
総合評価
(82件)| 11 | ||
| 29 | ||
| 27 | ||
| 2 | ||
| 1 |
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
かなり力強い純文学。個人的にはかなり好みだった。 とにかく一つ一つの話の力強さが凄い。鬱憤が溜まって仕方なのない人達の苦悩が、切れ味そこそこのナタで全力で振り下ろされているようだった。話は辛いものが多いが、鈍くもなく、鋭くもない。そこそこの切れ味。そこがとても良かった。 文学としてもかなり読み応えのあるいい作品だった。北方謙三が中上健次を読んで純文学を諦めた理由もわかる。文才が凄い。登場人物が少しごっちゃになってしまう時もあるが、一度で理解しきれずとも、何度読んでも面白そうなのでオススメです。誰が読んでも楽しめると思います。
0投稿日: 2026.01.03
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
表題作のみ読んだ。 田中慎也「共喰い」を想起した。 平易な単語ばかりで、句読点が多く軽快な文体で読みやすい。しかし、内容は極めて難解に読んだ。 噛み砕ききれず、だがなにか心を掴まれたような気がして、秋幸になにか自分と似たところを感じた気がした。 人の解説を読んでようやく少しずつ掴めてきた気がする。他人にがんじがらめになっているところが、秋幸に共感したんだと思う。 紀州サーガをまた読もうと思う。 262 彼は一人になりたかった。息がつまる、と思った。母からも、姉からも、遠いところへ行きたいと思った。あの朝、首をつって死んでいた兄からも自由でありたかった。
0投稿日: 2025.11.23
powered by ブクログ初めての中上健次。現代の作家の中では村上春樹だけを学生時代から通して読んできた。村上龍もいくつかは読んだ。柄谷行人はできるだけ読もうとしてきた。理解しているかどうかは別として。しかし、中上健次だけはどうも手が付けられなかった。いつかは代表作だけでも読まないといけないと思っていた。先日、渡邊英理著「到来する女たち」を読んだ。石牟礼道子の名前を見つけたからだ。そこで中上について深く言及されているわけではなかったが、もう機は熟したと思えた。さらに松本卓也と東畑開人の対談を読んだ。そこには、村上春樹と河合隼雄の対極として中上健次とラカンの名前が挙がっていた。もう読むしかないと思えた。図書館で借りて読んだ。僕が10歳のころの作品だ。 「黄金比の朝」予備校や高校での学生運動は僕より一つ上の世代の物語だ。やとな、インバイ、クサレオマンコ、故郷で一人暮らしをする母親のことをボロカスに言う。異母兄に対しても敵対心むき出しで、その存在を凌駕しようとしているかのようだ。赫い女は何のために現れたのか。特に話が展開するわけでもない。ただ親兄弟に対する思いを際立たせるための存在なのか。兄が除籍になった学校が東京大学ではなく「東京」の「大学」であることが何か大きな意味を持つのだろうか。松根善次郎はどうしてフルネームなのか。我が家でも朝トイレに入ると「なむみょうほうれんげきょ」と何度も唱えている隣の女性の声が聞こえてくる。黄金比が何を象徴しているのか結局分からなかった。 「火宅」いったいその男はどの男か。父は誰か。語り手は誰か。一番下の弟か。弟が何もかもを見ているのか。誰が母か。誰の母か。誰が火をつけたのか。誰が誰を殺したのか。結局、何も分からなかった。ただただ言葉に圧倒された。 「浄徳寺ツアー」なんとなく情景を思い浮かべることはできた。どうして男は自分の妻が出産するという日に他の女とセックスをするのか。女はどうして最終的に受け入れてしまったのか。自分の母の弔いに来ている身でありながら。年寄りたちの言動が微笑ましい。少女の初潮も象徴的だ。 「岬」石牟礼道子を読んでいる気分になった。土方、土方と何度も登場するからだろうか。土のにおいがプンプンする。血生臭い感じもある。近代化以前の話がここにはある。相手が腹違いの妹であると確信して女を買う男、どう思って女の胸に顔をうずめたのか。どう思って固くなったペニスを女の体の中に入れたのか。どう思って射精したのか。弦叔父は何をして生きているのか。酒だけで生きているのか。声だけで顔はほとんど見えなかったが、こういう存在が物語には必要なのだろうか。恵美は気が振れてしまったのか。兄が首をくくって死んだことと関りがあるのか。そういう血筋ということか。血縁関係はいったいどうなっているのか。小さな部落の中の近親交配があるのか。芳子はこの部落から脱出したということか。しかし紀州の思い出を繰り返し語っているというのか。もっと深く知っていくと感じ方も違ってくるのかもしれない、と思えた。 さてさて、正直言って、ものすごく面白い、ぜひまたほかの作品も読みたいと思えたわけではない。ただ、怖いもの見たさではないが、ガルシア・マルケスのようにあと2冊くらいは読んでみることにしよう。マルケスももう1冊読まないといけなかったはずだが、何だっただろう。
2投稿日: 2025.10.26
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
筆者の生い立ちから作り出された家族関係が複雑に描かれている作品でした。ラストに向かうにつれて姉がおかしくなっていってどう終わるのかと思えば、自分の血の繋がり全てを陵辱するために妹と交わるのは衝撃でした。
1投稿日: 2025.09.22
powered by ブクログぐいっと引き込まれるものがあります。 リアリティ溢れる描写は、作者の育った境遇が目の前に浮かぶようです。 それ故に、なかなかに辛く、救いがない。 どうにも乱暴になってしまう人達の性は、境遇によるもなのか。乱暴を乱暴のままにして許してはいけないと思う。 先に、紀州という著者のルポ?を読みました。 作者の育った土地や、そこに住む人々が、作者が洞察し、描いた作品のとおりであるなら、あまりに悲しい。そういう事実や性質がそこにはあったのだと思いますが、その他のものもあると思います。良いところ、明るいところも。 文学として、あるいはその境遇を残すという意味で、価値あるものだと思いつつ、個人的にはもっと希望や救いを生きる上で持つべきだと思います…それは理想主義的?けど、出てくる人々があまりにも呪いのようなものに縛られ過ぎている。 岬は紀州サーガの第一作目で、枯木灘、千年の愉楽へと続くようで、作者が育った境遇、土地をどう昇華していったのか気になるところですが、ひとまずおやすみしたい。
0投稿日: 2025.08.27
powered by ブクログ1975年芥川賞受賞作。人物関係がややこしくて読みにくいです。出自という避けられない事実に苦しむ人間について書いてあります。今の世の中で「多様性」みたいに言われることの、本当の姿というものがあり、それが憑依して書かせた文章なので読みにくいのも仕方ないという印象。
0投稿日: 2025.08.11
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
評価は岬について。 黄金比の朝 腹違いの兄弟、弟と斎藤は予備校生、のところへ過激派の兄がやってくる。弟の母は女将で、そんな母、そして女をクサレオマンコと嫌っている。喫茶店である女に出くわし占い師を探しているというが、老婆ですでに死んでいる、女は信じようとしない 火宅 男は喧嘩っ早くそれに兄はいつも従った。遊郭など二件火事を起こした。兄の家に男が来て、母が子を身籠った。その男は捕まり浮気してすぐ居なくなり最近死んだ。その子もまた喧嘩っ早く、何処の馬の骨かと騒ぎ嫁を殴る。嫁は出て行けと言う。 浄土寺ツアー 旅行社の男が主人公、知り合いの女、和尚、老婆達、白痴の子と父親で浄土寺へ行く。男は女とやる事ばかり考えているが、家では嫁が出産の頃だった。子供を何回もおろしてきて、もう限界だった。ツアーは女の母の自殺の参りでもあった。 いったいなにをしにこの世界に来たのだ? 生まれて、やって、死ぬためか? (心中を批判して)でも違うよ。母親ひとり苦しんで死んでいくの、たまんないわよ、一緒に死んでやればどんなにいいかと思う 岬 芥川賞受賞作。和歌山で土木で働く主人公。兄と姉がいたが、主人公は父が違い女に手を出しまくる。女郎の子供(主人公の妹)が近くの街で娼婦をやっている。兄は自殺した。姉は身体が弱い。叔父が酒を姉にせびりに来る。同じ職場の安雄が妻光子の兄を殺す。それきっかけに姉は体調不良になり、殺される、死にたいなどと言い始める。母は三回結婚し、最初の父の法事を今の夫の家でやる。母は兄に刺して見ろと言い、兄は何も返せなかった。母は叔父も怒る。主人公は妹の店に行き妹を襲う。妹が愛おしい。あの男(実父)の血が溢れる。 お前たちみたいにどろどろじゃない 秋幸には全てが疎ましい。母や実父には自殺した異父兄、発狂した姉を返せと言いたい。お前たちが犬のようにつがって滅茶苦茶やって、複雑な血縁をつくり、そのツケが子供に来ている。そう思う。 https://ja.m.wikipedia.org/wiki/岬_(小説)
0投稿日: 2024.11.11
powered by ブクログ私たちの人格はどうやって作られたのか。先天的に与えられた部分と、後天的に獲得した部分がある、と言われるが、おそらくはそのいずれにも当てはまるのが、時代、そして地縁・血縁だろう。私という存在は、この時代に、この場所に、この親のもとに生まれるほかなかった。どんなに新しい未来を手にしようとも、出自から完全に逃れることは不可能だ。一般的に言われるように、文学というものが、何らかの意味で書き手にとって「やむを得ず」書かれるものだとすれば、自分という存在の根源に潜行し、そこから言葉を立ち上げてくる小説が、文学でないはずがない。そういう小説、そういう文学に、青年期にこそ出会いたい。 中上健次は、一九四六年、和歌山県新宮市生まれ。一九九二年に四六歳で没するまで、故郷紀州の土地を舞台に、複雑な家族関係だった自らの出自を見つめる作品を書き続けた。それらの作品群は「紀州サーガ」と呼ばれている(「サーガ」とは、「一家一門の物語を壮大に描く長編の叙事小説」Wikipediaによる)。 『岬』は、一九七六年の芥川賞受賞作。翌年に出版された『枯木灘』はその続編。さらに後年出版される『地上の果て 至福の時』はさらにその続編。主人公ほか、登場人物も時間も連続している。螺旋的に繰り返し紹介されるその複雑な人間関係と、人間の根源が剥き出しの出来事を追いながら、これら三作読み進めていく作業は、文学と向き合うという行為が、生ぬるい娯楽ではないことを教えてくれる。中上文学にいつ入門するか。考えておいてほしい。(K) 紫雲国語塾通信〈紫のゆかり〉2016年5月号掲載
1投稿日: 2024.10.06
powered by ブクログ文学性が非常に高いということがよく分かるような深い文章を書いている印象。 国語の授業で読んだ芥川龍之介の「羅生門」を読んだときと同じ感覚になった まぁ、僕には難しすぎた笑
1投稿日: 2024.08.16
powered by ブクログ表題作『岬』を含む4編。どの作品も鬱屈とした雰囲気が漂い、特に『岬』は、血、血縁というものを嫌悪しながらも、その繋がりを希求するような、血縁を軸とした「家族」のありようを読み手(私自身)に突きつけてきてように感じました。 中上作品は初めてで『十九歳の地図』を読み、すぐにこの作品を読みました。著者のバックグラウンドについてはほとんど知りませんが、それを含めて、中上健次という人物、作品を知りたくなりました。『岬』を数時間前に読了しましたがこの感覚を誰かと分かち合い世界観に浸りたい。 (再読)(読書会課題本につき再読)照りつける太陽、土の匂い、迸る血や汗を感じる。中上健次には夏が似合うように思う。「岬」「枯木灘」「地の果てー」と再読したいが、時間と体力、気力が追いつかない。「火宅」は中上自身のことを描いているの?Help!!
