
総合評価
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powered by ブクログ知識人の責任 著:ノーム・チョムスキー 訳:清水 知子 訳:浅見 克彦 合衆国が、既得権益保護のために世界規模の反革命運動の指導者になったことを本書は嘆いている。 ベトナム戦争のみならず、南米においても、第2のベトナム戦争を展開しようとしていることもだ 気になったのは以下です。 ■知識人と学校についての考察 権力と権力を合理的に行使しようとするために忠義を尽くそうとしている、アメリカの知識人について、率先して、その政策の実行を支援していることについて恐ろしいと語っている。 アメリアのそれら知識人を批判するとともに、啓蒙と自らを導いていくための指針をもとめてさまようことになるだろうとしている。 ■知識人の責任 ・戦争への加担、擁護の責任 ・真実を語り、嘘を暴く責任 ・事態を歴史的観点からとらえず、偽善的道徳の文脈のなかに位置づけない場合 ・懐疑の欠如 ・苦しみや悲惨を完全に無視する態度 ・責任ある批判 ・専門家に対する崇拝は、自己利益になるとともに、同時に詐欺的なものである ・知識人の責任は、基本的な関心にむけられなければならない ・民主主義の制度を築き上げることによって新しい社会に成長しうるのかどうか ・まとまった軍隊の使用はそれ自体としては非合法なものである ■抵抗について ・徴兵拒否、税金の不払い ・反対から、抵抗へ ・アメリカ人であることを恥じる ・直接行動 デモへの参加、演説 ・反対運動と、抵抗運動は二者択一ではなく、相互に補強し合っていくべき運動だ ・効果的な政治運動 破壊行為は、中産階級を動かし得ない ・批判活動への代償の過小評価、政府を過小評価している ■普遍的知識人 ・真実の暴露による倫理的批判が、しばしば人々によって受け流されて空回りに終わる ・知っている者の言説が、知らない者を動かすという関係が機能不全に陥っている ・過度に道徳を追求する、ひとりよがりのエリート主義 ・エリートは同じ穴のむじな ・おのおの知識人が引き受けるべき専門的領域ではなく、市民共同体をめぐる言動にむけられるかが問題である ・サルトルのいう、権力者の知識人観 ・虚偽をふりまく政府の宣伝と、それを後押しするマスコミによって、誤った事実認識と判断が人々に浸透してしまう ・知らされていない大衆、わかっていない大衆 ・情報操作によって現実認識を誘導され、政府の政策に受容するように仕向けられる ・真実をしらされても、それだけでは、批判の意識と行動への傾かない受け手という理解を対置する ・問題なのは、さまざまな個別分野にたずさわる知識階層が、相互に他の分野との関係と統一を考慮し、知的営為全体の総合的な一体性を確保することができなくなっていることだ ・知識のエリートですら、互いの専門的の知のシステムの統一的な理解を持ちえない現状で、大衆に理解を求めることが可能であるのあるのか。 ・大衆からは、専門的な知識と判断は、素人の良心や倫理によって足蹴にできるようなものではないはずだ。 ■知識人の十字路 ・政治論や、イデオロギー批判のような専門的知識や技術はかならずしも必要ない ・バーチャル知識人 正義と数理がかみ合っているシステム論的な思想として持ち上げらえれることの特異さ ・伝統的知識人から、有機的知識人へ ・すべての人が、知識人、情報労働者であるようなメディア社会やポスト産業社会では、有名性によって言説を行使する知識人とは別のモデルが登場してくる ・特定領域の知識人とは、もはや真理や正義の所有者ではない ・正義の知識人 ■不服従 ・現場の映画撮影 ・時間と空間を共有する作品、記述 ・爆撃を模した音声 ・ネット配信へ ・市民的不服従 ・ハト派知識人への厳しい批判 目次 第1部 知識人の責任 ノーム・チョムスキー 第1章 知識人と学校についての考察 清水知子 訳 第2章 知識人の責任 浅見克彦 訳 第3章 抵抗について 野々村文宏 訳 第4章 「抵抗について」の補遺 野々村文宏 訳 第2部 「知識人」という文体 第1章 普遍的知識人の現在 浅見克彦 第2章 チョムスキー、知識人の十字路 上野俊哉 第3章 音の不服従、映像の不服従 野々村文宏 訳者あとがき 浅見克彦 ISBN:9784787210371 出版社:青弓社 判型:4-6 ページ数:240ページ 定価:2600円(本体) 2006年01月21日
11投稿日: 2024.10.06
