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花神(上)(新潮文庫)
花神(上)(新潮文庫)
司馬遼太郎/新潮社
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総合評価

113件)
4.2
40
45
13
2
1
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    朴訥ながら能力と、時運によって一気に国の中心に向かっている村田蔵六。全く知らない人物でした。でもここからどう大村益次郎に成り上がっていくのか。

    0
    投稿日: 2025.09.23
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    主人公の村田蔵六(のちの大村益次郎)について、この小説を読むまで全く知りませんでした。 緒方洪庵の門生であった村田蔵六。はじめは医者となり、蘭学を教えるは、軍艦をつくることにも携わるは、目まぐるしく変わる人生と、高い能力に驚きました。 上巻で1番心に残ったのは、シーボルトの落とし子イネとの数奇な出逢いと、その後の関係性でした。蔵六はイネに蘭学を教授します。 イネと蔵六の、男女の情愛や師弟愛を超えたもっと深いものを描こうとする司馬遼太郎さんの筆致は秀逸で、胸に迫るものがありました。イネさんの気持ちを思うと、辛すぎました。 蔵六は、吉田松陰の埋葬日に桂小五郎に見出されます。その現場で蔵六は、女刑死人の解剖をしていた・・・・何という人生の巡り合いの不思議。 蔵六は、宇和島藩から長州藩にひっぱられ、福沢諭吉との付き合いもあり・・・・ 村田蔵六の今後の活躍が楽しみです。そして、イネさんとの行く末も気になるところです。

    23
    投稿日: 2025.08.05
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    このレビューはネタバレを含みます。

    印象的な記述を記しておく。 「この極東の島にいる日本人のおもしろさは、オランダ文字といういわば針の頭ほどに小さな穴を通して、広大な西洋の技術世界をのぞいている。」            中略 「西洋人がヨーロッパの他の言語をまなぶ作業とは、大いにちがっている。言語の世界に対してそれぞれの学び手がもっている文明の像と質に対する想像力を最大限にはたらかせることであった。」 「そういう想像力の作業は、この地球上のいかなる民族よりも、日本人はふるい鍛錬の伝統をもっていた。」 スマホやSNSが普及した現代では、情報が波のように押し寄せてくるため、想像力を膨らますにも脳の容量が足りなくなるケースが多い。実際、最近は似たようなコンテンツが多く、独創性に欠ける。それで満足するのも1つの手ではあるが、本当に独創的なコンテンツを作りたければ、一度情報の受け口を狭めて、情報が不足している状態で想像してみると面白いものができるのではないかと、ふっと思った。

    5
    投稿日: 2024.12.09
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    維新新政府軍を率いた長州藩士、大村益次郎(村田蔵六)の物語。 大阪、緒方洪庵の適塾にて蘭語(医学)を学び、一時は地元の長州・スセンジ村の祖父の代からの村医者を継ぐが、伊予宇和島藩や幕府からの招聘で医学塾や蕃書調所の教授となり、位を上げていく。 そんな中で藩士に蘭学を教える者を欲した長州から薄給、低身分で召され、従う。日本武士の強さを示して独立国家として植民地化されないための「開明的攘夷論」を唱える。 吉田松陰を埋葬した後の桂小五郎と再開した場面や、最後の福沢諭吉(開明論)とのやりとりが印象的だった。長州藩へのナショナリズム。

    0
    投稿日: 2023.07.05
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     私は作中後半に出てくる「ヘボン式ローマ字」 という言葉は知っているが、それが、江戸末期に日本へ来た外国人医師「ヘボン」が発明したから、とは知らなかった。  オランダ語を知ることから始めた村田蔵六が英語を学ぶ為に幕府が招へいしたヘボン医師から英語を学ぶ。  この頃の外国人は極東の野蛮国と日本を認識していたが、その野蛮人の日本人が、英語が出来ないくせに、二次方程式を含む代数や平面三角法や球面三角法といったものに良く通じていたことに驚き、ヘボンは「アメリカの大学卒業生でもこれら若い日本人を負かすことは出来ないであろう」と驚いている。  という下りがあるが、江戸時代の日本人には塾などでの、読み書きの素養が有り、勉学の下地は十分にあったのでしょう。明治に成ってみるみるうちに発展を遂げ、遂には日露戦争のように外国を負かしてしまう。その源となるのが村田蔵六、後の大村益次郎であるという。  幕末を村田蔵六という、攘夷志士以外の視点から見た本書は実に面白い。  また、シーボルトの娘のイネとの関係についての記述も面白かった。

    0
    投稿日: 2023.07.04
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    学者のこころ 石井宗謙のエピソード “物習いはさかんだ。しかし物習いを学問とはいえまい。学問とは、あたらしいことを拓く心があってはじめて成立する世界だ。

    1
    投稿日: 2022.10.30
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    村田蔵六が大村益次郎として歴史に必要とされるまでの前日譚。 中巻以降維新という激動の中に飲み込まれていくに連れて、宇和島での日々がより美しく見えてくるんだろうな。 伊達宗城の先見の明、横浜で“外国”に触れて衝撃を受ける福沢諭吉、その福沢と蔵六の攘夷に対する考え方の対比など印象的。 しかしそれにしても蔵六、ちょっと言葉が足りなすぎるだろう。

    0
    投稿日: 2022.08.04
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    日本の幕末史の知識が浅かったのでちょっと勉強も兼ねて。(あくまで時代”小説”ではあるが) 司馬遼太郎の描く歴史上の偉人たちの中でも、なんとなく筆者のお気に入りかなと思われる人々はだいたい無骨で偏屈な奇人が多い気がする。それがなんともまた魅力的なキャラクターに思えるが。 長州、宇和島、長崎、大阪、どこも改めて訪れてみたくなった。各地の史跡を訪ねて150年前に想いを馳せる旅がしたくなるほど、当時の熱、激動、時代のうねりが伝わってくる物語。中巻がはやく読みたい。

    0
    投稿日: 2022.07.15
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    再読だと思うが、内容を完全に忘れている。司馬先生の授業を聴いているような感覚が心地よいです。 語り口は詩的だし、なによりの博覧強記。維新の空気を伝えていたたいている。

    0
    投稿日: 2021.11.16
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    周防の村医だった村田蔵六(後の大村益次郎1825-1869)が、 幕末から維新の立役者となる数奇で波乱に富んだ生涯を描いた歴史長編小説。緒方洪庵の「適塾」での蘭学修行、長崎でフォン・シーボルトの娘(楠本イネ)との邂逅、宇和島藩でのオランダ語翻訳(蒸気船・砲台の設計、兵学)に尽力、幕府の洋学機関 の教授と、時代の波にのって俊才ぶりを発揮する傍ら、長州藩の桂小五郎との「竹島の日本領」談義、「適塾」後輩の福沢諭吉と「攘夷」論争など、実在した人物が縦横に交差する歴史小説の醍醐味を愉しめる興奮の開幕篇。

    6
    投稿日: 2021.08.31
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    このレビューはネタバレを含みます。

    『坂の上の雲1』は読みづらかったがこちらは読みやすさはある。 司馬遼太郎の作品はあまり小説小説していないという理解で良いのかな。内容は面白いがこれプロの小説かよ、と思う点は多々ある。明治あたりの人物を垣間見るという点では良いのだろう。

    0
    投稿日: 2021.04.25
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    村田蔵六こと日本における近代兵制創始者大村益次郎が主人公の物語。彼にまつわる小説は少ない。だから、これから多くを得て想像していきたい。靖国神社のあの銅像の人物がどういった生涯を送ったのか、単なる興味でこの本に手を出したが、司馬作品であることも相まって面白い。時代の変わり目というのは、その時に生きている者にしてみたら感じにくい。彼もその一人ではあったが、学問への興味や適塾同士との交流から知らぬ間にそれを感じているように動いていた。 洋学者でありながら、攘夷の総本山ともいえる長州藩の人間となり、ここからどう時代を生きていくのか、中、下が楽しみだ。

    0
    投稿日: 2020.04.22
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    この本を読むまで、大村益次郎という人物は名前を聞いたことがある程度だった。 西南戦争を含む明治維新を、合理主義に徹して締めくくった姿は感動的でさえあった。 「西郷隆盛とは相打ち」という表現が印象的だった。

    0
    投稿日: 2020.03.25
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    なかなか知られていない大村益次郎が題材。 萩の町医者だった村田蔵六が医者修行で緒方洪庵の適塾に行ったことが彼の運命を変えてしまう。 技術者であり続け、目立ちたがることなく、ひたむきに技術を極めようとした村田蔵六に日本人の美学を感じた。

    0
    投稿日: 2019.08.24
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    【いちぶん】 ペリーの来航が、蔵六の運命を大きく変えようとは蔵六もむろん気づいていない。 かれの運命を一変させたのは、伊予の宇和島藩である。十万石の小藩だが、仙台からここへ移ってきた江戸初期いらい、民治がよく、学問がさかんで、江戸期の天下を分治していた二百数十の諸藩の優劣でいうと、たとえば時計のような、精密機械の印象をもった藩である。 (p.125)

    0
    投稿日: 2019.08.11
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    主人公以外の登場人物に関する余談が多いという印象を受けますが、真に社会を変えるのは大阪の適塾出身者達のように学問の修養をきちんと積んだ人たちなのだ、と感じさせてくれます。理科系の人にオススメしたい司馬遼太郎作品。

    1
    投稿日: 2019.07.31
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    このレビューはネタバレを含みます。

    明治維新に軍師と言える人がいたとしたら、この人なんだろうなぁ。日本の戦を工業的、近代的に変えた人だと思う。

    0
    投稿日: 2019.04.20
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    ひょんなきっかけで再読、★評価は読了後に。 随分久方ぶりな気がする、司馬遼の小説を読むのは。 まぁまだ上巻だけですが、最高傑作では無いと思います、当方は。司馬遼節と言えば聞こえは良いですが、リズムが悪い。ちょっと人物を交錯させ過ぎかと。まぁ何度か書いたように思いますが、ストーリーを語ろうとはしてないと思うので、この作家は。だからあまり問題では無いのかも知れませぬ。 それにしても、何というか、ナショナリズムの心を微妙にくすぐるお方ですなぁ。

