
総合評価
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powered by ブクログ玄侑宗久『アブラクサスの祭』新潮文庫。 躁鬱に苦しむ僧侶がロックミュージックと、アルコール、薬と仏教のフュージョン世界を漂う。 大昔の村上龍やウィリアム・バロウズの小説テーマと似ているが、何処か思い切りが無いというか、混沌とした精神世界を描き切れていないように思う。 東北の小さな町の寺に勤める僧侶の浄念は若い頃から躁鬱に悩まされながら、薬と酒の力を借りて、何とか法要をこなす毎日を過ごしていた。不惑の歳が近付き、浄念は学生時代にのめり込んでいたロックバンドへの情熱を思い出す。 本体価格324円(古本100円) ★★★
8投稿日: 2022.04.03
powered by ブクログ躁うつ病の僧が自分はこのままでいいんだという自信を得るまでの物語。僧らしくない世俗的な生活をしつつも、そのオーラで周囲の人々から一定の評価は得ていた主人公。最後まで恵まれすぎていて好かん。
0投稿日: 2017.02.27
powered by ブクログ精神を患っている僧侶の浄念は薬(医者から処方される)を飲むことで心の安定を図り、酒を大量に飲む事が恒常化している。そんな彼は昔音楽をやっており、病気から来るものか何らかの啓示なのかライブをする事に。 物語は主人公とそれを取りまく人々の視点で進んでいきます。 浄念の危うさと彼の妻、上司、上司の奥さんの寛容に包まれた物語でした!
1投稿日: 2014.10.26
powered by ブクログ病と音楽って、似てる。躁鬱でヤク漬けのロックな坊主の話。出てくる音楽はほとんど分からないのに面白い。音楽って毒にも薬にもドラッグにもなるよね。で、環境そのものでもある。 これ読んで気付いたけど、私も躁鬱の気があるんだなぁ。ただ、幸か不幸か私には病に深く落ちていけるだけの才能がない。病は深く強烈に落ち込まなければいけない。そこから浮上する力は最底辺まで行かなければ湧いてこない。ただし、そのまま帰って来られなくなることもよく、あるけどね。
0投稿日: 2013.11.05
powered by ブクログ2013.6.2読了 僧侶の浄念は自分の病気を分裂病まじりの躁鬱病と理解し、薬でコントロールしながら法要等をこなす日常。躁から鬱への移り変わりの変化を内側から、そしてすぐ側で見ているかのような感覚になった。理解した訳ではないのだが、周囲の人の、特に妻の多恵や玄宗の妻麻子の心の変化は優しい静かな時間が流れている感じ。浄念にとっての「祭」とは? もうひとつ、16歳の老犬ナムと3年前に同じく16歳で亡くなった我が家のももことが重なり、次第に弱っていく様子が思い出され少し辛かった(/_;) ともあれ、この作品に出逢ったのはいくつかの偶然が重なっているので、映画の方も機会があれば観てみようと思います。 アブラクサス=神様と悪魔を兼ね備えた存在
1投稿日: 2013.06.02
powered by ブクログアブラクサスに反応して読んだのだけど、 結構期待したせいか超えられなかった。 ただ何だかとてもリアルだった。
0投稿日: 2012.12.18
powered by ブクログ躁鬱を薬と酒の力でどうにか乗り切りつつ、騙し騙し法要をこなす浄念に多かれ少なかれ共鳴するひとは多いのではないだろうか。視覚的なイメージも強いため、現場にいるような息苦しささえ覚える。筆者の他の著書に比べて頽廃的、観念的になり過ぎていないのは浄念との距離の取り方が絶妙だからだろう。
0投稿日: 2012.07.13
powered by ブクログ善であり悪である神アブラクサス。それに象徴されるのは善も悪一体化した世界である。最後のライブシーン。主人公の浄念はまさにその一体化を体感する。 このライブシーンはまさに「祭」のよう。 人間は六道を漂うひげのようなもの。「あるがまま」ではなく「ないがまま」である。浄念は躁鬱、分裂病であると自認しているが、それはある意味で自然なことなのか。六道を突き抜けた恍惚の中で浄念が聞いた「おまえはそのままで正しい。」というアブラクサスの啓示。それは彼の存在を肯定するものであろう。ひげのように漂いながらも浄念は確かに生きているのだ。また妻の多恵が「六道の輪廻として浄念の変化を捉えてみよう」とし、自分を見直し、変化していく様子は心が穏やかな気持ちになった。夫婦が呼応し合っている。それが伝わって心地良かった。
0投稿日: 2012.03.18
powered by ブクログ読んでいて少しだけ苦しかったです。 それでも、その分優しさが胸を打ちました。 印象に残ったのは浄念と多恵の鏡のシーン。あとはナムですね。 繊細さと力強さが入り交じった素敵なお話です。
1投稿日: 2011.08.16
powered by ブクログロッカーにして禅僧 躁鬱に分裂病のケもある主人公 コンサートの開催を目論む日々のなかで 精神の安定を担保する存在「アブラクサス」を見出だす ところで彼は、「アブラクサス」のために死ねるだろうか (僕は無理です…)
0投稿日: 2011.05.15
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
躁・欝・分裂の症状を抱え、そのなかで揺れ動く禅僧・浄念を主人公に、かれが出家以前から追いかけていた音楽とふたたび合一することで自我の安らぎを得るまでを淡々と、しかし静謐な筆致で描く。心理描写(あるいはこの小説の場合、精神状態の描写)が圧倒的に情景描写を上回る筆致でありながら、もたつかず重苦しくもならず進める技は見事というほかない。途中までは主人公やその妻などの視点を自由に越える「神の視点」で書かれていながら、クライマックスでさらりと一人称「ぼく」に飛び移ってしまえるところにもいい意味での軽さを感じた。