0投稿日: 2024.08.07
powered by ブクログ紀伊半島の南部を舞台にした著者の経験をもとに書かれた表題作を含め四作の作品が収められている。どの話も重苦しく、特に「岬」は切っても切り離すことができない血縁に縛られた主人公の男の苦しさに、読み手側も辛くなった。 親族関係かなり複雑で時々この二人はどんな関係なのかと分からなくなる部分もあったので、「岬」は一気読みのほうがいいと感じた。個人的には「黄金比の朝」が一番面白かった。中上健次の他の作品も読みたいと思った。
18投稿日: 2024.08.04
powered by ブクログ表題の作品のパワーが凄まじい。思わずじっくり読み進めている自分がいた。さすが芥川賞受賞作品。短い文での状況説明や心象表現が特徴的で、戦後直後の朴訥とした荒めで不器用な男っぽさがよく出ているように思った。 「紀州サーガ」シリーズとして、同じ登場人物で同じ紀州で、また違った物語が展開するらしく、次の「枯木灘」も読んでみたい。
18投稿日: 2024.06.06
powered by ブクログ舞台は和歌山、田舎、インターネットも何もなく他の世界とつながりようもない時代。 閉じた人間関係、どろどろのしがらみの中での愛憎、ふりほどけそうもない。 主人公は土方の仕事が好きで、毎日汗を流して、精錬潔癖に生きれたらと思ってる。 でも自分に流れる血がそれを許さない、最後はあの男への復讐を遂げる場面で終わる。
0投稿日: 2024.05.13
powered by ブクログ(引用) 彼は、一人残っていた。腹立たしかった。外へ出た。いったい、どこからネジが逆にまわってしまったのだろう、と思った。夜、眠り、日と共に起きて、働きに行く。そのリズムが、いつのまにか、乱れてしまっていた。自分が乱したのではなく、人が乱したのだった。ことごとく、狂っていると思った。死んだ者は、死んだ者だった。生きている者は、生きている者だった。一体、死んだ父さんがなんだと言うのだ、死んだ兄がなんだと言うのだ。 * とことん下へ下へと潜っていくような気分。いろんなことが乱れたように事あるごとに思ってしまうのは、自分のせいであることを認める勇気がどこかのタイミングで必要だと思う。
8投稿日: 2024.01.21
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
ヒリヒリと痛い、どうか光の輪のような観音様がきて、全てを許すように優しく抱きしめてあげてほしい。逃れられない血の憎しみと哀しさと純潔さと。 彼とか男とか、三人称で話が進むのでパズルを組み立てるようにして読み進めた。 鳳仙花を読んだ後なので秋幸!お前だったんか!とか、美恵はまた子どもみたいになどと、それはもう正月に集まる親戚さながら。 読了後、なぜだかジブリ作品もののけ姫、病者の長のセリフが浮かんだ。 「私も呪われた身ゆえ、あなたの怒りや悲しみはよく分かる。(中略)生きることは誠に苦しく辛い。世を呪い、人を呪い、それでも生きたい。愚かなわしに免じて」
1投稿日: 2023.10.06
powered by ブクログ表題作をまず読んだ。 舞台は紀州。日常風景に主人公の親戚縁者が登場。読み進めていくうちに関係性が徐々にわかっていくが、最初はすんなり入ってこなくて何度かページをめくる手が止まってしまった。 だが、明け透けなセリフからは登場する人たちの体温がムンムンと伝わってくる。人の死が大きな事件に思えてこない不思議。むしろ大事件が起こるラスト3Pのために全てがあるように感じた(初見にて)。
0投稿日: 2023.08.28
powered by ブクログまさに紀南の夫の実家に帰省中、大勢の親戚たちに囲まれたり話を聞いたり、辿れば遠い親戚だったりする彼の地元の友達と会ったりしているときにこの小説を読んだ。 買ったのも夫の地元の鄙びた書店。 血縁のつながりの強い紀南の家族の在り方をちょうどリアルタイムで感じながら読んだので、物語の雰囲気はよく掴めたし登場人物が多くても没入しやすかった。 登場人物の方言も、夫のおばあちゃんのしゃべり方で脳内再生された。 ただ、中上健次は紀南の最下層を描いているので(男はもれなく土方で女はもれなく女郎、みたいな世界観)、「紀南は確かに田舎だが、いくらなんでもそこまでひどくはなくないかこの土地は?」とは思ってしまった。 『岬』以外に4作品入っているが、どれも登場人物が少し被っていたりして緩やかにつながっている。 全編に共通して言えることは、暗いのとミソジニーがすごい。 女はヤリまくる馬鹿だと思っているのだろうな…という描写ばかり。おそらく母親への屈折した感情から来ると思われるが、当然ながら読んでいて気分の良いものではない。 DVシーンも複数あり、それは複雑な家庭環境、血の濃さ、生きづらさゆえなのだろうけど好きにはなれない。 中上健次は生涯この生きづらさを克服できなかったのかが気になる。
1投稿日: 2023.08.14
powered by ブクログ朝日新聞の和歌山文学紀行での紹介本である。読んでみて、岬へ家族でピクニックに行くことと甥っ子がクジラを見に行くということで和歌山ということがかろうじてわかる程度である。最後が性交で終わる。
0投稿日: 2023.07.04
powered by ブクログこんな気持ちの良い天気の時に読まないと落ち込んでしまいそうな、一族のしがらみに生気を絡め取られる話。しかし,地方でなくても多くの人は本当は避けて通れないことだと思う。 人間関係が分かりにくく、何度か戻って読み直すことを繰り返してしまった…
0投稿日: 2023.04.10
powered by ブクログ一つの段落で時間軸が過去と未来で変わったり、一人称のようで三人称だったり、それでも読者が混乱せずに読める文章が不思議で、とても面白い作家でした。 よく南米文学と比較されるようですが、確かに肉感的で時間軸を自在に操る感じがガルシア・マルケスに似ている気がして、文章の存在感がグイグイ読ませます。 押し寄せてくるヒューマン・ドラマ、といったら月並みかもしれませんが、正にそんな作風です。
2投稿日: 2023.04.03
powered by ブクログ真の意味での身寄りがあるようでない、 そこにいるようでいない、 ただ梢を揺らす木のようにして佇む若人の運命は非情でグロテスクだった また彼の搾り出したかのような復讐は結局は空虚なものにすぎなかった 全体を通して「む、難しい、、、」と感じっぱなしだった はっきり言えば『岬』に関しては、自分の中での感情移入および心の揺れは大して感じられなかった もちろん大枠としての彼の「地理的にも血縁的にも閉ざされ縛られることへのどうしようもない憂鬱」のようなものは感じられるが、今の私には秋幸の心の機微は完璧には解読し難い 偏に想像力不足、偏に感受性不足なだけかもしれない、だとしたら本当に憂鬱だ そもそもの文章構成も難解で、定型を破壊しているとも言えるが、単に読みづらいと感じる人も少なくないだろう 加えて、 「『卓袱台』という漢字が読み書きできるようになったことがこの本を読んで最もよかったと思える点である」、そう言いたくなるほど本文に登場する漢字でも躓いてしまった おそらく私の漢字弱者っぷりも影響しているだろうが、それでも現代の漢字使いとは大きく異なる文章に翻弄されることも多々ありその都度調べてなんとか読み進めなければならなかった ここからは短編ごとの感想を述べる 『黄金比の朝』 この短編を読み終えて初めてこの文庫本が短編集なことに気づいた(遅すぎる) 「女」は大義を掲げる兄から下らない人間の一面を引き出す要素なのではないか やがて「ぼく」は自分も兄や社会と変わらない中途半端な存在であると理解し歓喜する 『火宅』 燃え盛る家屋のように男の運命は尽きる あまりに複雑な人間模様に圧倒される そして「彼」も同じく血と運命には抗えず、、、 兄だけが良い人 『浄徳時ツアー』 老若幼の要素がそれぞれある、私自身は若者の分類に入るからなのか、老人の方々の溌剌さに羞かしささせ感じ度々憤った 終盤にかけての畳み掛けがすごい 人生で何度も読み、振り返りたくなる作品だろう 『岬』 秋幸は「解放」されたのか?おそらく違うだろう、彼が異母妹と姦ることで彼は救済されるどころか憎っくき「あの男」と完全に同化してしまった 救済の術を知らないあたりも田舎ならでは、、、
2投稿日: 2023.01.16
powered by ブクログどうしようもなく暗い。救いがない。系譜としては長塚節の『土』の系列。ただ、地主から見ていない確かな土着性と現代性がある。本来『暗夜行路』の主人公だって、こういうふうにねじれてもおかしくないはずである。 生き変はり死にかはりして打つ田かな 村上鬼城 という俳句を思い出す。 「岬から山にあがったこの墓地に葬られている人々は、昔から、水は、雨水を飲み、海がすぐ目と鼻の先にあるのに船を着ける湾がなく、漁もできずに、暮らした。山腹を開いて畑を打ってくらしたのだ。」という文章が示すものはそれだ。 角川春樹と中上健次との対談で、角川春樹は熊野が褻の土地である、すなわち再生を孕むのだと指摘する。この峡暮らしに近い形がこの作品の本質で、個々人の境涯に落とし込んではならぬのだろう。(余談だが松本旭の指摘するように、村上鬼城においても、風土性の指摘が大事な所以である。)
0投稿日: 2022.12.26
