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若草物語
若草物語
L・M・オルコット、吉田勝江/KADOKAWA
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総合評価

30件)
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    ローリーが最高の友達すぎる〜 これから好きなタイプを聞かれたらセオドア・ローレンスって答えます ピクイック・クラブの話が好き 小さいときに持ってて手放してしまったから書い直した ジョーに憧れていました

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    投稿日: 2025.11.01
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    480P ルイーザ・メイ・オルコット Louisa May Alcot 生年:1832年 没年:1888年 アメリカの小説家。進歩的な思想家・教育者である父ブロンソン・オルコットと母アビゲイルの次女としてフィラデルフィアで生まれる。家計を助けるため、16歳ごろから執筆を始める。同時に家庭教師やメイドなどさまざまな仕事もしながら書き続け、四姉妹の日常生活を描いてベストセラーとなった自伝的小説『若草物語』で作家としての地位を築く。以後、家計の貧困からは解放されるが、旺盛な執筆活動を続ける。父の他界を見送った2日後である1688年3月4日、55年の生涯を閉じる。著書はほかに『病院のスケッチ』『気まぐれ』『仕事:経験物語』など多数。なお、『若草物語』は第4部まで刊行された。 若草物語 (光文社古典新訳文庫) by オルコット、麻生 九美 「でもそうだったら、今の半分も楽しくないんじゃない? だけど、ちょっとしたご馳走を食べたり、花束をもらったり、パーティーに行って馬車で帰ってきたり、ゆっくり本を読んだりして、仕事なんてしなくてもよかったらすてきだと思うわ。別人になったみたいじゃない。わたし、そういう人たちがうらやましいの。だって、 贅沢 なことが好きなんだもの」メグは着古した二着の服のうち、どっちのほうが少しはましか決めかねていた。 もっとも、ジョーがマーチ伯母の屋敷に魅力を感じていた本当の理由は、立派な本でいっぱいの大きな図書室があったからかもしれない。マーチ伯父が亡くなって以来、図書室はほこりとクモの巣だらけになっていたが。ジョーは親切だったマーチ伯父をよく憶えていた。マーチ伯父は分厚い辞書を並べて線路や鉄橋を作ってくれたり、ラテン語の本の不思議な挿絵について話をしてくれたり、道で出会うとかならずジンジャーブレッドを買ってくれたものだった。背の高い本棚の上から見下ろしているいろいろな胸像、座り心地のいい椅子、いくつもの地球儀、そして何よりも 膨大 な数の蔵書。ジョーは薄暗くてほこりだらけの図書室を好きなだけさまよい歩き、無上の喜びを味わった。マーチ伯母が昼寝を始めたり、お客の相手をしたりしているとき、ジョーは静かなこの部屋に飛び込み、安楽椅子に身を沈めて、まぎれもない本の虫と化して、詩集や、小説や、歴史書や、旅行記や、画集をかたっぱしからむさぼり読んだ。けれども、幸せというものはいつでもそうなのだが、この幸せなひと時も長くは続かなかった。物語が佳境に達したときとか、詩のもっとも美しい一節にさしかかったときとか、旅行記の主人公が今にも危険きわまりない冒険に直面するというとき、きまって「ジョセフィーン! ジョセフィーン!」と呼び立てる 甲高い声が聞こえるので、ジョーは楽園を出て、毛糸を巻いたり、伯母の愛玩犬のプードルを洗ってやったり、イギリスの哲学者ベンサムの『エッセイ集』などというつまらない本を一時間もぶっ通しで読んで聞かせなければならなかった。 毎日ベスは静かで長い一日をひとりで過ごしていたが、 淋しくもなければ、のらくらしているわけでもなかった。彼女だけの小さな世界には空想が生み出した友だちが何人も住んでいたし、もともと働き者でもあったからだ。毎朝、抱き上げて着替えさせてあげなければならない人形が六人もいた。ベスはまだ子どもで、その人形たちを今でもかわいがっていたのだ。けれども、その中のどれひとつとして健康な子もかわいらしい子もいなくて、どれもベスが引き取るまで宿無しばかりだった。姉たちが大きくなって人形遊びをしなくなり、エイミーは古いものや汚いものは欲しがらなかったので、ベスの手元に回ってきたのだ。ベスは古かったり汚かったりするほどそうした人形を大事にして、病気の人形のために病院まで建ててやった。人形の綿が詰まった体にピンを突き刺すようなことはおろか、 叱ったりぶったりすることもなかったし、一番ぼろぼろの人形でさえ放っておかれて悲しい思いをすることはなかった。どの人形にも食事をさせ、服を着せて、看病し、抱きしめ、尽きるところのない愛情を注いだ。  でも、いつものベンサムの本は読みさしのまんま。家に帰ってから、手袋を忘れてきたのに気がついたんで、走って伯母さまの家に戻ったら、伯母さま、あの本を夢中になって読んでるじゃない。こりゃ面白いことになったなって思って、あたしが玄関ホールで 小躍りしながら笑ってるのに聞こえないの。伯母さまだって、その気になれば楽しい人生が送れるのにね! お金持ちだからって、あたし、そんなにうらやましくないな。結局、お金持ちだって、貧乏人と同じようにいろんな悩みがあるんだと思う 「昔、あるところに、四人姉妹がいました。食べ物にも、飲み物にも、着るものにも不自由はなく、なぐさめも楽しみも十分あって、心から自分たちを愛してくれる両親と友だちもいたのに、それでも姉妹たちは満足していませんでした(ここで四人の聴き手たちはおたがいにちらっと顔を見合わせ、せっせと縫い物を始めた)。