
総合評価
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powered by ブクログ村田蔵六という人物像を際立たせるかのように、周辺の人物の動きが描かれていました。幕末のことをよく分かっていないので、勉強になります。 朴訥で地味だけれど、自分の信念を曲げず突き進んでいく蔵六。いいなあと思いました。 でも、イネと蔵六の再会の場面では、女心に気づかない蔵六の態度がもどかしかった。 本当は気づいていても、態度で示さないと分からないよー( ̄^ ̄) 蔵六の立場や性格を考えればしょうがなかったのかな、それにしても・・・ イネが病理学の講義を蔵六にした5日間は、2人にとって、生涯忘れえぬキラキラした時間であったと想像します。 桂小五郎の人を見抜く目があったことにより、蔵六は表舞台にたつことができました。後半の幕府との戦いの場面では、蔵六の戦術はあっぱれとしか言いようがなく、拍手を送りたい気持ちです。 下巻で、イネとまた会えるといいなあと期待してしまいます。
24投稿日: 2025.08.06
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
「維新の十傑」の1人である大村益次郎は、改名するまでの期間を村田蔵六と名乗っていた。「蔵六」という熟語は、亀が手足を甲羅の中にしまって閉じ籠る様子を指す言葉であるようだが、これほど村田蔵六という人物を的確に表す言葉は他にないだろう。攘夷思想によって殺気立つ長州藩に仕えながらも、政治活動には興味を示さず、ひたすら蘭方書を読み漁る村田蔵六という人物は、同藩の士にとっても奇怪な人物として写ったに違いない。そんな蔵六が、後に木戸孝允と名乗る桂小五郎の指名を受けて長州藩の軍事統括を担うことになる。蔵六が大村益次郎として幕軍との戦争に挑むのは本作(中巻)以降である。 最後に、幕長戦争に臨むにあたって長州藩が作成した日本初の「革命宣言書」について。蔵六が書いた印象的な文章についてまとめておく。 「東人(幕府)は病気だ」 中略 「防長(長州)は、医師である」 以下、原文。 「今日の事は、人身に疾病ある如く、人心は国家な り。疾病は東人なり。医師は防長なり」 「医師に任せ、すみやかに病根を御絶ち遊ばされず候 ては、他日再発」 「再発候節、病人、元気衰え、快気むつかしく存じ奉り候」 医学の徒でもある蔵六らしい「革命宣言」である。
8投稿日: 2024.12.16
powered by ブクログ薩摩藩の軍師とも言うべき伊地知正治も認めた大村益次郎。豆腐で晩酌するくらい豆腐が好きだったようだ。 幕軍が攻めてきた辺りまで。
0投稿日: 2024.02.11
powered by ブクログついに始まった幕府との四境戦争! 桂小五郎に引き抜かれた蔵六が自ら指揮をとって、幕軍を追い込んでゆく。 旧式な装備で戦う幕軍と、最初は蔵六の戦い方に不信を抱く長州軍が徐々に「蔵六の指揮通りに動けば勝てる。そして無駄な死をせずにすむ」と勢いづいていくコントラストが面白かった。 その勢いのまま下巻に突入〜。
0投稿日: 2023.08.01
powered by ブクログ幕軍との「四境戦争」において、村田蔵六の指揮により、勝利する、長州軍。 関ケ原の戦い方と変わらない古色蒼然とした幕府軍の戦い方の表現が面白かった。 歴史の表舞台へと立った、蔵六。その勢いは下巻へと続く。 下巻も楽しみ。
0投稿日: 2023.07.28
powered by ブクログ明治維新の長州藩の雰囲気がつたわってくる。村田蔵六は中国春秋時代の孫武のような思考をするんだなぁ。それにしても司馬先生の知識量と詩情豊かな表現力にはいつも驚く。
0投稿日: 2021.11.26
powered by ブクログ尊王攘夷の大狂気に乱舞する長州藩士の「蛤御門の変」での惨敗、四カ国連合艦隊に降伏、幕府の追撃(長州征伐)が迫るなか、潰滅寸前の長州藩の雇われ学者・大村益次郎の生涯を中心に描かれた幕末歴史小説。桂小五郎の推挙により軍務大臣に抜擢された蔵六が、新式のライフル銃(ミニエ-銃)を装備した百姓兵を指揮し、圧倒的兵力を誇る幕軍と対峙する怒濤の起死回生篇。下関でのイネ(シーボルトの娘)との再会、亀山社中の坂本龍馬、井上聞多、伊藤俊輔らとの交流をとおしてみる、德川幕藩体制の崩壊目前の歴史ドラマに息をのむ!
