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モオツァルト・無常という事
モオツァルト・無常という事
小林秀雄/新潮社
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総合評価

58件)
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    レクイエムにむけて② そうだよなそうだよなと涙が出そうになるのはなんで ーモオツアルトのかなしさは疾走する。 涙は追いつけない。涙の裡には玩弄するには美しすぎる。 世界を音楽に、音楽をことばに、自由にできたらいいのにね こうやって私たちの感情を上手にことばにできる人がいるのってありがたいことです また絶対に読みましょう ロマンロランいってみてもよいか 日本の芸術はわからなすぎ これからべんきょうします いしぶたい?は火の鳥にでてきてたね (手塚も神っぽいけどモオツアルトとは比べられない…… 額縁が絵の棲家っていうのはおもろい

    0
    投稿日: 2025.10.23
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    批評の良し悪しは判断できませんが、このように美しいと感じる文章の出てくることが少なくなったと感じる2025年現在、文章に対する感性を磨くために読む価値はあるのではないかと思います。

    0
    投稿日: 2025.09.28
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    本の題名となっている「モオツァルト」と「無常という事」を含む、全16篇のエッセイ集。 ボリュームはさまざまで、「モオツァルト」は67ページあり、「無常という事」は5ページである。 巻頭に置かれているのは「モオツァルト」である。 ここでは、「モオツァルト」にしぼって書いてみたい。 私はクラシック音楽の愛好家なので、この有名なエッセイは知っており、ほかの本で引用文は何度も読んでいた。しかし、実際に原文に当たるのは初めてである。 モーツァルトの研究が進んだ今見ると、解釈が誤っていると感じる部分は多々ある。昭和21年(1947年)に発表された文章なので、仕方がない。もっとも現時点では、モーツァルトについて知る目的で本書を読む人はいないだろうからそれは問題にはならない。 いま本書を読む人は、小林秀雄氏が、モーツァルトをどのように描いたかに興味があるわけである。それを踏まえて読んでも、記述の正確さについては気になってしまう。 数々の資料が揃っている現代の目で見ると、小林氏は文学的に考えすぎだと感じる。モーツァルトの研究が進んでいない当時の限られた資料では、足りない部分は想像力で補うしかない。だからこのようなことが書けたのだろうと感じる文章である。 もちろん、文章は立派だ。思想家の書く文章で、ほかの人には書けない文章だ。発表当時、世の中に与えた影響の大きさも理解している。それでも、釈然としないものがある。 小林秀雄ファンが読む分にはいいだろう。だが、モーツァルトのファンや、クラシック音楽のファンが、これから読む意義はあまりないと感じた。

    0
    投稿日: 2025.05.17
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    美麗な文章で綴られる芸術論ですが、アイロニーやユーモアもあり批評のレベルにとどまらないと思う。 豊かな歴史的観点からの考察もさすが。 「骨董」に関する氏の「骨董の世界が所謂「美術鑑賞」と異なるのは、品物を買ってから始まり、そこから品物が此方の生活に触れてくるのだ」との下り、サブスクとレコード購入の違いを日頃思う自分としては膝を打った。

    1
    投稿日: 2023.12.29
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    前半のほうには力強さや、言葉の鋭さがはっきりとしている。後半の骨董については、ちょっとグダグダとなった感がある。

    0
    投稿日: 2023.12.24
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    小林秀雄初読。有名な批評家だから、どんな文章を書くのかと思ったらほとんどがエッセイに近い印象だった。明晰な分析というより、文学に近い。 期待は裏切られたが、文章はめちゃくちゃ上手いし、これはこれで良い収穫だった気がする。「モオツァルト」が一番好きで、「西行」も良かった。いつか「本居宣長」読みたい。

