
総合評価
(36件)| 6 | ||
| 11 | ||
| 11 | ||
| 2 | ||
| 0 |
powered by ブクログニーチェが言ったという「死なない程度の苦しみはあなたを強くする」に惹かれて本書に取り組んだが難しかった。しばしば、何を言っているかわからないのでAIに教わりながら読み進め、なんとか上下巻を読了した。
0投稿日: 2025.10.06
powered by ブクログ上巻の最後に己の未熟さを指摘されたツァラトゥストラは再びこもり、魂の深淵へと踏み込む。永遠回帰、再び同じ人生を寸分違わず生きること。うむ、分からん。生きること、人の有り様の答えを示すものではなく、もがき苦しみながらもそれらの答えを求め続け、深淵に踏み込んでいく男の内観を書き記した物語だと受け取った。
0投稿日: 2025.06.01
powered by ブクログ訳文を通して、原文自体が徹頭徹尾論理的に書かれている文章ではなくノリでガーッと書かれているように思われた。名著なので読まねばと思っていたが少し幻滅。例え話にすることで逆に分からなくなってる。過剰な難解さを後世の人々がもてはやした結果の遺物のようにも見えた。解説を読むと、聖書の表現を多分にパロっていながら、神は死んだと主張するエッジの効いた内容になっている模様。ニーチェはその思想を筋の通ったものとして正確に伝えることを意図しているわけではなく、解釈の余地を残す芸術寄りの作品を残したかったように思えた。
1投稿日: 2024.11.21
powered by ブクログKindleにて読了 3.0 上と比べて一層分からんというのが正直なところ。 上では超人思想が主であり、自分の考えとも遠くはないところもかろうじてあったので自分なりに解釈できたのだろうが、下では永遠回帰という全くわからん思想を中心に論が展開していた(らしい)ので、理解が追いつかなかった。 相変わらずたまに出てくるかっこいい表現は好き笑笑
0投稿日: 2024.10.20
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
つづき。 主人公ツァラトゥストラが、さらに進化していく、そして最終的に自分の理想的な役割を人間との間で果たしうることになったのか…。 前半あまり民衆たちに受け入れられなかった部分が目立ちましたが、 少し出直したあとは、最終的に永遠回帰の教師ともいわれるまでになっていっているようです。 引き続きいろいろと独り言?説教?歌?で語られていまが、同時に、沈黙すること、通過すること、といった部分もあり。 肉欲、支配欲、我欲、という3つの悪、と言われるものについての述べられていますが、 無私な生き方を否定し、我欲を至福のものとしてたたえる者を肯定しているようです。 そして強調されているのは、自分の意志を持って判断すること、同情しないこと。 ___人間は容易に発見されない。ことに自分自身を発見するのは、最も困難だ。「精神」が「心」について嘘をつくことがしばしばある。こうしたことになるのも、重力の魔のしわざである。 だが、つぎのように言う者は、自分自身を発見したといえる。ー「これはわたしの善だ。これはわたしの悪だ」と。かれらはこう言うことによって、「万人に共通する善、万人に共通する悪」などと言うもぐらと小人を沈黙させた。(87) ___いい趣味でも、わるい趣味でもない。わたしの趣味なのだ。90 隣人を愛するのではなく、自分自身を愛する者。 最も遠い者に向けられたわたしの大いなる愛は命じる、「あなたの隣人をいたわるな!」と。人間は克服されなければならない或るものなのだ。…自分自身に命令することのできない者は、人に服従することになる。自分自身に命令できる者は少なくないが、かれらも自分自身に服従するまでにはなかなかなれない!(96-97) 意志することは、自由にすることだ。なぜなら意志することは、創造することだから。これが私の教えである。そして、あなたがたはただ創造するためにのみ、学ぶべきなのだ。(110) これまでの一神教の伝統的契約の世界観に対しては、新しい人間世界を打ち出しているのかと思います。そもそも契約の世界観が薄い日本人的には、永遠回帰のほうがなじみやすい気もしますが。 ___人間社会。