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葬送 第二部(下)
葬送 第二部(下)
平野啓一郎/新潮社
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総合評価

34件)
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    ついに終わりがやってきてしまいました イギリスで体調を崩して やっとパリに戻ったショパン 自分の死期を少しずつ受け入れて 言葉を残していく どうしても会いたい人がいた 母親、そしてサンド どちらも叶うことはなかった ショパンの人生ははたして 輝かしいものだったのか? 少なくとも亡くなる前のこの3年間は 苦悩ばかり 天才ゆえに受け入れられない ことがある 天才ゆえに思い通りに 生きられないことがある ドラクロワとて同じ 同じような苦悩を抱えながら 不器用に生きていくことに 必死で ショパンの死を受け入れることが できなかった ショパンのそばで寄り添うことが できなかった 毎日会わなくても 心通う2人だけに ショパンもわかっていたのかもしれない ショパンの楽譜だけは残った 今も演奏する人々がいる だが、ショパンが奏でるピアノは もう聞くことはできない どれほどやさしく どれほどかなしい音だったのだろう‥

    56
    投稿日: 2025.09.12
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    やっと最終巻 附箋 ・ドラクロワが聴いてきたドニゼッティ「ロッシーニのアルジェのイタリア女」だと思ったら、愛の妙薬だった。 ・49番のヘ短調の幻想曲を検定されたカトリーヌスーゾ大公妃 ・ロマン派に与する芸術家だと考えたことは一度もない。僕ほどバッハやモーツァルトを尊敬している音楽家はいない。 ・ドラクロワにかけた言葉「君は、自分の才能を、人には得難い或る特権的な穏やかさの中で楽しむことができる。」 ・ショパンが書き留めた言葉「音によって表現される芸術は音楽と呼ばれる。音によって思想を表現する芸術。音を操作する術。音によって表現された思想。音による我々の知覚の表現。音による思想の表現。音による我々の感情の表出。人間の定かならぬ、模糊らる言葉、それが音楽である。定かならぬ言葉、つまり音楽。言葉は音から生じた。即ち、言葉以前の音。言葉、つまり或る種の音の変容。話すのに言葉を用いるように、音楽を奏でるには音を用いる。」 ・フランショームがノクターンに「オー・サルタリス」の歌詞をつけて編曲。ラマルティーヌの「湖」にニデルメイエールの俗臭芬々たる節回しで ・フーガこそは音楽に於る最も純粋な論理であって、フーガに精通することは音楽に於る動機と結果とのすべての鍵を握る要素を理解することにほかならない ・ベルリオーズの「これでもか!」というほど詰められるだけ詰め込んだ和音を目一杯に響かせる曲の書き方を意地悪く揶揄する ・マイヤベーアの「預言者」オペラ座 ・ソヴィンスキのオラトリオを聴いてもばったり倒れて死んでしまうこともなく 毒舌 ・ベートーヴェンの「英雄」は散漫に感じる ・会場で多くの人と同じ一つの感動を共有するというのは格別の興奮を与えてくれます。 ・マイヤベーアの口調を滑稽に真似てみせた。 ・バルザックの真似をする時に、顎を引いて頬を膨らませ、顔までそっくりに作ってみせる ・荒々しいまでの情熱も、決して嫌悪感を催させるほどに表現されてはならない。恐ろしい場面に於てすら、音楽は決して耳を傷つけてはならないし、音楽であることを已めてはならない。 ・没頭ということはともかくも時間を満たしてくれた。それ以外はみんな哀しみの種だった。 ・カルクブレンナーの弟子になろうとしていた ・クレメンティ「プレリュードとエテュード」を生徒には練習させる ・ホ短調の協奏曲 今でも本当に好き 第一楽章 ・リストは根本に於ては本当に君の天才を尊敬していた ・ベッドの中で一曲の短いマズルカを作曲した ヘ短調のロンド形式 ・まるで凡人のように苦悩する天才 六週間かかって何度も書き直した数小節が、まるで1分と掛けずに書き上げられたかのような自然さを持っています。彼の貴重な美質の最たるものです。苦しみ抜いた挙句に発した声が讃歌のように明るく美しいというのは一体どうした訳なのでしょう。 ・フランス人にはマズルカは分からないだろう ・ショパンが弾けば紛れもなくマズルカに聴こえるでしょう ・昔話 大きな胡桃の木 ・お父さんそのものとは出会えない。その一つ一つの記憶と再会するだけである。それは彼に、次の瞬間にはどんな彼にでもなり得る自由があるからではあるまいか。 ・ヴォイチェホフスキ 十代の頃のショパンが最も愛し全幅の信頼を寄せていた友人 ・ノートルダム大聖堂の魅力は正面は荘厳に積み上げられ寧ろその或る種の不規則さこそが観る者を楽しませる。 ・モンテスキュー 精神がまさに成熟へと至らんとする時、肉体は最早衰え始めているという議論 ・終油の秘蹟 ・ショパンの望んだ ヘンデル作「デッティンゲン・テ・デウム」のラルゴのロ短調の中にある「ディニャーレ・ドミネ」 ・葬儀ではモーツァルトのレクイエムを ・自然はそこに身を預け一体となる時人を自らの部分として治癒しようとするものではあるまいか ・ピアノソナタ変ロ長調第三楽章の葬送行進曲 ・参列者の中にベルリオーズ ・作曲ができない自分の状態を「まるでコントラバスにヴァイオリンのE弦が張られているようだ 人生は大きな不協和音だ ・ショパンの墓の記念像の制作 オーギュストクレサンジュ 最初に戻ってもう一度葬儀の部分を読み直そう