powered by ブクログとても複雑な血縁関係。どれも中上さん自身をモデルにされているらしく、母親が複数回結婚している人で、母親と初めの夫との間に出来た姉、兄、母親の今の夫の連れ子であった血の繋がらない兄がいる。そして主人公自身は母親と“あの男”と呼ばれている悪名高い男との間の子で、主人公には腹違いの同い年の異母妹が二人いる。母親は主人公がお腹にいる時にそのことを知り、その男とは別れ、しばらくひとりで行商をして四人の子供を育てたが、男手一人で男の子を育てていた今の夫と出会い、まだ小さかった主人公だけを連れて再婚した(四話ともどれも同じような血縁関係なのですが、「岬」に焦点を当てて書きます)。 この親族関係がドロドロの濃い関係で…。母親との血でしか繋がっていない姉達との憐憫を伴った絆。優しかったが、主人公だけを連れて再婚した母親と主人公を憎み、何回も母親と主人公を「殺してやる」と包丁で脅した挙句、首吊り自殺をした兄。全く血は繋がっていない、今の戸籍上の兄との絆。優しかったが、亡くなってしまった母親の最初の夫(姉達の父)の思い出。アル中である叔父(姉達の父の弟)。 一族は土方仕事の請負業者をしていて、汗と土にまみれた厳しい仕事である。仕事をしながら、仕事終わりの酒盛りをしながら、下ネタだらけの会話が飛び交う。主人公自身はそういう会話には極力加わらず、性に合った土方仕事に黙々と励んでいる。主人公の本当の父親は、地元の地主たちから山林を巻き上げた成金で悪い噂が絶えないが、それでもその息子である彼のことを親族たちは結構可愛がっている。けれど、主人公はいつもどこか居心地悪く感じている。「俺には“あの男”の血が半分入っている」ということを拭いたくて仕方ないのに、“あの男”との類似点ばかりを意識してしまう。そして、娼婦をしているという異母妹に「会ってみたい」という衝動にも駆られる。 逞しい母親を中心としたどちらかというと女系家族だからか、求心力は強く、例えば母親の初めの夫の法事に対する母親や姉たちの思いれとか、そこに直接繋がりはないのに協力してくれる義父や姉達の夫の懐の深さとか感じられるのだが、みんな根が弱いのか、お酒が入ると、親族を刺し殺してしまったり、法事の場で暴れ回ったり、自殺騒動を起こしたりというどうしようもないドロンドロンの世界。 最近読んだ、川上未映子さんの「夏物語」には、「父親が誰でも関係ない。育てるのは女なんや。」というようなセリフが出てきたり、どうしても自分の子供が欲しいから匿名の男性の精子提供を受けたりする女性の正当性?のようなことが書かれていた。また、逆に非配偶者間人工授精を秘密にして出産し世間体を保っている事例も書かれていた。しかし、中上さんの作品のこの小説を読むと、いやいや人が生まれて、生きて死ぬということは血なまぐさいことなんだ。どんな父親であっても「知らなくていい」ということはないんだ。たとえそのことでどうしようもなく傷ついたとしてもその事実と一緒に生きていかなくてはならないんだと思った。また、こういう問題は男性視点で書くのと女性視点で書くのとでは全然違うのだとも思った。 脱線するが、やはり文学って人間にとって必要だと思う。例えば出生の問題でいうと自然科学が進歩し非配偶者間人工授精が可能になったことで、恩恵を受けた人も沢山いるが、その手段を利用することが時と場合により正しいのか正しくないのか白黒つけるのが社会科学である。だけど、“自然科学”にも“社会科学”にも救われない人間の気持ちというのがある。文学はそれを“救う”とまでは簡単には言えないけれど、進歩し続ける文明の中で置いてけぼりにされる人間の心に寄り添うために“言葉”を使う立派な人文学だと思う。
61投稿日: 2022.10.22
powered by ブクログ『黄金比の朝』 “心を研ぐ”ここでは、心を研がれる。そんな言葉がピッタリの小説だ。 わたし、という存在をみんなどうやって定義づけていくのか。それは、一人称で描写される物語を読むときの命題で、一人称で生きる全てのひとの生の命題だと思う。“自分探し”はもう死語になってしまったか、古くて気恥ずかしい手垢にまみれた言葉で片付けられてしまっているかもしれないけれど、どんな言葉で言い換えようとも、結局のところは、生きている限り、“自分探し”を続けることになるんじゃないか。と思う。 その過程には、原体験が伴う。 わたしをわたし足らしめている人間関係、風景、世界との結びつき、それら過去。 宇宙みたいだな。と思う。 そこでは、幾人かの、自分にとって、意味を持つ人が住んでいて、サッカーボールとかドレスとか、ペットの犬とか、札束とか、気になっている人とか、ノート何かが、ほんと出鱈目なサイズで同居していることになる。眼には見えないけれど、それでも確固として存在し、わたしたちに影響を与えているもの。 それもわたしたちの内側で。 ハリケーンみたいだな、と思う。台風ではなくて。窓ガラスを揺らして、窓に雨を叩きつけるこじんまりとした台風ではなく、牛とか、コンバインとか、家とかが等しく巻き上げられている、あのハリケーン。 血こそ流れはしないけれど、鋭い痛み、傷のない痛みにさらされながら、そこを多くのおとなが潜り抜けていったんだろう。 “まじめに、まともに生きるってこと” それが“ぼく”の世界での金科玉条だ。 そのことが、その他大勢と“ぼく”とに一線を画している、決定的な違いだ。 一般的な同年代が「女、車、麻雀、競馬、ホットロック、オートバイ」に熱中しているなか、予備校と夜勤のバイトとに打ち込む。 部屋が美しい。チェゲバラのポスターに、カーテンのない窓、机、布団、勉強道具、公休の印が付いているカレンダー。“必要なもの”以外は何もない。その部屋はどこか“ぼく”の剝き出しの魂を象徴しているように思わせる。 計算までもが、びっしりと活字のように記されているノートも、おそらくは一張羅のジャンパーのポケットに入っている英単語の単語帳も。潔癖で、余計なもの一切をこそぎ落としたような無垢な魂。 わたしは「あ、羨ましいな」と思ってしまった。そんな言葉が浮かぶということは、詰まるところ、「甘え」ているような気がするから。世俗的なものに対する鬱陶しさと、それを感じながらそこに縋り、依存しながら生活している自分への嫌悪を誘われる。言い訳がましい、日々の生活にだ。生温い湯船に浸かりながら、冬の真水へと飛び込んでいけたらどれだけいいかと嘯いているようなものだ。 どこにこれほどまでの、鮮烈さがあるのだろうと思う。言うなれば、孤独で、単調で、削りたての鉛筆の芯の先のような生活を支える心は、どこにあるのだろう。どこから噴き出してくるのだろう。 自分にべったりと取りついてしまって離れない“余計”、皮膚に癒着してしまった、それらを、無理に削れば血が噴き出すと分かっていて、それでも彼を知ってしまった以上、そうせざるを得ない。 それほど、心を捉えられた潔癖さだった。 媚びるところも、寄りかかるわけでもない、完全調和。 そんな精神性に憧れる。 そこへ闖入者が突如として舞い込む。 それが“兄”だ。“兄”は希望だったが、もうただの兄になっている。弟である“ぼく”の人生の途上で、いつも背中を見せ、その先を歩いていた兄が、いまやその一直線に続くはずの道から転がり落ちて、革命を志す怪しげな活動家になっている。兄には失望している。それで兄を否定否定せざるを得ない。愛しているからこそ、他人ではないからこそ、否定せざるを得ない。 が、“ぼく”にとって、兄はこの世界で甘えることのできる唯一の存在になっている。 母親から泣きごとを言われて、母親の苦しみに触れ、目の当たりにしてきた子どもは、謂わば、甘えることを拒否され、拒絶され、歪な感情を母親に抱いていく。そんな経験をした人には、執拗に女を憎み、その内に女を求める気持ちを発見しては嫌悪するんじゃないかと思う。 “ぼく”が目の当たりにしたのは、やとなとして、売春婦として、女を鬻ぐひとりの女が母親であったという現実だった。汚らわしい、汚らしい、といくら心で罵っても、その母親の手によって、今の生を支えられたというのが、彼の存在に関わる矛盾になってしまって、どうしようもなく絡みついてしまっていた。彼は身の引き裂かれるような、自己否定をせずにはいられない。「女なんて死ねばいい」と、性的な一切を自分に禁じ、女を憎んでいる背景には、母親への、悲哀にとってかわった憎しみが潜んでいる。女に絶望している彼は、同じ分だけ自分にも絶望している。だから「まっとうな」人間になりたい。それは、女を必要とせずとも生きていける、性に左右されることなく歩いていける無性的な、石ころや木のような無機質な強さを欲して止まないのだろう。 わたしは、にこやかに、異性とチャラ付いている人間を見ると、やっぱり虫唾が走る。それは妬みでも僻みでもない。本質的な嫌悪だ。この気持ち悪さは何なのだろう。性蔑視ではない。性欲に突き動かされる男に醜さを感じ、そんな醜い男の性欲を欲する女の性欲というものも、同じように醜く目に映るのかもしれない。なんだ、この慰め合いは、なんだ、この茶番はと思う。 毎日、決まった時間に、三時間もお経を唱える、人間的な行為を伝える、松根善次郎・喘ぎ声をぼくの部屋まで響かせる性の営みを伝える鉄工所の女房、「この世は地獄ですよ」と独り身の寂寞を伝える管理人の堀内みきと、惰性の権化のような三浪の斉藤・女・兄のいる現実とその風景から、無数の生の側面を眺める構図がいい。 それで、劇的な展開がないのもいい。最後、鏡に向かって挙手し、鏡に映った自分を肯定できた彼は、なんだろうか、兄の言葉、「テロってやれ、革命してやれ」に背中を押されたように見える。事実、彼の内面は、世界を睨み付け、だが、武器を持っていない、中途半端なテロリストのようなものだった。が、最後の場面、物語の一連は、二日間の出来事だったが、彼の心の中で、一気に暗く湿った、呪いのようなものが、彼の生を前へと進める昇華へとつながったように思える。 それは飽和を思わせた。 ひとりという器のなかに、ありとあらゆる、が詰め込まれて、煮詰まって、きっかけを得て自走を始める。 ここまで書いてみて『黄金比の朝』とは絶妙なタイトルに思えた。 晩には移ろって、変わってしまう心持ちかもしれないが、結局のところ、そのような朝晩を繰り返すのが生というものなのだと、わたしは思った。
3投稿日: 2022.09.16
powered by ブクログ欲望と性、暴力、呪われた血縁。どうしようもない話。 人間というものを正直に描こうとするならば、他にどんな方法があるっていうんだ?とでも言いたげな、ある意味での真摯さと、だからこその閉塞感。
1投稿日: 2022.07.21
powered by ブクログ「黄金比の朝」 むずい。。が、英単語とイメージの羅列、多和田葉子の短編を思い出す。世界との距離感を身体に叩き込む、確認してゆく感覚 冒頭めっちゃいい
0投稿日: 2022.07.12
powered by ブクログ家族関係が複雑で完全に把握するのは難しかったが、田舎の凝り固まった人間関係と、そこから逃れるのは難しく、どろどろした感じがよく伝わってきた。
0投稿日: 2022.06.27
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