これは一つの試みである。わたしはそう教える。ーひとつの長い時間をかけた探究。すなわち命令者を探し求めることである!… 社会は「契約」などではない!(121) 人類の未来をびやかす最大の危険は、「善くて義しい人」たちのもとにひそむ。彼らは、創造できない。創造する者をこそ最も憎む。古い価値をこわす者、破壊する者をーかれらは犯罪者と呼ぶ。(122-123) ___多くの原因を結び付けてわたしというものをつくりだしている結び目ーその結び目は、またわたしをつくりだすだろう!わたし自身も永遠回帰のなかのもろもろの原因のひとつとなっている。(139) 第4部は、さらに祖国や父の国ではなく、未来、こどもの国、漕ぎ出す勇気を奮い立たせる言葉が欠けられているように思います。 暗く深い生にある、自分にとっての永遠のよろこびを、見つけること。大事にすること。極めていくこと、感性に磨きをかけていくこと、そんなことをニーチェは考えていたのかなーと思いました。
1投稿日: 2024.10.14
powered by ブクログ超人思想は割と理解・共感できる部分が多かったが、永遠回帰はちょっとよく分からなかった。 演劇調で意外と読みやすく、詰まることは少ないのだが、内容の理解となると話は別になる奇妙な本という印象。 4部の2人の王や蛭、魔術師との掛け合いが個人的には好き。
0投稿日: 2024.06.28
powered by ブクログメモ→ https://x.com/nobushiromasaki/status/1751932328853794949?s=46&t=z75bb9jRqQkzTbvnO6hSdw
0投稿日: 2024.01.29
powered by ブクログ上下2冊読み終わったわけであるが、正直な感想としては何かを掴んだようであってもその何かは漫然としていて、結局よく分からなかったというのが正直な感想であった。ただし、氷上氏の解説もあってこの本の骨子は明瞭であると思う。つまりニーチェは、神が死んでニヒリズムが到来したこの現代において、容易にペシミズムに傾倒できるこの現代において、それでもなお生の肯定を力強く成し遂げようとしたのである。生の肯定のための中核概念として「永遠回帰」が措定された。つまり、「この生を無限回全く同じように繰り返されることを望むか?」の問いに「然り」と言うにはどうしたら良いのか、それが我々の考えるべき最も重要は命題であり、生の肯定の最上の手段となる。
1投稿日: 2023.09.15
powered by ブクログツァラトゥストラとは、新しい価値の創造者だ。 人々の精神を支配し、「汝なすべし」を強要する既存の価値観の否定者だ。 千年におよぶ価値に対して「われは欲する」と吼える、獅子の精神の体現者だ。 神や天国といった人間の妄想の産物から離脱し、ここに確かにある身体と大地を讃え、敬おうとする者だ。 ツァラトゥストラが語るこの強烈な自己肯定、現実肯定は、今を生きる我々にも刺さる。 ありきたりな成功、社会が決めた常識、大衆からの承認に支配された我々の精神は、「われは欲する」と力強く吼えることを忘れてしまっているのではなかろうか。 ツァラトゥストラと一日を過ごし、その人生の完全な肯定に至る瞬間を体験した「最も醜い人間」は、驚嘆の中でこう言い放つ。 「このきょう一日にめぐりあえたために、——はじめてわたしは、自分がこれまで生きてきたことに満足した。(中略)『これが——人生というものであったのか?』わたしは死に向かって言おう。『よし!それならもう一度!』と。」 自分の人生を、そっくりそのまま繰り返してもいいと思えるほどの自己肯定。その実感を得ることが可能になるほどの、人生に対する深い愛情。そんな素晴らしい瞬間を味わうことこそが、人生を生きる意味である。 これこそが、ツァラトゥストラの口吻を借りてニーチェが語りたかった真髄ではないか。 燃えさかり、力強く旅立つツァラトゥストラを見送りながら、そんなことを考えた。
0投稿日: 2023.04.01
