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カント入門
カント入門
石川文康/筑摩書房
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総合評価

59件)
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    読むのにずいぶん長くかかってしまった。あるていど勢いをつけて一気に読まないと、忘れて意味がわからなくなってしまう。 とりあえず読み終えたけど、カントは時々復習しないと。

    1
    投稿日: 2025.09.08
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    哲学史の本を一通り読み終え、考え方が比較的単純な経験論と合理論はすぐに学ぶ必要はないと思い、歴史的にはこれらの直後に位置するカント哲学を始めるべくこの本に手を出した。 本書はカントの三批判書である『純粋理性批判』『実践理性批判』『判断力批判』について短くまとめたものであり、カント以外の哲学用語や知識も適宜与えてくれる良書である。 例えば ・理性批判の先駆としてのベーコンの「イードラ」(先入観) ・アンチノミー、テーゼ、アンチテーゼといった用語 ・分析的と総合的の意味の違い ・アプリオリとアポステリオリの違い の説明など。 アンチノミーにおける理性を「二枚舌の人」を例にして説明していたり、ヒュームによる因果律に対する懐疑など歴史的な記述もあり、わかりやすい。カント哲学に取り組むなら一冊目はまずこの本で良いと思う。

    0
    投稿日: 2025.08.21
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    このレビューはネタバレを含みます。

    ウィトゲンシュタイン以外の哲学も勉強していかなきゃなー、ってことでまずはカントから。 いや、他にも手は出しているんだけど、自分の思想的に近いところからまずは…。 入門、と名された本書で確かにわかりやすいとは思うんだけど、『純粋理性批判』の部分しか十分に理解できたと言えないかも。 カントの言う「純粋理性」とは、つまり私達は世界の何を正しく知れているのか?という問い。そもそも知覚などの感覚から得ている情報しか知り得ない以上、私達が外界の情報を何も歪めず知ること(認識すること)は出来ない。 これを難しく言うと「物自体」なんてワードが出てくるわけだな。時間や空間を前提に私達は物を認識できないのに、「物自体」はそれを超えた場所にあるかも知れない。「神」も同じように、仮の答えを出すことはできるかも知れないけれど、それはあくまで私達にとっての答え。計算式に使う前提が歪んでいるのに、どうしてそれが正しい答えと言えるのか? こう考えるとウィトゲンシュタインの「世界の限界」は出発点は違えど、形式は似ている気がするね。 うん、まぁ2,3割くらいしか理解できなかったのでまた再挑戦だな。

    0
    投稿日: 2025.08.12
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    『純粋理性批判』を理解するために読んだ。特にアプリオリに関するカントの発見の箇所が印象的だった。 以下、自分の理解用のメモ。 カント以前はアプリオリ(生得的) or アポステリオリ(経験的)であり、アポステリが生得的、つまり人間に自然に備わっているものという前提があった。 しかしカントは、アプリオリのことを、生得的でもなく、経験的でもない「根源的に獲得する」という別の意味を見出した。 根源的獲得とは、一切の先なる所有者および、先なる根源を前提としない概念である。ということは、その判断の客観的妥当性をどのように担保すべきか?という難問が生じる。 もし生得的であるならば、全能な神がその客観性を担保できる。また、経験に依るのであれば、経験世界(客観)からの判断であり、客観性の担保はできる。 このように、アプリオリを生得的ではなく、根源的な獲得としたことが、問題を難しくしたとのこと。 これから原典を理解するのが楽しみになってきた。

    5
    投稿日: 2025.06.09
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    カントはそもそも難しいということがわかった。入門といえど、難しい。著者が伝えようとしてくれていることがわかるが、自身がわかったのかわかってないのか、分からない箇所もあった。強いて言えば、読んでいる中で私の関心があるのは『判断力批判』だと気づいたのだが、『判断力批判』およびカントの触れた美学論についてはこの本ではあまり深く追われていなかったのが惜しかった。

    0
    投稿日: 2024.07.15
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    入門書ではあるが、私には難解だった。平易に記述しようという気持ちは感じられる。しかし用語に馴染みがなかったり、特有の意味が与えられていたり(例えば「自由」や「目的」)しているため、内容がなかなか頭に入ってこない。それだけカントを平易に語るのが難しいということなのだろう。

    0
    投稿日: 2024.03.15
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    「アンチノミー論」を軸とした解説。 「太陽は東から上り、西に沈む」というテーゼと、「太陽は東以外の方位から昇り、その反対の方位に沈む」というアンチテーゼは、どちらも「太陽は地球の周りを回る」という誤った認識を前提としているゆえに、どちらも「偽」である。 これとパラレルな理屈で、第一アンチノミーの 「世界は空間・時間的に始まりを有する(有限である)」というテーゼと、「世界は空間・時間的に無限である」というアンチテーゼは、「空間・時間は世界自体に固有の量である」という誤った認識を前提としているゆえに、どちらも「偽」である。 と証明される。すなわち、空間・時間は主観の性質であって、世界自体に属する性質ではないことが間接的に証明される。 「金星は明けの明星である」というテーゼと、「金星は宵の明星である」というアンチテーゼは、「朝方見られる金星は明けの明星であり、夕方見られる金星は宵の明星である」というように、妥当範囲を限定すればどちらも真である。 これとパラレルな理屈で、第三アンチノミーの 「自由による因果性もある」というテーゼと、「すべてが自然法則によって起こる」というアンチテーゼは、一見矛盾するように見えるが、妥当する範囲を限定すればどちらも「真」となりうる。 人間は英知界(空間・時間から解放された物自体界)と感性界(空間・時間の制約のもとにある現象界)の両方にまたがって存在している。人間は、感性界に属する存在者としては、時間系列の中で「先なる原因」によって制約されている(自由ではない)が、英知界に属する存在者としては、時間の支配を免れており(それゆえに「先なる原因」などはない)、感性界の外から感性界に影響を及ぼすこともできる(自由である)。「自然法則」は現象界において妥当し、「自由による因果」は英知界において妥当するのであり、第三アンチノミーはどちらも「真」である。 と証明される。 カント哲学の理路がとてもわかりやすく書かれている。最初に読むカント入門として最適だと思う。

