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花神(下)(新潮文庫)
花神(下)(新潮文庫)
司馬遼太郎/新潮社
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総合評価

81件)
4.2
30
28
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3
0
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    YouTubeでは、大久保利通と大村益次郎と会談があって、徴兵制を大村が主張する一方で、大久保が武士階級が消滅するので反対した場面があったけど、本は載って無かったね。あと、大村益次郎は、農民医者だったんだから、刀を差しているのは、違和感があるな。

    0
    投稿日: 2025.10.17
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    小説が終わりに近づくにつれ、蔵六の人生についての思いが高まり、とめどなく涙があふれました。読了後に、タイトル『花神』(かしん)の意味を知ったとき、蔵六という人物を本当によく言い当てていると思いました。 蔵六(大村益次郎)は、師である緒方洪庵、宇和島藩へ推薦した二宮敬作、長州藩内で軍事の才能を見抜いた桂小五郎により、自身の才能を開花させ、まさに明治維新の功労者でした。 蔵六は死後も、一人の人物から見出されている。その人物は、司馬遼太郎さんです。技術者に徹した蔵六の人格が、この小説からあますところなく伝わってきました。彼を取り巻く人物の描き方もうまく(高杉晋作、西郷など)、対比することでより人物像が鮮明になりました。 司馬遼太郎さん独特の余談も興味深く、幕府や諸藩の思惑等、背景を理解することができました。 イネとの再会の場面はきれいで、あまりにもきれいすぎて本当にせつなかったけれど、師弟関係を超えたところの二人の思いが最後に描かれており、心からうれしい気持ちになりました。二人は天国で結ばれていると思います。 戦場において揺るぎない精神を持ち続け、未来を予見する能力を持つ蔵六(大村益次郎)は最高でした。 『世に棲む日日』では、吉田松陰、高杉晋作そして、『花神』では蔵六(大村益次郎)と、それぞれスポットライトのあたる人物は違います。しかし、2作品を続けて読むことで、明治維新にいたるまでの流れや、人物相互の関係をより深く知ることができ、大きな感動を得ました。

    23
    投稿日: 2025.08.07
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    このレビューはネタバレを含みます。

     鳥羽・伏見の戦いから戊辰戦争、そして大村益次郎の死期までを描いた下巻。薩長連合軍の内部において様々な感情や陰謀が蠢いていたことがよく分かった。一口に「開明派」や「攘夷派」といっても、そのグラデーションは十人十色である。その最も極端な例が、大村益次郎であったと言えるだろう。蘭方医学を学ぶことを通して西洋合理主義的思考を習得し、その思考法を持って、明治維新における薩長連合軍の軍事指揮官を務めた大村益次郎は、同時に「開明派」の代表格である"福沢諭吉から冷笑されたほどに攘夷家でもあった"のだ。  大村益次郎の人生は興味深い。幕末において日本中が感情を爆発させて殺気立っている時期において、まるで逆行するかのように静かに(時代が彼を要請するまで)自分の学問を磨き続けた大村益次郎の姿に多くを学んだ。

    12
    投稿日: 2025.01.13
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    ようやく、なぜ「花神」なのか分かった。死に方も、蔵六らしい。 解説にもあるように、司馬は変革期を描きたかったらしい。そういう意味では、今一度、もっと読まれても良い作家かもしれない。大村の先見の明も。 次は松蔭&高杉かな。

    0
    投稿日: 2024.03.23
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    中国では花咲か爺さんのことを指す、花神。 吉田松陰という思想家、高杉晋作という戦略家が種を蒔き、苗を育て、技術屋たる村田蔵六が明治維新という革命の花を日本に咲かせる。 タイトルに込められた意味が、かっこよい。 司馬史観における大村益次郎は、まさに、時代に求められた技術屋。 桂小五郎に発掘され、西郷隆盛と相容れないながらも認められ、その手腕で反発する者を黙らせる。 自分の損得とか、周りがどうとかあまり考えていない感じが、どこか自分に似ているような気がした(我ながら畏れ多いけど……)。

    0
    投稿日: 2023.08.19
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    大村益次郎の生涯を記した司馬遼太郎氏作の小説。靖国神社の参道のほぼ中央に銅像があり学生の時からこの像も、この人も気になってました。今回初めて人となりを本を通して知りました。幕末はほんとに面白い。ほんの数年の間に日本が変わってしまった、と思っていたら、それには背景があって、バトンを渡すようにその時その時の人物が役割(未来の私達が評価する上での枠組みかもしれない)を果たして、結果明治維新が成功した。 長州藩はそれがはっきりしていて、吉田松陰、高杉晋作、大村益次郎だったんだと、司馬先生は書いている。 また、人となりとして、医師として、翻訳家、技術者、軍人として、職業は違えど全て同じ考えをもって取組んだ合理主義的な実務家、つまり天才、こういった人間は強い、今にもつながるような人物だったとも思った。 とにかく面白かった。夏休みを使って一気に読んだ。 次は前後するが、姉妹作品の「世に棲む日日」を読んでみようと思う。

    0
    投稿日: 2023.08.18
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    このレビューはネタバレを含みます。

     お盆休みに、一気に読了。  情に頼ることは一切なく、私欲もない、地位や栄達も求めない。機械のごとく、正確な判断と決断により、明治維新の立役者となった大村益次郎の短い生涯を描いた本作。  司馬遼太郎の筆致はさすがだ。  最後は̻刺客に襲われ、その傷がもとで敗血症を起こし亡くなる。  病院へ入院し、自分の死期が近いのを見越し、遺言を二つ残す。 「四斤砲をたくさんつくっておけ」「骨は、緒方先生のお墓のそばにうずめてもらいたい」  蔵六(大村益次郎)は戊辰戦争を通じて「いずれ九州のほうから、足利尊氏のごときものがおこってくる」と語り、西郷隆盛が起こす西南戦争を予見していた。  その為の遺言が「四斤砲をたくさんつくっておけ」だった。驚くべき先見性を持っていた。  歴史ものの映画やドラマには大村益次郎がちょこっと出てくる場面もあるが、その人物の描かれようは、やはり変人であり、他人の意見は頑として聞かない人物として描かれている。そういう人が時代の要請により、見いだされ世に出てくる。  現代ではこのような人は、いくら能力があっても、協調性が無いとして、決して評価されないだろう。明治維新という大変革の時代が要請した人でした。

    0
    投稿日: 2023.08.18
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    非常に濃い中身だった。明治維新はいよいよクライマックス。 天才的な直感と合理的な計算、相反するようで両立する2つの才能。この捉えようのない偏屈オヤジはなぜか異様に魅力的で、対比させられる狭小な器の平凡な人たちが少しかわいそう。 彰義隊のあたりを読んで改めて、上野周辺を散策してみたくなった。 この時代については、ぜひ西郷の視点でも読んでみたい。

    0
    投稿日: 2022.11.12
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    司馬遼太郎の合理性を尊ぶ考え方に加えて、一方、合理性の道具のように生きることの虚しさが織り込まれた傑作。

    0
    投稿日: 2022.03.27
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    読み終わるのがもったいないと思いながらの読了。 海江田あたりの描かれ方を見ると、陰湿な人を嫌悪するあたりもいいなぁ。忘れたころ再読しようと思う。

    0
    投稿日: 2021.12.03
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    動乱の幕末期に忽然と現れ、第二次長州征伐で幕軍の戦意を喪失させ、討幕軍総司令官として彰義隊を駆逐した村田蔵六こと大村益次郎は、「勝って当然」と勝ち戦に無頓着、誰彼問わず不愛想、孤独に徹し〝田舎医〟で〝技術屋〟として〝我ハ一個ノ機械ナリヤ〟と自嘲する、時代が要請した稀に見る特異な人物を描く圧巻の憂愁編。西郷隆盛が独走する西南戦争を予見し、京都での対戦準備の最中、刺客に襲われてしまう。知らせを受けて駆けつけたシーボルト・イネが臨終まで付き添った記述と併せ、木戸孝允や勝海舟らの賞賛と敬服の念が湧き上がる。