powered by ブクログ相変わらず難解な文章だったが、なんとか最後まで読破。第一章のリズムに慣れてきていたところなのに、第二章以降リズムを崩されて戸惑いがあった。 第一章までは超人に至る話であって、第二章からは永遠回帰がテーマとなっているそう。予備知識なく読んでしまったので、そんな事を知ったのは読み終わって後書きを読んだ時だった。円環的に繰り返される生の中で、未来に希望を持つのではなく今を楽しもうではないか。要するにそういうことなんだろうか。それはとてもいい考えだ。そうありたい。うん。
0投稿日: 2022.12.18
powered by ブクログ下巻はまた面白い。ツァラトゥストラが悲鳴が聞こえたのでその原因を探りに行く途中に会う人々。 みんなツァラトゥストラの洞窟に集結するのだが、最後の方は盛大な演劇的雰囲気の中で「永遠回帰」が語られるのだ。うーん。むずい。これは自分にはむずかしい。というのも、多分自分がこの「永遠回帰」をそういう考えもあるだろうとは思いつつ、受け入れられないタイプだからだ。この辺りがショーペンハウアーは好きだというところと関係があるのかもしれない。 こちらも最後の訳者解説を読んでから本文にいくことをおすすめする。 ニーチェの『ツァラトゥストラはこう言った/かく語りき』はいろいろな訳があるようだが、そのあたり自分に合ったものを探すのも一つかもしれない。 今回わかったけど、自分はあまりニーチェさんとは合わない。
0投稿日: 2022.08.14
powered by ブクログ結論から言うと、難しかった。 理解できるような(理解できないことが大半) しかし、節々に心が燃えるような感覚を覚えた。 このツァラトゥストラの思想は、ナチス・ドイツによって政治利用された背景があると聞いたが、確かに精神論に近い感覚で語られているので大衆を扇動するには効果的にも思えた。 1周では味わえきれないので、また時間を置いて楽しみたいと思う。 「よし、もう一度!」と思えるような人生を送ろう! 追記: ウクライナでの戦争を想って。やはり同じ過ちを繰り返す人間は克服することが困難なこととなのだと、心を痛めます。
0投稿日: 2022.03.01
powered by ブクログ「永遠回帰」を受け入れられる「超人」になるためには、ニヒリズムに陥り「力への意志」によって克己していく必要があるということだろうか。 上巻では論旨が煙に巻かれて理解に苦しんだ一方で、下巻ではこのあたりの筋が見えてくる。 実存主義だからってニーチェを自分の生き方に投影しようとしても、そうは簡単にさせてくれないパラドックスに満ちた性格が強いので、自己啓発を目的とした場合は消化不良になりそう。 それだけ僕には難解だったので、数冊の解説書を手引きにしつつ上巻に戻りますかね。
0投稿日: 2020.11.21
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
人間は最も勇気にみちた動物だ。それによって、人間はすべての動物を征服した。鳴りひびく楽の音によって、かれはさらにあらゆる苦痛をも征服した。しかも人間の苦痛にまさる深い苦痛はない。 勇気はまた、深淵をのぞきこんだときのめまいをも打ち殺す。それにしても人間はいたるところで深淵に臨んでいるのではなからろうか!目をあけて見ること自体がー深淵をみることではないのか? 勇気に勝る殺し屋はない。勇気はまた同情をも打ち殺す。苦悩への同情こそそこのしれない深淵なのだ。深く人生のなかをのぞけばのぞくほど、人間はそれだけ深く苦悩のなかを見るのだ。 勇気に勝る殺し屋はない。すすんで攻める勇気、それは死をも打ち殺す。なぜなら勇気はこう言うからだ。「これが生きるということであったのか?よし!もう一度!」(pp.18-19) 克服には、いろいろな道と方法があるそれは、あなたが試みなければならないのだ!道化師だけが、「人間は飛びこすこともできる」と考える。あなたの隣人のなかにも住むあなた自身を克服しなさい。そして、あなたが奪い取るべき権利を、ひとの手から与えられてはならない。(p.96) なにが出てきてもおいしくいただく安易な満足、これは最高の趣味ではない!私が尊重するのは、「このわたしは」と言い、「然り」と「いな」を言うことのできる、依怙地で、選り好みのつよい舌と胃である。(p.87) あなたがた、「ましな人間」たちよ、小さな美徳を克服せよ。ちっぽけな知恵、砂粒のような配慮、蟻のうごめき、あわれむべき快適、「最大多数の幸福」を! あきらめるよりも、むしろ絶望せよ。