    0
    投稿日: 2023.04.20
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    本文は、モーツァルト・美を求める心と題して、noteで投稿したものです。    水曜日の朝、ぼくはモーツァルトのシンフォニー第40番第1楽章を聴いて、泣きそうになったのを思いだす。その日は、いつもより早く起きていたから丁度良いと思い、かけていた。 しかし、何故モーツァルトは、シンフォニーで何役にも転じたのか、語り部であり、聴者であり、忘れ河である。 彼は、自らの楽曲の中で自問自答を繰り返していたのか。 ふとそんなことを思い、狂った感覚が襲った。 しかし、ぼくは音楽に詳しい訳では無い。空き時間に未開の地に足を踏み入れんとする者である。 しかし、不思議だ。あの時に感じたものはいまでは、やはり偽りの鮮明の中に埋もれてしまっている。  何故か小林さんのモオツァルトは読んでいなかった。それ熟読することは、高校生のぼくにはまだ早いのかと思っていたが、モーツァルトのあの躍動を凝縮したシンフォニーを聴いて心奪われた以上読んでみたくなった。  Ⅰ   モーツァルト  水曜日に聴いたシンフォニーは、無名のピアニストによる演奏だった。しかし、その後もモーツァルトのシンフォニーのことで頭は一杯で、頭の中で何度も繰り返し響いていた。 しかし、もう一度聴きたい。メニューインの演奏があったのでそれを聴いた。なるほどこうなるのか。ぼくは彼の演奏に惹かれてしまった。メニューインは小林さんのお気に入りのヴァイオリニストとのことで、彼の来日時に、愛情を持ってこう書いている。  「第一日目の演奏を聴いて、何か感想を書くことを約したが、きつと感動してしまつて何も言ふ事がなくなるだらうと考へてゐた。その通りになつた。タルティニのトリルが鳴り出すと、私はもうすべての言葉を忘れて了つた。バッハだらうが、フランクだらうが、それはもうどうでもよい事であつた。魂を悪魔に渡してから音楽を聞くといふこともある。タルティニは嘘をついたのぢやあるまい。たゞ、私は夢の中で、はつきり覚めてゐた。そして名人の鳴らすストラディヴァリウスの共鳴盤を、ひたすら追つてゐた。あゝ、何んといふ音だ。私は、どんなに渇ゑてゐたかをはつきり知つた。 メニューヒン氏は、こんな子供らしい感想が新聞紙上に現れるのを見て、さぞ驚くであらう。しかし、私は、あなたの様な天才ではないが、子供ではないのだ。現代の狂気と不幸とをよく理解してゐる大人である。私はあなたに感謝する。」 『メニューヒンを聴いて』(1951年)  しかし、クラシックは、元気が無いと聴く気が起きないという時期がぼくにもあった。長明の言うところの朝顔と露か。oasis、レディオヘッドあたりが、丁度良いという時期が。しかし、歩いているとメヌエットのG.minorが、ぼくを急がせ次第に足取りは速くなる。  小林秀雄が、モオツァルトのかなしさは疾走する。涙は追いつけないと言った楽曲は、弦楽五重奏曲第4番 ト短調 K.516である。 ぼくのアレグロに対する印象は、まるで、そっほを向いているように感じた。小林さんは、正確な足取りであるとおっしゃっていたが、ぼくが思うにそれは、ジャック・スパローのあの歩き方である。音がほんの少し響く地面をあの様に独りで歩いている。そして時折振り返る。多分何も見るものは無いし、見てもいない。衝動的に、そうしたに過ぎまい。 それ故、涙はついてこれない、涙ですら見えぬのだから。涙は彼の曲となる。彼の涙は、モオツァルトという忘れ河を経て、あのような明るい曲となる。涙はもはや、追いつけぬばかりではなく、何も覚えてなどいないのではあるまいか。その数滴の涙めいめいが人をヴァイオリンとを表す。モーツァルトの曲はいつも新鮮だとあるが、モーツァルトを思いだし耳を傾けると、何もかもを忘れた涙が、曲として生まれてくるからではあるまいか。しかし、これはモーツァルトに限ったことでは無く、全ての人もそうである。それが、孤独という人間存在の本質と小林さんは、書かれている。そうなると彼の楽曲はいよいよ深い。モオツァルトという人は、決して急いでいる訳では無い、ドン・ジョバンニを見ているとそんな気がしてくる。サリエリはドン・ジョバンニの上演を僅か6日で打ち切らせた。騎士長が、父レオポルトに見えたのだ。彼は父親の呪いがモーツァルトにかかっていると直感したのだ。しかし、モーツァルトにとっては果たして、レオポルトの呪いであったのか。呪いであり祝福であるかのようだどうやらサリエリは、次なる祝福を我が物にしたかったのだろう。  小林さんが交響曲第39番 変ホ長調 K. 543第4楽章は、まるで明け方の雲のようだとおっしゃっていたが、捕らえた小鳥をかごの中で、野生のままにしておくが如く、この表現には感動した。余すことのない自然と生み出されたそれが、この第4楽章から伝わってくる。ハイドンのシンフォニーの繊細さとは違う、カーテンの匂いのするようなものでなく、冷たい川の水のようなものをモーツァルトからは感じる。ブルーノ・ワルターの指揮は、本当に素晴らしい。  Ⅱ 批評の神様の音楽会  小林秀雄は、文学青年でもあり音楽青年でもあった。彼の父親の職業柄また、父親の短命ともあり、しかし、海外製の蓄音機が小林秀雄の音楽への造詣を深めるに至るきっかけとなった。 こうして思えば、無常という事は、小林秀雄の傍に、いつも音楽があったという事の象徴だとも言える。彼も宣長は、ブラームスで書いてます。といっていた。  第一部までモーツァルトについて触れてきた、この第二部では、美を求める心を小林さんの音楽との関係について触れながら進めていく。 私は、美の問題は、美とは何かという様な面倒な議論の問題ではなく、私たちめいめいの、小さな、はっきりとした美しさの経験が根本だ、と考えている…。美しいと思うことは、物の美しい姿を感じる事です。美を求める心とは、物の美しい姿を求める心です。 美を求める心より     美しいものは、既にそこにある。我々は、めいめいの目で耳でそれを見出さなくてはならない。勿論、人それぞれである。無常という事は、多分、モーツァルトに最も影響されていると思う。これも、ぼくの考えであり、そうでなくても構わない。これは、こう言う歴史でこう言う価値があり云々とは、それほど重要ではない。その先が重要なのである。現代に於いては、これが欠落しているとしか思えぬ。  音楽や芸術それだけではなく、自然それが、人間の創造性のダイナミクスの源であるという事は、多分、何となく分かる人も多いだろう。 梅の花だって、木に咲いているものだけが美しいのではない、散ってもなお美しい、勿論、そのようなクオリアは、人によって明らかに違ってくるもの。かつての王侯貴族達が、アートを欲していたのは、まさに一種形式的なものから自らを解毒しようとしていたのではあるまいか。    1982年12月28日小林さんは、病床についていた。同年春から音楽を聴くことは無くなった。聴く気力も体力も無いのである。しかしその日、1階のテレビから、あのメニューインの演奏が放映されている。小林さんは、夫人と共に最後まで聴いていたという。宮沢賢治に、眼にて云ふという詩がある。 あなたの方からみたらずゐぶんさんたんたるけしきでせうが わたくしから見えるのは やっぱりきれいな青ぞらと すきとほった風ばかりです。 苦しいさはあったはずである。しかし、多分、彼の人生で最も何とも言えないものに包まれた一時であったことだろう。その約2ヶ月後、小林さんは、息を引き取った。  美を求める心とは、即ち、人の心也。 人間が生きる原動力となる。茂木健一郎さんが小林さんは、エピファニーの人だとおっしゃっていたが、このエピファニーというものを我々は、大切にしなくてはならない。本質は必ずしも美しいとは、限らない。美は思うほど美しいものではない。だからといって美しくないわけではない。一枚の木葉も地面におちていれば、隠すものは、そうあるまい。しかし、一と度手に取り、月にかぶせてみよ。 我々は、創造の萌芽の芽吹く世界に怠惰しているに過ぎない。そんなものは、場違いではあるまいか。現代人が最も癪に障る。それは必ずしも考え抜いたからというものでは無くともそうであるものではないあるまいか。  モーツァルト、これで良かったのか? 答えてくれても良いじゃないか。 答えてくれそうにないな。 ぼくはまた、忘れ河の水を飲むのか。 しかし、君は人間だな。ぼくは完全に忘れることは出来ない。思い出せもしない。  悲しさは疾走する。涙は追いつけない。 然れど涙は忘れ河を通り、永遠に回帰する。