7投稿日: 2021.08.31
powered by ブクログ蔵六が医学から軍学に傾倒し、それが功を成したともいえる軍の采配ぶりは、一時代を大変革する象徴だとおもった。桂小五郎についても、彼の人選眼がいかに優れていたかをまざまざと見せられたような気がした。戦争の描写は、地理が弱い自分では完全には想像しきれなかったが、それでも形式に縛られた幕軍と新進気鋭の革命軍の差ははっきりと分かった。
0投稿日: 2020.04.29
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
堪えることの意味や内容、あるいは理屈などはない。元来、人間の行為や行動に、どれほどの意味や内容、あるいは理屈が求められるであろう。なぜ親に孝であり、なぜ君に忠であるのか、と問われたところで、事々しい内容などはない。うつくしい丹塗りの椀の中に、水を満たそうと飯を盛ろうと、また空でそこに置こうと、丹塗りの椀の美しさにはかわりがないのである。孝や忠は丹塗りの椀であり、内容ではない。蔵六は堪えしのぶことによって、自分のなかに丹塗りの椀をつくりあげている。丹塗りの椀の意味などは考えておらず、ただ自分は丹塗りの椀でありたいとおもっているだけである。 「学問は、したくてするものです。学問であれ遊芸であれ、人間の諸道は、たれのためにするというものではない。自己のためでもない。ただせざらんと欲してもしてしまうという衝動が間断なくおこるという生れつきの者がついに生涯学問をやりつづけてゆくということであり、それ以外になんの理屈もつけられませぬ。…」
1投稿日: 2020.03.08
powered by ブクログこの巻では長州藩という藩に焦点が当たります。とりわけ政治家・桂小五郎の活躍が興味深いです。桂は剣の腕こそあれ、それを使って派手なことをしたのではありません。藩士(時には過激派の者まで)の意見を聞いて調整し、蔵六のような優れた智者を抜擢することで、「倒幕」という大きな目的へ藩を動かしてゆくのです。それは、決起を起こし長州藩を倒幕論に方向転換させた革命家・高杉晋作、武器の買い入れで初めは失敗するが、幕長戦で長州藩を勝利へ導く軍略を見せた技士・大村益次郎(蔵六)とは個性の違うものです。様々な意見を虚心に聞き、集団の合意や意思決定をはかり、目的の実現のために人材の登用や物資の調達を行う桂の政治力が面白いです。
0投稿日: 2019.09.13
powered by ブクログ外国語の専門家として幕府に厚遇されながらも安月給で長州に仕えることを選ぶ。 後世を知る我々には倒幕側に付くことは正しいと知っているが当時それが正しいと知っていた人がどれほどいたか。 イネとの不可思議な関係は司馬遼太郎の脚色かとも感じたが、彼女が蔵六の最後を看取ったことを考えると本当に色恋があったのかもしれない。プラトニックだったのかも。
0投稿日: 2019.08.24
powered by ブクログ【いちぶん】 イネは、宇和島へゆく。 年に一度はゆく。なぜなら宇和島にその娘たか子を住まわせていたし、それに宇和島候の夫人が、彼女の診察をうけることを好み、そのように彼女を義務づけたからである。 (p.242)
0投稿日: 2019.08.19
powered by ブクログ医者から後半いつの間にか軍師へ。徳川の保身や長州の狂気など凄い時代です。 主人公がなかなか変人なので、お話に入り込みにくいかもしれない。
0投稿日: 2019.05.29
powered by ブクログ長州藩に属する蔵六が指揮官として石見、浜田藩を撃破していく話。本来農民出で医師をしていた蔵六は戦を率いていく武士になったという何ともマルチなタレントを発揮していく。学問はしたくてするもの、人間の機微が大切、坂本竜馬と同時代、桂小五郎に見込まれた、毛利元就、ペリー、高杉晋作等司馬は幕末を記するのが得意だと思う。上巻とは違った展開で面白い。
0投稿日: 2018.12.16
powered by ブクログ★評価は再読了後に。 しかし正直に言って長い、しつこい、話逸れ過ぎ。 これがこの作家の味なんですが、遺憾ながらも仕事で忙しくなってしまった現在の当方にはこの流れが合わない感があるなぁ。 そういう観点では、本ってその時々の置かれている状況で変わってくるんだということを改めて実感。そしてやはり司馬遼はストーリーテラーでは絶対にないと確信。
0投稿日: 2018.12.03
powered by ブクログ百姓の村田蔵六が医者から軍隊の総司令官にまでなってしまうという出世物語。 難しい内容のため、何度も心折れたが、なんとか中を読み終えた。 蔵六は、サイコパス的なところがあるが、賢くてすごい。冷静に物事を判断する能力がうらやましい。
2投稿日: 2018.07.02
powered by ブクログこの巻では大村益次郎の活躍やエピソードは少ない。 代わりに司馬先生の余談がたくさん読めて、司馬幕末歴史観をよく学ぶことができます。幕末の世界がどんなもんだったのかを知るのにとてもいいです。※ただし司馬先生の考える、ですが。
0投稿日: 2018.05.19
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
中巻読了。 上巻は上巻で、医学と蘭学を求めぬく村田蔵六の魅力を知ることができたが、中巻ではさらに軍師としての村田蔵六改め大村益次郎の魅力をガッツリ味わうことができました。 この調子で行けば、上巻・中巻の魅力をひっくるめて、下巻ではのめり込まざるを得ないだろうと嬉しい覚悟をしています。 蔵六とは亀の意味だそうで、亀は頭、手足、尾の六つを甲羅(蔵)にしまうというようなことが書かれていましたが、この中巻では閉じ込めていたものをニョキっと解放したという感じがします。 江戸では高待遇で処せられていた蔵六は、なんともこだわりが強いというか、出身の長州に帰ることに執着しました。江戸とは比べ物にならない低待遇の雇士として長州へ戻ることを選択しましたが、この選択が結果として彼の人生をとてつもない方向へ導いていくのですね。 片田舎の村医の息子がまさか軍の総司令官になるとは、自分でも予想できなかったことでしょうね。 彼をこの人生に導いた重要な人物が桂小五郎ですね。この巻を読んで、桂の人物に改めて魅了されました。ぜひ次は桂小五郎の本を読んでみたいと思いました。 このころの幕府、そして長州藩、会津藩、薩摩藩のそれぞれの動きの活発化を経て、中巻最後は巨大幕府軍とたった一藩で戦う長州藩の戦いぶり、なかんずくその長州軍の総司令官として指揮をとる大村益次郎の軍師としての采配が圧巻ですね。兵器と兵法を究めた男の緻密な戦略! しかもその総司令官のかっこうが、百姓笠をかぶり、ユカタに半袴、腰に渋ウチワをぶら下げて、馬に乗れず、剣も使えずと来たものだから、その風貌と才能のギャップがなんともおかしいというか、逆に「渋すぎる~」と叫びたくなります。