「岬」路地三部作の一作目。自殺した兄と同じ二十四になった秋幸の、なにかが狂い始める。誰が悪いのか。俺を産んだ犬畜生だ。だからぶっ壊してやる。俺の血に関わるすべてを壊すために、あの男の娘を、この俺の実の妹を凌辱してやる。 「火宅」私小説的な、路地シリーズにつながる短編。“男”とつるんでいた兄の眼を通して、かつての男の行いを追憶する。その暴力性を現在の俺も受け継いでいる。その男が死にかけているらしい。どこの馬の骨とも知れない男。俺の父。俺のほんとうの父。あの男は、俺にとっていったいなんだったのだろう。
0投稿日: 2022.06.02
powered by ブクログ二度目にして目を洗われた。 これだけ複雑な血縁関係を背景にして、よく筋の通った物語を書いたもんや。 二つの頂点で高く釣り上げた分、物語の幅が出ていて、それを複雑に入り組んだ登場人物で固め、それが力強いうねりとなってる。 方言によって土地に吹く風を与え、それになびかない人間関係を描くことによって、逆にその土地に根付いた地場の力を表現しているんやと。 テーマがあまりに近く感じるのは、偶然なのか著者の力量なのかわからんけど思わず自分の血縁を振り返ってしまう。
0投稿日: 2021.06.26
powered by ブクログ芥川賞を受賞した表題作である「岬」など4編を収録。 いずれも面白いという感想には至らなかったが、まさに純文学という感じは受けた。
0投稿日: 2021.04.11
powered by ブクログ私が近所の図書館(再開されました)で借りた本は、ハードカバー版なのですが、ブクログで見付けられなかったので、文庫版で登録しました。 文藝春秋(0093-303612-7384) 1985年7月15日 第16刷の版です。 収録作品は、「黄金比の朝」、「火宅」、「浄徳寺ツアー」、「岬」で、一応文庫版と同じように思います。 中上健次さんのことは知らなかったのですが、芥川賞を受賞した、「宇佐見りん」さんの好きな作品のひとつに、「岬」があるのを見て、興味を持ちました。 ただ、私が読んだ作品は「かか」のみで、「推し、燃ゆ」は未読ですので、あしからず。 「かか」もそうでしたが、この作品で印象的だったのは、家族がもたらす、切っても切れないような関係による悲喜劇や、濃厚さを感じるくらいに付き纏ってくる血縁の存在感です。 特に、表題作の「岬」が圧巻で、主人公の「秋幸」には何人かの兄や姉がいるが、それぞれと母親は一緒だが、父親は異なる。そして、その父親は非道い男で、兄は姉の一人「美恵」が住む家で自殺し、美恵は父親と兄を失ったことを自らの罪であるかのように、悩み苦しみ、母親からの愛情をあまり受けられなかったと思っていることも、それに拍車をかけていて、次第に病んでいく姿が痛々しく感じられました。 そんな美恵を見て、秋幸もまた悩み苦しみ、最初は、なんで既にこの世にいない父や兄に、現在生きている美恵の人生が左右されてしまうのかと思っていたが、それは視点の違いで、美恵からすれば、美恵だけの思い出があって、更には、母が秋幸だけと同じ家で暮らしたことによる兄の怒りが、自らに帰してしまった悲劇を、今も生き続ける姉の美恵が背負うのは、それこそ強迫観念ではなく、血を分けた家族だから当然そうするのだということを、誰が止められようか。 そこに、兄と美恵、秋幸との間には、父親が違うという(今だったら、もう少し柔軟で多様な考え方も出来るかもしれないが)、確かな流れている血の違いを思い知らされて、秋幸自身は、自分の人生が突然楽しくなくなったのも、美恵のせいではなく、ろくでなしの父親のせいだと、矛先を変えていく。 やはり家族の中の、血の繋がる、繋がらないという様々な血縁関係は、かけがえのない大切なものであると同時に、恐ろしさもあるし、悲しみも生まれうるということには、やるせないものも感じましたが、それだけしっかり向き合うべきものなのかもしれない。 他の作品も含めて、すごく家族間としての人物描写に繊細かつリアルで、情感強いものを感じました。
14投稿日: 2021.03.29
powered by ブクログ血生臭い表現であるのに、温度がない。 薄暗い日本的(昔の)田舎を感じる。 岬に限らず、血縁、地縁、一族的考察はどうにも暗いテーマである。
0投稿日: 2021.02.14
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
『推し、燃ゆ』で芥川賞を受賞した宇佐美りんさんが、受賞インタビューで好きな小説家を聞かれて、中上健次と答えていた。買って読んでいなかった『岬』が家にあったので、中上健次ってどんなもんだろうと軽い気持ちで読み始めた。中上健次を読むのは初めてだった。 そしてあまりの男くささに驚いた。 次々に変わる情景を的確に描写してゆくスタイルで、僕が読んできた小説家の中では一番テンポが早い。登場人物がどんどん増えていく。野暮ったい説明がなく、リズムがいい。そして内容が凄まじい。 岬には4つの短編が収められているが、どの作品もどぎつい内容になっている。抗えない血筋に対しての嫌悪感が全開で、なんとも男くさい作家だ。ただ登場人物が多すぎて、誰が誰だかわからなくなるときがある。何度か読まないと把握できない。 『黄金比の朝』 左翼の兄が、予備校生のぼくの家に転がり込んでくる。道で出会った風俗嬢に頼まれ、兄や友人と共に占い師を探す。登場人物が少なく比較的わかりやすい。クサレ〇〇〇〇という今の時代なら規制をくらうだろうパワーワードが頻出する。主人公の母も風俗業の従事者で、その母が貰ってきた食べ物を食べて育った主人公は母を嫌い、自分自身も穢れていると思っている。感情表現がストレート。兄とはことあるごとに衝突する。親父がオートバイで木に激突して死んだ設定。 『火宅』 町に放火して回る無法者の男。どこからやってきたのかわからない。大柄な男で、ふらっとやってきてはどこかへ去っていく。僕の母親を孕ました後、別の女を2人孕ませて僕の母親から縁を切られる。その男の、子供であるぼく目線で、僕が居合わせなかっただろう幼少期の場面が語られる。幼いぼくの兄は男について回っている。「黄金比の朝」より誰が誰だかわからない。妹や伯父が多すぎる。「黄金比の朝」より内容がよりダーティに、書き方もより不親切になっている。後先を顧みない、暴力的で放火魔なその男の血が僕に引き継がれている。成人して家庭を持った僕は暴力で妻を脅す。田舎のじめじめした感じ、あるいはからっとした荒廃さみたいなものが伝わってくる。家の中の描写なのに路上のような放り出された感がある。男、つまり僕の親父は歳をとって老人になって、オートバイで切り株に激突する。あばらは砕け顔面はぐちゃぐちゃに。「黄金比の朝」と共通している。四作のうちで唯一実の父親について詳しく書かれている。いい意味で最もひどい内容の作品だと感じた。男の描き方がとても上手く、突き抜けている。男は無法者の犯罪者なのだが、同時に畏敬の対象というか、なにか神秘的なものも感じる。語りも幻想的でいい。 『浄徳寺ツアー』 旅行会社で働く男。自ら組んだパッケージ旅行、「浄徳寺ツアー」で爺さん婆さんの相手をしながら思うのは、同じく参加してきた由起子との夜の不倫のことばかり。今度はおばあさんが多すぎて登場人物がわからなくなる。今頃は産まれているかもしれないな、と自分の子供を他人事のように考える。男を支配しているのは性欲。家庭のことなどどうでもいいのだ。 「実際、子供などどうでもよかった。子供など親の快楽の滓にしかすぎない。滓が、親の足を引っぱる。足枷をはめる。」どぎつい、身もふたもない表現。 血筋に関する言及があまり無い。四作のうちでは最もおとなしい作品だった。 『岬』 土方をしている主人公。家族関係は他の話と同じでもの凄くややこしい。登場人物も多い。ある日親戚の光子の旦那である、安雄が、光子の上の兄である古市の足を包丁で刺して殺してしまう。ショックで病気が再発し、発狂する異父姉・恵美。四作のうちで最もドラマ性が強い。その割にはどぎつい表現自体はなりを潜めていて、この控えめさゆえに芥川賞に選ばれたのかなと思った。まぁラストでやはりどぎついものが来るんだけど。個人的には火宅>岬=黄金比の朝>浄徳寺ツアーの順で気に入った。
3投稿日: 2021.01.31
powered by ブクログこの作者を知ってこそ面白くなる作品なのではないかと思った。 出てくる登場人物はとても似通った性質を持っていて、それだけこの作者の想い、特に父への愛憎が痛烈に伝わってきた。 家族という小さな社会へ縛られる作者が、まわりの出来事を通して描かれていた。
0投稿日: 2021.01.13
powered by ブクログ比較的読みやすい純文学。 クソみたいな男は今も昔も存在するんだなと 複雑な形の人間関係模様が生々しかった
0投稿日: 2021.01.10
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
昭和の複雑な家庭が描かれた四編。 混み入った血縁関係による葛藤や苦しみが、この本の大部分を占めている。生まれた場所、逃れられない血の繋がり、若さによる暴力的なエネルギーに否応なく巻き込まれた。 一人一人の濃厚な人生が絡み合っているので、主人公とは別の人物から見たらどんな世界なのか読んでみたい。
0投稿日: 2020.11.23
powered by ブクログ登場人物の縦と横の関係がよく分からなくなる事もあったけど独特の世界観があって面白かった。 ある意味唯一無二。 たまに読みたくなる作家のひとりかも。
0投稿日: 2020.07.25
powered by ブクログ【岬】 人物の関係性が入り組んでおり、なんども確認しながら読んでいく。その確認の蓄積がリアリティというか、物語の強度につながっているような気がする。このような手法はガルシアマルケス百年の孤独とか、フォークナーからの影響だろうか。血縁が大きなテーマとなっており如何ともしがたい繋がりへの葛藤が生々しく描かれている。ラスト数ページの迫力に圧倒された。
1投稿日: 2020.04.15
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