そしてまことに、わたしがあなたがたを愛するのは、あなたがた「ましな人間」たちが、いまの世に生きるすべを知らないからだ!ということは、つまりあなたがたこそー最もよく生きているからだ!(p.256) 生は苦悩である。生きることは悩むことだ、というショーペンハウアーのペシミズムは、その弟子ニーチェの思索の出発点となった。生の苦悩は厭わしいものだ。嘔吐をもよおすものだ。しかしそれを逃げない。ごまかさない。むしろその「苦痛のまっ黒な潮のなかへ」深くおりて行く。黒く厭わしいものを、むしろ強め、大きくする。そしてそれを肯定する。こうした姿勢の煮つめたほうっ式が永遠回帰であり、この深淵に耐えられるならば、ひとは癒されるのである。(解説、p.336)
0投稿日: 2018.06.13
powered by ブクログ謎めく筆致だ。読めば読むほどわからなくなる。キリスト教へのラディカルな批判は感じる。大きな楽観と世界への肯定を感じた。 ・わたしは神を無みするツァラトゥストラだ。わたしはいっさいの偶然を、わたしの鍋で煮る。その偶然がよく煮えたとき、わたしの食べ物として、賞味する。 ・わたしはいったい幸福を追い求めているのだろうか?わたしの求めているのは、わたしの仕事だ!よし!獅子は来た。わたしの子どもたちは近くにいる。ツァラトゥストラは熟れた。わたしの時は来た。
2投稿日: 2017.09.29
powered by ブクログ言わずと知れたニーチェの大著.この年になって初めてニーチェでもないだろうが,友人に薦められて読む.その友人はあらゆる翻訳を読んだらしいが,この岩波の翻訳が一番よいらしい. 本の扉に「だれでも読めるが,だれにも読めない書物」との言明があるが確かにそうかもしれない.短期間に熱にでも浮かされたように書いたらしい,第1部から第3部まではある程度のスピードを持って読んだ方がよいのではないか.長い散文詩と思えばそれほど難解でもない(というかこの翻訳では文章はとてもわかりやすい).深く読もうとすれば土台一人では無理だし,注釈書がいる. 19世紀末,「神は死んだ」と言われてみんな驚いただろうな.そういう時代性あっての超人だし永劫回帰であるのだと思う.下り坂の人生にはあまり関係はないようだけど. はてさて,「超訳」なしでニーチェは21世紀も生き残れるだろうか.
4投稿日: 2017.05.09
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
ツァラトゥストラを主人公にした、当時のキリスト教社会を否定したニーチェの思想を盛り込んだ物語。 初めはなんやこれな感じだったが、聖書をパロッタものということがわかってからは、これがどうして中々面白く読めた。 本来の思想はもっと違うのかもしれないが、個人的な感想としてはより現代的であると思うし、結構自己中心的でもあってとても人間くさく感じる。 哲学書として非常に難しくはあるが、今風っぽく人間らしい主人公に共感しながら読み進められる分、入り口としてはうってつけなのではないかと思う。 またある程度時間が経ったら読み返してみようと思う。
0投稿日: 2015.11.11
powered by ブクログ永劫回帰。すべてのものが、宇宙までもが何回も全く同じように繰り返されるというこの考え方について、それでもなお立ち向かうことができる存在が「超人」だという。 とりあえず自分なら無理。ニーチェ自身は「超人」になれたのだろうか・・・? 自分はただの理系で、哲学を習ったことがないのですが、考え方としては面白かったです。
0投稿日: 2014.10.26
powered by ブクログ再読。ニーチェの思想は暗い様に見えて、実に明るい。永遠回帰とは「これが人生か。よし、ならばもう一度!」と死後の世界にも唯物論にも頼ることなく生を肯定する思想であり、何巡でも同じ人生を繰り返すのだという覚悟が求められる。そしてニーチェは己の意思を疾走させる。それは常識より速く、道徳より高く。そこに倫理は生まれ。しかし彼の言葉を真に受け、模倣している限り彼の忌み嫌う価値観の奴隷にしかなれないのだろう。そう、ニーチェの思想とは、彼以上に疾走する意思を求められる思想なのだ。誰よりも疾く在れ、高くあれ、もう一度!