1投稿日: 2017.12.29
powered by ブクログ中巻読了。 藩ぐるみで暴走を始める長州藩の中で、淡々と己の役割をこなしていく蔵六さん。 医者で、翻訳者でもある彼ですが、さらに軍略家としての才能も開花させていきます。 まさに、時代は風雲。下巻の展開が楽しみです。
1投稿日: 2017.12.28
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
これまでの蔵六には、情熱の対象が明確であった。人間ではなく、科学と技術である。かれは、オランダ文字をたどることによって、この未見の世界をすこしずつひらき、かれの頭のなかに、ほかの日本人にはない風景をつくりあげた。そこにはニュートンの力学であり、解剖台上の臓腑があり、蒸気機関のパイプとメーターがあり、そして曠野に進退する大群と砲声があり、このかれの頭脳のなかの風景のなかにかれは棲みに棲んで、飽くところを知らなかった、自然、生きた人間どもの誰彼に興味を薄くしかもたなかった。 そういう蔵六のことをお琴は、 「とんぼ獲り」 と、規定してしまっているが、蔵六にすれば、かれは自分の頭脳のなかの風景を追っかけ、それを追うことが、かれを各地に転々とさせる結果になった。青春は、その過程のなかですぎた。おもえば、一瞬のうちにすぎた。ひとがいう青春は、蔵六にはなかったといえるであろう。 が、蔵六はいま、にわかに青春のなかにのったような気がするのである。動乱を恋い、生命をそこに燃焼させようとする壮士の青春が、いまはじめて蔵六のなかに誕生したかのようであり、蔵六自身、この自分の整理をさせ圧迫しつつある感情の変化に、じっと堪えている。 原因をつくったのは、桂であろう。 蔵六はいままで、世間も人も、自分の学問を需要し、蔵六自身を需要しなかったことを知っている。それが、この男なりに不満であり、その不満は鬱積していた。 その蔵六を桂は需めたのである。 わずかに、 ーー村田にだけ話せ。 というそれだけのことであったが、しかし人間が大昂揚するのは、そういうことであるかもしれなかった。 「お会いしても、しなくっても、どっちでもいいことです。イネどのは、二十代のお父上を自分の夢の中で作られ、それとともに生きて来られた。それ以外に、あなたにとって真実のお父上はいない。人間にとって真実とはそういうものです。この真実は医学をもってしてもいかんともしがたい。この真実の前には、へんぺんたる事実は、波のしぶきのようにくだけたは散るものです。事実とは、長崎出島で再会されたシーボルト翁のことだ。あれはたしかにシーボルト翁に相違ない。しかし事実にすぎない」 「蔵六先生は、事実を軽視なさるおつもりですか」 イネは、思想として反撃した。西洋医学は事実にもとづく学問であり、事実に対して冷厳であらねばならぬことを蔵六やイネにおしえてきた。蔵六もイネもおなじく事実の教徒である。その蔵六が、妙なことを言いだしたことにイネはおどろき、「医学の徒たるものが、主観的事実を持ちあげて事実の上に置くということはおかしいではないか」という意味のことを抗議したのである。イネが思うに、蔵六式にいえば、たとえばマジナイ師たちが主観的事実としているマジナイが、西洋医学よりもまさるということになるのではなか。 「それはカン違いです」 と、蔵六はいった。蔵六ほど事実を冷厳な態度で尊重している人物はすくない。 いま蔵六がいっているのはそういうことではなく、医学の踏みこめない人間の内奥のことである。蔵六にいわせれば、イネにとって二十代で日本を去ったあとのシーボルトなどは、事実どころかマボロシであり、ほんとうのシーボルトは、イネの精神をそだて、いまもイネの精神のなかにいる主観的真実のシーボルト以外にない、人間というものはそういうものである。事実的存在の人間というのは大したことはない、と蔵六はいうのである。 「あの長崎から参られたお女中は、むこう五日間泊まられるそうじゃ。いずれ五日のうちには、いかな村田先生でも、狂おしゅうおなりになるじゃろ」 といったが、久兵衛が察するとおり、階上の蔵六は、寝床のなかで歯噛みする思いで、自分の欲望に堪えていた。なぜ堪えるのか、とい蔵六は自問しない。自問したところで、 「堪えるべきだ」 というだけが、蔵六の自答である。堪えることの意味や内容、あるいは理屈などはない。元来、人間の行為や行動に、どれほどの意味や内容、あるいは理屈が求められるであろう。なぜ親に孝であり、なぜ君に忠であるのか、と問われたところで、事々しい内容などはない。うつくしい丹塗りの椀の中に、水を満たそうと飯を盛ろうと、また空でそこに置こうと、丹塗りの椀の美しさにはかわりがないのである。孝や忠は丹塗りの椀であり、内容ではない。蔵六は堪えしのぶことによって、自分のなかに丹塗りの椀をつくりあげている。丹塗りの椀の意味などは考えておらず、ただ自分は丹塗りの椀でありたいとおもっているだけである。
0投稿日: 2017.11.19
powered by ブクログ異端の英雄物語であり、幕末明治の歴史噺であり、悶絶のムズキュンラブストーリー。 「花神」(上・中・下)まとめた感想メモ。 司馬遼太郎さんの長編小説。1972年発表。 主人公は大村益次郎(村田蔵六)。 大村益次郎さんは、百姓医者の息子。 百姓医者として勉学するうちに、秀才だったので蘭学、蘭医学を修めているうちに、時代は幕末に。 いつの間にか、蘭学、蘭語の本を日本語に翻訳できる才能が、時代に物凄く求められる季節に。 だんだんと、医学から離れて、蘭語の翻訳から軍事造船などの技術者になっていきます。 大村さんは、長州藩の領民で、幕末に異様な実力主義になった藩の中で、桂小五郎に認められて士分に。そして、幕府との戦いの指揮官になってしまいます。 と、ここまでが随分と長い長い歳月があるのですが、ここからが鮮やかに「花を咲かせる=花神」。 戦闘の指揮を取ってみると、実に合理的で大胆。決断力に富んで見通しが明晰で、連戦連勝。 