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二十歳の原点
二十歳の原点
高野悦子/新潮社
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総合評価

173件)
3.6
26
47
66
7
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    殴られたら殴り返すほどの自己愛を持つこと 高野悦子さんの言葉は、どこかフランクで、日常に根ざした匂いをまとっているように思う。 彼女が記したのは、カフェで過ごす日常や、学生運動など、当時の若者の息遣いそのものだ。だが、その日常は決して軽いものではなく、いつしか彼女自身の存在や生き方を揺さぶり、やがて原点へと至る道を照らしている。 私は二十歳になる1年前にこの本を読了した。まさに「二十歳」という節目を目前にして出会ったからこそ、より深く胸に響いたのだと思う。ページをめくるたびに、自分が何を拠り所に生きていくのかを問われているようで、ただ「読んだ」というだけでは済まされない読後感が残った。

    0
    投稿日: 2025.09.25
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    学生運動の時代の日記ですが、現在の学生には刺さるだろうか?自殺された事に共感するのだろうか? 同じ人間でも生きていた時代によって大きく考え方が変わっていくのだろうと思った。 50年の時代の流れの中で諸行無常という言葉が浮かんだ。

    1
    投稿日: 2025.06.28
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    評価するのが難しい 高い文章力のある二十歳の普通の女の子 私もこれくらいの時は,素敵男性との恋愛を夢見たものだ そして勝手に絶望する 時代もあってのだろう学生運動 そのことが彼女の死に影響を与えたことは明白である 私自身精神疾患を持っているが、亡くなる時は、おそらく双極性状態の躁状態だったのではないだろうか 恐ろしく文章がスルスル出てきたり、死も怖くなる 生きていて欲しかった。 死人に口なし。

    1
    投稿日: 2025.04.15
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    こうした擦り切れるような気持ちは、私も若いころには抱えていたものでした。リストカットすらしなかったけれど、不器用である故に常に孤独を感じ、周囲と馴染めない未熟な自分に苦しんでいました。 しかし、なぜ星が3つかというと、この本は作者が望んで出版されたものでは無いからです。私が思うには、当人は、本当に信頼できる誰かに、大事に胸に抱いていてほしかったのではないかと思うのです。 こんなふうに、多くの人から読まれてあれこれ書評など書かれるつもりなんか、なかったのではないでしょうか。

    1
    投稿日: 2025.04.11
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    このレビューはネタバレを含みます。

     1969年6月に二十歳で自死した著者の、直前6ヶ月のメモノートを拾い上げたもの。  70年安保真っ只中で、立命館大学の学生だった著者も学生運動に参加して、その様子と思いを綴っている。当時学生運動にのめり込んだ全共闘だか革労協だかの活動家が何か喋っているシーン(文章や当時の映像)を見ると、とっても小難しいことを理詰めで言っているが、さっぱり意味が分からない(敢えて難しい喋り方を選んでるんじゃないかなあ?)理論というより、理屈、理屈というより屁理屈。  この著者も共産主義の話になるとよく言えば哲学的、悪く言えば自己陶酔としか思えない言葉を綴っている。本の後半に出てきた「私はまだ理論化できていない」という言葉が印象的だった。  結局著者は学生運動ではなく恋愛や実家との関係に深く悩んでいるかのようだった。  特にバイト先の社員への愛しさと憎しみがジェットコースターのように展開される。もともと闊達な女性だったのが、何か一本気で思い立ったように行動して、それが自分の中ではうまくいかず、タバコを呑み酒に溺れ、二十歳を迎えた正月の希望感も梅雨どきの六月には絶望に代わっていく。「明日のことは分からない」と歌っているジャズナンバーを聴いていた数日後、著者は電車に飛び込んだ。  「旅に出よう」という出だしで始まる詩を、彼女は残した(最期に書いた詩ではないらしいが)。理屈ばかりの扇動を綴っていた彼女が、こうも静謐な言葉を書けるのかと思うと、ここで人生を終わらせてしまったことを素に勿体なく感じた。  私が二十歳の頃、こんなに悩んでいたかなあ??

    0
    投稿日: 2025.04.09
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    顔写真が載っている。 まだ少女のような本人が日記の中で惚気たように、たしかに綺麗な顔立ちだ。 二十歳と言えば、その瞬間、自己イメージがアップデートされたかのような錯覚を感じた記憶もあるが、しかし、酒もタバコもその前から経験していたのだから何も変わらない。何も変わらず、ただ、陰鬱な授業やその後の溜まり場での頽廃的な日々、友人と意味のない芸術論を交わすような暮らしだった。何が原点なのかはそれぞれ違うようだが、中身は似たようなものだ。時に若さが無謀を働き、感傷に浸らせ、虚無感の中、希死念慮に取り憑かれることだってある。思想や行為の大部分が、ファッションや自己演出だった。誰しも。 学生運動があったのも、時代だろう。しかし、その思想はファッションだったのではないか。死ぬ必要はなかったのだと思う。この年齢はいつだって危うい。 高野悦子をどこで知って、なんでこの本を持っていたかも忘れてしまった。本書は日記。赤裸々な記録だ。飾りもせず、多くの自己陶酔とそれを徐々にエスカレートさせていく記録。特別だが、普遍的な青年(少女といってもよい)だ。それを覗き見て、彼女の死と、私が生まれる前の学生運動の雰囲気を、刹那、想像する。二十歳に死んで、それが原点なんて、一体どういう意味だろう。 結局思うのは自分の二十歳、自分の原点である。いまだに他者の価値基準を意識したファッションを抜けられず、原点ならぬ原罪を背負ったままのようだ。平均値による価値観など、もう良いではないか。

    83
    投稿日: 2025.03.20
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    5・6年ぶりの再読。 この本は、高野悦子さんが20歳で鉄道自殺を遂げる前日までの半年間を記録したものです。 日記形式でとても読みやすかったです。このノートを、『小百合』と名付けていたようです。 学生運動とか機動隊とか、社会的背景のことはよくわかりませんが、高野さんの文章に引き込まれ、すんなり心に入ってきました。 猛烈な孤独感や、自分の思い通りにいかない葛藤、人生になげやりになってしまう気持ち。一方で、好きな男性に頭をポンポンされて嬉しさのあまり舞い上がった様子。色々な感情の機微が読みとれて良かった。 生命の充実感を未だかつて感じたことがないと、高野さんは残しているが、すごく共感した。なかなか生きている意味もわからず悶々と暮らす日々。 自殺の前日の夜に書いた詩も良かったです。すごく静謐な感じに引き込まれました。 日記の中で力を感じる文章もたくさんありました。 ●私は慣らされる人間ではなく、創造する人間になりたい。「高野悦子」自身になりたい。 ●自分を信ずることなくして一体何ができるのか。 ●独りである自分を支えるのは自分なのだ。私は自己を知るため、自己を完成させるため、本を読んだり、街に出たり、自然に飛び込んでいくことを、いま要求されているのだ。 ●(このノートを)燃やしたところで私がなくなるのではない。記述という過去がなくなるだけだ。燃やしてしまってなくなるような言葉はあってもなんの意味もなさない。 色々な想いと葛藤するなかで紡ぎだされた言葉に、すごく励まされました。

    10
    投稿日: 2025.03.07
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    このレビューはネタバレを含みます。

    筆者が死んだからこそ、この日記が多くの人に読まれているのだと思う。もし高野さんが生きていたらこの日記を読み返して、「そんな時代もあったわ、私も若かったわね」なんて陳腐な台詞を言ってしまうのだろうか。そんな高野さん見たくないなぁ。人生において自殺も一つの選択肢だと思う。推奨している訳でなく。 (私の率直&勝手なイメージの高野さん)人間不信、誰でもいいからに愛されたい、ファミコン、疑り深い、外見の自己評価は高いが内面の自己評価は低い、真面目、感受性強すぎ、いい子、不良振りたい、他人の評価が怖い、相手に合わせちゃう、プライド高そう、マイナス思考。 例えば、自分と高野さんを比較してみる。どちらが子供でどちらが大人なのか、どちらが幸せでどちらが不幸なのか。なんだか相反する疑問が尽きない。 自分の心に真っ向から向かいすぎるのもある時は毒なのかも知れない。深く考えないことも大事だと思いました。 なんで誰も高野さんを自殺から救えなかったのかなぁ、なんて疑問はアホすぎるよね。そもそも自分が誰かを救えると思い込んでることが自惚れ。自殺こそ彼女にとっての正解だったのかなあ。

    2
    投稿日: 2025.03.06
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    ちきりんさんという方が日記をはじめたきっかけ、と書いていて気になり一読 日記ならではの生々しい記載が良かった ※本人は出版されて人の目晒されてどう思うのか…はあるけど 時代は違えど二十歳の大学生という若さが故の悩みに真っ直ぐ向き合いすぎたのかな、とも思った。きっと真面目で育ちよく、賢くて考えられる方やったから、なおさら苦しくなったのかなあ 煙草とかお酒とか行動自体は乱暴、やんちゃな感じがするけど、せっかく入った大学も学生運動やし、労働運動とか時代も激しいし、若い繊細な年齢も考えたら、酒・煙草はやってみたら楽になれるかな、みたいな部分もあったのかもしれない、とか思う 日記を「小百合」と名付けて語る相手にしてるのも面白い発想だなとおもった 個人的には自分の内の感情をノートにかきだす、という時点で強いと思うけど(私やったらこんなん思ってたんかと恥ずかしくて書けない)、 未熟であること、孤独であることが原点だと腹括っていたのかなとも思った 結局なぜ自殺まで追い込んだのか分からないけど、想像はできなくもないかも