    3
    投稿日: 2023.03.15
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    初めて小林秀雄の著作を読み、勝手に想像していたより内容がとっつきやすいことに驚いた。少し調べると、彼の評論の姿勢・内容に対する批判を見たが、そう言いたくなるのも理解できると思った。一方で、そうだそうだ!と私がならないのは、読んでいて彼の文章に「友達らしさ」を感じてしまったからだと思う。 坂口安吾の「教祖の文学-小林秀雄論-」を青空文庫で読んだ。小林秀雄に対する批判は真っ当だなと思う笑 いくつか、そうだなと思ったところを抜粋する。 ・私は然しかういふ気の利いたやうな言ひ方は好きでない。本当は言葉の遊びぢやないか。....美しい「花」がある。「花」の美しさといふものはない、といふ表現は、人は多いが人は少いとは違つて、これはこれで意味に即してもゐるのだけれども、然し小林に曖昧さを弄ぶ性癖があり、気のきいた表現に自ら思ひこんで取り澄してゐる態度が根柢にある ・あげくの果に、小林はちかごろ奥義を極めてしまつたから...小林秀雄も教祖になつた ・人間は何をやりだすか分らんから、文学があるのぢやないか。歴史の必然などといふ、人間の必然、そんなもので割り切れたり、鑑賞に堪へたりできるものなら、文学などの必要はないのだ。だから小林はその魂の根本に於いて、文学とは完全に縁が切れてゐる。そのくせ文学の奥義をあみだし、一宗の教祖となる、これ実に邪教である ・彼はもう文学を鑑賞し詩人を解するだけだ。歴史の必然とか人間の必然といふ自分勝手な角度によつて、彼はもう文学や詩人と争ひ、格闘することがないのである。争ふとか格闘するといふことは、自分を偶然の方へ賭けることだから、彼はもう偶然などは俺にはいらないといふ悟りをひらいてゐるのだ ・思想や意見によつて動かされるといふことのない見えすぎる目。そんな目は節穴みたいなもので物の死相しか見てゐやしない。つまり小林の必然といふ化け物だけしか見えやしない。平家物語の作者が見たといふ月、ボンクラの目に見えやしないと小林がいふそんな月が一体そんなステキな月か。平家物語なんてものが第一級の文学だなんて、バカも休み休み言ひたまへ。あんなものに心の動かぬ我々が罰が当つてゐるのだとは阿呆らしい ・文学は生きることだよ。見ることではないのだ。生きるといふことは必ずしも行ふといふことでなくともよいかも知れぬ。書斎の中に閉ぢこもつてゐてもよい。然し作家はともかく生きる人間の退ッ引きならぬギリギリの相を見つめ自分の仮面を一枚づつはぎとつて行く苦痛に身をひそめてそこから人間の詩を歌ひだすのでなければダメだ。生きる人間を締めだした文学などがあるものではない ・人間孤独の相などとは、きまりきつたこと、当りまへすぎる事、そんなものは屁でもない。そんなものこそ特別意識する必要はない。さうにきまりきつてゐるのだから。仮面をぬぎ裸になつた近代が毒に当てられて罰が当つてゐるのではなく、人間孤独の相などといふものをほじくりだして深刻めかしてゐる小林秀雄の方が毒にあてられ罰が当つてゐるのだ。自分といふ人間は他にかけがへのない人間であり、死ねばなくなる人間なのだから、自分の人生を精いつぱい、より良く、工夫をこらして生きなければならぬ。人間一般、永遠なる人間、そんなものゝ肖像によつて間に合はせたり、まぎらしたりはできないもので、単純明快、より良く生きるほかに、何物もありやしない ・文学も思想も宗教も文化一般、根はそれだけのものであり、人生の主題眼目は常にたゞ自分が生きるといふことだけだ。良く見える目、そして良く人間が見え、見えすぎたといふ兼好法師はどんな人間を見たといふのだ。自分といふ人間が見えなければ、人間がどんなに見えすぎたつて何も見てゐやしないのだ。自分の人生への理想と悲願と努力といふものが見えなければ ・人間は悲しいものだ。切ないものだ。苦しいものだ。不幸なものだ。なぜなら、死んでなくなつてしまふのだから。自分一人だけがさうなんだから。銘々がさういふ自分を背負つてゐるのだから、これはもう、人間同志の関係に幸福などありやしない。それでも、とにかく、生きるほかに手はない。生きる以上は、悪くより、良く生きなければならぬ 抜粋という量ではないが、どれもこれも私に刺さった。そうだな、そうだよな、と思いながら、やはり一方で小林秀雄に対する共感は消えない。坂口安吾の考えも心の底から賛同するが、私にはこれは生まれ持った性質の違いであって、どこまでも平行線で続くもの、同じ人間だからと同じ到達点に至らないところだと感じている。(これは全く持って私の感想なのだけれど) 坂口安吾のような人を私はとても好きだし、そういう言葉に救われることもあるのだけど、そのようになれるかというと別で、生来の考え方・捉え方は小林秀雄的な曖昧さに近い。 世の中はそのように曖昧に存在すると思っているし、言語化できないニュアンスを小林秀雄と共有していると私は感じてしまった。論理的に云々ではなく、直感でそう感じたというところが大きい。必ずしもすべての評論に納得するわけでもなく、小林秀雄先生万歳!となるほど心の底から納得しているわけでもないんだけど、なんとなく君の言いたいことはわかるよと思いながら読んでいたというのが近いかな。急に絵や音楽を思い出したり、自分の心がこういう風に動いたと書きまとめることを自分もやるからだろう。 特に好きだったのは「西行」の「いかにすべきか我心」が問題であった、という評論。 西行も、小林秀雄も、そして私もあまりにも自分の心を過剰に捉えているのかもしれないが、どうしてかそういう風になって生きているので、それを認識し変えようとしながらもどうしてもそうなる心というのを持て余しているのだ。 高校生の時に「行方無く月に心の澄み澄みて果ては如何にか為らんとすらむ」という一首に出会った時の衝撃を、小さいころからの自分と同じ状態を詠った歌人への同朋意識を、私はいまだに持ち続けている。 モオツァルトがかなしいか、いや全てがかなしいのである。 そういう心は浮世を離れてしまうので、坂口安吾的な人からの叱咤はいつも私を引き戻してくれるのだ。 もう少し小林秀雄を読みつつ、坂口安吾も読みたくなってきた。

    0
    投稿日: 2022.07.16
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    小林秀雄 「 モオツァルト 無常という事 」 表題のほか、中世文学、日本美術、骨董に通じる美意識を捉えた随筆。美意識を 耳で捉えている印象を受ける。逆説的な表現も とても面白い 表題の「モオツァルト」はモーツァルトの愚劣な生活と完璧な芸術の不調和に目付けした名随筆。肖像画と実生活からモーツァルト像にアプローチする方法も斬新 「モーツァルト」で 語られた「美というものは、現実にある一つの抗し難い力であって〜普通一般に考えられているより遥かに美しくもなく愉快でもない」が、他の随筆の美意識にも つながっているように思う 「モーツァルトのかなしさは疾走する。涙は追いつけない」について、モーツァルトの音楽に 疾走感はあると思うが「かなしさ」とは何か。レクイエム、ミサ、オペラなど作品の悲しさ? モーツァルトの天才ゆえの孤独の悲しさ?掲載時(昭和21年の敗戦直後)における聞き手の悲しさ? 著者らしい逆説的な名言の数々 天賦の才というモーツァルトの重荷 「才能があるおかげで仕事が楽なのは凡才に限る〜凡才が容易と見る処に〜天才は難問を見る〜強い精神は容易な事を嫌う」 「努力は困難や障がいの発明による自己改変の長い道だ。いつも与えられた困難だけを、どうにか切り抜けて来た苦労人は、発育不全な自己を持っている」 モーツァルト作品 *世間の愚劣な要求に応じ、あわただしい心労のうちに成ったもの。制作とはその場その場の取引であり〜熟慮専念する時間はなかった *即興は彼の命〜外部からの不意打ちに対する決意の目覚め〜彼のこの世に処する覚悟 *モーツァルトは何も狙いはしなかった〜モーツァルトは目的地を定めない。歩き方が目的地を作り出した〜他人の歌を上手に模倣するほど、自身のかけがえのない歌を模倣するに至る

