
総合評価
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powered by ブクログ行ったこともないフィリピンの山の風景が頭に思い浮かぶ文章。私の頭では、なぜか景色が全て夕焼けでイメージされる。
0投稿日: 2025.12.04
powered by ブクログ戦時中の極限状態に置かれた人間の尊厳について。 生々しいが、エネルギーも凄まじい とてつもない反戦小説
0投稿日: 2025.11.20
powered by ブクログ気になりつつも敬遠していた一冊。この本を読んだ後だとどれだけお腹がすいてなくても何も食べないという選択をとることが躊躇われてしまう。戦争という特殊な環境下ではあるが本当に食べるものがないという状況になった時、人間はどうなってしまうのかをよく考えさせられた。
1投稿日: 2025.09.14
powered by ブクログ読書会の課題本として読む。人肉食の本として名高いこの本、なんとなく敬遠して読んでいませんでした。今回は課題本のため仕方なく読みました。戦記文学ではあるものの、ほとんど敗走のシーンの記述。病院に入院を余儀なくされるも、病院も攻撃されて逃走ジャングルの中をさまよう歩く。たまに友軍一緒になったり1人になったりしながら最後に上に苦しんでいるところ人肉を猿の肉として与えられて生き延びると言う話であった。冒頭部分は作者大岡昇平が病院で田村と言う軍人に遭い、その話を田村本人に小説として書けと言って書いたと言う体裁をとっている。 自然の描写とフィリピンの風俗が少し出てきて、キリスト教や仏教も少し顔を出す。 戦争とはなんであったのかを咀嚼するために書かれたのであろう。また、銃後の人々に戦争を伝えるために書かれたのであろう。映画「ゆきゆきて神軍」を思い出した。
3投稿日: 2025.08.28
powered by ブクログ映画は市川崑監督版と塚本晋也監督版を両方とも観ている。戦場の悍ましさの表現に身震いしたものだが、原作は文字だけなのに映像以上の惨さを感じさせるからすごい。 作者さんの実体験が反映されているからこその力強い文章のせいかもしれない。田村一等兵の心理描写の巧みさに唸り、彼の目を通した戦場の実相に目を背けたくなった。 田村の思索の変遷をとおして、想像を絶する環境下において、人間は果たしてどこまで人間性を保ち得るのだろうかという問いを投げ掛ける。そのボーダーラインとして、カニバリズム(人肉食)が登場する。 本能を宥める理性の存在が人間を動物とは一線を画す生物たらしめていると何かで読んだ気がするが、己の生存こそ第一義の状況では理性など簡単に崩壊してしまうのか。 人肉食を豆粒ほどの理性で踏み止まった田村であるが、「猿の肉」と騙されて人肉を口にしてしまっているのもまた事実。知らなければ、分からなければ、大丈夫だ…となってしまうのか。否、そうはならないのか。 人間性についての問い掛けは「生と死」の問題にまで踏み込んでいき、考えれば考えるほど、状況が極限過ぎて思考が及ばず、迷宮に迷い込んだような気持ちになった。 おそらく「人間性」というものは宗教の教祖みたいなもので、それに無意識の内に縋って生きているのが今の日常。理不尽や悪賢さこそが正義となる地獄のような戦場では神も仏もあるものかとなるのと同じで、人間性など糞の役にもたたず、ドブに捨てなければ生きることも死ぬことも難しくなる。 これこそが人間の本質なのだろうか。それとも、戦争によって狂わされた結果なのだろうか。どの登場人物の言動や行動にも納得出来てしまうのが本当に恐ろしい。日常に照らし合わせれば異常に思える行動も、なんら特別なものではないのかもしれない。 答えは出ない。当たり前だ。真に体験しなければ分からないことだろう。だが、こんな経験をしたい者などいないはずだ。戦争などするものではないのだ。なのに、何故世界から戦争はなくならないのか。ますます答えは出ない。本作が、極限状態における人間性について描いた実験的小説であることは確かである。本作のテーマについて考え続けることが大切なのかもしれない。この深みこそ文学作品の醍醐味だと改めて感じた。 [余談] 巻末解説が難しくて何を言いたいのかいまいち理解出来なかった。本編より難しい解説ってどうなのよと思ったが、いや待てよ、己の読解力が無いだけだろうと思い直した。読解力の向上を目指そうと決めた。
28投稿日: 2025.08.26
powered by ブクログこれが人肉食の話だったか。少し油断をしていた。猿の肉を言葉通りに受け取っていた。大岡昇平は「俘虜記」か「レイテ戦記」を読んでいると思うのだが、全く記憶に残っていない。レビューも書いていない。本そのものも探してみないとどこにあるか分からない。あまり興味のない戦争ものでありながら素直に読むことが出来たという印象だけがあった。最近、読書会などでお世話になっている高校時代の先生が、高校生に対して半年ほどかけて本書に取り組んだことがあるという話を聞いた。それで読んでみることにした。通勤途中に細切れで読んだり、合い間にハン・ガンを読んだりもしていたのだが、そのわりにはけっこう中身が印象に残っている。イモは生で食べられるのだろうか。水にさらすとかしなくていいのか。水は豊富にあるから生きていけるのだろう。しかし塩分も必要だ。で、塩分が不足して、海水を飲むということもあるのか。海水を飲むと余計にのどが渇くということも聞くが。魚は捕れなかったのだろうか。自分の血を吸ったヒルを食べるというのはちょっと自分には無理だろうな。しかし、どうしようもない状況なら食べられるのか。拳銃は国家によって持たされたわけだ。女が大きな声を出したから、撃ち殺してしまったのだ。自分の責任ではない。確かにそういう言い方ができるかもしれない。が、撃たないという選択肢もあったはず。自分だったらどうしたか。植物も動物も生きているものを殺して食べている。死んだ人を食べる方がまだマシである。この発想も、そう言われればそう思えてくる。しかし、殺して食べるというのは論外ではないのか。猿ならいそうな気がしたので完全にだまされてしまった。結局、主人公は人肉と分かった上では食べていないということなのだろうか。そうだから許されるというわけか。そう言えば、村田紗耶香の「生命式」では、人が死んだらみんなで鍋を囲んでその人の肉を食べるのだった。そういう日がいつか来るなんてことは万が一にもないだろうな。
1投稿日: 2025.08.23
powered by ブクログ身体的・精神的極限状態下での、生存本能と理性の葛藤や、巨大な神の存在への意識、といった思考を追体験するような作品。
0投稿日: 2025.08.11
powered by ブクログ大体のあらすじは知っていたが、改めて読むと重い小説。 ごく平凡な中年一等兵である田村が孤独な極限状況に置かれる事で人を殺し、人肉を食べたいとまで感じる。 戦争という特殊な状況がそうさせる、と読める一方で現代社会でも人間は状況によっては何をするかわからないとも言える。 人間の恐ろしさ、そして極限状況で踏み止まる理性。左手が右手を抑えるシーン。 人間とは何か、難しいテーマだ。
5投稿日: 2025.08.11
powered by ブクログ敗戦間近のフィリピン、レイテ島で。 結核にかかった田村一等兵は、中隊も病院も追い出される。理由は食糧不足である。 もう一回病院に行ってこい、入れてもらえなかったら死ね、何のために手榴弾を渡してあるのか、と中隊長。わずかな芋を渡されて田村は中隊を出た。 いずれ死ぬしかないだろう。 しかし、死ぬまでは自由だ。 行く先がないという自由。生涯最後の幾日かを軍の命令ではなく自分の思うままに使える。 島はすでに、ほとんど米軍に制圧されている。田村は発見されないよう、林の中を進んだ。 野火を見る。地元の人たちが畑で籾殻を焼く火か。敵の場所を知らせる狼煙なのか。 どちらにしても、あそこには人がいる、と思う。孤独な田村は、敵に見つかる危険とともに人懐かしさも感じる。 フィリピンの自然の描写がとてつもなく美しい。緑豊かな林、流れる湧き水。海岸線。 そのあちこちに、パンパンに膨れ上がった日本兵の屍体が転がっている。 天国と地獄を同時に見るようである。 やがて激しい飢餓に襲われる。 田村は自分は死ぬだろうと考えながらも、窮地に陥れば恐怖に慄き、敵の攻撃が来れば体は反射的にかわし、島民に発見されれば銃を向ける。 生きたいのか、死にたいのか。絶えず矛盾と戦っている。 瀕死の狂人と遭った。将校らしいが武器は持っていなかった。 「俺が死んだら、食べていいよ」 彼は神だったのだろうか。 ーーーーーーーーーーー 平成二十七年 五月三十日 百十刷 読み続けられている。
10投稿日: 2025.08.08
powered by ブクログベルクソンは内的世界に純粋記憶なる制約を与えて、自由を外的世界に見い出した。 この知性主義ともとれる考えを、死を認識した主人公は、本能による動物的な嗅覚でこれを単なる美徳だと感じたらしい。 対して主人公は不自由な外的世界を偶然と言い換え、そこから生まれる思考を自由のままにした。権威に対する思想、現実に対する神も同じところである。 この「自由」を信じ、実践することで得た儀式のゆえに、彼は精神病の烙印を押されてしまう。しかし、これは戦争の熱に浮かされた者の錯乱だと言い切れるだろうか。 思うに、我々がそう言えないのは、現代の日々の中に戦争の観念があり、徴候を感じとっているからである。 生に不自由の意味を与えて、死が自由となり得る儀式を再び行おうとしているのではないか。 反戦という言葉の重量がまた増した気がした。
4投稿日: 2025.07.17
powered by ブクログ高橋源一郎の「ぼくらの戦争なんだぜ」の中でかなりのウェイトで引用してあり、戦争を描いた著作として最も有名な作品とのことだったので、気になって読んでみた。 フィリピン・レイテ島での、敗残兵としての逃避行のほぼ一部始終が描かれている。最後は発狂して記憶喪失となり、戦後復員して精神病院で欠けた記憶を思い出すが、ふたたび発狂する。 飢えの末期において(御多分に洩れず)人肉食の葛藤に苦しむ主人公。 (理論を司る左脳支配下の)右手は剣で死体から肉を切り取ろうとし、それを(直感を司る右脳支配下の)左手が右手を握りしめて止める、という明解な、かつ究極的な人格分裂を起こす場面が静かに壮絶だった。この場面は有名なようで高橋源一郎の本の中でも長めに引用してあったと記憶する。 ひたすら地獄のような日々の記述が続くのでかなり読み疲れた。読むだけでこうなので、実際の戦場のストレスたるや、想像も付かない。
