
総合評価
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powered by ブクログショパンが演奏会をするらしい! パリの社交界は噂で賑わった 『ピアノの周りに集まった親しい友人の胸の奥に巣食う本人すらも定かには知らない秘密にそっと触れ、彼らの無言の告白を自然に引き出してやるような演奏』 を好んでいたショパンがなぜ? それはショパンをどうしても元気づけたく、 そして、収入を得た上で、また作曲に没頭できるようにとの仲間たちの愛だった 誰一人としてショパンをほっておくことは できなかったのでしょう 演奏会の一週間後3月革命が勃発 かつての愛人サンドの活躍や訳のわからない 世間から逃れるようにショパンは イギリスに移る スターリング嬢の思惑通りイギリス、スコットランドで演奏や、挨拶周りなどこなすうちに ショパンの体調はどんどん悪くなっていく 一方でドラクロワは親友とのすれ違い、わだかまりを抱えたまま、憂鬱な日々を過ごす 時代の流れの中で必死に生きる 歴史上の人々 こんな身動きの取れない時代だったからこそ 今尚残る名作が生まれたのだろうか? ショパンの体調が悪すぎてつらい そこまでして何が得られたのか? いよいよ最終巻に突入です
57投稿日: 2025.09.11
powered by ブクログだんだんショパンの死に近づいてしまう 保存したつもりが、失敗。感想というよりは覚書なので、再度投稿。今回は下書きを念のため保存してからの投稿。 附箋 ・ショパンの演奏の要求に完璧なまでに応えてみせた楽器こそ プレイエル社のピアノ! ・ショパンのコンサート前の12着の燕尾服 派生して タキシードと燕尾服 ※1848年2月16日 丸6年ぶりとなる演奏会 1842年2月21日以来 at パリのプレイエル社サロン モーツァルト ピアノ三重奏曲ホ長調 メンディ嬢とベッリーニアリア2曲 ノクターン№27 変ニ長調 舟唄№60(シュトックハウゼン男爵夫人に献呈) メンディ嬢とドニゼッティ2曲 エチュード№25変イ長調 同へ短調 子守歌変ニ長調 ・鑑賞者には分析より先に必ず驚嘆がある筈である。寧ろ感想とはその驚嘆を語ることではあるまいか?分析した後の様々な発見を寄せ集めてみてもそれは終に元の驚嘆を満たすには不十分であった(ドラクロワの言葉) ※第二部 チェロソナタ№65第一楽章省略 プレリュード№28嬰へ短調 嬰ハ短調 ロ長調 嬰ト短調 変イ長調 マズルカ№7の1変ロ長調(音楽におけるパンタデウシュ)7の2イ短調 ワルツ№64嬰ハ短調(ロスチャイルド男爵夫人に献呈)ワルツ№18 アンコール ワルツ№64の1 ・いかなる人数の愛を以てしても終に埋め合わせることの出来ない愛がある。与えた筈の愛情と受け取ったという愛情とは、積もり積もってまるで勘定が合わなくなっていた。 ・日常生活を離れて自然に対して自らを解放しその交感の体験の裡に作品の着想を探るといった生々しい創作の方法をショパンは苦手としていた。音楽の為というならば、鳥の鳴き声や木々のざわめきよりも、サロンでの会話の優雅な息遣いや説得力に満ちた弁論術などの方がよほど多く益するところがあった。 ・平時には誰からも珍重され非常の時が訪れるや誰よりも先に役立たずの名簿の中に加えられる そうした芸術家の無益さ 人間の生活の余剰の上に生かされているに過ぎない ・ドラクロワが彼女に求めていたのは 彼が永遠に遠ざけられている世界の輝かしさそのものであった。彼女を愛することはドラクロワをその世界との和解の現場に立たせることであった 彼女に愛されることはその世界から手を差し延べられることであった。 ・美しく彩られた称賛の言葉は確かに耳に心地よい 結局一番うれしかったのは、感動のすべてを詰め込もうとして膨れ上がったかばのようにかたちを崩した不器用な「素晴らしい」だの「信じられない」だのといった言葉ではなかったろうか? ・ベートーヴェンが交響曲まで書いた アルコレ橋のボナパルト ・イギリス ブロードウッド社製の楽器を使用する条件に同意 パリ エラール社のピアノ ※5月15日 サザランド公爵夫妻の自宅スタッフォードハウスに於いて ワルツ マズルカ モーツァルト二台のピアノの為の変奏曲ト長調 ※8月28日 ジェントルメンズコンサート 第一部 №22アンダンテスピアナート №31スケルツォ変ロ短調 第二部 №9の2ノクターン変ホ長調 №25エチュード嬰ハ短調 へ短調変イ長調 №57変ニ長調子守歌 ※その後 招待客の前で №35変ロ短調 第3楽章の前 突然半分ほど蓋の開いたピアノの胴体からマジョルカ島のカルトジオ会の修道院であの陰惨な夜に目にした恐ろしい化けもの達が這い上がって来るのが見えた ※9月27日 グラスゴー マーチャントホール №22アンダンテスピアナート №36即興曲嬰へ長調 №25の2エチュードへ短調 №27、55ノクターン1曲ずつ №57子守歌変ニ長調 №28プレリュードから数曲 №38バラードヘ長調 №7マズルカ№64ワルツから数曲 №55ノクターン(スターリング嬢に献呈)アンコール№7の1マズルカ変ロ長調 ・真になすべきはただその側に仕え、神の言葉に耳を傾けることだけ ※10月4日 ホウプタンルームズ 曲目は前回とほぼ同じ №18 華麗なる大ワルツが加えられた ・辛うじて書くことの出来たロ長調の短いワルツをスターリング嬢の姉のアースキン夫人に献呈
0投稿日: 2025.05.06
powered by ブクログ「葬送 第二部(上)」平野啓一郎著、新潮文庫、2005.09.01 458p¥660C0193(2023.08.26読了)(2013.10.01購入) 【目次】(なし) 一~十一 ☆関連図書(既読) 「ショパンとサンド 新版」小沼ますみ著、音楽之友社、2010.05.10 「ショパン奇蹟の一瞬」高樹のぶ子著、PHP研究所、2010.05.10 「愛の妖精」ジョルジュ・サンド著、岩波文庫、1936.09.05 「ショパン」遠山一行著、新潮文庫、1988.07.25 「ドラクロワ」富永惣一著、新潮美術文庫、1975.01.25 「葬送 第一部(上)」平野啓一郎著、新潮文庫、2005.08.01 「葬送 第一部(下)」平野啓一郎著、新潮文庫、2005.08.01 「ウェブ人間論」梅田望夫・平野啓一郎著、新潮新書、2006.12.20 「三島由紀夫『金閣寺』」平野啓一郎著、NHK出版、2021.05.01 (アマゾンより) 千八百四十八年二月、大好評を博したショパン六年ぶりの演奏会の一週間後、フランス二月革命が勃発する。民衆の怒涛の奔流は、首相の解任、王の退位を実現し、共和国を生み出した。貴族達の惑乱と不安、活気づく民衆。ショパンは英国に移るが、過酷な演奏旅行を強いられ、体調は悪化する。一方ドラクロワは、ある画家の評伝の執筆にとりかかる。時代の巨大なうねりを描く第二部前編。 ショパン生誕200年のメモリアルイヤーを彩る、美と感動の長編小説
0投稿日: 2023.08.26
powered by ブクログ“病の牢獄”からどうやったら抜け出せるのかわからない。健康になるように工夫をしても、あまり効果は無い。 ショパンは日に日にやつれていった。スターリング嬢が病の直接的な原因では無いだろうけど、嬢に気を遣って慣れないことをして病状悪化が加速したか。 ブルジョワ側のサンド夫人が、なぜ突然共和主義革命を起こした民衆に共感して、引っ張って行こうとしたのか。 仲の良かったヴィヨとドラクロワの友情にも陰が見え始めた。それ以外でも芸術の世界の派閥が、けっこう複雑に絡まっていて煩わしそう。
1投稿日: 2023.06.28
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