    1
    投稿日: 2022.01.20
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    https://www.silkroadin.com/2021/08/blog-post.html 「モオツァルト・無常という事」を読んで。 難しい。小説を普段から読まないので「尚更に」 全然理解出来ませんでした。と言うのが個人的な感想。 全体を通して、「美について著者の考えが書かれた本」というのが個人的な理解です。。 読後、自分も美について色々と考えてみました。 結論。 「美は、もしかしたら存在しないかもしれない。」 美にはいくつか種類があって、グランドキャニオンのような自然による造形や、芸術的な美、建築構造などの造形美、一生懸命な生きざまなどの精神美、など、、美の形式は一様ではない。 しかし、美について共通して言えることは、人間が体の器官を通して感じる感覚のひとつでしかない。という事。 実際にグランドキャニオンは必ずしも美しくないし、芸術的な美や精神美さえそれを美しいと感じるかどうかは人による。 実際に美は存在するが、それはグランドキャニオンが美しいからではない。美の対象を見た人間の中に存在する感覚そのものが美の正体というのが妥当ではないでしょうか。 もし、そうであるなら、美とは対象となるものを美しいと感じる心。かもしれません。 「美とは現実にあるひとつの抗し難い力」、「美は人の行為を規正し、秩序づけることによって、愉快な自由感を与えてくれて然るべき」など、著者は本書でこのように語っています。 わたしにとっては、本書で語られる美についての論理的に核心をついた言葉の数々が、美について新たな知見を与えてくれる一冊となりました。 みなさんもモーツァルトを聴きながら、本書を読み、美について改めて考えてみてはいかがでしょうか。 面白い発見があるかもしれません。是非、ご覧ください。 (蛇足) 私事ですが、最近ピアノソナタが好きで辻井伸行さんや反田恭平さんのベートーベン、リスト、モーツァルトなどを聴いていました。 クラシックを聴くメリットとして集中力が高まるということは一般に広く知られてきていると思いますが、前葉体賦活系(RAS)の働きが活発になる感覚を体感(個人的)できます。 無印BOOKという無印良品セレクトの本屋さんで偶然見つけて即購入&読了(全然理解できてませんが、、、) 表紙の、音の旋律を表すかのようなグラフィックデザインも素敵です。 読んだ後も飾って楽しんでみてください。 最後まで、読んでくださってありがとうございます。

    1
    投稿日: 2021.08.07
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    2020年90冊目。批評形式の短編集。順番を無視して表題の無常という事から読んだ。宙くんのお勧めだったので。教科書に載ってるのを、今も覚えているらしい。死とは動じない美しい形。/20200608

    1
    投稿日: 2020.09.12
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    小林秀雄の文章を読んでいると心地が良いのだが、内容が良いものと悪いものがある。 近代批評の確立者と言われたり、評論をダメにしたとか言われたりするが、個性のある文章を書いたに過ぎないと思う。 大した内容でもないのに、引き込まれてしまう時があるし、全く面白くないのもある。 情報が多いと言われている現代に、もし小林秀雄がいたらどういう文章を書くのかなと思ってしまう。 ・「モオツァルト」 モオツァルトの伝記を2つに集約している。 モオツァルトは歌劇作者よりシンフォニー作者としての方が立っている。 ・「当麻」 (有名な一節) 美しい「花」がある、「花」の美しさという様なものはない。 ・「西行」 西行は、歌の世界に、人間孤独の観念を新たに導き入れ、これを縦横に歌い切った人である。 (西行は和歌が素晴らしく、しかも長命のため多作) ・「実朝」 (鎌倉幕府第3代将軍でこちらも和歌が素晴らかったというのは初めて知った。) ・「徒然草」 吉田兼好は文章の達人であり、空前絶後であると、(とにかく褒めている。) ・「無常という事」 (著者の心に残った次の文章についての批評。) 「或云、比叡の御社に、いつはりてかんなぎのまねしたるなま女房の、十禅師の御前にて、 夜うち深け、人しづまりて後、ていとうていとうと、つづみをうちて、心すましたる声にて、とてもかくても候、なうなうとうたひけり。 其心を人にしひ問はれて云、生死無常の有様を思うに、此世のことはとてもかくても候。なう後世をたすけ給えと申すなり。云々」 ・「平家物語」 「盛衰記」と比べると格段の違い。 (「平家物語」の冒頭の神がかり的な素晴らしさ。) ・「蘇我馬子の墓」 石舞台は蘇我馬子の墓 竹内宿禰、大和朝廷、 愚管抄、日本最初の史論書 聖徳太子「経疏」 要約の出来ぬ美しさの大和三山 ・「鉄斎Ⅰ」 富岡鉄斎 南画家 天保7年~大正13年 川端康成の処 鉄斎 酒を呑み、琴を弾きながら何処かへ行ってしまった人である。 気質 文人画家 「八十七歳の時に描かれた山水図を、部屋に掛けて毎日眺めているが、 日本の南画家で此処まで行った人は一人もないと思わざるを得ない。 文人画家気質は愚か、凡そ努力しないでも人間が抱き得る様な気質は、もう一つも現れていない。鍛錬に鍛錬を重ねて創り出した形容を絶したある純一な性格を象徴する自然だけある。」 「万巻の書を読み千里の道を行かずんば画祖となるべからず。」 董其昌の戒律を脇目もふらず遵奉したひとである。 ・「鉄斎Ⅱ」 八十九まで元気旺盛にした仕事大器晩成という朦朧たる概念を実演しているようなもの、当人も志は画にないと言っているのだから致し方がない。 琳派 鉄斎は非常な読書家であった。併し、若し彼に画道という芸当がなかったなら、彼の雑然たる知識は、その表現の端緒を掴み得ず、雲散霧消したのではあるまいか。 ・「鉄斎Ⅲ」 贋作と富岡鉄斎 ・「光悦と宗達」 光悦について 岡崎政宗が有名な刀剣である政宗の由来となった人物。本阿弥光悦は偉大な芸術家。宗達は生国も死地もわからず伝説中の人物。 己れを失わずに他人と協力する幸福、和して同じない友情の幸福、そんな事を考える。 幸福は、己れを主張しようともしないし、他人を挑発しようともしない。 ・「雪舟」 「慧可断臂図」の絵の元になったのは中国人の顔輝 百尺竿頭 「百尺竿頭に一歩を進むべし」 (極地に達したあと、さらになお向上の工夫せよ) ・「偶像崇拝」 高野山の赤不動を見てがっかり ・「骨董」 ・「真贋」

