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プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神
プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神
マックス・ヴェーバー、大塚久雄/岩波書店
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総合評価

119件)
4.0
34
36
29
3
0
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    「宗教を学べば経営が分かる」という本を読み、そこで池上彰さんが課題図書としていた本の1つ。上記本の中で資本主義の発展にプロテスタントの思想が影響していると出てきて、本当に??という気持ちもあったのだが、バランスを保った視点で丁寧に論説されていて、とても説得力あり、さもあらんと思うに至った。 翻って、日本の最近の表面的な勤労意欲を高めようという施策、それで良いのかなどなど考えさせられる。 恥ずかしながら注釈はほぼ飛ばして読んだけど、どこかで腰を据えて注釈も読みたい。

    0
    投稿日: 2025.08.11
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    こういう内容の本だったんだ! もはや資本主義がしみついている現代人としてはその萌芽に思いをはせるのってむずかしいんだけど、解説にもあったように禁欲=質素、非俗世的だと思っていたけどそうじゃなくて勤勉勤労の精神がはぐくまれる地盤でもあったんだーと。 それが結果富を得て…近代的社会の成立で勤労が宗教から離れて……われわれの今ということか

    0
    投稿日: 2025.04.10
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    労働が美徳なのは、他者への貢献と共に「禁欲自体」が美徳だからとも言える。自らの労働を売り渡す行為は、その契約の範囲での脱人格化を含むが、脱人格化は「禁欲」の類型である。本源的な生存競争をいかに強化するか、そのために集団化し、国家は成立してきた。それを統制するために共同幻想が必要となり、それぞれの領域間での交換が行われてきた。この共同幻想に従う個体には「忠実性」が求められる。つまり、競争のために労働に費やす脱人格化はすなわち忠誠であり、これを美徳として組み込んだものが、あらゆるイデオロギーの根本にある、と考える。この「禁欲」を考察したのがマックス・ヴェーバーだ。 イデオロギーと書いたが、同書が切り口とするのは信仰である。有名なのは、タイトルの通り、プロテスタンティズムが資本主義を加速させた側面があるという事だろう。この理屈を知りたければ本書を読むのが一番良いので、私がグダグダ述べはしない。似たような観点としては、金貸しを「悪徳」としたキリスト教に対し、ユダヤ人のみ(正確にはロンバルディア人やアルメニア人も)がその行為が可能であったために、金融業が一部民族に偏るという問題もあった。信仰が労働形態に与える影響は全く無視できるものではない。斯様に、プロテスタンティズムの信仰が資本主義に影響したと考えるのがヴェーバーだ。 蓄財する態度が美徳と呼べるか。カトリックに見られる「伝統主義」とよばれるべき生活態度では、人は「生まれながらに」できるだけ多くの貨幣を得ようと願うものではなくて、むしろ簡素に生活する、つまり、習慣としてきた生活をつづけ、それに必要なものを手に入れることだけを願うにすぎなかった。「際限なく稼ぐ」のではなく、「生活できる分稼げるなら、残りは信仰や休息に費やす」という事だ。 他方、修道士的禁欲を世俗内的道徳よりも高く考えたりするのでなく、神によろこばれる生活を営むための手段として、世俗内的義務の遂行を「召命」として考えたのが、ルターである(本書ではルッター)。ルターは「信仰義認」を強調し、信仰によってのみ救われると主張したが、カルヴァンは「予定説」を重視し、神がすべての人間の運命を予め定めていると考えた。両者の主張は一部では異なるものの、分業にもとづく職業労働が「隣人愛」から導き出されるという隣人愛の実践と救済の主観的確信という予定説により、職業労働が追求されていく。 職業労働は、優れた意味での禁欲的手段だった。奢侈も窮乏も道徳的訓練を妨げる。そのため、多すぎず少なすぎず、ある程度の「お金を与え、得ることが必要」だ。これは資本家にとっては、「都合の良い労働者」、つまり、現代の社畜を生む思想にも通じ、やがて格差を是認していく。 カルヴァン主義と資本主義における選択的親和性こそが、現代社会の資本主義化を加速させた。しかし、これが同時に信仰なきものに曲解され、格差を肯定し、パワハラを生み、社畜を生んだ。資本主義の次なる世界を考えるには、プロテスタントを読み解かねばならない。

    56
    投稿日: 2025.02.03
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    このレビューはネタバレを含みます。

    初めてこの本を手に取ったのは高校生の時だ。当時ハマっていたアニメの中で、マックス・ウェーバーを引用していたのがきっかけで、気になって読んでみたが、当時は修行というか苦行に耐えるような気持ちで読んだ覚えがある。ただ、今振り返ってみるとこの経験がきっかけとなって、難しい本の楽しみ方を知ったようにも思うため、今となっては思い出深い本である。 ウェーバーが天才的だと思うのは、彼が生きていた19世紀半ば〜20世紀初頭において、プロテスタントの勤勉かつ禁欲的な思想が資本主義を駆動するための精神的な背景として機能したことを明らかにしたことだ。あらゆる社会現象について言えることだが、後講釈として振り返ることは容易だが、現象が起きている真っ只中にその構造を明らかにするのは容易ではない。さらに、プロテスタントの思想ゆえに生まれた合理主義的思想に人々が囚われると危ないという警笛を鳴らしていた点も天才的である。ウェーバーの考察はとても先見的であり、むしろ現代を生きる私達にこそそこから学び取るべき教訓が沢山あるように思う。

    3
    投稿日: 2024.11.27
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    メモ→https://x.com/nobushiromasaki/status/1838336120964395126

    0
    投稿日: 2024.09.24
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    文章は何を言っているか分かるけど、恥ずかしながらトータルとして何を言わんとしているのか、さっぱり入ってこなかった。学生時代に文系科目やってたときのあの感覚。。自分のようなバックグラウンドの人間が3倍速で適当に聴いて何かを得られる書籍では無かった。ただ、これをじっくり聴いて理解することで、何か面白いという感情が得られそうかというと、そんな匂いは感じなかった。分野が合わなすぎるのだろう。。

    0
    投稿日: 2024.07.05
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    営利目的が第一であってはいけないという宗教的思想が、結果的には資本主義の発展を内面から支える思想となっていた、という話。 この意図せざる結果になるシステムが社会学勉強してた当時おもしろかったんだな。全部読んだのは今回が初。 ともあれ、世俗から離れた修道院の生活が特別なのではなく、世俗の中での清潔な生活こそが各々の使命であるという考えは、今生きている時を良く過ごし、良い社会をつくる上で大事だと思った。 プロ倫読了の達成感で★4

    2
    投稿日: 2024.07.03
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    初の古典。とにかく日本語が意味がわからない。最後の解説から読めばよかったと読み終わったあとに気づく。 解説いわく、宗教的な強制的禁慾という精神が、本当の意味での資本主義を形成していき、最終的にな宗教的倫理観に基づく禁欲行動が形骸化してしまい、鉄の檻として、自分たちを資本活動に邁進させてしまっている。そんな分析をしている本だと分かった。 鉄の檻という言葉を使っているから、ヴェーバーは資本主義の活動自体を、生活を制限するものとして考えていたのかな?とか考える。 ただの漢字と平仮名に目を通す作業だったが、背景がわかったうえでもう少し読んでみても面白いのかもしれない

    0
    投稿日: 2024.02.14
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    著者が生涯を賭けた広大な比較宗教社会学的研究の一部である本。 難解すぎ。独学の技法で学んだ線引き読解をすること決意。 【関連書籍】 イエスの生涯

    7
    投稿日: 2023.11.28
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    プロ倫を読み切った達成感、良い…! 合理的な職業労働やその結果が神に救われているという確証の手段であり、予定説とはなんと厳しく絶望的なものだろう、それを信じる者のエネルギーは凄まじいと思った。 今、営利活動と宗教をなんら結びつけない私たちに対して著者が引用している一文がかっこよかったのでメモを残しておく。 「精神のない専門人、心情のない享楽人。この無のものは、人間性のかつて達したことのない段階にまですでに登りつめた、と自惚れるだろう」

    1
    投稿日: 2023.10.17
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    解説が丁寧で分かりやすい。武器としての哲学の推薦本であったが、解説によると宗教社会学であり、社会学の一部分である。近代資本主義が発展したのはカトリックからプロテスタンティズムになったためである、ということが首尾一貫して書かれている。いまではだれでもが知っていることであるがそれを説明した最初の本である。カトリックは享楽主義でその日暮らし、プロテスタントは禁欲主義で勤労主義ということで、キリギリスとアリのたとえでもいいのかもしれない。  解説にあったように注を読み返す、ということが必要な本である。

    0
    投稿日: 2023.07.07
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    キリスト教を背景として論が進められる点、なるほどヨーロッパらしい視点だ、という感想です。特に天職の件と、禁欲倫理との結びつきの件は面白かったです。現在に通じる起源を見る感じがしました。

    0
    投稿日: 2022.08.30
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    近代的資本主義は労動者を組織化した帳簿に基づく産業経営が特徴であり、それは歴史的に商業やその意識が活発で自由な中国、ユダヤ、ギリシャ・ローマでは発生せず、むしろ大商人や地主が批判され利息が制限された西欧(プロテスタントが大きな社会的勢力を握ったオランダ、イギリス、初期のアメリカ、フランスの一部)で発生したのはなぜか。それは、旧来の商業の勢力を批判するプロテスタンティズムが近代的資本主義の精神を支えたから、特に労動者と彼らに連続する経営者にまで広く禁欲と節制の実践を行わせたからだ。 20世紀初頭においてプロテスタントはカソリックに比べて、実業の高等教育を受けているものが多く資本家・起業家や熟練労動者も多かった。古プロテスタンティズムは禁欲的でありカソリックのほうが非現世的であるという説明や、プロテスタントが主流な地域におけるカソリックにそういった傾向が見られないことから生地を離れることによる労働強化や政治的・社会的少数派による商業への注力という説明は成り立たない。プロテスタントの考え方自体に資本主義と通底する何かがあるのである 資本主義的精神とは天職思想に基づく非合理的なまでの職業労働への献身である。経済的な繁栄こそが目的であり、その蓄財により快適な生活を送ることを目的としないのである。 従来のキリスト教においては古く利子は禁止され貨殖は非道徳的な行いであった。足るを知り、食べて生活をするために必要なものだけを生業のなかで生み出すべきとされた。大金持ちは死の前に教会へ寄付をしたり、免罪符を買うことで金儲けという罪を贖う必要があった。資本主義の発展とともに、一部でその変化を受認し、貨幣を勤労の対価として消極的に認める考え方も出てきたがそれはいまここで論じたいプロテスタンティズムの倫理とは異なる。 天職思想はプロテスタンティズムの中核である。聖職者の権威を否定し、全ての職業は神が与えたものでその使命を全うすることが神の意志に従うことになるという思想である カソリックやルター派は職業への奉仕を消極的に認めたが、カルヴァン派やピューリタンは律法に従い他人を傷つけない限りチャンスを活かして利潤を生むことは神の命令だと考えた。主人に預けられた貨幣を利殖せずに罰せられた下僕の話は実際の行動を規定した。隣人愛は自分のように他人を愛すことであり自分以上に愛することではなく、莫大な金を稼ぐことも必要なときに神の要求に答えるためとして肯定された。肉、被造物神化は相変わらず罪であったが、それに当てはまるのは営利主義ではなく奢侈な消費とされ、限界効用を超える浪費がない限りとめどない営利が奨励された。また肉体的な苦行は否定され、肉の奴隷とならぬよう肉体に必要なものが与えられた。 予定説は救われるものと救われないものを二分し、カトリック的な懺悔や呪術的な神父による救いの秘蹟による善行の勘定を否定する働きをした。予定説は宿命論には行き着かず、救いの証拠を求める信徒たちに神の恩恵である信仰の帰結としての神の創造した世界に合目的的な行為=善行を一貫して行うことのみが唯一の選ばれしものである証であるという強迫観念を植え付けた ※呪術とは他人による奇跡であり、人=被造物であるものによる奇跡は否定されるべき。奇跡を否定するという意味では、ただ諦念をもって現実を受け入れることを説く禅宗に通底するものがある。呪術の否定は聖職者の特別性を否定し、在家主体につながる 予定説を受け入れない洗礼派などでも、教会の否定による自律的な諸信団の形成は内発的動機を高め、信仰の結果としての精霊との合一のための瞑想と手段が禁欲的な行動に導いた プロテスタントの信仰により勤勉と節制が富を生み出したが、富は現世執着や虚栄心をもたらし信仰を弱める作用をした。結果的にプロテスタンティズムの倫理は資本主義の興隆をもたらしたが、資本主義興隆後の市民の精神性からは宗教的情熱はなくなり、ただ功利的な禁欲と戦略としての正直さが残った