この娘たちはいい子になろうと思っていろいろと立派な決心をするんだけれど、決心したことをあまり守ることができずにいてね。そして、自分たちがどんなに恵まれているか、どんなに楽しいことをしているのかということを忘れて、『これさえあったら』とか、『あれさえできたら』と不平ばかり言っていたの。そしてある日、ひとりのおばあさんに、どんな呪文をとなえたら幸せになれるだろうかと訊きました。そうしたらおばあさんは、『不満なことがあったら、そのときは自分たちがどんなに恵まれているかを考えて、感謝しなさい』と言ったのよ(ここでジョーは素早く顔を上げ、何か言おうとしたが、話がまだ終わっていないことに気づいて口を開くのを止めた)。 四人とも分別があったので、娘たちはおばあさんに言われたとおりにやってみようと決心したの。そしてじきに、自分たちがどんなに恵まれているのかということに気づいてびっくりしました。ひとりの娘は、いくらお金があっても、お金持ちの家から恥ずかしいことや悲しいことを締め出すことはできないことを知りました。もうひとりの娘は、貧しくはあっても、自分は若く、健康で、元気なのだから、豊かな生活を楽しむことができない、気難しくて体の弱い老婦人よりも、ずっと幸せだということに気づきました。三番目の娘は、夕食の支度を手伝うのは嫌だと言っていたけれど、夕食のために物乞いをしなければならないのはもっとつらいことなのだと悟りました。四番目の娘は、赤メノウの指輪よりもお行儀をよくしているほうが価値のあることだと思いました。そこで四人はもう不平を言うのは止めて、手にしている恵みに感謝して楽しく生活し、その恵みにふさわしい娘になろうと申し合わせたの。さもないと、いま手にしている恵みが増すどころか、すっかり奪われてしまうかもしれないでしょう? この娘たちは、おばあさんのすすめに従って、もうがっかりしたり、後悔したりすることは決してなかったと思いますよ」 メグは暖炉のそばに戻り、足を暖めながら、イギリスの作家サー・ウォルター・スコットの歴史小説『アイヴァンホー』を読み出した。ジョーは勢いよく雪かきを始めた。雪は軽かったので、ジョーはじきにほうきで庭の小道の雪をかき終えた。太陽が出たら、ベスが病気の人形に新鮮な空気を吸わせるために庭に出てこられるようにしたのだ。さて、その庭はマーチ家とローレンス家との境になっていた。このあたりは町のはずれにあたり、木立や芝地や広い庭があって、通りも静かで、その先には田園風景が広がる場所だった。低い生垣がふたつの家の地所をへだてている。生垣の片側には古い茶色の家があり、夏のあいだは壁を 覆っていたツタや、周囲に咲き乱れていた花も今は枯れてしまい、家も庭もなんとなくむきだしで寒々しく見えた。 「本は読まないの?」 「あんまり。読ませてもらえないんだよ」 「誰かに読んでもらったら?」 「祖父がときどき読んでくれるんだけど、ぼくが読む本は祖父には面白くなくて。だからといって、しょっちゅう家庭教師のブルック先生に頼むのも嫌だし」 「それなら、誰かにお見舞いに来てもらえばいいじゃない」 「会いたい人なんかいないし。男友だちはやかましいから、じきに頭が痛くなっちゃって」 「本を読んでくれたりする女の子はいないの? 女の子なら静かだし、看護婦さんごっこなんかも大好きよ」 成功に気をよくしたジョーは、自分たちの芝居のこととか、計画していること、父親の身の上についての希望や不安、四人姉妹が暮らしている小さな世界で起こったことの中でも特に面白いことなどを話し続けた。やがて話題が本のことに移ったが、ローリーが自分に劣らず本の虫で、自分よりもたくさん読書をしていることを知って、ジョーはひどく喜んだ。 「そんなに本が好きなんなら、 階下 に行って、うちの蔵書を見てよ。祖父は出かけてるから、怖がらなくても大丈夫」ローリーが立ち上がりながら言った。 家中が夏のように暖かく、ローリーは部屋から部屋へと案内して回り、ジョーが気に入ったものがあると、好きなだけ見られるように足を止めてくれた。そしてとうとう図書室にやってきた。ジョーは特別うれしいときにいつもやるように、手を叩き、躍り上がった。本がずらりと並んでいる。絵だの彫刻が飾ってあり、硬貨や 骨董品 でいっぱいの胸が躍る小さな飾り棚があって、居眠りができるほどゆったりした椅子や、奇妙なかたちのテーブル、ブロンズの美術品が置いてあった。中でもすごいのは、周囲に 凝ったタイルをはめ込んだ大きな暖炉だった。 あんなに大事になさるんだと思いますよ。ローリーは生まれつき音楽が好きなんでしょうね。お母さま似だし。それでローレンスさんは、お孫さんが音楽家になりたいと思っているかもしれないと心配なのよ。とにかく、ローリーが上手にピアノを弾くと、疎ましく思っていたローリーのお母さまのことを思い出されて、ジョーが言っていたように渋い顔をなさったんでしょう ほんとうに、なんと楽しい時を過ごしたことだろう! 芝居や、有名な絵などを模して背景の前で 扮装 した人が動かずにいて、絵の中の人物のように見せる 活人画、 橇 遊び、スケート、古い客間で過ごした楽しい夕べ、ときどき大きな屋敷で開かれた小さなパーティー。メグは気が向くと温室の中を歩き回り、好きなだけ花束を作ることができたし、ジョーは新しい図書室でつぎつぎと本をむさぼるように読み、自分なりの批評をしてローレンス氏のお腹の皮をよじらせた。エイミーはいろいろな絵画を模写し、心ゆくまで美の世界を楽しんだ。そしてローリーはまことにきもちのいい態度で「一城の 主」の役割を演じていた。 さて、デイヴィス先生は以前から、ライムを持ってくることは禁止だと宣言し、この決まりを破った者はみんなの前で鞭打つときびしく断言していた。