    6
    投稿日: 2020.08.06
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    基礎知識がないと読み進めるのが辛いかも。頑張って読むと、その後の読書で感じ方が変わってくる気がした。 文字や知識からではなく直観で理解する、というと今の時代ではトンデモ論のように聞こえるかもしれないが、訓練され研ぎ澄まされた感覚ではそういう事が起こり得る。羽生善治さんの「大局観」とも通じる感覚だろう。

    0
    投稿日: 2020.01.10
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    難しかった〜 これは歴史や美術の知識がないと理解するの無理だね。 逆に高校生で日本史勉強してます!世界史の美術史やりました!くらいの時の方が楽しめるかも。 それでも辛うじて得たこととしては 批評は自由だということ。 しっかり自分の目で見たものに関して、これはよい、なぜよい、なにと比べてよいと思う、と表現していいということ。 自分の体験や気持ち、言われたこともかき混ぜて、自分の全部を使って理解したことを自由に書いていいということ。 それに正解も不正解もないということ。 かっこいいなー!と思った。

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    投稿日: 2019.09.22
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    過去の読書会課題本。蛇足としか思えない薀蓄や根拠希薄な決め付けとしか思えない記述が多く、正直、どうして今にいたるまで持て囃されているのか全く解らなかった。長編の代表作を読めば、また印象が変わるかもしれないとも思う。

    0
    投稿日: 2019.07.23
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    批評といえば、この人。 なのだが、分からない。全く分からない。 参った。素晴らしいことを伝えているんだと思うが、分からん。 いつかわかる日が来ることを願う。

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    投稿日: 2016.11.20
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    高校生の頃買った本.小林秀雄は教科書にものっていたし,大学入試でも定番だったから,読もうとしたのだろう.その当時の私には読めなかっただろうと思うが. さて,長い年月を経て「モオツァルト」「徒然草」「無常という事」「骨董」「真贋」を読む. さすがに「モオツァルト」はいいたい事はよくわかる.しかしなんとも音楽の聞こえてこない評論.音楽そのものではなく音楽から引き起こされる文学的な感興を文章にしたような感じ.むしろ小林秀雄の興味は音楽そのものよりも,モオツァルトという人間にあるといった方がよいかも. また,読みながら始終,もっとわかりやすい表現があるだろ,とか思ってしまう.つねに伝えたい内容に対して,文章が過剰なように私には思える.こういうのを知的でカッコいいと思う人もいるんだろうが. 「無常という事」は残念ながら私には初めの古文の意味が完全にはわからない.全体の意味も正直なところはっきりわかったとは言いがたい.こういうのが大学入試に出るとホントに困る. 「骨董」「真贋」はエッセイ.わたしにはちょっとペダンティックにすぎ,まったく楽しめなかった. 読み残したものたちは,古典,日本美術の教養のない私にはちょっと近寄りがたい.

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    投稿日: 2014.03.12
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    批評というのは小説と同様、創作行為に他ならない。ただし小説では時に作者は物語の陰に隠れられるのに対して、批評において言葉は作者そのものであり、語るべき対象ですら自身を写す鏡という違いがある。だからこそ知性と意思によって磨き上げられた評論は、抜き身の刀と向き合う様なスリリングな興奮が味わえる。近代人の権化たる小林秀雄の語り口は個人的であると同時に社会性を帯びており、戦後最初に発表したモーツァルト論は彼による敗戦後論とも受け取れる。そう、彼の語るモーツァルトと同じく、小林秀雄もまた歩き方の達人であったのだ。

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    投稿日: 2014.01.08
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    「しかし、逆説的ではあるが、本当に美しいものは想像ほど美しくないのだ」 なんてよく美について語るのだろう。 これほどのモーツァルト賛美はない。これほど深い、永遠や美や真実への信頼はない。

    0
    投稿日: 2013.10.17
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    筆者はモーツァルトのtristesseの典型例としてト短調クインテットK.516第1楽章Allegroの主題を提示(楽譜で)し、「モーツァルトのかなしさは疾走する。涙は追いつけない」と語る。人口に膾炙したくだりだが、我々はここに、天才批評家、小林秀雄を発見する。そして批評という行為が、まさしく創作に他ならないことをも同時に知るのである。本書にはモーツァルトをこよなく愛した小林の慧眼を随所に見ることができる。例えば、ワーグナーのモーツァルトの主題論を受けて、それが驚くほどに短いものであることを指摘するなど。

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    投稿日: 2013.09.25
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    初めて小林秀雄読んだけど、この本を読む限りでは文章が柔らかい印象があって、バランスが良いエッセイを読んでる感じがした! それでも個人的に、小林秀雄が語っていることへの理解が漠然としちゃってるのが悔しいなぁ・・・!

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    投稿日: 2013.04.17
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    かつてないほど時間を掛けて、ようやく読了。 高校のとき以来ですが、何と言うか、前より理解できた分、「あ、この考え方合わないな」という部分が出てきて、残念でした。 昔は、文句なしに感動できたのですが… ただ、本は人が書いている以上、「その人自身」でもあり、現実、合わない人や合わない所ってあるものなので、そういうのもあって当然。 少なくとも、読まないのはもったいないです。

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    投稿日: 2013.02.02
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    最初は、なんて難しい文章を書くんだろうと辟易したのですが、筆者による余所からの引用がたいへんわかりやすく取り纏められていることに気づいたとたん、これは文章力ではなく、自分の思考力が筆者の思想のレベルに追いついていなかったのだと、了解しました。その瞬間の、敗北感とは違う悔しさのような、おもしろさのような、向上心のような? そんなふうに感じたのは初めてでした。 内容はなかなか主観的なようにも感じますが、それのどこが悪い? と思わせるような説得力。信念と文章の確かさ、なのか。 しかしまだまだ難しい。知識も乏しくお恥ずかしい。要精進。 「モオツァルト」「偶像崇拝」「真贋」