    1
    投稿日: 2025.02.24
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    日記という人に読まれる前提じゃないからこその言葉の生々しさに魂揺さぶられる感。読んでるだけでエネルギーが持って行かれた、、、 知性に満ち溢れてるし、それ故に考えて周りとすれ違い孤独になっていく様子が生々しく彼女自身の目線で描かれている。 記すことの重要性感じたし日々同じ分量書くよりもフリーハンドで書くようにしようと思った。

    0
    投稿日: 2025.01.18
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    手記を読むことに慣れてなくて、驚くほどページが進められず時間がかかってしまった… でもそれは手記だからということだけではなく、この激動の時代と高野悦子個人の中に巡っている感情の切実さや鬱屈とした部分に抵抗があったからかもしれない。 自死を選ぶのは良くないなんて浅いことは言えないけれど、そこまでのレベルでなくても、自身について思い悩むことって、特に若い頃はきっと通過すべきことなのかもしれない。 元々この本は、社会学の書籍を読んだときに引用されていた書籍だけれど、生に対する向き合い方考え方が違うことは時代の違いも合わさって感じられた。

    0
    投稿日: 2024.12.09
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    去年古本市でふと目に止まって購入した本。二十歳を目前にして読むべき本だった。出会えて良かった。 特に「独りであること」について彼女は何度も思考を巡らせている。考えることは苦しい。それでも考えることをやめない、向き合うことをやめないこと、それが彼女を支えて、やがて追い詰めたのか…。学園紛争の最中、この本の時代の大学生、大学の様相は今とはあまりにも違う。彼女が綴った日記は正直で、赤裸々で、理想と現実の狭間でもがいている。読んでいるこちらも苦しく、恥ずかしく、彼女の感情の波に飲まれていった。ときおり挟まれる美しい自然の詩は、現実を離れ、心の羽を伸ばしているようだ。 自分について、大学について、孤独について、性について、労働について…50年前の同い年の学生がここまで自分の周囲の物事を深く、内省的に考えていたことに驚き、その熱量に圧倒された。彼女の人生の最期の半年間。薄い本だけどとても重かった。

    3
    投稿日: 2024.04.29
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    彼女はこの日記が出版されいわゆる「名が知られた存在」になった。でも(闘争以外は)同年齢の私と同じところがいくつかあったので、読んでいるうちに彼女が自分の友達みたいな存在になっていった。だからこそ最後の詩を読むのが辛かった。 なぜ彼女が自殺を選んだのか、要因はいくつか考えられると思う。でも考えること自体ナンセンスなのではないかと思う。 ちなみに、読む時は物理的に独りで、できれば個室にいる時がおすすめ。

    11
    投稿日: 2024.04.03
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    このレビューはネタバレを含みます。

    青春というものは如何なるものかを思い出させてくれる本。読んでいると、自分が生きていること、存在していることに不思議な自信が湧いてくる。 全共闘の時代に自殺した大学生の手記。終始灰色なトーンで日々の生活や心情が綴られている。理想と未熟な自分のギャップに悩み、自分の弱さをいつも反省している。 一方で、時々に綴られる詩や自然の描写はとても美しい。純粋無垢な心を持ちながら、仄暗い自己批判を続けているアンバランスさが愛おしい。 漠とした不安を抱きながら、形のないものに真剣に悩む経験こそが青春だと思う。 そして、自分もこのような経験を持っていることを時折思い出す必要があると思う。 年を取ると青春を経験できなくなってくる。青春には孤独が必要だが、孤独は特権だ。孤独を手放さなければ、生活ができなくなる。生活のために、仕事、家庭、お金など目に見える具体的なものに悩むようになる。具体的なものは自分の外にあるものだ。他人や社会によって、常に変わっていく。青春を忘れてしまうと、これらに右往左往することになる。 この本の中で「青春を失うと人間は死ぬ。」という言葉が書かれている。青春を失うことは精神の熱的死だ。青春という経験を思い出すことで、自分の中に目を向け直すことができる。1個の自分というものを意識することができる。現実に対する1個の自分。それが存在の矜持と自信。

    11
    投稿日: 2024.03.05
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    自らの未熟を許せぬまま、苦悩と錯誤の最中に沈没していくよう。抜け出せるだけの何かがなかったのか、あるいは必要以上に深みにはまってしまったのか。

    0
    投稿日: 2023.12.24
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    50年前のある20歳の人は京都でこんなことを考えながら学生時代を過ごしていたのかと思うと面白かった。 読んでいて、当時の学生闘争の匂いと生活が感じられた。

    0
    投稿日: 2023.11.25
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    【きっかけ】 社会派ブロガーちきりんさんが紹介されていた書籍で気になっていた本。「独りであること、未熟であること、これが私の二十歳の原点である」というフレーズがあまりに印象的。私も本を読む前にこのフレーズを先に知ってだいぶ前から気になり続けていた。今年、明石市の泉元市長がtwitterでこのフレーズを引用していたことをきっかけに、気になっていたことを思い出し、このたび読んでみました。 【感想】 全体的に重苦しい内容だということはわかったうえで、最初に巻末の高野悦子さんの経歴を読んでから本編を読みました。当時の学生運動や政治についての彼女の考え・思想は正直読みにくい。が、「独りであること、未熟であること」に対する表現は、令和に生きる三十代の私にも共感できる部分があった。全編を通じてこれだけの文章を紙のノートに手書きで綴るって、素直にすごいと思った。まさか後に出版されるとは本人は思いもしなかったであろうが、読み手がいるかのような書きぶりがすごい。思いを表出する作業って、エネルギーが込もるものなんだなと感じた。私が二十歳かそれ以前にこの本と出会っていたら、おそらく最後まで読めなかったと思う。

    1
    投稿日: 2023.05.07
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    10年ほど前に手に取った本だが、読むと気分が凹んでしまいなかなか完走できず。 今回は無事?読了できた。というのも、当初はこの日記から入って高野悦子を知るというか没入していく感じだった。でもお休みしている間に彼女を研究しているサイトや、当時の事が載っている物を目にしてしまい前ほど日記に入っていけないというか…それがかえってスラスラ読めるようになった理由だと思う。悪く言えば余計な情報を入れ過ぎた、良く言えば俯瞰して読めるようになったと言おうか。 "余計な情報"というのは、彼女の父親の三郎氏が日記にだいぶ手を加えているということ。 確かに話の流れがぶった斬られたり、突然知らない人が登場したり混乱するほどの話の飛び方がある。関係者のプライバシー問題もあるし、本人がチェック出来ないからこそあれもこれも手を入れられてしまうのか。 この日記自体は好きだし、他の2冊も読み進める予定だけれど、これを出版したことを本人はどう思うかな。決して父親との関係は良くなかったみたいだし(むしろこの時点では意見の対立で勘当されてる?)。父とはいえ本にされて勝手に内容も変えられてって…なんだかなー。

    0
    投稿日: 2023.04.10
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    こんなにも自身を俯瞰して見ることが出来、言語化することが出来るのかと感嘆しながら読んだ。己を奮い立たせるために綴った彼女の文章は、教室という狭いせまい世界に苦しめられ息がしづらく窒息しそうなわたしにとって有難いものばかりで、この前の学年末考査の範囲だった訳の分からない論理だかロジックだか堅苦しい日本語を並べた評論文よりもよっぽどタメになるなと思った。まだまだ頭が弱いので理解できない文章もあったけれど、これから何度も読み返し理解したいなと思えた本だった。ノートを遺して下さり有難うございました。

    2
    投稿日: 2023.03.12
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    自殺とか学生運動のインパクトが独り歩きして、誰もこの本の良さを説明できないような気がする 自分はまだ3ページしか読んでないけど

    1
    投稿日: 2023.02.03
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    「Silence is Golden.(沈黙は金)」 年齢や時代が違っても 人間関係や自尊心の悩みなど「あー、分かるなー」と共感してしまった

    1
    投稿日: 2023.01.08
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    「思案に暮れる」からの造語だと思ってた「しぁんくれーる」。フランス語で「明るい田舎」の意で、その頃の河原町荒神口界隈を表してたらしい。「京都新聞」2019年5月16日付記事にそうあった。1990年に閉店。その数年前に行ったな。

    1
    投稿日: 2022.12.28
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    このレビューはネタバレを含みます。

    2020年、この本を読んだこと、それは救いだった。当時たまたま、旅行先で著者のお墓を見つけて、導きか?と思った。自死を選ぶほどの悲しみや苦悩への絶望をおもうと、息ができなくなります

    0
    投稿日: 2022.11.12
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    このレビューはネタバレを含みます。