40投稿日: 2025.04.15
powered by ブクログhttps://opac.lib.hiroshima-u.ac.jp/webopac/BB01678406
0投稿日: 2025.04.11
powered by ブクログ舞台は敗戦が濃厚となってきた第2次世界大戦末期。 田村という一兵卒がフィリピンレイテ島において、生死のはざまの中で島内を彷徨い続ける話である。 田村は結核を患い所属隊から追い出される。芋6本のみ持たされて。あとはなるようになれ(死ぬでもなんでも)というメッセージである。 実はこの作品、田村が戦後精神科入院中に、当時を回想しているものである。 それがわかるのは小説の最後の方なのだが。この視点が加わって、ぐっと理解が深まる。 田村の内省に関する記述がものすごく緻密かつ文学的に描かれていて圧倒される。 彷徨う中、発狂した将校を観察したり、極限状態で人肉を食すことに抗ってみたり、自ら行った殺人の罪意識に苛まれたりしている様子が事細かに描写されている。 1つ1つの田村の行動に伴う精神運動の表現が、難解で理解に時間を要した。 1つのセンテンスを何度も読み、咀嚼していく必要があった。 私の経験が低すぎるのか、読解力がなさすぎるのか。落ち込むし、悔しい気持ち。 例えばこんな調子なのである。わたしが秀逸だなと思った一節を紹介。 「贋(にせ)の追想」。ベルグソンによれば、 これは絶えず現在を記憶の中へ追い込みながら進む生命が、疲労或いは虚脱によって、不意に前進を止める時、記憶だけが自動的に意識より先に出るため起こる現象である。 私は半月前に中隊を離れた時、林の中を一人で歩きながら感じた、奇妙な感覚を思い出した。 その時、私は自分が歩いている場所を再び通らないであろう、ということに注意したのである。 もしその時私が考えていたように、そういう当然なことに私が注意したのは、私が死を予感していたためであり、 日常生活における一般の生活感情が、今行うことを無限に繰り返し得る可能性に根差しているという仮定に何らかの真実があるとすれば、 私が現在行うことを、「前にやったことがある」と感じるのは、それをもう一度行いたいという願望の倒錯したものではあるまいか、 未来に繰り返す希望のない状態におかれた生命が、その可能性を過去に投射するのではあるまいか。 ・・・終始こんな感じの記述が続く。もう少し修行してから再読する。
12投稿日: 2025.04.01
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
綺麗事じゃ済まない世界があって、仲間から俺が死んだら遺体を食べていいよって言われる壮絶な状況がひしひしと伝わってきた。人を食べるか食べないかで思い悩むって、そんなむごいことある?と。一度はその場を離れるが、思い悩んで再びその彼の元に戻った時には既に腐敗が進みとても食べられる肉体ではなくなっていた。仲間を食べさせないという神の愛だと主人公は思う。結果、直接書かれてはいないけど、主人公は人の肉を食べていると思う。でもそれは自分が撃ったものではなく、永松という男が撃った物ばかりだった。でも永松のことも責められないとも思う、生き抜くために必死だったのだから。想像力豊かな人ほどグロテスクに感じる描写はあるけど、私は戦争を知らない世代には是非読んで欲しいと思う小説だった。主人公は生き残ったけど、精神を病んでしまって食べ物も受け付けない体に。色々考えさせられる小説だった。間違いなく気は重くなる。
2投稿日: 2025.03.08
powered by ブクログ主人公が達観してるというかまあ知識人って言われてたからそれもあるけど哲学的というか。戦場にいてあれだけ主人公が終始冷静なのにも関わらずあのようなことが起きる。気持ち悪い。蒸し蒸ししてて血の匂いがする小説。情景があまり浮かばないがおもしろい
1投稿日: 2025.02.11
powered by ブクログざっと。哲学者のような彼が戦地でどのような体験をし、ものの見方をし、何を考えたかを知るのは貴重。だが、引き込まれず、読み飛ばす。
1投稿日: 2025.01.11
powered by ブクログ人間はある境界を越えると何にでもなれるのだ。無限大の可能性を秘めている生き物なのだ。 それをこんな形で描かれるなんて思っていなかったので絶望して頭を抱えている。 孤独で在り続けることの到達点のひとつがこれとは思いたくない。 思いたくない、けれど。 人肉食という行為に目が行きがちだけど、何かをしたくて堪らないという強い衝動を私は「知っている」んだよね。剥き出しの欲望を目撃して怖くなったし居心地も悪くなった。 全体的に落ち込むことが多くて読むペース上げることができなかったけど無事に読み終われて良かった。 塚本晋也版の『野火』を観てるので猿の肉の正体は知っていたけどやっぱ「うっ」ってなったし、そのあと撃たれて吹き飛んだ自分の肉を躊躇いなく食べちゃうところもキツくて立っていられない。 でも最後は良かったよな〜とも思う。 偶然が重なって誰かの命を繋ぐ瞬間がこの世にはある。 それも私は「知っている」。
1投稿日: 2025.01.05
powered by ブクログ極限の状況で人間性を保てるのか。病気で軍をおわれた田村はひとり戦地を彷徨う。単独行の描写は鮮明で狂人のものではない。 ここでの戦争は既に戦闘ではない。米兵からの逃避であり、怪我や病気、餓えとの戦いである。 仲間さえ信用できなくなったとき、信じられるのは自分だけとなる。
1投稿日: 2025.01.01
powered by ブクログ太平洋戦争アジア戦線における、旧日本軍兵の過酷な戦争体験が生々しく描かれている。 病、飢餓、腐敗した屍など常に死と隣り合わせの極限状態が伝わってくる内容で、「戦争は良くない」といった陳腐な言葉では片付かない重すぎる歴史を感じられた。
2投稿日: 2024.12.30
powered by ブクログ家の本棚にあって手に取った。ただ、偶然というのではなく、最近、なんとなく戦争というものが今までよりも近くにある感覚があり、惹きつけられたのだと思う。 戦争をひとたび経験してしまったら、それまでの自分には戻れないだろうという思った。知らない人間は、半分は子供であるという言葉があったが、わかる気がした。戦争を生き延びた前後で同じ人間でいられるとはとても思えなかった。それまでの人生で自分が感じた感情がすべて子供臭かったと感じてしまうのではないだろうか。一方で、それが幸福だとはとても思えない。 改めて大人になること、子供でいることについて考えた。子供たちには大人になれと言っているくせに、この本を読んだら、子供でいられるならそれに越したことはないように思った。結局は自分が感じた痛みを感じろ、苦労をしろということだけな気がした。私たちはみんな、大なり小なり、ならざるを得なくて大人になるのかもしれない。だったら、子供のままでいられるなら、それはいいねという言い方もあるかもしれない。
1投稿日: 2024.11.24
powered by ブクログ塚本晋也による同名映画がとても良かったので、その流れで原作も読んでみた。戦争文学の代表的な作品で、筆者・大岡昇平の実体験が基になっている。太平洋戦争末期、敗戦色の濃いフィリピン戦線で結核を患った男が、必死に生きようともがく様が描かれる。男は極限状態の戦場で精神が疲弊し、飢えに苦しみ、「食人」という禁忌を犯すかどうかに揺れ始める。 何が罪で、何が罪ではないのか。戦場に正解などはない。たとえそれが生きるための仕方のない行為だったとしても、二度と取り返しのつかない不可逆的なものであることには変わりないし、それが絶対にいけないことだとも言いきれない。そもそも本当に悪いのは食人を行った人間なのだろうか。少なくとも自分は違うと思った。強烈な力で倫理観に訴えかけてくる作品だった。
12投稿日: 2024.09.24
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
我深き淵より汝を呼べり。 社会から切り離された孤独と近代合理性の失敗である異常な戦時下での人間性の崩壊。絶対的な神の崩壊。 フィリピンで肺を病み隊から追放され、野戦病院からも追い出された主人公は行く当てもなく彷徨する。あるのは死へ向かう乾いた身勝手な自由。 山間の芋畑を見つけ飢えを満たすが、遠くに見える教会に心を惹かれ街に降りる決意をする。街は廃墟となっており野犬と死体の山だけだった。 教会に入り休んでいるとフィリピン人の男女と遭遇してしまい女を銃殺してしまう。街を離れ日本兵と行き合い仲間に加えてもらう。敵の銃撃を越えた先には死屍累々の敗残兵が道のそこここに倒れているという地獄だった。主人公は猛烈な空腹と理性の葛藤の末に人の肉を口にしてしまう。神に世界に怒り、自らの存在と過酷すぎる現実を受け止められない主人公は狂ってしまう。
0投稿日: 2024.09.23
powered by ブクログ参加している読書会の課題図書として読んだ小説。 大岡昇平の小説を読むのは初めて。 戦場でのできごとの描写は、簡潔でリズムが良いのに、主人公が、戦場で殴られて気を失った後、なぜか助かって復員してからの生活やその後の独白の部分は、ダラダラして、言い訳っぽくって、全体の読後感を悪くしているように思う。 主人公が、民間人のフィリピン人を殺したことや、戦友を殺したことの罪悪感を隠す言い訳として、自分は死人の肉を、それと知っては、食べなかったと言うことを心の拠り所としているが、それを自分でも公平な判断だと信じることができないために、外の世界に対して攻撃的になったり、食事の前に変な儀式をしたりしなかったり、(軍医と違って患者を攻撃しない)医者を馬鹿にすると言う反応をしている、と言うのが、作者が最後の部分において言いたいことだと思われる。 しかし、そこの判断は読者に委ねる方が、小説としての出来は良かったのではないだろうか。 まぁ、当時の読者は、このような手法が良いと感じた人が多かったのだろうし、現代の価値観に基づいて、70年も前の小説にケチをつけるのが、公平でない事は認めざるをえない。
0投稿日: 2024.09.18
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