人一倍辛抱強いこの先生は、前にも長く激しい戦いのすえにチューインガムの追放に成功したことがあり、没収した小説や新聞を 焚き火にくべ、クラス内での手紙のやりとりを禁止し、顔をしかめたり、あだ名をつけたり、漫画を描いたりすることを禁じたりして、手に負えない五十人の女子生徒たちの秩序を守るためにあらゆる手を打ってきた人物だった。男の子を相手にするのも並大抵ではない忍耐力がいるものだが、女の子の場合はそれどころではなかった。ことに、ディケンズの小説に登場する教え方のへたなブリンバー先生よりも教え方がへたで、独善的な性格で、神経質な男性教師にとってはなおさらだった。デイヴィス先生はギリシャ語をはじめ、ラテン語も、代数も、ありとあらゆる学問に精通していたので、立派な教師だと言われていたが、行儀作法とか、素行とか、情操とか、模範的行為などを特に大切なものとは考えていなかった。告げ口をされたエイミーにとってはじつに間の悪い日だったのだが、ジェニーはそれを知っていて告げ口したのだ。デイヴィス先生はその朝、濃すぎるコーヒーを飲んだらしく、しかも神経痛にさわる東風が吹いており、おまけに生徒たちは自分が受けて当然だと信じて疑わない信頼を寄せていなかった。そんなわけで、あまり上品とは言えないが、ある女子生徒のひどく上手な表現を借りれば、「先生は魔女みたいに 苛 々 してて、クマみたいに不機嫌だった」のだ。まるで火薬に火をつけたように、「ライム」という言葉を聞いたとたん、先生の黄ばんだ顔がさっと紅潮した。そして力を込めて教卓をドンと叩いたので、ジェニーは一目散に自分の席に逃… 「過ちを改めさせるのに、わたしならそういう方法は取りません。でも、もっとおだやかな方法だったらあなたのためになったかしら。あなたはこのごろうぬぼれが強くなってきていますよ。直すのにちょうどいい機会です。あなたにはいろいろな才能もあるし、長所もたくさんあるけれど、それを見せびらかす必要はないでしょう。うぬぼれたら、どんなにすぐれた才能も台無しになってしまいますから。本当の才能や美点は、遅かれ早かれ人の目に留まるものです。それに、たとえ見過ごされたとしても、自分にはそういうものがあるのだと自覚して、それを活用していると分かっていれば、その人は満足だろうし、なによりも謙虚であることほど人の心をひきつけるものはありませんからね」 「そのとおりですよ!」部屋のすみでジョーとチェスをしていたローリーが言った。「ぼくが知っているお嬢さんで、すばらしい音楽の才能がある人がいたんです。でもその子はそのことを知らなかったし、ひとりでいるときに作曲した曲がどんなにかわいい曲かということも分かっていなかった。誰かにそう言われても、きっと信じなかったでしょうね」 「そういうすてきな方とお知り合いになりたかったわ。いろいろ教えてもらえたかもしれないもの。わたし、ほんとにダメだから」ローリーのそばに立ってじっと話を聞いていたベスが言った。 「一週間、実験をしてみて、気に入るかどうかみてごらんなさい。土曜日の夜までには、遊んでばかりいて働かないのは、働いてばかりいて遊ばないのと同じくらい嫌なことだと分かると思いますよ」 「そんなことないわ! すごく楽しいと思うに決まってるもの」メグが得意げに言った。 「それじゃ、『わが友にして仲間であるセアリー・ガンプ( 22)』の言葉にしたがって、乾杯しようよ。楽しいことよ、永遠に、退屈な仕事よ、さらば!」配られたレモネードのコップをかかげてジョーが叫んだ。 みんなもうれしそうにレモネードを飲み干すと、その日の残りの時間をぶらぶら過ごすことで実験を始めた。翌朝、メグは十時になるまで起きてこなかった。ひとりで食べる朝食はあまりおいしくなかったし、部屋もがらんとして、散らかっているように思えた。それというのも、ジョーは花瓶に花をいっぱい活けていなかったし、ベスは掃除をしていなかったし、エイミーの本があちこちに投げ出されていたからだ。いつものようにきちんときもちよく片付いているのは「ママのコーナー」だけだった。メグは「休息と読書」をしようと腰を下ろしたが、あくびをしながら、給料でどんなすてきな夏のドレスが買えるだろうと考えただけだった。ジョーは午前中、ローリーと川で過ごし、午後はリンゴの木の枝に座って『広い、広い世界( 23)』を読みながら涙にくれた。ベスは人形の一家が住んでいる大きなクロゼットの中身を全部引っ張り出し始めたが、途中で飽きてしまい、ごちゃごちゃのまま放り出して、お皿を洗わなくてもいいのでうきうきしながらピアノを弾きに行ってしまった。エイミーは庭の 東屋 をきれいにしてから一番いい白い服を着て巻き毛をととのえると、スイカズラの下に座って絵を描き始めた。誰かが通りかかって、あの若い絵描きさんはどなたですか、と訊いてくれるといいなと思っていたのだが、誰もやってこず、好奇心の強いザトウムシが一匹、しげしげと絵を眺めただけだったので、散歩に出かけ、夕立にあって、ずぶ濡れになって家に帰ってきた。 お茶の時間に姉妹たちはその日のことを話して比べ合い、楽しかったけれどもいつになく長い一日だったということで意見が一致した。午後に買い物に出かけたメグは「きれいなブルーの薄手のコットン」を買ってきたが、裁断を始めたところで洗濯がきかないことが判明し、その災難のせいで少しきげんが悪かった。ジョーはボート遊びをしたので陽に焼けて鼻の頭の皮がむけ、読書時間が長すぎたせいで割れそうなほど頭痛がしていた。ベスはクロゼットがめちゃくちゃなままだったうえに、一度に三、四曲の歌をおぼえるのがむずかしいのを苦にしていたし、エイミーは夕立にあって服が台無しになってしまったのですっかりしょんぼりしていた。明日… 暗い日々が続き、家中が悲しみとさびしさに包まれていた。