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教えることの復権
教えることの復権
大村はま、苅谷剛彦、苅谷夏子/筑摩書房
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総合評価

32件)
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    「教える」という言葉は啓蒙的に思われるのか、今は主体的な学びとよく言われるけれど、「教える」ことの重要性を見直そうとする本。同意。

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    投稿日: 2023.02.21
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    大村はま先生の言葉は一つ一つにパワーがあり、たくさん学ぶところがありました。 これまでの本と比べて「近頃の若者は…」という感じが強い印象もありました。話し言葉が混在しているからかもしれません。 現在の「総合的な学習の時間」に対しての否定的な考えについてもすごく納得しました。

    1
    投稿日: 2021.08.13
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    大村はまに関する著書は何冊か読んできたが、何度読んでも大村はまの言葉には身につまされる。 本書も何度も繰り返し読みたくなる金言、また私もやってみたいと思える実践がたくさん。 例えば、目標を具体化し、その評価を毎回の授業のたびにしていたというエピソードや、中学生を大人にするために話は必ず一度で聞くようにさせたこと、掲示物はこまめに張り替えていたことなどが印象に残っている。 どれも奇をてらった取り組みではなく、むしろ当たり前にやらなくてはいけないことなのかもしれない。 しかし、実際にこれらを継続的に行うには教師の覚悟が必要である。 大村はまの言葉からその覚悟と教師としての矜持を感じた。 72歳まで自分の話をテープに採って聞いていたというのだから脱帽だ。 ちなみに本書の刊行は2003年。約20年経っても教育問題として取り上げられていることはあまり変わらないように思える。いくら新しい時代の学力観と騒ぎ立てたとて、大村はまの思想が今でも色褪せないように、教育の本質は不易流行であると改めて感じた。

    0
    投稿日: 2021.07.03
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     確かめておく必要があること。  ①専門家としての教師は、授業づくりの手間暇を楽しむこ   とができる。  ②「教える」ということは、=「説明すること」ではな   い。ここの誤解が解消されないと、一方的な講演型の授   業になってしまう。「教える」ことには、学習者を思考   に導くということが、含まれている。

    1
    投稿日: 2020.05.18
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    このレビューはネタバレを含みます。

    教えることの専門職としての教師の役割についてはっとさせられた。自分がはっきり言葉にできないまま今まで来てしまったのを大村はま先生と刈谷夫妻が引き出してくれた。 「社会人でも勉強はできるが、学ぶことだけを専門にしている時間は生徒、学生でいる間だけ。学校という場があって、教える専門職の教師があって、その中で学ぶことのを専門としている時期の子どもがる。社会の中で特別な場である。」本当にそう思う。

    2
    投稿日: 2018.04.07
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    このレビューはネタバレを含みます。

    2003年刊行。  日本が生み出した最高の国語教師の一人に数え上げられよう大村はま氏。  師の最晩年の教え子とその配偶者(「階層化日本と教育危機」の著者である東京大学教授)らが、時には対談、時には師の授業風景を回想、また、同じ教育者として論を交わすというごった煮のような書である。  大村氏はもちろんだが、苅谷教授も一教育者としての体験を誠実に語る点は好感を持てる。  そして、教えることの重要性は尤もで、何らの異論はない。が、疑問が残る点もある。著者たちは学校教育の中心は教科教育・学習と考えているが、学校運営においてそれでは不十分という実情だ。  また、考える授業(総合学習)を展開するにあたり、優秀かつ真摯な東大生を相手にする苅谷教授ですら、相当の事前準備をし、2人の院生の手助けを得た上で、わずか週2コマだけが実施できるだけである。  学びの構えができていない小中学生で、1人の教員が20人の生徒を相手にすら総合学習を実施しうるか。まして、30人なんてとても無理ではないか。  ごく一部の特別に優秀な教員はともかく、多くの教員は大村氏のごとき実践は不可能だろう。  先の生活指導の面も座視できない。結局、学校に関わる人的配分を増加させざるを得ない。だが、財政的にこのような方法論が採れるのか。  苅谷教授は少し触れているが、学校教育で重視されているのは、教科教育に止まっていない。むしろ、生活指導教育を、教科教育よりも一層重視(ただし、「否応なし」にという可能性も高い)している場面もあり得る。  かかる生活指導を教師が行わないという選択をとる場合、一方で、それを親がしない、あるいはできないことは明らかだ。少なくとも、学校内まで親が監督することは非現実的である。  そうなると、別の誰かが実行せざるを得ない。  学校に介入する人員をより増やす帰結となるだろう。  個人的には教科教員以外に、生活指導を主とする教員(俗に体育の先生)、心理的ケアを中心とする教員(保健の先生)、あるいはクラブや放課後授業の顧問を密に行う 教員がいてもいいし、そうあるべきだと思う。  が、現実には、文教予算の削減が取りざたされる今、そういう方向には向いていないだろう。果たして……