今回もかなり盛りだくさんでした。 ✔︎ショパンのピアノ論(リストとの比較) ✔︎ショパンの演奏会 →表現が秀逸過ぎて音色が聞こえるようだった ✔︎人々のショパンの演奏会の感想(技術面に特化した)に対してのドラクロワの反発 →分析よりも驚嘆が先に来るはずだというドラクロワの芸術論。「知識の増加が感性の摩耗を招くというのは、どうした不幸な現象だろう?」 ✔︎フォルジェ男爵夫人の恋心と葛藤 →会えない寂しさと、会うことによって生じる寂しさ ✔︎ドラクロワの天才としての葛藤、それをヴィヨに言えなくなってしまった気まずさ ✔︎ショパンの事故 →死への恐怖よりもピアノが弾けなくなる恐怖の方が大きい ✔︎ドラクロワの花の模写 →「個々の事物を意味の交わりに於て眺めるのではなく、その色の関係に於てのみ観ることに彼は強い安堵と心地好さとを感じた。」
0投稿日: 2023.03.22
powered by ブクログここでは各登場人物の紹介をしたい 個人的な目線なので偏っていることをご了承いただきたい ■ショパン リサイタルを好まず、小さなサロンでの演奏会や作曲活動、教育活動の方が好きな音楽家 教え方は熱心だったようだ 繊細、優美、(この辺りは想像通り)感情的にならず、醜い心もできるだけ表に出さずジェントルな姿を披露 大きなリサイタルが嫌いなのも納得ができるほどの繊細ぶり(悪く言えば神経質) 一方身に着けるものなど、結構な浪費家 それほどお金があったわけでもない割に贅沢さを随所に感じる 人に対しては誠実な印象 とにかく愛された音楽家であることがよくわかる 皆がショパンを助けようと一生懸命で必死だ ショパンが気を回さないよう気づかれないようショパンを援助する人たちがいかに多いことか 皮肉なことにショパンの愛情は報われなかった そう、サンド夫人とその娘に対する愛情だ さらに悲しいことに彼女らには届かなかっただろうが、長年にわたり相当深かったであろうと感じる そしてショパンの才能をあらわした文章 ~六週間もかかって何度も書き直した数小節が、まるで一分と掛けずに書き上げられたかのような自然さ 苦しみ抜いた挙句に発した声が賛美歌のように明るく美しい~ ショパンは感覚的でなく、緻密にロジックを以て芸術を突き詰めるタイプだったようだ ■ドラクロワ 画家 「民衆を導く自由の女神」が有名で個人的にも好きである かなり理屈っぽくこだわりがあり、自分の芸術に対する強い思想を感じる 寂しがりやで「孤独だ!孤独だ!」と嘆いている割に、人に愚痴ったり、人に会いに行ったりして、気を晴らしたりもする 他人とのコミュニケーションより、無意識に自分の芸術が最優先してしまう…というタイプ 人と考えを分かち合いたいのに、なかなかわかってくれないと寂しく思っているあたり、自分の才能をわかっているんだかいないのかしら? 家族に恵まれないタイプだが、彼の性格の災いもある気がする それでもフォルジェ男爵夫人という、なかなか好感もてる愛人とそれなりにうまくやっていく 内省的に思考(長考)するタイプで彼の独演会があちこちに出てくる 悲痛な心の悩みだろうが、凡人からすると贅沢な悩みに聞こえる(だからひがまれ敬遠されるんじゃないのかなぁ 天才ゆえの悲しさである) ただ、芸術に対するウンチクは面白いし、参考になることも多々あった (どんなに激しい気持ちを表現しようとしても、綺麗に演出することの大切さ…など為になった) ■サンド夫人 ショパンの愛人 小説家 女手で子供たちを育て上げ、小説家として独立し、政治活動にも参加する精力的な女性 勝手はイメージはショートカットでパンツにピンヒール(時代が違うけど…) そのせいか自分の考えに自信満々で人からの意見は受け入れられないタイプ 当然プライドも高い ショパンのことも「年下で子供を育てたこともないくせに!」と心で思っているため、聞く耳を持たない 娘に対しても同様、「これだけ愛情をかけてあげているのに、どうしてわからないのかしら? 一体何が不満なのかしら?…」 本気で理解できないし、しようとしない うーん、困った人だ ■ソランジュ サンド夫人の娘 母親からの愛情が希薄だと思い込み、素直になれず、ひねくれたものの見方をしている だが母親の存在を常に感じ続け、完全に母親を断ち切れない また思い込みが激しく、世間に疎く幼稚 ショパンは彼女の性格をわかっている上で、それでもとても大切にしている ■スターリング嬢 ショパンが大大大好きなスコットランド貴族 この方は非常に厄介だ 決して悪い人物ではない 彼女のショパンにたいする愛情は純真で、誠実で、一生懸命だ ただ気持ちが純粋過ぎるせいか、その気持ちにばかり夢中になり、ある意味ショパンを追い詰める羽目に ええ、ショパンのことを思っての行動なんですよね? わかるんだけど、そこまでするとショパンがほらますます追い詰められるでしょうに! 