中上健次という人物に興味を持ったのは、重松清の作品「世紀末の隣人」の中に収録された「夜明け前、孤独な犬が街を駆ける」という文章を読んだ時でした。この文章の、現実とフィクションの交わり具合が、物凄く、こう、切迫していたのですよね。 とある人間が、とある文章を書き、その文章が、別の人間に影響を与える。もしかしたら、現実にも影響を与える、かもしれない。卵が先か鶏が先か。現実はフィクションを凌駕するのか。そういう切迫感。そういう感じをヒシヒシと感じさせてもらえた、と言う意味では、重松清さんの引用感に感謝、なのです。 で、ずっとこう、気になる存在だった、中上健次さん。その作品、ドキドキしながら初めて読んだ訳ですが、いやもう、これ、しんどかった。バチバチにしんどかった。読み進めるのが。ヘヴィーです。重いです。ドロドロしてます。グログロしてます。正直、めちゃんこ、しんどかった。それでも、なんらかの、「こりゃもう凄いですね。半端ないですね」感がビシバシとあったんは、そらもうさすがです。読んだ甲斐はありました。間違いなく。 似た感じを上げるならば、車谷長吉さんの作品と、似てるなあ、って思いました。ドン詰まり感が。のっぴきならないヤバさが。車谷さんの小説の方が、より老成した感じがあり、この作品の方が、若さ、的な何かを感じたところはありますが、まあ、それは自分の感じ方だなあ、人それぞれ、感じ方は別なんだろうなあ、と思う次第です。 黄金比の朝 学生運動ってなんだろう?と、そんな感じを受けました。その時代をリアルに生きた人々でないと、その時の「本当にリアルな感じ」は、理解できないんだろうなあ、、、と思っちゃったので、ゴメン。って思ったのです。この作品の若さは、なんだか、凄い好きですが、ヒリヒリ感はビシバシに感じたのですが、「どうしようもないリアル感」は、わからなんだ。すまぬ。 火宅 怖い。こう、生きていくうえで、こんなに切迫して「当然のような犯罪」が身近にある環境で、生きた事ないもの。怖いです。なんでそんなに当たり前に放火するのか。人が死ぬのか。圧倒的にDVするのか。怖い。無理やわ、、、って思いました。 浄徳寺ツアー ビックリするほど、ほのぼのしてるなあ、、、って感じました。ほのぼの加減の裏にある、とんでもねえ嫌さ、怖さ。でも作品は、なんだか、ほのぼの。そらもう怖いです。暴力振るっても、どないかしたいくらいに、人ってセックスしたいの?って思うと、やれんなあ、って思うのだが、そうなんだろうか。怖いです。いやもう、怖いです。あんな感じは嫌だなあ。という感じでした。パネエですね。 岬 血の繋がりって何なんだ?としみじみ思う作品ですね。不思議です。人間だからこそ、こうした血の繋がりの理不尽さ、不条理さをシミジミと感じるのだろうなあ。知性って困ったものだ。でも、知性があるからこそ、こうした作品を生みだせるわけであって。全てを笑い飛ばせる価値観を持ちたいものですが、そうなるには、月日がいる。血の繋がりってなんというか、凄いですね。凄い変な感想でしょうが、この作品を読んだことで、逆に、親や兄弟や親戚を、大事にしたいな、って思いました。大事にしたい、というのは語弊があるか。ちゃんと認識したいな、って思った感じか。自分のDNAを考えることができる。それは、ある意味、幸せですね。
0投稿日: 2019.02.04
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
どうしようもないことがある。特に出自は人間としての不公平を感じる最たるものだろう。 それに対する怒りと戸惑いを文学に昇華させたのが中上健次なのだろう。 複雑な出自、過去、兄弟関係。「彼」を血によって追い詰めていく展開は、圧倒的な息苦しさを思わせる。 そして、血によって復習をするが、「愛しい」と感じ戸惑い、物語は終わる。 復習の物語なのか、人間への賛歌なのか。この不条理、文学の可能性を感じさせてくれる一編。
0投稿日: 2019.02.03
powered by ブクログ以前、酔っ払って新幹線に置き忘れたので古本屋で再度購入。まだ読んでいなかった最後の中篇「岬」を読む。読み応えはある。ただ何か独特の世界(血縁関係ややこし)が腹に落ちてこない。次の長編も読んでみるべ。
0投稿日: 2018.11.05
powered by ブクログ「黄金比の朝」 父親はオートバイ事故で死に 母親はインバイとなって生計を立てている 浪人生の「ぼく」はそれを軽蔑して連絡もとってない 安い下宿からバイトに通いつつ勉強している よくわからないが事件の多い町だった ある朝 自分語りに酔いしれる馬鹿女と、それに共感する負け犬の兄が 「ぼく」の部屋に寝てるのを見て なぜか愉快な気分になる 「火宅」 兄は、赤の他人であるその男に憧れ、つきまとっていた そのうちになぜか母親が妊娠する そして生まれた弟は、異父兄弟 兄は若くして自殺し 実の父に似て凶暴な弟は、おそらく父より孤独なサイコパスだった マジックリアリズムを模倣するテイでそれを描いたことは 今後顧みられるべきだと思う 「浄徳寺ツアー」 寺の檀家の老人たち 知的障害を抱えた娘とその父親 母を自殺で失った女、その遠い親戚にあたる住職 それらの人々で企画されたツアー旅行だった 妻の出産日を振り切ってこれに同行する添乗員は 愛人とのセックスで頭がいっぱいだった だが避けえない現実の死の話 圧倒的に話の通じない他者としての知的障害 そしてなぜか憂鬱を隠そうともしない女 見たくもないものに取り囲まれて苛立つサイコパスだった 「岬」 甘えが他者の憎悪を生み、憎悪が他者の愛情を生み 愛情表現がまた甘えとなる不毛な円環構造 とはいえ不毛であるとしても そこへの帰属が社会的承認になるもんで 疎外された奴は焦り、不安になり あるいは嫉妬の炎を燃やすことにもなる それらをめぐってのすったもんだに嫌気がさし 家を飛び出していった青年が そうすることで、実の父親と縁が切れると思ったのか 腹違いの妹と近親相姦に至る話 まあ妹はふだんから売春で生計をたててる人だし その上、兄の存在も知らされてないらしいんだけどね
1投稿日: 2018.08.12
powered by ブクログ「岬」には、James Joyceの短編集「ダブリナーズ(ダブリンの人々)」のなかの1作「死せる人々(The Dead)」との関係性を強く感じる。 例えば、一族の物故者の影や息使いが、普段は姿を見せないものの、今を生きる者の言葉や立ち居振る舞いその他の様々な所作において、それが姿を現し、なおかつそれが明確な映像や音声となって立ち現れる場面しかり。 そしてアイルランド人としてのアイデンティティからの逃避欲求があり、しかしそれに絡めとられ纏わりつかれも逃れられない宿命のようなものを改めて意識する場面しかり… 他の3作品の通俗的な完成度から比して、中上健次がある日ジョイスの作品に出会い、そしてダブリンから紀州へとの劇的な翻案と、中上のなかに眠る自己の地縁血縁に関する物語性の抽出と進化(深化)か突然変異的に起こったものと推測している。
2投稿日: 2018.05.12
powered by ブクログ濃い。息苦しいほど濃い。質量を持つ粘着性ある文章が纏わり憑くようだ。上原善広著『日本の路地を旅する』で中上健次氏の存在を知ったが、彼自身に流れる「血」のどろどろと濃厚で噎せ返るような強烈なにおいが漂う。果たして饐えた臭いか鮮麗な匂いか、それは読み手次第だ。私は後者であった。 段落を排し圧倒する文章と、受胎を「性交の搾りカス」と表現する鮮烈な感性が描く「血筋」を巡る複雑な人間模様は、そうしたものに憤り苦しんだ者しか生み出せない独特の空気感を持つ。彼自身、被差別部落出身であり、その特殊な世界で培った感性で以て人と人との生のぶつかり合いを描き出す。ストーリーらしきものはほぼない。だが読者を惹きつける引力はなんであろう。例えばゴッホのように命を削って作品を生み出す者の「才能」を見せつけられる作品である。
2投稿日: 2017.12.26
powered by ブクログ芥川賞受賞作「岬」を読む。冒頭からしばらく人物関係が錯綜気味。正しく理解するのは簡単ではない。が、読み通していけばわかる。理解してからまた冒頭へ戻るなり再読することになると思う。ここは正直不親切に思うが、それを不問にさせるだけのパワーがこの作品にはある。村上龍が芥川賞の選考の際、求める水準をこの作品としているらしく、とすればあの辛口評もわからなくない。自分自身も村上春樹「1973年のピンボール」が落選している。というのを目安にしていたんだけど、そうするとどうしても厳しい評になりがち。この作品はとにかく重い。日本におけるある意味でほぼ最強の素材を、当事者発信で土地に縛られた土着の人々の生態を描いている。ガルシア・マルケスなどの作品に通じるところがあると感じた。文学ならではの印象であることは確かで特別な作家だったのだなということがわかる。
0投稿日: 2017.12.18
powered by ブクログ震える文学。くすぶる地と血、そこから生まれる新たな生の漲りのような物語。 どれも良かったが特に表題作『岬』は群を抜く。閉塞するような仕事と複雑な家族関係、土地のしがらみのなかで生きる主人公と、中盤の事件からラストにかけての言葉の奔流に呑まれそうになる。 理解できたとは言いがたい、飲み下すので精一杯の読書だったが、これは何度でも再読したい小説。私の中の苦しみと、この小説の中にあるものは、とても近い気がする。
0投稿日: 2017.07.22
powered by ブクログお気に入りでもある「黄金比の朝」についてだけ述べたいと思う。 これは「西遊記」をモチーフにしたのではないだろうか。赤い服の女が三蔵法師であり、この女性に従って「ぼく」、兄、斉藤の計四人の一行は神言を求めて占い師の家、つまり天竺を目指すという話だと思うのだ。 ただし、この話と「西遊記」の決定的に違う点は、話者である「ぼく」はあらかじめ神の不在を認知しつつ、それでも無言で旅に参加するという点である。そしてやはり一切は徒労に終わるのだ。 イカしてる。
1投稿日: 2017.05.25
powered by ブクログ久々に読み返したけど、うーん、やっぱり文体が生理的に合わないなぁ。そもそも家族だ、血だという懊悩が個人的には迫って来ないんだよなぁ。なので全体的に話についていけない。個々の描写はハッとするものがあって好きなんだけど...。
0投稿日: 2017.05.12