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    投稿日: 2017.01.05
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    大村はま先生をご存知だろうか。私は名前だけ知っていて、テレビで少し見ただけで、どんな取り組みをされていたのかほとんど知らなかった。たまたま教育社会学者の刈谷さんの本でも読んでみようと探していて出合った本だ。大村先生の実践されてきたことを読み、もうぶったまげた(こんなことばしか思い当たらない)。以前、林竹二先生の教育実践例も読んでびっくりしていたが、それは1年に1回だからできるのかな、などと失礼にも考えていた。しかし、大村先生は普通の中学の国語教師で、普通の生徒たちを相手に、日々新しい取り組みを実践されてきた。いろいろな教材を使って、同じことを2度繰り返さない(違う生徒に対しても)というのだからすごい。いつも新鮮な気持ちで授業に臨むためだという。100人の生徒に、100人違う文章を渡して、それについて考えさせる。それぞれに考える道筋の手引きを添える。それぞれの生徒のことを良く見ているからこそできる技だ。戦後間もないころは、荷物を包んでいた新聞紙の切り抜きも教材になったらしい。看板や標語、広告なども教材になる。身の回りのものすべてが教材だ。「総合的な学習の時間」を50年以上前から実践してこられたわけだ。最近の先生は、子供の自主性ということを尊重するあまり、大切なことを教えていないという。大村先生に対しては教えすぎとの批判もあったようだけど、教え込まず、教えすぎず、ほんの少し生徒の背中を押してあげる(ヒントをあげる=考える手引きを示す)、そして生徒はそのことに気づかない、自分でできたという達成感を味わえる。そんな教育ができたら素敵だなあと思う。もっと、大村先生の本が読みたくなった。最近、大村先生は100年近くの人生を終えられました。

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    投稿日: 2015.05.05
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     いきつけの料理屋がある。使用されるのは大将自らが収穫した旬の野菜。大将はこちらが好きな料理を熟知してくれていて,新しいおすすめをさり気なく紹介してくれる。常に新しいメニューが登場し,頻繁に通っても飽きることがない。自然と饗されるその一皿に,人知れぬ苦労があることを大将の所作から感じられる。さらに,遠方から来店した客への心配りも忘れない。客に美味しい物を提供したいという大将の心が,痛いほど感じられる。  本書を読んで,そのように相手に心を尽くすことの共通点を感じられた。 「教えることの復権」と題された本書。教育社会学者である刈谷剛彦らが,国語教育の大家である大村はまの指導法と対談をもとに,教育力の低下をもたらした原因を探っていく。責任と学習を学ぶ側に放り投げた現在の教育には無い,教師がやるべきことが描かれる。  その内容を要約すれば「相手をよく知り,新鮮な教材を使用し,適切なタイミングで言葉がけをして,当人が知らぬ間に成長の実感を持たせる」とでもなるだろうか。  もちろんそのためには,膨大な準備がいる。しかし,教えることの魅力はそこにある。刈谷が言う「偶然の要素はあるにせよ,教える側が準備しなければ,ますます稀にしか訪れない魅力の時間」を楽しめている教育者は,はたして今何人いるのだろうか。そして,自分はそうなれていたのだろうか。  以上のようなことを考えていると,経営者の一方的な都合で客の状態を考えずに提供されるチェーン店やコンビニの料理を手に取る度に,そこに自分の顔があるような気がして反省させられる。そういう意味で,今後も自分の人生に影響を与えてしまう一冊であると言えるのだろう。