    6
    投稿日: 2021.08.31
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    あとがきにも書かれてますが大村益次郎(村田蔵六)という人は、つかみどころのない奇妙な人でした。自らを機能としてしか考えない、小説の主人公としては成立しづらい人でした。 最後に戊辰戦争で活躍しますが、個人的には最初の方で緒方洪庵の適塾で蘭学を学んだり、医者なのに宇和島藩で船を造らされたり、シーボルトの娘のイネと恋愛したり、故郷の長州藩に低い身分で迎えられたりの苦労した時期の話が一番良かったかな。 なお、花神とは中国の言葉で花咲爺を意味し、日本全土に革命の花が咲き、明治維新の功業が成るためには、花神の登場が必要であったということです。

    0
    投稿日: 2021.03.21
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    初読は高校3年生の受験直前。43年ぶりの再読です。今回も読み始めたらやめられず、睡眠時間を削って読みました。 本書は周防の村医から一転して討幕軍の総司令官となった近代兵制の創始者大村益次郎(村田蔵六)の生涯を描きます。 「大革命というものは、まず最初に思想家があらわれて非業の死をとげる。日本では吉田松陰のようなものであろう。ついで戦略家の時代に入る。日本では高杉晋作、西郷隆盛のような存在でこれまた天寿をまっとうしない。3番目に登場するのが、技術者である」 吉田松陰と高杉晋作を主人公にしたのは「世に棲む日々」。一種の技術者を主人公にした本書は、その姉妹作品と言えます。ただ、大村益次郎は「どこをどうつかんでいいのか、たとえばときに人間の生臭さも掻き消え、観念だけの存在になってぎょろぎょろ目だけが光っているという人物」。したがい、小説の主人公としては扱い難い人物なのか、主人公の登場する場面は他の作品に比べると少ないという印象です。この作品の主人公は、むしろ「時代」であり、その時代に生きた「日本人」かもしれません。 「日本人を駆り立てて維新を成立せしめたのは、江戸埠頭でペリーの蒸気軍艦をみたときの衝撃である」。「衝撃の内容は、滅亡への不安と恐怖と、その裏うちとしての新しい文明の型への憧憬というべきもので、これがすべての日本人に同じ反応をおこし、エネルギーになり、ついには封建という秩序の牢獄をうちやぶって革命をすらおこしてしまった。この時期前後に蒸気軍艦を目撃した民族はいくらでも存在したはずだが、どの民族も日本人のようには反応しなかった」。 「余談ながら」とか「話は脱線するが」と断った上で司馬遼太郎が展開する日本人論は一種の研究本であると言っても過言ではありません。 もちろん、歴史小説としても本書は面白い作品であり、幕長戦争、戊辰戦争、村田蔵六と緒方洪庵、福澤諭吉、西郷隆盛たちとのやり取りを通して、明治維新の名場面が描かれます。そして、大村とイネ(シーボルトの娘であり、女医)のとの恋のような関係も描かれ、小説に色も添えられています。 全ての人に読んで欲しい本ですが、やはり「世に棲む日々」を先に読んだ方が楽しめます。

    0
    投稿日: 2020.06.26
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    時代が彼を見つけ出したんだと思った。こんなにも社会のニーズに応え、将来を予知し、歯車となって動いた人間っているのだろうか。合理主義者でありながら人間臭い。不思議な人だ。

    0
    投稿日: 2020.05.16
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    解説 「蔵六というのは不思議な人で、自ら地位や栄達を求めない。」 まさに自らを世の中に機能化してそれ以上を求めない、私心を捨てている大村益次郎をよく言い表した言葉だと思う。それはP.486の豆腐と国家の話にも現れている。 時代が彼を押し出したに過ぎないのだろう。適塾に始まり、彼を登用した宇和島藩、幕府、そして長州藩。自分が求められるところに行き、そこで自分を機能化させ、最後には新政府軍の基礎を作るに至った。才能だけでなく、人との出会い、運命とは分からないものだと思った。

    1
    投稿日: 2020.03.15
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    大村益次郎。 大村益次郎は大村益次郎になってもやはり村田蔵六から変わらない。 村田蔵六のままの大村益次郎と、桂小五郎、西郷隆盛、シーボルト・イネ、そして有村俊斎。 司馬氏の幕末でも竜馬の土佐、脱藩志士、通史的でもなく、慶喜の幕府、朝敵側でもなく、新撰組の幕府、会津側でもなく、桂小五郎・高杉晋作の官軍、長州だけでもない幕末が手に取るように見れる。

    0
    投稿日: 2019.08.24
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    【いちぶん】 この稿のこのくだりは、歴史の主流のなかでにわかに開花した蔵六というひとりこ蘭学者が、花の凋むことも散ることもなく、樹そのものが伐りたおされたことを書く。 (p.364)

    0
    投稿日: 2019.08.22
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    明治維新を推し進め、日本国を変えようとした蔵六や大久保利通のような人物が、軽挙妄動にはしる凶徒らに暗殺されてしまったということに関心を持ちました。社会の変革期には、悪い方向に振り切れてしまう人物も現れるのでしょう。

    1
    投稿日: 2019.07.31
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    司馬さんの他の幕末物で出てくる場面が、当然沢山再登場するわけだけど、異なるアングルからなので、全く飽きることなく、あっという間に読めました。 大村益次郎のような人は普通嫌われるもので、事実その通りだったようですが、私はこういう人好きです。

    1
    投稿日: 2019.07.17
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    軍師としての本領発揮!なのだが、いかんせん地味。 華々しいことはせず、確実に合理的に物事を進める人のようなので、小説にするのに苦労したと思う… 蔵六の出ない章もあったりする。 薩摩や長州が幕末にどういう動きをしたのかがわかる。

    0
    投稿日: 2019.06.13
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    これは正直に言って小説ではなく、小説という形式だけを借りたモノローグみたいなものですかね。 これに嵌れば堪らん内容でしょうが、当方、ストーリーを楽しみたいだけに正直いただけません、本作は。 ただ確かなのはこの作家が日本人の歴史認識に相当の影響を与えていることであり、そこには功罪があるということ。あくまでこの作家の私見であること、絶えず意識してこの作家の「講談」を楽しむことが肝要かと。

    0
    投稿日: 2018.12.09
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    大村益次郎の一番の活躍、歴史の表舞台に出てきます。 ただし歴史どおりに本当に一瞬です。無駄に引き伸ばしたりせずほんとに一瞬のところを描いて、さっと終わります。あっさりしすぎていてあっけに取られますが、それがよいです。

    0
    投稿日: 2018.05.19
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    大村益次郎って誰だっけレベルでしたが、そういう、学校の歴史授業ではサッと通り過ぎるような人たちで、日本の歴史はできてるんだなと。明治維新も、こういう風に進んできたんだと、再確認。もう一回じっくり読みたい。「世に棲む日日」も読みたい。 イネの心情の描かれ方も、司馬さん、女心わかるんですか…とちょっとキュンとした。。

    0
    投稿日: 2018.01.13
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    このレビューはネタバレを含みます。

    年を跨いで下巻読了。 「花神」とは「花咲か爺さん」のこと。著者は、大村益次郎のことを「花咲か爺さん」と見たてて、この物語を「花神」としたそうですね。 「花咲か爺さん」と言えば、何かパァ~と周りを明るく華やかにしてくれるイメージを持っていたので、それとは正反対のキャラクターである大村益次郎のイメージからすると少々しっくりこなかったというのが正直のところ。 しかしながら、不可能と思える戦いをことごとく勝利に導く彼の姿はまるで「枯れ木に花を咲かせる」イメージでもあるなと思い直しています。 明らかに、時代の変革に大きな仕事をした重要な人物の一人として認めざるを得ない存在ですよね。しかし、そのキャラクターは強烈すぎるくらい「変人」的要素が強いですね(笑)。合理主義のバケモノでしょうね。 小説の中に存在するのなら許せますが、自分の周りのこの種の人物がいると、果たしてこれはなかなか苦痛でしょうね(笑)。ただ彼には、大事なところで理解者が存在している。桂小五郎は中でも大きな存在ですね。 彼は天才的な軍師だと思いますが、人間力的な魅力はむしろ欠如したキャラとして描かれてますね。そういう意味で、この小説をヒーロー小説として期待するよりも、一人の人物を介して時代の変革の流れが理解できる、そっちのほうに楽しさの軸足をおいて読むべき本だろうと思います。 司馬遼太郎の歴史小説は、史実に忠実に書かれている点で、時代小説とは異なり、登場人物への著者の感情移入は行われず物語はけっこう淡泊に進んでいくように感じますが、一方で「なぜこんな風に歴史が転回したんだろう」ということを様々な角度からストーリ立ててくれるところが司馬遼太郎の小説の魅力だろうなと思います。