    0
    投稿日: 2018.11.26
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    大村益次郎の医師としてどう学び成長していくのかの話。彼は少々変わりものである。女性イネをまえにしても興味を持つことなく離れていく。しかし学ぶことの貪欲さは参考になる。医師の存在意義は他人のためであり患者の貴賤を問うてはいけない。これは他人第一主義としては当然だと思う。適塾、緒方洪庵、シーボルト、吉田松陰、桂小五郎、杉田玄白、勝海舟、福沢諭吉、オランダ語から英語へ、尊王攘夷、 幕末の有名人が多く出てくる。上昇志向的なエネルギーが一杯だと思う。

    0
    投稿日: 2018.10.27
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    長州の田舎町で町民として生まれた有能な蘭学者が、いかに江戸の身分制度に不遇になりながらも生きる場所を選択していくか、という話です。

    0
    投稿日: 2018.05.19
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    P470 しかし日本中が福沢のように訳知りで物分かりが良すぎてしまってはどうなるか。かえって夷人どものあなどりをまねくにちがいなく、国家にはかならずほどほどに排他偏狭の士魂というものが必要なのだ、ともおもった。

    0
    投稿日: 2018.04.28
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    学生時代、チリで知り合った銅鉱山の技術者から「これを読まずして日本人じゃない」とまで言われて読んだ本。 結果、司馬作品の中で最も好きな本となった。天才的な技術者・大村益次郎(村田蔵六)。 大きな船が動くことに感動した殿様に向かって「技術とはそういうものです」というくだりが一番のお気に入り。

    0
    投稿日: 2018.04.16
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    上巻読了。 司馬ファンの間で評判の良い作品のようで、楽しみにして読み始めました。 のちの大村益次郎こと、村田蔵六さんが主人公。僻村の医者だった彼がどのような運命をたどって、討幕軍の総司令官となるのか。。 コミュ障気味の蔵六さんと、 シーボルトの娘・イネさんとの関係が微妙すぎて身悶えします。(笑) 中巻へ続く。。

    1
    投稿日: 2017.12.24
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    このレビューはネタバレを含みます。

    司馬遼太郎の小説の中でもイチオシという評に押されて読み始めまして、上巻読了。 タイムマシンに乗って1830年代の山口県の片田舎・鋳銭司にワープし、そこから村医の息子として生まれた村田蔵六、後の大村益次郎の生涯というか生き様をリアルに体験していくことができますね。彼の眼を通して、激動の幕末が映像的に浮かんでくるような感じがします。 蔵六は、緒方洪庵の適塾に学びましたが、適塾に入塾したことこそが濃厚な人生の始まりだったのでしょう。彼は45歳で没していますが、上中下巻のうちの上巻の部分だけでもその人生は濃厚です。 適塾時代、シーボルトの娘イネとの出会い、伊予宇和島で兵法の基礎力習得期、蒸気船を手作りで開発、江戸へ出て講武所の教授になり、蕃書調所の教授方となり、私塾鳩居堂の運営、蘭書の翻訳と時代に求められた人物として多忙かつ濃厚な人生を送っています。 適塾は今の大阪大学の前身、蕃書調所は今の東京大学の前身、大阪大学を首席で卒業し、東大で教授として教鞭をとっているいう感じでしょうか。 後に高杉晋作に「火吹きだるま」と言われたのは、あのデコッパチの風貌によるのだと思いますが、見るからにあの頭の中には、脳ミソが満タンに詰まっている感じがします。 時代描写としてもとても興味深く読めますね。適塾は、今の受験戦争に通じるものがありますが、この時代の学問の風景は、ガツガツしたものがなく、大らかささえ感じますね。 ガツガツした受験戦争を勝ち抜くことだけを目的とした今の詰め込み教育と、学習資料を互いに分かち合いながら、世に貢献できる力を切磋琢磨する適塾の自立的な学問では、大きな差があるんだろうなと感じます。 蔵六の強烈な探究心・学究心、ぶっきらぼうな性格、まったくタイプの異なる適塾の後輩・福沢諭吉の生き方との対比など、すでに上巻にしてこの小説の面白さを堪能しています。

    1
    投稿日: 2017.12.23
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    通勤時にコツコツ読み進めてやっと読了。 久々に読書したー!って感じ。 維新前後の作品を続けてよみたくなった。

    0
    投稿日: 2017.12.06
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    このレビューはネタバレを含みます。

    「しかし私は先刻、自分で名乗っております」 「それは間違っている」 と奥山静寂はいった。 「自分で名乗ったからといって、私は信用しない。私の目で人相風体を見、これならたしかに洪庵先生のいわれり村田蔵六にちがいないと推量がついたうえで当人にたしかめてみるのだ。それが物事の窮理(科学)というものである」 「お前さんも頓狂な男だな」 敬作は、蔵六の人柄が、一見したところまったくちがっていることにちかごろ気づきはじめていた。敬作は 「頓狂」 ということばがすきで、ふだんしきりにつかっている。オッチョコチョイというほどの意味だろうが、敬作の妙なところは、親に孝、君に忠という倫理綱目と同列くらいの美徳にそれをあつかっているのである。 「人間は頓狂でなくちゃいけないよ」  これが、口ぐせだった。敬作は、まじめくさった大人くさい、事なかれの常識的慎重さ(それが封建的徳目なのだが)だけで生きている連中が大きらいで、 「人間、ゆかなくちゃならないよ」  と、つねにいう。どこへゆくのか、それはわからない。敬作が、深夜三里の峠をこえて炭焼小屋の急患の元に行ってやったりするのも、頓狂の心であろう。イネのことを想うと不安と悲しみで身も世もなくなるのも頓狂の心かもしれない。常識人はけっしてそうはならないのである。 「西洋の文明を興したのも、頓狂の心だ」 と、敬作はいう。  天才とは頓狂人だが、西洋人はそういう者を愛し、それをおだて、ときには生活を援助して発明や発見をさせたりする。日本人は頓狂人をきらうから遅れたのだ、という。シーボルト先生も頓狂人だからはるばるヨーロッパにとって、未知の日本にきたのだ、という。なるほどそういえばそのようでもある、と蔵六はおもうのである。 (鳥がいる) と、おもった。しかしもう一度この啼き声がきこえたとき、それはブリッジから海をのぞきこんでいる殿さまの笑い声だとわかり、貴人というものはああいう声をたてるのかと思った。思いあわせてみると、蔵六は草深い村にそだち、百姓身分からあがって、いまは宇和島候の背後に侍立できる身分にまでになった。この重苦しい封建身分制を突破できるのは「技術」だけであり、それは孫悟空の如意棒にも似ていた。 (妙なものだ) と、蔵六はそのことを考えた。  船が、うごいている。海が背後に押しやられ、へさきに白波が湧いている。平素心鬱なばかりの家老松根図書までが子供のような燥ぎ声をあげ、 「村田、すすんでいるではないか」 と、ふりかえって叫んだ。が、蔵六は悪いくせが出た。 「進むのは、あたりまえです」  これには、松根もむっとしたらしい。物の言いざまがわからぬのか、といった。蔵六は松根からみればひどくひややかな表情で、 「あたり前のところまで持ってゆくのが技術というものです」 と、いった。この言葉をくわしくいえば、技術とはある目的を達成するための計算のことである。それを堅牢に積み重ねてゆけば、船ならばこのように進む。進むという結果におどろいてもらってはこまるのである。もし進まなければ、はじめて驚嘆すべきであろう。蔵六にいわせればそういうものが技術であった。 (ああ、ひよこの羽毛のようにやわらかそうなまつげだな) と、蔵六はぼんやりおもった。  蔵六の息が乱れている。蔵六はそれをこの期におよんでも整えようとした。かれは意志力の賛美者であり、自分を自分の意志で統御しきっていることに誇りをもち、快感をすら感じていた。同時に、人間関係における主題主義者であった。ということはたとえば、 「殿さまはえらいものです。学者は学問をすべきです。イネは弟子です。イネは一般論としては女性ではあるかもしれないが、私にとっては女性でも男性でもなく、弟子という存在です。師弟という関係以外の目でイネを考えることは、余計なことです。余計なことは自分はしません」  というような信条をもつ男で、この信条をくずさずにいままで生きてきた。一見平凡なこの男が、ひょっとすると突っ拍子もなく風変わりな男であるかもしれぬ点は、このあたりであった。

    0
    投稿日: 2017.11.19
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    うーん、これはすごい。技術者としての生き方を極端に振り切るとこうなるのか… しかしそれを見抜いて適所につけた人々のすごさ。司馬遼なので、蔵六の学問のどこがすごかったかとか、どうやって見抜いたか、というところのエピソードは抑制気味で、物足りない気もするけど、そういうとこは抑え気味で余談山盛りが司馬遼だなあ。次は何を読もう。

