍と旧幕府軍の調停にあたろうとするが…。開明論者でありながら、武士道に生きた男の物語。「もし戦争をせずに済むならば汽船の二、三隻も買い入れ、藩士の二男三男坊を商人にし、貿易を学ばせ、シナヤ挑戦にやって大いに国富を豊かにするところであったが、その望みもどうたら絶えたな」、
0投稿日: 2012.10.07
powered by ブクログ他の作品に比べると、長岡藩(新潟中越地方)の継之助というあまり知られていない人物が主人公のせいか、そのキャラクタに問題があるためか入り込めない。しかしながら文章の表現は読んでいて楽しく、内容も多くの示唆に富む。面白く心に残った場面としてこのようなことがあった。主人公と同じ職場で意見が合わず、敵対している学者が火事になった時に主人公が必要なものを新調して融和を図りに学者のところに行く。その学者はとても感謝し、感謝しているがお返しができないのでせめて主人公の誤った考えを指摘してこれを恩返しとしたいと言い、主人公の痛いところを一層つくように批判を並べた。主人公は不愉快になりながらも、少しの卑しさを見せずこういった態度をとれる人物は偉いと感動する。なるほど、強い男だと思い、かっこいいと思う。
0投稿日: 2012.09.20
powered by ブクログ多分15年位前にナベから勧められて読んで、自分の趣味が読書になってしまった運命の一冊。 何故か毎年夏に読みたくなり、何度と無く読み返しています。 下巻の後半。。切なすぎて読むのが怖いっす。。 キャプテン、元気ですか?
0投稿日: 2012.08.28
powered by ブクログ本作『峠』はリーダー論である。幕末という時代が急速に動いている時期において、一小藩の家老として、藩がどうあるべきか、どう行動すべきかを徹底的に考えた上、それを自ら実践し、また、藩内の武士、町人及び農民に実践せしめた人間を描いた、リーダー論である。先の見えない時代に生きる今の日本にあって必要なのは、河井のように、日本はかくあるべしというビジョンを示すリーダーである。
0投稿日: 2012.06.04
powered by ブクログ河井は己の志を達せずに敗れ生涯を終える。 「継之助は・・・」「悲しかっただろうよ・・・」 と長岡の古老は筆者である司馬氏に語ったという。 当時、薩長は勝利の勢いに乗り、徳川家や会津藩を徹底的に潰しにかかっていた。そのやりようは汚く、卑劣なものが多かった。 河井は正義を貫き結果とした敗れ去った。 大人しく強いもの(薩長)に従っていれば、生涯を全うできたはず。それだけでなく河井の頭脳を持ってすれば新政府での栄達も可能だったはず。 それをせずに、敢えて藩をあげて滅亡のリスクを負った行動に出た。 自らの信念を貫き死ぬか・・・ 大勢に妥協し生き延びるか・・・ 河井継之助の生涯は非常に重いテーマを私たちに投げかけていると言える。
0投稿日: 2012.06.03
powered by ブクログ河井継之助はこの本を読むまで全く知らなかった。 司馬遼太郎の著書は歴史を小説にしているところに面白さがある。 事実は小説とは必ずしも同じでは無いとは思うけど。
0投稿日: 2012.03.25
powered by ブクログ美と義に生きた河井継之助の生き方は武士らしく見事。 だけど長岡藩が辿ったこの結末を誰よりも望んでいなかったのも、 また河井継之助だったと思う。 この本の最後の方で、とても印象的な場面がありました。 長岡城下が戦火で焼かれたとき、逃げ惑う民衆に向かって、 継之助はひとり馬を駆けながら、 「気の毒であった」 と大声で詫びてまわったそうです。 「しかし御家はみなを捨てぬぞ。 食い物がなくなれば、本陣へ来よ。 たとえ兵糧に事欠いても、 一粒の米を二つに砕き、三つに砕いても食わせるぞ。 継之助が請け負うぞ」 とわめいてまわった。 まるで鋼鉄のように強く厳しい男の、 本当の思想を感じることができました。 素晴らしい本を感謝です。 そして次はまた司馬遼太郎さんの、 「関ヶ原」を読もうと思います。 ますます司馬遼太郎熱が再燃してきました^^
0投稿日: 2012.03.22
powered by ブクログ教科書に書かれるような「歴史」ではほとんどスポットを当ててもらえない人物が、山ほどいる。 彼もその一人。 本当に彼が『最後』の侍だったかはわからなくても、侍が滅びようとしていくことを確かに感じながら敢えて侍として生きたかったという彼の気持ちは、切ないけど美しい。 徳川幕府の300年間を否定的に論じる声も多いけど、私は戦国期を経てたどり着いたこの時代を肯定したくてたまらない。 「武士」とか「侍」とかいう日本独特の、奇跡のようなこの概念が理屈抜きに美しく感じられるから。 この300年がなかったら、後世の日本人が「侍」という言葉をよりどころにできなかったら、日本なんてとっくに滅びていたかもしれないとさえ思う。
0投稿日: 2012.01.12
powered by ブクログ長岡藩が北越戦争で奮闘し、そして敗れ去る物語。能力が高いはずの河井継之助が結果として負傷から死んでいく。何に価値を置いて生きるかにより、人生の全うの仕方も違うし、後世の受け止め方も違う。 言えることは、他人の視線、後世の評価を気にせず、自分の信じる道を生きよ、ということか。 戊辰戦争の一局面を切り取って、一物語に仕上げた司馬遼太郎の手腕はさすが。
0投稿日: 2012.01.11
powered by ブクログ自分が正しいと思う道を突き進んだが、継之助がやったことは正しかったのか。誰の立場で考えて正しかったのか。藩公か、町民か、考えさせられた。 解説で官軍に従っていれば、過酷な戦いに巻き込まれなかったと継之助を憎む声もあると知った。
0投稿日: 2012.01.02
powered by ブクログとある会社の先輩の影響で久しぶりに読み直してみた。 やっぱりいい小説だなぁ。 河合継之助は全然メジャーな人じゃないけど、 上杉謙信と並んで郷土新潟の誇りだと思う。 新潟人は「義」にアツいな。
0投稿日: 2011.12.09
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
幕末期に完成した武士という人間像は、日本人がうみだした、多少奇形であるにしてもその結晶の見事さにおいて人間の芸術品とまでいえるように思える。 あとがきでこう書いてますが、間違いなく裏ベスト。
0投稿日: 2011.10.30
powered by ブクログ歴史上の人物「河井継之助」を題材にした小説。私が最も尊敬する人物です。幕末は薩長に隠れがちですが、発掘していただいた司馬遼太郎氏に感謝!です。
0投稿日: 2011.10.05