    1
    投稿日: 2025.06.22
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    いや〜ゴールイン! 第一部でも書いたけれど、難解な芸術論…は苦戦。 ただ、第二部はショパンの最期があり、彼を取り巻く人々の群像劇もあり…一気に読んだけれど、読後は魂が抜けたような、でも、壮大な時代を共に駆け抜けたような…そんな脱力感もありつつ、平野さんの力量を改めて実感した体験でした。 政変があり、伝染病があり…混乱する何か大きな出来事の中では芸術は…芸術家というものは…やはり影響をダイレクトに受けるものなのですね。。。 生きるか死ぬかと言う時に、絵画や音楽や文学なんて「不要不急」と云われた、コロナ禍を思い出し、なんだ何も変わってやしないじゃないか…と感じました。 ただ、だからそれらが無くなったのか?と問えば、決してそうではない。病んだ時代にこそ、悲痛な時にこそ、優れた芸術は人々に寄り添い、慰め、語りかける。自論ですが「良い文学とは常に弱者に寄り添うもの」と思っているので、そういった意味では、まさに優れた芸術とは、不滅なのだと思います。 1人は病に苦しみ抜いて短い生涯を閉じた天才。 もう1人は画壇から遠ざけられながらも信念を貫いた孤高の天才。 2人の天才に共通する「孤独」が、ふと何気ない会話の中に交差して、他の者には理解し難い、けれど唯一無二の絆があった。 ドラクロワはショパンの最期に間に合わなかった…いや、意図的に遠ざけた…その点において、他の友人とは異なっているけれど、彼にとってショパンとの別れはもっと根源的な部分で感じる何かであって、物理的な距離よりも、尚、そこを超えて、共に歩み続ける芸術家として深い部分での繋がりを表しているように感じました。 そこにあるはずの者が居ない… まさに「不在」こそが「死」なのだろうけれども、ドラクロワがそこに留まらずに描き続けることは、天才同士の暗黙の了解の上に成り立つ友情なのではないかな。。。 この小説には書かれていないけれど、、、 この後、ドラクロワはあれほど嫌われたアカデミーの会員となり、多くの公共事業を請け負い、大家となります。そして、印象派といわれる後の画家達に大きな影響を与えるようになる。 彼も結核性の喉頭炎を患いながら、最期は家政婦のジェニーに看取られて亡くなるまで、旺盛な意欲を仕事に注ぎ、膨大な作品を残しています。 ショパンの楽曲は今に至っても燦然と輝清華続けているだけでなく、「ショパンコンクール」は国際的なコンクールとしてピアニストの聖地にもなっている。 2人の天才の成した功績は、彼らの情熱を裏切らず、時を超えて今でも人々に寄り添い続けていることを思うと、やはり優れた芸術は不滅だと、改めて思います。 そして、文字通り身を削って作品に心血を注いだ芸術家達に、深い尊敬と感謝の念を抱きます。

    10
    投稿日: 2025.03.27
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    「人生は大きな不協和音だ」 これを20代で書ききった作者に感銘を覚えました。 こんな描き物をされている最中、作者はすごい濃密な空間にいたんだろうなと、想像すると畏怖を覚えました。 人は死ぬ、という事をこの2部ではずっと突き付けられた時間になりました。 死が身の回りから現代的に忌避されている中、こんな形でしか段々と人へ伝えられなくなってきている気もします。 天才ショパンを通して人生の歩み方を、凡人ショパンを通して死ぬ過程とは何かを問いかける。 読んでいる途中より、読み終えた後の今の方が、頭の中でメロディーを奏でているのがすごく不思議。 思考から他の事が消え去るくらい、いい時間になりました。

    0
    投稿日: 2024.01.18
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    ジョンジュサンドの気持ちには、あまり共感しなかった。最後くらいは会いに来て欲しかった。 善良な個が集まって奏でられる不協和音。私たちを取り巻く現実世界をうまく表現しているなぁと思った。 曖昧な物が重なって出来上がってる個と共同体。印象派の絵画のような文体を意識して書いたって、平野さんが天才すぎる。 クラシック含め音楽の知識が不十分で、ショパンの演奏会を想像の世界で実感できなかったのが悔しく、今後も勉強していきたい。

