
総合評価
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powered by ブクログ司馬遼太郎が描く徳川家康。 信長、秀吉の次に登場し、覇者となった家康は忍耐と長寿の人だ。 家康最大のピンチは同盟者、織田信長に武田家への内通を疑われた家康の妻と長男の処分を指示されたとき。しかも、その発端は徳川家の最重要家臣、酒井忠次の裏切りとも言える行動。酒井忠次を排除し、信長へ反旗を翻してもおかしくない場面。が、家康は耐えた。自らの手で妻と長男を処刑し、信長との同盟関係と忠次の従僕関係を維持した。 家康は自らを感情を持つ人ではなく、組織の一機関として客観視することができたのだろう。 その耐えた後に、本能寺の変があり、信長のいない世界へたどり着けたのは家康の長寿のおかげだ。 時代は信長政権から秀吉政権へ。そんな新政権に惹き込まれる家康の家臣、石川和正が心情の変化を見せつつ、下巻へ続く。
1投稿日: 2025.09.09
powered by ブクログ人間“家康”が、司馬遼太郎さんの筆致で深掘りされます。上巻は、家康の幼少期から信長の死(本能寺の変)、秀吉の台頭。 上巻前半で、家康が生まれた三河の国の気質(地味、我慢強いなど)が分かり、興味深かったです。 信長の前で律儀をモットーとする家康。それを示す最たるものが、正妻の築山殿と信康殺傷でした。 家康の家族内の問題が、政治にまで及んでしまう事件で、ワイドショー的興味がそそられるように描かれていました。 武田攻めの後、信長凱旋のために、家康は最大級のおもてなしをします。(道や橋を造るなど)家康、どこまでも徹底しています。信長へのリスペクト、これでもか、という感じ。 賤ヶ岳の戦いの後、家康が秀吉に贈る戦勝祝いも最高級。(「初花」小壷の茶器、信長から家康の手に渡っていた)気の回しようが抜かりない。 現代社会でも組織における人間関係は、仕事を円滑に進めていく上で重要。時には根回しも。 家康の、人をそして情勢をも見抜き、遠くの将来まで見据えて対応する能力、腰の低さ、恐るべし!
27投稿日: 2025.08.23
powered by ブクログ初めての司馬遼太郎で、メタ視線系の語り口に最初は少し違和感あったけれどすぐに慣れて戦国時代の物語に没入した。下巻へ。
0投稿日: 2025.07.20
powered by ブクログ信長、秀吉とは異なる人物像として丁寧に描かれていました。質朴、困苦に耐え、利害よりも情義を重んずる。商人尾張衆と農民三河衆の対比。浄土宗の信者。織田家の同盟者でありながら、信長にはまなばず、敵の信玄に心酔。三方ヶ原の戦いは特異点。現実主義者の家康がなぜ不利とわかって武田信玄と対峙したのかは不明でした。妻である築山殿の計画は恐ろしかったです。岡崎城内のどろどろとした人間関係の描写がとても気味の悪いものでした。日本の歴史に対し先覚的な事業をすこしも遺さなかっためずらしい存在、と記していることから司馬さんの家康評はあまりよくないのでは、と解釈しました。
0投稿日: 2025.04.08
powered by ブクログ家康は信玄・謙信・信長・秀吉のような合戦の天才ではなかった。戦に負けること多数、三方原では脱糞しながら敗走。ただ、自分が凡庸とわかっていたから、敗戦から多くを学び、天才にはわからない凡庸な人間の気持ちもよくわかったのではないか。だからこそ凡庸な世継ぎが生まれた場合の世襲対策を強固に構築したのではないか。 家康は忍耐の天才であった。大国に挟まれた彼は幼少期から人質生活、合戦では今川・織田の最前線における酷使に耐えた。 人生の前半は愚直さと朴訥さが印象的であった。織田家の東方の壁として武田を抑え続け、織田の西方進出を助けた。調略を覚える後半・第二巻が楽しみだ。 家康でさえ、何度となく錯乱して我を失うことがあるんだ。
7投稿日: 2025.03.29
powered by ブクログ徳川家康の生涯の節目ごとを短編として、著者の独自の視点で考察しているが、日本人の歴史観に多大な影響を与えたいわゆる司馬史観を強く感じた。徳川政権は重農主義で保守、織田豊臣政権は重商主義で革新という二元論にたち、幕末から太平洋戦争までの後の歴史に影響を与えた保守的な重農主義が、創業期の徳川家においてどのような風土や経緯で培われたかを理解できる。現在の価値観や社会構造が、歴史の延長線上にあることを考えさせられる価値ある一冊と思えたと共に、歴史物語としても十分に楽しめた。
15投稿日: 2024.07.19
powered by ブクログ家康はじめ信玄や信長など武将たちの性格の違い、それによる国の治め方、戦のしかたが生き生きとリアルに描かれていて、直接インタビューしたんですか?!って言いたくなる。 司馬遼本人は家康があまり好きではないらしく、その保守的性格や名門好きなどをほんのりディスっている。三河侍の排他的で滑稽なほど忠義なところも好きではないらしい。 私も信長の方がいいな…
1投稿日: 2024.06.27
powered by ブクログ『古今東西の良き例をまねるゆえ、一つ癖に陥ることがない』 『天才ではない者は己の知を張り出さずひとの良きものを学ぶ』 『幾つかの解釈が族党内の知恵者のあいだで百出することを好む』 まさに、平凡な者が大成するためにまねるべき人物なのだろう。
6投稿日: 2024.06.02
powered by ブクログまずは上巻既読。率直な感想としては家康という人はイメージどおりだなと。よい言い方をすれば慎重。悪い言い方をすれば臆病。配下(武将)には恵まれていた。それも人望と言われればそうなのかもしれないが。どの武将からも一目を置かれている武田信玄がもし病死しなければ歴史はどう変わっていたのだろうか・・。
8投稿日: 2024.05.22
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
司馬遼太郎の本は、いつもひとつの事柄から、違った方向にひろがっていったり、例え話をいれてくれたりしてわかりやすく、おもしろいです。本作は、大河を見て家康をもう少し知りたくなり読んでみました。三河衆の忠誠心の強さ、今川衆や織田衆の三河衆の見下し、信長より信玄の生き方を参考にしたこと、三河物語は大久保彦左衛門のひがみが書き込まれていること、信康が長篠の決戦前での退却戦で殿をつとめたことなど色々知ることができました。いちばんは、築山殿の話。10歳も家康より年上で、多淫であること、ヒステリックであることなどは大河で有村架純演じたものとは全く違い、私はどちらかというとこの作品のイメージでしたが、本来はどちらなんでしょうかな~と考えてしまいました。後半は、義理の叔父にあたる酒井忠次とのやりとりにも驚かされました。信康の非常識な行動からしたら仕方ないのかと思いますが、当時は当たり前のことなんでしょうかね。信長との同盟関係を20年続け、チャンスや恨みもあったろうに、ただの1度も裏切ることもなかったのも、辛抱強いとおもいました。長篠の戦いの後の勝頼との戦いは、色々テレビやら本やら読んでもあまり描かれておらず興味深かったです。勝頼は戦には、強かったが、内政をおろそかにしたこと、北条との同盟を破棄して、上杉と同盟したことなどが、衰退につながっていくことなどは始めて知りました。また、家康も本能寺の変後は強大な勢力である北条と敵対するが、暗愚の氏直と戦離れしている北条軍の弱さを見抜いていたことなどもすごいなと思いました。下巻も楽しみです。
4投稿日: 2023.12.31
powered by ブクログ大河ドラマを見て、読んでみたくなった。ドラマでは、ドラスティックに描かれている家康だけど、こちらではそんなに面白い人でもなさそうな… 見方や解釈で違うところもたくさんあるんだな、と面白かった。 気がついたら頂点を取るところにいた、みたいな感じで、信長や秀吉に比べると才能も魅力もなさげな家康。 けど、自己統制力など、やっぱり人よりめちゃくちゃ優れた点があるように思う。そういう突出したところを持つ人が、上に立つのかなぁ。 あと、指示の出し方がざっくりで、家臣は困ったらしい。みんなで話し合ったり、重臣に聞いたり。 でも、"自分で考えるクセがついて良かった"と言ってるのが残っているらしい。 こういうのは、昔も今も変わらないのだ。見習うべき点かも知れない。 家康はこういう新しいことを最初にやった人なのかも。 大河ドラマももうすぐ終わり。どんな結末になるのか楽しみ。
1投稿日: 2023.10.04
powered by ブクログ2023/6/29読了 大河ドラマ『どうする家康』の影響ではない、と思いたい。でも、去年は『義経』を買ったよなぁ……。 新機軸を打ち出すことなく、ひたすら旧守模倣を繰り返して、基盤の安定を図ってきた、というのが司馬家康像。100年以上経った〈江戸の三大改革〉でも改革と云いつつ復旧・復古的政策でしかなかったことを思うと、その創建精神が、如何に強力な縛りとなっていたか判ろうというものである。ストーリーは、〈小牧長久手の戦い〉から、一気に開幕後の晩年に飛んでいるし。豊臣家を滅ぼす過程は、『関ヶ原』や『城塞』で書いたから、それ読んどいて、という感じか?