先に塚本晋也監督の映画を見たので戦争描写のイメージが強かったが、小説を読んでより本来的な内容を味わうことができた。恐らく、この作品のテーマは12章「象徴」で語られている。 > あの快感を罪と感じた私の感情が正しいか、その感情を否定して、現世的感情の斜面に身を任せた成人の知恵が正しいか、そのいずれかである。(p59より引用) 飢えて人肉を食べようとする右手は後者で、それを制止する左手は前者になる。殺人は犯しながらも人肉食への衝動には極限まで抵抗するのも、少年時の性的習慣と同じく、それを罪と感じる快感があるからだろう。 戦争での人肉食という極端な場面で表現されているが、この葛藤は全ての人間が大なり小なり直面する普遍的なものだと思う。現代の大きな社会課題も、突き詰めればあの快感を罪とする感情を個々の人間が日常生活において否定し続けるために生じていると言えなくもない。
0投稿日: 2024.09.11
powered by ブクログフィリピンに行く予定があるので、前々から気になっていた本作を読んでみようと手に取る。 フィリピン戦線で病気のため兵隊としてはいられないが、物資が乏しい救護班からもケアを受けられない主人公、死を意識してフィリピンを彷徨い歩く。 戦争の悲惨さも有るが、それよりも主人公の死生観等内面にフォーカスされていて、私的には普通の戦争モノより興味深く読む。本当には分かっていないのだろうが、どんどん主人公の気持ち同化できる自分がいて不思議で面白い。 久しぶりに時間をおいてまた読みたいと思った本。
0投稿日: 2024.08.31
powered by ブクログ終戦記念日に読み始めた。私は普段から「戦争の悲惨さ」とひと口にいうことに後ろめたさを感じていた。人間が起こした地獄のさまの一欠片でも知りたい。 「野火」は神を苦しめている人間の所業を表している。 「火が来た。理由のない火が、私を取り巻く草を焼いて、早く進んで来る。首を挙げ、口を開いて迫って来る。煙の後に、相変わらず人間共が笑っている」 フィリピン、レイテ島の、豊かな自然溢れる、いってみれば楽園めいたところに立ちのぼる煙と火、それは神にたてつく人間の愚かさの象徴といったところか。 自分の血を吸った蛭を食べたり、撃たれてもげた自らの肉を口にしたり、それでも他者の人肉を喰らうことに抵抗した兵士、かれは右と左に分裂した自分、理性と本能の闘いに苦しめられた。 地獄とは、人間が想像できないものである。だが容易く、戦争が創造してしまうところである。
7投稿日: 2024.08.18
powered by ブクログ過去にタイトルを知っていたのだけれど、これまで読んだことのなかった作品。 非常に良かった。戦争における極限状態がどのようなものかを克明に描き出す。 戦争においては優秀な頭脳を戦場に送り出す非合理さがあるが、そこでの経験がこのような作品として昇華されることの意味、必然性を感じた。 読みごたえがあった。
3投稿日: 2024.08.18
powered by ブクログ8万人の死者を出したという太平洋戦争末期フィリピンのレイテ島で、部隊が壊滅し食料のない中彷徨う一人の日本兵が、戦闘行為と無関係に人を殺してしまいながら、なおも人肉を食うか食わぬかに逡巡する姿を通して、戦争や生存について問いかける。映画は市川崑監督作品と塚本晋也監督作品の2本とも観ていて、今回この原作を読み構成はほぼ忠実にこの原作をなぞっていることを知った。なかでも行軍の途中見つけた死体に向かって「俺たちも今にこんなになるのかなあ」と兵士たちが言うと、当の死体が「何をっ」と叫ぶシーンは2本の映画でもきちんと再現されていて、やはり本作を代表する場面なんだなと思った。この2本の映画作品に両方ともないのが主人公のキリスト教信仰による視点で、人が生きるために人を殺して食べるかどうか、という極限の命題に「神の怒り」というモチーフが用いられている。市川版の映画制作当時の一般的なヒューマニズムにのっとった落としどころ、塚本版の「人間の理性なんてチョロいんだ」という監督の一貫したパンクな主張に比べると、かなり観念的な印象だった。どこの林をぬけると丘があってその先に河原があってと、主人公が彷徨う熱帯林の地理風景の細かい描写、人が死体となったあと肉体が破壊され自然に還っていく描写のすさまじさは、それを見てきた人でないと描けないリアリティを感じる。
22投稿日: 2024.08.05
powered by ブクログ戦争における無意味な死や困窮、それはつまり人間性の投げ売りであり消費であり冒涜であり、という事実が淡々とした文体で冷徹かつ明朗に浮かびあがる。ほら、そこでまた一人の人生が閉じますよ、そこでまた一人生きることを諦めますよ、それで?その生き死にには何の意味があったのでしょうか?と。 こういった小説や物語は、戦争がヒロイックに娯楽へ落とし込まれたメディアに対して必ず存在しなければならないもので、本来あるべき文明や知性の使い道なのだと思う。
1投稿日: 2024.07.28
powered by ブクログ野火 著:大岡 昇平 新潮文庫 お-6-3 ヤマザキマリの「国境のない生き方」にお薦めがあったので、一読させていただきました。第二段 比 レイテ島の密林で繰り広げられる日本兵と米軍の戦い、そのはざまに入る現地の人々。 結核となり、部隊からも、軍病院からも見放された「私」 米軍の攻撃から、軍病院から、望みもせず逃避行が始まった。 極限の世界、草と蛭を食べながら、死と隣り合った彷徨、時折冷える、野火に導かれるままに、「私」の運命を翻弄する 生と死が直結する世界では、同じ日本軍といえども、敵なのか、それとも、味方なのか、病人を捨て去ろうとするばかりか、生存に必要とするものを奪い取る、不条理。 自らは自らで守るという心得ばかりか、病的なまでの用心深さが密林を生き抜く条件なのだ。 もくじ 1 出発 2 道 3 野火 4 座せる者等 5 紫 6 夜 7 砲声 8 川 9 月 10 鶏鳴 11 楽園の思想 12 象徴 13 夢 14 降路 15 命 16 犬 17 物体 18 デ・プロフンディス 19 塩 20 銃 21 同胞 22 行人 23 雨 24 三叉路 25 光 26 出現 27 火 28 飢者と狂者 29 手 30 野の百合 31 空の鳥 32 眼 33 肉 34 人類 35 猿 36 転身の頌 37 狂人日記 38 再び野火に 39 死者の書 ISBN:9784101065038 出版社:新潮社 判型:文庫 ページ数:224ページ 定価:550円(本体) 発行年月日:1954年04月 1954年04月30日発行 2014年07月30日108刷改版 2023年09月20日120刷
12投稿日: 2024.07.09
powered by ブクログ太平洋戦争、フィリピン戦線でサバイバルする日本軍兵士を主人公とした小説。(大岡昇平の体験に基づき書かれているが、この小説はフィクション) 戦争文学の代表作品と評されるだけあり、特に主人公の生死を彷徨う状況の中での深層心理の描写が印象に残る。(時には哲学的な表現もあり) このような戦争小説を読むにつけ、戦争の愚かさに気づかされ、「平和ボケ」、風化させないためにも読んでいかなければいけないと思う。 国家のために極限状況に追い詰められた人々に対してやるせない気持ちで一杯になる。 以下引用~ ・もし私の現在の偶然を必然と変える術ありとすれば、それはあの権力のために偶然を強制された生活と、現在の生活とを繋げることであろう。だから私はこの手記を書いているのである。
2投稿日: 2024.04.06
powered by ブクログじっくり読みきれなかった気がするので再読したい。主人公の眼からみた景色、風景は美しく思えるが、描写を読み込み想像することが難しかった。再読の際には一文一文を噛み砕いていく作業が要る。舞台を離れた主人公が伍長と出会うまでの心理描写もなかなか難しく読み込めていない。鬱屈した雰囲気もあり苦手かも。後半は残酷なことが起きてはいるものの他人との関わりが生じるからか何故かそれまでより、明度が上がった気がした。戦争体験記かと思って読んだが、心理描写、キリスト教、命を食べることへの疑問など、精神的な描写が多くて、思考するヒントをもらえた気がする。
1投稿日: 2024.03.07
powered by ブクログ文体が独特に感じた。戦争という狂気的な環境の中、極限の状態から生じる人生観を追体験した気がする。 面白く読めたかはさておき、人生観を考え直させるような純文学純文学した作品は好きだ。
1投稿日: 2024.03.07
powered by ブクログもろに文学だった。 極限状態に陥った人間が、生き残るためにカニバリズムに走る、もしくはそれを抑制するさまがありありと記されている。 娯楽の一つとして小説を読んでいる自分にはかなり重いが、戦争における個人の極限状態が見事に描かれた読むべき作品。
1投稿日: 2024.01.23
powered by ブクログ味方に見捨てられた。戦地にあって病に斃れ戦えない以上、軍隊の論理からすれば、当たり前なのだろう。見捨てる側もされる側も人間。そこに、人間らしさというものは、互いにもうない。 屍体の描写が淡々となされているのが、余計に不気味さを感じさせる。自分の足についた山蛭を食べる場面には、気持ち悪くなった。そして、ついに人肉を…という場面。読むのが辛い。 この小説にも、最後には希望が待っているのだろうか。 生きて帰れたことが希望なのか。書いたことなのか。この小説が、この惨禍が繰り返されることの歯止めとなることか。そもそも、希望そのものを期待してはいけない話なのだろうか。
1投稿日: 2023.10.24
powered by ブクログ聖書の引用を調べたり言い回しを調べたり……理解が追いつかず難しい部分も多々ある。 書評読んだり100分で名著見たり…… 出会いは塚本監督の劇場版であるがやはり原作で読む迫力は凄まじい。 聖書の要素は重要で、原作は必ずセットにしておかないと。そう思うと同時に映画版はリアルに田村の隣を歩いているような気分になれる。 自然の雄大さ美しさに混ざる死体の山が広がる光景。最悪の気分。
2投稿日: 2023.10.16
powered by ブクログ凄惨。テンポの良い読み味と、戦争の悲惨さと宗教観の織り交ぜ方が好き。 締めの「神に栄えあれ」に続く文が読んでて気持ちいい名文。
1投稿日: 2023.10.11