    0
    投稿日: 2023.12.01
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    「葬送 第二部(下)」平野啓一郎著、新潮文庫、2005.09.01 476p¥660C0193(2023.09.19読了)(2014.01.18購入) イギリスから戻ったショパンは、少しずつ病状が悪化してゆきます。著者は、その様子を克明につづってゆきます。喀血の様子などは、目の前で繰り広げられているかのように錯覚してしまいます。最後には、とうとうこと切れてしまいます。題名になっている「葬送」の模様も綴られ、遺産の処分の模様も綴られています。祖国ポーランドは、ロシアに占領された状態で、遺産をまとめて保存することは、かなわなかったようです。 読み切るのが、結構大変だったけど、読み終えてよかったです。 【目次】(なし) 十三~二十七 主要参考文献 解説  星野知子 ☆関連図書(既読) 「ショパンとサンド 新版」小沼ますみ著、音楽之友社、2010.05.10 「ショパン奇蹟の一瞬」高樹のぶ子著、PHP研究所、2010.05.10 「愛の妖精」ジョルジュ・サンド著、岩波文庫、1936.09.05 「ショパン」遠山一行著、新潮文庫、1988.07.25 「ドラクロワ」富永惣一著、新潮美術文庫、1975.01.25 「葬送 第一部(上)」平野啓一郎著、新潮文庫、2005.08.01 「葬送 第一部(下)」平野啓一郎著、新潮文庫、2005.08.01 「葬送 第二部(上)」平野啓一郎著、新潮文庫、2005.09.01 「ウェブ人間論」梅田望夫・平野啓一郎著、新潮新書、2006.12.20 「三島由紀夫『金閣寺』」平野啓一郎著、NHK出版、2021.05.01 (アマゾンより) 病躯を引きずるように英国から戻ったショパンは、折からのコレラの大流行を避けてパリ郊外へ移った。起きあがることもままならぬショパンを訪なう様々な見舞客。長期にわたる病臥、激しい衰弱、喀血。死期を悟ったショパンは、集まった人々に限りなく美しく優しい言葉を遺す。「小説」という形式が完成したとされる十九世紀。その小説手法に正面から挑んだ稀代の雄編。堂々の完結。 ショパン生誕200年のメモリアルイヤーを彩る、美と感動の長編小説

    1
    投稿日: 2023.09.19
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    「ポーランド人とは即ちポーランドだ。ポーランドとは即ちポーランド人だ。 この心のすべてが、いわばポーランドの文化の歴史だ。我々一人一人が感じ取り、考え、生み出そうとするとき、常に感じ取らせ、考えさせ、生み出させているのはポーランドだ。 このからだこそは。ポーランドの土が育んだパンが血となり肉となったものだ。十指の先端にまでその土の恵みを知らぬ箇所はない。」 優美で、神経質なまでに繊細、決して相手を傷つけることのない紳士的なショパンの胸の内にある、ポーランド人としての誇り、ポーランドへの熱い思いが伝わります。 「我々の心に訴えるものは、技量というよりも精神であり、技術というよりも人間である」」という岡倉天心の言葉を思い出しました。 ショパンのリサイタルで演奏された曲を、一つ一つ聴きながら文章を読み、とても贅沢な読書体験になりました。お勧めの読み方です。 「どうして自分は、たったそれだけの思いやりをすら持つことが出来ないのだろう?どうして一切を顧みず、愛する人の為に何かあをしてやりたいという気持ちを抱くことが出来ないのだろう?」 …天才ドラクロワ、切ないです。 この他にも、サンド夫人、ソランジュ、スターリング嬢、どの人物にもそれぞれの人間性やドラマがあり、この小説を重厚なものにしています。 とても贅沢な小説でした。

    0
    投稿日: 2023.08.18
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    ショパンとパトロンのジョルジュサンドとの係わりがよく分かる。ポーランド人ショパンのパリやロンドンでの苦闘、作曲や演奏会がダイナミックに描かれている。

    0
    投稿日: 2022.05.16
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    今年は5年に1度開催される『ショパン国際ピアノコンクール(ショパコン)』の開催年、この年にこの本と巡り会い幸運でした。 ショパコンでの演奏曲もちらほらと‥ ショパンの生に対する限りなく強い思い、執着、画家ドラクロワの鋭い洞察力、そして自由奔放、強い個性の執筆家サンド、三人が織り成す人間模様は複雑です。 平野氏の三人三様のこと細かな心理描写・思考描写には脱帽、いやその細かさ故に疲労感さえ感じられる場面もありました。 人の本当の心の中は誰も覗けませんですしね。