    0
    投稿日: 2022.08.09
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    最も有名な古典の一つ。近代資本主義がどのように出現したか、何にドライブされて形成されてきたかをマックス・ヴェーバーが解き明かした一冊。 ヴェーバーによれば、近代資本主義の勃興を促進した心理的起動力はキリスト教的禁欲主義だった。 ルッターによる宗教革命の際、はじめて「天職思想」(世俗的職業の内部における義務の遂行こそが最高の実践道徳であるという思想)が打ち出され、これが以後のプロテスタンティズムの中心的意義となった。 これがキリスト教的禁欲主義と結びつく。つまり、外物への執着や金銭を追求する欲から自分自身を忌避させる方法として労働を推奨した。またカルヴィニズムにおける「予定説」もこの思想を強化することになった。 しかしウェズリーが言ったように、キリスト教的禁欲主義は強大すぎる富の欲に対して無力過ぎた。宗教的熱狂が過ぎるとやがて功利営利主義がこれに成り代わることになった。 資本主義の終焉が声高に叫ばれこれに代わるシステムが模索される現代において、資本主義を促進してきた心理的圧力について再認識することは重要なことかと思う。ヴェーバーが生涯を掛けた宗教比較学の起点となった本書はそのための非常に有益な一冊。 古典特有の読みにくさがあり内容自体は難解ではあるが、巻末の訳者解説が丁寧で分かりやすい。一度こちらに目を通してから本文を読んだ方が理解にやさしいかと思う。

    0
    投稿日: 2022.07.22
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    カトリックの国でもギリシャ・ローマでもなく、仏教の国でもなく、なぜ資本主義はプロテスタントの国から発生したのか?神の栄光のために禁欲的に、勤勉に生きる人々が結果として、富を蓄積し、その生き方が資本主義を発展させる流れに強く結びついたからである。 マックス・ウェーバーの名著で、以前、小室直樹氏の書で感銘を受け、いつか読んでみたいものだと思っていたが、ようやく実現できた。学生時代は社会学を学んでいたにも関わらず、こういう名著に触れることなく、勉学としては無為に時間を過ごしてしまった。これからの後半生、なるべく多くの名著に、少しでもいいから触れていきたい。

    0
    投稿日: 2022.05.17
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    2022.3.25 読了 宗教観と資本主義の相関から因果追求という非常に示唆に富む内容であった。確かに、ユダヤ人や敬虔なカトリックが実業の世界で成功している例は枚挙にいとまがないが、その理由については深く考えない(視野が広すぎて考えられない)ところがあった。マックスウェーバーはさまざまな批判に対する論拠を数多く挙げているため、全体的には理解に困る部分もあったが、解説が秀逸でとても気持ちよく読むことができた。金融マンは一読を要する。

    0
    投稿日: 2022.04.10
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    非常に難解。 本文読む→訳者解説読む→本文精読→注釈も合わせて精読 が良さそう。 資本主義の精神の促進を担ったのは、実は営利的な精神を批判する、キリスト教(特にプロテスタンティズム)の禁欲的精神だった。 しかし、資本主義はキリスト教精神の賜物とまで考えるのは拡大解釈である。(私も読前には、本書は上記のことを言ってるものだと勘違いしていた) そして、「歴史的にキリスト教的基盤を持ち得ない地域(例えば日本)でも資本主義は成立しているから、ヴェーバーは間違っている」との批判も当たらない。 なぜならば、本書最終章でヴェーバーが述べるように、キリスト教的禁欲精神が資本主義の社会構造を強固なものとしてしまうと、今度は資本主義の社会構造が逆に世俗内的禁欲を外側から強制するようになったからである。 つまり、資本主義の社会構造が進むにつれて、資本主義というシステムと宗教精神の関係は薄れていき、近代資本主義が確立される頃には「資本主義の精神」は忘れ去られ、それらを元にした行動様式のみが残存するにいたったのだ。 日本や他のキリスト教圏外の地域に持ち込まれた資本主義の構造は、既に宗教の影響を逃れた、確立された近代資本主義だったと考えられる。 個人的に、ヴェーバーが最終盤で語る、「資本主義か最終的にたどり着くであろう世界」の叙述に感銘を受けたので最後に引用しておく。   「禁欲は修道士の小部屋から職業生活のただ中に移されて、世俗内的道徳を支配しはじめるととも に、こんどは、非有機的・機械的生産の技術的・経済的条件に結びつけられた近代的経済秩序の、 あの強力な秩序界を作り上げるのに力を貸すことになったからだ。そして、この秩序界は現在、 圧倒的な力をもって、その機構の中に入りこんでくる一切の諸個人 ―直接経済的営利にたずさわる人々だけではなく― の生活のスタイルを決定しているし、おそらく将来も、化石化した燃料の最後の一片が燃えつきるまで決定しつづけるだろう」(本書、267頁) 「バックスターの見解によると、外物についての配慮は、ただ『いつでも脱ぐことのできる薄い外衣』のように聖徒の肩にかけられていなければならなかった。 それなのに、運命は不幸にも この外衣を鋼鉄のように堅いとしてしまった。禁欲が世俗を改造し、世俗の内部で成果をあげようと試みているうちに、世俗の外物はかつて歴史にその比を見ないほど強力になって、ついには逃れえない力を人間の上に振るうようになってしまったのだ」(本書、268頁)。 「今日では、禁欲の精神は最終的にか否か、ー誰が知ろう―この鉄の檻から抜け出してしまった。ともかく勝利をとげた資本主義は、機械の基礎の上に立って以来、この支柱をもう必要としない。・・・ 『天職義務』の思想はかつての宗教的信仰の亡霊として、われわれの生活の中を徘徊している。そして、『世俗的職業を天職として遂行する』という、そうした行為を直接最高の精神的文化価値に関連させることができないばあいにもあるいは、逆の言い方をすれば、主観的にも単に経済的強制としてしか感じられないばあいにも今日では誰もおよそその意味を詮索しないのが普通だ」(本書、268頁)。 「こうした文化発展の最後に現われる『末人たち』 にとっては、次の言葉が真理となるのではなかろうか。『精神のない専門人、心情のない享楽人。この無のものは、人間性のかつて達したことのない段階にまですでに登りつめた、と自惚れるだろう』と。」(本書、269頁)。

    0
    投稿日: 2022.03.20
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    社会学は多元論。〜宗教、経済の因果は単純ではない〜 ■所感と評価 ウェーバーは多元論を用いるが単純化しないと理解難しいので、あえて単純化すると「天職を全うするという倫理が世俗内に広まった結果、富の蓄積につながり、皮肉にも営利主義→資本主義の精神を生んだ」と強引に解釈できる。ただこれだと語弊があり過ぎるので、様々なキーワードの定義とそれらが生まれた背景と与えた影響を丁寧に見ないといけない。 そもそも我々は戦後のパラダイムやレジームが当たり前の様に感じるが、歴史で見るとまだまだ浅く、今後新しい概念が何から生まれるかは非常に複雑であり、単純にVUCAや情報化社会といったことからだけでは予測できない。まして16〜17世紀の宗教改革が資本主義精神を生む"一翼を担った"(あくまで一要素)のは誰も想像できなかっただろうし、そもそも資本主義という概念すら当時はなかったはず。 ★すぐに役立つ知識は皆無でまさに教養。イージーカムイージーゴー。時々あえて本書の様な役立たないが世の本質をあらゆる角度から切りまくる本を読むことで、本質は何かを抽象的に考える力を身につけていきたい。 非常に読みづらい。もう少し簡単な言葉で訳してくれたらいいのに、と思いつつも正確にウェーバーの意図を汲むとこうなるのだろう。訳者解説が非常に丁寧でわかりやすいので、①ざっと全体読む→②訳者解説→③精読すると理解が深まりそう。 おそらく内容的には最高の古典なのだが、いかんせん理解が難しく評価は普通となった。 ■概要 〜めちゃくちゃざっくり〜 ・カトリックには世俗内的禁欲はなく、修道主義の様な世俗外的な禁欲。ここで言う禁欲は何かを控える修行僧的なものではなく、ひたすら何かに打ち込む"行動的禁欲"。 カトリックの修道的な考えだと「祈り働け」が有名。 ・それがルターの訳や宗教改革によって天職という概念となって表れるのだが、ややこしいことにルター派の禁欲はまだプロテスタントの倫理に直接は影響しない。 ・その後のカルヴィニズムやピュウリタズムの中で天職やら世俗内的禁欲が広まることで、働く→富が増える→でも浪費しない→ますます富む。これが資本の蓄積を生んだ。 ・やがて(ここが飛躍してるように思えるが、自分の中で説明できていないだけで、ちゃんと書いてあるんだろうけど)近代資本主義がいよいよ外から、ー上記の倫理(エートス)からくる行動は「内面的」ー資本の蓄積と消費ではなく再投資を促すことで、Protestantismの倫理や資本主義の"精神"なるものを必要とせず、ただただ近代資本主義的な行動が残ったのだという ・マルクスの唯物史観とは一線を画すものの、唯物史観批判のために書いたというのは的外れの論評。ウェーバーは多元論(ゆえに注釈が多い)を駆使しつつ、その中でもプロテスタントの倫理・エートス、天職観念に着目しただけ。資本主義の精神を宗教改革に見出した、という単純なものではない。(だから話が複雑)

    1
    投稿日: 2022.02.20
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    現代がいかにキリスト教世界の理論を原理として成立してきたのかを理解できる。自身の世界の成り立ちと現代における社会に対する評価基準を再考できる。

    0
    投稿日: 2022.02.06
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    このレビューはネタバレを含みます。

    世界史や思想史で頻繁に言及される本書。高校時代や予備校で耳にしたことがある方も多いと思います。で、その趣旨たるや、「天が授けた過分の賜物。この賜物を用いて天職を全うし蓄財することこそ神の栄光に適う行為である。そしてこのエートスこそ、近代資本主義の一因となった。」 こんな感じだと思います。 私は、まっさらな状態から本を読みだすというより、本当に上記のようなことが書いてあるのかな、と探り探り読んでいく形のアプローチをとってみました。 その点で結論を言えば、大体書いてあった。こう言えると思います。 ・・・ その中でも、本書での一番の出色は、資本主義の発展(「お金」)とプロテスタントの倫理規範(「清貧」)という、いわば逆説的な二つの概念が実は通底する、というダイナミズムだと思います。 カトリックでの修道院出家生活と世俗の生活(プラス贖宥状で罪を拭う)という二分法的分類ではなく、プロテスタント各派の世俗内倫理の徹底と「天職(Beruf)」という職業倫理との徹底という世俗一元的な在り方との違いはきっちり書かれていたと思います。つまり、プロテスタント的生活においては、神様のために慎ましい生活をする(節約する)、そして神様のために仕事頑張る(「天職」)、その結果お金溜まる、と。いわゆる在家においても清い生活を実践することで神への道を全うする。 この命題を明らかにすべく、詳細な宗派分析とプロテスタント文学からの例証がなされています。ルター派、カルヴァン派、メソジスト、長老派、クウェイカー等々。 このあたりの詳細はキリスト教の勉強の足りない私にはちんぷんかんぷんでした。そう、本書のダイナミズムを味わうためには神学、わけても聖書理解が必要だと思い知りました。そもそもプロテスタントの宗教改革は、誤解を恐れずに言えば聖書主義から始まったことを鑑みれば、その聖書の基本的理解がなければ本書の理解もおぼつかないと言えると思います。新訳も旧約も適当にしか読み込んでいないと本当に厳しい。 あと、プロテスタンティズムが蓄財と結びついていた点はわかりましたが、近代資本主義の発展とどこまで結びつくかについては通読一回だけではよくわかりませんでした。つまり事業の拡大や発展・再投資についての分析はあまりなかったかのように思いました。 本書の主張に沿えば、再投資や事業拡大も神の意志に沿うべきなのですが、プロテスタントがその再投資の方針・分量などをどのように判断したのか気になりました。 ただかすかに最終段で、米国について、世俗の禁欲的倫理が忘れ去られ職業倫理が残ったことがシニカルに描かれていました。 ・・・ 久しぶりにドイツ系の思想本を読みました。 実に読みにくい。そして、注釈が長い!注釈に大事なことが書いたり、批判者に批判返ししてたり笑 訳者の大塚氏は相当頑張ったのだと思います。原文は見ていませんがそう感じました。 哲学、社会学、宗教学、神学、ドイツ文化、キリスト教等々に興味がある方は何とか読めると思います。ただ、内容をよりよく理解するには聖書の通読(新約・旧約あわせて)数回しておくとよいと思いました。私も聖書を読んだらまた読んでみたいと思います。