    0
    投稿日: 2017.06.13
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    異端の英雄物語であり、幕末明治の歴史噺であり、悶絶のムズキュンラブストーリー。 「花神」(上・中・下)まとめた感想メモ。 司馬遼太郎さんの長編小説。1972年発表。 主人公は大村益次郎(村田蔵六)。 大村益次郎さんは、百姓医者の息子。 百姓医者として勉学するうちに、秀才だったので蘭学、蘭医学を修めているうちに、時代は幕末に。 いつの間にか、蘭学、蘭語の本を日本語に翻訳できる才能が、時代に物凄く求められる季節に。 だんだんと、医学から離れて、蘭語の翻訳から軍事造船などの技術者になっていきます。 大村さんは、長州藩の領民で、幕末に異様な実力主義になった藩の中で、桂小五郎に認められて士分に。そして、幕府との戦いの指揮官になってしまいます。 と、ここまでが随分と長い長い歳月があるのですが、ここからが鮮やかに「花を咲かせる=花神」。 戦闘の指揮を取ってみると、実に合理的で大胆。決断力に富んで見通しが明晰で、連戦連勝。 連戦連勝に生きているうちに、志士でもなんでもないただの百姓医者の蘭学者が、西郷隆盛まで押しのけて、倒幕革命軍の総司令官になってしまいます。 そして、連戦連勝。 中でも、「江戸の街を火だるまにせずに、どうやって彰義隊を討滅するか」という難題への取り組みは、本作のハイライトと言っていい爽快さ。 誰も予想もしなかった速さで内戦が終わってしまう。 ところが、あまりの合理主義から、「近代国家=国民皆兵=武士の特権はく奪」へと駒を進める中で、狂信的な武士たちの恨みを買って。 明治2年に暗殺されて死んでしまう。 でも、明治10年の西南戦争に至るまでの道のりは、全て御見通しで対策まで打ってしまっていた...。 という、何とも不思議で無愛想で、ひたすらに豆腐だけが好物だった地味なおじさんのおはなしでした。 # この小説、地味な主人公ながら、司馬遼太郎さんの長編小説の中でも、片手に入るくらいの完成度、面白さだと思います。 ひとつは、主人公の魅力がはっきりしている。何をした人なのか、どこがハイライトなのかはっきりしている。 前半の地味で恵まれない人生が、そのまま後半のきらびやかな活躍の伏線になって活きている。 そして、大村益次郎さんという無愛想なおじさんの、ブレないキャラクター造形。 狂信的なところが毛ほどもなく、合理主義を貫きながらも和風な佇まいを崩さず、見た目を気にしないぶっきらぼうさ。 政治や愛嬌や丸さと縁が無い、技術屋のゴツゴツした魅力に、司馬さんがぐいぐいと惹かれて、引かれたまま最後まで完走してしまったすがすがしさ。 ただ惜しむらくは、桂小五郎、坂本竜馬、西郷隆盛、高杉晋作、徳川慶喜、岩倉具視、大久保利通...などなどの、議論と外交と政治とけれんと権力の泥の中で、リーダーシップを発揮した人たちの、「裏歴史」「B面の男」というのが持ち味なので。A面の物語をなんとなく知っていないと、B面の味が深くは沁みてこないだろうなあ、と思いました。 そういう意味では、新選組を描いた「燃えよ剣」や、竜馬と仲間たちを描いた「竜馬がゆく」くらいは読んでから読まないと、勿体ないんだろうなあ。 # それから、この作品が秀逸だったのは、司馬さんには珍しく、恋愛軸が貫かれてとおっています。 シーボルトの遺児・イネというハーフの女性との恋愛。これが、9割がたはプラトニックな、「逃げ恥」真っ青のムズキュンなんです。 「村田蔵六と、イネのラブストーリー」という側面も、がっちりと構成されていて、隙がない。これはすごいことです。 司馬遼太郎さんの長編小説は、ほとんどが恋愛軸を序盤で売るくせに、中盤以降、興味が無くなるのかサッパリ消えてなくなる、というのが定番なので...(それでも面白いから、良いのですけれど)。 (恐らく、30年以上ぶりの再読でした)

    1
    投稿日: 2017.06.13
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    このレビューはネタバレを含みます。

    村田蔵六、のちの明治政府の軍事参謀、大村益次郎の生涯を描いた作品。 上巻では村田蔵六が家業である村医を目指して、地元長門の医者のところから大阪の蘭医の名門、緒方洪庵の適塾での日々を描く。 この時は軍事作戦家という側面は一切なく、医療と語学の世界を極めんとしている時代。 合理的な思考を持って射きる蔵六にとって人間関係の機微は不要であったが、それが故に周りからは孤立し、才はあるが疎んじられていた。 その孤独にそっと寄り添うシーボルトの娘、イネの存在に癒されます。

    0
    投稿日: 2017.05.03
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    江戸末期。蘭学者となる村田蔵六の若かりし時のお話し。緒方洪庵の適塾に学び医者となる。後半、幕府のお抱えの藩士になるのだが… 緒方洪庵のの死を持って彼の持つナショナリズムが…同門の福沢諭吉と袂を別つ事になる。 長州藩士としてこの後どうなるのか楽しみに!

    0
    投稿日: 2017.04.10
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    このレビューはネタバレを含みます。

    村田蔵六(大村益次郎)が適塾で学んだ幕末から、軍隊を洋式化し新しい陸軍のトップになる明治までを描いた作品です。 蔵六は長州藩で代々村医者を務めた家の出身で、本来であれば軍のトップになる身分ではありませんでした。また、合理主義者の蔵六は優れた技術者である一方、人への配慮や情緒を著しく欠如した人物でもありました。 このような人物が活躍できた背景には、幕末から明治という激変の時代であったことと、そして桂小五郎というリーダーがいたことがあります。 ITの時代になって、技術の進歩を喜ぶとともに感じる不気味さを、蔵六という人物に見たような気がします。そして、桂小五郎のようなリーダーの必要性も感じました。

    0
    投稿日: 2016.07.21
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    大村益次郎もといい村田蔵六という男の生涯を描く小説の上巻。 村医者の子に生まれ、まずは医学書生からスタートし、やがて宇和島藩に仕えて兵法の本の翻訳の仕事につき藩士身分を収得し、やがて幕府の学問所勤務になり、これを知った出身藩の長州藩に仕えることになる。 医学からオランダ語を学び、オランダ語の翻訳を通して兵法、蒸気機関等を学ぶことになった。 けっこう不思議な男の生涯。

    0
    投稿日: 2016.07.17
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    (2016.04.11読了)(2003.03.18購入)(1999.06.05・69刷) Eテレの「100分de名著」で「司馬遼太郎スペシャル」が放映され司馬遼太郎の作品が5つほど紹介されました。その中で『花神』だけは、まだ積読中だったので、この機会に読んでしまうことにしました。 NHK大河ドラマで放映されたころは、まだ司馬遼太郎の作品を含めて時代小説にはあまり興味がなかったので、原作を読んではいなかったし、その後、NHK大河ドラマに合わせて関連本を読むようになってからも幕末ものが取り上げられるたびに、この本を読もうとはしたのですが、読むことができませんでした。 「花燃ゆ」は、長州が舞台だったので、チャンスだったのですが、「世に棲む日々」や「醒めた炎」を優先したので、読めませんでした。 この本の主人公は、村田蔵六、後の大村益次郎です。親がつけた名前は、良庵だったようです。村医者の子どもに生まれたので、医者の修業のために長崎に行き、後に大阪の緒方洪庵の適塾で学びました。塾頭までなっています。塾頭になれば、あちこちの大名から声がかかって、高禄でお抱え医師にもなれるのですが、親に戻って来いといわれて、長州の周防に戻ります。合理主義者なので、軽い風邪などには、薬も出さなかったので、評判が悪くて、はやらなかったようです。親に言われて結婚もしています。(嫁さんの名前はお琴) そのうち、四国の宇和島藩から蘭学の知識を買われて、蒸気船の建造と砲台の構築、西洋兵学書の翻訳を依頼されて、宇和島藩へ行き、嘱託扱いで雇われます。単身赴任です。 宇和島藩にいるシーボルトの弟子であった蘭学者(二宮敬作)の依頼で、シーボルトの娘であるイネの教育係も引き受けます。蔵六は、適塾にいたときに岡山の蘭学者の持っている梅毒の本を見せてもらいに行った際、そこに預けられていたイネにあっています。 宇和島藩で、蒸気船の建造と砲台の構築の仕事が終わった後、宇和島藩の殿様が江戸に行くのに従って、江戸に出ます。 江戸では、宇和島藩の仕事のほかに鳩居堂という塾を開くやら、幕府の仕事をするやらで、忙しい日々を送ります。イネも江戸についてゆくような書きぶりだったのですが、行きませんでしたね。 このまま、宇和島藩や幕府の仕事を続けるのかと思いきや、長州の桂小五郎にそれとなく自分を売り込んで、長州に雇われて、長州の仕事を始めます。 イネさんとの関係は、時代小説家としての司馬さんのサービスですかね。 【見出し】 浪華の塾 別の話 鋳銭司村 宇和島へ 城下 オランダ紋章 江戸鳩居堂 運命 麻布屋敷 山河 ●和光同塵(64頁) 和光同塵とは、老子の言葉である。ソノ光ヲ和ラゲテソノ塵ヲ同ウス。光とは自分の知徳のことである。知徳がありながら俗世間(塵)にまじっている、という意味 ●蔵六の予言(135頁) 蔵六が想像しているところでは、イギリスが中国でやったアヘン戦争のようなことが日本でもおこるだろう。列強の兵が攻めてきて、長崎、博多、下関、大坂というようなところを開港地として租借しようとするだろう。日本人は戦わねばならないが、戦いは武士だけではできない。おそらく大きな社会変動が起こり、士農工商は一つになるに違いない。 ●嘱託(156頁) 後年、彼の故郷の長州藩が彼を貰いにきたとき、宇和島藩が簡単に手放したのは、嘱託であったからである。さらに彼が長州藩の士分階級に編入されたのは、すでに宇和島藩の手で「士分」になっていたからであった。 ●維新(159頁) 日本人を駆りたてて維新を成立せしめたのは、江戸湾頭でペリーの蒸気軍艦を見たときの衝撃である ●やること(178頁) 蔵六にいわせると、まず作りあげてみることであった。作ってうかべて動かしてみれば欠陥がぞろぞろ出てくるであろう。その欠陥を手直しする過程において、宇和島藩の造船能力が養われるのである。まずやることなのだ、というのが、蔵六の思想であった。 ●酌婦(212頁) 江戸日本人は禁欲という幻想にあこがれず、ごく現実的で、性欲を社会秩序の中に組み入れた。街道の宿場宿場の旅籠には酌婦という官許の娼婦がいた。旅をして宿にとまると、食事をとるという行為とおなじ日常的な感覚のなかに酌婦という存在がいる。 ●主題(227頁) この小説は大変革期というか、革命期というか、そういう時期に登場する(技術)とはどういう意味があるのかということが、主題のようなものである。 ●多忙(234頁) 幕府までが、 ―講武所の教授になってもらいたい。 といってきた。講武所で様式兵学を講義したり、兵書を翻訳したりする仕事である。これは正教授であった。ただし蕃書調所のほうも兼任なのである。それに鳩居堂、宇和島藩のしごと、加賀藩の翻訳などをあわせるとこの多忙さはどうであろう。 ●腫物医(265頁) 日本における蘭方医というのは外科医のことであり、外科医といえば腫物医のことであった。 ●福沢諭吉(322頁) 「蘭学の窓は小さい、英学の窓は大きい」と、福沢はおもった。 ●文明の基準(342頁) 文明か文明でないかは、西洋人にとってはキリスト教文明をもっているかどうかが基準であったが、いま一つの基準は数学や物理学が普及しているかどうかということであった。それが奇妙な国日本では、神の教えが存在しないのに、球面三角法までこの青年たちはできるのである。 ☆関連図書(既読) 「最後の将軍 徳川慶喜」司馬遼太郎著、文芸春秋、1967.03.25 「新選組血風録」司馬遼太郎著、角川文庫、1969.08.30 「燃えよ剣」司馬遼太郎著、文芸春秋、1998.09.20 「竜馬がゆく(一)」司馬遼太郎著、文春文庫、1975.06.25 「翔ぶが如く(一)」司馬遼太郎著、文春文庫、1980.01.25 「世に棲む日日(1)」司馬遼太郎著、文春文庫、2003.03.10 「司馬遼太郎スペシャル」磯田道史著、NHK出版、2016.03.01 (2016年4月19日・記) (「BOOK」データベースより)amazon 周防の村医から一転して討幕軍の総司令官となり、維新の渦中で非業の死をとげたわが国近代兵制の創始者大村益次郎の波瀾の生涯を描く長編。動乱への胎動をはじめた時世をよそに、緒方洪庵の適塾で蘭学の修養を積んでいた村田蔵六(のちの大村益次郎)は、時代の求めるままに蘭学の才能を買われ、宇和島藩から幕府、そして郷里の長州藩へととりたてられ、歴史の激流にのめりこんでゆく。