    0
    投稿日: 2021.11.28
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    ここまで本当に長かったが、終盤はショパンの「最後」…である ここで息がつけないような展開で一気にスピードアップしていく ショパンに死が迫る 何度も喀血し、死と隣り合わせで生きるショパン 少し回復してはまた悪化…を繰り返す そんな時期にショパンは周りの技術者(指揮者、調律師、医師など)たちの死について、 ~一人死ぬたびに彼らばかりではなくその技術までもが道連れにされてしまう 自分が死ねば音楽もしかり 自分の演奏がその死の瞬間にこの世から一切消えてなくなってしまう~ このように考え、何か残したいという思いが強くなる 自らの音楽についての考えをまとめるべく「メトード・ド・メトード」(未完のピアノ入門書)に着手 そして ~創作とは常に死というものと無限に近接する行為 あるいは死そのものですらあるのであろう~ と考える 死を目前にポーランドの家族への思いがいっぱいになるショパン ショパンは故郷ポーランドを大変愛しており、フランスに亡命したポーランドの人たちに惜しみない援助をしていた (当初は広く受け入れられ保護されていたが、成功者以外は徐々に居場所を失うのだ 亡命できたら苦難が終わりではない) 若いころに故郷を離れたショパンは最後はポーランドへの母親と姉妹たちへの思いが膨れ上がる そして、なんとか姉だけを呼び寄せることができるのだ(唯一の救いでホッとできる数少ない場面) そう、まるで自分がそこにいるかのような錯覚になってくる ひたひた迫るショパンの死 ショパンを大切に思う人たちの悲しみと深い愛情 ショパンの精神的な苦しみと、肉体的な苦しみ 死と向かい合ったショパンが何を感じ、どう思うのか… ある空間が徐々に狭まり、空気が薄くなるのに圧だけが増すような感覚 ショパンの生命力が消えていくのと対称に、ショパンを愛するものたちの感情の強さが相まってその描写のリアリティーさが迫るものがあり圧巻であった そして、この時ドラクロワは… 「憂」「鬱」「虚」「靄」「倦」…  とにかくこんな感じ(漢字…いや、まじめなんです)がいつも周りに漂っている ピーカンに晴れる日も出てきたのだろうが、まったく記憶に残らない 芸術、人間ドラマ、死、孤独、家族… 多くの要素が満載で、テーマ性も多岐である 読むのに時間はかかるが、かけた時間の価値はある 本書に出てくるショパンやドラクロワ同様に、平野氏が血と肉を削って作品に捧げたのが良く伝わる そこがこの作品を支えている基盤となり、重厚なものに仕上がっているのであろう 「マチネ…」と本書のあまりにもの違いに驚いたので他の作品の読むべきなんだろう(笑) さて次は何にしようか…

    20
    投稿日: 2021.07.09
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    第四分冊でありシリーズ最終巻となる本書では、ショパンの死が中心にえがかれています。 本作は、「小説」という形式そのものが裏のテーマになっているということができると思われますが、ロマン主義的な芸術の理念をみずからの作品によって実現したショパンとドラクロワの二人を中心に、彼らや彼らを取り巻く人びとの「人間」としての側面に注目がなされているように感じました。忍び寄る死に直面しながら心の揺れ動きを見せるショパンと、彼に対してどのように振る舞うべきなのかさまざまに態度が分かれる周囲の人びと、そしてショパンのもとを訪れることのなかったドラクロワの自己省察などの心理描写が、リアルな「人間」のすがたを示しています。人間たちの有限性と、彼らのすがたを通して読者が感得することになるであろう芸術の理念の永遠性との緊張関係をえがくことが、「小説」という形式によって叶えられるということが、本作において示されています。 著者は、小説という形式のもつ可能性を自覚的に追求するような作品をこれまでも手掛けており、そうした試みの一つとして本作を理解することができるように感じました。

    0
    投稿日: 2021.02.26
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    210201*読了 ああ、とうとう読み終えてしまった。そしてショパンの演奏が永遠に聴かれなくなってしまった…。 ショパンの苦しみが辛い。ドラクロワの行動も決して非難できない。 彼らは今この時を生きてはいないけれど、彼らの残した作品は今もこの世に存在し、多くの人の心を動かしている…。ただそこにある作品ではなく、この小説を読んだ今はそのすばらしい宝物を生み出した当時の彼らの心境を思って、より一層大切にしたいと思えます。 本当にいい小説だった。長いし(そこがいい!)、難しくて理解できていない部分も多々あるだろうし(そこもいい!)、万人が「この本おもしろい!」とオススメするわけではないんだけど、そこがいいんです。 この小説は芸術や文学を愛する人だけで大切にしたい…。 決して大ベストセラーにならなくても、この小説はすばらしい。そうなんです。 解説で平野さんがこの小説を20代で書かれたことを知り、驚愕。天才ってこういう人のことを言うのだな…。 ショパンとドラクロワという天才の人生を描く天才小説家、平野啓一郎さん…。3年間も19世紀に生きた彼らの人生と向き合い続ける根気。 ショパンは音楽、ドラクロワは絵画、平野さんは小説。天才とは持って生まれた才能なんだけれど、天命を与えられたように一つのことをただひたすらに夢中で続ける、という力を持っている人こそを天才と呼ぶのだろうな。

    0
    投稿日: 2021.02.01
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    このレビューはネタバレを含みます。

    結核に冒されたショパンに遂に死が訪れる.ショパンの矜持と高潔さ,一方の画壇の異端者ドラクロワの生きるための処世術と密かな望みが対比され,二人の友情を軸に,スターリング嬢を代表とする周りの人々の視野の狭さや俗さ,あるいはショパンの死に際しての悲しみ,サンド夫人親子の確執などの多層構造を,ポトツカ伯爵夫人やフランショームの言葉を借りれば「不協和音」として描いた大河小説である. 細やかな心理描写が見事で,特にドラクロワの思考の流れに共感する場面が多々あった.また,本書の主人公は一見ショパンであるが,真の主人公はドラクロワであろう.ショパン死去,それにともなう葬儀の混乱,財産の処分などの喧噪から一歩身を引くドラクロワ.彼が取り組むことになった教会の天井画について,その希望に満ちた内容を思い描く場面で本書は終わる. 行間から少し作者の「どうだ」という態度が透けて見えるのだが,古典を読むような重厚さがあり,非常に読み応えのある小説であった. 恐らく再読することになると思う.