最後は彼女の善意がショパンをがんじがらめに追い詰め、体調が悪化する… この人をみていると愛情というのはバランスが大切だと実感 他にも、魅力的な人物や、いけすかないやつや、面白い人や、素敵な女性や… たくさんの個性的な登場人物に事欠かない上、彼らの心理描写も深く掘り下げられるのでドラマ性がある内容になっている 次回はとうとう最終巻となる
22投稿日: 2021.07.07
powered by ブクログショパンの演奏会が開催されることになり、多くの人びとの注目が集まるなかで彼の芸術観が反映された演奏を、著者が緻密な文章で描写しています。しかしその後、フランス革命の勃発によってパリの街は混乱の渦に飲み込まれ、ショパンはジェイン・スターリング嬢にみちびかれてイギリスへわたることになります。しかしそこでの生活は、彼の意に染むものではありませんでした。 一方ドラクロワも、フランス革命の混乱のなかでみずからの作品を守る術を考えます。そんななか、親友で銅版画家のフレデリック・ヴィヨが、ルーブル美術館の絵画部門部長に就任したという報せを受け、さまざまな思いが彼の胸を駆けめぐります。ヴィヨの家を訪れたドラクロワは、ヴィヨの妻を相手に「天才」についての思索を語ります。 カントの『判断力批判』における天才論などを参照しながら展開されるドラクロワの議論では、創造能力と判定能力を区別して、前者をさずかった者こそが天才であり、自然はそうした天才を通じて創造を実現するという主張が展開されています。その一方で著者は、ショパンの演奏会の魅力をことばを通して緻密にえがきだすという試みをおこなっています。本作は、19世紀に完成された「小説」のスタイルを模倣する試みだとされていますが、上のような一見矛盾するかのような試みは、「小説」の形式にのっとりつつも、そうした「形式」そのものを内側から問いなおす試みということができるでしょう。そうした意味で、本作はやはり現代小説であるというべきであるように感じました。
0投稿日: 2021.02.26
powered by ブクログ210125*読了 第二部上巻の特筆すべき点は、前半のショパンの演奏会につきます。ピアノを弾くシーンはいろんな小説で描かれていますが、その中でもこの小説のこのシーンにおける描写の美しさは群を抜いている。こんなに緻密に、こんなに美しく表現できる平野さんの文章力!まるで当時、その演奏会で席に座り、ショパンの奏でる音色に耳を澄まし、感動に胸をいっぱいにしているかのような、そんな気持ちになりました。 その後、革命が起き、ショパンはイギリスへ赴き、ドラクロワはフランスで自分の立場を守るために画策するわけです。病弱なショパンがますます弱っていく様子は胸が痛い…。社交や演奏会、もうやめてあげて…と仲裁に入りたかった。ドラクロワについては、ヴィヨとの関係や絵を描くことに対する気の浮き沈み、気難しさと自分としては正しいと感じる行動など、癖が強いお人だなぁと感じました。笑 どちらにも愛着があるからこそ、次巻で終わってしまうのが寂しい…。「葬送」という題名の意味するところがきっと分かるわけで、ドキドキと最終巻を手に取ります。
0投稿日: 2021.01.25
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
二月革命の余波で,貴族に対するピアノレッスンによる生活が立ちゆかなくなり,病身を押してのイギリス渡航を決行するショパン.しかし,それはショパンの体をさらに弱らせるばかりであった.一方,天井画を完成させたドラクロアは革命後も上手く立ち回るのだが,友人ヴィヨに関してショックな出来事が起こる. 時代と病に翻弄されるショパンを軸に話が展開するが,ドラクロワとヴィヨ夫人による天才についての談義も心に残る.