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    投稿日: 2016.04.19
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    戊辰戦争時の長州司令官・村田蔵六(大村益次郎)の物語。感情など人間的で不確定な要素を排し、事実や理論だけを拠り所にする蔵六の極端な描き方が面白い。時代遅れの悪習になり下がり装飾化した武士道が、蔵六の実在的運用によって打ち払われていく様も痛快。

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    投稿日: 2015.10.20
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    「世に棲む日日」の読書感想文を書いたら勧められたのが「花神」でした。大村益次郎と桂小五郎という組み合わせに最初からわくわくしていましたが、上巻ではまだ出会ったところなのでこの二人に関してはこれからに期待したいです。それ以上に上巻の医学や蘭学についての描写に心躍りました。元々蘭学の変遷に興味があったというのも大きいのですが、蔵六の人生を通して変遷していく学問の大きなうねりに、そしてこの時代の学問に対する追求心には頭が上がりません。個人的には村田さんの性格がすごくチャーミングに思えて仕方がありませんでした。

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    投稿日: 2015.04.29
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    大村益次郎という人。これ読むまでは存じ上げませなんだ。後の世に軍神として崇められるなんてご本人が知ったらねぇ…。 幕末好きにはおもしろい本でした。

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    投稿日: 2015.04.23
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    二十数年前に読んだ本を引っ張り出して読んだけど、やはり良いな。 村田蔵六、大村益次郎の幕末の活躍は今テレビで話題の吉田松陰時代で元気があふれている時代は面白い。 まだまだ中下、と有るのでどうなるか。 もう全く覚えていないので初めて読んだのと同じです。

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    投稿日: 2015.03.01
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    周防の村医から倒幕軍総司令官になり、明治に我が国の近代兵制創始者となった大村益次郎の生涯を描いた作品。初めて読んだが、とても面白かった。適塾の緒方洪庵や福沢諭吉が登場する。適塾で蘭学の修養を深め、その蘭学の才で宇和島藩で士分に取り立てられ、幕府の教授にまで登りつめる。さらに長州藩に取り立てられ、師匠の緒方洪庵が亡くなったところで上巻は終了。明治維新回天はこの人の活躍を見逃せないので、今後も楽しみです。

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    投稿日: 2015.01.27
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    主人公である村田蔵六と彼を取り巻く人々の様子が生き生きと描かれている。適塾の師である緒方洪庵、シーボルトの娘イネ、イネの保護者である二宮敬作、適塾の後輩にあたる福沢諭吉など。各人物の気質、性格と蔵六との関係が細やかに説明されていてとても面白い。 特に印象的だったのは宇和島藩時代のエピソード。藩主伊達宗城の命で蒸気機関を造った嘉蔵と接するくだりだ。 身分の低いちょうちん張りの男が、何の知識もないところから、自分の経験と想像力だけで蒸気機関のもとになるカラクリを造った。それを目にした蔵六がこう思う。以下引用する。 “蔵六がむしょうに腹が立ってきたのは、これに驚嘆したあとだった。嘉蔵がヨーロッパにうまれておればりっぱに大学教授をつとめているであろう。それを思えば、嘉蔵の身分のあわれさもさることながら、もっと大きいものへの腹立ちを感じたのである。” 幕末、名を残した人々の活動の根底には必ずこうした思いがあるように感じる。後に倒幕軍の総司令官となる大村益次郎のやはり原点がこのあたりにあるのではないかと思う。

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    投稿日: 2014.12.31
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    大村益次郎という人を知った。日本の偉大なる祖の一人だな。この人が太平洋戦争の時にいたら、、、とか考えちゃいたくなりますよね。そしていまいたら。。。

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    投稿日: 2014.09.21
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    時は幕末、医学を修めるために適塾で学んでいた村医の息子の大村益次郎こと村田蔵六が、ひょんなことから官軍の陸軍総司令官になってしまうという波瀾万丈なお話。不器用無愛想、徹頭徹尾の合理主義者で相当な変わり者。新技術を貪欲に学びながらも、保守的な面も持っているなど、人物設定が細かくて面白い。シーボルトの娘、イネとの関係も見どころですね。

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    投稿日: 2014.08.23
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    大村益次郎を主人公にした司馬遼太郎の小説。全3巻の1巻目で、緒方洪庵の適塾で学び宇和島藩へ出仕、そして長州藩にとりたてられるところまでが書かれています。 まだ幕末の動乱の外側にいて、シーボルトの娘イネとの不器用なやりとりが小説的な一方、余談で新しい技術文明に参加するために伝統の思想や習慣を捨てることができるという日本人観も書かれていておもしろい。

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    投稿日: 2014.08.17
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    久しぶりの司馬遼太郎作品。 一部作品のようなストーリーの破たんもなく、最後まで読み切った。 しかし、大村益次郎の描き方があまりにもその一面だけと思う。その簡潔さが読みやすさに繋がっているのだろうが。

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    投稿日: 2014.07.01
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    このレビューはネタバレを含みます。

    靖国神社に立つ男、大村益次郎の伝記。学問のチカラを描いた第一巻。適塾で緒方洪庵に学んだ‘‘蔵六’’時代の大村益次郎のおはなし。  日本陸軍の祖といわれる大村益次郎、若いころはそんな人物になるようには全く思えない。もともと村医の息子でそのために蘭学を適塾で学んだ。そこで学んだ学問は医師としてより、幕末期に求められた科学・軍事の発展のために活躍することとなった。彼がこの時代に生まれなかったら、きっとただ朴訥な恐い顔の医者の端くれに終わっていたのかな。 ___ p252  イネの気持ち  イネのヒステリック全開。女性の論理を超越した感情の渦巻きをしっかり表現している。オンナこえー。 p385  イネの気持ち②  イネが父シーボルトを思慕して、町医より学問を続けたいという。蔵六はそれを「志というものですな。」と一言で片づけるが、イネの気持ちはそんなに単純なものでない。父との唯一のつながりを持ち続けたいという「愛」の感情に近い。  男性の言葉は単純明快なものが多い。女性の感情は男性語のように簡単に片づけられないから齟齬が生まれる。  確かにイネは学問をして、何かを大成したいのではないのだろう。「ただ、学問を続けるだけ」目的のない学問である。きっと男は(特にこのころの男は特に)志のないことを侮蔑するんだろう。ただ、自分への見返りなく、献身的に一つのことに打ち込むのは、確かに「愛」だと思う。  p457  緒方洪庵の史的役割  咸臨丸に乗ってアメリカ留学をした福沢諭吉らは、アメリカの蒸気機関や工場生産を見て愕然とした。「こんなのもう訳本で学んでいる。つまらん。」  蔵六らに英語を教え始めたヘボン氏は、まず数学や化学から教えようとした。しかし、日本の学生はすでに蘭学を通して数学・科学的教養を身に着けていて「数学について言えばアメリカの大学卒業生でも彼らに及ばない」と著されるほどだった。  明治維新前の幕末期ですでに、日本の学問トップレベルは西洋に遜色のないものだった。これも、緒方洪庵などの蘭学者の功績である。 「医師というものは、とびきり親切者以外なるべきでない」という洪庵は、教育者としても差別偏見なくとびきりの親切者として皆に教えていた。  洪庵の教え方のポリシーにも、蘭学に自分の偏見が入らないようなるべく原書のままに教えたとある。人に教える時、どうしても知識に自分の考えなどを盛りたくなるが、洪庵先生は学問を真摯に考える偉い人だったんだな。 p266  蔵六は攘夷主義に賛成だった  大陸に近い西国の人々はやはりアヘン戦争とか清の惨状とかをより親身に感じたんだろう。長州藩の蔵六も穏健な開明派の多い適塾出身者ながら、割合急進的な攘夷論にも賛成だったようである。  結局、清は穏健に西洋諸国との関係を作っていこうとして喰われる形になった。漸次的な変化では意味がないということを蔵六は見抜いていたのだ。  しかし、急激な方向転換は、その遠心力によって振り落されるものも出てくる。蔵六はきっとそれも理解はしていたんだろうな。 ____ おそらく次巻から明治維新の激動期に突入するだろう。すごい勢いで読めそうである。