    1
    投稿日: 2018.01.08
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    下巻読了。 さすが、司馬さんの幕末モノ。 西郷さんや、坂本さん、高杉さん等のようなスター性のあるキャラとは程遠い、大村益次郎(村田蔵六)さんという地味キャラが主人公でも、こんなに面白く読ませてしまうとは。。。 蔵六さんは、どんな時でも自分軸を貫き、淡々と軍の総司令官としての仕事をこなし、見事に倒幕軍を勝利に導きます。 ただ、あまりに合理主義で、コミュ障的な無愛想さが祟って人の恨みを買ってしまい、命を狙われてしまう訳で。 襲われて大ケガしても、医者だけに、冷静に自分で手当てしまうところがまた(笑)。 ケガ療養中に、イネさんが駆けつけてくれて、良い方達に囲まれての終盤だったのが救いです。

    2
    投稿日: 2017.12.30
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    このレビューはネタバレを含みます。

     京都を出発するとき、京における長州代表の広沢兵助が、 「西郷にはくれぐれも気をつけよ」 と、注意したが、蔵六はいっこうに表情も変えず、返事もせず、ひどく鈍感であった。広沢のいうところでは、西郷の衆望は巨大であり、一人をもって一敵国をなすほどである。西郷自身は稀世の高士であるにしても、そのまわりにあつまっているのは愚かな物知らずばかりで、江戸へゆけばそういう愚物どもに気をつけよ、といったわけであったが、しかし蔵六は鈍感であった。蔵六にいわせれば、 「衆望を得る人物」 という種類の存在が、頭から理解できないところがあり、それどころか、そういう存在は一種のゴマカシです、としかおもっていない。さらにいえば一人の魅力的人物を押しあげているそのまわりの「衆」というものが、この男にはまるで理解できなかった。そういう魅力的人物とそれを押したてる「衆」が大きな政治勢力になり、ときには歴史をもうごかすということは頭で理解しているものの、しかしかれ一個のモラルでは、  ――それは世の中の害です。  というぐあいにその門人に言っていた。要するに、感動的な人間集団というものがよくわからないたちの男なのである。こういう傾向は長州人に共通しているともいえる。かつての長州藩の代表的人物だった高杉晋作や、いまの木戸などが、みずからの人間的魅力をもって衆をあつめようとしないのは長州の風であり、蔵六はその点では極端に長州人であった。  村田蔵六などという、どこをどうつかんでいいのか、たとえばときに人間のなま臭さも掻き消え、観念だけの存在になってぎょろぎょろ目だけが光っているという人物をどう書けばよいのか、執筆中、ときどき途方に暮れたこともあった。 「いったい、村田蔵六というのは人間なのか」  と、考えこんだこともある。 しかしひらきなおって考えれば、ある仕事にとりつかれた人間というのは、ナマ身の哀感など結果からみれば無きにひとしく、つまり自分自身を機能化して自分がどこかへ消え失せ、その死後痕跡としてやっと残るのは仕事ばかりということが多い。その仕事というのも芸術家の場合ならまだカタチとして残る可能性が多少あるが、蔵六のように時間的に持続している組織のなかに存在した人間というのは、その仕事を巨細にふりかえってもどこに蔵六が存在したかということの見分けがつきにくい。  つまり男というのは大なり小なり蔵六のようなものだと執筆の途中で思ったりした。ごく一般的に人生における存在感が、男の場合、家庭というこの重い場にいる女よりもはるかに稀薄で、女のほうがむしろより濃厚に人生の中にいて、より人間くさいと思ったりした。その意味ではナマ身としての蔵六の人生はじつに淡い。  要するに蔵六は、どこにでもころがっている平凡な人物であった。

    0
    投稿日: 2017.11.19
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    異端の英雄物語であり、幕末明治の歴史噺であり、悶絶のムズキュンラブストーリー。 「花神」(上・中・下)まとめた感想メモ。 司馬遼太郎さんの長編小説。1972年発表。 主人公は大村益次郎(村田蔵六)。 大村益次郎さんは、百姓医者の息子。 百姓医者として勉学するうちに、秀才だったので蘭学、蘭医学を修めているうちに、時代は幕末に。 いつの間にか、蘭学、蘭語の本を日本語に翻訳できる才能が、時代に物凄く求められる季節に。 だんだんと、医学から離れて、蘭語の翻訳から軍事造船などの技術者になっていきます。 大村さんは、長州藩の領民で、幕末に異様な実力主義になった藩の中で、桂小五郎に認められて士分に。そして、幕府との戦いの指揮官になってしまいます。 と、ここまでが随分と長い長い歳月があるのですが、ここからが鮮やかに「花を咲かせる=花神」。 戦闘の指揮を取ってみると、実に合理的で大胆。決断力に富んで見通しが明晰で、連戦連勝。 連戦連勝に生きているうちに、志士でもなんでもないただの百姓医者の蘭学者が、西郷隆盛まで押しのけて、倒幕革命軍の総司令官になってしまいます。 そして、連戦連勝。 中でも、「江戸の街を火だるまにせずに、どうやって彰義隊を討滅するか」という難題への取り組みは、本作のハイライトと言っていい爽快さ。 誰も予想もしなかった速さで内戦が終わってしまう。 ところが、あまりの合理主義から、「近代国家=国民皆兵=武士の特権はく奪」へと駒を進める中で、狂信的な武士たちの恨みを買って。 明治2年に暗殺されて死んでしまう。 でも、明治10年の西南戦争に至るまでの道のりは、全て御見通しで対策まで打ってしまっていた...。 という、何とも不思議で無愛想で、ひたすらに豆腐だけが好物だった地味なおじさんのおはなしでした。 # この小説、地味な主人公ながら、司馬遼太郎さんの長編小説の中でも、片手に入るくらいの完成度、面白さだと思います。 ひとつは、主人公の魅力がはっきりしている。何をした人なのか、どこがハイライトなのかはっきりしている。 前半の地味で恵まれない人生が、そのまま後半のきらびやかな活躍の伏線になって活きている。 そして、大村益次郎さんという無愛想なおじさんの、ブレないキャラクター造形。 狂信的なところが毛ほどもなく、合理主義を貫きながらも和風な佇まいを崩さず、見た目を気にしないぶっきらぼうさ。 政治や愛嬌や丸さと縁が無い、技術屋のゴツゴツした魅力に、司馬さんがぐいぐいと惹かれて、引かれたまま最後まで完走してしまったすがすがしさ。 ただ惜しむらくは、桂小五郎、坂本竜馬、西郷隆盛、高杉晋作、徳川慶喜、岩倉具視、大久保利通...などなどの、議論と外交と政治とけれんと権力の泥の中で、リーダーシップを発揮した人たちの、「裏歴史」「B面の男」というのが持ち味なので。A面の物語をなんとなく知っていないと、B面の味が深くは沁みてこないだろうなあ、と思いました。 そういう意味では、新選組を描いた「燃えよ剣」や、竜馬と仲間たちを描いた「竜馬がゆく」くらいは読んでから読まないと、勿体ないんだろうなあ。 # それから、この作品が秀逸だったのは、司馬さんには珍しく、恋愛軸が貫かれてとおっています。 シーボルトの遺児・イネというハーフの女性との恋愛。これが、9割がたはプラトニックな、「逃げ恥」真っ青のムズキュンなんです。 「村田蔵六と、イネのラブストーリー」という側面も、がっちりと構成されていて、隙がない。これはすごいことです。 司馬遼太郎さんの長編小説は、ほとんどが恋愛軸を序盤で売るくせに、中盤以降、興味が無くなるのかサッパリ消えてなくなる、というのが定番なので...(それでも面白いから、良いのですけれど)。 (恐らく、30年以上ぶりの再読でした)

    1
    投稿日: 2017.06.13
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    戊辰戦争大詰め。彰義隊との戦いが中心。えどの街を守りつつ、病巣だけを取り除く様な外科医の様な戦ぶり。そしてその後にやってくる西南戦争を予見する頭脳。 幕末の志士にここまで冷静に自分と他人を数理的に鑑みて行動を起こせる人もいたとは…。

    0
    投稿日: 2017.06.11
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    このレビューはネタバレを含みます。