    1
    投稿日: 2021.09.29
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    禁欲(清貧・純潔・服従)を守りながら、勤労にはげめ。祈り、働け。『ベネディクトゥス戒律』539  ※モンテ・カシノ(伊の中部)の山の上にある修道院。 あなたが神に救われるか、救われないか。それは神によってすでに決められている(カルヴァン予定説)。あなたの運命はすでに決まっている。この世での善行は関係ない。儀礼(サクラメント)をしても救われる保証はない▼人は自分が救われるのか分からない。不安。孤独。自分は神に選ばれた人間だと確信したい。欲望を克服し、自然からできるだけ遠い地点に行くことができる。それは選ばれた(救われる)人間にしかできないはず▼禁欲に勤めよう。職業労働を頑張ろう。安息日以外は週6日働きづめ。富はあくまで神と自分との関係を示すしるしであり、欲望を充たすものではない▼享楽的な消費はしないのでお金が手元に残る。それを再投資して事業が拡大。利潤を最大化する最も合理的な方法を考える。近代資本主義を生み出したのはこうした精神▼しかし資本主義が発展するにつれて、神との関係・禁欲は忘れ去られ、営利・快楽の追求が目的となっていく。『倫理と資本主義の精神』1904 アメリカは多民族・多宗教であるが、アメリカで生まれて暮らしていると、個人の宗教とは関係なく、特定の信念・価値感(civil religion)をもつようになる。ロバート・ベラーBellah『Civil Religion in America』1967

    1
    投稿日: 2021.06.28
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    3年前、高澤先生の基礎文献講読でトクヴィル『アメリカのデモクラシー』を読んだときにはチンプンカンプンだったことを考えると1人でも岩波文庫の白帯を読めるようになったんだなーと感慨深くなる。

    0
    投稿日: 2021.05.06
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    近代資本主義が生まれた背景を宗教改革から生まれた禁欲的プロテスタンティズムの観点から論じる内容。 禁欲的な行動が資本主義を生み出したっていう一見矛盾してるような考え方だけど、一通り読むとナルホドなという感想。

    0
    投稿日: 2021.03.24
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    広義の資本主義は歴史上どこでもあったが、近代の資本主義は様相が異なる。昔は幸せに暮らせれば働くことは最低限に、という捉え方。今ではとにかく働くことが第一優先みたいな捉え方。自らの職種を天職と捉え、労働に勤しみ、合理的な手段で営利を獲得し、日々の生活では禁欲的な行動を促す倫理観、世の中の雰囲気、資本主義精神はプロテスタンティズムの倫理から生み出され、のちに近代資本主義社会のシステムが構築されると、宗教的な思想は排除されて、ひたすら営利を求める精神だけ残ったという話。

    1
    投稿日: 2021.01.31
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    一度読んだだけでは、とても理解しきれない奥の深い内容。巻末の解説が充実していて、理解を助けてくれる。

    0
    投稿日: 2021.01.30
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    学生時代にゼミで学習したが、最近読み返した。懐かしくも難しいところもあり、ある意味、古典の読書のリハビリを兼ねて読み進めた。 今年はマックス・ウェーバー没後100年ということなので書店にもそこコーナーが出来ていて、本書に関する論文なども購入したので読み進めようと思う。

    0
    投稿日: 2021.01.23
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    ●営利を敵視するピューリタンの倫理が、逆説的に近代資本主義を生む貢献をした※「大阪には商人精神が広がっているので、近代資本主義が自生的に生まれるはず」とは言えない ●“労働は自己目的であり私の「天職」”との倫理的雰囲気(=エートス)は、長い年月の宗教教育(ルター)で培ったもの。 ●資本主義の精神に内から突き動かされている人は、目先の欲求を抑制することを知っている ●田舎の職人達が天職の職業活動に専心→無駄な消費はしない→金が貯まる→隣人愛のために使う→意図せずに資本主義に→禁欲を強制させられる→信仰心が薄らいだ

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    投稿日: 2021.01.05
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    ピューリタニズムが持っていた、禁欲的・反営利的な倫理的諸信念が、近代の「資本主義の精神」を育てた。 「資本主義の精神」とは、エートス(社会心理)のようなものであり、天職義務のことである。 カルヴァンの予定説から、自分こそ救われるべき人間であるという証明のため、人々は職業に邁進した。 通称プロ倫(小並感) 自分の知識不足ゆえ、難しくてあんまりわからず 星3…。出直したい。

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    投稿日: 2020.08.11
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    今年は著者没後100年(1920年6月14日没)。 これまでは、資本主義の歴史、宗教教示の諸相、近代社会についての著者の警鐘といった点に注目していたが、再読にあたっては”労働”や”日常生活”をキーワードにしたい。 経済成長には、永続的な生産性向上や効率化が必要ならば、それは可能なのだろうか。否応のない技術革新によって労働環境が変わるとき、労働者ーそしてもちろん使用者および資本家ーの”精神”へどのような影響を及ぼすのだろうか。一方で、今日の技術革新は現代人の”精神”とどのような関係を見いだせるのか。 そして、今においては”鉄の檻”はどのような姿をしているのだろうか。 幾度となく一面的な社会考察を退けるよう呼びかける著者の声は、時代に真摯に向き合う最良の姿であると、これからも人生の指針にしたい。

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    投稿日: 2020.06.10
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     本書を初めて読んだのはもう30年近く前のこと。少しは自分も成長したから感じるところに違いもあるだろう、と思ったが読後感は当時とほとんど変わらないものだった。すごく「綺麗」で「強い」本だ、という印象。しかも、一旦興奮が覚めた後には「しかしこれで本当に説明になっているのだろうか?」という、疑いが尾を引く感じもまた甦ってきたのだ。  確かに美しい。神の思し召す「合理的」な目的に沿うよう勤労し禁欲すべし、というプロテスタンティズムの規範すなわち「目的」が、いつの間にかその規範自体の作動を強化するself drivenな起動力──すなわち「原因」となっているという「不合理」。目的と原因の転倒のみならず、理性が不合理の創出の起点となっているというメビウス的な循環が、強い目眩を引き起こす。この構造はそして堅強だ。合理性を超越したものは、そして超越しているからこそ、「正し」くはなくとも「強い」。この美しくも強い論理構造に、誰もが魅せられるのだと思う。  また、ヴェーバーが、利潤の追求が単なる寛容の対象ではなく「天職/ベルーフ」として積極的に称揚されるまでに至ったかという「非合理性」の根拠について明らかにしていることについても、もちろん僕などが疑うべきところはない。世俗外禁欲が宗教改革で世俗内に転写された際、信者の生活全般における「行為主義」、世俗内部での清潔な職業生活が要求された。とりわけ脱呪術化を推し進め、「恩恵による選び」すなわち「予定説」を提唱したカルヴァン派においては、恩恵を得るべく神の意思たる「合理性」に沿った「世俗内禁欲」が要求された──  ここまではわかる(何となく)。しかし、そのようにして予定説が設定したゲームを、プロテスタントたちが嬉々として受け入れたことの「非合理性」──そのオリジンとなる精神構造については明快に示されているものの──が、どのようなロジックでもたらされたのかについては、ヴェーバーは殆ど論ずることなく放置しているように見えるのだ。  昨年読んだ大澤真幸「社会学史」でのヴェーバーの段でもそれは感じた。そこでは「ニューカム・パラドックス」というゲーム理論的な枠組みを用いて、神の全知性を前提に置くとプロテスタントは禁欲を選択せざるを得ない、という結論が導かれていた。美しい説明だった。一見非合理と見えるものがプロテスタントたちには合理的なのだ、と。  しかしそこで説明されているのはプロテスタンティズム内部の合理性であって、外部から見たそれではない。プロテスタントたちは、恩恵の有無が予定されてしまっているにもかかわらず禁欲と勤労が強要されるという「無理ゲー」の内部になぜ留まったのか、どうして外部に出て利得表上の最高得点を得ようとしなかったのかについては、結局触れられていないのだ。ここが僕が読後に覚えたあの不快な残響の原因なのだと思う。    ただそもそも、ヴェーバーの意図はそのような「合理性/非合理性」を詳らかに分解するようなことにあったのではないのかもしれない。そのことは結び近くの注釈における「近代文化の特徴的なものを全部プロテスタンティズムの合理主義から論理的に演繹するというような、明快な『構図』」を作り上げること」が本意ではない、という本心の吐露からも窺うことができる。我々はただ、資本主義の「エートス」が生じた過程が、我々が考えているほどには理屈と整合的ではなかったということに思い至るだけで十分なのかもしれない。思えば資本主義経済なんて理屈に合わないことばかりだ。頑健だと思っていた象の背中が意外に頼りないことを知るだけでも、旅の安全には十分に役立つ。  また、この「すごくよくわかった感じはするけど、よく考えてみるとわからないものが残る」という読後感が、本書が1世紀の永きに亘り読み継がれている理由の一つなのではないかとも思う。完璧にわかってしまってはつまらない。少し考えなければならないことが残されているのがいいのだ。  なお近代社会学の嚆矢として名高い本書ではあるものの、意外なことにここでは「社会」という言葉が今日的な意味ではほとんど使われていないことに気づく。代わりに「外物」というあまり馴染みのない言葉が出てくる。ヴェーバーは先験的に個人と独立して存在する「社会」なるものをほとんど認めていないと見え、専ら自我の働きに焦点を当てその総体を分析の対象とし、その他の残余はまとめて「外物」という素っ気無い言葉に押し込めそれで良しとしているのだ。同じく近代社会学の祖といわれ、個人より先に社会を(積極的な)「物として」扱うべしとしたデュルケームとは小気味良いほどの対照をなしている。資本主義の起動力の源泉を貨幣や法などの既成システムに求めるのではなく、西洋近代に成立した個人の心性に見るところが、社会を個々の自我の集積と見るヴェーバーならではの視点なのだろう。  しかし少なくとも、例えばその行為が全て個人に帰属していたカトリシズムと対照的に、個人には帰せられない行為による恩恵の獲得期待、すなわちカルヴィニスト的な「組織にまで高められた行為主義」が、資本主義と整合的な態度を決定づけたと結論している点に鑑みれば、間違いなくヴェーバーには「社会」とその後呼ばれる複合的で多面的な対象が見えていたはずだと思う。  30年前は注釈は殆ど飛ばして読んだが、注釈部分に意外にハッとするようなコメントが隠れていたりすることに今回気がついた。全く油断のならない本だと思う。