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    投稿日: 2014.05.26
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    このレビューはネタバレを含みます。

    村田蔵六のちの大村益次郎。山口鋳銭司村の村医者である。蔵六とは、亀の事で、むっつりと押し黙って、一人でいることが好きで、緒方洪庵の適塾の塾頭時代でも、豆腐をあてに一人で酒を決まって2合飲むのが好きだった。眉が異常に太く、目はぎょろりとしており、額が突き出ている。高杉晋作は蔵六のことを”火吹達磨”といった。 蔵六は適塾の塾頭となるが、出身藩である長州藩は農民出の彼に一向に目もくれない。そんな蔵六を、幕末きっての開明藩である宇和島藩は見逃さなかった。藩の科学技術部門の最高官として蔵六を招いたのだ。蔵六はそこで藩主伊達宗城に蒸気で動く軍艦1隻と西洋式砲台を1つ作れと命じられた。蔵六は耳を疑った。そうであろう。蔵六は適塾で医学を学んだだけで、軍艦も砲台も見たことも作ったこともない。しかし、蔵六が学んだ医学とは蘭式であり、それは、数学や化学が基礎となっている。蘭語も出来る。長崎に行けば何とかなるだろうと蔵六は考え、行動した。 蔵六は、まずは8分どおり仕上げればいいと考えた。まず作り上げてみることだった。作って浮かべて動かしてみれば欠陥がぞろぞろ出てくるであろう。その欠陥を手直しする過程において、宇和島藩の造船能力が養われるのである。まずやることなのだ、と言うのが蔵六の考えだった。 伊達宗城が軍艦を作れといったのは、殿様の道楽ではない。日本人と言うのは、新しい文明の型を見たときに受ける衝撃の大きさと深さは、とうてい他民族には理解できないことなのだ。日本人を駆り立て、維新を成立させたのは、江戸湾でペリーの軍船を見たときの衝撃であり、滅亡への不安と恐怖と、その裏打ちとしての新しい文明の型への憧憬と言うべきものがあるのだろう。これが全ての日本人に同じ反応をおこし、エネルギーになり、ついには封建制度という秩序をやぶり、革命すらおこしてしまう。この時期を前後して、蒸気軍艦をはじめて見た民族は他にもたくさんいた筈だが、日本人と同じように反応はしなかった。この反応を示した代表的な藩主が島津斉彬、鍋島真正、伊達宗城だったのだ。この藩は、蒸気船を見た3年後には、前後して純国産ともいえる蒸気船を見よう見真似で作ってしまうのだ。 蔵六は蒸気船を、もう一人の同士である嘉蔵と見事作り上げる。この嘉蔵は提灯の張替え屋である。田舎の医者と提灯張替え屋の2人が軍艦を作りあげたと考えると、当時では驚天動地の物語であったろう。蒸気船が海の上を進みだすと、宇和島藩の重役が言った。”村田、進んでいるではないか”と。”進むのは当たり前です”と蔵六は答えたから、上役もむっとしたろう。当たり前のところまで持っていくのが技術と言うものだ。技術とは、ある目的を達成するための計算のことである。それを堅牢に積み重ねてゆけば、船ならば船でこのように進む。進むと言う結果に驚いてもらっては困るのである。むしろ、進まなければ驚かなければならない。蔵六に言わせれば、それが技術であった。 このころから、蔵六は医者と言う面から、技術者という面にかわっていく。この小説は、革命期に登場する「技術」とはどういう意味があるのかということを主題としているようだ。 そんな蔵六は運命的な出会いをする。女性とではなく、長州の桂小五郎である。蔵六は技術者として、その技術のみを買われ、宇和島藩に雇われていた。蔵六という生身の人間ではなく、あくまで蔵六の持つ技術を必要とされたのである。そんな蔵六を、長州の若手筆頭の桂が辞を低くして蔵六に話しかけてきた。桂は禁門の変の後、丹波の方に隠れたが、その居場所を教えた唯一の人間が蔵六であった。伊藤俊輔も聞いていたと言われるが、蔵六に伝えに来た席にたまたまいただけである。そんな桂は斎藤弥九郎道場で塾頭までつとめたほどの剣の達者だが、かれはその剣を生涯殺人に使わなかった。かれが剣で学んだ最大の事実は、剣を持って襲い掛かってくる者に対しては、逃げるしか方法がない、ということであった。坂本竜馬も同じである。 蔵六は西洋医学や技術を学びながらも、根っからの攘夷派であった。それを同じ適塾の後輩である福沢諭吉などは、蔵六は阿呆ではないか、といつも大声で非難していた。蔵六も異国に勝てるとは思っていない。しかし、日本人の性根や士魂を見せておかなければ、負けたとしてもその後は天と地ほどの差があると思っていた。魂を捨てて負けるか、魂を捨てずに負けるかの違いは、たとえ結果が同じ植民地になったとしても、その差は歴然なのだ。日本中に攘夷という大発熱を起こさせる以外に日本の体質を変える方法はない。封建身分制度と3百年の泰平のために、日本人はまったく無力体質になってしまっている。この民族が再び一つにまとまり、西洋諸国と渡り合っていくためには、憤りとエネルギーを一つの主題の元に集めて爆発させる以外にないのだ。 蔵六は福沢のような文明主義者ではなく、文明を戦闘の道具たらしめようとする思想家であった。敵の道具を見てきて、その使用法に熟達し、それを用いて他日敵と戦うのだ、という日本式の開明的攘夷思想は蔵六の思想だった。 薩長は新政府を作った。しかし新政府は金もなく、軍隊もなく、いわば名目だけのものだった。この新政府に直属軍をもたせなければ、実際の実権は薩長が握ってしまう。蔵六の考えでは、いずれはこの直属軍の威力をもって薩長に迫り、その藩軍を解散させてしまおう、と考えていた。うかうかすれば、徳川を滅ぼしても島津幕府や毛利幕府ができるだけの結果となる。新政府軍は、新政府の確立のために、将来は薩長と戦わねばならぬ時が必ず来るという見通しを持ったのだ。 勝海舟は、蔵六に一度も会ったことはないが、この男がいる限り長州は負けないと思っていたようだ。西郷という新政府代表には、勝に理解できる一個の哲学があり、それに大きな情愛と寛仁の心があった。西郷のその部分を見抜いて接すれば、西郷を転がすことができた。西郷の巨大さは、喜んでころぶところにもあったが、その勝をもってしても、蔵六には歯が立たない。幕末には、多くの革命家が出た。西郷や木戸など、なお生き残ってはいるが、彼らは革命を作り出すことはできても、それを成就する役柄ではなかった。蔵六は仕上げ人として歴史に登場した。西郷のような革命家たちの仕散らした物事を一挙に組み立てて一つの国家を短時間で作り上げねばならない。このため非情であることを要した。蔵六が天から贈られてきた者であることを勝ほどの眼力の者なら悟ったに違いない。木戸孝允も晩年、『維新は無数の有志の屍のうえに出来上がった。しかしながら最後に出てきた一人の大村がもし出なかったとすれば、おそらく成就は難しかったに違いない』といっている。また西郷も、『大村さんの節度に従うべし』と、薩摩の豪傑連中につねづね申し聞かせていたために、薩人たちは蔵六の威命を山のごとくに感じ、服従した。 戊辰戦争による論功行賞で、高千五百石 軍功ニ依リテ永世下賜候事 という沙汰書を蔵六が拝領したのは明治二年六月二日のことである。小松帯刀や後藤象二郎、板垣退助でさえ千石である。西郷が二千石、木戸、大久保が千八百石。それに次ぐ論功であった。

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    投稿日: 2014.05.05
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    2013 読了 高校の先生に渡された。 なんていうか、イネとの関係が知りたくなった。そしてもっと、村田蔵六という男が知りたくなった。

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    投稿日: 2013.12.28
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    九段下の駅を降りて靖国神社の参道をのぼっていくと、堂々とそびえる銅像が見えてくる この銅像の正体が、大村益次郎こと村田蔵六である 村田蔵六とはいったい何者なんだろうか 本書では変わり者の蔵六の恋や思想、性格、実に人間臭いところが浮かび上がる、そして、それらは今の人々にも共感できる部分が多い むしろ蔵六の考えや性格は、幕末のサムライ達より今の私達に近いのではないかと思う そんな蔵六が幕末の時期に流星のように現れ、為していったものとは・・ ぜひ、この偉大かつ変人ともいえる愛すべき人物を知ってほしい

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    投稿日: 2013.05.25
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    司馬遼太郎特有の簡潔な文体で導かれる蔵六の運命。 躍動する時代を感じました。 的外れですが、こういったものを読むと、自分ももっとやれることがあるんじゃないかと感じます。

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    投稿日: 2013.04.23
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    素晴らしい。にっぽんは奇蹟の国。その意味でも、いまでも140年前のナショナリズムはあると思う。にっぽん人として誇りに思う。