    0
    投稿日: 2016.11.03
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    月並みだが、死と生を対照的に描ききった佳作であった。ショパンの死。一気に死ぬのではない。死んだ後も緩慢に過酷は続く。この感覚はかつてトルストイの作品だったか、感じたことがある。対して、ドラクロワの生。他の人物もそうだが、俗物性がこの物語の主題であったように思う。ショパンが姉に会えた感動を私も分かち合えたことも含めて。フランショームのグジマワ伯爵と交わした不協和音についての喩えが、その俗物性の象徴かと意味深であった。

    0
    投稿日: 2016.01.24
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    ★3.5。 19世紀のヨーロッパ文学の再構築、どうやら20代の時の作品のようですが、いやいやまさに力技。冗長とも思える描写も確かに(翻訳ものの)ヨーロッパ大河小説。ショパンとドラクロワを交互に描く構成も最初は?と思ったけれども、最終的には音楽と絵画という似て非なる芸術の交錯には重大な意味があると思うに至りました。また、冒頭の導入は本作の永遠なる循環を産み出す仕掛けであることも効果的。 本年末を締めるに相応しい大作でありました。

    0
    投稿日: 2015.12.31
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    やっと読み終わった。 とにかく凄いボリュームで、それはページ数や文字数ということでなく、話の重さ、文章、世界観、何をとっても凄いボリュームであった。 私が読んだ本の中では、共に過ごした時間が一番長い作品だったと思う。 カタカナの名前が主人公である小説は大の苦手だが、これだけ長いと誰が誰なのか明確に判別できるようになる。 世の中には、こんなに美しい文章で表現出来る人が居るのだなぁと、一文一文読む事に感動を覚える程、文章が心地よい。 この作品の中では、たくさんの人物が登場し、彼らの心の動きが丁寧に描かれている。 何故男性作家さんなのに、こんなに女性の心の動きまで熟知されているのだろう。。。 私が読む本の中では、No.1になり得るくらい難解な本だったが、文章の心地良さも過去読んだ本の中では No.1 だった。 もう一度読めば、登場人物の気持ちを、もっと余裕を持って追っていけるのかもしれない。再読必至な本。

    5
    投稿日: 2015.11.22
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    やっと終わった!苦しかった!内容も苦しかった。死の葛藤とか、直前の苦しみとか、苦しさしかないよ。読み進めるごとに、自分も削られていった。

    0
    投稿日: 2013.10.20
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    イギリスから帰ってきたショパンはさらに体調を崩し、パリ郊外へと移住する。ゆっくりと死へ向かっていくショパンと彼を慕い、取り巻く人々とのやり取りが繊細なまでに描きこまれ、読んだあとにため息が出ました。 本書で「葬送」は完結します。もちろん。主人公であるショパンの「死」という逃れることのない結末ですが、一歩。また一歩と死へと向かっていく彼と、彼の音楽を愛し、また、彼の人柄を慕う周りの人々とのやり取りが、壮麗な文体とともに描きこまれます。 渡英し、すっかりと体調を崩したショパンがその体を引きずるようにして戻ってくると、そこもまた、これらの大流行ということで、それを避けるためにパリの郊外に移ったショパン。しかし、彼の身の内に深く巣食った病はその衰えを知ることはありませんでした。 もともと頑健でない彼の体に訪れる長期にわたる病臥、激しい衰弱、 喀血。それを見舞う客たちのくだりは、本当に読んでいて悲痛な気持ちになりました。ショパン自身も何度も主治医を変え、彼らに当り散らし、ついには自分の殻に閉じこもってしまうところには、やはり「病人」としての不安が顕在化したものなんだと思いました。 自らの死期が近いと悟ったショパンは自らの「今後」のことや今までに彼がしたためた楽譜や手紙などの「始末」をするべく、遠くポーランドから家族を呼び寄せ、母親であるサンド夫人と不仲になっている娘のソランジュに彼女と仲直りをするようにいったり、その夫であるクレザンジェにも、真心を尽くした言葉をかけているのが印象的で、改めて彼の繊細な心がこちらにも伝わってくるようでした。 一方のドラクロワのほうも、その詳細が描かれているのですが、ショパンの最後があまりにも印象的過ぎて、彼がなくなった後にしばらくしてから大泣きした。ということしか覚えておりませんでした。 やがてショパンは彼を慕うものに囲まれながらその最期を遂げ、残された手紙や彼が愛用していたピアノ。そして彼の遺体は解剖にかけられ、その心臓は防腐処置を施された上で、故郷であるポーランドに帰る、という場面になると、本当に泣けてしまいました。結局のところ。経済的な都合で手放さざるを得なかったショパンの遺品の数々は彼の弟子であり、彼を慕い続けたジェイン・ズターリング嬢によって落札され、ショパンの家族に寄付されたのだそうです。その後も彼女は生涯にわたって、独身を貫き、ある意味で彼への愛に殉じた、といえると思います。 この豪華絢爛な芸術絵巻、実を言うと重厚すぎて敬遠していた節があったのですが、これを読むように僕の背中を後押ししてくれたのは、誰あろう作家の平野啓一郎氏であり、彼にツイッター上でこれを勧められなければ、おそらく永遠に手にすることはなかったでしょう。この場を借りて、平野啓一郎氏には感謝御礼申し上げます。まことに、有難うございました。