    0
    投稿日: 2023.10.12
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    哲学初心者の立場から書評を書きます。そもそもカントの存在を知ったのは、本書では取り上げられていないコスモポリタン、あるいは永遠平和という概念におけるカントの貢献でした。そこからカントに対する関心が高まり、じゃあ勉強してみようと思って本書を手に取りました。全体的な印象ですが、「ギリギリ」入門書と呼べるレベルで、そこに著者の並々ならぬ苦労を感じました。内容は非常に興味深く読みました。「血の通ったカント」というキーワードがありますが、まさにカントの人間像までが浮かび上がってきて面白かったです。また本書を通じてカントの哲学についてほんの少しだけ理解が出来た気がしますが、なにか人間礼賛的なポジティブな雰囲気を感じたのは私だけでしょうか。 本書を読んでいて何度か仏教もしくは密教との共通性を感じました。「自由と道徳法則」の章で紹介されていたカントの「善意志」という概念。カントが唯一絶対として認めた善意志は、絶対的全体にもかかわらず人間が到達可能でもあるという。これなどは仏教で言うところの「仏性」に近いのではないでしょうか。真言密教的に言えば「大日如来」がそれにあたるでしょう。密教では、大日如来という絶対的な真理(法)が、色々な形になって世の中に(仮象として)あらわれます。そして大日如来を法身(ほっしん)と呼ぶのに対して、ゴータマ・シッダルタのように真理(法)を体現した存在は応身(おうじん)と呼ばれます。カントについても、本書の宗教論(第7章)では、キリスト教におけるイエス・キリストのような外部の存在は理念そのものではなく、キリスト教の理念は「われわれの理性の内に存在する」と述べています。これなども大乗仏教的に解釈すれば、キリスト教の理念そのものを法身とし、イエス・キリストを応身とみなしていると言えるのではないでしょうか。変な言い方になりますが、「小乗キリスト教」を「大乗キリスト教」に昇華させようとした試み、と言えるかもしれません。そのほかにも密教における理と智(胎蔵曼荼羅と金剛界曼荼羅)、さらには五智の中の平等性智(共通点を見いだす智恵)と妙観察智(相違点を見いだす智恵)などを連想させるような記述もあり、非常に興味深く拝読しました。カントが空海と対談したらさぞかし面白いんじゃないかと勝手に妄想してしまいました。

    1
    投稿日: 2023.04.30
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     すでに鬼籍に入っているカント研究者による、ちくま新書初期のベストセラー。カント代表作『純粋理性批判』は既読だが、僕のような素人が一度や二度読んだところで理解できるはずもなく、またすぐに内容を忘れてしまう。本書のような哲学者の解説書は原著にあたる前に読むのが普通だと思うが、原著通読後に復習することによって、理解と記憶の定着が図られるのではと思う。    本書の白眉は、「カントの仕事の本質は弁証的理性がもたらす欺瞞、すなわち『仮象』を批判することにある」という主張を一貫して保っていることだと思う。この「仮象」という言葉は本書のキーワードであり至る所で出てくるのだが、これにより論理に一本の軸が通され理解を助けてくれる。例えば、 - 空間と時間という本来主観(感性界)に属する性質が、客観的世界(理性界)に属するかのように装わせる「仮象」。 - ある命題が実質的には仮言命法であるのに、形式的に定言命法であるかのように装わせる「仮象」。 …のように、仮象批判の形でカントの理性批判が説明できてしまうのだ。  このような仮象の原因とされる「理性」だが、この理性を有することによって、人間は感性界のみならず理性界(叡智界、物自体)にもリーチできる。まさにそのことによって人間は①自由意志を持って因果を自らスタートさせることができるし、②道徳法則(理性界)を参照して何らの前提もなしに定言命法を行うことができるのだ。本書ではこの2点が同一の図式で示されており、大変理解がしやすいものとなっている。  そして、この自由と道徳が互いに他の根拠であるという「自律」が、他の何にも依拠することなく、原因と結果を一つの連環で繋ぐ「宙吊り構造」を持っていることが強く僕の興味を引いた。ゲーデルやマルクスを扱う知識人の著作(ダグラス・ホフスタッターや岩井克人)にこの宙吊り構造の話が出てくるのだが、この構造は(逆説的ではあるが)脆弱であるが故に強い。全く分野の異なる知識人たちが全く異なるアプローチでこの構造にたどり着いていることに、強い驚きを禁じ得ない。

    2
    投稿日: 2023.03.13
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    ジュニア新書からの推薦本である。入門と書いてあるが結構難解である。学部生がざっと読んで理解できるかどうかがよくわからない。ペテロの話はよく分かったのだが。

    0
    投稿日: 2022.12.15
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    ・肯定的に捉えられる理性に欺瞞的な本性があることを発見。 ・ベーコンが理性批判の先駆。理性は誤謬(イドラ)に陥るし,誤謬や見せかけの真理も生んでしまう。 ・カントが見出したのは,合理的認識や真理の最終決定者である理性には固有の仮象(超越論的仮象)があり,合理性が合理性に反するパラドックスを持ちうること。

    0
    投稿日: 2022.11.24
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    難解なものは難解である。それでも、定言命法や仮言命法については「ちょっとわかったかも!!」という気持ちにはなれるくらいわかりやすく解説されている。 そして、ここらへんがわかってくると後半の道徳や宗教のくだりもなんとなしにわかったような気分になる。 もちろん自分の理解などは浅瀬でチャプチャプした程度で、その道の論客と議論を交わすことなどはとうていできない。本一冊くらいではそんなことにはならない。 けれどもこの読書体験が脳内で熟成され、数年後花開くのだ。

    0
    投稿日: 2022.11.02
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    入門書ですが本当の初心者の自分にとっては難しかったです。新書ですが読み終わるのにすごく時間がかかりました。 理性批判の部分も目から鱗でしたが、道徳についての解説が印象に残っています。 とても重要なテーマだと思うので自分でも考えて、またこの本に戻ってきたいなと思っています。

    0
    投稿日: 2022.02.25
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    カントの考え方を解説しているYouTuberさんの動画で基礎を身につけてから読むのが頭に入りやすいかも。 読解力というものがつきそうなシリーズの人作品であることと、新たな視点を見るために最適ということからかなり面白かった。

    0
    投稿日: 2022.02.13
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    このレビューはネタバレを含みます。