0投稿日: 2016.10.25
powered by ブクログショパンのピアノ観、演奏。夫の凡人性を自覚したヴィヨ夫人とその後のヴィヨ。ミツキェヴィチのイデオロギー、宗教にとらわれていくさま。スターリング嬢の愛によって正当化した暴走ぶり。サンドのショパンを忘れた日常。ショパンを通して語られた母語が人生に持つ意味。ドラクロワとヴィヨ夫人による天才論も白眉。
0投稿日: 2016.01.20
powered by ブクログ第二部冒頭からChopinの本領発揮。 当方クラシックは門外漢なのでChopin=作曲家という認識しかないのですが、演奏家なのね、言われてみればそうだなぁ。どう転んだって音楽の醍醐味はライブだもんね。 今でこそ技術進歩により音・映像という手段でもって追体験できるものの、音楽はやはり刹那的だからこそ魅力的。その世界を何とか文章に落とし込もうという試みは上手く行っていると思う。 そしてここに至ってやっと絵画と音楽の世界を振り子のように行ったり来たりする本作の構成が効果を発揮し始めると思われ。ちょっと長いけどね。
0投稿日: 2015.12.23
powered by ブクログ読み終わるのに半月もかかってしまった・・・。 3冊目に入り、益々内容が濃くなっていく。 私とショパン、ドラクロワ達と共有する時間もどんどん増えて、あらゆる想像を巡らせながらページを捲っていった。 あぁやっとここまで来たか・・・ でももう、あと残り一冊しかないのか・・・
4投稿日: 2015.09.19
powered by ブクログ物語は音楽家ショパンの葬儀から始まる。そして、少し時をさかのぼってショパン最晩年が描かれる。登場人物はショパンがながらく愛人として関わってきたジョルジュ・サンドとその家族。たくさんの知人。そして、友人の画家ドラクロワ。このドラクロワの繰り広げる芸術論、天才論、友人論などが非常に興味深い。ドラクロワとショパンの会話などにはぐんぐん引き込まれていく。第1部500ページ、第2部700ページの大作である。ベストセラーとなり、新聞の書評などでも何度も取り上げられていた。私は著者自身に興味があったわけではない。今まで同じ著者の本を読んでいるわけでもない。ただ内容にひかれて、でも最後まで読めるかどうか分からないから、書店で買うのではなく、図書館で借りて読んだ。だいぶ待ってやっと手に入った本、私自身も1部、2部合わせると結局3ヶ月くらい借りていたことになる。他に読みたい人もいただろうに申し訳ない。小説であるから、内容については一々触れない。長編だけれどもぜひ一度読んでみてほしい。ショパンの生きた時代、19世紀中頃のパリを中心とする世の中の様子が手に取るように分かる。馬車を使って移動しているようだけれど、汽車も走っていたようだ。パリでも革命が起こり、世の中が大きく変わろうとしていた。ペストがはやりたくさんの人がそれにおびえ苦しんだ。ショパンやドラクロワそれ以外にたくさんの実在の人物が登場、あるいはいろんな形で描写されているが、どこまでが真実でどこからがフィクションなのかまったく分からなくなってしまう。はじめは少し時代の雰囲気になじめず、時間がゆっくり流れて退屈に感じたが、途中からは一人ひとりの人物描写にどんどん吸い込まれていった。久しぶりに小説を読んで、よい時を過ごすことができたと思う。ドラクロワの絵も観たいし、ショパンの音楽ももっと聴きたくなった。そして、ぜひパリにも行きたくなった。
0投稿日: 2015.08.15
powered by ブクログ名文の嵐。天才を描けるのは天才だけなのだ。が、いかんせん読むのは苦行のようだった。タイトル通りで全編通してとにかく薄暗い。特に第二部は、ずーーーーーっとショパンが追い詰められてて死にそうで死にそうでなかなか死なない。つらい。
0投稿日: 2014.12.23
powered by ブクログ奏でられている音を言葉にするという、何とも不可能そうなことが表現されていることの不思議。それから、痛み、苦しみ、悩み、いろんな負の表現が秀逸。だが、しかし、わたしには難しい…なかなか読み進まなかった。あと、最後1冊!