連戦連勝に生きているうちに、志士でもなんでもないただの百姓医者の蘭学者が、西郷隆盛まで押しのけて、倒幕革命軍の総司令官になってしまいます。 そして、連戦連勝。 中でも、「江戸の街を火だるまにせずに、どうやって彰義隊を討滅するか」という難題への取り組みは、本作のハイライトと言っていい爽快さ。 誰も予想もしなかった速さで内戦が終わってしまう。 ところが、あまりの合理主義から、「近代国家=国民皆兵=武士の特権はく奪」へと駒を進める中で、狂信的な武士たちの恨みを買って。 明治2年に暗殺されて死んでしまう。 でも、明治10年の西南戦争に至るまでの道のりは、全て御見通しで対策まで打ってしまっていた...。 という、何とも不思議で無愛想で、ひたすらに豆腐だけが好物だった地味なおじさんのおはなしでした。 # この小説、地味な主人公ながら、司馬遼太郎さんの長編小説の中でも、片手に入るくらいの完成度、面白さだと思います。 ひとつは、主人公の魅力がはっきりしている。何をした人なのか、どこがハイライトなのかはっきりしている。 前半の地味で恵まれない人生が、そのまま後半のきらびやかな活躍の伏線になって活きている。 そして、大村益次郎さんという無愛想なおじさんの、ブレないキャラクター造形。 狂信的なところが毛ほどもなく、合理主義を貫きながらも和風な佇まいを崩さず、見た目を気にしないぶっきらぼうさ。 政治や愛嬌や丸さと縁が無い、技術屋のゴツゴツした魅力に、司馬さんがぐいぐいと惹かれて、引かれたまま最後まで完走してしまったすがすがしさ。 ただ惜しむらくは、桂小五郎、坂本竜馬、西郷隆盛、高杉晋作、徳川慶喜、岩倉具視、大久保利通...などなどの、議論と外交と政治とけれんと権力の泥の中で、リーダーシップを発揮した人たちの、「裏歴史」「B面の男」というのが持ち味なので。A面の物語をなんとなく知っていないと、B面の味が深くは沁みてこないだろうなあ、と思いました。 そういう意味では、新選組を描いた「燃えよ剣」や、竜馬と仲間たちを描いた「竜馬がゆく」くらいは読んでから読まないと、勿体ないんだろうなあ。 # それから、この作品が秀逸だったのは、司馬さんには珍しく、恋愛軸が貫かれてとおっています。 シーボルトの遺児・イネというハーフの女性との恋愛。これが、9割がたはプラトニックな、「逃げ恥」真っ青のムズキュンなんです。 「村田蔵六と、イネのラブストーリー」という側面も、がっちりと構成されていて、隙がない。これはすごいことです。 司馬遼太郎さんの長編小説は、ほとんどが恋愛軸を序盤で売るくせに、中盤以降、興味が無くなるのかサッパリ消えてなくなる、というのが定番なので...(それでも面白いから、良いのですけれど)。 (恐らく、30年以上ぶりの再読でした)
1投稿日: 2017.06.13
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
上巻とは売ってかわって、中巻以降では歴史の表舞台へ出てくる。 適塾で蘭学を極めた村田はその語学を買われ、四国の宇和島藩で召し抱えられる事になる。 ここでは時代の要請に従って、砲台の建設、汽船の開発、兵学書の翻訳と医療以外の世界にも従事し始める。そして徐々に世の中から、注目され始めていく。 そんなある日、村田蔵六は長州藩の桂小五郎に見初められ、長州藩の藩士となった。 ここでの仕事は攘夷思想の実現の為、西洋軍隊の拡充および教育であったが、時代の改革期に起こる事態ではあるが長州 と 幕府の戦争。実質的には長州 対 日本の戦争が勃発し、その作戦参謀長として村田改め大村益次郎が出陣した。 この件で感銘を受けたことは、 古老の老中達が過去の戦闘や口伝の戦術から作戦立案を推挙したが、大村はこれを却下し、誰も実戦で見たことはない、書物の中にしかない戦術を用いて作戦を指揮した。 結果、この作戦は面白いようにうまくいったということ。 このことから、未知の事柄でも内容を熟知し、運用出来るほど習熟すれば、過去の経験則を吹き飛ばす程の力を得られるということ。
0投稿日: 2017.05.05
powered by ブクログ文久三年より、ようやく時代が回り出します。桂小五郎の要請を受けて、長州藩士に…そして、幕軍との戦の総大将として全軍を指揮する。 僕らの知る大村益次郎ここに誕生! 話のテンポが良くなって来て後半たのしいなぁ。
0投稿日: 2017.04.29
powered by ブクログ蔵六の軍師っぷりがわかる。 生まれて初めて戦に挑み、作戦通りに勝利し、一躍有名になる。 銃と上官の言うことを忠実にきき、その通りのことをすればいいので、戦は武士でなくてもできることがわかる。 明治維新での最大の変化の一つ、軍事革命はこうして起こったのかがわかる。 会社員として生きる私たちにも、乱世をうまく生き延びるにはどうすればいいかが詰まっている本。
0投稿日: 2016.08.11
powered by ブクログ(2016.04.24読了)(2003.04.04購入)(1997.03.15・65刷) 村田蔵六・大村益次郎は、技術者という扱いを司馬さんはしているので、なるほど、維新の表舞台に立つことはなかなかない。 吉田松陰や高杉晋作を主人公にした司馬さんの「世に棲む日日」や桂小五郎・木戸孝允の評伝「醒めた炎」(村松剛著)を読んでも、大村益次郎には、ほとんど触れられることはありませんでした。 この本でも、村田蔵六が主人公ではあるのですが、蔵六が世の中を動かしてゆくわけではないので、重点は、長州に置かざるを得ないのかもしれません。 ということで、長州が京都を追い出され、最後には、幕府軍に長州が責められる当たりの話が述べられています。 村田蔵六は、長州の仕事を始めてから五年目にしてやっと武士として取り立てられます。この時に、村田蔵六から大村益次郎に名前を変えています。 村田は、村医者としての仮の名字で、蔵六は、自分でつけた名です。 武士の名字は、土地からとったものが多いのだそうで、蔵六も、鋳銭寺村字大村の出身なので、大村という名字にし、父親が孝益なので、益の字をもらっれ益次郎と名乗ったとか。 幕府に勝つためには、施錠銃(ライフル銃)が一万丁あればいいといったのですが、日本に来るのは、一時代前の銃で、ヨーロッパでは不要になったものを持ってくるのだそうです。 それでも何とか交渉して、4千3百丁入手したようです。 四境戦争のころには、薩長同盟もできていたので、武器の入手に当たっては、薩摩も助けもありました。 