     通常「善」とされている諸々の徳はつねに相対的であり、この善意志を欠けば容易に悪徳に転じる。その証拠に、たとえば「勇敢」という徳も「沈着」という徳も、悪人――たとえば計画的殺人や銀行強盗――にとってはひとつの犯罪を首尾よく遂行するための不可欠の条件なのである。通念ではこれらすべての徳が「善」とされているのは、それらが通常はすでに(暗黙のうちに)善意志を前提にして考えられているからにほかならない。たとえば、わが身の危険をかえりみずに激流に飛び込んで人命を救助する行為を「勇敢」と称するとか、不時着した飛行機のスチュワーデスが乗客を適切に誘導したことを、「沈着」と称賛するように。すなわち、通常の徳は善意志込みで語られており、それゆえにこそ、またそれゆえにのみそれらは善なのである。このことからも、善意志がやはり徳を真に徳たらしめる条件であることがわかる。  ところで、カントは善意志というふくよかな概念を、一転して「義務」という厳しい概念でとらえる。したがって、カント倫理学の出発点をなす善意志は、ふくよかではあるが、同時にやっぱり厳格なのである。なぜそうするかというと、カントによれば善意志は義務という概念に凝縮しているからであるという。このことからも、カントのいう善意志は、よく口にされる安易な「善意」とは異なることがわかる。いわゆる「善意」には快感が前提され(「喜んで〜する」)、場合によってはそれが目的とされるのに対して、義務には少なくとも直接には快感は前提されないし、目的とされることもない(結果としての喜びや充実感をもたらすことはあるが)。この事情を理解するためには、ひとつの思考実験をしてみればよい。そして実験とは、事情をわかりやすくするために、極端なケースを想定して行われるのがよい。今の場合もそうである。なんの不自由も障害もない場合、善はひょっとして快感から実現されることもあるであろう。しかし、一切の利害を離れて、逆境にあってもなお(すなわち、場合によっては自分に災厄がおよび来たろうが)、善を実現するためには、少なくとも有限な人間にとっては、大なり小なり義務感(快感とは逆の感情)が前提され、それをもって臨む以外にはないのである。このことからも、善意志を義務の概念に還元するカントの意志は理解されうる。  われわれにでき、また為すべき唯一のことは、幸福になることではなく、ただ道徳性(徳)の研鑽によって幸福に値する人間になることである、と。道徳が答えられるのはそこまでである。もちろん、だからといって、道徳性が幸福を約束するわけではない。道徳性は意志に懸かっているが、幸福の実現性には意志を超えた無数のファクターが控えているからである。それゆえに、幸福は「希望」に属する問題であり、宗教に託される以外にないものである。そのとき、希望は「信仰」という意味になる。

    0
    投稿日: 2022.01.16
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    「どっかで聞いた気がするカントの説」を体系立ててコンパクトに解説する良書。カント哲学の内容そのもの難解さゆえ、初心の私には一気読みはできなかったけど、ポイント同士を繋げて有機的に解説してくれる筆者の文章のおかげで、朧げながら全体像を理解できた気がする。

    0
    投稿日: 2021.12.13
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    ・仮象批判という視点でカントの思想の全体像がわかりやすくまとまっていた。もっと早くに読めばよかったと後悔した。 ・第4章(真理の論理学)は読む前から予測していたものの、やはり苦手な領域で読むのにかなり時間がかかった。所々読み飛ばしていると思うので、今後時間をかけて理解していきたい。 ・思ったよりすんなり飲み込めなかったのは、自由による因果性のところと判断力、心的能力のところ。特に前者は私の研究テーマドンピシャなので、何度でも読みかつ人に聞いて自分の言葉で説明できるようにしたい。

    0
    投稿日: 2021.09.11
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    カント哲学への挑戦。懇切丁寧に解説してくれているのはひしひしと感じるのですが、それでもとてつもなく難解。何とかかんとか理解してやろうと必死に食らいつきました。 特に「純粋理性批判」の内容に触れている前半部分は、結局何だったのと説明を促されても上手く表現できません。とほほです。また別の本やらネットで復習します。 まだ、「道徳形而上学原論」に触れている道徳感はまだ親しみやすい。自分の実体験として共感できる部分が少なからずあった。第三のアンチノミーは互いに真であるため矛盾が成り立たない、人間は理性と感性の存在様式を有している。そういった観点から論じられていると思っています。仮言命法は「~ならば~すべし」と目的と手段が別個になっており下心がそこにはあり純粋な善ではない。定言命法こそが「~すべし」と義務感を携えながらの真の善であるのだー。あとは、幸せの追求はどこか邪なことで、道徳の追求は幸せを享受するために己を高めることなのだー。とても厳格な生き方だと思いますし、カントの徹底性が表れているとな。 最後の「判断力批判」は全くの初見でついてのがやっと。「合目的性」という概念をもって快・不快の感覚を紐解いているといった感じでしょうか。美は悟性との調和による「目的なき合目的性」という解釈を経て、人間の「共通感覚」へ導いている。さらに昇華された解釈として自然の合目的性から人間自身のうちにある究極目的へとたどり着いている。もう頭がパンクしてしまします。 それでは、「純粋理性批判」そのものへアプローチしてみましょうか。多分な解説を所望します。ふふん。

    1
    投稿日: 2021.08.20
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    この薄さで『純粋理性批判』、『実践理性批判』、『判断力批判』さらには宗教論まで取り上げてくれています。 扱う内容は広いですが、これらに通底する「仮象批判」をテーマにしたことで、うまくまとめられています。 頻繁に参照すべきページが明示されて、復習しやすいのも好感が持てます。 ただ、それでも難しいです。 例えば、まずピンとこないのが用語ですが、「知性」「純粋理性」「理論理性」「実践理性」の違いは何だろうとか、引っかかるところがたくさん出てきます。 著者も「悟性」(P106)や「格律」(p163)といった語を排するなど気を配っていますが、それでも… あと、個人的には直前に読んだのが戸田山和久『哲学入門』の食い合わせが悪かった。 カントの二元論的な考え方に違和感を覚えてしまいました。

    0
    投稿日: 2021.07.24
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    カントの哲学を学ぶことができるだけでなく、カントが理性批判やその倫理学にどのようにして至ったかを学ぶことができる。アンチノミー論を軸として読み解いていくことからカントの理性批判への動向を理解できる。ただし入門と書かれているが、本当に初めて触れるのなら、純粋理性批判の概要や認識論の簡単な知識を頭に入れてからの方が理解が深まるだろう。