0投稿日: 2013.09.01
powered by ブクログ千八百四十八年二月、大好評を博したショパン六年ぶりの演奏会の一週間後、フランス二月革命が勃発する。この激動の時代の中で、ショパンやドラクロワをはじめとする芸術家や、彼らの周辺の人物がいかに生きたのか? 前に平野氏よりツイッターで『ここから最初に読んでみたらどうか?』といわれたショパンのコンサートの場面から物語は始まります。長年の私生活のパートナーであったジョルジュ・サンド婦人の別れから、周囲の人間が、いかに心を砕き、彼を『蘇らせようと』したのかがあくまでさりげない形で示され、ショパン側からの『一切宣伝はしない』『招待客のリストは自分でチェックして出自のわからないものは自ら外す』と言った無理難題を平気で引き受けながら、それでも彼のためにと東奔西走するプレイエル社の社長たちや、うわさがうわさを呼んでたちまち完売するチケット。その辺で期待はいやが上でお高まるわけですが、本番前にフランショームと会話をする場面から、いざ、演奏が始まり、彼の演奏振りを書き込みに書き込み、本当にこの日のコンサートは語り継がれるべきもので、筆者の気合の入りようが伺えるものでした。 しかし、その一週間後、世に言うところのフランス二月革命が勃発し、革命に明け狂う民衆はたちまちのうちに 首相を退任させ、王の退位を実現させ、共和制へと一気に押し流していくものでありました。一方、その生活を謳歌していた貴族たちはたちまちのうちに『倒される側』へと転じ、今まで、ショパンの生活を支えてくれたピアノのレッスンの仕事やサロンの演奏などは軒並み減っていくのでありました。彼はそのさなかに、かつての恋人であったジョルジュ・サンド婦人と『偶然』再会を果たすのですが、彼女にはすでに新しい恋人がいて…。ここで『二人の今は明白だった。一方には、新しい社会の建設に精力的に取り組む旺盛な革命家の―同時に新しい愛人との新しい恋に満たされた幸福な女の姿があった。その一方には、打倒された社会の瓦礫の中で、自らもまた滅ぶべき古い時代の残滓ででもあるかのように病によって着実に死へと接近しつつある無力な音楽家の―そして、失われた恋の呪縛から何時までも逃れることのできない哀れな中年男の姿があった。なんと滑稽な組み合わせだろう?』と言う一文は直球で心に突き刺さってくるものでありました。 一方のドラクロワは革命から、王制、共和制へと変動する激動のなかで、自分の作品『民衆を導く自由の女神』を上手にいかして彼の仕事、芸術がつづけられる道を生きることになり、それに加えてある画家の評伝の執筆にとりかかるようになります。こういったところが彼のしたたかさなのかな、と思い作品を読んでいたら、長年の友人であるヴィヨが重要なポストにつくと言う知らせを聞いて、彼の家に赴き、居合わせたヴィヨ夫人に自身のカントを引用した『天才論』(個人的には筆者の当時の取り巻く環境をドラクロワの口を借りて語っていると思っている)を語っている姿がとても印象に残っております。 ショパンはこのころ弟子の一人であったジェイン・スターリング嬢の勧めで、イギリスに演奏旅行に赴きます。しかし、過酷なスケジュールとやる気のない生徒への気の進まないレッスンなどから、彼の体調はどんどん悪い方向へと進んでいきます。個人的にはサンド婦人よりもスターリング嬢の方に気持ちがいってしまうことをここに付け加えておきます。時代のうねりの中でサンド婦人の目指していた革命は失敗に終わり、彼女はノアンへと戻ります。そして、ドラクロワとショパン。絵画と音楽と立場は違えど、この時代に生きた二人の芸術家の物語は、後一巻分、続いていくのです。