powered by ブクログレビューを書くのが遅くなってる間に印象は忘れた。 黄金比の朝 予備校生の主人公のもとに、大学を追放された左翼学生である兄が転がり込んでくる。友人と兄と三人で喫茶店にいるところに、ちょっと頭のおかしい感じの見知らぬ女が合流する。女は死んだ兄と行方知れずの妹の居所を聞くためにに占い師の女の家を探しているが、占い師はすでに死んでいる。主人公は「火宅」や「岬」と似た境遇で、母は売春婦、兄とは父親が異なっている。 火宅 呪われた血筋を描いたような。血がつながっている父親のことは父親とは思えない。 浄徳寺ツアー これだけ異色。小さい旅行代理店の社員である主人公が、ツアーで寺の檀家の老人たちを引き連れて歩く。その中に白痴の娘もいる。 岬 主人公は兄と二人の姉とは父親が異なる。兄は自殺した。母親は主人公の実父とはすでに別れ、別の男と結構している。連れ子もいる。主人公、母、母の夫、母の夫の連れ子の4人で暮らしている。実父はときどき姿を見せるが、主人公は父親とは思っていない。実父は博打による前科者。実父は売春婦との間に娘をもうけ、その娘も売春婦となっている。主人公は姉の夫が経営する会社で土方をやっている。姉の夫方の身内同士で殺人事件が起きる。元々体の弱い姉は寝込む。母親の最初の夫(姉二人の父)の法事を母が今暮らす家(つまり母の現在の夫の家)で執り行うことになる。名古屋に嫁いだ姉も家族とともにやってくる。主人公は異母妹の売春婦と一度限りの関係を持つ。 人間関係はどうやら中上健次自信がモデルになっているらしい。血縁関係がとにかくごちゃごちゃしている。 かなりの閉塞感がある。 中上健次のプロフィールを知らなければ、文章からは被差別部落ということは読み取れない。
0投稿日: 2017.01.05
powered by ブクログ初、中上健次。表題作のみ読了。 事前に、暗い重い読みにくいという前評判をさんざん聞いていたので、その点はさほど面食らわずに読めました。 被差別部落(おそらく)、土方仕事、複雑な血縁関係、陰惨な事件、身内の発狂――こういう世界は、正直身近ではない。けれど、遠くに思えて実は遠くない、地続きの世界なのだということを、なぜか強く感じた。 確かに重く暗くやるせないのだけど、そんななか爽やかな風の吹き抜けるのが、タイトルとなっている岬でのピクニックのシーン。 土地の者でない義兄が「良い場所ですね」と言った、おそらく風光明媚な気持ちの良い場所。でも実は農地にも漁港にも恵まれない土地で、それが逃れようのない故郷なのである。義兄の何気ない社交辞令(嘘ではないにせよ)と、それを受けた主人公の胸の内の描写が、印象に残った。 文章の読みにくさも、それもひとつの表現というか、ここに洗練された感があったらすべてが嘘っぽくなってしまうのかも。 物語冒頭はとにかく登場する人物同士の関係性がなかなかつかめず、若干ストレスがたまるのだが、読み終わってみると、むしろそれこそが狙いだったのかとさえ思う。
1投稿日: 2016.06.11
powered by ブクログ子供の頃から、30年以上。 本屋さんで見て知っていて。いつかは読もう、と思いながら。 あんまり暗くて重そうで敬遠していた中上健次さん。記念すべき初の中上さんは、やはり読書会がきっかけでした。ありがたいです。 ###### 黄金比の朝 火宅 浄徳寺ツアー 岬 ###### の、四編が収録されています。 1970年代前半に書かれた小説だ、という以外は、何の予備知識も無しで読みました。 読書会に挙げてくれた人が「暗いですよ、暗いですよ、暗いですよ」と予め警告してくれていたんですが。 読んでみると。 暗い。 重い。 救いがない。 強烈でした。小説としての、なんというか、ヘビー級なパンチ力はすごいですね。多少外れても、一発入ったらもう立ち上がれません。 中上さんの他の小説はわかりませんが。 この本に収録されている四編は、まあ大まかに言うと似ている話です。 紀州。和歌山県。 の、山深き田舎町。親の代から、まあかなり貧しい家です。その上、昭和戦前から戦後くらいの地方って、(地方都市、ではありません。地方、です)良いとか悪いとかじゃなくて、そういうものなんだよなあ、というどろどろに満ちています。 具体的には。 母が数度結婚した人で。 主人公=中上さんには、腹違いや種違いの兄弟姉妹がいっぱいいます。 そして、遺伝子上の父はいるけれど、母と婚姻関係にはない。 男たちは無教養で粗暴で暴力をふるい、酒を飲む。女たちはそれに耐え、罵倒するか罵倒される。 仕事は土方が多い。 将来に明るい希望はあまりない。 だから酒を飲むし、だから荒れる。 そしてそういったことが全て、生まれながらに与えられてしまっているんですね。 これはえらいこっちゃです。 こんなこと言っちゃなんですが、僕も親戚縁者血縁の中に、当たらずといえども遠からずな、一族が地方にいるので、なんとなくわかります。 そして小説の世界では。 そんな状況、そんな血の繋がりがある一方で。 そうじゃない世界がある。 そうじゃなさそうな世界、というか。 戦後25年とかを経て。オリンピックも経て。まさにこの、「岬」の世界から遠ざかって、知らないふりをして都会でキレイゴトに暮らし始める。そんな、なんだか激変、身分、勝ち組負け組、摩擦ときしみ。 考えたら僕自身は、彼らの子供の世代です。 僕たちはどこから来たのか。 そういう普遍性があるから、重いし暗いし切ないし娯楽性も無いし、だけど、やっぱり面白い。 ####### 読んでからちょっと調べたんですが、中上健次さんの血統が、いわゆる被差別部落なんですね。 なんともやりきれない、なんだか投げやりな人生という肌触り。根本的な、本質的な、圧倒的な、理不尽や怒りや、暴力やセックスという剥き出しな体臭が、覆い隠す余裕や品性やカッコつけを超えて。怖いもの見たさを超えて。 うーん。山羊料理とか食べちゃった気分ですね。 ちょっと味がすごいんですけど、これは多分、美味しい。 僕たちはこうであってはいけないのだけど、それは僕たちが生まれながらに何割か、こうだからなんですね。 そして、そうでないというのは、そうでないのではなくて、そうでないふりをして居られているという幸運だけなのかもしれない。 そして、その醜悪さと悲しみを見据えた先じゃないと、キレイでも幸せでも、しょせんはツルツルしてるだけなのかもしれませんね。 なんて思ったりして。 ####### 黄金比の朝=== 東京、貧乏な大学生と浪人生。鬱屈して面白くない日々。学生運動に入れあげてしまって、大人ぶる種違いの兄。 反発。 どうにも饐えた、やり場のない10代の腐った感じがよく出ています。なんという不毛、そしてなんという純粋。 身内を探している、知恵遅れっぽい娼婦のエピソードが、やりきれないくらい空気感を作っています。 なんというか、初期大江健三郎さんっぽさが満ちています。 ###### 火宅=== 黄金比の朝 の主人公が大人になると。家庭を持つとどうなるのか。 要するに、酒を飲んでむちゃくちゃになって、妻子に恐ろしい暴力を振るう男のお話です。 暴力性というのを、加害者の側から描いた感じ。 主人公の男は当然紀州出身で、前述のようなどろどろの家庭の出です。 そしてその出自が、東京でサラリーマンをしていて家庭をもっていても、主人公を精神的に支配しています。哀しい、なぞというよりも、加害される側のことを考えるとそれどこじゃないんですけれど。 ####### 浄徳寺ツアー=== いつもの主人公は、今度は2流の旅行代理店社員。地方の現実に向き合うような、ストリップとか地元のヤクザにおもねるような、泥水仕事。 妻がいてもうすぐ子供が生まれるのだけど、粗暴で浮気している。 その主人公が浮気相手の女と、とある田舎の寺のツアーを企画実行する。もう全般的にため息がでるような、救いのなさと品のなさ。なんでそうなのか。でも、そうじゃなかったら、じゃあ一体どうなんだ。そこで上品にして、どういう救いがあるんだろうか。 嫌がる浮気相手ととにかくHしようとする男の浅ましさが、実になんとも触覚的なまでになまなましくて、なんでこんなにひどい話なのに哀しくなるんだろう。 ######### 岬=== いつもの主人公は今度は10代で、地元の岬の村に家族といる。 土方をやっている。 実の父がいるが、他人のように暮らす。 つまらない刃傷沙汰。人の噂。偏見。アル中の厄介な親戚。腹違いの妹かも知れない娼婦。気が触れる姉。 なんとも切なくドラマチックで、骨太で強固な小説。 どれか1編、ということなら、まずこれで。
6投稿日: 2016.05.04
powered by ブクログ本書を読んでいる間中、人間の痛切な叫びが頭蓋の内に響いていました。 思うに任せぬ運命に翻弄され、手ひどく打ちのめされ、のたうち回る人間の魂が、どの作品の中にも濃密に漂っていると感じました。 なんて偉そうに語っていますが、実は、中上健次は初めて読みました。 戦後生まれを代表する作家の一人ですので、もちろん知ってはいましたが、これまでどうも気乗りせずに読むのを見合わせてきました。 今回、懇意にしている方から熱烈に勧められて、手に取った次第。 表題作の「岬」は芥川賞受賞作で、中上の記念碑的作品。 憎悪する父の血を受け継いだ男の苦悩というテーマは、文学における主要なテーマのひとつとしてこれまでも繰り返し取り上げられてきました。 「岬」もその系譜に連なる作品でしょう。 白眉はラストと思いました。 「余計なものをそぎ落としたい」「すべて吐き出してしまい(たい)」という主人公の「彼」の、いわば咆哮がある行為に伴って一気に噴き出すシーンに眩暈を覚えました。 「火宅」は、苛烈と云えばあまりにも苛烈な暴力が印象に残りました。 「彼」の「女」に対する暴力はしかし、彼自身をもいたぶっているようで痛々しい。 闘鶏シーンがまた壮絶で、気持ちが粟立ちました。 「浄徳寺ツアー」は、刹那的に生きる「彼」の言動に閉口しますが、ツアー客一行とのやり取りに何とも云えない滑稽味があって私は気に入りました。 もっと深い読み方が出来そうですが、一読した感想です。 全篇、甘さは皆無。 お手軽に感動したい方は、どうぞ他行ってくださいと云われているようで。
0投稿日: 2015.11.22
powered by ブクログ表題作は「血」を捨てたくなるが、「血」を犯してしまう。必然のように。ラテン・アメリカ文学みたいに土地も登場人物ではないだろうか。紀州、名古屋など。他の短編も骨太である。
0投稿日: 2014.08.20
powered by ブクログ人間関係の複雑さよ!家系図でも書きながら読むべきだったか。読み進めて行く中で、主人公同様混沌と鬱屈の沼に足を取られるような思いに。読了後、作家の私小説的な部分が多いにあることを知る。重い…。けれどその重さに抗うための咆哮がこの作品なのだなと思った。