四境戦争の石州口については、指揮を執る人物がいなかったので、大村益次郎が、自分で指揮を執って、勝ちに導いています。 芸州口については、大村益次郎が作戦を立て、その通りに戦って勝ちを納めています。 本の知識だけで、戦いの場所は実地に見るとして、戦い方を考え、指示するだけで勝ててしまうというのは、実に不思議な才能の持ち主です。 【見出し】 前途 凝華洞の砲声 長門の国 情縁 普門寺 四境戦争 石州口 ●シーボルト(20頁) 「日本はヨーロッパにとって未知の国である。そこには奇妙な骨格の人種と、その人種がつくった社会や風俗、道徳、さらにはヨーロッパにはない草木や鉱物などがあるにちがいない」 と、ただそれだけの好奇心一個をバネにしてシーボルトははるばると日本へやってきた。そのあとシーボルトは自然科学的観察をヨーロッパの学界に報告したいという情熱を持って帰国し、思う存分に発表活動をし、それによって青春の情熱を満足させ、満足させたあとはかれは多分に青春の追想にふけるだけの形骸のような生涯を送った。 ●長州の位置(27頁) 長州藩は一個の半島のように三方海にかこまれている。北は、日本海であった。その日本海岸に藩首都の萩があり、萩の沖をロシアの軍艦が出没しているのである。げんに海のむこうにうかんでいる対馬の一角が、ほんの一時ながらロシア軍艦の武力下に置かれたことがあり、この事実は長州人を戦慄させた。さらに下関海峡には、毎日のように外国の艦船が通行している。かれらは上海へゆき、あるいは横浜へゆく。さらにはまた幕府が結んだ通商条約により、日本の金銀相場が変動したり、物価が高騰したりして士民の生活がくるしくなった。そういう日本の経済体質の大発熱は、下関港の商況を見ることによってよくわかる。 ●逃げる(40頁) 桂小五郎、木戸孝允という人は、生えぬきの剣客であった。が、かれはその剣を生涯殺人につかったことがない。かれが剣を学んで知った最大の事実は、剣をもって襲いかかってくるものに対しては、逃げるしか方法がないということであった。 ●蔵六(111頁) 蔵六とは亀の異称であった。頭、しっぽ、それに四本の足を甲羅のなかに蔵してしまうためにその称がある。亀が、その六つの動くものをかくしてしまえば、河原の石ころとかわらない。 ●上海へ(186頁) 「蔵六は、上海へ行った」 ●天秤(200頁) 桂という男は、全体が一個の天秤のような男らしい。 魔術的政治才能という点では高杉晋作が、日本史上類のすくない天才であったし、また政治における処理能力では井上聞多のほうがすぐれていた。 桂は天秤における支点そのものであった。桂の感覚における支点の左右がつねにこまかくふるえていて、すこしでも左なら左が重くなると、そっと右に分銅を置いて釣合いをとろうという働きをする。天秤が無私であるように、こういう感覚のもちぬしは、つねに無私でなければならない。 ●四民平等(210頁) 蔵六は元来、武士階級がきらいであった。かれは四民平等の世にする以外に日本を救い出す道がないとおもっていたが、しかしこの男はそれを口外したことはない。 ●田能村竹田(214頁) 桂は絵が好きで、とくに竹田がすきであった。 ―理由は、高にして簡である。 という。 ●西洋医学(274頁) この時代の蘭方で評価さるべきは外科のほうで、風邪がこじれたというこの症状については、漢方とさほどの違いはない。西洋医学が漢方を引き離すのは、こののちに来る医学的細菌学の成立以後のことであった。 ●勝海舟(299頁) 勝は、 「長州に村田蔵六がいては、とても幕軍に勝ち目がない」 といった ●モトダネ(300頁) 海舟が蔵六を見ぬいたモトダネは、蔵六が江戸のころにやった兵書の翻訳や解釈を読んだところにある。その訳文が正確であることについては、海舟は驚かない。驚いたのは、欧米を見たこともない村田蔵六という男が、いきなり欧米の軍事技術の本質を掘りあげ、それを生き生き活写しているということに、 ―これは怪物ではないか。 という感想を持ち、それによってこの名前を記憶していたのである。 ●言葉の氾濫(323頁) 「長州には言葉が氾濫して、内実が薄い」 ☆関連図書(既読) 「最後の将軍 徳川慶喜」司馬遼太郎著、文芸春秋、1967.03.25 「新選組血風録」司馬遼太郎著、角川文庫、1969.08.30 「燃えよ剣」司馬遼太郎著、文芸春秋、1998.09.20 「竜馬がゆく(一)」司馬遼太郎著、文春文庫、1975.06.25 「翔ぶが如く(一)」司馬遼太郎著、文春文庫、1980.01.25 「世に棲む日日(1)」司馬遼太郎著、文春文庫、2003.03.10 「司馬遼太郎スペシャル」磯田道史著、NHK出版、2016.03.01 「花神(上)」司馬遼太郎著、新潮文庫、1976.08.30 (2016年5月7日・記) 内容紹介(amazonより) 周防の村医から一転して官軍総司令官となり、維新の渦中で非業の死をとげた、日本近代兵制の創始者大村益次郎の波瀾の生涯を描く。
0投稿日: 2016.05.07
powered by ブクログ蔵六だけにとどまらず、木戸孝允などの人間の描写がとてもきめ細かく、生き生きと伝わってくる。自分の性格にあった人物像を見つけられるのも、この本の醍醐味かもしれない。
0投稿日: 2015.12.03
powered by ブクログ上巻は蘭学関係中心の描写が多かったが、動乱の幕開けが近付くにつれて蔵六の立場も内容も軍事方面にゆるやかにシフトチェンジしていて、中巻の最後には四境戦争に突入し、気付いたら常勝総司令官になっていたとか本当に人生って不思議です。蔵六自身はそう大して変わる訳でもないのがこれまた不思議です。桂小五郎をはじめとした長州の偉人たちが蔵六に絡む様が面白かったです。
0投稿日: 2015.04.29
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
大河ドラマになっていたというのは全く知らなかった。 "表舞台"に登場しない村田蔵六。 上中下の三巻に渡る物語の内の中巻。 多少冗長に感じるところもある。 司馬氏は地の分に普通に自分の考えを入れたり、 わからないことはわからないと書いたり、憶測を入れたりする。 それがまた、筆者の文章の独特の魅力にもなっているのだろうと思う。 武士ではない人間たちが動かした瓦解(明治維新)。 この時期の長州人の議論は過激なほど支持され、 過激であるほど内容が空疎であるというのは非常に納得。 関ヶ原からの因縁を持ち続け、海外への視点が広く、 徳川を敬う気持ちがないところが長州の特徴だと思う。