    酒とたばこに費やしてる。 ジャズ喫茶でクラシックを楽しんだりしている。 夜、寝付けず、書き連ねてることが多い。 下宿を変えたことで、友人関係の記述が消える。 長時間のアルバイトに従事している。 仕送り15万円貰ってる。 でもそれを使わず、生活しようとバイトに励んでいる。 4月から5月に対象を変えて、恋愛の炎が燃える。 最初はアルバイト先。後からは大学生。 段々社会主義の言葉が洗練されてくる。 同時に言葉と現実の落差に気がつくようになり、認知的不協和を感じているのではないか?と感じさせられる。 別の言い方をすると、社会主義の言葉を受け入れたことで、観念の世界と、現実の世界の落差に悩んでいたのかなと思う。 1月にスタートし、6月に自殺をされるのだが、4月に入って死に関する記述が出てくるようになる。入れ替わりに、友人からの言葉が消える。 時代の言葉にやられてしまったということか

    1
    投稿日: 2022.11.10
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    当時の情景と心情がアリアリと綴られた内容はどんな小説や映画よりも1969年のことを深く知れた。 価値観もイデオロギーも違う時代の人なのに、不意に自分とリンクする瞬間がある。そんなリアルさがあって生身の人間の日記を見てる罪悪感と背徳感が入り混じった感情を味わえるのは、本当に唯一無二の作品なのではと思う。 てか文才どうなってんだよ。

    1
    投稿日: 2022.10.20
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    独りであること、未熟であること、これが私の二十歳の原点である。 著者である高野さんは、このタイトルにもなった胸がつまる様な言葉を含めた、中学生から書き続けた 日記を残し、二十歳で鉄道自殺をされました。 学生紛争については、経験のない世代ですので、当時の状況を私は、理解できていないと思います。 ただ、自分が二十歳の頃にタイトルに惹かれて、手にとりました。彼女ほど、深い自己否定もなく、行動力もありませんでしたが、大人になりかけの、不自由さに共感する部分もありました。彼女は可愛く賢く、素敵なご家族もいました。それでも、最後の日記の翌日、鉄道自殺に及ぶのです。 再読して、本棚登録をして、新しい登録がたくさんあり、とても驚きました。皆さん、当時との状況は違っても、二十歳の葛藤を読み継いでいました。 二十歳は、誰も独りを思い未熟なのです。既に、親目線でしか読めませんが、決して独りでは無い事は忘れないで欲しいなと思います。

    49
    投稿日: 2022.10.15
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    このレビューはネタバレを含みます。

     大学生というモラトリアムのなか、学生運動のイデオロギー、生活するための現実、そして生の営み(恋愛)、これらの間(はざま)で生々しいほどの苦悩が綴られている。  モラトリアムという言葉を最初に用いるべきではないかもしれない。当時の大学生はイデオロギーと向き合い、現実と向き合い、生の営みに向き合いながら、日本の将来を思い真剣に考えながら瞬間瞬間を生きていたのだから。  でも、いつのまにかモラトリアムの深淵にはまってしまったのだろう。いつの時代でも間(はざま)にいながら、選択に迫られる。そして選択して生きていけばいいし、生きてほしい。

    1
    投稿日: 2022.09.13
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    日記を書くことで自分を突き詰めていけるんだなと思った。難しくて高野さんが言いたいことが6割くらいしかわからなかった、ごめんなさい。安らかに。

    1
    投稿日: 2022.08.22
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    あまりに切実だった。 純粋な少女にとって、上洛後目の当たりにした世間、大学、時代は余りに圧倒的であったに違いない。 唐突に現れた抱えきれぬような社会の多様性、そして必死に"自由・平等・真理"を求めつつも画一的な"実力排除・闘争"に教義を求めてしまう学生運動。 高野さんはこれらに違和感を抱きながらも、ひたむきに自己を見出そうともがいていた。 自分探しにおける彼女のアプローチは、自身も社会の中の1人として生きているという前提を失っているように思える(自覚しようと試みるものの自覚しきれていない)。自己は世界の全てから断絶された場所に存在する丸裸の自分であるといった前提が自ずからあり、その前提に基づいて自己の"定義化"をしようとした。 しかし世界からの断絶を前提とすれば、孤独は避けられない。視野狭窄に陥り、なおのこと自身をちっぽけな存在としか感ぜられなくなっていったのではないか。 屈折した孤独と思春期の性欲はベターハーフ論的幻想を生み出し、恋人というよりは自分を包容してくれるsomeoneへの欲求に繋がる。しかし、その思いは結ばれることはない。 さらに曖昧で崇高な理想は、その理想を達成できない自分という結果を招き、余計に苦しみはひどくなる。 その脆さの中、ふと覗く詩は美しい。 これこそが彼女の自我だろう。特に自然への感性は素晴らしく、こんなに清冽で素直な彼女の一面を彼女に愛してほしかった。 山が好きで音楽が好きで喫茶が好きなカッコちゃんも、自己の確立に悩む高野悦子もすべて、全て彼女なのである。そう気付き、someoneにではなく彼女自身に彼女をembraceして欲しかった。 さて、フォーマットが日記であることを除いても、彼女の文章はあまりに正直でリアルだ。己の未熟さをどう受け止めればよいかわからず、ひたすら現状への不満と焦燥を抱え、折合いの付け方も知らない。見つけ方も分からない。 すべてが悲しかった頃の自分の写し鏡のようだった。(このように感じた人も多いのではないか?) だからこそ、読み継がれるのだろう。 私もあの頃の自分に、自分を愛せよと言ってやりたい。(自分を愛さずして他人を愛すことなどできない) ちなみに最近は多少諦め方を覚えたものの、未だに人生との折合いの付け方は模索中である。

    5
    投稿日: 2022.08.16
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    1970年とかのベストセラーだそうで、ちきりんが11歳小5の時に読んで 未熟である事 孤独である事 それが20歳 みたいな文に衝撃を受け 憧れの大人の一人暮らしが 現実はどんななのかを突きつけられ怖くなったと書いていた でも 日記という人目を気にせず書いたもののパワーがある本らしい

    1
    投稿日: 2022.07.22
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    作者は自らの命を絶った 生きていれば、73歳か 辛いから? 希望が無いから? 衝動? 失恋? 理由はわかるようでわからない 浅間山荘事件の革命家重信房子さんがまもなく刑期を終えて出所という報道があった 作者は重信房子さんの3歳下になる 生きていればどんな人生があっただろう

    0
    投稿日: 2022.05.12
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    どうして悦子さんは自殺を選んでしまったのだろう? 悦子さんが抱いていた「孤独や寂しさ」は、私たちも生きていく上で感じていくものと同じであろう。 しかし、本人の素質や時代や巡り合わせなど色んなものが絡まり合って自殺してしまったのかなと思う。

    1
    投稿日: 2022.04.17
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    最近、1960年代後半に起こった大学闘争関連に興味がありその延長でこれも読んだ。 正直、いまだに何がそんなに当時の若者たちを大学紛争に駆り立てたのか、当時の私には計り知れないものがある。そして今の私たちが同じような状況に置かれたとして、そう言った紛争は起こるのだろうか。とはいえ、時代も環境も違えど悦子の書いた日記の中には現代の私にも共感できるような言葉があり、悦子の気持ちがわかるような気がしてしまう。途中から(悦子が大学紛争にのめり込んでいくあたり)話がうまく追えなくなり、苦労したがそれでも読むのをやめようと思わなかったのは、今の私と同い年の彼女がどういう過程で自死を選んで行ったのか、それを見届けたかったからなのだと思う。悦子には、世の中は汚い、自分も汚い人間の一人かもしれぬ、それでもその汚さが世の中の、自分の全てだと思い悩んだまま逝ってほしくなかったなぁ、と自分勝手に思ったりしました

    2
    投稿日: 2022.04.17
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    なんていうか、普遍的なものだと思った。「学生運動」をSNS上のフェミニズム運動などに変えても成り立つだろう。ひとりの人間が大きな流れに翻弄され、惑わされ、鼓舞され、最終的に自家中毒で死んでいく流れ。「物語」としては好きじゃない、むしろ嫌いだけれども、ときどき差し込まれるきらきらとした言葉が胸に残った。

    0
    投稿日: 2022.04.14
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    「学生は観念の世界で物を見すぎる」←鋭… 「甘えるのはよそうぜ、孤独か!孤独って楽しいぜ」←最高 「自己を完成させること」が真島太一のいう「本物になりたい」に近い感じする、でも完成ってありえないのよな、だから生きてる意味わかんなくなるわけで、おかしい世の中に対して自分の存在がちっぽけすぎること、それとはまた別に、自己が「完成することがない」という圧倒的要因があるのだよ、つらすぎる 頭では「これはおかしい」「これがつらい」と鮮明に考えているのに、どんどん世界の輪郭がぼやけ始める。つらすぎると

    0
    投稿日: 2022.02.20
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    学生運動の時代を生き、そして自らの命を絶った女学生の日記。「独りであること、未熟であること、これが私の二十歳の原点である」という有名なフレーズは刺さるものがある。 主な感想は以下の3つ。 1. 最後の日記の2日後に筆者は自殺する。そして、この日記を遺品として見つける筆者の両親はどんな気持ちだったのだろう。「なぜ、娘の心の揺れに気づき、手を差し伸べてやらなかったのだろう」悔恨の念はすさまじいものがあるだろう。 2. この時代に私が生まれたら、似た考えをを持ったのだろうか。今の日本では、学生運動や大規模なストライキというのは、あまり起こりえない。筆者が生きた非日常が連続する時代において、私は筆者のような感性を持って社会に接することができたのだろうか。 3. 作者が自ら命を絶ったからこそ、この日記が社会に出て、評価を受けるようになったという事実に、何とも言えない気持ちになる。例えば、筆者が80まで生きたとしたら、二十歳の日記を、少し恥ずかしい気持ちで読み返しただろう。そして、この日記は社会に出ることは無かっただろう。しかし、現実は二十歳で自殺し、日記を見つけた両親が心打たれたからこそ、この日記は多くの人の心を打つものとなった。その点では、キリスト教におけるイエス・キリストの死が、その布教に大きな影響を与えたのと類似する。