1投稿日: 2023.09.24
powered by ブクログ30代前半までに、主要な司馬遼太郎作品は読んだと思っていたのだが、徳川家康を描いたこの作品は、「主要な」作品と捉えていなかった。今般、NHKの大河ドラマを観ていることもあり、遅ればせながら読んでみた。上巻は、本能寺の変まで。司馬さんは主人公のスキキライがハッキリしてるのだが(司馬史観?)、徳川家康については、「妙な男であった(p318)」と書いてあるとおり(たしかに妙な行動は多い)、そうスキでもなさそうだ。さて、下巻へ続こう。
0投稿日: 2023.09.18
powered by ブクログ八月の「100分de名著」は司馬遼太郎『覇王の家』をやるらしい。 『どうする家康』×司馬遼太郎生誕100年、と云ったところか。 因みにだが僕の祖父(故人)は、司馬さんとおなじ大正12年生まれ(関東大震災の年だ)で、やはり生誕100年にあたる。 司馬作品は二十代の頃、貪るように読んだ。さいきんは遠ざかってしまったが、この『覇王の家』は読んだことがなく、ちょうどいい。たしか司馬さん、家康きらいだったよな。どう描いてるか気になる。というわけで、手に取る。 上巻は、幼少期から本能寺〜小牧長久手前夜あたりまで。 家康を描いていることは間違いないが、その周辺世界にも主人公と同等以上の紙幅が費やされる。多声的である。その声の内には、もちろん筆者自身も頻繁に顔を出して愉しい。 正室築山殿と嫡男信康、宿老酒井忠次、武田信玄・勝頼父子、織田信長、穴山梅雪。周縁から家康という人物に迫っていくが、決して中心に辿り着くことはない。 人間は人間関係に依って成り立っている。その関係性からは、日本人とは何か、といった精神構造まで浮かび上がる。あるいは家康が天下を取ったから、かれらの精神性が日本人の典型を成した、と云えるかもしれない。 久しぶりに司馬遼太郎を読むが、あまりの巧さに一々仰け反っている。 ことば選びのセンスは殆ど純文学だし、語りのリズムや長短は講談を聴くように心地いい。時間空間の伸縮は自由自在、何よりも事象の積み上げが見事すぎるほどに論理的で、こうだったにちがいない、という納得感がある。つまり説得的である。歴史的事実と、そこから産みだされる内面の想像がシームレスに繋がり幻惑する。 これは小説なのか? いや、そのとき彼らがどう考えたか、その心の裡に迫る行為は、小説にしか成し得ないのだ。ほとんど神の所業といっていい。 俗に、司馬史観、などと云われるが、司馬遼太郎という作家は、事実を積み上げていく研究とはちがった遣りかたで、歴史、というよりは人間の(精神もふくめた)活動に、小説という独自の方法で迫ろうとしたのではないか。 この小説の中でも、事実とは別のところでしばしば共同幻想みたいなことが起こって、歴史が転換していく。 人間はときに事実を超越する。 そういう現象を、作家は想像力を駆使して描いていく。 この小説自体が、それら幻想の一環のようにおもえてくる。じつに奇妙である。
4投稿日: 2023.07.07
powered by ブクログ三英傑の中の1人の徳川家康が主人公の小説を初めて読みました。徳川家康を含め家臣、三河衆の特徴についての書き方がわかりやすかった。私個人的には徳川家康を知るための入門書籍としては非常に参考になった。
0投稿日: 2023.05.21
powered by ブクログ小説としての家康像は様々あって、好き嫌いを感じることもあったが、司馬遼太郎の本を初めて手に取り読んでみて、こういう歴史書があったんだと、今更ながらしみじみ感動した。 下巻も続けて読んでいく。
0投稿日: 2023.05.17
powered by ブクログ大河ドラマが始まって家康についてタヌキおやじぐらいのイメージしかなかったのでこれは読まねば!と。 正直今まで司馬遼太郎作品を読んで家康は好きになれなかったけどやはり読んでみるとイメージはかわる。確かに「奇妙な方」だ。
9投稿日: 2023.03.27
powered by ブクログ大河ドラマの主人公を時代小説で読むことを続けている。司馬史観などと言われたりもするけれども、それはやはり文章が重しろいからなのだと思う。ひょっとしたらこうかもしれないなと思わせる書きぶりは見事。後半も楽しみ。
0投稿日: 2023.02.24
powered by ブクログどうも司馬遼との相性は余り良くない。 中学生の時に読んだ「項羽と劉邦」は抜群に面白かったし、大河ドラマと平行して読んだ「功名が辻」もなかなか良かったのだが、「坂の上の雲」は永遠と続く戦争シーンが退屈で4巻で断念したし(ただ子規が生きている間は良かった。日露戦争が始まったら作者が替わった様)、この本も下巻を読む気になるかどうか。読んだとしても内容次第で星が1つ減るかも。 合わない理由はまずは司馬遼が評価が低い人物をやや固執的にこき下ろし続ける事。「坂の上の雲」の伊地知(乃木)しかり、この本の家康(三河武士達)しかり。読んでいて鬱屈して来る。 後、日本の歴史を書いた作品が評価される事が殆どだが、海外の歴史を書いた作品の方が面白いと思うのだが。 因みに野沢尚脚本の「坂の上の雲」は素晴らしかった。(断念したが)原作を超えた脚本だと思う。 喜久屋書店あべの店にて購入。
0投稿日: 2023.01.30
powered by ブクログ徳川家康の今川家の人質時代から桶狭間の合戦で今川義元が織田信長に敗れ、織田と同盟を結び、武田北条と政治力で領地を固めてゆく。新しい支配者 秀吉にどう対峙していくのか。家康の部下が生き生きと描かれていて面白い。正妻 息子を殺さなければなかった家康。悪妻の評判の築山殿だが彼女の強きなプライドも哀しい。家康が人間関係を重要視しているのがよくわかる。
0投稿日: 2023.01.29
powered by ブクログ相変わらず司馬遼太郎節の炸裂。 この人のエロティシズムどこまで信用していいのかわかりませんが、とにかく興味深い。 徳川家康の幼少期から織田信長との関係、正妻 築山との関係、三河武士との関係、すべて興味深く拝読させて頂きました。
0投稿日: 2023.01.27
powered by ブクログ徳川三百年の礎を築いた徳川家康の生涯を描く歴史小説。 なぜか、戦国時代の司馬作品では、この作品だけまだ読んだことがなく、おりしも大河ドラマで注目されているので、この機会に読んでみました。 上巻は、信長が討たれた所まで描かれており、家康の巧みな政治力で徳川家を守ってきた苦労が伝わってきました。 また、三河の風土であったり、三河武士の特徴であったりしたものがこの時代を生き残る重要な要素であったことも理解することができました。 時折挟まれる司馬史観の余談もこの令和の時代にあっても考えさせられる内容でした。
20投稿日: 2023.01.22
powered by ブクログ人質時代から秀吉の台頭まで 家康ブームに乗せられて、何か読みたいと思っていた時出会ったのが、司馬遼太郎のこの本。上巻は人質時代こら秀吉の台頭まで。 「・・・ついでながらこの小集団(三河衆)の性格が、性格が、のちの徳川家の性格になり、三百年間日本を支配したため、日本人そのものの後天的性格にさまざまな影響を残すはめになったのは、奇妙というほかない。」p.11 なるほど、納得。 久しぶりに司馬遼太郎の本を読んで、単なる物語ではなく、ノンフィクションタッチで書かれているのが、彼のの作風だったことを思い出した。 三河の朴訥とした主君と家臣団が、これからどう天下をとっていくか描かれ方が楽しみだ。
0投稿日: 2023.01.21
powered by ブクログ知ってたつもりだった、家康と、支えた三河衆のその歩み。 上巻は、甲州武田との繋がりに多くが割かれた印象。屈辱の三方ヶ原の戦いだけでなく、前後の学びと領土・人材の組み込みが、その後の躍進の基盤に。 或いは、奥方と嫡男自害申し渡しの悲劇が、正室 築山の方のヒステリーによるものなど、徳川家康に於ける自らの記憶と、イメージ修正が必要だと感じるに至った一冊。 田舎者から、天下人への変遷を辿る下巻が、早くも楽しみでならない。
3投稿日: 2023.01.09
powered by ブクログ家康と三河の家来たちの物語。家康は基本的には地方の殿様で、もともと天下を取るような夢も持っていなかったし、それほどの器量があったわけではないとする。確かに、彼は自国を守ることに一杯いっぱいだったし、今川、武田、そして織田に囲まれた環境ではそれは無理もない。そして、三河の国はもともと小さな豪族の集まりで、織田家のような利得に基づく合理的な主従関係はなく、ただ濃密な人間関係が特長であったという。たしかにその観点で、徳川幕府というのは、地方の内向きの政権が大きくなった性格を持っていて、外国との交流を絶ち、ひたすら内部的安定を優先させたというのはその通りかもしれない。 秀吉との関係のくだりのあと、一気に家康の最期まで話が飛ぶなど、司馬作品としては珍しくバラつき感もある作品ですが、よく知られたエピソードの裏側にある、家康の性格、三河人の気質をえぐりだしているとこは、とても興味深かったです。