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    投稿日: 2014.08.27
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    http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480059994/

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    投稿日: 2013.10.30
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    東大卒のご夫婦が、戦後の荒野から50年、国語教育に精力的に携わった恩師を訪ね、現在の国語教育を見直すという内容。 ・貧乏な時代でも勉強には惜しまずお金を使う  (生徒の作文はきれいなリボンで結んだり) ・事前準備を徹底的にする。イメージし尽くす (うまく行かなくてもやらないよりずっといい) ・何十年やっても余裕なんて生まれない  (日々全力。よりよい教育を模索する) そんな内容が印象に残っています。

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    投稿日: 2013.08.18
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    何を思いながら教師は教壇に立つのか 何を思いながら生徒は椅子に座るのか 生徒は受け身でもまだいい しかし教師はそうはいかない。 何を教えたいのか 何を学ばせたいのか どんな力を社会は必要とするのか どんな力がこれからこの子を支えていくのか 考えない教師はきっといない でも日々の業務に追われ 忘れる教師はきっと多い。 忘れたままにしないように 「教えたい」 という初心に戻るために 本書は有効となるだろう。 情熱だけでは教師になれない 時々で自分に対して 授業に対して 子どもに対して 「クール」な評価を下せる そんな教師で溢れてほしいと願う。

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    投稿日: 2013.08.04
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    このレビューはネタバレを含みます。

     大村はまと苅谷剛彦・夏子夫婦の対談を元に、苅谷剛彦が教育論を語った本。目新しいものは少なかった。  第一部は大村との対談。大村の教育観が著作の引用を元に取り上げられているので、彼女の教育観のまとめの本としては良いかもしれない。

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    投稿日: 2013.05.08
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    大学生の学習においても使えそうなことが多い。 教師を目指す者,すでに教師になった者が教えることを立ち止まって考え,その行為に没頭することから始まるのだろう。 手引きという言葉が印象的だった。

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    投稿日: 2012.12.05
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    本当に、本当に、よい本に出会った。 ここまで心を揺さぶられたのは、どれくらいぶりだろう? 読み進めるたび、涙腺が緩むような感動があった。新しい冒険に向かう朝のような興奮があった。埋れていた大切な思い出をふと思い出したときのような発見があった。

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    投稿日: 2012.02.10
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    「自ら学ぶ」という現在の教育界のブームに流されず、教師の役割としての「教えること」を大切にしようという著書。 児童・生徒の学びの裏側には、教師の周到な準備を要することを大村はまの実践を踏まえながら主張する。 ○キーワード ・徹底したリアリズム ・てびき ・なぜ教えるのですか? ・考えることを教える

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    投稿日: 2011.12.20
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    インタビューで少し流れがわかりにくいところもあるが,どういった価値観を大切にしているのかがよくわかる本。

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    投稿日: 2011.08.14
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    本質を語っている本だと思う。本気で教えるということは、このくらいエネルギーを使うことなんだと教えてくれた。

