
総合評価
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powered by ブクログんー一読して一言、難解です。がしかし、経済や宗教・社会心理学などの興味を持っていればすごい楽しめると思います。 ある程度世界史と経済学を身につけていればかなり理解できると思います。たしかにひとつひとつの用語の理解次第で大きく内容把握が変わるという危険性はありますが。 内容を大まかに紹介すると、 近世ヨーロッパ資本主義経済の勃興の過程で、資本主義精神と禁欲的プロテスタンティズムを社会学的に追求したものです。 世俗内的禁欲をカルヴァニズムは生みだし、そして、禁欲が賛美される労働へと人々を導く。そしてその労働に天職概念を付すことで労働が非営利目的で最高の信仰ということになる。そして、結果的に、副次的に経済は発展し、近代ヨーロッパを資本主義経済化させることにいたったというものである。一見矛盾するように見える禁欲的精神がマクロ的に経済を発展させたのです。 資本主義経済へと変わるひとつの重要な因子であったといことを検証・分析しています。 注意すべき点は、プロテスタンティズムが絶対的に資本主義を進展させたということではないということです。大きな視点で、それは伝統的経済(近代資本主義経済より以前の時期)から近代資本主義経済への過渡期の重要な要因だったということです。また、ウェーバーがキリスト教専門の学者ではなく各国の宗教を比較の対象とする比較宗教がくを専門としていたということ、つまり、本書は彼の研究の一部にすぎず、これのみで資本主義の発展と宗教の関係を語ることはできないということです。 本書の位置づけは他の研究者や論文とを比較する貴重な資料になるということです。 緻密な検証を加えられた本書は大作と呼べるに過言はないです。
0投稿日: 2008.03.19
powered by ブクログこの本を読んで、一番強く思ったのは、その基礎にカルヴィニズムの「予定説」を持つ英米の「個人主義」的行動様式を、異教徒の我々日本人が真似しようったって無理な話、ということ。神に救われるのか、そうでないのか、それは全て神によって既に決定されているとする「予定説」。どんなに罪を償おうとして、そのための行為に出ても、全てはもう決まってしまっている。自分は救われず、妻だけは救われるのかもしれない。なんて孤独な宗教なんだ。「自分の行為の結果救われる」なんてことはありえない。ただ、できることは、天職に身をささげ、ひたすら働き、禁欲的な生活を続けることで「ああ、自分はもともと救われる人間だったんだ」と証明すること。・・・なぜイギリスを中心とした地域のみで「近代」資本主義が生まれたのかを解き明かした名著。
0投稿日: 2008.03.03
powered by ブクログ親しみのない固有名詞が大量に出てきて、個々の固有名はすぐ忘れてしまって、なかなか読みづらかったです。けれど、近代資本主義ということについて多く知れましたし、プロテスタンティズムについてのイメージが大まかに得られることができて、読んでよかったです。2007.10.16-2008.1.31(108d).
0投稿日: 2008.02.05
powered by ブクログまぁまぁかな◎ 高校時代の世界史で出てきてから、なんとなくずっと気になってて、やっと読んだ本(笑) 内容: 資本主義は、ただ合理化を図って営利を目的としているというものではない。そこには、稼ぎ働くということが倫理的な色彩を持って生活の原則となる、仕事を「天職」と考える、そのような「精神」があり、その精神こそが、資本主義の発達に寄与したと思われる。 それでは、その精神とはどのようにして生まれてきたのか。 それは、中世ヨーロッパ、カルヴィニズムにその答えを求めることができる。(そもそも、天職(Beruf)という言葉は、プロテスタントの影響が強い国でのみ、現在もその意味の言葉が残っている) 彼らカルヴァン信徒にとって、現世での労働は、ひたすら「神の栄光を増すため」のものであり、神が人間生活の社会的構成が彼の戒めに適い、その目的に合致するように編成されていることを欲し給うと考えられた。 このことによって、職業労働が、倫理体系の特徴的な部分となるにいたった。 ちなみに、似たような他の宗派においては、例えばカトリシズムでは、宗教的な意味においてすぐれて方法的な生活を送れる人間は修道士だけで、俗世間にその方法的生活を導入することはできなかった。ルッター派には、「懺悔」という考え方が残っていたため、恩恵論自体の帰結として、生活の方法的合理化を必至とするような組織化への心理的推進力を欠いていた。 このような他の宗教に比べ、カルヴィニズム、なかでも予定説は、首尾一貫したもので、卓越した心理的影響を持つものだった。 