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    投稿日: 2013.01.31
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    このレビューはネタバレを含みます。

    靖国神社に銅像がある、大村益次郎の物語。 戊辰戦争にて官軍の総司令官を務めた長州出身の元村医。 上巻は、大阪は緒方洪庵の適塾にて蘭方医学を学び、長州にて村医として仕事をするところから、伊予宇和島藩で蒸気船・砲台をつくり、江戸にて鳩居堂を開き、のちの東京大学である幕府の洋学研究機関・蕃所調所、講武所で仕事した後、長州に見出されるまで。 シーボルト周辺や蘭学を中心に江戸時代の学問、教育の状況がいきいきとわかる。 ***メモメモ*** ・ペリー来航の後、3年後には日本製蒸気船を完成させた藩が三藩もある。薩摩藩島津斉彬、佐賀藩鍋島直正、伊予宇和島藩伊藤宗城(むねなり)。 ・ヘボンによると、数学は当時のアメリカの大学生も及ばないほどのレベルを日本人はもっていた。 ・宇和島藩で蒸気機関を担当した町人・嘉蔵(かぞう)は見たこともない船舶機関を自分の技術と想像力でつくってしまった。なんの理論も学もなくとも、手触りの学と技術にてつくってしまうほんとうの知が日本にあった。

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    投稿日: 2012.11.22
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    このレビューはネタバレを含みます。

    かなり以前に、おちゃらけたレビュー書いてたので上巻にて描き直し。 この本読んで、靖国神社の銅像が大村益次郎ということを知った次第。 かなりの偏屈者だが、町医者から軍事を統括するまでに至る件は なかなか読ませる。死に至る場面は読んでいて苦しかった記憶が、、、 そんな大村益次郎ですが、今日も靖国から今の日本を見下ろしてる わけで。はてさて心境はいかばかりか? 司馬作品の中でもベスト3に入る名著。

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    投稿日: 2012.10.02
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    幕末戊辰戦争において官軍総司令官となった長州出身の大村益次郎の生涯を描いた作品。 「花神」の意味がわかった時は納得しました。 時代の需要に導かれるまま幕末の仕事を成した才能人の物語。

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    投稿日: 2012.08.25
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     周防国の村医の子、大村益次郎(蔵六)が世に出る過程を描く。家の長男に『城塞』を一押しで薦められたが、花神(上巻)のほうが面白いぞぉ。詳細は下巻にて。

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    投稿日: 2012.06.28
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    NHKの大河ドラマがおもしろかったので、ドラマが終わってすぐ読んだ。内容をすっかり忘れてしまったので、また読んでみることにした。 いろいろと解説が途中に入るのでめんどくさい文面になってるけど、以前読んだときはぜんぜん気にならなかったのに、今回はめんどくさいと思う。なんでかなぁ?年のせい?でも、物語はやっぱりおもしろいので、続きをがんばって読もうと思う。

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    投稿日: 2012.05.09
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    周防の村医から一転して討幕軍の総司令官となり、維新の渦中で非業の死をとげたわが国近代兵制の創始者大村益次郎の波瀾の生涯を描く長編。動乱への胎動をはじめた時世をよそに、緒方洪庵の適塾で蘭学の修養を積んでいた村田蔵六(のちの大村益次郎)は、時代の求めるままに蘭学の才能を買われ、宇和島藩から幕府、そして郷里の長州藩へととりたてられ、歴史の激流にのめりこんでゆく。

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    投稿日: 2012.04.10
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    大村益次郎こと村田六蔵が主人公の幕末のお話。緒方洪庵に蘭学を習った医者。上巻は医者としての六蔵が主に描かれています。 あまりよく知らない人なので、興味が持てず。。。という感じです。

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    投稿日: 2012.04.08
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    明治維新の仕上げ人、大村益次郎の話。どんな場所でも、どんな立場でも、自分の為すべきことを見失わない。情熱的な人物ではないが、確固たる信念のようなものを感じた。大村益次郎もそうだが、坂本竜馬にしろ高杉晋作にしろ、明治を生きてほしかった人たちはなぜ、ひとつの時代の終わりと共に逝ってしまったんだろう…。

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    投稿日: 2012.04.01
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    幕末に活躍した、大村益次郎さんの小説です。何者なんですかねこの人は?医者?洋学者?軍人?ということで楽しめます。 黒船来航から3年、蒸気船を国内技師だけで作り上げたとか面白い話が満載です。この本は若いうちに読むべき本ですね。

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    投稿日: 2012.03.02
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    このレビューはネタバレを含みます。

    上、読み終わり。 いかにもぼくとつ&めんどくさいという感じの主人公の周りで、一気に知識・文明・社会が開いていくこの胸熱・wktk感。 学ぶべきものが明らかで、しかも役に立つ時代。 ユキチが出てくるけど、これはほぼ実質的にライバルと言ってよい。 下巻まで読み終わり。いい。

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    投稿日: 2012.02.11
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    NHKの大河ドラマが切っ掛けで司馬遼太郎作品を読むようになったがこの作品が確か最初だった。この作品で司馬さんのほとんど実話であるかのように感じさせる語り口に魅せられてしまった。以後司馬作品を貪り読むことになった。

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    投稿日: 2012.01.26
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    「世界の宗教が性愛をコントロールするために発展した」という物語の本筋からは全然関係ないように思える作者の独白が興味深かったです。 ふーん。ほんなら、日本人はコントロールする必要もないぐらいの淡白さだったから一神教になる必要がなかったのか。 確かに枕絵の過剰な描写は実体験できないようなものが多そうだし、妄想で事を済ましてしまえるのは淡白な証拠か。 一局面に過ぎないかもしれないが、斬新は考え方に思えました。

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    投稿日: 2011.11.24
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    このレビューはネタバレを含みます。

    まず以下、簡単なあらすじ。 緒方洪庵の適塾での修養を積んでいた村田蔵六(のちの大村益次郎)は、蘭学の才能を買われ、宇和島藩で蒸気船の製造や砲台の建造に携わり、同時に蘭語の兵書の翻訳をします。その後、宇和島藩主の参勤交代に付き従い、江戸に上京し、鳩居堂という蘭学塾を開きます。しだいに才能が幕府にも見いだされ、ついに郷里の長州藩に招かれます。 上巻では、討幕軍の総司令官として活躍する姿は、まだ見えてきませんが、その下地はできつつあります。例えば、蔵六は理詰めで考えることがすきであるが、しかし町さがし、家さがしは勘でやると書かれてあります。そういう嗅覚が時代を旋回させる役に立つのだろうと思います。あと蘭語の兵書の翻訳も多いに役に立つのだろう思います。

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    投稿日: 2011.10.11
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    このレビューはネタバレを含みます。

    上中下巻。 長州の村医者だった村田蔵六(大村益次郎)が、蘭学を学んだことにより明治維新の一角を担うことになり、最後には刺客に襲われて落命してしまうという話。 以前読んだ「胡蝶の夢」とは蘭学繋がりで、「翔ぶが如く」とは明治維新の偉人(西郷隆盛など)繋がりで、新たな発見があって面白かったです。 人物的には好き嫌いは微妙ですが、その信念と偉業はすばらしく、時代が呼び寄せた人なんだなぁ、と思いました。 数年前に靖国神社に行った際、この方の銅像を見ましたが、もっとじっくり見てくれば良かったと、少し後悔しました。 もし機会があれば、今度は拝んでこようかと思います。

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    投稿日: 2011.08.10
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    幕末に長州藩の軍師となった大村益次郎(村田蔵六)の話。 田舎医者、蘭学者である。緒方洪庵(適塾)に師事。 この時代のエネルギーに圧倒される内容。

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    投稿日: 2011.07.24
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    このレビューはネタバレを含みます。

    時代は幕末。主人公は長州藩の軍師 村田蔵六(後の大村益次郎)。 蔵六はもともと医者なのだが、外国語に精通していることから抜擢され、蒸気船の製造や、長州藩軍師として、才能を発揮していく。 彼の役割はリーダーではなく、どちらかというと軍師・参謀。 軍隊の訓練・武器の調達・実戦における戦略立案を、理論立てて実行していく。時には冷酷な判断も選択しつつ。 読んだのは大学の頃だが、当時から蔵六の生き方にあこがれていた。 蔵六は、自分で望んだり周りにアピールしたりしたわけでもないのに、才能を認められ、やりがいのある仕事をどんどん任されていく。 今の私の仕事が、技術職でも地道な裏方作業が多いため、蔵六の環境にオーバーラップする面もあり、私にとって「花神」は司馬作品の中でベスト3に入る本である。

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    投稿日: 2011.07.22
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    長州藩  蔵六が居てこその長州藩であったと思います。 小さな一国があれ程頑張れた原動力の一つを担っていたと思います。 すごく面白かったです。

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    投稿日: 2011.05.31
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    近代兵制の創始者とも言える、大村益次郎の生涯を描いた作品の上巻。 村田蔵六という、天才的偏屈男に対して親近感が持てた。 また、蔵六と緒方洪庵、福沢諭吉などの関連や、幕末におけるオランダ語から英語への変遷など、面白く読めた。