0投稿日: 2014.06.22
powered by ブクログいわゆる「紀州サーガ」二冊目にあたる「枯木灘」を先に読んだ。「岬」が一冊目。 「引用」に移した文章は本編ではなく後記のもの。 作者は紀州の路地に住む一族の複雑な血縁を形を変え目線を変え書いているけれど、吹きこぼれるように表現したい自分の世界があるのですね。 === 予備校に通う主人公の下宿に転がり込んできた右翼活動者の兄、主人公の友人、彼らが妹を探す娼婦と関わることになった一日。 /黄金比の朝 「枯木灘」と家族関係はほぼ同じ。 枯木灘で秋幸にあたる人物の兄の幼少時代から始まる。兄が引き入れた「男」が母を孕ませ、長じて母に捨てられたと兄は自殺する。 主人公の鬱屈も激しく、父を憎み想い飲んで暴れて妻を殴る。 /火宅 主人公は旅行の案内人。妻は出産を迎えている。何度も降ろさせた。今回のツアーはお寺の檀家ご一同。死の近い老人、白痴娘、旅行の話思ってきた彼の愛人。 /「浄徳寺ツアー」 紀州の山に囲まれた路地は火付けと殺人が盛な土地。 主人公はその鬱憤を異母妹と思われる娼婦と関係することで晴らそうとする。 /「岬」
4投稿日: 2014.05.14
powered by ブクログ以前に『枯木灘』を読んだことがあるのだが、本来ならばコチラから先に読むべきだったようだ。さて、その『枯木灘』を読んだときの感想として、とにかく登場人物の相関関係が複雑だと思ったことを憶えている。その難点は、前作にあたるこの作品でもすこしも変わってはいない。じっさい、芥川賞の銓衡会においてもおなじような意見が出たようだ。でも、いったん吞み込んでしまえば、なかなか凄まじく深い世界が拡がっていて、内容じたいは文句のつけようがないものだ。具体的に、どうだというのは難しい。でも、間違いなく心に迫ってくるものがある。コレは表題作の感想であるが、そのほかの収録作もおなじような感じで、個人的には「火宅」を気に入った。1冊通してどことなく暗い雰囲気が支配していることはたしかだが、それを超えるなにかもまた同時に含まれていて、その凄さが言葉に言い表しづらいものの、確実に傑作と呼べる内容ではある。『ゲルマニウムの夜』で感じた印象に近いかもしれない。じつはこういう内容が、個人的に合っているのだろうか。
0投稿日: 2014.05.11
powered by ブクログ人間相関図でも作らないことにはどうにもならない。こうなると読書とも言えないが、かろうじて話の筋は思い描きながら読み進んだ。
0投稿日: 2014.05.11
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
初期の作品の短篇集である。 黄金比の朝、火宅、浄徳寺ツアー、岬のタイトルがついている。 黄金比の朝は大学を中退した兄と浪人生の弟の話。弟がかなり屈折してた。 浄徳寺ツアーは母を最近失った女ともうすぐ父になる男の不倫話。 火宅と岬は最初似ていると思ったが最後まで読んでみるとどうも違うらしい。 岬の主人公、秋幸は父親の違う、兄、姉二人がいる複雑な家庭に育ち、兄が自殺した年齢に達していた。 秋幸の父は母のほかに二人の女を孕ませていた。 自分の体にもその血が流れているということに悩んでいる。最後は腹違いの妹とやってしまう。 その時、初めて女を抱いて今後どうなっていくのかというところで話しは終わる。 作家自身の郷里、紀州がどういうところのなのか舞台となった背景を知らないと読むのは難しいのかもしれない。複雑な家庭環境の中、姉、弟が苦しみながらも生きている。逃れがたい血のしがらみ、エロスとバイオレンス。読み応えのある作品だと思う。
0投稿日: 2014.05.03
powered by ブクログ1975年下半期芥川賞受賞作。都会的という言葉や洗練という言葉からは、甚だしく遠い小説。物語の世界は和歌山県最南部の東牟婁地域で展開するが、そこは小説が書かれた時よりもさらに時代を遡ったかのような地だ。血縁が濃密に絡まり合い、読者にもそうした閉塞感はひしひしと伝わってくる。「血」がいわば、この小説のキーコードであり、それだけに誰もがそこから逃れることはできない。ことに若い主人公の秋幸にとってはそうだ。この作品は登場人物同志の関係が実に複雑を極め、読者をも困惑させる。それもまた作家の作意なのだろう。
1投稿日: 2014.01.27
powered by ブクログなかなか読みにくかったですね...自分が未熟だからかもしれませんが。 四つの短編(中編?)が収められていますが、「岬」は凄まじかったです。 血・性・死・家族の愛という人間そのものを描いています。 登場人物の血縁関係がややこしかったです。そこが逆にリアルなのですが(笑)
0投稿日: 2014.01.21
powered by ブクログ短編4篇収録。 北方謙三がとあるインタビューで 「これは素晴らしい、これこそ文学だって思った。 (中略) 小説というよりも文学をやるために生まれてきた人間っていうのがいて、 それが中上なのかもしれないとそのとき思った。」 と評価していたので是非とも読んでみたくなった作品。 冒頭から 「~いなかった。~あった。~あがった。~たった。」 と続くいまひとつリズムが悪い文章。 (ちなみに北方謙三も文章自体は酷評している。) けれどもいつしかその鬱屈した世界に引き釣り込まれる。 父と子の憧れの血、逃れられない血、忌まわしい血。 表しようのない焦燥が男を破滅へと誘い続けている。 特に『火宅』が良かった。
0投稿日: 2013.08.05
powered by ブクログ食わず嫌いしてた中上健次をはじめて読んだ。だいぶ古い感じはあるが、確かに面白い。表題作の「岬」はあまりぴんとこなかったのだけど、ほかの短編も読み進めていくうちにどんどん面白くなってきた。共通したモチーフが視点を変えて何度も現れ展開されていく。とくに「火宅」が父と子の話が入り乱れる構成もあってとても面白かった。これはちゃんと本腰いれて紀州サーガを読まなくちゃいけないな。
0投稿日: 2013.06.08
powered by ブクログ何度か挫折しながら読み終えた。最後は驚くほど引き込まれていた。短い文章で、小さな地域に固められた血縁関係を描く「岬」が特にそうだった。父親が違う姉や今の義父との関係性に得も言われぬ違和感を感じ、自らの中に流れる血をうとましく思いつつも逃れらない主人公の葛藤が物悲しかった。
0投稿日: 2013.04.10
powered by ブクログ読後の疲労感がすごいですが、何かが身体に残るような感覚を覚えます。それが何かはまだ自分でもよくわかりません。 読んだ時に受ける感覚が、初期の村上龍作品を読んでいるときのそれと似ている気がします。
0投稿日: 2013.04.03
powered by ブクログ中上健次好きの友人のいちおし「岬」。芥川賞受賞作。 紀州に住む、複雑な血縁関係をもった家族の話。24歳の主人公・秋幸が身内で起きた刺殺事件から、家族の変化に翻弄され、行き場を無くして腹違いの妹と。。。血縁にまつわる暗くて重い話で、独特の文体が読みづらいのに、読み終わると何かが胸にひっかかるような・・・
0投稿日: 2013.01.14
powered by ブクログ第74回 昭和50年下半期芥川賞受賞作。 著者の世界、結構好きです。 幼少のころ、北海道にもこのような雰囲気のかけらが残っていたと思います。
0投稿日: 2012.11.25
powered by ブクログ紀州サーガの一。正直あまり印象には残らなかったかも。描く角度の違いから現れる人の印象の違いに面白みを感じる。ただ、これが読めるような精神状態は酷く限られる気がする。
0投稿日: 2012.09.08
powered by ブクログ数年前に『枯木灘』を読んだ。その時は色々な意味で自分のキャパシティを越えている感じで読み終えるまでなかなか辛かった。 今回も、スラスラと読めたわけでは無く、じっくりと文章と付き合わなければ読めなかった。だが、自分がいくらか歳を取ったせいか、今回は中上健次のその「読みにくさ」と表裏一体の「力」のようなものを以前よりはいくらか受け止められたような気がする。尤も『枯木灘」以前の作品であることも関係しているのかもしれないが。 『枯木灘』へと続く作品となる表題作「岬」の他、「黄金比の朝」、「火宅」、「浄徳寺ツアー」の三編が収録されている。最初から通して読むと、「黄金比」や「火宅」に見え隠れしているテーマが、「岬」において結実しているのがよく分かる。 これからもう一度『枯木灘』を読みなおしたいと思う。
0投稿日: 2012.08.23
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
十数年ぶりの再読になる。 大学に入ったばかりの頃に読んで、その後しばらく自分の中で大きな位置を占めていた中上健次。少し思うところがあって秋幸の物語を読み返したくなった。順を追ってまずは『岬』から読んでみようと思う。そういえば昔物語の順序としては先である『岬』よりも『枯木灘』を先に読んだのだった。 収録されているのは『黄金比の朝』『火宅』『浄徳寺ツアー』『岬』の4編。昔どう思って読んでいたかはもう覚えていないが、中上健次が執拗に同じテーマを扱っている、という印象はあったと思う。自死した兄のことや、複雑な家系と土地の熱が産む暴力の連鎖… 素直に振り返ると、自分は若い頃いろんなものを吸収したかった焦りから、この同じ題材を繰り返し扱う感じに「またか」という印象を抱いていたこともあったように思う。それくらいどれも中上健次の小説に触れたことがある人ならおなじみのテーマなのである。 自身仕事に忙殺されているせいもあると思うが、一つ一つの文章に力が入っていて、なかなか読み進めなかった。一日10ページから20ページぐらい。一つ一つはわりと短い文なのだが、その区切り方でリズムを出しているように読んでいるこちらに入ってくるのでなかなか読み落とせない。そのリズムで迫ってくる感じを与えられる。 『黄金比の朝』から『岬』にかけて読んでいくと、中上健次が表現の仕方をあの手この手で探っているように思える。『黄金比の朝』は「ぼく」の一人称だが、その他は「彼」である。同じ「彼」でも『火宅』の彼はどこか遠くで語られているような、人の姿でなく声だけが響いてくるような感じがするのに、『岬』などは登場人物の輪郭が他と比べるとくっきりしているせいもあるのかもしれないが、人の身体自体を感じさせる。『岬』の声が一番近くに感じられ、安定感があると思った。しかし『火宅』のようなどこか観念的な雰囲気のものもとても惹きつける力がある。 『黄金比の朝』を読んでいると、「そういえば中上健次は大江健三郎の影響を受けていなかったか」とふっと思いが割り込んでくる。大江健三郎など先行する本から得た書き方を、自分の中にくすぶるものと絡めてとにかく外へ出そうと格闘する姿。中上健次ほど「格闘」のような言葉が似合う作家もいないだろう。 『岬』の前に置かれている3編は、後の『岬』『枯木灘』『地の果て 至上の時』などへつながる助走のようなものではなかったのだろうかと思う。書いていく中で「これで秋幸の物語を書こう」という確信めいたものが少しずつ作家の中で生まれていったのではないだろうか。そのように考えると、1編1編がとても大事に思えてくる。私にとってはそう思わせてくれるような作家はそうそういない。 もう『枯木灘』を少し読み始めているが、読みながらまた『岬』に戻ったりしている。今年は少し作家を決めて集中的に読んでみたい。