    0
    投稿日: 2021.06.23
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    結構難しかった。特に時間・空間の有限/無限のくだりは混乱した。 定言命法、仮言命法はよく理解できた。

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    投稿日: 2021.05.08
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    やー面白かった これ読みはじめて、うわ、これあかんわ、と、フランシス・ベーコンまで遡ったのは、あれは去年の末のほうか?戻ってきて読み終わるまでに半年以上かかってる、、、

    0
    投稿日: 2020.06.29
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    カントの三批判書プラス『単なる理性の限界内における宗教』の内容について、原書の章立てに拘らずに再構築して簡潔に紹介した本。 アンチノミー論を軸に、カントが何を疑問に思い、なぜそう考えるに至ったのかという視点が示されている点が分かりやすく、非常に工夫を感じた。はっきりといえば、本書も十分に難解であり、高校現代文の問題を解いているような気分になることも多々あった(「それ」が指すものはなに?的な)が、完全な迷子にならずに最後までついていけたのは、構成の勝利だと思う。

    0
    投稿日: 2020.04.16
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    このレビューはネタバレを含みます。

    世界は存在しない!時間や空間はない! 相対性理論や量子論などが発見される前に脳の中の思考のみで宇宙の真理にたどり着いたカントがすごい。 カント曰く時間や空間はないものであるということだ。あるとも言えるしないとも言える。ただし絶対的な意味での時間や空間というものはない。 人間から見た時に初めて時間や空間というものがあると言える。 人間は時間と空間に縛られているのであたかも絶対的にあるものと思い全てを考えてしまう。この理性をカントは批判している。これが純粋理性批判である。 どうやって時間や空間がないものであるかを証明したかと言うと、 ①もし時間が無限であるとすると、私たちが感じている今この瞬間というもの以前にも無限の時間が経過していることになる。無限の時間ということは一生たどり着くことのない時間という意味である。それなのに現在という完結した時間がある。そこに矛盾が生じる。 無限なのに辿り着いているからである。つまり時間は有限である。 ②もし時間が有限(始まりがある)であるとすると、その始まり以前には空虚な時間があることになる。何もないところから何かが生じることになる。無から有が生ずることだ。 これはあり得ないことなので、それにより時間は無限であるということになる。 これにより時間は有限でもあるし無限でもあるという矛盾を生じる。時間があるものとして極地まで思考を飛ばすと矛盾を生じる。つまり時間はないのだ。 しかし人間は時間と空間があるものとして世界を認識してしまう。よって人間の理性というものが信用できないということをカントは発見した。 このように極地まで話題を持っていくと理性や言語そのものが矛盾を生じることになる。 日本から見れば北極は北の方角だがもし北極点まで行けばもう北という概念は成立し得ない。所詮言葉も人間が作り出したものなので万能ではないのだ。つまり絶対ではない。 北極点まで達した時点で北という言葉の存在が 怪しくなる。 カントは人間が三次元四次元までの世界に縛られていて、それより高次の次元については思いも至らないということに18世紀に気づいている。 アインシュタインは数学によって時間や空間が絶対的なものではないことをを発見し、カントは言葉によって時間や空間が絶対的なものでないことを発見した。 また、知性の種類を分解していくことによりダーウィンより先に進化論を発見していた。

    3
    投稿日: 2018.12.14
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    やたらと評判がいい本で、先輩にも勧められたし、ネットでも勧めている人がそこかしこにいる。しかし、どうも入門向けにいいかどうか疑問で、類書があるのでオーソドックスな構成で書くのは避けた、という旨のことが書いてあったのだが、入門書として書くのならばオーソドックスな構成にするべきではないか、とどうしても思ってしまう。まあ、内容を評価できるだけの知識はないし、私に哲学的な関心が欠けているからうまく読めないかもしれない。

    0
    投稿日: 2018.10.12
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    「哲学は難しい」というイメージを絵に描いたようなカント。 わたしの経験では、「永久平和のために」は、あっさりと読めてしまったのだけど、主著とされる「純粋理性批判」は、全く歯が立たない。1ページも読めない感じですね。 カント自身による入門書ということになっている「プロレゴメナ」も数ページでギブアップ。 「日本語への翻訳が難しくしているだけで、日常的なドイツ語としてはそんなに難しくない」とか、「インドーヨーロッパ系の言語である英訳で読むと、意味が通じる」みたいなことをいう人もいた気がするが、アメリカで政治思想のコースを取ったときの先生も、「正直言って、カントは何言っているか、わからない」と言っていました。 やはり「カントは難しい」のだと思う。 さて、そういうわけで、「純粋理性批判」を読む日がやってくるとは、思わないけど、どうも、そこが近現代の哲学の出発地点であるようで、いろいろな哲学者がそこに言及しながら、議論を進めることが多いので、まったく無視するわけにはいかない感じがしている。 あと、アーレントの主著を年内に読破するプロジェクト(?)の最後にそびえ立つのは、難解なアーレントのなかでも最も難易度が高いとされる「精神の生活」で、これを読むためには、カントの3批判を理解するのが前提条件となる。というのは、「精神の生活」は3部作として構想されていて、内容的には、概ね、カントの3批判に準じる順番になっているらしい。。 というわけで、新書でカントに入門することにした。 入門といっても、結構、難しい。が、大きな見取り図というか、どういう問題意識をもって、カントがなにを、どう考えようとしていたのかというところがとてもよくわかった。(カントは、思考の結果を本にして、そのプロセスはあまり書かないのでわかりにくいという面があるようですね) 何が問題なのか?がわかると、だいぶ、接近できる可能性が増える感じがする。 なるほどと思ったら点はいろいろあるが、1点だけ紹介すると、「純粋理性批判」でやろうとしていたのは、形而上学が、考えることができる領域とそうでない領域を線引きしたこと。 カントの時代には、論理的に考えれば、なんでも理解できるという思想が主流だったらしい。その中心のヴォルフは、同一律と矛盾律。つまり、A=Aというロジックですべては説明できるという考え。 一方、カントは、ロジックをどんどん遡っていくと証明不可能な命題にたどり着くと考えた。 たとえば、「世界は空間・時間的に始まりを有する」ということは説明できない。 というか、その反対の命題「世界は空間・時間的に無限である」と同様にどちらも正しいと論理的に証明できてしまうという矛盾。 カントは、この問題は、空間・時間のなかにいる我々にはもともと説明できる範囲を超えた問題であると考える。 こうした線引きをすることで、いわゆる「物自体」はわれわれの認知の範囲外であり、知りえない。われわれは、認知の限界の範囲で哲学すべきである、ということのようだ。 これによって、伝統的な形而上学のお題だった「神」「自由」「魂の不死」は、学問としての形而上学から排除されることになった、そうである。 そういう話だったわけか!!! と驚きつつ、それって、ウィトゲンシュタインが「論理哲学論考」でやったことと同じじゃないの?という疑問もわく。 ウィトゲンシュタインが「哲学的な「問題」への最終解答」と言っていたのも、「語り得ること」と「語りえない・沈黙すべきこと」を峻別することのはず。。。 カントがずっとさきにこの峻別を行なっていたとするなら、ウィトゲンシュタインの「論理哲学論考」がどうしてそんなに衝撃的だったのか、どこが新しい発見だったのかがわからなくなった。 まあ、そんな感じで、まだ、カントの著作を読む気力はないが、カント関係の入門書を将来の読書リストに入れておくことにする。