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    投稿日: 2013.02.01
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    「評論の神様」小林秀雄の評論8編を収録。有名な『無常といふこと』は短く平易な文章で書かれているため、受験生にもオススメ。

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    投稿日: 2013.01.27
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    「近代評論の神様」と呼ばれる筆者の戦中〜戦後にかけての評論集。 天才の息吹を確実に感じる怒涛の文章。 高校の現代文の先生が猛烈に薦めてたのにも納得。 この一冊によって評論という行為に無限の可能性を切り拓いてくれた功績は大きい。 ただ『西行』・『実朝』・『平家物語』などの所謂中世日本史ものはある程度突っ込んだ背景知識が無いと難解か。 個人的に特に好きなのは『蘇我馬子の墓』と『偶像崇拝』。

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    投稿日: 2012.10.29
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    (2001.07.13読了)(2001.04.13購入) *解説目録より* 批評美学をもって当代随一とされる小林秀雄氏の絶唱「モオツァルト」、自らの宿命のかなしい主調音を奏でる「無常という事」「実朝」「平家物語」、微妙な真剣勝負も世界の機微を語る「骨董」ほか、「当麻」「徒然草」「西行」「蘇我馬子の墓」「鉄斎」「光悦と宗達」「雪舟」「偶像崇拝」「真贋」を収録。 ☆小林秀雄さんの本(既読) 「ドストエフスキイの生活」小林秀雄著、角川文庫、1955.08.20 「ゴッホの手紙」小林秀雄著、角川文庫、1957.10.30 「モオツァルト」小林秀雄著、角川文庫、1959.08.10 「対話 人間の建設」岡潔・小林秀雄著、新潮社、1965.10.20 「近代絵画」小林秀雄著、新潮文庫、1968.11.30 「考えるヒント」小林秀雄著、文春文庫、1974.06.25 「考えるヒント2」小林秀雄著、文芸春秋、1974.12.10

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    投稿日: 2012.08.30
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    このレビューはネタバレを含みます。

     昭和20年前後に書かれた文章なのだが、私にとってはもはや古文に近い感覚があるのはちょっとショックだった。しかも、タイトルのモーツァルトのところはいいとしても、西行、実朝、平家物語のあたりになると、本当の古文の引用が目白押しで、自分でも恐らく半分も内容を理解できてないと思われるまま、何とか最後までたどり着いたという感じである。(そんなこともあって、7月10日に「決断力」を読み終わってから、こんなに日数が過ぎてしまった。)  それにしても、内容は深い。「小林氏の批評美学の集大成」「批評という形式にひそむあらゆる可能性が、氏の肉声に触れて最高の楽音を発しながら響き合っていた」という解説もあるが、音楽から歴史から絵や骨董品まで、その守備範囲の広さには脱帽である。私は単にモーツァルトを読みたかっただけなのだが、ちょっと得をした気分である。

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    投稿日: 2012.08.24
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    これも積んでてなかなか読めなかったが、ドライブ受けて読みました。モオツアルトの楽譜がまず読めないので、これは家人に演奏していただいた。楽譜から音楽が聞こえてこない素人は、悲しい。古文が読めない素人は悲しい。絵画も骨董も素人なのも、とても悲しい。それでも文章はビートが効いていて、実に良かった。小林秀雄の本からは音楽(リズム)と、そして声が聞こえてくる。「○○なのではない。○○なだけだ」的リズムが。

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    投稿日: 2012.05.04
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    このレビューはネタバレを含みます。

    エッセイに近い評論集です。 音楽、美術について博学でないとついていけない部分も少なくありません。 ただ、批評の中に文学性を感じました。 今で言うところの福岡伸一さんや藤原正彦さんみたいな。 私が評価するのおこがましいというか、勉強不足なので評価しません。

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    投稿日: 2012.03.09
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    2012年最初の読了。 自らの教養のなさを痛感しつつ、美、才、ことばのもつ力とその限界を思う。人間は時とともに進歩・向上(これらの言葉にも限界あり)するという概念自体にも更なる懐疑が生まれた。一冊の本にこれだけの示唆と発想の端緒が詰めこまれては、読むほうがついて行けない。

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    投稿日: 2012.01.07
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    本書に収められた16の評論・エセー・雑文の、配列順序が宜しいのは、編集者の手腕でしょうか。  とくに「鉄斎」から最後の「真贋」までは、読み進めるにつれてくだけた話が増え、笑いすら誘う。 冒頭の「モオツァルト」は難解といえばそうであるが、筆者の言わんとするところは良く伝わっていると思う。

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    投稿日: 2011.11.20
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    小林秀雄が、モーツァルト、万葉の詩人や雪舟など芸術について語るエッセイ。偶像崇拝の話がおもしろい。偶像でしか表せない美。サイバーな方向に進む時代だから、偶像のリアリティということについて考えさせられた。

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    投稿日: 2011.08.29
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    久しぶりに再読したけど、やっぱりわかんないとこがある。 言いたいことが何となくわかりはするけど、こんな狭いスコープではないんだろうなといつも思う。 徒然草、に至っては未だにわかりません。

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    投稿日: 2011.08.08
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    小林批評美学の集大成であり、批評という形式ゆひそむあらゆる可能性を提示する「モオツァルト」、自らの宿命のかなしい主調音を奏でて近代日本の散文中最高の達成をなした戦時中の連作「無常という事」など6編、骨董という常にそれを玩弄するものを全人的に験さずにはおかない狂気と平常心の入り混じった世界の機微にふれた「真贋」など8編、ほか「蘇我馬子の墓」を収録する。 もっとちゃんと理解するなら、積読の必要がかなりある。

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    投稿日: 2011.04.14
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    10年くらい前に読んだけれど、鮮烈な印象は鈍らない。 「アイネ・クライネ・ナハトムジークなら聴いたことがある」くらいにしかモーツァルトに興味がなくても、じゅうぶん感動できる。モーツァルトの音楽が天国的だと言われる理由に納得したことがあるならば、涙することができる。 江藤淳の解説も必見。 ★★★★★の皆さんのレビューを拝見していたら、なんだか更に感動がこみ上げてきました。皆さんにありがとうと言いたい!