powered by ブクログチョムスキー氏と言えば、人間は生得的に文法を身につけるものとした生成文法理論が有名だと思うが、ベトナム戦争への反戦活動で54回も逮捕されたという逸話もある。私はこれを宇沢弘文の書により知ったのだが、そもそもベトナム戦争すら、私にとってはよく知らぬ事。しかし、そうした反戦の含意をもって『知識人の責任』とは、我田引水、商業主義的な識者の戒めにも通ずる、良心に訴えかける啓発書だ。 ー かつてジャン゠ポール・サルトルは、一つの時代のなかで、ヴェトナム戦争に反対する人間が知識人なのだ、といった。その意味では、チョムスキーは「知識人中の知識人」だといえるだろう。そしていま、私たちは、ブッシュ政権の「大義」なき「先制攻撃」が、大手を振ってまかり通る世界に生きている。「アメリカ」の現実のなかで、まっすぐに「正しさ」を追求するチョムスキーの言説は、さまざまな雑音と錯綜した感覚によって見失いかけた「正しさ」を、私たちに思い起こさせてくれる。 ー ユダヤ系移民の子として1928年にフィラデルフィアで生まれたチョムスキーは、大恐慌のさなかに成長することにより、早くから社会に対する目を開いていた。10歳の頃にはスペイン市民戦争に係わる政治的論考を学校新聞に発表し、当時多くの人たちが希望をもっていたボルシェヴィズム(レーニン主義)については、権威主義的・圧政的であるとして早くから嫌悪感を抱いていた。こうした中、チョムスキーを一番惹きつけたのは、人間の絶対的自由を説くアナキズムだった。高校生のころ、日本への原爆投下のニュースに同級生たちが歓喜するなか、その雰囲気に耐えきれずに独りで森の中に入っていって悄然としていたという。20歳代は言語学、哲学、数学、生物学、等々の研究に打ち込み、上述の「チョムスキー革命」を成し遂げるが、1960年代に入りベトナム戦争が激しくなってくると、そのあまりのでたらめさに、自らの研究活動を犠牲にしても何かをしなければならないと決意し、反戦運動に立ち上がった。ベトナム反戦運動のもっとも先鋭的な活動家のひとりとして戦い、何度も逮捕を経験するほど深くコミットしながら、莫大な数の論説を執筆して政府の外交政策およびそれを補完する知識人たちを批判し続けた。 本書が面白いのは、こうしたチョムスキーの態度に対し、知識人のあり様について、浅見克彦、上野俊哉、野々村文宏による持論も掲載される箇所だ。純粋な正義感のみで、民主主義的手続きを踏んだ世論に対して、知識人はどこまで影響を行使し得るのか。 ー だからこそ私は、普遍的な知識人の戦略をとるチョムスキーの立場よりも、「特殊的知識人」の役割を重視するフーコーの立場のほうが、少なくとも現代社会ではリアルだと考える。もちろんそれは、普遍的な真実と正義の言説が不用になったということを意味しない。それは相変わらず、否、これまで以上に求められている。一つの戦争行為を吟味する際に、それが正当な理由をもっているかどうかを、事実と大義に照らして吟味し批判することは、どのような文化情況であれ試みられなければならない。ここで私が示したかったのは、現代の知識人は普遍的な真実と正義の価値を放棄すべきだということではなく、それを追求するためには、「特殊的知識人」のポジションから出発し、専門知に対するありふれた人々の信頼を揺り動かすプロセスを通過する必要がある、ということにすぎない。普通的な真実と正義はいらないということではなく、それだけではだめだということ、そしてそれを有効にするためには、知識人は別の困難な課題をも引き受けざるをえないということ、これが問題なのである。 ー グラムシが「知識人」の「指導」を問題にしたのは、彼が(共産)「党」の理論家、思想家だったからではない。そもそもグラムシは、粉川が引いているように「純粋な自然発生性などというものは歴史上存在しない」ということを出発点としている。市民社会はそもそも権力による管理、つまりは「意識的な指導」にさらされており、(社会)権力に文化の操作がビルトインされている以上、自然発生性は常にヘゲモニー闘争や「情報操作」と一対のものである。対抗的な指導は「党」によって可能となるが、すでにグラムシにとって、この「党」は単なる政党やイデオロギー的な党派を意味するものではなかった。ここに粉川は注目し、グラムシの思想に文化装置の時代の情報論的な批判理論を見いだそうとしたのだった。 知的経験を共有していない大衆に対して、知識人が、ただ正論を吠えるだけでは目的を果たし得ない。フーコーのいう特殊的知識人が、テクノクラートであるならば、これも行政にはビルトインされたもの。日本では評論家というと少しネガティブなイメージをもつが(そう洗脳される面もあると思うが)、常から、批評や評論に触れながら考える大衆を目指す、そうした教育を実装する必要がある。それこそが吠えるだけではない、知識人の責任ではなかろうか。
52投稿日: 2024.08.13
powered by ブクログベトナム戦争への反戦運動のときの記録、筆者の議論。 正直当時のことは全くと言っていいほど知らなかったので、現在の思想や思想家、市民社会や運動が、その記憶の後にあるということを少し認識した。 でも知識人って何なんやろ、知識人の責任って何なんやろ。 考えるきっかけになる。
2投稿日: 2019.02.24
powered by ブクログインドでの開発はインドが原罪も直面している大いなる苦悩を涼しい顔で利用しながらアメリカがインドの「社会主義からプラグマティズムへの移行」を実行するためにその経済力を用いているという点で戦後最大のスキャンダル。何も知らないということは恐ろしいし、知らせない知識人の罪は重たい。 チョムスキーはユダヤ人だったというルーツを認めることはないだろう。
0投稿日: 2009.07.12