仕事をし、事態が好転するのを待つみんなの心は重く、かつては幸せだった一家に死の影が漂っていた。メグがひとり座ってひっきりなしに縫い物に涙をこぼしながら、今まではお金で買えるどんなに 贅沢 なものよりもずっと貴重なもの――愛情や、保護、平和、健康といった人生の真の祝福に恵まれていたのだと思ったのはそのころだった。 「わたしもそれがいただきたくてしかたないんですが、ネックレスにするつもりはありません。ネックレスなんてとんでもない! わたしはロザリオにしたいんですよ。立派なカトリック信者として使いたいんです」エスターは美しいロザリオを欲しくてたまらないというまなざしで見つめた。 ローリーが帰るとエイミーは小さなチャペルへ行き、夕暮れのほの暗い中でひざまずくと、ベスのために祈った。涙に頰を濡らし、胸の痛みに耐え、やさしい小さな姉を失うことになったら、トルコ石の指輪を百万個もらっても、その悲しみはなぐさめられないだろうと思いながら。 「それどころか、とてもいいことだと思いますよ」うっすらとほこりをかぶったロザリオから手あかのついた小さな手引き書へ、そしてときわ木のリースで飾られた美しい絵へと視線を移しながらマーチ夫人が言った。「苛々することがあったり、悲しいことがあったときに、静かな気分になれる場所を作ろうというのはすばらしい思いつきだわ。わたしたちの人生にはつらいときがたくさんあるものだけれど、どうやって助けを求めるかを知っていれば、どんなときでも耐えられるものよ。わたしの小さな娘はそれが分かってきたようね」 「お金は役に立つものですよ。あなたたちがひどくお金に困ったり、お金に目がくらむようなことがあってはならないと思うわ。ジョンがちゃんとした仕事について、借金をしたりしないで、メグがなんとか不自由なくやっていかれるだけの収入があるようになってもらいたいの。けれどもあなたたちに、莫大な財産とか、はなやかな地位だの名声を手に入れてほしいとは思いません。地位や財産が愛情と美徳をともなうのなら、喜んで受け入れて、あなたたちが幸運にめぐまれたことを喜びましょう。でも、わたしの経験では、本当の幸せというものは質素な家の中にあるのよ。毎日の 糧 を得るために働いて、ある程度の不足があってこそ、わずかな喜びもすばらしいものだと思えるんです。わたしはメグがつつましい生活を始めることには賛成だし、もしもわたしが間違っていなければ、立派な青年の愛情を胸に、心豊かにやっていくでしょう。そして、それはどんな財産にも勝るものなのよ」 「ちょっとだけね。ローリーは歳のわりに大人びてるし、背も高いし、その気になれば大人の態度だって取れるし。お金持ちだし、気前はいいし、いい人だし、あたしたちみんなを愛してるし。あたしの計画がダメになっちゃって残念だな」 『若草物語』の作者ルイーザ・メイ・オルコットは一八三二年一一月二九日、ペンシルヴァニア州フィラデルフィア北西部の田舎町ジャーマンタウンのパインプレイスで、父ブロンソン・オルコットと母アビゲイルの次女として生まれた。  父ブロンソン・オルコットはアメリカの思想史にその名をとどめている人だ。彼はアメリカの文学・思想界に大きな影響を与えたエマソン(1) を中心とする 超絶主義 を信奉する牧師であり教育者だった。ルイーザは六、七歳のころから父親と深い親交があったエマソン、ソロー(2)、ホーソーン(3) などに囲まれ、その人となりに触れ、指導・助言を得て、のちに作家となるうえで少なからぬ影響を受けた。 「(『若草物語』の) 作者は自主的で自立した独身女性で、……女性が選挙権を手にする四十年以上も前に、ルイーザ・メイ・オールコットは献身的なフェミニストで、女性の権利のために文章を書いたり、発言したりしていて、『若草物語』の執筆中にニューイングランド女性参政権協会に参加している」(拙訳) ルイーザは『若草物語』の執筆当時、第一五章でメグが、「お金が欲しかったら男の人は働かなくちゃならないし、女の人はお金持ちと結婚するしかないの」と言っている年齢を、いわゆる適齢期をとっくに過ぎていた。彼女は三五歳で、結婚もせず、創作活動をし、政治運動にも参加したりしており、そうした姿勢はきわめて急進的だった。当時の女性には、特に結婚後は自己犠牲が強く求められ、それが美徳とされていたのだから、ルイーザのような生き方は女性の逸脱行為として非難される対象だったのだ。 同時に、実生活で母親が大変な苦労をしているのを目にして育ったルイーザが、若いころから一家の生計の担い手になりたいと願ったのも当然だった。一八四三年、一〇歳のころから真剣に日記をつけ始めたルイーザは(オルコット家では日記をつける習慣があり、父ブロンソンは一八八八年に亡くなるまでに三万ページにもおよぶ日記をつけている) 早くも一三歳のときに、「生涯の計画」を立て、「母の手助けをし、母を安心させたい」と書いている。そして自分の力で「父には安定した生活を、母には日当りのいい居間を、姉には幸福を、体の弱い妹には看護を、一番下の妹には教育を」かならず与えようと決意した。 『若草物語』は、同年一〇月に出版されると同時に、爆発的な売れ行きをみせ、あっという間にアメリカ児童文学のベストセラーとなり、その後は世界中の少女の愛読書となっていく。これを機に、ルイーザはその後の人生で経済的な苦労から完全に解放されたのだった。そして一〇代の初めに決意したこと――執筆で家族を経済的に支えること――を実現した。 ルイーザ自身も語っているように、『若草物語』はオルコット一家の物語だ。メグは長女アンナ、ジョーはルイーザ自身、ベスは三女エリザベス、エイミーは四女アバ・メイを、マーチ夫人は母アビゲイルをモデルにし、性格もほとんどそのままに描かれている。ただ、穏やかで忍耐強く、思慮深い牧師のマーチ氏とは違って、父ブロンソンは社会の矛盾を変革しようとする前進的な思想の持ち主だが世間知にうとい変人で、型破りで非常に気難しい人だった。