0投稿日: 2013.05.10
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
第2部は、愛人と別れた傷心のショパンが久しぶりの演奏会を開催するところから始まる。この演奏会におけるショパンの内面、外面の表現がすごい。 やがて革命が起こった影響で、イギリスへ向かうショパン。病は進み、イギリスの文化とも相容れない。一方、ドラクロワは、親友との関係に悩む。 第一部後半からのストーリー展開で、読み応えたっぷり。平野啓一郎の筆も冴え渡る。さて、最後の下巻ではどんな物語が待っているか。。
0投稿日: 2013.02.01
powered by ブクログ第3巻。 重苦しい空気が漂い、物語の展開も陰鬱であった前二巻とは打って変わって、第二部は華々しいショパンの演奏会で幕を開ける。 著者自身が曲を聴きこんで聴きこんで、徹底的な取材と分析を重ねて書いたのであろう「紙上演奏会」は圧巻の一言で、読者は鬼気迫るショパンの姿をハラハラしながら見守ることになる。ここまで感情移入させられてしまうのも前二冊によって形作られた「ショパン像」が読者の中にあるからで、これぞ長編小説の醍醐味だと思わされる。 復活を果たした病弱な音楽家に贈られる惜しみない拍手と歓声は、そのまま革命のシュプレヒコールに変わる。この華々しさと喧騒と、時代の変化を憂うかのような厭世感が物語を支配しているのだが、きっと当時のパリもそんな雰囲気だったのだろう。 全体を通してみて、第一部はドラクロワを視点に据えた描写が多かったのに対し、この巻ではショパンを中心として物語が進行している。 そのためだろうか。もしかして全四巻から成るこの小説は、四楽章で構成された一つの楽曲であるのではないか、という印象を新たに抱いた。 初楽章と第二楽章は短調で書かれていたのに対し、この巻は第三楽章にふさわしく長調で書かれ、前述のような華々しい第一主題と、勇ましく野心的な第二主題を持っている。 はたして最終楽章はどの調で書かれ、どのような響きの主題を持っているのだろう。とても楽しみだ。
2投稿日: 2012.11.30
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
ショパンの演奏会のシーンが素晴らしい。 個人的にはバカみたいに鍵盤に指を叩きつけるような演奏が好きなのですが、ショパンの考えたピアノという楽器の使い方を聴いてみたくなった。 その後英国に移り、ショパンの体調は悪化する。 あんなもん、スターリング嬢に体調を悪化させられたようなものだ。 ショパンかわいそう。。。
0投稿日: 2012.03.18
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
天才音楽家ショパン。 生きたいと願いつつも病に冒されてゆく「生」。 ショパンの友人であった天才画家ドラクロワ。 老いを感じいつか訪れる死を感じながら生きる「生」。 この本はショパンやドラクロワの生きた1800年代においても2000年を過ぎた現代においても共通する主題で描かれている。それは「生と死」についてであり、芸術論であり、人間関係である。 ショパンという偉大な天才もドラクロワという偉大な天才もひとりの人間として描かれている。 当時彼らは200年先の現在においてこれほど有名であるとは知らず、いち音楽家としていち画家としてその天才に翻弄されながら現代と同じように凡人と同じように人間関係に悩みながら生きている。 ショパンとドラクロワふたりの天才を中心に、ショパンの恋人である小説家であり革命家であるジョルジュ・サンドやその娘、ふたりの友人たちが登場する群像劇でもある。 