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髑髏となってもかまわない(新潮選書)
髑髏となってもかまわない(新潮選書)
山折哲雄/新潮社
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総合評価

5件)
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    序章 願はくは花の下にて 誰もが死ぬ/湿った無常観/髑髏となってもかまわない/こころまでが西方浄土にとんでゆく 第一章 死に支度の時 「生きる力」だけでいいのか/二重橋、九段、浅草の意味/現代の「ひじり人」/子規と断捨離/悟りとは平気で生きていること 第二章 失なわれた鎮魂のこころ 死小説/人間とは死ぬのが商売/遠い世界の人の声が聞こえる/螢が胸をつき抜ける/挽歌の消失 第三章 それでも山河あり 消えた「東北」の名/死への共感/茂吉と阿弥陀経の「赤」/落日の赤光 第四章 ローソクの火が消えていくように 安らかに死ぬこと/松本清張の問い/自らの死期を悟った時/涅槃願望 第五章 漱石、最期の願望 姦通三部作/漱石が描いた「自己」/江藤淳の涅槃願望/形骸に過ぎず 第六章 宮沢賢治の末期の声 賢治と災害/賢治は何になりたかったのか/物語の中の風/科学の「知」と宗教の「信」 私の「つぶやき」――「あとがき」に代えて――

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    投稿日: 2024.09.13
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    【涅槃願望】 すごいタイトルで買ったはいいがずっと読んでいなかった。昨晩、素敵な人たちと飲みに行く機会があって、そこで僕は長寿世界一を目指しているんですよ、なんていう話をしたところ、僕以外の皆がピンピンコロリ志向であった。僕は少しずつ死んでいきたい。そんなわけで、引っ張りだしてみた。 本書にあるような、芭蕉や良寛の、いつなんどき髑髏となってもかまわない、なんていう覚悟は僕にはしばらく出来そうもない。ただ、さあ少しずつでも死んでいくぞ、というのは、涅槃願望としてわからないわけでもない。 著者の、そして文豪たちの涅槃願望。今の世の中、見たくないものものをそっと遠ざけてくださるから、死について考えることが少なくなっている。だが涅槃を前に人は何を考えるのか。「ぼんやりとした不安」で命を断った芥川龍之介の死を、年間3万人(を切ったようだが)の自殺者から思い起こすものはいない。死は敗北か。僕の目標からすればそうだけど、やはりここで例の、レイの言葉を。「あとは死に方だけの問題だ」

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    投稿日: 2014.06.06
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    死ぬということについて。良寛や芭蕉から鴎外、漱石、子規、茂吉、賢治まで、先人たちの末期を読み、自らの結末を考える。

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    投稿日: 2013.02.01
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    願はくば花の下にて 死に支度の時 失われた鎮魂のこころ それでも山河あり ローソクの火が消えていくように 漱石、最後の願望 宮沢賢治の末期の声 鴨長明 方丈記 風 涅槃願望 インドの乾いた無常観 日本の湿った無常観 グスコーブドリの伝記 「暗い科学」と「疲れた宗教」の対置 「冷たい近代化学」と「誤解から生じた信仰」の対比 科学に命を吹きこみ、宗教に血を通わそうとする心の軌道(願い)

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    投稿日: 2012.09.13
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    髑髏となってもかまわない。凄まじい覚悟? 死とどう向き合えばいいのか、先人たちの事例を丹念に追った著作。 序章 願わくは花の下にて で始まり、正岡子規、茂吉、松本清張、森鴎外、夏目漱石、宮沢賢治における最期が描かれている。 最後、ツイッターがわりに書かれている言葉がいい。 いつなんどき、髑髏になってもかまわない。 別に死と慣れあおうとしているわけではないのであるが、それはそれでかならずしも悪い気分ではないのである。 80歳となった山折哲夫氏の気分であるが、62歳である自分にはまだ、時が熟していないような気がいたします(笑)。

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    投稿日: 2012.08.26