2投稿日: 2014.06.28
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
主に「超人」について語られた上巻から一変して、下巻のメインテーマは有名な「永劫回帰」へと転換する。 この世の一切は永遠に、何度も何度も繰り返す。繰り返すからといって、少しずつよくなったり、悪くなったりするわけではない。一切は全く同じように繰り返す。 もし自分の人生が終わった瞬間に、また初めから同じことを繰り返せ、しかも永遠に何度も、と言われたら?普通の人は発狂してしまうだろう。 が、ツァラトゥストラは、永遠に繰り返す世界に絶望するのではなく、生を愛し、永劫回帰を受け入れ、何度でも生きてみせる強靭な精神をもつことを要求する。 ツァラトゥストラ自身も初めは「ああした人間が永遠にくりかえしやってくる!あの小さな人間が永遠にくりかえしやってくる!(中略)ああ、嘔吐!嘔吐!嘔吐!」と嫌悪感を隠さない。 が、鷲や蛇といった動物たちに励まされつつ自分を奮い立たせ、やがては「永遠よ、わたしはあなたを愛する」と歌うに至る。 最終章となる第4部では、さまざまな人物(俗世を嫌悪する「ましな人間」たち)が登場し、ツァラトゥストラと問答を繰り広げる。 「ましな人間」たちとの対話を通じ、ツァラトゥストラは、「同情」こそ忌避すべき「最後の罪」だと悟る。 他者に対する同情を罪悪とみなし、「外界などはない」(p132)と嘯く。しかも自身を慕い、追随する者たちを繰り返し拒絶する。 ニーチェの思想は、もとより他者との関係性を考慮しない(ばかりか、積極的に無意味化する)ものであることが明示された形だ。 あくまでニーチェが主眼においているのは、自己を超克するということと、これに加えて、いかなるものをも絶対化せず自問し続け、世界のあらゆるものに自ら意味を与えていくということという、至極エゴイスティックな思想だ。 と、「今の俺」は解釈した。 『ツァラトゥストラ』は通り一遍の読み方を許容しない。必死にテキストを追って解釈しようとするよりも、むしろツァラトゥストラと同じ高みに到達し、対等な相手と議論を交わすかのごとき読書態度を求められているような、そんな気がする。そのためには、思索的な鍛錬と、さらなる読書が俺には必要。
3投稿日: 2014.05.05
powered by ブクログ倫理の教科書ではニーチェ思想は超人、永劫回帰という用語ばかりで語られるが、実際の本を読むと、そんなに単純にわかるものではない。詩的なニーチェの文章は含蓄はあるが非常に読みづらい。
0投稿日: 2013.01.30
powered by ブクログ上巻読了して挫折した新入社員時代。①寝る前に読む。②眠くなったら寝る。③気に入ったところに線を引く の3本柱でようやく上下読了(約1年かかった)。 これ、オモシロイことはオモシロイんだけど、ちゃんと理解した人ってどのくらいいるのかしらん……
0投稿日: 2013.01.11
powered by ブクログ「ガハハ!我こそは価値を創造する者」 「わたしがいい!と言うものこそはいい!」 ツァラトゥストラはこう言った。 わたしもそう言う! やっぱりね♪ そうだと思ってた。 この本は、割りと読みやすい。とはいってもわけわからない。それがいいんだな。 高校生なら読めるはず(ただし、岩波版に限る。新潮版は無理!)。 もし読めないなら読まなくていい。君が読むべき者でないだけだから。何も気にすることはない。 全ての高校生に!いや17歳に! 解るんじゃなくて、使うんだ。良い本だよ♡ 元気になるよ! Mahalo
2投稿日: 2012.11.23
powered by ブクログ哲学は意味がないことだと言う背景知識を知っていたのだが、 ツァラトゥストラはこう言った に出てくる言葉は力強く、人を惹き付ける力があると思う。 哲学が人の力に助力することもあると感じた。 他のニーチェの本も、パラパラと書店で見たが、 ツァラトゥストラを主人公として、纏めらている形式は、 興味深いし、何より、面白い。 テーマ毎に、 ツァラトゥストラはこう言った。又は、ツァラトゥストラはこう歌った。で締められる形式も、個人的には好感触だった・ 良書だと思います。
1投稿日: 2012.10.03