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    投稿日: 2020.05.19
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    古くから経済活動は行われていたが、近代資本主義のような拡大性を有さなかった。では近代資本主義を勃興させた駆動力はなんだったのか? 近代的企業家の多くがプロテスタント的色彩帯びている事に着目し、その精神性から駆動力を紐解いた論文。 清貧を掲げるキリスト教と、富を増大させる資本主義は一見相反するが、なぜ企業家の多くはプロテスタント的色彩を帯びていることが多いのか? 善行を積むことで神に選ばれるとしたカトリックに対し、プロテスタントは神の絶対性重視から、人の行動など神判に影響しないとする「予定説」を採択する。 「予定説」において、死後救済されるか否かは既に決定しており、現世の行動は審判に影響しない。 また、人はただ神の手足として現世に存在し、その役目を全うする義務を有する。 その様な教義の中で人は、徹底的な合理思考に基づく労働により、選ばれている確信を「造り出す」のだ。 その確信を持てない者は、神の手足として自覚が足りないと自省し、ひたすら合理化に励んでいく。 また、当然教義上「節制」は義務であるため、結果として加速度的に余剰資本が生み出されていく。 しかし、ここで「世俗的禁欲」が是とされる中で、富を拡大することは許されるのか?と疑問が生まれる。 生じた富に対する後付けと考える方が自然だが、プロテスタントの「世俗的禁欲」を紐解くと、悪とされるのは稼いだ富の上で怠惰に溺れる事であり、富の増大自体は否定されていない。 また、「隣人愛」を是とする思考がベースとしてあるため、余剰資本を市場に投下することが促進されていく。 プロテスタントは、自分の職を神から与えられた「天職」だと盲信し、かつ節制・隣人愛の精神により加速度的に富を増やし、近代資本主義の巨大な流れを生み出した。 その流れの渦中に生まれた我々は、稼がなければ生きていけないが、流れの初めには人の精神性があったという考えは青天の霹靂的である。 資本の流れだけを見ると見失いがちだけど、企業の「理念」は「教義」であり、宗教的雰囲気の名残は根強いなと思う。 また、企業家の持つカリスマ性は、まさに教祖の持つ要素と一致する。 妄信的な企業を外から「ブラック企業」と揶揄することは容易だけど、中から見る景色はまた違うのだろう。 高度経済成長期に見られた「富」への無機質な妄信から、仕事の意義を見つめ直しなさいという論が主流に変わったのは、再び「天職」の思想に回帰しているのではないか。 なんにせよ「妄信」の状態が、人にとって最も幸福な時間なのかもしれないと感じる。 必要最低限の富を持ち、隣人を愛し暮らしなさいという世界を席巻した流れに終止符を打ったのが、隣にいたプロテスタントだった。 同様に、近代資本主義も同じ流れにいるように見えてルーツが少し異なる者が大きな流れを生んで終止符が打たれるのかもしれない。

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    投稿日: 2020.05.13
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    ◯メモ ・Beruf:天職(職業労働) ・宗教改革→プロテスタンティズムが生まれてくる。「天職」:世俗的日常生活労働に宗教的意義を認める思想。世俗の職業生活に道徳的性格を与えたことは宗教改革の、したがってルターの功績だった。しかし、ルターはプロテスタンティズムが土台となって資本主義の精神が生まれたとはつゆも知らず。 ・カルヴィニズム、予定説。来世が重要。神に救われる人はすでに選ばれている。 「自分は来世で神に選ばれているのか。救いの確信を得たい」 →神の栄光を増すために(救いの確信を得るために)、現世の生活で職業労働に打ち込む。禁欲的プロテスタンティズムの天職観念が、世俗的職業生活の合理化を生み出した。 ・労働の結果、富を得ることは悪ではないが、富は、その享楽によって聖潔な生活から離す危険を伴う。 ・時間は貴重。時間を失うと、その分だけ神の栄光のために役立つ労働の機械が奪われる(超禁欲的だ) ・富を得るのはOK、だけどそれを消費して享楽するのはダメ。→富を投下資本(再生産)に使う。禁欲的な生活態度が資本蓄積をもたらす。  ・しかし、富が増すごとに、現世への執着が生まれ、純粋な宗教的根幹が生命を失う=「精神」が失われ、現代的功利主義がこれに代わる。資本主義の勝利となり、天職観念は鳴りを潜める。 ◯ポイント ・宗教改革の結果、資本主義精神が発生した、という理解は間違い。 ・逆説的だが、プロテスタンティズムの倫理は、意図せずして資本主義文化の発達を促進する役割を果たしていた。 ◯感想 キリスト教の宗教的価値観は馴染みがないが、倫理観が生活に強い影響を与えるという意味では、理解できると思った。例えば、親友が若くして死に、彼の分まで本気で生きるとか、いつ死ぬかもわからぬ人生、やりたいことやるんだ、みたいな。 人々の倫理観が社会を動かしていく、みたいな話は現代でも通ずるものがあるのでは。とりあえず社会学の名著を読了できてよかった。

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    投稿日: 2020.04.16
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    難解なうえ時間的制約で拾い読みのみで正確な理解はできなかったが、以下のようなことか。 プロテスタンティズムの予定説から生じる内心の不安を払拭するため、天職としての絶え間ない職業労働に打ち込むことで、救われているという確信が与えられる。これが利潤追求という資本主義の精神の推進力になった。

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    投稿日: 2020.01.04
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    一章は面白く読んだが、二章にはいってキリスト教の色いろな宗派や人物が出てきて詰んだ。でもそこを我慢するとまた面白くなった。禁欲が資本主義の精神に繋がったという逆説はとにかく緻密で説得力があり、こんな社会で生きてゆくには読んでおくべきだと感じる。

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    投稿日: 2019.07.30
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    このレビューはネタバレを含みます。

    ライフワークやキャリアデザインという言葉がもてはやされている。少し違和感があったし、日本と西洋の企業の職務分担がどうしてこうも違うのか不思議だった。 本書では宗教改革により、腐敗した教会・修道院に反する立場から世俗の労働が尊重されるようになり、カルヴイニズムでは救済されていることを常に自己審査し証明するために労働が信仰の手段として組織化・合理化をたどった説く。 富の追求を目的とすることは邪悪だが、敬虔な労働に勤しんだ結果富を成すのは神の恩寵だという! 西洋の労働観がどのように生まれ資本主義に組み込まれ現在に至るのかその源流を紐解いてくれる。そしてアメリカでこの禁欲的労働観は救済の証明という宗教的・倫理的側面を削ぎ落とし強力な秩序を形成する。 大変興味深かった。さらに、世界でも異常なぐらい時間に厳しくもっとも成功した社会主義国と一時は呼ばれた日本は戦争に破れ文化的・伝統的指針から切り離された所に、アメリカからのプロテスタンティズムが真空状態で完全に宗教から切り離されて流れ込み、それゆえに資本主義国家として成功できたのではないかと思ってしまう。良質で勤勉な労働力を持つことに成功した、という意味で。

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    投稿日: 2019.06.23
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    近代資本主義の出自を、 カトリックからプロテスタントへの転換、ピューリタニズムへの先鋭化から表出した 世俗的禁欲からの発露だと主張する名著。 丁寧、多角的に分析・批判され導出される論理にはやはり説得力があり いわゆる儲け事などは良しとしない禁欲的精神から逆説的に資本主義が発達していったというのは大変興味深い。 私にとってはかなり難解であり、また本文と注釈の頻繁な交代は読むことへの忍耐力を試されているようにも感じた。 が、先に巻末の解説(これがとても端的で理解しやすい)に目を通していたためどうにか少しずつ理解を深め通読することができた。

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    投稿日: 2018.07.28
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    よくストイックと言われる理由は、中高のプロテスタント教育のせいだったんだ、と改めて思った!天職としての職業を全うするという思想がプロテスタントにはあって、それが資本主義の発展に一役買った。あとは、政治などの本流に行けない層が、経済の分野で一旗あげようとするというのにも納得した。

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    投稿日: 2017.08.09
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    最古の積読本をようやく読了。概要は理解していたつもりだが詳細を読めて背景や根拠がよくわかり、よかった。解説のためとはいえ本文中の注釈がとても多く読みにくかったなあ。中国やインダスなどいち早く発展した地域ではなく、清貧であるはずの神の子羊たちの国からどうして資本主義が生まれ、世界中に拡散したのか。教会の堕落→聖書回帰運動→禁欲と労働を尊ぶ→一生働き続きけることが天国への道→「天職」を見つけることが目標→「天職」は神様が与えてくださったものなので、一生懸命働く、お金が貯まったからといってサボってはいけない、ということと理解。

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    投稿日: 2017.06.01
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    タイトルから感じる印象ほど読みにくい本ではなかったです。すごく読みやすくもないけど。 冒頭で、平たく言えば 「カトリックの支配は、プロテスタントの支配にくらべればかなりユルかった。  ユルい支配に対して『こんなんじゃヌルい!』と宗教改革が起こった。 でもこれってよく考えると不思議じゃないですか?  キツい支配に対して『うるせーほっとけ!』と反乱が起きるならわかるけど・・・」 という問題提起があります。  確かに不思議だ!と問いに引き込まれて、そこから先は一気に読みました。 天職義務を全うして職業労働に邁進することは、最初はプロテスタントたちにとって「救いへの道」だった。 だからがんばれた。 その彼らのがんばりが、資本主義経済を発展させた。 やがて、労働から「救い」という宗教的な面が抜き去られてしまう。  でも、その頃には資本主義経済そのものが(救いのためにがんばった人たちの働きのおかげで)発達している。 発達した資本主義は、救いへの道として労働に邁進していたときと同じような労働を、人々に「強制」するようになる。 ・・・というようなお話。 歴史の話としても読めるし、一人の人間の中でもこういうことって起こるんじゃないかなーなどと思いました。 訳者による解説もよかったです。

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    投稿日: 2017.05.20
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    【再読】初めてこの本を読んだのは大学2年生の時。日本語なのに最初から最後まで何が書いてあるかさっぱりわからなくて辛かった。“一冊の本を理解するためにはその本を読むだけでは十分でない”ということを教えてくれた転機となる本。以来、「自分がどの程度まで来たか」ということを確かめるために、繰り返し読んでいる。今回は「どこがわかってどこがわからないか」がはっきりしたのでそれだけでも大収穫ではなかろうか(笑)宗教改革にまつわる理解が圧倒的に乏しく、でも受容のプロセスと近代資本主義の精神は大分掴めるようになったみたい。

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    投稿日: 2017.02.23
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    自らが、神によって救われる人として「選ばれている」という確証を得るために、ひたすら禁欲的態度で日々の労働に打ち込む。そして、その労働によって対価が得られれば得られるほど、「選ばれ」が確実なものになるという信仰。プロテスタンティズム諸派の歴史的変遷を追いながら、その生活様式が日々の労働とどう結びついていったのかということが丁寧に考察されている。 さらには、労働によって利得したものを生産的に利用するために、さらに投下資本として活用していくことが、初期資本主義と結びついていったという考察は、前半のプロテスタンティズムについての論考から、たいへんに説得力のあるものとなる。 今まで読もうとして何度か挫折した著作であったが、何気なく読み始めたところ、おもしろくて止まらなくなった。けだし、本というのは読まれるべき時期をじっと待っていてくれるものなのであろう。

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    投稿日: 2016.11.30
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    作者自身が書いているが、プロテスタンティズムが唯一決定的な作用を果たした訳では無いでしょう。 しかし、禁欲主義を徹底したカルヴァン派が、結果として資本蓄積のプロセスを合理的にし、地上の富を築くことになるといった、一見逆説にみえるこの論は、繁栄し前期的資本に充分でありながら資本主義に至りえなかったそれまでの歴史についても、資本主義が明確な計画意思や、利潤などの欲求追求のみだけではなく、信仰といった一種の不合理さを必要とした事にも説得力があり、とても良い本だと思いました。

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    投稿日: 2015.11.19
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    そもそも難しい!笑 しかし、プロテスタンティズムの発展の中で資本主義の精神が形成されていく過程がはっきりと理解された。 宗教の本というのは抽象的概念を取り扱っているという点で頭を良くするのにすごく有効だと思った。