    0
    投稿日: 2022.02.12
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    この本に評価をつけることはできないが… 死を身近に意識しながら生きているかどうかで、(=自殺願望の有無、ではない) 人間の種類は二分されるかもしれない… ということは時々思う

    0
    投稿日: 2021.08.15
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    学園紛争の時代、恋や生き方に悩んだ一人の女子大生の姿。 時代の空気的に、今よりも深く自らの思想や生き方を見つめざるを得なかったのかもしれない。 それにしても、読んでいて痛々しい。 (最終的にどこに辿り着くのか、知っていて読んでいるからかもしれないが。) どんどん自らを追い込んでいく様子が伺える。 どう生きるべきか、何かを探し続けて、でも、見つからなくて辛い。

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    投稿日: 2021.06.04
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    「独りであること、未熟であること、これが私の二十歳の原点である。」 子供でもなく、大人にもなりきれていない、モラトリアム期間の苦悩は誰しも抱える。 この本の著者もこのような悩みを抱えていた1人だ。本書では、彼女の苦しみや孤独が、彼女の誰に見せるでもない日記から語られている。 私は20歳になる直前にこの本の存在を知り、大学の図書館で即日の内に予約し、借りた。約40年前に書かれた文章に触れながら、様々な感情が湧き上がってきた。彼女が当時感じていたことを全て受け止めることは到底出来ないが、同じ学生として少しでも共感することはできたのかもしれない。 自分の気持ちを表出させることの大切さを教えてくれた。

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    投稿日: 2021.04.10
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    二十歳のときに読んだという紹介をどこかで目にして、二十歳になったときに読もうと決めていざ読んでみたらマイバイブルに。 読み込みすぎてボロボロになってしまったけど今でも大切に読んでいます。

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    投稿日: 2021.03.13
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    私が日記をつけるきっかけになった一冊。 生々しい生活のもどかしさがあった。私はもっとたくさんの本を読んで、絵画を鑑賞して、クラシックに感動して、人間性を磨いていかなければいけないと思った。

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    投稿日: 2021.03.09
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    こうあるべきという自分のなかの正しさと現実とのギャップに苦しんだり、相手に過度の期待をして傷ついたり、大人ぶってみたり、慣れないお酒を呑んだり、失恋をしてこの世の終わりのような気持ちになったり、誰しもが経験しうる事ばかりだけど二十歳という子供と大人の境目の、複雑さをもった年齢ならではの、みずみずしさと刺々しさが見える心理描写が印象深かった。

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    投稿日: 2021.01.24
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    彼女の自己改革を求め続け自己欺瞞をも許さない徹底ぶりに感銘を受けたと同時に中原中也のような怠惰による葛藤に本人は揺れていたのだろうと思う。解説の吉行さんがランボーやルドンを引き合いに出して作品の素晴らしさを語っていたのは個人的に良かった。

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    投稿日: 2020.10.05
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    自殺した高野悦子さんの日記をまとめたものが本書なのですが、自殺したことを知ってから読んでいたので悲しい気持ちになりました。高野さんは文才があり、最終的には深く考えすぎて自殺に至ったのだと思いました。昔の学生運動に積極的に参加していたようですが、その頃使われていた日本語やそもそもの学生運動についての知識がなかったので、理解できない部分も多くなってしまいました。精進します。

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    投稿日: 2020.10.03
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    飄々とした文筆から垣間見える、葛藤や苦しみ。 主題からは逸れますが、自分は差別する側でありされる側だという一文には心打たれました。

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    投稿日: 2020.08.07
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    周囲の人との関係、社会のあり方、自分について。二十歳の頃の自分とも重なる心の機微。時代の流れに翻弄されて抗って。悩んだり、落ち込んだり、立ち直ったり、自分に気の向かない人を批判してみたり、自分を責めたり。あの時代に確かに彼女は生きていた。二十歳の彼女がそこにいた。 最後の詩がとても美しくて切ない。心の葛藤を日記に書き綴った彼女が死を前にして、見失わなかった穏やかさ、清潔さのような。大事に大事に守り続けた宝物のような。

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    投稿日: 2020.07.26
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     おそらく彼女の年の頃に一度読んでいる。今時を経て読んでみると、彼女の死は学生運動云々じゃなくて、失恋が原因だったのだろうなと腹落ちした。誰にでも起こりうることかもしれない。  それでも彼女の素晴らしいところは、自らの心情を、極力装飾なく、素直に日記に書きだしているところである。現代ではTwitterやFACEBOOKなど個人が情報発信するところはいくらでもある。そのなかで、どれだけの人が虚飾なく自らを表現できているだろうか。自分だったら、日記であっても、『本当のところ』を書くことは出来ない。それは才能であると思う。  独りであること、未熟であること。人間は、二十歳でなくても生きている限りそうなのだと思う。

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    投稿日: 2020.07.02
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    日記の記述日と同じ日に読み進め、約半年で読了。 彼女は自分が未熟だと日記のなかで度々記しているが、こちらはただただ、「成熟した若さ」に圧倒された。 嫉妬もしたかも。 若くして自死したことを悔やまれる…もし今も高野さんが生きていたら…なんてことを考えるのは野暮だ。 当時は、高野さんのような学生は多かったのかもしれない。 けれどここまで若さが、若いまま成熟した様を見たら、もうこれ以上彼女に何を求めればいいのだと、思ってしまう。 『独りで生きていく。そしてみんなと一緒に生きていきたい。「お早う」と笑顔で一人一人の人間にあいさつできる人間になりたい』(p91)という、素直で可愛らしい一面も好きだ。 なので自死する1か月前の記述は、早急な論理化、総括せねばなど、生き急いでいる感じがして読んでいて苦しかった。 そして最後の日記に書かれた「旅に出よう」の詩は、とても美しかった。 少し前に書かれた「雲にのろう」の詩も好きだが、より完成された美しさが、気持ちをしんとさせた。 ジャズも好きだった高野さん。 ビル・エヴァンスとか好きそうなのに、アート・ブレイキーの「チュニジアの夜」とか激しいやつが好きらしかったのは、彼女の内側の激情が見え隠れしていて惹かれた。

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    投稿日: 2020.06.25
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    (自分のことについて色々書いちゃったの本当に失礼しました。場違いだと分かっていますがすみません…この人惨めだな、くだらないなと思われても書きたかったのです…) 自分にとっては日本人の書いた本を本気で読み始める原点となった本です。 元彼に別れの話を切り出されて一、二日間が経った日に、偶然とウェブで紹介文を見かけた。「独りであること、未熟であること、これが私の二十歳の原点である。」この言葉に引き付けられない人は多分いないと思いますが… 恋について、人間について、「自分」について… 代弁してくれているような本なのです 今までぼんやりとしていた気持ちや考えも、行き先というか取り付けられる器というか、を得た。それが高野悦子さんのが書いた言葉なのです。 でもね、自分は日本語が本当に下手なんですから…高野悦子さんが書いたことを全部誤解していたとか、自分がただ勝手な思い込みをしていただけなんだとか、高野悦子さんのこと自分全然理解できない、社会背景も全然違うからとか…ちょっとこういう考え方をしたら虚しくなるのです…自分にとって何が真実なのだろう。手にしっかり掴んでいるものは本当にあるのだろうか。 現実と、家族と、自分と決別したかったのです。母と父は高校の頃から私のことヒネクレ者だと思っていたのかもしれない…双子の姉ともだんだん心が通じなくなった…そして自分に矛盾と嘘しかない… 燃え尽くしてこの世から消えたかった… …でも自分は弱かった、今も精神が弱すぎ。 ↑自分を否定することでみんなから許してもらいたのか?同情されたいのか? 元彼が曰く、私の悲観に何もない、私が物事の本質をちっとも見抜いていない。私の考えがくだらないつまらない…でも元彼はすごい人なんだ。元彼のことを考えるとどこか劣等感が込み上げちゃうほど元彼は自分にとって理想な人間だった。 めちゃくちゃな日本語で何を言いたいのか… 誰か教えて、物事の本質を、真実を。 こんな図々しいお願いをしている自分本当もう終わりだw …この本との出会い、感謝しています。

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    投稿日: 2020.05.16
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    正しさを追い求めて闘い続けた人。この本を読むと、深い孤独を覗いているような気持ちになる。偽りのない自己の確立を目指せば目指すほど、他者や、演じている自分との違いに敏感になるのだろうか。高野悦子さんのような生き方は、心が休まることなく辛いだろうなと思う。私にはできないし、したくない。人間は、孤独かもしれないし、未熟だろうけど、こんなにシビアに生きることはないよな、と思いたい。