そのためマーチ家の父親は、物語にほとんど登場させず、従軍牧師として遠い戦場にいて、終章近くになってやっと帰宅することにしたのだった。ただブロンソンのいかにもピューリタンらしい「高く思い低く 処す」という信条は、彼の愛読書だったピューリタン文学の代表作、バニヤンの『天路歴程』が物語の中で重要な役目を果たしていることによって十分に反映されている。 前出の渡辺利雄氏は、ルイーザの半生と、『若草物語』の中心的な存在であるジョーは、専業主婦ではなく、自立し、創造的な職業を選んだアメリカの女性に決定的な影響を及ぼしており、政治家や批評家などとして、社会的に活躍する女性にとって、この物語はまちがいなく生き方に強い影響を与えた一冊なのだと述べている。 一九八九年にある新聞社がアメリカ全州の知事に子どものころの愛読書についてアンケートしたところ、当時は全国に三人しかいなかった女性知事の全員が『若草物語』をあげたそうだ。二〇一六年でも全五〇州で六人しかいない女性知事や、大接戦のすえ惜しくも敗れたが、アメリカ初の女性大統領候補となったヒラリー・クリントンにも同じ質問をしてみたい。  影響を及ぼしたのはアメリカの人びとだけでなかった。フランスの作家であり実存主義の哲学者シモーヌ・ド・ボーヴォワール(一九〇八~八六) も、自伝『娘時代 ある女の回想』に、自分がジョーに影響を受けたことを書きしるしている。 「ある本の中で、私は自分の姿と運命とを認めたように思った。それは、ルイザ・オールコットの『リットル・ウイメン』だった……彼らは私と同じように、教養と道徳は富よりも 勝っていると教えられていた。彼らの家庭は、私の家庭と同じように、何か特殊なものがあった。私は夢中でインテリのジョーに自分をなぞらえた……彼女は私よりずっと男らしくてずっと勇敢だった……私はジョーを真似て、過去のことを思い出しながら二つ三つの短編を 綴った……ジョーはある種のおとなたちと同じくらいに優れていて、彼女には非凡な運命が約束されていたのである。ジョーは選り抜かれた存在だった。私も、自分だって、自分の書物に対する… 渡辺利雄氏はまた、『若草物語』は女性の自立を正面から訴えた小説とはいえないところもあるとし、「主として、両親の言葉を通して、当時の保守的な道徳観が強く表明されてもいる」と述べている。渡辺氏がいう「保守的な道徳観」は、「トゥルー・ウーマン」と言い替えてもいいだろう。女の子には(そしてもちろん結婚後の女性にも) 男性優位の社会が理想とし、規範とする生き方があるとする旧来の考え方だ。 たとえば第九章で、「虚栄の市」から帰ってきたメグの、「ママにはモファット夫人が言っていたような『腹づもり』があるの?」という問いに、マーチ夫人は「ええ、たくさんありますよ」と答えている。そして、「わたしの娘たちが美しくて、教養があって、心やさしい人であって欲しいの。賞賛され、愛され、尊敬されるようになって欲しいのよ……幸せで賢明な結婚をして……すばらしい男性に愛され、妻に選ばれるのは、女にとって一番幸せなことだし、うれしいことだし……お金持ちだとか、立派な家があるからという理由だけで、お金持ちと結婚して欲しいとは思いません。愛がなければ、そんなものは家庭とは言えませんからね……幸せで、愛されて、心から満足して暮らしていけるなら、貧しい人の妻となるほうがいいと思いますよ」と言うのだ。 産業革命によって富と実力をたくわえた中産階級が大きく社会進出した当時、イギリスの中産階級の人たちのあいだでは宗教や道徳による抑圧が強く意識され、女性は男性に従属することが当然とされていた。こうしたヴィクトリアニズムの影響を色濃く受けたアメリカ社会でも家長である父親の支配権を絶対とする家父長が求められたが、マーチ家はいわば「家母長」で、父のマーチ氏は帰宅してからも相変わらず背景となる人物として描かれていることは注目すべき点だ。マーチ夫人が家族の中心人物で影響力をもっていることは、大半の版の表紙にも映画のポスターにも四姉妹が母親を囲んでいる場面が描かれており、父親の姿はないことからも明らかだろう。 『若草物語』は「家母長」の物語だったから、抑圧的な父親は遠い戦場にいなければならず、家の留守を守る母親と娘たちは父親のことを深い愛情をもって思い続けなければならなかった。 ホームドラマは、抑圧や冷たく威厳ある雰囲気の中からは生まれない。家父長的な権威を離れたホームドラマの系譜として、研究者の川端有子氏は、シャーロット・メアリー・ヤング(一八二三~一九〇一) の『ひなぎくの首飾り』(一八五八)、『若草物語』(一八六八)、ケイト・タグラス・ウィギン(一八五六~一九二三) の『少女レベッカ』(一九〇三)、ルーシー・モード・モンゴメリ(一八七四~一九四二) の『赤毛のアン』(一九〇八)――作者はカナダ人だが、アメリカでの人気と影響力から特例として対象に含むとする――、エレナー・ポーター(一八六八~一九二〇) の『少女ポリアンナ(パレアナ)』(一九一三) を挙げる。ジーン・ウェブスター(一八七六~一九一六) の『あしながおじさん』(一九一二) もこの系譜に入るかもしれない。 健康に不安を感じながらも、大変な苦労と努力を重ねて家族のためにこつこつと仕事を続け、三〇代なかばでまちがいなくアメリカ児童文学史上最高傑作のひとつに数え上げられる名作を書き上げて名声を得たルイーザ・メイ・オルコットは、結婚して母親になることはなかったけれど、この物語を届けることで世界中のティーンエイジャーの(特に女の子たちの) 母親となった。 一八三〇年 五月二三日、革新的な教育者であり、思想家・哲学者のエイモス・ブロンソン・オルコット(一七九九~一八八八) とアビゲイル(アバ)・メイ(一八〇〇~七七)、ボストンのキングス・チャペルで結婚。