    長幕戦争の防衛から維新の達成に至るまでの歴史の激動部を描いた最終巻。 長州を防衛したあと、長州藩は薩摩と共同し、天子を担いで鳥羽伏見の戦いで幕府と決戦する。 大村始め、戦争勝利は不可能とされていたが、なぜか勝利し、その後の無血開城へと繋がっていく。大村の仕事としては無血開城後の彰義隊との戦いであった。 戦力的にも勝利は難しいとされていたが、緻密な戦術で完全勝利となり、維新は成る事となった。 これだけの功績を納めながら、最後は元々仲間であった過激な攘夷志士の手によって暗殺されてしまう。 いずれにせよ、この花神(花咲か爺さんの意味)は明治という新時代への餞としてうまく言ってると感心しました。

    0
    投稿日: 2017.05.05
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    このレビューはネタバレを含みます。

    司馬遼太郎の作品にしては残念ながら躍動感がない。明治維新・近代日本の成立の勉強という点では他の作品同様非常に参考になるが、戦略好きの私としては司馬の言うところの稀代の戦略家である大村益次郎という人間の戊辰戦争に対する戦略の全容をもっと書いてもらいたかった。

    0
    投稿日: 2016.11.19
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    いよいよ戊辰戦争に突入し、まずは幕府瓦解後の江戸を新政府軍の完全な統制下に置くため、江戸での戦いを指揮する。 江戸では西郷隆盛が大将となっていたが、西郷と大村が交代し、戦いに挑む。 戦いは大村のたてた戦略がうまくいき、勝利を収める。 しかし、西郷のメンツを汚したと感じた西郷の子分らの奇襲によって致命傷を負い、そのまま亡くなる。 奇襲の後自分で止血したのはさすが医者。 そういえば医者だったなということを思い出させる。 革命の最後には冷静に状況を正確に分析できる、時には血も涙もないと言われるような人間もまた必要なのだと思う。 正しいことをやっても、うまく立ち回らないと命を落とすのだった。

    0
    投稿日: 2016.08.14
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    (2016.05.01読了)(2003.03.18購入)(1999.07.15・69刷) 幕府は長州に敗れ、徳川慶喜は、大政奉還を受け入れ、鳥羽・伏見の戦いへと進んでゆく。 大村益次郎の出番は、上野寛永寺に立てこもった彰義隊の掃討であった、 戊辰戦争については、江戸で後方支援を受け持った。各所からの要求に対しては、自分で計算して根拠を示し、大村さんがこれぐらいあれば十分という分だけ渡した。 西郷さんが、応援に行くといったことに対しては、つく頃には戦は終わっています、と言ったら、その通りだったとか。 江戸での戦乱を避けるために勝海舟は、新選組を甲州に追いやり、榎本海軍を江戸湾から北へのがれさせたとか。 司馬さんは、村田蔵六を主人公に、よくも三巻にもわたる本を書いたものだと感心してしまいました。勝海舟や桂小五郎についての本は、書かなかったですね。(そうかどうかは司馬さんの本を全部読んだわけではないので自信ないけど) 【見出し】 豆腐 京の風雲 京都占領戦 京と江戸 彰義隊 江戸城 攻撃 あとがき 解説  赤松大麓 ●高杉と西郷(50頁) 高杉は西郷を嫌い、時にはこれを奸物視し、さらに驚くべきことには西郷と何度も会う機会がありながら常に避けわざと無視し、ついに生涯会わなかった。 ●幕末の長州(51頁) 一言で幕末の長州集団を言えば、小粒の血気者どもが無数に表れ、一つのイデオロギーに動かされて藩の権柄をとり、多分に無統制に騒ぎまわったという印象が濃い。 ●造語(162頁) 長州藩は薩摩藩とは違い、言語感覚において優れていたのか、行政上の言葉や社会機構上の言葉で多くの造語を作り、それらの多数が近代日本語として定着した。この病院もそうであった。医院という言葉も、この藩が最初につかった。 軍隊の隊や、総督、総監という言葉を初めて作ったのもこの藩であり、やがて幕府までがまねた。 ●軍事(323頁) 軍事というのは元来、天才による独裁以外に成立しないのである。 ☆関連図書(既読) 「最後の将軍 徳川慶喜」司馬遼太郎著、文芸春秋、1967.03.25 「新選組血風録」司馬遼太郎著、角川文庫、1969.08.30 「燃えよ剣」司馬遼太郎著、文芸春秋、1998.09.20 「竜馬がゆく(一)」司馬遼太郎著、文春文庫、1975.06.25 「翔ぶが如く(一)」司馬遼太郎著、文春文庫、1980.01.25 「世に棲む日日(1)」司馬遼太郎著、文春文庫、2003.03.10 「司馬遼太郎スペシャル」磯田道史著、NHK出版、2016.03.01 「花神(上)」司馬遼太郎著、新潮文庫、1976.08.30 「花神(中)」司馬遼太郎著、新潮文庫、1976.08.30 (2016年5月7日・記) 内容紹介(amazonより) 周防の村医から一転して官軍総司令官となり、維新の渦中で非業の死をとげた、日本近代兵制の創始者大村益次郎の波瀾の生涯を描く。

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    投稿日: 2016.05.07
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    蘭日辞書ヅーフのある部屋はヅーフ部屋と呼ばれた。当時の日本では希少なもので、ヅーフ部屋は徹夜の燈火を見ざる夜ぞなし。

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    投稿日: 2015.08.31
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    この本の前に「世に棲む日々」を読んで、松蔭〜高杉晋作の幕末の長州藩志士の熱き志を知りました。そして、この「花神」では、明治維新の仕上げを長州藩の元百姓だった大村益次郎(村田蔵六)が実にクールにおこなことを知りました。偉大なる大村益次郎、、

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    投稿日: 2015.06.17
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    このレビューはネタバレを含みます。

    大村益次郎という人について不勉強なので、あまり知らない。 ただやはり、司馬先生は長州というか、薩長土肥贔屓だなと感じる。 東軍贔屓の自分は読んでいて色々と複雑になるところが多々ある。 筆者の視点が文中に入り込み、知らぬことは知らぬと言い切ったり こう思う、とか現代ではこう、といったような注釈が入ったりするので、 これが史実・事実でフィクションではないと思ってしまう人が多いのではなかろうか。 時代もあって、この21世紀には当然でも、 当時は明らかになっていなかった『史実』があるのは致し方ないとしても 事実として断言されている書き方は相変わらず少々気になるところ。 下巻でも、長州弁ではない普通の言葉に対して長州弁としているところがいくつかあった。 榎本武揚や近藤勇に関連する記述も引っかかる。 それらを差っ引いて、フィクションとして読む分には 少々冗長ではあるが、医者として、技術者として淡々と生きた男の物語としては それなりに波瀾万丈で面白いものであると思う。

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    投稿日: 2015.04.07
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    村田蔵六の生涯の最後まで。龍馬が行くの様な池や討ち入りでは無く、逃げ回って最後に敗血症で亡くなるが、その短い間に明治の陸軍の骨格を全て行ってしまったというのは凄い人出会った。話の盛り上がりが少ないのが星三つだが、内容的にはまあまあ明治の時代が長州の側から見えてこれはまたこれで面白い。 今度は松蔭か・・

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    投稿日: 2015.03.16
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    大村益次郎の生涯を描いた『花神』。大村益次郎の偉大さをじっくり読むことが出来てとても良かった。明治維新を完成させる最大の功労者だったと思う。靖国神社にある大村益次郎銅像を東京に行った際には、必ず見学に行きたい。

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    投稿日: 2015.02.17
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    かくありたい、、と思わせてくれる人でした。大村益次郎、司馬遼太郎の作品の中でも好きな人物になりました。幕末は本当にいろんな人が描かれていて面白いですね。次は峠の河井継之助を読みます。

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    投稿日: 2014.09.21
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    大村益次郎を主人公にした司馬遼太郎の小説。全3巻の最終巻で、新政府の軍総司令官となり戊辰戦争に勝利し、明治維新は完成する。これほど軍事に関しては天才的だが、人間関係の下手さから反感を買い暗殺されてしまう。時代に流されながらも自分の役割を全うし、ひっそりと去っていく姿に哀愁を感じました。

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    投稿日: 2014.09.03
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    このレビューはネタバレを含みます。