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    投稿日: 2020.03.04
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    1969年の6月に自殺した立命館大学の女学生の,自殺前の半年の日記.現在の衣笠に移転する前,御所の東にキャンパスがあった頃の話で,周辺に住んでいたことのある身としてはその辺りの地理的な部分も興味深く読んだ. 社会の慣習に反目し,学生運動に対する立場を鮮明化する必要性を強迫的に懐き,淡いロマンスも経る中で,自身の醜悪さや矛盾に直面し,闘い続けることそのものに疲弊し,精神的に消耗していく様が見て取れる. 何の前知識もなしに読んだので,正直これだけで自殺してしまうのはどうも単純すぎやしないか,と思ったが,幼少の時分から病弱であった背景を知って以降,鬱屈した何かを抱えていたことからこうした経過をたどったという形で納得はできた. 21世紀の京都で大学生活を送り,今なお残る学生運動の末裔とでも言うべきものも身近にあって,こういったタイプの人間も見たことがあるが,著者も含め,彼らに対して共通して思うのは,なぜ理工系の知見を軽んじ敵視するのだろうか,というところ.勉強と言いつつ読むのは芸術・政治・哲学が中心で,自然科学はごく表面的な知識の理解に留まっており,それでいながら広い視野を持って,権力者よりも適切な判断を行えていると認識しているところが,私には高慢に映ったものである.言葉を何となくのイメージでしか使っておらず,自然科学に存在する様々な概念に触れることで世界の構造的多様性を把握するという思考に至らないケースが多いと,大学生時代に心中で考えていたのを思い出す. しかしふと考えると,たとえば知識人を虐殺したポルポトの思想というのは,それらを理解できる「知能的ブルジョワ」,つまり十分な知性を持ちうる環境に恵まれて,それを最大限に行使しそうでない人を搾取する人間に対する反目という意味もあるのだろうかと思った.資本家に対する敵対というのもそれに通じるのかもしれない. ともあれ彼らにもそうなるなりの事情があるはずで,結局のところそれを防ぐことができるのかや,一度そうなった人に他のものへの興味を回復させることができるのかどうかが,長年気になっている問題ではある.

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    投稿日: 2019.09.23
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    戦後の民主化への転換時に「自由」がよくわからぬまま、政治的ニヒリズムからエネルギーを闘争に傾けた若者たち。「授業料を払うことによって商品として己れを身売りすることの拒否。」と授業料を払わないのは正当化できるものではない。再建する画を持たずに破壊する事が目的にしか見えない。未熟が二十歳の基点とは作者に限らずそうであろう。しかし未熟だからこそ将来がある。自殺はやはりすべきではなかった。2019.9.11

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    投稿日: 2019.09.11
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    表紙を開くと、そこにはちょっと細面で色白の女性の、ちょっとはにかんだような笑顔のモノクロ写真。そして続くのは、その女性、高野悦子が二十歳の誕生日から鉄道自殺で亡くなるまでを綴った約半年間の日記だ。  扉には、――「独りであること」、「未熟であること」、これが私の二十歳の原点である。――の言葉。全共闘に機動隊、デモにシュプレヒコール…と、現在の学生生活からは想像もできない世界を背景にしながら、写真の笑顔とは無縁の ようにも思える様々な想いが綴られていく。   高野が在籍した立命館大学文学部(史学科)キャンパスは、現在の本学図書館や看護学舎のある広小路キャンパスの地に立っていた。河原町通荒神口角にあった喫茶店「シアンクレール」を好み、日記にもしばしば登場する。  今年は没後50年。200万人に読み継がれてきた、という本書を素に6月にはコミックが発刊された。

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    投稿日: 2019.08.23
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    20歳という若さで自ら命を絶った高野悦子さんの日記。 学生運動が盛んな時代背景の中、孤独の海に引きずり込まれるように日記に想いをぶつける。 その日記は暗いながらも時にユーモアを交えた内容。 そして、日記の中で思いの丈をぶつけたような詩が儚く美しい。

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    投稿日: 2019.08.15
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    【概略】  「独りであること、未熟であること、これが私の二十歳の原点である。」立命館大学文学部史学科に入学し、二十歳になった作者が、学生運動などその取り巻く環境と、自身の自身たる存在に対する苦悩を、自ら人生の幕をおろす2日前までの日記として綴った衝撃的な作品。 2019年08月13日 読了 【書評】  黒川伊保子さんの「成熟脳」の中で紹介されてたので読んでみた。  学生運動って、一体、なんだったんだろうね。何が残ったんだろう。そんな時代背景の中、大学生となった著者である高野悦子さん、色んなものと闘っている反面、自己に生じてる矛盾も見えちゃってて。きっと沢山、自分にツッコミを入れてたんだろうなと。  彼女の苦悩、現代の日本でも通じるもの、沢山ある・・・というより、「変わってないやん!」と、少し呆れるところ、ある。たとえば「女性はかくあるべし」的な感覚。男性の自分だから、その要素、ないといえば嘘になる。男性は男性で「かくあるべし」の物差しに苦しんでるとこ、あると思う。・・・けど、女性のそれ、は、なんというか・・・多角的だと思う。  もうひとつ、学生運動との距離感でも、強烈に日本人の大きな傾向を感じる。それは、作中の「傍観は許されない」「何もしていない=支持ととられる」といった「~派」という派閥分け。恥ずかしい話だけど、自分も結構しちゃってた。「え?それについて俺と同意見じゃないってことは、相手側?」みたいな。ひぃ、穴があったら入りたい!(笑)作中、傍観の立場だった彼女は、途中、学生運動に身を投じることになる。それは本当に投じたかったから投じたのか。  「太陽が東から昇り西に沈むのは偽りの現実であり、地球が西から東に時点しているのが真の現実である。その認識をもつとき、始めて主体性あるものとなり生きる現実をもつ」という彼女、常に己という個体の完成を、二十歳を堺に強く意識したのだろうなぁ。でも、若さゆえの潔癖さから、矛盾する行動に対して反発感というか嫌悪感というか、無能感というか・・・そういった葛藤があったのだろうと思う。  自分が二十歳の時は、正直、こういった内界での衝突はなかった。むしろ全能感にあふれていて、なんでもやれる・なれる・できる、と思っていた(笑)どちらかというと、今の自分の方が、二十歳の彼女の苦悩に共感できるのかも。なんと精神的成熟の遅いことか、喜餅。  最後に気に入った彼女の言葉を紹介して、終わることにするね。 「人間は未熟なのである。個々の人間のもつ不完全さはいろいろあるにしても、人間がその不完全さを克服しようとする時点においてはそれぞれの人間は同じ価値をもつ。そこに生命の発露があるのだ」  やっぱり二十歳の喜餅より、四十四歳の喜餅の方が、生命の発露、してるわ(笑)

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    投稿日: 2019.08.14
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    2019年 夏の新潮文庫の100冊の中から選んだ一冊。 1960年代末の日本の学生運動は69年1月の安田講堂攻防戦で一つのピークを迎えるが、67年に立命館大学文学部史学科日本史学専攻に入学し、69年6月24日に鉄道自殺をして亡くなった高野悦子さんが綴った日記。 日記自体はもっと昔から書いていたそうだが、本書に含まれているのは、69年1月2日の二十歳の誕生日に 「独りであること、未熟であること、これが私の二十歳の原点である」という宣言から始まり、自殺する前夜までの部分。 自分がまだ幼かった頃に既に亡くなっていた女性の日記だが、古さは感じない。高野さん自身が学生運動に参画し、賛同、対立する様々な団体や、学生運動の中で自己を確立するために読みたいと感じる書名は今とは隔世の感があり、時代背景を知らないと読み解けない部分もあるだろう。 しかし、その中で彼女自身が感じる不安や焦燥、そして合間に出てくる恋愛の悩みらしき断片などの心境は今の二十歳代、いやそれは誤りで、二十歳の頃の自分たちと同じだと感じる。 更に言えば、高野さんの周囲には 学生運動 という社外的な大きなうねりがあり、若者にとってはこれを支持するか、支持しないか、どの主張を支持するかということを宣言する事を求められ、そのお互いの理由をぶつけ合って、相手より優位に立とうとする風潮が強くあったように読み取れる。 これは今のSNSなどの世界でちょっと発言すると炎上し、多くの場合AかBかの二者択一を強要し、どちらを選んでも誰かがそれを「論破」して優位に立とうとする風潮と全く同じ気がする。 高野さんはその中で自分が未熟であると言う、正確には他者に比べて未熟であるという思い込みに陥らされ、失恋の事なども重なって自殺に向かってしまったように思える。 その息苦しさがまだ今もあるということが、この本を古く感じさせていないのではないだろうか。 自分が大学生になった時も書店にはこの本は並んでいたし、今も、新潮文庫の100冊に選ばれるほどに読まれていて、今年は没後50年という事で漫画化もされたようだ。 学生運動に身をおくという事に共感する人は少なくても、その運動の中で彼女が感じさせられた閉塞感に共感を抱く10代、20代の人は多いのではないだろうか。