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    投稿日: 2024.11.16
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    生き生きとした4姉妹のストーリーにとことん魅了された。家や家の周りや親戚付き合いの狭い世界が4人の個性で鮮やかに広々と描かれていた。想像ではあるが、当時の女の子はジョーが自分みたいだと思ってジョーを真似て小説を書いたりしたのではないだろうか。ベスに憧れて大人しくしてベスのようにピアノを弾いたりしたのではないだろうか。そういう気がしてくる。

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    投稿日: 2024.08.19
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    このレビューはネタバレを含みます。

    アニメ世界名作劇場から若草物語を知りました。原作では一貫して娘たちが良い人になろうと努力している姿がとても印象的。 ジョーがもっている癇癪持ちの気質を治そうとして人知れず努力していることを知っているというお母さまからの手紙が届くエピソードが好き。どれだけ娘たちが母を尊敬して母が娘たちを信頼しているか分かって、素敵な親子関係にグッときました。

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    投稿日: 2024.05.12
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    時代を感じる発言も多く見られたけど、全体的にはとても好きな本。 毎日がつまらなく思えたりするのは昔も現代でも同じなんだなって感じたり、その中でも自分の勤めを果たして小さな幸せを感じて感謝しながら生きようとする姿が心に響いたりした。 姉妹のそれぞれが自分の欠点と素直に向き合って改善しようとする姿がとても素敵だと思った。特にジョーが自分のカッとしやすい性質をお母さんと話し合うシーンが心に残った。 どんな人でも必ず共感できるシーンがあるはず!