0投稿日: 2015.04.07
powered by ブクログ村田蔵六の話であるが、幕末の長州側から見た小説。幕府側では無く、長州の村田蔵六、大村益次郎の側からの物語。 見方が違うことで幕末の話が良くわかる。坂本龍馬、中岡、西郷、勝海舟などが出てくるがやはり長州から見ているのでさらりとしか出てこず。まあ、長州征伐への幕府軍との戦いが新式銃でそろえた長州と旧式の幕府軍との戦いは戦い方さえ間違えない蔵六が率いて圧勝。そのまま下巻へ行き、明治維新か。結構内容は濃いな。良いね.4つ。
0投稿日: 2015.03.07
powered by ブクログ長州、極めてアクティブな藩に属したことが、村田蔵六の運命と日本の歴史に重大な変化をもたらしてゆく。攘夷という大狂気を発して蛤御門の変に破れて壊滅寸前の長州に再び幕軍が迫っている。桂小五郎の推挙で軍務大臣に抜擢された村田蔵六は百姓兵たちに新式銃を持たせて四方から押し寄せる幕軍と対峙し、自らは石州口の戦いを指揮して撃破する。 村田蔵六の力量を見抜いた桂小五郎の人物鑑定眼がまず凄い。村田蔵六の力量が長州藩に勝利をもたらした。近代兵制を翻訳していたので、それを幕軍に先駆けて導入させた功績は素晴らしい。実際に軍団指揮をさせるとことごとく勝利に導いた。石州口の戦いを読んでいると武士の世を終わらせて新しい時代を開く維新回天は革命だったと痛感します。
0投稿日: 2015.02.07
powered by ブクログ大村益次郎を主人公にした司馬遼太郎の小説。全3巻の2巻目で、長州藩に取り立てられて医学から軍事の仕事をするようになり、幕長戦争では指揮官として活躍していく。 百姓だった主人公が自分の技術によって出世していく様は、現代のサラリーマンにも重なる部分を感じました。
0投稿日: 2014.08.24
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
靖国神社に聳え立つ男:大村益次郎の物語(中) 戦略家としての頭角を現し始める。幕府が…崩れ始めた…。 蔵六は相変わらず蔵六であるけど、彼の周囲が彼を放っておかなかった。火吹き達磨を見出した桂小五郎のすごさが際立つ。 さらに、若かりし頃の明治の大物が次々登場するから読んでいてウキウキしてきます。 _____ p15,~18 開明論と攘夷論(司馬の見解) 開明論(漸次的な開国)は江戸幕府の国政制度を抜本的に改革するものではなかったはず。だからこの当時、日本が西欧列強に喰われない術は過激な攘夷論しかなかった。はず。 西郷隆盛は戊辰戦争で徹底的に戦争し、日本全土を焼き尽くして新しい国家を建設しなくてはならないとまで考えていた。それほど徳川300年の歴史は日本人の政治・思想・慣習あらゆるものを硬直化させていた。西郷は戦争が足りないと思っていたから征韓論派だったし、西南戦争も起こした。自ら明治の人柱になった。かっこいい。 鎌倉末期や室町末期も、崩壊した原因は腐敗した幕府や朝廷などによる国体の硬直化だった。江戸幕府も結局同じような結末を迎えることになってしまったのは、歴史の周期性を感じる。足利尊氏、織田信長、ペリー、硬直した国の在り方を破壊するものが歴史を作っていく。 p444 「哲学」の語を作った人 幕末期、外国の新知識をどうにかして日本語に訳さなければいけないから、いろいろな造語が生まれた。それがちょくちょく話題に出る。蔵六も軍事用語などいくつも造語した。 西周。島根の津和野藩に生まれた明治の哲学者。森鴎外の近所の子だったそうな。philosophyを頑張って哲学と名付けた男。この人のことは前から気になっていたからもっと知りたい。 装条銃…銃弾にスパイラル回転をつけ、弾道の安定と射程の長距離化を実現した。外国人商人は日本に旧式の兵器を最新式として売りに来ていたが、蔵六は世界の本当の最新式を知識として知っている。「情報」を持つものがいつの時代も勝者になるのである。 ____ この間は著者の雑談が多かった気がする。紙面ですらついつい語りたくなってしまうほど、幕末期は話題豊富なのだ。 次巻で終結。残りはほぼ戦争の話だから読むスピード早くなりそう。
0投稿日: 2014.06.05
powered by ブクログいよいよ蔵六が歴史の表舞台に出ようという巻でした。 以前に『燃えよ剣』を読んだ時には戦いのシーンをつまらなく感じたものですが、今回はとても興味深く感じています。 なんだろう、成長したのかなー
0投稿日: 2013.05.27
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
大村益次郎の物語。 中巻は、長州の雇士から、桂小五郎の強い推薦により長州軍務大臣となり、第2次長州征伐で大村氏自ら指揮をとり、ことごとく勝つところまで。 大村氏が時代に必要とされ表舞台に出るまで、長州の狂騒とその維新における役割など、面白い。 特に士農工商の封建社会の崩壊が、システムではなく、ソフトの面で、しかも思想が世に出たのち、遍く社会に浸透していく長州藩の様子、それを日本社会から見たときの歴史上担う役割が興味深い。 革命とはこのように起こるのだな、と。 戦闘部分は、戦争とはこういうものか、となるほどと思いながら読んだ。大村氏の言う戦略と戦術の違い、いかに少数で長州が幕軍に勝っていったのか、戦線の行方を決めるのが武器の先進性と、合理主義、政略、情報であったことなど。 お琴さんが結構すき。
0投稿日: 2012.11.27
powered by ブクログ2巻目。いよいよ大村益次郎となつて長州軍の指揮をとる。あいだに人間らしい蔵六としてイネとの逸話が入る。話はクライマックスに進みながら3巻目へ。
0投稿日: 2012.05.14
powered by ブクログ主人公は医者なのに、流れるままに時代に流されていく。不運な形での登用でも、見てくれている人は上へと引き上げてくれる。とりあえず、めまぐるしい。
0投稿日: 2012.05.13
powered by ブクログ周防の村医から一転して討幕軍の総司令官となり、維新の渦中で非業の死をとげたわが国近代兵制の創始者大村益次郎の波瀾の生涯を描く長編。動乱への胎動をはじめた時世をよそに、緒方洪庵の適塾で蘭学の修養を積んでいた村田蔵六(のちの大村益次郎)は、時代の求めるままに蘭学の才能を買われ、宇和島藩から幕府、そして郷里の長州藩へととりたてられ、歴史の激流にのめりこんでゆく。