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    投稿日: 2019.07.31
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    もう数十年も前、私が大学入学してすぐ初めて図書館に行った時、この本がやけに目立って並べられていた。元々軽薄なうえに大学入学でうかれてた私は「わあ、大学ならではの重そうな本」くらいの感覚で、手に取ることなどなかった。 それから本をよく読むようになり、やはり気にはしていたものを知りたくもあり、自分の大学の過去の出来事も知りたくもありで、買ってみた。読んだ。苦しかった。泣いた。 小説ではないただただ過ぎるホントの現実、当時のきしんだ社会、そして彼女の中の子供の純真さと・・本の終わりを知って読んでいるだけに滝つぼに向かう川の上を流されているように、心の中の音がだんだん大きくなるのを感じながら読んだ。 大学入学時に読んでおくべきだったか、いやいやきっと分かりもしないあほたれのままだっただろう。今でも何も分かっちゃいないけど。

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    投稿日: 2019.07.23
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    高野悦子さんが鉄道自殺を遂げてから50年。20歳で亡くなつてゐるので、即ち生誕70年といふことにないます。生きてゐれば現在70歳になるのか.........念のために申し上げますと、映画活動家の高野悦子さんとは同姓同名の別人であります。 これは中学生の時に初めて読んだのですが、その時は割かし共感した記憶がございます。わたくしも当時は、姿の見えないもの、更にはこの世に存在しないものを追ひかけてゐたなあと思ひます。 この度読み返してみて、随分と印象が変りました。残念ながら悪い意味で。 「独りであること、未熟であること、これが私の二十歳の原点である」と冒頭にあります。 しかしこれは演技で、本人は決してさうは思つてゐなかつただらうと推測します。本文を読めばこの言葉がポーズであることが分かります。そして自意識過剰。自分の顔立ちは可愛い。整ひ過ぎてゐる。だから二十歳の記念に眼鏡をかけやう。 タバコを吸ひ、酒を飲むことが「自由のしるし」、そして自殺願望。 学園紛争への参加にしても、どれだけ本気だつたことか。さだまさしさんの唄で、「安保の年はわからぬくせに 人並みにデモったりして」(昔物語)といふのがあります。同じやうに、皆が参加するから何となくとか、不満を抱いてゐる者が単に鬱憤晴らしで参加したり、果てはファッションとして(ファッショぢやないよ)デモを捉へて参加する奴など、どれだけ「わかつてゐる」人間がゐたか。 世話になつた両親を蔑ろにし、そして最後は鉄道自殺。とことん親不孝者ですなあ。自殺するなら迷惑をかけずに一人でやれ、との意見を否定する人がゐますが、その人は迷惑がかかつた人たちの事が念頭にないのか。 私見では、最悪の自殺は鉄道自殺だと考へます。電車に轢かれると、身体はバラバラになります。所謂「マグロ」といふやつですな。それを片付けるのは誰か。運転士の中にはショックを受けてこの仕事を続けられず、退職に追ひ込まれた人もゐます。 運休に伴ひ、乗客の足が奪はれます。鉄道会社は、とてつもない損害を受ける訳ですな。名松線ならほとんど乗客はゐないからいいだらうなんて考へないやうに。 再読して、さういふ事をつらつら勘考いたしました。「孤独」も「未熟」も自ら演出した、「甘え」がどうしても気になつて仕方がないわたくしでした。当然違ふ意見の方もゐるでせうが、莫迦なおつさんの独り言と思つて聞き流してくだされ。 http://genjigawa.blog.fc2.com/blog-entry-806.html

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    投稿日: 2019.07.22
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    今の学生にはわかりづらいかもしれない。自分の信条にこだわり、命をかけて闘おうとすること。でも、実際にそういう人がいたんです。今の政治に納得してない人もそうでない人も少し読んでみると良いかも。

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    投稿日: 2019.02.09
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    学生運動時代について。わかったような、わからないような。1人の普通の女の子が、どんどん変化していく様が書かれている。思春期っていろいろ考えるけれど、あと2、3年生きてれば楽しい未来があったかもしれないのに、と思った。

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    投稿日: 2018.12.15
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    世の中との摩擦のなかで、自分を見つめ続けた高野さん。自省と自己否定を繰り返し、闘争と自己確立に格闘する様が生々しく描かれている。 他者を通してしか自己を確認することはできない。世の中や政治、他人との相対的な比較のなかで自己は疎外されうる。そこでは人は孤独であり、未熟であることを痛感する。

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    投稿日: 2018.11.25
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    この本を読んだとき、私はまだ20歳になっていなかった。 19歳の春だった。 この本は誰に進まれ阿多でもなく、書店で棚を端から見て言った際に手に取った1冊。 読みながら、日記でありながら、その人を引き込む彼女の葛藤、悩み、恋、勉強、学生運動 そして死 1960年代の学生が一番熱い時代が舞台・・ 私は、学生運動も安保闘争も知らない。 本で読んだことがあるだけだ・・ その真ん中に彼女はいた。そして、人間がここまで悩むのか、葛藤するのかというところまで彼女は 自分を追い求めていたのかもしれない。 20歳は誰にとっても掛買のない一生に一度しかない時代だ。 19歳にしてこの本に出会えたことを私は当時から非常に感謝している。 高野悦子さんの生き様が集約された一冊 時々手に取るが、その時、まだまだ本を読まなきゃ、もっともっと悩んで苦しんで成長しなきゃ・・ そんな風に自分を振りい断たせてくれる1冊。

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    投稿日: 2018.10.28
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    もがき苦しむような激しい感情 普段何でもないように装っていても「日記」という媒体で感情がダイレクトに伝わってくる感じが面白い。 私は20代女性という立場でこの本を読めてよかった。 世の中の不条理を受け入れて淡々と生きている人は、この本は何が言いたいか分からないというだろう。 世の中の不条理を受け入れられずにフラストレーションを抱えて生きている人には、共感を得ると思う。

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    投稿日: 2018.09.25
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    B915.6-タカ 300633104 同世代の作者によって書かれた本で、時代背景は違うが、共感できることが多い。学生時代、友人と語り合った本である。

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    投稿日: 2018.07.04
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    この時代から既に「ジャーナリズムは死んだ」みたいな風潮になってるのは面白い。 高野さんと私はすごく似ているなあと思った。違うのは、彼女には20歳で死ぬ勇気があったってところかな。 まあ、生きているうちは真面目にいきましょうかね。

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    投稿日: 2018.04.27
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    とても死にたくなるし、とても生きたくなります。 高野さんの見られなかったものを、もがいて足掻いて、見つけようと思います。 自分が二十歳の頃は、高野さんのように大学生だったのですが、こんなに徹底的に自分と向き合ってはいなかったし、ぼんやりと日々を過ごしていました。 あの頃読んでいたら、多大な影響を受けそうですし、もしかしたら理解出来ないと突っぱねるかもしれません。 高野悦子さんの、20歳の誕生日から、死を選ぶまでの半年間の日記。濃密な時間でした。 読む年齢で、感じることは変わりそうです。 読んでいる間ずっと、10代の読み友さんのことを考えていました。彼女は同じように捉えられることをきっと良しとしないと思いますが。孤独とアナーキズム。彼女がどんな感想を抱くか、興味があります。

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    投稿日: 2018.01.03
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    最初はあたしに似てるなって思った。 だんだんと思想が変わってきてついていけなくなった。 胸にささる言葉は何ヶ所かありました。 なんで死を選んだんだろう??

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    投稿日: 2017.11.10
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    本書はいわゆる「自殺者日記」である。自殺者の日記を文学として出版したものは時代によっていくつかあるが、これは奥浩平『青春の墓標』に次ぐ初期のものだ。 読んでみると何とも言えない「おま俺感」がある。自らが立てた目標に(しばしば怠惰を挟みながら)忠実に突き進むも、そもそもその目標自体が誤った方向へと向かっているような大学での過ごし方など、特にそうだ。 つまり、彼女は完璧な存在ではない。自ら厳格な目標を立てては結局やらずに留めおくことがしばしばある。その人間としての不完全さがまたどこか愛おしいような気がした。 国家権力への闘争を通じて悟った挫折、拭い去れない女性としての恋心、逼迫した金銭問題、頑固な思想と思考、そして全て捨て去りたくなるような怠惰・・・。 私は彼女がゆっくりと死に傾倒していった理由がどこか分かるような気がした。ただ分からない人にとってはきっと分からない。読んでも嫌悪感だけが残るだろう。 心のどこか一寸の片隅に残るような、不思議な魅力を持った一冊。 その昔誰かが「『二十歳の原点』がバカ売れしたのは高野悦子が美人だったからというのが9割」と言っていたw 誰だったかなあれは・・・。

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    投稿日: 2017.11.09
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    今と状況は異なるので、学生運動の事がわからないが、自分の存在に悩む事は、二十歳に限らず、女性に限らず、どの時代にもある事。 依存することへの反抗。

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    投稿日: 2017.06.24
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    独りであること、未熟であること、それが私の二十歳の原点である。読んでいてヒリヒリする。勉強しなくては、自立しなくては、自己と周囲との関係性を確立しなくては、という誰もが抱く焦りに、真剣に向き合った結果なのだろうと思う。でも自殺はしないで欲しいな。寂しいから。未熟な自分を受け入れて、独りの自分を受け入れて、期待通りにいかない社会を受け入れて、苦悩しながらでも、何とかやっていけたら。