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    投稿日: 2023.10.03
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    初めて読んだ家庭小説です。兄弟姉妹を主人公にした物語が好きです。読書好きなジョーを自分に当てはめて楽しく読めました。

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    投稿日: 2022.10.15
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    一つ一つのエピソードがおもしろい。時代も国も境遇も全然違う少女達だが、それぞれに共感できてしまう。さすが名作。

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    投稿日: 2022.03.10
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    子供の頃読んだ記憶はあるけれど、あれは多分児童書だ。大人になって初めてきちんと読んだ。 大人になった今読んでも面白かった。学びもある。 姉妹のいない私にとって、この4人の関係はなんだかとっても羨ましい。 終盤のジョーの可愛いこと…。これは大人になった今だからの感想だろうな。 何かの折にはまた読み返したい。

    2
    投稿日: 2021.11.14
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    訳の古さもあり、会話の口調や用語に違和感があって、初めは読みづらかったが、登場人物に愛着が湧くにつれてスムーズに読めるようになった。教訓めいた話が多いので、説教くさいと感じる人もいるかもしれないが、個人的には納得する内容ばかりだったので、むしろ心が洗われるようだった。大きな展開はないものの、四姉妹のほのぼのとした日常にとても癒された。

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    投稿日: 2021.09.11
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    子供の頃読むのとはまた違った味わい。だけどやっぱりなんか良いなぁ。自分が大人になったからお父さんやお母さん、叔母さんの気持ちも想像できる。映画も見たくなった。

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    投稿日: 2021.03.17
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    好きなの!四人姉妹とローリーの子供時代が好き! 時代設定も、可愛らしい出来事もとっても素敵で癒される。

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    投稿日: 2021.01.21
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    映画の出来が良かったので、昔読んだ気がしていたが改めて読んでみた。青空文庫版は余りにも訳が酷かったのでKindle版を購入したがそれでもやや変な訳部分もあったので有名作家が訳してくれないだろうか。映画の方はジョンの恋愛成就まで行ったが、本作では映画の現在と過去を錯綜させて描く方式の過去部分のみだったので続編も読まなければならないのだろうか。話は南北戦争時代、北軍に出征した父の留守を守る四姉妹と母親の物語であり、そこでの周りの人々との交流物語である。清教徒たちの道徳規範を重視した昔の良きアメリカがあった。

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    投稿日: 2020.12.03
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    ちっちゃい時から小公女・赤毛のアン・やかまし村の子どもたちに並んで、何回も何回も読んできた憧れの存在。(特にベス) 映画化されて観に行くのが楽しみ

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    投稿日: 2020.06.22
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    小さい頃に絵本で読んだ「若草物語」。 当たり前だけど、絵本よりも長い。 こんなストーリーだったけ?と思うところやこんな登場人物いたっけ?と思うところもあったけど、きちんと読めてよかったです。 私はベス派。

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    投稿日: 2020.01.26
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    姉妹があまりにも良い子なのに驚愕する。自分にもこういうお話を素直に受け止めてた時代があったんだな‥‥としみじみ感じる。当時ベスに憧れたけど、今読むと、いい子過ぎて現実離れした感じがある。でも、小公女や若草物語のような模範的な少女達に素直に共感出来るって素晴らしい事だと思う。 最近は個性とか自己主張が出来る事がカッコいいとされる風潮だけど、ベスみたいな控えめだけど真面目で思いやりのある人をもっと尊重する社会であってほしい。

    2
    投稿日: 2019.11.19
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    子供時代に読んだ感激に思いをはせてというか、 子育ての悩み多い娘に何か言えるかもしれないと、心の隅にあったかもしれない。 娘も3人娘を育てているし、この物語のマーチ家も4人姉妹、 父親は南北戦争に出兵で留守、この物語全体に登場も少ない、影が薄い。 娘のところも何故かパパの影が薄い、一般的に父親ってそう(笑 それでなくてもこの節、シングルマザーが多いような話題になっている。 そしてそういう家庭は貧しい生活が常、シングルでなくても貧しくなる世相だ。 父親が知人のために借金を背負って、裕福だったこのマーチ家も貧乏という設定。 本当は作者オルコットの父親が高邁な学識者、世渡りに失敗したからなのだが。 とにかく物質的窮乏「貧」は不幸ではない、といっても無いものは困る。 母親、16、15歳の姉妹は働く。幼い姉妹は家の仕事。 クリスマスのシーンから始まるこの物語「お金があれば幸せなのに」 と嘆くこと、うらやむこと、どうしてそれを収めて前向きに行くかを、 ユーモアを込めて、姉妹の個性を描き分けながら、生きるすべを会得していく という、まじめな、まじめなものである。 ジョーという次女が主人公で作者なのだが、性格激しくきっぷがいい、 自分が一家を背負うのだと、空想家で八方破れの暴れん坊、 読書好きの常、作家で身を立てんと奮闘する様は、 本好きをとらえて離さないストーリーでもある。 すなわち、子供の頃はわがまま、唯我独尊であっても 大人とは独立独歩、自己責任において人生を過ごすものだという 教訓を表立って言わなくても、少女小説のような雰囲気のうちに描いていく その柔らかな絵巻物語にて、表されている。 だから日本でいう幕末のころ、アメリカでは南北戦争が終わったころ、 1868年に書かれたものが150年経ても、今だに読まれているわけである。 しかしながら、わたしはもう読まなくてもいいような(笑 本当は娘たちが読めばいいんだけどね。