0投稿日: 2012.04.10
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以下、簡単なあらすじ 伊藤俊輔(のちの伊藤博文)と井上聞多(のちの井上馨)らの密航を手伝った村田蔵六(のちの大村益次郎)は、京を追われた長州に帰り、高杉晋作と会う。 攘夷という大狂乱を発した長州は、蛤御門ノ変に敗れ、四カ国連合艦隊に敗れて、壊滅寸前に陥る。再び幕軍が迫っている、その窮状を救うのが蔵六である。桂小五郎(のちの木戸孝允)の推挙により村医から軍務大臣へと大抜擢され、百姓兵に新式のミニェー銃を持たせて四方より押し寄せる幕軍を退け、石州口の戦いを指揮し撃滅する。 一番の驚きなのは、一度も軍隊を指揮したこともない蔵六を信頼しきった桂小五郎の先見の明、会った事もない勝海舟をして「長州に村田蔵六がいては、とても幕軍に勝ち目がない」と言わしめる蔵六の知性は見る人間が見ればはっきりするものなのか非常に謎でした。 蔵六が実行した魔術的戦略は単純なものでした。 「旋条銃を一万梃そろえれば勝てます」 蔵六の新しい技術が旧文明を破壊し長州の窮地を救うのでした。 あと「世に棲む日日」の空白部分が描かれていたので、合わせて読むと一層面白いと思いました。
0投稿日: 2011.11.07
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
長州人の悪癖を連ねられ、思わず苦笑。 ・議論、思想ばかりで実践がない。 ・手紙をよく書く。 頭でっかちでいざ行動すると過激に過ぎる。 あー、私は紛れもなく長州の末裔だわ。 長州育ちながら、武家でなく百姓の蔵六はその弊害に染まっていないから桂の信頼を得たのだろうな。
0投稿日: 2011.11.03
powered by ブクログ上巻では医師としての村田蔵六(のちの大村益次郎)を描いていたが、桂小五郎など様々な縁があって長州軍の重要ポストに就任し、軍人人生としてのスタートを切っていく。この蔵六がそれまで戦争未経験者であるのみならず、武芸、喧嘩等の類いも触ったことがないという背景が興味深い。あくまで医師として、学者としての道を歩んできた人間が軍事の道で力を発揮するのである。この点が、一貫して軍事教育を受けてきた上で軍人として功績を残した「坂の上の雲」の主人公である秋山兄弟とは異なるところである。ある分野を極めた者が、他分野においても成功するという現象は非常に興味深い。 後半は第二次長州征討戦記となるが、通勤の行き帰りに読んでいると中々頭に入らなかった。長門、周防、安芸、石見(現在の山口県、広島県、島根県)各国の地理関係が疎く、進軍や戦いのイメージが湧いてこないのだ。そこで本日、もう一度第二次長州征討戦記の始まりまで戻って、地図帳とiPhoneの地図アプリを片手に読み進めた。おおまかな地理把握には地図帳、細かい山や市街地の位置把握には地図アプリを使ってみた。なるほど、蔵六が山口の政庁を出発して益田、浜田へと進軍していくさまにようやくリアリティが持てた。やはり読書にはこうした一工夫が必要である。 本巻で興味深かった記述は以下のとおり。 ・「京で一時の勢いを得たもので、栄えた例は一件もない」と蔵六は思った。平清盛、木曽義仲、源義経、織田信長、明智光秀など、みな束の間に亡んでいる。理由はいくつかあるが、ひとつには蔵六によれば他の大勢力の強烈な嫉妬を買うためであろう。 →なるほど、言われてみればそうである。蔵六の言うとおり、幕末の長州藩も公家工作を行い一時の勢いを得るも、八月十八日の政変(1863年9月30日)によりあっという間に京から墜ちていくことになる。こうした同じ栄枯盛衰を繰り返すのも、京独特の土地柄なのかも知れない。 ・「将帥は寡黙でなければならない。いちいち物事に驚いたり口やかましく感想をさえずっているようなことでは、配下はそのことにふりまわされて方途に迷う」 →蔵六が説く戦略論である。家庭における父親、職場における上司、スポーツにおける主将などにあてはまる論理である。
0投稿日: 2011.06.04
powered by ブクログ長州藩 蔵六が居てこその長州藩であったと思います。 小さな一国があれ程頑張れた原動力の一つを担っていたと思います。 すごく面白かったです。
0投稿日: 2011.05.31
powered by ブクログさまざまな幕末の若き志士たち。 あるものは”儀”を持つことで、強さを得、 また あるものは”技”を持つことで、前者とは違った強さを得た。 蔵六は後者である。 ”技”を信奉した蔵六や福沢諭吉、イネ 等。 歴史の渦には抗えずに巻き込まれようとも、 しかし 時代の思想から超越した、精神の自由さを感じた。
0投稿日: 2010.10.01
powered by ブクログ「戦争は科学を進歩させる」とよく言うが「科学が戦争を進化させる」こともある。 目に映る手がかりは何もなかった時代に、自分の蓄えた知識と想像力だけを頼りに戦争をし、あまつさえ勝算を見いだしていたというそのエネルギーと精神力はどこから来たんだろうか。 そして今の私たちは、なぜ彼らのようなエネルギーを持ち得ないのか。
0投稿日: 2010.08.25
powered by ブクログ桂小五郎に抜擢され、四境戦争の軍務大臣となる。 この時期の、長州について、桂、高杉、伊藤、井上を登場させ、書かれている。 大割拠の時代、独立国となり、百姓が政治と、軍事に参加する面白い時代となった。 桂の天秤の能力、やさしさ、無私、口が堅い。 薩長連合、坂本竜馬を長州の側から見る面白さ。
0投稿日: 2010.07.11
powered by ブクログ物語後半は長州藩vs幕府の戦争の描写であるが、これが素晴らしい。 兵の数では700人とかなり少ない長州藩だが、藩内部の意思統一、武器、戦略、戦術においていずれも幕府軍を凌駕し、戦いを優位に進めてゆく。 蔵六(主人公)の兵学思想にはスーパースターは不要で、忠実に命令をきく歩兵がいれば良い、後は敵より良い武器を与えて兵器と戦術で圧倒していく、という解説が印象深い。 敵を倒すための条件を規定し、条件を満たすためのtodoを洗い出し、粛々と進めてゆく、そして想定どおりの結果をさも当然とばかりに確認する蔵六。これって正に仕事の出来るプロジェクトマネージャーのストーリーとして、現代にも十分通用すると思う。 現実世界では自分の仕事に行き詰まりを感じているのだが、勇気をもらえた1冊です。