1投稿日: 2022.02.13
powered by ブクログ久々の司馬遼太郎。昔と違って、地名が出た時に検索すればすぐスマホで確認できるので、物語りが頭に入ってきやすくて、読み応えが上がったように感じた。
3投稿日: 2021.11.08
powered by ブクログ同じ話が何度も繰り返されるし、爽快感がない。 氏は信長・秀吉・家康に仕えるなら家康とのことだが、着実性だけを評価して、好きではないのではないか。 2巻しかないのに読むのがつらかった。。。(2021.9.7) ※売却済み
1投稿日: 2021.09.07
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
~全巻通してのレビューです~ 「関ケ原」「城塞」と共に家康三部作とされている本書。 家康が童だった頃の人質時代から天下を獲るまでを描いています。 ただし、関ケ原の合戦や大坂冬の陣、夏の陣には触れられていません。 具体的には信玄との三方ヶ原の戦い、本能寺の変後の上方脱出劇、秀吉との小牧・長久手の戦い、石川数正出奔劇などが中心に描かれています。 家康は信玄をよっぽど尊敬していたんですね。 井伊の赤備えもできましたし。 また、信長の後継者に名乗りを上げた秀吉に対して、圧倒的兵力差がありながらも引かなかったのは凄いなと思いました。 「関ケ原」「城塞」を読んだ後に読む本としてはいいのではないでしょうか。 家康を知ろうとしてこれを読んだだけでは物足りないと思います。 私は山岡荘八の「徳川家康」を読んでたので、おさらいの意味でも読みやすかったですね。 あと、司馬先生は家康を好きではないようですね。 江戸時代という太平の世が長く続きましたが、反面閉鎖的で世界から取り残されましたからね。 評価は難しいところだと思います。
1投稿日: 2021.02.27
powered by ブクログ改めて司馬遼太郎先生の徳川家康を読むというのも、やはり面白い。歴史も時代とともに色々な捉え方をして変わってくるものであるが、司馬遼太郎の歴史観は、やはり全ての基本なのだろうと思いますね。
0投稿日: 2021.01.10
powered by ブクログ家康の凄さを改めて感じることができる作品。 信長に対して、この行動がどのような影響を与えるか等を常に考えていた様子が伝わってきた。 おもしろくて一気に読んでしまった。
1投稿日: 2021.01.03
powered by ブクログ物語というよりは、第三者(つまり著者である司馬遼太郎)の視点から徳川家康について語らせた伝記物もしくは人物伝の印象が強い。 スタート地点は三方ヶ原の戦いあたりからであるため、山岡荘八の『徳川家康』に比べると、深く書かれているわけではない。 家康については『関ヶ原』でも主人公の一人として登場しているが、それはあくまでも関ヶ原の戦いにスポットを当てたものである。 司馬はもしかすると、家康にはそれほど興味がなかったのかもしれない。 ただ、司馬の歴史小説には、山岡や吉川英治のように、一人の人物にスポットを当て、その生涯全般にわたって書いたものがほぼない。これが司馬のアプローチなのだろう。 まだ下巻を読んでいないので断定はできないが、本作もおそらくそうだろう。
0投稿日: 2021.01.03
powered by ブクログこういった歴史小説はあまり読まないので、読みきれるか不安だったが、読んでみると家康の新たな一面が次々と露わになってきて、あっという間に読み終えていた。 力強い肉体や、天才的な頭脳があったわけではなく、幼少期から人質生活を強いられ、常に誰かの顔色を伺いながら生きるようなその姿に、親近感が湧いた。 そんな彼が、300年続いた江戸時代を作り上げたのだと思うと、私にも何かできるのではないかと根拠のない自信が湧いてきて、仕事を頑張れた。
1投稿日: 2020.11.07
powered by ブクログなんというカッコいい締めくくりだろう!読後の満足感と下巻への期待が最大限になって読み終えました。石川数正が到着して戦勝祝いをした際に、秀吉が返した言葉は流石と言うべきものだし、その後の著者の締めくくりがよく出来た舞台の幕引きみたいでした。いつも思いますが、司馬遼太郎の描くこの時期の秀吉はとても魅力的で好きです。この小説の主人公は家康の筈なのですが、最後に秀吉と著者に持っていかれてるところが面白い。笑
3投稿日: 2020.09.13
powered by ブクログ「覇王の家 上」 司馬遼太郎(著) 1973年 初刊 (株)新潮社 2002 4/20 新潮文庫 2020 6/20 31刷 2020 9/9 読了 次回、読書部のネタとして 宿題に出された「徳川家康」 まずは家康嫌いとも言われている 司馬遼太郎の描く徳川家康。 ぼくの知らない個性的な家康像がここにありました。 無骨で中世的だと書かれている三河武士。 裏で糸を引いていたのではないか? とも言われいる本能寺の変以降 秀吉との関わり 物語と言うより歴史書の色合いが濃い。 そして下巻では関ヶ原 大坂夏の陣、冬の陣に続いて行く。 楽しみ。
9投稿日: 2020.09.09
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
徳川家康の本。司馬遼太郎は家康があまり好きではないようで、家康の劇的な人生の割にはページ数も少なく、小牧長久手の戦いで話が終わってしまう。まあその後の話は、「関ヶ原」「城塞」を読んで欲しいということなのでしょう。司馬遼太郎の考えでは、家康は全く新しいことをせずに人の真似のみで天下を取った、さらに本人は別に天下を欲していたわけではなく自分の領土である三河・駿河を守ることしか考えていなかったらしい。家康のすごいところは自分を人間としてではなく、殿様(社長)という部品であると定義し、人格を消してあくまで機械として一生を全うしたということ。現代のサラリーマン社長的な面があり、そこが個性で通した信長や秀吉と異なるところであり、徳川幕府という大きな会社が250年もの間存続することができた大きな理由なのだろう。また三河人は田舎者でそのために豪奢なことを嫌い、同族意識が強く外部のものを寄せ付けず、かつ我慢強く精悍な武士とのこと。信長、秀吉は三河人であり、明るく贅沢好きで経済感覚が非常に発達しておりお金を通して全てを考えていたので、三河人とは正反対であった。最終的に三河人(家康)が天下を取ったため、三河人の外部を受け入れないという気質が国全体に敷衍されて鎖国となったなどというのはとても面白い考えである。また、現代日本人の我慢強さや質素を好むような面(いわゆる武士道精神)も結局は三河気質によっているようだ。家康が現代に残した影響は相当大きいと改めて感じた。
1投稿日: 2020.03.28
powered by ブクログ覇王(諸侯を統一して天下を治める王)となる徳川家康。今川家の人質となった幼年期から織田家との同盟、姉川の合戦、長篠の合戦、明智謀反による伊賀越え、甲信併合など波乱万丈の歩みを、ひとえに耐え忍ぶ人となりが克明に描かれている。人質時代の家康が、今川義元の指図で10歳年上の「築山殿」を正妻に迎えざるを得なかったこと、嫡子「信康」が自害に追込まれていったくだりは、戦国の世とは言え何とも忍び難い。
3投稿日: 2020.02.06
powered by ブクログ司馬遼太郎がまとめた、徳川家康の生き方をまとめた本。 上では、小さいころの話から小牧・長久手の戦いの途中まで。 自分の才能を疑い、歴史から再現性が高いことを重視して大名として君臨していたことがうかがえる。下手なビジネス書よりも学びがある。
1投稿日: 2019.12.29
powered by ブクログ徳川幕府を開いた徳川家康の小牧長久手の戦いまでを描いた本。徳川家のバックグラウンド、家康の複雑な成長過程から彼の人格がどう形成されていったか?彼の美学がどのようなものだったのか?を教えてくれる。 結果、徳川幕府を得て日本人の美学にさまざまな影響を及ぼしたか考えさせられる。
3投稿日: 2019.07.21