    靖国神社に聳え立つ男の物語(下)大村益次郎は花坂爺さんやったんや!!  明治維新のことは事実しか知らなかったから、新政府がこんなにバラバラだったとは思わなかった。大村益次郎がいなかったらきっと維新は成功しなかっただろう。 ___ p42  長州毛利は地生え大名  江戸幕府では各藩を国替えして、土着の勢力を築くことができないようにした。しかし、長州藩は戦国時代からずっと毛利が治めてきた(領地縮小はあったものの)。ここで生まれた「藩民族主義」というもののおかげで、領民が国難に対して自国を守る行動に積極的に参加した。挙国一致の体制があったから、長州は長く反幕戦争に臨むことができた。 p45  アヘン戦争が来た!!  いわゆる黒船ショックは、デカい真っ黒な戦艦に脅えたのではなく、その11年前にあったアヘン戦争の可能性に恐怖を覚えたといえる。  鎖国下の江戸時代とはいえ、このアジアの危機をのんきに知らんぷりできるほど日本人は馬鹿ではない。黒船が来てそれにビビビッっと来ているシーンはよくある光景だが、本当は噂に聞くアヘン戦争の情景が連想されてガクブルしていたのだろう。 p124  神:ヒポクラテス  当時の蘭方医の信仰対象はヒポクラテスであった。その画を掲げている医者が結構いたらしい。さすが医学の祖。 p216  長州人は正義が大好き  長州人は議論好きだと何度もこの本の中では出てくるが、それはつまりこれに行き着く。正義という美しい虚構が好きでたまらないから、江戸幕府というぬるま湯でふやけきった世の中で、ここまで攘夷に駆け回れたのだと思う。  元来、多くの日本人は現実主義で、宗教とか儒学などの正義に従うことを信じようとしなかった。戦時中の修身教育では無理やり正義を叩き込まれたが、現代では元に戻って、無宗教であったりしている。   p366  なぜ財閥は抜きんでたのか  明治維新は莫大な戦費を浪費した。幕府は商人から軍資金を借り上げて、負けて不良債権になった。新政府も旧幕軍を追討するために商人から金を借り上げて、外国からどんどん武器を買った。国内資本の流出。  このような商人に厳しい時代に、次々と大商人は没落した。これを生き抜いた少数の大商人がのちに財閥となれた。 p490  花神=花咲か爺さん  中国では花咲か爺さんのことを花神という。大村益次郎は尊王攘夷という名ばかりの枯れ木にみごと花を咲かせた花神である、というのがこの本の意味。  確かに、ストーリーを読めば、蔵六以外の人物は勢いだけで尊王攘夷を達成しようとしているように見える。腐っても武士という誇りだけは死んでも離さないような連中。そこに蔵六は戦略と武器を持ち込んだ。   p492  西郷は足利尊氏ごときもの  蔵六は西郷を最後まで信じなかった。西郷の親分肌は武人気質の強い薩摩の志士に絶大な人気だった。この薩摩藩士の維新のエネルギーは、革命戦争後、建武政権を打ち破った足利尊氏のように新政府を脅かすものになると蔵六は予想し、見事的中させた。  薩摩藩士の維新は、徳川幕府よりうちの親分の方がすごいことを示したいという意志が強かったらしい。日本のためではなく、ドメスティックな感情だった。だから、維新後の新政府には不満を持つのではないかという得も言えぬ不安があったのではないか。 p497、521  西園寺公望  西園寺公望は蔵六にかわいがられた。それは、蔵六が自分亡き後に新政府を引率できる人材を育てようと思ったからである。  立命館は西園寺公望の開いた私塾が起源。 p523  刺客の登場は江戸時代から  刺客による暗殺が行われるようになったのは江戸時代になってから。鎌倉時代からの武士精神では、闇討ちや討ち入りや辻斬りなどの奇襲は卑怯であり、果し合いや一騎打ちなど正々堂々としたものだった。  江戸の太平の世は、武士を武士でなくしてしまった。いつの世も暴力的なものは尽きないが、それを武士という鞘に入れていた時代が終わったということか。 p539  蔵六は敗血症で死んだ。  暗殺の時に深く切り込まれた右太ももが化膿して、敗血症を起こして亡くなった。この当時、蔵六のような高官に切断手術をするには勅許が必要だった。そのために処置が遅れて死んだとも言われている。 p548  革命の三段階  「大革命というものは、まず最初に思想家が現れて非業の死を遂げる。日本では吉田松陰のようなものであろう。次いで戦略家の時代に入る。日本では、高杉晋作、西郷隆盛のような存在ででこれまた天寿を全うしない。三番目に登場するのが、技術者である。この技術というのは科学技術であってもいいし、法制技術あるいは蔵六が後年担当したような軍事技術であってもいい。」  なるほど。 ____  つまり、歴史の重要事項は、一に思想家、二に政治家、三に技術家ということか。とはいえ、この三つのどれが欠けても歴史的事件は起きないわけだから、すべて大事。    幕末は面白い。司馬遼太郎は他に吉田松陰や高杉晋作や西郷隆盛の著作があるみたいだ。長いだろうけれど、頑張って読もう。  しかし、司馬遼太郎すごいな。人生変わっちゃうよ。

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    投稿日: 2014.06.14
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    明治維新という大きな流れの中で、誰がどのように動いて世の中が動いていったのかという全体像が分かった。 下巻は長州藩と薩摩藩とバランス関係が変わり、いよいよ革命の大詰めとなる。 命をかけて維新を進めたそれぞれの役者たちの考えやその後の経緯などよく分かり、改めて司馬さんの人間観察力に驚いた。 花神という言葉の意味も出てくるが、著者あとがきにあるように、仕事というものに対する捕らえ方を改めて考えさせられた。 著者はこの本と対をなすように吉田松陰・高杉晋作らを中心にした作品を描いているらしい。 こんどはこちらを是非読んでみたい。

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    投稿日: 2014.01.20
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    村田蔵六ー大村益次郎という人を私はこの本を読むまでほとんど知りませんでした。 かろうじて、高校時代に通っていた予備校の先生が「すごい人だ」と熱弁していた程度で。 読み終わって、あまりにも呆気なく、一方で強い風が通り抜けたような、そんな感覚があります。 まさしく花神。読後に大河のテーマ曲が頭の中で流れ、鳥肌が立ちました。

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    投稿日: 2013.06.29
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    とはいえ、この種の個人信念によって人間関係を超越し、みずから命令者の位置に立とうというのは、やはりこの男が天才であったと同時に強烈な変人であったとしか思えない。 本文抜粋 20130502

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    投稿日: 2013.04.24
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    大村益次郎 村田蔵六物語 江戸時代から 明治への移行。 日本の歴史の転換点に生きる 青年たち。 とほうもなく エネルギッシュである。 蔵六は ある意味で 現実主義 リアリスト である。 自分の生き方に対して 私心なく生きていく。 形式にこだわらず 理想にこだわらず 与えたれたものを確実にやり抜いていく。 自分自身の感情をおさえることによって 自分自身の行動を規定していく。

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    投稿日: 2013.04.16
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    このレビューはネタバレを含みます。

    革命の仕上げ人、大村益次郎の物語、最終巻。 鳥羽・伏見の戦いから、江戸彰義隊を討ち、北越と函館戦争は詳細なく、その死より8年後の西南戦争に備えて(なんたる先見の明)、刺客から受けた傷で亡くなるまで。 勝海舟と西郷隆盛による江戸無血開城前後の、おそらく勝の計らいで旧幕軍が江戸から去ったこと、彰義隊との戦い、知らなかったことばかりで、ほお〜と。 志士や思想、イデオロギーにばかり目がいっていたけれど、こうした現実的な知性と行動が積み上げられて、危うい革命が成っていったのだなと感心。 最期のとき、病院にて穏やかそうに描かれているのが心和んだ。 けれど、結局大村益次郎がどんな人なのかわかり兼ねた。 実に謎な人だ。 姉妹作品ともいえるらしい「世に棲む日日」をそのうち読もう。 *****メモメモ***** ・長州藩の経済財政の強固さ 殖産興業、北前船貿易、干拓事業等で早くから財政を安定させていた。 ・江戸を火の海にしないよう、彰義隊討伐計画の際、蔵六は江戸大火の歴史を調べ、火の広がり方を研究し尽くし、時期を梅雨時に選んで行ったこと。蔵六の戦略の緻密さ、周到さ。