1投稿日: 2012.01.22
powered by ブクログ久しぶりに読む中上健次。実によい。 過去と現在を分かたずに行き来する自在な文体の効果で、 一人の男に絡みつく血の因縁が鮮やかに描き出される。 息苦しく、辛く、それでも人をいとおしもうとする作家の心が赤裸々に現れているみたいだ。 この選集には表題作の他に右傾化する少年の、左翼運動をしていた兄への反発を描いた『黄金比の朝』(大江健三郎の影響が強いかも)、 『岬』の原型になったと思われる『火宅』(文字通り炎の描写がすさまじい)、 浮気をしたくて寺巡りツアーを企画したバチアタリな話『浄徳寺ツアー』を併せて載せている。 どうせなら、『十九歳の地図』当たりも載せて、初期中上健次の鬱屈した世界観の全体像をもう少し広く見せて欲しかった。 『岬』自体はまっすぐに生きたいのに、メチャクチャに混線した家族構造の中でもだえ苦しむわかものの話。 数々の挿話を組み合わせるのではなく、絡み合わせるようにして主人公秋幸を追い詰めていく。 しかし、紀州という土地に住む人々のいちいちが愛おしく思える。 剛毅な母も、気丈な芳子姉も、カンの強い美恵姉も、酔っぱらいの玄叔父も、 それから自殺した腹違いの兄も、秋幸が憎み続けるかれの実父も。 中上健次はこの作品に連なる巨大なサーガを後年紡いでいく。 その原点となったキャラクターの豊かさと、海を裂いて屹立する紀州という男の因業(ファルス)の象徴のような土地を、この作品でガッチリ掴んだかのようだ。 中上健次を語る際はその出生や人物の特異性がクローズアップされるが、この小説がどこか苦しくも懐かしいのは、ふるさとに寄せる思いの強さが良く表れているからなのかも知れない。 最大の不満点は、文庫で読もうとすると、もはや文春文庫のこれしか手に取れないこと。 小学館版の選集シリーズはもう絶版らしい。 出版界はもっとこの作家をプッシュするべきだろ。
0投稿日: 2011.12.10
powered by ブクログ出来れば読み進めたくないのに、思わずページを捲ってしまう、それでまた気分が悪くなる。そんな繰り返しだった。自分自身の記憶の中の映像と重なってしまうところがあって、それもまた不快だった。こんなに短い枚数で、これほどの破壊力があるのは、ほんと、凄い。
0投稿日: 2011.11.20
powered by ブクログ芥川賞を受賞した表題作である「岬」を含む4篇からなる作品集。 以前読んだ「枯木灘」は「岬」の続編であることを初めて知る。 出世作と代表作が一緒なのも珍しいのだけど、それはそれで少々安易な気もしないわけでもない。 勿論編集者から「この路線で!」という要望もあったとは思うのだけど、それにしてはあまりに安易のような気がする。 とは言え「枯木灘」の評価を損ねるものではないし、著者自身その路線を貫いて独自の世界観を作りあげた筆力は賞賛されるものだろう。 しかし「枯木灘」を読んだ人には特に「岬」を読む必要性はないように感じたのも事実。 この作品集を通して感じる鬼畜感は作者の出自が大いに関係しているのだろう。 「火宅」などはまさにその典型と言えるのではないか。 またそれと同時に感じる若さや青さみたいなものは読んでいて少々厳しい年齢に自分はなってしまったようだ。 フォークナーに影響を受けたと言われる文体(因みに自分はフォークナーをさっぱり理解できなかった人間である)はやや癖があり読み手を選ぶ部分もあるだろうが、芥川賞作家が面白かった時代は彼までと評価する声も多くあるようなので、一読に値する作家だと思う。
0投稿日: 2011.04.04
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
中上健次が好きな友人に借りた 実は、中上健次のことは以前から知っていていつかは読もうと思っていたけど、なんとなく敬遠してしまっていた それで、今回は良い機会だということで読んでみた 短編集の形をとっている 第一回芥川賞受賞作品ということで、表題作の「岬」は面白かった 何より他の3つの作品よりも格段に読みやすい 何が誰にいつ起こっているのかがちゃんとわかる 中上健次が部落出身で、その部落を「路地」という架空の舞台として書いた小説が大半である といったことを知っていたので、先入観からかもしれないけど、なんとなく暗いイメージ、いや暗いというよりはアンダーグラウンドというか、を持っていた こう書くと差別発言ととられるのかもしれないけど、確かに部落差別というものがある時期があったわけで、そして、自分と自分の周囲はそうではないけど未だにそういう考え方をしている人も多分いるわけで、そして、作家が生きていた時代を考えてみると、そういう考え方をしている人は今よりは確実に多かったわけで、そう考えてみると、そういう社会において彼が書いた小説がアンダーグラウンドな雰囲気を持つというのはある意味で納得できるのかなと 思った ちなみにこの岬に載せられている全ての作品が多分「路地」を舞台としたお話 土方や仕事に就いていないような人、犯罪を当然のようにしている人が多く出てくる 別にだから何なんだとも思う 妄想に過ぎないけど、部落という日本社会の底辺に位置していた共同体での生活は、きっと今の自分がしているようなある意味豊かな生活からすると想像を絶するものだったんだろうなと思った とても読みにくい本で気合がいる本だったけど、同時にとても興味深かった 他の作品も読んでみたい 一度読んだだけじゃ受けた衝撃を言葉にするのが難しい、そういったタイプの本だと思う
0投稿日: 2010.10.02
powered by ブクログ内容 作者の生まれ故郷・和歌山を舞台に、 自らの体に流れる 「血」のしがらみに翻弄される 青年の思いを 独特の文体で描いた 芥川賞受賞作。 表題作の他、「火宅」「浄徳寺ツアー」など 初期の作品三篇を収録。 感想 かんたんに言えば、イナカ僻地における “暴力とエロス”である。 といって生々しい描写のオンパレードではない。 被差別部落と、そこに生きる家族の物語、か!? 文体は独特で、真剣に読むとけっこう疲れる。 どちらかといえば、“感覚”で読むといいかも。 たとえば、なんとなくわかるとか、 キモチワルイとか、 キツイ、とか、ヤバイ、とか。 純文学であることは、間違いありませんが、 ワタクシはちょっと.... 収録されている 「浄徳寺ツアー」は面白い、 気がした。 オモシロ度 たまには純文学も読んでみようぴかぴか(新しい)
0投稿日: 2010.08.29
powered by ブクログ秋幸サーガの幕開け。 日に蒸され熱に浮かされ、火事と人殺しが絶えない「路地」 男はひたすら穴を掘り、女は自らの体を売る。 そして、ただそこに在る自然。 そこに在る、という究極の生命賛美。
0投稿日: 2009.10.28
powered by ブクログこの作品が、ではなくこの小説家が好きだ、というようなことをはじめて思った。 2002年4月21日読了
0投稿日: 2009.10.27
powered by ブクログ中上健次さんの作品を初めて読みました。 中上健次の出自をからめた私小説的な小説で、濃く複雑な血縁に悩む青年の苦悩が描かれています。 本当に暗くて重いです。 なんの心の準備もなく読み始めてしまったのですが、文章も非常に読みづらく気が滅入りました。 第74回芥川賞受賞作です。 やはり私には純文学はむいていないと再認識しました。
0投稿日: 2008.04.15
powered by ブクログやはり表題作『岬』が面白いと思う。にしても、この短編集、『岬』に通じるまでの苦悩というか努力というか、粘り強さ、いや執念が垣間見えます。おめでとう芥川賞。
0投稿日: 2006.12.08
powered by ブクログ「岬」のみ読了。カバーの後ろにある概説を読んでみると「感動を呼んだ」と書いてあるんだけど、どうなんだろう。「感動」は確かにちょっとしたけど、そういうレッテルでいいのだろうか。唸るものはあった。
0投稿日: 2006.11.14
powered by ブクログということで中上健次再チャレンジ計画。『枯木灘』を挫折した人間にとって、『黄金比の朝』は新鮮。秋幸シリーズじゃないとこんなふうになるのか。大江健三郎的な感じで少しは読めるのだが、『火宅』も『浄徳寺ツアー』に行くとあんまり面白くない。で、『岬』も今ひとつダメかもなあと思って読んでたら、途中からドライブしはじめてきた。ああ、中上ってのはこういう感じなのかあ。普通にかなり面白かった。でも大好きって感じではないな。この人は結構唐突に自分の世界へ連れ出す感じがするけど、それが小説としてのたくらみではなく、野蛮に力づくで連れてく感じが、あんまり好きじゃないのかも。うーんよく分からん。
0投稿日: 2006.09.16
powered by ブクログ中上氏の初期作品はとにかく文体に困ってしまうのだが、収録作「黄金比の朝」のために★二つ。タイトルと内容が調律されていて、美しい。
0投稿日: 2006.09.08
powered by ブクログ繊細な描写とストーリーが素晴らしい。本能について考えさせられた。もっと中上健次の作品を読みたいと思った。
0投稿日: 2005.09.04