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    投稿日: 2010.11.07
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    批評って元々よくわからないんだけど、ますますわからない。 突き放したような書きぶりだと思ったら、急に個人的な印象の話になる。そうかと思えばまた一般論に戻る。 そういう、立ち位置やテーマとの距離感が次々と変わっていくようでどんなスタンスで読み進めていいのかわからない。そんな書きぶりに振り回されているううちになんだかわからないまま終わってしまった。 正直、小林秀雄がどれだけすごいのかわからなかった。これだけ評価されているのだから間違いなく何かがあって、それを読み取れなかったんだろうな、とは思うんだけど。もっと知ってもっと考えないといかん、てことだろうか。

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    投稿日: 2010.07.09
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    「モオツァルトのかなしさは疾走する。涙は追いつけない。涙の裡に玩弄するには美しすぎる。」様々なことに対して意見を寄せている著者。興味ある題目が多いのだか文章が難しいのでなかなか理解できない自分が悲しい。

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    投稿日: 2010.06.08
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    小林秀雄『モオツァルト・無常という事』を読む。 これまで小林秀雄の著作にはほとんどなじみがなかったが、 新潮新書の『人生の鍛錬 小林秀雄の言葉』を折に触れ開く。 小林秀雄の著作・講演から選り抜かれた言葉を ゆっくり味わいながら、宝の山に分け入ることになった。 「無常という事」は、 高校国語の教科書で読んで以来40年ぶりに読み直した。 自分の受け止め方が変わった部分変わらない部分があることを 面白く思った。 過不足ない言葉で思想をカタチにする明晰。 情におぼれず、かと言って 論理でがんじがらめになることのない自由。 文章のリズムが気持ちよく身体になじんでいく。 僕も自分自身を見失うことなく、 小林秀雄との対話を自分の速度で続けていきたい。 台風11号が関東に近づき、 日本も自公政権から民主党主導政権に交替することになった。 こんなときこそ浮ついた言葉に惑わされず、 政治家たちの仕事ぶりをきっちり見ていきたい。

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    投稿日: 2010.05.30
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    和歌のくだりはごっつ眠いのでモオツァルトのみ評価。世間一般で知られている小林秀雄の評価から僕らの思い浮かべる人物像とはほど遠く感じる実際の秀雄像が、語り口からひしひしと感じられる気がします。CD等で聞いた印象を踏まえる限りサバサバした物言いの方なのだと思います。 導入はほどほどに、モオツァルトの評論は楽しいです。ちゃんと聞いていない方、もしくは聞いていても材料として提出された曲目が分からない方でも読み飛ばしてその世界観に触れる事が出来ます。もちろん、聞いている方が望ましいですが、ここから始め、深める道もあるでしょう。テーマがモオツァルトということですが、現在それに触れている一般の方を想像する限り学生かクラッシックを学ばれている方ぐらいしか想像出来ません。そんなあまり一般的でないテーマでありながら、読む進めるうちに実際に彼の短調のメロディラインを聞きながら読みたい、と思えるのは筆力からなのか、それとも絡みつく様な話力からなのか。 それにしても、対比として出されるスタンダールやワーグナーの天才性ですが、そこにも一悶着ありそうな扱い方でその辺でも、もしかしたら短編でも 書いていそうな勢いで、テーマにも構築する材料にも愛情が感じられ心地良く、また好奇心を掻き立てる内容でした。 あまり触れませんが残りの和歌が7割を占め、そちらも素晴らしく、西行や実朝の分析も面白いです。引用が豊富で一般的な高校の古典レベルでは、少しハードルが高く予備知識なしでは厳しいかと思います。

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    投稿日: 2010.04.28
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    高校の教科書で「無常という事」と出会い、「解釈を拒絶して動じないものだけが美しい」という言葉に深く打たれた。 座右の銘にしたいけれど、そこまでよく意味が飲み込めていない。 無常ということを体感してみたいと思う。 小林先生は全般的に、読んでなにかすごいことがわかったような気分になる。それを説明しろといわれるとできないんだけど。

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    投稿日: 2010.02.14
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    音楽の著名な評論の一つ。 「ドン・ジョバンニ」を観に行く前の予習として読みましたが、集中力不足なのか、知識不足なのかあまり頭に入ってきませんでした。 モオツァルトの人柄などは分かった気がしましたが。 時間がないので「モオツァルト」のみ読了。最近こういうのが多くて残念。 他には「西行」「実朝」「平家物語」「蘇我馬子の墓」などめっちゃ面白そうなタイトルが並んでいるのですが……。

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    投稿日: 2009.09.09
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    語り口がこの上なく好きです。 穏やかなんだけどグサっと刺してくるところとか、意図を酌めてないのに読めてしまうところとか 途中経過その1 「西行」:名文、最後のページで何故か泣きたくなった

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    投稿日: 2009.04.29
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    美しい文章という定義付けは難しいだろう。 たとえばノーベル文学賞に輝くアーネスト・ヘミングウェイの骨太ながらも。危いまでに繊細な心の陰影をのぞかせる文脈とか、妖しく美しくあることが、まるで運命づけられたようにしなやかに律動する川端康成の筆のすさびなどは、その最右翼と目してもよいだろう。 この本の表題にあるモオツァルトとは、あの18世紀に登場した天才的作曲家のことである。僕はミロス・フォアマンの映画でしか知らないが、この小林の書き残した評伝には間違いなくあの映画で描かれた天才が息づいている。それよりも並々ならぬ著者の洞察力と、その見識の水準のとてつもない高さに、ただただ脱帽するしかないという面持ちにさせられるのだ。 あとがきを見ると著者は太平洋戦争の賛同者であったらしい、この小論が書かれたのが昭和二十一年 なにかにとりつかれた如く、この西洋の悪魔的魅力を持った天才児について、愛していたというよりは 土砂降りの雨中、裏切られた親友を殴るような勢いで書き連ねていくのだ。あたかも、それは彼の魂を悪魔と引き換えにやり遂げたといった風情なのだ。 全編読み終えると、まったくシンフォニーについて知らなくても、この文が長い時間をかけ刻苦の末に創造し完成た賜物であるのではなかろうかと感じる。 読み返すと、今度はモオツァルトが歌劇にて指揮する姿を想像し18世紀の世界に誘ってくれるのだ。そう、この不世出の天才音楽家と邂逅するような錯覚におちいるのだ。 全編美しい旋律を奏でるが如く、耳の心地よい、 これは掛け値なしに、日本の生んだ昭和の英知によるたぐい稀な美しい文だと思えるのだ。 思い出したが、開高健のエッセイでモオツァルトが過度のスカトロジーであったということをきいたことがある。さすがにこの評伝ではそのことには触れていない。 このことを、モオツァルトに関する遺存する膨大な資料を原文で読み下した小林秀雄が知らなかいわけはなかっただろう。これは蛇足でした。

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    投稿日: 2009.03.01
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    「無常という事」が高校の国語の教科書に載っていて、 読んだその時の感動ったら・・・。 家に帰って父に「この文章すごくいいよ!」って 自慢したら、父の本棚に小林秀雄の全集がありました。 文学に興味がなかったあの頃は気がつかなかった・・・。