powered by ブクログ【感想】 「国盗り物語」や「太閤記」でも、特に異質で不気味な雰囲気を醸し出していた徳川家康が主人公の物語。 読んでいると、家康は決して野望家ではなかったということが窺い知れる。 その独特さや不気味さ、総じて変わり者であるという点はあくまで「三河者」というジャンルが為すものであり、その中でも特に家康は現実主義で、そして悪く言えば地味で、才能や運に頼らずコツコツと物事を堅実に積み上げつつ立身していく様が見て取れた。 家康と、信長や秀吉との違いは、かの有名なホトトギスに関する一句でとてもよく分かる。 かと思えば、たまにヒステリックの如く奇抜な行動を起こし、狼狽え激情し、そして次の瞬間には瞬間冷却されたかのように冷静になる。 また、計算はするが、決して人を裏切ったり、打算的な考えは用いない。 このような変人エピソードもまた読んでいて家康のチャームポイントであり、面白いなーと思った。 家康本人の台詞やエピソードがさほど作中に多くないのも、彼の生前の本音や意見を漏らさない性格によるものなのかもしれないと読んでいて感じた。 下巻も非常に楽しみだ。 【あらすじ】 徳川三百年―戦国時代の騒乱を平らげ、長期政権(覇王の家)の礎を隷属忍従と徹底した模倣のうちに築き上げた徳川家康。 三河松平家の後継ぎとして生まれながら、隣国今川家の人質となって幼少時を送り、当主になってからは甲斐、相模の脅威に晒されつつ、卓抜した政治力で地歩を固めて行く。 おりしも同盟関係にあった信長は、本能寺の変で急逝。秀吉が天下を取ろうとしていた…。 【内容まとめ】 1.国人が質朴で、困苦に耐え、利害よりも情義を重んずる点、利口者の多い尾張衆とくらべて際立って異質だった。 「三河衆一人に尾張衆三人」という言葉すらあったほどで、城を守らせれば無類に強かった。 2.武田信玄の西上に対して 「敵がわが公野を踏みつけつつ通り過ぎてゆくのに、一矢も報いずに城に隠れているなどは男子ではない。」 何事も慎重をかさねてきたこの男が、血の気を失うほどの形相でこう言った。 家康という人間を作り上げているその冷徹な打算能力が、それとは別にその内面のどこかにある狂気のため、きわめて稀ながら破れることがあるらしい。 結局は惨憺たる敗北に終わるのだが、しかし彼ののちの生涯において、この敗北はむしろ彼の重大な栄光になった。 3.我が子・信秀(後に切腹)を陥れた家臣に対して 信長はかつて酒井忠次の詭弁を信じ、家康にその子と妻を殺させた。 それほどの目にあった家康こそ反逆すべきであるが、家康は強靭な自己防衛上の意志計算能力を備えていた。 信長も、いま目の前にいる老中の酒井忠次も、家康にとってはわが子の仇であったが、それを仇であると思ったときには自分は自滅するという事を家康は驚嘆すべき計算力と意志力、冷静さをもっていた。 【引用】 「人よりも猿のほうが多い」 ただ国人が質朴で、困苦に耐え、利害よりも情義を重んずる点、利口者の多い尾張衆とくらべて際立って異質だった。 「三河衆一人に尾張衆三人」という言葉すらあったほどで、城を守らせれば無類に強かった。 p34 家康という、この気味悪いばかりに皮質の厚い、いわば非攻撃型の、かといってときには誰よりも凄まじく足をあげて攻撃へ踏み込むという、一筋や二筋の縄では理解できにくい質のややこしさを創り上げたのは、ひとつにはむろん環境である。 桶狭間によって勢力地図が変わり、家康が今川氏から解放される運命を作ったが、彼はそれでも今川氏と別れず留まっていた。 また、家康はあくまでも今川氏への信義立てを装い、岡崎城が空城になるまで入らなかった。 無論ただの正直者ではなく、正直を演技するという、そういうあくの強い正直であった。 結果、西の織田と東の今川に対し、同時に自分の律儀さを感心させたこととなった。 家康のような弱小勢力としては、律儀さを外交方針にするのがもっとも安全の道であった。 p63 ・武田信玄の西上に対して 「敵がわが公野を踏みつけつつ通り過ぎてゆくのに、一矢も報いずに城に隠れているなどは男子ではない。」 何事も慎重をかさねてきたこの男が、血の気を失うほどの形相でこう言った。 家康という人間を作り上げているその冷徹な打算能力が、それとは別にその内面のどこかにある狂気のため、きわめて稀ながら破れることがあるらしい。 彼は全軍に出陣支度をさせた。 結局は惨憺たる敗北に終わるのだが、しかし彼ののちの生涯において、この敗北はむしろ彼の重大な栄光になった。 p218 本能寺の変後、堺にて其の報を聞いた家康は大いに狼狽え、自害しようとさえ考えた。 同席している穴山梅雪を一人取り残し、三河者だけで協議を行った。 家康の奇妙さは、梅雪にその重大情報を明かす時すでに、激情が去っていたことである。 「国へ帰ります」と、家康は穏やかに言った。 家康の性格のおかしさも油断ならなさも、そういうところにあった。 彼は自衛のための構造計算を平素精緻にしておくくせに、それが一旦崩れると人より数倍狼狽え、しかもその彼を破滅的な行動に追いやる激情が、すぐに沈静してしまうのである。 復讐を思い立ったものの、織田家の他の軍勢と違い、家康のこの場の状態は誰よりも哀れであった。 この言葉で自分を絶望から救い出そうとし、気力を鼓舞してみただけで、さしあたって言葉そのものに重い意味はない。 それよりも、この危険な上方地域からどう脱出するかである。 p222 「穴山殿、是非ご同行なされ候え」 家康は言葉を尽くしてすすめたが、梅雪の表情が優れない。 (家康めは、このどさくさにまぎれてわしを殺すつもりであろう。) 「梅雪、多知ノ男ニテ」 当時言われていたように、武田の族党の中では知恵があり、その知恵を勝頼を裏切ることに使い、家康を仲介者として織田方に寝返り、巨摩郡一つをもらった梅雪は、危険を感じた。 が、この甲州人は家康についてもっと知識を持つべきであった。 家康という男はその不透明な見かけのわりには意外なところがあり、それは年少から一度も人を謀殺したことがないということであった。 家康はこの時期よりあとも、そういう所行はない。 梅雪は、このとき不利な判断をした。 梅雪は、この場で家康一行と別れた。 この行動は、おそらく三河人どもの不気味なばかりの団結の様子を見て、彼らが信じられなくなったのであろう。 梅雪はさほどもゆかぬうちに明智方の警戒線にかかり、その場で首にされてしまった。 p232 村重や光秀からすれば、反逆はむしろ正当防衛であったであろう。 殺さねば、いずれは殺されるのである。 信長はかつて酒井忠次の詭弁を信じ、家康にその子と妻を殺させた。 それほどの目にあった家康こそ反逆すべきであるが、家康は強靭な自己防衛上の意志計算能力を備えていた。 信長も、いま目の前にいる老中の酒井忠次も、家康にとってはわが子の仇であったが、それを仇であると思ったときには自分は自滅するという事を家康は驚嘆すべき計算力と意志力、冷静さをもっていた。 p237 「いずれ物事が煮えてから」 やがて起こるであろう織田家の諸将間の権力闘争が泥沼の状態になり、強者たちがヘトヘトになってから立ち上がっても遅くはなかった。 p242 「復讐戦のため、京にのぼる」 そのような颯々とした行動は、家康の性格では無理であった。 ところが復讐しなければ、世間への顔が立ちにくいという困った課題がある。 このため、せめて復讐に出かけたという事実だけを作っておかねばならなかった。 でなければ、世間への声望を失うし、さらにはかれの士卒に対してもまずかった。 人に将たる者は、士卒の心につねに自分が英雄であることを印象させておかねばならない。 このために、「形だけ西上の姿を見せておく」という、いわば演技的行動をしていた。
10投稿日: 2019.03.22
powered by ブクログ家康という人間を型にはめて思い込んでいたが、複雑な不思議な人間だったんですね。そうじゃないと生きて行けなかったということでしょうか。でも、最後に天下を取ったのだから面白い。三河と尾張と隣なのに文化がこうも違う点も面白い。やっぱりこの頃はまだまさにそれぞれの国だったんですね。
0投稿日: 2018.01.03
powered by ブクログ徳川家康 なんとまあそこにいるかのような人物像。三百年も続く時代を築き上げるなんて前半の家康さんでは全く想像できない。何度負けても生きていればチャンスはあるわ。ちゃんと生きていれば。
2投稿日: 2017.09.09
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
――真似るのだ。 という。独創や創意、頓知などは世間のものは知恵というがそういう知恵は刃物のように危険で、やがてはわが身の慢心になり、わが身をほろぼす害悪になってしまう。いや、わが身の勝手知恵というものは――とくに戦の軍略のばあいは――いかに古今に絶っしたいくさ上手であろうと、やり方が二通りか三通りしかなく、それが癖になって決まりものになってくる。いつのいくさのときもおなじやり口になってしまい、それを敵がのみこんでしまえば、敵のほうが逆手にとって出てくる。結局は三勝して最後に一敗大きくやぶれて身をほろぼすもとになる。 「そこへゆけば」 と老師雪斎はいった。 「物まねびの心得ある者は、古今東西のよき例をまねるゆえ、一つ癖におちいることがない。それにはなにがよいかという、よいものを選ぶ心をつねに用意しておかねばならず、そういう心におのれの心を持しているためには、おのれの才に執着があってはならぬ。おのれの才がたかが知れたものと観じきってしまえば、無限に外の知恵というものが入ってくるもだ。そのうちの最良のものを選ぶだけのしごとですむのだ」 雪斎の説では、天才とは一生で大いくさを三度もすればそれで十分なもので、百戦百勝というようなことはせぬものだということになる。さらに雪斎の説は、天才でない者はおのれの知を張りださず、ひとのよきものを真似び、それによって生涯粗漏のなきことのみ考えてゆくべきだ、ということになるらしい。