powered by ブクログ立ち昇る自然の生命力と、戦争の生々しさと、すべてが鮮明なイメージで記憶され、そこに十字架が浮かび上がるといった構図を忘れることができない。全体的に静謐で、無駄のない文体が印象的。
1投稿日: 2023.10.06
powered by ブクログ高橋源一郎の本で紹介されていた戦争を描いた戦後に書かれた名著である。読んだつもりでいたが全く忘れてしまっていた。フィリピンの戦場で人を食べるかどうかの話とばかり思っていたがそれはテーマの一つであり全体ではなかった。捕虜となり帰国して最後は精神病院に入りその時にフィリピンの教会の場面を思い出すという最後の場面を読んだ記憶がなかった。
1投稿日: 2023.09.19
powered by ブクログ順序は逆だが、塚本版映画を観てから読了。主人公一人称による内面の吐露、特に信仰心と飢えの限界で見る幻覚のシーンが映画との大きな違い。 ひたすら彷徨い、食いものを探し、傷病に苦しむ(それも戦闘が原因ではない)兵士たちの無残さが際立つ。戦況とは無関係の、延々と続く地獄が赤紙兵卒の戦いだ。撃たれて死ねればまだよし、ほとんどは泥水に浸かり、生きながら腐って屍を晒していく。こんなに生き死にが無意味な場所で、人肉食に思い悩む主人公は滑稽だが、狂ってさえも割り切れないのも人なのだろう。
1投稿日: 2023.08.24
powered by ブクログ私は道徳的に生きてきたと思っていた。しかし、それは、たまたま道徳に反する必要がなかっただけだ。人生の分かれ道はたくさんある。その選択の数だけ人生はある。それが必然なのか偶然なのかわからない。ただ、この小説を読むと、私の人生や価値観は偶然でしかないように思われる。
1投稿日: 2023.07.05
powered by ブクログモラルとか良心とか、普通の暮らしを成り立たせている観念は実はとっても脆いものなんだなとしみじみ思った。死が身近な環境だと、共同体や他者との関係なんてないようなもの。
1投稿日: 2023.06.23
powered by ブクログ19歳くらいの時に読んだ時は、カニバリズムに興味津々で人肉を食うなんて一体どんな話!?という感じでストーリーは頭に入ってこなかった。 しかし10年が経ち、再び読むと、この本はそれを伝えたいのではないのだと分かった。 単に人肉を食うその衝撃さを伝えるというよりも、飢えに苦しんだ末に人肉に手を出すか否かという人間の極限状態にスポットを当てた作品である、といまは考察している。 キリスト教の影響を受けた考え方なのか分からないが、1度は食べようとした味方兵の死んだ肉体。彼は死ぬ前、俺が死んだら食べてもいいよと右足を指していた。 主人公は、山蛭が彼に吸い付き吸い込んだ血を、 山蛭を介して吸い込む。人間の血であるが、直接でなければ問題ないと考えたのだ。 そして、結局主人公は飢餓の極限状態に陥ったとき、味方兵から与えられた干し肉 を食らう。 猿と言われていたそれは、実は滅んだ兵士の肉だった。 葛藤があれと、この主人公は自らは決して人肉を食べようとしなかったが、他人から与えられたものは素直に口にしてしまうんだなと。飢えとはそういうもの、正常な考えを麻痺させてしまう危険なものなのだと、感じた。
3投稿日: 2023.06.04
powered by ブクログ戦争風景の叙述と、哲学的死生観が混ざるが、死生観は難しい。悟りか諦めか暁光か。 繰り返しの日常と、死へ向かう前進が対になるということはわかった。 戦争が原因であり運命であった殺人と、人肉を食べないという主体的選択の差。そう思わないとやってられない窮地のロジックと言うのはあまりに外側から見ているからか。解説が難しすぎて… 戦争を論ずるときに、為政者や市民を話題にすることは多いが、敗残の一兵卒を見ることも感じ入ることは多いと思う。 死ぬまでの時間を思うままに過ごすことができるという無意味な自由だけが私の所有であった
1投稿日: 2023.03.04
powered by ブクログ娘の学校で推薦図書の一冊になっていた本であるが、あまりに重い。戦争は本当に過酷だ。極度の飢えに襲われた時に、自分や周りの人間がどういうことになるか、あまりに恐ろしい。戦争文学とはどういうものかがわかる一冊である。
1投稿日: 2023.03.01
powered by ブクログ「生命感というのは、いま行うことを無限に繰り返す予感」というフレーズが非常に印象に残った。 自分が間もなく死にゆく身だと悟ったとき、日常の光景や世界はどう見えるのだろうか。
1投稿日: 2023.01.14
powered by ブクログ太平洋戦争末期、敗戦色濃いフィリピン戦線。主人公田村は、結核を患い、所属している部隊から追われて、野戦病院へ向かう。そこでも、食糧・医療品不足から拒絶され、わずかな食糧と共にフィリピンの原野を彷徨う。 極度の飢え、野火の広がる原野。怪我や病気で、死んでいく同胞。その極限の中、感じる神の存在。 彼らは、既に、何と戦っているかなど考えられない。空腹を満たすため、最後の一線、人肉を口にするか否かという、人としての存在と戦う。 なかなか全てを理解できない。再読して、思いの外、フィリピンの原野の表現が鮮明で戦地での逃亡であるけれど、何処か行人の様だった。この作品は、反戦の言葉や本格的な戦闘場面があるのではなく、一人の普通の兵士の異常な戦地体験を俯瞰的に描き戦争の愚かさを静かに語る。 私の手元に、皇紀2603年 昭和18年の日記がある。大日本青少年團編。戦死した母親の兄の遺品。 私が生まれる前に亡くなった叔父。フィリピン上陸直後、戦死したらしい。母親もまだ小さく記憶が曖昧な所があった。 18歳くらいの、招集令状が来た年の日記で、癖字で筆記用具が悪く、まだ全部は読み切れていない。 これから、少しずつです。
58投稿日: 2022.12.24
powered by ブクログ大岡昇平氏(1909-1988)のフィッリピン・レイテ島での戦争体験をもとに、死を直前にした敗残兵(田村一等兵)の死の彷徨をとおして、人間の極致の心情を描いた戦争文学。 野火の燃えひろがる原野を、極度の飢えに襲われながら友軍の死体に目を向ける〝私は道端に見出す死体の一つの特徴に注意していた。海岸の村で見た死体のように、臀肉を失っていることである。誰が死体の肉を取ったのであろう・・・あまり硬直の進んでいない死体を見て、その肉を食べたいと思った〟・・・武田泰淳氏の『ひかりごけ』を連想させる気魄に満ちた小説。
11投稿日: 2022.12.14
powered by ブクログ「大岡昇平」が自らの戦争体験を基にした戦争小説『野火(のび)』を読みました。 この季節になると太平洋戦争に関する作品を読みたくなります… 忘れてはいけない歴史ですもんね。 -----story------------- 敗北が決定的となったフィリッピン戦線で結核に冒され、わずか数本の芋を渡されて本隊を追放された「田村一等兵」。 野火の燃えひろがる原野を彷徨う「田村」は、極度の飢えに襲われ、自分の血を吸った蛭まで食べたあげく、友軍の屍体に目を向ける……。 平凡な一人の中年男の異常な戦争体験をもとにして、彼がなぜ人肉嗜食に踏み切れなかったかをたどる戦争文学の代表的名作である。 ----------------------- 太平洋戦争末期の日本の劣勢が固まりつつある中のフィリピン戦線… 陸軍一等兵の「田村」は肺病のために部隊を追われ、野戦病院からは食糧不足のために入院を拒否される、、、 現地のフィリピン人は既に日本軍を抗戦相手と見なすという状況下、米軍の砲撃によって陣地は崩壊し、全ての他者から排せられた「田村」は熱帯の山野へと飢えの迷走を始める… 律しがたい生への執着と絶対的な孤独の中で、「田村」にはかつて棄てた神への関心が再び芽生える。 しかし彼の目の当たりにする、自己の孤独、殺人、人肉食への欲求、そして同胞を狩って生き延びようとするかつての戦友達という現実は、ことごとく彼の望みを絶ち切る… ついに「この世は神の怒りの跡にすぎない」と断じることに追い込まれた「田村」は「狂人」と化していく。 著者のフィリピンでの戦争体験に基づいており、死を目の前に感じた人間の極限状態やカニバリズムを描いた作品… ひと言、ひと言が重くて、心にずしずしと響いてくる内容でしたね、、、 自分が「田村」の立場だったら、どんな判断をして、どんな行動をしたんだろうか… 考えてみるんだけど、答えが出てこない… 平和な日本で暮らしているとリアルに想像できない究極の情況ですが、考えることや想像することを諦めたくなくて、いつも以上に頭を使いながら読んだ作品でした。
3投稿日: 2022.11.11
powered by ブクログ第二次世界大戦、フィリピンのレイテ島で敗走する日本兵をモデルにした大岡昇平の小説。 地元民を不用意に殺したことよりも、人肉食の方に忌避を感じているが、それが正当なことであるのかが自分にとってこの小説のテーマになっている。すでに亡くなった人の肉体をいまだ生命があり生き延びる可能性がある人間が食するのはそれほど忌避すべきことなのかとも思う。一方で、過酷で今すぐにでも命を落とす戦地において生命よりもあるのかもしれない人間としての尊厳の方を大事にするということはリアリティがあることなのかもしれない。 教会の描写など、ところどころにキリスト教の影が入る。死後に自分の肉を食してよいと言った将校の肉を削ろうとする右手を左手が制するところは見所だが、そのことをどう解釈すべきだろうか。何がそれを押しとどめたと考えることをこの小説は求めているように感じる。「良心」という言葉で済ますものではないだろう。そうまでして生き延びたいと思っていいのか、という躊躇いでもあったのかもしれない。
10投稿日: 2022.10.16
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
多分再読の必要がある。ちゃんとは読み込めてない。 軍人として派遣されたただの一般人、キリスト教に憧れた青年時代があった人。生きるために人を殺してしまったことに罪の意識を覚えて、極限のところで自分は人の命を食べてまで生きるべきではないと思う。でも一方で人肉だとわかっていながらも差し出された乾いた肉片を食べざるを得ず、それを行っていた人を殺してからの記憶がない。 肉を食べたなら記憶があるはずということだけど、記憶がなかった間に何をしていたのかが気になった。ただ彷徨っていただけなのか、人を殺して肉を食べたから記憶がないのか。 自分はそういう時に食べられるだろうか?