    1
    投稿日: 2013.07.03
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    このレビューはネタバレを含みます。

    「葬送」の第一部、第二部の全編を読了。あとがきで星野知子さんが「ゴールインおめでとうございます」と仰っているように、長く濃密な読書タイムでした。 第二部では病の進むショパンの演奏会と最期の姿を中心に時間が流れていきます。第一部では、19世紀ロマン派の時代の芸術家たちの会話の難しさに苦闘しつつ読み進みましたが、第二部は心理描写が中心で、若干読みやすいかもしれません。それでも、平野啓一郎による繊細かつ重厚な描写は、軽く読み流すということを許してくれません。 どちらかといえば難解な小説だと思いますが、フランス革命後期のパリの雰囲気を五感で感じ味わえる1冊だと思います。そして、読後にむわ~っとしてはいるけど新しいカタマリが頭の中に生まれた感覚ありです。

    0
    投稿日: 2013.02.11
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    19世紀のショパン(晩年)とドラクロワを中心に、天才と死について描いた物語。芸術論など難解な個所も多いけど、音や絵を細やかに言葉を使い分けて文章化し、表現しているところがすごい。第2部の方が好きでした。第一部がサンド夫人とその家族の葛藤などが描かれていたのに対して、二部の方がショパンの演奏が多く、音楽や絵画についての叙述が多くなるからかな。

    0
    投稿日: 2012.12.26
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    第四巻。 最終巻は壮絶な戦いの巻だった。 ある者は病と、ある者は老いと、ある者は失われた絆を取り戻すため、ある者は名誉のため、ある者は愛する人への想いを貫くため、ある者はこの生活を守るため…。 登場人物の全てが皆、何かのために戦っていた。ある者は赤々と燃え盛る炎のような怒りを剥き出しにして、またある者は、青白く燃える焔のように、静かに、でも確かな温度を持って。 読みながらずっと頭の片隅にあったのが、この物語ははたして、何に向けての葬送曲であったのか、という問いだった。 物語の中心が夭折した音楽家の「死」であり、主たるモチーフがその「葬送」の場面であることは言うまでもない。 しかしこの長い物語の中で、著者はもう一人の主人公の言葉を借りて、全く別のあるものに向けていくつかの追悼の言葉を綴っているようにも思えた。 第一巻の冒頭で、プレリュード的にショパンの葬送の一場面が描かれていたことが思い出される。思えばショパンは、この物語では初めから、決定づけられた「死」の象徴として描かれていたのだろう。 それに対してドラクロワは、時に感情的でありながらも常に思索的で、創作に苦悩し、時に怠惰で、より人間的に、芸術家的な側面を強調して描かれているように思った。つまり彼は、少しずつ忍び寄る「老い」を恐れながらも、それでも生きていこうとする「生」の象徴なのだろう。 そのドラクロワが、友人の死を乗り越え、新しい作品へと踏み出すところで物語は終わる。 登場人物たちは皆、他の何物でもない「生きる喜び」のために戦っていたのだろう。 もしかしたらこの物語は、「死」そのものへの「葬送」の物語だったのかもしれない。 読む人の年齢や経験によって、考え方は変わってくるだろう。たとえばショパンやドラクロワと同じ、所謂「芸術家」の人が読んだとしたら? 病の淵にある人が読んだとしたら? 自分自身、作中のドラクロワと同じ年齢になってこれを読み返したとしたら感じ方は変わっているだろう。 人生のうちに一度は読んでおいた方が良い一編。生きているうちに。

    1
    投稿日: 2012.12.07
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    このレビューはネタバレを含みます。

    死にゆくショパンを中心に描いた巻 この本を読んでいた2週間に iPodにショパンのプレイリストを作成して通勤の間にヘビーローテーションしたり、PCの壁紙をドラクロワの名画のスライドショーにしたりと、作品の世界にどっぷり浸かり込んでいた私には非常に辛かった、早く楽になって欲しかった。 ドラクロワはショパンの死に立ち会わない。 それは、彼の臆病さ故かもしれない。 ショパンと対照的に、彼は生きる。 自分の天才に忠実に生きて、作品を残す。 フランショームの言葉が印象に残った。 ”「……いえ、固より人間の生活とはそんなものなのでしょうか?もし我々の時代の新し不幸があるとするならば、それは、嘗てはきっとそうした惨めな綻びのない幸福な人間関係があった筈だという郷愁を抱いてしまうことこそがそうなのでしょうか? 」”