0投稿日: 2017.02.19
powered by ブクログどちらかというと三成が好きなので、これまで司馬作品の中でも敬遠してたタイトルですが、食わず嫌い的なところで、読んでみるとなかなか興味深い作品。特に250年続いた徳川幕藩体制は日本人に徳川家の家風を浸透させたという説はなかなか面白い。
1投稿日: 2016.07.25
powered by ブクログやっぱり司馬遼太郎はおもしろい。スピード感と登場人物の思考描写がいいんだろうな。 変に史実をひとつひとつなぞっていかないから気持ちよく読み進められるんだな。
0投稿日: 2016.07.02
powered by ブクログ司馬遼太郎ならではの徳川家康の話。 覇王の家、というタイトルとちょっと印象が違いますが~面白く読めました。 三河の小さな大名の子に生まれた家康。 今川に人質に出されている間に父は亡くなり、不在のまま跡を継ぐが、実質的には領国を支配できない。 三河の人々はそれに耐え、気の毒な若君を思い続けたという。 実直でやや排他的だが、一丸となって戦う三河武士。 もともと農民である分、地縁に恵まれた関係だったという。 尾張は都会なので、気風が違うのだそう。 織田信長はもちろん、身分の低い出の豊臣秀吉でさえ、ずっと合理主義者だったのはそのせいだという考察が説得力あります。 家康は信長よりも武田信玄のほうに親近感を抱いて尊敬していた形跡があるそう。 そういわれれば‥ 織田信長には正妻と長男を殺すように命じられたしね。 しかし、この件については、妻の築山殿のことをえらく悪く書いていて、何か資料もあるのでしょうが、作者の嫌いなタイプだったの? 長男も猛々しすぎて家臣の信頼を失った経緯があるそう。 家康自身は戦った相手のほとんどを許し、反乱を起こした家臣も降伏すればそのまま許し、戦国大名には珍しく?誰かを謀略によって殺したこともない。 自分で手を下して誰かを殺したことは一度もないほどらしい。 さすが、「鳴くまで待とうホトトギス」? 家康は最初から天下を望んだのではないでしょうね。 大河ドラマ「真田丸」が始まる頃に、予習のひとつとして読みました。 あまり真田について詳しくなりすぎても、かえって文句言いたくなるかもと思って、この辺から。 本能寺の変の後の伊賀の山越えの話など詳しく書いてあり、ドラマではほとんどスルーの小牧長久手の戦いも詳しかったので、ちょうど良かったです☆
7投稿日: 2016.06.25
powered by ブクログ徳川家康は江戸時代以降の閉鎖的な社会を築いた創始者としてネガティブな印象のあるが、主人公にした小説はこれまで読んだことがなかったので読んでみることにした。 上巻は今川家の人質時代から、織田信長の死を経て、権力を確保しつつある羽柴秀吉と対峙するまで。
0投稿日: 2016.03.09
powered by ブクログ再読。と言っても、前に読んだのは数十年前か…。 司馬遼太郎さんは、徳川家康が嫌いです(笑)。 やっぱり、関西人ですからね。って、そんな感覚が大阪で暮らしていっそうわかるようになりました。 そんな司馬遼太郎さんが、徳川家康の人生を描いてみた、という本。 小説なんですけど、小説というよりは、評伝と言う感じです。 なんというか、小説、と呼ぶには、熱情というか入れ込み方が少ないんですね(笑)。 ただ、別段罵倒したり感情的に悪態はつきません。 「なんかなあ…好みではないんだよな…すごいんだけどね」という。 でも、本としては実に面白い。 結果論で英雄扱いするのではなく、ほんとに戦国時代を兎にも角にも生き残った家康さん、という感じ。 それなりの豪族の長男でありながら、強国の都合で人質に出されて、更に途中で売買されてしまったり。 苦労に苦労を重ねた少年時代と、それに耐えた「田舎者集団」の三河武士たち。 その家臣団の結束を強みとして生き残っていくのですが、 一方でその田舎者な家臣団たちの限界というか、嫌らしいところも描きます。 新参者に冷たく、陰険な体質。 ただ、それを糾弾せずに、受け入れて乗っかっていく。独創やひらめきではなく、求められるリーダー像を守っていく。そんな家康さん。 実にパッっとしません。 実に地味です。 それを守り通すことで生き残っていく、そんなところに醍醐味があります。 今川の傘下から、桶狭間をきっかけに織田信長の傘下に。 信長のために「北条氏と武田氏の盾」の役割を甘んじる。 その上、謀反の疑いで、妻と長男を殺せ、と言われる。断れない。 武田信玄には負けるし、けっこうたびたび負けます。 実にパッとしません。 実に地味です。 でも、ミスをしない。内政のミスをしない。領民には悪い領主ではない。家臣団も圧迫しない。 じつにこう。 人間関係。 強弱の人間関係。 なんですね。 そこに忠実に地道に歩いていく。 そして生き残って、地道に積み重ねて大きくなっていく。 家康とその家臣団、という地味な成功者のどろどろした人間模様。 これを、珍しく東日本関東までの目線で戦国と言う時代を解剖しながら味わえます。 上巻は、信長が死んで、秀吉の台頭。秀吉との対決が始まるころまで。 有名英傑同士の政治的感情的力学が、国際サスペンスを味わうようなエンターテイメント。 そして、家康的、徳川的な、人間関係や秩序重視の世界観が、江戸期を通して日本人のある形態を作っていったのでは、という大きな視点。 毎度、司馬さんの本はするすると読めてしまいます。
5投稿日: 2015.08.12
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
司馬遼太郎の描く徳川家康。家康に抱いていた巨人像が見る見るうちに小さくなっていく…。小さな巨人、徳川家康の物語。 家康は可哀想という感想しか出ない。それでもその都度何とかなるから、人生に勇気を与えてくれる存在である。諦めずに、小心者を貫けば、生き残れる!! _______ p16 お人好し岡崎 家康は幼いころ(竹千代)に攫われて織田家に人質として捕われたり、その後今川家預かりになったり、故郷で暮らせない散々な目に遭っていた。 家康の故郷、三河岡崎の民も狂うしい思いをしていた。家康の父:広忠は24歳で亡くなり、その後は不在ながら家康が家督を継いだ。当主のいない三河は今川預かりの土地となり、岡崎の人々は今川家から出向してきた侍に支配された。その中で可哀想なのは、三河の御家人は俸禄を停止され農民に成り下がるしかなかったことである。ひどい。しかし、岡崎にの人々はそれを渋々受け入れたという、なんというお人好しだろうか。 確かに逆らえば岡崎のような小国は今川のような強国の手にかかれば一握りであろう、家康が大きくなってまた岡崎の地が独立できるその日まで耐え忍ぼうとおもったのか。なんかよくわからないな。 p22 学問 家康が幼い時代を過ごした駿府は他の戦国大名の土地とは格が違った。今川家は足利家の血を引く良家で、貴族文化が浸透していた。それゆえ文化水準、学識水準も高かった。人質として暇を持て余す家康は学問を少しかじったらしい。そういう土地にいたからできたことだ。 しかし、戦国時代に学問を納める武将はほとんどいなかった。信長もうつけ者と言われ、謎の袋を身に付けて毎日野を駆け回っていた。秀吉は言わずもがなの猿である。明智光秀とかは貴族文化にかじっていたりしたが、そういう人物は珍しく、だから重宝されていた。 家康が天下を納めるようになったから法治国家ができたが、それはこの人質事件が無ければ生まれなかったと考えると、感慨深い。 p25 真似ぶ 「学ぶ」は「真似ぶ」からきているという。手本に倣うことが学ぶということ。深い…?7 p26 独創の限界 家康が駿府で習った雪斎和尚は習字で独創的な字を書く和尚の手本に怪訝なまなざしを向けた。それに対して曰く「わしのように年老いれば別だ。六十を超えれば、世道世間の人迷惑になることは別として、書風くらいわが身勝手で会ってよい。しかし若い時はそうあってはならぬ。-真似るのだ。」 独創や創意、頓智などを世間の者は知恵というがそういう知恵は刃物のように危険で、やがては我が身の慢心になり我身を滅ぼす害物になってしまう。慢心で自分に癖ができてしまえば、戦においては3勝して最後の一回で大敗を期して身を滅ぼすことになる。 