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    投稿日: 2009.01.07
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    小難しい日本語なのに、何故か心地よい。 日本人でよかったと、時たま心に刻みたくなるような一節があちらこちらと転がっていて大好き。かっこいい。むしろバイブル。

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    投稿日: 2008.12.12
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    西行についての本を片っ端から読もうと決めて、手に取った本。 『西行』だけを読むつもりが、すっかり読みふけってしまいました。 受験生の時は鬼門だった小林秀雄が、かくも心に沁みるものかと、驚きのあまり泣けてくるほど。 絶品の日本語だと思います。

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    投稿日: 2008.11.16
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    考えるヒントの小林秀雄。 色々と勉強になった。 特に Mozart = tristesse これにはとても賛成できる。 天才っていうのは常にどこか様子がおかしかったりするものです。 そして常に見えない悲しみの中にいます。 時々飽きてくるところもあったけど、その他の「当麻」、「徒然草」、「無常という事」、「西行」、「実朝」、「平家物語」、「蘇我馬子の墓」もよかったよ。 沢山勉強しないと書けないよね、こういうのは。 作者がちょっとだけ麻生太郎に似てると思うのは私だけですか?

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    投稿日: 2008.06.22
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    この人の著作にはまらない人というのは僕は尊敬します。この人に心底批判的になってみたいです。 ぼくにはできません。 それくらい、僕は彼の不確かな日本語の論評が大好きです が この頭でっかちの巨人は「音楽」を理解していたとはとうてい思えません。 音楽批評にはほころびがありませんが、だめです。  音楽をほんとうに理解する脳を、彼は封印していたとしか思えません。

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    投稿日: 2008.04.27
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    模倣は独創の母である。唯一人のほんたうの母親である。二人を引離して了つたのは、ほんの近代の趣味に過ぎない。模倣してみないで、どうして模倣出来ぬものに出会へようか。僕は他人の歌を模倣する。他人の歌は僕の肉声の上に乗る他はあるまい。してみれば、僕が他人の歌を上手に模倣すればするほど、僕は僕自身の掛けがへのない歌を模倣するに至る。これは日常社会のあらゆる日常行為の、何の変哲もない原則である。だが、今日の芸術の世界では、かういふ言葉も逆説めいて聞える程、独創といふ観念を化物染みたものにして了つた。(小林秀雄 『モオツァルト』) 模倣でない独創は無い、と言っている。 小林秀雄だけでなく、この類の物言いは少し探せば幾らでも見つかる。

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    投稿日: 2008.04.05
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    天才の孤独に肉薄する小林秀雄の闘争心に圧倒された。教科書が教えてくれた最大の財産。何度文章を書き写したかわからない。

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    投稿日: 2007.10.05
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    正直なところ、あまりよくわかりませんでした(全体的に)。よくわかる人はいらっしゃるのでしょうか?でも、「モオツァルト」は読めば読むほどわかる部分が出てきて、ちょっと楽しかったです。「無常という事」も最後の最後で「なるほど」と思いました。でも、最終的な感想としては「よくわからなかった」になります。不思議です。私にはまだ早すぎたのかもしれません。死ぬまでに理解できるかも疑問ですが。

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    投稿日: 2007.03.18
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    私の周囲には読書好きの人はいませんでしたので、小林秀雄が文学の先生でした。ランボオ、実朝、モオツァルト、・・・天才を語らせたら小林秀雄の右に出るものはいないとおもいます。

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    投稿日: 2007.03.07
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    収録作:モオツァルト、当麻、徒然草、無常という事、西行、実朝、平家物語、蘇我馬子の墓、鉄斎、光悦と宗達、雪舟、偶像崇拝、骨董、真贋 小林秀雄の好きだったものを並べましたよ、みたいな。要するに好きでもないものについて語るべきじゃないのである。とこれを読んで思ったのである。

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    投稿日: 2007.01.06
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    大好きな本です。何よりも小林秀雄さんの表現の仕方がとても心地よい。モーツァルトだけでなく他の作曲家についての考察もあるのもまた楽しい。

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    投稿日: 2006.07.24
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    モーツアルトが読みたくて買いました。 音楽と文化の楽しみ方感じ方を手引きしてくれます。 この本はモーツアルトのみの事が描かれているわけではない バッハ ベートーベン ゲーテメニューイン ワーグナーの考察 ドンジョバンニやフィガロの考察 モーツアルトの短いテーマに秘められた神秘性 ニーチェとワーグナー ビクトルユーゴ パガニーニ ガリアノのバイオリンとパガニーニ ドビッシーのペレアスとメリザンドの詩的な表現にメーテルリングは拒否反応  まー面白い 小林秀雄の考察の仕方は真似したいものです。

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    投稿日: 2006.02.14
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    中学のとき、背伸びして買った本。当時はもちろん今もよくわからない。無情という事は抽象的な概念だし、国語の授業でやったんで結構理解できた。そのとき、初めて小林秀雄という人がこんなに絶賛されてる事が分かった気がしました。こういう文章が書けるようになれれば、表現する際に起こるこの悶々とした感情からは解き放たれるのだと思う。

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    投稿日: 2005.12.10
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    まずは一言。とにかく読め。こいつを読め。 映画「アマデウス」だったか、モーツァルトは「私の音楽の中に、無駄な音はひとつもない」というようなことを言うのですが、これもまさに「無駄な言葉はひとつもない」。 一つひとつの文章に気合が感じられます。 「モオツァルトのかなしさは疾走する。涙は追いつけない。」だの、「恐らくモオツァルトは正しい。彼の言う方が正しい。併し、彼が神である理由が何処にあろう。やがて、音楽の霊は、彼を食い殺すであろう。明らかな事である。」だの、一文一文がすでに芸術。 小林秀雄の批評美学の集大成と言われますが、まさにその通り。

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    投稿日: 2005.05.12
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    「天賦の才というものが、モオツァルトにはどんな重荷であったかを明示している。才能がある御蔭で仕事が楽なのは凡才に限るのである。十六歳で、既に、創作方法上の限界に達したとは一体どういう事か。『作曲のどんな種類でも、どんな様式でも考えられるし、真似できる』と彼は父親に書く。しかし、そういう次第になったというその事こそ、実は何にも増して辛い事だ、とは書かない。書いても無駄だからである。彼は彼なりに大自意識家であった。若し彼に詩才があったなら、マラルメの様に『すべての書は読まれたり、肉は悲し』と嘆けただろう。」(p.21)

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    投稿日: 2000.03.01