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    投稿日: 2011.05.02
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    周防の村医から一転して討幕軍総司令官となり、維新の渦中で非業の死を遂げた我が国近代兵制の創始者:大村益次郎(村田蔵六)を主人公とした小説である。 司馬ファンでも人気が高い作品ということで読み始めた。さきに読了した司馬遼太郎短編集の中の「鬼謀の人」にて主人公として登場し、興味をそそられたこともある。 日本史好きな私であるが、大村益次郎の名前は今まで「長州藩出身の軍人」というくらいの認識しかなく、幕末ものの小説やドラマにもほとんど登場してこなかったため、読むのに骨が折れるのを覚悟していたが、予想外にスラスラ読めた。シーボルト、緒方洪庵、福沢諭吉、桂小五郎などメジャーどころとの絡みが多く、蔵六自身も味のあるキャラクターであり感情移入しながら読めたからだろう。また、同じく短編集の「伊達の黒船」に登場した嘉蔵も宇和島藩における蒸気船製造のくだりで蔵六と絡み、楽しませてくれた。 以下に、感銘を受けた発言を紹介したい。 •「人生は、単純明瞭に生きてゆく方がいい」 →蔵六の信仰の一つらしい。蔵六に好意を寄せるイネ(シーボルトの娘)に対して、自分には妻がいるため後々厄介になるからと自身を思い留まらせる、という場面である。この台詞は、同じく司馬遼太郎氏の「坂の上の雲」における主人公:秋山好古も弟の秋山真之に対して発する。司馬氏はこうした合理主義的な考え方を好んだのだろう。 •「どうも、おぬしには分からんようだな。それはあらかじめ下調べして来ぬからだ。頭に七分どおりのものを入れてから講義を聴けばよく分かる。それをせずに出ていると、いたずらに心気を労するのみで学問が苦痛になる。 →蔵六が、鳩居堂に入塾してきた伊藤雋吉(のちの海軍中将)に対して諭した言葉である。本作品には、蔵六が10代の頃から勉学に励んできた経過は記されているが、どのように創意工夫をしてきたかは描かれいない。しかし、弟子にこう諭したところをみると、蔵六の学習方法を推して知ることが出来る。よく「予習よりも復習が大事」と言われるが、私の学習方法は蔵六と同じで予習重視である。私自身が飲み込みの遅い人間なので、真っさらの状態から講義を聴いても理解出来ないからである。 •「ヨーロッパを勃興させたのは産業革命である。その最も大きな成果が蒸気船であり、日本もこの産業革命に参加しなければならない。我が藩小なりと言えどもよろしく先覚し、さきがけをなし、日本国に大刺激を与えたい。このため藩財政が傾いても止むを得ない。日本が滅びて宇和島のみが生き残ることはあり得ないからである」 →四賢候の一人と言われる伊達宗城の言である。状況を客観視し、先を見通す能力は尊敬に値する。 •「原理というものを優先して実在を軽視すればよき智恵も曇る。原理に合わぬからといって実在を攻撃することはいけない」 →日本で初めて人体解剖を行った漢方医:山脇東洋の哲理である。大原理と実際の人体内部の姿が違うことについて、宋の解剖医などはこれまで大原理への忠誠心が強く、自分の目で見たものを信じなかったが、山脇東洋は漢方医でありながら、原理そのものに疑問を持ったのである。まさに司馬遼太郎氏が唱える合理主義である。

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    投稿日: 2011.03.20
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    このレビューはネタバレを含みます。

    幕末の長州藩の医者にして、軍師、大村益次郎の生涯。 司馬先生の生前には、自閉症といった概念がなかったのかもしれないが、どうも、軽度の自閉症は、高機能障害だったんじゃないかと思う。 今の世の中だったら世に出ることも無かったかもしれない軍事の天賦の才が、おおらかな時代だったおかげで歴史に残ったんじゃないかと、いろいろ考えてしまう。

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    投稿日: 2011.03.18
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    偏屈な合理主義者で強烈な個性のある大村益次郎。自分からは何も求めず、、、時代が彼を求めた。読み終わると大村益次郎が好きになってしまう作品。

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    投稿日: 2011.03.18
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    このレビューはネタバレを含みます。

    主人公は長州藩士大村益次郎。その天才ぶりと劇的な生涯。 幕末物では「竜馬がゆく」などにも劣らない傑作。

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    投稿日: 2011.03.09
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    幕末の長州藩に、なくてはならなかった存在の一人・大村益次郎。 高杉晋作のように英雄的な扱いをされていない。けれど、凄い人だ、と思わずにはいられないと思います。 医者と軍事家 求める知識・技術と心に刻む思想・信念 多くの矛盾を抱えているのに、かっこいい。 もちろんそのかっこよさには司馬さんの、主人公を書く力というのも、大きく関係しているとは思いますが。 少し中だるみはしましたが面白かったです。

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    投稿日: 2011.02.18
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    周防の医者である村田蔵六。蘭学の才能を買われ、宇和島、幕府、郷里の長州藩にとりたてられ、一転倒幕の司令官となり活躍、最後暗殺により亡くなるまでの生涯。 自分のこれまで持っていた司令官のイメージと大きく異なり面白かった。 彼は戦略をたて数字で計り計画を作る、そして粛々と実行する。仕事をする上で大事なことに改めて気づく。

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    投稿日: 2011.02.12
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    大村益次郎の一生を幕末の喧騒の中で描いた傑作。 長州藩が何故彼を抜擢できたのか、また、彼が創始した陸軍が、以降も長州閥で占められていくこと、等々、色々な意味で押さえておきたい人物。

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    投稿日: 2011.02.06
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    人と人との出会いが歴史を変えていく小説。 歴史が変わるというのは、ある個人の突出した才能が返るというのではなく、その才能同士が出会うことで大きな流れが生まれていく。それは足し算ではなく掛け算である。

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    投稿日: 2011.01.27
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    幕末、対幕戦争の総司令官大村益次郎の生涯。 ますじさんのキャラクターがユニークで、大変な目に遭っているときでもどこか飄々とした空気が感じられて読んでいて楽しかったです。 きっとこの方は枯れ木に花を咲かすときでも無表情で、「そういうものです」とでも言ってみせるのでしょう。全三巻。

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    投稿日: 2010.09.12
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    名前しか知らなかった人を読む楽しさ。 幕末は著名な人がてんこもりでとうてい網羅できるものではないし、テレビウケとかそういう側面で見るとどうしても龍馬とか勝海舟とか西郷どんとかに偏りがちですが、個人的には日本に来た欧米人が「日本人すげえ」と思ったのはむしろこういう人たちが地味に貪欲に頑張っていた姿だったのではないかと思います。

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    投稿日: 2010.08.17
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    全3巻。 司馬遼太郎作品全般にいえることだけど 主人公をすごい英雄、というか魅力溢れるキャラクターに したてあげる反面、他のキャラクター(特にその小説において悪といえるキャラ)に対しては、大変な酷評を与える傾向にある。 節々の司馬遼太郎の歴史人物評価がそれを裏付けるんだけど、 そのギャップに一つの楽しむところがあると俺は考えている。 花神もそのセオリーに当てはまる・・・ 大村益次郎。写真ではすげー顔だけど、司馬遼太郎のおかげで すごく好きになりました。 実務家ってなんだかんだ一番必要だよね。

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    投稿日: 2010.07.11
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    それほど多く読んでいるわけではない司馬遼太郎の小説の中で今のところ一番お気に入りの作品。ぶっきらぼうな蔵六先生とイネ・シーボルトの掛け合いが可愛い。読了日は忘れた。多分6年くらい前。

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    投稿日: 2010.07.10
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    適塾→実家→宇和島→江戸・鳩居堂→蕃書調所・講武所の教授→長州 緒方洪庵、福沢諭吉との出会い 革命期における「技術」の意味 革命とは、まず最初に思想家があらわれる、次に戦略家の時代に入る、三番目に技術者が登場する。

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    投稿日: 2010.06.25
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    ・「矛盾こそ人間のおもしろさかもしれない。」 ・「『切歯慟哭、空をつなんで罵詈す』吉田松陰の刑死をきいたときの、松陰の弟子の前原一誠の想い。桂も同じ。」 主人公村田蔵六が幕末を経て、大村益次郎となる上巻。 上巻は、周防の村医を継ぎ、やがて宇和島藩に雇われる。見たこともない蒸気船をつくるなど相当な技術者でもあるが、当時はこういう人間がそこまで評価されず。 桂や福沢諭吉とも接点があり、討幕と知識人側から明治維新の背景を見ることができる。

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    投稿日: 2010.04.23
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    大村が主人公な所が良い。無愛想であだ名が火吹きダルマな彼を中心に幕末長州の見る、というのはなかなか面白い目線で楽しめる。

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    投稿日: 2009.12.15
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    大村益次郎が主人公の歴史小説。 司馬遼太郎先生なので、安心して読めます。 読んだ後に勉強しなくちゃと強く思える本です。

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    投稿日: 2009.12.14
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    Kodama's review 伊藤博文に続き、また歴史に。しかもまた長州。その中でも大村益次郎って意外な生い立ち。あとの2巻が楽しみです。! (05.09.19) お勧め度 ★★★★☆

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    投稿日: 2009.11.18
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    読み終わった 上中下巻。NHK大河ドラマテーマ曲集を聴いていたら、77年のこの作品のテーマ(林光作曲)に感動。作品自体も非常に評価が高かったので読む。 長州藩士大村益次郎を中心に、激動の幕末を駆け抜けた様々な人間模様を描く群像劇。そんな中でも不器用でまっすぐな村田蔵六の生き様が、しかし人間味あふれる形で描かれているのは心地良い。 タイトルの「花神」にも深い意味が込められている。決して自ら歴史の表には出ようとせず、歴史に必要とされ、その役目が終わると忽然と姿を消した蔵六。その、謂わば歴史の「裏方」である蔵六を「花咲か爺さん」にたとえるとは、司馬遼太郎の「粋」が伝わってくる。

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    投稿日: 2009.11.01
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    花神(上)(中)(下) 司馬さんは、大きな矛盾を抱える人間のことを、よく書いているように思う。蔵六もその一人。彼の矛盾というのは、世界で通用する才を持ちながら、結局は故郷の長州(かつての蔵六に見向きもしなかったのに)のために尽くすことになった、ということである。それは、師である洪庵の葬式で、蔵六が福沢諭吉とやりとりする場面によく現れている。そのような蔵六の行動の指針を決めた最後のものは「土俗的なナショナリズム」であると、司馬さんは指摘するが、とても興味深い。 人間は、不可解だ。だから人それぞれ違った魅力を持っている。