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    投稿日: 2017.06.05
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    他人の日記を盗み見ている感覚にもなりました。 時代と言った一言で片付けてしまうには、あまりにもたくさんあるのですが、学生運動やストライキと今では想像でしかない現象があったのですね。 高野さんはとても頭の良い方で色々な言葉や表現を持ち合わせたいたようです。 終焉は疎外感と抑鬱でしょうか。 寄り添って耳を傾けて下さる方もいらしたでしょうに、残念な最後になられたようで読み終わった今も何かくすぐったい感覚が抜けません。

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    投稿日: 2017.06.04
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    日記という形で、淡々と日々の出来事や考えたことを綴っている。 行動の善悪は別として、自分の内面とここまで格闘している人を知らない。しかも、二十歳で。 読了後に感じたことは、人間が生きる上での熱さが圧倒的に違う。自分が日々、なんとなく生きているのではないか?と考えてしまった。 もっと自分の内面と戦い。人生と格闘しないと。 その結果、得られる景色を見てみたい。 下記の2つの文章が心に残ってます。 独りであること、 未熟であること、 これが私の二十歳の原点である 私は慣らされる人間ではなく、創造する人間になりたい。テレビ、新聞、週刊誌、雑誌、あらゆるものが慣らされる人間にしようとする。私は、自分の意思で決定したことをやり、あらゆるものにぶつかって必死にもがき、歌をうたい、下手でも絵をかき、泣いたり笑ったり、悲しんだりすることの出来る人間になりたい。

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    投稿日: 2017.04.20
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    これを読んで何かを感じるには歳を取り過ぎたようだ。 阿呆の振りをして鈴木に抱かれていればまた違っていたんだろう。選択し決断するのは自分だ。

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    投稿日: 2017.03.16
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    なんとなく、どんな本かなと思って読んでみたら、実際に二十歳で自殺しちゃった人の日記のようなものだったんですね! 若者特有の情緒不安定、不安感、孤独感・・とてもリアルでした。

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    投稿日: 2017.02.20
  • 「どうでもいい」と言う口癖が本当の自分であるのに・・・

    孤独と寂しさと自分の未熟さを隠すように、学業そっちのけで仲間と大学闘争に明け暮れて自分を見失っている。当時これがノンフィクションとして世間に晒され、大ベストセラーになったと言うことにも違和感もある。 しかし、1人の女性として恋に悩み孤独と戦いながら少しずつ少しずつ自信を取り戻しながらも、やはり孤独の闇から這い上がれない最後の6月以降の日記は読んでいて痛々しい。まだ20歳だ。 明るく振る舞って未熟じゃない自分の殻を被ってたんだろうが、周りにも彼女の変化は気づかれるほど崩壊してたのかもしれない。 友の言葉が心に突き刺さる。合掌。 「この季節を過ぎてさえ入れば今も幸せに家族を持っていただろう」

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    投稿日: 2017.02.16
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    関川夏央の「昭和時代回想」に高野悦子のことが書かれている。 以下引用。 「日記をつぶさに読めばわかるが、高野悦子は素直さ、明るさ、真面目さを併せ持った人である。いい職業人、いい奥さん、いい母親になれた人である。ただ野太さという資質、またはなにごとにつけ四捨五入ですませられる生活者の融通のみが欠けた彼女を、意味なく悩ませ焦燥させ、ついに死を選ばせたものは、六十年代後半という時代の空気に底流した軽薄な悪意である。かん高い「連帯」のかけ声こそ誠実と純粋を信じた若い女性にいたむべく孤絶をよびこみ、「性の解放」はどこにも達し得ない新たな迷路を出現させただけだったのである。」 高野悦子が亡くなったのは、1969年、20歳の時だった。関川夏央も、1969年に20歳だった。 それよりも10歳若い私には、その当時の時代の空気が分からないけれども、関川夏央が書いていることが的を得ているとすれば、すなわち、高野悦子が死を選んだ理由の1つが「時代の空気に底流した軽薄な悪意」であるとすれば、なんとも痛ましいことだ。 ■2021年7月追記 思い立って再読。最初の感想を書いたのが2016年なので、約5年ぶりの再読。 再読してみて、上記に引用した関川夏央が書いた高野悦子評がすごく的を得ているのではないかと、あらためて感じた。 「時代の空気に底流した軽薄な悪意」が、高野悦子を、あるいは、当時の何人もいたはずの他の高野悦子を、「意味なく悩ませ憔悴させ」たのである。 痛ましいのは、「意味なく」の部分だ。日記が書かれたのが、1969年の1月から6月の間のこと。日記の途中から、聞き齧りの左翼用語や学生運動用語が頻出するようになる。彼女が内容をきちんと理解して書いているとは思えないが、そういった風に考えることを時代から要求されていたのだと、ある種の純粋な、高野悦子のような女子学生は感じたのであろう。しかし、当時の左翼運動は、どこにも行き着かなかった訳で、結局は、そのように感じたことに意味がなかったということであり、そこに痛ましさを感じざるを得ない。

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    投稿日: 2016.12.24
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    この本の存在を知ったのはずっと昔のこと。たぶん20歳になる前だったのではないか。「二十歳の原点」という書名の響きは何とも初々しく輝かしさが漂っていて、何度となく手に取りはしたのだが結局読むことなく、20歳の倍くらいの年になった今、読み終えた。「はたちのげんてん」でなく「にじゅっさいのげんてん」だったことも初めて知った。 読んでみると、20年以上にわたって手に取りはしたけど読まずにいたのが何となくわかった気がした。大学紛争のさなか、京都の大学に通い、アルバイトをし、喫茶店に通い、友と集い、本を読み、思索した彼女は、満二十歳で自死した。彼女自身はいろいろ煩悶していたのだろうし、日記にまったくの本音を書くとは限らないのだが、どうしても、どうしても、この本(彼女の日記)から死に至る過程がみえない。言い換えれば、こういう生活を送りながらなぜ死を選んでしまったのかがわからなかった。日記に綴っていることも二十歳頃らしいもので未熟さや背伸びをしている感じがある。だからこそ余計に若くして命を絶ってしまったことが惜しまれる。二十歳は終点には早すぎた。

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    投稿日: 2016.09.27
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    1969年に二十歳で自ら命を絶った女子大生・高野悦子が残した、死の直前半年の日記をまとめたもので、1970年代に若者の間でベストセラーとなった作品である。後に、14~17歳のときの日記『二十歳の原点ノート』、高校3年冬(17歳)~大学2年冬(19歳)の日記『二十歳の原点序章』も出版された。 1980年代初めの高校時代までを宇都宮で過ごした私は、宇都宮女子高卒の著者に親近感もあって、高校生のときに本三部作を読んだと記憶しているが、今改めて読み返すと、当時の私に著者の思いがどの程度感じとれていたのか、甚だ疑問である。。。 また、著者が立命館大で大学生活を送ったのは、1968~1970年の全共闘運動大学紛争のピークの時期であり、本書からもその時代の世相を知ることはできるが、それが著者の自死にどのような影響を与えたのか、残念ながら私には実感として理解することは難しい。 ただ、著者は、本書の第一日目である1969年1月2日に二十歳の誕生日を迎えて、その日の日記に「二十歳という年齢にしては私は幼すぎるのかもしれぬ。世間を知らぬバカなのかもしれぬ。しかし「世間を知る」という言葉の中には、その体制に順応してヌクヌクと生きていくという意味が、一面だがある。・・・悦子よ、何も卑下することはないのだ。自分を大切にせよ。おまえは不器用だが、物ごとに真面目に真剣に取り組む。他人を愛しいとおしむ気持ちは一番強いのではないか。・・・私は慣らされる人間ではなく、創造する人間になりたい。「高野悦子」自身になりたい。・・・私は、自分の意志で決定したことをやり、あらゆるものにぶつかって必死にもがき、歌をうたい、下手でも絵をかき、泣いたり笑ったり、悲しんだりすることの出来る人間になりたい。・・・人間は完全なる存在ではないのだ。不完全さをいつも背負っている。・・・人間は未熟なのである。個々の人間のもつ不完全さはいろいろあるにしても、人間がその不完全さを克服しようとする時点では、それぞれの人間は同じ価値をもつ。そこに生命の発露があるのだ」と記しているが、最終的に自死をも選ばせた、この純粋かつ硬質な精神は、時代を越えて、若者のみならず全ての世代の心に響く。 いつの時代でも、何歳になっても、人間が本来向き合わなければならない“原点”が描かれた、心に残る手記である。

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    投稿日: 2016.06.04
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    電車に飛び込み自殺した女子学生が死の直前まで記していた、1969年1月から6月までのノートを編集した本です。著者は、立命館大学で歴史学を学び、学生運動に身を投じ、今日と国際観光ホテルでアルバイトをします。また彼女は、3人の男性に恋心を抱きながら、そうしたみずからの心を問いなおしています。 「革命」という理想に著者自身の内なる言葉が騙り取られていく道が如実に示されており、おそらくジェンダー論的な観点からは、日本におけるウーマンリブがもたらされる以前の状況を示す例として把握されることになるのだろうと思います。ただ個人的には、恋という身近な問題と、革命という世界大の問題が、直に結び付けられていくところに興味を覚えました。とはいえ、いつの時代も若者とはそういうものなのかもしれません。

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    投稿日: 2016.02.24
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    一日かけてじっくりと読んだ。 死を前にした人の言葉にしてはあまりにも静謐で、からだの内側にすっと溶ける。 死にひかれる人というのは、からだが心が自然を求めるのだろうか。山や川に傾倒し、夢をみて。 人はけっきょくのところ独りなのだなあ、独りで生き、独りで死んでゆくのだなあ。