    1
    投稿日: 2017.07.31
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    入門とはいっても敷居は決して低くないので、事前に予習が必要。こちらでカントの思考過程を踏まえれば、三大批判書にもチャレンジできるはず。少しずつ高みを昇るべし。

    0
    投稿日: 2017.04.17
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    たいていのカント入門書は『純粋理性批判』の構成通りに解説が進んでいくが、この本はアンチノミー論(超越論的弁証論)を軸にして進んでいく。この構成のおかげで、カントがなぜ超越論的観念論という一見奇妙にも思える主張をしたのかがよくわかるようになっている。すぐれた入門書といえる。

    1
    投稿日: 2017.01.30
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    カントの入門書として分かりやすいと聞いたので読んでみた。 「二律背反」という、聞いたことあるけど、あんまりよく分かってないことについて理解が深まった気がする。 ただ、一度読んだだけでは、理解しきれていない感が否めない。 また、再読するか、他のカントについての本を読む機会を持つ必要を感じた。 けれども、難解なことを要点をつまんでできるだけ分かりやすく理解させようとしている点で、やはりカントへの入口としてはいいのではないかな、と思う。

    1
    投稿日: 2016.06.04
  • カント哲学の入門書として最適

    カントの考えていたことを、著者による豊富な具体例とともに紹介しています。 初心者にも分かりやすいように書かれており、楽しめました。 ただ、道徳というものが具体的に何なのかよく分からないまま話が進んでいました。これは各時代によって異なるものだったから触れなかったのか、そもそもカント哲学の性質なのか・・・。

    2
    投稿日: 2016.04.01
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    カントを通して、目的と手段のエセ関係と根本目的を学ぶ。本文に回心とあるような、哲学する醍醐味を存分に味わった。たしかに生きることに厳格な哲学だ。真の批判だ。 ・哲学においては定義は出発点ではなく、むしろ目標とすべき終着点。 ・根本真理は原理的に証明不可能。 ・アプリオリは先天的と訳すのではなく、経験に由来しないという意味。 ・仮言命法と定言命法。 ・定言命法は有限な人間にあっては、大なり小なり「~にもかかわらず」という意識を伴う。 ・道徳法則は、その起点(理性)から落着点(感性)の方向において命法となる。 ・悪への性癖は英知的所行。根源的である自由に基づいているから。 ・現代的意味とは何であろうか。現代的意味があればあるほど、束の間の意味しかないということ。現代的意味を問うパラドックス。もし、ある哲学が時代の制約を受けながらも、どの特定の時代にも拘泥せずに営まれたものであるとすれば、その意味を問う者は時代を超えたスケールをもってしなければならない。

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    投稿日: 2016.02.17
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    このレビューはネタバレを含みます。

    ヒュームの著作と純粋理性批判を読みたくなった♪ カントがヒュームとルソーに大きなトリガーを得ていたなんて・・・どちらも自分の好きな思想・理論の持ち主だったので、なおさら衝撃的でした^^ 因果律として捉えるメカニズムって、本当にア・プリオリなのでしょうか?ん~、純粋理性批判を読もう!(^_^)

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    投稿日: 2015.04.24
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    大学1年だったか浪人生の頃、カント哲学(倫理学的な意味においての)を知った。 功利的な利益衡量に陥らない、頑として厳格な義務論を貫く姿勢(勿論万能ではないし「使い所」があるのは承知している)、何よりも、「人間への尊敬」、「汝の人格および他のすべての人格の内に存する人間性を、つねに同時に目的として扱い、決して単に手段として扱わないように行為せよ」という定言命法の異常な格好良さに圧倒的衝撃を受けて以来大好きに。 卒論もカントで書きました。 ※例えば殺人事件があったとき、殺された人間がいかに人格の好い人物であったか、いかに周囲の人が悲しんでいるか、という報道があったりする。でも、それ(周囲の感情)を以って殺人への批難を強調する論法は絶対間違ってる。 それは、周囲から疎んじられていたような存在であったら、身寄りがなく、亡くなっても悲しむ人が誰もいないような人であったら、犯人への有責性は軽くなる という主張と表裏一体でしかないから。 どちらにしても周囲との関係性で生命の価値を決定している。社会的な地位、性格、他人や社会にとっての有益性、周囲との関係、そんなものが人間の価値を決定するのではない。 …というような考えの持ち主なのでカントは大好きなんだよ… ※何の学であれ、根底に「人間への尊敬」がないのなら、そんなもんは研究者気取りの自己陶酔、自慰行為にすぎないと思ってる この辺は『トニオ・クレーゲル』と通ずるもので。所与の態度から100%尊敬しているようなものではなく、もっと色々な葛藤の末、絞り出すようにあるようなものだけど。 (まだ途中)

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    投稿日: 2015.02.01
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    2007-08-09 西洋人がやたら好きなカント. この本は日本で数少ない,カント関連の新書本. 僕は好きになれないなー. まあ,カント自身は時代も古いので,現在の私たちの一般的な哲学感,科学感からすれば,とめどなく古典であり, すでに上塗りされた過去の所産だと僕は思います. 当時の異様な人間理性に対する盲信を前提にしないと,僕の感覚では,とてもじゃないけど, カントの教えを積極的に有意義なるものと捉えることが本書を読んで出来ませんでした. 日本人は何かというと,哲学といえば,前提も世界観もなにもかもが日本人とあまりにちがう,西洋思想を読んでは「哲学感」に浸る. しかし,僕はあまり昔の西洋哲学の偉人の言うことにどっぷりはまることはお勧めしない.時代背景や技術の背景がまるで違うことを意識すべきでしょうね.