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    投稿日: 2015.09.03
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    (2015.06.15読了)(2002.03.23購入) 「世界を変えた10冊の本」池上彰著、でこの本が取り上げられていたし、他でも取り上げられたりするので、読んでおくことにしました。 読んでみたけど、まったく内容が把握できませんでした。解説を読んでも、お手上げです。 プロテスタンティズムの倫理というのが題名に入っているので、プロテスタントという言葉が文章の中にでてくるだろうと思うのですが、ほとんど出てきませんでした。(見直してみると、頭の方には、割と出ていますね。後半にはあまり出てきません。) 出てくるのは、カルヴィニズムとか、ピュウリタンとか、ルッターなどです。 これらは、プロテスタントに対立するものだと思って読んでいたのですが、逆だったようです。これらが、プロテスタントだったようです。キリスト教の宗派に関する常識が皆無だったようです。プロテスタントに対立するのはカトリックなのですね。 『新約聖書』『旧約聖書』を読んだからと言って、キリスト教についてわかるわけではないということなんでしょう。現実の宗教は、教会にあるのであって、『聖書』にあるわけではないということでしょう。『聖書』には、儀式や作法について書いてあるわけではありません。 「プロテスタンティズムの倫理」も『聖書』には、書いてないことなのでしょう。書いてあるなら、プロテスタントもカトリックの関係ないでしょう。 【目次】 訳者序文 文庫版への序 著者序言 第一章 問題  一 信仰と社会層分化  二 資本主義の「精神」  三 ルッターの天職観念―研究の課題 第二章 禁欲的プロテスタンティズムの天職倫理  一 世俗内的禁欲の宗教的諸基盤  二 禁欲と資本主義精神 訳者解説 主要索引 ●良心的(54頁) 労働者の「良心的であること」のなさが、資本主義の発達を妨げる主要な原因の一つとなっていたし、今日でもある程度そうだ。資本主義には、訓練のない「自由意志」の実行者たちは労働者として役立たないし、また、およそ厚顔な態度に終始する実業家も役に立たない。 ●簡素な生活(65頁) 人は「生まれながらに」できるだけ多くの貨幣を得ようと願うものではなく、むしろ簡素に生活する、つまり、習慣としてきた生活を続け、それに必要なものを手に入れることだけを願うにすぎない。 ●神のために(152頁) 人間のために神があるのではなく、神のために人間が存在するのであって、あらゆる出来事はひたすらいと高き神の自己栄化の手段として意味を持つにすぎない。 ●神の栄光(293頁) 明白に啓示された神の意志によれば、神の栄光を増すために役立つのは、怠惰や享楽ではなくて、行為だけだ。したがって時間の浪費が、なかでも第一の、原理的にもっとも重い罪となる。 ●労働(304頁) 「ひとは生きるために労働するだけでなく、労働するために生きているのだ。労働の必要がなくなれば、苦しく思うか、あるいは寝込んでしまうだろう。」 ●神のために(310頁) 肉の欲や罪のためではなくて、神のためにあなたがたが労働し、富裕になるのはよいことなのだ。 ●ピュウリタン(331頁) ピュウリタンは劇場を排斥したし、また、愛慾的なものや裸体などをあらゆるところから一切閉め出してしまったが、こうなると文学においても芸術においても過激な主張は止まるところを知らなかった。 ☆関連図書(既読) 「日本資本主義の精神」山本七平著、光文社、1979.11.05 「職業としての学問」ウェーバー著・尾高邦雄訳、岩波文庫、1936.07.15 「職業としての政治」マックス・ヴェーバー著・脇圭平訳、岩波文庫、1980.03.17 (2015年6月16日・記) (「BOOK」データベースより)amazon 営利の追求を敵視するピューリタニズムの経済倫理が実は近代資本主義の生誕に大きく貢献したのだという歴史の逆説を究明した画期的な論考。マックス・ヴェーバー(1864‐1920)が生涯を賭けた広大な比較宗教社会学的研究の出発点を画す。旧版を全面改訳して一層読みやすく理解しやすくするとともに懇切な解説を付した。

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    投稿日: 2015.06.16
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    評価できるほど理解できてないが・・・倫理の資料集で概略をつかんでから読んだので、なんとか読み通すことができた。しかし、常識として出てくるキリスト教諸派の違いが全く分からないのは、日本人だしね! ということでよいだろうか。

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    投稿日: 2015.06.05
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    1、①プロテスタンティズムの地域には近代資本主義の文化が見出されるが、この文化は、宗教的特徴に由来すると考えられる。②「天職(召命)」に関する新しい理解は、利潤の獲得を志向する活動が義務だという意識をもたらした。③ルターやルター派は、神が各人に与えた職業と地位にとどまるべきだという伝統的観念を抱いており、この伝統的観念から脱却するのは、カルヴィニズムである。 2、①カルヴィニズムでは、神の栄光を増大させるという観点から、社会的実益に役立つ労働が重要な行為と考えられ、人々は、救済の確信を得るために職業労働にいそしむこととなった。また、この禁欲的な生活スタイルは、神の意志に合わせて全存在を「合理的に」形成することを意味した。天職観念は、世俗外の修道院ではなく、世俗内部の生活態度の合理化をもたらしたのである。②ピューリタンの禁欲は、現世的享楽に反対するが、彼らにとって、財の獲得は、神から与えられた天職たる労働の結果であった。この資本主義精神がいったん勝利すると、後にはそうした宗教的支柱を必要としなくなった。 プロテスタンティズムの禁欲が資本主義の精神を形成したという逆説が興味深い。資本主義の精神というよりも、利潤追求の態度を肯定する精神が形成されたと呼ぶほうがわかりやすいかもしれない。合理化の態度についてはもう少し説明がほしいところでもあるが、この点は、ヴェーバーにとっての重要な関心であったのではないだろうか。

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    投稿日: 2014.07.03
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    このレビューはネタバレを含みます。

    禁欲的なプロテスタント(ピューリタン) がもつ反営利的な倫理観(プロテスタン ティズムorピュウリタニズム)が、実は 近代資本主義の成長を内面から推し進めた ”資本主義の精神”を形成した原動力と なった、という歴史を逆説的に解明した 論考。 昔、世界史を勉強した時、マックス・ ウェーバーの名前と本書の題名は知って いた。最近、本書が上記の歴史的な逆説を 究明した内容であると知り、興味があって 手に取った書籍。 読んでみると記述は難解、且つ本文と 匹敵する量の(注)があり、読み解くの に苦労した。しかし40ページの紙面を 割いた「訳者解説」が大変わかり易く、 これを手掛かりに読破した。学術的には、 資本主義と宗教との関係性、理念と企業 経営との関係性を初めて論じた書籍と 位置付けられ、その辺りを意識しながら 読むと興味深い一冊。 (概略) 宗教改革以降、禁欲的なプロテスタン ティズムは徐々に伝播していったが、 その中には小商品生産者が多く存在した。 彼らは、神から与えられた”天職”として 自らの世俗的な職業活動に専心し、それ は決して富の蓄積を目的とするものでは なかった。 しかし、その禁欲的・反営利的なプロテス タントの性格から無駄な消費を行わず、富 が蓄積されていった。こうした行動は、 結果的に合理的な産業機構を土台とする 資本主義の社会機構を作り上げていった。 又、彼らを強制していた”信仰”は、時間 と共に徐々に薄れていき、宗教的倫理の 束縛から解放された社会機構は、”資本 主義の精神”の形成に強力に作用し始め、 産業革命を引き起こす基礎となった。

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    投稿日: 2014.05.07
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    p.156予定説→個々人のかつてみない内面的孤独化の感情という帰結 p.166「隣人愛」はー被造物ではなく神の栄光への奉仕でなければならないからー何よりもまずlex naturae(自然法)によってあたえられた職業という任務の遂行のうちに現れるのであり、しかもそのさいに、特有な事象的・非人格的な性格を、つまり、われわれを取り巻く社会的秩序の合理的構成に役立つべきものという性格を帯びるようになる。 p.178そうした自己確信を獲得するための最もすぐれた方法として、絶えまない職業労働をきびしく教えこむということだった。つまり、職業労働によって、むしろ職業労働によってのみ宗教上の疑惑は追放され、救われているとの確信が与えられる、というのだ。 p.185カルヴァン派の信徒は自分で自分の救いをー正確には救いの確信を、と言わねばなるまいー「造り出す」のであり、しかも、それはカトリックのように個々の功績を徐々に積みあげることによってではありえず、どんな時にも選ばれているか、捨てられているか、という二者択一のまえに立つ組織的な自己審査によって造り出すのだ。 p.211注8 p.226 p.238神の恩恵の獲得が人間の合理的企図の対象とされることになった。 p.264「見ゆべき教会」は、来世を目的とする信託遺贈財団というか、当然に義しい物語も義しからざる者も包含するような公的制度(アンシュタルト)とはもはや考えず、もっぱら、みずから信じかつ再生した諸個人、そうした人々だけからなる団体とされた。 p267呪術からの解放 p.279現世の徹底的な呪術からの解放は、内面的に、世俗内的禁欲に向かう以外、他の道を許さなかったのだ。 p287このような、来世を目指しつつ世俗の内部で行われる生活態度の合理化、これこそが禁欲的プロテスタンティズムの天職観念が作り出したものだったのだ。 p.296行為 p.304労働 p.345たゆみない不断の組織的な世俗的職業労働を、およこ最高の禁欲的手段として、また同時に、再生者とその信仰の正しさに関するもっとま確実かつ明白な証明として、宗教的に尊重することは、われわれがいままで資本主義の「精神」とよんできたあの人生観の蔓延にとってこの上もなく強力なこうかんとならずにはいなかったのだ。 p.352富の増加したところでは、それに比例して宗教の実質が減少してくるようだ。 p.356「精神のない専門人、心情のない享楽人。この無のものは、人間性のかつて達したことのない段階にまですでに登りつめた、と自惚れるだろう」

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    投稿日: 2013.12.17
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    2013 11/22読了。Amazonで購入。 岩波文庫を読みなおそうシリーズ。 近代資本主義の精神の起源はプロテスタンティズムの禁欲的倫理と「天職」に励むという考えにある・・・という有名な話はもちろん知ってたけど、実際に読んだのは初めて。 もっといかにも社会科学、って感じの話が続くのかと思ってたけど、かなりの部分はプロテスタントの教理とか倫理観にかかわる記述なんだ、というのは実際に読まないとわからなかったところ。 自然な欲望に任せたり、安定を望んだりしないで、禁欲的に自分を律することに意義を見出す姿勢についての話とか、その合理的に振る舞おうということを最上位に据える考え方の不合理性に関してとか、自分自身の振る舞いについて考えるところも多かった。 もっとはやくちゃんと読んでおくべきだったな・・・。 以下、気になった点メモ。 ・p.286  ・どの教派においてもつねに、宗教上の「恩恵の地位」をば、被造物の頽廃状態つまり現世から信徒たちを区別する一つの身分と考え、この身分の保持はーその獲得の仕方はそれぞれの教派の教義によって異なるけれども-なんらかの呪術的=聖礼典的な手段でも、懺悔による赦免でも、また個々の敬虔な行為でもなくて、「自然」のままの人間の生活様式とは明白に相違した独自な行状による確証、によってのみ保証されうるとした。このことからして、個々人にとって、恩恵の地位を保持するために生活を方法的に統御し、そのなかに禁欲を浸透させようとする機動力が生まれてきた。 ・p.331-332 プロテスタントの芸術への拒否に関する記述・・・初期図書館界のフィクション嫌いとかに絡んでくるのか?? このへん、宗教意識との関連について全然フォローしてこなかったので今後意識しておく。

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    投稿日: 2013.11.25
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    このレビューはネタバレを含みます。

     課題読書。読了としたが(注)は殆ど飛ばした。解説でも触れられているがこの本は(注)と本文のどちらが多いか分からないくらいなので内容理解は50%くらいかも。(注)の理解には歴史的な知識がかなり求められるためまずは本文のみで読了とした。本文も完全に理解出来たとは言えない。自分が読んできた本の中では難しい部類に入った。もっと学問的な本も読んで教養を身に着けなければ。  本書の核心を一言でいえば「プロテスタンティズムの禁欲的な精神が産業革命、近代資本主義誕生の要因である」ということだろう。禁欲が資本主義を誕生させたという逆説は有名らしい(不勉強にして自分は知らなかった)。一見矛盾して見えるが読んでいくとなるほどと思わされる。ピューリタンにとって労働は救いを確信する手段でだったので世俗的禁欲、合理的な労働を促進させた。そして近代資本主義が成立すると宗教的な動機は薄れて有名な「精神のない専門人、心情のない享楽人」が生まれるというわけだ。  ヴェーバーはよくマルクスの唯物史観と対比させられる。しかしヴェーバーは唯物史観を否定しようとしたのではなく多元論をとっていたというだけなのだ。だからプロテスタンティズムも資本主義誕生の一要因に過ぎず、けっしてそれだけが唯一の要因であると理解してはならないということは注意しておくべきだろう。ヴェーバーかゾンバルトか、という対立も面白い。個人的には贅沢が資本主義に繋がったというゾンバルトの方がしっくりくる。  