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    投稿日: 2010.11.08
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    [ 内容 ] 今、日本の教育界では、子どもの自主性を大切にしようと、「教える」ことよりも「学ぶ」ことに重点を置きはじめたように見える。 これまでの「詰め込み」への反動であろう。 だが一方で、教師の役割を軽視しすぎてはいないだろうか? 本書では、教師が「教えるということ」をもう一度正面から見つめ直し、今もっとも必要なことは何かということを、すぐれた教師とその教え子、教育社会学者の間で徹底的に考える。 [ 目次 ] 序章 「大村はま国語教室」への扉 第1章 言葉・文化を学ぶことの価値観 第2章 大村はま国語教室の実践(生徒の目から見た単元学習の実際 単元学習の本質とは) 第3章 教えるということ 第4章 中学校の教室から大学の教室へ 第5章 教えることの復権をめざして(徹底したリアリズム 教えない教師たち ほか) [ POP ] [ おすすめ度 ] ☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度 ☆☆☆☆☆☆☆ 文章 ☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー ☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性 ☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性 ☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度 共感度(空振り三振・一部・参った!) 読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ) [ 関連図書 ] [ 参考となる書評 ]

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    投稿日: 2010.08.29
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    なぜ教えるのか? この解答を対談形式で第4章までまとめられている。 私の履歴書・絵本などの例は思わずなるほどなと思った。 そして、教えることは社会的使命である。 じゃあそれを使命と感じながら教えていくには、、 私自身の言葉でいうと。 「わくわくしながらやる」 ということかなと思う。 子どもたちはどう反応するのかな? わくわくしながら事前準備する。 何事においてもそうだが、 楽しくなければ何も続かない。

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    投稿日: 2009.12.24
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    小学生のとき、いざ、自由にやりなさいと言われて、何から手をつけていいかさっぱりわからず、それまで自分で考えることをしないでただ先生の好みそうなものを形だけ整えて提出していただけだったことに気づいて、愕然としたのを覚えている。自分がいかに空っぽな人間であるか思い知らされ、その後も長々と苦悩した。 でもそれは一概に、私個人の能力だけの問題ではなかったのかもしれない。教わっていないのだから、やり方がわからなくてもよかったのだ。この本を読んで少し救われた。

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    投稿日: 2009.11.17
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    大村はま先生のご冥福を、つつしんでお祈り申し上げます。 この本は何回も読みました。 EBMの勉強会をしながら、ポジティブフィードバックだとか、批判のサンドイッチだとかいろんな方法にトライしていたときにこの本を紹介されたのです。 自分は、目先の教育技術だけをみていて、なぜそうすることが必要なのか、をすっかり忘れていました。 大村先生が、生徒一人一人に合った本を選んで渡してあげたという逸話を読んで、僕はしばらくフリーズして身動きも出来なかったのを覚えています。 教育者でなくても、読むべしです。

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    投稿日: 2009.09.24
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    21/7/7 95 掲示板は一日で剥がす>ともかく一度と言うことはいいことだと思うわ。そういうふうにして教室にはピリッとしたところが何処かにないと なんとなく分かるをはっきりと分かるに 常に二つを比べる>カードの振り分け作業>「ことば」の使われ方を分ける 地道な作業の積み重ねが一番大事 教師のもっともいい姿は、新鮮だということと謙虚だ度言うことですよ。 人と比較してみていれば、子供は必ずそれが分かる。伝わってしまいます。そして子供はそういう目で見られることが大嫌いなものです。 書くことも同じですよ。上手も下手もない。役に立つかどうかでもない。自分の心を文字と言うものを使ってそのまま伝わるものにする。書くというのはそういう技術だということ。 自分の思っていることがそのまま相手に伝わる力を持っていないような人が集まって話し合いをしても、民主国家にはならないじゃないか。 一生懸命やりました、という熱気だけに流されない部分を持っていたから、大村教室はバランスが良かった。 生徒に静かにしなさいって言わなければならないようなら、教師として敗北宣言をしたようなものだ。 読書の手引きは子供の心の内側の声になって書くんですよ。 子供を知るというのはとにかく大変なことですよ。教育の仕事で最大のものではないかしら。その力を持たずにいろいろなことをやっても、上手くいかないというくらい。 『教えすぎる」ことと「教えるべきことをちゃんと教えること」との境目が曖昧になってしまった。 覚えるのは何とか覚えるとしても、忘れてはいけないことを忘れないように教えるのが教師。 使命感を単なる精神論にしないための教えることのリアリズムである。