そこへゆけば、真似びの心あるものは無限の外の知恵という物が入ってくるから、強い。その都度、最適な手段を選ぶだけですむのだ。 なるほど、型の鍛練と同じだな。 p49 律儀さ 家康のキーワード「律儀」。この用心深さがあったから天下を取れたと言えるかもしれない。あらゆることに律儀で、それ故に織田信長に気に入られ、今川から独立して同盟を結ぼうと言われるほどだったのである。 p51 今川を裏切る、謀術者 家康は岡崎城主になった。今川義元が桶狭間で死んで、息子の今川氏真が継いだが有名なできそこないだったらしい。そこで家康はきっぱりと今川に見切りをつけて織田と同盟を結んだ。すごい。 ここに至るまで、家康特有の入念な下調べがあった。 p58 井伊家の赤 家康は甲斐武田氏と隣接して日頃からその騎馬の鼻先がこちらを向かないか戦々恐々していたはずである。しかし、武田勝頼が織田に敗れた後、武田の家臣が浪人になっていれば、大人数であろうと召し抱え、武田のやり方を学ぼうとした。実はそれほど武田信玄を尊敬もしていたのだろう。徳川の切り込み部隊の井伊家の真っ赤な戦装束は武田の者に倣ったものである。 p59 徳川の異質 安土桃山文化の中で徳川家は異質だった。豪華絢爛な織田や豊臣の文化とは違って田舎臭い質朴さを好み、それを貫き通した。 p87 公衆衛生 家康は信長とかみたいなイノベータ―になるような部分は無かったが、医療や衛生面における思想においては先覚者といえたかもしれないという。家康が薬の調合が好きというのは有名で、生水は飲まなかったし、愛妾は多かったが娼婦には梅毒があるから抱かなかったし、鷹狩を好み、スポーツが健康に良いということを実践した初めての日本人と言えるかもしれない。 p155 築山ヒステリー 家康の最初の正室。人質時代の家康と政略結婚で今川家から嫁いできた。なかなか手ごわい女だったようだ。家康が今川家を裏切って織田方に付いたせいで不遇の生活を余儀なくされたということもあるだろうが、高飛車なお姫様だったようだ。 そして、ついには息子の信康とともに武田勝頼のもとに下って、家康を暗殺しようとしたとされる。この密謀は侍従の中から漏れ、信長の娘で信康に嫁いだ徳姫に伝わった。これを徳姫が信長に手紙で伝えちゃったもんだから一大事。丁度この頃、荒木村重に逆心されていた信長は家康にこの二人を処罰しないと同盟を切ると告げた。その責めを負って、築山殿は殺され、信康も切腹させられた。 家康は生涯このことを悔やんでいたらしい。関ヶ原の時にも「信康が生きていれば自分がこんな第一線に立つこともなかったろうに」と嘆いたという。勇猛果敢な武将気質の信康に比べ、生真面目だが器量の小さい秀忠は大戦を任せるには不安だった。つい出ちゃったんだろうなぁ。そして、家康はそういうことをウジウジ気にし続ける男だったのだ。 p163 尾張と三河の主従関係 中世武士団の棟梁というのは、豪族同盟の盟主であった。その地域の豪族やら支族やらが団結して、力ある者、血筋良きものをその棟梁として立てて旗頭とする。しかし、尾張の織田家は上意下達のトップダウン方式。羽柴秀吉、柴田勝家、丹羽長秀、明智光秀、滝川一益らは信長が土中から掘り起こして着飾らせた武将で、主人と使用人の関係であった。それに対して三河は古くからの武士団の同盟という形式が残っていた。それ故に家康の動きには「遠慮」という物が感じられるのである。 p173 信康の狂性 信康は平素は明るく燥ぐことが好きな若者だったが、時に尋常じゃなくなる。秋の踊りの季節には、城下の者が城門側で城主に踊りを見せる習慣があったのだが、信康は桟敷に座ってそれを見ていると、やにわに弓矢を取り出し、踊りの下手な者らを射ち殺した。また、鷹狩が好きでよく出かけたが、狩場に獲物がいないときの不興はすさまじかった。ある時猟場で僧に出会った。「僧に会うと必ず獲物に出会わない。」という言い伝えがあったのを聞いていた信秀は、その僧を馬に繋いで轢殺した。やばぃ。 p269 茶屋四郎次郎 織田家専属の呉服屋を営んで巨利を稼いでいた。しかし、本能寺の変で信長が死んでピンチ!その時、信長のもとに来ていた家康もピンチ!! p297 家康と信長の違い 家康は信長と違って計算高い、臆病者だった。 信長ははっきり言って人付き合いのできないダメ人間である。人の気持ちを理解できず、自分の気持ちも表現しない(自分の気持ちを察することのでない奴は嫌う)、暴虐的な振る舞いをする(だから超人的なことができたのだが)、そのために荒木村重とか明智光秀に「このままでは俺は信長に切られるのでは…」という恐れを産み、反逆に踏み切らせてしまう。 家康は違う。人の気持ちを深く深く探って、気を遣いすぎるほど遣う。家康が信長に信康を屠れと言われて実行した。それはつまり信長は家康に禍根を残すことになる。いつ逆心されてもおかしくない状況。信長は人一倍家康に対する監視を強めただろう。家康は信康のことを恨むどころか、信長に逆進の気配アリと誤解されないよう細心の気配りをした。信康死後は一層信長のために第一線での活躍をしたし(姉川の戦いとか)、織田軍が武田を破った後の東海道凱旋の祝いの気の遣いようは信長を感嘆させた。 信長の信康誅滅の命を受けた酒井忠次にも気を遣った。忠次は言うなれば家康の息子の仇の片棒を担いだ男だ。そういう男を蔑ろに扱えば「家康は私のことを未だに怨んでいるのか。我が御家もいつ廃されるかわからない。」という邪推を産み、最悪の結果を招きかねないことを知っていた。だからこそ、人一倍丁重に扱って信頼関係を継続してきた。 家康は心理学的なレベルの人心コントロールの術を考えていたんだな。 p306 家康は安全な奴 家康は信長に「アイツは安全な奴」だと思い込ませるようにふるまってきた。家康ほどの功労者なら信長について京社会との交流とかをもっとしてもいい物を、田舎者の自分には似合わないと、遠慮し続けた。これに信長は家康には野心を感じず、安心して信用したのだという。 しかし、これは本当に家康の性格から京社会とかに馴染まなかったのだろうともいう。実利主義な家康は京文化の装飾過剰な雰囲気を好まなかったのだろう。質朴を好み、地道に自領の土地開発を進める、信玄のような経営者気質だったのだろう。 p327 あいまい 家康は戦でも外交でも、家臣に詳細に語ることはせず、当人の推量や独断に任せることが多かったようである。曖昧な指令によって、それを受けた族党内で知恵者が議論百出して、最適解を出すことを望んだようだ。素晴らしい経営者だな。 p335 北条氏政 北条五代のうち、初代早雲から氏綱、氏康と器量人が排出されたが、氏康の子:氏政は凡愚だったようだ。こんなエピソードがある。氏康は氏政と食事を共にして、氏政が一椀の飯に二度汁をかけて食べている様を見て絶望したという。飯は日ごろ欠かさず行うもの、器量ある者なら目分量で汁をかける配分位わかるもの。それがわからない不器用な氏政は一国を任せられる人物足り得ないという理屈だという。 それでも氏政は子の氏直に家督を譲るまでは家を護った。しかし、その氏直はさらに暗愚だったという。 信長が死んで、甲州を徳川と北条のどちらが治めるかという駆け引きで、家康は8000の兵で、北条5万の兵を強気の外交交渉で引き下がらせた。家康の巧みさもあるが、その掌の上で転がされた氏直の気の弱さ。 p345 金貨 家康は蓄財家で、米経済だった当時でも、たまに入る金銀銅の硬貨は城の金蔵に丁寧に記帳して大事に蓄えさせた。 豊臣期のおわり、細川忠興が金子に困り家康に無心したことがあったが、「お安き御用」と唐櫃二つの金貨をぽんと貸し出した。その金貨の包み紙には古い物で家康がまだ若く三河の城にいた頃の物もあったという。 家康はこういう風に蓄財家だが、安い麦飯を好んだり、褌は古びても使えるよう浅黄色に染めさせたり、吝嗇家という評判が高い。 p349 家康の経済観 家康の奇妙な談話が残っているという。「自分が金銀を集めすぎているというが、それは物の理を知らぬのである。上府に金銀が集まれば下々に金銀が少なくなり、自然、下々は金銀を大切にするようになる。もし世間に金銀が多くなれば物価が高騰し、世人が困窮するようになる。」といったという。 信長や秀吉は貨幣経済に力点を置き、更に国家貿易で国家全体を富ましめようとしたが、家康の経済観は地方の農村領主の思考法から出ることはなかった。この理念が江戸時代の基本となり、農本主義の経済が続いたのである。 _______ 家康の前半は本当に周りに気を遣っていたんだなぁ。 これから天下を納めるために気を遣う時代が来るが、それも楽しみだ。天海さんとどう絡むのだろう。
4投稿日: 2015.08.11