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    投稿日: 2014.12.31
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    カントの三批判書および宗教批判を順に見ていく、順当な本。 純理の導入部などは、かなり記述を工夫したようである。コンパクトにまとめた労作。

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    投稿日: 2014.07.09
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    18世紀を代表する哲学者、イマヌエル・カントの入門書として名高い一冊。 純粋理性批判を中心に、実践理性批判、道徳的形而上学などを細かく読み解いていく。特にカント哲学の主題である「理性の二枚舌」を解読してみせる前半部分は時間を忘れて読みふけった。 マルクス主義の崩壊や、それに伴うヘーゲル学派の衰退など、現代のドイツ哲学はなにかと逆風を受けている印象が強い。それでも偉大な哲学者はやはり偉大なまま現代に残るのだと確信できる内容だった。

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    投稿日: 2014.06.06
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    「厳格」といわれるカント哲学を,カントの思索に沿って(少なくともそれを意図して)書いた本.膨大なカント哲学の体系の一部ではあるが核心を記述しようとしているところが,入門者としてはありがたい. 理性が宿るのは「自律」にこそであるという.またそこにこそ道徳は存在する.人間存在に対し非常に厳格なことを要求しているように感じるが,(いや間違いなくそうだが)その意図は指針であり,「道」を提供することにあるのだろうと感じた. しかし,批判哲学の誕生の契機としてカントの「回心」があったこと,仮象を見破るためには「転回」が必要なことからも,その「道」という言葉から連想される普段の取り組みだけではなく,まず "振り返る" ," 転回" するというところに核心があるのだろう. 間違いなく,人生に影響を与える考え方を学べた. この本自身は新書であるし,やや議論が性急でわかりづらいところもあったが,もっともっと知りたい学びたい考えたいと思える,素晴らしい良書ではないか. 少なくとも,哲学「入門(したい)」者としてはそう感じた.

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    投稿日: 2012.10.06
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    入門できなかった。 わかった部分とわからなかった部分があった。 けど、わかった部分はすごくわかった。 いつか、この内容が理解できるように他の本も読んでみる。

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    投稿日: 2012.08.11
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    カント研究の第一線で活躍する研究者によるカント哲学の全体像の解説。『純粋理性批判』の内容を、カントの着想を得た順番に従って、アンチノミーの説明から解きほぐしていくなど、難解とされるカント哲学の内容を簡潔明瞭に伝えようという著者の意図がよくわかる。そしてそれが成功していて、カント入門としてはこれ以上ない内容となっている。

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    投稿日: 2012.05.17
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    とっても面白かった! 表紙紹介文 『・・・・・・「血のかよったカント」――それは文字どおり「脈打つカント」である。「脈」とは内部から発動する鼓動であり、思索するエネルギーの象徴にほかならない。・・・・・・本書はその「内面のドラマ」を描写する試みである。・・・』 まさに内面のドラマ。 最近頭使って生きてなかったな、と思わせられた。 とても読みやすかったし、ややこしいところも、読み返せばなんとかついて行けるレベル。 何よりカントさんに愛しさが芽生えました^^ 入門としてはすごく良かったと思う。 こっからもっと、カントさんとお近づきになっていきたい、と思えたので。

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    投稿日: 2012.02.25
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    独自に言葉でわかりやすい カントの本で一番わかりやすい 良心を求めた人物 理性を、限界を、人間を真に求めた人なのだろう

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    投稿日: 2012.02.22
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    このレビューはネタバレを含みます。

    仮象批判 「独断のまどろみ」p40 仮象とは、主観的なものが客観的なものと混同されることによって生じるものである。p41 因果律(因果法則とも因果性ともいう)とは、原因と結果とを結ぶ法則、すなわちしかるべき結果はしかるべき原因による、という法則である。p42 「ア・プリオリ」とは経験に由来せずに普遍性と必然性をもつという意味(反対に、経験に由来し、特殊的で偶然的であることを「ア・ポステリオリ」という)p42 「仮象の論理学」と呼ばれる弁証論 p60 彼が最後まで維持し続けた有名な哲学概念の二区分がある。p70 ひとつは「学校概念の哲学」であり、もうひとつは「世界概念の哲学」である。 カントのコペルニクス的転回 「[われわれの]認識が対象に従うのでなく、むしろ対象の方がわれわれの認識に従わなければならない」p77 【第一アンチノミー】 テーゼ: 世界は空間・時間的に始まりを有する(有限である)。 アンチテーゼ: 世界は空間・時間的に無限である。p80 カントのもたらした多くの発見や、アンチノミーの解決は、基本的に、対立する二項を超えて第三項を措定することによって成り立っている。p95 「デウス・エクス・マキナ」=困ったときの神頼み p120 カントは善意志というふくよかな概念を、一転して「義務」という厳しい概念でとらえる。p141 条件付きの命法- 仮言命法 無条件な命法- 定言命法 「道徳法則への尊敬の念」 【定言命法の根本方式】 「汝の意志の格律がつねに同時に普遍的立法の原理となるように行為せよ」p163 「自由は道徳法則の存在根拠であり、道徳法則は自由の認識根拠である」(『実践理性批判』、序文)p174 【心的能力の体系】 (1)= 心的能力 (2)=上級認識能力 (3)=原理 (4)= 適用範囲 ①認識能力→悟性→合法則性→自然 ②感情(快・不快)の能力→判断力→合目的性→技(技術、芸術) ③行為能力(欲求能力)→理性→究極目的→自由 p188

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    投稿日: 2011.12.07
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    カントの哲学が難解と言われているのであれば、この入門書はその難解さを良く噛み砕いて書いてくれている良書と思われます。理性を批判の対象にしたこと。アンチノミーの解決にあたって、解明すべき物、それ自体と思われていた対象が実は現象にすぎないということをを発見したこと。(もっと重厚な意味で)美、道徳についての掘り下げ方がおもしろく理解できました。読む前の予備知識としてウィキペデアを見ておくのも良いかもしれません。