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    投稿日: 2009.07.07
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    教師の私ができることは 「自分で考え、意見を言い、話し合いのできる」 人間が育つ手助けをすること。 それが民主的な社会に貢献すること。 と、この本で思いをまた新たにしました。 (本書166pより) 決して授業をそのままコピーするわけではないし、 といって一般化・抽象化した分析を学術的に示すのではなくて、 両者をつなぐような中間物を作る。 ことに成功している本です。

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    投稿日: 2009.01.05
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    担任に貸して頂いた一冊。 私も大村氏の授業を受けてみたかった。 どんなに充実した授業だったろうか。 うらやましい、と思ってしまった。

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    投稿日: 2008.11.21
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    「教えることの復権」という難しいタイトルだが、中身は対談になっていてしかも難しい言葉は何一つ使われていないのでとても読みやすい。しかし、本の内容が本当にすばらしい。ゆとり教育について様々騒がれているがこれほど問題点を明確にあげている本はなかなかないだろう。教師を目指す人は絶対に読まなければいけない本だ。 これはすごい本に出会ってしまったかもしれない…

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    投稿日: 2008.08.17
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    なんとなく惹かれて買った本。 「大村はま」という素敵な人と出会えた一冊。 教育とは、教えるとは何なのか。 ヒントがたくさん詰まっていました。 こんな先生がいたらなぁと思います。 そのときの子供にあった教材、授業。 子供を知ること。 徹底しています。 ブレない彼女の信念を垣間見ることができました。 とっても勉強になった本です。

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    投稿日: 2008.07.03
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    たまには「教育」についてのお勉強なぞ。 この本で「大村はま」という人物に出会えてよかったです。 私の一番敬愛する先生に似ていたし なによりそれを女性が戦後間もない時期にやったことを尊敬します。 かつて生徒であった苅谷夏子さんの視線で大村先生の授業が描かれていたのも印象深いです。 今の学校教育が甘っちょろいと感じている人には是非読んでほしいです。

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    投稿日: 2007.12.24
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    筆者が国語嫌いだった理由とあたしが国語嫌いな理由が同じだった。国語ってなんか新しいことを学んだ進歩が感じられないのね。でも、この筆者は大村はま先生の授業受けて国語の印象がかわったらしい。あたしもそういう授業に出会いたかった。自覚的な学習者(自分のやるべき課題に気づく、自分を育てる方法をとる)は大村先生の基本的な姿勢がつくったものだとか。それから、『明日もまた教室に立って』と思えるような魅力を、自分の仕事の中に作り出すこと。』ってのが印象的だった。にしても、今の教師は、教えることが仕事ってことを忘れがちなのかもしれない。部活動に熱心になったり、授業準備を怠ったりなど。

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    投稿日: 2007.07.27
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    国語教師として50年以上実践的指導に携わった大村はま。 その大村はまと、教え子の苅谷夏子の対談を中心に、大村の国語指導のあり方について読みやすい形でまとめてある本。 学校教育という形では、他の教師がまねをして実践することがなかなか困難な方法論だと思うが、家庭教師の枠組みの中で、取り入れられるべきところはいくつもあるのではないだろうか。

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    投稿日: 2007.05.25
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    教育とは何か,教師とはなんたるか。 はま先生のような実践ができるようになりたいと思った。 教えない教師にならないよう,使命感を持って教職に就きたい。

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    投稿日: 2007.05.04
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    教えることに関わる人以外にも、示唆に富んだ内容であるように読めた。人との関わりの中で生活する限り、誰にでも「何かを伝える」ということは要求される。この本は「何かを伝える」ということについて反省させてくれる。

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    投稿日: 2005.12.15
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    彼女以上の情熱を持ち、実戦を続け、構造的な理論を持っていた国語教師はそれまでにいなかったし、きっとこれからも現れないだろう。

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    投稿日: 2005.10.26