powered by ブクログ「否、否、三たび否!」 「おお、嘔吐! 嘔吐! 嘔吐!」 「晩餐」の章からの畳みかけるような勢いがすごい。 ツァラトゥストラの元へ訪ねてきた「ましな人間」たち。しかしツァラトゥストラの求めた人物は彼らではなかった。彼が求めたのは、これから彼の園を尋ねるであろう彼の「子ども」たちである。彼のこれまでの説教はすべて、この「子ども」たちのためにある! 彼は説く。この「子ども」たちのために、「ましな人間」は踏み越えられるべき橋となるように。そのために富み貧しくなるように。 「永劫回帰」というのは、たぶん、こういうことだろうか。 ある一瞬。「この時が永遠に続いたらどんなに素晴らしいだろうか!」と思うようなある一瞬。 その瞬間は過去と未来に「糸で貫かれ、深く愛しあっている」。一つのよろこびに「然り」と言うことは、すなわち一つの嘆きにも「然り」ということだ。 「すべてのよろこびは、万物の永遠を願う」 悟りのようで、やはり実感としてはちとわからんが、ツァラトゥストラが言いたかったのは、すべての「よろこび」は「万物の永遠」を志向するべきである、ということなのだろう。きっと。
0投稿日: 2012.05.18
powered by ブクログ「読書力」の35ページにある本… 法政大学第一中・高等学校で岩井歩教諭が実践した、定期テストに読書問題を取り入れた実践。 22冊目…高3の定期テストに 斎藤孝さん、大絶賛の本 でも…私には、何を言わんとしているのか、さっぱりわかりません。
0投稿日: 2012.03.28
powered by ブクログニーチェが求めている人間の典型って、たとえば漫画『ヘルシング』の登場人物みたいなもんだと思うとわかりやすい。
0投稿日: 2012.02.10
powered by ブクログ(下)は永遠回帰をより強調。 ・世界は深い。・殻を持つこと(美しい外観・賢明さを身につける)も必要である。・世界には汚物があるが、世界が汚物だとは言えない(その汚物に知恵が潜んでいる)。・最上のものを学ぶべき。・不治の病人の前では無理に医者になるな。・おしゃべりのあるところは花園となる。・権力を持つということは汚れるということ。それをわかって権力を持つべき。・多くを中途半端に知ることはよくない。・他人の思い過ごしで賢者になるより、自分の責任でばか者であるほうがまし。偉大さを求めるのは偉大ではないから。・貧しい者が幸いだとは真理ではない。・どこへ行くかを知っている者だけが、どれが良い風向きか、自分にとって順風かを理解する。あなたが失敗してもあなた自身が失敗というわけではない。・恐怖感ではなく勇気を人間の原初とする。・喜びは永遠回帰を欲する。←円環の意志(生をもう1度願う)・動物は言葉を持たないが自然との関係が直接的で永遠回帰に近い。・昼の仕事が必要。→外に出ろ。
0投稿日: 2011.10.13
powered by ブクログ永遠回帰のテーマは、一切の自らの意志を放棄する「他力」を全く逆回しにした、同一の到達点のように感じた。突き詰めることと手放すこと、真逆に進んでなんで同じところに行き着くのだろう。不思議だけど、そこで生まれる全てを肯定する圧倒的なエネルギーは、なにか人間の普遍的なところに触れているのかもしれないと思った。 ツァラトゥストラの生は、僕自身にも少なからず気付きをもたらしてくれた。思わず笑い出したくなるような転換が、体の奥底からこみ上げてくる。この本に出会ったことを感謝したい。
1投稿日: 2010.10.01
powered by ブクログイギリスに住んでいるときに日本語が恋しくなったら読もうと思って携行していた本。 どうにか読んだけど、真に理解したとは言えない。 あと3回くらい読まないとだめそう。
0投稿日: 2010.09.25
powered by ブクログ人間の「限界」を体現してくれている本。 そのため「これ以上面白い本は存在しない」と思うことになる。
0投稿日: 2009.12.18
powered by ブクログツァラトウスラが山から下山し、人々と再び交流する 万人に向ける一言一言が重い 著者ニーチェは、最終章の出版時に発狂したため、妹が出版 人間の極限状態で描かれた、人間の生き方を問うストーリ
0投稿日: 2009.12.01
powered by ブクログ授業では「ツァラトゥストラはかく語りき」で習ったけど、 現代でそんな風にゆう人はいないですよね。 「こう言った」ていう表現でぜんぜんいいと思います。
0投稿日: 2008.08.10
powered by ブクログ下巻です。ニーチェ的な思想というのが、ぼくの頭の中を随分と支配していました。そこから抜け出すのには随分と期間と労力がかかった気がする。すごく毒の強い本です。
0投稿日: 2008.08.04
powered by ブクログニヒリストとは、純粋なる魂の持ち主が矛盾に溢れた世界と向かい合うべく、自らをスタイル化した結果なのだろう。 ナイフのように尖ってはいるが、とってもナイーブな人達が多い。そういうニーチェに共感するのは僕だけではないだろう。
0投稿日: 2007.12.24
powered by ブクログ下巻くらいになると「…もうわかったよ!」ってイライラしてくるのが玉に瑕ですね。読み終えた時の達成感はある。
0投稿日: 2007.01.17