多くの登場人物がいることで、口では語らず胸中で語るそれぞれの人の思いの交錯の描写が実に興味をそそられる。 現代(いま)も同じである。相手を思い、心中を察し、言葉を選ぶ。 また逆に相手の言葉から相手の本質や心中を垣間見たり詮索したりする。 そして自分の発した言葉や示した態度に嫌悪したり後悔したりもする。 この作品は、様々な人間の様々な性格、様々な考え方というものがいつの世も変わらないのだと知らしてくれる。 生と死というモチーフはいつの時代でも変わらず、天才であろうが凡人であろうが変わらず、芸術家の作品に対する思いもやはりいつの時代でも変わらない。 人間関係の煩わしさとそれによる幸福もいつの時代もどんな人間でも変わらない。 作者が言いたいことを作品として読みやすく分かりやすくするためには、ショパンとドラクロワというふたりの天才、そしてその時代が必要だったのかもしれない。
0投稿日: 2011.03.09
powered by ブクログ購入済み 内容(「BOOK」データベースより) 千八百四十八年二月、大好評を博したショパン六年ぶりの演奏会の一週間後、フランス二月革命が勃発する。民衆の怒涛の奔流は、首相の解任、王の退位を実現し、共和国を生み出した。貴族達の惑乱と不安、活気づく民衆。ショパンは英国に移るが、過酷な演奏旅行を強いられ、体調は悪化する。一方ドラクロワは、ある画家の評伝の執筆にとりかかる。時代の巨大なうねりを描く第二部前編。 もう入れ込みすぎていて 「ショパン」の史実に基づいて書かれた小説だというのを忘れてしまう。 こんなこと続けたらショパン死んじゃうじゃない! とか 本気で怒りながら読んでいる自分がいる(汗) もう決まっていることなのにはらはらしてしまう。 7月革命後イギリスでの生活で疲弊していくショパンが痛々しくて。 さてこれから続きよみますか(^^♪
0投稿日: 2010.01.22
powered by ブクログ2部は革命が絡んでくる。それから、ショパンの死期を早めたといわれるイギリス行。前々からスターリング嬢というヤツはバカじゃないかと思ってたけど、なるほどそういうわけだったのか……。空気読めないっぷりが痛々しい。 全てにおいて丹念な描写なのに無駄がないのがすごい。ショパンのリサイタルのシーンは圧巻の描写力。音楽が文章になっている!?!?
0投稿日: 2008.05.05
powered by ブクログ第2部はフランス革命へと時代が流れ込んでいくさまが、独特の「引き込まれる感じ」で書かれています。 第2部冒頭部分の、ショパンの演奏会での演奏風景の書かれ方は、そこにショパンがいるような錯覚にも似た感覚です。
0投稿日: 2008.04.01
powered by ブクログ冒頭から始まる、ショパンの演奏会の描写で一気に引き込まれました。文字から音楽が聞こえてくるような。その演奏を是非とも聞いてみたいと思いました。あぁ、あの当時に録音技術があれば。他には、ドラクロワの語る「芸術とは」「才能とは」が印象的でした。著者の考えを一番代弁しているのが彼なのかな、と思います。
0投稿日: 2007.02.27
powered by ブクログこの人は、文章で絵を描き、文章で音楽を奏でるすごい人です。特に第2部の始めで展開される、ショパンの演奏会の描写。繊細、大胆、優雅、華やか、小心、独創、芸術、思わず、ショパンの生演奏を聴きたくなった。あの難しい曲を作曲した人が、生で演奏するわけなんだから、それはそれは感動的な代物になるのだろうと思う。
0投稿日: 2006.06.22