0投稿日: 2010.05.22
powered by ブクログKodama's review 維新寸前。長州を中心とした志士が出てきて、面白くなってきました!下巻楽しみです!(05.09.30) お勧め度 ★★★★☆
0投稿日: 2009.11.18
powered by ブクログエネルギーとしての「攘夷」 思想だけでは発展(ここでは革命)できないのか。 老化肥大化した組織幹部に、精神のはつらつたる器量人などはひとりもおらず、たとえ補佐者に才物がおっても、その意見はかならず愚論に圧殺される。結局は常識的な正攻法をとるのである(312頁) リーダーシップと権威の分離 ⇔ 権威を先に与えることで発揮できるリーダーシップ
0投稿日: 2009.09.25
powered by ブクログ村田蔵六が長州に召抱えられるようになって、江戸で塾を開いていた頃から軍事顧問として士分となり大村益次郎を名乗り、幕府との戦いで総指揮をとって緒戦に勝利を収めるまで。 イネとの関係がなんかウジウジと見てられないような気もするけど蔵六のそうゆうとこははっきし言って凄いな。信念なのかなんなのか。そして軍事の知識は書物からだけだったのに初陣で総指揮を取り勝利を納めていく過程はやはり時代に味方されたってのもあるんだろうけど、蔵六の天才でもあるんだろうな。司馬さんが書くように軍事の天才ってのは滅多にでないしそれは教育できるものでもないようだ。もちろん凡人をそれなりに仕込むことはできるんだろうが。
0投稿日: 2009.06.18
powered by ブクログ遂に村田蔵六より大村益次郎に改名して大飛躍を遂げた。(実際は飛躍したので改名したのだけど) 国に弓を引くのがただの田舎の一藩の長州というのに驚かされる。いろんな既成概念や制度をひっくり返すのはたった一人の人間なんだなと思う。その一人の人間を支える人がいるのだけど、人に預けるという判断ができるトップの存在というのが重要なのだろうね。 日本人は元来臆病で律儀な性格なのでトップダウンの体制が合っていたのであろう。徳川に楯突いた長州の百姓も優秀なトップがいたからこそなのだろう。 戦争で兵士を信頼させる方法はひとつ。勝つこと。百姓出身の益次郎も勝つことにより信頼された。これはとても重要なことだ。結果を残すことが重要。ふむ。
0投稿日: 2009.05.19
powered by ブクログ国内問題ではあまり騒がず、外交問題となると、全島のすべてがいっせいに発狂しかの観でさわぐ。 日本人の習性的騒乱癖の祖形をなしているのが、幕末の尊王攘夷論のさわぎであった。 大村益次郎が、伊藤博文、井上馨ら、長州の秘密留学生らが、わびしさや不安に途方がくれてる時に、見送りの言葉。 『戦うには、まず敵をしらねばならぬ。』 古来、勝利者は兵力の集中に成功した者であり、これとは額に敗将たちの敗戦の共通理由は兵力の分散にあったということを、 蔵六はよく知っていた。 津和野藩出身 西周 森鴎外 西は哲学ということばを作って、日本の人文科学の術語の多くを、翻訳もしくは創作した。 こんにちの表現力に富む日本語を共有できるようになった、基礎を築き、森もまたそれに貢献した。 長州の攘夷熱に浮かされず、また、無名の村田蔵六という村医を対幕戦の総司令官に抜擢した、 特別な技術や知識があるわけでもないが、ブレない感性を持ち、全体のバランスを取ることがうまい、桂小五郎。 彼や長州藩の政治力や理論好きが描写されるシーンが多い。
0投稿日: 2008.06.21
powered by ブクログついに長州は、攘夷を火種として暴発した。攘夷家という名の狂人たちが、日本中に溢れていた――そして、少し前まで諸善の根源だった長州は、諸悪の根源と見られるようになった。 しかし、そのような時代にあっても、蔵六はまだ長州に忘れられている。1人ぽつねんと江戸に残り、書に埋もれながらも、長州の行く末を憂えていた。 ついに、長州内でも無名だった蔵六が、『大村益次郎』として全国に勇名を馳せる。 この巻の見所の一つはやはり、桂小五郎に対する蔵六の信頼が一気にあがったことだろう。 蔵六は技術の申し子であり、技術を何よりも信頼し、蔵六はそのこと自体に何の疑問も持っていない――しかし、同時に、彼を必要とする人間たちも、彼の技術しか欲していないということを知っていた。 そうであるのに、桂はその人柄を信頼した。蔵六は偏屈な男であったかもしれないが、このことにいたく感動している。やはり彼も人間であり、実力も十二分にあったが、やはり『人間から命をかけて信頼される』ということには凄い影響力があったのだろう。 そしてもう一つの見所は、幕軍と長州軍による『日本式軍隊』と『洋式軍隊』の激突の様子であろう。 『無様に生きるよりも美しく死ね』とする、江戸期に培われた武士道を持つ幕軍。それに対して、少ない怪我人で勝利を目指すことを合理的に考え抜いた長州軍。それらを比較しただけでも、その勝利の行方は明確であろう。 一対千でも降伏しない幕軍兵や、銃弾の雨の中を戦国時代よろしく騎馬兵として刀を片手に乗り込んでくる幕軍兵。それらの勇姿は確かに長州軍の心を揺さぶったが、勝てるかどうかというと、それは無理な話である。 武士道は美しい。しかしそれは形式的な美でしかない、とも同時に思うのである。
0投稿日: 2006.10.08
powered by ブクログ全3巻の二巻目。蛤御門ノ変から石州口の戦いまでを収録。軍務大臣に抜擢されたこの人無しでは長州藩は壊滅し、維新は別の形で成立していただろうと思われる活躍ぶり。でもどこまでも技術者に徹し、人的な魅力に欠けるのでどうも目立たない感じ。派手さがないからなぁ、大村益次郎。 異相だったらしいし(高杉に火達磨とかあだ名つけられてるし)
0投稿日: 2005.11.26
powered by ブクログ蔵六はふと、人間はこの世にうまれてきてやがてひとりで死ぬのだが、その間によき話し相手の何人かでも得ればそれほど幸福なことはない、ところが自分という風変わりな人間にとってよき話し相手というのは、(イネひとりかもしれない。イネひとりだけで自分は世を終わるのかもしれない)と、そのことを自分の内面で発見して、愕然とそう思った。しかしながら蔵六はすでにイネという話し相手を得ている。ひとりの良き話し相手ももたずに世を終える者がほとんどであるとすれば、自分は幸福な部類に入るのではあるまいか。(p.338)
0投稿日: 2004.07.27