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    投稿日: 2013.11.15
  • 分かりやすい現代語訳で古典の名著を

    社会学的に避けて通れない程の名著。 久し振りに電書で読んでみたら、以前読んだのが何時のどの版かは定かではないが、随分噛み砕いた翻訳で読み易くなっていて驚いた。……とはいえ一種の「専門書」ではあるので。まずは訳者による解説を一読した上で、改めて本文を、脚注は飛ばして読み進めるのをお勧めしておきたい。脚注は全体像をそうやって把握した上で、著者の多面的な関心や著者への批判に対する反批判を押さえておくために読むのがベター。 (なお電子書籍版では後半1/2が索引と、ハイパーリンクでジャンプするための脚注[本文内に記載されたものと同内容]で占拠されているため、ぱっと見ほどのボリュームでもなく、割と楽に読み終えられる) 大澤真幸的理解で噛み砕くと。 それまでの中世的世界観は誕生>幼児>大人>老人>死の円環を、直近世代で若干の重なり合いを持ちつつも、延々繰り返す…厚みゼロの円を、世代を重ね延々繰り返すようなイメージだったと。 そこに宗教改革の波が押し寄せた。ルターがBeruf(天職)概念を聖書翻訳に導入し、カルヴァンで更にその世俗化(生臭な聖職よりも清くつましい生活を送る世俗者の方が救われるべき>修道士の生活スタイルで世俗生活を送る事が推奨され、儀式儀礼的なモノが排除される)が進められた。 更にカルヴァンの後継たるカルヴィニストらでは「神の恩恵が与えられるのは一部の選ばれた者だけ」という予定説概念が導入される。 その恩恵を受ける「予定」に入っているかどうかは、絶対者たる神と相対者たる人の間が断絶している以上説明も理解も不能。 しかし、「人間には推し量り得ないとはいえ、神は合目的性を持って世界を生み出した筈」「だから合理的な社会の実現のために邁進すべき」「そして被造物神化(偶像崇拝の拡張概念。物神崇拝)は厳しく抑制されるべきだから、生理的な欲求も厳格にマネジメントし、利益や財産の発生は否定しないがそれに安逸してはいけない」という、実践を行う事によって自分が選ばれた者である事を実感できる、という。 ここで最後の審判という無限遠点に至るまでの時間を、果てしなく微分した「今」の実践で時間を捉える…直線的・一方向進行的に時間を捉える…世界観が生まれたのだとか。 (ヴェーバーの本書に微分概念は出て来ない。また生活時間を一定時間で区切って管理するスタイルは修道士の模倣で生まれた事に注意) これは一種のカルトとも言える思考であり、メンタル貴族主義でもあり、常に自分が救われるべき存在である事を確信したいがために、強迫神経症的に「実践」を強いられる事になる。 その強迫神経症が資本主義黎明期の爆発的なエネルギーを生み出した、という考え方が本書の基本トーンになるだろうか。 大澤理解によれば上記の時間概念のパラダイム変化により、中世の資本主義=遠隔地貿易のリスクテイクによる利潤から、近代・現代の資本主義=時間の離れた未来に対するリスクテイクによる利潤、が生まれたという捉え方もできるが、それは本書から離れた別の話。 何はともあれ。折角読み易い翻訳で名著が刊行されているので、読まない手は無いのではないかと。

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    投稿日: 2013.11.04
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    倫理でこのタイトルを聞いた時、「なんて長い名前の著作なんだ」と思ったことがある。 普通、「キリスト教」というと、「金と神の両方に仕えることはできない」「金持ちが天の国に入るには駱駝が針の穴を通るより難しい」など、禁欲的で素朴なイメージがあって、「金持ち」とか「資本主義」とは結びつきが薄い、むしろ正反対のイメージを抱くかもしれない。 ところが、この著作でマックス・ヴェーバーが社会学的観点から主張するところによれば、プロテスタント、とくにピューリタンの禁欲的倫理が近代の資本主義に大きく貢献したという逆説なのだ。 すなわち、神の栄光のために働くことは尊いことだというのである。 一生懸命禁欲的に働いて、消費を抑えれば必然的に財産は貯まる。 それも、財産をためるための財産、労働ではなく、あくまでも根底にあるのはピューリタニズムの禁欲的な倫理だというのだから逆説的である。 あとは、世界史や倫理で習ったカルヴァンの「予定説」、あれにはどうも納得いかなかったが、あの説がカルヴァン自身の確信であって、「どうすれば救われるかどうか」ということは民衆に説いてなかった、そのため、人々は不安になったがヤケクソになることなく神の救いに叶うような禁欲生活を営んだという話を読んで、ちょっと納得した。 自分自身にとっても、「働く」とはどういうことなのだろうか、どういう姿勢で働くのが神にかなったあり方なのかということを考えさせられました。

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    投稿日: 2013.07.04
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    プロ倫言わずと知れた社会学の名著。資本主義がプロテスタントと結び付いているのには理由がある。是非とも社会学に興味があったり学んでいる人は一度は読んでおいてほしい一冊。

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    投稿日: 2013.07.04
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    このレビューはネタバレを含みます。

    暴利の禁止を倫理的に禁止する「プロテスタンティズム」。利潤追求の営みとして成り立つ「資本主義」。 一見相反するこの2つのキーワードが歴史的関係において密接に結びつき「近代の資本主義形成」(前近代のそれと違い、簿記などを土台に、合理的な産業経営、利潤追求がされるもの)に大きく貢献していくことを見出した書。 商業や金融活動のさかんなユダヤ教などからなぜ「近代資本主義の形成」が成立しなかったのか?逆にピューリタリズムからなぜこれが生まれたのか? 一つキーワードとしてルターの天職観念がある。世俗の職業は神の召命。われわれが現世において果たすべく神から与えられた使命。そのために人々は「禁欲」(絶食や苦行など自分の身体に苦痛を与え、何らかの非合理的な力を身に着けようとするのではなく、他のあらゆることを忘れ、エネルギーのすべてを目標達成のために注ぐ行動様式。)を重視する。これはやがて、プロテスタンティズムの思想的特徴へつながっていく。 はじめピューリタン商人は金儲けが目的でなく、神の栄光と隣人への愛のために専心する。そのように禁欲のエートス(個々の勤労や節約といった「徳性」を倫理的雰囲気・思想的雰囲気のように統一した行動システムまでまとめあげたもと)をもって労働に励むゆえに、お金が溜まる。無駄な消費をしないのでさらにお金は溜まる。この貯蓄こそが、隣人愛を実践したメルクマールとなり救いの確信にいたる。 この流れは次第に「意図せず」合理的経営が土台として成立していく。儲けなければ経営がなりたたなくなるにつれ、資本主義の社会機構が世俗的禁欲を外側から強制していく。 この資本主義の精神は資本家だけでなく労働者も含まれる。資本家は経営を拡大。労働者は経営内の規律に自ら進んであたかも労働が絶対的な自己目的(天職)であるかのように励む。 しかし、上記の強制は進行はもちろん、その精神も薄めていく。 残ったのは天職義務の行動様式だけである。 そのような状況を「精神性のない専門人。心情のない享楽人。この無なるものは人間性のかつて達した事のない段階にまで上り詰めたと自惚れるだろう」という言葉で閉じる。  ...とほとんど大塚先生の解説を参考にまとめてみる。歴史の例が多く、脚注も多く、論旨が何度も曖昧になりかけた。  ただ、社会学徒必読の書であるのは間違いないと確信した。基本的かつ必要なメンタリティーが凝縮されている。  一見相反するキーワードを歴史的かつ論理的に構成する方法。  修道院の規律が人々の思うものより強制が弱かった例。反営利的な倫理的諸信念の中から近代資本主義の成長を内面から力強く推し進める資本主義の精神という結論。これらからわかるように外側からの強制よりも内側からの強制が強くなる現象。つまり、個人が機械化し無力と不安になっている人々に安定を与え、救ってくれるような新しい権威に従属したいという近代社会に見られる人々の願望。  このような社会学的なものへの有効性。それはもちろん、また、「(アメリカでは理想とされる)ビジョナリーカンパニーが日本では一歩間違えればブラック企業」という某飲食店の今日の事例を見るように、アメリカ的手法をそのまま導入しても成功しない政策・方法などのいい示唆にもなるのではないだろうか。  そのような両者のエートスの違いで生じてくる問題を多くあるとかんがえる。  なお、訳者も強調しているように、「プロテスタンティズムが資本主義を形成したのではない。」本書を読む前そう思っていたゆえにそこは気をつけたい。

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    投稿日: 2013.06.27
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    矢崎ゼミ三年次の教材の一冊。 働く意味、ということを歴史から考察した社会学の名著にして古典。 特に組織の経営者には必読書である。再読して、反省。。

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    投稿日: 2013.06.20
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    「企業って結局利潤追求が目的でしょ?それが何か?」 とクールに言い切り、黙々と働く、、、、 この思想、どこからやってきたのでしょう? 「欧米の人ってよくわからないんだよね。」 というか、アメリカ人とヨーロッパの人って同じような違うような・・・ 理由はよくわからないけど、でもとにかく日本人とは違う! そんな疑問に応えるヒントがここに。

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    投稿日: 2013.05.12
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    大学に入学してまっさきに講義で出会った書物。 すでに当時カビの生えた講義だったように感じるが、その逆説的な物の見方に感銘を受けた。とりあえず何でも逆説的に考えるのが癖になってしまった。 資本主義の外見は人間の欲望で成り立つように見える。 しかしその由来は欲望とは対極に位置するように見える禁欲的教義=倫理。プロテスタント教国特にカルバン派で資本主義が発生した理由が述べられる。 「行い」が時の流れとともに本来的意味を失うときに、新たな時代の要請に応じた「行い」が適合する例は探せば他にもあるんだろう。 思いつかないけど。

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    投稿日: 2013.05.02
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    はじめて読んだときはビビった。社会をこんなふうに分析する方法があるんだーと思って。 その後、この論文で彼が使ってるデータの不正確さや恣意的な論理の構築を批判した最近の論文も読んで、その主張に根拠があるのか無いのか知らないけど、まー、そういう見方もあるんだなとは思った。 それでもやっぱり、ヴェーバーのやった仕事はすごいなーって、尊敬しちゃう。 着想がスゲーよ。 細分化された特定の分野の専門家であり科学者であるエコノミストからは見えない、総合的な社会の実態を、ヴェーバーは見ている。

    4
    投稿日: 2013.04.01
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    プロテスタントの「神から与えられた天職を全うするという目的を果たすために他のことをガマンしましょう」という行動的禁欲が、教育によって人々の行動規範・思考様式つまりエートスになって、資本主義精神がうまれた。そのようにしてうまれた資本主義に人々が取り込まれていって、今ではもうキリスト教とか関係なくなったというかむしろ逆にキリスト教の教えに反するようなものになってしまった、みたいな話

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    投稿日: 2013.03.26
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    この本を読んでいて、ヒントになるのは資本主義が合理主義の帰結としてできたものではないということ、自分の精神も資本主義の流れを受けて影響を受けているということです。  内容については難しく、何を書いているか半分以上理解していません。

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    投稿日: 2012.12.05
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    GUEST 039/評論家・山田五郎:スミスの本棚:ワールドビジネスサテライト:テレビ東京 http://www.tv-tokyo.co.jp/wbs/blog/smith/2011/08/post115280.html