    1
    投稿日: 2019.03.15
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    このレビューはネタバレを含みます。

    赤毛のアンや、大草原の小さな家と比べると、人間関係が主のように思える。自然の恵みや脅威的なものはないけれど、虚栄心の話や、命に関わる病気のそれぞれ姉妹の後悔する心情など身近で、彼女たちの行方を応援したくなるような気持ちになった。 次巻のあらすじでネタバレを知ってしまい、悲しくて続きは手を出しにくい。

    0
    投稿日: 2018.04.29
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    最初の読み始めでは、なんとこんな地味なことで喜んで、スマホもネットもないのに、すごいわー、とか思っていたのもつかの間。やっぱりつまらんのよなぁ、とそこは今の時代と大差なくやる気なく投げ出してみたり、でも最後にはしっかり頑張ってみたりするところが胡散臭い。昔の小説っぽい。そこはしょせん、貧乏だとか言いながらもお手伝いさんとか雇っているという、貧乏だけど貴族、みたいな育ちの良さゆえなのか。こういうのだけ読んで昔の人とか語ったら絶対庶民の暮らしとかけ離れてそうだよなぁ。などと穿った見方をしてみる。

    0
    投稿日: 2016.08.07
  • 四姉妹に溢れる人間味

    若草物語の四姉妹はそれぞれ異なる欠点を抱え、それに度々悩まされます。その欠点を抱えながらも、善良であろうと一生懸命に生きています。 四姉妹を襲う様々な事件。それはごくありふれた日常に転がっているものですが、彼女たちは大真面目です。そして事件を乗り越える毎に成長する姉妹たち。 何と言っても読後の心地よさを味わっていただきたい! この本の訳者である吉田勝江さんの文体は少し古風ですが、それがまた物語の魅力を増しています。

    1
    投稿日: 2016.01.13
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    実際に読んだのは同角川の上下巻の分冊。世界名作劇場放送時に発行されたもの。そのため見開き2ページ分がそれぞれの巻に巻頭カラーとして綴じられていました。

    0
    投稿日: 2014.12.14
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    最近『若草物語』の映画DVDをみて再び読みたいと思い購入。 ちょっと中だるみもありながら読了。 昔読んだものより(あんまり覚えてないが)長い物語のような気がした。 四姉妹それぞれの個性が素敵だった。

    0
    投稿日: 2013.11.13
  • 善良でありたい、と素直に願いたくなる。

    全体に漂う「善良さ」の中に身を浸す心地よさ。 それでいて、ただ説教くさいのではなく、可愛い年頃の女の子たちの「お話し」としても純粋に楽しめる。個人的にはこの続編である二作目が大好き(特にジョーとエイミーのそれぞれの恋の流れが!)で読み返したくなり、それならちゃんと、まず一作目から・・・ということで、この機に以前とは違う訳でまた読んでみた。そしてまた耽溺。やっぱりいいなあ。

    3
    投稿日: 2013.09.28
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    このレビューはネタバレを含みます。

    なかなか面白かったー。 Wikiで登場人物のネタバレを見てしまうほど(笑)。 誰がどうなるかはもう知ってしまったけど、そのうち続きを読んでもいいなぁ。 覚えてるかどうかは知らない(笑)。

    0
    投稿日: 2013.07.09
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    20120605読み終わった(青空文庫) 子どものころに読み、再読。違う人の翻訳でまた読んでみたい。続編も。

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    投稿日: 2012.06.10
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    昔アニメで見たジョーはカッコイイお姉さん。今見たらとても家族思いの可愛い女の子でした。懐かしく優しい気持ちになりますね。

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    投稿日: 2011.06.15
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    子供の時アニメや簡易な子供向けの本を読んであらすじはなんとなくは知ってました。ちゃんと読んでどういういきさつで話が進み、覚えているエピソードとどうつながるのか理解できました。子供の時、こういう姉妹がいっぱいいるかんじに憧れてました。

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    投稿日: 2011.06.13
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    面白いですね。四姉妹のそれぞれにハッキリした性格の違いがあって、時には衝突もするけど、反省を繰り返して成長していく。物語の中でも時間が流れていて、主人公たちがちゃんと生きているんだって感じさせてくれます。古いものだけど、今でも読み返されているのは、それだけ魅力があるって事でしょうね。

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    投稿日: 2011.01.22
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    人生に必要な心構えは全て『若草物語』で学んだ! 常に枕頭にkeepして折りに触れ読み返したい、不朽にして珠玉の一冊!!!!!!

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    投稿日: 2010.09.18
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    いい娘になるには。レディーらしく。いつも良いLittle women であるために。とてもクラシックな印象を受けるこの本だけど、今日まで世界中の女の子たちから読まれているのは、四人の姉妹たちの若草のように瑞々しい毎日が、とても魅力的で、今の世代の人たちともたくさんの共通点をもつからだと思った。毎日が生き生きとしていて、読んでて気持ちがよかった。

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    投稿日: 2010.06.12
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    アニメでストーリーは知ってたけど、本を読んだのは初めて。(!) エピソードとか話の流れもちょこちょことしか覚えてなかったから、「あっこんな流れ!?」「この話知らない!!」とか多かった。 今読んでも普通に小説として面白い。

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    投稿日: 2010.04.28