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    投稿日: 2009.10.27
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    村田蔵六。 あるいは大村益次郎。 幕末の長州藩兵を率いて数々の戦いで勝利をおさめ、明治陸軍の基礎を築いた男。 多くの幕末人同様、自分の人生を一個の目的のために使い切ったひとりではあるのだが、燃やしつくしたというよりは目的のための一つの部品として、自分を使い切ったという印象を受けたのは僕だけだろうか。

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    投稿日: 2009.07.16
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    靖国神社に銅像が置かれてる大村益次郎。彼が何したかってのは日本の近代陸軍の創始者とかそんぐらいだったんですけど、この歴史小説はその大村益次郎を主人公にしたもの。若い頃から宇和島藩、幕府、ついで長州藩に取り立てられて英学を志すまでを描いている。シーボルトの娘イネとの関係の描写も人間を知ってるからできるものだと思う。それとこうゆう変わり者で凄いヤツってのが幕末にはゴロゴロいたんだなってところでは戦国時代に似てるものがあるなと知った。幕末は今まで興味なかったんだけど、これが人気のある時代なのがようわかった。

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    投稿日: 2009.06.08
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    この本の時代背景は、幕末〜維新にかけての日本である。主人公である大村益次郎は、百姓の子から村医者を経て出世していく、というこの時代に特有で、なおかつよくあるような話にみえる。 この本の不思議さは、花神という題名から受ける印象と、大村益次郎の人柄が結びつきにくい点である。益次郎は、無愛想な変わり者であり、人望も薄く、この時代でなければ、出世は難しいと予測される性格である。これから益次郎が、いったいどのように時代の流れに切り込んでゆくのか見ものである。 このほかに興味深いのが、益次郎とシーボルトとの奇妙なつながりである。シーボルトについての記述が細かく、その人となりや、本当はドイツ出身であったことなど、私にとってはじめて知ることも多かった。シーボルトもかなりの変人だったようだが、当時の日本といえば極東の未知の国であり、きっと今でいう、アフリカの先住民族に日本人が会いに行くような感覚なのだろうと、想像してみると少し納得できる部分があっておかしかった。

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    投稿日: 2009.05.27
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    内容(「BOOK」データベースより) 周防の村医から一転して討幕軍の総司令官となり、維新の渦中で非業の死をとげたわが国近代兵制の創始者大村益次郎の波瀾の生涯を描く長編。動乱への胎動をはじめた時世をよそに、緒方洪庵の適塾で蘭学の修養を積んでいた村田蔵六(のちの大村益次郎)は、時代の求めるままに蘭学の才能を買われ、宇和島藩から幕府、そして郷里の長州藩へととりたてられ、歴史の激流にのめりこんでゆく。

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    投稿日: 2009.05.14
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    僕の中では歴史上名前は知ってるかなーくらいの大村益次郎を中心に幕末の長州を描いた作品。益次郎の予備知識がゼロなので先入観なく頭の中に入ってくる。 珍しく、愛だの恋だのって話が出てくるが益次郎は関せず。明治の男らしい。寡黙すぎるので、本当の腹の中はどうなんだろう?って思ってしまうね。 しかし、この本を通じてやっと幕府、朝廷、長州、薩摩の立ち位置が理解できたよ。これを機会に長州を勉強してみよう。やっぱ高杉晋作だなぁ。

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    投稿日: 2009.05.09
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    幕末の兵学者である明治軍制の創設者である大村益次郎〔1824〜1869〕の生涯を描く。旧名は村田蔵六。長州藩の村医者の子であったが、大阪の緒方洪庵の門で蘭学と医学を学び、塾頭をつとめる。宇和島藩主伊達宗城に見いだされ、同藩の蒸気船建造に尽力する。やがて江戸に出て幕府の蕃書調所に仕えたが,長州藩に認められ,同藩の兵制改革に活躍をする。 三巻本の第一巻は、ペリーの来航から日米修好通商条約の締結、安政の大獄と、鎖国下の日本が大きく揺れ動く時代。貧しい村医者の息子だった村田蔵六が、その学問と語学(オランダ語)を買われ、本人の予期に反して、時代の求めに応じて信じられないような「出世」をしていくさまが描かれる。 その「出世」の過程に同一化することができるせいか、すこぶる面白く読める。シーボルトの娘・イネとの恋愛(この部分は、たぶんに作者の想像も含まれようが)にも触れられてあきない。楽しんで読みながら、幕末の日本人がどのようにしてオランダ後や英語を習得し、西欧の技術を自己のものにしていったがが、村田蔵六という男の具体的な歩みを中心にして語られていく。

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    投稿日: 2009.03.20
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    幕末時代を生きた天才、大村益次郎の一生を描いた小説。 倒幕のエネルギーの基礎を唱えたキチガイとしての吉田松陰、それを実行にうつし実行者として先進的な役割を果たした高杉晋作 そしてそのエネルギーを一番下のレベルに奇兵隊という形で落とし込んだ大村益次郎という三者の生き様を主に大村益次郎をもちいて描く小説。 革命(大きな変革)の分析としてもとても面白い。

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    投稿日: 2008.12.04
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    今まで読んだ司馬遼太郎の中で1番。 信念を貫いている生き方ととっつきにくい性格の大村益次郎はかっこいい!

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    投稿日: 2008.06.29
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    明治維新後の新政府の軍の総司令官になった人物、大村益次郎。 昔から蘭語、医学を学び、海外からの知識を生かして周りの需要にただただ応えてゆく。 幕府の教授を辞めて、何の身分もない自分の藩(長州藩)に帰ったところがいい。 技術者であり観察者。最期までその姿勢を崩さない姿は驚嘆させられます。 ちなみに司令官というのはこの世で最も得がたい才能なのだそうな。

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    投稿日: 2008.06.08
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    主役大村益次郎をはじめ、本人の知名度の割には、 その言葉には有名なものが多く、現代では知られていないが、 偉大な人物達の様子を想像させてくれる作品。 シーボルト門人 宇和島の人 イネの師匠・かつ養父 二宮敬作 『成せば成る 成さねば成らぬ 何事も成せぬと言ふは成さざればなり』 幕末において、戦術と戦略を区別して考えることができた軍事的天才。 ○砲台画餅論 当時砲台の戦術的な威力はなるほどすさまじいが、品川のお台場一つに作ったところで、 敵艦が台場すれすれに近づいてくれて、初めて発射できる。 わざわざそれに近づく間抜けな軍艦はおるまい。 軍艦の射程も延びてきており、また日本沿岸を守備するためには、途方もない数の、高性能な砲台を築かなければならない。 そういう意味で、幕府の砲台守備論は戦略的展望眼に欠けている。 とはいえ、外国も怖いが、幕命も怖い。幕府に取り潰されないたためにも、 とりあえず形だけの砲台を作りなさい。そうして時間を稼いでるうちに時勢も変わり、 幕府も自分がやろうとしている行いの愚に気づくだろう。 日本人は海外の技術を、自分の文明を作るための道具としてあつかってきた。 だから、儒教を採用したり、蘭学を採用したり、今度は英学がよいとなれば、とびつく。 和魂漢才から和魂洋才へ。国として保つべきは魂であって、外国技術の良いところは、 どんどん取り入れたらよいという発想。 外国技術には、その背景・土壌・思想・思考法・社会などがあってはじめて成立し得た存在だが、 日本はそこから、技術のみをひきはがして取り入れようとして、人間までは外国人の発想にはならない。 開明という現実主義と攘夷という壮烈な非現実主義の戦いは、日本にあってはこの時代だけでなく、 ほとんど体質的な持病といっていい。 物語の登場人物は、医者が多く、当時社会的身分はまだ低いが、 外国語を専門的に勉強する必要がある唯一の職業であった。 そのため、軍事・政治・その他先進的な学問に守備範囲が広がっていく事が多く、 医者出身の学者・政治家は思いのほか多い。 また、新鮮な知識が多量に入ってくる時代でもあり、医者達の知識欲の広がりがひしひしと感じられ、 学問を愛するかのごとく夢中になっている様は、読者の勉強欲を書きたててくれる何かがる。 福沢諭吉が咸臨丸でアメリカに行っても、すでに物理学や蒸気期間の原理をぜんぶ知っていたから、工場見学が 退屈でたまらかった。という感想を持つにいたらせた。

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    投稿日: 2008.06.07
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     司馬文学の中で一番好きな小説。幕末の混迷期に運命を左右された人物、大村益次郎(村田蔵六)の物語。その恐ろしいまでの合理主義、生まれながらの実務家としての才能のために非業の死を遂げる。幕末に興味のある方には是非読んでもらいたい一冊である。歴史の教科書には僅かに出てくる人物だが、こういう人物がいなければ、現在の日本もなかったということに注目したい。

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    投稿日: 2008.05.03
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    主人公は村田蔵六(大村益次郎)。彼が徐々に時代に呑まれていく様子、また長州側から描かれた「幕末」という時代、すべてが読みごたえたっぷりです。木戸孝允など、のちに明治政府を担う人々についての描写も見逃せません。

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    投稿日: 2008.01.15
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    2007.12.9 了/ 久しぶりの司馬遼太郎.「×はながみ」「○かしん」です. 大村益次郎(村田蔵六)の生涯.上巻は適塾での医学生時代から長州藩に洋学教授として招かれるあたりまで.「胡蝶の夢」同様,幕末の尊王攘夷の騒ぎをちょっと別の視点で見ていた人々の思いが描かれていてあの時代を想像する別の見方を与えてくれます.

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    投稿日: 2007.12.10
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    長州藩・大村益次郎が主人公の小説です。恋について書かれている部分で、大村さんに萌を見出しました…。上下巻です。

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    投稿日: 2007.06.12