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    投稿日: 2012.12.01
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    村田蔵六という長州出身の百姓身分の医師が蘭学を学び蘭方医になるが、医師としてはいまいちで、蘭語が読めるので宇和島藩や幕府から軍書の翻訳家、教授として重宝されていた。そこを桂小五郎が長州に引き抜いて最初は冷遇されるものの軍師として頭角を表す。幕末の長州と幕府の戦で村田蔵六が軍師になってから、ことごとく幕府に勝ってしまう。この本を読むまでは全くこの人物を知らなかったが、倒幕にかかせない人物だったらしい。司馬遼太郎の本の主人公は徹底した合理主義者が多い。でも武家社会では異端児に相当し理解されず誤解されやすい(現代も?)。この人物もその典型で、薩摩藩の高官から恨みを買いゴロツキに切り込まれてしまい、その傷が原因で死を遂げる。幕末というと志士ばかりというイメージだったが、以外に蘭学を学んだ者の活躍が多いといのは知らなかった。。

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    投稿日: 2012.11.04
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    このレビューはネタバレを含みます。

    本日読了。名前しか知らなかった大村益次郎ですが、司馬さんの手にかかるとこんな面白い人になるんだ! 百姓医者の出身で、オランダ医学を学ぶためにオランダ語を学び、雇われ翻訳者として兵書類を訳しているうちにそちらの知識が付いて、たまたまその才能も天才的にあったために、なんと革命軍の司令官として明治維新を完成させちゃった人です。 すぐ頭に血が上って剣を抜いたり、または思想や理想を持って革命を推し進める他の維新志士たちとは全く異なるタイプで、無私で超合理的で冷静で不器用な人。 自分の意思や理想で維新に身を投じたわけではなくて、たまたまその才能を木戸孝允に見出されて担ぎ上げられたけれど、相当偉くなってからも、たまたま郷里に帰った時に村医者として求められれば、夜中に村のおばあちゃんのために手間のかかる薬を作ってやったりするような人。 でもあまりにも無愛想で空気読めなくて、すれ違った村人から「お暑うございます」と挨拶されても、仏頂面で「夏は暑いものです」とか答えちゃうものだから、嫌な人だと誤解されやすいのですが、司馬さんにかかると愛すべき人になっちゃう。実際彼を嫌いだった人も多かったようで、殺される原因にもなってしまったくらいです。 シーボルトの娘、イネも出てきます…いい味出しちゃってます。

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    投稿日: 2012.09.25
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     幕末、旗本八万旗はまったく機能せず。徳川家は倒幕の勢力と戦うために、各大名に指令をだす。だが、大名にしても幕府を擁護する理由がない。多くの大名は鉢植え大名といい、地域と密な関係は築いていないのだ。当然、財政的にも苦しい。当時は圧倒的に薩長の力が抜きん出ていた理由がある。階級社会は開国により大きく崩れ去ろうとしている。そんな時代の到来を蘭学を通じて蔵六は知る。明治維新という革命後、その先の国づくりまで見渡すことが出来た人物の一生には凄みがある。維新前夜の知識を深めるためには『世に棲む日日』4巻は当然読むべきだと納得する。

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    投稿日: 2012.07.05
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    う~ん、やっぱり楽しめなかった本。幕末の中で、大村益次郎の演じた役割は大きいのかも知れないけれど、主人公にはなれない。司馬遼太郎さんも相当悩んだみたいだけど、人として捉えどころがない、よくわからないというのが正直な感想。

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    投稿日: 2012.07.01
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    最終巻。やっぱり怒濤の幕末だ。耳鳴りが残るような読後だった。機械みたいな蔵六が中心に置かれて、多くの人と場所と事柄が現れて来て、それをいちいち司馬先生は説明してくれる。はいはい、と拝聴しつつ話は進む。合間に人間蔵六とイネの物語も入る。これにほっとする感がある。読み終わって、さて、自分は自分の才分をわかって生きて行けるものだろうかと思った。それに人が人に出会うことの機微。運命ということかなあ。人生のもつそういういろんなものについて思いをめぐらせさせてくれた本だった。

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    投稿日: 2012.05.14
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    周防の村医から一転して討幕軍の総司令官となり、維新の渦中で非業の死をとげたわが国近代兵制の創始者大村益次郎の波瀾の生涯を描く長編。動乱への胎動をはじめた時世をよそに、緒方洪庵の適塾で蘭学の修養を積んでいた村田蔵六(のちの大村益次郎)は、時代の求めるままに蘭学の才能を買われ、宇和島藩から幕府、そして郷里の長州藩へととりたてられ、歴史の激流にのめりこんでゆく。

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    投稿日: 2012.04.10
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    「司馬史観」なんて、ちゃんちゃら可笑しくてあれなんですけど。司馬作品の中でも特に面白かった作品。大村益次郎は、俺かというぐらいの偏屈男。さすがに、軍事の戦略は立てられませんがね。

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    投稿日: 2012.03.16
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    学び多き良書でした。 世の中には話してもわからない手合いが多い。理解力がないというより、他人を理解しようという姿勢がまるで取れない連中であり、なにかの我執と病的に強い自尊心だけで生きている。 大村益次郎はこの手の連中をケダモノと考え無視するに限るという姿勢をとっていた。これに対し桂小五郎は、ケダモノにあって話を心から傾聴し、彼らの自尊心を満足させ敵意を抱かせない姿勢をとった。深い。

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    投稿日: 2012.03.11
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     百姓の出身で蘭学者であり田舎医者であった村田蔵六(大村益次郎)が幕末の動乱のなかで、長州軍、さらには討幕軍の総司令官となり、維新という「革命の仕上げ人」となっていく、その生涯が描かれる。全3巻。  なにより、主人公、村田蔵六の造形が抜群に際立っていると思う。徹底した合理主義。意味のない気配りや空虚な権威、時代遅れの伝統にとらわれた人たちとの対比が小気味よい。合理主義者を軸にするのは、面白い物語の定石の一つと言えるかもしれない。  「あとがき」では、村田蔵六を「仕事をする男」の典型としている。つまり、自分の人格をなくして求められる機能に純化するということか。とはいえ、同じく「あとがき」に記されているように「日本的風土のなかでは存在しがたいほどに強烈」というのがより印象に残る。これは維新期だけでなく、いま現在の日本でも当てはまるかもしれない。  その一方で、合理主義者であると同時に、「故郷主義」であることも描かれている。合理性とは何かという点で興味深く思った。  村田蔵六はもともと医者であり、人を生かすことが求められる役割だったといえる。その村田蔵六が、敵を倒すこと(つまり敵の死)が目的の軍隊を指揮するというのは、自身ではどのように考えていたのだろう。本文中に多少は記述があったかもしれないが、それらの距離を問わないことも合理性の一部であり、その距離をなくしてしまうのが「故郷主義」なのかもしれない。

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    投稿日: 2012.02.18
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    面白かったです。理系的思考で戦略を見ていた数少ない人だそうです。明治維新後に後に西から足利尊氏のごときが攻めてくると西南戦争を予測して防御の準備をしてたというのがすごい

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    投稿日: 2011.12.15
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    このレビューはネタバレを含みます。

    まず以下、簡単なあらすじ。 村田蔵六(大村益次郎)の指揮のもと幕軍に勝った長州。しかし高杉晋作の死が待っていた。高杉は「大村を仰げ」と言い残す。 坂本龍馬による大政奉還によって、政局は安定するかに見えたが、竜馬暗殺によって一転、鳥羽伏見の戦いへと突き進み、薩長が勝利をおさめる。 軍防事務局判事という軍事の最高指揮権を得た蔵六は、江戸における反革命組織である彰義隊を鎮圧し、奥羽から北越にかけての反乱も、江戸から一歩も動かず軍を指揮し鎮圧する。 名実ともに明治維新が確立し、蔵六の役目は終わった。それと呼応するかのように蔵六の命も消えようとしていた。 木戸孝允の言葉「維新は癸丑いらい、無数の有志の屍の上に出できたった。しかしながら、最後に出てきた一人の大村がもし出なかったとすれば、おそらく 成就は難しかったにちがいない。」まぎれもなく、大村益次郎がいなかったら明治維新は成立しなかったと思います。 また「いずれ九州のほうから、足利尊氏のごときものがおこってくる」と西南戦争を予言し大阪に軍事上の重要施設をおいた、合理性と直感力は神がかり的です。 タイトルの「花神」とは中国における花咲爺のことらしいです。まさに革命の花を咲かせて、自らは散っていった蔵六の波瀾の生涯、面白かったです。 しいて注文をつけるとすれば、戊辰戦争の後半がやや駆け足で展開していったことでしょうか。 巻末に収められた解説によると、「花神」は「世に棲む日日」と一対をなすとあります、確かに相関関係にあると思います。まず「世に棲む日日」を読んで「花神」を読むのが望ましいと思います。