powered by ブクログ徳川家康の生涯をおっていく小説であるが、家康を、出身地である三河の人々の特性から論じている点で、他の時代小説とは大きく異なる。単に家康がここでこういうことをしたことが記録に残っている、とか、時代劇染みた展開だとか、そういう小説ではなく、あくまで徳川家康という人間の生涯を、司馬遼太郎の論評を交えながら、ふりかえるような小説。 ここ最近読んだ本の中で一番面白かった。
0投稿日: 2015.01.17
powered by ブクログ松平家の勃興から秀吉の台頭までが上巻。物語性はやや薄く解説が多いように感じたが、「なるほど、そんなことがあったのか。」と楽しめる。信長、秀吉、家康と誰しもがそれぞれの人柄についてある程度のイメージを持っているが、それを明確に実証的に掘り下げていくのは快感。なるほど、家康は模倣の人だったのですね。それも一流の。
0投稿日: 2014.10.11
powered by ブクログ家康は、どうも好きになれない。 基本的に、秀吉が好きな人は、家康が嫌いな傾向にあることが多い。 上巻においては、 保守的自己保身型な性格を形成するにいたる背景が、記述されている。質実剛健と言えば、それまでだが、本書においては、天下をとるような華やかさは皆無である。 英雄的というよりは、ひたすら現実的である。
1投稿日: 2014.01.03
powered by ブクログ苦労人徳川家康の生き様が分かり、とても面白い。20代に一度読んだが、40代になって読んでみると組織の中で働いているだけに周りの人への気遣いや人間関係への配慮と共感できる部分が数多くあった。 織田信長のような天才肌とは違い、色々な苦労を乗り越えて経験を重ねてきただけに自分のような一般人には参考とすべき点が多いと思う。
1投稿日: 2013.10.11
powered by ブクログ『覇王の家(上)』 徳川家康を主人公にした物語です。 三河武士の強みと弱みがうかがえます。 家康の生い立ちから最期まで、 どうぞご覧あれ。 司馬遼太郎さんの書き方は魅力的ですね。 (END)
0投稿日: 2013.02.17
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
筆者によれば、徳川による300年に渡る支配こそが今日の日本人の国民性を作り上げたのだという。その大本となった徳川家康とその家臣団を分析し、その根拠を分析する歴史小説である。新史太閤記などに比べると、家康や三河人の内面理解に重きが置かれているため、小説としては多少地味であるが、その地味さが一般的な徳川家康像をうまく表現しているように思った。 実際にどうだったのかはさておき、織田信長や豊臣秀吉、その他の戦国大名の派手さに比べて、徳川家康にはどこか得体のしれない狸親父としてのイメージがあると思う。そのイメージを抱かれるゆえんを筆者の豊富な知識と独特の分析力で納得させてくれるような小説である。 徳川の名を挙げるきっかけである小牧長久手の戦い関連に多くの項が割かれている。また、小牧長久手の後は唐突に彼の臨終間際のシーンまで飛んでしまうので、人によっては中だるみしたり、肩透かしを食らうかもしれない。著者の他の作品なども読んで、補完するのがよいかもしれない。 <上巻>は賤ヶ岳の戦いまで。
0投稿日: 2013.01.23
powered by ブクログ自分の感情を殺して、信長に徹底的に服従したり、 有力家臣の顔を立てたりする忍耐力は、 幼少の頃人質として過ごした経験によるものなのかなと思うと、 不幸な形でそのような能力を伸ばしていて、同情します。 司馬遼太郎さん節が全開で、今まで読んだ司馬さんの本の中でも、 かなり好きな本になりそうです。 他の司馬さんの本だと、家康は敵方として登場し、 あまりよいイメージがありませんでしたし、 家康は司馬さんの好きな爽快な男ではないですが、 この本で家康が好きになりそうです。 家康の家臣たちについては、 上巻は、前半では酒井忠次、終盤になって石川数正、 そのほか本多忠勝と井伊直政が少し描かれています。
0投稿日: 2012.12.03
powered by ブクログ徳川家康の歴史を小説というより 伝記っぽい感じで書かれている内容。 結構すんなり読めるし 当時の三河者の凄さを感じた… 武力や権力より 人ってことよね。 何時の世も変わらない、そこは。 今下巻読んでる真っ最中!
1投稿日: 2012.08.21
powered by ブクログ4年前に、司馬遼太郎にハマって読みまくっていた時期があったのだが、いろいろ読んだ結果、最初に読んだこの本が一番好きかなっていう結論。
0投稿日: 2012.08.20
powered by ブクログ城塞、関ヶ原を読んだ後に、家康の生涯を扱った本書を読んだ。 ちょうど、上記2冊で描かれている部分はすっ飛ばされており、その意味でも3冊読んでやっと前後がつながった感がある。 日本人のアイデンティティーにまで結び付くという家康の性格が、丁寧に描かれる。英雄の要素を微塵も持たなかった人物の、地味だからこそ興味深い人生。 (2012.2)
0投稿日: 2012.03.01
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
「関ヶ原」、「城塞」で描かれなかった期間の家康を描く。 山岡荘八の「徳川家康」と読み比べると面白いです。
0投稿日: 2011.12.19
powered by ブクログ上巻は徳川家康の生い立ちから、織田信長と同盟して勢力を伸ばし更に信長の死後、豊臣秀吉の時代に代わり今後どのように立ち振る舞うか強かに揺れる(結果秀吉に付く)辺りまでが描かれてます。 描写が非常に細かく、生まれの三河の気質から始まり弱小国ゆえ武力だけでなく知恵を絞って少しづつ大きくなって行く様がよく分かります。特に武田信玄を尊敬し戦法始め多大な影響を受け、後に二代目勝頼と戦い勝った際に全てを叩き潰すのではなく、相手の兵を囲いいれ、更に信玄の戦法に長けた者たちである事から、その戦法を取り入れ柔軟に領土と兵力を強める様は正にしたたか者。 秀吉の時代になると周りが勝手に主権争いで潰し合うだろうとあえて動かず様子見する辺りも好きだな。
0投稿日: 2011.11.05
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
司馬先生は徳川家康が嫌いではないか思っていたのですが、そうではないと思いつつ読んでいくとやはり嫌いではないのかと思える作品でした。 しかし、徳川家の成り立ちや三河侍の強さがどこにあるのかが解り、事実上秀吉が負けた小牧、長久手の戦いを中心に描いており、徳川270年の基礎が解る。
0投稿日: 2011.09.14
powered by ブクログ司馬遼太郎が徳川家康を正面から とらえて描いた小説。 覇王の家 ... 豊臣時代まで 関ヶ原 ... 関ヶ原の合戦前後 城塞 ... 大阪の陣前後 という位置づけらしいので今後読んでいこうと思う。 あまり徳川家康を正面からとらえた本はいままで 読んだことないので。
0投稿日: 2011.08.26
powered by ブクログ徳川家康の生涯を書いた作品。 徳川幕府300年を築いた、日本において前人未踏の偉業を達成した人物なのに、豊臣秀吉や織田信長といった彼の前に活躍していた人物に比べ人気もないし、とりたてられることも少ない非常に珍しい人物。 幼少時に人質にされるなど過酷な環境下で育った彼の価値観や言動がさらっとまとめられています。ただ、なんとなくしっくりこないというのが印象です。 基本的にはケチで小心とも言える慎重な人間だが、自分を取り巻く環境を適切にとらえ、行くときには思いきりのよい行動もとる。読み終わった時点で、彼に対する謎が逆に深まった気がします。 もうちょっと自分なりに調べてみようかなと思います。
0投稿日: 2011.04.24
powered by ブクログ私が徳川家康に惹かれたきっかけとなった本。元々歴史に詳しくなかったので、読みやすく勉強になり、彼の意外な特技や趣味も分かり益々興味が湧いて行きました。家康入門にオススメの一冊。
0投稿日: 2011.02.20
powered by ブクログそこまで細かく描写しているわけではなく、 三方ヶ原の戦いや岡崎崩れなどの場面、場面を題材にしている。 司馬遼太郎の家康に対する評価というのは、 青年期ではおおむね好意的であるように思える。
0投稿日: 2010.11.22
powered by ブクログ下巻はこれから。 どうにも家康が不可解で消化不良だったのでならばと読んでみた。生い立ち含めの環境と持って生まれた気性と若干の躁鬱と諸々の苦労が絡み合った結果があのタヌキ親父だったのかと、非常に納得。
0投稿日: 2010.10.08
powered by ブクログ大学の模擬授業で徳川家康についてやるため、購入。そして読破。 非常に面白く、非常に徳川家康という人物について分かりやすかった。 さすが、司馬遼太郎様の作品だ!!