1投稿日: 2022.10.07
powered by ブクログ小説の中に書かれていることは基本的に虚構であって、したがってそれを読んだときに自分の中に生まれる感触も幻のようなものだと言えるでしょう。しかし、小説は人間が書いているものである以上、それが虚構であっても、人間の世界の現実に触れています。人間が人間の世界を描くのである以上、まったくの虚構ではあり得ません。それはむしろ、作者によって新たに構成された、生きることのリアルな感触を持った世界なのです。 『野火』は、戦後書かれた「戦争文学」の代表的な作品。「敗北が決定的となったフィリピン戦線。食べるものなく極限状態におかれた田村一等兵は、自分の血を吸った蛭まで食べたあげく、友軍の屍体にまで目を向ける――」(新潮文庫の裏表紙解説より)。 戦後67年を迎える今、戦争のリアルな感触を追体験することはますます困難になっています。だからこそ、戦争文学を読む意義を再認識すべきではないでしょうか。 また、戦争文学を読むという体験だからこそ、人間とは、愛とは、といった根源的テーマに正面から向き合うことができます。夏休みに戦争文学をじっくり読む――その体験は、あなたの中の深いところに、リアルな生の感触を残すはずです。(K) 紫雲国語塾通信〈紫のゆかり〉2007年8月号掲載
2投稿日: 2022.10.06
powered by ブクログ8/15に映画を見たのでその原作を読んでみようと手に取った。映画の原作の多くがそうだが、この本も心理描写が深くて戸惑う箇所があった。タイトルの「野火」は何を現していたのだろう?煙が上がることでそこに誰かがいる、という「希望」だったのか?それともそれは敵対するものたちがいるということを知る「恐れ」だったのか?生きていく上で抑えられない飢えが、満たされることで「絶望」にかわる、煙のようなあやふやなものとして「希望」をとらえていたのだろうか?…
1投稿日: 2022.09.26
powered by ブクログ後半に精神病院に入院した人間の手記であるということが明かされるので、どこまで本当の話だろうか。 それまでの描写がリアルなだけに、「人を食うために殺そうと凶器を振るおうとした手を、もう片方の手が止める」という描写が急にありえないことに思えた。 人間を食すことを止めたのが神の存在であるように書かれているが、神に救われたのならば、なぜ彼は精神病院に入るほどに壊れたのか。 本当に彼は食べなかったのか……? (人間をサルと呼び狩っていた永松に助けられた時、彼は脂肪分のある物を食べていたように思う) 戦争という過酷な状況で、人を人とも思わない人たちの中で、正気を失わないためには人間らしさを手放さなければならないし、人間味を守ろうとすれば正気を失ってしまうという話だと思った。
2投稿日: 2022.08.24
powered by ブクログ戦争文学ということで、ずっと気になっていた本作をこの時期なのでとうとう手に取ってみた。 著者自身、1944年マニラで戦争体験などをした経験があるせいか、たしかに死体の様子や主人公が一人フィリピンのジャングルを彷徨う描写など、とても生々しい。 だが、なんだろう。今まで読んだ他の戦争文学とはまったく違う、そういった印象を受けた。 本当にこの小説は、戦争を描いている以前に文学なのだと。 主人公の田村一等兵目線で終始描かれているのだが、彼のどこか解離して一歩引いたような目線で綴られているせいか、生々しいはずの、主人公の身にまさに降りかかっている戦争というものが、幻想的にすら感じられた。 ところどころ、現実として描かれているのか、妄想・幻覚として描かれているのか、判断がつかない部分があるところも、そう感じさせる一因だと思う。 そのおかげか、主人公の歩む道中は辛いものであるはずなのに、衝撃や悲惨さを感じすぎずに読めるところが、とても不思議な心地だ。 しかもそんなぼんやりした心地で読めるのに、描写は決してぼんやりしてはおらず緻密である。 どこか遠くから見ているような戦場での描写から一転して、主人公が戦場から抜け出し精神病棟に送られてからの方が、より彼の感情や妄執じみた思想に圧倒される。 しかしそんな主人公の主張が、書く手記が、まともなことを言っているようにすら感じる。なるほどと頷きさえしてしまう(もしかしたら私にそういった素養のようなものがあるからそう感じたのかもしれないが)。 正常と異常の境目とは。何が正常で何が異常なのか分からなくなる。 他にも述べたい感想は多々あるが、飲み込み切れた感じがしないので(評価を☆4とさせていただいたのも同じ理由。私がこの作品を飲み込みきれてないから。これに限らずすべて主観で付けてるので他の方の指標にはならないです。)、今回はこの辺にしておきたい。 ブクログあらすじにあるように、なぜ主人公は戦場という過酷な飢えに苦しむ場で、食人行為ができなかったのか、いや、食人どころかあらゆる動物の肉、果ては植物すらも食べることができなくなったのか、未読で気になった方はぜひ読んで考えてみてほしい。 個人的には、この時代周りが天皇陛下万歳、南無阿弥陀仏などと唱える中で、主人公が十字架を何度も見上げ、神について考えるところや、肉を食べようとすると彼の左手が自然と彼の右手を抑えて止めようとするところなどが、とても印象に残った。 何度も読み返し、精読したい本だ。百以上も版を重ね続けているのにも頷ける名作である。 他にも俘虜記など、著者の著作も読んでいきたい。 またフィリピンにおける戦争や、各東南アジア諸国と日本の当時の関係性について疎いので、知識をつけてから再びあたりたいとも思った。 そうすれば、もう少し解像度があがるかな、と。
13投稿日: 2022.08.19
powered by ブクログ【オンライン読書会開催!】 読書会コミュニティ「猫町倶楽部」の課題作品です ■2022年8月7日(日)17:30 〜 19:15 https://nekomachi-club.com/events/1103abc3f3aa
1投稿日: 2022.08.13
powered by ブクログあらかじめ覚悟していたせいか思った程エグさは感じなかった。 エリートと言うか知的な人間が戦場を見るとこんな感じなのかと妙に感心。
1投稿日: 2022.07.05
powered by ブクログ大岡昇平の代表作。フィリピン戦線の凄惨さ。病院前に座り込む負傷兵。カニバリズム。戦後精神病院へ入院している主人公…
1投稿日: 2022.06.04
powered by ブクログ大岡昇平氏の二次戦中フィリピンでの従軍経験を元に書かれた戦争小説。 大岡昇平の戦争小説と言えば『俘虜記』も有名ですが、本作はフィクションの色が強く、ある種の軽さがあった俘虜記とは違って凄惨な戦争が描かれています。 戦争小説ではありますが、理不尽な軍隊生活、敵兵との戦闘、及び戦争の悲惨さを訴えた内容ではなく、戦争体験を通して感じたこと、極限状態になることで得た意味を告げる内容です。 大岡昇平氏は、日本文学史上、第二次戦後派作家として挙げられますが、本作を読むと、第一次と第二次の違いがわからなくなりますね。 敗戦国なった頃、フィリピン・レイテ島での作戦に参加した田村一等兵は、病により5日分の食料を与えられ患者収容所に送られる。 3日で退院し隊に戻ったが、5日分の食料を与えたので5日は帰ってくるなと言われる。 病院からは、あれしきの食料5日分とはいえないと言われて追い返され、隊に戻ると、入院できないなら自決しろと言われる。 仕方なく似た境遇の病院たちと収容所の入り口で屯していたが、収容所がアメリカ軍に攻撃され、田村は熱帯の山の中へ逃げ込む。 独り山奥を歩き、食料も無く、自分が生きているのか死んでいるのかもわからない状態となる。 その後、なんとか打ち捨てられた畑を発見したことで糊口を凌ぐのですが、遠いフィリピンのジャングルで明日も知れないままさまよい歩くという、地獄のような状況下で、田村はいろいろなことを思います。 私自身、戦争経験があるわけではないので、それは想像を絶する内容です。 田村が、例えば、教会で十字架に貼り付けになったキリスト像を見て涙を流すのですが、その理由は、一言で言えない、その状況が生んだ感情であろうと思うんです。 大岡昇平氏の巧みな筆は、かの戦争を追体験させてくれますが、その体験は"こんなもんじゃない"ということが伝わってくる内容となっています。 また、極限状態の人肉嗜食も本作の重要なテーマとなっています。 田村は、臀肉が失われた死体のあることに気づき、犬と鳥が多いものと思ったのですが、その姿を見かけませんでした。 やがて、その意味を知るのですが、飢餓状態であっても、そこに踏み切ることはできないままでいます。 いよいよ餓死寸前という時に、病院前で会った若い日本兵・永松に会い、"猿の肉"を口にします。 その正体をどう受け止めるべきか、読む人によっては感情的におぞましい、気持ち悪いとだけ感じる内容だと思います。 正常な精神であれば取り得ない行動も、せざるを得ない状況下で行う分には、正常と言えるのだろうか。 正常なまま狂ってゆき、戦後、精神科病棟の田村は、狂人のまま正常だったのだと思いました。
2投稿日: 2022.02.05