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    投稿日: 2011.10.30
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    (たぶん)難解と言われるカント哲学だが、単なる「物語」に陥ることなく (おそらく)入門編としては十分な手がかりをしっかり作ってくれる良い本だと思った。文章もしっかり構成されており、著者が情熱を込めて書き上げたのだなという印象を受ける。 内容については、確かに現代からみるとツッコミたくなる点もあったのかもしれないが、後書きに書いてあるようにそれを現代の知識で補完したつもりになっただけでは、新しい知識が出るたびに同じことの繰り返しとなる。時代を超えて存在するコモン・センスとは何か、に思いを馳せながら、エッセンスを吸収することが、今後哲学古典を読む際には必要なのだなと知ることができた。 ★5つつけてもいいが、今後のコレ系の本のベンチマークとしたいので、一旦★4つにしておく。

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    投稿日: 2011.08.19
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     初カント。睡魔と戦いつつ読んだところ、なるほど『カント』の入り口としては入り込みやすかったと感じました(睡魔云々言った手前説得力皆無ですがっ)。いつか書店で手に取るだけ取って結局棚に戻した『純粋理性批判』だけでも数冊に渡っていたので、相当気を遣って要点を掻い摘んだのではないでしょうか。  ただしそれでも本当に集中していないと、気がつけば目が文字の上を滑るだけになっているので、もう一度、今度はノートにでもまとめつつ読み返したい本です。個人的には過言命法(「もし~ならば、~すべし」)と定言命法(無条件な命法)の区別(仮象道徳と真の道徳)や、『道徳法則への尊敬の念』の話がとても興味深かったです。いずれちゃんとしたカント哲学について読んでみたい……!

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    投稿日: 2011.08.04
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    哲学の基礎知識が不足していたためか、難解でした。初心者はもう1冊読んだ「純粋理性批判入門」のほうが理解しやすいと思います。 認識論はとても興味深い。誰でも自分の見えている世界は存在するのかと考えたことがあるかと思います。カントは現象と物自体で論理を展開していきます。素朴にあると思っている世界が様変わりするのは痛快です。考え出すと眠れなくなります。

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    投稿日: 2011.07.09
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    これ読んでるとき、今カント読んで意味あるのだろうか。なんてずっと考えながらでした。 初カントだったのですが、入門書としては最高だと思います。 新書という紙面の限られた情報ですが、一人の学生として読む価値があったと思いました。 近々、カントに影響を与えたエミールを読みたいです。

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    投稿日: 2011.04.26
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    読者に理解しやすいよう、カント哲学を丁寧に説明しようとする著者の努力はよく分かるが、著者自身「むすび」で「カントは新書スタイルにはなじみにくい」ために苦労したと告白していることにも伺えるように、カント哲学の本質を初学者に分かりやすく伝えることはあまり成功していないような気がする。 カント哲学を紹介するにあたって、アンチノミー論を導入にもってきたことは、非常によいアイディアだといえるだろう。ライプニッツ=ヴォルフ学派からのカントの離反についてきちんと説明されている点や、著者のいう「法廷モデル」に基づく立ち入った解説がされている点も、高く評価できる。 他方で、カントの批判哲学が、「可能性の条件」の探求であったという点についての説明が十分でないように感じた。とくにカントの理論哲学の解説では、演繹論や原則論についての説明が弱いことは否めない。カントの理論哲学は「認識の可能性の条件」の解明をめざしたものであり、道徳哲学は「道徳の可能性の条件」の解明をめざしたものだ。カント哲学の入門書に求められているのは、こうした問題設定を読者に納得させることではないのか。 そうした観点からいうならば、本書は、岩崎武雄の『カント』(勁草書房)や黒崎政男の『カント『純粋理性批判』入門』(講談社選書メチエ)ほどゆきとどいた解説がなされているとはいえない。とはいえ、それらの入門書とはべつの観点からカント哲学を解説したものとして、本書の意義は認められてよいだろう。

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    投稿日: 2010.11.03
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    理性が人間を騙す。それは避けられないことだけど、人間はそれをよく考えることで乗り越えることができる。何が正しいか、わかることができるんだって。

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    投稿日: 2010.10.24
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    よくわからんというのが本音。まだまだ自分の知識が足りないのか、書いている内容が難しすぎるのか。それより何でこれを読もうとしたのか思い出せない。とりあえず、もう一度きっかけと目的を見直して再読しよう。