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    投稿日: 2012.11.09
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    「宗教改革は人間生活に対する教会の支配を排除したのではなく、従来とは別の形態による支配に変えた」というのがMウェバーの信仰と社会層分化における考えである。 従来とは別の支配とは、本書で論じられるプロテスタンティズムに他ならず、特にカルヴァン派を中心とした改革派を指す。 改革派の資本主義の精神は、純粋に「適応の産物」として論じられる。 貨幣獲得が「天職」として経済的合理性を与えられた世界観における当然の帰結と結論づけられるのである。 カルヴィニズムで有名なのは「予定説」である。以下に一部を抜粋する。 「神の至高の導きを推し量ろうとしても無意味であるとともに、神の至上性を侵す事になる」 「人間の功績あるいは罪過がこの運命の決定にあずかると考えるのは、永遠の昔から定まっている神の絶対に自由な意志を人間の干渉によって動かしうるとみなすことになり、あり得べからざる思想なのだ」 この考えの延長上にキリストについての解釈が存在する。 「キリストが死に給うたのもただ選ばれた者だけのためであり、彼のために神は永遠の昔からキリストの贖罪の死を定めていた」 この「予定説」であるが、カルヴァン派の信徒たちは自分たちが選ばれている人間かそうでないか、常に不安な状態に陥る。そのため信徒は救いの確信を自らがつくりだすという技術的手段によって救いについての不安を取り除くといった行動に出るのである。 救いに対する疑念は悪魔の誘惑とされるため、一心不乱に労働に勤しむのであった。 その場合、職業には道徳的基準・生産する財・収益性が重要であった。 ちなみに、この考え方は当時から批判が多かったらしい。イギリスのジョン・ミルトンは「たとえ地獄に堕されようと、私はこのような神をどうしても尊敬することはできない」と言い放ったという。 キリスト教敬虔派が来世の確信を得るための禁欲的な戦いを続けるのとは違い、カルヴァン派は現世にあるままで救いの悦びを味わおうとする方向に傾く。 そしてこの感情の高揚が激しい場合、信仰は端的にヒステリー的性格をおびるようになる。感覚的な宗教的恍惚状態と「神を離れた状態」として感じられる精神的虚脱状態との交替によっておよそ冷静なピューリタンとは思えない正反対の結果を呼び起こすという。 この宗教的神秘体験は、「懺悔の苦闘の後に到達する突然の回心」と定義づけられ、神の恩寵獲得のための合理的企図の対象とされ、後には恩恵貴族主義につながる。 Mウェバーは、これら一連のカルヴィニズムの流れについて、以下のように結論づけた。 「世界を呪術から開放するという宗教史上のあの偉大な過程、すなわち古代ユダヤの預言者とともにはじまり、ギリシャの科学的思考と結合しつつ、救いのためにあらゆる呪術的方法を迷信とし邪悪として排斥したあの呪術からの開放の過程は、ここに完結をみたのだった」 最後にルターの「天職」及び「予定説」に至ったプロセスは以下の考え方によるという。 「ルターは歴史的な客観的秩序は神の意思の発現だと考え、後には人間生活の個々の過程のうちにも神の摂理を強調するようになった。 神の摂理は、聖慮(みこころ)という思想に照応し、各人の具体的な職業は神の導きによって与えられたものであるという考えに至る。 ルターは宗教的原理と職業労働との結合により、新たな原理基礎をうちたてたのである」

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    投稿日: 2012.11.04
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    うまく論旨が要約されている訳者解説をまず読むことをおすすめします。 その上で本文は、今読んでいるところが著者の言いたいことの幹にあたるのか、枝葉にあたるのか、意識してながら読んでください。ヴェーバー研究者ならまだしも、一般読者が一から十まで同じ程度でこの論文を理解する必要はないからです。 こんな読み方をすれば、「難解で読みきれない」本ではありません。

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    投稿日: 2012.09.06
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    ヴェーバー続けて2冊。この複雑で力強い文体と離れがたくなってしまった。そして、注多!本文にも強調の点がたくさんあるけど、注に点打ってる文章って初めてみたような…

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    投稿日: 2012.05.08
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    「営利の追求を敵視するピューリタニズムの経済倫理が実は近代資本主義の生誕に大きく貢献したのだという歴史の逆説を究明した画期的な論考。マックス・ヴェーバー(1864-1920)が生涯を賭けた広大な比較宗教社会学的研究の出発点を画す。…」とあります。『神さまと商売』というタイトルにしてもいいのではないか…勝手が過ぎましたね。とにかく「注」が長い。本文よりも長いのでは錯覚するほど。繰り出される卓見、その量の甚大さとそれへの配慮に因るのでしょうな。今生きているこの資本主義社会に何が伏流しているのか、沈潜したくなってくる示唆に富む一冊。しばらくしたら再読しよう。

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    投稿日: 2012.03.24
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    読み終わったのか、わかりません。 ちょっと難しくてなに言ってるかわかりますん。注釈が長くてどうしようかと何度も思いました。 勤労に関するプロテスタントな考え方が、発展を支えた。教会から圧力を受け、それに同調するように広まった天職思想。 考え方的には、現代からは外れてる気がしますが、日本でも歴史的に見て、良い経営者は、考え方が近い気がします。 もう一回読まないと、、、体力があるときに。

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    投稿日: 2012.03.21
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    学生時代にあまりに難解すぎて投げ出した一冊。 当然、今読んでも難しい事は変わりありませんが、理解できないなりに最後まで読み終わりました。 資本主義が禁欲的なプロテスタントと、どの様に結びついて発展して行ったのかを解説しています。禁欲と言う言葉が良く分からず、読んでいましたが、大塚久雄さんの解説で視界が開けました。逆に、解説がなかったら何のことやらでした。他のあらゆる事を忘れて、一つの事に取り組むと言う事だったんですね。 比較宗教学と結びついたり、マックスヴェーバーと言う人はすごい人だと思いました。 ライブドア事件の様に利益の追求を目的にするだけでは会社は生き残れない。公共の利益(他者を慈しむ心)の上に会社があり、副産物として利益があると私は解釈しました。 今の自分の職業を天職と考えて明日からまた仕事に励みたいと思います。

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    投稿日: 2012.02.19
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    翻訳:大塚 久雄 難しくて読めなかった。しかし訳者の解説でなんとなく分かった(気になった?)近代資本主義の精神は天職として仕事にはげむことを教えたプロテスタント諸派によって培われたとする長編論文。

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    投稿日: 2012.02.06
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    きつかった。学術的である。 いま読んでいる、「ビジョナリーカンパニー」を読み終わってから再度読むかどうか判断します。

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    投稿日: 2012.01.01
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    まずこのような学術書であるにもかかわらず、大塚久雄訳は平易な文章で書かれているので読みやすい。宗教的価値観から資本主義の特質を浮かび上がらせるのは、面白い観点だった。

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    投稿日: 2011.09.24
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    近代資本主義の精神が、商人の活動が活発であった中国、インドや日本の大阪では生まれず、なぜ近世初期西ヨーロッパで生まれたのか。それは、禁欲的プロテスタントの禁欲的倫理が生み出したという。 スミスの本棚で山田五郎氏のお薦めの一冊として紹介されたいたので本書を読んでみたが、理科系、いや、経済学を専門としない私にとっては、今まで読んだ日本語で書かれている書物の中で一番、難解であった本となった。唯一の救いは、巻末の訳者解説で、それによりようやく日本語として読むことができた。 経済学としてのヴェーバーの論述の詳細は専門家にまかすとして、私が本書を読んで学んだことは、経済の仕組みの形成には、人間のエートス(客観的な社会心理)が大きく影響しているということである。我々は現在の資本主義の中で、たぶん、一昔の人々と比べると豊かな生活をしていると思うが、最近の世界や日本の経済状況を見ていると、ほんとうに今の資本主義が我々に幸せを提供しつづけてくれるのかと疑問に思う。その新しいエートスから、ほんとうに、地球上の皆が幸せに暮らせる経済システムが生まれることを祈りたい。

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    投稿日: 2011.09.17
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    ここで取り上げられる資本主義とは近代資本主義であって、遥か資本主義の成立まで遡ったものではない。近代資本主義の成立過程でキリスト教におけるプロテスタントの人々がどういう思考過程を辿って参加しているか、発展に貢献したかというのがテーマ。ざっくり言うと、資本主義というと金持ちが心が汚くてもっともっとと金儲けに走るという風に捉えられがちだが「全然違うよ。」といった内容です。  これは近年の読んだ本の中では会心の1冊と言っていいほど。ただし、ちょっと読みづらく難解な部類なので★マイナス1

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    投稿日: 2011.09.15
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    このレビューはネタバレを含みます。

    「この世」を説明したい趣味がある人に。 森岡「無痛文明論」でいうところの「身体の欲望」を解放したのがプロテスタンティズムである、ということ。 もう少し全体の流れの中で説明すると、 アテーナイの悲劇と弁論大好きアリストテレースから、 パクスローマーナ時代のセネカ&マルクス・アウレリウス・アントーニウス師弟を経て 「ストイシズム即ち理性」としてきたローマンカトリックの伝統を 破ってしまったプロテスタントが、「文明」というものを 作ったのです、おしまい。

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    投稿日: 2011.09.08
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    世界史にも出てくる名著。 前から興味があり読んでみたが、如何せん自分には難しかったようで…ほとんど意味がわからない部分が多々あった。 もう少し成長したらじっくり読みなおしたい一冊。

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    投稿日: 2011.07.29
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    このレビューはネタバレを含みます。

    方法論的個人主義の立場から、プロテスタントと資本主義のつながりを解明していく。営利の追求を良しとしないプロテスタンティズムの禁欲的労働が逆説的にも貯蓄を生み、それを浪費せずまた次の投資に使っていく中でどんどん貯蓄が増えていき、資本主義の形成に大きな影響を与えた、という論理を展開する。途中で議論がいろいろな所に飛ぶこともあるが、訳者による豊富な解説も読む時の手助けになるだろう。

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    投稿日: 2011.07.15
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    このレビューはネタバレを含みます。

    オランダなどの国々では、 プロテスタンティズムが、 現代の勤勉さを代表するものであることを知ることができた。 オランダを訪問した際、家の居間の灯りをつけ、カーテンを開き,生活を公開していることを教えてもらい,実際にバスで通った時に,拝見した。生活の一部を公開する文化が,「プロテスタンティズム」の1つの源泉になっていることが分かる。 自分でも18歳までカルヴィン派のプロテスタントの教会に通っていて,オランダでの習慣に違和感を感じなかった。 幼稚園は,ドイツのルター派(ルーテル)のプロテスタントの教会のだったので,なんとなくしか違いを感じていなかったが,オランダに行って違いを確認することができた。 産業革命における土地の呪縛からの脱出が興味深い。土地の呪縛が、時代と宗教を制約づけているのだろうか。

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    投稿日: 2011.06.30
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    昔、一息に読んだのだが、あまり問題意識を持たずに読んだのでいまいち頭の中に入らなかった気がする。それこそ表紙に書いてある概要そのままぐらいのものしか得られなかったのではないかと… 最近、またマルクスとか読んでみようかなとか思い始めているのでこれも再読検討したい。

    1
    投稿日: 2011.06.06
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    学生時代に読んだものの、半分も読めずに放り出しました。しかし改めて読み返してみて著者の意見に目を開かされました。

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    投稿日: 2011.05.16
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    プロテスタントといえば、自分に厳しく生活を律していて、金儲けなどとは無関係、というイメージがあります。また、実際にそうなのですが、そのことが資本の蓄積を生み、その結果、現代資本主義の成立に貢献した、というのがこの本のテーマです。 歴史の皮肉、と片付けてはいけませんがおもしろいですね。

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    投稿日: 2011.04.29
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    数十年前に格闘した書籍を再読しようと思ってます。若い頃に読むには難しい。50代になって二日で読み終えた。とてもよくわかった。それだけ、色々な知識を必要とされるのかも。

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    投稿日: 2011.03.29
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    プロテスタンティズムが西洋資本主義の基礎になったということは知識としては知っていたがそれをプロテスタンティズムの成立から丁寧に順を追って説明してくれたもの。 正直自分の今の頭では半分も理解できているかはあやしい所だが、大塚氏の解説と合わせて読むことで多少なりとも理解出来たのではないでしょうか。

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    投稿日: 2011.03.27
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    もともと宗教社会学論集という研究の一つ。 個々の各宗派の違いや変遷を調べ上げながらも、あの素晴らしい結論部を導き出したのは驚くばかりです。必読の書だと思います。

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    投稿日: 2011.02.21
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    本学がプロテスタントキリスト教に基づく大学であるということを考慮にいれなくても、近代を理解する上で必読書とされている名著である。ライフデザインは、就職に対する意識づけを目標の一つとしているので、「天職」という概念について語られる機会が多いと思う。以下に有名な一文を紹介する。「近代資本主義精神の、いやそれのみでなく、近代文化の本質的構成素の一つというべき、天職理念を土台とした合理的生活態度は──この論稿はこのことを証明しようとしてきたのが、ーーキリスト教的禁欲の精神から生まれでたのだった」(大塚久雄訳、363-4頁)。(2010:小林茂之先生推薦)