powered by ブクログ日本軍は、病気になった兵士を、病気になったからというそれだけの理由で、追放しちゃうのか、というのが何よりも衝撃。しかもたった六本の芋と銃と自殺用の手榴弾だけを持たせて。命を預けていた軍に最後の最後でそんな仕打ちをされて、病気と飢餓と敵の襲来の恐怖の中で森の中を彷徨い続け、たった一人で死んでいった兵士たちが実際に数多くいたんだと想像すると、なんておぞましいんだろう。 --- p.7 彼は室の隅の小さな芋の山から、いい加減に両手にしゃくって差し出した。カモテと呼ばれ、甘薯に似た比島の芋であった。礼を言って受け取り、雑嚢へしまう私の手は震えた。私の生命の維持が、私の属し、そのため私が生命を提供している国家から保障される限度は、この六本の芋に尽きていた。この六という数字には、恐るべき数学的な正確さがあった。 --- 主人公の田村一等兵も、結核に侵されて部隊を追放された。軍医たちは収容された病人たちのために支給されたわずかな食糧を自分たちのものにして食いつないでいたため、病院に行っても世話はしてもらえない。高熱、幻覚、四肢の壊死に苦しむ仲間たちを横目に、かろうじて正気を保っていた彼だったが、放浪の末に徐々に精神に異常をきたしていき、最後はたまたま再会した同じ部隊の仲間を殺してその肉を食べるか否かという究極の選択にまで至る。 追放されたあとの彼にとって、「死」というものが、留保し続けているひとつの選択肢でしかないという点に、読んでいて胸を抉られる思いがした。いつでも好きなときに自分で選択できる一つの可能性。わたしが「髪を切りに行こうか、明日にしようか」と考えるようなテンションで、田村一等兵は「この手榴弾の栓を抜こうか、明日にしようか」と考える。自らの死とそんなふうに向き合うことは、戦時下という特殊な状況でなければありえない。読み終わった後も、背筋がスーッとする感覚がまだ抜けない。 --- p.51 死ぬまでの時間を、思うままに過すことが出来るという、無意味な自由だけが私の所有であった。携行した一個の手榴弾により、死もまた私の自由な選択の範囲に入っていたが、私はただその時を延期していた。 --- 終戦後、PTSDの諸症状から精神病院に収容されることになるが、そうなった後もなお、彼にとって自らの死は一つの可能性、選択肢という位置付けであり続ける。選択する理由はないからとりあえず留保しているだけで、そこに恐怖も、拒絶もない。ただ今は選ばない、なぜなら選ぶ理由がないから。 --- p.193 私は求めて生を得たのではなかったが、一旦平穏な病院生活に入ってしまえば、強いてその中断を求める根拠はなかった。人は要するに死ぬ理由がないから、生きているにすぎないだろう。 --- 本来、死は、訪れるもの、向こうからやってくるもので、人間が自らの手によってどうこうできるものではないはず。けれど戦争中も、戦後さえも、田村一等兵にとって自らの死はあまりにも身近にあり、能動的に手を伸ばすことができるひとつの可能性だった。そのことが、戦争がいかに異常なことか、今わたしが生きている毎日といかに乖離したものかかを物語っていて、なにか、さざなみのような戦慄が背後から音もなく押し寄せてくるような、そんな感覚を覚えた。
1投稿日: 2021.12.06
powered by ブクログフィリピン離島の自然と空気感と異常な心理状態が乗り移ってしまいそうにリアリティをもって迫ってきた セブ島に住んでいたころの離島滞在の体験も重なり、映画を観るような五感に迫る読書体験となった
1投稿日: 2021.12.02
powered by ブクログ1952年作品。作品自体には私が中学時代から(50年近く前)読んでみたいと思っていました。ただ、刺激的な場面や人肉食などが怖くて読めずにいました。今回読んだきっかけは、今臨時職員として勤務している小学校の図書室で見つけたからです。小学生が読むには刺激的で時代も大きく違いますので理解不能な部分は多々あるとは思います。しかし私の世代(おじさんやおばさんにあたる人に戦死者がいる)には、迫ってくるものがありました。作品自体は中編だとは思いますが難解な部分があり、読み終わるのに時間がかかりました。まだ、理解は十分ではありません。きっと、読み返すでしょう。戦場という極限状態が、通常の人間を追い込み判断を狂わせて、とんでもない行動に駆り立てる。恐ろしいです。ただ、それが戦争なんでしょうね。映像化されたものもあるようなので観てみたいと思います。
22投稿日: 2021.11.21
powered by ブクログ戦争文学。 「戦争は怖いよね、惨いよね、やめようね」といった一言では到底片付けられない、常識と善悪の判断を超越する、運命の流れと人間の命について書き綴られた文学だった。 自分が病を抱えて戦争と飢餓の真っ只中におり二重に死につつ、南国の太陽と樹々の下にいるという奇妙な事実、兵隊なのに肺病で食糧調達に働けない存在意義、食べ物を巡る友情や束の間の関係と、兵隊の身分、血を吸うヒル、生の草、実るヤシの木の下の夜、アメリカ兵への恐怖と降伏の躊躇、フィリピン人の出会いの生死、死につつある人間と死体と傷口の黒い蝿の蠢き、サルの肉、松永と安田。 人を殺す、人を食べるという極限の選択が、遥か遠くからこの瞬間にここにいる存在意義、自然と生命を食べて生存している運命、導き、何かの視線、魂と自分の左手と意志、そういったものが一緒くたに混じり合い、衝撃を受けながらも読んでしまう。 どこまでフィクションなのか、作者の無意識の言い訳や逃げがあったりして現実と異なる部分もあるのだろうけど、異国の戦地での極限状態と人間の意志について読むべき本。
2投稿日: 2021.09.04
powered by ブクログう~~~~ つら~~~~い なんか、戦時中の命の価値観みたいなものを知ろうとしなきゃみたいな気持ちになって読んだんですけど、「私ももし同じ状況で島に放り出されたら同じことになるんだろうな」って思って、それは令和に生きる私の価値観と前線の兵士の価値観が同じだからなのか、それとも私がこの小説を読む時に自分の価値観で読んだからなのか、まだよく分からない。 「現代の戦争を操る少数の紳士諸君は、それが利益なのだから別として、再び彼等に欺されたいらしい人達を私は理解できない。」 わかりみ~~~って感じ。
1投稿日: 2021.08.29
powered by ブクログ大岡昇平『野火』新潮文庫 辛かった・・・けどようやく読了しました。8月中に読み終えられてよかったです。 太平洋戦争でフィリピンに派兵された田村という平凡な陸軍兵と周辺の敗兵たちのサバイバルと戦争犯罪、そして田村本人の信仰と倫理的葛藤と発狂が描かれています。焦点は生き延びるために人肉食を犯すかどうか・・・ 凄惨でグロテスクな物語が非常に格調高い美しい文章で語られます。 これは手強い。思わず島田雅彦の100分de名著の解説ムック本を買いもとめました。 解説が吉田健一というのが望外の嬉しさでした。また、偶然ですが事前に文藝春秋編『もの食う話』に掲載されていた大岡昇平『食慾について』を読んでいたのは良い下地になりました。
1投稿日: 2021.08.25
powered by ブクログ戦争体験はしてませんが、 昔の日本の兵隊さんがどんな思いで戦いに行ったのか、知る事が大事な事だと思います。誰もが自分の先祖のことを考え、子孫である我々が生きているのは、彼らの時代があったからと考えてもおかしくないと思います。 読み進めていくと、米国映画さながら、『死』『飢え』が脈々と描かれていて、全て事実か疑うようでした。生き延びるために誰かの死があるような、死を覚悟してはいるものの、生き延びていく思考、飢えで意識がはっきりしない中、『殺』を起こしたり、普通の精神状態でない事がわかりました。 途中何度も休憩する読み方になってしまいましたが、これは後世に遺さなければいけない小説です。
3投稿日: 2021.08.22
powered by ブクログ無言館の戦没画学生には、フィリピン・ルソン島で戦死している学生が少なからずいる。たとえば山之井龍郎「昭和16年に出征し、シンガポール、サイゴンなどを転戦したのち、一時帰国するが、すぐに再び出征、20年5月フィリピンルソン島で24歳で戦死」。日本の自然や可憐な少女を描き、人一倍「美しさ」を感じ取ることの出来た精神が、ルソン島の中でどんな地獄を見たのか、どのように精神が変容していったのか、わたしは大岡昇平の「野火」を読みながら、さまざまな若い命のことを考えていた。 お盆なので墓参りにいった。山の上の墓場に行くと、墓地の一等地にずらりと墓石のてっぺんが尖がっている墓が並んでいる。全て「名誉の戦死」をした人たちの墓である。当時の政府から多額の慰霊金が出るのでこのような墓になっているのだと知ったのはつい最近のことだ。 そこに私の母の兄の墓もある。母はそのとき、13歳だった。もう一人の兄も戦地にいる。家事の一切と畑仕事をするのは、母の仕事だ。幼い妹を叱り、病弱の父と母を助け、病気がちの身体に鞭をうって、朝から晩まで働いていた。そのとき兄の戦死の報が届けられる。「昭和20年8月23日ビルマにおいて没する」墓にはそう記してある。「本当に賢いお兄さんだった。優しくて……」いつだったか、そのような母のつぶやきを聞いた気がする。母の兄がどのような死に方をしたのか、とうとう母からは聞かず仕舞いだった。戦後、父親はショックのせいか、すぐ死に、もう一人の兄がシベリアから帰ってくるのは、ずいぶんと後のことになった。その母も32年前56歳で死に、シベリア帰還の叔父も15年前に亡くなった。 戦争とはなんだったのか、それを考えることの出来る記録文学、評論、映画、ドキュメンタリーは幸いなことに多数ある。けれども、数の問題ではない。何かが足りない。それは「自分と関係のあることなのだ」という実感をもてるかどうかということなのだろう。母の兄がどのような地獄を送ったのか。賢くて優しかった兄が、地獄の中でどのように変貌し、生きて死んでいったのか、その想像のよすががこの作品の中にはある。 ‥‥食料はとうに尽きていたが、私が飢えていたかどうかはわからなかった。いつも先に死がいた。肉体の中で、後頭部だけが、上ずったように目醒めていた。 死ぬまでの時間を、思うままにすごすことが出来るという、無意味な自由だけが私の所有物であった。携行した一個の手榴弾により、死もまた私の自由な選択の範囲に入っていたが、私はただそのときを延期していた。‥‥ この作品の主人公は高学歴の人間だ。ベルグソンの言ったことがすらすらと頭の中から出てきたりする。また彼はクリスチャンか、あるいはその信仰を持っている人間でもある。聖書の詩句が彼の頭の中にある。しかし、信仰はどうやら彼の救いにはならなかったようだ。 ‥‥しかし死の前にどうかすると病人を訪れることのある、あの意識の鮮明な瞬間、彼は警官のような澄んだ目で、私を見凝めていた。「なんだ、お前まだいたのかい。可哀そうに。俺が死んだら、ここを食べてもいいよ」彼はのろのろと痩せた左手を挙げ、右手でその上膊部を叩いた。‥‥ この薄い文庫本を読み終えるのに、二年かかった。一文節たりとも、おろそかにできない文章が続く。「戦争とは何か」を突きつけてくるだけではなく、「人間とは何か」を突きつけてくる。当たり前だろう。戦争とはそういうものだから
67投稿日: 2021.08.19
powered by ブクログ結核を患って隊を追われ、フィリピンの林の中を彷徨った主人公が一人称で語る手記という形を取った小説。短い小説ですが、内容が壮絶で、情景を想像するととても辛くなるため、読むのが少し大変でした。 タイトルになっている野火を、主人公は林のあちこちで何度も目撃します。これが何の象徴として描かれているのか、読解力不足でまだはっきり分かりません。ただ、主人公がときどき感じていた「見られている」という感覚。その視線の主は、主人公の中にあり続けた「神」なのではないかと感じました。 「喰べてもいいよ」と言って死んだ兵士の屍体を主人公が切り取ろうとした時、剣を持った右手を左手が握って止める場面はとても印象的でした。 自分の中にある、自分の意思を諌めるものの存在。 『私が生まれてから三十年以上、日々の仕事を受け持って来た右手は、皮膚も厚く関節も太いが、甘やかされ、怠けた左手は、長くしなやかで、美しい。左手は私の肉体の中で、私の最も自負している部分である』 「左手」に止められて人肉を食べることを思いとどまった主人公が、数日を共に過ごした永松から「猿の肉」だと渡されて食べた肉が何だったのか知ったとき、何を思ったのでしょうか。 『戦争を知らない人間は、半分は子供である。』 主人公の見たことやったことを思うと、重い言葉です。 読むなら8月、と思った本でした。