    0
    投稿日: 2012.03.25
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    全4巻、やっと読み終わった。去年の秋くらいから読み始め、ゆっくり併読しながら読み進めていった。 ドラクロワとショパンが邂逅するフランスを描いた重厚な大作だった。この二人を中心に様々な人が登場し、それを通して二人の天才の姿、芸術が語られる。僕の中では、トルストイの小説のような手触りに似ている。トルストイはロシア文学だが、似ていると思ったのは、狙ったと思われる古めかしさだけではなく、きっとその当時の国の姿、そこで生きる人々の姿が、主人公達の強い輝きとともに生き生きと語られていたからだろう。 最も素晴らしかったのは、ショパンの演奏会のシーン、ドラクロワの天井画のシーン。それぞれ、聴覚と視覚、別個の芸術を言葉で描き切ってくれた。 これだけの大作だからこそ、読み終わった時に強く感じるものがある。終盤にショパンが亡くなった事での不在と、現代にも残ったショパンの楽曲の不思議なコントラストで、この話はフィクションなはずなのに、実際にあった不在として感じてしまう。

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    投稿日: 2012.02.21
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    やっと、やっとのおもいで読み終わりました。初めて見る漢字、初めて聞く言葉、知らなかった音楽、知っていたはずの人物。歴史・政治・流行・思想・産業・地理・芸術・技術・天候・金・革命・名誉・欲・。男・女・大人・子供・家族・血・血・血。「人間」を発見した。なんというか「人間」という生きものを強く感じた。最後のページを読み終わり、上巻の上を(始めから)読みはじめたくなる。   発見の多い、充実した読書でした。

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    投稿日: 2012.01.05
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    長かった・・・。 話自体が長いのももちろんだけど、この本を読み通すのにかかった時間も長かった。思えば高校2年か3年の時にちょっと手にとって挫折して以来なので、 普段の数十倍の時間をかけて消化した感。 割と昔から(メジャーな曲しか知らない割に)ショパンの曲は好きだったので、その延長のミーハーな気持ちで高校の時は読み始めて、だからドラクロワに関してほとんど頭に残っていなかったのだけど (つまり読み飛ばしていたってことがバレバレ) 今回改めて読み返してみて、むしろドラクロワの方にこそ共感できる気がした。 誰にでもあることなのかもしれないけど、学術論文を書くとき、まだカタチを為していないアイディアの萌芽が、自分の頭と語彙を借りて世に出ようとしているって感覚を覚えることがあって、ドラクロワが自分の芸術に対する姿勢を話すところで、 ああこの気分なんとなく分かるわ、あの感覚はこれか。と得心がいった。 (もちろん後の世への貢献度から言ったら比べものになるわきゃないですが!) 作者本人もそういう気分を味わいながら書いたんじゃないかなと。 一点だけ苦手だったのが、人物の考え方がしっかり書かれていた分、人物同士の議論とかささいな思い出話とかが若干長すぎた感・・段々読むのに疲れた・・・。苦笑 各部の最後は、一筋の光を見た気がした。 第一部の最後はあまり希望を持てるものではないけれど、規模はまったく比較にならないにせよ、 天井画を仕上げたドラクロワの心境が少しでも自分に引きつけて考えられたので。 第二部は、「日蝕」のクライマックスのような趣向(見開き白紙)を使ってこそいないけど、 それに匹敵する鮮烈さがあった気がする。 あと、第一部の冒頭、パリの町をさまようドラクロワの姿がとてもとても切なかった。葬送の朝はきっと彼みたいな気分になる。 ところで 自分の中では読み方も理解力も大して進歩していないと思っていたのだけど、数年経って読み返すと気付くことや思うことが全然違っていて、自分が思っていた以上に自分は変わっているもんなんだなと妙な実感が湧いた。 前よりずっとずっとこの作品が好きになってたので、またいつか読むかも。

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    投稿日: 2011.10.21
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    このレビューはネタバレを含みます。

    とにかく素晴しい!のひと言に尽きる作品である。 私はとにかく感動しまくりだった。感動と興奮と感激とでどうにかなってしまいそうなくらいだった。 中でもやはり、ドラクロワの絵画に対する思いと絵画についての記述、議会図書館天井画の解説ともとれる記述、ショパンの演奏会の記述は本当に感動的な素晴しさである。興奮して体が熱くなった。 私は音楽も絵画も言葉にならないものを表現するものだと思っている。 言葉ではなく心で感じるものだと思う。 だから平野氏が音楽や絵画についての感じるという形のないものを、正確に的確に言葉にしてしまうことが衝撃的だった。 まるでそこに音が流れているような、まるでそこに絵があるかのような、いや、それ以上に音楽を聴いて絵画を見て『感じた心』を心以上に言葉で具現化してしまう。 本当に、平野啓一郎氏の天才ぶりに敬服するばかりである。 私にとってドラクロワもショパンもあまりにも偉大過ぎて存在自体に同じ人間として生きていたという実感が持てない人物だった。まるで神のような存在だった。 それを、この本は、私と同じ人間として描いている。 フィクションとノンフィクションの境目がない。知っている限りの史実が正しく書かれていると、知らないこともすべて本当のことに思えてしまう。会話だって心中だって本当にそんなことを語ったり思ったりしていたのかも、と思ってしまう。 それが私を感動と感激と興奮の感情に引きずり込むのである。