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    投稿日: 2016.01.13
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    日記なので、その日その日の出来事や心情を綴っているが、 いかんせん、時代が経っていることもあり、 当時の学園紛争の用語については、よくわからず・・・ ご本人としては、よもや、みずからの赤裸々な記述が、 こんなかたちで世の中に出回るとは思わなかったのではないか。

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    投稿日: 2015.08.13
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    一人の女性(女の子)の日記。 生きる時代は違えど、心は近いもの。 寂しい、いつも孤独を感じていた彼女の心の隙間を埋めてくれる人に出会えなかった事が不幸でもある。

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    投稿日: 2015.02.22
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    10代のころ読んだ。悩める20歳が大人に思えた。あれから30年たって読み返す。自分の娘だったら・・なんていうだろう。「自由になっていいよ」ぐらいしか言えない。孤独であっても、未熟であっても、生きている価値は必ずある。私にもある。

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    投稿日: 2014.10.23
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    読んだ時期で受け取り方が違うのだろうか。 今読んで良かったという思いと、 それこそ二十歳の時に読んでみたかったという思いが 半々ずつである。 鬱屈した感情に共感できるところもあれば、 もっとほかの考え方が出来たのではと 斜に見てしまう所もやはりある。 しかし、政治家、警察、反体制どの視点から見ても この戦後日本という時代は興味深い。

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    投稿日: 2014.06.25
  • 今の大学生はどう読むか

    学生運動が盛んなころの京都の大学での女子学生の日記。 人間関係に悩み、自分の存在に悩み、社会への怒り、不安、すべてがここに書いてあります。

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    投稿日: 2013.11.25
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    学園闘争時代に自殺を遂げた女子大学生の日記。日記といっても詩的な文章が散りばめられており、当時の雰囲気も伝わってくる。

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    投稿日: 2013.09.09
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    二十歳で鉄道自殺を遂げた高野悦子さんが死の直前まで綴っていた日記。 すべての思想を闘争に絡めなければならないあたり時代だなと思うんだけど、それさえ考えてりゃいいみたいなうらやましさも実際のことろ感じる。 今は何を真剣に考えればいいのかすら正直よくわからない。 思いは強くても言葉で埋めていく作業が苦手で、うまく表現できない感じとかきっと共感する人多いと思う。原点というのはこういうことかと納得した。

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    投稿日: 2013.07.10
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    もうこれまでに3回は読んでいるだろうか。 読むたびにレビューを書こうとして、しかしこの気持ちをどう表現すべきなのか わからずに書くことを断念して、を繰り返して4回目の再読となる。 確か、初読は19歳のころ。そのころのわたしも日記帳にガリガリと 長い長い日記を書いていたのをぼんやりと覚えている。 23歳になるときを控えつつあるわたしには 過去に覚えたような衝撃を、この本からは受けられなかった。 簡単に言ってしまえばこれは、理想の高すぎるひとりの女子大生が 恋愛では男に遊ばれ、学生運動に曖昧な自己の輪郭を求めるがうまくいかず 絶望して自殺に至った日々を記した文章でしかない。 「メンタルヘルスブログ」のような公に向けられた文章ではないから 他者から読むと、心理描写やことがらの繋がりが粗い手記でしかない。 しかし、それでもこの日記が素晴らしいのは 完全にプライヴェートなものでありながらも、他者の目を意識しているかのように 内言が省かれずに正確に描かれている点にある。 できごとは、細かく書かれていない。唐突に指をカミソリで切ったりする。 つまり不可解なことは多い。 それでも、この文章からわたしたちがある感銘を受けるのは そのときの気持ちをできる限り克明に記そうと彼女が努力しているからだ。 それは完全に自己のためであるが、その内容が――彼女にとっては不本意だろうが―― 普遍的なものであったからだろう。 もうこの文章に自分を重ねて浸れるほどにはわたしは若くないし ある一定の層にしかガツンと響くものはないというのはわかるから 星は3つにするけれど、きっとまた読み返すのだろうなと思う。 きっと彼女は、純粋すぎたのだろう。

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    投稿日: 2013.05.12
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    学生運動が盛んだった時代、 著者が20歳の誕生日を迎えてから、自ら命を絶つまでのおよそ半年間の日記。 20歳前後の多感な時期に読んでいたら、何か感じるものがあったかもしれない。

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    投稿日: 2013.03.02
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    読み始めたとき、冒頭部分はほんとうに私の心の中をそのまま書き起こしたのかと思うほどで、とても深く響く言葉だと感じた。60年代末のわたしだと。しかし、読み進める時代の流れかもしれないが学園紛争にあまりに翻弄されて心を奪われている姿が全く理解できないものとなり、文学的にも昇華されているとは言えないものが書き連ねられている印象になった。自意識で塗り固められて思春期特有の自我同一性の拡散を起こしているようにしかおもえない。もう少し、冷静になれなかったのか。村上春樹と同年代のこの方。ふと心に刺さるような素晴らしい一節もあれば、読んでいくうちに胸焼けのするような内容もあった。どちらにしろ、この人の書いたことや対面した問題はわたしも少なからず考えていることではありますが、このアプローチ方法は全く受け入れがたい。

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    投稿日: 2013.02.11
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    著者が自身の葛藤を描き、その葛藤の果ての結末までの日記。 主人公にはほとんど感情移入できないが、自分をはじめ大学生にはかなり刺さるメッセージが込められていると思う。

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    投稿日: 2013.01.11
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    学園紛争の中で、自己を確立しようと格闘しながらも、理想に砕かれ、愛に破れ、自らの命を絶っていった一女子大生の日記。 日記形式になってたので、一気に読めました~。 でもね、私には彼女の言ってること考えてることが半分も理解出来なかったと思う。。。。 今の二十歳の人はこんなこと絶対に考えてないだろ~。 たぶん30歳でも、40歳でも。。。 まさに太宰系や三島系の考え方だな~。 でも、『自分とは何か?何で生きてるのか?』って 今の若者は考えると思う。。。 時代の背景の違いだろうけど、 そう考えて自殺するTeenagerが多いよね。 私は、今、精神的におかしくなってるけど、 死にたいとは思わない。。。 なぜなら、死ぬときに「生きててよかった。」って思いたいから。 「幸せな人生だったな~」って思いたいから。

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    投稿日: 2012.11.26
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    この本を通して自らの行き方をまじと見ることができる。また、当時の世間の風潮や学生のあり方が現代とはいかに異なるかも感じられる。只この本学校の図書館にあるものの持ち出し禁止になっている。読みに行く時間を工面できない。

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    投稿日: 2012.11.24
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    読解力不測の私には、理解しがたい部分が多々ありました。しかし、日記が進むにつれて、彼女の精神状態が研ぎ澄まされてゆくことは、わかりました。当時の学生は、みんな真剣に何かを考えていたんだと感じました。

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    投稿日: 2012.10.03
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    同じ立命生として考えさせられるものではあったけど、まぁそのくらい思うよねって気はした。残念ながら元から詩には興味がないし。というかなぜこういいう在り方しかできないのか、社会的に思わされているのか。もっと自由でありたいよね。いわゆる自由とかじゃなくて。

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    投稿日: 2012.09.08
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    昔付き合っていた人に貰ったのが読むきっかけ。 もしかしたら自分にもこれほどにヒリヒリしたら時期があったかもしれない。 入り込んで読まないと、何故だかやけに醒めてしまう。

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    投稿日: 2012.09.05
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    このレビューはネタバレを含みます。

    大学生の女の子が、学生運動や学校生活、恋愛などで悩み、絶望して、命を絶ってしまうまでの心の叫びが詰まった一冊。 初めてこの本を読んだ時の衝撃と、やるせない気持ちを思い出しました。 日記ということで、まとまっていないところもあったけれども、全体的にきれいな文章で綴られている。特に思いを込めた詩は美しく、そして悲しかった… 生きることの意味を深く考えさせられた1冊です。

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    投稿日: 2012.08.31
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    読まなければ、とずっと思っていたのをやっと読んだ。予想通り、著者の考え方と自分に近いものがあって、それだけに痛々しくて少しずつしか読めなかった。「序章」も読む。

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    投稿日: 2012.08.31
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    オススメの理由 本書は、著者である高野悦子が二十歳の誕生日の日から鉄道自殺をするまでの1969年の半年間をつらねた日記だ。 40年以上前の大学生、しかも大学闘争まっただなかの女の子の日記なのに、思わずうなずいてしまうような、バイトのこと、大学のこと、恋愛のこと、他人からの自分への評価のこと、「よい子」だった過去の自分、についてが詳細に赤裸々に綴ってある。彼女は「真摯に生きようとしすぎて」やがて死へとむかっていってしまうのだが、甘ちゃんの平成うまれの私はその生き方に、つよく心をうたれた。 推薦者のページ ⇒http://booklog.jp/users/iidakaori ⇒http://book.akahoshitakuya.com/u/239705

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    投稿日: 2012.07.11
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    なんというか、だんだん狂気に迫っていく様子が胸にくるものがあります。 生きればいいのになーって思ってしまいます。

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    投稿日: 2012.06.03