8投稿日: 2021.08.14
powered by ブクログ内容もさることながら、生きるということ、記憶、宗教、必然と任意と偶然という人生観に哲学的に向き合った骨太な小説である。 安田や永松のカニバリズムの事実に明るみになっても、変に驚かないのは、読書にいよいよリアリティを突きつける。 これから新旧映画版を見る。
3投稿日: 2021.08.11
powered by ブクログ野火の燃え広がる比島をさまよう田村一等兵。人間嗜食を生々しく表現。 戦争を知らない人間は半分子どもである。
1投稿日: 2021.08.09
powered by ブクログ戦記文学として、きちんと読んだの初めてか。戦艦大和の最期とはまた違った壮絶な戦いが見えた。 今の時代も形を変えてあるのかもしれない
1投稿日: 2021.06.27
powered by ブクログたまに無性に文学が読みたくなる。現代の受賞作を漁るのも良いけどやっぱり名作を読みたいなと思う。そこでNHKの「100分de名著」のアーカイブから見つけ出したのが、大岡昇平の「野火」。 1944年、既に戦争の主導権を失ってしまっていた日本。「決戦」などと謳いながら無謀な抵抗を続け、最後の1年間だけでおそらく200万人以上が死んでいる。その中でも数万数十万人の死者を生み出した、フィリピン、ビルマ、長崎広島、大都市空襲といった現場を舞台に数々の戦争文学が紡がれてきた。そして、フィリピンやニューギニアを採り上げるとカニバリズムが絡んでくる。これまでの自分は無意識にそのテーマを避けてきたのかもしれない。しかし、NHKの番組で紹介された冒頭部分の描写の美しさに惹かれて読むことにした。 物語は肺を病んだ田村一等兵が所属する中隊を追われるところから始まる。上官は偉そうな訓戒を垂れるが、既に米軍はレイテ島上陸に成功し、大勢は決している。彼らの中隊も現地農民から徴発した芋を大事に抱えて敗走の途上にある。 中隊からも野戦病院からも追われた田村が得たのは、自由。30過ぎの補充兵としてこの地に送られた田村は、軍隊慣れした兵士達とは異なり、フィリピンの美しい景色を眺めながら思索を巡らせることができる。そんな自由で孤独なはずの彼に付きまとうのが、野火。 農民の野焼きか、それともゲリラの合図か。米軍が迫撃砲や戦闘機の機銃による攻撃しかしてこない段階だから彼には逃げる自由が与えられているのだけど、野火は大事な場面で彼の心象に現れる。おそらく、彼は「見られている」のである。 彼は罪を犯しながらも、その許しの象徴なのか芋と塩を得る。しかしそれらも尽きると、彼に本当の試練が訪れる。瀕死の将校は彼に、俺が死んだら食べてもよいという。しかしその死後、剣を握った彼の右手を左手が掴んで止める。「汝右手のなすことを左手をして知らしめよ」、つまり内なる他人から見て恥ずかしくない行為をせよという聖書の一節から得られたこのシーン、やはり彼は「見られて」いて、ここではギリギリ踏み止まるのだが、やがて「サルを狩る」という同僚と再会し、そこから、彼の精神つまり彼の中に響く神の怒りは、限界を超えていく。 文庫本で200ページ程度の中編小説だが、その文学的価値は高い。21世紀になっても映画化(2回目)されたということは、この本を読んで心に何かを刻んだ人が多いということだ。字句の一つ一つを丹念に読ませるような、私小説を超えた「文学」はなかなか日本には少ないけれども、この歳になって文学に出会えたことに感謝し、時が来たらまた読み返してみたい。
1投稿日: 2021.06.20
powered by ブクログ戦争は絶対に行ってはいけないと改めて実感する。敗勢が決定的になったフィリピンレイテ島でのあてのない彷徨、孤独、殺人、人肉食・・。平和な時代に生きていることに感謝しつつ、これを未来につなげなくてはいけないと切に思う。
1投稿日: 2021.06.13
powered by ブクログ戦記ものには共通して言えることだが、心が奮い立つような展開などない。 ただ極限状態の本能が剥き出しにさらけ出されるのみである。
1投稿日: 2021.05.31
powered by ブクログ■極限下の敗残兵の行為に、すべてをそぎ落とした人間の真の姿を見る■ 著者は自身、終戦前のフィリピンを体験している。著者の体験記、ノンフィクションかと思わせるほど真に迫る生々しい描写。感情を抑え、醒めた視点で淡々と描写されるグロテスクな映像からは臭気すら漂ってきて僕の食欲を奪う。 小説自体は短いが、文体や用語が固く決して読みやすくはない。それでも僕はいつしか弾薬も食料も希望もなく、見捨てられた敗残兵としてレイテ島の野山をさまよっており、後半は一気に読み進めてしまった。 ある者は最前線での行軍や惨めな敗走を強いられ霧散し、ある者は師団や隊からお荷物として捨てられ、病院でも受け入れてもらえず。生きる希望も死にたいという欲望もなく、ただ死が迎えに来るまで惰性で、あるいは本能で生を続ける。そのために人間はどこまで人間らしさから遠のくことができるのだろう。 現代日本で衣食住に何不自由なく暮らす僕には、この地獄を生き抜いた人間の心情を真に理解することはもちろん、行為の善悪を説く資格などあろうはずがない。 裸の人間の生命力、崇高さ、残忍さがごちゃ混ぜになって、ただただ強く印象に残る。
1投稿日: 2021.04.23
powered by ブクログ屍体や情景の独特な書き方。ページ数は少ないが読了するのに時間がかかった。時代背景から見た主人公が抱える生命への葛藤を感じた。
1投稿日: 2021.04.15
powered by ブクログ大岡昇平 著「野火」、1954.4発行。著者はよく知ってる名前、薄い文庫本なのですぐ読めると思いましたが・・・。209頁の本、54頁位でなかなか先に進めず。普段は先に見ない解説(吉田健一氏の解説)を読んだら、なおさらこの本がわけがわからなくなり、無理をしてまで読むことを止めました。フィリピン戦線での飢えのなかで、人肉を食べるかどうかなどがテーマのような気もしますが・・・。
3投稿日: 2021.01.25
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
太平洋戦争の末期、比国レイテ島に召集された田村一等兵。主要基地を奪取された日本軍の歩兵団は死を覚悟していた。田村は結核を発症し、病院に行くが治療が終了したとのことで隊に戻される。隊長より、「使えない者は死ね」との命令、隊を離れ空腹とともに彷徨う。転がる死体、自分の血を吸うヒルを食し、同僚との諍いにより射殺するなど、レイテ島での狂気を記した。死臭、泥、蠅、死体の体液、屍を常に目にし、いつこの状況が終わるのか分からない。過去読んだ戦争小説は、一瞬でも戦争を美化していなかったか?戦地で亡くなった方々へ、合掌。
25投稿日: 2021.01.11
powered by ブクログ夏に映画を再見したことがきっかけで手に取った。戦時下の過酷な経験を回想する中で綴られるフィリピンの自然の雄大さと、そこで右往左往して殺し殺される兵士たちの行為の愚かさの対比、飢えと銃撃が激しくなるにつれて失われていく人間性、その他挙げるときりがないが、やはり戦争など起こしてはいけないし、そういう状況に現在向かってきているのを感じるからこそ、ちゃんと読んでおいてよかった。
1投稿日: 2020.11.24
powered by ブクログ著者自身の戦争体験を綴った一冊。壮絶な戦争の一面を現代に残す貴重な記録だと思う。己の命を繋ぐために自身の血を吸ったヒルの血を吸い、乾いた人肉を食べざるを得なかった極限とは。戦争の悲劇のある一面の記録である。
4投稿日: 2020.10.21
powered by ブクログ戦争文学の代表作。現代社会に冷や水を浴びせられるような生々しい戦場の描写。生きるか死ぬかの極限状態に置かれた人間の存在の問題を取り扱っていて、単なる戦争文学では終わらない点が優れているように思います。 (数学科 ペンネーム「鮒一鉢二鉢」先生おすすめ) ※高校図書館に所蔵があります。
2投稿日: 2020.09.15
powered by ブクログ駱駝の瘤のような輪郭を描いていた 行く手に死と惨禍の他何もないのは 私は吐息(といき)した 上等兵は私の雑嚢ざつのうに目をとめた 比島の村に於ける私の殺人も 糧秣りょうまつ あいつ彼奴の足 飯盒はんごう 恢復かいふく ちょうこう徴候が我々の中に沈殿させるのは 権力の恣意に晒されて以来 男が皆人食い人種であるように、女は皆淫売である。 メシヤ・コンプレックス 遠方の味方に知らせる狼煙か 蟻塚のように盛り上がった籾殻もみがら 数歩先を歩いて行く痩せた頸の凹みは 到頭それが来た 予めその打撃を用意して給うたならば ふりょ俘虜記
1投稿日: 2020.08.24
powered by ブクログ戦争文学の代表的作品とのこと。 結核に冒され、第一線で戦う本隊からも野戦病院からも追放された田村一等兵を描いている。 なんと作者の事実に基づく話ということで、改めてこういうことが約70年前の日本で起こっていたのだという戦争の残虐さを肌で感じた。 敵の弾丸が肩に命中し、一片の肉がもぎ取られるという場面で、田村一等兵はすぐさまその肉を拾い口に入れるという、とんでもなく恐ろしい描写がある。 「私の肉を私が食べるのは、明らかに私の自由であった」という極限状態の言葉の持つ重み、凄みに圧倒された。
8投稿日: 2020.08.05
powered by ブクログ戦争の実相とはこの様なものなのだと思う。ただただ悲惨。こういった体験をされた方達に戦後日本はどう見えるのか。
1投稿日: 2020.02.23
powered by ブクログ卒論のテーマ。今まで戦争小説に興味があったために。 神や狂気、人肉食といった多くの主題が内包される中で、しかしおそらくはエゴイズムに焦点を当てているだろうと思われる。 文章は心理描写に力点を置いているわけでも美しい日本語でもないが、うまい日本語というか読みやすい
1投稿日: 2020.01.22