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    投稿日: 2010.12.06
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    この本を本当に自分のモノにするためには、精読することはもちろんだが、相当の知識が求められると思った。難しい。

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    投稿日: 2010.11.04
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    入学前に読んで、なんとなし、「そうなのか」、と言う感じで飲みこんだ気でおりましたが、とんでもない。あの時は、わからないということの意味を、わかるということの意味を、まったく分かっていなかった。エレジー。 今回縁あって、ウェーバーの研究者である鈴木宗徳先生のゼミに参加。約2カ月にわたって本書を輪読した。 ウェーバーはとにかくアツい男である。「閉塞感(本文で「殻」と)」を許さず、「閉塞感とは何か」を問い正す。本書では当時の資本主義世界の雰囲気を「今の資本主義はぬるくなっとるけど!もとはプロテスタントの洗礼された生活から生まれたものなのだ!彼らは目的合理的だったのだ!」と、今の≪非宗教的な≫資本主義の方が、どこか『宗教っぽい』との見解を示す。 そして、「閉塞感」とは閉塞感を決めてかかることに原因があるのであり、それがなにか「わかった」時点で負けなのであり、じゃあどうしたらいいのかと言うところで、「あとは自分で考えろ!」ということなのだ。 どうしたら『宗教っぽく』なくなるのかということを、宗教に問う。なんとも、ロックである。これと同じようなエッセンスを持ってる日本の哲学者で言ったら・・・矢沢栄吉とイチローさんですかね!という持論を持つに至った。宗徳先生は笑ってくれた。 法政大学で開かれた国際シンポでウェーバー研究の超代表的な存在である折原浩先生と話す機会があった。なにひとつ学問的な話はしてないのだが、とにかく「熱くなれ!」と熱く語られた。ということは、つまりそういうことなのである。そこから先は言葉にならない、してはいけない。とにかく熱い「何か」なのだ。しかし語らねばならない。何かを示さねば動き出しもしない。その矛盾の向こうにこそ、目的地はある!そして!ビールをついでもらった!嗚呼!乾杯! 僕が宗教っぽくなくなる日は、遠い。

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    投稿日: 2010.07.10
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    ちょうど授業でプロテスタントと資本主義の関係を扱っているから読んでみた。 授業の内容を踏まえているから何とか最後まで付いていけた。 でもキリスト教の知識が少しでもないと日本人には理解できないと思う。知識があってもあんまり納得できないとも思う。 個人的には面白かった。

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    投稿日: 2010.07.03
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    面白い。論文、というか人文研究はこうあるべきだと感じさせる。 プロテスタントの節倹勤勉な体質(ルターによる「天職」概念の構築、続くカルヴァンによる「禁欲」の奨励等)が「市民資本主義」の発展に図らずも寄与してしまったという一大テーマ。 ダイナミックな仮説、論理的展開、精緻な注。まさに戦う論文。

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    投稿日: 2010.05.19
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    高校時代想い出の2冊のうちの一冊。 愛、愛ってなんなのよ。みんな一体どうしたの?成長、成長ってどうしたの?みんなコワイ。キリスト教にやられちゃったんだきっと。「好いたの惚れたの」が経済に乗っ取られてる。なにこの自動機械は。 と思ってたところにドンピシャリの題名で読んだ。 当時は社会学って言葉も知らなかったし(30過ぎても知らなかった!)この本が古典だとも知らなかったが、大変興奮した覚えがある。 私の中では、ボードリヤール「消費社会の神話と構造」になぜか繫がっている。

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    投稿日: 2010.05.13
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    学生時代に読んだ本。所謂“プロ倫”というやつだ。 プロテスタントの信仰が資本主義の行動様式に適合していた、とかそんな内容だったか。 まあ、社会系の学部の学生さんは読んでおいた方がいいと思うよ。

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    投稿日: 2010.04.17
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    マックスウェーバーの代表作。 これを読みば世界に対する視野が広がる。 なぜ世界は資本主義なのか? プロテスタントは、金儲けをしても良いのか? これらの問に対して、自分の考えを持つことができるようになる。 資本主義社会の中で生きる我々は必ず読むべきである。

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    投稿日: 2010.04.03
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    大学時代に触れた大塚史学。はっきりと認識はできていないと思いますが、自分にとって大塚久雄氏の思想を受け継ぐ恩師との出会いの書となっており、また読み返したいと思うときが来たように感じます。

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    投稿日: 2010.03.26
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    プロ倫。 政治経済を学ぶ者として読んどくべき本らしいが、難解ながらも筋の通った議論展開で非常に面白かった。 ただ、内容は知っていたのでざーっと一日で流し読み。 日本は神道/ブッディズム的な禁欲で成功したのかな。 今のアメリカの状況を鑑みたときに、ヴェーバーがどんな議論をするのかが気になった。

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    投稿日: 2009.11.05
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    難しい!けど すごい色々納得できた 私もともと精神と社会の関係ってとっても興味があるのです カトリックにはなかった禁欲の精神が資本主義と結びついている というのが一行要約 笑 すべては神の栄光を増すため すべては来世での平穏のため いつから人間は現実に貪欲になってしまったんだろうね

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    投稿日: 2009.10.03
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    購入 学校で読む機会があったので読んだ。 要約としては、背景はルターらの宗教改革、さらに禁欲的になったキリスト教布教をバックに、 資本主義が台頭したのは、職業=ベルーフ、つまり働くことが天命であるという考え方が普及していたからか。 よくわかんなかった正直、、、

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    投稿日: 2009.09.02
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     マックス・ヴェーバーの著名な論書の一つ。 プロテスタンティズムの禁欲的な労働のススメがプロテスタントの国々を発展に導いたという論。 詳しく理解することはできなかった…。しかし、論旨には多いに同意である。

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    投稿日: 2009.09.01
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    学科の教授がプロ倫読まないヤツはモグリとかの言ってた。 読んで納得、なるほどこれは面白い――が、引用多すぎて読みづれーよ!

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    投稿日: 2009.05.19
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    世界史で「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」とやたらと長ったらしいタイトルを暗記させられ、いったいどんな内容なのかと興味を持ち手にとった世界の名著。この論文ほど何度も挑戦し、そして敗北したものもない。何度読んでも興味深いが、完全に理解するにはほど遠く、いつも知識の限界を思い知らされて歯が立たない(苦笑)だが経済関係の本を読むたびに、また読みたくなるのだ。このタイトルから、カトリックで卑しい事と禁止されていた「蓄財」が、ルターの宗教改革により「天職を得て働く」ことを肯定され、それが資本主義につながっていったと言う主旨だと誤解している未読の人は案外多いんじゃないだろうか。かくいう私もその一人だった訳だが…結論から言うとヴェーバーはこの論文で「営利の追求を敵視するプロテスタントの禁欲こそが、資本主義が生まれる根底となった」という歴史の逆説を唱えている。 これだけ読むとまったくナンセンスで意味不明なのだが…長くて難解で何度読んでも頭の中で上滑りしてしまう文章を少しずつ読み進める内に、ぼんやりとその意味がわかりかけてくる。その時に大いに手助けしてくれるのが巻末の「解説」だ。この解説を先に読んでから本文を読み進めると大分とっつきやすいかもしれない。彼は「利益の追求を肯定」する地域から資本主義は生まれなかった事を古代中国、ユダヤ、イスラム、古代オリエントのあらゆる地域の検証から論述し、「禁欲」と「勤労の対価としての報酬の蓄財」の矛盾する双方をモットーとした禁欲的プロテスタントから資本主義が発生したという「事実」をあげてくる。「事実は事実」という実にシンプルで説得力のある論拠だ。禁欲と勤労が蓄財を生み、それを社会への奉仕として還元するシステム。そしてシステムを続ける為に「利益を得なければならない」経済活動循環。その循環が続けられるにつれ、次第に利益追求のみが重要となり、その根幹である禁欲は忘れられていき、資本主義へとつながっていった。というのが彼の最も重要な主張と言えるだろう。ヴェーバーは経済学者ではなく、比較宗教社会学者だ。彼が生涯を捧げたのは「比較宗教」の研究であり、この「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」はその比較宗教社会学の一端であると捉えた時、彼がなぜこれほど画期的な視点から歴史に残る名著を著したかが理解できる。西洋、東洋、イスラムと古今東西の宗教の造詣が深く、それを比較研究した彼だからこそ、事実を検証することでこの歴史の逆説とも言える論文が書けたのだと思う。ヴェーバーは最後に最終未来を予想している。「精神のない専門人、心情のない享楽人。この無のものは人間性のかつて達したことのない段階にまで登り詰めたとうぬぼれるだろう」まさにヴェーバーから100年後の未来の私達、カネを得る手段としてマネーゲームのように巨額のカネを動かし、数字上では大金持ちになったと思っていたらある日一気に破綻し未曾有の不況に襲われている現在の状況を表しているようだ。さて、もし今ヴェーバーが生きていたら、精神のない専門人や享楽人が歩むこれから百年後の未来はどう予想するのだろうか…?

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    投稿日: 2009.03.06
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    社会人入社の際に知り合いの方から頂いた本 内容は原文は難しいが最後の大塚氏の要約版が非常に秀逸 その後で原文を読み返すと素晴らしい理解が得られる 今ではバイブルとして定期的に読み直しています

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    投稿日: 2008.12.28
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    まあこれは難しすぎて自分が解説できるような本ではないのですが つまるところ単に経済活動が活発な所に近代資本主義が誕生したのではなく プロテスタンティズムの禁欲的な精神こそが近代資本主義を生み出したということを言っているんだよ・・ね? まあ万人にお勧めというわけにはいかないかもしれないが、社会学に興味のある人はぜひ

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    投稿日: 2008.12.26
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    何故、プロテスタントの人々は、そうでない人々よりも資本主義において優れた特性を示すことが多かったのか、ということについての解説なのだけれど、キリスト教圏の読者に向けて書かれているためか、キリスト教についての基本的な知識がないと、さっぱり通じないところがたくさんある。 キリスト教徒の諸宗派といっても、カトリックかプロテスタントかぐらいしかわからないし、それすらどういう違いがあるのかはっきり区別がつけられないところに、この本では、クェーカーだの敬虔派だのメソジストだの数多くの宗派が登場して、まったくイメージが湧かない。 生まれた時からプロテスタントに囲まれた環境で育った人であれば、簡単に通じる部分も多いのだろうし、きっともっと興味深く読める本なのだろうと思う。 全体の3割くらいは、本文についての注釈で占められていて、そこで脇道にそれてかなり詳しく説明がされていたりする。読み物としてのエンターテイメント性はまったくなく、学術書というか、ほとんど論文そのものだ。 テーマとして面白いのは、「禁欲」を大きな教義としているプロテスタントが何故、利潤を追求することを目的とする資本主義において、その能力を発揮出来たのか?という、この一見矛盾した問題を解き明かそうとしている点だ。この作品の見所は、この一点に尽きるといっていい。 訳者による解説が、要点がよくまとまっていてとてもわかりやすいので、本文より先に解説を読むのがおすすめ。 労働は、昔から試験ずみの禁欲の手段である。東洋はもちろん、ほとんど全世界のあらゆる修道者の規律とははっきりと異なって、西洋の教会では、労働は古来そうした禁欲の手段として評価されてきた。それは、とりわけ、ピュウリタニズムが「汚れた生活」という観念で一括した一切の誘惑に対する独自な予防手段であり、しかも、その役割は決して小さいものではなかった。(p.300) 専門の仕事への専念と、それに伴うファウスト的な人間の全面性からの断念は、現今の世界ではすべて価値ある行為の前提であって、したがって「業績」と「断念」は今日ではどうしても切り離しえないものとなっている。こうした禁欲的基調を、ゲーテもまたその人生知の高みから「ウィルヘルム・マイスターの遍歴時代」と、ファウストの生涯の終焉によって、われわれに教えようとしたのだった。彼にとって、この認識は、ゆたかで美しい人間性の時代からの断念を伴う、そうした決別を意味した。そうした時代は、古代にアテナイの全盛期がくりかえし現れなかったのと同様に、われわれの文化発展のなかでもう一度現れてくることはもはやないのだ。(p.364)

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    投稿日: 2008.03.26