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    投稿日: 2011.11.20
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    ある仕事にとりつかれた人間というのは、ナマ身の哀歓など結果から見れば無きにひとしく、つまり自分自身が機能化して自分がどこかへ失せ、その死後痕跡としてやっと残るのは仕事ばかりということが多い。 というのは司馬さんによる、あとがき。 『おれの一生は、事務のようなものだった』 いや。俺はけっこうこういう人、好きだよ。

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    投稿日: 2011.10.30
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    日本史上最強のPM(プロジェクトマネージャ)大村益次郎の話である。 つまるところ、 人望はすべて西郷がうけもち、作戦計画は全て大村益次郎がうけもち、裏の黒い部分は全て大久保が受け持ったのだろう(あれ?桂小五郎は?といった感じであろうが)そうして、倒幕は実現したのでしょう。 司馬遼太郎はこういった合理的な人を書くのが好きなんだろう。 遠くは織田信長、近くは坂の上の雲の秋山弟さん。 時代の変節には必ずこういう人は必要なのだ。

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    投稿日: 2011.10.09
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    何度となく読み返した。 心が疲れ、自分に迷ったときに読む本になっている。 派手ではないが、ブレない人間の確かさを感じるし、静かでも意志の強さや熱い心が彼を英雄にしている。 彼を認める有識者たちは、それでも彼の故郷を想い慕う心根までは気づいてくれなかったのだろう。 彼の心を感じ取るイネさんはそっと華を添えている。

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    投稿日: 2011.09.30
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    村田蔵六という、医師であり、維新政府の高官であり、だけど自身を百姓であると定義し、奢ることなく一個の技術者としての生涯。 西園寺公望や大隈重信と係わりがあったり、知らなかった事もあったので、とても面白く読む事が出来た。

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    投稿日: 2011.06.08
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    3月中旬から読み始め、約1ヵ月半かけて上中下の3巻を読破。明治維新成立の2年後、主人公:村田蔵六(大村益次郎)は元薩摩藩士:海江田信義の刺客により人生の幕を下ろす。「竜馬がゆく」が幕末の表舞台を陽からに描いたものとすれば、本作品は陰から描いたように思える。事実、「竜馬がゆく」でも昨年の大河「龍馬伝」でも大村益次郎の名前は登場しない。一般的な認知度も低いだろう。 しかし本作品を読了し、日本陸軍の創始者である大村が明治維新の立役者の一人であることは充分に理解できた。出自が良かった訳ではなく、地方農村出身の村医師から様々な人との出会いによりいつのまにか大舞台に上がってきた人生というものも非常に面白かった。自身が「これだ」と見込んだ分野を極めることで、他の分野・畑での応用が可能であるという証明である。大村の場合、医学を極めて医師となり、医学書を読む必要性からオランダ語を極めることとなり、洋書の兵学書を読むことから兵学者となり、幕長戦争と戊辰戦争の実質的指揮者となる。 まさに驚きの転身であるが、私はこんな話が好きである。「この道、苦節○十年」というのも勿論尊敬に値するが、華麗なる転身に成功した話の方が夢が膨らむ。「不毛地帯(山崎豊子)」の主人公、壱岐正も大本営参謀から総合商社のトップに上り詰めた。 私自身、前職は某専門学校の講師をしており、そのコンテンツ(教授内容)を現在の保険実務の仕事に活かしているという経歴があるため、そんな話に共感を覚えるのかも知れない。また、現在の仕事が将来的に別の仕事や人生に活きてくるかもしれないと考えるとワクワクするではないか。(別に、具体的に転職を考えている訳ではないことを申し添える。念のため。) そんな訳で、大村の数奇な人生を愉しんで読むことが出来た。ちなみに「花神」とは中国で「花咲か爺さん」という意味らしい。「時代に花を咲かせる爺さん」という意味でタイトルがついたとのこと。私はいまいちそのイメージは受け入れがたい気がするが(笑)。ともあれ、本作品は1977年の大河ドラマであり、総集編DVDで観てみたいものである。中村梅之助がどのように大村を演じたかが非常に興味がある。 本書巻末に収められた論評によると、本作品は「世に棲む日日(吉田松陰と高杉晋作が主役)」と姉妹関係にあるという。司馬作品はまだまだたくさん読みたい候補があるが、近いうちに「世に棲む日日」もチャレンジしたいものだ。「竜馬がゆく」「燃えよ剣」「酔って候」「花神」などとはまた少し違った角度から幕末史を楽しめるだろう。

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    投稿日: 2011.06.04
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    長州藩  蔵六が居てこその長州藩であったと思います。 小さな一国があれ程頑張れた原動力の一つを担っていたと思います。 すごく面白かったです。

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    投稿日: 2011.05.31
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    幕末はどうしてこんなに人材が群がり出てきたのか、本当に不思議の感。適塾の雰囲気にものすごくあこがれる。

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    投稿日: 2011.01.16
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    四国遍路で宇和島に行くのに手にとった一冊。 幕末から明治にかけてこれまでは新選組側から見た時代が描かれたのばかりを読んでましたが、官軍側から見たこの『花神』もおもしろい。 大村益次郎が基礎を作った日本の軍制は、明治になり坂の上の秋山好古や、真之に受け継がれていくのかと思うと感慨深いものがありますな。 昔の大河で、梅之助が彼を演じているらしいけれどあわせて見てみたいなと思っております。

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    投稿日: 2011.01.13
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    今までは新選組や竜馬の目線から見た幕末の小説を読んできましたが、今度は長州の大村益次郎の目線で描かれた話です。正直言って、この方の存在自体知りませんでした。ですが読みやすくとても面白かったです。もっと他の作品も読みたいです。

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    投稿日: 2010.10.23
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    「花神」ってそういう意味だったのか。 この人物の功績や歴史における有用性をこんなに熱心に語ろうとした人は司馬遼太郎くらいのものではないだろうかと思う。 維新前後を描いた作品はうんざりするほどあるけど、大村益次郎が話の中心にいたことはまずない。 坂本竜馬や西郷隆盛をダントツの英雄にしたい側から見れば大村益次郎をなるたけ「そんな人もいたね」程度の脇役にしておいた方が都合がいいのはわかるが、この作品を読み終えた今となると、その扱いに釈然としないものを感じる。 描くに足りない人物だったとは思えなくなった。 本人も歴史に名を残すとか政府の要人としてどうこうしたいとかではなかったせいか、今更大村益次郎をこれ以上細かく掘り返す事は難しいだろう。 後の世に伝えたいと周りが思うような言動をしなかった彼自身にも責任の一端はあるが。 ただ、彼がその希有な頭脳に展開していた戦略や国家像のあれこれをもっと見てみたかったと思う。

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    投稿日: 2010.10.11
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    長州が幕府に勝った。 なぜ勝てたか、「攘夷」という思想がわかりやすく、単純な危機意識から民族主義になっていたこと。長州毛利家が地生えの大名で、藩士団と百姓団の間には同血意識があり、攘夷という民族主義がそのまま圧縮されて反民族主義になり、その意識のもとに民衆が藩防衛に大挙参加したこと。軍資金がふんだんにあったこと。藩政を担当する者が能力主義方針でその位置についたものばかりであったこと。それらの理由を踏まえたうえで、大村益次郎という日本唯一の軍事的天才を作戦の最高立案者にしてことが勝利をもたらしたと言える。 花神とは、花咲爺のことである。 木戸孝允の言葉「維新は無数の有志の屍の上に出できたった。しかしながら、最後に出てきた一人の大村がもし出なかったとすれば、おそらく 成就は難しかったに違いない。」 西郷という同時代の人々すべてを魅了した一大思想的人格に対して、不導体であり、西南戦争を予見していた。その直観力。徹底的なる合理主義。