powered by ブクログ遠藤周作の「深い河」を読んだあとなので、デジャブ感がすごい。テーマが戦時中の神の居所について書かれているんだとおもうけど、筆致の凄みを感じるものの、全体としてなかなか掴みきれなかった。再読候補である。
3投稿日: 2020.01.21
powered by ブクログ俘虜記を読んだ時もそうだったが、戦時の比島、戦線離脱して彷徨う一人の兵隊の描きは、どうしても、作者自身の実体験を想起しながら読まされてしまう。極限状態に置かれて、生きる為に取らざるを得ない行為。意思の有無を自分自身確かめながら、本能か否か、飢えに襲われ、骨のみになる肉体同様、心も、剥き出しになるのだろう。その剥き出しを自ら扱いながら、生を繋ぐという事。人間とは何かという事を探る時、もしかしたから最も単純な手法が飢えかも知れない。ともかく、著者自身がフィリピンで俘虜になっているのだから、その辺の妄想三文文学とは一線を画した重さがある、ズシリとした小説?である。
9投稿日: 2020.01.06
powered by ブクログこれまで読むことがなかった戦争文学の代表的な作品。思っていたよりずっとスマートで読みやすい。 文章がなめらかで映像的、自然描写は美しさすら感じる。著者の高い筆力があってこその技巧なのだろう。だからこその生々しさがある。敵との戦闘場面はほとんどないのにピンと張りつめた緊張感。極限の飢餓状態での人間の剥き出しの本性が淡々と内省的に表現されていている。 「戦争」と「人間」を濃密に描いた傑作。
8投稿日: 2019.12.15
powered by ブクログ以前読んだ『俘虜記』はいまいち楽しめなかったが、これは途中からぐんぐん面白くなった。 敵との対峙よりも飢えや怪我や病気の方が問題なのね
1投稿日: 2019.11.02
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
◯とても面白い。 ◯極限の精神状態における、生きることについての思索が、冷徹に貫かれている印象。ただ、後半になるにつれて、錯乱した状況を表すように、読解がかなり難しくなってくる。 ◯そこまで分量のない小説ではあるが、読み終わった後に、自分が生きていることについてや、極限状態で事故を保ち続けることについて、考え、悩むことが尽きない。
7投稿日: 2019.10.31
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
古い本ではあるが、戦争を描いた名作とのことで手にしてみました。 主人公である田村一等兵が登場するのは戦況が厳しくなったフィリピン。 そこで、結核に冒され、所属していた部隊のみならず病院からもお荷物として追い出されてしまう。 部隊を追い出される時に手渡されたのはわずが数本の芋だけだった。 当然ながら食糧は底をつき、極度の飢えの中で山中を彷徨いながら時には己の血を吸った蛭まで食しながら命をつなぎとめる。 山中を彷徨うなか、多くの友軍の屍と遭遇し、一時はその肉を...と思うところまで追いつめられる。 最後は捕虜となり命を繋ぎ止めるも、フィリピンでの体験からその後の彼の人生は決してそれまでの状態に戻ることはなかった。 説明 受賞歴 第3回(1951年) 讀賣文学賞小説賞受賞 内容紹介 死者達は笑っていた。 野火の燃えひろがるフィリピンの原野をさまよう田村一等兵。極度の飢えと病魔と闘いながら生きのびた男の、戦争という異常な体験を描く名作。 敗北が決定的となったフィリッピン戦線で結核に冒され、わずか数本の芋を渡されて本隊を追放された田村一等兵。野火の燃えひろがる原野を彷徨う田村は、極度の飢えに襲われ、自分の血を吸った蛭まで食べたあげく、友軍の屍体に目を向ける……。平凡な一人の中年男の異常な戦争体験をもとにして、彼がなぜ人肉嗜食に踏み切れなかったかをたどる戦争文学の代表的名作である。 内容(「BOOK」データベースより) 敗北が決定的となったフィリピン戦線で結核に冒され、わずか数本の芋を渡されて本隊を追放された田村一等兵。野火の燃えひろがる原野を彷徨う田村は、極度の飢えに襲われ、自分の血を吸った蛭まで食べたあげく、友軍の屍体に目を向ける…。平凡な一人の中年男の異常な戦争体験をもとにして、彼がなぜ人肉嗜食に踏み切れなかったかをたどる戦争文学の代表的作品である。
5投稿日: 2019.10.29
powered by ブクログこの傑作の前に、 塚本監督の『野火』を鑑賞していて、 そのビビットなフィリピンの自然と、 説明が少ないからこそ迫りくるリアリティに圧倒されていたが、 原作を読んだらなんと内的な物語なのか! 極限の状況に置かれたからこそ見いだされる、 倫理性や人間性、そして宗教性。 内省することでしか生き延びられなかったという事実と、 そのような状況に貶める非情な戦争の愚かさとを、 両極的に浮かび上がらせる物語に、 体の芯が凍てつくようだ。
9投稿日: 2019.10.20
powered by ブクログ女は淫売で、男は人喰い人種。そう宣言することで大岡文学が始まったことを、いったいどれくらいの人が覚えているのだろう。 今や、その、大岡昇平さえ忘れられて、「戦争」や「軍隊」という言葉が軽佻にもてあそばれ始めている。この小説を原作とした映画「野火」を見た。戦場のグロテスクが評判だったが、大岡が「野火」で書いた人間の悲劇には、それでも、まだ、届いていないと思った。 https://plaza.rakuten.co.jp/simakumakun/diary/201909270000/
5投稿日: 2019.10.07
powered by ブクログ映画「野火」(2015塚本晋也監督)を見て原作を読んでみなければと思い読んでみた。映画は原作をほぼ忠実に映像化したものだった。映画の最後の方で永松の赤い口が出てきたが、原作でも「永松は赤い口を開けて笑いながら、私の差し向けた銃口を握った」とあった。兵士の死骸の描写なども映像は原作の描写を忠実に再現している。映画を見ずに最初に本を読んだらどうだったか。文章は極限の生を見つめ内省的でフランス文学や哲学的比ゆに富みすらすらとは読みにくい。 映画では感じきれなかった思考が文章になっているところが随分あった。「出生の偶然と死の偶然の間にはさまれた我々の生活の間に、我々は意志と自称するものによって生起した少数の事件を数え、その結果我々の裡に生じた一貫したものを、性格とかわが生涯とか読んで慰めている。」極限の中でいくつもの生への思考が頭をよぎるのか。 映像と本と両方見て内容がより濃く入ってくる。(理解したという表現はできない)海戦ものとか空軍ものとかの戦争映画より、部隊から離れ1人になった兵士の死の彷徨、極限の戦争が描かれている。 しかし一番の被害者はフィリピン人だ。 「俘虜記」には軍隊仲間で会社重役の息子Sが銃後の資本家のエゴイズムに愛想をつかし前線に赴いたが、前線の状況を見て、軍は愚劣に戦っていると思い「こんな戦場で死んじゃつまらない」と思った、と書いている。 大岡昇平はM43年3月6日生まれ、S19年3月、35歳で補充兵として招集され7月マニラ到着、S20年1月米軍捕虜となる、と検索で出てくる。「俘虜記」も「私はS20年1月25日にミンドロ島南方山中で米軍の俘虜となった」で始まる。 実際戦場で戦った男性は親や親せきに身近にいたが(すでに皆死んでしまった)彼らには脱帽するしかない。 ※実際に読んだのは、「俘虜記・野火 日本の文学18」(ほるぷ出版1984刊)図書館 (俘虜記の底本がS23.12月創元社刊で、米軍につかまるまでしか載っていない。収容所生活も続いているらしいのだが23年版は占領下で載せられなかったようだ。完全版もよんでみたい)
3投稿日: 2019.08.18
powered by ブクログ”小説だけど、かなり史実にもとづいた生々しいストーリー。 レイテ島での日本兵がどんな極限におかれていたか、想像しながら読み、「自分だったら…」と考える体験。 8月に読むべき一冊でした。 <抄録(抜き書き)> <きっかけ> 人間塾課題図書 2018年8月”
1投稿日: 2019.08.15
powered by ブクログ田村本人の視点で語られる淡々とした文章はどこか現実味がない。人間が禁忌を犯す様を目前にしながらも「思考する人」であり続ける田村。常人が狂人へと変貌する姿は眼を見張る。価値観をがらりと変えられた一作。
5投稿日: 2019.08.13
powered by ブクログ著者が体験したからこそ湧き出てくる感情や感覚が洪水のように押し寄せてきて、受け止めるだけでも大変な一冊であった。子供にはまだ読ませられない・・・
1投稿日: 2019.04.24
powered by ブクログ平成の終わりに戦争文学の傑作を読む。 レイテにおける敗兵の狂気、飢え、諦め、執念。理不尽な死と直面して究極の選択を迫られる、 そこに美しさなどあるはずが無い。 ただ「野火」の詩のような表現、風景の鮮やかな描写。 主人公「私」が自分と向き合う言葉、啓示のようなもの、それらの表現がとても美しく、 文学として読むことができる。 主人公「私」が友軍と時おり出会っては交わす言葉が、ここは戦場なのだ と生々しく、 その他の詩的な表現との対比が際立つ。 主人公「私」は結局誰と戦っていたのだろう。
8投稿日: 2019.03.17
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
戦争をしらない人間は、半分は子供である」胸に刺さった… 「どうせ、彼等は私もの言うことを理ないであろうが」無理… 現地にいる兵士のような感覚になる。後半は、怒涛のように読んだ。 死に直面した兵士の物語。淡々と兵士の感情を難しい文体で難しいが、短いのに内容は壮絶…食物の有難さ、こんなんで戦争に勝てない…極限を体験した人に専門家でも絶対に理解できな!家族でもである。同じ体験をした者同士しか理解出来ないだろう…戦争体験した人達に、私達の頭の中の常識や物事なんて、小さな事象に過ぎない事が理解できる。凄い表現力で表してこの小説家の凄さを味わった。極限の中では、私達の理論や論理なんて統一的な物でしかないのがわかる。でも。ある程度統一していかないとダメなのもわかる。難しい…っす!この物語は事実みたい…
5投稿日: 2018.10.22
powered by ブクログよくわからなかった。あらすじは至極簡単なのだけれど、田村が頭の中で考える神だとか、自分の心の動きかだとかは難しかった。 戦争、そして飢餓という極限状態の中で人間はどうなるのか。その一端がわかりとても興味深かった。
1投稿日: 2018.10.21