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    投稿日: 2011.03.09
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    襟を正して読んでいた長編がようやく読み終わった。 昨今主流のストーリィを追いかけ、言葉を読み飛ばしてはいけない小説。 思いの他、時間がかかったのもやむをえない。 一昨日、「ショパン伝説のラストコンサート」横浜公演で 平野氏のお話と朗読を聴く。 人間ショパンと天才ショパンを描きたかったのだそうだ。 四巻は人が死ぬこと、いなくなるということの実感について 絶えず問われ、答えを求めていたように読める。 フランショームとドラクロワ、ショパンの親友だけが 真の寂しさと戦い、そして芸術家として飛翔することを 思わせる結末に、19世紀を生きた彼らの姿が 今現代の私たちの生活と関わっていくような気がした。

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    投稿日: 2010.09.27
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    ショパンさん…(泣)。張る弦を間違えた楽器のような「何か変」という感覚は、現代にも通じるものがあるなぁ、と思った。

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    投稿日: 2010.01.28
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    購入済み 内容(「BOOK」データベースより) 病躯を引きずるように英国から戻ったショパンは、折からのコレラの大流行を避けてパリ郊外へ移った。起きあがることもままならぬショパンを訪なう様々な見舞客。長期にわたる病臥、激しい衰弱、喀血。死期を悟ったショパンは、集まった人々に限りなく美しく優しい言葉を遺す。「小説」という形式が完成したとされる十九世紀。その小説手法に正面から挑んだ稀代の雄編。堂々の完結。 ショパンの死からその後の処理までで物語は終わる。 この巻になってからは泣き通し。 いろんな感情が入り交じってしまって、あげくにはしゃくり上げつつページをめくる。 この「葬送」はもう一度最初から読み返してみようと思っています。 繊細で、美しい音楽を生み出した作曲家は、その曲同様 繊細で美しく、控えめでみなに愛され天に召されて行ったのだと。 死の床でも歌をせがみ、自分の葬儀の音楽を指示し、自分の作品の行く末をフランショームに託すショパン。 今までもショパンは好きな作曲家でしたが、この本をよみだしてからは絶対的な見方が、聴き方が変わりました。 この巻に入ってからはずーっとJablonskiのなにがしのショパンを流しながら読んだのですが、 自分の中での音楽が変わっていくのが手に取るようにわかって不思議な感覚に陥りました。 同じ録音なのに今までとは違う音に聞こえてくる不思議さと言ったら! 今までわたしが聞いていたのは「音」の羅列で「音楽」ではなかったのか?という驚愕すらあって。 もっともっと「音楽」を解し、演奏可能な人間になれるように、勉強したいと思うようになりました。 モーツアルトのレクイエムがまた違った意味で重要になり、 勉強してみたいと思いました。 いい作品でした。 たぶん一生手元に置いて、何かの折りにはよみかえすのだろうと。。。。 はじめ読めなかったのは嘘のようです。 重い本です、痛い本です。 でも興味のあるかたにはおすすめしたい作品となりました。

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    投稿日: 2010.01.22
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     ついにショパンが逝ってしまう。第一部の冒頭がいきなりショパンの葬儀なわけだから分かりきったことなのだけど、死のシーンの喪失感は本当にすごい。第一部から長く長く続くこの小説を読み続けた人は、きっとこの感覚が分かると思う。ショパンが死んだという実感がすごく湧いてくる。  「創作とは最も死に近づく行為」であるとしても、その行為によって芸術家自身が幸せになれるようなものであってほしい。

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    投稿日: 2008.05.05
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    物語は一気にクライマックスへと向かいます。ショパンの死。その時、ドラクロワは… 全編を通して頭の中にあった「謎」がクライマックスで一気に開けていくような感覚でした。 読み終わったときの達成感にも似たあの感覚は、多分平野さんの作品独特のものなんだろうな、と思う。

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    投稿日: 2008.04.01
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    ついに最終巻。ショパンはいかに生き、いかに死んだか・・・彼に思いを馳せるのは、ドラクロワだけではない・・・。

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    投稿日: 2007.10.09
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    愈々ショパンの容態が悪化。友人たちが見守る中、ただ一人パリを離れるドラクロワ。ショパンと彼を取り巻く友人たちの痛々しげな様子よりも、やはりドラクロワの苦悩の描写に惹かれました。何か奇想天外な展開がある訳でもないのに文章の巧さだけで4冊読ませる技術が凄い。

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    投稿日: 2007.03.11
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    死が色濃くこの最終章を彩ってた。死について、そして生きるということについて、いろいろと考えさせられた。考えるという意味では、いろいろなことを考えさせられた。例えば、芸術について、愛について、恋について、愛の表現について、革命、政治、名誉、音楽、絵画、仕事、死ぬこと、生きること、友情、生きるということは喜びか、悲しみか、そういう意味では、さくっと読める作品ではないし、ある程度の時間を取って、ゆっくりじっくり読みたい作品だった。ここにもし、キリスト教やもしくは他の宗教的なスパイスが加わったら、どうなるんだろうと少し思った。それにしても、相当に質の高い本でした。

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    投稿日: 2006.07.28