0投稿日: 2011.04.18
powered by ブクログ躁鬱病なお坊さんが、こう色々悩みながら、 ライブやろうかなって、ちょっと歩きだす、おはなし。 なんか、どんより、ねっとりとしつつも、 日常生活しつつも、、ジリジリ進む感じ。 物語的には、消化不良というか、波がないので、 「あれ終わってる?」っぽくて。。。 映画のほうが面白そう。 http://www.aburakusasu.com/index.html
0投稿日: 2011.03.08
powered by ブクログ映画をみてから原作を。より掘り下げて補完出来た。 視点が切り替えで、変わってないようで巡ってる、ことが感じられるような。
0投稿日: 2011.01.23
powered by ブクログ同映画の原作。映画の主人公の僧侶役は、スネオヘア。奥さんは、ともさかりえ。主人公は、うつ病であるが、僧侶の勤めを、音楽の愛着を持ちつつも、なんとかこなしていく中で、病気とつきあっていく。心温まる小説。スネオヘアは、実は聖学院大学卒業生。
0投稿日: 2011.01.21
powered by ブクログ躁鬱病でアマチュアロックミュージシャンの鹿児島出身の僧侶が福島県で病と共存しながら暮らす物語。筋があるようなないような揺れ感のある文章。映画化される(福島県では既に先行公開されている)ときいていたのでもっとわかりやすい話かと思っていたらかなり純文学でした。ロック、躁鬱病、僧侶のどの世界についても背景知識にうとく話に入り込みにくかったのが残念。どれかに詳しければもっと深く読めたかも。
0投稿日: 2010.11.21
powered by ブクログこれは話としては映画のほうが向いているかもしれない。と、いう意味で映画は良い作品になるかもしれない。ので、映画が楽しみだ。
0投稿日: 2010.10.17
powered by ブクログ躁鬱病に苦しみながら法要をこなし、ロック好きな僧侶がライブをしちゃう物語。躁と鬱の内面的描写がリアル!僧侶の日常から脱しようとするあがきは誰にもあるのかな…この小説、映画化されるけど想像もつかない!
0投稿日: 2010.09.18
powered by ブクログ映画を先に観たので、どうしても映画ベースで読んでしまいました。 小さな設定の違いが多いことに気がつきました。 主人公の内面の葛藤を中心にした作品なので、忠実に映画化するにはあまりに難しかったのだろうと思います。そこで、周囲の人にもスポットを当てながら、もっと広い視点での映像化を図ったのでしょう。確かに映画としてはその手法で正解だったと思いますが、そういうものと初めに捉えてしまったので、原作の、主人公中心のつきつめ感には戸惑いました。 映画は周りの人の温かさに包まれた、救いの見えるものになっていますが、原作はもっとシビアで、人々はさほど寄り添っておらず、主人公はどこまでも理解しあえずに孤独です。たとえライブ中には恍惚感を味わっても、祭りの後はどうなっていくのかわからない不安定さを感じました。 マインドマップ(あとがきから)→http://lily-book.seesaa.net/article/150496758.html
0投稿日: 2010.05.20
powered by ブクログスネオヘアー主演映画なので読んでみました。 葛藤する部分をどう演じるのか、難しそうです。 子供や妻との接し方は楽しみだなあ〜。
0投稿日: 2009.09.04
powered by ブクログかつてロックを志していた躁鬱の僧侶。 思考は強烈な視覚イメージに。 躁と鬱 有頂天と金輪際 あるがままとないがまま 正と邪 両極を行ったりきたりしながらライブへと。 ライブの強烈なカタルシスに啓示を受けるがきっとその一瞬だけなんだろうな。 だって祭りやもん。
0投稿日: 2008.08.20
powered by ブクログうつ病の坊さんはロックに安らぎを求めた。 読みやすい作品ではないが、面白い。 ZAZEN BOYS(向井さん)好きにはたまらないかも。
0投稿日: 2006.12.28
powered by ブクログ躁うつ病で分裂病でロックな坊さんの物語。途中で語り手が主人公の周囲の人々にシフトして、周りから見た主人公がどういう状態かを書き出しているのが面白いと思う。精神世界の描き方が凄いと思ったら、著者は現役僧侶だったんですね。僧侶って内職してていいんですか。。
0投稿日: 2006.09.27
powered by ブクログ他人との距離感とか、鬱のときの感じとか、すっごくわかるんだけど、最後に行くにしたがってそれがどんどんどんどん加速して行っちゃってとうとう突き抜けてしまう。玄宗曰くところの「人を陶酔へと運ぶ以前に自分が恍惚のうちに飛翔してしまう」(P.72)ってのが結局のところの真実なんだろうなーと思う。 主人公は躁鬱で分裂(と自認)。イっちゃってる感がすごいリアルで、この人(作者)もしかしてメンヘラかな、とたぶん誰もが思う出来。そういやメンヘラってキ○ガイの穏便な言い方なんだよな…。 主観の入れ替わりが激しくて時々「あれ?」って思ってしまうけど、それって結局私の頭の回転が遅くなっててついていけなかっただけかも。 メンヘラになる理由なんて人それぞれだし、よくわからん。自分のことですらわからん。 主人公も自分のことながらなんで自分がメンヘラなのかわかってない。わかってないから悩むし、悩むから、余計鬱(躁)になる。過去のことを引きずり出すのは鬱のときにとてもよくないことです。 なにも成長できなかったと思う。 この後どうやって生きていくのかな。
0投稿日: 2005.12.28