話を戻すが、カルヴィニズムにおいては、単なる享楽のための遊戯は認められなかったし、芸術も、支出をしなかった場合にのみ認められる状況だった。 人間は委託された財産に対して義務を負っており、「営利機械」として財産に奉仕するものとならぬという思想がある。財産が大きければ大きいほど神の栄光のためにそれをどこまでも維持し、不断の労働によって増加しなければならぬという責任感もますます重きを与える。 このようにして、利息したものの消費的使用を阻止することは、まさしく、その生産的使用を、つまりは投下資本としての使用を促さずにはいなかった。 これらのことが、後の時代になって宗教的意味合いが薄れていくと、独自の市民的な職業のエートスが生まれた。このことによって、合理的産業経営を土台とする、歴史的にまったく新しい資本主義の社会的機構を段々と作り上げていくことになった。 そしてまた、一度この形式が根付くと、今度は設けなければ彼らは経営を続けていけないようになってくる。すなわち、資本主義の社会機構が逆に彼らに世俗内的禁欲を外側から強制するようになってしまった。
0投稿日: 2007.12.16
powered by ブクログどうやってそこまで調べたのか、と思う内容が多々。論法もお手本となる。歴史学者も社会学者も経済学者も無視できないバイブル
0投稿日: 2007.08.17
powered by ブクログ働く、お金貯める。これも宗教(とは言わずとも、有る程度信仰心の要る作業)だったのだ。実際そうかはともかく(自分はそうだと思うけど…)、解き明かす道筋はドラマティック。
0投稿日: 2007.08.01
powered by ブクログドイツの社会学者、マックス=ヴェーバー(1864-1920)の主著。1905年刊。プロテスタンティズムの倫理に基づく行為が、意図せざる結果、すなわち近代資本主義の発展への寄与を引き起こしたことを明らかにしたその思想は、唯物論に対して疑問を投げかけている。しかし彼は唯物論を絶対的誤謬であるとはしていない。
0投稿日: 2007.07.21
powered by ブクログ買った本。読まなきゃならないと思って買った。仕事というものについてよくわかった。なんでこんなにたくさん働かなきゃならないのか、とかいうことの起源。
0投稿日: 2006.12.31
powered by ブクログ『プロ倫』。自分的には予定説の考えがいまひとつわからなかったけど、徹底的に資本を否定することで資本主義が生まれたとする説明がすごいと思った。
0投稿日: 2006.06.11
powered by ブクログ言わずと知れた社会学の基礎。しかし何でまたこの人の文章はこんなに分かりにくいんだろう。まだ英文で読んだ方がいい気がする。翻訳の問題なのだろうか?
0投稿日: 2005.12.30
powered by ブクログ社会科学のドン、マックスウェーバーの代表作。プロテスタントの「予定説」という宗教的教義を資本主義社会の構造に、綿密な研究を元にダイナミックに結びつける。
0投稿日: 2005.12.22
powered by ブクログ資本主義社会の発達はプロテスタンティズムの禁欲精神がもとになった。 ・・・独りで読んでも絶対に分からない。ゼミで読んだがなんとか分かった程度。
0投稿日: 2005.12.07
powered by ブクログ自分の専門からは少し外れているが、禁欲主義と相反するはずの資本主義を関連してとらえることのできたウェーバーの視点に感銘を受けた。
0投稿日: 2005.10.30
powered by ブクログキリスト教や社会学を学ぶ人にとっての必読書。ウェーバー自身はキリスト者ではなかったと言われるが、極めて「神学的」な内容を持っている。自らの救済を確認しようとする心理的駆動力に、近代資本主義の淵源を見ようとするスケールの大きさに圧倒される。しかし、本書の終わりの部分で述べられている、「精神のない専門人、心情のない享楽人。・・・」という有名な「ヴェーバーの予言」を、われわれ現代人は真剣に受け取らなければならないだろう。
0投稿日: 2005.09.01
powered by ブクログ初めて読んだ時に鳥肌が立った1冊。この本を読むと、いかにいかに経済が宗教の影響をうけているかが分かる。ウェーバーは、この本の中で資本主義の発達を助けたのは一見その反対とも見えるピューリタンの経済倫理、すなわち禁欲主義の中にあったということを述べている。つまりこういうことだ。商売をしてもうけることは宗教改革の時代の前にもアジアなどのほかの地域においてあったし、営利欲はむしろピューリタンよりも彼らのほうがはるかにあった。しかしそのような状態の中で資本主義は生まれてこなかった。むしろ、宗教的倫理の厳しいプロテスタントの国の中から生まれている。それはなぜか。それは富をたくわえることを道徳的、合理的とみなす観念が発達したからだ、というのが主旨。思ったよりは難しくないので一読をお薦めする。