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    投稿日: 2010.07.11
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    中巻では長州征伐で幕府軍と戦う村田蔵六の活躍ぶりが痛快であり、大変楽しめた。が、この下巻は戦の描写が非常にさっぱりしており、司馬先生も中巻で書きたいことを書ききって、疲れてしまったのかなと変な勘ぐりをいれてしまう作品です。 鳥羽伏見の戦いや戊辰戦争の様な大きなイベントの終結などは書き方が非常にあっさりしており「え、もう戊辰戦争終わったの?」なんてこともしばしば。 どちらかというと村田蔵六の人物とその周囲の描写がこんな感じだったよ、という作品である。中巻とは趣は変わるが村田蔵六の人となり、人間的魅力は健在である。上、中巻を通じて蔵六の魅力にとりつかれた蔵六ファンなら必ず楽しめる1冊。いきなり下巻を読んでもイマイチでしょうな。

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    投稿日: 2010.06.06
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    百姓あがりで、武士ぎらいの蔵六が、いつの間にやら武士になり、革命軍を率いて武士を滅亡させるおはなし。 西郷隆盛が、「最後の武士」なんだと、改めて認識させられました。次は『翔ぶが如く』か。

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    投稿日: 2010.01.28
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    幕末に活躍した、大村益次郎について描かれた本。 大村益次郎についてはこの本で知るのが初めてですが、こうも周りに起こることに対して、 冷静でいられるものなのかと首をかしげるぐらい、不思議な人物像に思えます。 淡々と学問をひたすら積み重ねていく益次郎に脱帽です。

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    投稿日: 2010.01.02
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    靖国に行った時に、銅像見て「誰コレ?」となり、すすめてもらった1冊。 司馬さんは、たぶん益次郎が大好きなんだろうと思う。 話に引き込まれ、、私もこの不器用な人が好きになってしまいました。 タイトルの意味も秀逸。 とても面白かったです。

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    投稿日: 2009.12.30
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    Kodama's review 村田蔵六・・・。いやー渋かったー。小説ということもあり自然、主人公は引き立ちますが、渋い人生ですね。大村益次郎をしるには、これが最高!(05.10.24) お勧め度 ★★★★☆

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    投稿日: 2009.11.18
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    ひとびとの需要のためにのみ存在している。名将となっても、村医としても働く(11頁) この世にいるのは一時の方便ですから(58頁) 一世をうごかすには、人気が必要であるであろう。が、同時に一世をうごかすには、まったくひとから黙殺されているという在り方も必要であるかもしれない。(74頁) 勝の明晰な頭脳からみれば蔵六がナマの人間でなく、ナマの部分を去った一個の機械として映ったのだろう。機械に対しては閉口しても憎悪はできない。(298頁)

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    投稿日: 2009.09.27
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    幕長戦争から江戸の鎮定、そして大阪に出て新政府軍事施設を見て回ってるときに討ち入られて死ぬまで。 やっぱ蔵六がすげぇのは、いきなりぽっと出てきたのに普通に新政府軍の総指揮官としての地位に納まってること、そしてそれに居心地の悪さを感じない器量、他にも大胆さとか、大物はやっぱ大物だと思う。これ読む限りでは。 司馬さんも小説家としてはすごい小説家と思う。これはついついあっとゆうまに読み終わってしまいました。

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    投稿日: 2009.06.29
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    蔵六のたぐいまれなる戦略や幕兵のふがいなさもあり、長州は幕府を相手にした四境戦争に勝利する。薩長、その他倒幕派の諸藩がまとまっているように見えるが実はバラバラで薩長の間でさえも倒幕の手段や今後のビジョンにブレがありそうなのだが、薩摩の英雄西郷の度量の大きさでなんとかまとまり、勝海舟の天才的な判断で江戸は無血で明け渡される。これすごいよね、ホント。幕軍もやろうと思ったら戦争できるんだけど、それやった結果、シナのようになるのが分かってるから時流にあえて飲み込まれて開城かぁ。 蔵六は人物的な魅力には乏しいような印象を受けるが、卓越した効率主義と世界に開かれた目と圧倒的な土着愛で歴史に名前を残したのだろう。 この本において描かれている歴史的な事実は社会の教科書ではほんの数ページ(数行?)なのだろうけど、そのときの理解が以下に浅かったかが20年近く経ったいま分かった。これからもっといろんな視点での幕末・維新を見てみよう。 彰義隊討伐以降でちょいちょい現れてくる人物が日露戦争の英雄たちなのでこれまたびっくり。児玉さんや大山さん、乃木さん、みんな維新を体感したんだね。 ■気に入りフレーズ 「タクチーキ(戦術)のみを知ってストラトギー(戦略)を知らざる者は、ついに国家をあやまつ」:大村益次郎(村田蔵六)

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    投稿日: 2009.06.06
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    幕末ものの小説を初めて読んだ。大河ドラマ『新選組!』とリンクしている部分も多くて楽しかった。こういう合理主義のひとというのは好みだ。(2004-09-05)

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    投稿日: 2008.10.19
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    小さな村の医者の家に生まれ、蘭方医になるべくオランダ語を学びその過程で兵学、砲術に詳しくなってしまい、とうとう官軍の総司令官に担がれ見事に明治維新を完成させた。 大村益次郎ってそういう人だったんですね。 名前だけは知っていましたが何をした人かは皆目知りませんでした。 タイトル「花神」の意味が最後に明かされます。 気になる方はぜひ本書をお読みください(笑)

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    投稿日: 2008.09.12
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    クライマックス 上野戦争 彰義隊との戦い。 薩摩藩士海枝田信義との確執 西郷とのすれ違い。大隈重信との交流。 ひとびとの需要のためにのみ村田蔵六は存在した。 中国は広大な国土、膨大な人民を持つ国であるため、 なにごとにも時間がかかる物理的要因がある。アヘン戦争から辛亥革命まで69年 島崎藤村 夜明け前 青木半蔵 国学者 ときに読者を退屈させたにちがいない物語を書くにいたったのは、 蔵六ももっているこの種の不思議な面をに触れたかったからだ。 数学的論理家であるとともに、芸術家より卓越した直観力。 薩摩の反乱を予測。 革命期大変革期に登場する『技術』とはどういう意味があるかということが主題。

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    投稿日: 2008.07.19
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    だだの狂人集団から、維新政府へと移り変わっていく長州。 村田蔵六こと大村益次郎は、そうやって移り変わる時代と共に、討幕軍の総司令官となった。 村田蔵六はただの技術者であり、ただの技術者であることが彼の信念でもあった。 人目を気にせず、人間関係を円滑にしようなんて微塵も考えない彼は、周囲の人間から見れば全くの馬鹿のように見えるかもしれない。事実彼は、実力こそあったものの、周囲からの評価は『えたいのしれない奴』であった。だが、彼はそんな人間であるからこそ、こんな偉業を成し遂げたのだろう。 村田蔵六は総司令官であったので、ほとんど戦場には出ずに、討幕軍と戦っていた。人の命の潰える戦が行われていたことは事実であるが、村田蔵六のみにスポットを当ててみると、彼はいつものように『ただの技術者』でしかなく、室内に篭っていただけである。彼はやるべきことは何であるかを知っており、それをやれるのは自分でしか無いということも知っていた。そして、やる必要の無いことは何も行わなかった。そんな『明治維新』もあるのだな、となんだか不思議にも思った。 そして、何よりも不思議であるのが、村田蔵六自身の終焉である。彼は、本当にあっさりと消えた。彼の役目が終わると同時に消えたのだ。これが一年前であったら、歴史が変わっていたかもしれない。しかし、そうではなかった。それがなおさら、村田蔵六らしい。 こんな人間がいたのだと思うと、彼は本当に神が使わしたのかもしれない、と感じてしまう。きっと、村田蔵六自身はそれを否定するだろうが。

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    投稿日: 2006.10.11
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    幕長戦勝利から倒幕軍総司令官となり、明治維新を完成させ彗星のごとく去った花神(=花咲爺)、大村益次郎。享年45歳。個人としての生活は決して幸福に満ちたものではなかったが、時代が必要とした時、場所に居合わせる運を持ち合わせ、人に恵まれた生涯だったと思われる。

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    投稿日: 2005.11.26
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    一世をうごかすには、人気が必要であるであろう。が、同時に一世をうごかすには、まったくひとから黙殺されているという在り方も必要であるかもしれない。(p.97) 蔵六は仕上げ人として歴史に登場した。仕上げ人は、西郷のような革命家たちの仕散らした物事を一挙に組み立てて一つの国家を短時間でつくりあげねばならない。 このため非情であることを要した。蔵六が天から贈られてきた者であることを、勝ほどの眼力の者ならさとったにちがいない。(p.388)

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    投稿日: 2004.07.29