0投稿日: 2010.09.13
powered by ブクログ話が纏ってなく、読みづらい 同じような事を繰り返したり、話が唐突に飛んだり 司馬さんの本で読むのが苦痛に感じたのは初めてです
0投稿日: 2010.09.09
powered by ブクログ独創性を持たず、自勢力の保全ばかり考えていたが、 徹底した模倣と忍従隷属で天下を取った男の話。 どうやら司馬先生に限らず、 秀吉が好きな人は家康が嫌いらしい。 で、家康が好きな人はその逆。 この本はアンチ家康が書いた小説なので、 家康をちょっと持ち上げたかと思うと、 秀吉を引き合いに出して叩いたりする。 最後は新史太閤記と同様、 秀吉に臣従するあたりで終わるが、 太閤記は区切りの良いところで 〆たのに対して、こっちの方は 飽きて終わりにしてしまった感がある。 とは言え、違った視点で家康を描いているので、 山岡荘八の徳川家康の前に読んでおくべき本。
0投稿日: 2010.07.18
powered by ブクログどうも、司馬さんは徳川幕府が嫌いらしい。 これまでも『街道をゆく』の端々で感じていたのだけれど、この本を読んで彼の徳川嫌いが本物だと確信した。 徳川時代は太平をもたらし、その間に文化を繁栄したけれど、商業経済を無視し、国を鎖し、庄屋の論理で人を土地に縛りつけ、出る杭は打ちつけ、日本人を矮小化させたという点で功罪では罪のほうが勝るのではないか。 という意味のことを再三書いていて、読んでいると「確かにそうかも」と納得してしまう。 では、なぜそんな幕府を徳川家康は作ったのか。 司馬遼太郎はそれを「自己防衛反応」だと断じていて、 上巻ではそりゃそうなりたくもなるわなーという同情してしまう幼少時代からの苦労が連綿と綴られている。 その結果、得体の知れない男に成長した。いやさせられた。 自己の主張・野望よりも三河衆という地元を第一とし、時には自分の命を削って組織を維持しようとし、そのためには妻子の命も厭わない。 冷酷というより決断の判断材料に自分の感情が含まれていないのだ。 信長のような独裁者でもなく、秀吉のような如才ない男でもなく、 地元企業の取りまとめ役という地位に近い自分にはそもそも采配を振る権限などはなから無いからだ。 求められているのは調整機能だけ。 そして「機関」として十二分に機能するよう意識し行動していた節がある。 天皇ならぬ、徳川機関説。 これがいわゆる司馬史観なのかもしれないけれど、新鮮でした。 首領でありながら官吏の様な考え方を持ち、隣国の行政を監察して取捨選択をし独創性というものを自ら禁じる。 それが自分に求められている機能だから。 けれど時折常軌を逸した捨て身の戦法に出てしまうのは普段から抑圧している感情が迸ってしまった結果なのかもしれない。 愛着がないからか、書き方が淡白でなぜ自分は彼のことが嫌いなのかを歴史的状況とその際に彼のとった行動を説明し彼の思考方法の癖を解明していくという展開になっています。 小説なんだけど、小説らしからぬ、「だからこいつが嫌いなんだ」っていう自己弁護というかある意味逆ラブレターだなぁと感じました。
0投稿日: 2010.05.14
powered by ブクログ近代日本人の性質を決定づけてしまった江戸時代。以前はおおらかな国民であった日本人を、300年で覆した徳川幕府。その祖は流浪の出自であった? 奥三河の松平家は、流浪の男が立ち寄った家の女を見初め、定住したことから成立したという推理を示している。大胆な司馬史観だ。家康については、今川氏との合戦である三方原の戦いが、その素養をよく示し印象的だ。甲斐武田の攻略も読み応え有り。
0投稿日: 2010.05.02
powered by ブクログ斉藤道三→織田信長→豊臣秀吉と続いて、 ついに戦国時代を終わらせた「徳川家康」の物語。 激動のなかで、冷静に、自分を律し、生き抜いたリーダーの姿。 室町から戦国、そして、300年太平の時代へ。 家康から300年後、新たな激動の時代を迎えることになります。 そして、今、維新の時代「龍馬がゆく」を読みすすめています。 今、本当に本当に、大きな変わり目を迎えていると感じます。 その今を経営者として、如何に進んでいくかを深めたいと思っています。
0投稿日: 2010.01.18
powered by ブクログ徳川家康の物語。この人あんまり好きじゃないんですが、どういう人かなと思ったので。人質大名から古狸に変化するまで。笑笑。
0投稿日: 2009.06.17
powered by ブクログ(単行本 上下2巻)徳川家康の今川家からの独立から織田徳川同盟、本能寺の変後秀吉と対峙した小牧長久手の戦いまでを三河者の気質をベースとして描いた作品。出てくる地名が家の近くばかりなので地理的な部分はかなりイメージできたが『関ヶ原』『城塞』と比べると題材がちょっと弱いのか見劣りする感がありました。『国盗り物語』では道三・信長・光秀『新誌太閤記』では秀吉『覇王の家』で家康『関ヶ原』では三成対家康『城塞』では淀君・秀頼対家康と続き?戦国時代フルコンプリートとなります。
0投稿日: 2009.04.20
powered by ブクログ己の才に執着があってはならぬ。 おのれの才をたかが知れたものと観じきってしまえば、無限に外の知恵というものが入ってくるものだ。 そのうち最良のものを選ぶだけですむもの。 まさにコレが家康だなぁと思いました。 常に自分を客観的に観るこの人物は自分の才を信じる事すら極度に恐れたそうです。独創・英雄とはかけ離れたこの人物は、きっと独創的な発想や、自分という存在すら、自分の中に隠してしまったんじゃないかと思います。だからなまなかな天才より変わった人物だと感じました。 徳川家康の地元、三河という土地の人たちは、とにかく忠実で、利害よりも情義を重んじていたそうです。 この律儀な集団が運のめぐりで天下を取って、以後徳川幕府として270年間日本国を支配したため、 日本人そのものの後天的性格にさまざまな影響をのこすはめになったっていうのは、奇妙というほかありません。 良い本でした。
1投稿日: 2009.04.17
powered by ブクログ小説というにはあんまり情緒深くなくて、研究書…じゃちょっと固いか、家康に関して司馬遼が綴ったエッセイのような、ノリ的にはそんな気がしました。家康だけではなく彼をとりまく様々なひとに関しての叙述も多いので、色々物知りになれます。 それにしても家康という人間の不可思議さというのは面白いなあと思います。三方ヶ原の時に大敗するのは目に見えてるのに頑固なまでに戦うことに固執したり、信長との同盟も決して破らず、妻子までも犠牲にしてしまったり…なんだかタヌキ親父といわれるまでにいろんなことあったのを、私は寡聞にして知らなかったから、関ヶ原読み始めた最初の時はすごい嫌いだったけど、今読み直したらどうだろう、嫌いかなあ。。。とか思う。いろいろ背負ってきたんだなあ、彼にも彼なりの生き方があるわけで…って思ってやや同情的になるやも。 三河武士の中世的なあり方も悪い面もあれ、必死に忠義を尽くす姿は尾張の功利的な生き方の武士よりも現代の私達にウケがいいんじゃないかなと思います。酒井さんがけっこう煙たがられてるのにはふいたw
0投稿日: 2009.03.30
powered by ブクログなんとも重い話。爽快感は皆無だがつまらないわけではない。 まさに家康らしい話。 その藩祖によって藩の風が決まるとはこの著者の言だが、江戸時代はまさにそうなのだろう。 信長・秀吉が後世に遺せる政権を作っていたらとは思わないではいられない作品。 (2008/12/17読了)
0投稿日: 2008.11.27
powered by ブクログ司馬遼太郎による徳川家康伝。 これまで戦国時代にあまり興味がなかったが、 ひととおり知っておきたくなって手をつけた。 ボールペンでところどころに線が引いてあり、 前の持ち主はどうやら家康から「上司の哲学」を 学びたかった模様。 2008年10月読了。中古で上下セット500円。
0投稿日: 2008.10.20
powered by ブクログ家康がなぜ家康なのかわかるような家康の歩み。爽快感がない読み心地。…じわじわと家康が迫ってくる。三河衆vs尾張衆、土地の気質はよく知らなかったので、なるほどなーと思いました。
0投稿日: 2008.06.30
powered by ブクログ司馬遼太郎は徳川家康が好きではないと思い込んでいたので、作品があるとは露知らず。。このほかにも何作かあるみたいですね。とりあえず上巻読了。久しぶりの司馬遼太郎、堪能しました。下巻を借りてこなくっちゃー。
0投稿日: 2008.06.23
powered by ブクログ家康のことも知らないと…と思って購入。家康のいろんな面が見えて、少しは好きになるかと思ったのですが、どうしてだろう。どんどん嫌いになるよ。 多分、司馬遼太郎は家康キライです。 そんなこの本がすごく好き。というかこの本だから家康でもなんとか読める。
0投稿日: 2008.04.24
powered by ブクログ徳川家康の話。 「現在の日本人には家康の出身地である三河人の気質、さらに言えば家康自身の性格が影響している」という作者の意見にはなるほど、と思いました。 300年も続いた政権だし、つい140年前まで続いてたわけですものね。もし信長が長期政権を作れていたら日本人の性格は今よりアグレッシブだったのかな。
0投稿日: 2008.04.17
powered by ブクログ徳川三百年―戦国時代の騒乱を平らげ、長期政権(覇王の家)の礎を隷属忍従と徹底した模倣のうちに築き上げた徳川家康。三河松平家の後継ぎとして生まれながら、隣国今川家の人質となって幼少時を送り、当主になってからは甲斐、相模の脅威に晒されつつ、卓抜した政治力で地歩を固めて行く。おりしも同盟関係にあった信長は、本能寺の変で急逝。秀吉が天下を取ろうとしていた…。
0投稿日: 2007.03.28
powered by ブクログ江戸幕府264年の礎を築いた徳川家康の物語です。 もともと家康嫌いですけど、これを読んで更に嫌いになりました。 ここまで保守的だとあっぱれですよね。
0投稿日: 2006.08.20