0投稿日: 2005.08.28
powered by ブクログこれは幹で、種々の枝葉を付けた。幹を知るため買いました。ものっそ時間かかった、コレ読みにくい。でも読むべきかと思われる。
0投稿日: 2005.05.25
powered by ブクログ社会学の古典中の古典。 でも読む必要あるのかな? 内容は知っておくべきだけど。 註は多いし、わかりにくいし。
0投稿日: 2004.11.09
powered by ブクログ「営利の追求を敵視するピューリタニズムの経済倫理が実は近代資本主義の生誕に大きく貢献したのだという歴史の逆説を究明した画期的な論考。」
0投稿日: 2004.10.09
powered by ブクログDIE PROTESTANTISCHE ETHIK UND DER »GEIST« DES KAPITALISMUS(1920)の邦訳。 担当範囲:岩波文庫 第2章「禁欲的プロテスタンティズムの天職倫理」 第1節「世俗内的禁欲の宗教的諸基盤」前半 (p.137-223) ■ 第1章の末尾(p.136)における問題提起 ■ 禁欲的プロテスタンティズムの分類(p.138) ■ カルヴィニズムおよび予定説への注目(p.144) ■ 予定説の成立・採用(p.151) ■ 予定説による内面孤立化(p.156) ① 文化と親交における感覚的・感情的な要素へのピュウリタニズムの絶対否定的な立場の、さらに、彼らのあらゆる感覚的文化への原理的な嫌悪の根拠 ② 今日でもなおピュウリタニズムの歴史をもつ諸国民の「国民性」と制度の中に生きている、あの現実的で悲観的な色彩をおびた個人主義の根基 ■ 神の栄光への奉仕から天職倫理へ(p.165) 神が信者に求めるのは、彼らの社会的な仕事。 カルヴァン派における特質 ① 力の節約 社会的秩序の構成と編制が、おどろくほど合目的的にできている ② 「個人」と「倫理」の分裂は存在しない ―→ カルヴィニズムの倫理の功利主義的性格 ■個々人にとっての予定説(p.172)。選びの解釈の変更と2つの勧告(p.178) 元祖カルヴァンの唱える選びの解釈では、悲愴な非人間性をおびる教説に人々が耐えられない ↓ ① 誰もが自分は選ばれているのだとあくまでも考えて、すべての疑惑を悪魔の誘惑として斥ける、ということを無条件に義務付ける ② 救われているとの確信を与えるために、絶え間ない職業労働をきびしく教えこむ 元祖カルヴァンにおいては、真の教会を特徴付けるものは何よりもまず純粋な教説と聖礼典。 しかし次第に、その2つに並んで規律が、特徴とされた ■ なぜ世俗的職業労働か(p.181) 神が人々のうちに働き、それが彼らの意識にのぼる、――つまり、かれらの行為が神の恩恵の働きによる信仰から生まれ、さらにその行為の正しさによって信仰がまた神の働きであることが証しされる。 ■ ヴェーバーによる考察(p.185 l.9) カルヴァン派の信徒は、自分で自分の救いを「造りだす」のであり、(カトリックのように個々の功績を徐々に積み上げることによってではありえず、)どんなときにも選ばれているか、捨てられているか、という二者択一のまえに立つ組織的な自己審査によって造りだす。 これ以前の道徳学者やルッター派の人々にばあいに一般に見られた裁判の譬喩ではなくて、商取引の譬喩が用いられるようになったのも、人間に自分の救いを自分で「儲けださせ」たことを示している。 ■ 行為主義について(p.191) カルヴィニズムの神がその信徒に求めたものは、個々の「善き業」ではなくて、組織にまで高められて行為主義であった。 ―→ 人々の日常的な倫理的実践から、無計画性と無組織性がとりのぞかれ、生活態度の全体にわたって、一貫した方法が形づくられることになった ■ ピュウリタニズムの禁欲(p.200) カルヴァン派が強大な力となった理由 ① 信徒の全人格の組織的な把握、という事実にその根源を持っていた 「一時的な感情」に対して「持続的な動機」を、とくに禁欲自体によって「修得」された持続的動機を固守し主張する能力を人間にあたえること――つまり、こうした形式的・心理的な意味における「人格」に人間を教育する、という働きを持った。 ※ 生活全体の徹底したキリスト教化は、このおうにカルヴィニズムが、(ルッター派とは違って)倫理的な生活態度に押し付けたその方法意識の帰結であった ② 禁欲への積極的な刺激を与えることに成功 世俗内的道徳の過小評価の払拭に、世俗的職業生活において信仰を確証することが必要だとの思想を付け加えたことによる
0投稿日: 2004.02.20