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    投稿日: 2010.10.17
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     ちくま新書の哲学者入門書シリーズのカントを読んでみた。カントは『純粋理性批判』という有名な著書しか知らなかったが、今回この本を読んでみて、ある程度はその本の名前の予想通りだったが、意外な部分もあった。この本はカントの思想の流れをつかむために、カントの人生を辿るように時系列的に書かれており、この書き方が分かりやすくておもしろかった。    カントは主に1700年代に活躍した哲学者であり、以前に読んだフーコーやバタイユよりも前の時代に活躍した哲学者である。『純粋理性批判』という言葉通り、われわれが万能であると考えている理性が嘘をつくということを指摘した哲学者である。一見正しいように思えることが、実はそうではないということが多くあり、それをカントは「仮象」と呼んだ。例としてはコペルニクスが発見した地動説がある。一見、太陽が級の周りをまわっているように見えるが、実際は太陽は静止し、地球が太陽の周りをまわっている。このような仮象が、理性が誤謬を生む一つの原因となると指摘した。  また、理性が誤謬を生むことの原因として、4つのアンチノミーを挙げる。このアンチノミーというのはパラドックスと同じ意味で、二律背反のことである。ここで挙げられるアンチノミーは、時間・空間は有限か、無限かというものや、すべての物事は必然であるという運命論的な考え方と、物事は自分で決められるという自由的な考えの対立である。  第一の時間・空間に関しては、時間・空間はもともと量を持たない概念であり、どちらの命題も偽であるという結論であった。つまり、われわれが認識する物事は必ず何かしらの量を持っており、そのことから時間・空間に関しても量があると考えがちであるが、それらは量を持っていないということである。この結論は自分にとってかなり意外なもので、いまいちしっくりこなく、なんだか騙されているような印象を受けたが、このように説明づけると矛盾することがなく、正しいのだと思う。  また、運命論と自由論についてはどちらの主張もある程度正しく、これは適用範囲の問題であるという結論であった。これは当然の結論であると思った。普通に考えればそのような結論になると思う。それともカントの時代はかなり新しい考えだったのだろうか。  カントの思想に対して、なぜだかは分からず漠然とであるが、かなり厳格でストイックなものだという印象があったのだが、道徳法則に関するところを読んでその通りであることが分かった。道徳法則に関することは全てが「~べし」・「~なかれ」という命令形で記述され、義務的なものである。例えば、「正直であれ」・「嘘をつくなかれ」等である。このような命令文の方式を「命法」とよんだ。カントは更に、無条件の命法を定言命法、条件付きの命法を仮言命法に分類し思考を進める。  カントが言うには、仮言命法は道徳法則を教えるのに非常に理解がしやすく便利であるが、同時に強い副作用を持つという。例えば「人に親切にされたければ、自分も人に親切をしなさい」という仮言命法は子供に説明する際も、なぜ親切をしなければならないかという説明が与えられているので教えやすいが、同時に「人に親切されなくてもよいならば、自分も人に親切にしなくてもよい」という理屈が成り立つ。仮言命法には、このように道徳の根拠が自分の利益等という下心に結びつく「エゴイズムの原理」が隠れており、普遍的妥当性を持たない。この意味で、仮言命法はア・プリステオリなものである。  対して、定言命法はその根拠が示されていないため、教えるのが難しく、そのような行動をとるのは非常に難しいものであるが、普遍的でア・プリオリなものである。またそのような行動は、ペテロの例をみるように、非常に強い「道徳法則への尊敬の念」を喚起する。  以上のような意味で、仮言命法による道徳法則は絶対的な「善」ではあり得ず,定言命法による道徳法則こそ「善」であるとした。このように道徳に関しての考え方が、カントに対する印象を厳格なものにしているのだろう。  他にもカントが理性批判において良く用いた思考法である「法廷モデル」等、興味深いことが沢山あったが、ここで挙げることができない。自分の文章力がもっとあったらと思う。ただ、カントに関して物足りないと思ったのは、道徳に対する根本的な批判が少ないことである。後に、ニーチェなどがそれを批判していたようなので、次はニーチェ入門を読んでみたいと思う。

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    投稿日: 2010.09.19
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    [ 内容 ] 真理の最高決定機関であるはずの理性が人間を欺く二枚舌をもつとしたら、一大事ではないだろうか。 この理性の欺瞞性というショッキングな事実の発見こそが、カント哲学の出発点であった。 規則正しい日課である午後の散歩をするカントの孤独の影は、あらゆる見かけやまやかしを許さず、そのような理性の欺瞞的本性に果敢に挑む孤高の哲学者の勇姿でもあったのだ。 彼の生涯を貫いた「内面のドラマ」に光をあて、哲学史上不朽の遺産である『純粋理性批判』を中心に、その哲学の核心を明快に読み解き、現代に甦る生き生きとした新たなカント像を描く。 [ 目次 ] 第1章 純粋理性のアイデンティティー 第2章 カント哲学の土壌と根―批判哲学への道 第3章 迷宮からの脱出―第一アンチノミーの解決 第4章 真理の論理学―経験世界の脈絡 第5章 自然因果の彼岸―自由と道徳法則 第6章 自由と融合する自然―反省の世界 第7章 理性に照らされる宗教 [ POP ] [ おすすめ度 ] ☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度 ☆☆☆☆☆☆☆ 文章 ☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー ☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性 ☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性 ☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度 共感度(空振り三振・一部・参った!) 読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ) [ 関連図書 ] [ 参考となる書評 ]

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    投稿日: 2010.08.16
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    2010.8.8 いろんなところに顔を出すカント。ちょっとだけ分かった気がした。 批判哲学。アンチノミー。物自体。合目的性。 いや、でも分かってないな。新しい単語と場合分けが多くて覚えきれない。

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    投稿日: 2010.08.08
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    カントの『純粋理性批判』の構造をとくにアンチノミーの解説から説き起こし、自由の問題、宗教の問題、とくに法廷モデル・合目的性など、たいへん面白くよんだ。カントの入門書には最適かもしれない。カントの革命的な部分、理性批判がよく分かる。のちのニーチェなどとも関わる部分であろう、また、因果律と自由と、物理的世界観と定言命法や道徳律への尊敬の念から語っているところは朱子学の理気二元論との共通性を感じる。二律背反で理性が破綻するところは、中国思想に通底する二元論にも関係すると思う。

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    投稿日: 2010.06.20
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    カントの思想内容や思考手順が、 非常に丁寧に整理されていたように思う。 わかりやすかった。 ただ残念ながら、一読では十分な理解ができない。 うー、難しい。

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    投稿日: 2010.01.19
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    正直カントは意味がわからなかった。 純粋理性批判もプロレゴメナも、 何回読んでもまるで理解できない難解さである。 それが本書で氷解した! なるほど、彼がどれほど革命的なことを成し遂げ 西洋哲学史の上に金字塔を打ち立て 全ての哲学の基礎になっている意味がようやくわかった。 そうは言っても入門書であり まだまだカントを理解したとは全然言えないのだろうけれど 入門書としては白眉の出来。 あれほど難解だったカントが手の届く位置に来てくれた。 ああ、助かりました。 これで先に進めます。 カントを脱落した全ての人に、是非。 カントは怖くないよ!

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    投稿日: 2010.01.09
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    人間の理性は対象をどのように認識するのかという問題を認識批判という試みから難題に挑んだカントはやはり偉大だとおもう ヴィトゲンシュタインの影響で、形而上学的価値に抵抗感あったけど そんなことないお!!!

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    投稿日: 2009.10.14
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    『純粋理性批判』を世に残したカントの入門書。 テーゼとアンチテーゼについて比較しているところが、理解し易かったから、入門書としては取っ掛かりやすいと思う。哲学書は、コメント書きづらいので、印象に残った一説を載せる。 『四角い円はまるい』『四角い丸は円である』どちらも偽だから、これは空集合なのである。

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    投稿日: 2008.05.24
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    カントの現代的意義が少しも述べられていないため、ちっとも興味がわかない。そういう書き方こそが新書的なのではないのだろうか。

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    投稿日: 2005.05.08